ジェフリー・D・カーピック(Jeffrey D. Karpicke)の論文一覧:覚えるために「もう一度読む」より、「思い出す」を何度も働かせた記憶研究者

ジェフリー・D・カーピック(Jeffrey D. Karpicke)の論文を読む女性
adler-nap

ジェフリー・D・カーピック(Jeffrey D. Karpicke)のプロフィール

ジェフリー・D・カーピック(Jeffrey D. Karpicke)は、人の「学び」と「記憶」を研究している心理学者です。アメリカのパデュー大学にある「認知と学習研究室」を率い、どうすれば学んだことが長く記憶に残り、必要な場面で使えるようになるのかを研究しています。現在の研究テーマには、記憶から情報を取り出す仕組み、コンピューターを使った学習道具、文章の理解、子どもの学習、自分の学び方を自分で調整する力などがあります。

少しかたい言い方をしましたが、カーピックの研究をひとことで表すなら、こうなります。

「覚えたいなら、もう一度読むだけではなく、いったん本を閉じて思い出してみよう」

教科書を閉じる。ノートも伏せる。そして白紙を前にして、「さて、何が書いてあったっけ」と頭の中を探す。

私たちにとっては、なかなか心細い時間です。読んでいる最中は「わかる、わかる」と機嫌よくうなずいていた知識が、教科書を閉じた途端、そろって避難訓練を始めます。

「あれ、さっきまでここにいた鎌倉幕府は?」

「重要単語のみなさん、どちらへ?」

そんな記憶の逃走劇を、カーピックは長年じっくり追いかけてきました。

「読むこと」よりも「思い出すこと」に注目した研究者

一般的に、勉強と聞いて思い浮かべるのは、教科書を読む、線を引く、ノートをきれいにまとめる、といった作業でしょう。

もちろん、それらが無意味というわけではありません。最初に知識を頭へ入れるには、読むことも説明を聞くことも必要です。

ところがカーピックが注目したのは、知識を頭に「入れる」場面だけではありませんでした。いったん入れた知識を、頭の中から「取り出す」場面です。

たとえば、英単語の意味を隠して答える。授業で習った内容を、何も見ずに紙へ書き出す。昨日読んだ本の要点を、自分の言葉で説明してみる。

こうして記憶の中から情報を引っぱり出すことを、日本語では「思い出す練習」や「検索練習」と表せます。

ここでいう「検索」は、インターネット検索ではありません。頭の中の本棚を探し回る作業です。

「記憶棚の三段目に置いたはずなんですが」

「申し訳ありません。ただいま行方不明です」

そんな脳内図書館での捜索そのものが、学習になるのではないか。カーピックの研究は、この考えを実験によって確かめてきました。

研究室では、思い出す練習が長期的な記憶を強めること、その効果をさまざまな教材や学習者、教育現場へ広げられることを研究しています。

小テストを「審判」から「練習相手」へ変えた

私たちは、テストに対して少し身構えます。

テストとは、先生が腕を組みながら待っている関所であり、「君は覚えているのかね」と通行手形を確認されるもの。そんな印象があります。

しかし、カーピックたちの研究が教えてくれるのは、テストには成績を測る以外の役割もあるということです。

テストは、学習の結果を調べるだけではありません。答えを思い出そうとする行為そのものが、記憶を強くすることがあります。

つまり、小テストは「できる人とできない人を分ける審判」であるだけでなく、「知識を育てる練習相手」にもなれるのです。

カーピックとヘンリー・L・ローディガー3世による研究では、文章を何度も読むだけの場合と、読んだ内容をテストで思い出す場合が比べられました。すぐ後の成績では繰り返し読んだ人がよく覚えているように見えても、時間がたつと、思い出す練習をした人のほうが多くの内容を保持していました。

