カール・アンダース・エリクソン(Karl Anders Ericsson)の論文一覧:才能に「座って見てないで、練習メニューを出してください」と迫った熟達研究の巨人

カール・アンダース・エリクソン(Karl Anders Ericsson)の論文を読む女性
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カール・アンダース・エリクソン(Karl Anders Ericsson)のプロフィール

カール・アンダース・エリクソンは、ひと言でいえば、「天才ですね」のひと言で話を終わらせなかった心理学者です。

すばらしい演奏を聴いたとき、私たちはつい言います。

「この人は、生まれつき才能があったんでしょうね」

名人の技を見たときも、こう片づけがちです。

「持っているものが違うから、まねできないよ」

ところがエリクソンは、その便利な“才能箱”にふたをする前に、ぐいっと手を差し込みました。

「ちょっと待ってください。その人は、これまで何を、どのように練習してきたのでしょう?」

天才を遠くから拝むのではなく、練習室の扉をそっと開け、舞台裏に積み上がった失敗や修正の跡を調べた人。それが、熟達研究の第一人者として知られるカール・アンダース・エリクソンです。

スウェーデンから「達人の舞台裏」へ

エリクソンは1947年に生まれたスウェーデン出身の心理学者です。1976年にストックホルム大学で博士号を取得した後、アメリカのカーネギーメロン大学で研究を続けました。そこでは、ノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンらとともに、人が問題を解くとき、頭の中で何を考えているのかを調べる研究に取り組みました。

とはいえ、人間の頭には、残念ながら「思考を表示する画面」がついていません。

「ただいま脳内では、候補Aと候補Bを比較しております」

などと字幕が出てくれれば、心理学者はずいぶん楽なのですが、現実の脳はだんまりです。

そこでエリクソンたちは、課題に取り組んでいる人に、考えていることをできるだけそのまま口に出してもらい、その言葉を分析する方法を整えていきました。これは、結果だけを見るのではなく、答えにたどり着くまでの思考の道筋を調べる方法です。名人の頭の中に小さな実況席を設けるような研究だったといえるでしょう。

記憶力は、生まれつき決まっているのか

若いころのエリクソンは、記憶の達人についても研究しました。

普通の人が一度に覚えられる数字の数には、ある程度の限界があります。電話番号を聞いている途中で、

「ええと、最初は何番でしたっけ?」

となるのは、脳が怠けているからではありません。短い時間だけ情報を置いておく記憶には、もともと容量の制約があるからです。

ところが、訓練を重ねると、一般的な限界を大きく超えるほど数字を覚えられる人が現れます。エリクソンは、こうした人々が巨大な記憶箱を生まれつき持っているのではなく、数字を意味のあるまとまりに変えたり、長く蓄えられる記憶と結びつけたりする工夫を身につけていることに注目しました。

つまり、達人の頭は、最初から特別製の倉庫だったとは限りません。

普通の倉庫に棚を作り、分類札を貼り、必要なものをすぐ取り出せる仕組みを整えた結果、外から見ると「なんですか、その超能力は」となるわけです。

この視点は、後の熟達研究にもつながっていきました。

「長くやっている人」と「上達した人」は同じではない

エリクソンが問い続けたのは、経験年数の長さではありません。

十年間料理をしている人が、必ずしも一流の料理人になるわけではありません。二十年間車を運転していても、毎朝ハンドルを握るたびに新しい技術を獲得している人は、そう多くないでしょう。

「二十年やっています」

という言葉は、場合によっては、

「一年分の経験を、二十回繰り返しました」

という意味にもなります。少々耳が痛い話です。

エリクソンは、ただ経験を積むことと、能力を高めるために設計された練習とを分けて考えました。長く続ければ自動的に達人になるのではなく、自分の弱点に向き合い、修正を繰り返す練習が必要だと考えたのです。

上達の鍵は「限界的練習」

エリクソンの名前とともに広く知られるようになったのが、限界的練習という考え方です。

これは、ただ同じことを何度も繰り返す練習ではありません。

たとえば、ピアノで得意な曲だけを気持ちよく弾き続けるのは楽しいものです。しかし、それだけでは苦手な指の動きは、いつまでも物陰に隠れたままです。

限界的練習では、現在の自分には少し難しい課題に取り組みます。改善する部分をはっきりさせ、先生や指導者から具体的な助言を受け、間違いを修正し、もう一度試します。

「できました。気持ちいいですね」

で終わるのではなく、

「では次に、うまくできなかった三小節だけを練習しましょう」

と、喜びの余韻が残っているうちに弱点を連行してくる練習です。

あまり気楽ではありません。むしろ、集中力を使い、失敗とも顔を合わせるため、かなり疲れます。しかしエリクソンは、こうした目的のはっきりした練習こそが、能力を一段ずつ押し上げると考えました。

