エベ・B・エベセン(Ebbe B. Ebbesen)の論文一覧:「今すぐ食べたい!」と「あとで二個」の間を観察した心理学者

エベ・B・エベセン(Ebbe B. Ebbesen)の論文を読む女性
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エベ・B・エベセン(Ebbe B. Ebbesen)のプロフィール

エベ・B・エベセンは、「マシュマロ実験に参加した心理学者」として名前を見かけることの多い人物です。

ただし、ここでいきなり訂正しておきましょう。

「なるほど。では、生涯マシュマロを見つめ続けた先生なのですね」

いいえ。そんな甘い香りのする研究人生ではありません。

エベセンは、子どもが目の前のごほうびを我慢する研究から、裁判官の判断、目撃者の記憶、陪審員の思い込み、さらには人が自分を公平だと思い込む心の仕組みまで、人間の判断が揺れる現場を幅広く研究した社会心理学者です。

つまり、研究対象はお菓子だけではありません。

人間の心そのものが、彼にとっては巨大な実験室だったのです。

マシュマロの前で始まった、心の作戦会議

エベセンは1970年、スタンフォード大学で心理学の博士号を取得しました。同じ年、ウォルター・ミシェルとともに、後に「マシュマロ実験」として広く知られる研究の出発点となった論文を発表しています。ミシェル自身も、幼児が目先の誘惑をどうやってやり過ごすのかを調べる研究に、学生だったエベセンが重要な役割を果たしたと振り返っています。

研究の場面は、だいたいこんな具合です。

子どもの前に、お菓子が置かれます。

「今すぐ一個食べてもいいですよ。でも、先生が戻ってくるまで待てたら、もっともらえます」

大人なら、落ち着いた顔でこう言うかもしれません。

「もちろん待ちます。将来の利益を優先するのが合理的ですから」

しかし、目の前にはお菓子があります。

お菓子は黙っていますが、その沈黙には妙な圧があります。

「食べてもいいんだよ」

「誰も見ていないよ」

「未来の二個より、現在の一個でしょう」

そんな声が聞こえてきそうな状況で、子どもたちは目を隠したり、独り言を言ったり、歌ったり、手足で遊びを作ったり、ときには眠ろうとしたりしました。

ここでエベセンたちが注目したのは、単純な「我慢強さ」だけではありません。

大切なのは、誘惑を前にしたとき、何に注意を向け、頭の中でそれをどう扱うかでした。目の前のお菓子をじっと見つめて「食べたい、でも我慢、食べたい、でも我慢」と戦い続けるより、別のことを考えたり、視線をそらしたりしたほうが待ちやすい。意志の強さだけで正面突破するのではなく、心が戦わなくて済む環境を作ることが、自制を助けるのです。

なお、この研究は「マシュマロ実験」と呼ばれていますが、実際に使われたごほうびはマシュマロだけではありません。クラッカーやプレッツェル、小さなおもちゃなども使われました。

マシュマロだけが有名になり、ほかのお菓子たちは心理学史の楽屋に取り残されてしまったのです。少し気の毒です。

「我慢できる子」と決めつけなかった研究者

この実験は、しばしば「我慢できた子は将来成功する」という物語にまとめられます。

しかし、エベセンたちの初期研究が示そうとした中心的な問題は、子どもを「我慢できる子」と「できない子」に分けることではありませんでした。

むしろ問いは、こちらです。

「同じ子どもでも、置かれた状況や考え方が変われば、待てる時間は変わるのではないか」

これは、かなり人間味のある見方です。

私たちは、何かを続けられないとき、すぐに自分の性格を責めてしまいます。

「私は意志が弱い」

「三日坊主の才能だけは一流だ」

「冷蔵庫のプリンに勝てない人間が、人生に勝てるのだろうか」

けれども、誘惑が目の前にあるのと、見えない場所にあるのとでは、心にかかる負担が違います。気合いだけで耐えようとするのと、別のことに注意を向けるのとでも結果は変わります。

