ロバート・アレン・ビョーク(Robert Allen Bjork)の論文一覧:脳に「楽に覚えたものほど危ないぞ」と、ほどよい苦労を仕掛けた記憶研究者
ロバート・アレン・ビョーク(Robert Allen Bjork)のプロフィール
ロバート・アレン・ビョーク(Robert Allen Bjork)は、人間の「学ぶ」「覚える」「忘れる」を長年研究してきた、アメリカの認知心理学者です。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校で教壇に立ち、現在は同大学の名誉教授を務めています。研究の中心にあるのは、人間の学習と記憶、そして、その研究成果を教育や訓練にどう生かすかという問題です。ミネソタ大学では数学を学び、その後、スタンフォード大学で心理学の博士号を取得しました。数字の世界から人間の記憶へ進んだわけですが、研究対象が変わっても、「なぜそうなるのかを筋道立てて考える」という姿勢は、ずっと変わらなかったのかもしれません。
「スラスラできた」は、本当に覚えた証拠ですか?
ビョークの研究を会話にすると、だいたいこんな場面から始まります。
「先生、今日の勉強、ものすごく順調でした」
「ほう。どんな勉強をしたのですか?」
「教科書を何度も読みました。だんだんスラスラ読めるようになりました」
「なるほど。では、本を閉じて説明してみましょう」
「……あれ?」
勉強中には「わかった」と感じていたのに、いざ思い出そうとすると、頭の中が急に閉店する。看板の明かりまで消えている。そんな経験は、多くの人にあるでしょう。
ビョークが注目したのは、この「できている感じ」と「本当に身についていること」のずれでした。勉強している最中に答えがすぐ出てくることと、数日後や数週間後にも思い出せることは、同じではありません。
目の前の教材を見ながら答えられるのは、その情報が一時的に取り出しやすくなっているからかもしれません。しかし、それだけで記憶が深く根づいたとは限らないのです。
つまり、勉強中の脳は、ときどき少し調子に乗ります。
「こんなにスラスラ読めるんだから、もう覚えたでしょう」
ところが試験当日になると、
「申し訳ございません。その情報は現在、行方不明です」
と、急に他人行儀になるのです。
ビョークは、練習中に見える成績や手応えと、長い目で見た学習成果を区別することの大切さを示してきました。いま簡単にできるからといって、あとで使えるとは限らない。反対に、いま少し苦労しているからといって、学べていないとも限らないのです。
学習に、あえて「ほどよい坂道」をつくる
ビョークの研究で特によく知られているのが、「望ましい困難」という考え方です。
名前だけを見ると、なんとも不思議です。
「困難なのに、望ましい?」
「苦労は少ないほうがいいのでは?」
もちろん、苦しければ何でもよいわけではありません。教科書の文字を極端に小さくしたり、説明をわざと意味不明にしたり、眠らずに勉強したりしても、それは単なる難行苦行です。学習というより、脳への嫌がらせになってしまいます。
ビョークがいう「望ましい困難」とは、学習中には少し大変に感じられても、あとから思い出す力や応用する力を育てるような工夫を指します。
たとえば、同じ内容を一度に何度も詰め込むのではなく、時間を空けて復習する。教科書を読み返すだけでなく、何も見ずに思い出してみる。同じ種類の問題だけを続けるのではなく、異なる種類の問題を混ぜながら解く。学ぶ場所や例題を少し変えて、知識を特定の場面だけに縛りつけない。
こうした方法は、勉強中の気分を必ずしもよくしてくれません。
「さっきより解けない」
「思い出すのに時間がかかる」
「同じ問題だけやったほうが楽なのに」
けれども、その小さな苦労によって、脳は情報を探し、比べ、組み直します。ただ眺めているときよりも、記憶の引き出しを自分の手で開けることになるのです。
楽な道では足元を見なくても歩けます。しかし、少しでこぼこした道では、身体が道を覚えます。ビョークの研究は、学習にもそんな「ほどよいでこぼこ」が必要だと教えてくれます。
忘れることは、記憶の裏切りではない
ビョークは、忘れることについても、私たちの常識をひっくり返しました。
ふつう、忘却は学習の敵だと思われています。
「昨日覚えたのに、もう忘れた。私の努力はどこへ行ったのだ」
そう嘆きたくなります。しかしビョークの理論では、「記憶の中にどれほど根づいているか」と、「いまどれほど簡単に取り出せるか」は別のものとして考えられます。
