フレデリック・L・オズワルド(Frederick L. Oswald)の論文一覧:努力に「万能カードではありません」と注意書きを添えた心理学者

フレデリック・L・オズワルド(Frederick L. Oswald)の論文を読む女性
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フレデリック・L・オズワルド(Frederick L. Oswald)のプロフィール

フレデリック・L・オズワルドは、働く人の能力や性格、採用試験、仕事の成果などを、心理学と統計の両方から研究している心理学者です。

心理学者と聞くと、相談室で「最近、眠れていますか?」と静かに話を聞いている姿を想像するかもしれません。しかし、オズワルドが主に見つめているのは、もう少し広い景色です。

「この採用試験は、本当に仕事のできる人を見つけられているのか」

「性格検査の点数は、どこまで信用してよいのか」

「努力を続ければ、誰でも達人になれるのか」

「人工知能に採用を任せたら、公平になるのか。それとも、偏見まで自動化してしまうのか」

そんな、会社の会議室と心理学の研究室の間に落ちている難問を拾い上げ、データという懐中電灯で照らしている研究者です。

職場を研究する心理学者

オズワルドの専門は、産業・組織心理学です。

少々かたい名前ですが、平たく言えば「人が職場でどのように働き、評価され、成長し、時には疲れてしまうのか」を研究する心理学です。

会社には、売上や勤務時間のように数字で見えるものがある一方で、意欲、適性、集中力、協調性など、簡単には数字にできないものもあります。

ところが採用や人事の場面では、その見えにくいものに対して、

「この人は仕事に向いているだろうか」

「将来、活躍してくれるだろうか」

と判断しなければなりません。

ここで雑な性格診断を持ち出し、「あなたはライオン型なので営業向きです」などと言い始めると、心理学は急に動物占いの親戚になってしまいます。

オズワルドは、そうならないように、検査や評価方法がどれだけ正確なのか、何を測れていて、何を測れていないのかを統計的に確かめてきました。

現在はアメリカのライス大学で心理科学の教授を務め、社会科学分野の冠教授職にも就いています。大学の公式プロフィールでは、人材の仕事への準備、複数の研究結果を統合する分析法、心理検査の測定方法、大規模なデータの活用などが、主な研究分野として挙げられています。

心理学に、数字の健康診断をする

オズワルドの研究を理解するうえで欠かせないのが、「測る」という仕事です。

たとえば、体重計に乗るたびに五キロずつ数字が変わったら、その体重計を信用する人はいないでしょう。

ところが心理学では、性格、能力、意欲、回復力など、目では見えないものを質問や課題によって測ります。体重よりもずっと複雑です。

そこで必要になるのが、

「同じ人を測ったとき、だいたい同じ結果になるか」

「本当に測りたいものを測っているか」

「性別や文化の違いによって、不公平な結果になっていないか」

といった確認です。

オズワルドは、こうした心理測定や研究方法の専門家でもあります。

いわば心理学界の計量係です。ただし、定規を持って研究室を歩き回っているわけではありません。論文の数値や検査結果を見ながら、「この数字、ずいぶん堂々としていますが、本当に信用してよろしいですか」と問いかける役目です。

彼が率いる研究室では、人材選考、性格、知識と熟達、同時に複数のことを行う能力、大学入試、人工知能、研究結果を統合する分析法、検査づくりなど、幅広いテーマが扱われています。分野は広く見えますが、中心にある問いは共通しています。

それは、「人の能力を、できるだけ正しく、公平に理解するにはどうすればよいか」という問いです。

「努力すれば何にでもなれる」に、電卓を差し出す

オズワルドの名前が広く知られるきっかけの一つとなったのが、ブルック・N・マクナマラ、デイヴィッド・Z・ハンブリックとともに発表した、計画的な練習と成績の関係を調べた研究です。

世の中には、「一万時間練習すれば、誰でも一流になれる」という、実に景気のよい物語があります。

努力を始める背中を押してくれるという意味では、魅力的な言葉です。昨日まで三日坊主だった人も、「よし、あと九千九百九十七日くらい頑張ろう」と立ち上がれます。

しかし、科学者は景気のよさだけで話を決められません。

研究チームは、音楽、競技、スポーツ、教育、専門的な仕事など、さまざまな分野の研究をまとめて分析しました。その結果、計画的な練習は成果と確かに関係していましたが、その影響の大きさは分野によって異なっていました。

