フェンミン・ツァオ(Feng-Ming Tsao)の論文一覧:「まだしゃべれません。でも、耳はかなり働いてます」赤ちゃんのことばの芽を追いかけた心理学者
フェンミン・ツァオ(Feng-Ming Tsao)のプロフィール
フェンミン・ツァオ(Feng-Ming Tsao)は、ひとことで言えば、「赤ちゃんは、まだ何もしゃべっていない時期に、いったい何を聞いているの?」を本気で追いかけてきた研究者です。
大人から見ると、生後半年くらいの赤ちゃんなんて、
「うー」
「あー」
「……ガラガラください」
くらいの世界で暮らしているように見えます。
ところがツァオの研究を読んでいると、どうやら赤ちゃんの頭の中は、そんなにのんびりしていません。
耳から入ってくる「パ」「バ」「タ」「ダ」のような微妙な音の違いを聞きながら、
「なるほど。この世界では、どうやらこういう音を使うらしい」
と、まだ言葉を話せないうちから、せっせと情報を整理している。
口はまだ準備中。でも耳はすでに営業しています。
そんな赤ちゃんの驚くべき能力を研究してきたのが、フェンミン・ツァオです。
台湾からアメリカへ、「赤ちゃんの耳」を追いかける
ツァオは台湾大学で心理学を学び、1990年に学士号を取得。その後、台湾の国立中正大学で心理学の修士号を取得し、さらにアメリカのワシントン大学へ進みました。2001年には、音声や聴覚を扱う分野で博士号を取得しています。現在は台湾大学心理学系の教授として、発達心理学を中心に研究しています。
この経歴を見るだけでも、研究テーマの流れがなかなかきれいです。
心理学から始まり、
「人間はどう発達するんだろう」
と考え、
さらに、
「そもそも人間は、ことばの音をどう聞いているんだろう」
と耳の奥へ奥へと入っていった。
気がつけば研究室には赤ちゃんがいる。
研究者人生というものは、ときどき不思議な場所に着地します。
ツァオが専門としているのは、乳児の言語発達、赤ちゃんの音声知覚、言語経験が発達に与える影響、子どもの言語障害などです。台湾大学の研究者紹介でも、こうした領域が主要な研究テーマとして挙げられています。
「外国語を聞かせればいい」だけではなかった
ツァオの名前が広く知られる研究のひとつが、パトリシア・K・クール、フエイメイ・リウらと行った乳児の外国語学習研究です。
ここで研究者たちが注目したのは、
「赤ちゃんに外国語を聞かせたら、その音を覚えられるのか?」
という問いでした。
これだけなら、なんとなく答えを予想できそうですよね。
「たくさん聞かせればいいんじゃない?」
ところが、話はそんな単純ではありませんでした。
この研究では、生後9か月前後の英語環境の赤ちゃんに、中国語の話者と直接ふれあう機会をつくりました。すると赤ちゃんは、中国語特有の音の違いを学習しました。
ところが、同じような内容を録画や録音だけで経験した赤ちゃんでは、同じ学習効果が確認されませんでした。つまり、少なくともこの実験では、音が耳に入ればそれで十分ではなく、人と人とのやりとりそのものが学習に重要だったことが示されたのです。
なんとも人間らしい結果です。
赤ちゃんにとって言葉とは、
「音声データをダウンロードしております。現在43%です」
というものではないらしい。
目の前に人がいる。
こちらを見ている。
笑っている。
自分の反応に何かを返してくれる。
そういう生きた交流の中で、ことばが「ただの音」から意味のあるものへ変わっていくのではないか。
ツァオたちの研究は、そんな言語学習の社会的な側面を考える重要な材料になりました。
生後6か月の「聞く力」が、2歳ごろの言葉につながる?