たとえば、昔住んでいた家の住所をすぐに言えなくても、誰かに最初の一文字を教えてもらうと、
「あ、それだ!」
と一気によみがえることがあります。
完全に消えていたというより、奥の棚にしまわれ、取り出しにくくなっていたわけです。
ビョークと妻であり研究仲間でもあるエリザベス・ビョークは、記憶には「どれだけ深く学ばれているか」と「現在どれだけ取り出しやすいか」という、二つの異なる強さがあると考えました。
学んだ直後は、情報を簡単に取り出せます。しかし、簡単すぎる状態で繰り返しても、記憶の土台はそれほど鍛えられない場合があります。少し忘れかけたころに、苦労しながら思い出す。その成功が、記憶をいっそう強くすることがあるのです。
忘却は、記憶の倉庫を爆破する悪者ではありません。むしろ、必要な情報を選び、学び直す機会をつくる、少し無愛想な整理係です。
「すぐには出せませんが、探せばあります」
そんな顔をして、記憶の奥で働いているのです。
私たちは、自分の学び方を意外と知らない
ビョークが問い続けてきたのは、「どうすれば覚えられるか」だけではありません。
「人は、自分がどのくらい学べているかを正しく判断できるのか」
という問題にも取り組んできました。
ここで登場するのが、自分の理解や記憶の状態を見つめる力です。専門的には「メタ認知」と呼ばれますが、簡単にいえば、頭の中に小さな監督を置き、
「本当に理解した?」
「見ればわかるだけではない?」
「自分の言葉で説明できる?」
と確認する力です。
ところが、この監督はしばしば居眠りをします。
同じ文章を何度も読むと、文章そのものに見覚えが生まれます。その見覚えを、私たちは「理解した」「覚えた」と勘違いしやすいのです。
これは、何度も通った道を見て「運転が上手になった」と思うようなものです。道を覚えたことと、運転技術が上がったことは別ですが、気分の中では混ざってしまいます。
ビョークは、自分で勉強を管理するときほど、この錯覚に注意する必要があると指摘しました。何を学ぶか、いつ復習するか、どの方法を使うかを自分で決めるには、「楽にできた」という感覚だけを案内役にしてはいけないのです。
研究室から教室へ、そして日常へ
ビョークの研究は、記憶の仕組みを説明するだけのものではありません。
「その知識を使って、授業や訓練をどう改善できるか」
という実践的な問題につながっています。
試験を単なる採点の道具ではなく、学習の機会として使う。復習の間隔を工夫する。似ている問題を混ぜて、違いを見分ける力を育てる。簡単に答えを見せる前に、まず自分で考えさせる。
こうした考え方は、学校の勉強だけでなく、仕事の研修、資格試験、スポーツ、楽器の練習などにも応用できます。
ただし、ビョークは「難しくすれば必ず伸びる」と主張しているわけではありません。学ぶ人に必要な基礎知識がなく、成功の見込みがほとんどない困難は、望ましい困難ではありません。
坂道は足腰を鍛えますが、崖から突き落とせばよいわけではないのです。
学ぶ人の知識や経験に合わせて、「少し頑張れば越えられる難しさ」を用意する。ここに教育の腕の見せどころがあります。
記憶研究の第一人者であり、優れた教育者
ビョークは研究者としてだけでなく、教育者や指導者としても高く評価されてきました。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の優秀教育賞を受けたほか、心理学の研究・教育・後進育成に関する多くの賞を受賞しています。また、全米科学アカデミーとアメリカ芸術科学アカデミーの会員にも選ばれています。長年にわたり、学会や学術誌の運営にも携わり、多くの若い研究者を育ててきました。
彼の研究が投げかける問いは、実に素朴です。
「その勉強、本当に身についていますか?」
しかし、この問いに正面から答えようとすると、私たちは自分の学び方を根本から見直すことになります。
読みやすい。解きやすい。すぐに正解できる。
それらは気持ちのよいものですが、必ずしも深い学習の証拠ではありません。反対に、少し忘れること、答えがすぐに出ないこと、間違えながら考えることは、学びが失敗している証拠とは限りません。
ロバート・アレン・ビョークは、記憶に甘いお菓子ばかりを与えるのではなく、ときには歯ごたえのある食事を出したほうがよいと教えた研究者です。
脳が、
「ちょっと大変なんですけど」
と文句を言っているとき、じつはその奥で、長く残る学びが静かに育っているのかもしれません。
