E・J・マシカンポ(E. J. Masicampo)の論文一覧:やり残した仕事に「予定表に入れたので、脳内会議は解散です」と告げた心理学者

E・J・マシカンポ(E. J. Masicampo)の論文を読む女性
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E・J・マシカンポ(E. J. Masicampo)のプロフィール

E・J・マシカンポは、人間の頭の中に居座る「まだ終わっていませんよ」という声を研究してきた社会心理学者です。

たとえば、仕事をしている最中なのに、

「帰りに洗剤を買わないと」
「そういえば、あのメールに返信していない」
「来週の資料、まだ真っ白だったな……」

と、やり残した用事が脳内の会議室へ次々と入ってくることがあります。

しかも、この会議には終了時刻がありません。洗剤係、メール係、資料係が、それぞれ勝手に発言を始めます。

「忘れていませんか?」
「いつやるんですか?」
「本当に間に合うんですか?」

こちらとしては目の前の仕事に集中したいのに、頭の中では臨時の進捗確認会議が開かれている。マシカンポは、そんな人間の少々おせっかいな心の仕組みに注目してきました。

人間の「わざわざ考える力」を研究する心理学者

マシカンポは、アメリカのウェイクフォレスト大学で心理学の准教授を務める研究者です。

彼が主に研究しているのは、誘惑を我慢すること、衝動を抑えること、筋道を立てて考えること、難しい決断をすること、未来を想像すること、そして計画を立てることです。

どれも、人間が日常生活で当たり前のように行っている活動です。しかし、よく考えると不思議です。

目の前にケーキがあるのに、「健康のために今日はやめておこう」と考える。

まだ起きていない来週の会議を頭の中で想像し、「この資料が必要になるな」と準備する。

今すぐ困るわけではないのに、「将来のために少しずつ貯金しておこう」と決める。

人間は、目の前の出来事だけで生きているわけではありません。まだ来ていない未来へ出かけたり、すでに終わった過去へ戻ったりしながら、頭の中で何度も予行演習をしています。

マシカンポは、こうした努力を必要とする心の働きが、限られた注意力や心のエネルギーをどのように使っているのかを調べてきました。

心は、終わっていない仕事を勝手に閉店しない

マシカンポの研究で特に知られているのが、「達成されていない目標は、ほかの作業を邪魔する」という問題です。

人は何かをやり残していると、そのことを頭の片隅で考え続ける傾向があります。

「あとでやればいい」と本人は思っていても、脳はなかなか納得してくれません。

脳「あとでとは、何時ですか?」

本人「そのうちです」

脳「そのうちという日は、予定表にありませんが?」

本人「細かいなあ……」

終わっていない目標は、いわば閉店後も店内に残っているお客さんです。店員が「本日の営業は終了しました」と言っても、「まだ注文が決まっていません」と席を立ってくれません。

その結果、目の前の課題に使うはずだった注意力が、やり残した用事に少しずつ持っていかれます。難しい問題を考えたり、誘惑を我慢したりする力まで弱くなる可能性があるのです。

マシカンポはロイ・バウマイスターとの研究で、達成されていない目標が、注意力や自制心を必要とする作業に影響を与えることを示しました。

計画を立てると、脳内会議が静かになる

では、まだ終わっていない用事をすべて片づけなければ、心は休めないのでしょうか。

仕事も家事も返信も将来の準備も、全部終わらせてから休もうとしたら、休めるのは人生の最終回あたりになってしまいます。

そこで登場するのが、「具体的な計画」です。

マシカンポらの研究では、やり残した目標について、いつ、どこで、どのように取り組むかを決めておくと、その目標が別の作業へ及ぼす認知的な影響が小さくなることが示されました。

