【心理学論文】なぜ人は自己肯定感が低いまま苦しんでしまうのか? CBT研究が示した3つのポイント

自己肯定感が低いまま昼寝をしている女性
adler-nap

「自分には価値がない」と感じてしまう心に、できることはあるのか

『低い自己肯定感にCBTは効くのか-フェネルモデルにもとづく介入研究を読み解く系統的レビューとメタ分析』ダニエル・C・コルビンスキ、ダニエル・フリングス、アナ・V・ニクチェヴィッチ、ジャクリーン・A・ローレンス、マルカントニオ・M・スパーダ(2018)

Daniel C. Kolubinski、Daniel Frings、Ana V. Nikcevic、Jacqueline A. Lawrence、Marcantonio M. Spada (2018),『A systematic review and meta-analysis of CBT interventions based on the Fennell model of low self-esteem』

「自分には価値がない気がする」
そんなふうに思ってしまう日って、ありますよね。

べつに何か大事件があったわけでもないのに、ちょっとした失敗でずーんと沈んだり、誰かの一言が頭の中で何度も再生されたりします。しかもやっかいなのは、まわりから「そんなことないよ」と言われても、心のほうが「いや、でもね」と頑固に居座ってくることです。まるで、こちらが退去をお願いしているのに、自己否定だけが堂々と長期契約している感じです。

低い自己肯定感は、ただ「自信がない」という一言では片づけにくいものです。人と比べて落ち込んだり、ほめられても素直に受け取れなかったり、うまくいっても「たまたまだろうな」と思ってしまったり。気づけば、心の中の解説者がずっと自分にだけ厳しいコメントをつけ続けていることがあります。しかもその解説、まったく優しくありません。スポーツ中継なら苦情が来るレベルです。

では、こうした苦しさに対して、何かできることはあるのでしょうか。
今回紹介する論文は、低い自己肯定感に対するCBT、つまり認知行動療法の研究をまとめて検討したものです。個別の体験談ではなく、いくつもの研究を見渡しながら、「ほんとうに効果はあるのか」「どんなふうに役立つのか」を確かめようとしています。

「自分を好きになろう」みたいなふんわりした励ましだけでは、どうにもならない日があります。だからこそ、この論文はおもしろいのです。気合いや根性ではなく、心のクセにどう向き合えばいいのかを、研究ベースで考えようとしているからです。自分を責めるループから抜け出すヒントはあるのか。今回はそのあたりを、できるだけわかりやすく見ていきます。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文をひとことで言うと

「“どうせ自分なんて”と心の中で毎日ひっそり開催されている自己ダメ出し大会に、CBTは待ったをかけられるのか?」
それをまじめに調べた研究レビューです。

しかもこの論文は、「たまたま一つの研究でうまくいきました」という話ではありません。複数の研究を集めて見比べながら、低い自己肯定感に対するCBTがどれくらい効果を持つのかを整理しています。つまり、気合いで前向きになろうという話ではなく、「心のクセには、心のクセなりの整え方があるのでは」と、研究を通して見にいった感じです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文の要点

1. 低い自己肯定感は、放っておくと心の中でしぶとく続きやすい

この論文の前提には、低い自己肯定感が「ちょっと自信がない」くらいの話ではなく、気分の落ち込みや不安とも結びつきやすい、なかなか根の深い問題だという見方があります。しかも一度しみつくと、考え方や行動のクセによって保たれやすい。心の中の悪口係が、なぜか長期雇用されている感じです。

2. CBTは、低い自己肯定感をやわらげる助けになる可能性がある

著者たちは、フェネルのモデルにもとづくCBT介入を扱った研究を集めて検討し、自己評価の指標では改善が見られる可能性があるとまとめています。つまり、「どうせ自分なんて」という心の流れに対して、CBTはただの気休めではなく、ちゃんと手を打てる方法かもしれない、ということです。

