グロリア・マーク(Gloria Mark)の論文一覧:仕事中の脳に「また通知ですか?」と、集中力の迷子を追いかけた情報科学者

グロリア・マーク(Gloria Mark)の論文を読む女性
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グロリア・マーク(Gloria Mark)のプロフィール

グロリア・マーク(Gloria Mark)は、私たちの集中力が、パソコンやスマートフォンの前でどのように迷子になるのかを研究してきた人物です。

たとえば、こんな経験はないでしょうか。

「よし、今日は集中して仕事を終わらせよう」

そう決意して資料を開いた直後、メールが届きます。

「ちょっと確認するだけだから」

メールを閉じると、別の連絡が気になります。返事を書いている途中で、今度は調べものを思い出します。そして検索画面を開いたところで、ふと我に返ります。

「ところで私は、最初に何をしようとしていたんだ?」

仕事をしていたはずなのに、いつの間にか集中力だけが遠足へ出かけている。グロリア・マークは、そんな現代人の少し切なく、かなり慌ただしい日常を、長年にわたって科学的に追いかけてきました。

心理学と情報学の間に立つ研究者

グロリア・マークは、アメリカのカリフォルニア大学アーバイン校で情報学を研究する教授です。コロンビア大学では心理学の博士号を取得しており、人の心を研究する心理学と、コンピューターや情報技術を研究する分野の両方に足を置いています。

研究テーマをひとことで表すなら、**「デジタル機器は、人間の注意や感情、働き方をどう変えるのか」**です。

コンピューターの性能を高めることだけが目的ではありません。

「この機能を追加したら便利になるぞ」

という機械側の話だけではなく、

「便利になったはずなのに、どうして人間はこんなに疲れているんだろう?」

という、人間側の事情を見つめています。

メール、通知、複数の作業、画面の切り替え、仕事の中断。私たちが毎日なんとなく受け入れているものを、彼女は研究対象として机の上に並べました。

いわば、現代の職場に白衣で現れ、忙しそうな人たちを見ながら、

「その疲れ、本当に仕事量だけが原因ですか?」

と尋ねた研究者なのです。

研究室を飛び出し、本物の職場へ

心理学の研究というと、大学の静かな実験室で、参加者が画面を見ながらボタンを押している光景を思い浮かべるかもしれません。

しかし、グロリア・マークが重視したのは、人が実際に生活し、働いている場所で調べることでした。

本当の職場では、予定外の電話がかかってきます。同僚から声をかけられます。上司から急ぎの連絡が届きます。少し疲れている日もあれば、朝から機嫌のよい日もあります。

実験室では、こうした職場の「ごちゃごちゃ」をきれいに片づけられます。しかし、彼女が知りたかったのは、まさにそのごちゃごちゃの中で、人間の注意がどう動くのかということでした。

そこで、コンピューターの使用記録、質問への回答、身体の状態を測る機器など、さまざまな方法を組み合わせ、人々の日常を丸ごと観察する研究を進めました。彼女自身は、こうした現実の生活環境を使った研究の場を「生きた実験室」と表現しています。

研究者が職場にやって来て、画面の切り替えを調べている。

そう聞くと、仕事中にこっそり通販サイトを見ていた人は、少し背筋が伸びるかもしれません。

しかし、彼女の目的は人を叱ることではありません。

人間の集中力が弱いから問題が起きるのではなく、人間の注意を細切れにしやすい環境が、すでに出来上がっているのではないか。そこを明らかにしようとしたのです。

中断されると、人はなぜか速く働く

グロリア・マークの代表的な研究の一つに、仕事の中断が作業者に与える影響を調べたものがあります。

普通に考えると、仕事を途中で止められた人は、作業が遅くなりそうです。

ところが研究では、中断された人たちが、むしろ作業を速く終えるという意外な結果が示されました。

「それなら、中断しても問題ないのでは?」

会社の偉い人が、うれしそうに身を乗り出しそうな結果です。

しかし、話には続きがあります。

中断された人たちは、失った時間を取り戻そうとして、作業速度を上げていました。その代わり、ストレス、いら立ち、時間に追われる感覚、努力の負担が大きくなっていたのです。

つまり、見た目には仕事が終わっています。

けれども、心の中では小さな非常ベルが鳴り続けている。

「急げ、遅れているぞ」

「さっきの作業を思い出せ」

「次の連絡が来る前に終わらせろ」

中断された人が仕事を速く終えたとしても、それは余裕たっぷりで能力を発揮したからとは限りません。焦りによって自分を急き立て、なんとか帳尻を合わせている可能性があります。

グロリア・マークの研究は、仕事が終わったかどうかだけでは、人の負担を判断できないことを教えてくれます。

集中力は、画面の上で四十七秒しか座っていない?