バイオリン奏者の練習時間を調べる

1993年、エリクソンはラルフ・クランペ、クレメンス・テッシュ=レーマーとともに、熟達における練習の役割を論じた研究を発表しました。

この研究では、音楽学校のバイオリン専攻者などを対象に、これまでどのような練習をどのくらい行ってきたのかを調べました。そして、高い演奏水準に達した人ほど、長い年月にわたって、一人で集中して技能を高める練習に多く取り組んできた傾向が示されました。

ここで大切なのは、単にバイオリンを手に持っていた時間ではありません。

楽器を抱えてテレビを見ていた時間は、残念ながら熟達の貯金には入りません。

演奏会に出た時間や、最初から最後まで気持ちよく曲を弾いた時間とも違います。うまくできない箇所を取り出し、集中して直す。先生から指摘を受け、弾き方を変える。そのような、上達を目的として組み立てられた練習が重視されました。

「一万時間やれば天才」の人ではありません

エリクソンの研究は、やがて「一万時間の法則」という言葉と結びつけて広く知られるようになりました。

「どんな分野でも、一万時間練習すれば一流になれる」

この説明は覚えやすく、希望もあります。数字がきれいなので、手帳にも書きやすい。しかし、エリクソン本人からすると、

「話を丸くまとめすぎです」

と言いたくなる内容でした。

バイオリン奏者の研究に出てくる一万時間は、二十歳ごろまでの練習時間の平均であり、全員に共通する合格線ではありません。また、必要な時間は分野や目標によって異なります。何より重要なのは時間の合計だけではなく、どのような質の練習をしたのかという点です。

極端にいえば、間違ったフォームで一万時間練習すれば、「間違ったフォームを非常になめらかに再現できる人」が完成するかもしれません。

エリクソンが伝えたかったのは、努力の量を競う話ではなく、努力の中身を設計する話でした。

音楽だけでなく、医療、スポーツ、チェスへ

エリクソンの研究対象は、音楽家だけではありませんでした。

チェスの名人、スポーツ選手、医療従事者、記憶の達人、仕事の専門家など、さまざまな分野で、人がどのように高い技能を身につけ、維持しているのかを調べました。フロリダ州立大学では心理学教授を務め、熟達と技能獲得の研究を進めるとともに、この分野をまとめた大規模な専門書の編集にも携わりました。

彼の研究姿勢には、少し職人気質があります。

「一流の人は、自信があります」

「達人は、直感で動きます」

といった、ふんわりした説明だけでは満足しません。

本当に一流なら、同じ条件で繰り返し高い成果を出せるのか。どんな課題で初心者との差が現れるのか。その力は、どのような訓練によって身についたのか。

天才を神秘の霧で包むのではなく、測れる課題を用意して、実際の働きを確かめようとしました。達人を祭壇から研究室へ連れてきた、と表現してもよいでしょう。

練習だけですべてが決まるのか

ただし、エリクソンの考えが「努力さえすれば、誰でも必ず世界一になれる」という意味だったと受け取るのは注意が必要です。

その後の研究では、目的を持った練習は上達に重要である一方、成績の違いを練習だけですべて説明できるわけではないという議論も行われています。分野によって練習の影響の大きさは異なり、認知能力、身体的条件、性格、指導環境、始めた時期、経済的な機会など、多くの要因が関わると考えられています。

けれども、これはエリクソンの研究が無意味になったという話ではありません。

むしろ彼は、「才能があるか、ないか」という動かしにくい問いから、私たちの視線を少し移してくれました。

「自分には才能があるでしょうか」

と天井を見上げて悩む代わりに、

「次に直すべき点は、どこでしょうか」

と手元を見る。

この問いなら、今日から扱うことができます。

才能の正体を、練習室まで追いかけた人

エリクソンは1992年にフロリダ州立大学へ移り、その後も長く熟達研究を続けました。2020年6月、72歳で亡くなりましたが、「一流の能力はどのように作られるのか」という彼の問いは、現在も心理学、教育、医療、音楽、スポーツなど幅広い分野で議論され続けています。