読んだ直後の「わかった感じ」は、なかなか口がうまいのです。

「大丈夫です。完璧に覚えました」

そう言っておきながら、一週間後に呼び出すと電話に出ません。

一方、思い出す練習は少し不格好です。答えが出てこない。時間がかかる。間違える。勉強が進んでいないように感じる。

けれども、その頭をひねる時間が、記憶の道を少しずつ踏み固めていきます。

なぜ私たちは、効果的な勉強法を選べないのか

カーピックの研究がおもしろいのは、「どの勉強法が効果的か」だけでなく、「なぜ人は効果的な勉強法をあまり選ばないのか」まで調べているところです。

多くの人は、自分で勉強方法を選べるとき、思い出す練習よりも、繰り返し読む方法を選びやすいことが示されています。

理由は、なんとなく想像できます。

読み返しは、気持ちがいいのです。

二回目に読む文章には見覚えがあります。「はいはい、知っています」と脳がうなずくので、勉強が順調に進んでいるように感じます。

ところが、何も見ずに思い出そうとすると、急に霧が立ちこめます。

「知っているはずなのに出てこない」

「さっき読んだのに説明できない」

この感覚は、あまり気分のよいものではありません。

そのため私たちは、記憶が本当に強くなる方法よりも、「勉強できている気分になりやすい方法」を選んでしまうことがあります。勉強法を選ぶ会議に、記憶力だけでなく気分まで出席しているわけです。しかも気分さんは、なかなか発言力が強い。

カーピックの研究は、こうした自分の理解についての判断や、学習方法の選び方にも目を向けています。

教室と研究室のあいだに橋をかける

カーピックは、記憶の仕組みだけを研究室の中で眺めているわけではありません。

彼の研究は、認知科学と教育の境目にあります。つまり、「人の記憶はどう働くのか」という理論的な問いと、「では、実際の授業や勉強にどう生かせるのか」という現実的な問いを、同じ机の上に置いています。

たとえば、授業の途中にどのような質問を入れるとよいのか。短い記述問題と選択問題をどう組み合わせるのか。難しい文章を学ぶとき、どんな手がかりがあれば思い出しやすくなるのか。

さらに、コンピューターを使って問題を提示したり、学習者に合わせた学び方を作ったりする研究にも取り組んできました。

研究の目的は、学生を小テストの海へ投げ込み、「泳げ、さもなくば忘れよ」と叫ぶことではありません。

大切なのは、学ぶ人が適切な難しさで知識を思い出し、答えを確かめ、もう一度挑戦できる環境を整えることです。

子どもの言葉の学習にも広がる研究

カーピックの研究は、大学生の試験勉強だけにとどまりません。

パデュー大学の研究室では、言葉の発達に困難を抱える子どもたちの単語学習にも、思い出す練習を生かす研究が進められています。

言葉の発達に困難がある子どもにとって、「覚えているかを確認すること」は、以前から評価のために使われてきました。しかし、カーピックたちは、思い出す行為を単なる確認ではなく、言葉を身につけるための方法として活用できる可能性を調べています。

研究では、適切な思い出す練習を取り入れることで、言葉の発達に困難がある子どもたちの単語学習を支えられることが示されています。

テストという言葉には、どうしても冷たい響きがあります。

けれども使い方を変えれば、テストは人を選別する壁ではなく、学びを支える足場にもなります。この発想の転換は、カーピックの研究の大きな魅力でしょう。

心理学へ向かった道

カーピックは、インディアナ大学で心理学を学び、その後、セントルイス・ワシントン大学の大学院で実験心理学を研究しました。2007年に博士号を取得し、同年からパデュー大学で研究と教育に携わっています。

