キャサリン・L・ミルクマン(Katherine L. Milkman)の論文一覧:人が「明日からやる」と言った、その明日を研究室で待ち伏せした行動科学者

キャサリン・L・ミルクマン(Katherine L. Milkman)の論文を読む女性
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キャサリン・L・ミルクマン(Katherine L. Milkman)のプロフィール

キャサリン・L・ミルクマンは、人間の「わかっているのに、なぜかできない」を研究している行動科学者です。

「運動したほうがいいのは、わかっている」

「貯金もしたほうがいい。早く寝たほうがいい。予防接種も受けたほうがいい」

そこまで理解しているのに、人はなぜソファから立ち上がれないのでしょうか。頭の中では立派な会議が開かれているのに、体はお菓子の袋を開けている。この人間らしい食い違いを、ミルクマンは経済学と心理学の両方から調べています。

現在は、アメリカのペンシルベニア大学ウォートン校で教授を務めています。ウォートン校は経営や経済の研究で知られる教育機関ですが、ミルクマンが扱うのは数字だけではありません。貯金、運動、学習、予防接種、差別など、私たちの生活や社会に深く関わる行動を、どうすればよりよい方向へ変えられるのかを研究しています。

人間を「意志が弱い」の一言で片づけない

行動できない人を見ると、私たちはつい「本人のやる気が足りないのでは」と考えてしまいます。

けれどもミルクマンの研究を読んでいると、やる気という言葉だけですべてを説明するのは、少々乱暴に思えてきます。たとえば、会社の売上が落ちた理由を「社員の気合不足です」で済ませたら、会議室の空気は一瞬で冬になります。それと同じで、行動できない理由にも、もう少し細かな仕組みがあるのです。

目の前の楽しさに負けてしまう。始めるのを先延ばしにする。予定そのものを忘れる。一度失敗すると「もう全部だめだ」と投げ出してしまう。

ミルクマンは、こうした障害をひとまとめにせず、「その人は、どこでつまずいているのか」を見分けることが大切だと考えます。つまり、根性を追加する前に、故障している場所を探しましょうという話です。冷蔵庫が冷えないときに、冷蔵庫へ励ましの言葉をかけても、たぶん牛乳はぬるいままです。

楽しみを人質にして、運動へ連れていく

ミルクマンの代表的な研究のひとつに、「楽しいこと」と「やるべきこと」を組み合わせる方法があります。

たとえば、続きが気になる小説の音声を、運動しているときだけ聴けるようにする。「運動は面倒だけれど、物語の続きは知りたい」という気持ちを利用して、運動する回数を増やそうというわけです。

研究では、魅力的な物語の音声を運動施設でしか聴けないようにした人たちは、比較対象となった人たちより、当初は運動施設へ通う回数が増えました。楽しみを禁止するのではなく、面倒な行動の荷台に乗せて運ぶ。いわば、心の中の「遊びたい係」と「ちゃんとしたい係」を同じバスに乗せる作戦です。

この方法のおもしろいところは、人間を聖人に改造しようとしていない点です。

「娯楽に負けるな」

「己を律せよ」

そんな精神論ではなく、「どうせ楽しみたいのなら、その気持ちに運動も手伝ってもらおう」と考える。欲望を追い出すのではなく、味方として雇うのです。人間の弱さに説教するのではなく、その弱さが働きやすい配置を考えるところに、ミルクマンの研究らしさがあります。

月曜日になると、少しだけ生まれ変わる

ミルクマンは、ヘンチェン・ダイ、ジェイソン・リースとともに、「新しい節目の効果」と呼ばれる現象も研究しました。

新年、月初め、週の始まり、誕生日、新学期など、時間の区切りを迎えると、人は新しい目標に取り組みやすくなるという現象です。

「今年こそ運動する」

「今月から節約する」

「月曜日から本気を出す」

人類が何度も口にしてきたこの言葉には、どうやらそれなりの心理的な理由がありました。研究では、週や月、年の始まり、誕生日などの節目のあとに、食事管理に関する検索、運動施設の利用、目標への取り組みが増えることが示されています。

