クレメンス・テッシュ=レーマー(Clemens Tesch-Römer)の論文一覧:才能に「生まれつきで片づける前に、練習時間を数えましょう」と電卓を差し出した熟達研究者

クレメンス・テッシュ=レーマー(Clemens Tesch-Römer)の論文を読む女性
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クレメンス・テッシュ=レーマー(Clemens Tesch-Römer)のプロフィール

クレメンス・テッシュ=レーマーは、ドイツを拠点に活動してきた心理学者です。

名前だけを見ると、重厚な学術書を三冊ほど抱え、石造りの研究室から静かに現れそうな雰囲気があります。しかし、彼の研究テーマをたどってみると、扱っているのは私たちの暮らしにかなり近い問題です。

「一流の人は、なぜ一流になれたのか」

「人は年を重ねると、幸せになれるのか」

「高齢者が孤独にならず、社会とのつながりを保つには何が必要なのか」

つまり彼は、人生の前半にある“上達”から、後半にある“老い”まで、人間の長い道のりを研究してきた人物なのです。

「天才だから」で話を終わらせない心理学者

テッシュ=レーマーの名前が広く知られるきっかけの一つが、1993年にカール・アンダース・エリクソン、ラルフ・トーマス・クランペとともに発表した、熟達と練習に関する論文です。

この研究が問いかけたのは、実に素朴で、しかも少し耳の痛い問題でした。

「一流の演奏家は、生まれつき特別だったのでしょうか?」

世間はつい、「あの人には才能があったから」と言いたくなります。才能という言葉は便利です。説明に困ったとき、机の上へポンと置けば、だいたい話が終わります。

しかし研究者たちは、そこで閉店しませんでした。

「なるほど、才能ですね。では、それまでに何を、どのくらい、どのように練習してきたのかも見せてください」

才能の玄関から入り、練習記録の押し入れまで確認する。そんな調査を進めたのです。

論文では、一流の技能が長い年月にわたる努力や、能力を伸ばすために設計された質の高い練習と深く関係していることが論じられました。ここでいう練習は、ただ同じことを繰り返す作業ではありません。自分の弱点に向き合い、難しい課題に挑み、助言を受けながら修正を続ける練習です。楽しいところだけを弾いて「本日も充実した練習でした」と日記を閉じる方法とは、少し違います。

ただし、この研究は「一万時間練習すれば、誰でも必ず世界一になれる」と保証したものではありません。練習時間を自動販売機へ入れれば、下から天才が転がり出てくるわけではないのです。大切なのは、単なる時間の長さではなく、何を改善するために、どのような練習を積み重ねたかでした。

この研究が社会に投げかけたものは、「才能など存在しない」という乱暴な結論ではありません。

「才能という一言で、人が積み重ねてきた努力や環境を見えなくしてはいけない」

そんな、静かですが力のある問いだったといえるでしょう。

心理学を学び、人間の一生へと関心を広げる

テッシュ=レーマーは、1985年にドイツのルール大学ボーフムで心理学を修めました。その後、1989年にベルリン自由大学で心理学の博士号を取得し、1997年にはグライフスヴァルト大学で教授資格を得ています。研究者として、階段を一段ずつ上ってきた人物です。

若いころの彼は、熟達や能力の発達に関する研究に携わりました。しかし、その後の研究活動の中心は、次第に「年を重ねること」へと移っていきます。

一見すると、「一流の演奏家の練習」から「高齢者の生活」へは、ずいぶん遠くまで引っ越したように見えます。

けれど、根っこにある関心は、それほど離れていないのかもしれません。

人の能力は、どのような経験によって育つのか。

人の生活は、環境や社会との関わりによって、どう変わっていくのか。

人生の前半では「どうすれば伸びるのか」を研究し、人生の後半では「どうすれば自分らしく暮らし続けられるのか」を研究する。研究対象は変わっても、彼が見つめてきたのは、人間が時間の中で変化していく姿だったのでしょう。

「年を取れば、みんな同じ」ではありません

1998年から2023年まで、テッシュ=レーマーはベルリンにあるドイツ老年問題センターの所長を務めました。現在は所長職を退き、同センターの協力研究者として活動しています。ベルリン自由大学でも、発達心理学や老年心理学の教育に携わってきました。

