マシュマロテストで将来はわかる?子どもの我慢と15歳の成績の関係
- 「我慢できる子は将来うまくいく」って、本当にそんなに単純?
- この論文をひとことで言うと
- この論文の要点
- 研究の背景:マシュマロテストは本当に将来を予測する?再検証が必要になった理由
- 研究方法:「待てた時間」と15歳の成績をどう比べた?マシュマロテストの研究方法
- この研究でわかったこと:我慢できる子ほど成績が高い?家庭環境まで考えて見えたこと
- ここが面白い:「我慢できる=意志が強い」で終わらない、マシュマロテストの面白さ
- 私たちの生活にどう活かせる?:我慢できない自分を責める前に。意志力より環境を整えるという考え方
- 少し注意したい点:マシュマロテストは否定された?この研究だけでは言い切れないこと
- まとめ:「我慢できる子は成功する」で終わらない。マシュマロテスト再検証の結論
- あとがき
- 制作ノート
「我慢できる子は将来うまくいく」って、本当にそんなに単純?
『マシュマロ・テストを再検証する:「我慢できる子は将来うまくいく」は本当か? 幼少期の『待つ力』とその後の人生を追った研究』タイラー・W・ワッツ、グレッグ・J・ダンカン、ハオナン・クアン(2018)
Watts, T. W., Duncan, G. J., & Quan, H. (2018). Revisiting the Marshmallow Test: A Conceptual Replication Investigating Links Between Early Delay of Gratification and Later Outcomes. Psychological Science, 29(7), 1159–1177.
「目の前にマシュマロがひとつあります。今すぐ食べてもいい。でも、少し待てたらもうひとつあげます」
こんな実験の話を、どこかで聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
いわゆる「マシュマロ・テスト」です。
子どもが目の前のお菓子を我慢できるかどうかを調べ、その後の成長まで追いかけた研究として広く知られるようになりました。そして、いつしかこんな物語までセットで語られるようになります。
「子どものころに我慢できた子は、将来もうまくいきやすい」
なるほど。
たしかに、それっぽい話です。
目先の誘惑に負けず、未来のために我慢できる人なら、勉強も続けられそうですし、仕事でもコツコツ努力できそうです。
貯金だってできそうです。
深夜2時に「ポテトチップス、開けちゃおうかな」と袋を見つめながら格闘している大人からすると、少し耳の痛い話でもあります。
でも、ここでひとつ疑問が出てきます。
本当に、そんなに単純なのでしょうか。
子どもがマシュマロを待てたかどうかだけで、その後の人生まで予測できるのでしょうか。
たとえば、その子が育った家庭の環境は関係ないのでしょうか。
親の学歴や収入、家庭で受けられる教育、子どものもともとの認知能力、日々の生活環境。
そういったものを全部横に置いて、
「待てた。だから将来うまくいった」
と言ってしまっていいのでしょうか。
人生は、そんなに一本の定規で測れるほど素直なものではなさそうです。
有名なマシュマロ・テストを、もう一度調べ直した研究
そこで2018年、タイラー・W・ワッツらは、この有名なマシュマロ・テストを改めて検証しました。
研究者たちが知りたかったのは、
「幼いころに満足を先延ばしできた子どもは、本当にその後の成績や行動でも有利なのか」
ということです。
しかも今回は、単純に
「待てた子」と「待てなかった子」
を比べるだけではありません。
家庭背景や子どもの認知能力など、将来に影響しそうなほかの要因も考慮しながら分析しました。
すると、話は少し複雑になります。
たしかに、幼いころに長く待てた子どもほど、その後の学業成績が高い傾向は見られました。
ところが、家庭環境や子どものもともとの能力などを考慮していくと、その関係はかなり小さくなっていったのです。
つまり、
「マシュマロを我慢できたから、その子は将来うまくいった」
と一直線に結ぶのは、どうやら早そうです。
ここが、この研究のとても面白いところです。
「我慢できるか」だけを見て、人を評価していないだろうか
私たちはつい、結果を見ると、その人の性格に理由を求めたくなります。
勉強ができる人を見れば、
「努力できる人なんだろうな」
仕事で成功している人を見れば、
「自己管理能力が高いんだろうな」
何かを我慢できない人を見れば、
「意志が弱いのかな」
と考えてしまいます。
でも、その人の行動の後ろには、たいてい環境があります。
安心して待てる環境だったのか。
約束を信じても大丈夫だと思える経験があったのか。
学ぶための機会があったのか。
そもそも、その時点でどれくらいの能力や支援を持っていたのか。
人間の行動は、本人の性格だけでできているわけではありません。
本人と環境が、何度も何度もキャッチボールをしながら作っているものです。
そう考えると、マシュマロ・テストの話は、単なる「子どもの我慢比べ」ではなくなってきます。
これはむしろ、
「人の将来を、ひとつの行動だけで説明していいのだろうか」
という問いにも見えてきます。
このページでは、ワッツらの2018年の研究をもとに、
「マシュマロ・テストで本当に将来はわかるのか」
「子どもの我慢する力と、その後の成績にはどんな関係があったのか」
そして、
「私たちは“意志の強さ”という言葉を、少し便利に使いすぎていないか」
というところまで、ゆっくり見ていきたいと思います。
マシュマロひとつから始まった話ですが、その先には意外と深い人間の物語があります。
では、研究の中身をのぞいてみましょう。

この論文をひとことで言うと
「マシュマロを我慢できた子ほど将来うまくいく」という有名な話を、家庭環境や子どものもともとの力まで考えて調べ直したら、“我慢する力だけで未来を説明するのは難しい”とわかった研究です。
これが、この論文のいちばん大事なところです。
マシュマロ・テストの有名なイメージは、とてもわかりやすいものでした。
「目の前のお菓子を我慢できる子は、自制心が強い」
そして、
「自制心が強い子は、将来もうまくいきやすい」
という流れです。
話としては、とてもきれいです。
きれいすぎて、ついそのまま額縁に入れて壁に飾りたくなるくらいです。
でもワッツたちは、その額縁をいったん外してみました。
「ちょっと待って。その子がどんな家庭で育ったのか、もともとどんな力を持っていたのかも関係しているんじゃない?」
と考えたわけです。
そこで、幼いころにどれくらいマシュマロを待てたかと、その後の学業成績や行動との関係を、家庭背景や認知能力なども含めて詳しく分析しました。