グロリア・マークが長年追跡してきたテーマの一つが、画面上での注意の持続時間です。

彼女の研究では、近年、人が一つの画面に注意を向け続ける時間は、平均で約四十七秒まで短くなっていると報告されています。二〇〇〇年代初めの調査では平均約二分半でしたが、その後の調査では、注意を別の画面へ移すまでの時間が短くなっていきました。

四十七秒。

カップ麺が出来上がる時間どころか、お湯を注いでふたを押さえたあたりで、集中力が別の画面へ引っ越している計算です。

ただし、これは「現代人の脳が壊れた」という単純な話ではありません。

仕事そのものが、何度も画面を切り替える形になっています。資料を読んで、文章を書き、連絡を確認し、予定表を開き、別の資料を探す。仕事を続けるために画面を移動している場合もあります。

さらに、私たちは他人から中断されるだけではありません。

「そういえば、メールが来ているかも」

「少しだけニュースを見よう」

「さっきの言葉を検索しておこう」

このように、自分から作業を中断することもあります。

集中力を奪う犯人を追いかけていたら、途中で鏡に映った自分と目が合ってしまう。グロリア・マークの研究のおもしろさは、そんな少し気まずい事実まで明らかにするところにあります。

研究の出発点は、本人の「何をしていたんだっけ?」

彼女が注意や複数作業の研究を始めたきっかけは、自分自身の経験でした。

ドイツの研究機関で働いていた頃は、一つの研究課題に集中できる環境にいました。しかし、二〇〇〇年にアメリカへ戻り、大学教員として働き始めると、複数の研究計画や多くの人とのやり取りを同時に抱えるようになります。

すると、自分の注意が研究から研究へ、画面から画面へと移り続けていることに気づきました。昼食さえ短時間で済ませ、すぐに画面の前へ戻る生活だったと振り返っています。

そこで彼女は考えました。

「これは私だけなのだろうか?」

そして次に、研究者らしい答えを出します。

「私は科学者なのだから、調べればいい」

自分の集中力が迷子になった経験を、落ち込む材料ではなく、研究の入口に変えたのです。

この経緯を知ると、グロリア・マークの研究が人間味を持って見えてきます。

彼女は、集中できない人を遠くから観察しているのではありません。自分もまた、画面に張りつき、作業を切り替え、気づけば一日が細切れになっていた一人でした。

だからこそ、その研究には、

「もっと意志を強く持ちなさい」

という説教よりも、

「なぜ私たちは、こうなってしまうのだろう?」

という温かな好奇心があります。

集中できない自分を、すぐに責めなくていい

グロリア・マークは、集中力についての一般向け著書でも、常に集中し続けることを理想にしすぎないよう伝えています。

人間の注意力には限りがあります。筋肉を休ませずに使い続けられないのと同じように、頭もずっと高い集中状態を保つことはできません。

大切なのは、一日中まったく途切れずに集中することではなく、自分の注意の波を知り、集中と回復のバランスを取ることだと彼女は考えています。

この視点は、集中できない自分を責めがちな人にとって、少し救いになります。

午後になって頭がぼんやりしてきたとき、

「私はなんて意志が弱いんだ」

と判決を下す前に、

「もしかすると、頭の燃料が減っているのでは?」

と考えられるからです。

もちろん、好きなだけ画面を眺めてよいという話ではありません。しかし、集中力の問題をすべて性格や根性のせいにすると、本当の原因が見えなくなります。

通知の多さ、仕事の仕組み、周囲からの要求、休憩の不足、複数作業を当然とする職場文化。集中力は個人の頭の中だけで起きているのではなく、環境との間で揺れ動いているのです。

世界的に評価された「集中力の観察者」

グロリア・マークは、デジタル機器と人間の関係について二百本を超える研究論文や記事を発表してきました。二〇一七年には、人とコンピューターの関係を研究する分野への大きな貢献が認められ、国際的な学術団体の功労者として選ばれています。また、マイクロソフトの研究部門でも客員上級研究員を務めてきました。