エベセンの研究から見えてくるのは、自制心とは、胸の奥に固定された根性の量ではないということです。

人は環境を整え、見方を変え、注意の向きを工夫することで、未来の自分を助けられる。

これは「もっと頑張れ」という話ではありません。

「正面から殴り合わなくてもいいですよ」という、心の作戦会議の話なのです。

研究室から裁判所へ

エベセンの研究は、その後、お菓子の置かれた部屋から、もっと緊張感のある場所へ向かっていきます。

裁判所です。

カリフォルニア大学サンディエゴ校で心理学を教えたエベセンは、社会心理学、認知、学習、意欲、社会制度、研究方法など、かなり幅広い領域に関心を持っていました。なかでも重要な研究分野の一つが、心理学と法律の関係です。

裁判では、さまざまな人が重大な決定を下します。

裁判官は刑罰を考えます。

検察官は起訴するかどうかを判断します。

保護観察官は、その人を社会に戻してよいかを考えます。

陪審員は、目の前の証言が信頼できるかどうかを見極めます。

どの判断も、できるだけ公平でなければなりません。

とはいえ、判断するのは人間です。

人間の頭の中には、法律の条文だけでなく、印象、感情、経験、思い込み、その日の疲れ、そして「自分は公平に判断できている」という自信まで同席しています。

心の法廷は、いつも満席です。

エベセンは、保釈、量刑、親権、起訴などの判断において、法律に関わる人々が何を材料としているのかを研究しました。また、事件を目撃した人の記憶はどこまで正確なのか、裁判前に得た情報が陪審員の判断をゆがめないかといった問題にも取り組みました。

