デイヴィッド・Z・ハンブリック(David Z. Hambrick)の論文一覧:努力に「大事です。でも才能の席まで全部取らないでください」と座席整理をした心理学者
デイヴィッド・Z・ハンブリック(David Z. Hambrick)のプロフィール
デイヴィッド・Z・ハンブリックは、人が一流の技術を身につける仕組みを研究している認知心理学者です。親しみを込めて「ザック・ハンブリック」と呼ばれることもあります。
現在は、アメリカのミシガン州立大学で心理学の教授を務め、音楽、チェス、スポーツなどの分野で、人はどのように腕を磨き、なぜ同じように練習しても成長に違いが生まれるのかを研究しています。大学では「熟達研究室」を率い、技能の習得、熟練者の能力、人による認知能力の違いなどを調べています。
「努力すれば誰でも一流になれる」に、ちょっと待った
世の中には、聞くと元気が出る言葉があります。
「努力は必ず報われる」
「正しい練習を一万時間続ければ、誰でも達人になれる」
うん、できれば信じたい。信じたほうが月曜日の朝にも布団から出やすくなりそうです。
しかし、ハンブリックは、そこへ静かに資料の束を持ってきます。
「努力が大切なのは間違いありません。ただ、それだけで全部説明できるでしょうか」
夢を壊すために来たのではありません。努力万能説という大きな鍋に、「個人差」「認知能力」「環境」「経験」「遺伝的な影響」といった具材も入れませんか、と提案しているのです。
ハンブリックが研究しているのは、まさにこの問題です。
同じ時間だけ練習しても、ぐんぐん上達する人もいれば、途中で伸びがゆるやかになる人もいます。同じ先生から教わり、同じ練習をしているのに、結果が同じになるとは限りません。
では、その違いはどこから来るのでしょうか。
ハンブリックは、練習量だけを数えるのではなく、記憶する力、考える速さ、それまでに身につけた知識、練習を始めた時期、指導方法、本人の意欲など、さまざまな要因をまとめて考えようとしました。彼の立場は、「生まれつきですべて決まる」でも「努力だけですべて決まる」でもありません。
人の成長は、ひとつの太い道路ではなく、たくさんの道が合流してできる大きな交差点だ、と考えているのです。
研究の原点には、ゴルフクラブがあった
ハンブリック自身も、若いころはゴルフに熱中していました。
かなり真剣に練習し、将来はゴルフに関係する仕事に就くことも考えていたそうです。ところが、一生懸命に練習しても、自分より練習していないように見える人のほうが上手でした。
「こちらは毎日まじめに振っているのに、なぜ向こうの球のほうが気持ちよく飛んでいくんだ」
ゴルフボールは何も答えてくれません。たいへん無口です。
大学の競技チームにも入れず、ハンブリックは、自分の努力と結果の間にある説明のつかない隙間に気づきます。この体験が、人はどのように優れた技能を身につけるのかという問いへ向かうきっかけのひとつになりました。
その後、大学で認知心理学の授業を受けたハンブリックは、心の働きを科学的に調べる面白さに引き込まれます。
メソジスト大学で心理学を学んだあと、ジョージア工科大学の大学院に進み、実験心理学の修士号と博士号を取得しました。2000年に博士号を取得し、その後、ミシガン州立大学で研究と教育を続けています。
ゴルフのプロを目指していた青年は、いつの間にか「なぜプロになれる人となれない人がいるのか」を調べる教授になっていました。
人生は、ときどき不採用通知を研究テーマに変えて返してきます。
脳の中には「作業机」がある
ハンブリックの研究で重要な言葉のひとつが、「作業記憶」です。
これは、情報を一時的に頭の中へ置きながら、考えたり、判断したり、別の作業を進めたりする力のことです。
難しく聞こえますが、脳の中にある作業机を想像するとわかりやすいでしょう。
机が広ければ、資料を何枚か広げたまま、電卓を使い、メモを書き、電話の内容も覚えておけます。一方、机が狭ければ、新しい書類を置いた瞬間、さっきのメモが床へ落ちます。
