ウォルター・ミシェル(Walter Mischel)の論文一覧:マシュマロを前に、未来の自分と作戦会議をした心理学者
ウォルター・ミシェル(Walter Mischel)のプロフィール
マシュマロ一個で、世界的に有名になった心理学者
ウォルター・ミシェルは、「マシュマロ実験」で広く知られる心理学者です。
子どもの目の前に、おいしそうなお菓子を一個置く。そして、こんな約束をします。
「いま食べてもいいよ。でも、少し待てたら、もう一個あげるね」
これは子どもにとって、かなり厳しい交渉です。
目の前にはマシュマロ。部屋には自分ひとり。大人は出ていった。そしてマシュマロは、何も言わないくせに、妙な存在感でこちらを見つめてくる。
「食べてもいいんだよ」
もちろん、実際にはしゃべっていません。しかし、甘いものというのは、ときどき言葉より雄弁です。
この実験を通してミシェルが知りたかったのは、単純に「どの子が我慢強いか」ではありませんでした。
むしろ彼が注目したのは、子どもたちは、どうやって誘惑をやり過ごすのかという点です。お菓子を見ないように目を隠す子、椅子の上でもぞもぞする子、歌をうたう子、別の遊びを始める子。子どもたちは小さな研究室の中で、それぞれ独自の「誘惑よけ作戦」を編み出していました。
つまり、我慢できる子は、歯を食いしばって根性で耐えていたとは限りません。
「マシュマロのことばかり考えていたら負ける。だったら、別のことを考えよう」
そんなふうに、自分の注意を上手に移動させていたのです。ミシェルの研究は、自制心を生まれつきの精神力としてではなく、工夫によって助けられる心の働きとして捉える道を開きました。
オーストリアからニューヨークへ渡った少年
ウォルター・ミシェルは、1930年にオーストリアのウィーンで生まれました。
しかし、彼の幼少期は、マシュマロのように甘いものではありませんでした。1938年、ナチス・ドイツによってオーストリアが併合されると、ミシェルは家族とともに国を離れ、やがてアメリカへ渡ります。そして、ニューヨークのブルックリンで育ちました。
「人は、いつでも同じように行動するわけではない」
のちにミシェルが繰り返し考えることになるこの問題は、状況によって人生そのものが大きく変わった彼の体験とも、どこかで響き合っていたのかもしれません。
安全な場所では穏やかな人も、危険の中では警戒する。余裕があるときには親切な人も、追い詰められれば自分を守ろうとする。
人間は、性格という一枚の名札だけでは説明できません。置かれた状況によって、心の表情は変わります。
ミシェルはニューヨーク大学で心理学を学び、ニューヨーク市立大学で臨床心理学の修士号を取得。その後、オハイオ州立大学で学び、1956年に臨床心理学の博士号を取得しました。大学教員としては、コロラド大学、ハーバード大学、スタンフォード大学、コロンビア大学で研究と教育に携わりました。
「性格は、本当にいつも同じですか?」
ミシェルの功績は、マシュマロ実験だけではありません。
むしろ心理学の世界では、「性格とは何か」という大きな問題に石を投げ込んだ研究者としても重要な人物です。
私たちは日常的に、こんな言い方をします。
「あの人は積極的な性格だ」
「あの人は怒りっぽい」
「あの人は引っ込み思案だ」
これらの言葉は便利です。人間を短い言葉で説明できるので、頭の中の整理棚に入れやすい。
ところがミシェルは、その整理棚を眺めながら、静かに首をかしげました。
「でも、その人は本当に、どんな場面でも積極的なのでしょうか?」
会社の会議では一言も話さない人が、趣味の集まりでは司会者のようにしゃべるかもしれません。家では強気な人が、上司の前では借りてきた猫より静かになることもあります。
「怒りっぽい人」と呼ばれている人も、誰に対しても怒るわけではありません。からかわれたときには怒るけれど、注意されたときには黙る人もいる。逆に、友人の冗談は笑って流せるのに、権威のある人から指図されると強く反発する人もいます。