心理学協会のインタビューによると、若い頃から学習を科学的に調べることへ関心を持つきっかけを与えたのは、父親のジョン・カーピックだったそうです。

大学ではデイヴィッド・ピソーニ、大学院ではヘンリー・L・ローディガー3世、パデュー大学ではジェームズ・ネアンらから影響を受けたと語っています。

研究者も、ある朝突然、白衣を着て記憶の謎を解き始めるわけではありません。

身近な人から渡された小さな好奇心が、恩師との出会いによって育ち、やがて多くの学生や研究仲間とつながっていく。その積み重ねの先に、カーピックの研究があります。

知識の「消費者」から「生産者」へ

カーピックは、若い研究者への助言として、学生時代には知識を受け取る力が評価される一方、研究者になると、自分で新しい知識を生み出す力が求められると語っています。

そのため、なるべく早く「知識を受け取る人」から「知識を生み出す人」へ考え方を切り替えたほうがよいと勧めています。

これは研究者だけに限った話ではないでしょう。

本を読んで終わるのではなく、自分の言葉で説明してみる。

講義を聞いて終わるのではなく、何が大切だったかを書き出してみる。

誰かの意見を覚えるだけでなく、「自分はどう考えるか」を言葉にしてみる。

知識を受け取ったあと、それを自分の中から取り出し、組み直し、外へ出してみる。そのとき、学びは単なる情報収集から、自分の一部へと変わっていきます。

教科書を閉じたところから始まる学び

ジェフリー・D・カーピックの研究は、勉強に対する私たちの素朴な思い込みを、静かにひっくり返します。

勉強とは、できるだけ長く教科書を見ることではない。

わかりやすいノートを作り、満足げに眺めることだけでもない。

学んだ内容をいったん見えなくして、それでも自分の中から取り出せるか確かめること。その少し苦しい時間に、記憶は鍛えられていきます。

本を閉じた瞬間、私たちは頼りなくなります。

けれども、その頼りなさは「学べていない証拠」ではありません。むしろ、本当の学びが始まる入口なのかもしれません。

カーピックは、記憶の奥へ向かって問いかけます。

「そこに知識はありますか?」

記憶はすぐには返事をしないかもしれません。

それでも何度か呼びかけ、探し、間違え、また思い出す。その繰り返しによって、知識は少しずつ、呼べば出てきてくれる顔なじみになっていくのです。

参考文献・確認先:パデュー大学:ジェフリー・D・カーピック公式プロフィール / Google Scholar:ジェフリー・D・カーピック 論文・引用情報 / PubMed:ジェフリー・D・カーピック 関連論文

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ジェフリー・D・カーピック(Jeffrey D. Karpicke)の研究から学べること

ジェフリー・D・カーピックの研究から学べることは、ひとことで言えば、勉強は「頭に入れる作業」だけでは終わらないということです。

本を読む。授業を聞く。重要なところに線を引く。きれいなノートを作る。

ここまでは、多くの人が「勉強」として思い浮かべる風景でしょう。机の上には教科書とノート。手には蛍光ペン。顔つきも、なかなか真剣です。

ところが、カーピックの研究は、その立派な勉強風景に、少し意地悪な質問を投げかけます。

「では、教科書を閉じてください。何が書いてありましたか?」

すると急に、心の中が静かになります。

「あれ……」

先ほどまで元気に光っていた知識が、教科書を閉じた途端、いっせいに物陰へ隠れてしまうのです。

しかし、そこで落ち込む必要はありません。

カーピックの研究が教えてくれるのは、思い出せないことに気づく時間こそ、学びを深める大切な場面になりうるということです。

読み返すだけでは、「わかった気分」に包まれやすい

同じ文章を何度も読んでいると、内容がだんだん見慣れてきます。

一度目は難しかった文章も、二度目には少し読みやすくなり、三度目には「これはもう覚えたな」と思えてきます。

脳内では、小さな自信家が腕を組んでいます。

「うむ。これは完全に理解した」

けれども、ここには少し落とし穴があります。

文章を見ながら「わかる」と感じることと、何も見ずに説明できることは、同じではありません。

たとえば、料理番組を見ながらなら「次は玉ねぎを入れるんだな」とわかります。しかし、翌日に台所へ立ち、材料だけを目の前にすると、「最初に油だっけ、水だっけ、人生について考えるんだっけ」となることがあります。

勉強も似ています。

答えを見ながら理解することはできても、必要な場面で自分の頭から答えを取り出せるとは限りません。

カーピックの研究から学べる一つ目の大切な点は、「見ればわかる」と「自分で思い出せる」を区別することです。

読み返しが悪いわけではありません。新しい内容を知るためには、読むことが必要です。

ただし、読み返して安心したところで勉強を終えてしまうと、知識がまだ教科書の中に住んだままかもしれません。

知識を自分のものにするには、教科書から引っ越してもらう必要があります。

「本日から、あなたの住所は私の記憶です」

そう言えるようになるには、実際に思い出してみることが必要なのです。

「思い出すこと」は、記憶の健康診断ではなく筋力トレーニング

私たちはテストを、「覚えているかどうかを調べるもの」だと考えがちです。

つまり、テストは記憶の健康診断です。

「はい、記憶力を測ります。深呼吸してください」

しかし、カーピックたちの研究が示したのは、テストには確認以上の役割があるということでした。

答えを思い出そうとする行為そのものが、記憶を強める練習になります。

これは、体力測定をしたら、その場で少し筋肉までついていた、というような話です。

もちろん、一回思い出そうとしただけで、知識が永久保存されるわけではありません。それでも、記憶の中から情報を取り出すたびに、その情報へ向かう道が少しずつ通りやすくなります。

