自己理解・自己肯定感

【心理学論文】なぜ人は自分にやさしくできないのか? 研究が示したセルフ・コンパッション尺度のポイント

自分にやさしく昼寝をしている女性
adler-nap

自分にやさしくするって、思ったよりむずかしい

『自分へのやさしさを測る尺度はどう作られたのか その開発と検証』クリスティン・D・ネフ(2003)

Neff (2003), The Development and Validation of a Scale to Measure Self-Compassion

自分にやさしくしましょう。
そう言われると、たしかにその通りなんです。まったく反論の余地がない。正論です。正論なのですが、問題はそこからです。
「で、どうやるの?」となるんですよね。

友だちが落ち込んでいたら、「そんなに自分を責めなくていいよ」と言えるのに、いざ自分の番になると話は別です。仕事でミスをしたとき、思うように動けなかったとき、人と比べてしまったとき。なぜか心の中の実況中継が急に厳しくなります。
「もっとちゃんとできたはず」
「こんなんじゃだめだ」
「いや、反省は大事だけど、ちょっと言い方きつくない?」
と、心の中でひとり会議が始まり、しかも議長まで厳しい。なかなかのブラック運営です。

では、自分にやさしくする力は、そもそも人によってどれくらい違うのでしょうか。しかもそれは、ふんわりした気分の話ではなく、きちんと測ることができるものなのでしょうか。
この論文でクリスティン・ネフは、そんな少し不思議で、でもとても大事な問いに向き合いました。セルフ・コンパッションという考え方を整理し、それを測るための尺度をつくり、本当に信頼できるものなのかを確かめたのです。
「自分にやさしいって、結局どういうことなの?」という問いに、心理学がちゃんと定規を持って近づいていった。そんな一歩が見えてくる研究です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文をひとことで言うと

「自分にやさしくする力」は気分しだいのふわっとした話ではなく、ちゃんと項目にして測れるようにしてみました、という研究です。
しかも「なんとなく優しい人っぽいよね」で終わらせず、本当にそれが信頼できる尺度になっているのかまできちんと確かめています。
言ってしまえば、心の中の“自分への接し方”を、心理学がまじめな顔でそっとものさしに乗せてみた論文です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文の要点

1. 「自分へのやさしさ」は、ちゃんと測れるものとして整理された

この論文は、「自分にやさしくする力って、なんとなくある気がする」で終わらせず、きちんと尺度として形にしました。心の話なのに、ふわふわの雲のまま逃がさなかったのが大きなポイントです。

2. セルフ・コンパッションには、いくつかの大事な要素がある

ただ甘やかすことでも、何でも自分を肯定することでもありません。自分への思いやりや、つらさを人間みんなに共通するものとして見る視点、そして感情に飲まれすぎない姿勢など、いくつかの要素が組み合わさってできていることが示されました。

3. この尺度によって、「自分との付き合い方」を心理学的に調べやすくなった

この研究のおかげで、「自分に厳しすぎる人はどうなのか」「やさしくできる人は何が違うのか」といったことを、心理学でより具体的に調べられるようになりました。つまり、心の中のひとり反省会を、研究のテーブルにのせられるようになったわけです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究の背景:なぜ“自分にやさしくする力”を測る必要があったのか

長いあいだ、心理学では「自分を前向きにとらえること」が大事だと考えられてきました。いわゆる自己肯定感ですね。たしかに、自分をまるごとダメ扱いしないことは大切です。ですが、ここでひとつ問題がありました。
自己肯定感は、「自分には価値がある」と感じることに関わる一方で、ときには「うまくできている自分」でいないと保ちにくい面もあるのです。つまり、調子がいい日はまだしも、失敗した日にはぐらっとしやすい。心の土台に見えて、案外その下がローラー付きだったりするわけです。

そこで注目されたのが、セルフ・コンパッションという考え方でした。これは、自分がつらいときや苦しいときに、自分を責め立てるのではなく、思いやりを向ける姿勢のことです。しかも、「つらいのは自分だけじゃない」と人間共通の弱さとして受け止めたり、感情にのみ込まれすぎずに見つめたりする点も含まれます。
ただし、ここでまた新しい疑問が出てきます。
「それって、結局どういう力なのですか?」
「やさしい人っぽい、で終わらせていいんですか?」
「ちゃんと測れるものなんでしょうか?」
そう、いい考え方は見えてきたのに、それをきちんと研究するための“ものさし”がまだ十分ではなかったのです。