けれども、彼女の研究が広く読まれる理由は、立派な肩書だけではないでしょう。

研究しているのが、誰にとっても身に覚えのある出来事だからです。

集中しようとした瞬間に届くメール。

調べものの途中で始まる別の調べもの。

仕事を終えたのに、なぜかぐったりしている夕方。

グロリア・マークは、こうした日常の小さな混乱を、単なる「本人の要領の悪さ」として片づけませんでした。

その背後には、注意の切り替えに必要な負担があり、失った時間を取り戻そうとする焦りがあり、便利な技術に囲まれながら疲れていく人間の姿があります。

彼女の研究を読むと、メールの通知音が、ただの「ピコン」ではなく聞こえてきます。

それは、集中していた脳の扉をノックする音です。

「すみません、今ちょっといいですか?」

問題は、その「ちょっと」が一日に何十回も訪れることなのかもしれません。

参考文献・確認先:カリフォルニア大学アーバイン校:グロリア・マーク公式プロフィール / Google Scholar:グロリア・マーク 論文・引用情報 / DBLP:グロリア・マーク 論文一覧 / PubMed:グロリア・マーク 関連論文

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

グロリア・マーク(Gloria Mark)の研究から学べること

グロリア・マークの研究から学べることは、ひとことで言えば、集中できない自分を根性不足として裁く前に、集中を壊している環境を見てみようということです。

私たちは、仕事が進まないとすぐに自分を責めます。

「私は集中力がない」

「意志が弱い」

「もっと優秀な人なら、通知が鳴っても平気なのに」

ところが、グロリア・マークの研究を読んでいくと、集中力というものは、本人の性格だけで決まるわけではないことが見えてきます。

メールが届く。電話が鳴る。同僚から声をかけられる。予定表を確認する。ついでに別の資料を開く。そこで新しい連絡に気づく。

こうして一日は、包丁で細かく刻んだネギのように、こま切れになっていきます。

そして夕方になると、ちゃんと働いていたはずなのに、なぜか何も終わっていないような気がする。

「今日、私は何をしていたんだろう」

そんなとき、グロリア・マークの研究は、静かにこう教えてくれます。

「あなたが怠けていたのではなく、注意力が何度も引っ越しをさせられていたのかもしれませんよ」

仕事が速いことと、楽に働けていることは別

仕事を途中で中断されると、人は必ずしも作業が遅くなるわけではありません。

意外にも、遅れを取り戻そうとして、かえって速く仕事をすることがあります。

「なんだ、それなら中断しても大丈夫じゃないか」

そう言って、上司が次々と話しかけてきそうですが、残念ながら話はそこで終わりません。

中断された人は、失った時間を埋めるために、自分を急がせます。

「早く戻らなきゃ」

「どこまでやったっけ」

「次の連絡が来る前に終わらせよう」

表面上は仕事が終わっていても、頭の中では小さな運動会が開かれています。しかも全種目が短距離走です。

つまり、成果が出ているからといって、負担が小さいとは限らないのです。

これは職場を考えるうえで、とても大切な視点です。

期限に間に合った。作業も終わった。数字も達成した。

だから問題なし。

そう判断したくなりますが、その裏側で、働く人が毎日、焦りと緊張によって帳尻を合わせているかもしれません。

仕事の速さだけを見ていると、人が疲れていく音は聞こえません。

グロリア・マークの研究から学べるのは、仕事の成果を見るだけでなく、その成果がどのような負担によって生み出されたのかを見る必要があるということです。

中断は、終わったあとも頭に残る

仕事を中断される困りごとは、時間を取られることだけではありません。

元の作業に戻ったとき、私たちはすぐに完全復帰できるわけではないからです。

たとえば、報告書を書いている途中でメールを確認したとします。

メールへの返信が終わり、報告書に戻ります。

画面には先ほどまで書いていた文章があります。

ところが、頭の中では、

「私は何を書こうとしていたんだっけ」

という会議が始まります。

文章はそこにあるのに、思考の続きがいません。

まるで、電車から降りたら、一緒に乗っていたはずの考えだけが次の駅まで行ってしまったような状態です。

中断が多いほど、この「思考を拾い直す作業」も増えていきます。

一回一回は小さくても、一日に何度も積み重なれば、大きな疲労になります。

だからこそ、集中したい作業をするときは、時間を長く確保することだけでなく、途中で何度も切られない時間をつくることが重要です。