つまり、実際にはまだ終わっていなくても、

「水曜日の午後7時に、机で資料の見出しを三つ作る」

と決めれば、脳は少し安心できるのです。

脳「本当にやるんでしょうね?」

本人「水曜の午後7時です」

脳「場所は?」

本人「自宅の机です」

脳「最初に何をします?」

本人「見出しを三つ作ります」

脳「……そこまで決まっているなら、いったん解散します」

計画には、未来の行動を助けるだけでなく、現在の注意力を取り戻す役割もある。これがマシカンポらの研究の興味深いところです。

計画とは、未来の自分へ送る業務命令であると同時に、現在の自分の頭を静かにする「預かり証」のようなものなのでしょう。

ただし、計画は細かければよいわけではない

ここでマシカンポの研究がおもしろいのは、「計画さえ立てれば万事解決です」と単純にまとめていないところです。

具体的な計画は、行動を始めやすくしてくれます。しかし、計画へこだわりすぎると、もっと良い方法や別の機会が目の前に現れても、それに気づきにくくなることがあります。

たとえば、「土曜日の午前10時に図書館で勉強する」と決めていたとします。

ところが金曜日、詳しい人から「明日の午前中に無料の勉強会がありますよ」と誘われました。

柔軟に考えれば、その勉強会へ参加したほうが目標に近づけるかもしれません。しかし、計画を絶対的な命令として扱っていると、

「いえ、私は図書館と契約を結んでおりますので」

と、せっかくの機会を断ってしまう可能性があります。

計画は道案内にはなりますが、線路ではありません。予定どおりに進むことが目的なのではなく、本来の目標へ近づくことが目的です。

マシカンポらは、細かい計画が場合によっては視野を狭め、目標達成を妨げる可能性についても研究しています。計画を立てる力と、計画を変更する力。その両方が必要だという、なかなか人間味のある結論です。

意識は、いったい何のためにあるのか

マシカンポの研究は、計画や目標だけにとどまりません。

彼は、「人間の意識は何のためにあるのか」という、少々大きめの問いにも取り組んでいます。

人間の行動の多くは、意識しなくても進みます。

歩くたびに「右足を前へ、次は左足を前へ」と指示する必要はありません。慣れた道を歩いたり、いつもの手順で歯を磨いたりするときも、心はかなりの部分を自動運転に任せています。

それでは、意識して考えることには、どのような意味があるのでしょうか。

マシカンポらは、意識は一瞬ごとの行動を直接操縦するためというよりも、「今ここにはない出来事」を頭の中で再現するために役立つと考えています。

明日の予定を想像する。

失敗した場面を振り返る。

相手がどう感じるかを考える。

将来の行動を計画する。

社会の決まりや文化的な価値観に照らして、自分の行動を調整する。

こうした働きによって、人間は現在の刺激だけに反応するのではなく、過去や未来、他者や社会とのつながりを含めて行動できるようになります。

意識とは、体を一秒ごとに動かす操縦桿というより、少し先の航路を描く作戦会議室なのかもしれません。

自制心、判断、自由意志へ広がる研究

マシカンポはほかにも、自制心や意思決定、論理的な思考、道徳的な判断、自由意志の捉え方など、幅広いテーマを研究してきました。

誘惑を我慢したあとには、次の我慢が難しくなるのか。

難しい決断を続けると、判断する力は疲れるのか。

自分の行動は自分で選べると思うことが、他者への接し方に影響するのか。

人はどのような行動を「道徳的に汚れている」と感じるのか。

さらには、秘密を抱えていることが、人の考え方や物事の感じ方へどのような負担を与えるのかという研究にも関わっています。

彼の研究テーマは一見すると広く見えますが、中心には共通した問いがあります。

それは、「人間は、限られた心の力をどのように使って、自分の行動を整えているのか」という問いです。

人間の心は、何でも同時に処理できる高性能な機械ではありません。注意力にも、自制心にも、考える余裕にも限りがあります。

それでも私たちは、誘惑を断り、未来を想像し、他者の立場を考え、計画を立てながら生きています。

ときには失敗し、ときには予定表を見ただけで満足し、ときには計画を立てるための計画を立て始めます。それでも何とか明日へ向かおうとする。その不器用で健気な心の動きを、マシカンポは実験によって丁寧に調べてきたのです。

研究者になるまでの道のり

マシカンポは、2003年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校で心理学を学びました。

その後の約2年間は、サンディエゴ州立大学で社会心理学の研究を手伝う時期と、旅をする時期に分けて過ごしています。

大学を卒業したら、一直線に大学院へ進み、そのまま研究者になる。そんな定規で引いたような経歴ではありません。

研究室で人間の心を観察しながら、研究室の外では実際の世界を歩いていた。その時間が後の研究へどのようにつながったのかは本人に聞かなければ分かりませんが、「人間は計画どおりにだけ進む存在ではない」ということを、経歴そのものが少し語っているようにも見えます。