この論文は、まさにその空白を埋めようとした研究です。セルフ・コンパッションとは何かを整理し、それがどんな要素からできているのかを考え、さらに実際に測れる尺度として形にしようとしました。
言ってみれば、「自分にやさしくするって大事だよね」で終わらせず、「では、そのやさしさを心理学ではどう扱うのか?」に本気で向き合ったわけです。ふんわりした励ましの言葉を、研究の机の上にちゃんと座らせた。そんな一歩が、この研究の背景にありました。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究方法:“自分へのやさしさ”を心理学はどう測ったのか

この研究でネフは、まず「セルフ・コンパッションとは何か」を理論的に整理しました。自分にやさしくすること、つらさを人間みんなに共通するものとして見ること、感情に飲まれすぎずに受け止めること。こうした要素をもとに、セルフ・コンパッションを測るための質問項目を作っていったのです。つまり最初は、心の中のやさしさをいきなり数字にしたのではなく、「そもそも何を測るのか」をきちんと組み立てるところから始めています。

そのうえで、大学生などを対象に質問紙調査を行い、作った尺度がちゃんとまとまりのあるものになっているかを確かめました。さらに、自己批判や抑うつ、不安、自己肯定感などの関連する指標とも比べながら、「本当にセルフ・コンパッションらしいものを測れているのか」を検証しています。要するに、「なんとなくそれっぽい質問を並べました」ではなく、「そのものさし、ちゃんと使えますか?」まできっちり点検したわけです。

さらにこの論文では、理論的にセルフ・コンパッションが高いと考えられる人たちとの比較も行われました。たとえば実践的な仏教の背景を持つ人たちと大学生を比べて、尺度がきちんと違いをとらえられるかを確かめています。研究方法としてはとてもまじめなのですが、やっていることを一言でいえば、「自分へのやさしさを測る定規を作って、本当にその定規がまっすぐかどうか何度も確かめた」という流れです。心理学、こういうところは妙に几帳面で、ちょっと信用したくなります。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この研究でわかったこと:セルフ・コンパッション尺度は信頼できるのか?

セルフ・コンパッション尺度は信頼できるのか。結論から言うと、この研究では「かなり信頼できそうだ」という結果が出ました。ネフは、自分へのやさしさ、共通の人間性、マインドフルネスといった要素をもとに尺度を作り、その質問項目がきちんとまとまりを持って働いているかを確かめました。つまり、「自分にやさしくする力」は、ふわっとした気分の話ではなく、ある程度きちんと測れるものとして形になったわけです。心理学、こういうところは意外と几帳面です。

さらにこの尺度は、自己批判や抑うつ、不安とは負の関連を示し、人生満足感や社会的つながり感とは正の関連を示しました。要するに、セルフ・コンパッションが高い人ほど、自分を責めにくく、心のしんどさもやや抱えにくい傾向が見えたのです。ここで大事なのは、「自分にやさしい人はただ甘い人なのでは」という疑いに対して、研究がかなりまじめに「いや、そう単純ではないですよ」と返しているところです。

そして、読み物としていちばんおもしろいのはここかもしれません。セルフ・コンパッションは自己肯定感と関連はあるのに、まったく同じものではありませんでした。しかも、この論文では、セルフ・コンパッションは自己受容や心の安定に関わりつつ、自己愛的な傾向とは結びつきにくいことが示されています。意外なのは、「自分にやさしい」と聞くと少しぬるい感じがするのに、実際にはむしろ心を落ち着かせる、かなり実用的な力として見えてきたことです。やさしさ、思ったより仕事ができる。そんな感じです。

さらに、理論的にセルフ・コンパッションが高いと考えられる実践的な仏教徒のグループは、大学生より高い得点を示しました。これは、尺度がちゃんと“違い”を見分けられていることを支える結果でもあります。つまりこの研究で見えてきたのは、セルフ・コンパッション尺度が「それっぽい名前の質問紙」ではなく、理論にも結果にもそれなりに筋の通ったものさしだということでした。心の中のやさしさを、ここまでまじめに点検した研究は、なかなか味わい深いです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ここが面白い:自己肯定感とは違う? セルフ・コンパッション研究の面白いところ