最初は草むらだった道が、何度も歩くうちに細い小道になり、やがて迷わず進める道になる。

思い出す練習は、記憶の中に道をつくる作業だと考えるとわかりやすいでしょう。

ここから学べるのは、勉強するときに「あと何回読むか」だけでなく、**「あと何回、何も見ずに思い出すか」**を考えることです。

たとえば、本を一章読んだら閉じてみる。

そして、次のように自分へ問いかけます。

「この章でいちばん大切なことは何だった?」

「三つにまとめるとしたら?」

「誰かに説明するとしたら、どう話す?」

答えが出てこなくても大丈夫です。

むしろ、出てこないところが見つかったなら、それは勉強が失敗したのではありません。次に復習する場所を発見したのです。

忘れている部分は、敵ではありません。

「ここ、まだ道路ができていませんよ」と教えてくれる案内係です。

うまく思い出せない時間を、怖がらなくていい

思い出す練習は、読み返しよりも苦しく感じることがあります。

教科書を見れば、答えはそこにあります。

ところが、本を閉じると答えが見えません。頭の中を探しても、なかなか出てこない。

すると私たちは、こんなふうに考えてしまいます。

「自分は記憶力が悪いのではないか」

「さっき勉強したのに、もう忘れている」

「向いていないのかもしれない」

けれども、カーピックの研究から考えると、その「うまく出てこない感じ」は、必ずしも悪い兆候ではありません。

楽に答えを眺めているときよりも、少し頭を使って思い出そうとしているときのほうが、学習として意味のある場合があります。

勉強中の感覚と、実際の学習効果は、いつも仲よく手をつないでいるわけではないのです。

読み返しは、すらすら進むので「勉強できている」と感じやすい。

思い出す練習は、詰まったり間違えたりするので「勉強できていない」と感じやすい。

しかし、長い目で見ると、苦労して思い出した内容のほうが残りやすいことがあります。

つまり、勉強では「気持ちよく進んだか」だけで判断しないことが大切です。

筋力トレーニングでも、羽毛を一日中持ち上げて「今日は軽快だった」と言っても、筋肉はあまり驚きません。

少し負荷があるからこそ、力が育ちます。

記憶も同じで、少し考え、少し迷い、それでも思い出そうとすることが、学びの負荷になるのです。

間違いは、勉強の故障ではなく材料になる

思い出す練習をすると、当然、間違えることがあります。

「関ヶ原の戦いは何年?」

「たしか、昨日」

さすがに昨日ではありませんが、間違えると恥ずかしく感じる人もいるでしょう。

しかし、勉強の途中で間違えることと、本番で間違えることは違います。

練習中の間違いは、修正するための材料になります。

大切なのは、答えを出しっぱなしにしないことです。

自分なりに思い出したあとで、正解を確認する。

違っていたら、どこが違ったのかを見る。

そして、少し時間を置いてもう一度思い出す。

この流れによって、間違いは知識を整える機会になります。

ただし、間違った答えを何度も放置すると、その間違いを覚えてしまう可能性もあります。

そのため、思い出す練習では、答え合わせと修正が欠かせません。

自分で答えを出す。

正しい内容を確認する。

もう一度、自分の言葉で言い直す。

この三段階を意識すると、思い出す練習がただの当てずっぽう大会にならず、学習として機能しやすくなります。

勉強した直後より、少し時間を空けて思い出す

学んだ直後は、内容がまだ頭の中に残っています。

教科書を閉じても、文章の形やページの位置がなんとなく浮かぶかもしれません。

その状態で答えられると、「よし、覚えた」と思います。

ところが、一日後、一週間後になると、記憶の景色は変わっています。

昨日まで最前列に座っていた知識が、いつの間にか後ろの席へ移動しています。

「名前を呼ばれたら返事してください」

「……」

だからこそ、時間を空けて思い出すことが大切です。

一度覚えた内容を、その日のうちに何度も確認するだけでなく、翌日や数日後にも思い出してみる。

すると、「その場では覚えていた知識」と「長く残っている知識」の違いが見えてきます。

勉強は、一回の長時間勝負よりも、何日かに分けて知識を呼び出すほうが効果的なことがあります。

一夜漬けは、知識を一晩だけ宿泊させる民宿のようなものです。

朝になると、多くの知識がチェックアウトしていきます。

長く住んでもらうには、日を空けながら何度か顔を合わせる必要があります。

「元気でしたか」

「ええ、まだ覚えています」

そんな再会を重ねることで、記憶は少しずつ安定していきます。

答えを丸暗記するより、自分の言葉で取り出す

思い出す練習というと、単語帳や一問一答を想像するかもしれません。

もちろん、それらも役立ちます。

ただ、カーピックの研究から考えると、思い出す練習は、単語を一つ答えるだけのものではありません。

文章の要点をまとめる。