3. ただし、「かなり効くぞ」と言い切るには、まだ慎重さも必要

一方でこの論文は、CBTが低い自己肯定感に効きそうだと示しつつも、「うつ症状を下げる介入とどこまで違うのかは、まだはっきりしない」とも述べています。つまり、期待は持てるけれど、研究としてはまだ“決定版です”と太鼓を鳴らす段階ではない。希望はあるけれど、白衣の世界はちゃんと慎重です。

阿部牧歌(管理人)
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研究の背景:低い自己肯定感の改善は可能なのか? 心理学研究がこのテーマを追いかけてきた理由

低い自己肯定感って、ただ「ちょっと自信がないんです」という軽い話で終わらないことがあります。自分を必要以上に悪く見てしまったり、失敗を大きく受け止めすぎたり、ほめられても「いやいや、そんなことないです」と受け取れなかったり。こうした状態は、うつや不安など、ほかの心のしんどさとも重なりやすいことが知られていました。つまり、低い自己肯定感は、心の片隅の小さな問題というより、わりと人生のあちこちに顔を出してくる厄介な同居人だったわけです。

そこで注目されてきたのが、CBT、つまり認知行動療法です。とくにこの論文が見ているのは、フェネルのモデルにもとづいて、低い自己肯定感そのものに向き合うCBTです。ここが大事で、ただ「気分をよくしましょう」という話ではなく、「なぜ自分を低く見てしまうのか」「その考え方や行動のクセはどう続いていくのか」を整理して、変えていこうとする考え方です。心の中にずっと住みついている“自分ダメ出し係”に、ようやく業務改善が入る感じですね。

ただ、ここで一つ問題がありました。低い自己肯定感にCBTが効きそうだ、という話は以前からあったものの、それが本当にしっかり確かめられているのかは、まだはっきりしていなかったのです。研究は少しずつ出ていたけれど、バラバラに読むと全体像が見えにくい。「で、結局ほんとうに効果はあるの?」という素朴で大事な疑問に、まだきれいに答えきれていなかったわけです。

さらに、もう一つややこしい点がありました。たとえCBTで自己肯定感がよくなったとしても、それは「低い自己肯定感そのもの」に効いたのか、それとも、うつっぽさがやわらいだ結果として一緒によく見えただけなのか、この境目がまだあいまいだったのです。ここ、研究の世界ではかなり大事です。見た目は似ていても、効いている場所が違うかもしれないからです。つまりこの論文は、「低い自己肯定感向けのCBTって、本当に独自の意味があるの?」という、かなり重要な問いに答えようとしていたのです。

だからこの研究は、すでにある関連研究を集めて見直し、全体としてどれくらい効果がありそうなのかを整理する必要がありました。ばらばらの星をつないで、ちゃんと星座にしてみよう、という作業です。要するにこの論文の背景には、「低い自己肯定感は苦しい。でも、その苦しさに向けたCBTがどこまで有効なのかは、まだ十分に整理されていなかった」という大きな空白があったのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究方法:CBTは低い自己肯定感に効くのか? 研究レビューとメタ分析の進め方

この論文は、新しく実験を一つ行った研究というより、すでに出ている関連研究を集めて、「全体として見るとどう言えそうか」を確かめた研究です。いわば、一人ひとりの意見を順番に聞くというより、会場ぜんぶの声をいったん静かに拾い直して、「で、結局どうなんですか」と整理しにいった感じですね。著者たちは、低い自己肯定感に対してフェネルのモデルにもとづくCBTを行った成人対象の研究を文献検索で集め、条件に合うものだけを選んで検討しました。

そして集まった研究のうち、基準を満たしたものを系統的レビューとして読み比べ、さらに数値としてまとめられる研究についてはメタ分析も行っています。つまり、「こういう研究もありました、ああいう研究もありました」で終わらせるのではなく、できるだけ公平に並べて、効果の大きさまで見ようとしたわけです。論文の中では、条件に合った研究が8本見つかり、そのうち7本が数量的にまとめる分析に使われました。