成績の違いのうち、練習によって説明できた割合は、競技で二六パーセント、音楽で二一パーセント、スポーツで一八パーセントでした。一方、教育では四パーセント、専門的な仕事では一パーセント未満でした。研究チームは、練習は重要ではあるものの、以前主張されていたほど万能ではないと結論づけています。

ここで大切なのは、この研究が「努力なんて無意味です」と言っているわけではないことです。

むしろ、

「努力さん、一人で成功の責任を全部背負わされていませんか」

と声をかけた研究だと考えると、わかりやすいでしょう。

成果には、練習の量や質だけでなく、知識、認知能力、身体的な特徴、指導環境、始めた年齢、機会、動機づけなど、さまざまな要因が関係します。

努力は重要な登場人物です。しかし、舞台の上に努力しかいないわけではありません。

オズワルドたちの研究は、努力を王様の座から追放したのではなく、「ほかの出演者の名前も、きちんと番組表に載せましょう」と提案したのです。

一つの研究だけで決めず、研究を束ねて考える

この研究で使われたのが、複数の研究結果を集めて、全体としてどのような傾向があるのかを調べる方法です。

ある研究では「効果があった」。

別の研究では「ほとんど関係がなかった」。

さらに別の研究では「条件によって違った」。

このように結果がばらばらになったとき、一つの研究だけを選んで結論を出すと、自分に都合のよい研究だけをつまみ食いすることになりかねません。

そこで、多くの研究を同じ食卓に並べ、

「全員、順番に話してください」

と議長を務めるのが、研究結果を統合する分析です。

ただし、論文をたくさん集めれば自動的に正解になるわけではありません。研究の質、参加者の人数、測定方法の違い、発表されやすい結果への偏りなども確認する必要があります。

オズワルドは、このような分析方法そのものについても研究してきました。

派手な理論を掲げるというより、研究の土台を点検する仕事です。建物で言えば、屋上に旗を立てる人ではなく、「この柱、見た目は立派ですが、少し傾いていませんか」と水平器を持ってくる人です。

研究の世界では、こういう人がいないと、立派な結論が建った翌日に床が抜けます。

採用に人工知能がやってきた

オズワルドの研究は、昔ながらの筆記試験や性格検査だけにとどまりません。

近年は、人工知能や機械学習を、採用や人材評価にどう使うかという問題にも取り組んでいます。ライス大学の公式プロフィールでも、仕事や人材に関わる場面での人工知能と機械学習が、中心的な研究テーマとして紹介されています。

人工知能を使えば、大量の応募書類を短時間で処理できます。動画面接の表情や話し方、ゲーム形式の検査結果、過去の人事データなどから、将来活躍しそうな人を予測する仕組みも作れます。

便利そうです。

しかし、ここで心理学者の眉が静かに上がります。

「その予測は本当に当たっていますか」

「過去の人事データにあった偏りまで、人工知能が学習していませんか」

「応募者に、なぜ不採用になったのか説明できますか」

「機械が出した点数だから公平だと、思い込んでいませんか」

人工知能は、白い衣を着た公平の神様ではありません。人間が用意したデータを食べ、人間が決めた基準に従って判断します。材料に偏りがあれば、完成する料理にも偏りが残ります。

オズワルドは、人工知能を拒絶しているのではありません。

便利な道具だからこそ、正確さ、公平さ、倫理、説明のしやすさを確かめながら使おうとしているのです。彼は人工知能を使った人材選考について、科学的、法的、倫理的な問題を検討する論文にも関わっています。

研究だけでなく、心理学の交通整理もする

オズワルドは、テキサス大学オースティン校で心理学を学び、その後、ミネソタ大学で産業・組織心理学の博士号を取得しました。

大学教員としては、パデュー大学、ミシガン州立大学を経て、ライス大学に移り、二〇一二年から教授を務めています。

また、産業・組織心理学の学会で会長を務めたほか、アメリカ心理学会の科学や心理検査に関する委員会、全米科学・工学・医学アカデミーの活動などにも関わってきました。現在の大学公式プロフィールでは、アメリカ政府に人工知能政策を助言する委員会の一員としても紹介されています。