出来事の流れを説明する。

考え方の違いを比べる。

具体例を自分で作る。

このように、まとまった内容を自分の言葉で取り出すことも、大切な学習になります。

たとえば、心理学の理論を読んだあと、「この理論を友人へ説明するとしたら、どう話すか」と考えてみる。

説明している途中で言葉に詰まったなら、そこが理解の薄い部分です。

人に説明しようとすると、自分の理解の穴がよく見えます。

普段はカーペットの下に隠れていた疑問が、ぞろぞろ出てきます。

「そもそも、この言葉はどういう意味だ?」

「この二つは何が違う?」

「日常生活では、どんな場面に当てはまる?」

この疑問が出てくること自体が、学びの前進です。

知識は、ただ覚えるだけでは少し心細いものです。

自分の言葉で説明し、別の場面に当てはめ、他の知識とつなげたとき、使える知識へ育っていきます。

学ぶ人自身が、小さな先生になる

カーピックの研究からは、学ぶ人が受け身でいるだけではなく、自分で学習を動かすことの大切さも見えてきます。

先生が説明してくれる。

教材が要点をまとめてくれる。

動画がわかりやすく教えてくれる。

こうした支援は、とてもありがたいものです。

しかし、最後に知識を自分の中から取り出すのは、自分自身です。

そこで、勉強するときには、自分が自分の先生になってみます。

「今日の授業の重要点は?」

「この部分を説明できますか?」

「前に習った内容と、どうつながりますか?」

「明日、もう一度聞きますからね」

自分の中に、少ししつこい先生を住まわせるのです。

この先生は、給料を要求しません。ただし、忘れた頃に質問してきます。

自分で問題を作ることも効果的です。

教科書を読みながら、「テストに出るなら、どんな問題になるだろう」と考える。

問題を作るには、何が重要なのかを見極めなければなりません。

さらに、あとでその問題に答えれば、思い出す練習にもなります。

学ぶ人が問題を解くだけでなく、問題を作る側にも回る。

この瞬間、勉強は誰かから与えられる作業ではなく、自分で組み立てる活動になります。

仕事や日常生活にも「思い出す練習」は使える

カーピックの研究から得られる知恵は、学校の勉強だけに使うものではありません。

仕事でも、研修資料を読んだあとに資料を閉じ、「大事な点を三つ挙げる」と決めておけば、内容を記憶に残しやすくなります。

会議のあとに、議事録を見る前に「何が決まったか」「誰が何をするか」を思い出してみるのもよいでしょう。

本を読んだあと、感想を一行書くだけでも違います。

「なるほど、いい本だった」で終わると、翌月には「何がよかったんだっけ」となりがちです。

そこで、読み終えたら本を閉じて、次の三つを書き出します。

「心に残ったこと」

「自分の生活に関係すること」

「明日から試したいこと」

これだけでも、読書が情報の通過駅ではなく、自分の考えを育てる場所になります。

人の名前を覚えたいときにも使えます。

名刺を何度も見るだけでなく、少し時間を置いて、「あの方のお名前は何だったか」と思い出す。

買い物の予定も、一覧を見る前に思い出してみる。

料理の手順も、説明書を見たあとに一度閉じて流れを言ってみる。

日常生活のあちこちに、小さな思い出す練習を入れることができます。

何でもテストにすればよいわけではない

ここで少し注意したいのは、「思い出す練習が効果的なら、何でもテストにすればよい」という話ではないことです。

難しすぎる問題ばかり出され、毎回ほとんど答えられなければ、学ぶ人は疲れてしまいます。

「また間違えた」

「自分には無理だ」

そう感じる状態では、学習を続ける意欲まで削られるかもしれません。

思い出す練習には、適度な難しさが必要です。

少し考えれば答えられる。

答えられなくても、手がかりがあれば思い出せる。

間違えたあと、正しい答えを確認できる。

こうした環境が大切です。

また、初めて学ぶ内容については、まず説明を読んだり、教えてもらったりする必要があります。

まだ頭に入っていない知識を、いきなり取り出すことはできません。

空の冷蔵庫を開けて、「なぜカレーが出てこない」と怒っても、冷蔵庫は困ります。

まず材料を入れる。

そのうえで、必要なときに取り出せるよう練習する。

読むことと、思い出すことは、どちらか一方を選ぶものではありません。両方を組み合わせることが大切なのです。

「忘れる自分」を責めるより、呼び出す回数を増やす

私たちは、忘れると自分を責めがちです。

「自分は頭が悪い」

「記憶力がない」

「年齢のせいだ」

けれども、人間の記憶は、そもそも忘れるようにできています。

一度読んだだけで、すべてを正確に覚え続けられる人は、ほとんどいません。

だから大切なのは、忘れない人になることではなく、忘れることを前提に学び方を組み立てることです。

忘れる前に少し思い出す。

忘れかけた頃にもう一度取り出す。