見るポイントもシンプルで、中心にあるのは「低い自己肯定感に対するCBTが、ほんとうに役立っていそうかどうか」です。要するに、心の中で長年営業を続けている“どうせ自分なんて株式会社”に対して、CBTという介入がどこまでストップをかけられるのかを、既存研究をまとめて確かめた研究だと言えます。方法そのものは少し学術的ですが、やっていることの中身はわりと素直で、「関連する研究を集めて、比べて、全体像を見た」という理解で大丈夫です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この研究でわかったこと:CBTは“どうせ自分なんて”を変えられるのか? メタ分析から見えた結果

この研究でまず見えてきたのは、低い自己肯定感に対するCBTは、ある程度きちんと役立つ可能性があるということです。著者たちは、フェネルのモデルにもとづくCBT研究を集めて検討し、条件に合った8本の研究のうち7本をメタ分析に使いました。その結果、週1回くらいの継続的なセッション形式では、自己肯定感の改善に比較的大きな効果が見られました。要するに、「どうせ自分なんて」という心のクセに対して、CBTはただの気休めではなく、ちゃんと働く可能性があるわけです。

ここで少し意外なのは、1回きりの短いワークショップ形式でも、まったくの空振りではなかったことです。もちろん、週ごとの継続的な支援のほうが効果は大きかったのですが、1日完結型の形式でも一定の改善が見られました。つまり、「こういうテーマは長く通わないとどうにもならないのでは」と思いがちなところに、少し違う景色が出てきたわけです。心の問題というと、つい“長期戦のラスボス感”が出ますが、研究は「短い介入にもそれなりの手応えはあるかもしれない」と教えてくれます。

ただし、この研究は手放しで「はい、CBT最強です」と叫んではいません。そこがむしろ信頼できます。というのも、自己肯定感の改善と同じくらい、抑うつ症状の改善も見られていたからです。ここがこの論文のいちばんおもしろいところであり、少し悩ましいところでもあります。つまり、CBTが「低い自己肯定感そのもの」にピンポイントで効いたのか、それとも「気分の落ち込み全体」がやわらいだ結果として自己肯定感も上がったのか、その境目はまだはっきりしないのです。

この点は、読者からすると少し拍子抜けに見えるかもしれません。でも研究としては、ここがとても大事です。たとえば薬でも道具でも、「効いた」だけでは足りなくて、「何にどう効いたのか」まで見たいわけです。この論文は、CBTが低い自己肯定感の支援として有望そうだと示しながらも、「それが抑うつへの介入とどこまで違うのかは、まだよくわからない」と正直に書いています。研究が無理に大げさな結論を出していないぶん、かえって信用できるんですね。白衣の世界、こういうところは案外まじめです。

まとめると、この研究が教えてくれるのは、低い自己肯定感は“もう性格だから仕方ない”で終わる話ではなく、CBTによって変化する余地があるかもしれないということです。ただ同時に、その変化がどこまで自己肯定感に特有のものなのかは、まだ続きの研究が必要です。希望はちゃんと見えてきた。でも、まだ物語の最後のページではない。そんな、希望と慎重さが同じ机に座っているような結果だったと言えます。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ここが面白い:この心理学論文の面白いところ 低い自己肯定感とCBTの意外な関係

この論文の面白さは、低い自己肯定感を“その人の性格”として片づけていないところです。
ここ、けっこう大事です。

私たちはつい、「あの人は自己肯定感が低い人なんだ」とか、「私は昔からこうだから」と言ってしまいがちです。なんというか、自己肯定感を生まれつきの壁紙みたいに思ってしまうんですね。もう貼ってあるから仕方ない、みたいな。
でもこの論文は、そこにちょっと待ったをかけてきます。そうではなく、低い自己肯定感は、考え方のクセや行動のパターンによって、毎日こつこつ維持されているかもしれないと見るわけです。