彼が研究してきたのは、単に「高齢者にはどんな特徴があるか」という話ではありません。

そもそも、高齢者を全員まとめて「お年寄り」と呼んだ瞬間、かなり多くの違いが段ボール箱の中へ押し込まれてしまいます。

健康状態も違います。

収入も違います。

家族や友人との関係も違います。

働き続ける人もいれば、地域活動に参加する人もいます。ひとり暮らしを楽しむ人もいれば、大勢の中にいても孤独を感じる人もいます。

年齢が同じだからといって、人生まで同じ制服を着ているわけではありません。

テッシュ=レーマーは、年齢や老化だけでなく、社会的な不平等、生活の質、孤独、社会参加、ボランティア活動などを研究してきました。特に人生の後半において、人が社会とどのようにつながり、どのような条件のもとで生活の満足を保てるのかを大きなテーマとしています。

大勢の人生を、数字の向こうから見つめる

彼の代表的な仕事の一つに、ドイツの中高年者を長期的に調べる大規模な調査があります。

こうした調査では、人々の健康、仕事、家族関係、経済状況、幸福感、孤独、社会参加などを継続して調べます。一度だけ写真を撮るのではなく、同じ社会が年月とともにどう変わっていくのかを、長い映像として記録していく研究です。

「退職すると、人は幸せになるのか」

「年を取るほど、孤独は深くなるのか」

「収入や学歴の違いは、高齢期の健康にどう影響するのか」

こうした問いは、個人の体験談だけでは答えられません。

ある人が「退職して毎日が最高です」と語り、別の人が「仕事を辞めてから張り合いがありません」と語れば、話は一勝一敗です。そこで何千人もの生活を長期間調べ、どのような人に、どのような変化が起きやすいのかを確かめる必要があります。

テッシュ=レーマーは、2001年から2023年までドイツの高齢化に関する大規模調査の責任者の一人を務め、ボランティア活動に関する全国調査や、年齢による偏見、感染症流行下の孤独や社会的つながりに関する研究にも関わりました。

数字を扱う研究ではありますが、その数字の一つひとつには生活があります。

「孤独を感じている人が何%いる」という結果の後ろには、電話をかける相手が思い浮かばない夜があります。

「社会参加が減少した」という数字の後ろには、外出の機会を失った人や、役割をなくしてしまった人がいます。

テッシュ=レーマーの研究は、数字を冷たい記号として並べるのではなく、社会の中で見えにくくなった暮らしを、政策や支援につなげるための研究でもあるのです。

「元気に長生き」だけが成功ではない

高齢期について語るとき、世の中では「健康で、活動的で、自立していること」が理想とされがちです。

もちろん、健康でいられることは大切です。しかし、それだけを「よい老い方」としてしまうと、病気や障害、介護の必要がある人は、まるで人生の採点で減点されたように感じてしまいます。

テッシュ=レーマーは、いわゆる「望ましい老い方」という考え方についても研究してきました。そして、病気がないことや身体能力が高いことだけでなく、人とのつながり、本人の希望、生活環境、必要な支援を受けながら自分らしく暮らせることまで含めて考える必要があると論じています。

人生は、健康診断の数値だけで採点される競技ではありません。

走れなくなっても、誰かと笑うことはできます。

助けを借りても、自分で選ぶことはできます。

仕事を退いても、社会の中で役割を持つことはできます。

彼の研究から見えてくるのは、「自立とは、何でも一人でできることではない」という考え方です。必要な助けを受けながら、自分にとって大切な生活を続けられること。それもまた、立派な自立なのでしょう。

研究室から社会へ、結果を運ぶ

テッシュ=レーマーは研究論文を書くだけでなく、ドイツ政府の高齢者政策に関する専門委員会にも長く参加してきました。また、ドイツ国内の老年学・老年医学の学会や、ヨーロッパ地域の国際的な老年学組織で代表を務めた経験もあります。2022年時点の経歴書では、単著・編著を合わせて25冊、学術論文や書籍の一章などを200本以上発表したとされています。

研究者の仕事は、論文を書いて本棚を重くすることだけではありません。

研究によって見つかった問題を社会へ知らせ、制度や支援を考える人たちへ渡していくことも重要です。せっかく孤独の原因を見つけても、論文の中だけで静かに暮らしてもらっては困ります。