時間の節目は、昨日までの自分と今日からの自分の間に、見えない仕切りを置いてくれます。

「あの失敗は、先月の私のものです」

「今日からは新しい私です」

少々都合のよい話ではありますが、この都合のよさが、人を前へ動かすことがあります。過去の失敗を消すことはできなくても、過去の部屋に置いて、新しい部屋へ移ることはできる。ミルクマンたちは、カレンダーが単なる日付の一覧ではなく、人の気持ちを切り替える小さな舞台装置になることを明らかにしました。

ただし、月曜日が来ただけで人生が自動的に整うわけではありません。月曜日は魔法使いではなく、せいぜい玄関の呼び鈴です。扉を開けて一歩を踏み出す仕組みまで用意してこそ、新しい始まりが役に立ちます。

ひとつの案に、全財産を賭けない

ミルクマンの研究には、「どの方法がいちばん効くのか、同じ条件でたくさん試してみよう」という姿勢があります。

彼女が共同で進めている「よりよい行動変化のための研究計画」では、多くの研究者や企業、組織と協力し、運動、貯金、学習、予防接種などを促す方法を大規模に比べています。ミルクマンは、この研究組織の共同創設者であり、共同責任者でもあります。

運動を促す大規模な研究では、6万人を超える人を対象に、54種類の方法が比較されました。その結果、研究者が「これは効くだろう」と予想した方法が、必ずしも実際に最も効果的とは限らないことがわかりました。

これはなかなか耳の痛い話です。

人間は、自分の考えに立派な服を着せるのが得意です。「これは絶対に成功する」と胸を張ります。しかし、実際に試してみると、絶対だったはずの案が、開始早々に靴ひもを踏んで転ぶことがあります。

だからこそ、ミルクマンは、少人数の研究だけで結論を急がず、異なる方法を同じ舞台で比べることを重視しています。行動を変える方法について、「有名な先生が言っているから」ではなく、「実際に比べたらどうだったのか」を見る。その姿勢は、科学を実生活へ届けるうえで、とても大切です。

研究室の外へ出て、人が暮らす場所で確かめる

ミルクマンの研究は、大学の実験室だけで完結しません。

運動施設、病院、学校、銀行、企業など、実際に人が生活し、迷い、忘れ、先延ばしをしている場所で研究を行います。人間は、静かな実験室では立派な判断をしても、帰宅してソファに座った瞬間、別の生き物になることがあります。そのため、現実の生活の中でも効果があるかどうかを確かめなければなりません。

彼女はこれまで、アメリカ政府、グーグル、ウォルマート、国防総省、赤十字など、多くの組織と行動変化について協力したり、助言したりしてきました。研究成果を論文棚で眠らせず、社会の仕組みへつなげようとしているのです。

数字に強いけれど、研究しているのは人間の弱さ

ミルクマンは、プリンストン大学で数理的な問題解決やアメリカ研究を学び、その後、ハーバード大学で計算機科学と経営に関する博士号を取得しました。

経歴だけを見ると、数字の大海を電卓一枚で渡りきりそうな人物です。

しかし、彼女が数字を使って見つめているのは、きわめて人間くさい問題です。

なぜ私たちは、未来の健康より今日のお菓子を選ぶのか。

なぜ大切な予定を忘れるのか。

なぜ一度失敗すると、すべてを投げ出したくなるのか。

なぜ「変わりたい」と願いながら、昨日と同じ行動を繰り返すのか。

ミルクマンの研究は、人間の矛盾を笑いものにするのではなく、その矛盾を前提として、どうすれば少し動きやすくなるかを考えます。

「変われない人」ではなく、「方法が合っていない人」

ミルクマンは、行動変化についての一般向け著書も発表しています。その本では、衝動、先延ばし、忘れやすさ、自信のなさなど、変化を妨げる障害によって、必要な対策は異なると説明しています。この本は広く読まれ、二〇二一年には『ニューヨーク・タイムズ』が選ぶ健康的な生活に役立つ八冊のひとつに選ばれました。

