ブルック・N・マクナマラ(Brooke N. Macnamara)の論文一覧:練習万能説に「努力は大事。でも全部ではありません」と冷静にブレーキをかけた心理学者
ブルック・N・マクナマラ(Brooke N. Macnamara)のプロフィール
ブルック・N・マクナマラは、「努力すれば、誰でも何にでもなれる」という気持ちのよい物語に、そっと電卓を置いた心理学者です。
「なるほど。ところで、その話はデータでも確かめましたか?」
夢のある話に冷や水を浴びせたいわけではありません。努力を笑っているわけでも、才能だけですべてが決まると言っているわけでもありません。
マクナマラが研究しているのは、もっと現実的で、もっと人間らしい問いです。
「同じように練習しているのに、なぜ上達の速さが違うのだろう?」
「たくさん練習した人が、必ず一番うまくなるのだろうか?」
「実力を決めるものは、練習時間だけなのだろうか?」
私たちは成功者を見ると、つい一本の分かりやすい物語を作りたくなります。
「あの人は、誰よりも努力したから成功したんだ」
もちろん、努力は大切です。ただし人間の能力は、一本の物差しでは測れません。練習の内容、始めた年齢、記憶する力、考える速さ、周囲の環境、緊張への反応、やる気、経験の幅など、さまざまな要素が鍋の中でぐつぐつ煮込まれ、ようやく一人分の実力が出来上がります。
マクナマラは、その複雑な鍋をのぞき込み、「練習だけを入れて完成ということにしていませんか?」と問いかけている研究者なのです。
通訳の仕事から、「なぜ上達できないのか」という研究へ
マクナマラは、最初から心理学者を目指していたわけではありません。
かつては、アメリカ手話と英語をつなぐ通訳者として働いていました。人と人の間に立ち、異なる言葉を橋渡しする仕事です。
ところが、通訳を目指して学んでいた人たちの中には、努力しているにもかかわらず、途中で苦戦する人が少なくありませんでした。一方で、最後まで力を伸ばしていく人もいます。
「同じように学んでいるのに、なぜこんなに差が生まれるのだろう?」
この疑問が、マクナマラを研究の世界へ連れていきました。
少し調べて終わるはずが、研究のおもしろさにすっかり引き込まれます。本人によれば、研究はやめられないほど魅力的なものになり、通訳の仕事へ戻るつもりだった予定表は、静かに書き換えられていきました。人生とは、ときどき予定表の余白から本編が始まるものです。
その後、プリンストン大学で心理学の博士号を取得。現在は、アメリカのパデュー大学で心理科学を研究する准教授を務めています。研究の中心にあるのは、人が技能を身につける過程、熟達した人が高い実力を発揮する理由、仕事や学業の成果に個人差が生まれる仕組みなどです。
「一万時間練習すれば達人」の看板を点検する
マクナマラの名前が広く知られるきっかけとなったのが、計画的な練習と実力の関係を調べた研究です。
ここでいう計画的な練習とは、ただ同じことを長時間繰り返す練習ではありません。目標を決め、弱点を見つけ、助言を受けながら修正を重ねていく練習のことです。
世の中では、「一万時間練習すれば、誰でも一流になれる」という考え方が有名になりました。
なんとも希望に満ちた話です。
一万時間という数字さえ積み上げれば、才能の扉が「はい、規定時間を満たしました」と自動で開いてくれる。そんな印象さえあります。
しかしマクナマラは、そこで立ち止まりました。
「本当に、練習時間だけで実力の差を説明できるのでしょうか?」
彼女たちは、音楽、競技、スポーツ、教育、仕事などを扱った88件の研究を集め、結果をまとめて分析しました。これは、たくさんの研究を一つの大きな地図にまとめる方法です。
その結果、計画的な練習は実力と確かに関係していました。しかし、実力の個人差を説明できた割合は、全体では約12%でした。
つまり、練習は大切です。ただし、実力という大きなケーキを全部焼いているわけではありません。立派な材料の一つではあるけれど、小麦粉も卵も温度管理も必要です。練習だけにケーキ完成の責任を背負わせるのは、少々酷というものです。