その後、フロリダ州立大学でロイ・バウマイスターの指導を受け、2010年に社会心理学の博士号を取得しました。さらにタフツ大学でナリニ・アンバディのもと、博士研究員として研究を続けます。

2011年からはウェイクフォレスト大学の心理学部で教員を務めています。

「やらなければ」が消えない夜に思い出したい研究

マシカンポの研究が教えてくれるのは、「気にしないようにしよう」と念じるだけでは、気がかりは簡単に消えないということです。

やるべきことが頭から離れないのは、意志が弱いからでも、性格が神経質だからでもありません。

心がその目標を大切なものとして扱い、忘れないように何度も知らせている可能性があります。

ただし、知らせ方が少々しつこい。

大切な連絡を一度知らせればよいのに、五分おきに机をたたいてくる秘書のようなものです。

そんなときは、「考えないようにする」よりも、次に何をするかを具体的に決めてみる。

いつ、どこで、何から始めるかを書いておく。

すると、心は「放置された仕事」ではなく、「取り組む日時が決まった仕事」として扱えるようになるかもしれません。

もちろん、計画どおりにできない日もあります。予定表は未来を縛る契約書ではありません。明日の自分へ渡す、少し丁寧な伝言です。

マシカンポが研究してきたのは、立派な人だけが持つ特別な精神力ではありません。

やり残しが気になる。

誘惑に負ける。

考えすぎて疲れる。

計画を立てたのに、その計画に縛られる。

そんな、私たちが毎日のように経験する心の右往左往です。

彼の研究を読むと、人間の心はずいぶん面倒な仕組みをしていると分かります。しかし同時に、その面倒さは、未来を忘れず、大切な目標を手放さずに生きようとする働きでもあります。

今日も頭の中で「まだ終わっていませんよ」と声が聞こえたら、追い出そうとしなくてもよいのかもしれません。

紙を一枚取り出し、こう答えてみましょう。

「分かっています。木曜日の午後7時から始めます」

すると脳内の担当者は、予定表へ確認印を押し、ようやく静かに席へ戻ってくれるかもしれません。

参考文献・確認先:ウェイクフォレスト大学:E・J・マシカンポ公式プロフィール / Google Scholar:E・J・マシカンポ 論文・引用情報 / PubMed:E・J・マシカンポ 関連論文

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

E・J・マシカンポ(E. J. Masicampo)の研究から学べること

E・J・マシカンポの研究から学べることは、ひと言でまとめるなら、「頭の中で仕事を抱え続けるより、次に何をするかを決めたほうが心は静かになる」ということです。

私たちの頭の中には、ときどき勝手に出勤してくる社員がいます。

「メールの返信がまだです」
「来週の資料ができていません」
「役所へ提出する書類もあります」
「冷蔵庫の牛乳も切れそうです」

しかもこの社員、報告するだけならまだよいのですが、数分おきに同じ話を持ってきます。

「先ほども聞きましたよ」と言っても、

「念のため、もう一度お伝えします」

と、しれっと再登場します。

目の前の仕事に集中したいのに、終わっていない用事が頭の中で何度も浮かんでくる。マシカンポの研究は、この困った現象を「気合が足りない」「集中力がない」と片づけず、人間の心が持つ自然な仕組みとして調べています。

