マイケル・D・ムラゼック(Michael D. Mrazek)の論文一覧:すぐ旅に出る心に「ちょっと今ここへ戻りません?」と声をかけたマインドフルネス研究者

マイケル・D・ムラゼック(Michael D. Mrazek)の論文を読む女性
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マイケル・D・ムラゼック(Michael D. Mrazek)のプロフィール

「よし、集中して仕事をしよう」

そう思って資料を開いた三十秒後。

「そういえば冷蔵庫にプリンがあったな」
「昨日の会話、あの返事でよかったのかな」
「ところでペンギンの膝はどこにあるんだろう」

気づけば、心は資料を置き去りにして遠足へ出ています。

マイケル・D・ムラゼックは、そんな勝手に旅へ出てしまう心を研究してきた心理学者です。

「集中力がないのは、本人の根性が足りないからです」

などと腕組みをするのではありません。

彼が考えたのは、もっと科学者らしく、そして少し親切な問いでした。

「注意を今この瞬間へ戻す練習をすれば、心の寄り道を減らせるのではないか?」

ムラゼックの研究は、集中力、心のさまよい、作業記憶、学習成績、心の健康といったテーマを扱っています。ひとことで表せば、頭の中で迷子になりやすい私たちに、帰り道を用意する研究です。

「心ここにあらず」を、ちゃんと研究してみた

授業を聞いているのに、昨日の失敗を思い出している。

本を読んでいるのに、目だけが文字の上を歩き、頭は別の場所にいる。

会議中なのに、昼ごはんの候補だけは驚くほど具体的に決まっていく。

このように、目の前の活動とは関係のないことへ考えが移ってしまう現象は、日本語では「心のさまよい」や「心ここにあらずの状態」などと表せます。

ムラゼックは、この心のさまよいと、今この瞬間に注意を向ける心の働きとの関係を研究しました。

ここで大切なのは、心がさまようこと自体を悪者にしていない点です。

人間の心は、もともと寄り道が得意です。過去を振り返ったり、未来を想像したり、まだ存在しないものを思い描いたりできるのも、その能力のおかげです。

ただし、試験中や仕事中にも心が勝手に観光へ出てしまうと、少々困ります。

「自由時間の旅は歓迎しますが、今は問題文を読んでください」

そんな交通整理が必要になるわけです。

ムラゼックたちは、呼吸などに注意を向け、考えがそれたことに気づいたら、やさしく注意を戻す練習について調べました。研究では、このような短い練習によって、その後の課題中に起こる心のさまよいが減る可能性が示されています。

二週間の練習で、集中力は変わるのか

ムラゼックの名前を広く知られるようにした研究の一つが、2013年に発表された、大学生を対象とする実験です。

参加者は、二週間にわたり、今この瞬間へ注意を戻すための訓練を受けました。

そして研究チームは、訓練の前後で、

「一時的に情報を頭に置きながら処理する力」
「文章を読み取る試験の成績」
「課題中にどれくらい別のことを考えていたか」

などを調べました。

その結果、訓練を受けた人たちは、情報を一時的に扱う力が向上し、米国の大学院進学に使われる試験の読解成績も改善しました。同時に、課題中の心のさまよいも減っていました。

つまり、

「落ち着いた気分になりました。以上です」

という話ではありません。

注意を戻す練習が、記憶や読解といった、勉強の土台にまで影響する可能性を示したのです。特に、もともと気がそれやすかった人ほど、心のさまよいが減ることと成績の改善が結びついていました。

もちろん、二週間練習すれば誰でも突然、試験問題が後光を放って見えるわけではありません。

しかしこの研究は、「集中力は生まれつき決まった性格ではなく、ある程度は練習できる能力なのではないか」という、希望のある見方を示しました。

集中力は、持っているか持っていないかの二択ではありません。

筋肉ほど目には見えませんが、使い方を覚え、少しずつ育てていけるものなのです。

心理学から教育、そして若者の心の健康へ

ムラゼックは2006年にライス大学で心理学を学び、2013年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校で心理・脳科学の博士号を取得しました。