「あれ、いま何を計算していたんだっけ?」
これが、脳内作業机の書類雪崩です。
ハンブリックたちは、ピアノの楽譜を初めて見ながら演奏する能力を調べた研究で、練習経験だけでなく、作業記憶の大きさも演奏成績に関係することを示しました。
楽譜を見て、次の音を予測し、指を動かし、いま鳴っている音も確認する。ピアノの初見演奏では、脳内の作業机が会議資料でいっぱいになります。そのため、練習時間だけでなく、複数の情報を一時的に扱う力も成績に影響すると考えられるのです。
これは、「記憶力がよい人だけが成功する」という話ではありません。
経験や知識を増やせば、情報を効率よくまとめられるようになります。熟練した人は、初心者が一個ずつ処理する情報を、まとまりとして扱えるからです。
ただし、それでもなお、もともとの認知能力の違いが完全に消えるわけではない。ハンブリックは、そこを見落とさないようにしました。
練習は大切。でも、全部ではなかった
ハンブリックの名前を広く知らしめた研究のひとつが、ブルック・N・マクナマラ、フレデリック・L・オズワルドと共同で行った、意図的な練習と成績の関係を調べた研究です。
ここでいう意図的な練習とは、ただ何となく繰り返すのではなく、能力を高める目的で、課題や弱点を意識しながら行う練習を指します。
たとえば、ピアノを最初から最後まで気持ちよく弾くだけではなく、何度も間違える二小節を取り出し、先生から助言を受けながら集中的に直していく。楽しくはないかもしれませんが、上達のためには役立ちます。
研究チームは、それまでに発表されていた多くの研究をまとめて分析しました。
その結果、意図的な練習が成績の違いを説明する割合は、チェスなどのゲームで26%、音楽で21%、スポーツで18%、教育で4%、仕事の分野では1%未満でした。
もちろん、これは「練習しても意味がない」という結果ではありません。
むしろ、練習はどの分野でも重要です。ただし、成績という大きなケーキを練習だけで丸ごと作ることはできなかった、ということです。
練習は小麦粉かもしれません。
けれど、卵も、砂糖も、焼く温度も必要です。本人に合う指導者、練習を続けられる環境、健康状態、認知能力、身体的な特徴、始めた年齢、偶然の出会いなど、さまざまな材料が重なって結果が生まれます。
小麦粉に向かって「なぜ一人でケーキにならないんだ」と怒っても、小麦粉としては困ります。
努力を否定するのではなく、努力に背負わせすぎない
ハンブリックの研究は、ときどき「才能を重視して、努力を否定した研究」と受け取られます。
しかし、これは少し違います。
彼が問い直したのは、努力の価値ではなく、「努力さえすれば、誰でも同じ場所へ到達できる」という強すぎる主張です。
努力だけですべてが決まると考えると、成功しなかった人に対して、私たちは簡単にこう言えてしまいます。
「まだ努力が足りなかったんじゃない?」
けれども実際には、本人の努力だけでは変えられない条件があります。向いていることもあれば、時間をかけても伸びにくいこともあります。ある方法では伸びなくても、別の方法や別の分野では力を発揮できる人もいます。
ハンブリックの研究は、努力しなかった言い訳を配る研究ではありません。
努力だけに全責任を負わせないための研究です。
「もっと頑張れば、きっと誰にでもできる」と励ます言葉は、ときに温かい毛布になります。しかし、結果が出ない人へ投げつけられた瞬間、その毛布は重たい石にもなります。
だからこそ、ハンブリックは、人の能力をひとつの原因で説明しようとしません。
練習も大切。能力の違いもある。環境も大切。運や機会も無視できない。そして、それぞれの要素は独立しているのではなく、複雑に影響し合っている。
彼が目指しているのは、才能の有無を早々に判定することではありません。一人ひとりにどのような特徴があり、どのような練習や環境がその人の力を引き出すのかを、より正確に理解することです。
人生は、全員参加の同じ競技ではない
