エドワード・ヴァル(Edward Vul)の論文一覧:人間の脳が「だいたいこのへん」と見当をつける瞬間を、確率で追いかけた認知科学者
エドワード・ヴァル(Edward Vul)のプロフィール
エドワード・ヴァル(Edward Vul)は、人間の頭の中で開かれている「たぶん、こうじゃないかな会議」を、数式と実験でのぞいてきた認知科学者です。
私たちは毎日、驚くほど不完全な情報で判断しています。
「この道のほうが早そう」
「たぶん、あの人は怒っていない」
「この答えは……ええい、42くらい!」
脳には、世界のすべてを調べてから結論を出す時間も、記憶容量もありません。それなのに、買い物をし、人の顔を見分け、飛んでくるボールを避け、明日の予定まで立てています。
ヴァルが研究してきたのは、まさにこの不思議です。
人間の脳は、超高性能ではない。でも、かなり粘る
ヴァルはカリフォルニア大学サンディエゴ校で学部課程を修め、その後、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得しました。現在、カリフォルニア大学サンディエゴ校の心理学教授として紹介されているほか、アマゾンでは主席応用科学者として掲載されています。大学の研究室と巨大企業の現場を行き来しながら、人間の判断と、現実に役立つ予測の両方を扱っている研究者です。
彼の研究をひとことで表すなら、
「限られた頭で、私たちはどうやって、そこそこ正しい答えを出しているのか」
という問いになるでしょう。
ここで大事なのは、「人間の脳は完璧な計算機だ」と持ち上げることでも、「人間なんて間違ってばかりだ」と突き放すことでもありません。
脳はたしかに間違えます。忘れます。早とちりします。数字にも弱い。月曜日には「今週こそ計画的に」と宣言し、木曜日には計画表そのものを見失います。
それでも、限られた時間と記憶をやりくりしながら、意外なほど上手に答えへ近づいている。その不器用な賢さを、ヴァルは計算を用いた模型と心理実験の両方から調べています。
頭の中には、小さな「みんな」がいる?
ヴァルの代表的な研究の一つに、ハロルド・パシュラーと行った「自分の中の群衆」に関する研究があります。
一般には、大勢の予想を平均すると、一人の予想より正確になることがあります。これを「群衆の知恵」と呼びます。
では、一人しかいない場合はどうでしょう。
「すみません、今日は群衆を連れてきていません」
と諦める必要はありません。ヴァルたちは、同じ人に少し時間を空けて二回答えてもらい、その二つを平均すると、一回だけの答えより正確になる場合があることを示しました。つまり、私たちの頭の中には、一枚岩の答えだけでなく、少しずつ異なる複数の見当が眠っているらしいのです。
たとえば、
「この町の人口は8万人くらいかな」
「いや、改めて考えると12万人かもしれない」
という二つの予想が出たとします。
人はつい、「どちらか一方を選ばなければ」と思います。しかし、10万人と平均してみることで、実際の答えへ近づく可能性があります。
最初の自分と、少し後の自分。二人を脳内会議に出席させるわけです。議長も書記も自分なので、会議費は無料です。
赤ちゃんの推理から、顔の見え方まで
ヴァルの研究対象は、数字の見積もりだけではありません。
生後12か月の赤ちゃんが、出来事の起こりやすさをどのように予測するのか。人は動き回る複数の物体を、どのように見失わず追跡するのか。わずかな情報から、どこまで上手に決断できるのか。彼の研究は、知覚、記憶、学習、判断へと幅広く広がっています。
なかでも親しみやすいのが、人は一人で写っているときより、集団の中にいるときのほうが魅力的に見えることがある、という研究です。
人間の視覚は、何人もの顔を見たとき、それぞれを完全に別々に処理するだけでなく、集団全体の「平均的な顔」も作ると考えられます。そして個々の顔が、その平均に少し引っぱられて見えるため、一人ずつ見る場合より魅力が高く評価されることがあるのです。
