ジャネル・R・ブラント(Janell R. Blunt)の論文一覧:きれいなノートより、脳に「思い出せ」と汗をかかせた記憶研究者
ジャネル・R・ブラント(Janell R. Blunt)のプロフィール
ジャネル・R・ブラント(Janell R. Blunt)は、アメリカの認知心理学者です。主に「人は、どうすれば学んだことを長く覚えていられるのか」という問題を研究しています。
現在は、アメリカ・インディアナ州にあるアンダーソン大学で心理学の准教授を務めています。学士号、修士号、博士号はいずれもパデュー大学で取得しました。つまり、大学で心理学を学び、そのまま大学院へ進み、「記憶と学習」という底の見えない井戸を、研究という長いロープで少しずつ降りてきた研究者です。
「読んだのだから、覚えたはずです」の落とし穴
私たちは勉強するとき、教科書を何度も読み返したり、大事な部分に線を引いたりします。
一度目は黄色、二度目はピンク、三度目は青。
気がつけば、教科書は学習教材というより春の花畑です。
そして、色鮮やかになったページを眺めながら、私たちは満足そうに言います。
「うむ。今日は、かなり勉強した」
しかし、ブラントの研究は、そんな私たちの肩をそっとたたきます。
「ところで、その本を閉じて、内容を説明できますか?」
ここで急に静かになります。
読んでいるときには「わかる、わかる」と思っていたのに、本を閉じた瞬間、頭の中から知識が集団下校を始める。ブラントが研究してきたのは、まさにこの「わかった気になっている状態」と、本当に覚えている状態の違いです。
記憶を強くするのは、もう一度読むことではなく「思い出すこと」
ブラントの名前を広く知らしめた研究の一つが、ジェフリー・D・カーピックとの共同研究です。
この研究では、文章を学ぶ方法として、「内容を詳しく整理した概念図を作る方法」と、「いったん教材を閉じて、覚えていることを自力で思い出す方法」が比べられました。
概念図を作る方法は、いかにも勉強らしく見えます。丸を書き、線でつなぎ、知識同士の関係を整理する。机の上には知性の香りが漂います。
一方、思い出す方法は地味です。
本を閉じて、「さて、何が書いてあったかな」と考える。
出てこない。
少し苦しむ。
「あれは確か……」と、脳内の押し入れをひっくり返す。
見た目だけなら、概念図を作るほうが優秀な勉強法に見えるでしょう。ところが実験では、学んだ内容を自力で思い出す練習をした人たちのほうが、後の試験でよい成績を示しました。単なる暗記だけでなく、学んだ知識を使って考える問題でも効果が確認されたのです。
つまりブラントたちが示したのは、記憶とは、知識を頭に入れるだけで完成するものではないということです。
入れた知識を、もう一度外へ取り出す。
この「思い出す運動」によって、知識は少しずつ使いやすくなります。
記憶は倉庫ではありません。どちらかといえば山道です。何度も通れば道ができ、しばらく歩かなければ草が生える。ブラントの研究は、知識を眺めているだけでは道はできず、実際にそこを歩く必要があると教えてくれます。
テストを「採点の日」から「学ぶ時間」へ
学校で「テスト」と聞くと、多くの人は少し身構えます。
点数をつけられる。
順位が出る。
勉強不足が白日の下にさらされる。
テストは、知識の公開処刑場だと思っている人もいるかもしれません。
けれども、ブラントが扱う「思い出す練習」は、誰かを評価するための試験とは少し違います。目的は、何点取れるかを裁くことではありません。覚えたことを頭の中から取り出し、記憶を育てることです。
たとえば、本を一章読んだあとに、次のようなことをしてみます。
「この章で大事だったことを三つ言ってみよう」
「登場した考え方を、自分の言葉で説明してみよう」
「何も見ずに、内容を紙に書いてみよう」
答えが完全でなくてもかまいません。むしろ、うまく思い出せずに少し困る時間に意味があります。脳が「これは後で必要になる情報らしい」と判断し、知識を探す経路を作り直すからです。
ブラントは、手がかりを与えながら思い出させる方法や、子どもの学習にも使える方法についても研究してきました。大学生だけが研究室で単語を覚えるのではなく、実際の教室や学校の中で、この学び方が役立つのかを確かめようとしてきたのです。
研究室だけでなく、教室へ
心理学の研究には、ときどき困った問題があります。
研究室では効果があった。
条件をきれいに整えた実験でも、確かに効果が出た。