これ、言い換えるとすごい話です。
つまり、「私はダメな人間です」という結論が最初から石碑みたいに立っているのではなく、日々の受け取り方や振る舞いによって、その石碑を毎日ていねいに磨いてしまっているかもしれない、ということです。
ほめられても「いやいや、たまたまです」と受け取る。失敗すると「やっぱり自分はダメだ」と話を大きくする。人と比べては静かにへこむ。そうやって、心の中の“自己否定職人”が、今日もせっせと作品を仕上げているわけです。働きぶりが妙に良い。困る。

そして、だからこそCBTが効くかもしれない、という流れになるのが面白いんです。
もし自己肯定感の低さが、完全に固定された性格だけで決まるものなら、できることはかなり限られます。でも、考え方や行動のパターンが関わっているなら、そこには手を入れられる余地がある。
ここに、この論文の希望があります。
「あなたの心は壊れている」ではなく、
「あなたの心は、苦しいやり方を覚えてしまっているのかもしれない」
という見方なんですね。

しかも、もうひとつ面白いのは、CBTは“気分を上げる魔法”ではなく、“心のクセを見つけて、少しずつ組み直す作業”として描かれているところです。
ここ、世の中の自己啓発っぽい話とちょっと違います。
「前向きになろう」「自分を好きになろう」と元気よく言われても、しんどいときの心って、たいてい「それができたら苦労しないんですが」と小声で返してきます。実にもっともです。
でもCBTは、無理やり明るくさせようとするのではなく、「その考え、本当にいつも100%正しいですか?」とか、「その行動、かえって苦しさを長引かせていませんか?」と、わりと地道に見ていく。派手さはないけれど、台所でぐらつく椅子の脚を一本ずつ直していくような誠実さがあります。

さらにこの論文は、期待を持たせつつ、ちゃんと慎重でもあります。
ここも好きなところです。
「CBTは役立ちそうです」と言いながら、「でもそれが自己肯定感そのものに特有の効果なのか、抑うつがやわらいだ結果なのかは、まだはっきりしません」と書いている。
つまり、希望を売りつけてこないんです。
研究の世界って、ときどきこの“すぐ断言しない感じ”がとてもいい。勇み足で花火を打ち上げるのではなく、ちゃんと足元を照らしながら進んでいく。派手ではないけれど、信用したくなる歩き方です。

この論文を読んでいて感じるのは、低い自己肯定感に苦しむ人に対して、研究がそっと言っていることです。
それはたぶん、
「あなたが弱いから苦しいのではなく、苦しくなる仕組みがあるのかもしれない」
ということです。
この見方は、けっこう救いがあります。
自分を責めるしかなかった場所に、「仕組み」という言葉が入るだけで、心の景色は少し変わります。
責める対象だった自分が、少しだけ“理解してみる対象”に変わるからです。

この論文の面白さは、まさにそこです。
自己肯定感の低さを、根性論でも、性格診断でもなく、変化しうる心のプロセスとして見ていること。
それは地味に見えて、かなり大きな視点の転換です。
心の中で長年えらそうに座っていた「どうせ自分なんて」に対して、研究が静かにこう言っている感じがします。
「その人、ずっと居座ってるけど、ほんとうにその席、あなたの指定席ですか?」

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

私たちの生活にどう活かせる?:低い自己肯定感とどう付き合えばいいのか? 研究から見えた日常での活かし方

この論文を日常に引き寄せて考えると、まず大事なのは、低い自己肯定感を“自分の本質”だと思いすぎないことかもしれません。
ここ、かなり大切です。

私たちはしんどくなると、つい言ってしまいます。
「私は昔からこうなんです」
「どうせ自分なんて、こういう人間です」
「何をやっても自信が持てません」
でもこの論文が教えてくれるのは、それが“変えようのない性格”というより、くり返しの考え方や行動のパターンで強まっている可能性があるということです。

