グレッグ・J・ダンカン(Greg J. Duncan)の論文一覧:「幼少期って、そんなに後まで効くんですか?」子どもの人生を何十年も追いかけた研究者
グレッグ・J・ダンカン(Greg J. Duncan)のプロフィール
グレッグ・J・ダンカン(Greg J. Duncan)は、アメリカの経済学者・教育研究者です。
現在は、カリフォルニア大学アーバイン校で教育学の特別教授を務めています。
研究テーマをざっくり言ってしまえば、
「子どもは、どんな環境で育つと、その後の人生がどう変わっていくのか?」
という、とてつもなく大きな問いです。
いや、大きい。
「今日の晩ごはん、何にしよう」くらいならスーパーを一周すれば答えが出るかもしれませんが、「幼少期の家庭環境が20年後、30年後の人生にどう影響するか」となると、そうはいきません。
ダンカンは、そんな巨大な問いに対して、長い年月をかけてデータを集め、家族の所得、貧困、教育、子どもの発達、学校での成績、そして成人後の生活まで見つめてきた研究者です。
「お金の話」をしているけれど、本当に見ているのは人生
ダンカンはもともと経済学を専門に学んだ研究者です。
そのため、彼の研究には「所得」「貧困」「経済格差」といった、お金に関係する言葉がたくさん登場します。
でも、彼が知りたいのは、
「年収が何ドルなら幸せでしょう?」
という家計簿クイズではありません。
むしろ、
「家庭にお金が少ないことで、子どもの生活には何が起こるのか?」
「親のストレスは変わるのか?」
「学習する環境は変わるのか?」
「幼い頃の経験は、その後の学校生活や人生にまで影響するのか?」
という、人間の暮らしそのものを見ています。
ここがダンカン研究のおもしろいところです。
お金を研究しているように見えて、数字の向こう側にはいつも「子どもの人生」があります。
銀行口座をのぞいていると思ったら、その奥からランドセルを背負った子どもが出てくる。
そんな研究者です。
「貧困と成績には関係があります」で終わらせない
貧困について研究するとき、よくぶつかる大きな問題があります。
たとえば、
「所得の低い家庭の子どもほど、学校の成績が低い傾向がありました」
という結果が出たとしましょう。
これだけを見ると、
「じゃあ、所得を増やせば成績が上がるんですね!」
と言いたくなります。
ところが研究の世界では、ここで係員が飛んできます。
「少々お待ちください。それ、まだ言い切れません」
となるわけです。
所得が低い家庭と高い家庭では、住んでいる地域、親の学歴、仕事、学校環境、生活時間、ストレスなど、いろいろな条件が違う可能性があります。
だから単純に、
「お金が少ないから、この結果になった」
とは言えません。
そこでダンカンは、長期間にわたって同じ家庭や人々を調べる大規模な追跡研究などを活用しながら、
「幼少期の経済状況は、その後の人生とどのようにつながっているのか」
を丁寧に研究してきました。
彼は、アメリカで長年続けられている大規模な家計・生活の追跡調査にも深く関わってきました。
同じ人たちを長く追いかけていくことで、
「この人は子どもの頃どうだった?」
「その後、学校では?」
「大人になったら?」
と、人生を一本の線として見ることができる。
写真一枚ではなく、長編映画を見るような研究です。
ダンカンは、その長編映画を何十年分もの数字から読み解いてきました。
幼少期は、人生の「小さな前置き」ではない
ダンカンの研究で重要なテーマのひとつが、幼少期です。
私たちはつい、
「小さい頃のことなんて、大人になればそんなに関係ないでしょう」
と思ってしまいます。
人生100年時代です。
5歳なんて、まだオープニング映像くらいに見えます。
ところがダンカンたちの研究を見ていくと、幼少期は意外と存在感があります。
家庭の経済状況や生活環境、学校に入る時点で身についている力などが、その後の学習や人生とどのようにつながっていくのか。
彼はそこを繰り返し調べてきました。
だからといって、
「幼少期ですべて決まります。はい終了」
という話ではありません。
むしろ大切なのは逆です。
もし人生の早い時期に環境から大きな影響を受けるのであれば、
「では、その時期に社会ができることは何だろう?」
という問いが生まれます。
