ジュディ・メスマン(Judi Mesman)の論文一覧:「子育てに“普通”って、ほんとうにある?」文化と多様性を問い続けた心理学者
ジュディ・メスマン(Judi Mesman)のプロフィール
ジュディ・メスマン(Judi Mesman)は、オランダのレイデン大学を拠点に、子育て、親子関係、文化、ジェンダー、偏見、社会的不平等などを研究してきた研究者です。
こう並べると、
「研究テーマ、ずいぶん広くない?」
と思うかもしれません。
たしかに広い。でも、メスマンの研究を一本の糸でつなぐと、意外とすっきりしています。
それは、
「社会の中にある考え方や不平等は、いったいどうやって次の世代へ受け渡されていくのか?」
という問いです。
つまり、赤ちゃんとお母さんを観察していたと思ったら、いつの間にかジェンダーの話になり、その先には人種や偏見、社会的不平等まで見えてくる。
「親子を研究していたら、社会まで映り込んできました」
そんな研究者なのです。
まずは、親と子のあいだをじっくり見る
メスマンは1974年生まれ。レイデン大学で心理学を学び、その後、エラスムス大学で博士号を取得しました。2009年からレイデン大学の教授を務めています。
彼女の研究の出発点のひとつは、親子関係や子どもの発達です。
たとえば、
「親は子どものサインにどれくらい気づいているのか」
「父親と母親では、子どもへの関わり方に違いがあるのか」
「親の接し方は、子どもの発達とどう関係しているのか」
といったテーマです。
子どもが泣く。
親が気づく。
抱っこする。
声をかける。
こうした一つひとつは、日常ではあまりに普通なので、研究対象には見えないかもしれません。
でも心理学者の目にかかると、
「ちょっと待ってください。その“普通”の中に、ものすごく大事なものが入っていますよ」
となる。
メスマンは、そんな親子の日常を丁寧に観察してきました。
ところが研究を続けていくと、あることが見えてきます。
親子は、真空パックの中で暮らしているわけではありません。
親の後ろには、文化があります。
社会があります。
「男の子ならこう」「女の子ならこう」という考えがあります。
肌の色や民族的背景に対するイメージもあります。
つまり、家庭の玄関を閉めたからといって、社会まで外に置いておけるわけではないのです。
社会というお客さん、だいたい勝手に上がってきます。
「男の子だから」「女の子だから」は、どこから来る?
そこでメスマンの研究は、子育てとジェンダーの問題にも広がっていきました。
たとえば私たちは、
「男の子は活発だから」
「女の子はおとなしいから」
などと何気なく言うことがあります。
でも、本当に最初からそうなのでしょうか。
それとも、大人が無意識のうちに違う接し方をして、その違いを少しずつ育てているのでしょうか。
メスマンは、こうした子育てに潜むジェンダーの違いについても研究してきました。また、学校教育のなかで男女への期待の違いを減らすための研究にも取り組んでいます。
ここがおもしろいところです。
偏見というと、私たちはつい、
「私は差別なんてしていません」
と、大きな話として考えます。
でも研究者が見ているのは、もっと小さなところです。
どんなおもちゃをすすめるのか。
どんな行動をほめるのか。
誰に「元気だね」と言い、誰に「かわいいね」と言うのか。
本人に悪気なんてまったくなくても、社会に昔からある価値観が、日常の小さな言葉や行動を通して次の世代へ流れていく可能性があります。
価値観というものは、「ただいま」と玄関から入ってくるとは限りません。
いつの間にか、家のソファに座っています。
子どもは「違い」に気づいていないわけではない
メスマンの研究はさらに、人種や民族的背景、偏見の問題にも向かっていきます。
ここで彼女が問いかけるのが、
「子どもに人種や肌の色の違いについて話さないことが、本当に偏見をなくすことになるのだろうか?」
という問題です。
「子どもはそんな違いなんて気にしていないんだから、わざわざ話さなくてもいい」
そう考える大人もいるでしょう。
ところがメスマンらの研究では、幼い子どもたちもすでに民族的特徴を手がかりに相手を選ぶことがあると報告されています。彼女は、違いそのものを見ないふりをするより、子どもときちんと話し合うことの重要性を訴えています。