たとえば、仕事で少しミスをしたとします。
すると心の中で、すぐ会議が始まるんですね。
「やっぱり自分はダメだ」
「また迷惑をかけた」
「次もうまくいかない気がする」
しかもこの会議、だいたい発言者がいつも同じです。やたら厳しい自分だけがマイクを握っている。ほかの意見はぜんぜん採用されません。ずいぶん偏った運営です。

この論文を生活に活かすなら、まずはその“心の会議”に気づくことが第一歩です。
「あ、またいつもの厳しい人がしゃべっているな」
と気づけるだけでも、少し違います。
大事なのは、すぐに前向きになることではありません。
いきなり
「私は最高です」
まで飛ばなくていいんです。
それはさすがに心が「話を盛るな」と止めに入ってきます。
そうではなくて、
「本当にそこまで言えるかな」
「失敗はしたけれど、それで全部がダメになるわけではないかもしれない」
と、ひとつだけ見方をゆるめてみる。
この小さな修正が、じつはかなり大事です。

また、生活の中では“自分を責める行動のクセ”を見ることも役立ちます。
たとえば、人と比べて落ち込むたびにSNSを長く見てしまう。
ほめられても毎回すぐ打ち消してしまう。
失敗が怖くて、最初から挑戦しない。
こういう行動は、その場では自分を守っているように見えて、あとでじわじわ自己肯定感を削ることがあります。
まるで、寒いからといって窓を閉めたつもりが、なぜか別のところからすきま風が入ってくるみたいなものです。守っているつもりなのに、心はけっこう冷える。

だから生活の中では、完璧を目指すより、自分への接し方を少し変えることが現実的です。
ミスをした日に、
「自分は本当にだめだ」
で終わるのではなく、
「今日はしんどかったな。でも、ひとまずここまではやった」
と一区切りつける。
ほめられたときに、
「そんなことないです」
で全力逃走するのではなく、
「ありがとうございます」とだけ受け取ってみる。
挑戦が怖いときに、100点の成功を目指すのではなく、30点でもいいから一歩だけ出してみる。
こういう小さな調整は地味ですが、地味なことほど毎日には効きます。心の大改装というより、毎日ぐらつく椅子のネジを一本ずつ締める感じです。

そしてもうひとつ、この論文から受け取れる大事なことがあります。
それは、自己肯定感が低いからといって、自分を叱り飛ばしても改善しにくいということです。
「こんなんじゃだめだ、もっとしっかりしろ」と自分を追い立てるやり方は、短距離なら動けても、長い目で見ると心をすり減らしやすい。
むしろ必要なのは、自分を甘やかすことではなく、自分を雑に扱わないことなのだと思います。
この違いは、けっこう大きいです。

結局、この論文を生活に活かすというのは、特別な魔法を覚えることではありません。
今日の自分の考え方や行動の中に、
「自己肯定感を下げるクセはないかな」
と少し目を向けること。
そして、そのクセを責めるのではなく、少しずつ整えていくこと。
その積み重ねが、心の中で長年いばっていた「どうせ自分なんて」の声を、少しずつ小さくしていくのかもしれません。

要するに、この論文が日常にくれるヒントは、
自分を変える前に、まず自分への扱い方を変えてみることです。
人は案外、そこで少しずつ呼吸がしやすくなります。
心って、気合いで育てるというより、雑に踏まないようにしたほうが、わりとうまく育つのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

少し注意したい点:この心理学論文の注意点 低い自己肯定感へのCBT研究の限界とは

この論文は、低い自己肯定感に対するCBTが役立つ可能性を示していて、とても希望のある内容です。
ただ、ここで勢いよく
「よし、これで答えは出た」
と走ってしまうと、少し早いかもしれません。
論文って、ときどきこちらが感動して拍手している横で、本人はまだ冷静にメモを取っていたりするんですね。研究者、案外テンション管理がうまいです。