だとすれば、その人を理解するには、「怒りっぽい」という札を貼るだけでは足りません。
ミシェルが注目したのは、どんな状況になったとき、どんな行動をするのかという組み合わせでした。
「もし、このようなことが起きたら、その人はこう反応する」
この条件つきの行動パターンに、その人らしさが表れると考えたのです。
これは人間を、性格診断の小さな箱から救い出すような発想でした。
「あなたは消極的な人です」
そう決めつけるのではなく、
「あなたは知らない人が多い場面では黙りやすいけれど、安心できる仲間の中ではよく話す人ですね」
と捉える。
後者のほうが、人間の姿にずっと近いでしょう。
ミシェルは1968年に刊行した『性格と評価』で、従来の性格研究や性格検査が、状況を十分に考慮していないと問い直しました。この議論は性格心理学に大きな論争を巻き起こし、その後の研究に強い影響を与えました。
我慢は、心の筋肉大会ではない
マシュマロ実験という言葉だけを聞くと、「我慢できる子は将来成功し、食べた子は失敗する」という話に見えることがあります。
しかし、ミシェルの研究を、そんな人生判定機のように受け取るのは正確ではありません。
マシュマロを何分待てたかだけで、子どもの人生が決まるわけではないからです。
子どもが大人の約束を信じられる環境にいるかどうかも大切です。「待てば二個もらえる」と言われても、これまで大人に何度も約束を破られてきた子なら、「いや、今ある一個を確保しておこう」と考えるでしょう。
それは自制心がないのではなく、その環境では合理的な判断かもしれません。
ミシェルが本当に伝えようとしたのは、「待てた子は偉い」という表彰状ではありませんでした。
大切なのは、誘惑の見え方を変えることです。
お菓子を「甘くて、ふわふわで、おいしい食べ物」として見つめ続ければ、心の中の食欲はどんどん熱くなります。ところが、それを「白い雲のような物体」「写真の中にある食べられないもの」と考えると、誘惑の熱を少し冷ますことができます。
ミシェルは、感情や欲望が勢いよく反応する心の仕組みと、落ち着いて考える心の仕組みを区別して説明しました。
欲望が熱々の鍋になっているときに、「根性で触るな」と命令するだけでは苦しい。そこで、火を弱めたり、鍋から離れたり、別の料理を考えたりする。
自制心とは、誘惑と正面から腕相撲をすることではなく、誘惑が力を出しにくい状況を先につくることなのです。
勉強中についスマートフォンを触ってしまうなら、「絶対に触らないぞ」と一時間に百回唱えるより、別の部屋に置いたほうがよい。
夜中にお菓子を食べてしまうなら、冷蔵庫の前で精神統一するより、最初から買い置きを減らしたほうがよい。
人間の意志は、鋼鉄の門ではありません。どちらかといえば、風で開いたり閉じたりする戸です。だからこそ、戸の前に重しを置いたり、風の通り道を変えたりする工夫が役立つのです。
自制心の研究者も、誘惑には負ける
ここで少し安心する話があります。
自制心を研究していたミシェル自身も、いつでも完璧に自分を制御できたわけではありません。
彼は長年、たばこをやめることに苦労しました。
自制心の仕組みを誰より詳しく知っている心理学者が、たばこの誘惑には悩まされていたのです。
「先生、研究どおりにやればいいのでは?」
そう言いたくなりますが、知識を持っていることと、実際にできることは別です。料理の本を百冊読んでも、包丁を握れば玉ねぎは転がります。
ミシェルは最終的に、たばこを魅力的なものとして考えるのではなく、身体への深刻な害と結びつけて想像することで、見え方を変えようとしました。
誘惑に勝つためには、「これは欲しい。でも我慢する」と考え続けるより、その誘惑そのものを魅力的に見えにくくする。
自分自身も誘惑に悩んだからこそ、ミシェルの研究は「意志の弱い人を叱る心理学」にはなりませんでした。
むしろ、
「人間は誘惑に弱い。では、弱いままでも前に進める仕組みをつくろう」
という、どこか温かい研究になったのです。