三時間机に座っていても、五分おきに連絡が入れば、頭にとっては細切れの時間です。

逆に、三十分でも中断されずに取り組めれば、深く考えられることがあります。

大切なのは、時計の長さだけではありません。

注意が一本の糸としてつながっているかどうかなのです。

集中を邪魔するのは、他人だけではない

通知を切れば、すべて解決するのでしょうか。

残念ながら、人間の頭はそれほど単純ではありません。

誰からも連絡が来ていないのに、自分からメールを開くことがあります。

「何か届いているかもしれない」

資料を書いている途中で、急に別のことを検索したくなります。

「今調べないと忘れそうだ」

気づけば、最初の仕事とは関係のないページを読んでいる。

集中力を奪った犯人を捜して部屋を見回したら、鏡の中に容疑者がいた。そんな少し気まずい展開です。

グロリア・マークの研究からは、中断には、外から起こされるものと、自分で起こすものがあると学べます。

これは、自分を責めるための話ではありません。

私たちの頭は、少し不安になると確認したくなります。退屈になると刺激を探します。難しい作業にぶつかると、簡単な仕事へ逃げたくなります。

メールの確認は、仕事をしている感じがします。

連絡への返信は、すぐに終わるので達成感もあります。

一方で、文章を考える、企画を練る、難しい問題を解くといった作業は、答えがすぐに出ません。

そのため、頭はこっそり提案します。

「いったんメールでも見ませんか。あちらなら、少なくとも一件は片づきますよ」

なかなかの営業上手です。

自分から中断してしまう癖に気づくには、作業を始める前に、何をする時間なのかを決めておくことが役立ちます。

「今から三十分は報告書を書く」

「調べたいことが出てきたら、横にメモしてあとで調べる」

このように、頭の中に出てきた別件をすぐ実行するのではなく、いったん預ける場所をつくります。

頭に「忘れなくていいよ。あとでちゃんと扱うから」と伝えるわけです。

集中力は、一日中同じではない

集中力は、蛇口をひねればいつでも同じ量が出る水ではありません。

朝は考えやすいけれど、午後になると頭が重くなる人もいます。昼過ぎに眠くなり、夕方に少し元気が戻る人もいます。

それなのに私たちは、ときどき集中力に無茶な注文を出します。

「朝から夕方まで、一度もぼんやりせず、ずっと高い能力を出してください」

集中力からすれば、

「休憩なしで八時間ですか。こちらにも事情があります」

と言いたいところでしょう。

グロリア・マークの研究から学べる大切なことの一つは、注意には波があるということです。

集中が高まる時間もあれば、落ちる時間もあります。

問題は、波があることではありません。

波があるのに、ずっと頂上にいることを求める働き方です。

自分の集中しやすい時間帯がわかれば、その時間に考える仕事を置くことができます。

文章を書く、企画を考える、判断する、数字を確認する。

反対に、集中が落ちやすい時間には、書類整理や簡単な返信など、比較的軽い作業を置くこともできます。

すべての仕事を同じ重さとして扱わず、頭の調子に合わせて並べ替える。

それだけでも、一日はかなり変わります。

時間管理というと、予定表に作業を詰め込むことだと思いがちです。

しかし本当は、時間だけでなく、注意力の残量を配ることなのかもしれません。

休憩は、集中を捨てる時間ではない

忙しいときほど、休憩は後回しにされます。

「これが終わってから休もう」

ところが、その仕事が終わると次の仕事が現れます。

「では、これも終わってから」

そうして休憩は、閉店間際のスーパーで売れ残った弁当のように、一日の最後まで置かれます。

しかし、注意力には限界があります。

休憩を取らずに働き続けると、集中しているつもりでも、画面を何度も切り替えたり、同じ文章を読み直したりするようになります。

体は椅子に座っていますが、頭はもう営業を終了しています。

休憩は、仕事を放棄する時間ではありません。

次の集中を生み出すための準備です。

ここで大切なのは、休憩中にも情報を詰め込まないことです。

仕事の画面を閉じて、すぐに別の画面で短い動画やニュースを見る。

これでは、体は休んでいても注意力は働き続けています。

少し歩く。窓の外を見る。飲み物をゆっくり飲む。目を閉じる。何も考えずにぼんやりする。

現代では「何もしない時間」は、さぼっているように見えます。

しかし、何もしないことによって、頭の中で散らかった紙が少しずつ整理されていきます。

休憩とは、仕事を止めることではなく、注意力を元の場所へ戻すための小さな帰港なのです。

技術が悪いのではなく、使い方を設計する

