パトリシア・K・クール(Patricia K. Kuhl)の論文一覧:「まだ話せません。でも、ちゃんと聞き分けてます」赤ちゃんの耳とことばの謎を追いかけた心理学者

パトリシア・K・クール(Patricia K. Kuhl)の論文一覧:「まだ話せません。でも、ちゃんと聞き分けてます」赤ちゃんの耳とことばの謎を追いかけた心理学者
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パトリシア・K・クール(Patricia K. Kuhl)のプロフィール

パトリシア・K・クールは、ひと言で紹介するなら、「赤ちゃんの耳の中で、いったい何が起きているんですか?」を何十年も本気で追いかけてきた研究者です。

赤ちゃんというと、

「ばぶー」

「きゃっきゃっ」

「とりあえず、そのリモコンをください」

くらいのことを考えているように見えるかもしれません。

ところがクールの研究をのぞいてみると、どうやらそんなにのんびりしていません。

まだ「ママ」とも「パパ」とも言えない時期から、赤ちゃんの脳は周囲の声を聞きながら、

「この音はよく出てくるな」

「この音とこの音は、同じ仲間っぽいぞ」

「なるほど、この家ではこういう音を使うらしい」

とでも言うように、ものすごい勢いでことばの世界を整理している。

クールは、そんな**「しゃべる前の赤ちゃんが、どうやってことばを学んでいるのか」**を研究してきた人物です。現在はアメリカのワシントン大学で、発話・聴覚科学の教授を務めるとともに、「学習と脳科学研究所」の共同所長を務めています。特に、幼い子どものことばの学習や、二つ以上の言語に触れる子どもの脳の発達について国際的に知られています。

そもそもの出発点は「音」と「心理学」

クールの研究人生をたどると、最初から赤ちゃん一筋だったわけではありません。

大学では発話の科学と心理学を学び、その後、ミネソタ大学で発話科学の修士号、さらに発話科学と心理学の博士号を取得しました。1970年代には聴覚に関する研究機関で博士研究員を経験し、1977年にワシントン大学の教員となっています。1982年からは同大学で教授を務めています。

つまり研究の入口には、

「人間は音をどう聞いているんだろう?」

という問いがありました。

ここから話が赤ちゃんへ向かっていくのが面白いところです。

大人に「この二つの音、違って聞こえますか?」と聞けば、

「はい、違います」

「いや、ほとんど同じですね」

と答えてもらえます。

でも赤ちゃんは答えてくれません。

こちらが、

「この音とこの音、どう?」

と尋ねても、

「……」

です。

非常に手ごわい研究協力者です。

しかも途中で眠ります。

泣きます。

機嫌によっては研究そのものを中止に追い込みます。

赤ちゃん研究、かわいい顔をしていますが、なかなかの強敵です。

それでもクールたちは、赤ちゃんが音を聞いたときの反応や、その後の脳活動などを使いながら、まだ話せない時期の子どもが音声をどのように区別しているのかを調べていきました。現在の研究室でも、幼い子どもの脳を測定する方法を開拓しながら、ことばの学習を研究しています。

赤ちゃんの耳は、最初から「日本語専用」ではない

クールの研究を理解するときに、とても面白いポイントがあります。

私たち大人の耳は、知らないうちに自分が普段使っている言語向けに調整されているということです。

日本語をずっと聞いて育った人なら、日本語で重要な音の違いには敏感になります。一方、自分の言語ではほとんど使わない音の違いは、だんだん区別しにくくなっていくことがあります。

では、生まれたばかりの赤ちゃんはどうなのか。

クールたちの研究は、乳児期のかなり早い段階から、周囲でどんな言語を聞いているかによって音の聞き分け方が変化していくことを示してきました。たとえば1992年の研究では、アメリカとスウェーデンの生後6か月ほどの乳児を比較し、日常的に触れている言語経験が母音の知覚に影響することを報告しています。