これは単に、肩書がたくさんあるという話ではありません。

心理検査をどう使うか。

採用の判断をどこまで機械に任せるか。

研究結果を社会の制度にどう生かすか。

こうした問題は、大学の研究室だけで完結しません。企業、政府、教育機関、学会など、多くの場所をつなぐ必要があります。

オズワルドは、研究者であると同時に、心理学と社会の間で交通整理をする人物ともいえるでしょう。

「こちらは便利さ優先の車線です」

「公平性を確認せずに進むと事故になります」

「その数字は、いったん検査場に入ってください」

そんな案内板を立てながら、心理学の知識が現実の社会で乱暴に使われないよう、道を整えているのです。

努力も、才能も、数字も、少し落ち着いて見よう

フレデリック・L・オズワルドの研究から伝わってくるのは、単純な答えに飛びつかない姿勢です。

努力は大切です。

性格も仕事に影響します。

検査は人を理解する助けになります。

人工知能も便利です。

けれども、どれか一つを万能扱いした瞬間、話は少し怪しくなります。

努力だけで成功を説明しない。

性格検査だけで人間を決めない。

一つの研究だけで科学的事実だと言い切らない。

人工知能が出した答えを、無条件に公平だと思わない。

オズワルドは、人間を数字に変える研究者でありながら、数字だけで人間を片づけない研究者です。

彼の仕事は、「人間は複雑です」という当たり前の事実を、ただの感想で終わらせず、測定と統計によって丁寧に確かめていくことにあります。

成功の理由を一つに決めたくなったとき。

検査の点数だけで誰かを評価したくなったとき。

新しい技術が、すべての問題を解決してくれそうに見えたとき。

オズワルドの研究は、机の向こうから電卓を差し出してくるでしょう。

「その話、魅力的ですね。では、実際のデータも一緒に見てみませんか」と。

参考文献・確認先:ライス大学:フレデリック・L・オズワルド公式プロフィール / 組織・人材研究所:フレデリック・L・オズワルド論文一覧 / Google Scholar:Frederick L. Oswald 論文・引用情報 / PubMed:Frederick L. Oswald 関連論文

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

フレデリック・L・オズワルド(Frederick L. Oswald)の研究から学べること

フレデリック・L・オズワルドの研究から学べることは、ひと言でいえば、「人間を、たった一つの数字や理由で説明しない」という姿勢です。

私たちは、わかりやすい答えが好きです。

「あの人が成功したのは、努力したからだ」

「仕事ができないのは、やる気がないからだ」

「採用試験の点数が高いから、この人は優秀だ」

「人工知能が出した結果だから、公平に決まっている」

こうした説明は、頭の中をすっきり片づけてくれます。散らかった部屋の荷物を、とりあえず一つの押し入れに全部入れたような爽快感があります。

ただし、押し入れの扉を開けると、たいてい中から何かが雪崩れてきます。

人間は、それほど単純ではないからです。

オズワルドの研究は、私たちが気持ちよく信じてしまいそうな説明に対して、静かに手を挙げます。

「その話、わかりやすいですね。でも、ほかの要因はどこへ行きましたか」

この一言こそ、彼の研究から学べる大切な姿勢なのです。

努力は大切。でも、努力に全部背負わせない

オズワルドたちが行った、計画的な練習と成績の関係を調べた研究からは、努力の見方について重要なことを学べます。

世の中には、「努力すれば必ず報われる」という言葉があります。

確かに、練習をしなければ上達しません。楽器に一度も触れずに演奏家になった人はいませんし、ボールを一度も蹴らずに一流選手になった人も、たぶんいません。もし存在したら、心理学より先に超常現象の研究対象です。

しかし、だからといって、成功のすべてを努力だけで説明できるわけではありません。

成果には、練習の量だけでなく、練習の方法、指導者、始めた時期、本人の能力、体格、家庭環境、使える時間、経済的な余裕、周囲から得られる支援など、さまざまな条件が関係します。

同じ一時間の練習でも、適切な助言を受けながら弱点を修正する一時間と、間違った方法をひたすら繰り返す一時間では、結果が違います。

つまり、大切なのは、

「何時間やったか」

だけではなく、

「何を、どのように、どのような環境で続けたか」

なのです。

努力を称えること自体は悪くありません。

ただし、努力だけを成功の理由にすると、うまくいかなかった人に対して、

「努力が足りなかったのでは」

と簡単に言えてしまいます。

ここが怖いところです。

本人は十分に努力していたのに、教えてくれる人がいなかったのかもしれません。病気や家庭の事情で、練習に使える時間が少なかったのかもしれません。そもそも、その人に合わない方法を続けていたのかもしれません。