すると、たしかに「長く待てた子ほど、その後の成績が高い」という関連は見られました。
ただし、家庭環境や子どものもともとの能力などを考慮すると、その差はかなり小さくなります。
つまり、
「我慢できたから成績がよくなった」
と単純には言えない、ということです。
ここはかなり大切です。
たとえば、ある子がマシュマロを15分待てたとします。
それだけを見ると、
「この子は意志が強い!」
と思いたくなります。
でも実際には、その子には安心して大人の約束を信じられる環境があったのかもしれません。
学ぶ機会が多かったかもしれません。
言葉や考える力が、すでに発達していたかもしれません。
そうした条件も一緒に「待つ」という行動の中へ入り込んでいる可能性があります。
マシュマロの前に座っているのは、純粋な「意志力」だけではありません。
その子がそれまで生きてきた数年間も、いっしょに椅子へ座っているのです。
「待てたかどうか」は、未来の通知表ではない
この研究から受け取れる大切なメッセージは、
幼いころのひとつの行動だけで、その人の将来を決めつけないほうがいい
ということでもあります。
「我慢できないから意志が弱い」
「自制心がないから将来もうまくいかない」
そんなふうに、人間を一本の線で説明してしまうと、見落としてしまうものがたくさんあります。
人の成長には、能力もあります。
家庭環境もあります。
教育もあります。
周囲から受ける支援もあります。
そして、成長する途中で変わっていくことだってあります。
人生は、4歳のときにマシュマロを食べたかどうかで採点終了になる試験ではありません。
むしろこの論文は、
「人の未来を予測するとき、私たちは“本人の意志”に理由を集めすぎていないだろうか?」
と問いかけているようにも読めます。
マシュマロ・テストを否定した研究というより、
マシュマロ・テストから読み取れることの範囲を、もう少し丁寧に描き直した研究。
そう捉えるのが、いちばん近いでしょう。
「我慢できる人が偉い」
でもなく、
「我慢なんて関係ない」
でもありません。
そのあいだには、家庭や能力や環境という、かなり広い世界があります。
この論文は、その見落とされがちな世界に、もう一度ライトを当ててくれた研究なのです。

この論文の要点
1. 「待てる子ほど成績が高い」という関係はあった。でも、思ったほど大きくはなかった
幼いころにマシュマロを長く待てた子どもほど、15歳ごろの学業成績が高い傾向は見られました。
なので、
「マシュマロ・テストなんて、ぜんぶ意味がなかったんだ!」
という話ではありません。
ただし重要なのは、その関係が、世間で語られてきたほど単純でも強力でもなかったことです。
「4歳でマシュマロを我慢できた。はい、将来安泰です」
そんな人生判定機能は、残念ながらマシュマロには搭載されていませんでした。
この研究は、「待つ力と将来にはまったく関係がない」と否定したのではなく、
“関係はあるかもしれない。でも、それだけで未来を説明するには弱い”
と、話をかなり現実的な大きさに戻してくれた研究なのです。
2. 家庭環境や幼いころの能力まで考えると、「我慢する力」の影響はかなり小さくなった
ここが、この論文の中心です。
単純に比べれば、
「長く待てた子ほど、その後の成績が高い」
という関係が見えます。
ところが研究者たちは、
「でも、待てた子ともともとの家庭環境が違っていたらどうする?」
と考えました。
そこで、家庭の経済状況や親の教育歴、家庭環境、幼いころの認知能力など、将来の成績にも関係しそうな条件をできるだけ考慮して分析しました。
すると、
マシュマロを待てた時間と、その後の成績との関係はかなり小さくなった
のです。
つまり、子どもが待てるかどうかには、「意志が強い・弱い」だけではなく、その子がそれまで育ってきた環境や持っている力も入り込んでいる可能性があります。
マシュマロの前に座っているのは、子ども本人だけではありません。
家庭環境や学びの機会、それまでの経験まで、こっそり隣の席に座っているわけです。
3. 「長く我慢できるほど将来有利」と一直線には言えない
さらに面白いのがここです。
私たちはなんとなく、
「1分待てるより5分、5分より10分、10分より15分待てる子のほうが、どんどん将来有利になる」
と想像してしまいます。
我慢ポイントを貯めれば、未来ステータスが上がっていくようなイメージですね。
ところが、この研究では、そんなきれいな一直線の関係は確認されませんでした。
また、幼いころに長く待てたことと、15歳時点の行動上の問題との関係についても、家庭背景などを考慮すると、はっきりした関連はほとんど見られませんでした。
つまり、
「待てる子=なんでもうまくいく子」ではない
ということです。
マシュマロ・テストが教えてくれるのは、その子の未来そのものではありません。
むしろこの研究が教えてくれるのは、
人の将来をひとつの能力だけで説明しようとすると、大事なものをたくさん取りこぼしてしまう
ということなのかもしれません。
この3点を頭の片隅に置いておくと、このあと研究の方法や結果を見たときに、
「なるほど。マシュマロの話というより、“人間をどう見るか”の研究でもあるんだな」
と、この論文の面白さがぐっと見えやすくなってきます。

研究の背景:マシュマロテストは本当に将来を予測する?再検証が必要になった理由
マシュマロ・テストは、心理学の世界でもかなり有名な実験です。
子どもの前にお菓子を置いて、
「今食べてもいいよ。でも、少し待てたらもっともらえるよ」
と伝える。
あとは、その子がどれくらい待てるのかを見る。
実験そのものは、びっくりするほどシンプルです。
ところが、その後の追跡研究によって、
「幼いころに長く待てた子ほど、その後の成績や社会的な適応がよかった」
という関係が報告されました。
ここからマシュマロ・テストは、ただのお菓子我慢大会ではなく、
「子どもの自制心は、将来を予測するのでは?」
という大きな話へ育っていきます。
マシュマロ一個から、話がずいぶん大きくなりました。
でも研究者にとっては、ここで終わりではありません。
むしろ、
「本当にマシュマロを待てたことが、その後の違いを説明しているの?」
という次の疑問が出てきます。
「待てた子」と「待てなかった子」は、もともと同じだったの?
ここが、この研究につながる大切なポイントです。
たとえば、4歳の子どもが2人いたとしましょう。
Aくんはマシュマロを最後まで待てました。
Bくんは30秒で食べました。
そして10年後、Aくんのほうが学校の成績がよかったとします。
すると、
「ほら、やっぱり我慢できる子は伸びるんだ」
と言いたくなります。
でも、ちょっと待ってください。
その2人は、本当に「我慢する力」以外は同じだったのでしょうか。
家庭の収入は?
親の教育歴は?