これ、なかなかすごい話です。

生後半年ですよ。

まだ履歴書には、

「資格:特になし」

「職歴:特になし」

「趣味:寝返り」

くらいしか書けない時期なのに、耳と脳の側ではすでに、

「この世界では、この音が大事らしい」

という学習が始まっているわけです。

クールの研究を読んでいると、赤ちゃんを見る目が少し変わってきます。

何も知らない小さな人というより、

ものすごい量の情報を黙々と集めている、小さな研究員

みたいに見えてきます。

「外国語を聞かせればいい」では終わらなかった

そしてクールの研究の中でも、とりわけ有名なのが、外国語への短期間の接触を調べた研究です。

2003年、クール、フェンミン・ツァオ、フイメイ・リウらは、アメリカの乳児に中国語を経験してもらう実験を行いました。

ここで興味深かったのは、

「外国語をたくさん聞けば、それだけで学習できるのか?」

という点です。

実験では、人が実際に目の前で話しかける条件と、録画や録音を通して同じような外国語に触れる条件などが比べられました。

すると、実際の人とのやりとりを通して外国語に触れた乳児では音の学習が見られた一方、録画や音声だけの条件では同じような学習効果が確認されませんでした。

これが、かなり面白い。

私たちはつい、

「脳が学習するなら、情報を入れればいいんでしょう?」

と思ってしまいます。

音声を流す。

映像を見せる。

はい、入力完了。

脳さん、あとはお願いします。

ところが赤ちゃんの学びは、どうもそんな宅配便のようにはいかない。

目の前に人がいる。

こちらを見てくれる。

声をかけてくれる。

反応すると、向こうも反応する。

そんな人と人とのやりとりそのものが、ことばの学習に深く関わっている可能性を、この研究は示しました。

「ことばを覚える」という、一見すると頭の中だけで起こっていそうな現象の後ろに、実は人間関係という舞台装置が置かれていたわけです。

ここがクール研究の、とても味わい深いところです。

研究の主役は「耳」から「脳」へ

その後、クールの研究は音の聞き分けだけにとどまらず、より大きく**「経験によって子どもの脳がどう変わるのか」**へ広がっていきました。

ワシントン大学の研究紹介でも、クールは幼児の脳活動を測る方法を使いながら、早期のことばの学習や二言語環境で育つ子どもの脳の発達を研究していると紹介されています。

さらに近年の研究歴を見ると、親子の会話、乳児期の言語経験と脳の発達、読み書きにつながる能力など、研究対象はかなり広がっています。たとえば2023年には、乳児期の言語経験と2歳時点の脳の白質形成との関係を扱った研究にも参加しています。

つまりクールが長年追いかけてきた問いは、

「赤ちゃんは音を聞き分けられるのか?」

だけではありません。

その奥にある、

「人間の脳は、周囲の世界と出会うことでどう形づくられていくのか?」

という大きなテーマにつながっています。

これは、かなり壮大です。

赤ちゃんの「だーだー」という声を追いかけていたら、いつの間にか人間の脳そのものの秘密の入口に立っていた。

そんな研究人生に見えてきます。

世界的な研究者だけど、問いは驚くほど身近

クールは2010年にアメリカ国立科学アカデミーの会員に選ばれ、アメリカ音響学会の金メダルや、アメリカ心理学会の科学的貢献に対する賞など、多くの評価を受けてきました。2025年にも研究・教育分野の表彰歴が記録されています。

こう書くと急に、

「世界的研究者です。近寄らないでください」

みたいな雰囲気が出てしまいますが、研究テーマそのものは驚くほど私たちの日常に近いものです。

赤ちゃんに話しかけること。

親子で顔を見ながらやりとりすること。

いろいろな声を聞くこと。

誰かと会話すること。

私たちが普段なんとなくやっていることの中に、

「どうして人間はことばを話せるようになるんだろう?」

という、とんでもなく大きな謎が隠れている。

クールはそこに顕微鏡を持ち込んだ研究者、と言ってもいいかもしれません。

「赤ちゃんはまだ何もわからない」を、そっとひっくり返した人

パトリシア・K・クールの研究を眺めていると、ひとつの印象が残ります。

赤ちゃんは、私たちが思っている以上に忙しい。

まだ言葉を話せないからといって、何も学んでいないわけではありません。

むしろ言葉になる前のところで、

音を聞き、

人の顔を見て、

反応を受け取り、

自分が暮らす世界の規則を少しずつ集めている。

「まだ話せません」

その一言の裏側で、とんでもない量の学習が進んでいるわけです。

クールの研究は、そんな赤ちゃんの静かな仕事ぶりを、科学の力で少しずつ見えるようにしてきました。

だから彼女の論文を読んだあとで、電車やスーパーで赤ちゃんがこちらをじっと見ていたら、少し警戒したほうがいいかもしれません。

こちらは、

「かわいいなあ」

と思っているだけですが、

向こうは向こうで、

「なるほど。この大人はこういう声を出すのか」

とデータ収集中かもしれません。

赤ちゃん。

しゃべらないだけで、意外と油断ならないのです。

参考文献・確認先:ワシントン大学:Patricia K. Kuhl 公式プロフィール / ワシントン大学:Patricia K. Kuhl 論文・研究業績 / Google Scholar:Patricia K. Kuhl 論文・引用情報 / PubMed:Patricia K. Kuhl 関連論文

