ヘレン・ステイプルトン・ティンパーリー(Helen Stapylton Timperley)の論文一覧:ほめ言葉に「で、それを聞いた人は次に何をすればいいんです?」と続きを求めた教育研究者
ヘレン・ステイプルトン・ティンパーリー(Helen Stapylton Timperley)のプロフィール
ヘレン・ステイプルトン・ティンパーリー(Helen Stapylton Timperley)は、ニュージーランドを代表する教育研究者の一人です。オークランド大学で長く教育研究に携わり、現在は同大学の名誉教授を務めています。研究の中心にあるのは、「どうすれば教師の学びが、本当に子どもの学びにつながるのか」という問いです。
ここだけ聞くと、
「先生が研修を受ければいいんですよね?」
と思うかもしれません。
ところがティンパーリー先生、そんな簡単には研修会を解散させてくれません。
「研修を受けました。勉強になりました。資料もいっぱいもらいました」
「はい。それで、子どもたちの学びはどう変わりました?」
「……え?」
というところまで聞きにくる研究者なのです。
先生を教える前に、子どもを見ましょう
ティンパーリーの研究を理解するうえで大切なのが、教師の専門的な学びです。
学校では昔から、教師向けの研修がたくさん行われてきました。講師の話を聞いたり、新しい教育方法を学んだり、立派な資料を持ち帰ったりします。
もちろん、それ自体に意味はあります。
ただしティンパーリーは、そこで一つ素朴な疑問を投げかけます。
「その研修、誰のためにやっているんでしょう?」
答えは当然、「子どもたちのため」です。
ならば、研修が成功したかどうかを「先生が満足したか」だけで判断するのは、少しおかしい。
教師が何を学んだのか。
授業がどう変わったのか。
そして何より、子どもたちの学びにどんな変化が起きたのか。
そこまで見て初めて、「この研修には意味があった」と考えようではないか。
そんな姿勢が、ティンパーリーの研究には一貫して流れています。ニュージーランド教育省に関わる研究でも、教師の専門的な学びを、最終的には生徒の学習成果と結びつけて考えることの重要性が示されています。
いわば、
「研修会をやったので任務完了!」
という教育現場に、
「いや、まだエンドロール流すの早いですよ」
と言いに来た研究者なのです。
じつは、かなりの「現場育ち」
ティンパーリーがおもしろいのは、大学の研究室だけを見て教育を考えてきた人物ではないところです。
研究者になる以前には、幼児教育、小学校、中等教育など、さまざまな教育段階で教師や教育上の指導的役割を経験してきました。
つまり、
「教師はもっとこうすべきです」
と遠くの研究室から望遠鏡で学校を眺めていたタイプではありません。
教室という場所が、そんなにきれいに理屈どおり動かないことを知っている。
昨日うまくいった説明が、今日はなぜか響かない。
同じ教え方でも、ある子には届いて、別の子には届かない。
計画どおり進めようとした日に限って、教室では別の事件が起きる。
教育というものは、教科書のように「三ページを開けば答えがあります」とはいきません。
だからこそティンパーリーは、教師に必要なのは一度覚えた正解を繰り返すことではなく、目の前の子どもたちを見ながら、自分のやり方を問い直し、必要なら変えていく力だと考えてきました。
これは教師にとって、なかなか手厳しい話でもあります。
なぜなら、
「私はちゃんと教えました」
だけでは終われないからです。
「ちゃんと教えた。では、ちゃんと届いたのか?」
そこまで確かめなければならない。
教育界に置かれた、かなり大きめの鏡です。
ハッティと一緒に「フィードバック」を調べた人
ティンパーリーの名前を世界的に有名にした研究の一つが、ジョン・ハッティとの共同研究「フィードバックの力」です。
この研究では、フィードバックは学習に大きな影響を与えうる一方、ただ返せばよいわけではなく、内容や与え方によって効果が大きく変わることが整理されました。
つまり、
「すごいね!」
「もっと頑張ろう!」
「惜しい!」
と先生が赤ペンを華麗に走らせれば、自動的に子どもの学力が伸びるわけではありません。
フィードバックには、
「自分はどこへ向かっているのか」
「今どこまでできているのか」
「では次に何をすればいいのか」
という学習を前へ進める情報が必要になります。
ティンパーリーたちが注目したのは、フィードバックを単なる「評価のお知らせ」にしないことでした。
テストを返して、
「78点です」
で終了してしまえば、それは結果発表です。
しかし、
「ここまでは理解できている。ここで考え方がずれている。次はここを直してみよう」
となれば、フィードバックは未来へ向かう道具になります。
点数表だった紙が、突然「次はこっちですよ」と矢印を出し始めるわけです。
この考え方は、ティンパーリーの研究全体にもつながっています。
彼女が気にしているのは、「評価したか」ではありません。
「その情報を使って、次の行動が変わったか」です。
先生だって、完成品ではない
そしてティンパーリーの研究で、個人的にとても魅力的なのがここです。
彼女は、教師を「すでに完成した専門家」として扱っていません。
教師もまた、学び続ける人なのです。
子どもの理解が思ったほど進んでいないなら、
