ヘンリー・M・ウェルマン(Henry M. Wellman)の論文一覧:「その人、自分とは違うこと考えてます」子どもが“他人の心”を発見するまでを追った心理学者
ヘンリー・M・ウェルマン(Henry M. Wellman)のプロフィール
ヘンリー・M・ウェルマンは、**「子どもは、いつから他人の心を理解できるようになるのか?」**という、とても身近なのに考え始めると底なし沼みたいに深いテーマを研究してきた発達心理学者です。
現在はアメリカのミシガン大学で心理学の名誉教授を務めています。長年にわたり、乳幼児や子どもが「人の心」という見えないものを、どう理解していくのかを研究してきました。
たとえば、こんな場面を考えてみてください。
あなたが冷蔵庫からプリンを出して、こっそり戸棚に移したとします。
その様子を見ていなかったお父さんが帰ってきました。
さて、お父さんはプリンをどこに探しに行くでしょう?
大人なら、
「お父さんは移動したことを知らないんだから、冷蔵庫を探すだろうな」
と考えます。
でも、この答え、よく考えるとかなり高度です。
なぜなら、
「自分が知っていること」と「相手が知っていること」は違う
と理解していないと答えられないからです。
ウェルマンが長年追いかけてきたのは、まさにこの不思議です。
「人間って、いつの間にそんな芸当を覚えたんですか?」
という話なのです。
「みんな、自分と同じことを考えている」から卒業するまで
ウェルマンの研究で中心になる考え方が、**「心の理論」**です。
名前だけ聞くと、
「はいはい、理論ですね。急に大学の講義っぽくなってきました」
と眠気が近づいてくるかもしれません。
でも意味はかなり日常的です。
人にはそれぞれ、
「知っていること」
「信じていること」
「欲しいもの」
「感じていること」
「やろうとしていること」
がある。
そして、それらは自分とは違うかもしれない。
このことを理解しながら相手の行動を考える力が、「心の理論」と呼ばれています。
たとえば、
「私は納豆が好き。でも友達は嫌いかもしれない」
「私は鍵が机の上にあると知っている。でも母はバッグの中にあると思っている」
「本当は悲しいけれど、笑っている人もいる」
こういうことを理解できるのも、私たちが他人の頭の中を想像できるからです。
もちろん、本当に頭の中が見えているわけではありません。
人間には脳内Wi-Fiも、心のBluetoothも搭載されていません。
それでも私たちは、相手の表情や言葉、行動、これまでの出来事などから、
「たぶん、この人はこう考えているんだろう」
と推測します。
ウェルマンは、その能力が子どもの中でどんな順番で育っていくのかを、何十年にもわたって調べてきました。
子どもは、小さな研究者なのかもしれない
ウェルマンが面白いのは、子どもを単純に「まだ何も知らない未完成な大人」として見ていないところです。
子どもは子どもなりに世界を観察し、
「こういう仕組みなんじゃないかな?」
という説明を作っています。
つまり頭の中では、小さな理論が次々と建設されている。
しかも、新しい経験が入ってくると、
「むむ、この理論では説明できないぞ」
となって、少しずつ作り直されていきます。
ウェルマン自身も、子どもの考え方と科学者の考え方には興味深い共通点があると考えてきました。子どもは世界を探索し、説明を作り、新しい経験によってその説明を修正していく。その姿を通して、認知発達そのものを考えてきたのです。
これを知ると、子どもの「なんで?」攻撃も少し違って見えてきます。
「なんで雨が降るの?」
「なんで寝ないといけないの?」
「なんで大人は仕事に行くの?」
「なんでお父さんはトイレ長いの?」
最後の問題について心理学がどこまで答えられるかはさておき、子どもは質問しながら、自分なりの世界地図を描いているのです。
研究の出発点には、子どもとの生活があった
ウェルマンはポモナ大学で心理学を学んだあと、ミネソタ大学の児童発達研究所で研究を続け、1975年に児童心理学の博士号を取得しました。
その後、発達心理学の研究者として長いキャリアを歩み、とくに1980年代以降、「心の理論」という研究領域を形づくってきた中心人物の一人となりました。ミシガン大学によれば、ウェルマンはおよそ45年間にわたって同大学で研究と教育に携わり、2022年5月に退職しています。
1990年には『子どもの心の理論』という本を発表しました。