そこから私たちが学べるのは、やり残しを抱えた自分を責めることではありません。

むしろ、「脳は忘れないように知らせ続けているのだな」と理解したうえで、その脳に安心材料を渡してあげることです。

終わっていない用事は、頭の中で勝手に営業を続ける

やるべきことが終わっていないとき、人はそのことを考えやすくなります。

たとえば、仕事から帰って夕食を食べているのに、昼間に届いたメールが気になって仕方がない。

テレビを見ていても、

「明日、返信しないとな」

お風呂に入っていても、

「何と書けばいいかな」

布団に入ってからも、

「朝一番で送ったほうがいいか」

と、メールが頭の中を歩き回ります。

メールそのものは会社のパソコンに置いてきたのに、心だけは残業中です。

ここで、「考えないようにしよう」と努力すると、かえって考えてしまうことがあります。

「メールのことは考えない」

そう思った直後に、頭の中には大きな封筒の絵が現れます。

「絶対に考えない」

今度は封筒に赤い旗まで立ちます。

人間の心は、「考えるな」と命令されると、その対象がちゃんと消えているか確認しようとします。その確認のために、結局もう一度思い出してしまうのです。

まるで、玄関の鍵を閉めたか気になって、

「確認しないぞ」

と決意しながら、玄関の映像を何度も頭の中で再生しているようなものです。

マシカンポの研究から学べる最初のことは、気がかりが浮かんでくるのは、必ずしも心が弱いからではないということです。

脳が、その用事を「まだ処理されていない大切なもの」と判断しているから、何度も知らせてくるのです。

少々しつこいですが、悪意があるわけではありません。心なりに、あなたの未来を守ろうとしているのです。

「やる」と決めるだけでなく、「いつ、どうやるか」を決める

では、頭の中を静かにするには、すべての用事を今すぐ終わらせなければならないのでしょうか。

そんなことをしていたら、夜中に役所へ行き、閉まった窓口の前で書類を握りしめることになります。

大切なのは、今すぐ終わらせることではなく、次にどう動くかを具体的に決めることです。

たとえば、

「資料を作らなければ」

という考えだけでは、脳はあまり安心できません。

脳からすると、

「それは分かっています。だから、いつ作るんですか?」

という状態です。

そこで、

「明日の午前10時に、職場の机で、まず見出しを三つ書く」

と決めます。

すると、用事は単なる不安のかたまりではなく、行動の予定へ変わります。

「資料を作らないと」という霧のような心配が、「明日10時に見出しを三つ作る」という一本の道になるのです。

脳「忘れていませんね?」

自分「忘れていません。明日の午前10時です」

脳「最初に何をします?」

自分「見出しを三つ書きます」

脳「承知しました。それでは一度、席を外します」

もちろん、本当に脳が敬語で話すわけではありません。しかし、具体的な計画を立てることで、終わっていない目標が現在の作業を邪魔しにくくなるという考え方は、日常生活でも応用できます。

