ウルリッヒ・クロッケ(Ulrich Klocke)の論文一覧:仕事の横やりに「急げば取り戻せる?ストレスは置き土産ですよ」と釘を刺した社会心理学者
ウルリッヒ・クロッケ(Ulrich Klocke)のプロフィール
ウルリッヒ・クロッケは、ドイツのベルリンにあるフンボルト大学で、社会心理学や組織心理学を研究してきた心理学者です。
社会心理学とは、ものすごく簡単にいえば、「人は、ほかの人がいると、なぜ普段とは違う考え方や行動をするのか」を調べる学問です。
一人で考えているときは、
「私は周囲の意見に流されません」
と胸を張っていた人が、会議室に入った途端、
「まあ、部長がそう言うなら……」
と静かに意見をポケットへしまう。
クロッケは、そんな人間の心の動きを「あるある話」で終わらせず、調査や実験によって確かめてきました。主な研究分野は、集団での意思決定、権力や影響力、職場での協力、偏見や差別などです。フンボルト大学の公式情報でも、社会心理学・組織心理学の研究者として紹介されています。
会議に必要なのは、全員一致より「ちょっと待った」
クロッケの初期からの大きな研究テーマの一つが、少人数の集団における意思決定です。
会議では、意見がすぐにまとまると気持ちがいいものです。
「では、全員賛成ですね」
「異議なしです」
「会議終了。今日は早く帰れるぞ」
ところが、早く決まったからといって、その決定が正しいとは限りません。
むしろ、誰も反対しない会議では、重要な情報が机の下で昼寝をしていることがあります。それぞれが別々の情報を持っているのに、声の大きい人や立場の強い人の意見へ引っぱられ、十分に検討されないまま結論が決まってしまうのです。
クロッケは、集団の中に異なる意見があることや、反対意見を言える環境が、よりよい判断につながる可能性を研究してきました。反対する人は会議の空気を乱す「困った人」に見えるかもしれません。しかし実際には、その人が会議の換気扇になっていることもあるのです。
「みんな同じ意見だから安心」ではなく、
「本当に見落としている情報はないだろうか」
と立ち止まる。
クロッケの研究は、仲よく意見をそろえることと、よい結論を出すことは、必ずしも同じではないと教えてくれます。
仕事へ横やりが入ると、人はなぜか速くなる
クロッケの名前を広く知らしめた研究の一つに、グロリア・マーク、ダニエラ・グディスと共同で発表した、仕事の中断に関する論文があります。
仕事に集中しているところへ、
「少しいいですか?」
「このメール、確認しました?」
「さっきの件なんですけど」
と横やりが飛んでくる。
こちらの心の中では、
「今、脳内で話がきれいにつながったところだったのに!」
と、小さな悲鳴が上がっています。
研究では、作業を中断された人たちは、意外にも仕事を遅くするどころか、速く終わらせる傾向を示しました。しかも、仕事の出来が明らかに悪くなったわけでもありません。
それだけ聞くと、
「中断って、むしろ効率を上げるのでは?」
と思いたくなります。
しかし、ここには立派な請求書がついていました。中断された人たちは、より強いストレス、いら立ち、時間に追われる感覚、努力の増加を経験していたのです。つまり、人は横やりを受けると、失った時間を取り戻そうとして、心のアクセルを強く踏み込みます。仕事は早く終わっても、心のエンジンはしばらく熱いままなのです。
この研究が面白いのは、中断された人を単純に「集中力がない人」と見なしていないところです。
人は中断に対して、何もできなくなるわけではありません。むしろ、かなり頑張って帳尻を合わせます。
ただし、その頑張りは無料ではない。
時計の上では間に合っていても、心の中では残業が続いている。クロッケたちの研究は、そんな目に見えない負担を明らかにしました。
偏見は、心の奥だけでなく日常の場面に現れる
クロッケの研究は、職場や会議だけにとどまりません。近年の中心的な研究テーマには、性的少数者や性別の多様性に対する偏見、差別、受け入れの問題があります。
彼が注目しているのは、露骨な悪口や攻撃だけではありません。
たとえば、
「差別するつもりはないけれど、あまり目立たないでほしい」
「本人の自由だけれど、学校で取り上げる必要はないのでは」