この本は、子どもが「心」というものをどう理解していくのかを体系的に考えた重要な著作となり、その後の「心の理論」研究が広がっていくうえで大きな役割を果たしました。ミシガン大学も、この本を、この研究分野の発展を後押しした著作として紹介しています。
その後も、子どもの会話、信念、感情理解、文化による違い、聴覚障害や自閉症のある子どもの発達などへ研究を広げていきました。
つまり、
「何歳になったら、この問題に正解できますか?」
だけを研究していたわけではありません。
もっと大きく、
「人間は、どうやって他人と一緒に生きられる心を育てていくのか」
という問いに向き合ってきた研究者なのです。
心を理解する力は、一段ずつ育っていく
ウェルマンらの研究では、子どもの他者理解はいきなり完成するのではなく、いくつもの段階を通って育っていくことが示されています。
まず、
「自分が好きなものを、相手も好きとは限らない」
ことがわかる。
次に、
「同じ出来事について、自分と相手が違う考えを持つこともある」
とわかる。
さらに、
「自分は知っているけれど、相手は知らない」
という違いが理解できるようになる。
そして、
「相手は、間違ったことを本当だと思っている場合もある」
と理解できるようになっていきます。
さらに成長すると、
「人は、本当の気持ちとは違う表情を見せることもある」
ことまでわかってきます。
こうして見ると、私たちが普通にやっている人間関係というものが、急にすごい技術に見えてきませんか。
「相手は自分とは違う」
たったそれだけの理解に見えます。
でも実際には、人間関係のかなり大きな部分がここから始まっています。
世界中の子どもを見ながら、「人間の心」を考える
ウェルマンの研究は、アメリカの子どもだけを見て終わりではありません。
文化の違う社会では、「人の心」の理解の仕方や育ち方に違いがあるのか。
会話の経験はどう影響するのか。
聴覚障害のある子どもではどうなのか。
自閉症のある子どもではどうなのか。
さらに近年の研究では、心の理解を支える脳の働きについても研究が行われてきました。
つまりウェルマンが見ているのは、単なる「子どもの正解率」ではありません。
子どもの心を入口にして、
人間とは、そもそもどうやって他人を理解している生き物なのか
を考えている。
ここが、この研究の大きな面白さです。
心は見えない。でも、見えないからこそ研究したくなる
ウェルマンは、長年の研究によって数多くの賞を受けています。
アメリカ心理学会から発達心理学への長年の貢献を評価する賞を受け、心理科学協会のウィリアム・ジェームズ賞、アメリカ国立衛生研究所による研究功績賞なども受賞しています。また2012年にはアメリカ芸術科学アカデミーの会員に選ばれ、2024年にはアメリカ科学アカデミーの会員にも選出されました。
けれど、ウェルマンの研究の魅力は、肩書きの豪華さよりも、問いそのものにあるように思います。
「自分が知っているからといって、相手も知っているわけではない」
「自分が好きだからといって、相手も好きとは限らない」
「笑っているからといって、本当に楽しいとは限らない」
大人になると当たり前に思えることばかりです。
でも私たちは、最初からそれを知って生まれてきたわけではありません。
何年もかけて、人と出会って、話して、勘違いして、泣いて、仲直りして、
「あ、この人の頭の中には、この人だけの世界があるんだ」
と少しずつ学んできた。
ウェルマンの研究をたどっていくと、子どもの発達を調べているはずなのに、いつの間にか**「そもそも人を理解するって、どういうことなんだろう?」**という大人にも難しい問いへ連れていかれます。
人の心は見えません。
だからこそ私たちは、想像する。
ときどき盛大に読み違えながら、それでもまた想像する。
ヘンリー・M・ウェルマンは、そんな人間の不器用で驚くほど高度な「心を読む力」が、幼い頃からどのように育っていくのかを追い続けてきた心理学者です。
参考文献・確認先:ミシガン大学:Henry M. Wellman 公式プロフィール / 米国科学アカデミー:Henry M. Wellman 会員プロフィール / Google Scholar:Henry M. Wellman 論文・引用情報 / PubMed:Henry M. Wellman 関連論文

ヘンリー・M・ウェルマン(Henry M. Wellman)の研究から学べること