参考文献・確認先:カリフォルニア大学ロサンゼルス校:ロバート・アレン・ビョーク公式プロフィール / ビョーク学習・忘却研究室:ロバート・アレン・ビョーク論文一覧 / Google Scholar:ロバート・アレン・ビョーク論文・引用情報 / PubMed:ロバート・アレン・ビョーク関連論文

ロバート・アレン・ビョーク(Robert Allen Bjork)の研究から学べること
ロバート・アレン・ビョーク(Robert Allen Bjork)の研究から学べることは、ひとことで言えば、「勉強しているときの気持ちよさを、学習の成果と勘違いしないこと」です。
これは、なかなか耳の痛い話です。
「今日は教科書を三回も読みました」
「すごいですね。では、何が書いてありましたか?」
「ええと……だいたい、いいことが書いてありました」
読んでいるときには、すべて理解した気がしていた。ところが本を閉じた瞬間、内容が霧の向こうへ帰っていく。
ビョークの研究は、そんな私たちの「わかったつもり」に、静かに肩をたたいてきます。
「その手応え、本物でしょうか?」
少し怖い質問ですが、学び方を変えるためには、とても大切な問いです。
「できた」と「身についた」は、同じではない
勉強中に問題がスラスラ解けると、私たちは安心します。
「今日は頭が冴えている」
「この単元は、もう大丈夫」
「試験、いただきました」
ところが数日後、同じ問題を出されると、鉛筆を持ったまま天井を見上げることがあります。
「あの答え、どこへ行った?」
ビョークが大切にしたのは、その場でうまくできることと、あとで思い出せることは別であるという考え方です。
答えを見た直後に同じ問題を解けば、簡単に正解できます。しかし、それは知識が深く身についたからではなく、答えがまだ頭の表面に浮かんでいるだけかもしれません。
料理でいえば、レシピを開いたまま作れることと、何も見ずに作れることの違いです。
レシピを見ながら、
「はいはい、次はしょうゆね。完全に理解しました」
と言っていても、翌日に台所へ立つと、
「しょうゆはいつ入れるんでしたっけ?」
となることがあります。
つまり、勉強中の好成績は、ときに「その場限定の好成績」です。
だからこそ、学習では「今日できたか」だけでなく、「来週も思い出せるか」「別の場面でも使えるか」を見る必要があります。
楽すぎる勉強は、記憶に残らないことがある
私たちは、できるだけ楽に学びたいと思います。
難しい説明より、わかりやすい説明。苦労して思い出すより、答えをすぐ見る。間違えるより、最初から正解したい。
それ自体は自然なことです。人間の脳は、省エネルギーを愛しています。
脳に、
「少し考えてみようか」
と頼むと、
「答え、後ろのページに載っていませんか?」
と、すぐ近道を探し始めます。
ところがビョークの研究からは、学習中に少し苦労したほうが、長い目で見ると記憶が強くなる場合があることがわかります。
これが、ビョークの研究でよく知られる「望ましい困難」という考え方です。
ただし、「困難」といっても、意味不明な問題を百問解かせたり、寝不足で勉強させたりすることではありません。
それでは望ましい困難ではなく、ただの受難です。
大切なのは、少し頑張れば乗り越えられ、その苦労が学習を深める難しさです。
たとえば、答えをすぐに見ず、自分で思い出してみる。昨日と同じ問題だけでなく、少し違う問題も解いてみる。一度に詰め込まず、時間を空けて復習する。
こうした勉強は、スラスラとは進みません。
「昨日覚えたはずなのに、出てこない」
「この問題、どの公式を使うんだ?」
「前より下手になった気がする」
そう感じるかもしれません。
しかし、脳が情報を探し回っているその時間こそ、学習が深まっている可能性があります。
記憶は、エレベーターで運ばれるより、階段を一段ずつ上ったほうが、足腰が鍛えられるのです。
思い出すことが、記憶を育てる
ビョークの研究から学べる、とても実用的な教訓があります。
それは、読むだけで終わらず、思い出す練習をすることです。
教科書を繰り返し読むと、文章に見覚えが出てきます。
「あ、この文章、知っている」
この感覚は気持ちがよいものです。しかし、「見たことがある」と「説明できる」は違います。
映画のポスターを知っているからといって、その映画の内容を語れるとは限りません。
そこで、本やノートを閉じて、自分に質問してみます。
「この章には、何が書かれていた?」
