シェイナ・オーベル(Sheina Orbell)の論文一覧:「気づけばまたやってる」を、ちゃんと測れる“習慣ものさし”にした心理学者
シェイナ・オーベル(Sheina Orbell)のプロフィール
シェイナ・オーベルは、「人は、やろうと思っているのに、なぜやらないのか?」という、人類が毎朝どこかで繰り返している難問に向き合ってきた心理学者です。
たとえば、前の晩にはこう誓うわけです。
「明日は早起きして、散歩をしよう」
「お菓子は控えよう」
「健康診断の予約を、今度こそ取ろう」
ところが翌日になると、人間の中にいる“先送り担当大臣”が静かに出勤してきます。
「今日は天気が微妙だから」
「仕事が落ち着いてから」
「予約って、電話しなきゃいけないんだよね……」
そして気づけば、決意だけが立派な額縁に入れられ、壁に飾られています。行動は、まだ玄関にすら来ていません。
オーベルが面白いのは、この「わかっているのに動けない」という問題を、単なる意志の弱さとして片づけなかったところです。彼女が見ていたのは、人の心にある“やる気”だけではありませんでした。人がいつ、どんな場面で、どんなきっかけによって行動するのか。そして、頭で考えて決めたことが、どうすれば日常の動きとして実行されるのか。そこを丁寧に研究してきました。
彼女の研究の舞台は、健康に関わる行動です。運動、食事、検診、病気への向き合い方、予防行動。どれも「やったほうがいい」と知っている人は多いのに、実行するとなると急に腰が重くなる分野です。健康情報は、だいたい正論です。正論は立派です。しかし正論だけでは、人はなかなか検診の封筒を開けません。冷蔵庫の野菜室も、正論だけでは空になりません。
そこでオーベルは、「やる気を高めよう」だけではなく、「行動が始まる条件を整えよう」と考えました。
たとえば、「運動をしよう」と決めるだけではなく、「火曜日の仕事帰りに、駅の近くを十五分歩く」と決める。あるいは、「検診を受けよう」と考えるだけではなく、「金曜日の昼休みに、予約の電話をかける」と具体的に決める。
これは、気合いを巨大化させる作戦ではありません。気合いに全部を任せず、行動が動き出すための“発進ボタン”を、あらかじめ生活の中に置いておく作戦です。
そして、オーベルの名前を習慣研究で語るときに外せないのが、バス・フェルプランケンとの共同研究です。二人は、習慣を「たくさんやっている行動」とだけ見なすのではなく、「考えなくても始まりやすい行動」として、より立体的に捉えました。
毎朝、歯ブラシを手に取る。帰宅したら、ついスマホを開く。机に座ったら、なんとなくコーヒーをいれる。こうした行動は、一回一回、人生会議を開いて決めているわけではありません。
「さて、本日は歯を磨くべきでしょうか。賛成の方、挙手を」
……とは、ならないわけです。
習慣は、ある場面とある行動が、何度も顔を合わせるうちに、半ば自動的につながった状態です。玄関に立つと靴を履く。食後になると甘いものを探す。通知音が鳴ると画面を見る。脳の中には、ときどき小さな常連客が住みついていて、決まった合図が鳴ると、ほぼ反射で動き出します。
オーベルたちは、こうした習慣の強さをたしかめるための質問項目をつくりました。そこでは、「どれくらい繰り返しているか」だけではなく、「意識しないでやっているか」「あまり考えずにできるか」「自分らしさと結びついているか」といった角度から、習慣を見つめます。
ここがとても大事です。
たとえば、毎日コーヒーを飲む人がいたとしても、それが単なる回数の多さなのか、「朝になったら自然に手が伸びる」ほど生活に根づいた習慣なのかでは、意味が違います。回数は表面に見える足あとです。しかし習慣の強さは、その足あとをつけている心の動きまで見ようとします。
オーベルの研究は、私たちに少しやさしい見方をくれます。
続かないとき、人はすぐに「自分はだめだ」「意志が弱い」と言いたくなります。けれど、行動が続かない理由は、人格の欠陥というより、生活の中に“行動を呼び出す合図”がまだ育っていないだけかもしれません。
歯みがきのあとに一分だけストレッチをする。昼食後に予定表を見る。帰宅してカバンを置いたら、まず五分だけ机に向かう。大きな革命でなくても、場面と行動を小さく結びつけていくことで、毎日は少しずつ変わります。
シェイナ・オーベルは、私たちの「やる気がある日の自分」だけを信頼しませんでした。むしろ、疲れている日、忙しい日、考える力が残っていない日にも動けるように、人と日常のあいだに橋をかけようとした研究者です。
決意だけで走ろうとすると、心はすぐに息切れします。けれど、行動が自然に始まる仕組みをつくれたら、人生は少しだけ省エネになります。