2021年には、こうした研究を一般の親にも届けるため、**『Opgroeien in kleur(色のある世界で育つ)』**という、偏見を減らす子育てについての本も出版しました。
ここにもメスマンらしさがあります。
研究室で、
「はい、統計的に有意でした。以上」
で終わらせない。
「それで、この研究を社会でどう使いますか?」
というところまで歩いていくのです。
研究結果を机の引き出しにしまわず、ちゃんと外へ連れていく研究者なのですね。
研究のテーマは「子育て」から「社会の公正さ」へ
現在のメスマンは、さらに大きなテーマとして、社会の公正さと不公正さが世代を越えてどのように引き継がれるのかを研究しています。
レイデン大学では2009年から教授を務め、2012年から2016年には教育・児童研究分野の研究所で科学部門の責任者を、2016年から2022年にはレイデン大学カレッジ・ハーグの学部長を務めました。2018年にはオランダ王立芸術科学アカデミーの会員に選出され、2024年からは社会的責任と社会への影響をテーマとする大学特別教授も務めています。
つまり研究者として顕微鏡をのぞくだけでなく、大学運営や教育、社会への発信にもかなり深く関わってきた人です。
さらに、学問の世界における女性の平等を目指す活動にも参加し、女性研究者の地位向上を目指す「アテナズ・エンジェルズ」の共同創設者でもあります。
研究テーマと本人の活動が、妙につながっているんですね。
「平等について論文を書きました」
だけではなく、
「では大学の中の不平等についても考えましょう」
となる。
論文の外にも研究テーマがはみ出している人です。
オランダ最高峰の科学賞のひとつも受賞
2021年、メスマンはオランダ科学研究機構からステヴィン賞を受賞しました。
これは、優れた研究だけでなく、その知識を社会へ生かしてきた研究者に贈られる、オランダを代表する科学賞のひとつです。当時の賞金は250万ユーロでした。
金額もなかなかですが、それ以上に象徴的なのは、
「社会に届く研究」が高く評価された
ということでしょう。
メスマンの研究は、親子のやり取りを細かく観察するところから始まりながら、
子育て、
男女の違い、
文化、
民族的背景、
偏見、
人種差別、
社会的不平等、
そして社会的公正へと広がっていきました。
スケールだけ見ると、
「赤ちゃんを見ていたはずなのに、いつの間に社会問題まで来たんですか」
という感じです。
でも実は、一本道なのです。
家庭は、小さな社会なのかもしれない
メスマンの研究を眺めていると、家庭という場所の見え方が少し変わります。
家庭は単に、親が子どもにご飯を食べさせ、お風呂に入れて、「歯みがいた?」を一日三回くらい言う場所ではありません。
そこでは同時に、
「人とどう関わるのか」
「自分と違う人をどう見るのか」
「男らしさ、女らしさとは何なのか」
「誰を仲間だと思うのか」
「違いをどう受け止めるのか」
といった、社会を生きるための価値観も少しずつ育っていきます。
だからメスマンの研究は、子育てをしている人だけのものではありません。
学校で人と関わる人。
職場で誰かを評価する人。
部下を育てる人。
友人や家族と暮らしている人。
つまり、ほぼ全員に関係があります。
私たちはみんな、知らないうちに「こういう人が普通だよね」という小さな物差しを持っています。
メスマンの研究は、その物差しを没収するわけではありません。
ただ、
「ところで、その物差し、誰からもらいました?」
と聞いてくる。
なかなか鋭い質問です。
ジュディ・メスマンは、親子というもっとも身近な人間関係から出発して、そこに文化やジェンダー、偏見、社会的不平等がどのように入り込み、そして次の世代へ受け渡されていくのかを研究してきた心理学・教育学の研究者です。
彼女の研究を読んでいると、社会というものは国会議事堂や大企業の会議室だけに存在するわけではないのだと気づかされます。
食卓にもある。
教室にもある。
公園にもある。
そして、何気なく子どもにかける一言の中にもある。
社会は案外、小さなところからつくられている。
そんなことを、ジュディ・メスマンの研究は静かに教えてくれるのです。
参考文献・確認先:レイデン大学:Judi Mesman 公式プロフィール / Google Scholar:Judi Mesman 論文・引用情報 / ORCID:Judi Mesman 研究者情報 / オランダ科学研究機構(NWO):Judi Mesman