オズワルドたちの研究は、努力を否定しているのではありません。

むしろ、努力という働き者に、

「あなた一人に成功も失敗も全部背負わせるのは、さすがに重すぎます」

と荷物を半分持ってあげる研究なのです。

一つの数字で、人間全体を決めない

オズワルドは、心理検査や採用試験など、人の能力や性格を測る方法についても研究しています。

ここから学べるのは、検査の点数は便利だけれど、人間そのものではないということです。

たとえば、ある人が能力検査で低い点数を取ったとします。

その数字だけを見ると、

「この人は能力が低い」

と判断したくなるかもしれません。

しかし、実際には、その日の体調が悪かった可能性があります。問題の説明を十分に理解できなかったのかもしれません。時間制限に強い不安を感じたのかもしれません。外国語や読み書きに負担があり、本来の能力をうまく発揮できなかった可能性もあります。

反対に、試験の点数が高い人が、職場でも必ず力を発揮するとは限りません。

知識は豊富でも、人に相談できないかもしれません。

判断は速くても、確認をせずに進めてしまうかもしれません。

面接では堂々としていても、実際の仕事では約束を守らないかもしれません。

人間は、試験用紙の上だけで働くわけではないのです。

検査は、人を理解するための地図です。

しかし、地図は土地そのものではありません。

地図には道路が描かれていますが、坂道のきつさや、風の冷たさや、道端に咲いている花までは書かれていません。

それと同じように、検査結果はその人の一部を示してくれますが、人生経験、価値観、体調、意欲、周囲との関係まで、すべてを映し出すわけではありません。

だからこそ、採用や支援の場では、一つの点数だけで判断せず、面談、行動の様子、過去の経験、本人の希望などを組み合わせて考える必要があります。

数字は重要です。

けれども、数字に椅子を一つ渡しただけなのに、会議の議長まで任せてはいけません。

「測れているつもり」を疑う

オズワルドの研究からは、「そもそも、その検査は本当に測りたいものを測っているのか」と疑う姿勢も学べます。

たとえば、会社が「協調性」を測る試験を作ったとします。

質問には、

「人と一緒に行動するのが好きですか」

「集団で過ごすことを好みますか」

と書かれているかもしれません。

しかし、一人で過ごすことが好きだからといって、協調性が低いとは限りません。

静かな性格でも、仕事ではきちんと報告や相談ができる人はいます。

反対に、社交的で話好きでも、人の意見を聞かず、自分の話ばかりする人もいます。

人といるのが好きなことと、協力して仕事ができることは、似ているようで別物です。

ここで検査を作る側が雑になると、「協調性を測っているつもりで、実は社交性を測っていた」ということが起こります。

体重計だと思って乗ったら、実は玄関マットだったようなものです。数字が出ないだけ、玄関マットのほうがまだ正直かもしれません。

心理学では、目に見えない能力や性格を扱います。

だからこそ、

「この質問で何がわかるのか」

「同じ人が何度受けても、似た結果になるのか」

「特定の人だけ不利になっていないか」

「実際の仕事ぶりと関係しているのか」

を、繰り返し確かめなければなりません。

これは心理検査だけの話ではありません。

学校の成績、会社の評価表、支援機関の判定、インターネット上の性格診断など、私たちの周囲には「人を測る仕組み」がたくさんあります。

オズワルドの研究は、それらを見たときに、

「数字が出ているから正しい」

ではなく、

「この数字は、どのように作られたのだろう」

と一歩立ち止まる大切さを教えてくれます。

人工知能は、魔法の公平判定機ではない

近年、採用や人事評価に人工知能を利用する動きが広がっています。

大量の応募書類を読み、経験や技能を整理し、企業に合いそうな人を選ぶ。人間より速く、疲れず、感情に左右されない。

そう聞くと、人工知能は公平な審判のように思えます。

「機械なら、好き嫌いで決めないでしょう」

確かに、機械は面接中に「この人、なんとなく苦手だな」と思うことはありません。

ただし、機械を作るのは人間です。

何を評価するかを決めるのも人間です。

人工知能に学ばせる過去の情報を集めるのも人間です。

もし過去の採用に偏りがあれば、人工知能はその偏りまで「これが正しい採用方法なのですね」と素直に学んでしまう可能性があります。

人工知能は、とても優秀な新人職員に似ています。

頼んだ仕事は高速で処理しますが、渡された資料に間違いがあっても、

「先輩、この資料、ちょっと偏っていませんか」

と必ず指摘してくれるわけではありません。

むしろ、間違った資料を使って、間違った結論をものすごい速さで大量生産することもあります。