やるべきことが頭から離れないときは、心配を追い払おうとするよりも、紙や予定表に次の三つを書いてみるとよいでしょう。

「いつやるか」

「どこでやるか」

「最初に何をするか」

ここで大事なのは、立派な計画を作ることではありません。

「企画書を完成させる」では大きすぎます。

「企画書の題名を決める」

「必要な資料を一つ探す」

「最初の段落を三行書く」

このくらいで十分です。

心は、山頂までの完璧な地図よりも、まず足を置く一段目を知りたがっています。

予定表は、未来の自分への命令書ではない

計画を立てると聞くと、少し息苦しく感じる人もいるかもしれません。

「計画どおりにできなかったら、また自分を責めそうです」

「予定を決めると、自由がなくなる気がします」

その感覚も自然です。

計画は使い方を間違えると、心を助ける道具ではなく、自分を取り締まる監視員になってしまいます。

朝7時に起きる。

7時15分に朝食。

7時32分に歯磨き。

7時41分に家を出る。

少しでも遅れたら、

「予定違反です」

と、自分の中の取締官が笛を吹く。

これでは、予定表を見るだけで疲れてしまいます。

マシカンポの研究から学びたいのは、計画を絶対に守ることではありません。計画によって、頭の中に保管していた用事を外へ出すことです。

予定表は、未来の自分に押しつける命令書ではなく、「この件は忘れていません」という預かり証です。

今日できなければ、明日に移してもよい。

体調が悪ければ、小さくしてもよい。

状況が変われば、別の方法に変えてもよい。

重要なのは、最初に立てた計画へ忠誠を誓うことではなく、本来の目標へ少しずつ近づくことです。

目的地へ向かう途中で道路が工事中なら、別の道を通ればよいのです。

「最初に決めた道だから」と、工事現場の柵を抱えて立ち尽くす必要はありません。

計画が細かすぎると、目の前の好機を逃すこともある

計画には心を落ち着かせ、行動を始めやすくする力があります。

しかし、細かく決めすぎると、別の問題が生まれることもあります。

たとえば、資格試験の勉強をするために、

「土曜日の午前10時から、図書館で参考書を読む」

と決めたとします。

ところが、その日の午前中に、同じ試験を受ける人たちの無料勉強会が開かれることになりました。

勉強会へ行けば、分からなかった部分を教えてもらえるかもしれません。効率よく学べる可能性もあります。

それでも計画にこだわりすぎると、

「私は図書館で参考書を読むと決めたので、勉強会には参加できません」

となってしまいます。

目標は「図書館へ行くこと」ではなく、「試験に向けて学ぶこと」だったはずです。

ところが計画が強くなりすぎると、手段がいつの間にか目的の帽子をかぶってしまいます。

これは日常でもよく起こります。

健康のために毎日30分歩くと決めたのに、雨の日も無理に外へ出て体調を崩す。

家計を守るために節約を始めたのに、必要な医療費まで我慢する。

仕事を早く終わらせるために予定を詰め込みすぎて、相談しやすい雰囲気まで失う。

計画は便利ですが、万能ではありません。

計画を立てるときは、

「これは目的そのものか、それとも目的へ進むための一つの方法か」

と、ときどき確かめる必要があります。

計画は地図です。地面ではありません。

地図に橋が描いてあっても、実際の橋が壊れていたら渡らないほうがよいのです。

「気になる」は、心が大切にしている証拠でもある

やり残したことが頭から離れないと、私たちは自分に厳しい評価を下しがちです。

「私は切り替えが下手だ」

「考えすぎる性格だ」

「もっと気楽になれないのか」

しかし、気になるということは、その目標をどうでもよいと思っていない証拠でもあります。

返信を忘れたくないのは、相手との関係を大切にしているからかもしれません。

仕事が気になるのは、責任を果たしたいからかもしれません。

将来が不安なのは、自分や家族の暮らしを守りたいからかもしれません。

もちろん、心配が強すぎて生活に支障が出る場合は、休養や専門家への相談も必要です。

ただ、日常的な気がかりについては、「また考えてしまった」と責めるだけではなく、

「私は何を大切にしているから、これが気になるのだろう」

と問いかけてみることもできます。

不安の奥には、責任感や思いやり、将来への願いが隠れていることがあります。

やり残しを知らせる心は、少し騒がしい警備員のようなものです。

廊下を歩く人すべてに、

「不審者かもしれません!」

と笛を吹くので、こちらは疲れてしまいます。

しかし、その警備員は建物を守ろうとしているのです。

必要なのは、警備員を解雇することではありません。

「この件は明日確認する予定になっています」と伝え、少し休んでもらうことです。

自制心だけに頼ると、心は疲れてしまう

マシカンポの研究は、計画だけでなく、自制心や意思決定にも広がっています。

人間はよく、「もっと意志を強くしなければ」と考えます。

甘いものを食べたくても我慢する。

動画を見たくても仕事をする。

嫌なことがあっても感情を抑える。

買いたいものがあっても財布を閉じる。

一日中これを続けていると、心の中では腕相撲大会が開かれているような状態になります。

右側には「今すぐ楽をしたい自分」。

左側には「将来のために頑張りたい自分」。

