ジョン・ダンロスキー(John Dunlosky)の論文一覧:勉強法の人気投票に「それ、本当に効く?」とデータでツッコミを入れた学習心理学者

ジョン・ダンロスキー(John Dunlosky)の論文を読む女性
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ジョン・ダンロスキー(John Dunlosky)のプロフィール

ジョン・ダンロスキー(John Dunlosky)は、記憶や学習について研究してきた認知心理学者です。長年、アメリカのケント州立大学で研究と教育に携わり、現在は同大学の名誉教授を務めています。1993年にワシントン大学で認知心理学の博士号を取得しました。

ひとことで表すなら、ダンロスキーは「勉強している本人よりも、その人の勉強のクセを冷静に見抜いている研究者」です。

学生が机に向かい、教科書に蛍光ペンを引いているとします。

「よし、今日はずいぶん勉強したぞ」

そこへダンロスキーが、静かに近づいてきます。

「ところで、それは本当に覚えられていますか?」

「えっ……黄色くなっていますけど」

「教科書が黄色くなったことと、あなたの記憶が強くなったことは、別の話ですよ」

なかなか手厳しい。しかし、意地悪を言いたいわけではありません。せっかく使う時間と努力を、できるだけ実りのあるものにしたい。彼の研究には、そんな現実的な優しさが流れています。

「覚えたか」ではなく、「覚えたと思っている自分」を調べる

ダンロスキーの研究の中心にあるのが、「メタ認知」です。

少し難しそうな言葉ですが、簡単に言えば、自分の頭の働きを、自分で眺めたり点検したりする力のことです。

たとえば、教科書を読んだあとに、

「これはもう覚えた」
「この部分は簡単だ」
「明日の試験でも答えられそうだ」

と判断することがあります。

しかし、人間の記憶には少々困ったところがあります。実際には覚えていなくても、文章をスラスラ読めただけで「理解した」と思ってしまうのです。見慣れた言葉が並んでいると、脳はすぐに合格判定を出します。

「はい、これは知っています」
「本当に?」
「見たことがあります」
「答えられますか?」
「そこまでは聞いていませんでした」

脳内の審査員が、かなり甘いのです。

ダンロスキーは、この「わかったつもり」や「覚えたつもり」がどのように生まれ、学習の判断をどう狂わせるのかを研究してきました。特に、学習者が自分の理解度をどう見積もるのか、どれくらい勉強時間を使うのか、どの学習方法を選ぶのかという、互いに関係する三つの要素に注目しています。

つまり、彼が見つめているのは記憶だけではありません。

「人は、自分の記憶について、どれくらい正しく判断できるのか」

という、もう一段上の問題を追いかけているのです。

勉強は、本人に任せればうまくいくのか

学校を卒業すると、勉強はだんだん自己責任になります。

先生が毎日、

「今日はここを復習してください」
「三日後にもう一度やりましょう」
「読んだだけで満足しないでください」

と管理してくれるわけではありません。

資格試験、仕事の知識、語学、パソコン操作、新しい制度。大人になっても学ぶことは山ほどありますが、何を、いつ、どのように学ぶかは自分で決めなければなりません。

このように、自分で学習の状態を確かめ、方法や時間を調整しながら進めることを「自己調整学習」と呼びます。

言葉だけを見ると、なんだか非常にしっかりした人物が、予定表をきっちり作って勉強している姿が浮かびます。しかし現実は、そう美しくありません。

「今日は疲れたから、読むだけにしよう」

「三回読んだから、たぶん覚えただろう」

「この問題は見ればわかるので、解かなくても大丈夫」

そうして試験当日を迎え、問題用紙を開いた瞬間、

「見たことはある。だが、答えが出てこない」

という記憶の怪談が始まります。

ダンロスキーの研究は、こうした失敗を「本人のやる気が足りない」で片づけません。やる気があっても、人は自分の学習状態を正確に判断できないことがある。そのため、努力の量だけでなく、努力を向ける方法そのものを改善する必要があると考えます。