ヘンリー・M・ウェルマンの研究を読んでいると、最初は「子どもが他人の心を理解する研究なんだな」と思います。
ところが、しばらく読んでいると、少し様子がおかしくなってきます。
「あれ、これ子どもの話だけじゃないぞ」
となるのです。
なぜなら、ウェルマンが研究してきた「自分と他人では、知っていることも、考えていることも、感じていることも違う」というテーマは、そのまま大人の人間関係にも突き刺さるからです。
夫婦げんかでも、職場のすれ違いでも、友人関係のモヤモヤでも、
「いや、普通わかるでしょ」
という言葉が登場した瞬間、ウェルマン先生が研究室の奥から静かにこちらを見ている気がします。
「その“普通”、相手の頭の中にも入っていますか?」
……痛いところを突いてきます。
「自分が知っていること」を、相手も知っているとは限らない
ウェルマンの研究から持ち帰れる大切なことのひとつは、ものすごく単純です。
人の頭の中は、それぞれ違う。
そんなの当たり前じゃないかと思うかもしれません。
ところが人間という生き物、この当たり前を驚くほど簡単に忘れます。
たとえば職場で、
「この前説明したから、わかっているはず」
と思う。
家庭では、
「これくらい言わなくても気づいてほしい」
と思う。
友人には、
「私がこんなに落ち込んでいるんだから、察してくれるだろう」
と思う。
でも相手の頭の中には、こちらの記憶も事情も気持ちも自動転送されません。
人間関係には残念ながら「脳内共有フォルダ」がありません。
こちらが知っていることと、相手が知っていることは別。
こちらが重要だと思っていることと、相手が重要だと思っていることも別。
ウェルマンたちが研究してきた「心の理論」の発達は、まさにこうした違いを理解していく過程です。
子どもは少しずつ、
「自分は知っている。でも、この人は知らない」
「自分はこう思う。でも、この人は違うことを思っている」
と理解できるようになります。
考えてみれば、これは人間関係の基本中の基本です。
だから大人になってからも、ときどき思い出したい。
「相手は私ではない」
冷たく聞こえるかもしれませんが、むしろ逆です。
違う人間だからこそ、説明する。
違う人間だからこそ、聞いてみる。
違う人間だからこそ、想像する。
相手との違いを認めることは、人を遠ざけることではなく、人に近づくための入り口なのだと思います。
「違う考え」を持っている人は、間違った人とは限らない
ウェルマンの研究を考えていると、もうひとつ面白いことに気づきます。
私たちはつい、
「自分と違う考え=間違った考え」
にしてしまいがちです。
たとえば、
「普通はこうするでしょ」
「なんでそんな考えになるの?」
「それ、どう考えてもおかしくない?」
という言葉。
もちろん、本当に事実として間違っている場合もあります。
でも単に、
見えている世界が違うだけ
ということもあります。
同じ会社にいても、上司と新人では持っている情報が違います。
同じ家族でも、親と子では人生経験が違います。
同じ出来事を経験しても、怖かった人もいれば、平気だった人もいる。
人間は同じ部屋にいても、同じ世界を見ているとは限らないのです。
これはちょっと不思議です。
同じテーブルを囲んで、同じカレーを食べているのに、頭の中では全員が別々の映画を上映している。
「今日のカレーおいしいな」
「明日の会議いやだな」
「じゃがいも大きいな」
「この人、怒ってるのかな」
もう上映作品がバラバラです。
ウェルマンの研究は、子どもがこうした「人にはそれぞれ異なる心の世界がある」という事実を、少しずつ理解していくことを示してきました。
私たち大人も、この感覚をもう一度持っておくと、人との衝突が少し減るかもしれません。
意見が違ったとき、
「どうしてそんなことを言うんだ」
の前に、
「この人には、何が見えているんだろう」
と考えてみる。
この一拍が、人間関係では意外と大きいのです。
「わかってくれるはず」は、ときどき危険な言葉
恋愛や夫婦関係では、とくに起こりやすいものがあります。
「言わなくてもわかってほしい問題」です。
「疲れているんだから、今日は家事を代わってほしいって気づいてよ」
「今日は記念日なんだから、覚えていて当然でしょ」
「私が黙っているんだから、怒っているってわかるでしょ」
こちらとしては、
「ここまでヒント出してますけど?」
という気持ちです。