「この子はやる気がない」
だけで片づけるのではなく、
「もしかすると、私の教え方にも変えられるところがあるのでは?」
と問い直してみる。
ただし、これは教師を責めるという意味ではありません。
むしろ逆です。
教師には、自分の実践を変える力がある。
だから、子どもの学習状況という証拠を見ながら、自分の知識や方法を更新していこう。
ティンパーリーが研究してきた教師の専門的学習には、そんな発想があります。彼女自身も、教師が子どもの学習についての情報、自分自身の実践についての情報、そして研究から得られた知見を組み合わせながら改善していく必要性を論じています。
ここには、なかなか人間味のある教育観があります。
完璧な先生になりましょう、ではない。
「うまくいかなかったら、調べて、考えて、次を変えましょう」
なのです。
教育を「正解を知っている人が、知らない人に教える仕事」と考えると、先生には恐ろしく重い荷物が載ります。
でも、
「先生も子どもと一緒に学び続ける仕事」
と考えると、少し景色が変わります。
「経験があります」だけでは安心しない
ティンパーリーの研究には、もう一つおもしろい特徴があります。
経験そのものを、絶対視しないことです。
教師として20年働いている。
それはもちろん、大きな経験です。
しかしティンパーリー的に言えば、
「20年経験したこと」と、
「20年間、学び続けたこと」は、
必ずしも同じではありません。
毎年同じ方法を繰り返していたなら、経験年数は増えても、方法そのものは変わっていないかもしれません。
そこで大切になるのが、「なぜうまくいったのか」「なぜうまくいかなかったのか」を証拠をもとに考える姿勢です。
ティンパーリーは近年の仕事でも、複雑で変化する教育現場に対応するために、決まった方法を機械的に繰り返すのではなく、状況に応じて知識を使い直していく専門性を重視しています。
ベテラン教師の頭の中に、
「去年これでうまくいったから、今年もこれで」
という声が聞こえてきたら、
ティンパーリー先生が後ろから静かに現れます。
「今年の子どもたちは、去年の子どもたちと同じですか?」
痛い。
でも、たしかにその通りなのです。
学校を「大人も学んでいる場所」にした研究者
ティンパーリーは、教師個人だけでなく、学校全体の学びや、校長など教育指導者の学びについても研究してきました。
教師だけに、
「もっと振り返りましょう」
「もっと学びましょう」
「もっと授業を改善しましょう」
と言って、管理職が腕を組んで眺めているだけではいけない。
教師が学ぶなら、その教師を支える人も学ぶ。
さらに、その学校という組織自体が「自分たちのやり方は本当に子どもたちの役に立っているのか」と問い続ける。
そんな学校づくりへ研究の視線が広がっていきます。彼女の研究や著作は、教師の専門的学習だけでなく、教育指導者の学び、学校や教育制度の改善、専門家同士の対話などにも広がっています。
2010年には教育への貢献が評価され、ニュージーランドの功労勲章を受章しています。また2015年には、ニュージーランドの教育専門職を担う評議会の構成員にも選ばれました。
つまりティンパーリーが長年問い続けてきたのは、
「良い先生とは何か」
だけではありません。
「先生がもっと良い先生になっていける学校とは、どんな場所なのか」
という問いでもあるのです。
そして、その問いのいちばん奥には、いつも子どもがいます。
研修をした。
会議をした。
評価をした。
フィードバックをした。
新しい制度を導入した。
そこで終わらない。
「で、それは目の前の子どもの学びに届きましたか?」
ティンパーリーの研究をたどっていくと、何度もこの問いに戻ってくるように感じます。
教育には、流行の方法も、新しい理論も、立派な研修もたくさんあります。
けれど最後には、教室の椅子に座っている一人の子どもを見なければならない。
その子が昨日より少し分かるようになったのか。
少し考えられるようになったのか。
そして、そのために大人は何を学び直せるのか。
ヘレン・ステイプルトン・ティンパーリーは、教育界に巨大な答えを置いた研究者というより、「その方法、本当に子どもまで届いています?」という、逃げにくいけれど大切な問いを置き続けてきた研究者なのかもしれません。
参考文献・確認先:SAGE Publications:Helen Timperley 著者プロフィール / オークランド大学:Helen Timperley 関連情報 / Google Scholar:Helen Timperley 論文・引用情報 / ニュージーランド教育省 Education Counts:Helen Timperley 研究資料

ヘレン・ステイプルトン・ティンパーリー(Helen Stapylton Timperley)の研究から学べること
ヘレン・ステイプルトン・ティンパーリーの研究から学べることは、一言でいえば、
「人は、評価されるだけではあまり成長しない。次にどうすればいいかが分かって、初めて前へ進める」
ということではないでしょうか。
これは学校教育の研究から生まれた考え方ですが、読んでいると、
「これ、会社でも家庭でも使える話では?」
と思えてきます。
たとえば仕事で、上司からこう言われたとします。
「もう少し頑張ってください」
はい。
頑張ります。
……何を?