集合写真を見て、
「みんな、なんだかいい感じだな」
と思ったあと、一人ずつ確認すると、
「なるほど。チーム戦だったのか」
となることがあります。もちろん、人間の魅力は実験の評価だけで決まるものではありませんが、脳が一人ひとりを見ると同時に、全体の雰囲気まで計算していることがわかる研究です。
間違いは、脳の故障とは限らない
ヴァルの研究の魅力は、人間の間違いを単なる欠陥として扱わないところにあります。
すべての可能性を検討し、完全な答えを出そうとすれば、時間もエネルギーも足りません。夕食の献立を決めるだけで日が暮れてしまいます。
そこで脳は、限られた情報を少しだけ取り出し、「ひとまず、これでいこう」と決めます。ときには外しますが、多くの場合、それで生活は前へ進みます。
ヴァルの研究室では、人が世界についてどのような前提を持っているのか、複雑な確率の推測をどう簡略化しているのか、そして限られた注意力や記憶をどう配分しているのかが研究されています。
つまり彼が見つめているのは、理想的な天才の脳ではありません。
寝不足になり、忘れ物をし、数字を見れば少し遠い目をしながら、それでも何とか今日を切り抜ける、私たちの脳です。
エドワード・ヴァルは、人間の判断を「正しいか、間違いか」だけで切り分けるのではなく、その背後にある限られた資源の使い方を読み解いてきました。
私たちの頭は、何でも知っている賢者ではありません。けれど、少ない手がかりを拾い集め、不完全な地図に鉛筆で道を書き足しながら、そこそこ正しい方向へ歩いていく旅人です。
ヴァルの研究は、その頼りなさの中に隠れている、しぶとく実用的な知性を見せてくれるのです。
参考文献・確認先:カリフォルニア大学サンディエゴ校:エドワード・ヴァル公式プロフィール / エドワード・ヴァル研究室:計算認知研究室 / Google Scholar:エドワード・ヴァル 論文・引用情報 / PubMed:エドワード・ヴァル 関連論文

エドワード・ヴァル(Edward Vul)の研究から学べること
エドワード・ヴァル(Edward Vul)の研究から学べることは、ひとことで言えば、「人間の頭は完璧ではない。でも、不完全なりに、かなり上手に世界を渡っている」ということです。
私たちはつい、自分の判断に対して二つの極端な見方をしがちです。
「自分の直感は正しい。なぜなら、私はそう感じたからだ」
あるいは、
「また迷ってしまった。自分は判断力がないのかもしれない」
しかし、ヴァルの研究を見ていると、この二択そのものが少し乱暴だったと気づかされます。
人間の脳は、いつも完璧な情報を持っているわけではありません。記憶は抜けます。注意もそれます。昨日置いた鍵の場所すら忘れるのに、来年の人生設計を決めようとしています。
なかなか勇敢です。
そんな脳でも、わずかな手がかりを拾い集め、「たぶん、こちらだろう」と見当をつけながら生きています。ヴァルの研究は、その頼りなさを笑うのではなく、頼りないのにどうして意外とうまくいくのかを教えてくれます。
最初の答えを、国王にしなくていい
何かを聞かれたとき、私たちは最初に思いついた答えを大切にしすぎることがあります。
「この仕事は自分には向いていない」
「きっと、あの人は私を嫌っている」
「今から始めても遅い」
こうした考えが浮かぶと、頭の中ではいつの間にか即位式が始まります。
「ただいまより、この考えを唯一の真実として認定します」
待ってください。まだ候補者が一人しか出ていません。
ヴァルの研究から学べる大切なことの一つは、自分の中から複数の答えを取り出すと、判断がよくなることがあるという点です。
たとえば、ある問題について最初に出した予想と、少し時間を空けてから出した予想では、答えがわずかに変わることがあります。
