ラヴィ・ダール(Ravi Dhar)の論文一覧:「ここまで頑張ったし、ちょっとくらいいいよね」を研究室で追跡した行動研究者

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ラヴィ・ダール(Ravi Dhar)のプロフィール

ラヴィ・ダールは、人が買い物をするとき、目標を立てるとき、そして「今日は特別だから」と自分を説得するとき、心の中で何が起きているのかを研究してきた心理学・消費者行動研究の専門家です。

たとえば、こんな場面を想像してみてください。

「今月は節約しよう」と決めたのに、仕事帰りのコンビニで少し高めのスイーツを手に取ってしまう。
「運動を続けよう」と思ったのに、朝ちょっと早起きできただけで、「今日はもう十分がんばった」と布団へ帰っていく。
「健康のために野菜を食べよう」とサラダを買ったのに、その横で唐揚げ弁当が「こちらも会計に進みますか」と堂々と待機している。

人間の心には、ときどき非常に優秀な弁護士が住んでいます。
しかもその弁護士、こちらが甘いものを食べたいときだけ、やたら弁護がうまいのです。

「今日は疲れていた」
「明日からまた整えればいい」
「少しくらいなら問題ない」
「むしろ、がんばった自分への投資だ」

ラヴィ・ダールが追いかけてきたのは、まさにこの“心の弁護士”が登場する瞬間でした。

彼の研究テーマは、消費者がどのように選び、何に価値を感じ、なぜ予定どおりに行動できなくなるのかというものです。けれど、その中身は単なる「売れる商品づくり」の話ではありません。むしろ私たちの日常そのものです。何を買うか。何を我慢するか。どこで迷うか。どこで「今回は例外」と言い出すか。そうした小さな選択の積み重ねに、人間らしい心の動きがぎゅっと詰まっています。

ダールの研究が面白いのは、人を「いつも冷静に計算している生き物」として扱わなかったところです。

私たちは、値段や性能や必要性を比べて、最も合理的なものを選んでいるつもりになります。けれど実際には、気分、疲れ、目の前の誘惑、選択肢の多さ、そして「ここまでやったのだから」という感覚に、かなり左右されます。

つまり人は、電卓ではありません。
夕方になると充電が切れかける、少しおしゃれな電卓です。

ダールは、楽しさをくれるものと、役に立つものとの間で人がどう揺れるかにも注目しました。たとえば、実用的な掃除機を買うか、気分が上がる靴を買うか。将来の自分のために貯金するか、今日の自分のために外食するか。どちらにも理由があり、どちらにも魅力があります。

ここで人は、しばしば不思議な工夫をします。

「靴は必要経費です」
「外食は人間関係への投資です」
「これはぜいたくではなく、生活の質を上げる道具です」

言葉にすると少し笑ってしまいますが、こうした理屈は誰にでもあります。ダールの研究は、その理屈を「だらしなさ」として片づけず、目標と欲望がぶつかる場所で生まれる、人間らしい調整として見つめました。

とくに彼が深く考えてきたのは、複数の目標を同時に持つ人間の姿です。

私たちは、「健康になりたい」と思いながら「おいしいものも食べたい」と思います。
「仕事をがんばりたい」と思いながら「家族との時間も大切にしたい」と思います。
「節約したい」と思いながら「少しは自分を喜ばせたい」と思います。

しかも困ったことに、心の中の目標たちは、会議があまり得意ではありません。

健康担当が「野菜を増やしましょう」と言うと、楽しみ担当が「でも人生にはプリンも必要です」と発言する。
貯金担当が「今月は抑えましょう」と言うと、疲労回復担当が「入浴剤くらい、よくないですか」と手を挙げる。
そして最終的には、議長である自分が疲れてしまい、「もう好きにしてください」と決裁印を押してしまう。

ダールは、こうした複数の目標のせめぎ合いを、きわめて真面目に、しかし私たちの日常に近い形で研究してきました。人は一つの目標だけを持って生きているわけではありません。だからこそ、意志の強さだけでは説明できない迷いが生まれます。

また彼の研究には、「少し前進した感覚」が、その後の行動をどう変えるかという大切な視点もあります。

たとえば、朝に散歩をした人が、昼には「今日は健康的に過ごしているから」と思い、少し高カロリーな昼食を選んでしまうことがあります。あるいは、寄付をしたあとに、いつもより自分のためのお金を使いやすくなることもあります。

これは単純に「よい行いをしたから悪くなった」という話ではありません。人は、自分が目標に近づいたと感じると、「もう少し自由にしても大丈夫だろう」と思いやすくなるのです。

心の中では、こんな声が聞こえてきます。

「今日の私は、ちゃんとした人間だった」
「だから今だけは、ちょっとゆるんでも大丈夫」
「このケーキは、努力の敵ではない。努力の記念品である」

ケーキにまで表彰状を渡し始めたら、心の弁護士はかなり働いています。

けれどダールの研究は、私たちを責めるためのものではありません。むしろ逆です。人がなぜ誘惑に負けるのか、なぜ理屈をつくるのかを知ることで、自分を必要以上に責めずにすむようになります。