まず注意したいのは、この論文で集められた研究の数がそこまで多くないことです。
系統的レビューとメタ分析というと、なんだか巨大な研究の海を一望した感じがしますが、実際には条件に合った研究は8本、そのうちメタ分析に使えたのは7本でした。もちろん価値はあります。けれど、「もう十分に決着がついた」と言うには、まだ少し材料が少なめです。
たとえるなら、評判のいいお店を7軒まわって「この町の味がわかった」と言うことはできるけれど、町じゅう全部を知った顔まではまだできない、そんな感じです。

それから、CBTが“低い自己肯定感そのもの”に特別に効いたのかどうかは、まだ少しあいまいです。
ここがこの論文のいちばん大事な慎重ポイントかもしれません。
というのも、自己肯定感の改善とあわせて、抑うつ症状の改善も見られていたからです。すると、「自己肯定感にピンポイントで効いた」のか、「気分全体が少し軽くなった結果として自己肯定感も上がった」のか、その境目がまだはっきりしません。
結果としてよくなっているならそれで十分では、と思う気持ちもあります。たしかに生活の感覚ではそれも大事です。けれど研究としては、「何にどう効いたのか」を丁寧に分けて考える必要があります。ここを雑にすると、話がどんどん大きくなってしまうんですね。

さらに、研究ごとに介入のやり方や期間がそろっていないという点も見ておきたいところです。
毎週行う継続的なセッションもあれば、1回だけのワークショップ形式もありました。これって日常感覚でいうと、毎週コツコツ筋トレした人と、1日だけ体験レッスンに行った人を同じ棚に並べて「運動ってどうでした?」と聞くようなものです。もちろん比べる意味はありますが、やり方が違えば、出てくる効果の質も少し変わるかもしれません。
だから、「CBTは効くらしい」と一言でまとめすぎると、大事な違いがこぼれてしまいます。

そしてもうひとつ、この研究の結果をそのまま誰にでも当てはめられるわけではないことも大切です。
論文の中で扱われたのは成人を対象にした研究ですし、参加者の背景も限られています。なので、年齢や抱えている悩み、生活環境が違えば、同じような結果になるとは限りません。
論文を読むときは、ときどき「これは誰の話として出てきた結果なのか」を見る必要があります。研究結果は地図としては役立ちますが、いつでも自宅の間取りそのものではありません。

ただ、こういう注意点があるからといって、この論文の価値が下がるわけではありません。
むしろ逆です。
「有望そうだ」と言えるところと、「まだ言い切れない」ところを分けて読むことで、論文のよさがちゃんと見えてきます。全部を魔法みたいに信じるのでもなく、全部を疑って投げ捨てるのでもない。その真ん中に立つのが、研究を読む面白さなのだと思います。

要するに、この論文は
「低い自己肯定感にCBTは役立つかもしれない」
という大事な光を見せてくれます。
でもその光を見たあとに、
「それはどこまで照らしているのか」
を静かに確かめる姿勢も、同じくらい大事です。
論文を読むというのは、たぶんそういうことなんですね。
甘くておいしいだけではなく、ちゃんと噛むと小麦の味がする。
この欄は、まさにその“ちゃんと噛む”ための場所だと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

まとめ:低い自己肯定感は変えられるのか? CBT研究から見えた答え

この論文が教えてくれるのは、低い自己肯定感は「もう性格だから仕方ない」と決めつけなくてもいいかもしれない、ということです。
自分を低く見てしまう気持ちは、とても根深くて、なかなかしぶといものです。ちょっと失敗すると必要以上に落ち込んだり、ほめられても素直に受け取れなかったり、「どうせ自分なんて」が心の中で定期公演を続けていたりする。そういう苦しさに対して、CBTはある程度、ちゃんと役立つ可能性がある。これがこの論文の大きなメッセージでした。

面白いのは、ここで語られているのが、気合いや根性の話ではないことです。
「もっと前向きにいこう」とか「自分を好きになろう」とか、そういう元気な標語だけでは届かない場所に、この論文は手を伸ばしています。低い自己肯定感は、考え方や行動のクセによって保たれているかもしれない。だからこそ、そのクセに働きかけることで、少しずつ変化の余地が生まれるかもしれない。
この見方は、かなり救いがあります。
自分を責めるしかなかった話が、「仕組みとして理解できる話」に変わるからです。

