エリザベス・J・マーシュ(Elizabeth J. Marsh)の論文一覧:記憶に「その話、どこで聞きました?」と出典確認を求めた心理学者
エリザベス・J・マーシュ(Elizabeth J. Marsh)のプロフィール
エリザベス・J・マーシュ(Elizabeth J. Marsh)は、アメリカのデューク大学で心理学と神経科学を研究する心理学者です。現在は同大学の教授を務め、「人はどうやって知識を覚え、その知識をどう更新し、そしてなぜ間違ったことまで覚えてしまうのか」という、人間の記憶の少々やっかいな部分を研究しています。
記憶の研究というと、
「昨日の晩ごはんを思い出せますか?」
みたいな話を想像するかもしれません。
もちろん、それも記憶です。
しかしマーシュが見つめてきたのは、もう少し油断ならない記憶です。
たとえば、
「それ、本当に学校で習った知識ですか?」
「どこかの物語で読んだ話じゃありません?」
「しかも、その情報、そもそも間違ってませんでした?」
という世界。
人間の頭の中には、どうやら図書館司書が常駐しているわけではありません。
「これは教科書から」
「これはニュースから」
「これは小説から」
「これは友達の適当な話から」
と、すべての情報にきれいなラベルを貼って保存してくれれば楽なのですが、現実の記憶はそんなに几帳面ではない。
ときどき、
「内容は覚えております。出典は紛失しました」
という顔をして出てきます。
マーシュは、そんな記憶の不思議を追いかけてきた研究者です。
人間は「どこで知ったか」を忘れてしまう
マーシュの研究テーマのひとつに、物語や文章から得た情報が、その後の知識にどう影響するのかという問題があります。
たとえば、小説を読んでいたとしましょう。
そこに本当の雑学が書いてあれば、
「へえ、そうなんだ」
と覚える。
これはまあ、ありがたい話です。
ところが問題は、その物語の中に間違った情報が混ざっていた場合です。
人間の脳が、
「こちらは架空の物語ですので、知識として保存しません」
と入口で止めてくれればいい。
ところが、そうはいかないことがあります。
マーシュたちの研究では、人は物語の中から現実世界についての情報を学ぶ一方、誤った情報まで後の回答に利用してしまう場合があることが示されてきました。
つまり脳は、
「小説だから全部フィクションね」
とも、
「書いてあるから全部事実ね」
とも処理していない。
もっと曖昧です。
脳内の知識倉庫を開けると、
「これ知ってる!」
という箱は見つかるのですが、
「どこで知った?」
と尋ねると、
「……そこまでは聞かないでもらえます?」
となる。
なかなか人間らしい記憶です。
「知っていること」と「正しいこと」は別問題
マーシュの研究がおもしろいのは、単に「人間は忘れますよ」という話で終わらないところです。
むしろ怖いのは、忘れているときではなく、覚えていると思っているときかもしれません。
私たちは、何かについて自信を持って答えられると、
「よし、これは知識だ」
と思います。
ところが、その知識がどこから来たものなのか、元の情報が正しかったのかという問題は別にあります。
つまり、
「自信があります!」
と、
「正解です!」
の間には、小さいようで結構深い川が流れている。
マーシュは、人が誤った知識や思い込みをどのように獲得し、それをどう修正できるのかについても研究してきました。彼女の研究室でも、学生が知識を獲得・維持・更新・応用する仕組みや、誤った理解をどう訂正するかが主要な研究テーマになっています。
言ってみれば、
「人間の脳内・情報訂正センター」
の研究です。
ただし、このセンター、訂正印を押せばすべて解決というほど素直ではありません。
一度覚えた間違いは、
「それ違いますよ」
と言われても、
「承知しました」
と完全削除されるとは限らない。
古い情報がひょっこり戻ってくることもあります。
マーシュはリサ・ファジオとの研究などで、誤った記憶を訂正する問題についても検討しています。
人間の頭は、パソコンのファイル削除とは少し違うわけです。
「削除しました」
と表示されたのに、翌日ひょこっと、
「昨日の件なんですが」
と間違った記憶が会議室に戻ってくる。
困った社員です。
教育の世界にもつながっていく
こうした記憶研究は、学校教育とも深くつながります。
なぜなら勉強とは、つまるところ、
「正しい知識を覚え、必要なときに取り出し、間違っていたら更新する」
という作業だからです。
ところが私たちは、勉強するときにかなり頻繁に、
「読んだから覚えた」
「見覚えがあるから理解した」
「答えを見たらわかったから大丈夫」
という判断をします。
脳:「知ってます」
先生:「では答えてください」
脳:「……資料を見てもいいでしょうか」
という事件が起きる。