「こちら、社会で使ってください」

そう言って、研究成果を政策のテーブルへ運ぶところまでが、彼の仕事だったのでしょう。

人生を「本人だけの責任」にしない研究者

テッシュ=レーマーの研究を一言でまとめるなら、人の人生を本人の才能や努力だけで説明しない研究だといえます。

一流になった人を見て、「才能があったから」で終わらせない。

孤独になった人を見て、「人付き合いが苦手だから」で終わらせない。

高齢期に困難を抱えた人を見て、「本人の準備不足だから」で終わらせない。

そこには、練習の機会、教育環境、経済状況、家族関係、地域とのつながり、社会制度、年齢に対する偏見など、さまざまな条件があります。

本人の努力は大切です。しかし、人は真空パックの中で努力しているわけではありません。周囲の支えや機会、社会の仕組みによって、伸び方も、暮らし方も変わります。

若者が技能を伸ばす過程から、高齢者が社会とのつながりを保つ方法まで。テッシュ=レーマーは、人間の一生を一本の長い道として見つめてきました。

その研究は、私たちにこんな問いを差し出しているのかもしれません。

「その人の人生を評価する前に、その人が歩いてきた道の状態も見ましたか?」

才能の話にも、老いの話にも、本人だけでは説明できない背景があります。

クレメンス・テッシュ=レーマーは、その背景に照明を当て、「人物だけでなく、舞台全体を見てください」と社会に語りかけてきた心理学者なのです。

参考文献・確認先:ドイツ老年問題センター:クレメンス・テッシュ=レーマー公式プロフィール / クレメンス・テッシュ=レーマー公式略歴・研究業績 / Google Scholar:クレメンス・テッシュ=レーマー論文・引用情報 / PubMed:クレメンス・テッシュ=レーマー関連論文

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

クレメンス・テッシュ=レーマー(Clemens Tesch-Römer)の研究から学べること

研究から見えてくるのは、「人は本人の努力だけで出来上がっているわけではない」という、当たり前のようで忘れやすい事実です。

私たちは、すごい人を見ると、ついこう言います。

「やっぱり才能が違うんだよ」

反対に、うまくいっていない人を見ると、今度はこう言いがちです。

「本人の努力が足りないんじゃない?」

才能か、努力か。世の中はこの二つで人間を説明したがります。たいへん便利です。二つの引き出しさえ用意しておけば、だいたいの人をどちらかへ収納できます。

けれど、クレメンス・テッシュ=レーマーの研究は、その引き出しの横から、そっと大きな棚を運んできます。

「練習の方法はどうでしたか」

「教えてくれる人はいましたか」

「続けられる環境はありましたか」

「経済的な余裕はありましたか」

「年を重ねたあとも、人とのつながりは保てていますか」

話が急に大きくなってきました。

彼の研究から学べるのは、人の能力や幸福を考えるときには、本人だけでなく、その人を囲んでいる環境まで見る必要があるということです。

才能という言葉は、話を早く終わらせすぎる

テッシュ=レーマーが共同で発表した熟達に関する研究では、一流の演奏家たちが、どのような練習をどれほど積み重ねてきたのかが調べられました。

この研究から学べる大切なことは、「長くやれば必ず成功する」という話ではありません。

たとえば、毎日一時間ピアノの前に座っていたとしても、そのうち五十分を「今日は気分が乗らないな」と考え、残り十分で得意な曲だけを弾いていたら、練習時間は一時間でも、中身はほぼ控室です。