一回目の自分は、その場の印象に引っぱられているかもしれません。二回目の自分は、別の記憶や視点を使っているかもしれません。
そこで、どちらか一方を乱暴に捨てるのではなく、二つを比べたり、間を取ったりしてみる。
「最初は絶対に無理だと思った。でも、少し時間を置いたら、条件によってはできる気もしてきた」
このとき、答えは「無理」でも「余裕」でもなく、
「準備をすれば可能かもしれない」
という、少し地味ですが現実的な場所に着地することがあります。
人生を救う答えは、たいてい大声で登場しません。会議の隅で、お茶をすすりながら小さく手を挙げています。
迷ったら、もう一人の自分にも聞いてみる
ヴァルの研究は、「大勢の意見を集めると、判断が正確になりやすい」という考えを、一人の人間の内側にも広げました。
一人なのに、大勢とはどういうことでしょう。
「分裂するのですか」
いいえ。そこまで大がかりな話ではありません。
人間の中には、一つだけの固定された答えが入っているわけではありません。質問の仕方、考える時間、その日の気分、思い出した経験によって、少しずつ異なる答えが出てきます。
つまり、私たちの頭の中には、
「慎重な自分」
「楽観的な自分」
「昨日の失敗を覚えている自分」
「意外と何とかなると思っている自分」
など、複数の見方があります。
もちろん、頭の中で全員が一斉に話し始めると、会議はたいへんなことになります。
慎重な自分が「危険です」と言い、挑戦したい自分が「行きましょう」と言い、疲れている自分が「今日は寝ませんか」と提案してきます。
しかし、ここで大切なのは、誰か一人を永久追放しないことです。
迷ったときは、紙に最初の答えを書き、数時間後や翌日にもう一度考えてみる。あるいは、「反対の立場ならどう考えるか」と問い直してみる。
それだけで、自分の中から別の情報を取り出せることがあります。
判断に迷うことは、答えを持っていない証拠ではありません。複数の答えが出口で渋滞しているだけかもしれないのです。
人間は、世界を全部見ているわけではない
ヴァルの研究からは、私たちが世界を細部まで正確に見ているわけではないことも学べます。
人は、たくさんの顔や物を同時に見たとき、一つひとつを完璧に記録するだけでなく、全体の平均的な特徴や雰囲気も受け取っています。
たとえば集合写真を見て、
「この集団、なんとなく明るそうだな」
と思うことがあります。
しかし、よく見ると、一人は目を閉じ、一人は横を向き、一人は撮影直前に何かを食べていたような顔をしています。
それでも私たちは、個々の細かな情報だけでなく、集団全体の印象をすばやくつかみます。
これは手抜きにも見えますが、すべてを細かく調べていたら生活が進みません。
スーパーの野菜売り場で、一本一本のニンジンについて、
「長さ、色、太さ、表面の傷、育った畑の気候、本人の将来希望」
まで確認していたら、カレーが完成する前に閉店します。
脳は、必要に応じて細部を省き、全体像をすばやくつかみます。これは雑なのではなく、限られた時間の中で生きるための工夫です。
ただし、この仕組みには注意も必要です。
「この会社の人は、みんな冷たそう」
「若い人は、だいたいこうだ」
「あの地域の人は、きっとこういう性格だ」
このように、全体の印象を個人にまで当てはめると、思い込みが生まれます。
脳は平均をつくるのが得意です。しかし、その平均の中に、一人ひとりを押し込めてしまうことがあります。
ヴァルの研究を日常に生かすなら、
「私は今、この人自身を見ているだろうか。それとも、集団の印象を見ているだろうか」
と問い直すことが大切です。
脳が作った要約は便利です。ただし、要約は本人ではありません。
不確実なことは、白黒ではなく「どのくらい」で考える
人間は、物事を白か黒かで決めると安心します。
成功か失敗か。
正しいか間違いか。
好かれているか嫌われているか。
やるべきか、やめるべきか。
しかし現実は、ほとんどの場合、灰色の毛糸で編まれています。