朝から晩まで、

「ぬぬぬ……」

と押し合っているのです。

自制心だけですべてを解決しようとすると、疲れたときに崩れやすくなります。

そこで役に立つのが、あらかじめ環境や行動を整えておくことです。

仕事に集中したいなら、携帯電話を机の上に伏せるだけでなく、別の部屋へ置く。

お菓子を減らしたいなら、目の前に置いたまま我慢するのではなく、買い置きを少なくする。

朝の準備を楽にしたいなら、夜のうちに服や持ち物を用意する。

貯金をしたいなら、余ったお金を月末に残そうとするのではなく、給料日に自動で別の口座へ移す。

これは意志が弱いから環境に頼るのではありません。

限られた心の力を、本当に必要な場面のために残しておく工夫です。

毎日重い扉を腕力だけで開けるより、自動ドアをつけたほうが賢いのです。

頭の中だけで覚えようとしない

マシカンポの研究を日常で生かすうえで、もう一つ重要なのが、「記憶を外へ出す」という考え方です。

人は、やるべきことを頭の中に保存しようとします。

「帰りに薬局へ寄る」

「上司に相談する」

「家族へ連絡する」

「電気代を支払う」

ところが、頭の中は倉庫ではなく作業場です。

作業台の上に、薬局、相談、連絡、電気代を全部並べたら、今取り組んでいる仕事を置く場所がなくなります。

そこで、メモや予定表、付箋、携帯電話の通知機能などを使います。

紙に書くことは、忘れっぽい人のためだけの工夫ではありません。

頭の中の作業台を広く使うための整理術です。

やるべきことを書き出すと、

「覚え続けなくても、ここを見れば分かる」

という状態を作れます。

ただし、書いた紙をなくしてしまうと、新たに「書いた紙はどこだ」という大仕事が発生します。

そのため、記録する場所はなるべく一つか二つに絞ったほうがよいでしょう。

手帳、携帯電話、机のノート。

自分が必ず見る場所を決めておけば、脳も安心しやすくなります。

メモの数が増えすぎて、机、冷蔵庫、かばん、携帯電話、財布の裏に情報が散らばると、今度は宝探し大会が始まります。

仕組みは、複雑であるほど立派なのではありません。

迷わず使えることが大切です。

大きな目標ほど、最初の一歩を小さくする

「転職したい」

「資格を取りたい」

「健康になりたい」

「部屋を片づけたい」

こうした目標は大切ですが、大きすぎるため、何から始めればよいのか分からなくなることがあります。

脳から見ると、「部屋を片づける」は、一つの仕事ではありません。

服を分ける。

ごみを捨てる。

本を並べる。

書類を確認する。

掃除機をかける。

収納場所を決める。

実際には小さな作業が何十個も集まっています。

それを一つの大きな言葉で命令されると、心は入口を見つけられません。

「部屋を片づけなさい」

脳「どこからですか?」

「全部です」

脳「全部とは?」

「とにかく、きれいにしてください」

脳「……本日は休業します」

そこで、「机の上にある紙を五枚だけ確認する」と決めます。

目標が小さすぎるように感じるかもしれません。しかし、小さな行動には入口があります。

入口があれば、人は動き始められます。

五枚の紙を片づけたあと、「もう少しできそうだ」と感じる日もあるでしょう。

反対に、五枚で終わる日があってもかまいません。

大きな目標を前にして止まっているより、小さな一歩を実行したほうが、現実は確実に動いています。

計画の役割は、自分を追い立てることではありません。

行動の入口を見つけやすくすることです。

休む予定も、計画に入れてよい

計画というと、仕事や勉強を進めるためのものだと思われがちです。

しかし、休息も予定に入れてかまいません。

むしろ、責任感が強い人ほど、休むことを「余った時間にするもの」と考えます。

ところが、時間はなかなか余りません。

仕事が終われば家事が待ち、家事が終われば連絡が待ち、連絡が終われば将来への心配が椅子に座っています。

すべて終わってから休もうとすると、休息は永遠に順番が回ってこない末っ子になります。

「土曜日の午後は何もしない」

「昼休みの最後の10分は外を見る」

「帰宅後30分は仕事の連絡を確認しない」

こうした予定も、立派な計画です。

休むことを予定に入れるのは、怠けるためではありません。

心の力を回復させ、次の行動へ戻るためです。

携帯電話でも、充電残量が一パーセントになれば動きが鈍くなります。

人間だけが、残量表示を無視して永遠に動けるはずがありません。

「まだ頑張れる」と思っているときほど、休む時刻を先に決めておくことが役立つ場合があります。

計画できなかった日にも、自分へ罰金を科さない

どれほど具体的な計画を立てても、予定どおりにいかない日はあります。

急な仕事が入る。

家族の用事ができる。

体調を崩す。

疲れて動けない。

思っていたより作業が難しい。

そんなとき、

「またできなかった」

「私は計画性がない」

「どうせ何を決めても続かない」

と、自分を裁判にかけたくなることがあります。

しかし、一度の予定変更は、人格の証明ではありません。

雨が降って遠足が延期になっても、学校全体が計画性のない組織になるわけではありません。

ただ天候に合わせて予定を変えただけです。

計画が実行できなかったときは、自分を責めるよりも、

「何が邪魔になったのか」