ここから研究が、教育や社会政策へとつながっていきます。
「貧困が悪い」から一歩進んで、「減らしたらどうなる?」
ダンカンの研究姿勢がよく表れているのが、低所得家庭に実際に現金を給付して、子どもの発達がどう変わるのかを調べる研究です。
これはなかなか大胆です。
普通なら、
「所得と子どもの発達には関連があります」
とデータを分析して終わるところを、
「では、本当に家庭の所得を増やしてみたらどうなるでしょう?」
と一歩踏み込んだわけです。
研究者魂、アクセルをもう一段踏んでいます。
この研究では、所得の低い家庭の母親たちを対象に、毎月異なる金額の現金を受け取るグループを無作為に分け、子どもの発達や家庭生活がどのように変化するのかを追跡しました。
つまり、
「貧困と子どもの発達には関係があります」
だけではなく、
「実際に経済的な余裕を増やしたら、家族や子どもに何が起きるのか?」
を確かめようとしたのです。
これは、かなり重要な違いです。
「傘を持っている人ほど雨にぬれにくい」という観察だけでなく、
「では実際に傘を渡してみよう」
というところまで進んだ研究だからです。
初期の研究では、現金給付を多く受け取った家庭の乳児に、認知能力の発達と関連すると考えられている脳活動の違いが確認されました。
ただし、その後の結果も含め、この研究は現在も「お金を渡せば全部解決」という単純な物語にはなっていません。
家庭生活、子育て、社会環境、感染症流行など、現実の人生にはさまざまな要素が入り込んできます。
人間は研究室のビーカーではありません。
そこが難しく、同時におもしろいところなのでしょう。
研究室から政策の世界へ
ダンカンの仕事は、学術論文を書いて終わりではありません。
彼は、アメリカの子どもの貧困をどう減らすかを検討する全米科学・工学・医学アカデミーの委員会で委員長を務めています。
テーマは非常に具体的でした。
「アメリカの子どもの貧困を10年間で半減させるには、どんな政策が必要なのか?」
です。
急に研究室のホワイトボードから、国家レベルの会議室へ舞台が移ります。
最低賃金、税制、子育て支援、所得支援など、さまざまな政策を組み合わせたら、子どもの貧困率はどれくらい変わるのか。
しかも、
「たぶんこれがいいと思います」
ではありません。
過去の研究や統計にもとづいて、
「この政策ならこれくらい減る可能性がある」
と検討していく。
つまりダンカンは、
「貧困は大変ですよね」
と語るだけではなく、
「では、数字上どこまで減らせるのか。具体的に計算してみましょう」
と電卓を持って席に着くタイプの研究者なのです。
経済学者だけれど、研究の引き出しはかなり広い
ダンカンのもうひとつの特徴は、研究分野の広さです。
出発点は経済学ですが、研究対象が「子どもの発達」になると、経済学だけでは足りません。
心理学。
社会学。
教育学。
公衆衛生。
さらには脳科学。
いろいろな分野の研究者と協力しながら研究を進めてきました。
考えてみれば当然なのかもしれません。
子どもは「経済学の子ども」でも「心理学の子ども」でもありません。
朝起きて、ごはんを食べ、親と話し、学校へ行き、友だちと遊び、ときには怒られ、ときには落ち込み、眠って、また次の日を迎える。
ひとつの人生です。
だから、その人生を理解しようとすれば、学問のほうが壁を越えていかなければならない。
ダンカンの研究には、そんな姿勢が感じられます。
世界的にも高く評価されている研究者
長年にわたる研究は高く評価され、ダンカンはアメリカを代表する科学者が選ばれる全米科学アカデミーの会員にも選出されています。
また、アメリカ芸術科学アカデミーの会員でもあり、2013年には子どもや若者の発達研究に大きく貢献した研究者へ贈られるクラウス・J・ヤコブス研究賞を受賞しました。
つまり研究界では、かなりの大物です。
ただ、彼の研究テーマを見ると、派手な理論を打ち上げるというより、
「この子の人生に、本当に何が影響しているんだろう?」
という問いを、地道に追い続けてきた研究者という印象があります。
何十年分ものデータを抱えながら、
「まだ見ます」
「もう少し追います」
「大人になったところも見てみましょう」
と続けていく。
研究対象からすると、
「先生、まだ追ってくるんですか」
と言いたくなるくらいです。
