ネイト・コーネル(Nate Kornell)の論文一覧:脳の「わかったつもり」に赤ペンを入れ、本当に身につく勉強法を探った学習心理学者

ネイト・コーネル(Nate Kornell)の論文を読む女性
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ネイト・コーネル(Nate Kornell)のプロフィール

ネイト・コーネル(Nate Kornell)は、人間の学習と記憶を研究しているアメリカの認知心理学者です。

ただし、彼が調べているのは、単に「どうすれば記憶力がよくなるのか」という話だけではありません。

むしろ、コーネルが長年じっと見つめてきたのは、私たちの頭の中に住んでいる、少々お調子者の“勉強評論家”です。

「今日はスラスラ読めた。これは完璧に覚えたな」

「同じ種類の問題を続けて解けた。もう実力がついたぞ」

「問題に答えられなかった。つまり、この勉強は失敗だ」

私たちの頭は、こんなふうに勉強の出来を採点します。ところがコーネルの研究は、その採点表に赤ペンを入れてきました。

「ちょっと待ってください。その“できた感じ”、本当に未来の記憶を表していますか?」

ネイト・コーネルとは、ひとことでいえば、脳の「わかったつもり」に何度も抜き打ちテストを仕掛けてきた研究者なのです。

「勉強しやすい」と「身につく」は別の話

コーネルは、アメリカのリード大学で心理学を学び、コロンビア大学で修士号と博士号を取得しました。その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で博士研究員を経験し、2009年からウィリアムズ大学で教えています。現在は同大学の心理学教授として、学習、記憶、認知心理学、自分の理解や記憶を振り返る働きなどを研究しています。

彼の研究の中心には、ひとつの大きな問いがあります。

「人は、どんな勉強法が効果的だと思っているのか。そして、実際に効果がある勉強法との間には、どれくらいのズレがあるのか」

ここがコーネル研究のおもしろいところです。

私たちは普通、「よく覚えられた気がする勉強法」を選びます。ところが、その“気がする”という感覚が、なかなかの曲者なのです。

たとえば、同じ内容を続けて勉強すると、途中から答えがスルスル出てくるようになります。

すると脳は、胸を張って言います。

「ご覧ください。この滑らかな回答。完全に習得しました」

しかし、それは実力というより、直前に見たものがまだ頭に残っているだけかもしれません。いわば、カンニングペーパーを机の隅に置いたまま、「私は何でも知っている」と宣言しているような状態です。

その場で答えやすいことと、数日後にも思い出せることは、同じではありません。

コーネルは、この「学習中の快適さ」と「あとに残る学習」を切り分けて考えてきました。

絵画を混ぜたら、画家の特徴が見えてきた

コーネルの代表的な研究のひとつに、画家の作風を見分ける学習実験があります。

参加者は、複数の画家が描いた絵を見ながら、それぞれの作風を学びました。

ひとつの方法では、同じ画家の絵をまとめて見せます。

画家A、画家A、画家A。

次に、画家B、画家B、画家B。

これは整理されていて、とても勉強しやすそうです。本棚に本がきれいに並んでいるような安心感があります。

もうひとつの方法では、違う画家の絵を混ぜて見せました。

画家A、画家B、画家C、また画家A。

こちらは少々落ち着きません。美術館の案内係が、展示室を小走りで行ったり来たりしているような学び方です。

参加者自身は、同じ画家の絵をまとめて見るほうが効果的だと感じました。

ところが、あとで初めて見る絵について「これは誰の作品か」と尋ねると、異なる画家の絵を混ぜて学んだ人たちのほうが、うまく見分けられたのです。しかも、自分の成績がその事実を示したあとでさえ、参加者はまとめて学ぶ方法のほうがよいと評価する傾向を示しました。