家でどんな学習経験をしていた?
幼いころの言葉や考える力は?
親子のかかわり方は?
こうした違いも、その後の学業成績に関係している可能性があります。
つまり、
「待てたこと」と「将来の成績」に関係があったとしても、その間に別の要因がたくさん入り込んでいるかもしれない
ということです。
料理でいえば、
「このカレーがおいしいのは、じゃがいものおかげだ!」
と言っているけれど、よく見たら玉ねぎも肉もスパイスも全部入っています。
じゃがいもだけ表彰台に乗せるのは、少し早いわけです。
そもそも、最初の研究はかなり限られた子どもたちだった
もうひとつ問題がありました。
有名な初期の追跡研究は、スタンフォード大学のキャンパス内にある幼稚園に通っていた子どもたちを中心に行われていました。
しかも、長期的な結果との関係を調べた分析では、対象となった人数が数十人規模のものもありました。
もちろん、だから研究に価値がないわけではありません。
むしろ、そこから非常に面白い仮説が生まれたからこそ、マシュマロ・テストは長く研究されてきました。
ただ、
「この結果は、もっといろいろな家庭で育った子どもにも当てはまるのだろうか?」
という疑問は残ります。
大学関係者の家庭が多い限られた集団で見つかった関係を、そのまま「すべての子どもの未来」に広げるのは慎重になったほうがいい。
研究者からすると、
「いい話なんだけど、もう少し人数を増やして確認させてください」
となるわけです。
科学は、一度出た結果を永久保存する博物館ではありません。
大事な発見ほど、
「別のデータでも出る?」
「条件を変えても出る?」
「ほかの要因を考えても残る?」
と、何度もノックされます。
本当に知りたかったのは「我慢を鍛えれば人生がよくなるのか」
そして、もうひとつ重要な理由があります。
もし本当に、
「幼いころの我慢する力が、その後の人生に大きな影響を与える」
のであれば、
「それなら、子どもの自制心を鍛えればいいのでは?」
という話になります。
教育や子育てにも、大きく関わってきます。
でも、もしマシュマロを待てる子どもがその後よい結果を示す理由の多くが、家庭環境や認知能力など別の要因によるものだったらどうでしょう。
「待つ練習」だけを増やしても、同じ効果が得られるとは限りません。
ここはかなり大事です。
「ある特徴を持つ人の将来がよかった」ことと、「その特徴を鍛えれば将来がよくなる」ことは、同じではありません。
この2つは、似た顔をしているのでよく間違えます。
心理学界の双子のようなものです。
だからこそワッツたちは、より大きく、以前より多様な子どもたちのデータを使い、家庭背景や幼いころの認知能力、家庭環境なども考慮しながら、
「それでもなお、幼いころに待てた時間は15歳の成績や行動と関係するのか?」
を改めて調べました。
この論文の出発点は、
「マシュマロ・テストは間違っている!」
ではありません。
むしろ、
「マシュマロ・テストから、私たちはどこまで言えるのだろう?」
という、とても科学らしい問いです。
有名になった話を壊すためではなく、その輪郭をもう少し正確に描き直す。
マシュマロひとつに背負わせていた「未来を予測する力」を、いったんテーブルに下ろして、
「さて。本当のところはどうなんでしょう」
と調べ直した。
それが、ワッツたちの2018年の研究が始まった背景なのです。

研究方法:「待てた時間」と15歳の成績をどう比べた?マシュマロテストの研究方法
今回の研究でワッツたちが使ったのは、アメリカで子どもたちを長い期間追いかけてきた大規模な調査データです。
分析の対象になったのは、918人の子どもたち。
研究者たちは、この子どもたちが4歳半ごろだったときの「どれくらい待てたか」というデータと、その後、小学校1年生や15歳になったときの成績や行動を比べました。
つまり、ざっくり言えば、
「4歳ごろの“待てる力”は、10年以上あとにも関係しているの?」
を調べた研究です。
なかなか気の長い話です。
4歳児が目の前のお菓子と格闘している横で、研究者たちは心の中で、
「では15歳になったころ、もう一度会いましょう」
と言っていたわけです。
4歳半ごろ、「お菓子を待てるか」を調べた
子どもたちが約4歳半のとき、マシュマロ・テストに似た課題が行われました。
ただし、全員の前にマシュマロが置かれたわけではありません。
マシュマロやチョコレート菓子、動物型のクラッカーなど、その子が好きなお菓子を使いました。
子どもには、
「ここで待っていてね。7分待てたら、お菓子をもう少しもらえるよ」
と伝えます。
待てなくなった場合は、ベルを鳴らして大人を呼ぶことができます。
研究者たちは、
「何秒待つことができたか」
を記録しました。今回は最長7分までです。
ちなみに、よく知られている昔のマシュマロ・テストでは15~20分ほど待つ場合もありました。
今回の研究は、それをまったく同じ形でもう一度行ったわけではありません。
そのため著者たちも、この研究を「まったく同じ実験の再現」というより、**考え方を受け継いで確かめ直す“概念的な再検証”**として位置づけています。
その後、小学校1年生と15歳でどうなったかを調べた
では、「将来」は何を見たのでしょうか。
ここが大切です。
この研究で調べたのは、
「人生で成功したか」
という巨大な話ではありません。
主に見たのは、
学業成績と行動面です。
学業については、小学校1年生と15歳のときに、数学や読解に関するテストの結果を調べました。
また行動面については、不安や落ち込みなど内側に表れやすい問題や、攻撃的・反抗的な行動など外側に表れやすい問題について、主に母親からの回答を使って調べています。