ここから学べるのは、新しい技術を「使うか、使わないか」という二択で考えないことです。

大切なのは、

「どのような目的で使うのか」

「何をもとに判断しているのか」

「不利になる人はいないか」

「人間が結果を見直せる仕組みがあるか」

を確かめることです。

人工知能は道具です。

包丁が料理にもけがにも使えるように、使い方によって結果が変わります。

「人工知能が決めました」という言葉は、説明の終点ではありません。

むしろ、そこから質問が始まります。

「では、その人工知能は、何を根拠に決めたのですか」

オズワルドの研究は、この質問を忘れないように教えてくれます。

一つの研究だけで大騒ぎしない

オズワルドは、複数の研究結果をまとめて分析する方法にも詳しい研究者です。

ここから学べるのは、一つの研究結果だけで「科学的に証明された」と大騒ぎしないことです。

インターネットでは、

「新しい研究で、これを食べると長生きすると判明」

「この習慣で集中力が二倍になる」

「成功者に共通する性格が明らかに」

といった見出しをよく見かけます。

ところが本文を読んでみると、参加者が二十人ほどだったり、特定の年齢層だけを調べていたり、効果がごくわずかだったりします。

研究そのものが悪いのではありません。

問題は、一つの研究に、世界のすべてを説明する仕事を任せてしまうことです。

科学は、一本の論文が英雄のように登場して真実を告げる世界ではありません。

多くの研究者が少しずつ結果を積み上げ、

「こちらでは効果がありました」

「こちらでは見られませんでした」

「条件を変えると結果が違いました」

と報告し合いながら、少しずつ全体像に近づいていきます。

つまり、科学は一発逆転の舞台ではなく、かなり地道な町内会議です。

発言者が多く、ときどき意見が食い違い、議事録も長くなります。

それでも、一人の大声だけで決めるより、ずっと信頼できます。

私たちも研究結果を読むときは、

「ほかの研究でも同じ結果が出ているのか」

「どのような人を対象にしたのか」

「効果はどれくらい大きいのか」

「別の説明は考えられないか」

と確認することが大切です。

「科学的に証明された」という言葉を見たら、すぐに財布を開くのではなく、まず眉を少し上げてみる。

それだけでも、かなり立派な科学的態度です。

公平とは、全員を同じように扱うことではない

オズワルドの研究は、採用や評価の公平さについて考えるきっかけにもなります。

公平というと、「全員に同じ試験を受けさせること」だと思われがちです。

しかし、同じ条件を与えることが、いつも公平とは限りません。

たとえば、車いすを利用している人と、そうでない人に対して、

「全員公平に階段を使ってください」

と言っても、それは公平ではありません。

同じ入口を用意することと、同じように参加できることは別だからです。

採用試験でも同じです。

読むことに障害がある人、耳が聞こえにくい人、強い緊張によって話す力が出にくい人など、さまざまな人がいます。

必要な配慮をすると、

「特別扱いではないか」

と言う人もいるかもしれません。

しかし、配慮とは、合格点を下げることではありません。

その人が本来持っている力を、余計な障壁に邪魔されず示せるようにすることです。

眼鏡をかけて試験を受ける人に、

「眼鏡はずるい。裸眼で受けてください」

とは言いません。

必要な配慮も、それと同じです。

オズワルドの研究からは、評価の公平さを考えるとき、「全員同じだったか」だけでなく、「全員が本来の力を示せる条件だったか」を見る必要があると学べます。

人を評価するときは、結論より先に質問する

私たちは日常生活でも、知らないうちに人を評価しています。

「返事が遅いから、やる気がない」

「面接でうまく話せないから、仕事もできない」

「仕事が続かないから、我慢が足りない」

「資格がないから、能力もない」

こうした判断は、速くて便利です。

しかし、速い判断は、ときどき大切な事情を置き去りにします。

返事が遅いのは、文章を慎重に考えているからかもしれません。

面接で話せないのは、強い緊張があるからかもしれません。

仕事が続かなかったのは、本人の努力不足ではなく、職場環境が合わなかったのかもしれません。

資格がなくても、現場では優れた技能を持っているかもしれません。

オズワルドの研究が教えてくれるのは、評価をやめることではありません。

採用でも教育でも支援でも、何らかの判断は必要です。

ただし、判断する前に、

「この人について、まだ見えていない情報はないか」

と質問することが大切なのです。

良い評価とは、迷わず即決することではありません。

必要なところで、きちんと迷えることです。

「わからない部分がある」と認めるのは、判断力が弱いからではありません。

