ヘンリー・L・ローディガー3世(Henry L. Roediger III)の論文一覧:記憶にテストを受けさせたら、「読むだけの勉強」が少し気まずくなった心理学者
ヘンリー・L・ローディガー3世(Henry L. Roediger III)のプロフィール
ヘンリー・L・ローディガー3世(Henry L. Roediger III)は、人間の「記憶」を長年研究してきたアメリカの心理学者です。
記憶の研究者と聞くと、「一度読んだ本は全部覚えています」「買い物メモなど不要です」といった人物を想像するかもしれません。しかし、ローディガーが見つめてきたのは、そんな超人的な記憶だけではありません。
むしろ彼が関心を向けたのは、私たちの記憶が忘れたり、間違えたり、ときには堂々と存在しない出来事まで作り出したりする、その少々あわてん坊な性質でした。
現在は、アメリカのセントルイス・ワシントン大学で、心理学・脳科学分野の名誉教授を務めています。大学では特別教授の称号も持ち、人間の学習と記憶を代表する研究者の一人として知られています。
「読むだけで覚えよう」に待ったをかけた研究者
ローディガーの研究で、とくに有名なのが「思い出す練習」に関するものです。
勉強するとき、私たちはつい教科書を何度も読み返します。
「うん、見覚えがある」
「この黄色い線を引いたところ、なんとなく知っている」
そうして安心し、いざ問題を解こうとすると、頭の中が急に閉店します。
「あれ……どこかで見たんですけどね」
脳内の店員が、申し訳なさそうに首をかしげるわけです。
ローディガーたちの研究は、読むことを繰り返すだけでなく、覚えた内容を自分の力で思い出そうとすることが、長期的な記憶を強くする可能性を示しました。テストは単に「覚えているかを採点する道具」ではありません。思い出そうとする行為そのものが、学習になるのです。
これは、学生にとっては少し耳の痛い話です。
教科書を眺めながら「だいたいわかった」と感じる時間よりも、本を閉じて「さて、何が書いてあった?」と自分に問いかける時間のほうが大切かもしれないからです。
勉強とは、知識を頭へ静かに流し込む作業ではありません。頭の奥にいる知識を、「ちょっと出てきてください」と何度も呼び出す作業でもあるのです。
テストは、記憶の健康診断だけではない
一般的に、テストには少し怖い印象があります。
点数をつけられ、順位を決められ、「あなたはここを間違えました」と赤ペンで現実を見せつけられます。できれば人生から減らしてほしい制度の一つだと感じる人もいるでしょう。
ところがローディガーの研究では、テストは学習の最後に待ち構える審判ではなく、学習の途中で記憶を育てる道具として考えられています。
たとえば、本を読んだあとに内容を何も見ずに書き出す。単語帳の答えを隠して思い出す。誰かに説明するつもりで、学んだことを口にする。
こうした小さな「自分テスト」を行うことで、どこを覚えていて、どこが抜けているのかがわかります。さらに、思い出そうと努力した情報は、その後も取り出しやすくなることがあります。
つまりテストとは、記憶の健康診断であると同時に、記憶の筋力トレーニングでもあるのです。
記憶は、ときどき自信満々に間違える
ローディガーの研究は、効果的な勉強法だけにとどまりません。
彼は「誤った記憶」についても重要な研究を行ってきました。
私たちは、記憶を昔の出来事が保存された映像のように考えがちです。必要になったら再生ボタンを押し、そのまま見る。そんな仕組みを想像します。
ところが実際の記憶は、もう少し自由です。
過去の出来事を思い出すたびに、断片をつなぎ合わせ、意味を補い、「たぶんこうだった」と物語を組み立てます。そのため、実際とは違う形で覚えたり、起きていないことを起きたように感じたりする場合があります。
しかも厄介なのは、間違った記憶だからといって、本人が自信なさそうにしているとは限らないことです。
記憶はときどき、証拠が足りないのに堂々と記者会見を開きます。
「間違いありません。私は見ました」
ところが記録を調べると、少し話が違う。記憶とは、正確な倉庫番ではなく、腕はいいけれど脚色の好きな編集者なのかもしれません。
ローディガーは、こうした誤った記憶がどのように生まれるのかを、実験によって調べる方法の発展に貢献しました。
抜群に覚える人から、国全体の記憶まで
ローディガーが研究してきた記憶の範囲は、かなり広いものです。
たとえば、記憶競技に参加する人や、膨大な文章を暗記できる人など、並外れた記憶力を持つ人々についても研究しています。
「もともと特別な頭を持っているのか」
「それとも、覚え方の技術を身につけた結果なのか」