となりますよね。
あるいは、
「すごく良かったよ」
と言われる。
うれしい。
たしかにうれしい。
帰りにコンビニでプリンを一個増やしてもいいくらいうれしい。
でも翌日になると、
「ところで、何が良かったんだろう?」
となることがあります。
ティンパーリーたちのフィードバック研究がおもしろいのは、まさにこの部分です。
人を成長させるためには、ただ評価を返すのではなく、
「どこへ向かっているのか」
「いま、どこまで来ているのか」
「次に何をすればいいのか」
が分かるような情報が重要なのです。
つまりフィードバックとは、採点ではありません。
現在地と目的地と次の一歩をつなぐ、小さな地図なのです。
「よくできました」は、ゴールではない
子どものころ、テストや作文に、
「よくできました」
と書いてもらった経験がある人もいるでしょう。
花丸までついていたら、その日はかなり気分がいい。
でも、よく考えると「よくできました」には不思議なところがあります。
何がよくできたのでしょう。
文章の構成でしょうか。
考え方でしょうか。
漢字でしょうか。
先生の機嫌でしょうか。
もちろん、ほめることが悪いわけではありません。
人間ですから、認めてもらえばうれしい。
ただ、学習を前に進める情報として見ると、
「すごいね」
だけでは少々燃料不足なのです。
たとえば、
「結論を最初に書いたので、読み手に考えが伝わりやすくなっています」
と言われれば、
「ああ、そこが良かったのか」
と分かります。
さらに、
「次は、その結論を支える具体例を一つ入れてみましょう」
まで加われば、
「なるほど。次はそれをやればいいのね」
となります。
これがティンパーリーの研究から学べる、とても大事なところです。
良いフィードバックとは、人を気持ちよくさせる言葉ではなく、人が次の行動を選べる言葉なのです。
人ではなく、「やったこと」を見る
もう一つ大切なのが、人そのものと行動を分けて考えることです。
たとえば子どもに、
「あなたは頭がいいね」
と言う。
あるいは職場で、
「君は優秀だね」
と言う。
一見すると、とても良い言葉です。
ただし、その人自身を評価する言葉ばかりになると、
「じゃあ失敗したら、私は頭が悪いということ?」
という別の問題が顔を出します。
そこで重要になるのが、
「あなたはすごい」
より、
「今回、このやり方がうまくいった」
と見ることです。
たとえば、
「電話対応が上手ですね」
より、
「相手の話を途中で遮らず、一度内容を整理して確認したところが良かったです」
と言われたほうが、何を続ければいいのか分かります。
これはかなり重要です。
人間は、自分の人格を丸ごと改造するのは難しい。
しかし、
「次は一呼吸置いてから答える」
「先に結論を伝える」
「分からなければ確認する」
くらいなら変えられます。
人間そのものを採点するのではなく、変えられる行動を見る。
ティンパーリーたちのフィードバック研究からは、そんな人への優しい見方も学べるように思います。
「できていない」を見つけたら、犯人探しをしない
ティンパーリーの研究でもう一つ、とても大切なのが、
「学習者がうまくいっていないとき、教える側も自分の方法を問い直す」
という考え方です。
これは簡単そうで、じつは難しい。
先生が一生懸命説明した。
でも子どもが理解していない。
そんなとき、
「ちゃんと聞いていなかったからだ」
と考えれば、話は早い。
会社でも同じです。
新人に説明した。
ところがミスをした。
「前にも言ったよね?」
はい、登場しました。
職場でしばしば見かける伝家の宝刀、
「前にも言ったよね?」
です。
もちろん、本当に聞いていなかった場合もあります。
でもティンパーリー的な考え方をすると、そこで捜査終了にはしません。
「説明の仕方は分かりやすかっただろうか」
「相手が理解したか確認しただろうか」
「一度に伝える情報が多すぎなかっただろうか」
「実際にやってみる機会はあっただろうか」
と、教える側にもカメラを向けます。
これは誰かを責めるためではありません。
改善できる場所を増やすためです。
原因を全部、
「あの人の能力の問題です」
としてしまえば、こちらには何もできません。
でも、
「こちらの伝え方にも変えられるところがあるかもしれない」