さらに、練習の影響は分野によって異なっていました。競技や音楽、スポーツでは比較的大きい一方、教育や職業上の成績では小さくなっていました。マクナマラが示したのは、「努力は無意味だ」という話ではありません。
「努力は重要です。でも、努力だけですべてを説明するのは無理があります」
という、少し地味ですが、とても大切な結論です。
努力を否定するのではなく、努力を孤独にしない
マクナマラの研究は、ときどき「努力しても無駄だと言っている」と誤解されます。
けれども、彼女の主張はむしろ反対です。
練習だけですべてが決まると考えてしまうと、うまくいかなかった人は、「自分の努力が足りなかったのだ」と一人で責任を背負うことになります。
しかし実際には、上達にはさまざまな条件が関わっています。
教え方が自分に合っているか。練習する環境が整っているか。何歳から始めたか。課題の難しさは適切か。緊張する場面で力を出せるか。覚えたことを別の場面でも使えるか。そもそも、その人の得意な能力と課題の性質が合っているか。
努力だけを主役にすると、こうした登場人物が舞台袖へ追いやられてしまいます。
マクナマラは、「努力をやめましょう」と言っているのではありません。
「努力さん一人に、成功も失敗も全部背負わせるのはやめましょう」
と言っているのです。
これは、努力する人を突き放す研究ではありません。むしろ、努力してもうまくいかず、「自分は怠け者なのではないか」と苦しんでいる人の肩から、余計な罪悪感を少し下ろしてくれる研究だといえるでしょう。
人気のある心理学説にも、そっと定規を当てる
マクナマラの関心は、練習だけにとどまりません。
「能力は努力によって伸ばせると考えることが、成績の向上につながる」という考え方についても研究しています。
この考え方も、教育や自己啓発の世界で広く知られています。前向きで分かりやすく、教室にも講演会にも置きやすい。言ってみれば、心理学界の人気商品です。
しかし、人気があることと、証拠が十分にあることは同じではありません。
そこでマクナマラは、「よい考え方ですね」で拍手して終わらず、本当に成績と関係しているのか、どのような条件なら役に立つのかを確かめています。
彼女は、世間で広く信じられている成功理論について、その主張の大きさと、証拠の強さが釣り合っているかを調べています。話が大きな風船になって空へ飛んでいく前に、糸を持って重さを測る役目です。
人工知能に任せすぎると、人間の腕は鈍るのか
近年のマクナマラは、人工知能と人間の技能の関係にも研究を広げています。
人工知能は、とても便利です。文章をまとめ、答えを探し、判断を助け、作業を速くしてくれます。職場に一人いれば、たいへん頼もしい働き者です。
ただし、何でも任せているうちに、人間が自分で考えたり判断したりする力が弱くなる可能性はないのでしょうか。
たとえば、計算機に頼りきると暗算の機会が減ります。道案内に頼りきると、昨日通った道なのに「ここはどこでしょう」と道路と初対面の顔をすることがあります。
同じように、専門家が人工知能の支援を受け続けることで、本来持っていた技術が衰えたり、新しい技能を身につけにくくなったりする可能性があります。
マクナマラは、人工知能を悪者にしようとしているのではありません。便利な道具と人間の能力が、どのように支え合い、どこから依存関係になるのかを調べようとしているのです。
「人工知能を使うか、使わないか」ではなく、
「どのように使えば、人間の力を育てながら助けてもらえるのか」
という問いです。これは人工知能が急速に生活へ入り込んでいる今、ますます重要になる研究でしょう。
「努力か才能か」という二択から降りる
人は、分かりやすい答えを好みます。
成功は努力で決まるのか。それとも才能で決まるのか。
けれどもマクナマラの研究を読んでいると、その二択そのものが少し乱暴なのだと気づかされます。