ツァオの研究でもうひとつ面白いのが、
「赤ちゃんのころの音の聞き分け能力は、その後の言語発達と関係するのではないか」
という研究です。
ツァオ、リウ、クールらは、生後6か月の赤ちゃんが音の違いをどの程度聞き分けられるかを調べ、その後、同じ子どもたちの13か月、16か月、24か月ごろの言語発達を追跡しました。
すると、生後6か月時点での音声知覚の成績と、その後の単語理解や発話、ことばの理解とのあいだに関連が見られました。
生後6か月ですよ。
こちらとしては、
「離乳食、今日はにんじんですね」
くらいの認識で見ています。
しかし研究者は、その耳の働きを測っている。
そしてその小さな聞き分け能力の中に、これから始まる言語発達の芽を見つけようとしているわけです。
これはなかなかロマンがあります。
言葉は、ある日突然、
「はい、本日より話します」
と始まるものではありません。
「ママ」「パパ」「わんわん」と声に出すよりずっと前から、赤ちゃんは周囲の音を聞き分け、整理し、自分が暮らしている世界の言葉に少しずつ耳を合わせている。
しゃべり始める前に、ことばの歴史はもう始まっている。
ツァオの研究を読んでいると、そんなことが見えてきます。
研究対象は「普通に言葉を覚える赤ちゃん」だけではない
ツァオの研究は、乳児の音声知覚だけで終わりません。
中国語の声調を子どもがどのように聞き分けるようになるのか、言葉の発達がゆっくりな子どもでは音の処理がどう違うのか、人工内耳を使う子どもの音声知覚、読みの困難と言葉の聞き分けとの関係、自閉症のある子どもの感情を含んだ話し方の理解など、研究対象はかなり広がっています。
ただ、その中心には共通する問いがあります。
「人間は、耳から入ってきた音を、どうやって“ことば”として理解できるようになるのか」
です。
私たち大人は、誰かが「おはよう」と言えば、普通に「おはよう」と聞こえます。
でも考えてみれば、これはかなり不思議です。
空気が振動した。
鼓膜が揺れた。
脳が処理した。
そしてなぜか、
「あ、この人はいま挨拶した」
と意味までわかる。
毎朝さらっとやっていますが、とんでもない仕事量です。
ツァオは、その当たり前すぎて見落としてしまう「ことばが聞こえる」という現象を、赤ちゃんや子どもの発達から丁寧にほどいてきた研究者だと言えるでしょう。
赤ちゃんは「何も知らない存在」ではなく、「猛烈に学んでいる途中の存在」
フェンミン・ツァオの研究を眺めていると、赤ちゃんを見る目が少し変わります。
まだ話せない。
文字も読めない。
質問しても研究内容について説明してくれない。
当然です。赤ちゃんなので。
けれど、その静かな時間の中で、脳は周囲の人の声を聞き、
「この音は大事そうだ」
「この違いは覚えておこう」
「この人が話しているときは、よく聞いておこう」
とでもいうように、世界の音を少しずつ分類している。
もちろん赤ちゃん本人がそんな独り言を言っているわけではありません。
でもツァオの研究が見せてくれるのは、言葉を話し始めるずっと前から、人間の言語学習は静かに動き始めているということです。
だからフェンミン・ツァオという研究者を一言で紹介するなら、
「赤ちゃんが最初の一言を話すより前の世界を、耳からのぞいてきた研究者」
と表現すると、かなり近いのではないでしょうか。
赤ちゃんはまだ、
「ただいま言語習得中につき、少々お待ちください」
という顔をしています。
でも、その耳の奥ではすでに大仕事が始まっている。
ツァオの研究は、私たちが何気なく使っている「ことば」が、実は人生のものすごく早い時期から、人との交流と経験の中で少しずつ育てられていることを教えてくれます。
そう思って赤ちゃんを見ると、ただぼーっと天井を見ている時間さえ、
「いま何か学んでいるのでは……?」
と気になってくる。
まあ、本当に天井を見ているだけのときも、たぶんあります。
参考文献・確認先:台湾大学心理学系:フェンミン・ツァオ公式プロフィール / Google Scholar:Feng-Ming Tsao 論文・引用情報 / PubMed:Feng-Ming Tsao 関連論文

フェンミン・ツァオ(Feng-Ming Tsao)の研究から学べること
フェンミン・ツァオの研究を読んでいると、だんだん赤ちゃんを見る目がおかしくなってきます。
ベビーカーの中で赤ちゃんが、
「……」
と無言でこちらを見ている。
普通なら、
「かわいいですねえ」
で終わるところです。
ところがツァオの研究を知ったあとだと、
「この人、いま私の発音を分析しているのでは……?」
という気持ちになってくる。
もちろん、赤ちゃんが腕を組んで採点表をつけているわけではありません。