なぜ混ぜたほうがよかったのでしょうか。

同じ画家の作品だけを続けて見ると、共通点は見つけやすくなります。

しかし、違う画家の絵が交互に登場すると、

「この線の使い方は、さっきの画家とは違うな」

「色は似ているけれど、人物の描き方が違う」

と、作品同士を比較する必要が生まれます。

つまり、混ざっているからこそ、“何が違うのか”を考えるようになるのです。

勉強中は少しややこしい。しかし、そのややこしさが、見分ける力を育てている。

コーネルの研究は、学習において「頭が少し困っている状態」が、必ずしも悪いものではないと教えてくれます。

「間違えました」は、学習終了の鐘ではない

コーネルは、問題に答えられなかったときに何が起こるのかについても研究しています。

一般的には、まだ習っていない内容をいきなり質問するのは、あまりよい方法に見えません。

「知らないものは答えられないでしょう」

まったくそのとおりです。知らないものは、だいたい答えられません。

しかし、コーネルたちの研究では、正解を知らない状態でも、まず答えを思い出そうとしたり予想したりしてから正しい内容を学ぶと、ただ答えを読むだけの場合より、その後の学習がよくなることが示されました。

ここで大切なのは、「間違えれば何でも覚えられる」という話ではないことです。

自信満々に間違えたまま帰宅してはいけません。それでは、誤答がただ家までついてきます。

大事なのは、まず自分で考え、そのあとで正しい答えをきちんと確認することです。

先に問題と向き合うことで、頭の中に「ここが知りたい」という空席ができます。その直後に正解が入ってくると、情報がただ通り過ぎるのではなく、座るべき椅子を見つけやすくなるのです。

問題を見る。

考える。

うまく答えられない。

それでも答えを確認する。

この流れでは、最初の失敗は学習の終点ではありません。正解を迎え入れるための玄関になります。

コーネルの研究を知ると、テストの見え方も少し変わってきます。

テストは、勉強が終わったあとに点数をつけるだけのものではありません。勉強の途中で使えば、自分が何を知らないのかを照らし、次に学ぶ内容を受け止めやすくする道具にもなるのです。

サルは「わかりません」と言えるのか

コーネルの研究対象は、人間だけではありません。

彼は、人間以外の動物が、自分の「わかる」「わからない」をどの程度判断できるのかについても研究してきました。

ある研究では、サルが難しい問題に出会ったとき、手がかりを求める行動を学べるかが調べられました。その結果、サルは、やみくもに答え続けるのではなく、必要な場面で手がかりを求めるようになり、その行動を新しい課題にも応用できることが示されました。

人間の言葉に訳すなら、

「これは、ちょっと自信がありません。ヒントをお願いします」

という判断です。

これは簡単そうに見えて、実は高度な能力です。

問題の答えを考えるだけでなく、「自分はこの答えを知っているのか」「このまま答えて大丈夫なのか」を判断しなければならないからです。

そして、ここには人間の勉強にも通じる教訓があります。

本当に学習が上手な人とは、何でも即答できる人ではありません。

「ここは理解できている」

「ここは、わかった気がするだけだ」

「ここは助けを借りたほうがいい」

その境界線を見つけられる人です。

ところが人間は、ときどきサルよりも堂々と間違えます。

教科書を一度読んだだけで、

「理解しました」

問題を一問解けただけで、

「この分野は卒業です」

知らないことに気づく能力よりも、知っている気分を育てる能力のほうが、先に立派になってしまうことがあるのです。

私たちは、自分の記憶を正確には見られない

コーネルはロバート・ビョークとの研究で、人には「現在の記憶状態が、この先もあまり変わらない」と考えやすい傾向があることを論じています。

今思い出せるものは、あとでも思い出せるだろう。

今思い出せないものは、これからも覚えられないだろう。

私たちは無意識に、そのように見積もりがちです。ところが実際の記憶は、冷蔵庫のように中身を一定に保つ箱ではありません。時間がたてば忘れますし、練習すれば覚えます。現在の状態は、未来の状態をそのまま写したものではないのです。