人気の勉強法に、データで健康診断を行った

ダンロスキーの名を広く知らしめた仕事の一つが、2013年に発表された学習方法についての大規模な研究レビューです。

この研究では、ダンロスキーをはじめとする研究者たちが、学生によく使われている十種類の学習方法を取り上げました。そして、年齢や能力、教材の種類、学習環境、試験内容が変わっても効果が期待できるのかを、過去の研究をもとに詳しく検討しました。

いわば「勉強法の健康診断」です。

待合室には、さまざまな勉強法が並んでいます。

蛍光ペンさんが、胸を張っています。

「私は見た目がきれいです」

繰り返し読むさんも、自信満々です。

「私は昔から人気があります」

自分で問題を解くさんは、少し地味です。

「華やかさはありませんが、頭から答えを取り出させます」

間隔を空けて復習するさんは、のんびりしています。

「今日全部やらずに、また後日会いましょう」

診断の結果、特に評価が高かったのは、覚えた内容を自分の頭から取り出す練習と、学習する日を分けて復習する方法でした。反対に、要約、蛍光ペンによる印づけ、語呂合わせ、頭の中で情景を描く方法、ただ繰り返し読む方法は、どんな場面でも広く効果を発揮するという点では低い評価になりました。

もちろん、「蛍光ペンは一本残らず捨てなさい」という話ではありません。

大切なのは、線を引いたことで勉強が完了したと思わないことです。重要な部分を見つける目印として使うことはできます。しかし、その後に本を閉じて、内容を思い出したり、問題に答えたりしなければ、記憶はあまり鍛えられません。

蛍光ペンは案内標識にはなれますが、目的地まで歩いてくれるわけではないのです。

読み直しは、なぜ頼もしく見えるのか

興味深いことに、ダンロスキー自身も、繰り返し読む方法はもっと高く評価されると予想していました。しかし研究を調べると、期待したほど安定した効果が見られず、本人も驚いたと語っています。

読み直しが魅力的なのは、二回目になると文章が読みやすくなるからです。

一回目。

「難しい。何を言っているのかわからない」

二回目。

「なんだ、わかるぞ。私の理解力が目覚めたようだ」

ところが、実際に起きているのは、内容を深く理解したことではなく、文章に見覚えができただけかもしれません。

本を開いている間は「わかる」。本を閉じると「消える」。

記憶が、本の中に置き去りになっているのです。

ダンロスキーは、ただ読むよりも、いったん教材を閉じて「何が書いてあったか」を思い出すことを勧めています。うまく思い出せなかったとしても、それは失敗ではありません。

むしろ、

「ここは覚えていなかった」

と気づけたことが、次の学習を正しくするための重要な情報になります。

答えを見ながら「知っている」とうなずくより、答えを隠して「出てこない」と困るほうが、学習としては正直です。勉強では、ときどき気分のよい自信より、少し気まずい現実のほうが役に立ちます。

「一夜漬け」という記憶の短期アルバイト

ダンロスキーは、試験前の一夜漬けについても、長く覚えておきたいなら望ましい方法ではないと説明しています。

一夜漬けで覚えた知識は、試験当日には働いてくれるかもしれません。しかし試験が終わると、

「契約期間が終了しましたので、失礼します」

と、記憶から静かに退職していきます。

長期的に覚えるためには、同じ内容に何度か出会い直すことが大切です。一日にまとめて五回読むのではなく、日を空けながら思い出す。そのたびに少し忘れているからこそ、記憶を探し出す作業が生まれます。

ダンロスキーが一つだけ学習方法を勧めるよう求められた際には、結局一つに絞り切れず、間隔を空けた複数回の学習のなかで、記憶から取り出す練習を行う方法を勧めています。本人も「一つと言われたのに二つ勧めている」と認めていますが、そこには研究者としての正直さが表れています。

学習法は、必殺技を一つ覚えれば終わりではありません。

「思い出すこと」と「間を空けること」。

この二つを組み合わせることで、知識は一晩だけの宿泊客ではなく、少しずつ長く住んでくれる住人になります。

子どもから高齢者まで、「学び方」を研究する

ダンロスキーの研究は、大学生の試験勉強だけを対象にしたものではありません。

彼は、子どもから高齢者まで、生涯を通じて人がどのように自分の学習を調整するのかを研究してきました。ケント州立大学の紹介では、学生の学習、自分で学習を調整する力、加齢に伴う認知の変化、記憶を支える方法などが専門分野として挙げられています。