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

パトリシア・K・クール(Patricia K. Kuhl)の研究から学べること

パトリシア・K・クールの研究から学べることを、ものすごく乱暴に一言でまとめるなら、

「人間は、ただ情報を浴びれば育つわけではない」

ということなのかもしれません。

赤ちゃんのことばの研究なのに、これ、大人にもかなり刺さります。

私たちは何かを学ぼうとすると、

「とりあえず動画を流しておこう」

「英語を聞き流しておけば、そのうち耳が慣れるでしょう」

「教材をたくさん与えれば、たくさん覚えるでしょう」

と考えがちです。

情報を入れる。

脳が受け取る。

学習完了。

なんとなく、脳を炊飯器みたいに考えてしまうわけです。

「材料を入れてスイッチを押しましたので、40分後には英語が炊き上がる予定です」

しかしクールの研究を読んでいると、

「いやいや、人間の学びって、もう少し面倒で、もう少し面白いですよ」

と言われているような気がしてきます。

学ぶ力は、「教えられてから」始まるわけではない

クールの研究でまず驚かされるのは、赤ちゃんが思っている以上に早い時期から、周囲のことばを学んでいることです。

乳児は、自分のまわりで繰り返し聞こえてくる音の特徴を取り込みながら、少しずつ母語に合った音の聞き分け方を身につけていくことが、クールらの長年の研究で示されてきました。彼女の研究紹介でも、乳児は頻繁に耳にする音のパターンと、人との社会的なやりとりの両方を利用してことばを学ぶと説明されています。

ここから持ち帰りたいのは、

「学習は、机に座った瞬間から始まるわけではない」

ということです。

赤ちゃんには参考書がありません。

単語帳もありません。

もちろん、

「本日は母音の聞き分けについて学習します」

という朝礼もありません。

それでも、聞いている。

見ている。

繰り返しに気づいている。

人の反応を受け取っている。

つまり人間は、かなり自然な状態でも、周囲の世界から規則を探している存在なのです。

これは大人でも同じだと思うんです。

新しい職場に入ったとき、

「この会社では、こういうときに相談するんだな」

「この人には、このタイミングで声をかけるといいんだな」

「会議でこの言葉が出ると、だいたい話が長くなるな」

と、誰にも教わっていないことを大量に学びます。

最後のものは、できれば学ばなくてもよかったかもしれません。

でも学んでしまう。

人間の脳は、わりと勝手に世界の規則を集めています。

クールの研究は、学習とは「教える人」と「教わる人」が黒板の前で始めるものだけではなく、世界に触れているあいだずっと起きているものなのだと教えてくれます。

「たくさん聞かせる」より、「誰かとやりとりする」

そして、クールの研究から得られるもうひとつの大きな学びが、

人とのやりとりには、情報そのもの以上の力があるかもしれない

ということです。

有名な2003年の研究では、アメリカの乳児が中国語に触れる実験が行われました。

実際の人が目の前で中国語を話す条件では、乳児に外国語の音を学ぶ変化が見られました。一方で、録画や音声だけを通して同じ外国語に触れた場合には、同じような学習効果は確認されませんでした。

これ、かなり考えさせられます。

音そのものだけを見るなら、

「同じ中国語でしょう?」

となります。

ところが人間の脳にとっては、

「誰かがそこにいる」ことが、単なる飾りではない可能性がある。

相手がこちらを見る。

こちらが反応する。

すると相手も反応する。

視線が動く。

表情が変わる。

声の調子が変わる。

こうしたやりとりの中で、赤ちゃんは、

「いま、この音には意味がありそうだぞ」

と世界に印をつけているのかもしれません。

クールらの研究では、乳児の視線を切り替えるといった社会的な行動と、新しい言語音の学習との関連も報告されています。

つまり、

ことばは耳だけで覚えているのではなく、人との関係の中で覚えている。

そんな見方が出てくるわけです。

これを大人の世界に持ってくると、ちょっと面白い。

たとえば、新人に仕事を教えるとき。

マニュアルを渡して、

「ここに全部書いてあります」

で終わらせることもできます。

もちろんマニュアルは大切です。

でも、

「ここ、最初わかりにくいよね」

「困ったらここで声かけてね」

「そうそう、それで大丈夫」

という小さなやりとりがあるだけで、学びやすさはまったく違ってきます。

人間は、説明書だけを食べて育つ生き物ではない。

どうやら関係性という出汁が必要らしいのです。

人は、環境に合わせて「聞こえ方」まで変わっていく

クールの研究の面白さは、学ぶのが単なる知識ではないところにもあります。

赤ちゃんは、周囲で使われている言語を聞きながら、だんだんその言語で重要な音の違いに合った知覚へ変化していきます。クールらは、こうした早期の言語経験と脳の仕組みとの関係を長年研究してきました。