「また意志が弱かった」と落ち込む前に、少し立ち止まってみる。
「いま私は、何を達成した気になっているのだろう」
「その達成感を、次の行動の言い訳にしていないだろうか」
「本当は、どの目標を大切にしたいのだろう」

こうした問いを持つだけで、心の中の会議は少し静かになります。

ラヴィ・ダールの研究は、買い物の研究でありながら、生き方の研究でもあります。人が選ぶものには、その人の欲望、疲れ、希望、罪悪感、そして未来への願いが混ざっています。私たちは商品を選んでいるようで、実は「どんな自分でいたいか」を何度も選び直しているのかもしれません。

だから、レジ前で迷う時間も、目標の途中で少し寄り道したくなる時間も、ただの失敗ではありません。そこには、人間が「楽しみ」と「大切にしたい未来」のあいだで、なんとか折り合いをつけようとする姿があります。

ラヴィ・ダールは、その小さくて騒がしい心の会議室に、研究という名のそっとした照明を当てた人です。

そして今日も私たちは、健康担当とごほうび担当の議論を聞きながら、コンビニの棚の前に立っています。
願わくは、心の弁護士にすべてを任せきりにせず、ときどき議長として戻ってきたいものです。

参考文献・確認先:Ravi Dhar 公式プロフィール(Yale School of Management) / Ravi Dhar 論文一覧(Yale School of Management) / Google Scholar:Ravi Dhar 論文・引用情報

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ラヴィ・ダール(Ravi Dhar)の研究から学べること

ラヴィ・ダールの研究から学べることは、ひと言でいえばこうです。

人は、目標に近づいたと感じたときほど、少し道草を食べやすい。

……はい。
耳が痛いですね。
さっき散歩をしたからといって、帰りにクリームたっぷりのパンを買った人。
朝から仕事をがんばったからといって、夜に「今日はもう脳を使わない権利がある」と動画を延々と見てしまった人。
家計簿をつけた直後に、「節約の意識が高まった記念」として通販を開いた人。

どうやら人間の心には、「少しがんばった」という報告を受け取ると、すぐに祝賀会を始めたがる係がいるようです。

ラヴィ・ダールは、こうした心の動きを研究した人です。彼の研究は、私たちが単純に「意志が弱いから失敗する」のではないことを教えてくれます。むしろ人は、目標に少し近づいたと感じると、「もう少し自由にしても大丈夫だろう」と考えやすくなるのです。

心の中では、こんな会議が開かれます。

健康担当
「今日は野菜を食べました」

ごほうび担当
「では、揚げ物を追加してもよいのでは?」

健康担当
「いや、それは話が違うのでは……」

ごほうび担当
「野菜を食べた事実は消えません」

議長である自分
「……たしかに」

こうして、サラダの横に唐揚げが並びます。

しかし、この研究から学べることは、「ごほうびを全部やめましょう」ではありません。人生から楽しみを追い出したら、心の中が市役所の待合室みたいに無機質になってしまいます。

大切なのは、進歩を「休んでよい証明書」にするのか、それとも「次の一歩の合図」にするのかです。

たとえば、「今週は三日運動できた。だから週末は何もしなくていい」と考えると、積み上げた習慣は少しずつほどけていきます。一方で、「三日できた。つまり自分は続けられる。では次は四日目をどう置こう」と考えると、同じ進歩が次の力になります。

進歩は、ゴールテープではありません。
まだ走っている途中で受け取る、小さな給水所です。

ここを勘違いすると、人はちょっと危うくなります。

「今月は節約できたから、これは買っていい」
「今日は勉強したから、明日は休んでいい」
「一回連絡したから、もう関係を大事にした」
「謝ったから、あとは相手が気持ちを整理する番だ」

もちろん、ときには休みも必要ですし、買い物も悪ではありません。けれど、「少しできた」ことを、いつの間にか「もう十分できた」ことに変換していないかは、見ておきたいところです。

心というものは、都合のよい翻訳機を持っています。

「少し前へ進んだ」

「かなりがんばった」

「今日の私は立派だった」

「では、特別待遇を要求します」

途中から、話がだいぶ膨らんでいます。

しかも厄介なのは、実際に何かを達成したときだけではありません。「明日からやる予定」だけでも、心が安心してしまうことがあります。

「来週から食事を整える予定だから、今日はいいか」
「月曜日から本気を出す予定だから、日曜までは自由時間」
「新しい手帳を買ったから、もう人生は立て直されつつある」

手帳はまだ白紙なのに、心だけはもう新年度を迎えています。

予定を立てることは、とても大切です。でも、予定を立てただけで達成感を使い切ってしまうと、行動に回す燃料が残りにくくなります。だからこそ、「やるつもり」をほめるより、「一つやった」を大事にしたほうがいいのです。

たとえば、「毎日読書する」と決めるより、「今日は本を一ページ開いた」と確認する。
「部屋をきれいにする」と誓うより、「床の上の服を一枚しまった」と見える形にする。
「もっと人に優しくする」と願うより、「今日は一人にありがとうを言った」と数える。