ハンブリックの研究から見えてくるのは、人間の成長が思った以上に複雑だということです。
たくさん練習すれば、ふつうは上達します。
けれど、同じ時間だけ練習すれば、全員が同じ地点に到着するわけではありません。また、早く上達した人が、最後まで一番になるとも限りません。
人には、それぞれ違う出発地点があります。使える時間も、体力も、得意な覚え方も違います。よい指導者と出会えるかどうか、安心して練習できる場所があるかどうかも違います。
つまり人生は、全員が同じ靴を履き、同じ道を走り、同じ時刻にゴールする競技ではないのです。
ハンブリックは、努力という選手をベンチへ下げたわけではありません。
「努力選手、あなたは重要です。ただし、一人で全ポジションを守ろうとしないでください」
そう声をかけ、能力、環境、経験、意欲、機会といった仲間たちを同じグラウンドへ呼び戻した研究者なのです。
参考文献・確認先:ミシガン州立大学:デイヴィッド・Z・ハンブリック公式プロフィール / Google Scholar:David Z. Hambrick 論文・引用情報 / PubMed:David Z. Hambrick 関連論文

デイヴィッド・Z・ハンブリック(David Z. Hambrick)の研究から学べること
デイヴィッド・Z・ハンブリックの研究から学べることは、ひと言でまとめるなら、こうなります。
「努力は大切です。ただし、努力ひとりに全部の荷物を持たせないでください」
私たちは、結果が出ないと、すぐに努力の量を疑います。
「もっと練習しなければ」
「まだ本気が足りないのでは」
「成功している人は、自分より何倍も頑張っているに違いない」
こうして努力さんは、気づけば両手に荷物、背中にリュック、頭の上にも段ボール箱を載せられています。
「才能も環境も指導方法もあるのに、なぜ私だけが全部運ぶんですか」
努力さんから労働組合へ相談が入りそうです。
ハンブリックの研究は、努力の価値を否定するものではありません。むしろ、努力を正しく評価するための研究です。
人の成長には、練習時間だけでなく、考える力、記憶する力、それまでに身につけた知識、練習を始めた時期、指導者との相性、生活環境、本人の興味など、多くの要素が関係しています。
つまり、人の能力は「頑張った時間」だけを入力すれば、同じ答えが出てくる自動販売機ではないのです。
同じ百円玉を入れても、機械によって出てくるものは違います。コーヒーが出る人もいれば、温かいお茶が出る人もいる。ときどき何も出てこなくて、機械を軽くたたきたくなる日もあります。
けれど、それは必ずしも、百円玉の入れ方が悪かったからではありません。
努力したら伸びる。でも、全員が同じように伸びるわけではない
ハンブリックの研究で特に重要なのは、同じように練習しても、全員が同じ結果になるわけではないという点です。
たとえば、二人の人が同じ日にピアノを始めたとします。
同じ先生に習い、同じ教材を使い、毎日一時間ずつ練習したとしましょう。
一人は、半年後には初めて見る楽譜でもかなり弾けるようになりました。もう一人は、知っている曲なら弾けますが、初めて見る楽譜では苦労しています。
ここで私たちは、つい言いたくなります。
「二人目の人は、練習の質が悪かったのでは?」
もちろん、その可能性もあります。
しかし、ハンブリックは、そこで調査を終了しません。
楽譜を一時的に覚えながら、次に弾く音を予測し、左右の指を動かし、いま出した音も確かめる。そのためには、複数の情報を頭の中で同時に扱う力が必要です。
この力には、人によって違いがあります。
同じ説明を聞いても、一度で全体をつかめる人もいれば、一つずつ整理したほうが理解しやすい人もいます。これは、どちらが立派かという話ではありません。
脳内の机の使い方が違うのです。
広い机に資料をたくさん並べて考えられる人もいれば、小さな机で一枚ずつ丁寧に処理する人もいます。
小さな机の人に、資料を二十枚まとめて置いたらどうなるでしょう。
机から資料が落ちます。
本人は拾います。