「はっきり覚えています」は、どこまで信用できるのか

目撃者が法廷で、きっぱりと言います。

「間違いありません。私はこの人を見ました」

その声に迷いがなければ、私たちはつい信用したくなります。

しかし、記憶は録画映像ではありません。

人間の記憶は、出来事をそのまま保管する金庫というより、取り出すたびに少しずつ並べ直される引き出しに近いものです。

時間がたてば細部が失われます。あとから聞いた情報が混ざることもあります。それでも本人は、「私はちゃんと覚えている」と感じているかもしれません。

そこでエベセンは、目撃者本人の自信と、実際の記憶の正確さをどう見分けるべきかを研究しました。

本人に「どれくらいよく覚えていますか」と尋ねるほうがよいのか。

それとも、事件を見た時間、明るさ、距離、経過した期間など、記憶が作られた条件を確認するほうがよいのか。

エベセンが扱ったのは、まさにこの難問でした。1998年には、時間の経過が出来事や人物の特徴に関する目撃記憶へどう影響するかを調べた研究も発表しています。

「自信があります」と「正確です」は、似た服を着ています。

けれども、同一人物とは限りません。

エベセンは、その二人をきちんと見分けようとしたのです。

人は、自分の偏りには気づきにくい

エベセンは、人が自分自身の公平さをどこまで正しく判断できるのかにも関心を向けました。

これは少し耳の痛い話です。

私たちは、他人の偏見にはよく気づきます。

「あの人は先入観で決めている」

「あの人は感情的になっている」

「あの人は自分に都合のよい情報しか見ていない」

ところが、自分についてはこう思いがちです。

「私は冷静に事実を見ています」

人間の心には、自分だけは審判席に座っているような気分になる癖があります。

しかし実際には、自分も試合に参加しています。しかも、ひいきのチームの旗まで持っているかもしれません。

エベセンが研究したのは、こうした判断のねじれです。

人は何を根拠に「自分は公平だ」と考えるのか。

その自己評価は、本当に信頼できるのか。

公平な社会を作るためには、法律や制度を整えるだけでは足りません。判断する人間が、自分の偏りに気づける仕組みも必要です。

エベセンの研究は、心理学を単なる心の雑学にせず、裁判や公共政策など、現実社会の重要な場面へ持ち込もうとするものでした。

マシュマロから社会制度まで

エベセンの研究歴を眺めると、一見するとずいぶん遠くまで旅をしたように見えます。

最初は、子どもとお菓子。

その後は、裁判官、目撃者、陪審員、社会制度。

「研究の方向が変わりすぎではありませんか」と言いたくなるかもしれません。

しかし、根っこにある問いはつながっています。

人は、目の前の状況からどのような情報を受け取り、何に注意を向け、どのように判断するのか。

誘惑を前にした子どもも、証言を聞く陪審員も、異なる世界にいるようでいて、「限られた情報の中でどう行動を決めるか」という問題を抱えています。

お菓子を食べるか待つか。

目撃証言を信用するか疑うか。

保釈を認めるか認めないか。

選択の重さは違いますが、人間の心が情報を受け取り、考え、決めるという流れは共通しています。

エベセンは、その流れを実験室だけでなく、現実の社会の中でも確かめようとしました。

心理学に白衣を着せたまま研究室へ閉じ込めるのではなく、外へ連れ出した研究者だったと言えるでしょう。

派手な名前の陰にいる、重要な共同研究者

マシュマロ実験といえば、ウォルター・ミシェルの名前が大きく紹介されます。

それは間違いではありません。

しかし、科学の大きな発見は、一人の天才が突然ひらめいて完成させるものばかりではありません。

問いを考える人がいます。

実験方法を作る人がいます。

子どもの行動を観察する人がいます。

結果を整理し、別の可能性を検討し、論文として形にする人がいます。

研究は、一人芝居というより合奏です。

エベセンは、マシュマロ実験の初期研究を支えた重要な共同研究者であり、その後は自らの関心を、司法判断や目撃記憶などへ広げていきました。

有名な研究の共同著者という紹介だけでは、彼の仕事の全体像は見えてきません。

マシュマロは、入口です。

その扉の向こうには、人間の判断の危うさと、それでも少しでもよい判断をしようとする社会の姿が広がっていました。

エベセンが残した問い

エベセンは、カリフォルニア大学サンディエゴ校の心理学名誉教授を務め、2011年3月27日、がんに伴う合併症のため、シアトルで66歳の生涯を閉じました。

彼の研究が私たちに残したのは、「意志を強く持ちなさい」という単純な教訓ではありません。

誘惑に勝てないなら、誘惑との距離を変えてみる。

記憶に自信があるなら、その自信とは別に、記憶が作られた条件を確かめてみる。

自分は公平だと思うなら、その公平さを自分だけで採点しない。

人間の心は、思っているほど頑丈でも、正確でもありません。

けれども、その弱さを知れば、環境や制度によって支えることができます。

エベセンが見つめていたのは、完璧な人間ではありませんでした。

お菓子に心を奪われ、記憶を取り違え、思い込みに気づかない、ごく普通の人間です。

だからこそ、彼の研究は私たちの日常にもつながっています。

冷蔵庫のプリンを前にした夜にも。

誰かの話を早合点しそうになった午後にも。

「自分だけは正しい」と胸を張りたくなった朝にも。

エベ・B・エベセンは、人間の弱さを笑うのではなく、その弱さがどのような条件で生まれ、どうすれば少し上手につきあえるのかを考え続けた心理学者でした。

マシュマロを見つめていたようで、実はその向こう側にある、人間社会の揺れる心を見つめていたのです。

参考文献・確認先:Social Psychology Network:エベ・B・エベセン プロフィール / カリフォルニア大学サンディエゴ校心理学部:在籍・追悼情報 / Google Scholar:エベ・B・エベセン 論文・引用情報 / PubMed:エベ・B・エベセン 関連論文