でも、この「まだ見る」が大切なのでしょう。
人生は「本人の努力」だけでは説明できない
ダンカンの研究を眺めていると、ひとつの大きなメッセージが浮かんできます。
人の人生を、
「努力したから成功した」
「努力しなかったからうまくいかなかった」
だけで説明するのは、少し乱暴なのではないか。
ということです。
人は、それぞれ違う家庭に生まれます。
使えるお金も違います。
住む地域も違います。
通う学校も違います。
周囲の大人から受けられる支援も違います。
同じ「よーい、ドン」で走り始めたように見えて、実はスタート地点も靴もコースも違う。
それでも私たちは、ゴール地点だけを見て、
「速かったですね」
「遅かったですね」
と評価してしまいがちです。
ダンカンの研究は、そのレースの舞台裏を見せてくれます。
だからこそ彼の研究は、単なる「貧困研究」ではありません。
子どもの可能性を、本人だけの責任にしないための研究でもあるのだと思います。
「子どもの未来」は、社会が触れられるものかもしれない
グレッグ・J・ダンカンという研究者をひとことで表すなら、
「子どもの人生を長い時間軸で見ながら、環境を変えることで未来を変えられないか考え続けてきた研究者」
と言えるでしょう。
幼少期の家庭環境。
親の所得。
学校に入る頃の力。
教育。
地域。
社会政策。
一見するとバラバラに見えるものを、ダンカンは一本の人生の中につなげて見てきました。
そして、その研究を読んでいると、
「人生は自己責任です」
という言葉が、だんだん言いにくくなってきます。
もちろん本人の努力は大切です。
でも、その努力が芽を出しやすい土もあれば、なかなか芽を出しにくい土もある。
だったら、
「もっと頑張れ」
だけではなく、
「土のほうも少し良くできませんかね?」
と考えてみる。
それが、ダンカンの研究から見えてくる大切な視点ではないでしょうか。
彼が見つめてきたのは、所得の数字そのものではありません。
その数字の向こう側で、学校へ行き、ごはんを食べ、家族と暮らし、少しずつ大人になっていく子どもたちです。
グレッグ・J・ダンカンの論文を読むということは、もしかすると、
「人はどこまで自分の力で人生をつくり、どこから社会の力を借りて生きているのか」
という、とても大きな問いを考えることなのかもしれません。
参考文献・確認先:カリフォルニア大学アーバイン校:Greg J. Duncan 公式プロフィール / Google Scholar:Greg J. Duncan 論文・引用情報 / PubMed:Greg J. Duncan 関連論文 / Baby’s First Years:研究者・研究プロジェクト情報

グレッグ・J・ダンカン(Greg J. Duncan)の研究から学べること
グレッグ・J・ダンカンの研究を読んでいると、だんだん人生を見る目が変わってきます。
たとえば、学校の成績がよくない子がいたとします。
私たちはつい、
「もっと勉強すればいいのに」
と言いたくなります。
あるいは、大人になって生活が苦しくなっている人を見ると、
「もう少し頑張ればよかったのでは?」
と思ってしまうこともあります。
ところがダンカンの研究を読んだあとでは、この一言を口にする前に、ちょっと手が止まります。
「……ところで、この人はどんなスタート地点から走ってきたんだろう?」
と考えるようになるからです。
これこそが、ダンカンの研究から学べる大きなことではないでしょうか。
人生を見るとき、結果だけを見るのではなく、
「そこに至るまで、どんな環境の中を歩いてきたのか」
まで見る。
成績表だけではなく、その子が朝起きてから学校へ着くまでの景色まで見るような視点です。
「本人の努力」だけで人生を説明すると、いろいろ落っことす
私たちは「努力」という言葉が好きです。
努力はたしかに大切です。
勉強する。
仕事を覚える。
資格を取る。
練習する。
失敗しても、もう一度やってみる。
どれも人生を動かす大切な力でしょう。
ただし、ダンカンの研究から見えてくるのは、
努力できる環境そのものにも差がある
ということです。
たとえば、家に勉強できる場所がある子と、そうでない子。
親が生活に余裕を持って子どもに関われる家庭と、毎日の生活を回すだけで精いっぱいの家庭。
本や教材を気軽に買える家庭と、「今月は食費が先です」という家庭。