能力を伸ばすためには、苦手な部分を見つけ、少し難しい課題に取り組み、結果を確かめ、やり方を修正する必要があります。

つまり大切なのは、単に「頑張った時間」ではなく、「何を変えるために、どう頑張ったか」です。

これは仕事でも同じです。

資料作成が苦手な人が、毎回なんとなく資料を作り続けても、なかなか上達しません。

しかし、

「今回は結論を最初に書く」

「一つのページに情報を詰め込みすぎない」

「作成後に他の人から感想をもらう」

と課題を具体的にすれば、練習の中に成長の方向が生まれます。

ただ回数を重ねるのではなく、改善点を一つずつ狙う。

成長とは、根性の大鍋を火にかけることではありません。小さな修正を、焦がさず煮込んでいく作業なのです。

「苦手なことを続ければよい」わけでもない

質の高い練習と聞くと、つらいことに耐え続ける必要があるように感じるかもしれません。

「よし、今日から苦手な作業を八時間やるぞ」

それは練習というより、心への長時間取り調べです。

能力を伸ばす練習には、集中力が必要です。疲れ切った状態で何時間も続ければ、やり方が雑になり、間違った方法を覚えてしまうこともあります。

そのため、休憩も練習の一部です。

うまくできなかったときには、自分を責め続けるのではなく、

「どこで詰まったのだろう」

「課題が難しすぎなかったか」

「説明や助言が必要ではないか」

と考える必要があります。

努力という言葉には、どうしても「本人が歯を食いしばる姿」がついてきます。

けれど、本当に伸びるためには、良い指導者、わかりやすい課題、休める時間、練習できる場所も必要です。

努力は一人で行うものに見えて、実際には多くの支えの上に立っています。

人は、何歳になっても環境の影響を受ける

テッシュ=レーマーの研究は、熟達だけではありません。彼はその後、年を重ねること、生活の満足、孤独、人とのつながり、社会参加などを研究してきました。

ここから学べるのは、老後の幸福も、本人の性格だけでは決まらないということです。

孤独な人に対して、

「もっと積極的に人と話せばいい」

と言うのは簡単です。

しかし、その人の近所に集まれる場所がなかったらどうでしょう。

足腰が弱り、移動手段がなかったらどうでしょう。

長く付き合ってきた友人が亡くなり、新しい関係を作る機会もなかったらどうでしょう。

本人がどれほど人とつながりたいと思っていても、環境に扉がなければ、外へ出ることはできません。

孤独は、単に「友達の人数が少ない状態」ではありません。

周囲に人がいても、自分が理解されていないと感じれば孤独になります。反対に、一人で過ごす時間が長くても、必要なときに話せる相手がいれば、孤独を感じない人もいます。

ですから、孤独への支援は、「とにかく人を集めれば完成」という福袋方式ではうまくいきません。

本人がどのようなつながりを望んでいるのか。

気軽に参加できる場所があるか。

移動や費用の負担は大きくないか。

役割を持てる機会があるか。

こうした条件を一つずつ整える必要があります。

年を取った人を、一種類の人間にしない

「高齢者はこういうものだ」

この言い方は、たいへん危険です。

七十歳で毎日働いている人もいれば、病気のために外出が難しい人もいます。

家族や友人に囲まれている人もいれば、人間関係に疲れ、一人の時間を大切にしている人もいます。

旅行を楽しむ人もいれば、自宅で静かに本を読むことに幸福を感じる人もいます。

同じ年齢でも、人生はまるで違います。

年齢は、その人を説明する一つの情報ではありますが、説明書の全ページではありません。

テッシュ=レーマーの研究からは、年齢だけで人をひとまとめにするのではなく、健康、収入、家族関係、住んでいる地域、社会とのつながりなどを含めて見る必要があると学べます。