拾っている間に、先生は次の説明へ進みます。
そして本人は、「自分は頭が悪いのかもしれない」と落ち込みます。
でも、本当は机が悪いのではありません。資料の置き方が合っていないのです。
ハンブリックの研究から学べるのは、能力の違いを、やる気の違いにすり替えないことです。
理解が遅いからといって、不真面目とは限りません。
覚えるのに時間がかかるからといって、努力していないとは限りません。
同じやり方で伸びないなら、努力の量だけでなく、情報の出し方、練習の順番、休憩の取り方を見直す必要があります。
「一万時間やれば達人になれる」は、少し話がきれいすぎる
努力について語るとき、よく登場するのが、「一万時間練習すれば一流になれる」という考え方です。
一万時間。
数字が大きいので、たいへん説得力があります。
「なるほど、一万時間か。では今日から始めよう」
そう思って計算すると、毎日三時間続けても九年ほどかかります。
「ちょっと待ってください。九年後の私は何歳ですか」
計算機を静かに伏せたくなる人もいるでしょう。
ただし、本当に大切なのは、一万時間という数字ではありません。
何を、どのように練習するかです。
同じ曲を、間違えたまま一万回演奏しても、間違いがたいへん流ちょうになるだけです。
同じ仕事を何年続けても、振り返りや改善がなければ、勤続年数は増えても技術が思ったほど伸びないことがあります。
ハンブリックの研究は、目的を持った練習が重要であることを認めています。
自分の弱点を確かめる。
少し難しい課題に取り組む。
結果について助言を受ける。
間違えた部分を修正する。
こうした練習は、ただ時間を過ごすよりも上達につながります。
しかし、それでも、練習だけで成績の違いをすべて説明することはできませんでした。
ここが重要です。
練習は大切です。
けれど、練習がすべてではありません。
この二つは、けんかしているわけではありません。
「野菜は健康に大切です」
「でも、野菜だけ食べればよいわけではありません」
これは両立します。
キャベツを否定しているわけではありません。キャベツに人生の全責任を負わせないだけです。
結果が出ない人を、簡単に責めてはいけない
ハンブリックの研究が私たちの日常に与える大きな教訓は、「結果が出ない人を、努力不足のひと言で片づけない」ということです。
努力万能説は、成功しているときには気持ちのよい考え方です。
「自分が成功したのは、努力したからだ」
この考えは、自信を与えてくれます。
ところが、同じ考えを他人に向けると、急に刃物のようになることがあります。
「あの人が成功しないのは、努力が足りないからだ」
「仕事を覚えられないのは、やる気がないからだ」
「試験に合格しないのは、本気で勉強していないからだ」
しかし、その人には、その人なりの事情があります。
一度に多くの指示を覚えるのが苦手かもしれません。
不安が強く、実力をうまく出せないのかもしれません。
教え方が合っていないのかもしれません。
家に帰ってから、介護や家事をしなければならないのかもしれません。
安心して失敗できる環境がないのかもしれません。
本人の外側にある条件を無視して、「努力が足りない」と言ってしまうのは、風向きを見ずに船員を責めるようなものです。
「もっと速く進め」
船員は一生懸命にこいでいます。
しかし向かい風です。
しかも、よく見ると船底に小さな穴が開いています。
この状況で必要なのは、根性論ではありません。穴をふさぎ、風を読み、進む方向を調整することです。
人の支援でも同じです。
本人を励ますだけではなく、どこでつまずいているのかを見つける。
作業を細かく分ける。
指示を紙に書く。
練習の機会を増やす。
本人の得意な方法を探す。
ハンブリックの研究は、「もっと頑張れ」と言う前に、「頑張りやすい条件が整っているだろうか」と考える視点を与えてくれます。
苦手な分野で自分を壊す必要はない
私たちは、ときどき「苦手を克服すること」に夢中になります。
計算が苦手なら、計算を練習する。