「平等には賛成。でも身近な話になると、ちょっと……」
といった、一見すると穏やかに見える態度です。
偏見は、いつも角を生やして登場するわけではありません。ときには常識や配慮の顔をして、静かに椅子へ座っています。
クロッケは、ドイツ社会や学校を対象に、人々が性的・性別の多様性をどう受け止めているのか、どのような条件で偏見や差別が強まるのか、そして何が受容を促すのかを調べてきました。学校での知識提供、当事者の可視化、個人的な接触、教師が差別的な言動を見過ごさないことなどが、態度や行動の改善に関係する可能性を示しています。
ここで大切なのは、「偏見を持つな」と大声で命令するだけでは、人の心は簡単には変わらないということです。
人は、知らないものを警戒します。間違った情報を信じることもあります。しかし、正しい知識を得たり、実際の人の姿に触れたり、相手の立場を想像したりすることで、心の中にあった固い仕切りが少しずつ動くことがあります。
クロッケの研究は、人間の偏見を「悪い人の問題」として片づけません。
誰にでも思い込みは生まれる。だからこそ、思い込みが差別へ育つ前に、環境や教育の側から手を入れようとするのです。
クロッケが調べているのは「人が人といるときの不思議」
仕事の中断、会議での反対意見、権力を持つ人の振る舞い、少数者への偏見。
一見すると、別々の研究に見えます。
しかし、その根っこには共通した問いがあります。
人は、ほかの人と関わる場面で、なぜ考え方や行動を変えるのか。
上司がいると、本音を引っ込める。
周囲が黙っていると、自分も黙る。
仕事を中断されると、焦って速度を上げる。
よく知らない人たちには、無意識のうちに距離を取る。
人間は、自分一人の意思だけで動いているようで、実際には周囲の空気、立場、関係、言葉に大きく影響されています。クロッケは、その見えない力を、研究という懐中電灯で照らしてきた心理学者だといえるでしょう。
彼の論文を読むと、職場の会議も、突然の電話も、学校で交わされる何気ない言葉も、ただの日常ではなくなります。
「あのとき、なぜ私は黙ったのだろう」
「仕事は終わったのに、なぜこんなに疲れているのだろう」
「自分は公平なつもりだけれど、本当にそうだろうか」
そんな小さな疑問の中に、社会心理学の入り口があります。
ウルリッヒ・クロッケは、人間関係という騒がしくて複雑な交差点に立ち、そこで起きる心の渋滞を一つずつ調べてきた研究者です。
そして彼の研究は、私たちにそっと問いかけています。
「その判断、本当にあなた一人で決めましたか?」
「その忙しさ、時間だけで測っていませんか?」
「その“普通”、誰にとっての普通でしょうか?」
少し耳の痛い問いです。
けれど、社会心理学の面白さは、その小さな痛みの向こうにあります。自分でも気づかなかった心の癖が見えたとき、人はようやく、昨日とは少し違う選択ができるのです。
参考文献・確認先:フンボルト大学:ウルリッヒ・クロッケ公式プロフィール / Google Scholar:Ulrich Klocke 論文・引用情報 / PubMed:Ulrich Klocke 関連論文

ウルリッヒ・クロッケ(Ulrich Klocke)の研究から学べること
ウルリッヒ・クロッケの研究から学べることは、一言でいえば、「人は、自分が思っているほど一人で考え、一人で行動しているわけではない」ということです。
私たちはつい、
「私は自分の意思で決めています」
「周りの空気には流されません」
「仕事を中断されても、すぐに切り替えられます」
と考えます。
ところが、クロッケの研究を見ていくと、人間の心は思った以上に周囲の影響を受けています。会議室の空気、上司のひと言、突然の連絡、周囲の沈黙、社会の中にある「普通」という思い込み。
心は頑丈な金庫というより、少し風通しのよい家です。窓を閉めたつもりでも、どこからか人間関係の風が入り込んできます。
では、クロッケの研究から、私たちは具体的に何を学べるのでしょうか。
仕事が終わったからといって、脳まで退勤したとは限らない
クロッケが共同で行った仕事の中断に関する研究では、作業を途中で邪魔された人は、失った時間を取り戻そうとして、仕事の速度を上げる傾向が示されました。
