アイエレット・フィッシュバック(Ayelet Fishbach)の論文一覧:「やる気が迷子です」と言う人に、目標までの地図と誘惑よけの結界を渡した心理学者
アイエレット・フィッシュバック(Ayelet Fishbach)のプロフィール
アイエレット・フィッシュバックは、「やる気はどこへ行った?」という人類の長年の迷子案件を、かなり本気で追いかけてきた心理学者です。
たとえば私たちは、朝にはこう誓います。
「今日から健康的に生きよう」
「仕事を早く終えて、家族との時間をつくろう」
「今月こそ貯金しよう」
ところが夕方になると、心の中の会議室に別の参加者が入ってきます。
「今日はがんばったし、揚げ物もいいのでは?」
「動画を一本だけ見てからやろう」
「貯金は来月からでも、通帳は逃げない」
この会議、議長がいません。全員が好きなことを言い、最後にはポテトと先延ばしが拍手で可決されがちです。
フィッシュバックが研究してきたのは、まさにこのような「目標どうしの渋滞」です。人は一つだけの願いを抱えて生きているわけではありません。健康でいたい。でもおいしいものも食べたい。仕事で成果を出したい。でも休みたい。誰かと仲よくしたい。でも一人の時間もほしい。
人生は、目標が一列に並ぶ運動会ではなく、全員が違う方向へ走り出す商店街の福引き会場に近いのかもしれません。
彼女は、こうした複数の目標を人がどう整理し、どう選び、どう続けるのかを見つめてきました。特に大切にしているのが、「目先の誘惑から、長い目で見た願いをどう守るか」という問いです。
たとえば、ダイエット中にケーキを見かけたとき。「食べないぞ」と歯を食いしばるだけが自己管理ではありません。そもそも空腹でケーキ屋の前を通らない、家に買い置きをしない、健康的なごほうびを決めておく。こうした“誘惑と正面衝突しない工夫”も、立派な自己管理です。
つまり彼女の研究は、「意志が弱いからダメなんだ」と、人を説教部屋へ連行するためのものではありません。むしろ逆です。
人は弱る。
疲れる。
甘いものに心をつかまれる。
そして、ときどき未来の自分へ仕事を丸投げする。
その前提に立ったうえで、「では、どうすれば少しだけ動きやすくなるだろう?」と考える。フィッシュバックの研究には、そんな現実的なやさしさがあります。
また彼女は、目標を達成するには、結果だけでなく「途中をどう感じるか」も大切だと考えてきました。遠いゴールだけを見つめ続けると、人は途中で息切れします。けれど、その過程に小さな楽しみや意味を見つけられれば、歩みは少し長持ちします。
「合格したらうれしい」だけではなく、「今日の勉強で一つわかったことがある」。
「痩せたら最高」だけではなく、「散歩すると頭が少し静かになる」。
そんなふうに、未来のごほうびだけでなく、今この瞬間にも小さな納得を置いていく。
やる気とは、天から雷のように落ちてくるものではないのかもしれません。目標の置き方、誘惑との距離、進み方の工夫。そうした日々の設計図のなかで、静かに育っていく火種なのかもしれません。
アイエレット・フィッシュバックは、「ちゃんとやりなさい」と背中を押す研究者ではありません。
「あなたの心のなかには、いくつもの願いが同居している。だから迷うのは当然です。では、その願いたちがケンカをしすぎないように、少し部屋の配置を変えてみませんか」
そんなふうに、人生の散らかった会議室へ椅子を運び入れてくれる心理学者です。
参考文献・確認先:アイエレット・フィッシュバック 公式プロフィール(シカゴ大学ブース校) / Google Scholar:Ayelet Fishbach 論文・引用情報 / PubMed:Ayelet Fishbach 関連論文

アイエレット・フィッシュバック(Ayelet Fishbach)の研究から学べること
アイエレット・フィッシュバックの研究から学べることは、ひと言でいえばこうです。
「やる気がない自分」を叱る前に、心の中で何と何が取り合いをしているのか見てみよう。
私たちは、目標を一つだけ持って生きているわけではありません。
健康になりたい。