となれば、打てる手が増えます。
責任が増えるように見えて、実は可能性が増えているのです。
「一回教えた」は、魔法の呪文ではない
教育でも仕事でも、ときどき不思議な言葉があります。
「一回説明しました」
です。
なぜか、この言葉には、
「したがって、相手は理解しているはずである」
という巨大な但し書きが透明インクで書かれています。
しかし考えてみれば、私たち自身、一度聞いただけで全部覚えられるでしょうか。
スマートフォンの新しい設定方法ですら、
「さっきどこ押したっけ?」
となります。
まして新しい仕事、新しい考え方、新しい知識ならなおさらです。
ティンパーリーの研究から学べるのは、
「教えたこと」と「学ばれたこと」は別物である
という当たり前だけれど忘れやすい事実です。
料理人が料理を出したからといって、客が食べたとは限りません。
先生が説明したからといって、生徒が理解したとは限りません。
上司が指示したからといって、部下が意味まで理解したとは限りません。
だから必要なのは、
「私は伝えた」
ではなく、
「相手にはどう伝わっただろう」
という確認です。
この視点に立つだけで、コミュニケーションの景色はかなり変わります。
成長する人は「失敗しない人」ではない
ティンパーリーの研究を読んでいくと、教師という仕事が少し違って見えてきます。
良い教師とは、
「何でも知っている先生」
ではありません。
むしろ、
「分からないことが起きたときに、調べ直せる先生」
なのかもしれません。
授業がうまくいかなかった。
では、どうしてだろう。
別の方法を試してみよう。
子どもの反応を見てみよう。
結果が変わったか確かめよう。
また考えよう。
この繰り返しです。
なんだか科学者のようです。
白衣こそ着ていませんが、教室で小さな仮説と検証を繰り返している。
そしてこれは教師だけの話ではありません。
仕事でも、
「この方法でうまくいかなかった」
というとき、
「私は向いていない」
で終える必要はありません。
「方法Aではうまくいかなかった」
だけかもしれないからです。
これは大きな違いです。
「自分がダメだった」
では、自分全体が被告席に座ります。
しかし、
「このやり方ではうまくいかなかった」
なら、
「では方法Bは?」
と続きを考えられます。
人生は、できれば後者で進めたいものです。
自分自身を毎回裁判にかけていたら、心の裁判所が年中無休になってしまいます。
フィードバックは「後ろを見るもの」ではなく「前を見るもの」
「フィードバック」と聞くと、多くの人は過去を振り返るイメージを持つでしょう。
「あそこが良かった」
「ここがダメだった」
「今回は70点だった」
たしかに、それも必要です。
でもティンパーリーたちの研究から見ると、それだけでは半分です。
大切なのは、
「だから次はどうする?」
です。
たとえば仕事で、
「資料に誤字が三つありました」
と言われた。
これは過去の情報です。
そこから、
「提出前に音読しながら確認する」
「数字だけ別にチェックする」
「最後に五分の確認時間を取る」
と具体的な次の行動につなげる。
ここで初めてフィードバックが未来へ動き始めます。
だから良いフィードバックは、バックミラーだけではありません。
フロントガラスもついているのです。
過去を確認するだけなら、
「あそこ曲がるところ間違えたね」
で終わります。
未来まで扱うなら、
「次の交差点を右に曲がれば戻れます」
となります。
人が欲しいのは、おそらく後者でしょう。
「何が悪かった?」より「次に何を変える?」
この発想は、自分自身への振り返りにも使えます。
何か失敗した夜、
「なんで私はこんなこともできないんだろう」
と考えてしまうことがあります。
でも、この質問はかなり答えにくい。
脳内会議を三時間開催しても、
「私はダメだから」
という、何の役にも立たない議事録が完成することがあります。
そこで質問を変える。
「次に同じ場面が来たら、一つだけ何を変える?」
すると話が具体的になります。
「メモを取ろう」
「分からない段階で質問しよう」
「前日に準備しよう」
「確認してから送信しよう」
これなら使えます。