その後、同大学で教員や研究員を務め、2015年から2022年まで「心を整える力と人間の可能性を研究するセンター」で研究部門を率いました。テキサス大学オースティン校を経て、2024年からはテキサス大学健康科学センター・ヒューストン校の公衆衛生大学院で准教授を務めています。現在は、若者の心の健康を研究する研究室の責任者でもあります。

彼の研究対象は、次第に大学生だけでなく、中学生や高校生へと広がっていきました。

若者の周りには、動画、交流サイト、ゲーム、通知、短い映像など、注意を引きつけるものが無数にあります。

少し退屈しただけで、画面の向こうから、

「こちらに面白いものがありますよ」
「その勉強、本当に今やる必要がありますか」
「新しい通知です。大した内容ではありませんが、気になりますよね」

と、誘惑の呼び込みがやってきます。

問題は、若者の意志が弱くなったことだけではありません。

人の注意を集めるために、非常に賢く設計された環境の中で暮らしていることにもあります。

そこでムラゼックは、若者に「もっと集中しなさい」と説教するのではなく、注意の仕組みを理解し、自分で注意を戻せるようにする教育方法を研究してきました。

集中力だけでなく、感情の扱い方も育てる

ムラゼックたちが開発した学校向けの学習プログラムでは、注意を戻す方法だけでなく、感情を整える方法や、出来事の受け止め方を見直す方法なども扱われています。

このプログラムは、これまでに五万人を超える生徒へ届けられています。高校生を対象とした研究では、注意の訓練を受けた生徒たちが、自分自身の集中力や感情を整える力について改善を報告しました。

ここには、彼の研究の大切な特徴があります。

集中力は、単にテストの点数を上げるための道具ではありません。

注意をどこへ向けるかは、気分や考え方にも影響します。

嫌な出来事を何度も頭の中で再放送してしまう。
他人と比べる材料ばかりを探してしまう。
失敗した瞬間だけを、心の拡大鏡で見つめ続けてしまう。

そんなとき、注意を扱う力は、心の中のチャンネルを選び直す助けになります。

もちろん、つらい感情を無理やり消す魔法ではありません。

「はい、悲しみは終了です」と電源を切ることもできません。

けれども、今どこに注意を奪われているのかに気づき、必要に応じて少し向きを変えることはできます。

ムラゼックの研究は、集中力を学力だけの問題ではなく、自分の心と付き合うための生活技術として捉えているのです。

人工知能の時代に「人間の注意」を研究する

現在のムラゼックは、若者の心の健康や教育に加えて、人工知能をどのように教育や公衆衛生へ生かすかというテーマにも取り組んでいます。

一見すると、静かに呼吸へ注意を向ける研究と、人工知能の研究は、ずいぶん遠く感じられるかもしれません。

片方は静かな部屋で目を閉じ、もう片方は画面の中で猛烈に計算している。なかなか同じ食卓には座らなそうな二人です。

しかし、両者の間には「注意」という共通点があります。

技術は、人の注意を細かく分断することもできます。

一方で、使い方しだいでは、心の状態に気づいたり、必要な訓練を多くの人へ届けたりする道具にもなります。

ムラゼックは現在、新しい技術を利用しながら、若者が集中力を取り戻し、心の健康を守り、自分なりの目的を見つける方法を研究しています。人工知能に人間の心を丸投げするのではなく、人間が自分の注意を取り戻すために技術を使おうとしているのです。

「集中できない自分」を責める前に

ムラゼックの研究を読んでいると、集中できない自分に対する見方が少し変わります。

気がそれるたびに、

「また駄目だった」
「自分には集中力がない」
「三分しか続かない。金魚にも負けている」

と落ち込む必要はありません。

大切なのは、気がそれない完璧な人間になることではないからです。

気がそれたことに気づき、もう一度戻る。

またそれたら、また戻る。

集中力とは、一本の道を一度も外れずに歩く能力ではありません。道を外れたあと、自分で帰ってこられる力です。

ムラゼックは、四十本を超える査読付き論文を発表しながら、心理学、教育、公衆衛生をまたいで、この「帰ってくる力」を研究してきました。

私たちの心は、これからもきっと旅に出ます。

会議中に夕食へ。
読書中に昔の失敗へ。
勉強中にペンギンの膝へ。

ムラゼックの研究は、そんな心を叱りつけるのではなく、静かにこう呼びかけます。

「旅に出ていましたね。では、そろそろこちらへ戻りましょうか」

参考文献・確認先:テキサス大学健康科学センター・ヒューストン校:Michael Mrazek 公式プロフィール / Mrazek研究室:論文・研究業績一覧 / Google Scholar:Michael Mrazek 論文・引用情報 / PubMed:Michael D. Mrazek 関連論文

