ジェーン・ウォードル(Jane Wardle)の論文一覧:「食べすぎちゃった」の心の舞台裏を追いかけ、健康習慣のクセを研究した心理学者
ジェーン・ウォードル(Jane Wardle)のプロフィール
ジェーン・ウォードルは、「食べすぎた人を叱る」よりも先に、「そもそも人は、なぜ食べる場面でつまずくのだろう?」と考えた心理学者です。
健康の話というと、すぐに「運動しよう」「野菜を食べよう」「夜中のラーメンをやめよう」と、生活指導のメガホンが鳴り始めます。もちろん、それらは大事です。大事なのですが、言われた側の心の中では、ときどき小さな反論集会が開かれます。
「それができたら苦労しないんですけど」
「夜のラーメンには、夜のラーメンの事情があるんですけど」
「野菜は逃げないけど、締切は逃げないんですけど」
ジェーン・ウォードルは、まさにその“事情”を研究した人でした。イギリスの臨床心理学者であり、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジの健康行動研究センターを率いた研究者です。彼女が見つめたのは、食事、体重、運動、がん検診、喫煙など、「知っているのに、なぜかうまく行動できない」人間の不思議でした。
ウォードルの研究が面白いのは、肥満や食行動を「意志が弱い」という一言で片づけなかったところです。たとえば子どもでも、大人でも、「お腹がいっぱいになったら自然に食べるのをやめやすい人」と、「目の前においしそうなものがあると、つい追加注文の扉を開けやすい人」がいます。
彼女は、こうした食べ方の違いを、親が子どもの日常をもとに答えられる質問票として整理しました。これは、食欲の強さ、満腹感への気づきやすさ、新しい食べ物への反応などを丁寧に見ようとするものです。子どもの食行動を、「好き嫌いが多い」「よく食べる」といった大ざっぱなひと言で終わらせず、いくつもの角度から観察できるようにしたのです。食卓は小さな宇宙であり、そこには空腹、気分、性格、家庭の習慣、そして目の前のプリンまで、いろいろな星が浮かんでいる。ウォードルは、その星図を描こうとしました。
さらに彼女は、「太りやすさ」についても、遺伝か環境か、という二択クイズにしませんでした。生まれつきの食欲の感じ方や満腹感への反応があり、そこへ高カロリーな食べ物がいつでも手に入りやすい環境が重なる。すると、同じ街、同じコンビニ、同じポテトチップス売り場にいても、影響の受けやすさには差が出るかもしれない。そんな考え方を育てました。
これは、「遺伝だから仕方ない」という投げやりな話ではありません。むしろ逆です。人によって苦手な場面が違うなら、支援も全員に同じ説教を配るのではなく、その人がつまずきやすい場所に合わせて工夫しよう、という話です。食べ物の置き場所を変える。食事の時間を整える。満腹感に気づく余白をつくる。人間を根性の発電機として扱わず、環境との関係のなかで理解しようとしたところに、ウォードルのやさしさがあります。
そしてジェーン・ウォードルの視線は、食べることだけに止まりませんでした。がん検診についても、「検査を受ければいいのに」と外から言うだけでは、人は動かないことをよく知っていました。怖い。恥ずかしい。面倒そう。悪い結果が出たらどうしよう。病院という場所が、なんとなく心の靴を重くする。そんな感情や迷いが、検診を遠ざけることがあります。
彼女は、がんの予防や早期発見を進めるには、医学的に正しい情報だけでは足りないと考えました。人の不安やためらいを理解し、受けやすい仕組みや伝え方をつくることもまた、命を守る研究になる。医療の世界に心理学の椅子を一脚そっと置いたような仕事だったのです。
習慣の研究でも、ウォードルの考え方は生きています。彼女は、「今日から毎日、気合いで健康になろう」という、だいたい三日目にはソファに負けがちな作戦よりも、同じ状況で小さな行動を繰り返すことに注目しました。朝食のあとに水を飲む。帰宅したら短く歩く。歯みがきのあとに本を一ページ読む。行動を毎回ゼロから決意しなくてもよくなる状態を、少しずつ育てていくのです。
習慣とは、立派な人だけが持つ金メダルではありません。むしろ、「考えなくてもできる仕組み」を生活のなかに置いておくことです。ウォードルは、健康を一発逆転の花火ではなく、毎日の台所や玄関や朝の机の上で育つ、小さな反復として見ていました。
ジェーン・ウォードルは2015年に亡くなりましたが、彼女が育てた研究センターや、食行動・肥満・習慣・がん検診に関する研究の流れは、その後も多くの研究者に受け継がれています。彼女が残した大切な問いは、今も古びていません。