人前で話すのが苦手なら、何度も発表する。
細かい作業が苦手なら、集中力を鍛える。
もちろん、苦手なことへ挑戦する経験は大切です。
ただし、苦手な分野で努力を続ければ、必ず得意な人に追いつけるとは限りません。
ここで必要なのは、あきらめることではありません。
戦う場所を選ぶことです。
泳ぐのが得意な魚が、木登りの大会へ出場して、「自分は努力が足りない」と落ち込んでいたら、少し待ってほしいと思うでしょう。
「あなた、いったん水へ戻りませんか」
人間にも、得意な環境と苦手な環境があります。
文章で考えるのが得意な人。
話しながら考えるのが得意な人。
正確に繰り返す作業が得意な人。
予想外の出来事へ対応するのが得意な人。
人の表情を読むのが得意な人。
数字や規則を扱うのが得意な人。
得意な力は、本人にとって自然であるため、自分では価値に気づきにくいものです。
「こんなの、誰でもできるでしょう」
いいえ、誰でもはできません。
あなたが苦労せずにできることを、別の人は何時間も練習しているかもしれません。
ハンブリックの研究は、努力を増やすことだけでなく、自分の特徴に合った場所を探すことの重要性も教えてくれます。
苦手な土で、毎日自分を責めながら根を張ろうとするより、自分が育ちやすい土を探す。
それは逃げではありません。
植物に合わせて鉢を替える、まっとうな園芸です。
自分に合った練習方法を見つける
では、ハンブリックの研究を、私たちは毎日の生活にどう生かせばよいのでしょうか。
まず大切なのは、「頑張るか、あきらめるか」という二択にしないことです。
うまくいかないときには、努力をやめる前に、努力の設計を見直します。
たとえば、資格試験の勉強をしているのに、なかなか覚えられないとします。
そのとき、勉強時間を二時間から四時間へ増やすだけではなく、次のように考えてみます。
読むだけでなく、問題を解いているか。
一度に覚える量が多すぎないか。
復習する間隔は適切か。
集中できる時間帯に勉強しているか。
図や音声を使ったほうが理解しやすくないか。
睡眠時間が不足していないか。
自分に合わない教材を使っていないか。
努力とは、同じ壁へ何度も頭をぶつけることではありません。
扉を探したり、はしごを用意したり、壁の横を回ったりすることも努力です。
真正面から突破する方法だけが、立派な努力ではありません。
むしろ、方法を変えることを「逃げ」と考えると、私たちは必要以上に消耗してしまいます。
ハンブリックの研究から学ぶなら、努力には観察が必要です。
練習した時間だけでなく、何をしたときに伸びたのかを見る。
どこで疲れたのかを見る。
どの説明なら理解できたのかを見る。
何をしているときに集中が続いたのかを見る。
自分を責める前に、自分の取扱説明書を少しずつ作っていくのです。
才能は「あるか、ないか」の判定ではない
才能という言葉を聞くと、私たちはすぐに、特別な人だけが持っている金色の入場券を想像します。
才能のある人は会場へ入れる。
才能のない人は入口で帰される。
しかし、現実の能力は、そこまで単純ではありません。
ある課題では覚える力が役立ち、別の課題では注意深さが役立ちます。
素早い判断が必要な仕事もあれば、時間をかけて正確に進めるほうが評価される仕事もあります。
人前で話すのが得意でなくても、人の話をじっくり聞くことが得意な人はいます。
新しい案を次々に出すのは苦手でも、決まった仕事を確実に仕上げる人もいます。
能力は、一枚の成績表ではありません。
たくさんのつまみが並んだ音響機器のようなものです。
記憶のつまみ。
注意力のつまみ。
好奇心のつまみ。
粘り強さのつまみ。
対人理解のつまみ。
手先の器用さのつまみ。
全部が最大である必要はありません。
大切なのは、自分が持っているつまみの組み合わせで、どんな音を鳴らせるかです。
ハンブリックの研究は、「才能がないから無理だ」と結論づけるためのものではありません。
自分の強みと課題を現実的に理解し、どの分野で、どのような方法なら伸びやすいのかを考えるためのものです。