努力も関係する。生まれ持った特徴も関係する。環境も、経験も、考え方も、課題の性質も関係する。そして、それぞれが単独で働くのではなく、互いに影響し合っています。
人間は、説明書一枚で動く家電製品ではありません。
同じ練習をしても伸び方は違い、同じ教え方でも響き方は違います。昨日うまくいった方法が、今日の自分には合わないことさえあります。
だからこそ、マクナマラは単純な成功法則に飛びつかず、「誰に、どの方法が、どのような条件で役立つのか」を丁寧に調べています。
彼女の研究は、夢を壊すためのものではありません。
夢までの道を一本に決めつけず、ほかの道も地図に描き込むための研究です。
努力は大切です。しかし、努力だけが人間の価値を決めるわけではありません。上達が遅いからといって、真剣さが足りないとも限りません。
ブルック・N・マクナマラは、成功という華やかな舞台の裏側で、練習時間だけがスポットライトを独占していないかを確かめています。
そして静かに、こう語りかけているようです。
「練習は大事です。でも、ほかの要因にも椅子を用意しておきましょう」
参考文献・確認先:ブルック・N・マクナマラ 公式プロフィール / Google Scholar:ブルック・N・マクナマラ 論文・引用情報 / PubMed:ブルック・N・マクナマラ 関連論文

ブルック・N・マクナマラ(Brooke N. Macnamara)の研究から学べること
ブルック・N・マクナマラの研究から学べることは、ひと言でいえばこうです。
「努力は大切です。ただし、努力に何もかも背負わせないでください」
努力という言葉は、私たちの社会でたいへん働き者です。
成功した人を見れば、
「人一倍、努力したからだ」
うまくいかなかった人を見れば、
「まだ努力が足りなかったのではないか」
と、成功の理由から失敗の責任まで、ほとんど一人で担当させられています。
努力さんも、そろそろ労働組合を結成したくなるころでしょう。
もちろん、練習や努力は上達に欠かせません。何もしないまま、ある朝目覚めたらピアノの名手になっていた、ということは普通ありません。昨日まで「猫ふんじゃった」で迷子になっていた人が、翌朝いきなり大きな演奏会へ呼ばれることもないでしょう。
しかしマクナマラの研究は、「努力すれば必ず望んだところへ到達できる」という単純な物語に、静かに問いを投げかけます。
「練習は重要です。でも、実力の差は本当に練習だけで説明できるのでしょうか?」
練習は主役でも、単独主演ではない
マクナマラたちは、音楽、競技、スポーツ、教育、職業などを扱った多くの研究をまとめ、計画的な練習と成績の関係を調べました。
計画的な練習とは、ただ長時間取り組むことではありません。弱点を見つけ、目標を定め、助言を受けながら、苦手な部分を重点的に改善していく練習です。
調査の結果、計画的な練習は実力と確かに関係していました。ただし、その影響の大きさは分野によって違いました。実力の個人差を説明できた割合は、競技で26%、音楽で21%、スポーツで18%、教育で4%、職業では1%未満でした。研究者たちは、計画的な練習は重要ではあるものの、これまで主張されてきたほど大きな影響を持つわけではないと結論づけています。
ここで大切なのは、「練習しても意味がない」と読むことではありません。
競技で26%を説明できるなら、かなり大きな役割です。ただし、残りの74%には別の要因が関わっています。
音楽でも同じです。練習は舞台の中央に立っていますが、舞台にはほかの出演者もいます。
始めた年齢、教わり方、体格、記憶する力、考える速さ、集中力、緊張への強さ、家庭環境、使える時間、指導者との相性、けがや病気の有無などです。
練習は主役かもしれません。しかし、単独主演ではありません。
成功という作品は、出演者が一人しかいない一人芝居ではなく、ずいぶん人数の多い群像劇なのです。
「何時間やったか」より「何を直したか」