では、子どもたちが話し、先生が時間に追われ、チャイムが鳴り、消しゴムが床へ落ちる本物の教室でも使えるのか。
ここが大切です。
ブラントは共同研究者たちとともに、学校や教室で行われた「思い出す練習」の研究を広く調べています。その総合的な検討では、小学校から大学まで、さまざまな教育現場で、思い出す練習が学習に役立つことが一貫して示されました。
科目や学年、練習の方法が違っても、多くの場合、ただ教材を読み直すより、学んだことを思い出す活動を入れるほうが、その後の学習成績によい影響を与えていました。
これは先生にとっても、学ぶ人にとっても朗報です。
特別に高価な機械はいりません。
巨大な学習装置もいりません。
頭に電極をつけて「記憶力、最大出力!」と叫ぶ必要もありません。
小さな紙、短い質問、数分間の確認だけでも、学び方を変えられる可能性があります。
ブラントの研究は、学習を「説明を聞く時間」だけで終わらせず、「自分の頭から答えを取り出す時間」まで含めて考えようとします。
先生が話し、生徒が静かに聞く。
それだけでは、知識が頭の中に住民票を移したとは限りません。
学んだ人自身が知識を呼び出したとき、ようやくその知識は「借りてきた情報」から「自分で使える知識」へ変わり始めるのです。
記憶の宮殿にも、生き物を連れてくる
ブラントの研究は、思い出す練習だけに限りません。記憶を助けるイメージの働きについても研究しています。
その一つが、「場所を利用して覚える方法」に関する研究です。
これは、よく知っている家や道を頭の中に思い浮かべ、覚えたいものを各場所に置いていく記憶法です。
たとえば買い物の内容を覚えたいなら、玄関に巨大な大根を立たせ、廊下を牛乳の川にし、ソファには食パンを座らせます。
家族が見たら心配する光景ですが、頭の中なので問題ありません。
ブラントたちは、この方法を初めて使う人の場合、生き物や動きのあるイメージを利用すると、記憶に残りやすくなる可能性を調べました。その研究では、生き物に関係する言葉や、生き物を使ったイメージが記憶を助けることが示されています。
ここにも、彼女の研究に共通する姿勢が見えます。
人間の記憶は、文章をそのまま保存する録音機ではありません。
意味をつける。
場所と結びつける。
姿を想像する。
自分で思い出す。
そうした働きによって、知識は記憶の中に根を張っていきます。
「勉強した感」と「本当に学んだこと」は違う
ブラントの研究のおもしろさは、私たちの感覚が必ずしも正しいとは限らない点を、はっきり見せてくれるところにあります。
何度も読み返す勉強は、すらすら読めるようになります。
文章を見れば、内容にも見覚えがあります。
そのため私たちは、「かなり覚えた」と感じます。
けれども、それは知識を自力で出せることとは別です。
たとえるなら、いつも地図を見ながら歩いている道について、「もう完璧に覚えた」と思っている状態です。ところが、ある日地図を閉じられると、最初の角で立ち尽くす。
「このコンビニ、右だっけ。左だっけ」
見ればわかることと、何もない状態から思い出せることは違います。
ブラントは、この違いを研究によって明らかにしてきました。
楽にできる勉強が、よい勉強とは限らない。
少し難しく、少し頭を使い、少しうまくいかない勉強のほうが、長い目で見ると記憶を育てる場合がある。
勉強中の「気持ちよさ」と、後で使える「学習成果」は、必ずしも手をつないで歩いてくれないのです。
研究成果を、学ぶ人の手元まで届ける
ブラントは研究論文を書くだけでなく、効果的な学習方法を教育現場や一般の学習者に伝える活動にも取り組んでいます。
2024年には、効果的な学習や技能の身につけ方を扱うオンライン講座が紹介され、大学によると約1万2000人が受講していました。また、2025年には、学生が教材を利用しやすくなるよう、無料または低価格で使える教育資料の活用を進めた功績により、インディアナ州内の教育者を対象とする賞を受けています。
研究者というと、難しい数式に囲まれ、研究室の奥で「ふむ」と言っている姿を想像するかもしれません。
けれどもブラントの仕事は、研究室の中だけでは終わりません。
どうすれば学生が学びやすくなるのか。
どうすれば先生が研究成果を授業に取り入れられるのか。
どうすれば教材費などの負担を抑えながら、学ぶ機会を広げられるのか。
記憶の仕組みを研究するだけでなく、その知識を実際の教育へ運ぼうとしているところに、彼女の研究者としての特徴があります。
ブラントの研究から私たちが学べること