ただ同時に、この論文はとてもまじめです。
CBTは有望そうだけれど、「低い自己肯定感そのもの」に特別に効いているのか、それとも抑うつなど全体的なしんどさが軽くなった結果なのかは、まだはっきりしない。研究数もそこまで多くない。つまり、希望は見えてきたけれど、まだ“最終回の大団円”ではないわけです。研究の世界、ここで急に拍手と紙吹雪にはいきません。ちゃんと慎重です。

でも、だからこそ信頼できます。
なんでもかんでも「効きます」「変われます」と大声で言わない。
その代わりに、「ここまでは言えそうです」「でもここから先は、まだ調べる必要があります」と静かに示してくれる。
この誠実さが、この論文のよさでもあります。

私たちの生活に引き寄せて考えるなら、この論文から受け取れるヒントはとても実際的です。
低い自己肯定感に苦しむとき、大事なのは、いきなり完璧に自分を好きになることではありません。むしろ、自分の中の厳しすぎる声に気づいて、その声を少しだけ疑ってみること。失敗したときに、いつものように全面否定へ走るのではなく、「本当にそこまで言えるかな」と立ち止まること。
その小さな調整が、心の空気を少しずつ変えていくのかもしれません。

要するにこの論文は、
低い自己肯定感は、変えようのない運命ではなく、向き合い方によって少しずつ動いていく可能性がある
と教えてくれます。
それは派手な希望ではありません。
けれど、静かで、現実的で、だからこそ頼れる希望です。

心の中で長いあいだ幅をきかせてきた「どうせ自分なんて」という声に対して、この論文は大げさに勝利宣言をするわけではありません。
ただ、その声に向かって、こんなふうに言っている気がします。
「あなた、ずっとそこにいたけれど、これからもずっと主役とは限りませんよ」と。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

あとがき

この論文を読んでいて、私はちょっとほっとしました。
いや、論文を読んでほっとするって何だよ、という話なんですが、でも本当にそうだったんです。

低い自己肯定感の話って、どうしても重たくなりやすいですよね。
「自分を好きになろう」と言われても、しんどいときほど、その言葉がまぶしすぎることがあります。まるで寝不足の朝にカーテンを勢いよく開けられるみたいな感じです。光が正しいのはわかる。でも、目が、目がきつい。
そういうときに、この論文みたいな存在はありがたいなと思うのです。元気いっぱいの励ましではなく、「その苦しさには仕組みがあるのかもしれませんね」と、少し静かな声で話しかけてくるからです。

私はこういう研究を読むたびに、人の心って、気合いでねじ伏せるものじゃないんだなとあらためて思います。
むしろ心は、雑に扱うとすねるし、追い込むと黙りこむし、無理に明るくさせようとすると「それどころではない」と小声で反抗してくる。なかなか繊細です。いや、かなり繊細です。思っている以上に、心は体育会系のノリが苦手なのかもしれません。

今回の論文で私が好きだったのは、低い自己肯定感を「その人のダメな性格」として見ていないところでした。
ここ、すごく大事だと思っています。
もし「性格だから仕方ない」で終わってしまったら、そこで話が閉じてしまうんです。でもこの論文は、そうではなくて、考え方や行動のパターンが苦しさを支えているかもしれない、と見ている。
この見方には、責める感じがあまりありません。
そして、責める感じが少ないぶん、読んでいて呼吸がしやすいんですよね。

たぶん、自己肯定感が低いときって、自分の中にいる“厳しすぎる審査員”がずっと働いている状態なんだと思います。
何かやっても減点。
うまくいっても「でも偶然だよね」と減点。
失敗したらもちろん全力で減点。
そのくせ、その審査員はこちらが解雇しようとしても、なぜか長年居座る。とても困る。
でもこの論文は、その審査員の存在に気づき、その採点基準を見直していく道があるかもしれないと教えてくれます。
これは派手ではないけれど、かなり大きな希望だと思いました。