マーシュは、認知心理学の知見を教育現場へつなげる研究にも取り組んできました。学習方法に関する大規模な研究レビューにも参加し、一般によく使われている勉強法の中には、効果がそれほど高くないものがあることを紹介しています。
ここでも中心にあるのは、
「覚えた気がする」と「本当に使える知識になっている」は違う
という問題です。
教科書を三回読んで、
「うむ。完全に理解した」
と思った五分後、
問題集:「では説明してください」
自分:「……話が違う」
となる経験。
あれは人類共通の小さな悲劇なのかもしれません。
スタンフォード大学から記憶研究の道へ
マーシュはドリュー大学で心理学を学んだ後、スタンフォード大学大学院で認知心理学を学び、1999年に博士号を取得しました。その後、セントルイス・ワシントン大学で博士研究員を経験し、現在はデューク大学で心理学・神経科学の教授として研究を続けています。
研究対象は、記憶、学習、誤情報、知識の更新など。
一見すると難しそうですが、扱っている問題は驚くほど日常的です。
「ネットで読んだ話を事実だと思っていた」
「誰から聞いたのか忘れたけれど、なぜか信じている」
「間違いだと訂正されたはずなのに、古い情報が頭に残っている」
「勉強したのに、テストになると出てこない」
どれも私たちの日常に普通に転がっています。
つまりマーシュの研究室が覗いているのは、特殊な人間の記憶ではありません。
私たち全員の頭の中です。
記憶は「録画」ではなく「編集部」なのかもしれない
マーシュの研究を眺めていると、記憶について少し考え方が変わります。
私たちは記憶を、つい「録画装置」のように考えます。
経験したことを保存して、必要になったら再生する。
でも実際の記憶は、そんなに忠実な録画係ではない。
むしろ、
「この情報、前にも聞いた気がします」
「出典は忘れました」
「少し内容を編集しました」
「間違いも混ざりました」
「でも本人はかなり自信があります」
という、自由すぎる編集部に近いのかもしれません。
だからこそマーシュの研究には、大切なメッセージがあります。
覚えていることを疑うのは、自分を信用しないことではない。
むしろ、
「人間の記憶って、こういう仕組みなんだな」
と理解したうえで、
「これはどこで知ったんだろう」
「本当に正しいのかな」
「もう一度確認してみよう」
と立ち止まる。
その小さな習慣が、誤った情報に振り回されないための知恵になるのでしょう。
エリザベス・J・マーシュは、人間の記憶に向かって、
「覚えているのはわかりました」
とまずうなずき、
そのあと静かに、
「では、その話はどこで聞きました?」
と尋ね続けてきた心理学者なのです。
そして、その質問に一番困っているのは、おそらく私たち自身の脳なのかもしれません。
参考文献・確認先:デューク大学:Elizabeth J. Marsh 公式プロフィール / Marsh Memory Lab:Elizabeth J. Marsh プロフィール / Google Scholar:Elizabeth J. Marsh 論文・引用情報 / PubMed:Elizabeth J. Marsh 関連論文

エリザベス・J・マーシュ(Elizabeth J. Marsh)の研究から学べること
エリザベス・J・マーシュの研究から学べることは、ひと言でまとめるなら、
「自分の記憶を、ちょっとだけ疑ってみよう」
ということではないでしょうか。
ただし、
「自分の記憶なんて信用するな!」
という怖い話ではありません。
むしろ逆です。
人間の記憶がどういうクセを持っているのかを知っておけば、必要以上に自分を責めなくて済むし、間違った情報にも振り回されにくくなる。
マーシュの研究は、私たちの頭の中にいる「かなり自信満々だけれど、ときどき出典を忘れる司書さん」と、どう付き合えばいいのかを教えてくれます。
「知っている」と思った瞬間こそ、少しだけ立ち止まる
私たちは何かを聞かれたとき、
「あ、それ知ってる」
と思うことがあります。
ところが、マーシュの研究を知ると、この「知ってる」がなかなか曲者だとわかります。
たとえば、
「この話、前に聞いたことがある」
という感覚はあっても、
「どこで聞いたんだっけ?」
となることがあります。
テレビだったか。
本だったか。
友達だったか。
インターネットだったか。
あるいは、どこかの物語だったか。
脳:「情報は保存しておきました!」
自分:「出典は?」
脳:「そこは別料金です」
そんなことが、本当に起こるわけです。
そして出典を忘れてしまうと、もともとは怪しい情報だったとしても、
「なんとなく知っている事実」
として頭の中に残ってしまうことがあります。
だからマーシュの研究から学べる一つ目の教訓は、とてもシンプルです。
「それ、どこで知ったんだろう?」と一度考えてみる。
これは地味です。
ものすごく地味です。
健康法の記事を読んで、
「なるほど! バナナを毎朝17本食べれば人生が変わるのか!」