彼が残した大切な視点は、才能を完全に否定することではありません。

すごい人を見たときに、

「生まれつき違うから」

と、そこで観察をやめないことです。

何を繰り返したのか。誰から助言を受けたのか。どんな失敗を直したのか。どれほど長い年月をかけて、自分の能力を作り替えてきたのか。

天才の舞台には、まぶしい照明が当たります。しかし、その裏側には、誰にも見られない練習時間と、何度も書き直された設計図があります。

カール・アンダース・エリクソンは、その暗い舞台裏に懐中電灯を持って入り、

「才能の話をする前に、ここに積まれた練習を見てください」

と教えてくれた心理学者なのです。

参考文献・確認先:フロリダ州立大学心理学部:カール・アンダース・エリクソン公式紹介 / Google Scholar:カール・アンダース・エリクソンの論文・引用情報 / PubMed:カール・アンダース・エリクソン関連論文

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

カール・アンダース・エリクソン(Karl Anders Ericsson)の研究から学べること

カール・アンダース・エリクソンの研究から学べることは、ひと言でいえば、上達は「才能がある人だけの秘密クラブ」ではないということです。

私たちは、何かが上手な人を見ると、ついこう言いたくなります。

「この人は才能があるからね」

なるほど。たしかに才能というものはあるでしょう。体格、反応の速さ、記憶力、育った環境。人によって出発地点は同じではありません。

ただし、ここで「才能が違うから仕方ない」と話を閉じてしまうと、脳内会議がわずか三秒で終了します。

「才能がありませんでした。解散」

これでは、あまりにも早すぎます。

エリクソンは、そこで椅子を引きました。

「もう少し調べましょう。その人は、どんな練習をしてきたのでしょうか」

彼が注目したのは、達人のまぶしい本番ではなく、その裏側にある地味な練習でした。拍手も照明もない部屋で、同じ箇所を何度もやり直す。間違いを指摘される。うまくいかない。少し直す。また失敗する。