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

エベ・B・エベセン(Ebbe B. Ebbesen)の研究から学べること

エベ・B・エベセンの研究から学べることは、ひと言でまとめるなら、こうなります。

「人間は、気合いだけではできていない」

私たちは何かに失敗すると、つい性格のせいにします。

「私は意志が弱いから、間食をやめられない」

「集中力がないから、仕事が進まない」

「見る目がないから、人を信用して失敗する」

ところが、エベセンの研究をたどっていくと、人間の行動は性格だけで決まるものではないことが見えてきます。

目の前に何が置かれているか。

何に注意を向けているか。

どんな情報を先に聞いたか。

自分の記憶をどれくらい信用しているか。

そして、自分は公平だと思い込んでいないか。

人の心は、こうした小さな条件に影響されながら、毎日の選択をしています。

つまり、私たちの頭の中には、完全無欠の司令官が住んでいるわけではありません。

少し眠そうな司令官と、誘惑に弱い相談役と、昔の記憶を勝手に書き換える書記官が、同じ会議室に座っています。

それでも人生の重要事項を決めているのですから、人間という仕組みは、なかなか大胆です。

意志の強さより、誘惑との距離を変える

エベセンが関わった有名な研究では、子どもたちの前にお菓子を置き、すぐ食べるか、待ってより多くのごほうびを受け取るかを調べました。

この研究を聞くと、私たちはつい考えます。

「待てた子は意志が強くて、食べた子は意志が弱かったのだろう」

けれども、話はそれほど単純ではありません。

子どもたちは、ただ歯を食いしばって耐えていたわけではありませんでした。

お菓子を見ないようにする。

別の方向を向く。

歌を歌う。

手や足で遊ぶ。

頭の中で違うことを考える。

つまり、誘惑に勝つために、誘惑との正面対決を避けていたのです。

ここには、私たちの日常に使える大切な知恵があります。

たとえば、夜中にお菓子を食べないと決めたとします。

それなのに、机の上にはチョコレートがあります。

冷蔵庫にはプリンがあります。

台所の棚からは、せんべいの袋がこちらを見ています。

この状況で、

「絶対に食べない。私は強い人間だ」

と一時間唱え続けるのは、精神力の筋力大会です。

しかも相手は食べ物なので、こちらが疲れても向こうは疲れません。

チョコレートは一晩中、平然と待てます。

だったら、見えない場所へ移したほうがいい。

買い置きを減らしたほうがいい。

歯を磨いてしまったほうがいい。

早めに寝たほうがいい。

エベセンの研究から学べるのは、「もっと我慢しよう」ではありません。

「我慢しなくてもよい配置を作ろう」です。

これは勉強にも仕事にも使えます。

スマートフォンを机の上に置いたまま、集中しようとする。

通知が鳴るたびに画面を伏せ、「私は見ない」と心に誓う。

けれども、頭の中では、

「誰からだろう」

「何か大切な連絡かもしれない」

「一秒だけなら見てもいいのでは」

という臨時会議が始まります。

それなら最初から別の部屋に置く。

通知を切る。

作業時間だけ電源を落とす。

自制心を鍛える前に、自制心を使わなくて済む仕組みを作るのです。

根性を燃料にする生活は、いつかガス欠になります。

仕組みは、黙って働いてくれます。

「できない自分」ではなく、「できない状況」を見る

何かを続けられないとき、私たちは自分に判決を下しがちです。

「私は飽きっぽい」

「私はだらしない」

「私は何をやっても続かない」

しかし、エベセンの研究を日常に応用すると、別の問いが生まれます。

「この人はなぜできないのか」ではなく、

「どんな条件なら、この人はやりやすくなるのか」

という問いです。

これは、ずいぶん優しい見方です。

たとえば、朝の運動が続かない人がいたとします。

その人に対して、

「意志が弱いですね」

と言っても、次の日から筋肉が感動して勝手に起きてくれるわけではありません。

前日の就寝時間はどうだったか。

運動着は準備されていたか。

運動の内容が重すぎなかったか。

朝ではなく夕方のほうが合っていないか。

最初から三十分ではなく、五分でよかったのではないか。

こうして環境を見直すと、「本人の性格」という大きすぎる箱に詰め込まれていた問題が、いくつもの小さな部品に分かれていきます。

小さくなった問題は、扱いやすくなります。

これは、子どもへの教育でも、職場での支援でも同じです。

「本人にやる気がない」

「注意力が足りない」

「もっと責任感を持つべきだ」