つまり、

「何を知っているか」

だけではなく、

「世界がどう聞こえるか」そのものが経験によって変わる。

これは、かなり深い話だと思います。

私たちは普段、

「世界は世界としてそこにあって、みんな同じものを見たり聞いたりしている」

と思いがちです。

でも実際には、自分が何を経験してきたかによって、気づくものが変わります。

料理人なら、同じ料理を食べても、

「この香り、何か入ってるな」

と気づく。

音楽をやっている人なら、

「ここ、半音だけ動いてる」

と気づく。

車が好きな人なら、

「いまの音、ちょっとエンジンおかしくない?」

と気づく。

私なら、

「普通に走ってますけど?」

で終了です。

経験とは、知識の棚に物を増やすだけではなく、

世界を見るための虫眼鏡そのものを作り変えていくことなのかもしれません。

赤ちゃんの言語研究から、そんなところまで話が広がっていきます。

「早ければ何でもいい」という話ではない

ただし、ここで注意したいことがあります。

クールが乳児期の学習を研究しているからといって、

「よし!生後3か月から英語、中国語、フランス語、スペイン語を全部やらせよう!」

と、赤ちゃんの予定表を国際会議みたいにする必要はありません。

クールの研究から見えてくるのは、

早期の経験が重要であることと同時に、

その経験の質も大切であること

です。

ただ音を大量投入すればよい、という単純な話ではありません。

むしろ、人とのやりとり、反応、視線、会話といった社会的な経験が、早期の言語学習と深く関係していることが研究されています。さらに、スペイン語と英語の二言語環境で育つ乳児を対象にした研究でも、幼い時期の社会的なやりとりと、その後の言語発達との関連が調べられています。