「予定が大きすぎなかったか」

「時間帯は合っていたか」

「次はどこを小さくできるか」

と考えてみます。

失敗は、計画を修正するための情報です。

判決文ではありません。

できなかった自分を責めて心の力を使い切るより、次の一歩を作り直したほうが、目標には近づきます。

心を静かにするのは、「全部終わった状態」だけではない

私たちは、ときどきこう思います。

「これさえ終われば落ち着ける」

しかし、その一つが終わると、別の用事が出てきます。

仕事が終われば家事。

家事が終われば将来の準備。

将来の準備を始めれば、老後の心配まで玄関から入ってきます。

人生には、完全に何も残っていない瞬間がほとんどありません。

だからこそ、心の平穏を「すべて終わったあと」にだけ置いてしまうと、なかなかたどり着けなくなります。

マシカンポの研究は、まだ終わっていなくても、次の行動が決まっていれば、心はある程度その目標を手放せる可能性を示しています。

これは、忙しい人にとって救いになる考え方です。

全部を今日終わらせなくてもよい。

ただ、次にいつ、何をするのかを決めておく。

そして今は、目の前のことへ戻る。

未完了のままでも、人は休んでよいのです。

夕方になっても世界の仕事は終わりません。

メールは残り、資料は途中で、洗濯物も少し湿っています。

それでも、

「続きは明日の午前9時から」

と決めて、今日は店を閉めてよい。

心の入り口に札をかけるのです。

「本日の営業は終了しました。次回は明日午前9時からです」

頭の中の用事たちは、少し不満そうな顔をするかもしれません。

しかし、次に開く時刻が書いてあれば、扉をたたき続ける必要はありません。

私たちは、未来を完全に支配するために計画するのではない

計画を立てても、未来は思いどおりにならないことがあります。

予定していた電車が遅れる。

相手から返事が来ない。

体調が変わる。

社会の状況が変わる。

どれほど細かく予定を作っても、人生は予定表の余白から入り込んできます。

それでも計画には意味があります。

計画は、未来を完全に支配するためのものではありません。

今の自分が、次に進む方向を見失わないためのものです。

暗い夜道で懐中電灯を持っていても、道の終わりまですべて見えるわけではありません。

見えるのは、せいぜい数メートル先です。

しかし、その数メートルが見えるから、一歩を出せます。

マシカンポの研究が教えてくれるのは、心を落ち着かせるために、人生全体の完璧な設計図は必要ないということです。

次にどこへ足を置くかが分かればよい。

明日の自分へ、小さな指示を残せばよい。

計画どおりにいかなければ、書き直せばよい。

私たちは、未来を正確に当てるためではなく、不確かな未来へ少し安心して進むために計画を立てるのです。

今日、何かが頭から離れないなら、無理に忘れようとしなくてもかまいません。

紙を一枚用意して、こう書いてみてください。

「私はこのことを忘れていない」

「次に取り組むのは、この日時」

「最初にするのは、この小さな作業」

それだけで、頭の中の会議が少し静かになるかもしれません。

未完了の仕事は、消えてはいません。

ただ、居場所が頭の中から予定表へ移ったのです。

そして空いた心の席に、今やっていることや、休息や、目の前の人との時間を座らせることができます。

計画とは、未来を縛る鎖ではありません。

現在の自分を、やり残しの見張り番から解放するための鍵なのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

E・J・マシカンポ(E. J. Masicampo)の論文一覧

1.『「もう終わったも同然!」計画を立てれば、やり残した目標が頭を占領するのを止められる』E・J・マシカンポ、ロイ・F・バウマイスター(2011)

Masicampo, E. J., & Baumeister, R. F.(2011). Consider It Done! Plan Making Can Eliminate the Cognitive Effects of Unfulfilled Goals. Journal of Personality and Social Psychology, 101(4), 667–683. DOI:10.1037/a0024192

「まだ終わってないぞ」と、頭の片隅で仕事が居残り続ける。そんな脳内残業に、マシカンポたちは「では、いつどうやるか決めましょう」と予定表を差し出しました。実験では、未達成の目標は読書中にも割り込み、別の課題の成績まで邪魔しましたが、具体的な計画を立てると、その騒がしさがすっと弱まりました。つまり計画は、未来の行動を助けるだけでなく、今の頭に空席をつくる道具だったのです。仕事そのものは終わっていないのに、脳はなぜ静かになるのか。「全部終わるまで休めない」と思っている人ほど読みたい、脳内会議を円満に閉会させる研究です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
仕事のことが頭から離れないときは?具体的な計画が助けになる理由
仕事のことが頭から離れないときは?具体的な計画が助けになる理由
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