ジャネル・R・ブラントの研究から得られる最大の教訓は、勉強とは「情報を見ること」ではなく、「情報を使える形にすること」だという点でしょう。
読む。
閉じる。
思い出す。
確認する。
間違っていたら直す。
そして、少し時間を空けて、また思い出す。
この繰り返しは、派手ではありません。
机の上に広げた参考書の冊数も増えませんし、蛍光ペンの減り方も遅いでしょう。
けれども、頭の中では着実に工事が進んでいます。
最初は細く頼りなかった記憶への道が、何度も思い出すうちに歩きやすくなる。少し忘れたころに再び呼び出せば、その道はさらに強くなる。
ブラントの研究は、勉強に魔法の近道を用意してくれるわけではありません。
その代わり、私たちがつい選んでしまう「楽だけれど残りにくい道」と、少し大変でも「後で使える知識につながる道」の違いを教えてくれます。
教科書を何度も読むことが悪いのではありません。
きれいなノートを作ることも、概念を整理することも役に立ちます。
ただし、それだけで終わらせない。
最後に本を閉じて、自分へ問いかけてみる。
「さて、私は何を学んだのだろう?」
その静かな問いが、記憶を育てる出発点になります。
ジャネル・R・ブラントは、私たちの脳にこう語りかける研究者なのかもしれません。
「勉強したページ数より、思い出そうとした回数を大切にしてみませんか」
知識は、眺められるのを待っている置物ではありません。
呼び出され、説明され、使われるたびに、少しずつ私たち自身の言葉になっていくのです。
参考文献・確認先:アンダーソン大学:ジャネル・R・ブラント教員情報 / 思い出す学習法研究サイト:ジャネル・R・ブラント研究者プロフィール / Google Scholar:ジャネル・R・ブラント 論文・引用情報 / PubMed:ジャネル・R・ブラント 関連論文

ジャネル・R・ブラント(Janell R. Blunt)の研究から学べること
ジャネル・R・ブラントの研究から学べることは、ひとことで言えば、「勉強は、頭に入れたところで終わりではない」ということです。
本を読む。講義を聞く。動画を見る。
ここまでは、知識を頭の玄関まで連れてくる作業です。
ところが私たちは、玄関まで来た知識に向かって、「はい、これで覚えました」と言いがちです。知識のほうはまだ靴も脱いでいないのに、こちらだけが歓迎会を終えている。なかなか気の早い話です。
ブラントの研究が教えてくれるのは、知識を本当に自分のものにするには、一度入れた情報を、自分の力で取り出してみる必要があるということです。
「わかった」と「思い出せる」は、別の能力である
教科書を読んでいるとき、私たちは不思議なくらい自信に満ちています。
「これは知っている」
「この話は理解できる」
「さっきも読んだから大丈夫」
しかし、本を閉じて説明しようとすると、急に言葉が出てきません。
「ええと、つまり……その……大事なのは、なんとなく大事ということで……」
頭の中では立派に理解していたはずなのに、口から出てくるのは霧です。
なぜ、こんなことが起こるのでしょうか。
文章を見ながら「わかる」と感じることと、何も見ずに内容を思い出すことは、同じではないからです。
文章を読み返していると、見覚えのある言葉が並んでいます。すると脳は、「これは知っている情報だ」と判断します。
ところが、その知識を自分から呼び出せるかどうかは、別の問題です。
たとえば、知人の顔を見れば名前がわかるのに、顔写真を伏せられて「名前を言ってください」と言われると出てこないことがあります。
顔を見てわかることと、何もないところから思い出すことは違うのです。
ブラントの研究から学べる第一のポイントは、この違いを知ることです。
「読めばわかるから、覚えている」とは限らない。
むしろ、本当に覚えているかどうかを確かめるには、いったん教材を閉じる必要があります。
少し皮肉ですが、勉強の成果を確かめるためには、勉強道具から離れなければならないのです。
本を閉じてから、勉強の後半戦が始まる
では、どのように勉強すればよいのでしょうか。
方法は、それほど難しくありません。
一つの章を読んだら、本を閉じて、覚えている内容を話してみます。
ノートを見ずに、要点を書いてみてもよいでしょう。
「この章で大切だったことは何だろう」
「誰かに説明するとしたら、どう話すだろう」
「原因と結果は、どのようにつながっていたのだろう」
こうした問いに、自分の言葉で答えてみます。
ここで大切なのは、完璧に思い出すことではありません。