勉強した直後には、内容が頭の中にたくさん残っています。

そこで「これなら明日も覚えている」と思います。

ところが翌朝、記憶の店じまいが予想以上に早く、

「あれ、昨日の店員さんはどこへ行ったのですか」

ということになります。

反対に、最初はまったく答えられなかった問題でも、練習を重ねればできるようになります。しかし私たちは、最初につまずいたとき、

「自分には向いていない」

と、未来までまとめて不合格にしてしまうことがあります。

コーネルの研究が教えてくれるのは、自分の学習を、その瞬間の感覚だけで決めつけてはいけないということです。

今日の「簡単だった」は、明日の「覚えている」を保証しません。

今日の「できなかった」も、明日の「できない」を決定しません。

記憶は静止画ではなく、時間と練習によって変化していく映像なのです。

勉強法を選ぶ脳は、思ったほど名監督ではない

コーネルは、ロバート・ビョーク、ジョン・ダンロスキーとともに、自分で学習を管理する際の信念や技法、そして思い込みについて大規模な研究整理も行っています。

そこでは、人は自分の学習について、必ずしも正しい理解を持っているわけではないことが論じられました。

何を勉強するか。

どれくらい時間をかけるか。

いつ復習するか。

どの方法を使うか。

私たちは毎日、小さな学習会議を頭の中で開いています。しかし、その会議の議長を務めるのが「楽だったか」「スラスラ進んだか」という感覚だけでは、判断を誤ることがあります。

勉強している最中に順調な方法と、あとで思い出せる方法は、必ずしも同じではありません。

同じ内容をすぐに繰り返すと、簡単に答えられます。

少し時間を空けると、答えるのが難しくなります。

その場の気分だけで比べれば、すぐに繰り返す方法の圧勝です。

ところが、長く覚えることを目標にするなら、時間を空けて思い出す練習が役立つ場合があります。コーネルらの研究でも、間隔を空けた学習は若い人だけでなく高齢者の学習にも有効である一方、参加者自身は、まとめて学ぶほうが効果的だと評価しやすいことが示されています。

つまり、脳内監督はこう言います。

「選手が苦しそうなので、この練習は中止しましょう」

しかし研究結果は、こう返します。

「監督、その苦しさの一部が、練習になっております」

もちろん、難しければ難しいほどよいわけではありません。

まったく理解できない課題を大量に投げつけても、学習より先に心が帰宅します。

大切なのは、少し考えれば届く難しさ、思い出そうと努力できる難しさです。

楽すぎて頭が眠ってしまわず、難しすぎて頭が退職届を書き始めない。その間にある学びやすい場所を探すことが必要なのです。

コーネルの研究が、私たちに残したもの

ネイト・コーネルの研究をひとつの言葉にまとめるなら、「学習の手応えを疑う科学」といえるかもしれません。

人は、楽にできたことを高く評価し、苦労したことを低く評価しがちです。

しかし学習では、少し忘れたあとに思い出すこと、似た問題を混ぜて違いを見分けること、答えを教わる前に自分なりに考えることなど、その場では苦しく感じられる経験が、あとになって力を発揮する場合があります。

勉強中にスラスラ進まないからといって、失敗しているとは限りません。

反対に、ノートを眺めながら「全部わかる」と感じても、本当に思い出せるとは限りません。

だからこそ、学習の判断を“感じ”だけに任せず、実際に問題を解き、時間を空けて確かめる必要があります。

教科書を閉じて説明できるか。

昨日覚えたことを今日も思い出せるか。

似た問題が並んでも見分けられるか。

コーネルが研究室から私たちに投げかけているのは、そんな小さな問いです。

そして、その問いの奥には、少し温かなメッセージもあります。

今うまく答えられないことは、あなたに能力がない証拠ではありません。

頭が迷っている時間、答えを探している時間、間違いを正している時間も、学習の一部です。

脳は、いつも正確な案内人ではありません。

ときには「こちらが近道です」と言いながら、堂々と記憶の行き止まりへ案内します。

ネイト・コーネルは、そんな脳の肩を軽くたたき、

「その道、本当に覚えられる道ですか?」

と問い続けてきた研究者なのです。

参考文献・確認先:ウィリアムズ大学:Nate Kornell 公式プロフィール / Google Scholar:Nate Kornell 論文・引用情報 / PubMed:Nate Kornell 関連論文