ジュディ・メスマン(Judi Mesman)の研究から学べること
ジュディ・メスマン(Judi Mesman)の研究を読んでいると、ときどき不思議な気分になります。
最初は、
「なるほど、親子関係についての研究なのね」
と思って読んでいたはずなのに、気がつくと、
「……これ、社会の話じゃない?」
となっている。
さらに読み進めると、
「いや待って。これ、自分の話でもあるぞ」
となる。
メスマンは、親、学校、本、メディア、社会制度などが、子どもの「自分はどんな人間なのか」「世の中はどんな場所なのか」という感覚をどのようにつくっていくのかを研究してきました。現在は特に、社会の不公正が世代を越えてどのように受け渡されていくのかという問題に取り組んでいます。
こう聞くと少し難しそうですが、私たちの日常に置き換えると、かなり身近な話です。
たとえば、
「男の子なんだから泣かないの」
「女の子なんだからおとなしくしなさい」
「普通はこうするよ」
「みんなそうしているよ」
こういう言葉です。
言った本人には、世界を支配しようなんて野望はもちろんありません。
ただ夕飯を作りながら言っただけかもしれない。
でも、その何気ない一言の中には、ときどき社会の価値観が小さく折りたたまれて入っています。
メスマンの研究から学べる大きなことのひとつは、
人は、言葉で教えられたことだけを学んでいるわけではない
ということなのです。
子どもは「社会の空気」まで吸い込んで育つ
子どもに何かを教えるというと、私たちはつい、
「これは赤ですよ」
「人に優しくしましょう」
「ありがとうと言いましょう」
といった、はっきりした教育を想像します。
でも実際には、それだけではありません。
誰をほめるのか。
誰を警戒するのか。
誰の話をよく聞くのか。
テレビを見ながら誰について笑うのか。
本に登場する主人公はどんな人なのか。
親や先生がどんな人を「立派な人」として扱っているのか。
そういうものも、子どもはちゃんと見ています。
メスマンの研究では、親だけでなく学校や本、メディアなども、子どもの世界観や自己イメージを形づくる存在として捉えられています。
つまり子どもは、
「本日の社会常識について説明します。資料をご覧ください」
などと言われなくても、勝手に社会を学んでいくわけです。
ある意味、24時間営業の社会科です。
そしてこれは子どもだけの話ではありません。
私たち大人だって同じです。
職場に入れば、
「この会社では、こういう人が評価されるんだな」
「失敗したら黙っておいたほうがいいんだな」
「忙しいと言える人より、黙って残業する人が偉いんだな」
などを、規則集に書いていなくても学びます。
人間はどうやら、言葉以上に「その場の空気」を読んで育つ生き物らしい。
だからこそ、
自分が何を言っているかだけでなく、自分が普段どんな態度を取っているかを見ることが大切になる。
これはメスマンの研究から受け取れる、とても実用的な教訓だと思います。
「私は偏見なんてありません」で終わらせない
偏見の話になると、ちょっと身構えます。
「私は差別なんてしませんよ」
「誰にでも平等に接しています」
言いたくなります。
もちろん、その気持ちは大事です。
ただメスマンの研究がおもしろいのは、問題をそこだけで終わらせないところです。
社会の偏りは、とても露骨な悪意だけによって生まれるわけではありません。
むしろ、
「なんとなく」
「昔からそうだから」
「普通そうでしょ」
という、ほとんど意識されない判断の中にも入り込むことがあります。
だから、
「自分は良い人だから大丈夫」
という自己採点だけでは、少し足りません。
むしろ大事なのは、
「自分にも気づいていない思い込みがあるかもしれない」
と考えることです。
これ、少し耳が痛いんですよね。
人間、自分の偏見を発見すると、
「申し訳ございません、返品できますか」
と言いたくなります。
でも返品窓口はありません。
できるのは、気づいたあとに少しずつ修正していくことです。
メスマンは、人種や民族的背景について「違いを見ない」姿勢だけでは十分ではなく、子どもと違いや偏見について話すことの重要性も研究・発信しています。彼女は2021年に、反人種差別的な子育てをテーマにした一般向けの本も出版しています。