「できない人を責める前に、その人の行動が起きる場所を見てみよう」
お菓子の袋を前にした自分も、検診の予約を後回しにする自分も、運動靴を玄関で眠らせてしまう自分も、ただ怠けているだけとは限りません。人は、環境、感情、習慣、体質、過去の経験のなかで毎日を生きています。
ジェーン・ウォードルの研究は、その複雑さを「だから仕方ない」で終わらせず、「では、少し動きやすい暮らしをどうつくろうか」と問い直してくれます。健康とは、完璧な人だけが入れる会員制クラブではない。失敗しながらでも、生活の仕組みを少しずつ味方につけていく、その長い散歩道なのだと思います。
参考文献・確認先:UCL:ジェーン・ウォードル教授の追悼・研究者紹介 / Google Scholar:Jane Wardle 論文・引用情報 / PubMed:Jane Wardle 関連論文

ジェーン・ウォードル(Jane Wardle)の研究から学べること
ジェーン・ウォードルの研究から学べることは、ひと言でいえば、「できない自分を叱る前に、行動が起きる仕組みを見てみよう」ということです。
健康の話になると、世の中は急に熱血コーチになりがちです。
「もっと野菜を食べましょう!」
「運動を続けましょう!」
「夜食は控えましょう!」
たしかに正しい。正しいのですが、正しい言葉だけで人が変われるなら、冷蔵庫のプリンはとっくに絶滅しているはずです。
私たちは、食べすぎたあとに「意志が弱い」と反省し、運動をさぼったあとに「だらしない」と判決を下しがちです。しかしウォードルの研究は、そんな自己裁判に待ったをかけます。
人の行動は、意志だけで決まるわけではない。お腹のすき方、満腹に気づきやすいかどうか、目の前の食べ物の魅力、家のなかに何が置いてあるか、疲れているか、気持ちが沈んでいるか。ありとあらゆるものが、私たちの「もう一口」に参加しているのです。
つまり、夜中にお菓子を食べてしまったとき、心のなかでただちにこう言わなくていいのです。
「私はなんて弱い人間なんだ」
その代わりに、少し探偵のように考えてみる。
「今日は、なぜ食べたくなったのだろう?」
「空腹だったのか、疲れていたのか、寂しかったのか」
「目につく場所にお菓子があったからか」
「夕食が少なすぎたのか」
この問いは、自分を甘やかすための言い訳ではありません。むしろ、次の一手を見つけるための観察です。犯人探しではなく、仕組み探しです。
たとえば、仕事から帰ると毎晩つい甘いものを食べてしまう人がいるとします。そこで「今日から一切食べません!」と宣言するのも、もちろん一つの方法です。でも、この作戦はしばしば、三日目あたりで冷蔵庫の前に崩れ落ちます。人類と誘惑の戦いは、だいたい夜九時を過ぎると急に不利になるからです。
そんなときは、意志を鍛えるより、環境を少し動かすほうが役に立つかもしれません。お菓子を見えない場所に置く。帰宅後に先に温かい飲み物を飲む。夕食を極端に減らしすぎない。疲れている日は「食べない」ではなく、「少量をゆっくり食べる」にする。
ここで大切なのは、完璧な自分を作ろうとしないことです。ウォードルの研究が教えてくれるのは、健康的な行動とは、鉄の意志を持つ人だけの特権ではないということです。むしろ、意志がぐらつく日があることを前提にして、暮らしのほうを少し味方につける。そのほうが、人間には向いています。
また、彼女の研究からは、「人によって苦手な場所が違う」ということも学べます。
ある人は、お腹がすくと集中力が急降下して、目の前の食べ物に全力投球してしまうかもしれません。ある人は、満腹になっても「まだいける」と感じやすいかもしれません。ある人は、ストレスがたまると食べることで気持ちをなだめたくなるかもしれません。
だから、全員に同じ健康法を配っても、うまくいくとは限りません。
「朝に運動しましょう」と言われて元気になる人もいれば、朝は布団との交渉が最終局面なので、とても運動どころではない人もいます。
「間食をやめましょう」と言われて納得する人もいれば、間食をやめると夕方に魂が抜ける人もいます。
大事なのは、自分の弱点を責めることではなく、「自分はどんな場面で崩れやすいのか」を知ることです。自分の取扱説明書を、少しずつ書いていくようなものです。
そしてウォードルの研究は、健康を「見た目のための競争」にしない視点も与えてくれます。