と思ったところで、
「……ところで誰が言っているんだ?」
と確認する。
それだけです。
でも、この一呼吸が意外と大きい。
情報が多すぎる時代では、「何を知っているか」だけでなく、「その情報がどこから来たのか」まで確認する力が大切になります。
知識には、住所が必要なのです。
繰り返し見た情報ほど「本当っぽく」感じることがある
人間には不思議なところがあります。
何度も目にした言葉に対して、
「これだけ見るんだから、本当なんじゃない?」
と感じやすくなることがあります。
たとえばインターネット上で、
「○○すると集中力が3倍になります!」
という話を一回見たときには、
「ほんとかねえ」
と思っていた。
ところが数日後、別の場所でも見る。
さらに動画でも見る。
SNSでも見る。
すると、
「……もしかして常識なのでは?」
と脳が態度を変え始めます。
しかし、同じ情報を百回見たからといって、その情報が百倍正しくなるわけではありません。
間違った話を百回読めば、
「よく見かける間違った話」
になるだけです。
ところが人間の頭は、「よく見かける」と「正しい」を完全には切り分けてくれません。
ここにも、マーシュが研究してきた記憶と知識の問題があります。
だから大切なのは、
「聞いたことがある」
と、
「根拠がある」
を分けること。
脳:「この話、見覚えがあります!」
自分:「正しいの?」
脳:「見覚えがあります!」
自分:「だから正しいの?」
脳:「……見覚えならあります!」
ここで押し切られてはいけません。
間違った情報は「訂正すれば終わり」とは限らない
マーシュの研究から学べるもう一つの重要なことは、
一度覚えた間違いは、訂正されたあとも影響を残すことがある
ということです。
これは日常生活でもあります。
最初に、
「田中さん、会社辞めるらしいよ」
と聞いたとします。
翌日、
「あれ間違いだった。辞めないって」
と訂正される。
頭では理解しています。
「なるほど。田中さんは辞めない」
ところが数週間後、
田中さんを見た瞬間、
「そういえば辞めるんだっけ……あ、違った」
と古い情報が一瞬戻ってくる。
訂正された情報が、頭の中から跡形もなく消えるとは限らないのです。
記憶とは、黒板というより少し古いホワイトボードに近いのかもしれません。
消した。
確かに消した。
でも光の角度を変えると、
「田中さん退職」
が薄く残っている。
これはかなり厄介です。
だから誤情報を訂正するときには、
「それは間違いです」
だけで終わらせず、
「では、正しくは何なのか」までセットにする
ことが重要になります。
「リンゴは野菜ではありません」
だけより、
「リンゴは果物です」
まで伝えたほうがいい。
頭の中に空席を作るだけではなく、そこへ正しい情報を座らせるわけです。
「あなたは違います。退席してください」
で終わるのではなく、
「代わりに正解さん、こちらへどうぞ」
までやる。
記憶の席替えには、新しい座席表が必要なのです。
勉強では「もう一度読む」より「思い出してみる」
マーシュは教育や学習についての研究にも関わっています。
そこから私たちが学べることの一つが、
「わかった気になること」と「本当に覚えていること」は違う
ということです。
これは耳が痛い。
教科書を読みます。
一回目。
「難しいな」
二回目。
「少しわかるぞ」
三回目。
「はいはい、知ってます知ってます」
そして本を閉じる。
「では説明してください」
「…………」
これです。
読んでいる最中は、文章が目の前にあります。
だから内容がスラスラ理解できる。
その「スラスラ読める感じ」を、
「自分で思い出せる」
と勘違いしてしまうことがあります。
しかし本当の勉強では、資料が閉じられたあとが本番です。
「何が書いてあった?」
「なぜそうなる?」
「自分の言葉で説明できる?」
と、頭の中から取り出してみる。
そこで、
「あれ?」
となる。
でも、その「あれ?」こそ大事なのです。
勉強では、
「わからない部分を発見する」
ことも立派な成果です。
小テストで間違えると、
「うわ、ダメだった」
と思います。
しかし学習という視点では、
「ここ、まだ覚えてませんよ」
という脳からの点検報告書が届いたとも考えられます。
間違いは、知識の穴を教えてくれる懐中電灯です。
「私は記憶力が悪い」と責めすぎなくていい
マーシュの研究を読んでいると、もう一つ少し救われることがあります。
私たちは何かを忘れたり、勘違いしたりすると、
「自分は記憶力が悪い」
と思います。
でも、人間の記憶そのものが、そもそも完全な記録装置ではありません。
忘れる。
混ざる。
出典を失う。
あとから入ってきた情報に影響される。
間違った情報を覚えることもある。
これは「あなたの脳だけ故障しています」という話ではない。
人間の記憶そのものが、そういう性質を持っています。