この論文のいちばん面白いところは、「自分にやさしくすること」を、ただのきれいごとで終わらせなかったところです。
世の中には「もっと自分を大切にしましょう」という言葉があふれています。やさしい。たしかにやさしい。けれど、聞いたこちらとしては、つい思うわけです。
「それができたら苦労していません」
はい、その通りです。心の問題は、だいたい正論だけでは片づかないんですよね。

この論文は、そこをちゃんとわかっている感じがあります。
「自分にやさしくするって、そもそも何なのか」
「それは甘やかしとどう違うのか」
「本当に心にいい働きをするのか」
そういう、言われてみれば気になるけれど、ふだんはそのまま流してしまう問いを、まじめに拾い上げているのです。

しかも面白いのは、セルフ・コンパッションが「自己肯定感を高くしましょう」の話とは少し違うところです。
自己肯定感というと、どこか「自分は大丈夫」「自分には価値がある」と思えるかどうか、という感じがあります。もちろんそれも大事です。けれど、それはときどき、うまくいっている自分には優しいけれど、失敗した自分には少し冷たい、という弱点も持っています。
一方でセルフ・コンパッションは、うまくいっていないときこそ出番が来る考え方です。
転んだときに「なに転んでるの」と言うのではなく、「痛かったな」と言える力。
ここが、なんとも味わい深いのです。

つまりこの研究は、「元気なときの自分をどう思うか」ではなく、「しんどいときの自分にどう接するか」を見ようとしているんですね。
これ、よく考えるとかなり大事です。人は絶好調の日だけで生きているわけではありません。むしろ、失敗した日、疲れた日、比べてしまった日、布団と和解したくて仕方がない日、そういう日のほうが心の実力は出やすい。
そのときに必要なのは、「もっと上を目指せ」という号令より、「今日はちょっとつらかったね」と言える内なる誰かかもしれません。

そしてもうひとつ、じわじわ面白いのは、心理学がそんな“内なる声”にまで定規を持ち込んできたところです。
普通なら見逃されそうな、心の中のやわらかい動きを、「それって測れますか?」と本気で追いかける。
なんというか、心理学はときどき、心のふとんのしわまで数えにくる学問だなと思います。
でも、その几帳面さがあるからこそ、「自分にやさしくする」という言葉が、ただの励ましではなく、研究できるテーマとして立ち上がってくる。そこにこの論文のおもしろさがあります。

読んでいて感じるのは、セルフ・コンパッションは「自分を甘やかす技術」ではなく、「苦しいときに自分を見捨てない技術」なのではないか、ということです。
華やかではないけれど、かなり大切。
大声ではないけれど、よく効く。
そんな静かな底力を、この論文はそっと見せてくれます。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

私たちの生活にどう活かせる?:失敗した日ほど役に立つ セルフ・コンパッションの活かし方

この研究を私たちの生活にどう活かせるか。いちばんわかりやすいのは、やはり「失敗したときの自分への接し方」でしょう。
うまくいった日は、わりと誰でも機嫌よく過ごせます。問題は、やらかした日です。仕事でミスをした。人前で変なことを言ってしまった。やる気はあったのに、なぜか布団との結びつきだけが異様に強かった。そういう日に、私たちの心は急に厳しくなります。
「もっとちゃんとしろ」
「なんでこんなこともできないんだ」
心の中の監督が、急に熱血を通り越して怖くなるわけですね。

でも、この論文が教えてくれるのは、そんなときに必要なのは、さらに自分を追い込むことではないかもしれない、ということです。
セルフ・コンパッションは、「自分を甘やかして現実逃避しましょう」という話ではありません。むしろ逆で、「しんどい自分をちゃんと見て、そのうえで必要以上に傷口を広げない」という態度です。
たとえばミスをしたときに、
「私はだめだ」ではなく、
「失敗して落ち込んでいる。こういう日は誰にでもあるし、まず落ち着こう」
と考えてみる。
地味です。かなり地味です。拍手も鳴りません。BGMも流れません。
でも、こういう地味な一言が、その後の立て直しをずいぶん変えることがあります。