私たちは努力を時間で数えがちです。
「今日は三時間勉強した」
「毎日二時間、練習している」
「休日も仕事の勉強をした」
時間は分かりやすい数字です。三時間は三時間なので、誰が見ても立派に見えます。
しかし、三時間机に向かっていたことと、三時間で能力が伸びたことは同じではありません。
参考書を開いたまま、頭の中では夕食の献立を会議していたかもしれません。楽器を二時間弾いていても、すでにできる曲ばかり繰り返していたなら、気分はよくても弱点は留守番したままです。
マクナマラの研究から学べるのは、単純に練習時間を増やせばよいわけではない、ということです。
大切なのは、
「どこでつまずいているのか」
「どの部分を直す必要があるのか」
「今の練習方法は本当に合っているのか」
を確かめることです。
たとえば文章を書く力を伸ばしたいとします。
毎日二時間書いているのに、なかなか読みやすくならない。そこで「自分には才能がない」と結論づける前に、文章を細かく点検してみます。
一文が長すぎるのか。話題が途中で迷子になるのか。具体例が少ないのか。読み手を置き去りにしているのか。
問題が見えれば、練習の形を変えられます。
ただ漠然と書き続けるのではなく、一文を短くする練習をする。具体例を一つ入れる。書いた翌日に読み返す。ほかの人から感想をもらう。
努力の量を増やす前に、努力の向きを確認する。
船を懸命にこぐことは大切ですが、目的地と反対方向へ全力で進んでいたら、腕だけが立派に鍛えられてしまいます。
うまくいかないとき、人格まで反省しなくてよい
努力を万能だと考えると、成長できなかったときに問題が起こります。
「結果が出ないのは、努力が足りないからだ」
「努力できないのは、意志が弱いからだ」
「意志が弱い自分は、だめな人間だ」
このように、成績の話がいつの間にか人格裁判へ発展します。
最初は「英語の点数が上がらない」という話だったのに、気づけば心の法廷で「被告人は怠け者である」と判決が下されている。話がずいぶん大きくなっています。
しかし、成果が出ない理由は一つではありません。
教材が難しすぎるのかもしれません。基礎の一部分が抜けているのかもしれません。睡眠不足で集中できないのかもしれません。指導方法が合っていないのかもしれません。試験では緊張して、普段の力を出せないのかもしれません。
そこで必要なのは、自分を叱ることよりも、条件を調べることです。
「もっと頑張れ」だけでは、故障した機械を横から応援しているのと変わりません。
「動け、君ならできる」
機械としても、「まず電源を確認してください」と言いたくなるでしょう。
うまくいかないときは、自分の根性を疑う前に、方法、環境、体調、課題の難しさを見直す。
これは自分を甘やかすことではありません。問題を正確に見つけようとする、きわめて現実的な姿勢です。
人によって、伸びる方法は違う
同じ練習をすれば、全員が同じように伸びるわけではありません。
ある人は、説明を読めば理解できます。別の人は、実際に手を動かしたほうが覚えやすい。静かな部屋で集中できる人もいれば、少し生活音があるほうが落ち着く人もいます。
先生に厳しく指摘されて燃える人もいれば、強く言われると頭が真っ白になり、覚えていたことまで荷物をまとめて帰ってしまう人もいます。
人間は、同じ説明書で動く量産品ではありません。
そのため、誰かが成功した方法を、そのまま自分に移植してもうまくいくとは限りません。
朝四時に起きて勉強した人が成功したからといって、全員が朝四時に起きれば成功するわけではありません。夜型の人が無理にまねをすれば、成功する前に昼食後の会議で静かに意識を失います。
成功者の習慣から学ぶことはできます。
ただし、
「あの人に効いた方法」
と、
「自分にも効く方法」
の間には、小さいようで意外と深い川があります。
必要なのは、成功者を丸ごとまねることではなく、方法を自分用に調整することです。
試してみる。記録する。少し変える。もう一度試す。