むしろ、思い出せない部分が見つかることに意味があります。
「全然出てこない。私の記憶は本日休業です」
そう落ち込む必要はありません。
思い出せなかったということは、どこを学び直せばよいかが見えたということです。
何度も読み返しているだけでは、理解できていない部分が隠れたままになることがあります。文章を見れば、なんとなくわかった気になれるからです。
しかし、自分で思い出そうとすると、ごまかしがききません。
わかっている部分は言葉になる。
あやふやな部分は途中で止まる。
完全に忘れている部分は、静かな空白になる。
少々きびしい方法ですが、とても正直です。
思い出す練習は、脳の健康診断のようなものです。
結果を見て落ち込むためではありません。どこを手当てすればよいかを知るために行うのです。
少し苦しい勉強ほど、あとで役に立つことがある
ブラントの研究から学べる、もう一つのおもしろい点があります。
それは、「勉強中に楽であること」と「あとでよく覚えていること」は、必ずしも一致しないということです。
読み返しは楽です。
一度読んだ文章なので、二度目はすらすら読めます。
三度目になると、「完全に理解した」と感じるかもしれません。
けれども、そのすらすら感は、文章に慣れただけの場合があります。
一方、教材を閉じて思い出す練習は大変です。
すぐには答えが出ません。
頭の中を探しても、欲しい知識が見つからない。
ようやく見つけたと思ったら、内容が少し違う。
まるで散らかった物置で、冬物の手袋を探しているような状態です。
しかし、その「探す作業」そのものが、記憶を強くしていきます。
知識を思い出すたびに、脳はその情報へ向かう道を通ります。
最初は草だらけの細い道でも、何度も歩けば通りやすくなる。
反対に、知識を入れただけで一度も呼び出さなければ、その道はだんだん見えにくくなります。
勉強中に少し苦労することは、失敗ではありません。
それは、脳がきちんと働いている証拠でもあります。
もちろん、苦しければ苦しいほどよいわけではありません。
まったく理解できない内容に何時間もしがみつけば、学習というより根性大会になります。
大切なのは、「少し考えれば思い出せそう」という程度の難しさです。
答えが喉まで出かかっている。
思い出せそうで思い出せない。
この小さな引っかかりが、記憶を育てます。
脳にとっては、軽い坂道を歩くようなものです。平らな道より少し疲れますが、そのぶん足腰が鍛えられます。
間違えることは、学習の故障ではない
思い出す練習をすると、当然ながら間違えることがあります。
すると多くの人は、「間違った答えを覚えてしまうのではないか」と心配します。
たしかに、間違えたまま放置すれば問題です。
しかし、思い出したあとで正しい答えを確認すれば、間違いは学習の材料になります。
たとえば、自分なりに答えを書いたあと、教材を開いて比べます。
「ここは合っていた」
「この部分が抜けていた」
「原因と結果を逆に覚えていた」
この確認によって、知識が修正されていきます。
最初から正解を眺めているだけでは、自分がどこを誤解しているのかわかりません。
一度、自分の答えを外へ出すからこそ、違いが見えるのです。
これは勉強だけではありません。
仕事の手順を覚えるときも同じです。
説明書を何度も読んでいると、「できそうな気分」になります。
しかし、実際にやってみると、途中で止まる。
「あれ、この次は何を押すんだっけ」
そこで初めて、自分が理解していなかった場所がわかります。
失敗は、「あなたには能力がありません」という判決ではありません。
「ここをもう一度確認してください」という案内板です。
ブラントの研究は、間違いを恐れて答えを出さないよりも、まず思い出してみて、あとから修正することの大切さを教えてくれます。
正しく学ぶとは、一度も間違えないことではありません。
間違いに気づき、直せることです。
きれいなノートより、使える記憶をつくる
勉強には、見た目の達成感があります。
ノートをきれいにまとめた。
蛍光ペンで大切な部分を塗った。
付箋をたくさん貼った。
机の上は、まるで学習雑誌の表紙です。
しかし、ノートが美しいことと、内容を覚えていることは別です。
もちろん、まとめる作業が悪いわけではありません。
情報の関係を整理したり、自分の言葉に直したりすることには意味があります。
問題は、ノートを作ったところで満足してしまうことです。
ノートは完成した。
文字も整っている。
見出しも色分けされている。