つまり、
「違いなんて気にしないよ」だけではなく、「違いがあっても尊重できるよ」へ進む。
ここはかなり重要なポイントです。
「違いを見ない」と「差別しない」は同じではない
よく、
「私は男とか女とか気にしません」
「国籍なんて関係ないですよ」
「肌の色なんて見ていません」
という言い方があります。
もちろん、平等に接したいという善意から出ている言葉です。
ただ、違いを完全に「ないもの」にしてしまうと、その違いによって実際に困っている人の経験まで見えなくなる場合があります。
たとえば、
「男女なんて関係ありません」
と言いながら、家事や育児がなぜか片方に偏っていたら、
「いや、関係あるじゃないですか」
となります。
「誰にでも同じように接しています」
と言っても、そもそものスタート地点が違えば、同じ扱いが必ずしも公平とは限りません。
身長150センチの人と190センチの人に、
「平等なので棚の高さは180センチです」
と言っても、たぶん一人だけ脚立を探し始めます。
平等と公平は、似ていますが少し違います。
メスマンの研究が問いかけているのは、まさにそうした部分です。
違いを消すのではなく、違いがある現実を見ながら、その人が不利益を受けない社会をどうつくるのか。
これは子育てだけでなく、学校、会社、福祉、採用、人材育成など、ほとんどすべての人間関係に通じます。
「普通」という言葉を、一度机の上に置いてみる
メスマンの研究を知ると、個人的に気になってくる言葉があります。
それが、
「普通」
です。
普通の家庭。
普通の子ども。
普通の男性。
普通の女性。
普通の働き方。
普通の人生。
この「普通」、めちゃくちゃ働き者です。
いろんな場所に出張しています。
ところが、
「普通って具体的に何ですか?」
と聞くと、急にしどろもどろになります。
「いや……その……一般的な……」
普通さん、意外と正体不明です。
メスマンの研究では、文化、民族的背景、ジェンダー、社会的立場などによって、人々の経験や子育て、教育環境が異なることに目が向けられています。彼女は現在、個人だけではなく制度のレベルまで含めて、社会的不公正が世代間でどのようにつながるのかを研究しています。
つまり、
自分にとっての「普通」は、世界共通の初期設定ではない。
これは覚えておきたいところです。
私たちが「当然でしょ」と思っていることの一部は、実は自分が育った家庭、地域、時代、文化から受け取ったものなのかもしれません。
そう考えると、他人と意見が違ったときにも、
「なんでそんな変な考え方するの?」
ではなく、
「この人は、どんな世界を見てきたんだろう」
と考える余白ができます。
その余白は、たぶん人間関係をかなり救います。
子どもを変える前に、大人の環境を見る
教育や子育てでは、ともすると、
「この子をどう変えよう」
という話になりがちです。
もっと積極的に。
もっと自信を持って。
もっと勉強して。
もっと人とうまく関わって。
もちろん本人への働きかけが必要な場合もあります。
でも、メスマンの研究からもう一つ学べるのは、
「その人本人だけを見るのではなく、その人を取り囲む環境も見よう」
という姿勢です。
たとえば、ある子が教室で発言しない。
そこで、
「もっと積極性を持ちなさい」
とだけ言うこともできます。
でも、
発言すると笑われる雰囲気はないか。
先生が特定の子ばかり指名していないか。
間違いを許さない空気になっていないか。
その子と似た背景を持つ人が、教材の中でほとんど描かれていないのではないか。
そうした環境側の問題も考える必要があります。
これは仕事でも同じです。
「最近の若者は主体性がない」
と言う前に、
意見を言った若手を去年めちゃくちゃ怒っていなかったでしょうか。
「もっと相談して」
と言いつつ、相談された瞬間、
「それくらい自分で考えて」
と言っていないでしょうか。
人は環境から学びます。
だから問題が起きたとき、
「本人の性格」の一言で全部を片づけない。
これは福祉、教育、職場、家庭のどこでも使える考え方です。
良い社会は、ものすごく小さなところから始まる
メスマンは研究だけでなく、その知識を社会へ生かす活動でも高く評価され、2021年には社会への影響を重視するオランダの主要な科学賞であるステヴィン賞を受賞しています。現在も、社会的公正や世代間の問題を中心に研究・教育を続けています。