年齢を重ねると、若い頃と同じ方法では覚えにくいと感じることがあります。

「昔は一度読めば覚えたのに」

「人の名前が玄関まで来ているのに、なかなか部屋へ入ってこない」

そんな変化があると、自分の能力がすべて衰えたように感じるかもしれません。

しかし、学び方を調整する余地は残されています。何度も受け身で読むのではなく、自分に問いかける。まとめて詰め込まず、日を分ける。覚えたつもりにならず、実際に答えられるか確かめる。

ダンロスキーの研究は、記憶力を魔法のように増やしてくれるものではありません。それよりも、今ある記憶の力を、なるべく無駄なく働かせる方法を探しています。

高性能の頭脳を買い替えるのではなく、現在使っている頭脳の説明書を少しずつ正確にしていく研究だと言えるでしょう。

努力を否定するのではなく、努力の行き先を整える

勉強法の研究は、ときに冷たく聞こえます。

「その方法は効果が低い」
「その努力は遠回りだ」
「あなたは覚えたつもりになっている」

こんなことを言われたら、これまでの勉強を否定されたように感じるかもしれません。

しかし、ダンロスキーの仕事が否定しているのは、努力する人ではありません。

むしろ、

「これほど頑張っているのだから、その努力がきちんと実る方法を使おう」

と語りかけています。

勉強がうまくいかないと、私たちはすぐに自分を責めます。

「集中力がない」
「頭が悪い」
「意志が弱い」

けれども、問題は人間性ではなく、選んでいる方法にあるかもしれません。

地図が間違っているのに、歩く力だけを責めても目的地には着けません。必要なのは、自分を叱ることではなく、地図を確かめることです。

ダンロスキーは、その地図を実験とデータで描き直してきた研究者です。

ジョン・ダンロスキーが私たちに教えてくれること

ダンロスキーの研究から学べるのは、単なる試験対策ではありません。

私たちの「わかった」「覚えた」「できる」という感覚は、いつも正しいとは限らない。そのため、自分の感覚だけで学習を判断せず、実際に思い出せるか、説明できるか、問題を解けるかを確かめる必要があります。

これは、少し怖いことでもあります。

教材を閉じて自分を試すと、覚えていない現実が見えてしまうからです。

しかし、覚えていないことに気づくのは、無知の証明ではありません。そこから学び直せる場所を見つけたということです。

「わかったつもり」は気分を守ってくれます。

「わからなかったという発見」は、未来の実力を育ててくれます。

ジョン・ダンロスキーは、勉強する人の隣に立ち、派手な裏技を売るのではなく、静かにこう問いかけているのかもしれません。

「その勉強法は、勉強した気分をつくっていますか。それとも、本当に思い出せる記憶をつくっていますか?」

少々耳の痛い質問です。

けれども、その問いに正直に向き合ったとき、勉強は「長時間机に座った人が勝つ競技」から、「自分の頭の働きを確かめながら進む旅」へと変わっていくのです。

参考文献・確認先:ケント州立大学:ジョン・ダンロスキー公式プロフィール / Google Scholar:ジョン・ダンロスキー 論文・引用情報 / PubMed:ジョン・ダンロスキー関連論文

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ジョン・ダンロスキー(John Dunlosky)の研究から学べること

ジョン・ダンロスキーの研究から学べることは、単に「効率のよい勉強法を使いましょう」という話だけではありません。

もっと根っこの部分には、少し耳の痛い問いがあります。

「あなたは、本当に覚えていますか。それとも、覚えたような気分になっているだけですか?」

人間は、自分のことを自分がいちばんよく知っていると思いがちです。

「私は集中できている」
「ここは理解した」
「昨日勉強したから大丈夫」
「この問題は、答えを見ればわかる」

ところがダンロスキーの研究を見ていくと、私たちの自己評価は、思っているほど正確ではないことがわかります。

脳は、ときどき勉強の採点を自分で行い、自分に甘い点数をつけます。

「教科書を三回読みました」

「では、内容を説明してください」

「説明までは聞いていません」

「覚えたのでは?」

「読んだとは言いました」

なんとも巧妙な言い逃れです。

しかし、これは特別に怠けている人だけの問題ではありません。まじめに勉強している人ほど、たくさん読んだことや、長時間机に座ったことを「学んだ証拠」だと思いやすいのです。