つまり研究の骨組みは、
4歳半ごろにどれくらい待てたか
↓
小学校1年生や15歳の成績・行動と関係しているか
というものです。
ここまでは意外とシンプルですね。
でも、この研究の本当の腕まくりはここからです。
「待てた・待てなかった」だけでは比べなかった
もし単純に、
「長く待てた子のほうが15歳の成績がよかった」
という結果だけを見ると、
「やっぱり自制心って大事なんだ!」
となりそうです。
ところがワッツたちは、そこで分析を終えませんでした。
家庭の収入や母親の教育歴、家庭環境、子どもの性別や人種・民族的背景、さらに4歳半ごろの認知能力や行動面など、
将来の成績にも関係しそうなさまざまな条件を順番に考慮していった
のです。
イメージとしては、
最初に、
「マシュマロを待てた子ほど成績が高い?」
と調べる。
次に、
「でも家庭環境の違いを考えたら?」
さらに、
「幼いころの認知能力なども考えたら?」
と、一枚ずつ条件を重ねていった感じです。
これが、この研究の大きなポイントです。
とくに詳しく調べたのは552人の子どもたち
918人全体のデータを使っていますが、研究者たちが特に重点を置いて分析したのは、母親が大学を卒業していなかった552人の子どもたちでした。
これは、以前の有名なマシュマロ研究よりも幅広い家庭背景を持つ子どもたちについて確かめたかったことや、大学卒の母親を持つグループでは7分いっぱいまで待てた子がかなり多く、「誰がどれくらい待てたのか」という差を分析しにくかったことなどが理由です。
ここも、この研究を理解するうえでは大事です。
ただし、この918人が「アメリカの子ども全員をそのまま代表している」というわけではありません。
以前より多様なデータを使った研究ではありますが、万能な全国代表選手ではない。
この点は、結果を読むときにも覚えておいたほうがよいでしょう。
まとめると、今回の研究は、
4歳半ごろのお菓子を待つ時間
+
家庭環境や幼いころの能力
↓
小学校1年生・15歳の成績や行動
をまとめて分析した研究です。
ただ「マシュマロを何分我慢した?」を見るのではなく、
「その子がどんな背景を持っていたのかまで考えたうえで、それでも“待てる力”は将来と関係するのか」
を確かめた。
だからこそ、このあと出てくる結果が面白くなります。
さて。
家庭環境や幼いころの能力まで分析に入れてみると、あの有名な「待てる子ほど将来うまくいく」という関係は、どれくらい残ったのでしょうか。
いよいよ結果を見ていきましょう。

この研究でわかったこと:我慢できる子ほど成績が高い?家庭環境まで考えて見えたこと
さて、いよいよ結果です。
マシュマロを長く待てた子は、その後どうなったのでしょうか。
最初に結論をちらっと見せると、
「たしかに関係はあった。でも、“我慢できる子ほど将来どんどん有利になる”というほど単純ではなかった」
という結果になりました。
ここが、この研究のいちばん面白いところです。
最初の数字だけを見ると、
「やっぱりマシュマロ・テスト、当たってるじゃないか」
と思います。
ところが、研究者たちが家庭環境や幼いころの能力などを一つずつ分析に入れていくと、マシュマロの魔法がだんだん解けていきます。
最初は「長く待てた子ほど成績が高い」という関係が見えた
まず、比較的シンプルに分析すると、4歳半ごろに長く待てた子どもほど、15歳時点の学業成績が高い傾向がありました。
研究の中心となった、母親が大学を卒業していない家庭の子どもたちでは、4歳ごろに待てた時間が1分長くなるごとに、15歳の学業成績が約0.1標準偏差高くなる関係が見られました。
「標準偏差って何ですか」
という声が遠くから聞こえてきそうなので、ここでは細かい計算は横に置きましょう。
ざっくり言えば、
長く待てた子のほうが、あとになって成績も少し高い傾向があった
ということです。
ここだけを見ると、有名なマシュマロ・テストの物語とかなり似ています。
「ほら、やっぱり子どものころから我慢できることが大事なんだ」
となりそうです。
ところが研究者たちは、ここで帰り支度をしませんでした。
むしろ、ここからが本番です。
家庭環境などを考えると、関係はかなり小さくなった
次に研究者たちは、家庭背景や幼いころの認知能力、家庭環境などを分析に加えていきました。
するとどうなったか。
待てた時間と15歳の学業成績との関係は、約3分の1ほどの大きさまで縮まりました。
つまり、もともと見えていた関係のおよそ3分の2が小さくなったのです。
これはかなり重要な結果です。
なぜなら、
「マシュマロを待てる能力そのものが、その後の成績を強く予測していた」
と考えていたものの一部は、
実は、
「家庭環境の違い」
「幼いころからの認知能力の違い」
「家庭で得られる経験の違い」
などとも重なっていた可能性があるからです。
たとえば、
Aさんはマシュマロを長く待てて、その後の成績も高かった。
これだけなら、
「待てる力が成績につながった!」
と言いたくなります。
でも、Aさんは幼いころから言葉や数に触れる機会が多く、家庭も比較的安定していて、もともとの認知能力も高かったとしたらどうでしょう。
成績の違いを、全部マシュマロの手柄にするのは難しくなります。
マシュマロ、
「いや、僕だけじゃないです」
と記者会見を開きたくなるところです。
意外だったのは「長く待てば待つほど有利」ではなかったこと
そして、この研究にはさらに面白い結果があります。
普通に考えると、
「20秒待てる子より2分待てる子、2分より5分、5分より7分待てる子のほうが、どんどん将来の成績も高くなる」
と思いませんか?