ところが、本人の頭の中では、知識がまだ住所不定です。
ブラントの研究から考えるなら、ノートを作ったあとに、もう一つ作業を加えるとよいでしょう。
ノートを閉じて、内容を再現してみるのです。
「このページには、何が書いてあったか」
「三つの要点は何だったか」
「この図を、何も見ずに描けるか」
そうやって初めて、ノートに書かれた知識が、頭の中でも動き始めます。
学習の目的は、きれいな資料を残すことではありません。
必要なときに知識を取り出し、使えるようにすることです。
試験で答える。
会議で説明する。
人に教える。
問題を解く。
実際の場面では、教科書がいつも横に立って応援してくれるわけではありません。
「困ったら二百三十七ページを見てね」と、知識が親切に現れてくれることもありません。
だからこそ、何も見ずに思い出す練習が必要なのです。
テストは、人を裁く道具ではなく、記憶を育てる道具にもなる
多くの人にとって、テストは歓迎したくない存在です。
テストと聞いただけで、昔の記憶がよみがえる人もいるでしょう。
名前を書き忘れた。
裏面の問題に気づかなかった。
隣の人だけが猛烈な速さで鉛筆を動かしていた。
あの時間だけ、時計の針が異様に速かった。
そんな経験があると、テストは「できない自分を確認する行事」に見えてしまいます。
けれども、ブラントの研究が示す思い出す練習は、点数をつけるためだけのものではありません。
自分で小さな問題を作り、自分で答える。
昨日学んだことを、朝に三分だけ思い出す。
会議のあと、資料を閉じて要点を書き出す。
こうした小さな確認も、立派なテストです。
誰かと競う必要はありません。
順位も偏差値もいりません。
大切なのは、知識を頭から呼び出すことです。
テストは、知識の取り調べ室ではなく、記憶の訓練場として使うこともできます。
この見方に変わると、勉強は少しやさしくなります。
答えられなかったからといって、落第ではありません。
「ここはまだ道が細いな」とわかっただけです。
もう一度学び、また思い出せばよい。
記憶は一回の勝負ではなく、何度も育て直せるものなのです。
学んだことは、自分の言葉で説明してみる
思い出す練習をさらに役立てる方法があります。
それは、学んだ内容を誰かに説明するつもりで話すことです。
実際に相手がいなくてもかまいません。
ぬいぐるみでも、観葉植物でも、机の上の消しゴムでも大丈夫です。
「いいですか、消しゴムさん。この理論で大切なのはですね」
少し不思議な光景ですが、学習としてはかなりまじめです。
人に説明しようとすると、単語だけでは足りません。
考えと考えのつながりを整理しなければなりません。
「なぜ、そうなるのか」
「具体的には、どういうことか」
「似た考えと、どこが違うのか」
こうした部分まで説明できて、初めて理解が深まります。
うまく説明できない場所があれば、そこがまだ曖昧な部分です。
説明の途中で言葉に詰まったら、失敗ではありません。
理解の工事現場が見つかったのです。
私たちは、わからないことがわからない状態にいることがあります。
これが一番やっかいです。
「理解できている」と思っているので、調べ直そうとしないからです。
自分の言葉で説明することは、その思い込みを静かに壊してくれます。
「知っているつもりだったけれど、説明できない」
この気づきは、少し悔しいものです。
しかし、学び直す入口は、たいていこうした小さな悔しさの近くにあります。
勉強だけでなく、仕事や日常にも使える
ブラントの研究から学べることは、試験勉強だけに限りません。
仕事で新しい制度を教わったとき、説明資料を何度も読むだけで終わらせず、閉じて要点を書いてみる。
研修を受けたあと、「今日学んだことを三つ挙げる」と決めておく。
会議が終わったら、議事録を見る前に、「決まったこと」「保留になったこと」「自分がすること」を思い出す。
本を読んだあと、内容を家族や友人に話してみる。
料理を覚えたいなら、レシピを見たあとに手順を頭の中で再現する。
道を覚えたいなら、地図を閉じて曲がり角を思い浮かべる。
どれも、情報を受け取るだけでなく、取り出す練習です。
現代の生活では、情報を集めることは簡単になりました。
検索すれば答えが出る。
動画を見れば説明してくれる。
保存すれば、いつでも読み返せる。
しかし、情報を保存することと、自分が理解することは違います。
お気に入りに入れた記事が、そのまま知識になるわけではありません。