むしろ、複雑な人間を複雑なまま扱おうとする、誠実さの表れです。

成功も失敗も、一人分の物語で決めない

オズワルドの研究を日常に引き寄せると、自分自身の見方も変わってきます。

何かがうまくいかなかったとき、私たちはすぐに、

「自分には才能がない」

「努力が足りない」

「性格が弱い」

と、自分一人の責任にしてしまいがちです。

けれども、結果には多くの要因が関わります。

方法が合っていなかった。

必要な情報がなかった。

助けを求められる相手がいなかった。

体調が悪かった。

環境に無理があった。

目標が大きすぎた。

始める時期が悪かった。

自分の責任がまったくないとは限りません。

しかし、自分だけがすべての原因だとも限らないのです。

これは責任逃れではありません。

原因を正しく分けることです。

料理が焦げたとき、料理人の腕だけを責めても、火力が強すぎたなら次も焦げます。

必要なのは、

「自分が悪い」

という大きな反省ではなく、

「火が強かったのか、時間が長かったのか、鍋が薄かったのか」

という具体的な点検です。

そう考えると、失敗は人格への判決ではなく、改善のための情報になります。

オズワルドの研究は、人を測る研究でありながら、人を簡単に決めつけないための研究でもあります。

わかりやすい答えほど、一度立ち止まる

フレデリック・L・オズワルドの研究から学べる最大のことは、わかりやすい説明に出会ったときほど、一度立ち止まることです。

「努力がすべて」

「才能がすべて」

「試験の点数がすべて」

「性格がすべて」

「人工知能なら公平」

「この研究で証明された」

こうした言葉は、話を簡単にしてくれます。

しかし、人間についての話があまりにも簡単になったとき、たいてい何かが机の下に落ちています。

オズワルドの研究は、その落とし物を一つずつ拾います。

環境はどうだったのか。

測定方法は正しかったのか。

別の要因はないのか。

特定の人が不利になっていないか。

ほかの研究でも同じ結果が出ているのか。

その問いかけは、少し面倒です。

けれども、その面倒くささこそが、人を乱暴に扱わないための安全装置になります。

人間は、一枚の成績表ではありません。

一度の面接でもありません。

性格検査の分類でも、人工知能が付けた点数でもありません。

努力、能力、経験、環境、体調、支援、偶然など、数え切れない要素が重なって、その人の現在があります。

だから、誰かを評価するときも、自分を責めるときも、結論を急がない。

「本当に、それだけが理由だろうか」

と問い直してみる。

オズワルドの研究は、私たちの肩を軽くたたきながら、こう語りかけているようです。

「人間は複雑です。ですから、もう少し丁寧に見てみましょう。電卓は貸しますが、答えを一つに決めるのは、まだ早いですよ」

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

フレデリック・L・オズワルド(Frederick L. Oswald)の論文一覧

1.『「練習すれば一流になれる」はどこまで本当か? 音楽・ゲーム・スポーツ・教育・専門職における意図的練習と成果のメタ分析』ブルック・N・マクナマラ、デイヴィッド・Z・ハンブリック、フレデリック・L・オズワルド(2014)

Macnamara, B. N., Hambrick, D. Z., & Oswald, F. L.(2014).
Deliberate Practice and Performance in Music, Games, Sports, Education, and Professions: A Meta-Analysis.
Psychological Science, 25(8), 1608–1618.
DOI:10.1177/0956797614535810

「一万時間練習すれば、誰でも達人になれるんですよね?」「少々お待ちください。その話、努力に働かせすぎです」。マクナマラたちは、音楽・ゲーム・スポーツ・教育・専門職の研究をまとめて検証しました。すると、計画的な練習はたしかに大切。でも、成績の違いを全部説明できるほどの万能選手ではありませんでした。分野によって影響もかなり違い、能力や環境、始めた時期など、ほかの登場人物も続々登場。努力神話に冷静な電卓を差し出した、読み応えたっぷりの論文です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
練習しても上達しないのはなぜ?努力だけでは説明できない実力差
練習しても上達しないのはなぜ?努力だけでは説明できない実力差

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