彼女の考え方から見えてくるのは、「誰にでも効く万能な方法はない」ということです。

先延ばしに困っている人へ、忘れないための方法だけを渡しても、あまり役に立ちません。自信を失っている人へ、予定表を細かく作るよう勧めても、予定表の完成度だけが上がり、本人は動けないかもしれません。

大切なのは、「自分はだめだ」と判決を下すことではなく、「どこで止まっているのだろう」と調べることです。

行動できない日は、人格が壊れているのではありません。目標へ向かう道の途中に、段差があるだけかもしれない。その段差に気づけば、階段をつけたり、回り道を探したりできます。

キャサリン・L・ミルクマンは、人間を強い意志の持ち主へ改造する研究者というより、弱い意志のままでも少し進める道を探している研究者です。

やる気が逃げたら、追いかけ回さない。楽しみと結びつける。節目を使う。忘れるなら思い出せる仕組みをつくる。失敗したら、次の一歩を小さくする。

人間は、理想どおりには動きません。

けれども、理想どおりに動かない人間の仕組みを知れば、昨日よりほんの少し動きやすい環境はつくれる。

ミルクマンの研究は、三日坊主の私たちへ、説教ではなく設計図を渡してくれるのです。

参考文献・確認先:ペンシルベニア大学ウォートン校:キャサリン・L・ミルクマン公式プロフィール / Google Scholar:キャサリン・L・ミルクマン 論文・引用情報 / PubMed:キャサリン・L・ミルクマン関連論文

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

キャサリン・L・ミルクマン(Katherine L. Milkman)の研究から学べること

キャサリン・L・ミルクマンの研究から学べることは、ひとことで言えば、「人は、正しいことを知っただけでは動かない」ということです。

これは、少々耳の痛い話です。

私たちはつい、知識が増えれば行動も変わると思っています。

「運動不足は体によくありません」

「貯金は早く始めましょう」

「夜更かしをすると翌日に響きます」

はい、全部知っています。こちらも大人ですから、そのくらいは承知しております。

ところが夜になると、布団へ行くはずだった足が、なぜか冷蔵庫へ向かう。貯金するはずのお金が、期間限定という四文字に連れ去られる。運動着を買ったことで、すでに少し運動したような気分になる。

人間とは、知識を持ちながら、その知識の横を平然と通り過ぎる生き物です。

ミルクマンの研究は、そんな私たちを「意志が弱い」と叱るのではなく、「では、どういう仕組みなら動きやすくなるのか」と考えます。

ここに、私たちの日常へ持ち帰れる大切な学びがあります。

学べること1 動けない理由を、全部「やる気不足」にしない

何かを続けられないとき、私たちはすぐに自分を責めます。

「私は根性がない」

「また三日坊主だ」

「どうして普通の人みたいにできないんだろう」

けれども、ミルクマンの研究から学べるのは、行動できない原因は一種類ではないということです。

面倒だから動けない人もいれば、忘れてしまう人もいます。失敗が怖くて始められない人もいれば、目の前の誘惑に負けてしまう人もいる。何をすればよいか決まっていない人もいれば、予定を詰め込みすぎて動けなくなる人もいます。