しかし相手側の脳内では、
「今日は静かだな。平和だ」
という、とんでもなく平和なニュース番組が流れている可能性があります。
心の理論とは、相手の心をある程度想像する力ですが、心を完全に読める能力ではありません。
ここはかなり重要です。
私たちは相手の心を推測できます。
でも、推測は推測です。
だからこそ、
「私はこう感じている」
「こうしてもらえるとうれしい」
「あなたはどう思っている?」
と言葉にすることが必要になります。
「察する力」を磨くことも大切ですが、「伝える力」も同じくらい大切。
人間関係を全部テレパシーに任せると、かなり高い確率で通信障害が起きます。
子どもの「なんで?」は、世界を組み立てている音なのかもしれない
ウェルマンの研究には、子どもを見る目を少し変えてくれるところもあります。
子どもは、
「なんで?」
を連発します。
「なんで空は青いの?」
「なんで働くの?」
「なんで野菜食べないといけないの?」
「なんでお母さんは怒ってるの?」
忙しいときに来ると、なかなか強烈です。
こちらとしては、
「その“なんで”を一回ポイント制にしてくれないかな」
と思う日もあるでしょう。
でも子どもは、ただ大人を困らせようとして質問しているわけではありません。
世界にはどんな仕組みがあるのか。
人はなぜそう行動するのか。
目に見えない「考え」や「気持ち」は、どう働いているのか。
子どもは自分なりの説明を作りながら、世界を理解していきます。
つまり「なんで?」は、頭の中で世界が組み上がっている工事音なのかもしれません。
ガガガガガ。
ただいま世界観を建設中です。
そう考えると、子どもの素朴な質問も、少し違って見えてきます。
成長とは、「正解を覚えること」だけではない
ウェルマンの研究を見ていると、子どもの成長は単純な知識の増加だけではないことがわかります。
一歳より三歳、三歳より五歳と、単純に情報量が増えていくだけではない。
世界の見方そのものが変わっていく。
これが面白いところです。
小さな子どもにとっては、
「自分が知っていることは、相手も知っている」
ように感じられる時期があります。
そこから、
「相手は知らないことがある」
と気づき、
さらに、
「相手は事実とは違うことを信じている場合もある」
というところまで理解する。
世界がだんだん立体的になっていくのです。
最初は自分ひとりの視点だった世界に、
「お母さんから見た世界」
「友達から見た世界」
「先生から見た世界」
が増えていく。
一人称だけだった物語に、登場人物それぞれの視点が加わっていくようなものです。
これは子どもの発達についての話ですが、大人にも少し似たことが起きます。
成長とは、知識を増やすことだけではなく、
自分とは違う場所から世界を見る窓を増やすこと
なのかもしれません。
相手を理解するとは、「当てること」ではなく「確かめること」
ここはぜひ日常生活に持ち帰りたいところです。
人の気持ちを考えるとき、私たちはつい名探偵になります。
「あの返事が短かった」
「今日は目を合わせなかった」
「ということは、怒っているに違いない」
脳内探偵、推理開始。
そして三分後には、
「やっぱり私、嫌われてるんだ」
事件解決。
いや、解決するのが早すぎます。
単に眠かっただけかもしれません。
急いでいたのかもしれません。
スマートフォンの電池が2%だったのかもしれません。
ウェルマンの研究を大人の生活に置き換えるなら、
「相手には相手の心がある。でも、その中身を私は完全には知らない」
という姿勢が大切だと思います。
だから、
「怒ってる?」
「さっきの話、どう感じた?」
「私の理解ではこうなんだけど、合ってる?」
と確認する。
人の心を想像することは必要です。
でも想像した内容を「事実」に昇格させない。
これはかなり大事な技術です。
想像は仮説。
会話は確認。
これくらいでちょうどいいのです。
「共感する」と「同じ気持ちになる」は違う
人の心を理解するというと、
「相手と同じ気持ちにならなければいけない」
と思うことがあります。
でも、必ずしもそうではありません。
たとえば友人が、
「私は一人旅が最高なんだよ」
と言ったとします。
あなたが、
「いや、一人旅は寂しい。絶対みんなで行きたい」
と思っていても問題ありません。
大切なのは、
「私にはそう感じないけれど、この人にとってはそうなんだな」
と理解できることです。
これができると、人間関係はかなり楽になります。