人間を、ひとつの言葉に閉じ込めなかった
ウォルター・ミシェルの研究には、一本の共通した糸が通っています。
それは、人間を固定された性格や能力だけで決めつけないことです。
「この子は我慢できない子だ」
「私は意志が弱い人間だ」
「あの人は怒りっぽい性格だ」
こうした言葉は、人間を説明しているようで、ときに人間の可能性を閉じ込めてしまいます。
しかしミシェルの考え方を借りれば、問いは少し変わります。
「この子は、どのような状況だと待つことが難しいのだろう?」
「私は、どんな誘惑の前で判断が揺れやすいのだろう?」
「あの人は、何をされたときに怒りやすいのだろう?」
性格を判決文にするのではなく、行動を理解するための地図にする。
そうすると、変えられる部分が見えてきます。
誘惑そのものを消せなくても、誘惑との距離は変えられる。感情が湧くことを止められなくても、感情が暴走しにくい環境はつくれる。自分の性格を丸ごと交換しなくても、「もしこの状況になったら、こう行動する」という流れは少しずつ組み替えられる。
ウォルター・ミシェルは、マシュマロを我慢した子どもたちだけを研究した人ではありません。
マシュマロを見つめ、悩み、手を伸ばしそうになりながら、なんとか別のことを考えようとする人間の姿を研究した人でした。
2018年、ミシェルは88歳で亡くなりました。彼はコロンビア大学の名誉教授を務め、性格心理学と自制心研究の両方に大きな足跡を残しました。
彼の研究が私たちに残したのは、「我慢できる人になりなさい」という堅苦しい教訓ではありません。
おそらく、もっと人間らしい知恵です。
目の前の誘惑に勝てないなら、真正面から戦わなくてもいい。目をそらし、距離を置き、見え方を変えればいい。
未来の自分を助けるために、現在の自分へ精神論を投げつけるのではなく、少しだけ勝ちやすい舞台を用意しておく。
マシュマロを前にした人間の心は、案外、根性よりも演出に左右されるのです。
参考文献・確認先:コロンビア大学:ウォルター・ミシェル公式プロフィール / コロンビア大学:ウォルター・ミシェルの経歴・研究紹介 / Google Scholar:Walter Mischel 論文・引用情報 / PubMed:Walter Mischel 関連論文

ウォルター・ミシェル(Walter Mischel)の研究から学べること
自制心は、根性の腕相撲ではない
ウォルター・ミシェルの研究から学べることを一言でまとめるなら、こうなります。
人は、意志の力だけで自分を動かしているわけではない。状況のつくり方によって、行動は大きく変わる。
これは、少し肩の力が抜ける話です。
私たちは何かを続けられないと、すぐに自分を責めます。
「私は意志が弱い」
「どうして我慢できないのだろう」
「またスマートフォンを見てしまった。私の集中力は、豆腐より崩れやすい」
けれどもミシェルの研究は、そこで性格裁判を始める前に、別の場所を見てみようと教えてくれます。
あなたの根性が足りないのではなく、誘惑が近すぎるのかもしれない。
勉強机の上にスマートフォンが置いてあり、数分おきに光り、音が鳴り、「世界で何かが起きていますよ」と知らせてくる。その状態で二時間集中しようとするのは、焼きたてのパンを鼻先に置かれた犬に、「品格を保ちなさい」と説教するようなものです。
それよりも、スマートフォンを別の部屋に置く。通知を切る。見る時間を決める。
自分の心を鍛え直すより先に、誘惑との距離を変えるのです。
自制心とは、心の中に屈強な門番を雇うことではありません。誘惑が玄関まで来られないように、道を少し変えておくことなのです。
我慢するより、別のものを見る
ミシェルの有名な実験では、子どもたちの前にお菓子が置かれました。
「いま一個食べてもいい。でも、少し待てたら二個もらえるよ」
ずいぶん甘い顔をした、なかなか厳しい試験です。
子どもたちは、お菓子をじっと見つめながら、心の中で激しい会議を始めます。
「一個でも十分では?」