つまり、「できない」という同じ結果でも、中で起きていることは別々なのです。

たとえば、料理ができあがらないからといって、すべて火力のせいとは限りません。

材料が足りないのかもしれない。鍋が小さすぎるのかもしれない。そもそも料理を始めず、献立表だけを三時間眺めているのかもしれない。

原因が違えば、必要な対策も変わります。

忘れる人には、思い出す仕組みが必要です。

先延ばしする人には、「いつやるか」を具体的に決める必要があります。

誘惑に負けやすい人には、誘惑を遠ざけるか、よい行動と結びつける工夫が必要です。

自信を失っている人には、いきなり大きな目標を渡すのではなく、小さく成功できる一歩が必要です。

ここで大事なのは、「私はだめな人間だ」と人格を診断しないことです。

診断するなら、自分ではなく状況です。

「私は意志が弱い」ではなく、

「仕事から帰った直後は疲れていて、運動を始めにくい」

「予定を頭の中だけで管理すると忘れる」

「目標が大きすぎると、最初の一歩がわからなくなる」

こう言い換えるだけで、問題は少し扱いやすくなります。

人格は取り替えにくいですが、予定や環境なら動かせます。

ミルクマンの研究は、「自分を責める前に、どこで止まっているかを調べましょう」と教えてくれるのです。

学べること2 楽しいことを、悪者にしなくていい

何かを続けようとするとき、私たちはしばしば楽しみを敵に回します。

「動画を見るのをやめよう」

「お菓子を我慢しよう」

「遊んでいる場合ではない」

こうして、目標へ向かう自分と、楽しみたい自分の間に戦争が始まります。

ところが困ったことに、楽しみたい自分はかなり強い。しかも二十四時間、自宅待機しています。

正しい自分が一時間ほど熱弁したあと、楽しみたい自分が「それはそうと、動画一本だけ見ませんか」と話しかけてくる。気づけば夜です。

ミルクマンの研究から学べるのは、楽しみを追放するのではなく、やるべきことと組み合わせる方法です。

たとえば、好きな物語の音声は散歩中だけ聴く。お気に入りの番組は、洗濯物を畳みながら見る。少し高級な飲み物は、勉強するときだけ用意する。

面倒な行動の隣に、小さな楽しみを座らせるのです。

すると、これまで「やらなければならないもの」だった行動に、「ちょっとやりたい理由」が加わります。

運動そのものを愛せなくても構いません。

家計簿を見るたびに胸が躍らなくても大丈夫です。

人間は、すべてのよい行動を心の底から好きになる必要はありません。苦手なものに、好きなものの手を借りればよいのです。

これは、楽しみに負けたのではありません。

楽しみを職員として採用したのです。

ただし、組み合わせる楽しみが強すぎると、そちらだけに持っていかれるので注意が必要です。

「掃除をしながら動画を見る」と決めたのに、動画に集中しすぎて、同じ机を四十分拭き続けることもあります。

大切なのは、やるべき行動を邪魔しない楽しみを選ぶことです。

散歩と音声、単純作業と音楽、学習と好きな飲み物など、同時に成立する組み合わせを考えるとよいでしょう。

目標達成は、苦しんだ人だけが入場できる大会ではありません。

少しくらい楽しくしてよい。

むしろ、長く続けるためには、楽しさが必要なのです。

学べること3 始める日は、少し選んでもいい

ミルクマンたちの研究では、新年、月の初め、週の初め、誕生日などの節目に、人は新しい行動を始めやすくなることが示されています。

これは、私たちの感覚にもよく合います。

十二月二十八日に目標を立てるより、一月一日のほうが、なぜか気合が入ります。

火曜日に「生活を変えよう」と思うより、月曜日のほうが新しい感じがする。

誕生日を迎えると、「ここからの一年は少し違う自分でいたい」と考えることもあります。

カレンダーは紙ですが、ときどき心の仕切り板になります。

「ここまでが以前の自分」

「ここからが新しい自分」

そう区切ることで、過去の失敗を少し遠くへ置けるのです。

たとえば、先月に運動を一度もできなかったとしても、月が変われば「今月は今月」と考えやすくなります。