未来の自分に大きな計画書を渡すより、今日の自分に小さな作業を渡す。
そのほうが、心は逃げにくくなります。

また、ダールの研究からは、私たちが抱える「正しさ」と「楽しさ」の対立についても学べます。

人は、健康だけを求めて生きているわけではありません。
お金だけを貯めたいわけでもありません。
仕事だけをがんばりたいわけでもありません。

おいしいものを食べたい。
誰かと笑いたい。
少しきれいな服を着たい。
疲れた夜に、何も考えずに休みたい。

それらは、目標を邪魔する敵ではありません。人生を生きる理由の側でもあります。

問題は、「楽しさ」が悪いことなのではなく、楽しさを受け取るたびに、なぜか裁判を始めてしまうことです。

「こんなものを食べた私はだめだ」
「休んでしまったから、もう全部だめだ」
「買ってしまったから、節約は失敗だ」
「一日できなかったから、習慣は終わった」

心の中の裁判官は、ときどき判決が重すぎます。

ラヴィ・ダールたちの研究には、罪悪感があると、かえって楽しみの感じ方が強まることがある、という示唆もあります。つまり、「食べてはいけない」と思いながら食べるケーキは、ただのケーキではなく、心の中で妙に神々しくなりやすいのです。

だから、「二度と食べない」と強く禁じるほど、その食べ物が頭の中で金色の額縁に入ることがあります。

「これは禁止です」と言われたポテトチップスは、急に王家の秘宝になります。
「今日は絶対に買わない」と決めた雑貨は、急に運命の出会いになります。

そんなときに必要なのは、完璧な禁止令ではありません。

「私はこれを楽しみとして食べる」
「今月のごほうびは、ここまでにする」
「買うなら、何をあきらめるかも一緒に決める」
「休むなら、休んだあとに戻る場所も決めておく」

こうして、自分の中の楽しみを“隠し通路”にしないことです。

ごほうびを裏口から入れると、あとで罪悪感が警備員のように追いかけてきます。
でも最初から正面玄関を開けて、「今日はこれを楽しむ日です」と迎え入れれば、必要以上に心を荒らさずにすみます。

日常に活かすなら、こんな問いが役に立ちます。

「いま私は、少し進んだことを理由に、何を先延ばしにしようとしているだろう?」
「これは本当に必要な休みだろうか。それとも、進歩を言い訳にした逃げ道だろうか?」
「この楽しみは、私を元気にするだろうか。それとも、あとで自分を責める材料になるだろうか?」
「今日の達成感を、明日の行動につなげるには何ができるだろう?」

こうした問いは、自分を監視するためのものではありません。自分を責めるためでもありません。

心の中の会議で、ごほうび担当だけが大声になったとき、議長として一度席に戻るための問いです。

人は、いつもまっすぐには進めません。
がんばったあとに寄り道もします。
計画を立てて満足し、実行が遅れる日もあります。
「今日は特別」と言いながら、特別な日を週に四回つくることもあります。

それでも大丈夫です。

大切なのは、寄り道したことではなく、寄り道を「もう戻れない証拠」にしないことです。

ラヴィ・ダールの研究は、私たちにこう語りかけているようです。

少し進んだ自分を、ちゃんとほめよう。
でも、そのほめ言葉を、次の一歩をやめる許可証にしないようにしよう。
楽しみは大切にしよう。
でも、楽しみのあとに自分を罰する習慣は、少しずつ手放していこう。

目標に向かう道は、一直線のマラソンではありません。
途中で水を飲み、靴ひもを結び直し、ときどき景色に見とれながら進む長い散歩です。

だから今日も、「少しできた」を「もう終わり」にせず、
「少しできた。では、次は何を一つだけやろうか」に変えていきたいものです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ラヴィ・ダール(Ravi Dhar)の論文一覧

1.『目標は言い訳か、道しるべか?――「ここまで進んだ」という感覚が、選択を自由にするとき』アイエレット・フィッシュバック、ラヴィ・ダール(2005)

Fishbach, Ayelet, & Dhar, Ravi. (2005). Goals as Excuses or Guides: The Liberating Effect of Perceived Goal Progress on Choice. Journal of Consumer Research, 32(3), 370–377. DOI:10.1086/497548

「朝に散歩したし、昼はラーメン大盛りでも実質ゼロでは?」――そんな心の帳簿をごまかす技を、まじめに追った論文です。人は目標に少し近づいたと感じると、その達成感を「次も頑張るための道しるべ」にも、「今日は自由でいいという免罪符」にもしてしまう。目標は味方にも、都合のいい言い訳にもなる。ダイエット、貯金、勉強がなぜ途中で寄り道するのか。ごほうび担当が会議室の主導権を奪う前に、私たちは何を見失っているのか。自分の心の弁護士をのぞいてみたくなる一篇です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
【心理学論文】なぜ人は「少し頑張ったから今日はいいか」と思うのか?目標の進捗が選択をゆるめる心理
【心理学論文】なぜ人は「少し頑張ったから今日はいいか」と思うのか?目標の進捗が選択をゆるめる心理
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