「いや、未来には二個が待っている」
「しかし未来とは、本当に来るのだろうか」
幼い哲学者の誕生です。
ここで大切なのは、待てた子どもが特別に強い心を持っていたとは限らないことです。
お菓子から目をそらしたり、手で顔を隠したり、歌をうたったり、別のことを考えたりする子がいました。誘惑に正面から向き合い続けるのではなく、注意を別の場所へ移していたのです。
これは大人の生活にも、そのまま使えます。
ダイエット中にケーキの写真を見つめながら、
「私は食べない。絶対に食べない。生クリームなど存在しない」
と唱え続けても、頭の中はすでに生クリーム祭りです。
「食べない」と考えているつもりでも、「食べるもの」のことを何度も思い浮かべています。心の舞台には、ケーキが照明つきで登場しています。
そんなときは、我慢を強くするより、注意の行き先を変えるほうが役に立ちます。
散歩に出る。お茶をいれる。音楽を聴く。別の作業を始める。
誘惑を消そうとするのではなく、心の劇場からいったん退場してもらうのです。
欲しいものの「見え方」を変える
ミシェルの研究では、誘惑をどのように捉えるかも重要だと考えられました。
お菓子を「甘くて、おいしくて、口の中で溶けるもの」と考えれば、食べたい気持ちは強くなります。
しかし、「白い雲のような形」「丸い物体」「写真の中にあるもの」と考えると、欲望の熱が少し下がります。
同じものを見ていても、頭の中でどんな説明をつけるかによって、感情の強さが変わるのです。
これは、買い物にも応用できます。
欲しい服を見ながら、
「これを着たら人生が始まる」
「この靴が、まだ見ぬ本当の私を迎えに来ている」
などと考え始めると、財布のひもは急に詩人になります。
けれども、
「似た服をすでに三着持っている」
「着るのは月に一回くらいだろう」
「これは布と糸を組み合わせた商品である」
と見方を変えると、心の温度が少し下がります。
もちろん、何でも冷たく見ればよいわけではありません。人生から喜びまで消してしまったら、味気ない食堂になってしまいます。
ただ、欲望に引っぱられているときには、対象を少し離れた場所から見る。
「私はこれが必要なのか。それとも、いま気分を変えたいだけなのか」
そんな問いを入れることで、欲望と行動の間に小さな待合室が生まれます。
人は、その待合室で少しだけ落ち着いて考えられるのです。
「未来の自分」を他人扱いしない
私たちは、現在の自分には甘く、未来の自分には驚くほど厳しいところがあります。
「今日は疲れたから、明日やろう」
「今月は使っても、来月の自分が節約するだろう」
「夜更かししても、朝の自分が気合いで起きればよい」
未来の自分は、こちらの無理な注文を黙って引き受ける便利屋ではありません。
むしろ明日の自分は、今日の自分が散らかした部屋に派遣される後任者です。
起きた瞬間に、
「昨夜の担当者、また睡眠時間を削ったな」
と、引き継ぎ書を見て頭を抱えています。
ミシェルの研究からは、目の前の誘惑と将来の利益をどう扱うかを考えさせられます。
未来の利益は、目に見えません。健康、貯金、資格、信頼、技術。どれも今すぐ手のひらには乗ってくれません。
一方、誘惑は近くにあります。
動画はすぐ再生できる。お菓子はすぐ食べられる。買い物は数回押せば終わる。
現在の誘惑は、大声で営業してきます。未来の利益は、廊下の向こうから小さな声で話しています。
だからこそ、未来の利益を見えやすくする工夫が必要です。
資格を取った後にできる仕事を紙に書く。貯金の目的を写真にする。運動した日を記録する。作業が終わったときの予定を決める。
遠くにいる未来の自分へ、現在地を示す明かりを置くのです。
性格は、石像ではない
ウォルター・ミシェルは、自制心だけでなく、性格についても重要な問いを投げかけました。
私たちは、人を短い言葉で説明したくなります。
「あの人は消極的だ」
「私は飽きっぽい」
「彼は怒りっぽい」
短い言葉は便利です。しかし、便利な言葉は、ときどき人間を小さな箱に押し込めます。