なんとなく、
我慢時間が伸びるほど、未来ポイントも加算されていく
ようなイメージがあります。
ところが実際のデータは、そんなきれいな階段にはなっていませんでした。
15歳の成績との違いの多くは、
「少なくとも20秒ほど待てたかどうか」
のあたりで見られました。
20秒を超えたあと、
「さらに何分も長く待てたから、そのぶん成績もどんどん高くなる」
という強い関係は確認されなかったのです。
これはかなり意外です。
もしマシュマロ・テストが純粋な「自制心メーター」であり、その数値がそのまま将来を決めるなら、
長く待てれば待てるほど有利になるはずです。
でも、そうではありませんでした。
つまり、
7分待てた子が、2分待てた子より圧倒的に将来有利だったわけではない
ということです。
ここからも、「待てた時間=その子の将来を表す数字」と考えるのは難しいことが見えてきます。
行動面では、さらに関係がはっきりしなかった
では、成績ではなく行動面はどうだったのでしょうか。
たとえば、不安や落ち込みなどの問題や、攻撃的・反抗的な行動などです。
もし幼いころの「待てる力」が、その人の自己コントロール能力をかなり強く表しているなら、
「待てた子ほど、15歳になったときの行動上の問題も少ない」
という結果が出てもおかしくありません。
ところが実際には、
待てた時間と15歳の行動面との関係はかなり小さく、多くの場合では統計的にはっきりした関連が確認されませんでした。
ここも重要です。
「幼いころにマシュマロを我慢できる」
という一つの行動から、
「将来の感情の安定」
「問題行動の少なさ」
「自己コントロール全般」
まで全部説明できるわけではなかったのです。
マシュマロ・テストは、人間の心を丸ごとスキャンする機械ではありません。
そりゃそうですよね。
人間、そんなに一項目で終わりません。
いちばん意外なのは「マシュマロテストが間違いだった」ことではない
ここで少し注意したいことがあります。
この研究を、
「マシュマロ・テストは完全に否定された!」
と受け取るのも正確ではありません。
実際、幼いころに長く待てたことと、その後の学業成績との間には一定の関連が残っています。
ただ、その関連は以前の有名な研究で示されたものより小さく、家庭背景や幼いころの能力などを考えると、さらに小さくなりました。
だから、この研究が教えてくれたのは、
「マシュマロ・テストには何の意味もない」
ではありません。
むしろ、
「マシュマロ・テストだけに、そんなに重たい未来予測を背負わせなくてもいい」
ということなのだと思います。
ここが、個人的にはいちばん面白いところです。
私たちは人を見るとき、
「意志が強い」
「我慢が足りない」
「努力できる」
「誘惑に弱い」
と、本人の性格に理由を求めたくなります。
わかりやすいからです。
でも実際の人間は、もっと複雑です。
どんな家庭で育ったのか。
どんな教育を受けたのか。
どれくらい安心できる環境だったのか。
幼いころにどんな能力を身につけていたのか。
周囲からどんな支援を受けられたのか。
そうしたものが何層にも重なって、一人の人間の「行動」になります。
だから、
「待てたから成功した」
でも、
「待てなかったから将来が不利になった」
でもない。
研究結果が描いていたのは、そんな一直線の世界ではありませんでした。
子どもの未来は、マシュマロの前で何分座っていられたかだけでは決まらない。
むしろ、その小さな椅子のまわりには、家庭、能力、経験、教育、環境といった、目には見えないたくさんのものが一緒に座っていた。
この研究の結果が面白いのは、その存在を数字の向こう側から見せてくれたところなのです。

ここが面白い:「我慢できる=意志が強い」で終わらない、マシュマロテストの面白さ
この研究の面白さは、
「マシュマロを待てた子ほど、成績がよかった」
とか、
「家庭環境を考えると、その関係が小さくなった」
という数字だけではありません。
もっと面白いのは、
「そもそも、人の行動を“本人の性格”だけで説明していいのだろうか」
という問いが浮かび上がってくるところです。
たとえば、目の前のお菓子をすぐ食べた子どもを見て、
「この子は我慢ができない」
と思う。
ここまでは事実かもしれません。
でも、その次に、
「つまり意志が弱い」
「将来も誘惑に負けやすい」
「コツコツ努力するのが苦手そう」
と進んでいくと、だんだん話が大きくなってきます。
マシュマロを一個食べただけなのに、いつの間にか人生相談まで始まっています。
4歳児本人としては、
「いや、おなか空いてただけなんですけど」
と言いたいかもしれません。
マシュマロの前に座っていたのは「意志力」だけではない
ここで、この研究を思い出してみましょう。
家庭環境や幼いころの認知能力などを考慮すると、「どれくらい待てたか」とその後の成績との関係はかなり小さくなりました。
これを日常の言葉に訳すと、
マシュマロの前に座っていたのは、その子の“意志力”だけではなかった
ということです。
その子がそれまでどんな環境で育ってきたのか。
どんな言葉を聞いてきたのか。
どれくらい学ぶ機会があったのか。
大人との約束を信頼できる経験をしてきたのか。
もともとどれくらい考えたり理解したりする力が育っていたのか。
そうしたものも、その子の「待つ」という行動の後ろ側にいる可能性があります。
行動だけを見ると、
「待った」
「食べた」
の二択です。
でも、その一瞬の後ろには、その子が生きてきた数年間があります。
そう考えると、人間の行動って少し不思議です。
私たちが目にしているのは、その人の人生という長い映画の中の、ほんの数秒の場面なのかもしれません。
ところが私たちは、その数秒を見て、
「この人はこういう人だ」
と映画全体のレビューを書いてしまうことがあります。
ずいぶん気の早い映画評論家です。
「できない人」を見る目も少し変わってくる
この研究を大人の世界へ持ってくると、さらに面白くなります。
たとえば、
「片づけられない人」
「勉強を続けられない人」
「お金を貯められない人」
「仕事で集中できない人」
「ダイエットが続かない人」
を見たとき、私たちはつい、
「意志が弱い」
「だらしない」
「本人の努力不足」
という言葉を使いたくなります。
もちろん、本人の選択や努力がまったく関係ないわけではありません。
でも、それだけでしょうか。
疲れているのかもしれません。
やり方を知らないのかもしれません。
安心して取り組める環境がないのかもしれません。
周囲から必要な支援を受けられていないのかもしれません。
そもそも、その課題をこなすために必要な力を、まだ身につける機会がなかったのかもしれません。
ここで大切なのは、
「本人には責任がない」と全部環境のせいにすることでも、「全部本人次第」と言うことでもない
ということです。
人は本人と環境の間で生きています。
どちらか一方だけを見ても、人間という生き物はどうも収まりきりません。
この研究は、その当たり前だけれど忘れやすいことを、マシュマロという妙にかわいい小道具を使って思い出させてくれます。
「自制心がある人」をほめるときにも注意がいる
逆方向も同じです。
私たちは、何かを我慢できる人を見ると、
「意志が強い」
「自己管理ができている」
「ちゃんとした人だ」
と評価することがあります。
もちろん、それも一面では正しいでしょう。
でも、その人が努力しやすい環境にいることもあります。
たとえば、勉強に集中できる静かな部屋がある。
相談できる人がいる。
睡眠時間を確保できる。
生活がある程度安定している。
失敗してもやり直せる余裕がある。
こうした環境が整っていると、同じ人でもずいぶん「意志の強い人」に見えることがあります。
反対に、仕事、家事、介護、育児などで毎日ギリギリまで疲れている人に、
「誘惑に負けるな」
「もっと自己管理しよう」
と言うのは、少し話が違うかもしれません。
スマホの充電が3%しかないのに、
「もっと高性能に動いてください」
と言っているようなものです。