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ネイト・コーネル(Nate Kornell)の研究から学べること

ネイト・コーネル(Nate Kornell)の研究から学べることは、単に「効率のよい暗記方法」ではありません。

もっと根っこのところにあるのは、

「自分の感覚は、いつも正しいとは限らない」

という、少し耳の痛い話です。

私たちは、勉強がスラスラ進むと気分がよくなります。

教科書を読んでいて、内容がよくわかる。

問題集を解いたら、同じ種類の問題が続いたので、ほとんど正解できた。

ノートを見返すと、どの言葉も見覚えがある。

すると、頭の中から頼もしい声が聞こえてきます。

「うむ。かなり仕上がっております」

ところが翌日、教科書を閉じた状態で説明しようとすると、

「あれですね。つまり、その……大切なことです」

と、急に言葉が霧の中へ逃げていきます。

昨日の自信は何だったのでしょうか。

ネイト・コーネルの研究は、この「勉強できた気分」と「本当に身についた状態」の間にある溝を調べてきました。

その溝は、思っているより深いのです。

楽にできたからといって、身についたとは限らない

コーネルの研究から、まず学べるのは、勉強中の“やりやすさ”を信用しすぎてはいけないということです。

同じ内容を何度も続けて見ると、だんだん簡単に感じるようになります。

一度目は難しかった文章も、二度目には少し読める。

三度目には、ほとんど知っている気がする。

ここで脳は、すぐに祝賀会を始めます。

「皆さま、おめでとうございます。完全理解が達成されました」

しかし実際には、内容を覚えたのではなく、ただ見慣れただけかもしれません。

たとえば、毎日通る道にある看板を考えてみてください。

何百回も見ているので、よく知っている気がします。

ところが、看板に何が書かれているかを正確に説明しようとすると、意外と思い出せません。

「青っぽかったような」

「会社名が書いてあった気がする」

「とにかく、看板です」

見慣れていることと、覚えていることは違います。

勉強でも同じです。

教科書を読んで「わかる」と感じることと、何も見ずに説明できることは別の能力です。

だから、勉強するときには、読むだけで終わらせないことが大切です。

本を閉じて、

「今の内容を、自分の言葉で説明できるだろうか」

と確かめてみる。

問題を見ずに、

「答えを思い出せるだろうか」

と試してみる。

この瞬間、記憶がうまく出てこないことがあります。

しかし、それは失敗ではありません。

むしろ、自分の理解がどこまで届いているのかを正確に知るための健康診断です。

「なるほど、ここは覚えたつもりだったのか」

と気づけたなら、その勉強は一歩進んでいます。

脳は、苦労していると「失敗だ」と勘違いする

コーネルの研究では、少し難しい学び方のほうが、あとになって役立つ場合があることも示されています。

たとえば、同じ種類の問題だけをまとめて解くと、だんだん解きやすくなります。

足し算を十問。

次に引き算を十問。

そのあとに掛け算を十問。

問題の種類がそろっているので、何をすればよいか迷いません。

二問目くらいから、頭は流れ作業に入ります。

「はいはい、今回は足し算ですね。承知しました」

一方で、足し算、引き算、掛け算が混ざっていると、毎回どの方法を使うか考えなければなりません。

「これは足すのか」

「いや、待て。引くのか」

「掛けるという可能性も浮上しております」

答えるまでに時間がかかり、間違いも増えます。

勉強している本人からすると、混ぜて解く方法はあまり上達していないように感じます。

しかし、実際の試験や仕事では、問題の横に「これは掛け算です」と親切に書いてあるとは限りません。

大切なのは、計算できることだけでなく、どの方法を使うべきかを見分けることです。

さまざまな問題を混ぜて練習すると、この“見分ける力”が育ちます。

つまり、勉強中に迷っている時間は、何も進んでいない時間ではありません。

頭の中で、知識の仕分け作業が行われているのです。

脳は汗をかきながら、

「これは前の問題と何が違うのか」