そう決めつける前に、仕事の手順はわかりやすいか、周囲の音は大きくないか、求められていることが曖昧ではないか、失敗を恐れて動けなくなっていないかを考える。

人間を責める前に、状況を点検する。

エベセンの研究は、その視点を私たちに教えてくれます。

注意は、心の懐中電灯である

人は、自分が見ているものに心を持っていかれます。

目の前のお菓子を見続ければ、お菓子の存在感は大きくなります。

「食べてはいけない」と考え続けるほど、頭の中は食べ物で満員になります。

これは、眠ろうとするときにも起こります。

「早く寝なければ」

「明日は仕事だ」

「あと六時間しか眠れない」

「眠れない、どうしよう」

こう考え続けると、脳は眠るどころか、緊急対策本部を設置します。

部長は不安です。

副部長も不安です。

議題は「なぜ眠れないのか」です。

これでは眠気が入室できません。

エベセンたちの研究が示したのは、注意の向きを変えることの大切さです。

注意とは、心の懐中電灯のようなものです。

照らしたものは大きく見えます。

照らさなかったものは、しばらく背景に下がります。

嫌なことばかり考えてしまうとき、無理に「考えないようにしよう」と戦うのではなく、別の作業に手を動かす。

散歩をする。

音楽を聴く。

人と話す。

机の上を片づける。

お茶を入れる。

心から問題を追い出そうとするのではなく、懐中電灯を少し横へ向けてみるのです。

問題そのものが消えなくても、心の画面いっぱいに表示される状態からは離れられます。

将来の利益は、目の前の誘惑より声が小さい

目の前のお菓子は強力です。

香りがある。

形が見える。

すぐ手に取れる。

一方で、将来のごほうびは、まだここにありません。

「今は我慢すれば、あとでよいことがありますよ」

未来はたいてい、声が小さいのです。

健康も貯金も勉強も、効果が現れるまで時間がかかります。

「今日一日くらい運動しなくても変わらない」

「今月くらい使いすぎても大丈夫」

「勉強は明日からでも間に合う」

現在の誘惑は、営業が上手です。

未来の利益は、説明が地味です。

だからこそ、未来の利益を見える形にする工夫が必要になります。

貯金額を記録する。

運動した日に印をつける。

勉強時間を表にする。

作業を終えたら小さなごほうびを用意する。

大きな目標を、今日できる小さな行動に変える。

未来の自分から届く便りは、放っておくと迷惑メールの箱に入ります。

こちらから見つけやすくしておかなければなりません。

「一年後に健康になるために運動する」では遠すぎるなら、「散歩のあとに好きな飲み物を飲む」でもよいのです。

遠い未来の利益と、近い現在の喜びを結びつける。

それによって、今の自分と未来の自分が、少し協力しやすくなります。

記憶は録画ではなく、毎回編集される物語

エベセンは、目撃者の記憶や司法判断についても研究しました。

ここから学べるのは、人間の記憶を信用しすぎてはいけないということです。

「私はこの目で見た」

「はっきり覚えている」

「絶対にあの人が言った」

こうした言葉には力があります。

しかし、自信の強さと、記憶の正確さは同じではありません。

人の記憶は、出来事をそのまま保存した映像ではないからです。

時間がたてば、細かい部分は薄れます。

その後に聞いた話が混ざることもあります。

自分の考えに合う形へ、知らないうちに並べ替えてしまうこともあります。

たとえば、昔のけんかを思い出したとき、

「私は最初から冷静だった」

「相手が突然怒り出した」

と記憶しているかもしれません。

ところが、相手の記憶の中では逆です。

相手もまた、

「私は冷静だった。先に怒ったのは向こうだ」

と思っています。

冷静な人が二人いたはずなのに、なぜか大げんかが完成しています。

記憶とは、不思議な共同制作物です。

だから、大切な出来事ほど記録を残したほうがよい。

仕事の指示はメモする。

約束は文章で確認する。

面談の内容を簡単に記録する。

「覚えているから大丈夫」と思わない。

記憶力が悪いから記録するのではありません。

人間の記憶が、そもそも編集機能つきだから記録するのです。

自信がある人ほど、正しいとは限らない

人は、自信満々に話す人を信用しやすいものです。

声が大きい。

言い切る。

迷いがない。

すると、その人の話が正しいように感じられます。

けれども、エベセンの研究領域から学べるのは、自信と正確さを分けて考える必要があるということです。

「絶対に間違いありません」

という言葉は、その人が強く信じていることを示します。

しかし、それが事実であることまでは保証しません。