たとえば、「消極的な人」と呼ばれている人がいるとします。
けれども、その人は本当に、いつでも消極的なのでしょうか。
知らない人の前では口数が少ないけれど、仲のよい友人の前ではよく話すかもしれません。会議では発言できないけれど、文章では自分の考えを堂々と書けるかもしれません。
だとすれば、その人は単純に消極的なのではありません。
「知らない人が多い場面では慎重になる」
「準備の時間があると、自分の意見を出せる」
そんな条件つきの行動パターンを持っているのです。
この考え方には、人を救う力があります。
「私は駄目な人間だ」と考えると、変える場所が見つかりません。
しかし、
「私は疲れている夜に、先延ばししやすい」
「強く否定されると、黙り込んでしまう」
「一人で始めると不安になるが、誰かと一緒なら動きやすい」
と具体的に捉えると、対策が見えてきます。
夜ではなく朝に取り組む。否定されたときの返答を先に用意する。最初の一歩だけ誰かに付き合ってもらう。
性格を丸ごと交換する必要はありません。
行動が起こる条件を少し変えればよいのです。
人間は石像ではありません。「私はこういう人間です」と彫られたまま、一生同じ場所に立っているわけではない。
状況が変われば、出てくる自分も変わります。
「意志が弱い」という判決を急がない
何かに失敗したとき、私たちはすぐに人格の問題へ話を進めます。
遅刻した。
「私はだらしない」
勉強が続かなかった。
「私は根気がない」
甘いものを食べた。
「私は自制心がない」
しかし、一回の行動から人間全体を決めるのは、転んだ人に向かって「あなたの人生は横向きですね」と言うようなものです。
転んだのは、道が濡れていたからかもしれない。靴が合っていなかったのかもしれない。急いでいたのかもしれない。
もちろん、すべてを環境のせいにすればよいわけではありません。
けれども、人格を責めるだけでは、次に何を変えればよいか分かりません。
ミシェルの研究から学べるのは、失敗したときに「私はどんな人間か」ではなく、「何が起きていたのか」を調べる姿勢です。
寝不足だったのか。
誘惑が目の前にあったのか。
目標が大きすぎたのか。
何から始めればよいか分からなかったのか。
成功した後の姿が見えにくかったのか。
失敗を性格の証明書にするのではなく、次の作戦を立てるための資料にする。
そう考えると、失敗は人格への赤点ではなく、行動の取扱説明書になります。
信頼できない場所では、「待たない」ことにも理由がある
マシュマロ実験は、しばしば「待てる子どもは優秀」という単純な物語にされます。
けれども現実の人間は、そんなに一枚の紙では説明できません。
「待てば後でもう一個もらえる」と言われても、その約束を信じられなければ、いま目の前にある一個を食べるのは自然です。
大人が本当に戻ってくるのか。
約束は守られるのか。
後でもらえるはずのお菓子が消えてしまわないか。
これまで約束を守ってもらえなかった経験が多い子にとっては、「いま確実に手に入る一個を取る」という判断が、むしろ現実的な場合もあります。
これは職場や家庭でも同じです。
「頑張れば、いつか評価する」
「今は我慢してほしい」
「そのうち環境を改善する」
そう言われても、約束が繰り返し破られてきた場所では、人は未来を信じにくくなります。
その人に向かって、
「もっと長期的に考えなさい」
と言っても、心は簡単には動きません。
人が未来を選ぶためには、未来がある程度信頼できることが必要です。
自制心は、本人の内側だけにある能力ではありません。周囲との信頼関係にも支えられています。
誰かに我慢を求めるなら、まず約束を守る。
未来のごほうびを語るなら、そこまでの道を見せる。
ミシェルの研究を深く考えると、自制心の問題は「本人の心が弱い」で終わらず、その人を取り巻く環境や信頼にも目が向くのです。
大きな決意より、小さな仕掛けを置く
私たちは、変わろうとするとき、立派な決意を掲げがちです。
「明日から毎日二時間勉強する」