その小さな省エネの積み重ねこそが、「気づけばまたやっている」を、「気づけば自分を助けてくれている」へ変えていくのかもしれません。
参考文献・確認先:University of Essex:Sheina Orbell 公式プロフィール / Google Scholar:Sheina Orbell 論文・引用情報 / PubMed:Sheina Orbell 関連論文

シェイナ・オーベル(Sheina Orbell)の研究から学べること
シェイナ・オーベルの研究から学べることを、一言で言うならこうです。
人は、決意だけでは動かない。けれど、動きやすい仕組みをつくれば、決意の小さな火種でも案外ちゃんと燃える。
「明日から運動します」
「もう夜ふかししません」
「今度こそ、提出物を早めに終わらせます」
人は人生の節目どころか、日曜日の夜だけでも、立派な決意を量産します。決意工場はいつもフル稼働です。ところが月曜日の朝になると、その決意はどこかへ出張してしまう。
「今日は忙しいから」
「疲れているから」
「明日から本気を出すから」
本気は、だいたい明日の玄関前で迷子になっています。
オーベルの研究が面白いのは、そんな私たちを見て、「意志が弱いですね」と説教しなかったところです。むしろ彼女は、こう考えます。
「やる気があること」と「実際にやること」のあいだには、意外と大きな川が流れている。ならば、気合いで飛び越えさせるより、橋をかけたほうがよくないですか。
この発想は、とてもやさしく、同時にとても現実的です。
「やりたい」だけでは、行動は始まらない
たとえば、「健康のために歩こう」と思うこと自体は大切です。けれど、その決意だけでは、帰宅後のソファと動画配信サービスの連合軍に勝てません。
ソファは強い。
クッションは甘い。
「今日は一日がんばったし」という言葉は、ほぼ魔法です。
そこで役に立つのが、「いつ、どこで、何をするか」を先に決めておく考え方です。
「運動する」ではなく、
「火曜日と木曜日は、仕事帰りに一駅手前で降りて十分歩く」。
「勉強する」ではなく、
「夕食のあと、食器を片づけたら、机に座って問題集を二ページ開く」。
「早く寝る」ではなく、
「夜十時になったら、スマホを充電器につなぎ、寝室の外に置く」。
ここでのポイントは、立派な目標を掲げることではありません。行動が始まる場面を、生活の中に具体的につくることです。
人間は、毎回ゼロから判断するのがあまり得意ではありません。仕事で疲れたあとに、「今日は歩くべきか、それとも家に帰るべきか」と心の会議を開いたら、議長席にはたいてい疲労が座っています。そして疲労議長は、だいたいこう言います。
「本日の会議は、帰宅後に再開します」
再開しません。
だからこそ、「そのときになったら考える」よりも、「その場面になったらこれをする」と決めておく。これは自分を厳しく管理するためではなく、疲れた自分を助けるための段取りです。
習慣は「回数」ではなく、「考えなくても始まる感じ」
オーベルは、バス・フェルプランケンとともに、習慣の強さを考えるための尺度づくりにも関わりました。そこで大切にされたのは、「何回やったか」だけではありません。
たしかに、何度も繰り返すことは大事です。けれど、習慣らしさは回数だけでは決まりません。
朝起きて歯を磨くとき、多くの人は壮大な決断をしていません。
「本日も歯を磨くべきか。虫歯の危険性と時間的コストを比較検討しよう」
とは、まずならないでしょう。
洗面所に行く。歯ブラシが見える。手が伸びる。気づけば終わっている。
習慣とは、こういう「考える前に始まりやすい動き」です。ある場面とある行動が、何度も出会ううちに、心の中で顔なじみになっていく。場面が「お、いつものですね」と声をかけ、行動が「どうもどうも」と出てくる。そんな関係です。
だから、新しい習慣を育てたいときは、「毎日がんばるぞ」と気合いを叫ぶよりも、行動の前にある場面をなるべく固定するほうが役に立ちます。
たとえば、
朝のコーヒーをいれたら、一行だけ日記を書く。
歯を磨いたら、スクワットを三回する。
パソコンを開いたら、最初に今日の予定を確認する。
風呂から出たら、薬を飲む。
こんなふうに、すでにある行動のあとに、小さな行動をつなげるのです。
大きな目標は、立派な旗になります。
でも日常を動かすのは、ときどき旗ではなく、玄関のフックや机の付箋です。
自分を責める前に、「合図」を探してみる
「またスマホを見すぎた」
「また間食してしまった」
「また先延ばしした」
こういうとき、私たちはすぐに自分へ判決を下しがちです。
「だらしない」
「集中力がない」
「意志が豆腐よりやわらかい」