「重要なポイントを三つ挙げるなら?」
「誰かに説明するとしたら、どう話す?」
すると、急に言葉が出てこなくなります。
「たしか大事なことが……非常に大事な形で……書かれていました」
ここで落ち込む必要はありません。
思い出せなかったことは、失敗ではなく、現在地の確認です。
地図で「ここにいます」と表示されたようなものです。場所がわからなければ進めませんが、現在地がわかれば、次にどこへ向かえばよいかが見えてきます。
思い出そうとして、うまく出てこなかった部分を確認する。そして、しばらくしてから、もう一度思い出す。
この繰り返しによって、知識は「見ればわかる情報」から「自分で使える情報」へと変わっていきます。
復習は、忘れかけたころに行う
勉強した直後に復習すると、ほとんど覚えています。
「余裕です」
「全部知っています」
「私の記憶力、ついに開花しました」
しかし、その状態で同じ内容を繰り返しても、脳はそれほど働かなくて済みます。
すでに机の上に出ている本を、もう一度机の上に置くようなものです。
一方、少し時間を空けると、内容の一部を忘れます。すると復習するときに、記憶を探す必要が出てきます。
「どこにしまったかな」
「たしか、このあたりだったような」
この探索が、記憶を鍛えます。
つまり、忘れることは必ずしも学習の失敗ではありません。
忘却は、記憶の敵というより、少し不愛想な練習相手です。
「簡単には返しません。思い出してみてください」
そう言いながら、記憶を奥へ隠します。
もちろん、完全に忘れてしまえば復習が大変になります。大切なのは、何も残っていないほど長く空けるのではなく、少し忘れかけたころに再び出会うことです。
資格試験や語学の勉強なら、同じ内容を一日に五回やるより、数日や数週間に分けて復習するほうが、長く残りやすくなります。
「一気に仲良くなる」より、「何度も会って少しずつ親しくなる」ほうが、記憶との関係も長続きするのです。
同じ問題ばかり解かない
勉強するとき、同じ種類の問題をまとめて解くことがあります。
足し算を十問、引き算を十問、掛け算を十問。
この方法では、何をすればよいかが最初からわかっています。足し算のページなら、全部足せばよい。
問題を見る前から、作戦会議は終了しています。
ところが実際の試験や仕事では、
「これは足すのか、引くのか、それとも掛けるのか」
を自分で判断しなければなりません。
そこで役立つのが、異なる種類の問題を混ぜて練習することです。
混ぜると、正解率は下がるかもしれません。
「さっきまで解けていたのに、急に難しくなった」
そう感じます。
しかし、本当に身につけたいのは、計算方法そのものだけではなく、どの方法を使うかを見分ける力です。
野球選手が、同じ場所に飛んでくる球だけを捕っていても、試合では困ります。右にも左にも、速くも遅くも飛んでくるからこそ、判断する力が育ちます。
学習も同じです。
同じ型だけを繰り返すと、練習中は上手に見えます。しかし、少し違う問題が出た途端、
「こちらの商品は取り扱っておりません」
と、知識が営業を終了することがあります。
問題を混ぜることで、知識は「このページでだけ使える答え」から、「状況に合わせて選べる道具」へと変わっていきます。
間違いは、学びが動いている音
ビョークの研究を知ると、間違いの見え方も少し変わります。
私たちは、間違えると恥ずかしくなります。
「自分は向いていない」
「覚えが悪い」
「ほかの人はできているのに」
けれども、学習中の間違いは、能力の判決ではありません。
まだ知識が整理されていない場所や、判断が曖昧な場所を教えてくれる信号です。
間違えずに進める勉強は、気分はよいですが、すでにできることだけを繰り返している可能性があります。
少し難しい問題に取り組めば、当然、間違いも増えます。
ここで必要なのは、間違いを放置することではなく、答えを確認し、
「なぜ間違えたのか」
「どこで考え方がずれたのか」
「次は何を手がかりにすればよいか」
を確かめることです。
間違いは、学習という工事現場から聞こえてくる金づちの音です。
少し騒がしい。でも、何かが建てられている。
静かすぎる勉強は、もしかすると工事が止まっているのかもしれません。
自分の感覚を、完全には信用しない
ビョークの研究が教えてくれる、少し厳しくて大切なことがあります。
それは、私たちは、自分がどれくらい学べているかを正確には判断できないということです。
読みやすい文章は、理解できた気になります。