必要なのは根性の追加ではなく、まず充電器なのかもしれません。
人は「性格」というラベルより、もう少し立体的である
私は、この論文の面白さはここにあると思います。
人は、
「我慢できる人」
「我慢できない人」
という二種類に分けられるほど平らではありません。
同じ人だって、状況によって待てたり待てなかったりします。
余裕がある日なら我慢できる。
疲れている日はできない。
安心できる場所なら挑戦できる。
怖い場所では動けない。
応援してくれる人がいれば続けられる。
一人では途中で止まってしまう。
こういう揺れを見ていると、
「あなたは意志が弱い人です」
という説明が、ずいぶん雑に見えてきます。
人間はラベルではなく、環境の中で揺れながら生きている存在です。
そして、その環境が変われば、行動も変わる可能性があります。
ここには、少し救いもあります。
もし人生が4歳のときのマシュマロで決まってしまうなら、ずいぶん息苦しい話です。
「あのとき食べちゃったので、もう人生は決まりました」
では、たまったものではありません。
でも、この研究が示した世界はもっと複雑です。
家庭もある。
能力もある。
経験もある。
成長もある。
そして、途中で環境が変わることもある。
つまり、
人の未来には、あとから動かせる部分がたくさん残っている
と考えることもできます。
マシュマロテストは「未来予測」より「人間の複雑さ」を見せてくれた
マシュマロ・テストは長いあいだ、
「子どもの自制心から未来を予測する実験」
として語られてきました。
でも今回の研究まで含めて眺めてみると、私はむしろ逆のことを教えてくれる研究のように感じます。
人間の未来は、そんなに簡単には予測できない。
それは少し困ることでもあります。
科学としては、きれいな公式が出たほうが話は楽です。
「我慢する力 × 〇〇 = 将来の成功」
みたいな式が作れれば、説明書一枚で済みます。
でも人間は、どうやらそんなに素直に一枚の説明書へ収まってくれません。
そこが面倒で、そして面白いところなのでしょう。
マシュマロの前で待っている一人の子どもを見る。
その数分だけを見て未来を決めつけるのではなく、
「この子はどんな世界の中で、この選択をしているんだろう」
と考えてみる。
その視点は、子どもを見るときだけでなく、大人同士の人間関係にも、自分自身を見るときにも役立つ気がします。
「あの人は意志が弱い」
「私は根性がない」
そう言いたくなったときに、
「本当に性格だけの問題かな?」
と、ほんの少しだけ続きを考えてみる。
マシュマロ・テストを再検証したこの論文は、そんな小さな余白を、人を見る目の中につくってくれる研究なのだと思います。

私たちの生活にどう活かせる?:我慢できない自分を責める前に。意志力より環境を整えるという考え方
この研究を読んで、日常生活でいちばん使いやすい学びは何でしょうか。
私は、
「うまくできないとき、すぐに“意志が弱い”と決めつけない」
ということだと思います。
たとえば、
「勉強を続けたいのに、スマホを見てしまう」
「節約したいのに、つい買ってしまう」
「早く寝たいのに、動画をもう一本見てしまう」
「運動を始めたけれど、三日で止まった」
こんなこと、ありますよね。
そして、そんなとき私たちはかなりの確率で、
「自分って意志が弱いなあ」
と反省会を始めます。
しかもこの反省会、だいたい参加者は自分一人なのに、妙に厳しいです。
議長も自分。
検察官も自分。
判決は、
「もっとしっかりしなさい」
です。
でも、今回の研究を思い出すと、別の見方ができます。
本当に必要なのは、意志力を増やすことではなく、意志力を使わなくても済む環境をつくることかもしれません。
スマホを我慢するより、スマホを遠くに置く
たとえば、仕事や勉強に集中したいとします。
机の横にスマホを置いて、
「絶対に触らないぞ」
と耐える。
これは、自分の意志力とスマホが正面から腕相撲をしている状態です。
通知が光る。
少し気になる。
でも見ない。
また光る。
まだ我慢。
三回目。
「ちょっとだけなら……」
終了です。
こうなるくらいなら、最初からスマホを別の部屋に置いてしまったほうが楽です。
通知も切る。
SNSから一度ログアウトする。
作業時間だけアプリを使えなくする。
つまり、
「誘惑に勝つ」より、「誘惑と試合をしない」
わけです。
これは逃げではありません。
かなり立派な作戦です。
今回の研究は「スマホを遠ざければ集中できる」と直接証明した研究ではありません。
ただ、人の行動を本人の自制心だけで説明するのではなく、環境や背景まで見る必要があるという視点は、こうした日常の工夫にもつながります。
「続けられる人」になるより、「続けやすい仕組み」をつくる
習慣も同じです。
たとえば運動。
「毎日30分走るぞ!」
と決める。
一日目、30分。
二日目、30分。
三日目、雨。
四日目、残業。
五日目、
「今週はいろいろあったから、来週から本気出す」
見覚えのある景色です。
そこで、
「自分には根性がない」
と結論を出す前に、仕組みを変えてみます。
「毎日30分」ではなく、「帰宅したら5分だけ歩く」。
運動着は前の日に出しておく。
雨の日用に室内メニューを決める。
できなかった日の翌日に、罰として倍やらない。
こうすると、必要な意志力が減ります。
ポイントは、
「強い人間になる」より、「弱い日でも動ける仕組みをつくる」
ことです。
人間には元気な日もあります。
疲れている日もあります。
やる気満々の日もあれば、
「今日はもう布団が国です」
という日もあります。
毎日同じ自制心を出せる前提で生活を設計すると、かなり無理があります。
だったら、元気がない日でも続けられる大きさにしておく。
これは習慣を甘やかしているのではなく、人間という生き物の仕様に合わせているだけです。
「買わないぞ」より、買わなくて済む道をつくる
お金の使い方にも応用できます。
節約したいのに、ネット通販を開く。
おすすめ商品が出てくる。
「残り2点」
と書いてある。
知らなかったはずの商品なのに、突然、
「これを逃したら人生で二度と出会えないのでは」
という気持ちになります。
ネット通販、心の演出がうまいです。
ここでも、
「欲しい。でも我慢する!」
だけで勝負すると大変です。
そこで、
通販アプリをホーム画面から消す。
クレジットカード情報を登録しない。
欲しい物は24時間いったんお気に入りに入れる。
給料日に先取りで貯金する。
これなら、意志力が活躍する場面そのものを減らせます。
貯金できる人は、毎日札束を見ながら、
「使いたい……でも耐える……」
と修行しているわけではありません。
多くの場合、使う前に仕組みで分けているのです。
環境は、ときどき根性より仕事をします。
子どもや部下にも「もっと我慢して」で終わらせない
この研究の視点は、人との関わり方にも使えます。
子どもが宿題をしない。
部下が仕事を忘れる。
同僚が締め切りを守れない。
そんなとき、
「もっとちゃんとして」
「自制心を持って」
「やる気を出して」
と言いたくなることがあります。
もちろん、本人が責任を持つことは大切です。
でも、それだけで改善しないなら、
「なぜできないのか」ではなく、「どうすればできる条件になるのか」
と考えてみる価値があります。
宿題なら、
どこでやるのか。
何時からやるのか。
量が多すぎないか。
わからないところで止まっていないか。
仕事なら、
指示が曖昧ではないか。
締め切りが見える形になっているか。
作業の順番がわかるか。
相談しやすいか。
「ちゃんとして」という言葉は便利ですが、かなり抽象的です。
環境を見ると、もう少し具体的な支援ができます。
自分に対しても「性格」ではなく「条件」を見る
そして、いちばん使ってほしいのは、自分を見るときです。
何かが続かなかった。
誘惑に負けた。
今日もうまくできなかった。
そんなとき、
「私はダメな人間だ」
まで話を広げなくていい。
代わりに、
「今日は、何がやりにくかったんだろう?」
と考えてみる。
眠れていなかった?