ここから考えると、

「英才教育をしなければ!」

よりも、

「ちゃんと一緒にいる」

ことの価値を、もう少し大きく見てもいいのだと思います。

顔を見て話す。

赤ちゃんの声に返事をする。

絵本を読む。

歌う。

「あ、犬だね」

と一緒に見る。

ものすごく地味です。

広告にはしにくい。

「最新脳科学式・親子で犬を見るメソッド」

では、たぶん売れません。

でも人間の発達にとって、本当に大事なものは、案外こういう地味な場所に置かれているのかもしれません。

学びは「一方通行」ではなく、「キャッチボール」

クールの研究を読んでいて、個人的にいちばん心に残るのはここです。

学習という言葉を聞くと、

先生 → 生徒

親 → 子ども

教材 → 学習者

という一方向の矢印を思い浮かべます。

でも実際の人間の学びは、もっとキャッチボールに近いのかもしれません。

声をかける。

反応が返ってくる。

その反応を見て、こちらも変わる。

また返す。

この往復の中で、

「これは大切な情報らしい」

「この人はいま私に話している」

「この音と、この出来事は関係がある」

と世界が整理されていく。

実際、クールの研究グループでは、母親と乳児が生後3か月のときに行う社会的・言語的なやりとりと、子どもが3年目に示す発話の発達との関連も報告されています。

学びとは、

情報を受け取ることではなく、世界とやりとりすること。

そう考えると、教育の景色も少し変わります。

大人が子どもに、

「教えてあげなければ」

と力むだけではなく、

「何に反応しているんだろう」

「何を見ているんだろう」

「いま何を面白がっているんだろう」

と相手を見ることも、学びの一部になる。

教育というより、少し対話に近づいていきます。

大人だって、「人と一緒だから学べる」

そしてクールの研究は赤ちゃんについてのものですが、読んでいると私はどうしても大人のことを考えてしまいます。

私たちは大人になると、

「自分で勉強しなきゃ」

と思います。

本を買う。

動画を見る。

資格のテキストを開く。

そして22時13分、

「今日は疲れたから明日からにしよう」

となります。

翌日。

同じことをします。

人類の伝統芸です。

でも、人間がもともと人とのやりとりの中で学ぶ性質を持っているのだとしたら、

「一人で全部やろう」

としなくてもいいのかもしれません。

誰かと話してみる。

質問する。

教えてもらう。

自分の理解を説明する。

一緒に考える。

こうしたことも立派な学習です。

赤ちゃんが目の前の大人とのやりとりを通してことばの世界に入っていくように、大人もまた、誰かとの関係の中で知識が立体的になっていくことがあります。

本を一人で読んで、

「なるほどね」

で終わっていた話が、

誰かに説明しようとした瞬間、

「あれ? 私、ここ全然わかってないぞ」

となる。

あります。

知識というものは、人前に出すと急に化粧が落ちます。

でも、その「あれ?」こそが学びの入口だったりします。

「環境を整える」という考え方を持ってみる

クールの研究からもうひとつ持ち帰りたいのは、

人を変えたいなら、その人だけを見るのではなく、周りの環境を見る

という視点です。

赤ちゃんがどんな音を聞き、誰と関わり、どんな経験をするかによって学習が変わっていくのなら、人間の能力を、

「本人の才能」

だけで説明するのは少し乱暴です。

学びやすい環境だったのか。

質問できる人がいたのか。

失敗しても続けられたのか。

十分に触れる機会があったのか。

反応してくれる誰かがいたのか。

こうした条件も、かなり大きい。

だから、

「あの人は覚えが悪い」

「この子は勉強が苦手」

「私は語学の才能がない」

と結論を出す前に、

「学びやすい環境になっているだろうか?」

と一度考えてみる。

この問いは、けっこう優しい問いです。

人間を責める前に、環境側の椅子も事情聴取してみるわけです。

「あなた、ちゃんと学びやすい配置になってました?」

椅子は答えませんが、見る場所は増えます。

人間は「誰かと生きながら」学んでいる

パトリシア・K・クールの研究は、赤ちゃんがことばをどう覚えるかを扱っています。

けれど、その研究をずっと眺めていると、もっと大きなことを教えてもらっているように感じます。

人間は、

聞いて、

見て、

反応して、

誰かから反応を返され、

その繰り返しの中で世界を理解していく。

つまり私たちは、

頭だけで学んでいるのではなく、誰かと生きながら学んでいる。

ここが、とても面白い。

赤ちゃんが最初にことばを覚える場所は、教室ではありません。

机もない。

黒板もない。

テストもない。

あるのは、

人の声と、

顔と、

視線と、

反応と、

何度も繰り返される日常です。

「おはよう」

「おいしいね」

「眠いね」

「いたね」

そんな何気ないやりとりの中で、人間は少しずつ世界の音を自分のものにしていく。

そう考えると、学ぶという行為は、ずいぶん温かいものに見えてきます。

知識を頭に詰め込むだけではない。

誰かと世界を眺めながら、

「これは、こういうものらしいよ」

と少しずつ分け合っていくこと。

パトリシア・K・クールの研究から学べるのは、もしかするとそんなことなのかもしれません。

人間の脳は、ひとりで黙々と世界を攻略しているわけではない。

「ねえ、これ何?」

という問いと、

「これはね」

という誰かの返事のあいだで、世界を覚えていく。

赤ちゃんのことばの研究を読んでいたはずなのに、最後には、

人は、人とのあいだで育つ。

そんな当たり前で、でも忘れやすいところへ戻ってくる。

それが、パトリシア・K・クールの研究の面白さなのだと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

パトリシア・K・クール(Patricia K. Kuhl)の論文一覧

1.『赤ちゃんは外国語の音をどう学ぶ?短い外国語体験と人との交流が育てる「聞き分ける力」』パトリシア・K・クール、フェンミン・ツァオフエイメイ・リウ(2003)

Kuhl, P. K., Tsao, F.-M., & Liu, H.-M. (2003). Foreign-language experience in infancy: Effects of short-term exposure and social interaction on phonetic learning. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 100(15), 9096–9101.

「赤ちゃんに外国語を聞かせれば、それだけで覚えるの?」。クールたちは、生後9か月ごろの赤ちゃんに中国語を体験してもらいました。すると、目の前の人とやりとりしながら聞いた赤ちゃんは、中国語の音を聞き分ける力が伸びたのに、映像や音声だけでは同じ効果が見られませんでした。つまり赤ちゃんの脳は、音だけでなく「人」まで見て学んでいるらしい。ことばを覚える秘密は、耳の中ではなく、人と人のあいだにあるのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
赤ちゃんの外国語聞き流しは効果がある?対面と録音を比べた研究
赤ちゃんの外国語聞き流しは効果がある?対面と録音を比べた研究
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