ピアーズ・スティール(Piers Steel)の論文一覧:「あとでやる」という名の怪物を、データで捕まえにいった心理学者
ピアーズ・スティール(Piers Steel)のプロフィール
ピアーズ・スティールは、「明日から本気出す」という人類の古典芸能を、笑って終わらせず、ちゃんと研究した心理学者です。カナダのカルガリー大学で教える彼は、やる気、意思決定、仕事の生産性などを研究する一方で、とくに「先延ばし」の正体を追いかけてきました。いわば、締切前日に急に部屋の掃除を始める人の心の中へ、懐中電灯を持って入っていった研究者です。
先延ばしというと、「だらしない」「根性がない」と片づけられがちです。けれどスティールは、そんな雑な判決に待ったをかけました。彼が見つめたのは、「やったほうがいいと分かっている」「あとで困ることも分かっている」、それでもなぜか後回しにしてしまう、あの不思議な行動です。本人だってサボりたいわけではない。むしろ頭の中では、「やらなきゃ、やらなきゃ」と小さな係長がずっと叫んでいる。それなのに、手はなぜか動画の再生ボタンへ伸びる。人間の心、会議がまとまりません。
2007年の代表的な論文では、先延ばしに関する膨大な研究を集めて整理し、何が人を後回しへ向かわせるのかを検討しました。そこで見えてきたのは、先延ばしが単なる怠けではなく、「その仕事が苦痛に見えること」「自分にできるという手応えが薄いこと」「成果が遠すぎること」「目の前の誘惑に引っぱられやすいこと」など、いくつもの条件が重なって起きる現象だということでした。つまり、未来の自分に仕事を丸投げしているようでいて、実際には“今この瞬間の気分”に押し切られているのです。未来の自分は、毎回なかなかのブラック企業に入社させられています。
スティールの研究が面白いのは、先延ばしを責めるためではなく、攻略するために見ているところです。「もっと気合いを入れよう」だけでは、人はあまり動けません。仕事を小さくする。終わったときの意味を見つける。誘惑を遠ざける。締切を遠い山の頂上ではなく、今日の小さな坂道にする。そんなふうに、行動しやすい環境を設計することが大切だと考えます。
彼の仕事は、先延ばしで自分を責めがちな人に、少し救いのある見方を渡してくれます。「自分は意志が弱い人間だ」と決めつける前に、「この課題は、今の自分には重すぎないか」「ゴールが遠すぎて見えなくなっていないか」「目の前に誘惑の屋台がずらりと並んでいないか」と考えてみる。そうすると、問題は人格ではなく、行動の仕組みに見えてきます。
先延ばしは、人生を台無しにする巨大な怪物というより、心が「これは怖い」「面倒だ」「今は報われない」と知らせる、小さくて厄介な警報装置なのかもしれません。ピアーズ・スティールは、その警報に耳をふさぐのではなく、なぜ鳴ったのかを一緒に調べようとした研究者です。彼の論文を読むと、「あとでやる」という口ぐせが、少しだけ“今日の自分にできること”へ変わっていくかもしれません。
参考文献・確認先:カルガリー大学:ピアーズ・スティール公式プロフィール / Google Scholar:Piers Steel 論文・引用情報 / PubMed:Piers Steel「先延ばしの本質」関連論文

ピアーズ・スティール(Piers Steel)の研究から学べること
先延ばしは「怠け」ではなく、未来と現在の綱引きである
「やらなきゃいけないのは分かっているんです。でも、なぜか動けないんです」
これはもう、人類が何世代にもわたって提出し続けている言い訳兼・人生相談です。宿題、仕事、片づけ、返信、健康診断の予約。やるべきことは机の上でじっとこちらを見ているのに、私たちは急に引き出しの整理を始めたり、冷蔵庫を開けたり、存在しないほど大事でもない動画を見たりします。
「何をしているんだ、自分……」
そんな場面で、自分に“怠け者”の判子を押してしまう人は多いでしょう。でも、ピアーズ・スティールの研究は、そこに少し待ったをかけます。先延ばしは、単なる根性不足ではありません。むしろ、今の気分に引っぱられる心と、未来のために動こうとする自分が綱引きをしている状態だと考えると、ぐっと分かりやすくなります。
スティールは、先延ばしに関する多くの研究をまとめ、「性格がだらしないから」という一言では説明できないことを示しました。特に関わりが深いのは、「自分にできそうだと思えるか」「その作業に意味や楽しさを感じられるか」「報われるまでが遠すぎないか」「目の前の誘惑に引っぱられやすいか」といった要素です。つまり、人は意志だけで動くのではなく、仕事の見え方や、目の前に置かれた誘惑の強さにも、かなり左右されるのです。
たとえば、「来月までに資料を作る」という仕事を考えてみましょう。締切はまだ先です。完成しても、すぐには誰かに褒められるわけではありません。作業は地味で、少し面倒で、「うまくできるかな」という不安もある。そこへスマホが登場します。「短い動画を一本だけどうですか?」と、顔なじみの屋台みたいな顔で誘惑してくるわけです。
さて、この勝負。未来の資料づくりは、なかなか不利です。
