ブルース・S・マキューエン(Bruce S. McEwen)の論文一覧:がんばる体が、がんばりすぎて悲鳴をあげるまでを追ったストレス研究さんぽ
ブルース・S・マキューエン(Bruce S. McEwen)のプロフィール
ブルース・S・マキューエン(Bruce S. McEwen)は、ひとことで言うと、「ストレスって、心の問題だけじゃなくて、脳も体も巻き込む一大プロジェクトなんですよ」と教えてくれた研究者です。ストレス研究の世界では、かなり大きな存在で、まるで「体の中で開かれている緊急会議」を、脳・ホルモン・免疫・心臓・生活環境まで含めて読み解こうとした人です。
マキューエンは1938年にアメリカ・コロラド州フォートコリンズで生まれました。大学では化学を学び、その後、ロックフェラー大学で細胞生物学の博士号を取得しています。つまり最初から「心の話をふんわり語る人」ではなく、細胞やホルモンのレベルから、体の仕組みをかなり細かく見ていた研究者だったわけです。白衣を着た詩人というより、顕微鏡を持った探偵ですね。
彼の大きな功績は、ストレスホルモンが脳に影響を与えることを明らかにしていった点にあります。昔は「脳が体に命令する」と考えられがちでしたが、マキューエンは「いやいや、体から出るホルモンも脳を変えるんですよ」と示しました。特に、記憶に関わる脳の部分である海馬がストレスホルモンの影響を受けることは、彼の研究の重要な柱になりました。ストレスはただの気分の曇り空ではなく、脳の配線にも触れてくる小さな電気工事士だった、という感じです。
マキューエンを語るうえで欠かせない言葉が、「アロスタティック負荷」です。これは、ざっくり言うと「体がストレスに適応しようとしてがんばり続けた結果、たまってしまう負担」のことです。たとえば、忙しいときに体がシャキッとするのは大事です。血圧を上げ、ホルモンを出し、集中力を高める。これは体のレスキュー隊です。でも、そのレスキュー隊が毎日毎晩出動しっぱなしになると、今度は道路も建物も傷んでしまう。短期では守ってくれる反応が、長期では体をすり減らすことがある。マキューエンは、この仕組みをとてもわかりやすい研究テーマとして広げました。
彼の研究が面白いのは、ストレスを「悪者」と決めつけなかったところです。ストレス反応は、本来は生きるために必要な仕組みです。危ない場面でぼんやりしていたら困りますから、体が「今だ、非常ベル!」と鳴らすのは自然なことです。ただし、そのベルが鳴りっぱなしになると、家じゅうが寝不足になる。マキューエンは、ストレスの「守る顔」と「傷つける顔」の両方を見つめた研究者でした。
ロックフェラー大学では、神経内分泌学の研究室を率い、長年にわたって脳とホルモン、ストレスの関係を研究しました。また、全米科学アカデミー、全米医学アカデミー、アメリカ芸術科学アカデミーの会員でもあり、1997年から1998年には神経科学会の会長も務めています。研究者としての肩書きはかなり立派ですが、要するに「ストレス研究の大黒柱」のような存在です。
2020年1月2日、マキューエンは81歳で亡くなりました。ロックフェラー大学は、彼の仕事について「脳が生涯を通じて変化するという理解を大きく変えた」と紹介しています。ストレス、老化、うつ、心的外傷後ストレス障害、認知症など、現代の心身の健康を考えるうえで、彼の研究は今も大きな地図になっています。
つまり、ブルース・S・マキューエンは、「ストレスは心の中だけで暴れているのではない。脳にも、ホルモンにも、体全体にも足あとを残す」と教えてくれた人です。ストレスを根性論の箱から取り出し、科学の明るい机の上に置いて、「さあ、この小さな怪獣の正体を見てみよう」と言った研究者。そんなふうに見ると、彼の論文は少しむずかしくても、かなりワクワクする探検記に見えてきます。
参考文献・確認先: ロックフェラー大学:ブルース・S・マキューエン追悼記事 / NIH・PMC:Bruce McEwen 追悼文 / Google Scholar:Bruce S. McEwen 論文・引用情報 / PubMed:Bruce S. McEwen 関連論文

ブルース・S・マキューエン(Bruce S. McEwen)の研究から学べること
ブルース・S・マキューエンさんの研究から学べることを、ひとことで言うなら、「ストレスは一瞬なら体を助ける。でも、ずっと続くと、心と体に“見えない使用料”がたまっていく」ということです。