ティンパーリーの研究は学校教育についてのものですが、私はここにかなり普遍的な知恵があると思います。
人間は、反省だけでは動けません。
反省が行動に翻訳されたとき、初めて学びになる。
そんなふうに考えることができます。
教える人こそ、学び続ける
そしてティンパーリーの研究から得られる最大の教訓は、もしかするとここかもしれません。
「教える側が、学ぶことをやめない」
先生だから完成している。
上司だから分かっている。
親だから正しい。
専門家だから間違えない。
そんなことはありません。
人間です。
普通に間違えます。
昨日うまくいった方法が、今日はうまくいかないこともあります。
だから、
「私は教える人だから、答えを知っていなければならない」
ではなく、
「私は教える立場だからこそ、相手から学び続けよう」
と考える。
これはなかなか格好いい姿勢です。
自分の知識を守るより、目の前の人が本当に成長したかを見る。
自分が正しかったことを証明するより、
「どうすればもっと届くだろう」
と考える。
教師であれ、上司であれ、親であれ、支援者であれ、人に何かを伝える立場になった瞬間、この問いは他人事ではなくなります。
ティンパーリーが教えてくれる「育てる」ということ
人を育てるというと、
何かを教え込むことだと思いがちです。
知識を渡す。
注意する。
ほめる。
評価する。
でもティンパーリーの研究をたどっていくと、それだけでは足りないことが見えてきます。
相手がどこへ向かおうとしているのかを見る。
いまどこにいるのかを見る。
何ができていて、何につまずいているのかを見る。
そして、
「では次に、何をすればいいだろう?」
を一緒に考える。
さらに、もし相手がうまく進めないなら、
「この人に問題がある」
だけで終わらず、
「こちらの関わり方にも変えられるところはないだろうか」
と振り返る。
それがティンパーリーの研究から見えてくる「育てる」という営みなのだと思います。
人を評価するのは簡単です。
70点。
できた。
できなかった。
良い。
悪い。
判定なら、一瞬でできます。
でも人間は、通知表ではありません。
今日できなかった人が、明日はできるかもしれない。
そのために必要なのは、
「あなたはダメでした」
という判決ではなく、
「では、次はどうしてみようか」
という続きを一緒に探すことです。
ヘレン・ステイプルトン・ティンパーリーの研究は、教育についての研究でありながら、その奥ではずっと、
「人が成長するとは、どういうことなのか」
を問い続けているように見えます。
そして、その答えは意外に地味です。
一発で人生を変える魔法の言葉があるわけではありません。
よく見る。
確かめる。
伝える。
やってみる。
また見る。
そして少し変える。
その繰り返しです。
けれど人の成長というのは、たぶんそれくらい地味なものなのでしょう。
昨日よりほんの少し分かる。
昨日より一つだけ上手にできる。
昨日とは違う方法を試してみる。
ティンパーリーの研究は、そんな小さな変化に、
「はい。そこが学びですよ」
と静かに丸をつけてくれているのかもしれません。

ヘレン・ステイプルトン・ティンパーリー(Helen Stapylton Timperley)の論文一覧
1.『フィードバックの力――その一言は、学びを伸ばすのか、それとも止めるのか』ジョン・アラン・クリントン・ハッティ、ヘレン・ステイプルトン・ティンパーリー(2007)
Hattie, J., & Timperley, H.(2007). The Power of Feedback. Review of Educational Research, 77(1), 81–112.
DOI:10.3102/003465430298487
「ほめれば伸びるんでしょ?」「では、“すごいね!”のあと、その人は何をすれば?」――ハッティとティンパーリーが切り込んだのは、そんなフィードバックの正体です。研究を整理すると、大切なのは単なる称賛やダメ出しではなく、「どこを目指すのか」「今どこにいるのか」「次に何をするのか」が見えること。つまりフィードバックは成績発表ではなく、次の一歩を示す地図だったのです。「とりあえず褒める」で済ませていた人ほど、ちょっと赤ペンを置いて読みたくなる一篇です。