でも実際、ツァオが長年研究してきたのは、赤ちゃんや子どもが、人の声の細かな違いをどう聞き分け、それがその後の言葉の発達とどうつながっていくのかという問題です。現在の研究分野にも、乳児の言語発達、音声知覚、言語経験の影響、子どもの言語障害などが挙げられています。
そこから私たちが持ち帰れることは、単なる「赤ちゃん豆知識」ではありません。
人はどう学ぶのか。
経験とは何なのか。
人との関わりには、どんな意味があるのか。
そんな、かなり大きな話までつながっていきます。
学ぶということは、「できるようになった瞬間」から始まるわけではない
ツァオの研究からまず学べるのは、
目に見える成果が出るずっと前から、学習は始まっている
ということです。
赤ちゃんが初めて「ママ」と言った。
すると周囲は、
「しゃべった!」
と大喜びします。
当然です。記念日です。
ところが、その「ママ」が口から出てくるまでには、とても長い助走があります。
人の声を聞く。
音の違いを聞き分ける。
よく聞く音の特徴を覚える。
音と人や物とのつながりを少しずつ学ぶ。
そうした積み重ねがあって、ようやく言葉が表に出てくる。
ツァオらの研究では、生後6か月ごろの音の聞き分け能力と、その後13か月、16か月、24か月ごろの言葉の理解や発話との間に関連が見られています。つまり、まだほとんど言葉を話していない時期の「聞く力」が、その後の言語発達とつながっていたわけです。
これは、大人の学びにも少し似ています。
たとえば新しい仕事を始めたばかりのころ。
何をやっても遅い。
専門用語を聞いても、
「はい?」
となる。
電話が鳴るだけで心の中に小さな非常ベルが鳴る。
そんな時期があります。
でも、外から見て成果が出ていないからといって、何も学んでいないわけではありません。
人のやり方を見ている。
言葉を覚えている。
失敗のパターンを知っている。
「あ、この場合はこうするのか」
という小さな理解が積み重なっている。
つまり成長とは、ときどき地上に芽が出るまで何も起きていないように見える植物に近いのかもしれません。
地下では、根っこが忙しい。
赤ちゃんも大人も、案外そうなのです。
「聞かせればいい」ではなく、人とのやりとりが学びを変える
ツァオの研究で特に有名なのが、パトリシア・K・クール、フエイメイ・リウと行った外国語学習の研究です。
研究では、生後9か月前後の英語環境の赤ちゃんが、中国語を話す人と直接交流しながら外国語の音に触れました。
すると、外国語特有の音の違いを聞き分ける能力が高まりました。
一方、似た内容を映像や音声を通して経験した条件では、同じような学習効果は確認されませんでした。
これ、なかなか意味深です。
もし学習が単なる情報量だけで決まるなら、
「はい、中国語を10時間流しておきました。言語学習完了です」
でもよさそうです。
ところが、そう簡単ではなかった。
目の前に人がいる。
その人がこちらを見る。
こちらが反応すると、相手も反応する。
笑う。
声を変える。
間を取る。
そういう人と人とのやりとりそのものが、学習を助けている可能性が見えてきたのです。
ここから学べるのは、
人間は情報だけを食べて育つ生き物ではない
ということではないでしょうか。
これは今の時代だからこそ、ちょっと胸に刺さります。
動画もある。
教材もある。
検索すれば何でも出てくる。
生成する道具まである。
情報だけなら、昔より圧倒的に手に入りやすい。
でも、
「わからない」
と言ったときに、
「そこ、わかりにくいよね」
と返してくれる人。
できたときに、
「それそれ」
と笑ってくれる人。
困っている顔を見て、説明を少し変えてくれる人。
そういう存在には、単なる情報とは違う働きがあります。
学ぶという行為は、頭の中だけで起きているようで、実はかなり人間関係まみれなのかもしれません。
私たちの耳は、「世界の音」をそのまま聞いているわけではない
ツァオは、中国語を学ぶ乳児が声の高さの変化をどう聞き分けるようになるのかについても研究しています。中国語では声の高さの動きによって言葉の意味が変わるため、こうした違いを聞き取る力が重要になります。ツァオの研究では、乳児期の言語経験によって、こうした音の知覚が発達していくことが示されています。
ここから見えてくるのが、
私たちは世界をそのまま受け取っているわけではない
という面白さです。
人間の耳は録音機ではありません。
同じ空気の振動が入ってきても、それをどう整理するかは、それまでの経験によって変わっていく。
つまり、
「聞こえたから理解した」
のではなく、
これまでの経験を使って、聞こえたものを意味のある形に組み立てている。
そう考えることもできます。