こうして自分に合う方法を探すことも、立派な努力の一部です。
得意不得意は、努力不足の証明ではない
マクナマラの研究は、人には能力や成長の仕方に違いがあることも考えさせてくれます。
人によって、覚える速さも、体の動かし方も、注意を保てる時間も違います。
この違いを認めると、「人間の可能性を狭めることになる」と感じる人もいるかもしれません。
しかし、違いを認めることと、可能性を否定することは同じではありません。
むしろ、自分の特徴を知らないまま、合わない方法で努力を続けるほうが苦しくなります。
魚に木登りを教えながら、
「努力すれば登れる。あきらめるな」
と言い続けても、魚は励まされるより先に、川へ帰りたくなるでしょう。
大切なのは、「苦手だからやめる」と即決することではありません。
苦手なことにどれくらい時間を使うのか。補助する方法はあるのか。別の強みを使えないか。その仕事や目標に、本当にその能力が必要なのか。
こうしたことを考える必要があります。
不得意な部分を工夫して補う道もあります。得意な分野へ進む道もあります。誰かと役割を分ける道もあります。
人生には、正面玄関しかないわけではありません。
横に回れば、案外きちんと勝手口が開いていることがあります。
指導する側も「もっと努力を」だけで終わらせない
マクナマラの研究から学べることは、努力する本人だけに向けられたものではありません。
教師、指導者、上司、保護者など、人を育てる立場にも重要な問いを投げかけます。
成果が出ない人に対して、
「もう少し頑張りましょう」
と伝えるのは簡単です。
しかし、その言葉だけでは、何をどう変えればよいのか分かりません。
料理に失敗した人へ、
「もっと料理を頑張ってください」
と言っても、次も同じ焦げた物体が食卓へ運ばれてくる可能性があります。
必要なのは、
「火が強すぎました」
「この工程では、もう少し早く混ぜましょう」
「最初は半分の量で練習しましょう」
という具体的な助言です。
仕事でも同じです。
「注意力が足りない」
と言うだけではなく、
「提出前に確認表を使いましょう」
「この二つの数字を重点的に見直してください」
「作業を十件ずつ区切りましょう」
と伝えるほうが改善につながります。
本人の努力を求めるなら、努力できる道筋も一緒に示す。
努力を要求するだけでなく、環境や教え方を整える。
成長を本人だけの責任にしないことが、よい指導につながります。
分かりやすい成功法則ほど、少し立ち止まる
「これをすれば必ず成功する」
「毎日続ければ、誰でも一流になれる」
「成功者は全員、この習慣を持っている」
こうした言葉は魅力的です。
複雑な人生に、一本の分かりやすい道路を引いてくれるからです。
ただし、分かりやすさと正しさは別物です。
地図が単純で見やすくても、目的地までの橋が一本抜けていたら困ります。
マクナマラの研究姿勢から学べるのは、気持ちのよい話ほど、少し立ち止まって確かめることです。
「誰にでも当てはまるのか」
「うまくいかなかった人は調べられているのか」
「ほかの原因は考えられているのか」
「その方法の効果は、実際にはどのくらい大きいのか」
成功した人だけを集めれば、どんな習慣でも成功の秘訣に見えてきます。
成功者が毎朝コーヒーを飲んでいたからといって、コーヒーが成功の原因とは限りません。失敗した人も同じように飲んでいた可能性があります。コーヒーとしても、急に人生の責任者へ任命されて困っているはずです。
耳ざわりのよい説明をすぐ信じず、証拠の大きさを確かめる。
これは研究を読むときだけでなく、健康法、教育法、仕事術、自己啓発の情報を見るときにも役立ちます。
努力の価値は、一位になることだけではない
「練習だけでは、誰もが一流になれるわけではない」
この話を聞くと、少し寂しく感じるかもしれません。
では、頂点に立てないなら、努力する意味はないのでしょうか。
もちろん、そんなことはありません。