たとえば、資料を作っている最中に、
「ちょっといいですか?」
と声をかけられる。
別の用件を聞き、返事をして、再び資料へ戻る。
すると本人は、
「中断されたぶん、急いで終わらせなければ」
と無意識にアクセルを踏みます。
その結果、仕事自体は予定どおりに終わることがあります。
上司から見れば、
「ちゃんと終わっているね。問題なし」
本人も時計を見て、
「間に合った。私、意外と切り替えが得意かも」
と思うかもしれません。
しかし、心の中では問題なしどころか、緊急会議が開かれています。
「急げ」
「遅れを取り戻せ」
「また声をかけられる前に終わらせろ」
こうして仕事の時間は取り戻せても、ストレスや疲労が増えてしまうのです。
ここから学べるのは、仕事の負担を、かかった時間だけで判断してはいけないということです。
同じ一時間の仕事でも、静かな環境で集中できた一時間と、電話や質問で何度も中断された一時間では、心の消耗がまったく違います。
表面上はどちらも「一時間」。
けれど脳にとっては、一方が普通列車なら、もう一方は乗り換え四回、階段全力疾走つきの旅です。
仕事が終わったのに妙に疲れている日は、
「体力がないのかな」
と自分を責める前に、
「今日は何回、集中を切り替えただろう」
と考えてみる価値があります。
疲れは、仕事の量だけでなく、仕事を何度も中断された回数からも生まれるのです。
「少しいいですか?」は、相手の集中力に入場料を払っていない
クロッケたちの研究を日常に生かすなら、人に話しかけるときの態度も変わってきます。
私たちは、自分の用件が一分で終わると、
「ほんの一分だから大丈夫」
と思いがちです。
しかし、相手にとっての負担は、その一分だけではありません。
話しかけられる前に考えていた内容を思い出し、元の集中状態へ戻るまでには、さらに時間と心の力が必要です。
つまり、
「確認だけなので、すぐ終わります」
という言葉には、少しだけ落とし穴があります。
用件はすぐ終わっても、相手の頭の中では、
「さて、私は何をしていたんだっけ」
という記憶捜索隊が出動するからです。
もちろん、職場では質問や相談が必要です。何でも我慢して、全員が無言の修行僧になる必要はありません。
大切なのは、声をかける前に一度だけ考えることです。
「今すぐ聞かなければならないことか」
「まとめて聞けないか」
「文章で送ったほうが相手の都合に合わせられないか」
「集中しているようなら、少し待てないか」
この小さな配慮が、職場全体の疲労を減らします。
仕事の効率化というと、新しい道具や立派な仕組みを導入したくなります。しかし実際には、人の集中を必要以上に細切れにしないことが、かなり強力な効率化になるのです。
反対意見を言う人は、会議の敵ではない
クロッケの研究から学べるもう一つの大切なことは、集団の中に異なる意見があることの価値です。
会議で全員の意見がすぐ一致すると、気持ちがよいものです。
「では、この案で決まりですね」
「全員賛成です」
「今日は早く終わりました」
議長も満足、参加者も安堵、会議室の時計もご機嫌です。
しかし、意見が早くまとまったからといって、それが最善の結論とは限りません。
なぜなら、人は集団の中に入ると、
「反対したら空気が悪くなるかもしれない」
「自分だけ違うことを言うのは恥ずかしい」
「上司が賛成しているなら、黙っておこう」
と考えやすいからです。
すると、重要な情報を持っている人まで口を閉ざしてしまいます。
全員が賛成しているように見えて、実際には、全員が「自分以外は賛成しているのだろう」と思って黙っている。
これは会議というより、沈黙による集団かくれんぼです。
クロッケの研究は、少数意見や反対意見が、集団の判断を丁寧にする可能性を教えてくれます。
「その案には問題があります」
「別の見方もできるのではないでしょうか」
「見落としている条件があると思います」
こうした言葉は、会議の流れを一時的に止めます。
けれど、その停止は故障ではありません。事故を防ぐための信号です。
反対意見を言う人がいると、ほかの参加者も、
「本当にこの案でよいのか」
「自分が持っている情報を出したほうがよいのではないか」
と考え始めます。
つまり、異論は結論を遅らせる邪魔者ではなく、考える力を呼び戻す目覚まし時計になるのです。