夢を持つことと、現実を見ることは両立する
努力だけではすべてが決まらないと聞くと、少し寂しく感じるかもしれません。
「では、夢を持つ意味はないのですか」
そんなことはありません。
夢を持つことと、現実を見ることは、敵同士ではありません。
地図を持って旅をするからといって、冒険ではなくなるわけではないでしょう。
自分の現在地を知り、使える時間や体力を考え、必要な準備をする。これは夢を冷ますことではなく、夢を遠くまで運ぶための工夫です。
ハンブリックの研究が教えてくれるのは、夢を捨てる方法ではありません。
夢との付き合い方です。
やってみたいことには挑戦する。
練習すれば、今より上達できる。
けれど、結果が出ないときに、自分の人格まで否定しない。
方法を変えてもよい。
目標を調整してもよい。
別の分野に進んでもよい。
人間の価値は、ひとつの技能で一流になれるかどうかでは決まりません。
ピアノが上手に弾けないからといって、人として音程が外れているわけではありません。
スポーツで勝てないからといって、人生の敗者でもありません。
向いていない分野があることと、価値がないことは、まったく別の話です。
努力に、正しい席を用意する
デイヴィッド・Z・ハンブリックの研究は、努力を舞台から降ろした研究ではありません。
努力を、舞台の真ん中へ戻した研究です。
ただし、努力ひとりだけに照明を当てるのではなく、能力、環境、知識、指導、健康、興味、機会といった共演者にも光を当てました。
人が成長する物語は、一人芝居ではありません。
たくさんの登場人物がいて、思いがけない場面があり、途中で台本が書き換わることもあります。
だから、頑張っても結果が出ないときには、すぐに「自分は努力不足だ」と決めつけなくてよいのです。
努力の方法が合っているか。
環境は整っているか。
自分の得意な力を使えているか。
目標は自分に合っているか。
休む必要はないか。
そんな問いを、一つずつ確かめていけばよいのです。
努力は大切です。
でも、努力は魔法ではありません。
魔法ではないからこそ、方法を工夫できます。助けを借りられます。場所を変えられます。そして、自分に合った道を選び直せます。
ハンブリックの研究から私たちが学べるのは、「努力すれば何にでもなれる」という強い言葉ではありません。
「努力すれば、今より前へ進める。ただし、どちらへ進むかは、自分の特徴を見ながら決めてよい」
そんな、現実的で少しやさしい成長の考え方なのです。

デイヴィッド・Z・ハンブリック(David Z. Hambrick)の論文一覧
1.『「練習すれば一流になれる」はどこまで本当か? 音楽・ゲーム・スポーツ・教育・専門職における意図的練習と成果のメタ分析』ブルック・N・マクナマラ、デイヴィッド・Z・ハンブリック、フレデリック・L・オズワルド(2014)
Macnamara, B. N., Hambrick, D. Z., & Oswald, F. L.(2014).
Deliberate Practice and Performance in Music, Games, Sports, Education, and Professions: A Meta-Analysis.
Psychological Science, 25(8), 1608–1618.
DOI:10.1177/0956797614535810
「一万時間練習すれば、誰でも達人?」そんな景気のよい話に、研究チームが大量の論文を抱えて登場します。「では、実際に測ってみましょう」。音楽、ゲーム、スポーツ、教育、仕事の研究をまとめると、目的を持った練習はたしかに成績と関係していました。しかし、説明できたのは一部。分野によって差も大きく、仕事ではごくわずかでした。努力は主役級。でも一人芝居ではない。才能、環境、始めた時期など、舞台裏の出演者まで見えてくる、努力万能説の座席表を描き直した一篇です。読めば、頑張り方と自分の責め方が少し変わるかもしれません。