同じ一時間の勉強でも、その一時間を確保するまでの難しさは同じではありません。
ところが、テストの日になると答案用紙はそんな事情を聞いてくれません。
「昨日、おうち大変だった?」
なんて数学の問題は心配してくれません。
普通に二次方程式を出してきます。
なかなか容赦がない。
だからこそ、人の結果を見るときには、
「本人の能力はどうだった?」
だけでなく、
「能力を伸ばせる環境はあった?」
という問いも必要になるのです。
これは子どもだけの話ではありません。
大人の世界でも同じでしょう。
就職活動がなかなか進まない人に、
「もっと積極的になりましょう」
と言うのは簡単です。
でも、その人が何度も失敗を経験して自信を失っていたり、相談できる人がいなかったり、交通手段がなかったり、生活そのものが不安定だったりすれば、「積極的に動く」という行動の難易度はぐっと上がります。
人生は同じゲーム画面に見えて、実は人によって難易度設定が違う。
ダンカンの研究は、そんな当たり前だけれど忘れやすい事実を、データから静かに教えてくれます。
幼少期は「どうせ覚えてないから大丈夫」ではない
ダンカンの研究で何度も登場するのが、幼少期です。
小さい頃の環境が、その後の学習や人生とどうつながっていくのか。
ここを長い時間をかけて研究してきました。
私たちは幼少期について、
「本人も覚えてないでしょう」
と言うことがあります。
たしかに、3歳の火曜日に何を食べたかなんて、まず覚えていません。
たぶん本人もお母さんも覚えていません。
でも、
覚えていないことと、影響を受けていないことは別です。
幼い頃にどんな環境で過ごしたか。
どれくらい安心できたか。
どんな学習機会があったか。
家庭にどれくらい経済的な余裕があったか。
学校に入る頃に、どんな力が身についていたか。
そうした違いが、その後の学びと少しずつつながっていく可能性があります。
ここで大切なのは、
「じゃあ幼少期で人生は全部決まるのか」
と極端に考えないことです。
そうではありません。
ダンカンの研究から持ち帰りたいのは、
人生の早い時期は、社会が支援する価値の大きな時期である
という視点です。
もし幼い時期の環境があとあとまで影響するのであれば、
「問題が大きくなってから何とかする」
より、
「小さいうちに少し助ける」
ことに意味が出てきます。
人生という長い列車が大きく進路を外れてから押し戻すより、出発したばかりのところでレールを少し整えておく。
そんな発想です。
「勉強以前」のように見えるものが、実は勉強につながっている
ダンカンたちは、学校に入る時点で子どもが持っている力と、その後の学業成績との関係も研究しています。
ここから考えさせられるのは、
「学校に入ってから頑張ればいい」
だけではないということです。
子どもは入学式の日に突然「学習する人間」になるわけではありません。
その前から、
数に触れる。
言葉を覚える。
人の話を聞く。
何かに注意を向ける。
試してみる。
失敗する。
もう一度やる。
そんな小さな経験を積み重ねています。
つまり、小学校一年生の教室は人生のスタート地点ではありません。
すでに何年か走ってきた子どもたちが集合する場所なのです。
そう考えると、
「この子はできる」
「この子はできない」
と早々に判定してしまうことの危うさも見えてきます。
学校に入った時点での違いには、その子自身の能力だけではなく、それまでに経験できたことの違いも含まれている可能性があるからです。
その差を全部、
「才能ですね」
「努力不足ですね」
の二択に入れてしまうと、人生という複雑な料理を塩とコショウだけで説明することになります。
いや、材料もっと入ってます。
家庭環境もある。
教育もある。
地域もある。
所得もある。
人との出会いもある。
偶然もある。
人生、具だくさんです。
貧困は「お金がない」で終わる話ではない
ダンカンの研究を考えるうえで避けて通れないのが、貧困です。
ここで重要なのは、貧困を単純に、
「欲しいものが買えないこと」
だけだと考えないことです。
もちろん、お金が少ないことそのものが中心にあります。
でも、お金が不足すると、そこからいろいろな問題が枝分かれしていきます。
住む場所の選択肢が減る。
教育にかけられるお金が限られる。