これは高齢者に限った話ではありません。

「若者だから体力がある」

「男性だから機械が得意だ」

「女性だから気配りができる」

「障害があるから難しい仕事はできない」

私たちは、分類すると安心します。しかし、分類はときどき、その人自身を見えなくします。

属性は人物紹介の見出しにはなっても、本文にはなりません。

自立とは、何でも一人でできることではない

私たちは、「人に迷惑をかけず、一人で何でもできること」を自立だと考えがちです。

けれど、本当に誰の助けも借りずに暮らしている人は、ほとんどいません。

食料を作る人がいます。

道路を整備する人がいます。

病気になれば医療を受けます。

困ったときには家族や友人へ相談します。

人間は最初から、巨大な助け合いの網の上で暮らしています。

それなのに、年を重ねたり、病気になったりした途端、

「人の助けを借りるのは申し訳ない」

と感じてしまいます。

しかし、自立とは、すべてを一人で行うことではありません。

必要な支援を受けながら、自分で選び、自分らしい生活を続けられることも自立です。

買い物を手伝ってもらっても、自分が食べたいものを選べる。

移動を支援してもらっても、自分が行きたい場所を決められる。

仕事で配慮を受けても、自分の力を生かして役割を果たせる。

支援を受けることと、自分の人生を失うことは同じではありません。

むしろ、適切な支援があるからこそ、自分で決められる範囲が広がる場合もあります。

杖を使うと自立していないのではありません。杖によって、自分の足で行ける場所が増えるのです。

幸福は、本人の心だけに任せてはいけない

幸福について語るとき、世の中ではよく、

「考え方を変えましょう」

「感謝する習慣を持ちましょう」

「前向きになりましょう」

と言われます。

もちろん、考え方は大切です。

しかし、収入が足りず、住まいが不安定で、病気があっても医療を受けにくく、相談できる人もいない状態で、「気持ちを前向きに」と言われても、心は困ってしまいます。

「こちらはすでに全力です。まず生活条件の応援をお願いします」

と言いたくなるでしょう。

テッシュ=レーマーの研究から学べるのは、幸福を個人の心の持ち方だけに押しつけてはいけないということです。

本人の努力だけでなく、安心して暮らせる収入、医療、住まい、人間関係、社会参加の機会が必要です。

心の問題に見えるものが、実は社会の仕組みから生まれている場合もあります。

孤独を感じている人へ会話の練習だけを勧めても、地域に参加できる場所がなければ状況は変わりません。

働けない人へ意欲を求めても、体調に合った仕事や配慮がなければ続きません。

個人の心を整えることと、環境を整えること。

どちらか一方ではなく、両方が必要です。

人を責める前に、条件を確認する

テッシュ=レーマーの研究を日常生活に生かすなら、誰かがうまくいっていないとき、すぐに性格や努力の問題にしないことです。

たとえば、仕事の覚えが遅い人がいたとします。

そこで、

「やる気がない」

「注意力が足りない」

と決めつける前に、確認できることがあります。

説明が一度に多すぎなかったか。

見本はあったか。

質問しやすい雰囲気だったか。

体調や睡眠に問題はなかったか。

本人に合った覚え方が用意されていたか。

環境を確認すると、問題の見え方が変わります。

本人の中に原因があると思っていたものが、実は指示の出し方や職場の仕組みにあった、ということも珍しくありません。

植物が育たないとき、植物に向かって、

「もっと向上心を持ちなさい」

とは言いません。

日当たり、水、土、温度を確認します。

なぜか人間に対してだけは、環境を確認する前に精神論の肥料を大量投入しがちです。

人間にも、育ちやすい条件があります。

人生は、努力と環境の共同制作である

クレメンス・テッシュ=レーマーの研究から学べることをまとめると、人間の成長や幸福は、本人と環境の共同制作だということです。

練習を続ける本人の努力が必要です。

しかし、良い指導や練習する時間も必要です。

人とつながろうとする気持ちが必要です。

しかし、安心して参加できる場所や移動手段も必要です。

自分らしく生きたいという希望が必要です。

しかし、その希望を支える制度や人間関係も必要です。

努力を否定する必要はありません。

ただ、努力だけですべてを説明しないことです。

才能を否定する必要もありません。

ただ、才能という言葉で、積み重ねてきた練習や支援を消してしまわないことです。

誰かの成功を見たときには、

「この人はどのような努力をしたのだろう」

と考える。

同時に、

「その努力を続けられる環境には、何があったのだろう」

とも考える。

誰かが困っているときには、

「本人にできることは何だろう」

と考える。

同時に、

「周囲や社会に変えられることはないだろうか」

とも考える。

この二つの視点を持つだけで、人を見る目はずいぶん優しく、そして正確になります。

人は、一人で完成した作品ではありません。

教えてくれた人、支えてくれた人、与えられた機会、暮らしてきた社会。そのすべてが、少しずつ人生の形を作っています。

テッシュ=レーマーの研究は、私たちにこう語りかけているようです。

「人を評価するときは、本人だけを見ないでください。その人が歩いている道も見てください」

歩き方を変えることも大切です。

けれど、道に大きな穴が空いているなら、まず穴をふさぐ必要があります。

努力を応援しながら、努力しやすい環境も作る。

年齢や立場でひとまとめにせず、一人ひとりの暮らしを見る。

助けを借りることを弱さではなく、人生を続けるための知恵として捉える。

それが、クレメンス・テッシュ=レーマーの研究から私たちが受け取れる、静かで実用的な教えなのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

クレメンス・テッシュ=レーマー(Clemens Tesch-Römer)の論文一覧

1.『達人はいかにして生まれるのか――卓越した技能を育てる「意図的な練習」の役割』カール・アンダース・エリクソン、ラルフ・トーマス・クランペ、クレメンス・テッシュ=レーマー(1993)

Ericsson, K. A., Krampe, R. Th., & Tesch-Römer, C.(1993). The Role of Deliberate Practice in the Acquisition of Expert Performance. Psychological Review, 100(3), 363–406. DOI:10.1037/0033-295X.100.3.363

「一流の演奏家? きっと生まれつき指が天才なんでしょう」「では、練習日誌を拝見します」。この論文は、ベルリンの若いバイオリン奏者たちを調べ、上位の人ほど、弱点を狙って集中する「計画的な練習」を長年積み重ねていたと報告しました。ただ弾くだけではなく、苦手な箇所を分解し、直し、また挑む。つまり達人への道は、才能の魔法の扉ではなく、地味な階段だったのです。「一万時間で誰でも天才」という単純な話ではありませんが、努力の中身までのぞきたくなる、熟達研究の出発点です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
この論文の要約を読む
練習しても上達しないのはなぜ?意図的な練習から考える「練習の質」
練習しても上達しないのはなぜ?意図的な練習から考える「練習の質」
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