華やかな達人の足元には、だいたい失敗の破片が山ほど落ちています。

ただ長く続けるだけでは、上達しない

エリクソンの研究からまず学べるのは、経験年数と実力は、必ずしも同じではないということです。

「この仕事を二十年やっています」

これは立派なことです。しかし、二十年間ずっと上達し続けたとは限りません。

場合によっては、最初の一年で身につけたやり方を、残りの十九年間繰り返していることもあります。

自動車の運転を考えるとわかりやすいでしょう。免許を取ったばかりのころは、ミラー、速度、歩行者、信号と、かなり集中しています。

ところが慣れてくると、体が勝手に動くようになります。

これは便利ですが、上達という面では少し問題があります。慣れた行動は楽にできる一方で、改善点を考えなくなるからです。

料理でも、文章でも、接客でも同じです。

得意なやり方を繰り返せば、失敗は減ります。気分もいいでしょう。

しかし、エリクソン流に見るなら、気持ちよくできている時間は、必ずしも能力が伸びている時間ではありません。

上達するには、あえて苦手な部分に近づく必要があります。

「そこ、できないので見なかったことにします」

と布をかぶせていた部分を、

「本日は、あなたを練習します」

と机の上に呼び戻すのです。

練習は「少し難しい」がちょうどいい

上達のためには、自分にとって少し難しい課題に取り組むことが大切です。

簡単すぎる課題では、楽にできますが、新しい力はあまり育ちません。

反対に、難しすぎる課題では、何が悪いのかさえわからず、心が静かに帰宅します。

たとえば、ピアノを始めたばかりの人が、いきなり難曲に挑戦しても、

「右手が迷子です」

「左手は欠席しました」

「楽譜は別の言語に見えます」

ということになりかねません。

大切なのは、今の自分より少し先にある課題を選ぶことです。

現在の実力で何とか届きそうだが、油断すると失敗する。そのくらいの難しさが、上達には向いています。

仕事でいえば、いきなり部署全体を変える必要はありません。

電話対応で聞き漏らしが多いなら、復唱の仕方を練習する。

文章が長くなりやすいなら、一文を短くする練習をする。

面接で答えがまとまらないなら、一つの質問に一分以内で答える練習をする。

「仕事ができる人になる」という巨大な目標ではなく、直す場所を小さくするのです。

大きすぎる目標は、脳にとって雲のようなものです。

見えてはいるけれど、つかめません。

一方、「今日は結論を先に話す」という目標なら、手で持てます。

苦手な部分を練習する人が、少しずつ強くなる

普通の練習では、できることを繰り返しがちです。

歌が好きな人なら、気持ちよく歌える曲ばかり歌う。

文章を書く人なら、得意な表現を何度も使う。

スポーツなら、成功しやすい動きを繰り返す。

もちろん、楽しむことは大切です。好きだから続けられる面もあります。

しかし、上達を目的とする時間には、少し別の姿勢が必要です。

エリクソンの研究が教えてくれるのは、弱点は恥ずかしい場所ではなく、伸びしろの住所であるということです。

うまくできない部分を見つけたとき、

「やっぱり自分には向いていない」

と考えることもできます。

けれども、別の見方もできます。

「なるほど、次に練習する場所が見つかった」

これは、かなり大きな違いです。

失敗が、才能の欠如を知らせる判決ではなく、練習場所を知らせる地図になります。

間違えた瞬間に落ち込むのではなく、

「はい、改善点が一名入場しました」

と迎え入れる。

もちろん、実際にはそんなに爽やかに受け止められない日もあります。

人間ですから、失敗すると普通にへこみます。

それでも、「失敗したから終わり」ではなく、「失敗したから調整できる」と考えられると、上達への道は閉じにくくなります。

助言は、やさしいだけでなく具体的であること

エリクソンの考えでは、上達には適切な助言が欠かせません。

一人で練習していると、自分の間違いに気づけないことがあります。

文章を書いている本人は意味が通じていると思っていても、読者には迷路になっている。

歌っている本人は感情を込めているつもりでも、聞く側には言葉が聞き取れない。

話している本人は丁寧に説明しているつもりでも、相手の頭の中では話が三駅ほど乗り過ごしている。

そこで、先生、指導者、同僚、読者などからの反応が必要になります。

ただし、

「もっと頑張りましょう」

だけでは、少し困ります。

本人としては、

「頑張る場所は、どちらでしょうか」

となるからです。

よい助言とは、人格ではなく行動に向けられたものです。

「説明が下手です」ではなく、「最初に結論を伝えると、相手が理解しやすくなります」。

「演奏がよくありません」ではなく、「この部分で音が速くなっているので、速度を落として練習しましょう」。

直す場所がわかれば、人は動けます。

助言は、相手を叩くハンマーではありません。次の一歩を照らす懐中電灯です。

一流の人ほど、自分の動きを細かく見ている

達人は、ただ反応が速いだけではありません。

自分の分野について、初心者よりも細かな見方を持っています。

たとえば、初心者が将棋の盤面を見ても、

「駒がたくさんありますね」

という印象かもしれません。

しかし熟練者は、駒の位置をばらばらに見るのではなく、攻め方や守り方のまとまりとして見ます。

音楽家も、音を一個ずつ覚えているだけではありません。曲の流れや構造、次に起こりそうな変化をとらえています。

医療の専門家も、症状を単独で見るのではなく、いくつかの情報を組み合わせて状態を考えます。

経験を積むと、頭の中に精密な地図が作られていくのです。

この地図があるから、達人は自分の動きを予測し、間違いを早く発見し、修正できます。

私たちが学べるのは、ただ回数を重ねるだけでなく、自分の行動を細かく観察する習慣を持つことです。

「今日はうまくいかなかった」で終えるのではなく、

「どの場面で止まったのか」

「何を勘違いしたのか」

「次回は何を変えるのか」

と分けて考えます。

反省というと、暗い部屋で正座する印象がありますが、本来は自分を責める作業ではありません。

次の実験の条件を決める作業です。

集中した練習には、休憩も必要

エリクソンが研究した質の高い練習は、かなり集中力を使います。

苦手な部分に取り組み、間違いを見つけ、修正する。これは脳にとって、軽い散歩ではありません。

坂道です。

そのため、一日中ずっと高い集中を続けることは難しいと考えられます。