ここから見えてくるのは、
社会を変えるというとき、必ずしも巨大なことから始めなくていいということです。
政治制度を変える。
法律を変える。
教育制度を改革する。
もちろん、それも大切です。
でも社会は、制度だけでできているわけではありません。
今日、誰の話をちゃんと聞くのか。
子どもにどんな言葉をかけるのか。
「男なんだから」と言う前に一秒考える。
外国にルーツを持つ人について、決めつけずに話を聞く。
いつも目立つ人だけでなく、静かな人にも発言の機会を渡す。
そんな一見小さなところにも、社会はあります。
世界を変えるというと大げさですが、
目の前の一人に対する扱い方を変えることも、かなり小型の社会改革です。
小型ですが、侮れません。
自分もまた「次の世代に何かを渡す人」である
メスマンの研究で最後に考えたいのは、世代という視点です。
私たちは、前の世代からいろいろなものを受け取っています。
言葉。
習慣。
価値観。
家族観。
仕事観。
「男とはこうあるべき」
「人に迷惑をかけてはいけない」
「弱音を吐いてはいけない」
「いい学校、いい会社に入れば幸せになれる」
そんな目に見えない荷物も含まれています。
その中には大切にしたいものもあります。
一方で、
「これはもう次の世代には渡さなくてもいいかな」
というものもあるでしょう。
メスマンの研究は、社会的不平等や価値観が世代を越えて伝わる仕組みに注目しています。
ここで私たちにできることは、
受け取った荷物を全部そのまま次へ送ることではありません。
一度、段ボールを開けてみることです。
「これは残そう」
「これは少し直そう」
「これはもう捨ててもいいかな」
そうやって選び直す。
文化や価値観というものは、完全にゼロから作るものではありません。
でも、受け取ったものをそのまま渡す義務もありません。
私たちはみんな、どこかで社会の編集者でもあるのです。
ジュディ・メスマンの研究から学べることを一言で表すなら、
「社会は遠くにあるものではなく、毎日の人間関係の中でつくられている」
ということなのかもしれません。
親が子どもにかける一言。
先生が生徒を見る目。
上司が部下を評価するときの物差し。
知らない人に抱く第一印象。
そこには、ときどき自分でも気づいていない社会の価値観が潜んでいます。
だから大切なのは、
「私は正しい人間だろうか」
と自分を裁き続けることではありません。
それより、
「自分は何を当たり前だと思っているんだろう」
と、ときどき問い直すこと。
そして必要なら、少し書き換えることです。
私たちは社会という巨大な本を一人で書いているわけではありません。
でも、一行くらいは担当しています。
だったら、その一行を少しだけ優しく、少しだけ公平な文章にしてみる。
メスマンの研究は、そんな地味だけれど大切な仕事を、私たち一人ひとりにそっと手渡しているように思います。

ジュディ・メスマン(Judi Mesman)の論文一覧
1.『スティルフェイス・パラダイムのさまざまな顔:赤ちゃんの反応を読み解くレビューとメタ分析』ジュディ・メスマン、マリヌス・H・ファン・アイゼンドールン、マリアン・J・バケルマンス=クラネンブルグ(2009)
Mesman, J., van IJzendoorn, M. H., & Bakermans-Kranenburg, M. J. (2009). The many faces of the Still-Face Paradigm: A review and meta-analysis. Developmental Review, 29(2), 120–162.
DOI:10.1016/j.dr.2009.02.001
「赤ちゃんの前で、いつも笑ってくれる大人が突然“無表情・無反応”になったら?」これが「無表情実験」です。メスマンらは80以上の研究をまとめ、赤ちゃんは相手が反応しなくなると、笑顔や視線が減り、不機嫌さが増えることを確認。しかも交流が戻っても、気分はすぐ完全には戻りません。赤ちゃん、想像以上に空気を読んでいます。さらに親の敏感な応答は、赤ちゃんの前向きな反応とも関連。親子の“会話”は、言葉を話すずっと前から始まっていた。そんな事実に驚かされる一篇です。