もちろん、日付が変わっただけで能力が突然増えるわけではありません。

一月一日に目を覚ましても、腹筋が勝手に百回始まることはありません。

節目は、人生を変えてくれる魔法ではなく、「始めるなら今ですよ」と知らせる鐘のようなものです。

その鐘が鳴ったとき、行動へ移れるように準備しておくことが大切です。

月曜日から運動すると決めたなら、日曜日のうちに服を準備する。

来月から貯金すると決めたなら、自動的に別の口座へ移す設定をしておく。

誕生日から日記を始めるなら、前日にノートを机へ置いておく。

節目と具体的な準備を組み合わせることで、「今度こそ」が空中に消えにくくなります。

また、節目は新年や誕生日のような大きなものでなくても構いません。

月曜日、月初め、季節の変わり目、引っ越し、新しい手帳を使い始めた日、髪を切った日。

自分にとって「ここから」と感じられるなら、それは小さな出発点になります。

人生は、年に一度しか再出発できない仕組みではありません。

私たちは何度でも、こっそり開店し直してよいのです。

学べること4 予定は「いつか」ではなく、「いつ、どこで」にする

「運動しようと思っています」

「時間ができたら勉強します」

「近いうちに病院へ行きます」

このような言葉は、本人としてはかなり前向きです。

ところが、予定表から見ると、ほぼ白紙です。

「いつか」という日は、曜日の一覧に載っていません。

ミルクマンの研究を含む行動科学から学べるのは、行動を具体的な予定へ変えることの大切さです。

何をするかだけでなく、いつ、どこで、どのように始めるかまで決めます。

「運動する」ではなく、

「火曜日と木曜日の午後七時に、夕食前に十五分歩く」

「勉強する」ではなく、

「平日の朝七時半に、食卓で問題集を二ページ進める」

「病院へ行く」ではなく、

「明日の昼休みに電話して、来週の予約を取る」

ここまで具体的になると、頭の中で行われていた相談が、ようやく現実の予定表へ引っ越してきます。

人は、行動そのものが嫌で先延ばししているとは限りません。

「いつやればよいかわからない」

「始めるまでの手順が多い」

「判断することが残っている」

こうした小さな未決定が、行動の前に立ちはだかっていることがあります。

人間の脳は、毎回その場で決めることが苦手です。

仕事から帰ってから、「さて、今日は運動するべきだろうか」と会議を始めると、疲れている自分が議長になります。

すると、たいてい次のような結論が出ます。

「本日は慎重な協議の結果、見送ることとなりました」

だからこそ、元気なときに予定を決めておくのです。

行動の直前に考えることを減らすほど、始めやすくなります。

学べること5 記憶力より、思い出せる仕組みを信用する

人は意外と忘れます。

重要な書類、薬を飲む時間、申し込みの締め切り、家族に頼まれた買い物。

忘れたくて忘れているわけではありません。むしろ「これは大事だから覚えている」と思ったものほど、きれいに抜け落ちることがあります。

脳は、ときどき妙な整理をします。

昨日見た猫の動画は鮮明に残しているのに、提出期限は静かに処分している。

ミルクマンの研究から学べるのは、忘れないように努力するより、思い出せる仕組みをつくることです。

携帯電話の通知を設定する。

玄関に持ち物を置く。

薬を朝食の食器の近くに置く。

家を出る時間に合わせて、予定を知らせる。

いつもの行動と、新しい行動を結びつける。

「朝の歯磨きが終わったら薬を飲む」

「昼食を食べたら五分だけ歩く」

「仕事用のパソコンを閉じたら、翌日の予定を確認する」

すでに身についている行動を合図にすると、新しい行動を思い出しやすくなります。

これは、自分の記憶力を信用しないという悲しい話ではありません。

記憶力を、大切な仕事から解放する話です。

頭の中だけで全部を管理しようとすると、脳は常に荷物を抱えることになります。

忘れてはいけないことを外へ出して、通知や付箋、予定表、物の配置に任せる。

すると、脳は少し身軽になります。

「忘れない人」になろうとするより、「忘れても思い出せる生活」をつくる。