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

マイケル・D・ムラゼック(Michael D. Mrazek)の研究から学べること

マイケル・D・ムラゼックの研究から学べることは、ひとことで言えば、集中力とは「一度も気がそれない力」ではなく、「それたあとに戻ってくる力」であるということです。

私たちは、集中できないとすぐに自分を責めます。

「また別のことを考えていた」
「自分は意志が弱い」
「三分も集中できないなんて、もうだめだ」

しかし、ムラゼックの研究を知ると、この見方が少し変わります。

心がそれるのは、人間としてかなり普通のことです。問題は、心が旅に出ることそのものではありません。旅に出たことに気づかないまま、頭の中で二泊三日の観光を始めてしまうことです。

資料を読んでいたはずなのに、気づけば十年前の失敗を思い出している。

「そういえば、あのときの言い方はまずかったな」

そこから、

「昔から自分はこうだった」
「これからもうまくいかないかもしれない」
「そもそも人生とは何なのか」

と話が広がり、資料は机の上で静かに老後を迎えます。

ムラゼックの研究は、そんな心に対して、怒鳴るのではなく、こう声をかけます。

「ずいぶん遠くまで行っていましたね。そろそろ戻りましょうか」

集中力は、才能ではなく練習できる

ムラゼックの研究で特に大きいのは、集中力を生まれつきの才能だけで決まるものとして扱っていない点です。

世の中には、最初から集中力が高そうに見える人がいます。

机に座ったら二時間動かない。
本を開いたら最後まで読む。
仕事中に携帯電話が鳴っても、まるで石仏のように動じない。

それを見ると、

「自分とは脳の製造会社が違うのではないか」

と思いたくなります。

しかし、ムラゼックたちの研究では、今この瞬間に注意を向け、気がそれたら戻す練習を重ねることで、心のさまよいが減り、記憶や読解に関わる成績が改善する可能性が示されました。