そんな疑問を、印象や根性論ではなく、心理学の方法を使って調べてきました。
さらに近年は、個人の記憶だけでなく、「集団の記憶」にも関心を広げています。
同じ歴史的出来事でも、国や地域が違えば、覚えられ方や語られ方が変わります。何を英雄的な出来事として残し、何を忘れ、どのような物語として次の世代へ渡すのか。こうした社会全体の記憶は、国民意識や政治的な議論にも影響します。
ローディガーは、記憶を単なる頭の中の働きとしてではなく、人々が社会や歴史を理解するための土台としても研究しているのです。
心理学の道を歩み、記憶研究の第一線へ
ローディガーは、ワシントン・アンド・リー大学で心理学を学んだあと、1973年にイェール大学で博士号を取得しました。
その後、パデュー大学、トロント大学、ライス大学などで教え、のちにセントルイス・ワシントン大学へ移りました。また、心理科学の学術団体で会長を務めるなど、研究だけでなく心理学界の運営にも携わってきました。
長年の研究に対して、生涯にわたる学術的貢献をたたえる賞や、研究者を育てた功績を評価する賞なども受けています。2017年には、アメリカ科学アカデミーの会員に選ばれました。
ローディガーの研究が教えてくれること
ローディガーの研究をひとことで表すなら、「記憶は、しまっておくだけでは育たない」ということかもしれません。
覚えたいなら、何度も眺めるだけでなく、自分の中から取り出してみる。
忘れたら、「自分は頭が悪い」と落ち込むのではなく、そこをもう一度学び直す。
自信のある記憶にも、ときには「本当にそうだったかな」と問いかけてみる。
記憶は、完璧な録画装置ではありません。しかし、不完全だからこそ、練習によって強くなり、問い直すことで修正できるものでもあります。
ローディガーは、私たちの頭の中にある「覚える」「忘れる」「思い出す」という身近な働きを、実験室の明かりの下へ連れ出しました。そして、記憶とは単なる保存ではなく、何度も取り出し、組み立て直しながら育てていく営みなのだと教えてくれたのです。
さて、ここまで読んだところで、少しだけ画面から目を離してみてください。
「ローディガーは、何を研究した人だったでしょうか?」
答えを見返す前に思い出せたなら、もうあなたは、彼の研究を小さく実践しています。
参考文献・確認先:ヘンリー・L・ローディガー3世 セントルイス・ワシントン大学公式プロフィール / Google Scholar:ヘンリー・L・ローディガー3世 論文・引用情報 / PubMed:ヘンリー・L・ローディガー3世 関連論文

ヘンリー・L・ローディガー3世(Henry L. Roediger III)の研究から学べること
ヘンリー・L・ローディガー3世(Henry L. Roediger III)の研究から学べることは、ひとことで言えば、「記憶は、入れるだけでは育たない」ということです。
私たちは何かを覚えたいとき、つい同じ文章を何度も読み返します。
「一回目より、二回目のほうがわかる」
「三回目になると、かなり見覚えがある」
「これはもう覚えたでしょう」
そう思って本を閉じ、翌日に思い出そうとすると、頭の中が静まり返っています。
昨日まであれほど顔なじみだった知識が、今日は急に他人のふりをしているのです。
「どちらさまでしたっけ?」
記憶の世界では、よくある話です。
ローディガーの研究は、こうした「読んだときにはわかった気がするのに、必要なときには出てこない」という人間の不思議を明らかにしてきました。そして、覚えたことを長く残したいなら、読む回数を増やすだけでなく、自分の頭から思い出す練習をすることが大切だと示しています。
「わかった」と「思い出せる」は、別の話
本を読んでいるとき、文章がすらすら理解できると、私たちは安心します。
「なるほど、そういうことか」
「これは簡単だな」
「完全に理解しました」
ところが、その安心には小さな落とし穴があります。
文章を見ながら理解できることと、何も見ずに内容を説明できることは、同じではありません。
たとえば、料理番組を見ながらなら「なるほど、ここで塩を入れるのね」と理解できます。しかし、翌日いきなり台所に立たされて、「では作ってください」と言われると、手が止まります。
「塩は、いつでしたっけ」
「そもそも最初に油を入れましたっけ」
見ることと、できることの間には、意外と広い川が流れているのです。
勉強も同じです。
教科書を見ればわかる。答えを見れば思い出せる。説明を聞けば納得できる。
けれど、それだけでは「自分の力で取り出せる知識」になっていないことがあります。
ローディガーの研究から学べるのは、「わかった気がする」という感覚だけで勉強の終わりを決めないことです。