なぜなら、資料づくりのごほうびは遠く、スマホのごほうびは近いからです。人の心は、遠くにある大きな利益よりも、目の前にある小さな楽しさに、つい反応してしまいます。締切が近づくと急にやる気が出るのも、仕事が急に魅力的になったからではありません。「未来の困る自分」が、かなり近くまで歩いてきたからです。さっきまで山の向こうにいた締切が、玄関をノックし始める。そこでようやく、脳内の会議が緊急招集されるのです。
スティールの研究から学べる一つ目のことは、やる気を待つより、やり始めやすい形に変えることが大切だという点です。
「今日は二時間、勉強するぞ」と決めると、心は急に重いリュックを背負わされた気分になります。けれど、「教科書を机に置く」「一問だけ解く」「資料の題名だけ入れる」まで小さくすると、話は変わります。脳は大仕事には警戒しますが、小仕事には案外だまされてくれます。「一問だけなら……」と始めたら、気づけば十五分やっていた。これは意志の奇跡というより、入口を低くした作戦勝ちです。
二つ目は、遠い目標を、今日の手触りに変えることです。
「健康のために運動する」は立派な目標ですが、少し遠い。未来の自分はありがたがるでしょうが、今日の自分にはまだピンときません。そこで、「靴を履いて家の周りを五分歩く」「帰宅後に好きな音楽を一曲だけ流して体を動かす」といった具合に、今日すぐ受け取れる小さな達成感を置いてあげる。遠い未来のためだけに頑張るのではなく、今日の自分にも“ちょっと得した感じ”を渡すのです。
三つ目は、誘惑と正面から殴り合わないことです。
意志の強い人は、スマホを目の前に置いても平気な人だと思われがちです。でも実際には、意志が強い人ほど、そもそも誘惑の近くに自分を置かないことがあります。お菓子を食べたくないなら、机の上に置かない。動画を見続けたくないなら、作業中は別の部屋にスマホを置く。集中したいなら、最初から“集中せざるを得ない景色”を作る。
これはずるではありません。むしろ、立派な知恵です。ライオンの檻に入ってから「落ち着いて対話しよう」と考えるより、最初から檻に入らないほうがいい。人間は誘惑に弱い生き物だからこそ、誘惑が強くならない配置にしておくのです。
そして何より大切なのは、先延ばしをした自分を、必要以上に裁かないことです。
先延ばしをすると、「またできなかった」「自分は本当にだめだ」と、心の中の裁判官が木づちを振り回し始めます。しかし、強い自己否定は、次の行動を軽くするどころか、さらに仕事を怖く見せてしまいます。怖くなった仕事からは、ますます逃げたくなる。こうして先延ばしは、雪だるま式に育っていきます。小さかった雪玉が、いつの間にか「人生どうしよう」というサイズになる。なかなか厄介です。
だからこそ必要なのは、「私はだめだ」と言うことではなく、「この仕事、何が重いんだろう」と聞くことです。
難しすぎるのか。意味が見えないのか。終わるまでが遠すぎるのか。失敗するのが怖いのか。あるいは、ただ疲れているのか。
原因が分かれば、打つ手も変わります。難しいなら分ける。意味が薄いなら、終えた先にあるものを思い出す。遠いなら、今日の一歩に直す。疲れているなら、休む。先延ばしは、あなたの人格の欠陥を知らせる通知ではありません。多くの場合、「このままのやり方では動きにくいですよ」という、少し不器用な心の警報なのです。
ピアーズ・スティールの研究は、私たちにこう教えてくれます。
人は、未来のために動ける立派な生き物である前に、目の前の気分や誘惑に揺れる、かなり人間らしい生き物でもある。だから、気合いだけで自分を動かそうとしなくていい。未来の大きな目標を、今日できる小さな行動に刻み、誘惑から少し距離をとり、始めるための敷居を下げればいい。
「完璧にやる」ではなく、「二分だけ始める」。
その小さな行動は、未来の自分に仕事を丸投げしないための、ささやかで立派な救援物資になります。先延ばしの怪物は、気合いで倒すより、足元を少しずつ片づけて、逃げ道を減らしていくほうが案外おとなしくなるのです。

ピアーズ・スティール(Piers Steel)の論文一覧
1.『先延ばしの正体――「あとでやる」が自己コントロールを狂わせる仕組みを、メタ分析と理論で解き明かす』ピアーズ・スティール(2007)
Steel, P. (2007). The nature of procrastination: A meta-analytic and theoretical review of quintessential self-regulatory failure. Psychological Bulletin, 133(1), 65–94. DOI:10.1037/0033-2909.133.1.65
「明日からやる」は、なぜ今日の自分をすり抜けるのか? ピアーズ・スティールは、先延ばし研究をどっさり集め、691件のデータのつながりを大捜査。すると犯人は、単なる怠けではなく、「この作業イヤだな」「締切はまだ遠いな」「今すぐ楽しいことがあるな」という心の連携プレーでした。やる気を待ってソファに沈むより、仕事を小さく刻み、誘惑を遠ざける。自分を責める前に、行動が止まる仕組みを見つけよう。先延ばしの怪物に、気合いではなく作戦で立ち向かうための、ちょっと頼もしい一篇です。