つまり、集中力は「あるか、ないか」だけではありません。

少しずつ扱い方を覚えられるものです。

大切なのは、長い時間ずっと集中し続けることではなく、注意がそれたときに気づくことです。

呼吸に注意を向ける。
目の前の文章に戻る。
相手の話をもう一度聞く。
手元の作業を一つだけ再開する。

この「戻る」という小さな動作を繰り返すことで、集中力は育っていきます。

集中力の練習というと、歯を食いしばって机にしがみつく姿を想像しがちです。

けれども実際には、もっと静かなものです。

気がそれる。
気づく。
戻る。

また気がそれる。
また気づく。
また戻る。

見た目は地味です。映画化しても、予告編がかなり静かになるでしょう。

しかし、この地味な往復運動こそが、注意を扱う土台になります。

「考えないようにする」ほど、考えてしまう

集中しようとするとき、私たちはよく、余計な考えを追い出そうとします。

「仕事以外のことを考えるな」
「不安になるな」
「失敗を思い出すな」

ところが、心は命令に少し反抗的です。

「白いクマを想像しないでください」と言われると、頭の中に白いクマが堂々と入場してきます。

「気にするな」と言われたことほど気になり、「忘れよう」としたことほど夜中に再放送されます。

ムラゼックの研究から学べるのは、考えを無理に消すよりも、考えが浮かんだことに気づき、注意を戻すほうが現実的であるということです。

たとえば、仕事中に明日の予定が気になったとします。

そこで、

「考えてはいけない。考えてはいけない」

と追い払おうとすると、明日の予定が頭の中で拡声器を持ち始めます。

そうではなく、

「今、明日のことを考えていたな」

と気づく。

必要ならメモを一行だけ書く。

そして、目の前の仕事へ戻る。

考えを敵として追い払うのではなく、来客として確認し、必要がなければお帰りいただくのです。

「ご訪問ありがとうございます。ただいま営業時間外です」

このくらいの距離感が、心にはちょうどよいのかもしれません。

集中できない自分を責めても、集中力は戻ってこない

集中が切れたとき、多くの人は、自分への反省会を始めます。

「また集中できなかった」
「自分は本当にだめだ」
「ほかの人はもっと頑張っている」

しかし、この反省会にも注意が使われています。

本来の作業から気がそれたうえに、自分を責めるために、さらに注意を持っていかれているのです。

これは、転んだ人に向かって、

「なぜ転んだんだ。転ばない人もいるぞ」

と説教を始めるようなものです。

必要なのは説教ではなく、まず立ち上がることです。

ムラゼックの研究を日常生活へ生かすなら、集中が切れたときの言葉を変える必要があります。

「まただめだった」ではなく、

「今、気がそれていた」

それだけで構いません。

そこに人格評価を加えないことです。

注意がそれたという出来事と、自分が価値のない人間だという結論は、まったく別の話です。

雨が降ったからといって、空に人格上の問題があるわけではありません。

同じように、注意がそれたからといって、人間として失格になるわけではないのです。

勉強では「読んだ時間」より「戻った回数」が大切

ムラゼックの研究は、勉強の仕方にも大きなヒントを与えてくれます。

本を一時間開いていたとしても、その間ずっと内容を理解していたとは限りません。

目は文章を追っている。

指はページをめくっている。

しかし頭の中では、

「夕食は何にしよう」
「昨日の動画の続きが気になる」
「旅行に行くなら温泉がいい」

と、別の会議が開かれていることがあります。

この状態では、「一時間勉強した」という記録は残りますが、内容はあまり残りません。

そこで大切なのが、ときどき自分に尋ねることです。

「今、何を読んでいたのか」
「この段落は何を言っていたのか」
「頭の中はどこへ行っていたのか」

内容を説明できなければ、注意が外れていた可能性があります。

そのときも、落ち込む必要はありません。

一つ前の段落へ戻ればよいのです。

勉強では、集中が切れた回数を数えるより、戻ってきた回数を数えたほうが前向きです。

五回気がそれたなら、五回戻ってきたということです。

これは敗北の記録ではありません。

帰還の記録です。

短い練習でも、やらないより意味がある

今この瞬間に注意を向ける練習というと、

「毎朝四時に起き、山の頂上で一時間座らなければならない」

という厳しい修行を想像する人もいるかもしれません。

しかし、日常生活で行うなら、もっと短くて構いません。

たとえば、一分だけ呼吸に注意を向ける。

息を吸っていることに気づく。
息を吐いていることに気づく。
別の考えが浮かんだら、それに気づく。
そして、また呼吸へ戻る。

うまく無心になる必要はありません。

むしろ、別のことを考えていたと気づいた瞬間こそが練習です。

「雑念が出たから失敗した」

ではありません。

雑念に気づかなければ、ただの心の旅行です。

雑念に気づいて戻れたなら、そこに練習が生まれます。

最初は一分でも長く感じるでしょう。

三十秒ほどで、

「これ、あと何秒だろう」

と思うかもしれません。

その考えに気づいて戻る。

「ちゃんとできているのかな」

と考え始めたことに気づいて戻る。

「終わったらお菓子を食べよう」

と考えている自分に気づいて戻る。

心が何度出かけても、そのたびに戻ればよいのです。

注意を守るには、環境も変えたほうがいい