予定を詰め込みすぎた?
目標が大きすぎた?
誘惑が近すぎた?
やり方が曖昧だった?
一人で抱えすぎた?
こうやって「性格の裁判」から「条件の点検」に切り替えるだけで、次にできることが見えやすくなります。
「私は意志が弱い」
で終わると、改善策はだいたい、
「もっと頑張る」
しかありません。
でも、
「帰宅後は疲れていて、スマホが目の前にあると勉強が止まる」
まで具体的になれば、
「朝10分やる」
「スマホを玄関に置く」
という対策が出てきます。
問題が具体的になると、解決策も具体的になります。
もちろん「何でも環境のせい」という話でもない
ここは大事なので、少しだけブレーキをかけておきます。
今回の研究から、
「本人の自制心は関係ない」
「努力なんて必要ない」
「できないのは全部環境のせい」
とまでは言えません。
研究でも、待てた時間と後の成績との関連が完全になくなったわけではありませんでした。
そして何より、この研究は、
「こういう環境づくりをすれば人生が改善する」
と直接確かめた介入研究ではありません。
なので、
意志力か環境か、どちらか一方を選ぶ話ではない
と考えたほうがいいでしょう。
本人の力も大切。
環境も大切。
その両方を見る。
たぶん、それくらいが人間にはちょうどいいのです。
「もっと強くなれ」から「少しやりやすくできない?」へ
この研究を日常生活に持ち帰るなら、私はこの一言にまとめたいです。
何かがうまくできなかったとき、
「もっと意志を強くしなきゃ」
の前に、
「もう少し、やりやすい環境にできないかな?」
と考えてみる。
スマホを遠ざける。
予定を小さくする。
誘惑を減らす。
先に仕組みをつくる。
助けを借りる。
休む。
やることを一つに絞る。
どれも地味です。
人生を変える秘密兵器には見えません。
でも、人間の暮らしは案外、こういう地味な配置換えで動きます。
机を5センチ動かす。
通知を一つ切る。
明日の服を置いておく。
そんな小さな工夫が、「意志の弱い私」を責め続けるより役に立つことがあります。
マシュマロを前にして、
「もっと強い人にならなくちゃ」
と歯を食いしばる必要はありません。
ときには、マシュマロを視界からどければいい。
人生には、そういう攻略法があってもいいのだと思います。

少し注意したい点:マシュマロテストは否定された?この研究だけでは言い切れないこと
ここまで読むと、
「なるほど。じゃあマシュマロ・テストって、結局あんまり意味がなかったんだね」
と思うかもしれません。
でも、ここで勢いよくマシュマロ・テストをゴミ箱に投げるのは、少し早いです。
今回の研究が示したのは、
「マシュマロ・テストは間違いだった」
ということではありません。
もっと正確に言えば、
「幼いころに待てた時間だけで、その後の成績や行動を強く説明するのは難しそうだ」
ということです。
この二つ、似ているようでかなり違います。
心理学の研究を読むときには、この「どこまで言えるのか」の境界線がとても大切になります。
「関係が小さくなった」=「まったく関係ない」ではない
まず覚えておきたいのは、家庭背景や幼いころの能力などを考慮しても、待てた時間と学業成績との関連が完全にゼロになったわけではないことです。
関連はかなり小さくなりました。
でも、
「自制心なんて人生にまったく関係ありません」
と証明されたわけではありません。
ここをゼロか100かで考えると、研究結果が別人になってしまいます。
今回の研究が言っているのは、
「自制心がすべてです!」
でもなく、
「自制心なんてどうでもいいです!」
でもありません。
むしろ、
「自制心だけに全部説明してもらうのは、ちょっと荷が重かったみたいです」
くらいが近いでしょう。
マシュマロにも、できる仕事とできない仕事があります。
未来予測まで担当させるのは、さすがに業務範囲が広すぎました。
家庭環境を考慮したからといって、「家庭環境が原因」と決まったわけでもない
もうひとつ、とても大切な注意点があります。
今回の研究では、家庭背景や幼いころの認知能力、家庭環境などを統計的に考慮すると、マシュマロを待てた時間と将来の成績との関連がかなり小さくなりました。
すると、
「じゃあ結局、家庭環境がすべてだったんだ」
と言いたくなるかもしれません。
でも、それも少し飛躍しています。
統計的にある条件を考慮したところ関係が小さくなったからといって、
「その条件こそが原因だった」
と証明されたわけではありません。
たとえば、
「傘を持っている人ほど道路がぬれている」
という関係を見つけたとしても、
「傘が道路をぬらした」
とは限りません。
その後ろに「雨」があるかもしれない。
心理学でも同じです。
家庭の収入、親の教育歴、幼いころの能力、家庭での経験。
こうしたものは、それぞれ独立してポツンと存在しているわけではなく、互いに複雑につながっています。
だから、
「マシュマロ・テストではなく、真犯人は家庭環境でした!」
と探偵ドラマのように一人を逮捕することはできません。
人間の発達は、だいたい共犯関係が複雑すぎます。
そもそも今回の「マシュマロテスト」は、有名な実験とまったく同じではない
ここも忘れたくないところです。
今回の研究で使われた課題は、昔の有名なマシュマロ・テストと完全に同じものではありません。
子どもたちが待つ時間は最大7分でした。
一方、初期のマシュマロ研究では、もっと長い時間待つ条件も使われています。
つまり今回の研究は、
昔の実験をコピー機でそのまま複製したような「完全な再現」ではなく、
同じ考え方を別のデータや方法で確かめ直した研究
です。
論文タイトルにも「概念的追試」という意味の言葉が入っているのは、そのためです。
そして、この「最大7分」という上限には少し困った点がありました。
とくに母親が大学を卒業している家庭の子どもでは、7分いっぱいまで待てた子が多くいました。
すると、
「7分待った子」と「本当なら12分待てたかもしれない子」
の違いがわかりません。
全員がゴールテープのところに集まってしまうので、それ以上の差を測れないわけです。
研究者たち自身も、この7分という上限を研究上の弱点として挙げています。
918人は大きな前進。でも「すべての子ども」の話ではない