ダンロスキーの研究は、私たちに「努力をやめなさい」と言っているのではありません。

「その立派な努力を、本当に記憶が育つ方向へ向けましょう」

と教えてくれているのです。

「わかりやすい」と「覚えやすい」は別の話

文章を二回、三回と読み直すと、最初よりスラスラ読めるようになります。

すると私たちは、

「おや、急に頭がよくなったぞ」

と感じます。

ところが、ここには小さな落とし穴があります。文章が読みやすくなったのは、内容を深く理解したからではなく、単に見慣れたからかもしれません。

たとえば、毎朝同じ道を通っていると、道の風景には見覚えができます。

しかし、突然、

「途中にあった店の名前を全部言ってください」

と聞かれたら、意外と答えられません。

「毎日見ています」

「覚えていますか?」

「見ています」

「ですから、覚えていますか?」

「そこは別料金になります」

勉強でも、これと同じことが起こります。

教科書を見れば「知っている」と感じる。しかし教科書を閉じると、説明できない。つまり、その知識はまだ自分の頭の中に住み着いておらず、教科書のページに置かれたままなのです。

ダンロスキーの研究から学べる第一のことは、学習中の心地よさを、学習の成果と取り違えないことです。

読みやすい。見覚えがある。先生の説明を聞けばわかる。

これらは理解の手がかりにはなりますが、「自分一人で思い出せる」という証明にはなりません。

大切なのは、教材を閉じたあとです。

何が書かれていたか。

どんな意味だったか。

誰かに説明するとしたら、どう話すか。

そこまで確かめて、ようやく知識は教科書から頭の中へ引っ越しを始めます。

答えを見る前に、まず頭の中を探してみる

ダンロスキーたちが高く評価した学習方法の一つが、覚えた内容を自分の頭から取り出す練習です。

難しいことをする必要はありません。

教科書を閉じて、いま読んだ内容を思い出す。自分で問題をつくって答える。単語カードの表だけを見て、裏側の答えを考える。誰かに説明するつもりで声に出す。

つまり、「もう一度見る」のではなく、「見ないで思い出す」のです。

ここで、多くの人が不安になります。

「思い出せなかったら、落ち込みそうです」

確かに、答えが出てこないと気分はよくありません。

読み直しているときは、

「うんうん、知っている」

と気持ちよく進めます。

ところが、問題を解くと、

「うんうん……あれ? 何も出てこない」

となります。

自信が風船のように、ぷしゅっと縮む瞬間です。

しかし、ダンロスキーの研究が教えてくれるのは、そこで見つかった「思い出せなさ」こそ、価値のある情報だということです。

覚えていない部分がわかれば、そこを学び直せます。

反対に、覚えていないことに気づかないまま試験や本番を迎えると、修正する機会がありません。

「思い出せなかった」という経験は、学習の失敗ではありません。

それは、記憶の地図に「ここはまだ道がつながっていません」と印をつける作業です。

少し悔しいけれど、その悔しさは次に進むための案内板になります。

忘れることは、学習の敵とは限らない

勉強したことを忘れると、私たちはがっかりします。

「昨日やったのに、もう忘れている」

「私の脳は、穴の空いたバケツなのではないか」

けれども、少し忘れたころに思い出そうとすることには、大きな意味があります。

何度も続けて同じ内容を読むと、その場では覚えたように感じます。しかし、それは知識がまだ目の前にあるからです。

たとえば、電話番号を聞いた直後に繰り返すのは簡単です。

「090、090、090……はい、覚えました」

十分後。

「では番号をどうぞ」

「最初がゼロだったことは確かです」

記憶とは、ときに驚くほど足が速いものです。

だからこそ、学習する日を分ける必要があります。

今日学んだことを、明日もう一度思い出す。さらに数日後に確かめる。試験直前だけに集中させず、時間を空けながら何度か出会い直す。

これは、畑に水をやることに似ています。

一か月分の水を一日にまとめて注いでも、植物は喜びません。

「お気持ちはありがたいのですが、根が水没しています」

となります。

少しずつ、必要な時期に水を与えるからこそ、根は育ちます。