「あとで読む」と保存した記事は、ときどきデジタルの押し入れで静かに眠り続けます。
大切なのは、情報を集める量ではなく、どれだけ自分の中から取り出したかです。
一冊を何度も読み返すより、一章ごとに立ち止まり、自分の言葉で思い出す。
十本の動画を続けて見るより、一本見たあとに内容をまとめる。
学習は、情報の食べ放題ではありません。
たくさん皿に盛れば、すべて身につくわけではないのです。
忘れる自分を、責めすぎなくていい
ブラントの研究からは、もう一つ大切なことを学べます。
それは、忘れることを必要以上に責めなくてよいということです。
人は忘れます。
昨日読んだ本の内容も、先週聞いた話も、時間がたてば薄れていきます。
「私は記憶力が悪い」
「何度やっても覚えられない」
そう感じる人もいるでしょう。
しかし、忘れること自体は、人間の記憶として自然な働きです。
問題は、忘れないことではありません。
忘れかけたときに、もう一度思い出そうとすることです。
最初は出てこなかった知識でも、確認して、時間を空けて、再び思い出す。
これを繰り返せば、記憶は少しずつ強くなります。
一度忘れたからといって、学習が全部無駄になったわけではありません。
記憶は、石に一回文字を刻めば完成するものではなく、何度もなぞることで深くなる溝のようなものです。
忘れた自分を叱るより、もう一度呼び戻せばよい。
「また忘れたのか」と怒る代わりに、「では、もう一度会いましょう」と知識を迎えに行く。
この姿勢は、勉強を長く続けるうえで、とても大切です。
学ぶとは、知識と何度も再会すること
ジャネル・R・ブラントの研究から学べるのは、勉強法だけではありません。
学ぶことに対する見方そのものを変えてくれます。
学ぶとは、一度読んで終わることではない。
一度で完璧に覚えることでもない。
知識を入れ、忘れ、思い出し、間違い、修正し、また思い出す。
その繰り返しの中で、知識は少しずつ自分のものになっていきます。
最初に出会った知識は、まだよそ行きの服を着ています。
言葉も難しく、説明も借り物です。
けれども、何度も思い出し、自分の言葉で話し、生活の中で使ううちに、その知識はだんだん部屋着になります。
肩の力を抜いて使える。
必要なときに自然と出てくる。
そこまで来て、ようやく「学んだ」と言えるのかもしれません。
ブラントの研究は、私たちに派手な学習法を勧めているわけではありません。
本を閉じる。
少し考える。
覚えていることを言葉にする。
答えを確認する。
また別の日に思い出す。
やることは、とても地味です。
しかし、地味な方法は、弱い方法とは限りません。
木の根が見えない場所で伸びるように、思い出す練習も、静かに記憶を支えていきます。
勉強しているのに覚えられないと感じたときは、読む量を増やす前に、一度立ち止まってみるとよいでしょう。
そして教材を閉じ、自分に問いかけます。
「私は、今の話をどこまで思い出せるだろう?」
すぐに答えられなくても大丈夫です。
その問いを投げかけた瞬間から、脳は知識を探し始めています。
学ぶとは、答えを眺め続けることではありません。
自分の中にある答えを、何度でも迎えに行くことなのです。

ジャネル・R・ブラント(Janell R. Blunt)の論文一覧
1.『思い出す練習は、概念マップを使って詳しく学ぶよりも、大きな学習効果を生み出す』ジェフリー・D・カーピック、ジャネル・R・ブラント(2011)
Karpicke, J. D., & Blunt, J. R.(2011). Retrieval Practice Produces More Learning Than Elaborative Studying With Concept Mapping. Science, 331(6018), 772–775.
DOI:10.1126/science.1199327
「よし、今日は概念マップをきれいに作った。勉強した感、満点!」
「で、本を閉じて説明できる?」
「……そこを突く?」
カーピックとブラントは、文章を何度も読み込み、内容を図で整理する方法と、教材を閉じて自力で思い出す方法を比べました。すると、後のテストで強かったのは「思い出す練習」をした人たち。しかも単なる丸暗記だけでなく、学んだ内容を使って考える問題でも力を発揮しました。
脳は、知識を眺めているだけでは鍛えられません。「ええと、何だっけ」と引っぱり出す、その少し苦しい時間が記憶を育てる。この論文を読むと、蛍光ペンより先に、本を閉じたくなります。