これは、目撃証言だけの話ではありません。

会議でも、人間関係でも、情報を受け取るときにも役立ちます。

自信があるかどうかではなく、

「その判断には、どんな根拠があるのか」

「いつ、どこで得た情報なのか」

「別の可能性は検討されたのか」

を確かめる。

声の大きさではなく、根拠の厚みを見るのです。

逆に、自分が強い自信を持っているときほど注意が必要です。

「これは絶対に正しい」

と思った瞬間、心の扉は閉まり始めます。

反対意見は入室を断られます。

都合の悪い事実は受付で待たされます。

自信は行動する力になりますが、使いすぎると視野を狭くします。

大切なのは、自信をなくすことではありません。

「私はこう考えている。ただし、間違っている可能性もある」

という小さな余白を残しておくことです。

その余白から、新しい情報が入ってきます。

「自分は公平だ」と思ったときほど要注意

人は、他人の偏りにはよく気づきます。

「あの人は感情で判断している」

「あの人は好き嫌いで決めている」

「あの人は都合のよい情報しか見ていない」

ところが、自分については、

「私は事実を冷静に見ている」

と思いがちです。

ここに、人間の心の面白さと危うさがあります。

自分の判断には、理由がよく見えます。

一方で、他人の判断の背景までは見えません。

そのため、自分には事情があり、他人には欠点があるように感じてしまいます。

たとえば、自分が遅刻したときは、

「道路が混んでいた」

「昨日遅くまで働いていた」

「目覚まし時計が聞こえなかった」

と理由を説明します。

他人が遅刻したときは、

「時間にだらしない人だ」

と性格の話にしてしまいます。

自分の遅刻には長編小説があり、他人の遅刻には一行の悪評しかありません。

エベセンの研究から学べるのは、公平さを自分の感覚だけに任せないことです。

判断の基準をあらかじめ決める。

複数の人で確認する。

反対の立場から考える。

名前や肩書を伏せて内容を見る。

一度決めたあとで、「別の人だったら同じ判断をしたか」と問い直す。

公平さは、心がけだけで守るものではありません。

仕組みによって支えるものです。

人を責めるより、制度を整える

エベセンの研究は、個人の心の働きだけでなく、裁判や社会制度にも広がっていました。

ここから見えてくるのは、間違いをすべて個人の責任にしてはいけないということです。

もちろん、人は自分の行動に責任を持つ必要があります。

しかし、人間の判断が思い込みや記憶の誤りに影響されるなら、重要な判断を一人の勘だけに任せる制度には危険があります。

確認する人を増やす。

判断の手順を決める。

記録を残す。

感情が強く動いているときは、結論を急がない。

違う立場の人の意見を聞く。

こうした仕組みは、人間を信用していないから作るのではありません。

人間をよく知っているから作るのです。

たとえば、職場でミスが起きたとき、

「もっと注意してください」

だけで終えることがあります。

しかし、注意力は体調や疲れ、忙しさによって揺れます。

何度注意しても同じミスが起きるなら、確認表を作る、作業手順を変える、間違えやすい場所を目立たせるといった工夫が必要です。

人間の集中力に、毎日百点を要求するのは無理があります。

集中力にも休日があります。

だから、注意力が六十点の日でも事故が起きにくい仕組みを作る。

それが、本当の意味で人を助ける制度です。

他人の行動を、性格だけで説明しない

エベセンの研究からは、他人を見るときの大切な姿勢も学べます。

人が目の前の誘惑に負けたとき、

「意志が弱い人だ」

と決めつけない。

判断を誤ったとき、

「頭が悪い人だ」

と切り捨てない。

記憶を間違えたとき、

「うそをついている」

とすぐに断定しない。

人の行動には、その人が置かれた状況が影響しています。

もちろん、状況を考えることは、何でも許すことではありません。

責任を消すことでもありません。

ただ、原因を正しく理解しようとすることです。

性格だけを原因にすると、話は簡単です。

「あの人はだらしないから」

「あの人は冷たいから」

「あの人は根性がないから」

これで説明は終わります。

しかし、説明が早く終わりすぎると、改善の道も閉じてしまいます。

「なぜ、そうなったのだろう」

と一歩踏み込めば、助けられる部分が見つかるかもしれません。

仕事内容が合っていない。

指示が伝わっていない。

失敗を恐れている。

疲れがたまっている。

過去の経験から警戒している。

性格という札を貼る前に、背景を見る。