これは言葉だけの話ではありません。
同じ出来事を見ても、
新人にはただの光景。
ベテランには重要な異変。
料理初心者には、
「なんかジュージューいってる」
料理人には、
「そろそろ火を弱める頃だな」
となる。
経験とは、知識を増やすだけではなく、世界の見え方や聞こえ方そのものを変えていくものなのです。
そう考えると、「経験を積む」という言葉も、少し違って聞こえてきます。
経験とは頭の中の本棚に本を一冊追加することではない。
むしろ、世界を見る眼鏡そのものを少しずつ作り替えていくことなのかもしれません。
発達は「早い・遅い」だけでは測れない
ツァオの研究は、典型的な言語発達だけでなく、言葉の発達がゆっくりな子ども、人工内耳を使う子ども、自閉症のある子どもなどにも広がっています。
ここから大切なのは、
「早い子が優秀、遅い子が劣っている」
という単純な話ではないということです。
発達には、いろいろな道があります。
どの音をどう処理しているのか。
言葉をどんなふうに覚えているのか。
どこでつまずいているのか。
何を手がかりにしているのか。
それを細かく見ていくことで、
「この子はできない」
ではなく、
「この子は、どこで学び方が違っているのだろう」
という問いに変わっていきます。
この視点は、教育でも仕事でも、とても大事だと思います。
人がうまくできていないとき、
「努力が足りない」
で片づけるのは簡単です。
でも本当は、
説明の仕方が合っていないのかもしれない。
一度に扱う情報が多すぎるのかもしれない。
経験がまだ足りないだけかもしれない。
本人が使いやすい手がかりが別にあるのかもしれない。
「できない」という結果だけを見るのではなく、そこに至る過程を見る。
ツァオの研究姿勢から学べる、とても大きなポイントです。
人間は「人との間」で育っていく
フェンミン・ツァオの研究をずっと眺めていくと、最後にはひとつのシンプルなところへ戻ってくる気がします。
人は、一人で完成してから社会へ出ていくのではありません。
人の声を聞く。
誰かに話しかけられる。
反応する。
また返ってくる。
そういう小さなやりとりの中で、少しずつ世界の仕組みを学んでいく。
赤ちゃんの言語学習は、そのことをとても鮮やかに見せてくれます。
だからツァオの研究から持ち帰りたい言葉をひとつ選ぶなら、
「まだできていない時間も、成長の途中である」
でしょうか。
まだ話せない。
まだわからない。
まだうまくできない。
私たちは「まだ」という言葉を、つい欠点のように使います。
でも赤ちゃんを見ればわかります。
「まだ話せない」は、
「何も起きていない」
ではありません。
その耳の奥では、世界の音を整理する大工事が進んでいる。
大人だって、たぶん同じです。
何かを始めたばかりで成果が見えないとき。
勉強しているのに伸びている気がしないとき。
新しい環境で、自分だけ置いていかれているように感じるとき。
そんなときには、
「いまは地下工事中なのかもしれない」
くらいに思っておいてもいい。
地上からは何も見えなくても、根っこは少しずつ伸びています。
フェンミン・ツァオの研究は、赤ちゃんの「聞く力」を研究しながら、私たち大人にも、
人間の成長は、目に見える成果より少し早く始まっている
という、静かで頼もしいことを教えてくれるのです。

フェンミン・ツァオ(Feng-Ming Tsao)の論文一覧
1.『赤ちゃんは外国語の音をどう学ぶ?短い外国語体験と人との交流が育てる「聞き分ける力」』パトリシア・K・クール、フェンミン・ツァオフエイメイ・リウ(2003)
Kuhl, P. K., Tsao, F.-M., & Liu, H.-M. (2003). Foreign-language experience in infancy: Effects of short-term exposure and social interaction on phonetic learning. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 100(15), 9096–9101.
「赤ちゃんに外国語を聞かせるなら、動画でも同じでしょ?」と思ったら、この論文が「ちょっと待った」をかけます。生後9か月の赤ちゃんが中国語を話す人と直接ふれあうと、外国語の音を聞き分ける力が高まりました。ところが、同じ内容を映像や音声だけで体験した赤ちゃんでは同じ効果が見られません。「言葉って、耳だけで覚えてるんじゃないの?」という疑問がむくむく。人の顔、視線、やりとりまでが学習装置なのか。赤ちゃんの語学力から、人間が“誰かと一緒に学ぶ意味”まで見えてくる一篇です。