仕事もがんばりたい。
家族との時間も大切にしたい。
部屋も片づけたい。
お金も貯めたい。
でも、できれば今日は布団の民でありたい。
……忙しいですね、心の中。
「勉強しよう」と思う自分と、「動画を一本だけ見よう」と言う自分。
「節約しよう」と思う自分と、「この限定スイーツは出会いだから」と主張する自分。
「早く寝よう」と思う自分と、「寝る前に少しだけ検索しよう」と言いながら、気づけば深夜二時に宇宙の果てを調べている自分。
こうした迷いがあると、私たちはつい言います。
「自分は意志が弱い」
「また続かなかった」
「だらしないなあ」
けれどフィッシュバックの研究をのぞいてみると、少し違う景色が見えてきます。
人が迷うのは、必ずしも意志が弱いからではありません。
心の中に、どちらも大切な願いがあるからです。
休みたいのは、怠けたいからだけではないかもしれません。疲れた体を守りたいのかもしれない。
甘いものを食べたいのは、だらしないからだけではないかもしれません。今日一日を少し労いたいのかもしれない。
先延ばしをしてしまうのも、「やりたくない」という気持ちの裏に、「失敗したくない」「うまくやりたい」が隠れていることがあります。
つまり、心の中で起きているのは、善人と悪人の決闘ではありません。
「未来の自分を助けたい係」と、
「今日の自分をなぐさめたい係」の、
かなり切実な会議です。
この会議で大切なのは、どちらかを追放することではありません。
「休みたい係、あなたの意見はわかりました。ただし、明日の自分が泣かない形で休めませんか」
と、議長になって交通整理をすることです。
たとえば、「今日は疲れたから勉強を全部やめよう」ではなく、「五分だけノートを開いて、あとは休もう」にする。
「甘いものは禁止」ではなく、「食後に小さな楽しみとして食べよう」にする。
「部屋を完璧に片づける」ではなく、「机の上だけ避難訓練をしよう」にする。
目標を守るとは、自分を軍隊のように扱うことではありません。
誘惑を完全に消し去る魔法でもありません。
むしろ、「誘惑が来ること」を最初から予定表に書いておくことです。
夕方になれば疲れる。
給料日には財布がゆるむ。
雨の日は外に出たくなくなる。
スマホを開けば、だいたい時間は溶ける。
このあたりは、もはや人類の季節行事です。
だからこそ、「そんな自分ではダメだ」と驚くより、「はいはい、ここで誘惑の登場ですね」と、少し先回りしておくほうが現実的です。
フィッシュバックの研究には、目先の誘惑に出会ったとき、人が長期的な目標の価値を思い出したり、誘惑の魅力を少し下げたりする働きがあることも示されています。
これを日常語にすると、こうです。
「ケーキが悪魔のように見えるときは、ケーキと戦う前に、自分が本当に守りたいものを思い出す」
健康のために体を動かしたい。
朝、少し軽い気分で起きたい。
子どもと遊ぶ体力を残したい。
好きな服を気持ちよく着たい。
目標は、「痩せなければならない」のような命令だけでは、なかなか長続きしません。
そこに「私はどんな日々を生きたいのか」という願いが入ると、少し息をし始めます。
そして、フィッシュバックの研究には、もう一つ人間らしい発見があります。
人は少し進むと、つい“もう十分がんばった券”を発行してしまう。
朝に散歩をした。
よし、今日は健康的だ。
だから夜は揚げ物でもよい。
家計簿をつけた。
よし、節約できた。
だから通販サイトを少しだけ見てもよい。
心の中の経理担当が、急に甘くなるのです。
もちろん、ごほうびは悪者ではありません。
人生は、ごほうびなしで走るには長すぎます。
ただし、「がんばったから今日はもう終わり」と考えると、せっかくの一歩が、次の行動をやめるための言い訳に化けることがあります。
そんなときは、進歩を「免除証」ではなく、「私はこの方向へ進める人間だという証拠」として扱うとよいのかもしれません。
「今日は散歩できた。だから明日も五分歩けるかもしれない」
「今日は机に座れた。だから次は一段落読めるかもしれない」
「今日は早く寝られた。だから朝が少し変わるかもしれない」