学習も同じです。一晩に大量の情報を流し込むより、時間を空けて何度か思い出したほうが、知識は長く残りやすくなります。

ダンロスキーの研究から学べるのは、忘れないように必死でつかみ続けるより、少し忘れたあとに拾い直すことが大切だということです。

忘れることは、必ずしも記憶の崩壊ではありません。

次に思い出すための、ほどよい坂道になることもあるのです。

楽な勉強ほど、効果が高いとは限らない

人は、すぐに成果を感じられる方法を好みます。

読み直す。

重要な部分に線を引く。

きれいにノートをまとめる。

これらの方法は、学習している実感を得やすいものです。ページが進み、線が増え、ノートが完成すると、努力が目に見えます。

机の上には立派なノートが完成しています。

「すばらしい出来ですね」

「ありがとうございます」

「内容は覚えていますか?」

「ノートを見れば完璧です」

「ノートなしでは?」

「そのような過酷な条件は想定していません」

もちろん、ノートをまとめること自体が悪いわけではありません。情報を整理したり、理解を深めたりするのに役立つこともあります。

問題は、ノートを完成させることが目的になってしまうことです。

勉強の本当の目的は、きれいな作品をつくることではありません。必要なときに知識を取り出し、使えるようにすることです。

そのためには、ときに少し苦しい学習が必要になります。

思い出そうとして頭をひねる。

自分の言葉で説明する。

答えを隠して問題を解く。

間違いを確認する。

このような学習は、読み直しよりも疲れます。進み方も遅く感じます。

しかし、ダンロスキーの研究を踏まえると、学習中に感じる難しさは、必ずしも悪いものではないと考えられます。

筋力を育てるとき、羽毛のように軽い物だけを持ち上げても、あまり鍛えられません。

記憶も同じです。少し努力しなければ思い出せない状態で、何度か知識を取り出す。その小さな苦労が、記憶を丈夫にしていきます。

「楽にできたから、よく学べた」

とは限りません。

ときには、

「少し苦労したからこそ、よく残った」

ということがあるのです。

勉強時間よりも、勉強中の行動を見る

私たちは、勉強を時間で評価しがちです。

「今日は三時間勉強した」

「私は休日に六時間やった」

もちろん、学習時間は大切です。しかし、同じ三時間でも中身は大きく違います。

三時間、教科書を眺め続けた人。

一時間ごとに内容を思い出し、問題を解き、間違いを確認した人。

どちらも記録上は「三時間」です。

しかし、頭の中で起きていることは同じではありません。

料理でも、台所に三時間立っていたからといって、必ずおいしい料理が完成するわけではありません。

「三時間も台所にいました」

「何を作ったのですか?」

「冷蔵庫を開けたり閉めたりしました」

「ずいぶん冷蔵庫と話し合いましたね」

学習でも、「何時間やったか」だけでなく、「その時間に何をしたか」を見る必要があります。

ダンロスキーの研究は、勉強時間を増やす前に、勉強中の行動を点検することの大切さを教えてくれます。

教材を見ていたのか。

内容を思い出していたのか。

問題を解いたのか。

間違いを確かめたのか。

数日後にもう一度復習したのか。

時間は容器です。何を入れるかによって、価値が変わります。

長く勉強しているのに成果が出ないときは、自分の能力を責める前に、その時間の中身を見直したほうがよいかもしれません。

自分の「できる」を、定期的に疑ってみる

ダンロスキーの研究で重要な考え方の一つが、自分の学習状態を自分で確かめ、調整することです。

これは、自分を信用してはいけないという意味ではありません。

むしろ、自分の感覚を尊重しながらも、感覚だけにすべてを任せないということです。

車を運転するときも、

「たぶんガソリンは残っている」

という気分だけで遠出はしません。

燃料計を見ます。

体調についても、

「元気な気がする」

だけではなく、体温を測ることがあります。

ところが学習になると、なぜか、

「わかった気がする」

だけで出発してしまいます。

そして本番になってから、

「燃料がありません」

と気づくのです。

だからこそ、小さな確認が必要です。

何も見ずに説明できるか。

別の例に当てはめられるか。