人間関係にも応用できます。
相手とうまくいかなかったとき、つい「自分のせいだ」「嫌われたかもしれない」と心の中で大騒ぎになりがちです。けれどセルフ・コンパッションの視点を持つと、「人と人が関われば、すれ違うこともある」「今つらいけれど、それで自分の価値が全部決まるわけではない」と少し引いた場所から見やすくなります。
つまり、心の中にひとり“必要以上に話を大きくしない人”を置けるんですね。これは地味に助かります。会議にも一人ほしいくらいです。

また、何かを続けるときにも役立ちます。
ダイエット、勉強、仕事、生活改善。こういうものは、完璧にできた日より、できなかった日の扱い方のほうが大事だったりします。
一日さぼっただけで「もう終わりだ」と全部投げるのではなく、「今日はできなかった。でも、そういう日もある。じゃあ明日どうするか」と考えられる人のほうが、結果的に長く続きやすい。
セルフ・コンパッションは、気合いで前に進む力というより、こけたあとに静かに起き上がる力に近いのだと思います。

この論文を読んでいて感じるのは、自分にやさしくすることは、心をゆるめるためだけの技術ではなく、むしろ暮らしを立て直すための技術でもある、ということです。
毎日が順風満帆なら、たしかに出番は少ないかもしれません。けれど実際の生活は、そんなにいつも機嫌よく進んではくれません。
疲れる日もあれば、比べて落ち込む日もある。なにもしていないのに、なぜかもう夕方、みたいな日もあります。
そんな日に、自分を罰する言葉ではなく、自分を支える言葉を少しだけ持てること。
それが、セルフ・コンパッションを生活に活かすということなのだと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

少し注意したい点:セルフ・コンパッション研究を読むときに注意したいこと

この論文はとても面白いですし、セルフ・コンパッションをきちんと測ろうとした点でも大きな意味があります。
ただ、だからといって「これで人の心は全部わかりました」とまでは言えません。心理学はときどき頼もしい顔をしますが、さすがにそこまで万能ではないのです。白衣を着ていても、魔法使いではありません。

まず注意したいのは、この研究が主に学生を対象に行われている点です。
つまり、ここで見えている結果は、ある程度その集団に基づいたものです。もちろん研究としては十分に意味がありますが、年齢や文化、生活環境が違う人たちにもそのまま全部ぴったり当てはまるかというと、そこは少し慎重に見たほうがよさそうです。
大学生には当てはまりやすいことでも、子育て中の人、仕事でへとへとの人、人生のいろいろをくぐってきた人では、また少し違う景色があるかもしれません。

それから、この尺度は「質問にどう答えたか」をもとにしています。
ここが心理学のおもしろいところであり、少しむずかしいところでもあります。
人は、自分のことを案外よくわかっているようで、意外と見えていないこともあります。
「私は自分にやさしいです」と答えたとして、本当にそうかもしれないし、「そうありたい気持ち」が少し入っているかもしれない。
逆に、自分に厳しい人ほど、自分の中のやさしさに気づいていないこともあるかもしれません。
つまり、質問紙はとても大事な道具だけれど、人の心をそのまま瓶に詰めて保存するようなものではない、ということです。

さらに、この研究はセルフ・コンパッションと抑うつや不安、自己肯定感などの関連を示していますが、関連があることと、「それが原因です」と言い切ることは別です。
たとえば、セルフ・コンパッションが高い人は心が安定しやすい傾向があるとしても、「セルフ・コンパッションさえ高めれば、すべて解決です」とまでは言えません。
それを言い出すと、さすがに話がうますぎます。健康食品の広告みたいになってきます。
実際には、環境、人間関係、体調、もともとの性格傾向など、いろいろなものが重なって心の状態はできています。セルフ・コンパッションはその一部として大事だけれど、人生の全ボタンを一つで操作できるリモコンではありません。

そしてもうひとつ大切なのは、セルフ・コンパッションを「いつでも自分に優しくしておけばいいんでしょう」と雑に受け取らないことです。
この概念は、ただ自分をかばうことや、都合よく自分を正当化することとは少し違います。
失敗を見なかったことにするのではなく、失敗を見たうえで、必要以上に自分を傷つけない。
ここが大事です。
やさしさは、現実から逃げるための毛布ではなく、現実に向き合うための上着に近いのだと思います。