小さな前進を、休む理由にするのではなく、自分への信頼の材料にする。
この違いは小さく見えて、案外大きいものです。
さらにフィッシュバックは、「目標はたくさんあるとダメ」と決めつけなくてよいことも教えてくれます。
仕事か、家族か。
健康か、楽しみか。
勉強か、休息か。
私たちは、すぐに二択のリングへ上げたがります。
「さあ、どちらかを倒せ」
しかし実際には、二つの目標が手を組めることもあります。
仕事をがんばることが、家族の安心につながることがある。
しっかり眠ることが、勉強や仕事の集中力を助けることがある。
散歩をすることが、健康だけでなく、気分転換や人との会話にもつながることがある。
趣味の時間があるからこそ、仕事で折れにくくなることもある。
目標どうしを、いつも敵同士として見る必要はありません。
「この二つは、本当にケンカしているのかな」
「別のやり方なら、助け合えるのではないかな」
そう問い直してみる。
すると、人生の目標は、狭い部屋で肩をぶつけ合う乗客ではなく、少しずつ席を譲り合える旅の仲間になっていきます。
そして最後に、いちばん大切なこと。
目標は、「達成したらうれしい」だけでは続きにくい。
途中にも、少しの楽しさや納得が必要です。
運動なら、記録より好きな景色を選ぶ。
勉強なら、終わったあとに好きな飲み物を用意する。
貯金なら、我慢の額だけを見るのではなく、「何を守れているか」を書いてみる。
仕事なら、全部をやり切ることだけでなく、「今日は誰かの役に立てた瞬間」を拾ってみる。
未来のために今を全部犠牲にすると、心は途中でストライキを起こします。
「目的地は立派ですが、道中にベンチはありませんか」
と。
フィッシュバックの研究が教えてくれるのは、やる気とは、気合いの大声ではないということです。
やる気は、目標の意味を思い出すこと。
誘惑が来る場所を知っておくこと。
小さな前進を信頼に変えること。
そして、いくつもの願いを、できるだけ仲よく住まわせること。
人生には、完全に誘惑のない日も、いつも強い自分でいられる日も、ほとんどありません。
それでも私たちは、少しずつ進めます。
完璧な人になるからではなく、迷う自分を責める代わりに、迷いの中身を見つめられるようになるからです。
「今日は何もできなかった」と思う夜にも、こう聞いてみるとよいかもしれません。
「今日の私は、何を守ろうとしていたのだろう」
「明日の私が少し助かる一歩は、何だろう」
答えが「水を飲む」でも、「五分だけ片づける」でも、「早く布団に入る」でもかまいません。
目標とは、遠くに立つ立派な旗ではなく、
今日の自分と明日の自分が、細い橋を渡って受け渡す小さな手紙なのです。

アイエレット・フィッシュバック(Ayelet Fishbach)の論文一覧
1.『目標は言い訳か、道しるべか?――「ここまで進んだ」という感覚が、選択を自由にするとき』アイエレット・フィッシュバック、ラヴィ・ダール(2005)
Fishbach, Ayelet, & Dhar, Ravi. (2005). Goals as Excuses or Guides: The Liberating Effect of Perceived Goal Progress on Choice. Journal of Consumer Research, 32(3), 370–377. DOI:10.1086/497548
「よし、今日は歩いた! だから夜は揚げ物でもいいか!」
……この心の“がんばった券”発行所、思い当たる人は多いはずです。
フィッシュバックとダーは、人が目標に少し近づいたと感じると、その安心感から、目標と反対向きの選択をしやすくなることを調べました。ダイエットを意識してりんごを選んだあと、次にはチョコを選びやすくなる。未来のための一歩が、なぜか「今日はもう自由でいいよ」という許可証に化けるのです。
本論文は、進歩がいつも次の努力を生むわけではない、という人間らしくも少し困った現象を描きます。自分の「ごほうび会議」が暴走しそうな人ほど、読んでみるとニヤリとする研究です。