親が長時間働かなければならない。
急な出費に対応しにくい。
毎月の支払いについて考え続けなければならない。
家族のストレスが大きくなることもある。
つまり、お金の不足は財布の中だけに住んでいるわけではありません。
暮らし全体へじわじわ広がっていくことがあります。
だから、
「貧困なんて関係ない。愛情があれば大丈夫」
という言葉も、少し慎重に考えたいところです。
愛情はとても大切です。
でも家賃は愛情では払えません。
給食費も、冬の暖房代も、子どもの眼鏡も、
「たっぷり愛しています!」
と言ってレジへ持っていっても、おそらく店員さんは困ります。
愛情の大切さと、経済的な支援の大切さは競争相手ではないのです。
どちらも人が安心して暮らすために必要なものとして考えられます。
「お金を渡したらどうなる?」まで研究する
ここでダンカン研究の面白いところが出てきます。
貧困家庭の子どもにはさまざまな不利が見られる。
ここまでは、長年たくさんの研究が行われてきました。
でも、
「じゃあ実際に家庭のお金を増やしたらどうなるの?」
という疑問が残ります。
そこでダンカンたちが関わる研究では、所得の低い家庭に毎月現金を給付し、その後の家庭生活や子どもの発達を長期間調べています。
これが重要なのは、
「貧困と子どもの発達が関係していました」
だけではなく、
「実際に経済条件を変えたら何が起こるのか」
に近づこうとしていることです。
研究というより、社会に対してかなり大きな質問を投げています。
「自己責任と言う前に、条件を少し変えてみませんか?」
という質問です。
そして実際に条件を変え、その結果を調べる。
これは私たちの日常にも通じる考え方です。
誰かがうまくできていないとき、
すぐに本人を変えようとする。
「もっと頑張って」
「もっと自信を持って」
「もっと計画的に」
と言う。
でも、その前に、
「環境をひとつ変えたらどうなる?」
と考えてみる。
仕事が続かないなら、本人の根性だけではなく勤務時間を考えてみる。
勉強できないなら、意欲だけではなく場所や教材を考えてみる。
朝起きられないなら、精神論だけではなく生活リズムや通勤条件を考えてみる。
コミュニケーションが苦手なら、
「もっと話せ」
ではなく、
「少人数ならどうだろう」
と考えてみる。
人間を直接修理しようとするのではなく、人間と環境の組み合わせを調整する。
これはかなり使える考え方だと思います。
支援とは「本人を変えること」だけではない
ダンカンの研究から、福祉や教育、就労支援にも通じる大切な考え方が見えてきます。
支援というと、
「この人を成長させる」
「この人の能力を高める」
という方向に目が向きがちです。
もちろん、それも大切です。
でも、もう一つあります。
その人が力を出しやすい環境をつくる。
これも立派な支援です。
たとえば、100の力を持っている人が、環境との相性が悪くて30しか出せないことがあります。
すると周囲は、
「この人の能力は30ですね」
と判断してしまう。
でも環境を少し変えたら、60出るかもしれない。
さらに合う場所なら80出るかもしれない。
つまり私たちは、ときどき、
「その人の能力」
だと思っているものの中に、
「その環境で発揮できた能力」
を混ぜています。
ここを分けて考えるだけでも、人を見る目はかなり優しく、そして正確になります。
人生はスタート地点で決まらない。でも、スタート地点を無視してもいけない
ダンカンの研究を読むと、少し難しいバランスが見えてきます。
一方では、
「幼少期の環境は大切です」
と言う。
すると、
「じゃあ恵まれない家庭に生まれたら終わりなんですね」
と思ってしまうかもしれません。
しかし、そういう話ではありません。
人間の人生には、その後の教育、人間関係、仕事、支援、偶然の出会いなど、無数の変化があります。
過去は重要です。
でも過去は判決文ではありません。
ただし逆に、
「人間はいつからでも変われるんだから、環境なんて関係ない!」
と言ってしまうのも違います。
変われる可能性があることと、最初から不利な条件を放置してよいことは別だからです。
ここは非常に大切なところです。
希望を持つために環境の影響を否定する必要はない。
むしろ、
「環境が影響するなら、環境を良くする余地もある」
と考えることができます。