よい会議には、「反対しても大丈夫」という空気が必要
ただし、
「反対意見が大切らしい。では、皆さん、どんどん反対してください」
と言うだけでは、なかなか意見は出ません。
上司が眉間にしわを寄せながら、
「遠慮なく意見を言ってください」
と言っても、部下の心には、
「これは本当に遠慮しなくてよい場面なのか」
という警報が鳴ります。
大切なのは、反対意見を募集することより、反対意見を言った人が不利益を受けない環境をつくることです。
たとえば、
「この案の弱点を一つずつ挙げてください」
「賛成意見の前に、心配な点を確認しましょう」
「立場に関係なく、順番に意見を聞きます」
といった工夫があります。
また、誰かが反対意見を出したときに、
「否定ばかりするな」
と返すのではなく、
「どの部分が心配ですか」
「その問題を防ぐ方法はありますか」
と話を続けることも重要です。
反対意見を歓迎するとは、何でも否定してよいという意味ではありません。
人を攻撃するのではなく、案を検討する。
相手を黙らせるのではなく、情報を増やす。
この区別ができる集団は、意見が違っても壊れにくくなります。
「自分は偏見を持っていない」が、いちばん危ないこともある
クロッケは、性的少数者や性別の多様性に対する偏見や差別についても研究してきました。
この分野から学べるのは、偏見は必ずしも、わかりやすい悪意の姿で現れるわけではないということです。
多くの人は、
「私は差別なんてしません」
と思っています。
それ自体は悪いことではありません。
ただし、自分を完全に公平な人間だと思い込むと、自分の中にある小さな思い込みを見つけにくくなります。
たとえば、
「本人の自由だけれど、わざわざ公表しなくてもいいのでは」
「差別する気はないけれど、身近にいるとどう接してよいかわからない」
「昔からそうだったのだから、変えなくてもよいのでは」
こうした言葉には、強い敵意がないこともあります。
しかし、言われた側にとっては、
「あなたの存在は、あまり見えない場所に置いてください」
と受け取られる場合があります。
偏見は、ときどき大声ではなく、小声で働きます。
「普通はこうでしょう」
「みんなそう思っています」
「悪気はないんです」
という柔らかい服を着て、日常へ入ってくるのです。
クロッケの研究から学べるのは、偏見をなくす第一歩は、自分には偏見がないと証明することではなく、自分にも思い込みがあるかもしれないと認めることだという点です。
これは自分を悪人扱いすることではありません。
人間の脳には、物事を素早く分類する働きがあります。その働きは便利ですが、ときに人を単純な箱へ押し込んでしまいます。
だからこそ、
「自分の知識は古くないだろうか」
「相手のことを、本人に聞かずに決めつけていないだろうか」
「自分の安心のために、相手へ我慢を求めていないだろうか」
と立ち止まる必要があります。
人を責めるだけでは、社会はあまり変わらない
クロッケの研究には、もう一つ重要な視点があります。
それは、人の態度を変えるには、本人の性格だけでなく、環境を変える必要があるということです。
差別的な言葉を使った人に、
「あなたは偏見の強い人です」
と言うだけでは、防御的になって終わることがあります。
本人は、
「責められた」
と感じ、話を聞くどころか、心の扉を三重に施錠してしまうかもしれません。
一方で、正しい知識に触れること、当事者の経験を知ること、実際に交流すること、周囲の人が差別的な言動を見過ごさないことは、態度を変えるきっかけになり得ます。
ここで大切なのは、理解や尊重を、個人の優しさだけに任せないことです。
「思いやりのある人なら、うまく対応できるでしょう」
では、仕組みとして弱いのです。
学校や職場で基本的な知識を共有する。
困ったときの相談先を明確にする。
差別的な発言があったとき、責任者が対応する。
書類や制度を、さまざまな人が使える形に見直す。
こうした環境づくりがあってこそ、個人の善意も働きやすくなります。
人間の心を変えようとすると、つい壮大な説教を始めたくなります。
しかし実際には、制度、言葉、ルール、周囲の反応といった小さな環境の積み重ねが、人の行動を変えていくのです。