「どの知識を取り出せばよいのか」

と考えています。

その場では不格好でも、長い目で見ると力になることがあります。

ここから学べるのは、苦戦している自分を、すぐに能力不足と決めつけなくてもよいということです。

勉強が難しく感じられる。

答えがすぐに出てこない。

似た問題を間違える。

そんなとき、私たちは、

「自分には向いていないのではないか」

と考えてしまいます。

しかし、頭が迷っているのは、学んでいる途中だからかもしれません。

筋力をつける運動で、重さをまったく感じない道具ばかり使っても、あまり鍛えられません。

学習でも、少し考えなければ届かないくらいの難しさが、力を育てることがあります。

もちろん、難しければ難しいほどよいわけではありません。

一問も理解できず、答えを見ても意味がわからない状態では、頭より先に心が閉店します。

大切なのは、少し頑張れば届く難しさです。

簡単すぎて眠らず、難しすぎて逃げ出さない。

その中間に、学びが育ちやすい場所があります。

間違えることは、正解に近づく準備になる

コーネルの研究からは、「間違い」に対する見方も変えることができます。

多くの人は、勉強中の間違いを避けようとします。

正解できないと、恥ずかしい。

自信を失う。

間違った答えを覚えてしまいそうで怖い。

だから、問題に挑戦する前に答えを見てしまうことがあります。

「間違えるくらいなら、先に正解を覚えたほうが早い」

たしかに、その場では効率がよさそうです。

しかし、答えを知らない状態でも、一度自分で考えてから正解を見ると、ただ答えを読むより記憶に残りやすくなる場合があります。

なぜでしょうか。

自分で考えると、頭の中に問いが生まれるからです。

「答えは何だろう」

「自分の考えの、どこが違ったのだろう」

「正解は、どの部分につながるのだろう」

その問いが、正しい答えを受け止める器になります。

何も考えずに答えを読むと、情報は頭の表面を滑っていきます。

「ふむふむ、なるほど」

そして三分後には、静かに退場しています。

一方、自分なりに答えを探したあとでは、正解を見た瞬間に、

「そういうことだったのか」

という驚きが生まれます。

この驚きが、記憶の取っ手になるのです。

ただし、間違えっぱなしではいけません。

誤った答えを堂々とノートに書き、

「挑戦したので、今日はこれでよし」

と帰ってしまえば、間違いも一緒についてきます。

重要なのは、考えたあとに、必ず正しい答えを確認することです。

挑戦する。

間違える。

正解を確認する。

違いを考える。

この流れがあると、間違いは恥ではなく、学習の材料になります。

失敗とは、道から外れた証拠ではありません。

今どこにいるのかを教える標識になることがあります。

忘れることは、学習の敵であると同時に味方でもある

私たちは、忘れることを悪いことだと思いがちです。

せっかく覚えたのに忘れた。

努力が消えた。

昨日の自分が積み上げたものを、今日の自分が勝手に取り壊している。

そんな気分になります。

しかし、コーネルの研究から考えると、少し忘れることには意味があります。

覚えた直後にもう一度見ると、簡単に思い出せます。

ところが、これは記憶が強くなったというより、まだ情報が頭の中に残っているだけかもしれません。

少し時間を空けると、思い出すのが難しくなります。

そこで頑張って思い出すと、記憶はもう一度引っ張り出されます。

この「忘れかけたものを取り出す練習」が、長く覚えるために役立ちます。

たとえば、今日覚えた内容を、今日だけで十回繰り返すより、今日、明日、数日後というように分けて復習したほうが、長期的に残りやすくなることがあります。

脳からすると、少し面倒です。

「昨日も覚えたではありませんか。なぜまた呼び出すのですか」

しかし、この呼び出し作業が重要です。

記憶は、棚に置いて眺めるだけではなく、何度も取り出すことで使いやすくなります。

倉庫の奥にしまった道具も、定期的に取り出せば、どこにあるかすぐわかります。

一度しまったきりでは、

「たしか、この辺にあったはずですが」

と、記憶の倉庫番が迷子になります。

忘れたときに落ち込む必要はありません。