これはなかなか希望のある話ではないでしょうか。
人を責める前に、「何が足りない?」と考えてみる
ダンカン研究を日常生活に持ち帰るなら、ひとつだけ覚えておきたい問いがあります。
誰かがうまくいっていないとき、
「この人には何が足りないんだろう?」
ではなく、
「この人の周りには何が足りないんだろう?」
と考えてみることです。
本人の意欲が足りないのかもしれない。
でも、情報が足りないのかもしれない。
時間が足りないのかもしれない。
お金が足りないのかもしれない。
安心できる場所が足りないのかもしれない。
成功体験が足りないのかもしれない。
「一緒に考えてくれる人」が足りないだけかもしれない。
この問いを持つだけで、世界の見え方は少し変わります。
「なぜできないの?」
から、
「何があればできるだろう?」
へ。
たった数文字の違いですが、支援の方向はまるで違います。
前者は人を裁きやすい。
後者は可能性を探しやすい。
ダンカン研究が教えてくれるのは、「人は環境の中で生きている」という当たり前
グレッグ・J・ダンカンの研究から学べることを、最後にひとことでまとめるなら、
人の人生を理解したければ、その人だけを見ていてはいけない。
ということだと思います。
人は空中に浮かんで生きているわけではありません。
家庭があります。
学校があります。
仕事があります。
地域があります。
所得があります。
人間関係があります。
制度があります。
そして、その全部の中で毎日を生きています。
もちろん私たちは、自分で選択もします。
努力もします。
失敗もします。
立ち直ることもあります。
だから人生をすべて環境のせいにすることもできません。
でも同時に、すべてを本人の責任にすることもできない。
この間に、人間の本当の姿があるのでしょう。
「この人は、なぜできないんだろう」
ではなく、
「この人が力を出せる条件は何だろう」
と考えてみる。
子どもを見るときにも。
部下を見るときにも。
支援する相手を見るときにも。
そして、自分自身を見るときにも。
もし今日うまくいかなかったとしても、
「自分はダメだ」
で会議終了にしなくていいのです。
少し机を変える。
時間を変える。
助けを借りる。
仕事のやり方を変える。
一人で抱えない。
環境というつまみを、少し回してみる。
人間そのものを責め続けるより、案外そちらのほうが人生は動くことがあります。
ダンカンの研究は、壮大な統計や長期追跡調査を使いながら、最後にはとても人間らしい場所へ戻ってきます。
人は、自分一人の力だけで育つわけではない。
だから社会には、人が育ちやすい場所をつくる役割がある。
そして私たち一人ひとりにも、自分や誰かがうまくいかないとき、
「もっと頑張れ」
以外の言葉を探す余地がある。
そのことを知るだけでも、グレッグ・J・ダンカンの研究を読む意味はかなり大きいのではないでしょうか。

グレッグ・J・ダンカン(Greg J. Duncan)の論文一覧
1.『マシュマロ・テストを再検証する:「我慢できる子は将来うまくいく」は本当か? 幼少期の『待つ力』とその後の人生を追った研究』タイラー・W・ワッツ、グレッグ・J・ダンカン、ハオナン・クアン(2018)
Watts, T. W., Duncan, G. J., & Quan, H. (2018). Revisiting the Marshmallow Test: A Conceptual Replication Investigating Links Between Early Delay of Gratification and Later Outcomes. Psychological Science, 29(7), 1159–1177.
「マシュマロを我慢できる子は、将来もうまくいく」……そんな有名な話に、研究者たちが「ちょっと待って、それ本当に我慢する力だけの話?」と再検証をかけた論文です。4歳のときに長く待てた子ほど15歳時点の学力が高い傾向はありましたが、家庭環境や幼い頃の認知能力などを考慮すると、その関係はかなり小さくなりました。つまり、マシュマロ一個で人生は占えない。子どもの未来には、意志の強さだけでなく“育った環境”もかなり絡んでいる。その常識のひっくり返し方が、実におもしろい一篇です。