そのほうが、現実的でやさしい方法です。

学べること6 意志の強さより、環境を整える

私たちは、目標を達成するには強い意志が必要だと思いがちです。

誘惑を見ても我慢する。

疲れていても頑張る。

眠くても続ける。

たしかに、そのような力が必要な場面はあります。

しかし、毎日それを続けるのは大変です。

意志の力は、体調や気分、忙しさに影響されます。よく眠れなかった日、仕事で疲れた日、人間関係で消耗した日には、未来のために我慢する力が弱くなります。

そこで大切になるのが、意志を使わなくてもよい環境です。

お菓子を減らしたいなら、目の前に置かない。

携帯電話を触りすぎるなら、作業中は別の部屋に置く。

朝に運動したいなら、前夜に服と靴を準備する。

貯金したいなら、給料日に自動的に移す。

勉強したいなら、机の上から関係のない物をどける。

これらは、地味です。

映画で描かれる主人公の修行場面には、あまり登場しません。

「主人公、前日の夜に靴下を準備する」

これでは音楽も盛り上がりにくいでしょう。

しかし、現実の行動変化では、この地味さが強いのです。

誘惑と毎回正面から戦うより、そもそも戦わなくてよい配置にする。

選択する回数を減らし、望ましい行動が自然に目へ入るようにする。

これは逃げではありません。

自分の弱点を知ったうえで、勝ちやすい場所へ試合会場を移しているのです。

人間は、環境から多くの影響を受けます。

だから、自分を変えたいときには、自分の心だけでなく、自分の周りも見直す必要があります。

学べること7 失敗したら、人生全体を閉店しない

新しい習慣を始めても、毎日完璧に続けることは難しいものです。

運動を一日休む。

日記を書き忘れる。

貯金の予定だったのに、思わぬ出費がある。

ここで人間の心は、かなり大きな判決を出しがちです。

「一日できなかった。つまり、この計画は失敗だ」

一日休んだだけなのに、計画全体が閉店します。

シャッターには「長い間ありがとうございました」と書かれています。まだ開店三日目です。

ミルクマンの研究、とくに節目に関する研究から学べるのは、再出発を上手に使うことです。

失敗した日を、すべてが終わった日として扱わない。

次の朝、次の週、次の月を、小さな再開地点にする。

「昨日できなかったから、今日は一分だけやる」

「先週は崩れたから、月曜日から予定を軽くして始める」

「今月は使いすぎたから、来月は自動貯金の額を少し下げて続ける」

目標を達成する人は、一度も失敗しない人ではありません。

失敗のあとに、戻ってくる回数が多い人です。

大切なのは、転ばないことではなく、転んだあとに地面で住所変更をしないことです。

休んでもよい。崩れてもよい。

ただし、そこで暮らし始めない。

再開しやすい小さな入り口を残しておくことが大切です。

学べること8 自分に合う方法は、実際に試して確かめる

世の中には、行動を変える方法がたくさんあります。

朝に行動する。

目標を紙に書く。

人へ宣言する。

記録をつける。

ごほうびを用意する。

細かく予定を立てる。

どれも、誰かには役立つ方法です。

しかし、全員に同じように効くとは限りません。

ミルクマンの大規模な研究から見えてくるのは、専門家が「これは効きそうだ」と考えた方法でも、実際に比べてみると予想どおりではないことがあるという点です。

つまり、人間の行動は、頭の中で考えるほど単純ではありません。

そこで私たちも、自分の生活を小さな実験として見ることができます。

「朝に運動すると続くのか、夜のほうがよいのか」

「毎日十分するのと、週三回三十分するのでは、どちらが合うのか」

「記録をつけると励みになるのか、負担になるのか」

「ごほうびがあると動けるのか、逆にごほうびだけが目的になるのか」

一週間や二週間ほど試して、結果を見ます。

続かなかったからといって、自分を失敗作にしない。

「この方法は、私には合わなかった」と考えるのです。

これは、とても大きな違いです。

方法が合わなかっただけなのに、自分の価値まで下げる必要はありません。