少し時間がたっても答えられるか。

正解した理由を説明できるか。

これらは、学習の燃料計です。

自分を疑うというと、暗い印象があります。しかし、ここで必要なのは自己否定ではありません。

「私はどうせできない」と決めつけるのではなく、

「本当にできるか、ちょっと確かめてみよう」

と考えることです。

これは、自分への不信ではなく、自分への丁寧な点検です。

効果の高い方法でも、使い方を間違えることがある

ダンロスキーの研究からは、「この方法さえ使えば、誰でも必ず成功する」という単純な結論は出てきません。

たとえば、自分で問題を解く練習が効果的だとしても、間違った答えを覚えたままにしてはいけません。

「問題をたくさん解きました」

「答え合わせは?」

「自分を信じています」

「そこは少しだけ疑いましょう」

問題を解いたあとは、正しい答えを確認する必要があります。

また、間隔を空けることがよいからといって、長期間放置すればよいわけでもありません。

「半年間、しっかり間隔を空けました」

「復習しましたか?」

「存在を忘れていました」

それは間隔を空けたというより、学習計画が消息不明になっています。

どの方法にも、目的や使い方があります。

重要なのは、有名な学習法の名前を知ることではありません。それを自分の学習の中で、どのように使うかです。

何を覚えたいのか。

いつまで覚えておきたいのか。

どのような場面で使いたいのか。

この目的によって、必要な学習は変わります。

明日の小テストを乗り切る学習と、仕事で数年間使う知識を身につける学習は、同じではありません。

ダンロスキーの研究は、学習法を魔法の呪文として覚えるのではなく、目的に合わせて選び、結果を確認しながら調整することを教えてくれます。

学べない自分を責める前に、方法を点検する

勉強がうまくいかないとき、私たちは自分自身に厳しい言葉を向けます。

「私は記憶力が悪い」

「頭がよくない」

「集中力がない」

「何をやっても続かない」

しかし、ダンロスキーの研究を知ると、別の見方ができるようになります。

成果が出ないのは、能力がないからではなく、学習方法と目的が合っていないからかもしれません。

たくさん読んでいるけれど、思い出す練習をしていない。

試験前にまとめて勉強していて、復習する日を分けていない。

できる部分ばかり繰り返し、苦手な部分を避けている。

答えを見ながら理解した気になり、自分だけでは説明できない。

これらは、人間としての欠点ではありません。

学習の仕組みに関する知識が足りなかっただけです。

包丁の使い方を知らない人に、

「なぜ料理が上手にできないんだ」

と怒っても仕方がありません。

まずは道具の扱い方を知る必要があります。

記憶も同じです。

自分の頭を根性だけで動かそうとするのではなく、どのような条件で覚えやすく、どのようなときに勘違いしやすいのかを知ることが大切です。

方法を変えることは、これまでの自分を否定することではありません。

これまでの努力を、よりよい方向へ引っ越しさせることです。

学ぶことは、自分の頭との対話である

ジョン・ダンロスキーの研究をたどっていくと、勉強とは単に情報を頭へ入れる作業ではないことが見えてきます。

学習とは、自分の頭の状態を確かめながら進む対話です。

「ここは覚えた?」

「たぶん」

「では、説明してみよう」

「少し待ってください」

「待ちます」

「やはり覚えていませんでした」

「では、もう一度やりましょう」

この対話を繰り返すことで、学習は少しずつ正確になります。

自分を責める必要はありません。

間違えたら、間違いを情報として使う。

忘れたら、思い出し直す。

理解できなければ、説明の仕方を変える。

一度で覚えられなければ、時間を空けてまた会いに行く。

学ぶとは、完璧な頭脳を持つことではありません。

不完全な頭脳の特徴を知り、その頭脳と上手につき合っていくことです。

ダンロスキーの研究が私たちに渡してくれるのは、記憶力を突然二倍にする秘密の薬ではありません。

それは、自分の「わかったつもり」を点検する小さな虫眼鏡です。

その虫眼鏡で学習をのぞいてみると、これまで努力不足だと思っていた場所に、方法の問題が見つかることがあります。