ストレスというと、つい悪者のように思われがちです。「またストレスか、こいつめ」と、心の中で小さな鬼退治が始まりそうになります。でも、マキューエンさんの研究を見ていくと、話はもう少し複雑です。ストレス反応は、本来は私たちを守るためのしくみでもあります。危険が近づいたとき、体がすばやく反応し、心拍を上げ、注意力を高め、逃げたり戦ったりできるようにする。つまりストレス反応は、体内の消防隊です。火事が起きたときに出動してくれる、ありがたい存在なのです。
ただし、問題はその消防隊が帰れなくなることです。
一日だけ忙しい。大事な発表がある。面接がある。そういう短いストレスなら、体は「はい、緊急対応ですね」と動いてくれます。でも、毎日ずっと不安、ずっと緊張、ずっと睡眠不足、ずっと人間関係の火災報知器が鳴りっぱなしとなると、体の消防隊もヘトヘトになります。ホースを持ったまま仮眠も取れない。そりゃあ、体のあちこちに無理が出ます。
マキューエンさんは、アメリカの神経内分泌学者で、ロックフェラー大学で長く研究を行いました。環境や心理的なストレスが脳と体に与える影響を研究し、「アロスタティック負荷」という考え方を広めた研究者として知られています。ロックフェラー大学も、マキューエンさんを「慢性的なストレスが脳と体にどのように影響し、病気につながるかを説明する概念を打ち立てた研究者」と紹介しています。
ここで出てくる「アロスタティック負荷」という言葉、いかにも専門用語の白衣を着ていますね。日本語でやさしく言うなら、「ストレスに適応し続けるために、体が支払っているツケ」です。
たとえば、仕事が忙しいとき、体はなんとか対応します。睡眠を削っても、緊張で乗り切る。食事が乱れても、とりあえず動く。気持ちが張っていても、会議に出る。これは体が変化に合わせて頑張っている状態です。マキューエンさんは、こうした「変化に対応して安定を保つしくみ」を重要視しました。1998年の論文では、ストレスに適応するときには、神経、ホルモン、免疫などのしくみが働くと説明されています。
でも、対応には費用がかかります。心と体のクレジットカードで支払っているようなものです。最初は「まあ今月だけなら」と思っていても、毎月リボ払いみたいにストレスが積み上がると、ある日「え、こんなに残高あるの?」となります。このたまったツケが、アロスタティック負荷です。2003年の論文でも、アロスタティック負荷は、体が適応し続けることで生じる累積的なコストとして説明されています。
これが怖いのは、すぐには見えにくいところです。
骨折ならレントゲンで見えます。財布を落としたらすぐ気づきます。でも、ストレスのツケは静かにたまります。睡眠が浅くなる。胃腸の調子が悪い。血圧が上がる。イライラしやすい。記憶力や集中力が落ちる。風邪をひきやすい。何となく疲れが抜けない。こういう小さなサインが、体からの「そろそろ請求書が来ていますよ」というお知らせかもしれません。
マキューエンさんの研究の大きなポイントは、ストレスを「気分の問題」だけで終わらせなかったことです。ストレスは、脳にも体にも影響します。2007年の論文では、ストレスとストレスホルモンが、海馬、扁桃体、前頭前野といった脳の部分に影響し、行動や体の反応を変えることが説明されています。海馬は記憶に関係し、扁桃体は不安や恐怖に関係し、前頭前野は判断や計画に関係します。つまり、ストレスは心の気合いの問題ではなく、脳の働き方そのものにも関係するのです。
これ、かなり大事です。
疲れているときに判断が雑になるのは、性格が急にポンコツ化したからではありません。脳の司令室が、連日の残業で照明チカチカ状態になっているのかもしれません。不安が強いときに同じことを何度も考えてしまうのも、「弱いから」だけではありません。脳の警報装置が過敏になっている可能性があります。つまり、ストレスは心の中の根性論だけでは片づけられないのです。
ここから私たちが学べることは、「ストレスを感じる自分を責めすぎないこと」です。
「こんなことで疲れるなんてダメだ」
「もっと頑張れるはず」
「みんなやっているのに、自分だけ弱い」
こうやって自分を追い詰めると、ストレスの上にストレスを重ねることになります。ラーメンに背脂を足すならまだしも、ストレスにストレスを足しても、こってり苦しくなるだけです。必要なのは、「今、自分の体は何に対応し続けているのか」を見ることです。
たとえば、毎日人に気をつかい続けている。
締め切りに追われている。
睡眠が足りない。
家族のことが心配。
職場で安心できない。
将来の不安がある。
こうしたものは、ひとつひとつは小さく見えるかもしれません。でも、毎日続けば体には負荷になります。小石でも、リュックに毎日入れ続ければ重くなるのです。