間違えたら確認する。

また時間を置いて試す。

この繰り返しによって、記憶は育っていきます。

忘れることは、学習の故障ではありません。

忘れるからこそ、もう一度思い出す練習ができます。

そして、その呼び出しを重ねることで、知識は少しずつ長く残るようになります。

カーピックの研究は、私たちに「もっと頭のよい人になりなさい」と迫るものではありません。

むしろ、こう語りかけているように感じます。

「人は忘れます。だから、忘れる人間に合った学び方を使いましょう」

これは、なかなかやさしい考え方です。

学びとは、知識と何度も再会すること

ジェフリー・D・カーピックの研究から学べるのは、学習とは知識を一度頭に入れて終わる作業ではない、ということです。

読む。

閉じる。

思い出す。

確かめる。

少し時間を置く。

もう一度思い出す。

この小さな循環が、知識を長く残るものへ変えていきます。

勉強というと、私たちは新しい情報をどんどん集めることに目を向けます。

けれども本当に大切なのは、すでに出会った知識と、何度も再会することなのかもしれません。

一度読んだ本の内容を思い出す。

以前に習った考え方を、今日の問題へ使ってみる。

知っているはずのことを、自分の言葉でもう一度語ってみる。

そのたびに、知識は少しずつ他人の言葉ではなく、自分の言葉になっていきます。

教科書を開いている時間だけが、勉強ではありません。

むしろ、教科書を閉じて、「さて、何を覚えているだろう」と考えた瞬間から、記憶の仕事は本格的に始まります。

思い出せなくても、焦らなくて大丈夫です。

知識が少し遠くへ散歩に出ているだけかもしれません。

何度か名前を呼び、正しい場所を教え、また呼び出す。

そうして知識との再会を重ねることが、カーピックの研究から学べる、地味だけれど頼もしい学び方なのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ジェフリー・D・カーピック(Jeffrey D. Karpicke)の論文一覧

1.『テストが学びを強くする:記憶を試すことが、長期的な定着を高める』ヘンリー・L・ローディガー3世、ジェフリー・D・カーピック(2006)

Roediger, H. L., III, & Karpicke, J. D.(2006). Test-enhanced learning: Taking memory tests improves long-term retention. Psychological Science, 17(3), 249–255. DOI:10.1111/j.1467-9280.2006.01693.x

「覚えたければ、もう一度読めばいい」――そう思っている脳に、この論文は小テストを差し出します。学生たちに文章を学ばせ、読み返す組と、何も見ずに思い出すテストを受ける組を比較。すると直後は読み返し組が優勢でも、数日後や1週間後にはテスト組が逆転しました。テストは知識を裁く裁判官ではなく、記憶を鍛える練習相手だったのです。蛍光ペンを握って安心している場合ではありません。「わかった気分」と「あとで思い出せる」は別物。教科書を閉じ、頭の中を探し回る少し苦しい時間こそ、記憶を育てる。勉強の常識を静かにひっくり返す一篇です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
記憶を定着させる方法は?読み返すより「思い出す」復習が効く
記憶を定着させる方法は?読み返すより「思い出す」復習が効く

2.『思い出す練習は、概念マップを使って詳しく学ぶよりも、大きな学習効果を生み出す』ジェフリー・D・カーピック、ジャネル・R・ブラント(2011)

Karpicke, J. D., & Blunt, J. R.(2011). Retrieval Practice Produces More Learning Than Elaborative Studying With Concept Mapping. Science, 331(6018), 772–775.
DOI:10.1126/science.1199327

「概念マップで知識をきれいに整理しました!」と胸を張る図解派。そこへ検索練習派が、「僕は資料を閉じて、ひたすら思い出しました」と地味に登場します。見た目の華やかさでは図解派の圧勝。ところが1週間後のテストでは、思い出す練習をした人のほうが、暗記だけでなく理解や推論でも好成績でした。「分かった気分」と「本当に覚えている」は別もの。白紙の前でうなる時間が、なぜ学びを深くするのかを鮮やかに示した論文です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
勉強しても覚えられない人へ|「思い出す練習」の効果を実験で解説
勉強しても覚えられない人へ|「思い出す練習」の効果を実験で解説
記事URLをコピーしました