グロリア・マークの研究を読むと、スマートフォンやパソコンを全部捨てればよいと思うかもしれません。

しかし、技術そのものが悪者なのではありません。

メールがあるから、遠くの人とも仕事ができます。予定表があるから、約束を管理できます。検索機能があるから、必要な情報をすぐに調べられます。

問題は、便利な道具が、いつでも私たちに話しかけられる状態になっていることです。

包丁は料理に役立ちますが、二十四時間ずっと手に持っている必要はありません。

同じように、連絡手段も、常に開いておく必要はないのです。

通知を減らす。

メールを確認する時間を決める。

集中する作業では、使わない画面を閉じる。

今すぐ返事が必要な連絡と、あとでよい連絡を分ける。

こうした工夫は、意志の強さに頼るのではなく、環境を整える方法です。

毎回誘惑と戦うより、誘惑が入ってくる扉を少し閉めておく。

集中力に鉄の意志を求めるのではなく、集中しやすい部屋を用意してあげるのです。

集中できない自分を、すぐに悪者にしない

グロリア・マークの研究から得られる、もっとも温かな学びは、ここにあるのかもしれません。

集中できないとき、私たちは自分の能力や性格を疑います。

けれども、その日、何回話しかけられたでしょうか。

何通の連絡を確認したでしょうか。

いくつの作業を同時に抱えていたでしょうか。

十分に休憩を取ったでしょうか。

そもそも、今やっている仕事は、落ち着いて考えられる環境になっていたでしょうか。

集中できない理由を、すべて自分の中に探す必要はありません。

人間の注意力は、周囲の環境と切り離された孤島ではないからです。

通知、職場の文化、仕事量、時間の使い方、人間関係、疲れ、睡眠。

さまざまなものの影響を受けながら、注意は揺れています。

もちろん、工夫できる部分はあります。

しかし、工夫することと、自分を責めることは別です。

「私は集中力がない人間だ」

と決めつける代わりに、

「今日は集中が切れやすい条件が重なっていたな」

と考えてみる。

この言い換えだけでも、自分への扱い方は変わります。

グロリア・マークの研究は、集中力を強くするための号令ではありません。

むしろ、集中力がどれほど繊細で、環境の影響を受けやすいものなのかを教えてくれます。

集中力は、命令すれば黙って働く部下ではありません。

安心して働ける場所を用意すると、ようやく机に戻ってきてくれる、少し気難しい同僚のようなものです。

だから、集中できない日があっても、すぐに自分を解雇しなくて大丈夫です。

まずは通知を一つ減らし、作業を一つに絞り、少し休む。

そして、頭にこう声をかけてみるのです。

「いろいろ呼び出して悪かったね。今度は、ひとつずつやろう」

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

グロリア・マーク(Gloria Mark)の論文一覧

1.『仕事を中断される代償:作業は速くなる。でも、ストレスは増えていく』グロリア・マーク、ダニエラ・グディス、ウルリッヒ・クロッケ(2008)

Mark, G., Gudith, D., & Klocke, U.(2008). The Cost of Interrupted Work: More Speed and Stress. Proceedings of the SIGCHI Conference on Human Factors in Computing Systems(CHI ’08), 107–110. Association for Computing Machinery. DOI:10.1145/1357054.1357072

「仕事を中断されたら、当然遅くなるでしょ?」と思いきや、この論文は意外な結果を差し出します。電話やメッセージで作業を止められた人たちは、なんと仕事を速く終えました。ところが本人の中では、「急げ急げ!」と脳内非常ベルが鳴りっぱなし。質は落ちなくても、ストレス、いら立ち、時間の圧迫感、努力は増えていたのです。つまり中断は、時間を盗むというより、心にツケを回す。仕事が終わったから平気、とは限らない。「その速さ、元気ではなく焦りで出してません?」と、職場の常識に静かにツッコミを入れる一編です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
仕事を中断されるとどうなる?仕事は速くてもストレスが増す実験結果
仕事を中断されるとどうなる?仕事は速くてもストレスが増す実験結果
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