忘れたということは、次の練習を始める場所が見つかったということでもあります。

思い出せなかったら、答えを確認する。

少し時間を空け、また思い出す。

この繰り返しによって、記憶は少しずつ丈夫になります。

「わからない」と気づく力が、学習を支える

コーネルの研究では、自分が何を知り、何を知らないのかを判断する力も重要なテーマです。

勉強では、知識そのものだけでなく、自分の理解を点検する力が必要です。

「ここは説明できる」

「ここは見ればわかるが、自分では思い出せない」

「ここは、言葉だけ知っていて意味はよくわかっていない」

この違いに気づける人は、必要なところに時間を使えます。

ところが、自分の理解を正確に判断するのは意外と難しいものです。

教科書を見ながら説明すると、ほとんどの内容が理解できているように感じます。

答えが目の前にあるからです。

これは、料理のレシピを見ながら、

「この料理なら自分にも作れます」

と思うのに似ています。

しかし、いざ台所に立ってレシピを閉じると、

「最初は玉ねぎでしたか。それとも鍋でしたか」

ということが起こります。

本当に理解できているかを確かめるには、手がかりを減らしてみなければなりません。

何も見ずに説明する。

白紙に要点を書く。

人に教えるつもりで話す。

自分で問題を作る。

こうした方法を使うと、「わかったつもり」の部分が見えてきます。

少し怖い作業です。

自分の理解不足が、明るい場所に連れ出されるからです。

しかし、見つかった穴は埋められます。

見つからない穴は、試験や本番の日まで、床の下で静かに待っています。

「そのときになったら、お会いしましょう」

そんな穴に出会わないためにも、「わからない」と気づく力が必要なのです。

わからないことを認めるのは、能力の低さではありません。

学習を正しい方向へ進めるための案内板です。

学習の感触ではなく、時間がたったあとの成果を見る

コーネルの研究から得られる大きな教訓は、勉強法を評価するときに、その場の気分だけで決めないことです。

勉強直後には、

「簡単だった」

「わかりやすかった」

「気持ちよく進んだ」

という感想が出ます。

しかし、学習の目的は、気持ちよく勉強時間を終えることだけではありません。

必要なときに思い出し、使えるようになることです。

本当に効果があったかどうかは、少し時間がたったあとに確かめる必要があります。

翌日に説明できるか。

一週間後にも答えられるか。

初めて見る問題に応用できるか。

似た選択肢を見分けられるか。

こうした確認をすると、自分に合った学び方が少しずつ見えてきます。

これは仕事でも同じです。

研修を受けて「よくわかりました」と感じても、現場で使えなければ、まだ身についたとはいえません。

本を読んで感動しても、翌日には題名しか思い出せないことがあります。

会議で説明を聞き、理解したつもりでも、いざ一人で作業すると手が止まることもあります。

その場で納得したことと、自分でできることは違います。

だからこそ、学んだあとに小さく使ってみることが大切です。

人に説明する。

実際に作業する。

自分なりの例を考える。

失敗したら、どこで止まったかを確かめる。

知識は、頭に置いてあるだけでは、まだ借り物です。

使い、間違え、直すことで、少しずつ自分の道具になります。

「苦戦している自分」に、もう少し寛大になっていい

コーネルの研究は、学び方だけでなく、自分への見方にも大切な示唆を与えてくれます。

私たちは、うまくできないと、自分を責めます。

「どうして覚えられないのだろう」

「前にも勉強したのに」

「ほかの人はできているのに」

しかし、学習とは、本来、できないものをできるようにしていく過程です。

最初からできるなら、それは練習ではなく確認です。

思い出せない。

間違える。

混乱する。

少しずつわかる。

また忘れる。

もう一度思い出す。

学習は、一直線に階段を上るようなものではありません。

上ったと思ったら一段下がり、横道に入り、なぜか同じ場所へ戻ってきます。

脳はかなり自由な旅人です。

それでも、繰り返すうちに、以前より遠くまで行けるようになります。