人の弱さを知ることは、人に優しくなることでもある
クロッケの研究を読んでいると、人間はずいぶん周囲に影響されやすい存在だとわかります。
中断されれば焦る。
権力のある人に引っぱられる。
多数派に合わせる。
知らない相手に距離を取る。
こうして並べると、
「人間、頼りないなあ」
と言いたくなるかもしれません。
けれど、この頼りなさを知ることには意味があります。
自分が仕事を中断されて疲れたとき、
「私は集中力がない」
ではなく、
「脳は切り替えに力を使うものだ」
と考えられます。
会議で意見を言えなかったときも、
「自分は勇気がない」
だけで終わらず、
「立場や空気が発言を難しくしていた」
と状況を見直せます。
誰かが思い込みのある発言をしたときも、ただ人間性を断罪するだけでなく、
「どんな知識や環境があれば、考え方を更新できるだろう」
と次の一手を考えられます。
人間の弱さを知ることは、人を甘やかすことではありません。
むしろ、精神論だけに頼らず、失敗しにくい仕組みをつくることです。
「集中しろ」と言う前に、中断を減らす。
「意見を言え」と言う前に、安心して話せる場をつくる。
「偏見を持つな」と言う前に、知る機会と対話の場を用意する。
クロッケの研究は、問題を個人の根性へ丸投げしません。
人の心は環境に揺れる。だから、よい方向へ揺れやすい環境をつくろう。
そこに、彼の研究から学べる大きな知恵があります。
私たちは、一人で働いているようで、空気と一緒に働いている
ウルリッヒ・クロッケの研究が教えてくれるのは、私たちの行動の背後には、いつも目に見えない人間関係があるということです。
仕事の速さには、中断された焦りが隠れているかもしれない。
全員一致の会議には、言えなかった反対意見が埋まっているかもしれない。
何気ない「普通」という言葉には、誰かを外へ押し出す力が含まれているかもしれない。
だからこそ私たちは、目に見える結果だけで判断せず、その背景を見る必要があります。
仕事が終わったかどうかだけでなく、どれほど心を急がせたのか。
会議がまとまったかどうかだけでなく、本当に意見が出そろったのか。
悪意があったかどうかだけでなく、相手がどのような影響を受けたのか。
クロッケの研究は、そんな一段深い見方を私たちに渡してくれます。
そして最後に、こう問いかけているように思えます。
「あなたが変えようとしているのは、その人だけですか。それとも、その人を取り巻く環境も見ていますか」
人は、命令だけではなかなか変わりません。
けれど、話しやすい空気、集中できる時間、正しい知識、異なる意見を歓迎する仕組みがあれば、行動は少しずつ変わります。
人間は周囲に影響される。
それは弱点でもありますが、希望でもあります。
悪い環境に流されるのなら、よい環境にも支えられるからです。

ウルリッヒ・クロッケ(Ulrich Klocke)の論文一覧
1.『仕事を中断される代償:作業は速くなる。でも、ストレスは増えていく』グロリア・マーク、ダニエラ・グディス、ウルリッヒ・クロッケ(2008)
Mark, G., Gudith, D., & Klocke, U.(2008). The Cost of Interrupted Work: More Speed and Stress. Proceedings of the SIGCHI Conference on Human Factors in Computing Systems(CHI ’08), 107–110. Association for Computing Machinery. DOI:10.1145/1357054.1357072
「集中してます!」という脳内会議に、突然のメールや質問が乱入。さて仕事は遅れるのかと思いきや、この研究では、中断された人ほど作業を速く終えるという意外な結果が出ました。「ほら、邪魔されても平気じゃん」と安心するのは早い。人は遅れを取り戻そうとアクセルを踏み、代わりにストレス、焦り、いら立ちを抱え込んでいたのです。仕事は定時に帰れても、心はまだ残業中。中断の本当の代金は、時計ではなく心が払っている。上司の「ちょっといい?」や通知音が急に怖くなる、働く人のための一篇です。