ムラゼックの研究から学べることを、「本人が頑張れば集中できる」という話だけにしてはいけません。

現代の生活には、注意を奪う仕組みがあふれています。

通知音。
短い動画。
新着情報。
次々に表示されるおすすめ。
開いた覚えのない買い物のページ。

携帯電話は、こちらが集中しようとしているときにも、遠慮なく話しかけてきます。

「大切なお知らせです」

開いてみると、期限付き割引のお知らせだったりします。

集中力を育てることは大切ですが、同時に、集中しやすい環境をつくることも必要です。

作業中は通知を切る。
携帯電話を手の届かない場所へ置く。
机の上に必要なものだけを出す。
一度に複数の作業を進めない。
気になることは紙に書いて、あとで考える。

これは意志の弱さではありません。

雨の日に傘を差すのと同じです。

「雨に負けない精神力を身につける」と言って、ずぶぬれになる必要はありません。

環境を整えることも、立派な集中力の使い方です。

心のさまよいは、悪いことばかりではない

ただし、心がさまようことを完全になくそうとする必要もありません。

ぼんやりしているときに、よい考えが浮かぶこともあります。

過去の経験を整理したり、未来の計画を立てたり、新しい発想を生んだりするには、心の寄り道が役立つ場合もあります。

問題なのは、必要なときに戻れないことです。

休憩中に空想するのは自由です。

散歩中に考えが広がるのも悪くありません。

けれども、運転中や大切な会話中、試験中など、目の前へ注意を向ける必要がある場面では、戻る力が求められます。

つまり、目標は「一日中心を縛りつけること」ではありません。

心を自由に歩かせる時間と、目の前へ戻す時間を、自分で選べるようになることです。

心のさまよいは、放し飼いにすると家具をかじる犬のようなところがあります。

散歩は必要です。

ただし、道路へ飛び出しそうなときは、そっと引き戻さなければなりません。

集中力は、自分の人生を選び直す力でもある

注意をどこへ向けるかは、単なる作業効率の問題ではありません。

私たちが毎日見ているもの、考えていること、何度も思い出していることが、少しずつ心の形をつくります。

失敗ばかりに注意を向け続ければ、自分の人生が失敗だらけに見えてきます。

他人の成功ばかりを見続ければ、自分だけが遅れているように感じます。

一方で、自分が今日できたことや、目の前にいる人の言葉、小さな楽しみに注意を向けることもできます。

もちろん、注意を変えるだけで、すべての悩みが解決するわけではありません。

つらい現実を見ないふりすることとも違います。

ただ、私たちは、目の前にある無数の情報の中から、何に心を向けるかを少しずつ選び直せます。

ムラゼックの研究が教えてくれるのは、注意を戻す練習が、勉強や仕事の成績だけでなく、自分の心をどこへ連れていくかにも関わっているということです。

集中力とは、長時間机に座り続ける根性ではありません。

自分の心が今どこにいるのかに気づき、必要な場所へ連れ戻す力です。

心はこれからも、それます。

昨日の失敗へ行き、明日の不安へ行き、お昼の献立へ行きます。

それでも大丈夫です。

気づいたら戻ればよい。

またそれたら、また戻ればよい。

その小さな帰還を繰り返すうちに、私たちは少しずつ、自分の注意を自分の手へ取り戻していきます。

ムラゼックの研究は、集中できない私たちを責める研究ではありません。

むしろ、心が迷子になるたびに、帰り道は何度でも見つけられると教えてくれる研究なのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

マイケル・D・ムラゼック(Michael D. Mrazek)の論文一覧

1.『さまよう心を「今ここ」へ-マインドフルネス訓練がワーキングメモリ容量とGRE成績を向上させる』マイケル・D・ムラゼック、マイケル・S・フランクリン、ダワ・タルチン・フィリップス、ベンジャミン・ベアード、ジョナサン・W・スクーラー(2013)

Mrazek, M. D., Franklin, M. S., Phillips, D. T., Baird, B., & Schooler, J. W.(2013). Mindfulness Training Improves Working Memory Capacity and GRE Performance While Reducing Mind Wandering. Psychological Science, 24(5), 776–781. DOI:10.1177/0956797612459659

「勉強を始めたのに、気づけば夕飯のことを考えていました」。そんな“心の脱走癖”に、マインドフルネスは効くのでしょうか。ムラゼックたちは学生に2週間の訓練を実施。すると、課題中の心のさまよいが減り、情報を一時的に覚えて扱う力や、大学院進学試験の読解成績まで向上しました。つまり集中力は、根性だけでなく練習でも育つかもしれない。「私の脳、すぐ観光に行くんです」という人ほど、続きを読みたくなる論文です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
雑念で集中できないとき、マインドフルネスは役立つ?2週間の実験結果
雑念で集中できないとき、マインドフルネスは役立つ?2週間の実験結果
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