もちろん、研究としてはまだ慎重な部分もあります。
「かなり効きます、以上、解散」とは書いていません。
そこも私は好きです。
すぐ断言しない。勢いで全部を救済しようとしない。そのかわり、「ここまでは言えそうです」と地に足のついた形で示してくれる。
こういう論文には、なんだか人としての誠実さまで感じてしまいます。白衣を着た人たちが、ちゃんと足元を見ながら橋をかけている感じがするんです。

このサイトをやっていてよく思うのは、心理学の研究って、私たちの日常から遠いようでいて、じつはかなり近いところにあるということです。
朝、なんとなく自分が嫌になること。
ちょっとした失敗を一日中引きずること。
人からの言葉を悪いほうに受け取ってしまうこと。
そういう、誰にも見えないけれど本人にはわりと深刻な時間に、研究は案外、静かに寄り添ってくれます。
大声ではなく、小さなランプみたいに。

今回の論文も、私にはそういう一篇でした。
「自分には価値がない」と感じてしまう心に対して、すぐに明るい答えを押しつけるのではなく、まずはその苦しさの仕組みを理解しようとする。
そして、少しずつ変えていける可能性を示してくれる。
その態度が、なんだかとてもやさしいなと思ったのです。

もしこの記事を読んでいるあなたが、ふだんから自分に厳しすぎるなら、今日はいきなり大きく変わろうとしなくてもいいのかもしれません。
ただ、「また自分を責めているな」と気づくだけでも、たぶん前進です。
心の中の厳しい審査員に向かって、いきなり退場を命じなくてもいい。
まずは、「今日はずいぶん元気ですね」と一歩引いて眺めるくらいでもいい。
そのくらいの距離が、案外、心を助けることがあります。

そんなことを思いながら、この論文を閉じました。
そして私はたぶんまた、別の日に少し落ち込んで、少し自分にがっかりして、そのたびにこの論文のことを思い出す気がします。
人はすぐには変わらないけれど、見方が少し変わるだけで、しんどさの角がほんの少し丸くなる。
心理学の論文って、そういう“小さな丸み”をくれるから好きなんですよね。

今回はそんな読後感でした。
ではまた、昼寝の合間に、心のことを少しだけ一緒にのぞいていきましょう。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

制作ノート

出典:Daniel C. Kolubinski、Daniel Frings、Ana V. Nikcevic、Jacqueline A. Lawrence、Marcantonio M. Spada (2018),『A systematic review and meta-analysis of CBT interventions based on the Fennell model of low self-esteem』

本記事は、GPT-5.4 Thinking を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
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心理学論文のうたたね案内人
はじめまして。心理学の論文要約サイト「アドラーの昼寝」を運営している阿部牧歌です。 これまで、障がい者福祉事業所の施設長などを経て、現在は某就労支援機関にてキャリアコンサルタントとして働いています。 日々、さまざまな悩みや不安、迷いにふれる中で感じるのは、人の心はとても複雑なのに、ひとつの言葉や考え方で少し楽になることがある、ということです。心理学の論文には、そんな「心を理解するためのヒント」がたくさん詰まっています。けれど、そのまま読むには少しかたくて、専門用語も多く、気軽には近づきにくいものでもあります。 「アドラーの昼寝」では、そんな心理学の論文を、なるべくわかりやすく、やわらかく、そして少し面白く読める形にしてお届けしたいと思っています。読書が好きで、本の中を歩くように言葉を読む時間が昔から好きでした。論文もまた、少し入り口を整えるだけで、ぐっと親しみやすいものになります。 このサイトが、忙しい日々のなかでほんの少し立ち止まり、自分や誰かの心をやさしく見つめるきっかけになれば嬉しいです。
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