ヴァルの研究が扱っているのは、不完全な情報から、どの答えがどれくらいありそうかを考える人間の仕組みです。
ここから私たちは、日常でも「断定」より「可能性」で考えることを学べます。
「絶対に失敗する」
ではなく、
「今の準備では、失敗する可能性が高い」
と考える。
すると、話は終わりません。
「では、何を準備すれば可能性を下げられるだろう」
という次の問いが生まれます。
「きっと嫌われた」
ではなく、
「相手の返事が短かったので、嫌われた可能性を感じている。でも、忙しかった可能性もある」
と考える。
これだけで、心の中の裁判所は、少し慎重になります。
不安が強いとき、私たちは一つの可能性を、確定した未来に変えてしまいます。
雨が降るかもしれない、が、必ず洪水になる、へ。
少し注意された、が、もう信頼を失った、へ。
一度うまくいかなかった、が、自分には才能がない、へ。
けれど、可能性は可能性です。まだ判決ではありません。
「そうなるかもしれない。でも、別の展開もある」
この一文は、未来の扉にかけられた重たい鎖を、少しだけゆるめてくれます。
脳の間違いを責めるより、仕組みを整える
ヴァルの研究は、人間の判断が限られた情報や注意によって作られていることを示しています。
これは、私たちが怠け者だという話ではありません。
脳には使える時間も、記憶も、注意力も限界があります。朝から晩まで、すべての判断に全力を出していたら、昼食を選ぶ頃には脳が閉店します。
だからこそ、失敗したときに、
「どうして自分はこんなにダメなのだろう」
と人格を責めるより、
「この判断をしたとき、情報や時間が足りていただろうか」
と仕組みを振り返るほうが役に立ちます。
買い物で不要な物を買ってしまったなら、意志が弱いと責めるだけでなく、空腹のまま店に行かなかったかを考える。
仕事で見落としがあったなら、注意力不足と決めつけるだけでなく、確認する時間や一覧表が用意されていたかを見る。
感情的な返事をしてしまったなら、性格が悪いと落ち込むだけでなく、疲労や焦りが判断を狭めていなかったかを確かめる。
人間は、環境から切り離された頭脳だけで生きているわけではありません。
締め切り、睡眠不足、騒音、空腹、人間関係。こうしたものが、頭の中の判断会議に勝手に出席してきます。
しかも、かなり大きな声で発言します。
ですから、よい判断をしたいなら、根性を増やすだけでなく、判断しやすい環境を整える必要があります。
大切な決定は疲れている夜にしない。
確認したいことは頭だけで覚えず、紙に書く。
一度で結論を出さず、時間を置く。
自分と違う意見を一つだけ探す。
こうした小さな工夫は、脳を天才にするわけではありません。しかし、脳が本来持っている力を、少し使いやすくしてくれます。
自分の判断を疑うことは、自分を否定することではない
自分の考えを見直すと聞くと、
「自信を持ってはいけないのか」
と思うかもしれません。
しかし、判断を見直すことと、自分を否定することは別です。
「私は間違っているかもしれない」
という言葉は、弱さではありません。
それは、
「まだ知らない情報があるかもしれない」
「別の見方も試してみよう」
「今の答えを修正してもいい」
という、知性の余白です。
本当に危ういのは、間違えることではなく、最初の答えを最後まで守り抜くことです。
船が少し進路を外れたとき、船長が、
「最初に決めた方向なので、このまま陸まで突っ込みます」
と言い出したら困ります。
進路を変えるのは、敗北ではありません。目的地へ近づくための調整です。
人間の判断も同じです。
新しい情報が入ったら考えを変える。昨日の自分より、今日の自分のほうが少し多く知っているなら、答えを更新する。
ヴァルの研究は、そうした柔らかな判断の大切さを教えてくれます。
完璧に考えてから動くのではなく、少しずつ確かめる
私たちは、ときどき正しい答えが出るまで動かないようにします。