そして、方法が変われば、同じ自分でも学び方は変えられます。

「私は勉強が苦手だ」

そう決めつける前に、ダンロスキーなら静かに尋ねるでしょう。

「苦手なのは、本当に勉強そのものですか。それとも、いま使っている勉強法でしょうか?」

この問いは、学ぶことに疲れた人の肩を少し軽くしてくれます。

私たちは、能力を丸ごと取り替えることはできません。

けれども、今日の学び方なら変えられます。

教科書をもう一度開く前に、まず閉じて思い出してみる。

一晩ですべてを終わらせず、明日また戻ってくる。

「できた気がする」で終わらず、「本当にできるか」を確かめる。

そんな小さな工夫の積み重ねが、努力を「勉強した時間」から「残る知識」へ変えていくのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ジョン・ダンロスキー(John Dunlosky)の論文一覧

1.『自分の学びを自分で導くには?――勉強法への思い込み、学習テクニック、そして「わかったつもり」の罠』ロバート・アレン・ビョーク、ジョン・ダンロスキー、ネイト・コーネル(2013)

Bjork, R. A., Dunlosky, J., & Kornell, N.(2013). Self-Regulated Learning: Beliefs, Techniques, and Illusions. Annual Review of Psychology, 64, 417–444. DOI:10.1146/annurev-psych-113011-143823

「教科書を3回読んだから、もう覚えた!」と胸を張る学生に、研究者たちがそっと質問します。「では、本を閉じて説明できますか?」「……今日は閉じない方針です」。この論文が暴くのは、学習を自分で管理しているつもりの私たちが、読みやすさや見覚えを「理解の証拠」と勘違いする姿です。なぜ勉強法を選び間違えるのか、失敗やテスト、間隔を空けた復習がなぜ役立つのかを、記憶研究の成果から整理。努力家ほど陥りやすい「わかったつもり」を見抜き、勉強時間を本当に残る知識へ変えたい人に読んでほしい一篇です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
勉強しても覚えられない人へ|「わかったつもり」を防ぐ学び方
勉強しても覚えられない人へ|「わかったつもり」を防ぐ学び方

2.『本当に効果のある勉強法とは?――認知心理学と教育心理学が明かす、学習効果を高める10の学習テクニック』ジョン・ダンロスキー、キャサリン・A・ローソン、エリザベス・J・マーシュ、ミッチェル・J・ネイサン、ダニエル・T・ウィリンガム(2013)

Dunlosky, J., Rawson, K. A., Marsh, E. J., Nathan, M. J., & Willingham, D. T.(2013). Improving Students’ Learning With Effective Learning Techniques: Promising Directions From Cognitive and Educational Psychology. Psychological Science in the Public Interest, 14(1), 4–58. DOI:10.1177/1529100612453266

「勉強法って、結局どれが効くんですか?」「では10種類、並べてみましょう」。そんな勢いで、再読、ハイライト、要約、練習テスト、分散学習などを研究の積み重ねから比べたのがこの論文です。すると意外にも、学生がよく使う方法ほど高評価とは限りませんでした。「何度も読んでます!」「人気はありますね」「え、そこ褒めるとこ?」。一方で有望だったのは、答えを思い出す練習と、時間を空けて学び直す方法。努力量より“努力の届け方”を考えたくなる、勉強法の健康診断みたいな一篇です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
効果的な勉強法はどれ?10種類を心理学研究から比べてみた
効果的な勉強法はどれ?10種類を心理学研究から比べてみた
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