本を閉じて、「何が書いてあっただろう」と思い出してみる。人に説明するつもりで話してみる。何も見ずに要点を書き出してみる。
そこで言葉が詰まったなら、それは失敗ではありません。むしろ、どこを学び直せばよいかが見つかった瞬間です。
記憶の穴が見えたということは、修理する場所がわかったということなのです。
テストは、判決ではなく練習になる
テストと聞くと、どんな印象を持つでしょうか。
点数をつけられるもの。順位を決められるもの。間違いを赤く囲まれ、自分の弱点を紙の上で公開されるもの。
あまり楽しい仲間ではありません。
テスト用紙が配られた瞬間、教室の空気が一段重くなることもあります。
「では始めてください」
その声とともに、さっきまで覚えていたはずの知識が、避難訓練のように頭から出ていきます。
しかし、ローディガーの研究は、テストを別の角度から見せてくれます。
テストは、学習が終わったあとに合否を決めるだけのものではありません。学んでいる途中で使えば、記憶を強くする練習になります。
つまり、テストは「あなたは覚えていません」という判決文ではなく、「ここをもう一度思い出してみましょう」という訓練器具にもなるのです。
たとえば、資格試験の勉強なら、参考書を三回読むより、一回読んだあとに問題を解いてみる。会議の内容を覚えたいなら、議事録を何度も眺めるだけでなく、閉じてから要点を書き出してみる。人の名前を覚えたいなら、名簿を見続けるより、顔を見て名前を思い出す練習をする。
このとき大切なのは、間違えないことではありません。
むしろ、「思い出そうとして少し苦労すること」に意味があります。
すぐに答えが出ないと、私たちは不安になります。
「覚え方が悪いのかな」
「自分には向いていないのかな」
けれど、少し苦労して思い出した知識は、ただ眺めていた知識よりも、頭の中に残りやすい場合があります。
楽に進む勉強が、必ずしもよく身につく勉強とは限りません。
勉強には、ときどき「ちょうどよい苦労」が必要なのです。
忘れることは、能力不足の証明ではない
何かを思い出せなかったとき、私たちはすぐに自分を責めます。
「昨日覚えたのに、もう忘れた」
「自分は記憶力がない」
「年齢のせいかもしれない」
しかし、忘れること自体は、人間の記憶に最初から備わっている性質です。
一度読んだだけですべてを長期間保存できるなら、誰も試験前に困りません。世の中から単語帳も復習も消え、参考書会社は静かに肩を落とすでしょう。
忘れるのは、珍しい故障ではありません。通常運転です。
大切なのは、忘れない人になることではなく、忘れることを前提に学び方を組み立てることです。
今日学んだことを、少し時間を空けて思い出す。数日後にもう一度確認する。忘れかけたころに再び取り出す。
知識を一度で頭に固定しようとするのではなく、何度か出会い直すのです。
人間関係でも、一度会っただけで親友になることはめったにありません。何度も会い、話し、少しずつ距離が縮まります。
知識との関係も似ています。
一度読んで「覚えられなかった」と別れるのではなく、「また会いましたね」と再会を重ねていく。そのくらいの気長さが、記憶にはちょうどよいのです。
自信の強さと、記憶の正しさは同じではない
ローディガーは、記憶を強くする方法だけでなく、記憶が間違う仕組みについても研究してきました。
ここから学べるのは、「はっきり覚えているから正しい」とは限らない、ということです。
私たちは、自信たっぷりに思い出せる記憶ほど、事実に違いないと考えます。
「あのとき、確かにそう言った」
「絶対に机の上に置いた」
「私はちゃんと伝えた」
ところが、人間の記憶は録画映像ではありません。
出来事をそのまま保存しているのではなく、思い出すたびに、いくつもの断片をつなぎ合わせています。そのため、勘違いや思い込み、あとから聞いた情報が混ざることがあります。
記憶の中では、ときどき編集会議が開かれます。
「この部分、少しわかりにくいですね」
「では、自然につながるように補っておきましょう」
「事実確認は?」
「雰囲気で大丈夫でしょう」
困った編集部です。
だからこそ、自分の記憶に自信があるときほど、記録を確認したり、相手の話を聞いたりする姿勢が必要になります。
これは仕事でも人間関係でも、とても大切です。
「私はそう覚えている」と言うことはできます。しかし、「だから相手が間違っている」とまでは限りません。
記憶の研究は、私たちに少しだけ謙虚になることを教えます。
自分の記憶を疑いすぎる必要はありません。ただ、「記憶にも見落としはある」と知っておけば、話し合いの余地が生まれます。
勉強は、頭の中への引っ越し作業