「転職して後悔しないと確信できたら応募しよう」
「自信がついたら人前で話そう」
「成功する方法が完全にわかったら始めよう」
しかし、未来についての情報は、考えているだけでは全部集まりません。
実際に話を聞く。
少し試す。
小さく参加する。
一日だけ体験してみる。
動くことで初めて手に入る情報があります。
頭の中だけで百回会議をしても、職場の雰囲気はわかりません。料理本を三十冊読んでも、初めて焼いた卵は少し焦げます。
それでいいのです。
人間は、不完全な情報で仮の答えを出し、結果を見ながら修正していく生き物です。
最初から正解を当てることより、間違ったときに直せることのほうが大切です。
「ひとまず、ここまでの情報でやってみよう」
「違ったら、また考え直そう」
この姿勢は、投げやりではありません。現実に合わせて考え続ける、しなやかな賢さです。
私たちの頭は、頼りない。でも、案外よく働いている
エドワード・ヴァルの研究から見えてくる人間の姿は、完璧な計算機ではありません。
情報を見落とし、記憶を混ぜ、雰囲気に流され、ときには自信満々に間違えます。
けれど同時に、少ない情報から全体像をつかみ、複数の可能性を比べ、自分の中から違う答えを取り出しながら、世界に適応しています。
私たちの頭は、最新型の精密機械というより、長年使い込んだ道具箱に近いのかもしれません。
中には何に使うのかわからないネジがあり、必要なときに限ってハサミが見つからず、なぜか輪ゴムだけは大量に入っています。
それでも、工夫すればちゃんと役に立ちます。
だから、自分の判断が揺れたとき、すぐに「自分はダメだ」と結論を出さなくていいのです。
少し時間を置く。
もう一度考える。
別の可能性を出す。
誰かの視点を借りる。
小さく試して確かめる。
正しい答えは、最初から頭の中央に座っているとは限りません。
いくつかの考えを集め、間違いを修正しながら進んだ先で、ようやく輪郭を見せることがあります。
ヴァルの研究が教えてくれるのは、迷わない方法ではありません。
迷いながらも、少しずつよい判断へ近づいていく方法です。
人間の脳は、完璧ではありません。
けれど、不完全だからこそ、考え直せます。別の見方を迎え入れられます。そして昨日とは違う答えを選ぶことができます。
その柔らかさこそが、私たちの頭に備わった、静かで頼もしい知性なのです。

エドワード・ヴァル(Edward Vul)の論文一覧
1.『記憶は「詰め込み」より「間を空ける」と強くなるのか?――言葉を長く覚える分散学習の研究レビューと定量的統合』ニコラス・J・セペダ、ハロルド・パシュラー、エドワード・ヴァル、ジョン・T・ウィクステッド、ダグ・ローラー(2006)
Cepeda, N. J., Pashler, H., Vul, E., Wixted, J. T., & Rohrer, D.(2006). Distributed practice in verbal recall tasks: A review and quantitative synthesis. Psychological Bulletin, 132(3), 354–380. DOI:10.1037/0033-2909.132.3.354
「試験前日に全部詰め込めば、まだ間に合うよね?」「脳から伝言です。まとめて来られると、あとで忘れます」。この論文は、184本の論文、317の実験、839件の比較をまとめ、一気に覚えるより、時間を空けて学ぶほうが長く残りやすいことを確かめました。しかも、空ければ空けるほどよいわけではありません。覚えておきたい期間が長いほど、復習の間隔も長めが有利。勉強とは、気合いの一夜漬けではなく、忘れかけた頃に再会する連続ドラマなのです。「いつ復習するか」で記憶が変わる、その絶妙な間合いを大規模なデータで解き明かした、学習法の作戦会議に招きたい一篇です。