だから、勉強中に苦戦しているとき、

「自分はだめだ」

と結論づける前に、

「いま、頭が学ぶ仕事をしているのかもしれない」

と考えてみてもよいのです。

もちろん、休むことも必要です。

苦しいほど続ければ、必ず成長するわけではありません。

疲れて集中できないときは、根性より睡眠のほうが役に立ちます。

大切なのは、苦戦を美化することではなく、苦戦だけを理由に自分を否定しないことです。

ネイト・コーネルの研究を生活に生かすなら

コーネルの研究を日常の勉強に取り入れるなら、特別な道具は必要ありません。

まず、読む時間を少し減らし、思い出す時間を増やします。

一節を読んだら、本を閉じて要点を話してみる。

問題を解く前に、答えを予想してみる。

同じ種類の問題だけでなく、違う種類の問題も混ぜる。

一日で終わらせず、日を分けて復習する。

そして、

「簡単だったから覚えた」

「難しかったから身についていない」

と、感覚だけで判断しないことです。

翌日や数日後に、もう一度確かめます。

思い出せなかったら、落ち込むのではなく、そこを復習します。

勉強は、自分の価値を証明する試験ではありません。

知らなかったことを、少しずつ知っていく作業です。

間違えた回数は、人としての減点ではありません。

理解へ向かう途中で残った足跡です。

ネイト・コーネルの研究は、私たちにこう語りかけているように思えます。

「勉強中の気分だけで、学習の成否を決めないでください」

スラスラ進まなくてもいい。

一度で覚えられなくてもいい。

間違えても、忘れても、そこからもう一度取り出せばいい。

脳は、楽をしたときよりも、少し考え、迷い、思い出そうとしたときに、深く学ぶことがあります。

私たちの頭の中には、ときどき早すぎる採点をする先生がいます。

一問間違えただけで、

「はい、才能なし」

一度うまく答えられただけで、

「はい、完全習得」

ずいぶん極端な先生です。

コーネルの研究は、その先生から赤ペンをそっと取り上げます。

そして、もう少し長い時間で学習を見ようとします。

今日できなかったことが、明日もできないとは限りません。

今日できたことが、一週間後にもできるとは限りません。

だからこそ、時間を空けて、何度も確かめる。

その地味な繰り返しの中で、知識は「わかった気がするもの」から、「自分で使えるもの」へ変わっていくのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ネイト・コーネル(Nate Kornell)の論文一覧

1.『自分の学びを自分で導くには?――勉強法への思い込み、学習テクニック、そして「わかったつもり」の罠』ロバート・アレン・ビョーク、ジョン・ダンロスキー、ネイト・コーネル(2013)

Bjork, R. A., Dunlosky, J., & Kornell, N.(2013). Self-Regulated Learning: Beliefs, Techniques, and Illusions. Annual Review of Psychology, 64, 417–444. DOI:10.1146/annurev-psych-113011-143823

「勉強は、やった時間が長いほど勝ちですよね?」「その前に、“やった気”と“身についた”を分けましょう」。この論文は、学習者が自分で勉強を管理するときに陥る、脳の早とちりを総点検します。読み返して安心する、同じ問題を続けてスラスラ解く、直後の手応えで実力を判定する。ところが記憶は、そんな自己申告に意外と厳しい。間隔を空ける、思い出す、問題を混ぜるなど、少し苦しい方法ほど後で効くこともあります。「楽だったから覚えた」は本当か。勉強法の人気投票に、三人の研究者がデータで静かにツッコミを入れる一篇です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
勉強しても覚えられない人へ|「わかったつもり」を防ぐ学び方
勉強しても覚えられない人へ|「わかったつもり」を防ぐ学び方
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