ローディガーの研究を日常に生かすなら、勉強を「情報を読む時間」から「情報を思い出す時間」へ少し変えてみるとよいでしょう。
たとえば、文章を一段落読んだら、いったん画面や本から目を離します。
そして、自分に問いかけます。
「今の話を、ひとことで言うと何だった?」
「大切な点は三つ挙げられる?」
「人に説明するとしたら、どう話す?」
すぐに思い出せなくても構いません。
少し考えたあとで答えを確認し、「ここが抜けていたのか」と気づけば、それだけで学習は一歩進んでいます。
読むだけの勉強では、知識は玄関先まで来ています。
「こんにちは。知識です」
しかし、まだ家の中には入っていません。
思い出す練習をすることで、知識はようやく頭の中へ荷物を運び込み、棚の位置を覚え、必要なときに出てこられるようになります。
勉強とは、知識の引っ越し作業なのです。
ただし、一度で荷ほどきまで終わるとは限りません。段ボールのまま廊下に置かれ、どこに何が入っているかわからなくなることもあります。
だから、何度か取り出し、使い、置き場所を整えていく必要があります。
学んだことは、誰かに話すと姿を現す
記憶を確かめる方法として、とても役立つのが「説明すること」です。
人に説明しようとすると、自分がどこまで理解しているかがよくわかります。
頭の中では理解していたはずなのに、話し始めると急に言葉が迷子になることがあります。
「これは、つまり……あれです」
「あれとは?」
「その、非常に重要なあれです」
こうなったら、まだ知識が自分の言葉になっていない合図です。
学んだ内容を家族や友人に説明してもよいですし、相手がいなければ、一人で声に出しても構いません。紙に書いてもよいでしょう。
大切なのは、元の文章をそのまま写すのではなく、自分の言葉で再現することです。
説明できない部分が見つかったら、そこを読み直す。そしてもう一度説明する。
この繰り返しによって、知識は「見ればわかるもの」から「自分で使えるもの」へ変わっていきます。
学びは、満点を取ることより、戻ってこられること
ローディガーの研究から得られる大きな教えは、学習とは一度で完璧に覚える競争ではない、ということです。
思い出せない日もあります。
間違える日もあります。
昨日できたことが、今日は出てこないこともあります。
そんなとき、私たちは自分に厳しい採点をしがちです。
「やっぱり向いていない」
「努力しても無駄だ」
けれど、思い出せなかったからこそ、もう一度学ぶ場所が見つかります。間違えたからこそ、正しい知識との差がはっきりします。
学びに必要なのは、最初から満点を取る能力ではありません。
忘れても、わからなくても、もう一度戻ってこられることです。
知識を取り出そうとする。出てこなければ確かめる。そして、少し時間を空けてもう一度取り出す。
この地道な往復が、記憶を育てていきます。
ローディガーの研究は、勉強の主役を「読むこと」から「思い出すこと」へ移しました。
覚えるとは、頭の中に情報を押し込むことではありません。必要なときに、その情報まで続く道を見つけられるようにすることです。
だから、勉強を終える前に、一度だけ自分へ問いかけてみてください。
「私は今、何を学んだのだろう?」
すらすら答えられなくても大丈夫です。
その問いに向かって頭の中を探し始めた瞬間から、記憶の練習はもう始まっています。

ヘンリー・L・ローディガー3世(Henry L. Roediger III)の論文一覧
1.『テストが学びを強くする:記憶を試すことが、長期的な定着を高める』ヘンリー・L・ローディガー3世、ジェフリー・D・カーピック(2006)
Roediger, H. L., III, & Karpicke, J. D.(2006). Test-enhanced learning: Taking memory tests improves long-term retention. Psychological Science, 17(3), 249–255. DOI:10.1111/j.1467-9280.2006.01693.x
「テストって、覚えているかを裁く怖い係でしょう?」と思ったら、この論文が静かに黒板をひっくり返します。学生に科学の文章を読ませ、「何度も読み直す組」と「本を閉じて思い出す組」を比較。5分後は読み直し組が優勢でしたが、1週間後はテスト組が61%、読み直し組は40%でした。しかも最初のテストには答え合わせなし。つまり、すらすら読む安心感より、「ええと何だっけ」と記憶を探す苦労のほうが、知識を長く残すことがあるのです。テストが審判から筋トレ器具に見えてくる、勉強法の常識を気持ちよく裏返す一篇です。