だからこの論文は、「すごい、全部わかった」と読むよりも、「自分へのやさしさを研究するための、かなり大事な土台ができた」と受け取るのがちょうどよさそうです。
面白さをちゃんと味わいつつ、言いすぎない。
そのくらいの距離感が、論文を読むときにはいちばん心地よいのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

まとめ:セルフ・コンパッションとは何か この論文が最後に教えてくれること

この論文は、「自分にやさしくすること」を、ふんわりした励ましの言葉で終わらせず、きちんと研究の対象として扱おうとしたところに大きな意味があります。
セルフ・コンパッションという考え方を整理し、それを測る尺度を作り、本当に信頼できるのかを確かめた。やっていることは地味に見えるかもしれませんが、実はかなり大事な一歩です。なにしろ、「自分にやさしく」と言うのは簡単でも、それが実際にはどういう心の働きなのかをはっきりさせるのは、そう簡単ではないからです。

この研究から見えてきたのは、セルフ・コンパッションが、ただ甘く自分を許すことではない、ということです。
むしろそれは、失敗したとき、落ち込んだとき、思うようにいかないときに、自分を必要以上に追い詰めず、落ち着いて向き合うための力でした。
元気な日の自分を好きでいられるかではなく、しんどい日の自分を見捨てないでいられるか。
その違いは小さく見えて、実はかなり大きいのだと思います。

そして面白いのは、この「自分へのやさしさ」が、自己肯定感とは少し違うものとして見えてきたことです。
自己肯定感は、調子のいい日には頼もしい味方になってくれます。けれど、うまくいかない日には少しぐらつくこともある。
その点、セルフ・コンパッションは、まさにそういう日のためにある考え方です。
転んだあとで「だからあなたはだめなんだ」と言うのではなく、「痛かったですね、では立て直しましょう」と声をかけるようなもの。
派手ではありませんが、生活にはこういう静かな力のほうが長く効くのかもしれません。

もちろん、この論文だけで人の心のすべてがわかるわけではありません。
でも少なくとも、「自分にやさしくする」という言葉を、ただのきれいごとではなく、心理学の土台にのせて考えられるようにした。
そこにこの研究の価値があります。
心がつらいとき、人はつい自分に厳しい言葉を向けがちです。けれど本当に必要なのは、もっと強く叱ることではなく、少し見方を変えて、自分の苦しさにきちんと気づいてやることなのかもしれません。

読んでいて感じるのは、セルフ・コンパッションとは「自分を甘やかす方法」ではなく、「苦しいときの自分に対して、雑にならない方法」だということです。
そう考えると、この研究はただの尺度開発の論文ではなく、私たちが自分自身とどう付き合っていくかを、静かに問い直してくる論文でもあります。
心の中でいちばん長く付き合う相手は、たぶん自分です。
その相手に、いつも説教ばかりしていないか。
この論文は、そんなことをそっと考えさせてくれます。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

あとがき

この論文を読んでいて、なんだか少しほっとしました。
セルフ・コンパッションという言葉そのものは、今ではわりと知られるようになりましたが、こうして元の研究に触れてみると、「ああ、これはただの流行り言葉ではなかったのだな」としみじみ思います。
しかもその中身は、想像していたよりずっと地味で、ずっと誠実でした。
もっとこう、きらきらした自己啓発の香りがするのかと思っていたのですが、実際はまるで逆でした。
派手な応援ソングではなく、夜に小さめの声で「今日はしんどかったですね」と言ってくれるような研究だったのです。

私はこういう論文に出会うと、少しうれしくなります。
というのも、世の中には「自分を大切にしましょう」という言葉が本当にたくさんありますが、その言葉自体が悪いわけではないにしても、ときどきふわっとしすぎていて、受け取る側としては「いや、だからその方法を教えてください」と言いたくなることがあるからです。
やさしい言葉ほど、ときに遠い。
きれいな言葉ほど、ときに実生活では使いにくい。
そんなことがある気がしています。