体重や食事の話は、ときに人を追い詰めます。「もっと痩せなければ」「ちゃんと食べなければ」「健康的でなければ」と、心のなかに厳しい監督が住みついてしまうことがあります。でも健康は、本来、誰かに点数をつけてもらうためのものではありません。
明日を少し楽に過ごすため。
体をいたわるため。
疲れたときに回復しやすくするため。
自分の人生を、少し長く、少し軽く歩くため。
そのくらいの意味で考えていいのです。
さらに、彼女が取り組んだ検診や予防の研究は、「正しい情報だけでは人は動けない」という現実も教えてくれます。
検診を受けたほうがいいと分かっていても、怖くて予約できないことがあります。病気が見つかるのが怖い。悪い知らせを聞くのが怖い。病院に行く時間がない。なんとなく後回しになる。
そんなとき、「早く行きなさい」と言われるだけでは、心は動きません。必要なのは、不安や面倒さを責めずに受け止めながら、「どうすれば一歩目を小さくできるか」を考えることです。
予約だけしてみる。
家族や友人に話してみる。
受診しやすい日をカレンダーに入れておく。
病院へ行ったあとの小さな楽しみを用意しておく。
人は、立派な決意だけで動くのではありません。小さなきっかけ、少しの安心、誰かの支えによって動き出します。
ジェーン・ウォードルの研究は、私たちに「自分を変えろ」と怒鳴るのではなく、「自分が動きやすい道を作ろう」と語りかけてくれます。
意志が弱い日があってもいい。
誘惑に負ける夜があってもいい。
健康診断の予約を後回しにする日があってもいい。
ただ、そのたびに自分を責めて終わるのではなく、「次は何を少し変えたら楽になるだろう」と考えてみる。
健康な習慣とは、人生を完璧に管理することではありません。失敗しやすい自分を知り、その自分が少しでも進みやすいように、暮らしの道端に小さな手すりを置いていくことです。
ジェーン・ウォードルの研究は、そんな手すりの作り方を、静かに、しかしとても実用的に教えてくれるのです。

ジェーン・ウォードル(Jane Wardle)の論文一覧
1.『習慣は、どうやって身につくのか:日常のなかで「続く行動」が育つまでを追った習慣形成モデル』フィリッパ・ラリー、コーネリア・H・M・ファン・ヤールスフェルト、ヘンリー・W・W・ポッツ、ジェーン・ウォードル(2010)
Lally, P., van Jaarsveld, C. H. M., Potts, H. W. W., & Wardle, J. (2010). How are habits formed: Modelling habit formation in the real world. European Journal of Social Psychology, 40(6), 998–1009. DOI:10.1002/ejsp.674
「毎日やれば習慣になる」と言うけれど、何日で? 三日? 二十一日? この論文は、その“気合いの霧”にストップウォッチを持ち込んだ研究です。96人が「朝食後に果物を食べる」「夕食後に歩く」などを12週間くり返し観察すると、習慣は直線ではなく、最初は伸びてもだんだん頭打ちに。自動的にできる感覚が十分に育つまでの目安は、中央値で約66日。ただし個人差は大きく、一度サボっただけで全部が宇宙の彼方へ消えるわけでもありません。三日坊主に優しく、続けるコツには案外しつこい。そんな習慣研究の名作です。


2.『健康を「考えなくても続く習慣」にする――習慣形成の心理学と、日常診療でできること』ベンジャミン・ガードナー、フィリッパ・ラリー、ジェーン・ウォードル(2012)
Gardner, B., Lally, P., & Wardle, J. (2012). Making health habitual: the psychology of ‘habit-formation’ and general practice. British Journal of General Practice, 62(605), 664–666.
DOI:10.3399/bjgp12X659466
「健康のために毎日歩こう!」と決意したのに、三日後には靴だけが玄関で志を保っている。そんな“続かない問題”に、この論文はやさしくメスを入れます。習慣は根性の筋トレではなく、「朝食後に薬を飲む」のように、同じ場面で小さな行動を重ねることで育つもの。しかも一度サボっただけで即終了ではありません。目指すのは完璧な人ではなく、考えなくても健康行動が始まる生活の仕掛け。意志力に残業をさせない、習慣づくりの診察室へどうぞ。