同意しなくてもいい。
同じ価値観にならなくてもいい。
でも、
「あなたには、そう見えているんですね」
と言える。
これは意外に高度なことです。
私たちはときどき、人を理解することと、人に賛成することを混同します。
しかし別物です。
「わかる」と「同じ」は違う。
この区別ができるようになると、自分を曲げずに相手を尊重できるようになります。
大人だって「心の理論」は完成品ではない
ここまで読むと、
「なるほど。子どもはだんだん人の心を理解できるようになるんですね」
で終わりそうになります。
ところが、大人の世界を見るとどうでしょう。
SNSでは、
「こんなことを言う人の気持ちがわからない」
職場では、
「どうしてそんな判断をしたんだ」
家庭では、
「何回言ったらわかるの」
あちこちで心の読み違え大会が開催されています。
子どもの頃に他者理解の基礎が育ったからといって、その後ずっと完璧に人を理解できるわけではありません。
むしろ大人になるほど経験が増えるぶん、
「人間とはこういうものだ」
「普通はこう考える」
という思い込みも増えていきます。
経験は便利ですが、ときどきレンズに色をつけます。
だからこそ、ウェルマンの研究から学べる姿勢は、大人にも必要です。
「私はこう思う。でも、この人は違うかもしれない」
この一文を、心の片隅に置いておく。
それだけで世界は少し広くなります。
他人の心は、最後まで完全にはわからない
そして、ウェルマンの研究をたどっていくと、少し哲学的なところまで行き着きます。
私たちは、人の心を理解しようとします。
表情を見る。
声を聞く。
言葉を聞く。
行動を見る。
過去の経験を思い出す。
そして、
「たぶんこう感じているんだろう」
と考える。
でも、本当の意味で相手の心の中に入ることはできません。
どれほど仲がよくても、完全にはわからない。
これは少し寂しいことにも思えます。
けれど私は、逆でもあると思います。
完全にはわからないから、聞く。
完全にはわからないから、想像する。
完全にはわからないから、言葉を交わす。
もし人の心が全部透明だったら、会話なんて必要ありません。
「今日どうだった?」
と聞く必要もない。
「大丈夫?」
と声をかける必要もない。
「本当はどう思ってる?」
と尋ねる必要もない。
わからないからこそ、私たちは人に近づこうとするのです。
ヘンリー・M・ウェルマンの研究から学べることを、一言にするとしたら、
「人を理解する第一歩は、“私はあなたのことを全部わかっている”と思わないこと」
なのかもしれません。
相手には相手の世界がある。
自分には自分の世界がある。
その二つは完全には重ならない。
でも、言葉を交わしたり、想像したり、確かめたりしながら、少しずつ重なる場所を作っていくことはできる。
人間関係とは、もしかするとその繰り返しなのかもしれません。
「わかってよ」と怒る前に、
「どう見えてる?」
と聞いてみる。
その小さな問いかけの中に、ウェルマンが長年研究してきた「人の心を理解する力」の、とても大人らしい使い方が隠れているように思います。

ヘンリー・M・ウェルマン(Henry M. Wellman)の論文一覧
1.『子どもはいつ「人は間違って信じる」とわかる? 心の理論の発達を読み解くメタ分析』ヘンリー・M・ウェルマン、デイヴィッド・クロス、ジュラン・ワトソン(2001)
Wellman, H. M., Cross, D., & Watson, J. (2001). Meta-Analysis of Theory-of-Mind Development: The Truth about False Belief. Child Development, 72(3), 655–684.
DOI:10.1111/1467-8624.00304
「子どもが“他人は自分と違うことを信じる”とわかるのは、いったいいつ?」。ウェルマンたちは、この難問に178もの研究をまとめて挑みました。すると、実験のやり方で成績は多少変わるものの、年齢とともに「誤った信念」を理解できるようになる流れはかなり一貫していたのです。つまり「問題を簡単にすれば小さい子も本当は全部わかってる?」だけでは説明しきれない。子どもの頭の中では、“他人には他人の世界がある”という理解そのものが育っているらしい。心の成長を大量データで追いかけた、心の理論研究の重要論文です。