でも、この論文はそこを逃げませんでした。
自分にやさしくするとは何かを整理して、項目にして、測って、確かめる。
ずいぶんまじめです。
まじめすぎて、ちょっと面白いくらいです。
「心の中のやさしさに定規を当てるなんて、そんなことまでやるんですか」と思わなくもないのですが、でも、その几帳面さがあるからこそ、「自分にやさしく」という言葉が、ただの願望ではなく、考えられるテーマになっていくのだろうなと思いました。

個人的にいちばん心に残ったのは、セルフ・コンパッションが「うまくいっている自分を好きでいる力」ではなく、「うまくいっていない自分に雑にならない力」として見えてきたことです。
これ、かなり大事な違いではないでしょうか。
人は元気なときには、自分にそこそこ親切にできます。
問題は、失敗したとき、疲れたとき、情けない気持ちになったときです。
その瞬間に心の中から出てくる言葉が、励ましではなく説教になってしまう。
しかもその説教、妙に長い。
ときには朝礼より長い。
そういうこと、ありますよね。

この論文を読んでいると、セルフ・コンパッションは、その長々した内なる説教を無理やり止める技術というより、「まあまあ、そこまで言わなくても」と心の中にもうひとり座ってくれる感覚に近い気がしました。
人生を劇的に変える大技ではないのかもしれません。
けれど、毎日の中でじわじわ効く小技であり、しかもかなり本質的な小技です。
派手ではないのに頼りになる。
そういうものは、案外、人生の要所を支えてくれます。

「アドラーの昼寝」では、こういう論文を読むたびに、知識というのは頭に入るだけでは少し足りないのだなと思わされます。
知識が、読んだあとに少しだけ自分の見方を変える。
昨日までなら自分を責めていた場面で、今日はほんの少しだけ言い方を変えられる。
それくらいの変化が、実はとても大きいのかもしれません。
論文は実験室の中で生まれますが、役に立つかどうかは、たぶん台所や職場や夜の布団の上で決まります。
そう考えると、この研究はずいぶん生活に近いところまで来てくれている気がします。

読んだあと、私は少しだけ、自分の中の言葉づかいを見直したくなりました。
自分に厳しくすることが、必ずしも成長につながるわけではない。
むしろ、苦しいときほど、少し静かな言葉のほうが次の一歩につながることがある。
そんな当たり前で、でも忘れやすいことを、この論文はちゃんと思い出させてくれます。

派手な論文ではありません。
けれど、こういう論文は長く手元に残ります。
元気な日に読むと「なるほど」と思い、しんどい日に読むと「たしかに」と思う。
そんな、読む側のコンディションによって味が変わる、ちょっと良いスープみたいな研究でした。
熱すぎず、薄すぎず、じんわりしみる。
今回も、いい昼寝の前みたいな論文でした。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

制作ノート

出典:Neff (2003), The Development and Validation of a Scale to Measure Self-Compassion

本記事は、GPT-5.4 Thinking を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
あわせて読みたい
クリスティン・ネフ(Kristin D. Neff)の論文一覧:自分責めが通常運転の人に、ちょっと待ったをかける論文たち
クリスティン・ネフ(Kristin D. Neff)の論文一覧:自分責めが通常運転の人に、ちょっと待ったをかける論文たち
このサイトの管理人について
阿部牧歌
阿部牧歌
心理学論文のうたたね案内人
はじめまして。心理学の論文要約サイト「アドラーの昼寝」を運営している阿部牧歌です。 これまで、障がい者福祉事業所の施設長などを経て、現在は某就労支援機関にてキャリアコンサルタントとして働いています。 日々、さまざまな悩みや不安、迷いにふれる中で感じるのは、人の心はとても複雑なのに、ひとつの言葉や考え方で少し楽になることがある、ということです。心理学の論文には、そんな「心を理解するためのヒント」がたくさん詰まっています。けれど、そのまま読むには少しかたくて、専門用語も多く、気軽には近づきにくいものでもあります。 「アドラーの昼寝」では、そんな心理学の論文を、なるべくわかりやすく、やわらかく、そして少し面白く読める形にしてお届けしたいと思っています。読書が好きで、本の中を歩くように言葉を読む時間が昔から好きでした。論文もまた、少し入り口を整えるだけで、ぐっと親しみやすいものになります。 このサイトが、忙しい日々のなかでほんの少し立ち止まり、自分や誰かの心をやさしく見つめるきっかけになれば嬉しいです。
記事URLをコピーしました