マキューエンさんの研究から日常に活かせる知恵は、「ストレスをなくす」ことより、「回復の時間を入れる」ことです。ストレスをゼロにするのは、現実的にはかなり難しいです。生きていれば、仕事もあります。人間関係もあります。予定外のことも起きます。洗濯物はなぜか増えます。メールも増えます。冷蔵庫の奥から謎の容器も発見されます。人生はなかなか静かにしてくれません。
だからこそ、体が緊急対応を終えたあとに、通常運転へ戻れる時間が必要です。
睡眠を確保する。
軽く体を動かす。
安心できる人と話す。
自然の中を歩く。
深呼吸をする。
スマホから少し離れる。
食事を整える。
「今日はここまで」と区切る。
こうしたことは、ただの気休めではありません。体の消防隊を一度帰宅させるための手続きです。ずっと出動中にしない。ちゃんと署に戻って、ホースを片づけて、お茶を飲ませる。これが回復です。
また、支援や職場でこの考え方を使うなら、「その人が怠けているのか」だけでなく、「その人のストレス負荷が高すぎないか」を見ることが大切です。ミスが増えている人、表情が硬い人、反応が遅い人、怒りっぽくなっている人。そういう人をすぐに責める前に、「最近、負担が続いていないか」「休めているか」「相談できる人はいるか」を見る。人は壊れてから直すより、壊れる前に支えるほうがずっといいのです。
そしてもうひとつ、マキューエンさんの研究は「脳は変わる」という希望も教えてくれます。ストレスは脳に影響しますが、脳は固定された石像ではありません。経験や環境によって変化する力があります。マキューエンさんの研究は、ストレスによる脳の変化だけでなく、適応や回復の可能性も含めて、人間の体を見ていました。2017年の論文でも、慢性的なストレスが認知、判断、不安、気分に関わる神経回路のバランスに影響しうることが説明されています。
つまり、「今つらいから、ずっとこのまま」と決めつけなくていいのです。もちろん、長く続く強いストレスには専門的な支援が必要なこともあります。でも、生活環境、休息、人とのつながり、運動、安心できる時間が少しずつ整うことで、心と体は回復の方向へ向かうことがあります。人間の体は、壊れやすいだけではありません。立て直す力も持っています。
マキューエンさんの研究が教えてくれるのは、ストレスとの付き合い方は「我慢大会」ではないということです。ストレスに耐えた量を競っても、景品はたぶん肩こりと睡眠不足です。大事なのは、自分の体がどれくらい緊急対応を続けているかに気づき、早めに回復を入れることです。
ストレスは、短期なら私たちを守る味方になります。でも、長期になると、味方だったはずのしくみが体に負担をかけます。雨の日に傘をさすのは大事ですが、晴れた日までずっと傘をさし続けていたら疲れます。体にも、傘を閉じる時間が必要なのです。
ブルース・S・マキューエンさんの研究は、私たちにそっと語りかけています。
「疲れているのは、あなたの心が弱いからとは限らない」
「体はずっと、あなたを守るために働いてきたのかもしれない」
「だからこそ、回復する時間をちゃんと予定に入れよう」
人間は、無限に働ける機械ではありません。心と体は、毎日の小さな負荷を記憶します。だから、毎日の小さな回復もまた、体に覚えさせていく必要があります。ストレスの請求書が山積みになる前に、少し眠る。少し歩く。少し話す。少し休む。
それは甘えではなく、生命の経理処理です。体の帳簿を赤字にしないための、静かで大切な知恵なのです。

ブルース・S・マキューエン(Bruce S. McEwen)の論文一覧
1.『ストレスを運ぶ体内メッセンジャーの光と影-守ってくれる力と、傷つけてしまう力』ブルース・S・マキューエン(1998)
McEwen, B. S. (1998). Protective and damaging effects of stress mediators. The New England Journal of Medicine, 338(3), 171–179. DOI:10.1056/NEJM199801153380307
ストレスって、ただの「イヤな気分」だと思っていませんか?この論文では、ストレス時に出るホルモンや神経の働きが、短期的には体を守るヒーローとして活躍する一方、長く働かせすぎると、今度は体を傷つける“がんばりすぎ隊長”になることを教えてくれます。血圧、免疫、脳、代謝まで巻き込んで、「ストレスさん、あなた守りたいの?壊したいの?」と問いかけたくなる一篇。心と体の裏側で起きるドタバタ会議をのぞける、ストレス研究の名作です。