努力の価値を、「世界一になれるかどうか」だけで測る必要はないからです。
昨日できなかったことが、今日は少しできるようになる。
人前で一曲弾けるようになる。
旅行先で簡単な会話ができるようになる。
仕事のミスが減る。
好きなことを、前より深く楽しめるようになる。
こうした変化も、立派な成長です。
頂上に立つことだけが登山の価値ではありません。途中で見つけた景色や、昨日より少し長く歩けたことにも意味があります。
一流になれる保証がなければ努力できない、という考え方は、努力の価値をあまりに狭くしています。
練習は未来の自分を完全に設計する魔法ではありません。
それでも、未来に働きかける有力な方法ではあります。
必ず望んだ結果をくれるわけではない。しかし、何もしなかった場合とは違う場所まで運んでくれる。
努力とは、願いを必ずかなえる契約書ではなく、可能性の扉を少し重く開ける作業なのかもしれません。
自分を責める前に、作戦会議を開こう
ブルック・N・マクナマラの研究は、努力を否定するものではありません。
努力を、より正確に理解しようとする研究です。
努力は重要です。しかし、結果を決める唯一の要因ではありません。
だから、うまくいかないときに、
「もっと頑張らなければ」
だけで終わらせないことです。
「方法を変えたほうがよいのでは?」
「誰かに教えてもらえないか?」
「課題を小さく分けられないか?」
「今の環境で集中できているか?」
「自分の得意な力を使う方法はないか?」
と、作戦会議を開いてみる。
努力が足りないと自分を責めるより、努力が届きやすい道を探すのです。
努力を増やすことだけが、努力ではありません。
休むこと、助けを借りること、方法を変えること、目標を調整すること、向いている場所を探すことも、前へ進むための立派な工夫です。
マクナマラの研究は、私たちにこう語りかけているようです。
「努力してください。ただし、努力だけを信じて、自分を追い詰めないでください」
人は、努力だけでできているわけではありません。
得意なことも、苦手なことも、育った環境も、出会った人も、偶然も、体調も、使える時間もあります。その全部を抱えながら、少しずつ自分なりの進み方を探しています。
だから、結果が出なかった日に、自分の価値まで低く見積もる必要はありません。
努力は採点表ではなく、未来へ差し出す一枚の切符です。
どこまで行けるかは、それだけでは決まりません。
それでも、その切符を握って進んだ時間は、決して空白ではないのです。

ブルック・N・マクナマラ(Brooke N. Macnamara)の論文一覧
1.『「練習すれば一流になれる」はどこまで本当か? 音楽・ゲーム・スポーツ・教育・専門職における意図的練習と成果のメタ分析』ブルック・N・マクナマラ、デイヴィッド・Z・ハンブリック、フレデリック・L・オズワルド(2014)
Macnamara, B. N., Hambrick, D. Z., & Oswald, F. L.(2014).
Deliberate Practice and Performance in Music, Games, Sports, Education, and Professions: A Meta-Analysis.
Psychological Science, 25(8), 1608–1618.
DOI:10.1177/0956797614535810
「1万時間練習すれば、誰でも達人になれる?」そんな胸の熱くなる話に、マクナマラたちは電卓を持って登場します。音楽、ゲーム、スポーツ、教育、仕事に関する88件の研究をまとめて分析したところ、計画的な練習が実力差を説明した割合は、ゲーム26%、音楽21%、スポーツ18%、教育4%、仕事では1%未満。つまり努力は大事。でも成功という舞台を一人で支える万能役者ではありません。才能、環境、始めた時期など、舞台袖にはまだ出演者がいる。努力礼賛に冷静な一票を投じた、少し耳の痛い、でも肩の荷が軽くなる論文です。