もちろん、だから何を間違えてもいいという話ではありません。
大切なのは、
「記憶にはクセがある」
と知ったうえで、確認する仕組みを持つことです。
メモする。
出典を残す。
重要なことは資料を確認する。
一度覚えたことも、ときどき確かめ直す。
つまり、
記憶力だけで戦わない。
これもマーシュの研究から学べる、とても実用的な知恵でしょう。
人間の頭だけですべて管理しようとするから、
「昨日の予定どこ行った!」
と脳内捜索隊を出すことになる。
予定表があります。
メモがあります。
検索もできます。
文明は、記憶の外付けハードディスクをたくさん作ってくれました。
使えばいいのです。
人に教えるときも「間違いの訂正」だけで終わらない
マーシュの研究は、教育だけでなく、人に何かを説明するときにも役立ちます。
たとえば誰かが間違えていたとします。
「それ違うよ」
と言う。
これだけでは、相手の頭の中に、
「違うことはわかった。でも正解は何だっけ?」
という空白が残るかもしれません。
だから、
「それは違う。正しくはこちら」
まで伝える。
さらに可能なら、
「なぜそうなのか」
も添える。
そうすると、古い知識に代わる新しい説明ができます。
これは職場でも使えます。
部下や後輩に、
「このやり方はダメです」
だけではなく、
「この場合はこちらの手順でやってください。理由はこうです」
と伝える。
すると相手は、
「怒られた」
ではなく、
「次にどうすればいいか」
を持って帰れます。
誤りを指摘するだけでは、人は前に進みにくい。
正しい道まで示して、初めて訂正は完成する。
これは記憶研究から教育や仕事へ持ち帰れる、とても大きな知恵だと思います。
自分の頭の中にも「確認ボタン」を置いておく
エリザベス・J・マーシュの研究が教えてくれるのは、人間の記憶の頼りなさだけではありません。
もっと重要なのは、
頼りないところがあると知っていれば、対策できる
ということです。
「知っている気がする」
なら、確認する。
「どこかで読んだ」
なら、出典を探す。
「何度も見た」
だけなら、本当に正しいか調べる。
「間違いだった」
とわかったら、正しい情報を入れ直す。
「勉強した」
と思ったら、本を閉じて思い出してみる。
どれも小さなことです。
でも、この小さな習慣によって、私たちの知識は少しずつ丈夫になっていきます。
人間の記憶は、完璧ではありません。
でも完璧ではないからこそ、
「確認する」
という知恵を持つことができます。
マーシュの研究を知ったあとでは、
「絶対そうだった!」
という自信満々の記憶が出てきても、
すぐに判決を出さなくてよくなります。
「なるほど、記憶さんの証言ですね」
「では資料も確認しましょう」
くらいでいい。
自分の記憶を疑うことは、自分を否定することではありません。
むしろ、
自分の頭を上手に使うために、自分の頭の弱点まで知っておくこと。
それがエリザベス・J・マーシュの研究から私たちが学べる、大切な姿勢なのだと思います。
記憶は頼もしい相棒です。
ただし、ときどき話を盛ります。
だから仲良く付き合いつつ、重要な話だけは、
「念のため、確認させてもらいますね」
くらいの距離感が、ちょうどいいのかもしれません。

エリザベス・J・マーシュ(Elizabeth J. Marsh)の論文一覧
1.『本当に効果のある勉強法とは?――認知心理学と教育心理学が明かす、学習効果を高める10の学習テクニック』ジョン・ダンロスキー、キャサリン・A・ローソン、エリザベス・J・マーシュ、ミッチェル・J・ネイサン、ダニエル・T・ウィリンガム(2013)
Dunlosky, J., Rawson, K. A., Marsh, E. J., Nathan, M. J., & Willingham, D. T.(2013). Improving Students’ Learning With Effective Learning Techniques: Promising Directions From Cognitive and Educational Psychology. Psychological Science in the Public Interest, 14(1), 4–58. DOI:10.1177/1529100612453266
「勉強法って、結局どれが一番いいの?」そんな学生の机に、研究者5人が10種類の学習法を並べて成績表をつけたのがこの論文です。線を引く、読み返す、要約する……おなじみの方法を容赦なく検討した結果、特に高評価だったのは練習テストと間隔をあけた学習。
「でも教科書を3回読んだら、かなり覚えた気がします!」
「その“気がする”さん、一度テスト会場に呼んでみましょう」
努力の量ではなく、どう勉強するかを科学で問い直した一篇。勉強時間を増やす前に、ぜひ机の横に置いておきたい論文です。