「もう二度と夜更かししない」
「今度こそ完璧な生活を送る」
決意した瞬間は、人生の映画に壮大な音楽が流れます。
ところが翌日の夜になると、その音楽はどこかへ帰り、布団と動画が連合軍を組んで攻めてきます。
ミシェルの研究から考えるなら、変化に必要なのは、大声の決意よりも小さな仕掛けです。
本を机の上に開いておく。
朝になったら、まず五分だけ取り組む。
お菓子を見えない棚にしまう。
使いすぎる買い物サイトから、一度退会する。
作業を始める時間に、友人へ連絡する。
誘惑に負けない英雄になる必要はありません。
普通の人間のままでも動けるように、環境を先回りして整えるのです。
人間の心は、その日の疲れや気分によって揺れます。
昨日できたことが、今日はできないこともある。朝の自分と夜の自分が、同じ会社の別部署のように意思疎通できていない日もあります。
だから、「いつでも強い自分」を期待するより、「弱い日でも崩れにくい仕組み」をつくるほうが現実的です。
人は、自分への説明を書き換えられる
ウォルター・ミシェルの研究が私たちに与えてくれる最大の希望は、人は固定された存在ではないということです。
過去に待てなかったからといって、これからも待てないとは限りません。
これまで続かなかったからといって、「続けられない性格」が確定したわけでもありません。
見方を変える。
注意をそらす。
誘惑との距離を変える。
行動しやすい条件をつくる。
未来を見えやすくする。
こうした小さな工夫によって、人の行動は変わります。
変わるために、別人になる必要はありません。
いまの自分を叱り飛ばし、心を鉄に作り替えなくてもよいのです。
自分という人間を責めるのではなく、自分が動きやすい舞台を用意する。
これは甘えではありません。
自分の心の性質を知ったうえで、その性質と協力する知恵です。
ミシェルの研究は、こう語りかけているように思えます。
「誘惑に負けたからといって、あなた自身が負けたわけではありません。次は、誘惑の置き場所を変えてみましょう」
人生には、たくさんのマシュマロが置かれています。
目の前の楽しみ。後回しにしたい仕事。すぐに言い返したい怒り。買いたいもの。逃げ出したい場面。
私たちは、そのたびに完璧な自制心を発揮できるわけではありません。
けれども、目をそらしたり、少し離れたり、別の意味を与えたりすることはできます。
心の強さだけに頼らず、心が歩きやすい道をつくる。
ウォルター・ミシェルの研究から学べるのは、我慢の技術だけではありません。
人間は、自分を責めるより、自分を理解したほうが変わりやすい。
それはマシュマロよりもずっと味わい深く、毎日の暮らしで何度でも使える教えなのです。

ウォルター・ミシェル(Walter Mischel)の論文一覧
1.『ごほうびを待てる子は、どこを見ているのか? 満足を先延ばしにする「注意」と「考え方」のメカニズム』ウォルター・ミシェル、エベ・B・エベセン、アントネット・ラスコフ・ツァイス(1972)
Mischel, W., Ebbesen, E. B., & Raskoff Zeiss, A.(1972). Cognitive and attentional mechanisms in delay of gratification. Journal of Personality and Social Psychology, 21(2), 204–218.
「マシュマロを我慢するには、じっと見つめて根性を出せばいい?」ところが答えは逆でした。ミシェルたちが子どもを観察すると、お菓子を見つめたり味を想像したりするほど、待てる時間は短くなったのです。一方、歌をうたう、楽しいことを考えるなど、注意を別の場所へ逃がした子は長く待てました。つまり自制心とは、誘惑との正面対決ではなく、心の視線をそっと引っ越しさせる技術。意志の強さを競う前に、マシュマロを主役から降ろそう。そんな実用的で、少し可笑しい心の攻略法を教えてくれる論文です。