ここで大切なのは、「長く練習した人が偉い」という単純な話にしないことです。

疲れているのに続ければ、練習の質が下がります。

集中できていない状態で同じ失敗を繰り返すと、その失敗まで上達してしまう可能性があります。

脳は、ときどき融通が利きません。

「繰り返したので、これが正解ですね」

と、間違った動きまで丁寧に保存してくれます。

だからこそ、集中して練習し、適切に休むことが大切です。

休憩は練習から逃げる時間ではありません。次の練習を成立させる準備時間です。

努力という言葉には汗の匂いがつきまといますが、上達に必要なのは、汗の量だけではありません。

頭が働く状態を守ることも、立派な努力です。

「一万時間」に追いかけられなくていい

エリクソンの研究は、しばしば「一万時間練習すれば一流になれる」という話として紹介されます。

しかし、ここだけを受け取ると、少し危険です。

「あと八千七百時間もあります」

と計算した瞬間、やる気が布団にもぐるかもしれません。

そもそも、必要な練習時間は分野によって違います。目指す水準によっても違います。指導環境や練習内容によっても変わります。

一万時間という数字を、すべての人に共通する魔法の合格線として考えるべきではありません。

大切なのは、時計を見ることより、練習の中身を見ることです。

二時間ぼんやり繰り返すより、三十分だけ課題を絞って集中するほうが、役に立つ場合があります。

「今日は何時間やったか」だけではなく、

「今日は何を直したか」

を記録する。

このほうが、エリクソンの研究から学ぶ姿勢に近いでしょう。

努力だけですべてが決まるわけではない

ここで、ひとつ大切な注意があります。

エリクソンの研究から、「努力すれば誰でも必ず世界一になれる」と結論づけることはできません。

人には体格や健康状態、家庭環境、経済状況、学べる機会などの違いがあります。

よい指導者に出会える人もいれば、そもそも練習する時間を確保できない人もいます。

同じ練習をしても、同じ結果になるとは限りません。

ですから、うまくいかない人に対して、

「練習が足りないだけです」

と言うのは乱暴です。

努力を語るときは、本人が置かれている環境も見なければなりません。

エリクソンの研究の価値は、才能や環境を無視することではありません。

「生まれつきで全部決まる」とあきらめる前に、変えられる部分を探すことにあります。

変えられない条件と、工夫できる条件を分ける。

そして、自分が動かせる小さな部分に力を注ぐ。

これは、根性論とはずいぶん違います。

今日からできるのは「一つだけ直す」こと

では、エリクソンの研究を日常に生かすには、何をすればよいのでしょうか。

難しい練習計画を作る必要はありません。

まず、自分が少し上達したいことを一つ選びます。

文章、会話、料理、仕事、運動、勉強。何でもかまいません。

次に、その中で苦手な部分を一つだけ決めます。

「文章力を高める」では大きすぎます。

「最初の三行で内容を伝える」

「一文を長くしすぎない」

「専門用語を一つ減らす」

これくらい具体的にします。

そして、実際に試した後で振り返ります。

できたか、できなかったか。

何が難しかったか。

次に何を変えるか。

これを繰り返します。

上達は、大きな階段を一気に駆け上がることではありません。

暗い廊下で、小さな照明を一つずつつけていくようなものです。

振り返れば、いつの間にか遠くまで来ています。

才能を判断する前に、練習を見直してみる

エリクソンの研究は、私たちに少し厳しい問いを投げかけます。

「本当に練習しましたか」

ただ回数をこなしたのではなく、苦手な部分を選びましたか。

具体的な助言を受けましたか。

間違いを修正しましたか。

集中できる時間に取り組みましたか。

しかし同時に、とても温かい問いも残してくれます。

「まだ、伸ばし方を知らないだけではありませんか」

今できないことが、その人の限界とは限りません。

方法を変え、課題を小さくし、助言を受け、少しずつ修正すれば、能力は変わる可能性があります。

才能という言葉は、ときに人を励まします。

けれども、ときに人を早々と観客席へ座らせてしまいます。

「あの人には才能がある。自分にはない」

そう言って舞台から降りる前に、エリクソンは練習室の扉を指さします。

「とりあえず、今日直す一か所を決めませんか」

達人になる話は、遠すぎて実感がわかないかもしれません。

それでも昨日より少しわかりやすく話すこと、少し丁寧に仕事をすること、少し正確に演奏することなら目指せます。

上達とは、特別な人に突然落ちてくる雷ではありません。

見えにくい失敗を拾い、直し、また試す。

その小さな往復の中で、能力は静かに形を変えていくのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

カール・アンダース・エリクソン(Karl Anders Ericsson)の論文一覧

1.『達人はいかにして生まれるのか――卓越した技能を育てる「意図的な練習」の役割』カール・アンダース・エリクソン、ラルフ・トーマス・クランペ、クレメンス・テッシュ=レーマー(1993)

Ericsson, K. A., Krampe, R. Th., & Tesch-Römer, C.(1993). The Role of Deliberate Practice in the Acquisition of Expert Performance. Psychological Review, 100(3), 363–406. DOI:10.1037/0033-295X.100.3.363

「一流になるには、やっぱり才能ですか?」「その前に、練習の中身を見せてください」。エリクソンたちは、バイオリン奏者などを調べ、達人ほど長年にわたり、苦手な部分を集中的に直す練習を積んでいたと報告しました。ただ回数をこなすのではなく、目標を決め、助言を受け、失敗を修正する。つまり上達の正体は、汗の量より“練習の設計図”だったのです。天才の舞台裏をのぞきたい人には、たまらない一篇です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
練習しても上達しないのはなぜ?意図的な練習から考える「練習の質」
練習しても上達しないのはなぜ?意図的な練習から考える「練習の質」
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