靴のサイズが合わなかったとき、「私の足は人間失格だ」とは思わないでしょう。

別の靴を探します。

行動の方法も同じです。

自分に合う大きさ、時間、場所、楽しさを探していけばよいのです。

変わるために、自分を嫌いになる必要はない

キャサリン・L・ミルクマンの研究を読んでいると、行動を変えることは、自分を厳しく叱り続けることではないとわかります。

できない理由を調べる。

楽しいことを味方につける。

節目を使って再出発する。

予定を具体的に決める。

思い出せる仕組みをつくる。

環境を整える。

失敗しても、小さく戻る。

方法が合わなければ、別の方法を試す。

どれも、人間を鋼のように強くする方法ではありません。

むしろ、人間が疲れたり、忘れたり、誘惑に負けたりすることを前提にしています。

そこが、この研究のおもしろさであり、やさしさでもあります。

私たちは、変わりたいと思うと、自分の弱い部分を取り締まろうとします。

「怠けるな」

「もっと頑張れ」

「こんなこともできないのか」

しかし、心の中に厳しい監督を雇っても、生活がよくなるとは限りません。監督だけが元気になり、本人は疲れ果てることもあります。

必要なのは、叱る声を大きくすることではなく、行動しやすい道をつくることです。

坂道が急なら、根性を増やすより、傾斜をゆるやかにする。

荷物が重いなら、「持てるはずだ」と叫ぶより、小分けにする。

忘れるなら、覚え続けるのではなく、思い出せる合図を置く。

人は、意思だけで変わるのではありません。

時間、場所、楽しみ、仕組み、環境、そして再出発できるきっかけに助けられながら、少しずつ変わっていきます。

ミルクマンの研究が教えてくれるのは、「あなたに足りないのは、根性ではないかもしれない」ということです。

まだ、自分に合った仕組みが見つかっていないだけかもしれない。

そう考えると、三日坊主も少し違って見えてきます。

三日しか続かなかったのではありません。

三日間の実験で、「このやり方では四日目が難しい」とわかったのです。

ならば次は、四日目を越えやすい仕組みを加えればよい。

人間は、失敗をしないことで変わるのではありません。

失敗から、自分の扱い方を少しずつ学ぶことで変わります。

キャサリン・L・ミルクマンの研究は、そのための設計図を、私たちの日常へそっと差し出してくれているのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

キャサリン・L・ミルクマン(Katherine L. Milkman)の論文一覧

1.『フレッシュスタート効果:「時間の節目」が、なりたい自分への一歩を後押しする』ヘンチェン・ダイ、キャサリン・L・ミルクマン、ジェイソン・リース(2014)

Dai, H., Milkman, K. L., & Riis, J.(2014). The Fresh Start Effect: Temporal Landmarks Motivate Aspirational Behavior. Management Science, 60(10), 2563–2582. DOI:10.1287/mnsc.2014.1901

「月曜日から本気を出す」「来月こそ貯金する」「誕生日を機に生まれ変わる」。はい、人類おなじみの再出発宣言です。でもこれ、ただの気分ではありません。ダイ、ミルクマン、リースは、新年や月初め、週の始まり、誕生日などの“時間の節目”が、運動や目標への挑戦を後押しすることを明らかにしました。カレンダーは予定表ではなく、過去の自分と今日の自分の間に線を引く装置だったのです。「昨日までの私は旧型です」と言いたくなる心の正体を、データでのぞく一篇です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
新しいことを始めるタイミングはいつ?節目がやる気を生む理由
新しいことを始めるタイミングはいつ?節目がやる気を生む理由
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