それは、他人を甘やかすことではなく、人間を立体的に見ることです。

自分を変えるときは、人格改造ではなく配置換えから

自分を変えたいと思ったとき、私たちは大きな言葉を使いがちです。

「もっと強い人間になる」

「自分を根本から変える」

「新しい自分に生まれ変わる」

ところが、人格改造工事は大規模です。

着工しただけで疲れてしまいます。

エベセンの研究を生活に取り入れるなら、もっと小さく始められます。

誘惑を遠ざける。

必要なものを先に準備する。

忘れそうなことは書く。

判断を急がない。

自分と反対の意見を一度読む。

感情が高ぶったら、少し時間を置く。

大きな決断は、疲れている夜にしない。

これらは、性格を入れ替える方法ではありません。

環境と手順の配置換えです。

けれども、日々の行動を変える力は十分にあります。

人間は、劇的に生まれ変わらなくても、少し暮らしやすくなれます。

机の位置を変えるだけで集中しやすくなることがあります。

お菓子を買わないだけで、夜の自制心を使わずに済みます。

返事を一晩置くだけで、言わなくてよい言葉を飲み込めます。

人生は、ときどき大改革より家具の移動でよくなります。

完璧な心を目指すより、弱い心を助ける

エベセンの研究から得られる最大の学びは、人間の弱さを前提にしてもよいということです。

誘惑に弱い。

記憶を間違える。

自信に引っぱられる。

自分の偏りに気づけない。

こう並べると、人間の心はずいぶん頼りなく見えます。

「そんな心で、よく社会を運営していますね」

まったくです。

けれども、弱さがあるからこそ、工夫が生まれます。

記録を残す。

助け合う。

複数の人で確認する。

判断基準を作る。

誘惑を遠ざける。

時間を置く。

人間が完璧なら、こうした仕組みは必要ありません。

しかし、完璧ではないからこそ、私たちは制度や道具や他者の力を借りられます。

弱さは、ただ恥じるものではありません。

取り扱い方を学ぶものです。

エベセンの研究は、私たちにこう語りかけているように思えます。

「あなたが意志の弱い人間だから、うまくいかないとは限りません」

「記憶に自信があるからといって、正しいとは限りません」

「自分は公平だと思っているときほど、一度立ち止まりましょう」

「人を変えようとする前に、状況を変えられないか考えてみましょう」

マシュマロを前にした子どもも、法廷で証言を聞く大人も、私たち自身も、同じ人間です。

目の前のものに心を奪われ、記憶に物語を足し、自分なりの正しさを握りしめながら生きています。

だからこそ、少し距離を取り、少し確認し、少し仕組みに頼る。

強い人になるより、自分の弱さを助ける方法を知る。

それが、エベ・B・エベセンの研究から私たちが受け取れる、実用的で、どこか温かい教えなのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

エベ・B・エベセン(Ebbe B. Ebbesen)の論文一覧

1.『ごほうびを待てる子は、どこを見ているのか? 満足を先延ばしにする「注意」と「考え方」のメカニズム』ウォルター・ミシェル、エベ・B・エベセン、アントネット・ラスコフ・ツァイス(1972)

Mischel, W., Ebbesen, E. B., & Raskoff Zeiss, A.(1972). Cognitive and attentional mechanisms in delay of gratification. Journal of Personality and Social Psychology, 21(2), 204–218.

「目の前のお菓子を見ながら、食べるなと言われたら?」

この論文は、そんな子どもたちの心の攻防を観察した研究です。結果は意外にも、じっと我慢するより、お菓子から目をそらしたり、別の楽しいことを考えたりしたほうが長く待てました。

「根性で耐えるのが正解じゃないの?」

どうやら心は、正面突破より“注意をそらす作戦”が得意なようです。意志力とは強さではなく、何を見るかを選ぶ工夫なのかもしれません。マシュマロの前で始まる、小さくて奥深い心理戦をのぞいてみませんか。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
【心理学論文】マシュマロを我慢できる子は何が違う?研究からわかった「注意のそらし方」の意外な力
【心理学論文】マシュマロを我慢できる子は何が違う?研究からわかった「注意のそらし方」の意外な力
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