同じ問題を続けて解けば、上達した気になります。
答えを見た直後なら、最初から知っていた気さえします。
脳は、ときどき結果を見てから、
「ええ、私もそう思っていました」
と会議に途中参加してきます。
だから、学習の状態を気分だけで判断しないことが大切です。
「わかった気がする」ではなく、実際に説明してみる。
「覚えたと思う」ではなく、何も見ずに書いてみる。
「解けそう」ではなく、時間を空けて解いてみる。
自分の理解を確かめるには、頭の中だけで採点せず、外に出してみる必要があります。
説明する、書く、答える、問題を解く。
そうすることで、「知っているつもり」と「本当に使える」の境目が見えてきます。
苦労している自分を、すぐに否定しなくていい
ビョークの研究は、勉強法だけでなく、学ぶ人の心にも大切なことを教えてくれます。
学習中に苦労していると、私たちは不安になります。
「自分だけ進んでいないのではないか」
「才能がないのではないか」
しかし、簡単に進めないことが、必ずしも悪いとは限りません。
思い出すのに時間がかかる。
問題を見分けるのに迷う。
一度忘れて、もう一度覚え直す。
それらは、学習が止まっている証拠ではなく、脳が知識を組み直している途中かもしれません。
筋力をつける運動で、少し負荷がかかるように、記憶にも適切な負荷が必要です。
もちろん、苦しければ苦しいほどよいわけではありません。
難しすぎて何もわからない状態や、自信を失うほどの課題は、学習を助けません。
大切なのは、今の自分より、ほんの少し先にある課題に取り組むことです。
「できない」ではなく、「まだ自力では安定しない」。
「覚えられない」ではなく、「思い出す練習が必要な段階」。
言葉を少し変えるだけでも、学習は判決ではなく、成長の途中になります。
本当に学ぶとは、あとで使えるようになること
ビョークの研究を通して見えてくるのは、学習の目的そのものです。
勉強とは、その場で正解するためだけのものではありません。
必要なときに思い出し、別の問題に応用し、自分の言葉で説明し、現実の場面で使えるようになることです。
今日の勉強時間に、どれだけ気持ちよく進めたか。
ノートを何ページ埋めたか。
教科書を何回読んだか。
それらも無意味ではありません。しかし、本当に大切なのは、その知識が明日以降の自分を助けてくれるかどうかです。
ビョークの研究は、私たちにこう語りかけているように思えます。
「スラスラ進まなくても、あわてなくていい」
「少し忘れても、学習が消えたわけではない」
「思い出そうとする苦労が、記憶を育てる」
「簡単にできたことより、考えながら身につけたことのほうが、遠くまでついてくることがある」
学びは、いつも気持ちよく進む一本道ではありません。
立ち止まり、忘れ、戻り、間違えながら進むものです。
そして、その遠回りに見える道の途中で、知識は単なる情報から、自分を支える力へと変わっていきます。
勉強していて、
「今日はあまりスラスラできなかったな」
と思った日こそ、脳の中では意外とよい仕事が進んでいるのかもしれません。
脳は表彰式を開いてくれません。
ただ黙って、昨日より少し丈夫な記憶をつくっています。

ロバート・アレン・ビョーク(Robert Allen Bjork)の論文一覧
1.『自分の学びを自分で導くには?――勉強法への思い込み、学習テクニック、そして「わかったつもり」の罠』ロバート・アレン・ビョーク、ジョン・ダンロスキー、ネイト・コーネル(2013)
Bjork, R. A., Dunlosky, J., & Kornell, N.(2013). Self-Regulated Learning: Beliefs, Techniques, and Illusions. Annual Review of Psychology, 64, 417–444. DOI:10.1146/annurev-psych-113011-143823
「勉強法は、自分に合うものを選べばいいんですよね?」
「その“自分に合う”という判定、脳に任せて大丈夫ですか?」
この論文は、自分で勉強を管理するときに起こる、厄介な思い込みを解剖します。読み返すと覚えた気になる。すぐ答えが出ると、身についた気になる。でも、長く残る学びには、思い出す練習や間隔を空けた復習など、少し骨の折れる方法が効くことがあるのです。「楽にできた」と「本当に学べた」は別物。勉強机に住みつく“わかったつもり妖怪”を、三人の研究者がデータで追い払う一篇です。