けれどオーベルの研究を手がかりにすると、少し違う質問ができます。
「その行動の直前には、何があっただろう?」
仕事が一区切りついたとき。
寝る前に布団へ入ったとき。
コーヒーを飲んだとき。
ストレスを感じたとき。
手持ちぶさたになったとき。
困る習慣にも、たいてい呼び出しベルがあります。
たとえば「帰宅してカバンを置く」が、ついお菓子を探す合図になっているかもしれません。「寝る前に布団へ入る」が、延々とスマホを見る合図になっているかもしれません。
ここで必要なのは、自分を捕まえて説教することではありません。行動の前後を観察することです。
「私はなぜこんなことをするんだろう」ではなく、
「私はどんな場面で、これを始めやすいんだろう」。
この問いに変えるだけで、心の中の裁判所が、少し観察室に変わります。
自分を責めるより、仕組みを見る。
性格のせいにするより、場面との結びつきを見る。
これは、変わるための入口として、とても大切です。
最初から完璧な習慣をつくらなくていい
新しいことを始めるとき、人はつい豪華な計画を立てがちです。
「毎朝一時間走る」
「毎日二時間勉強する」
「夜は一切スマホを見ない」
計画としては美しい。まるで新年のカレンダーに書かれた理想の自分です。
ただし、理想の自分は体力があり、雨の日でも元気で、急な残業もなく、誘惑にも動じません。かなりの強キャラです。
現実の私たちは、眠い日もあります。体調が悪い日もあります。仕事で心が焼きいもみたいにしょんぼりする日もあります。
だから習慣づくりでは、「絶対にできる小ささ」から始めるほうが賢いのです。
本を一冊読むのではなく、一ページ開く。
散歩を三十分するのではなく、靴を履いて外へ出る。
部屋を片づけるのではなく、机の上の紙を一枚捨てる。
小さすぎると思うかもしれません。けれど、小さな行動は「できた」という感覚を残します。そして、その「できた」が、次の行動の足場になります。
習慣は、ある日突然、王冠をかぶって現れるものではありません。
最初は、か細い苗です。
水をやるのを忘れる日もある。
少し傾く日もある。
でも、同じ場所で何度も育てているうちに、気づけば根を張っている。
大切なのは、最初から完璧に続けることではなく、戻ってこられる場所をつくっておくことなのです。
「意志の強さ」より、「生活の設計」を信じてみる
シェイナ・オーベルの研究がくれる一番大きな学びは、私たちが変わるために必要なのは、必ずしも巨大な根性ではない、ということです。
目標を決める。
行動する場面を決める。
小さく始める。
繰り返せる形にする。
うまくいかない日は、また戻る。
この流れは、派手ではありません。映画なら、主人公が腕を組んで静かに予定表を見る場面です。爆発もありません。ドラゴンも出ません。
でも人生は、案外こういう地味な場面で方向を変えます。
やる気がある日にがんばれることよりも、やる気がない日にも少しだけ動けること。
完璧に続けられることよりも、途切れてもまた始められること。
そのほうが、長い目で見ればずっと強い。
「自分は続かない人間だ」と決めつける前に、今日ひとつだけ、行動の合図を置いてみる。
夕食後に、机へ座る。
歯を磨いたら、ストレッチを一回する。
帰宅したら、明日の服を出す。
その小さな合図が、未来の自分に届く、ささやかな案内板になるかもしれません。

シェイナ・オーベル(Sheina Orbell)の論文一覧
1.『これまでの行動を振り返る:習慣がどれほど身についているかを測る自己報告式指標』バス・フェルプランケン、シェイナ・オーベル(2003)
Verplanken, B., & Orbell, S. (2003). Reflections on Past Behavior: A Self-Report Index of Habit Strength. Journal of Applied Social Psychology, 33(6), 1313–1330.
DOI:10.1111/j.1559-1816.2003.tb01951.x
「またやっちゃった」を、ただの意志の弱さで片づけない論文です。フェルプランケンとオーベルは、習慣を「何回やったか」だけでなく、「考えずに始まるか」「止めようとしても止まりにくいか」「自分らしさと結びついているか」まで含めて測ろうとしました。つまり、帰宅した瞬間にスマホを開くあの手つきにも、ちゃんと研究の出番があるのです。習慣は回数のスタンプカードではなく、日常に住みついた小さな自動操縦士。この論文は、その正体を質問でつかまえるための“習慣ものさし”をつくった一篇。自分のクセを観察したくなる、地味に見えてかなり使える研究です。