今回の研究では918人のデータが使われ、以前の有名な追跡研究よりも大きく、多様なサンプルを扱うことができました。
これは重要な進歩です。
ただし、
918人調べた=世界中のすべての子どもに当てはまる
ではありません。
研究対象になったのは、特定の時代のアメリカで育った子どもたちです。
文化が違えば、子育ても違います。
学校制度も違います。
家庭環境も違います。
「待つ」という行動そのものの意味も、文化や状況によって少し変わる可能性があります。
ですから、
「日本の4歳児にもまったく同じ結果になります」
とまでは、この研究から言えません。
研究結果には、いつも住所があります。
「人間なら全員ここに住んでいます」という研究は、なかなかありません。
マシュマロを待つ課題が「自制心そのもの」なのかも考える必要がある
もう一つ、個人的にとても重要だと思うのがここです。
マシュマロ・テストでは、
「目の前のお菓子をどれくらい待てたか」
を測ります。
でも、それをそのまま、
「この子の自制心の強さ」
と呼んでよいのでしょうか。
たとえば、その日の空腹具合は違います。
お菓子がどれくらい好きかも違います。
実験している大人をどれくらい信頼しているかも違うでしょう。
「本当にあとでもう一個もらえるのかな?」
と思っていたら、早めに食べることが合理的な場合だってあります。
つまり、マシュマロの前で待つという行動には、
自制心だけではなく、
状況判断、信頼、経験、理解力、気分など、さまざまなものが混ざっている可能性があります。
だから、
「待てた時間=その人の自制心を100%表す数字」
と考えるのも慎重になったほうがよいでしょう。
体温計のように「あなたの自制心は36.7です」と測れるわけではありません。
人の心の測定器は、たいていもう少しクセがあります。
研究者によって「何を考慮するべきか」という議論もある
さらに面白いことに、この研究については、その後の研究者たちから議論も出ています。
今回の研究では、幼いころの認知能力や家庭環境などを分析に入れることで、マシュマロを待てた時間と将来との関連がかなり小さくなりました。
でも、
「その変数、本当に全部“取り除くべき別の要因”なの?」
という疑問もあります。
たとえば、言葉を使って考える力や注意をコントロールする力などは、「待つ力」と完全に別物ではなく、自制心を支えている一部分かもしれません。
もしそうなら、それらを全部統計的に取り除いてしまうと、
本来知りたかった「待てる力」の一部まで一緒に取り除いてしまう可能性があります。
実際、その後には同じデータを別の方法で分析して、異なる結論を示した研究もあります。
ここが科学の面白いところです。
ひとつの論文が出て、
「答えが出ました。閉店です」
とはなりません。
別の研究者が、
「その分析方法でいいの?」
「別の見方をしたらどうなる?」
とやってきます。
そして少しずつ、私たちの理解が精密になっていきます。
科学は完成した地図というより、みんなで何度も描き直している地図に近いのかもしれません。
この論文から「子どもの自制心を鍛えても意味がない」とも言えない
そして、もう一つ気をつけたいのが教育への応用です。
今回の研究では、幼いころに待てた時間と後の成績との関係が、家庭背景などを考慮するとかなり小さくなりました。
だからといって、
「自制心を育てても意味がない」
とは言えません。
この研究は、
「子どもの自制心を高める教育をしたグループ」
と、
「何もしなかったグループ」
を比べた実験ではないからです。
つまり、
自制心を育てる働きかけに効果があるかどうかを直接調べた研究ではありません。
ここはかなり重要です。
「自制心の高い子と低い子を比べた研究」と、
「自制心を実際に高めて、その後どうなるか調べた研究」
は別物です。
ですから今回の結果から言えるのは、
「4歳ごろのマシュマロ・テストの成績だけを見て、将来を強く予測するのは難しい」
くらいまでです。
そこから、
「自制心教育は意味がない」
までジャンプすると、少し遠くへ飛びすぎています。
結局、この研究をどう受け取ればいいのか
ここまで注意点を並べると、
「じゃあ結局、何を信じればいいの?」
となるかもしれません。
でも、たぶんそれでいいのです。
研究を読む目的は、
「絶対に正しい答えを一個もらうこと」
ではありません。
今までより少し正確に世界を見ること
です。
以前は、
「マシュマロを我慢できる子は、将来成功しやすい」
という、とてもわかりやすい物語がありました。
今回の研究はそこに、
「家庭背景も関係しているかもしれません」
「幼いころの能力も考えたほうがよさそうです」
「待つ時間が長ければ長いほど有利というわけでもなさそうです」
「行動面との関係はそれほどはっきりしませんでした」
と、いくつもの注釈を加えました。
物語は少し複雑になりました。
でも、そのぶん人間の現実に近づいたとも言えます。
科学の記事で大切なのは、
「マシュマロ・テストは正しかった!」
でも、
「マシュマロ・テストは完全に間違っていた!」
でもありません。
その間にある、
「どこまでは言えそうで、どこから先はまだわからないのか」
を丁寧に眺めることです。
人生も研究も、白黒だけでは少し味気ない。
マシュマロは白いですが、その研究結果まで真っ白とは限らないのです。

まとめ:「我慢できる子は成功する」で終わらない。マシュマロテスト再検証の結論
マシュマロ・テストの話は、とても覚えやすいです。
「目の前のお菓子を我慢できた子ほど、将来うまくいきやすい」
たった一文で説明できます。
だからこそ、広まりやすかったのでしょう。
でも、2018年のワッツたちの研究は、そのきれいな一文に少しだけ待ったをかけました。
実際、幼いころに長く待てた子ほど、その後の学業成績が高い傾向は見られました。
ただし、家庭背景や幼いころの認知能力、家庭環境などを考慮すると、その関係はかなり小さくなりました。
さらに、
「長く待てれば待てるほど、将来どんどん有利になる」
という単純な関係でもありませんでした。
行動面についても、待てた時間とのはっきりした関連はそれほど強くありませんでした。
つまり、この研究から見えてきたのは、
「我慢する力は関係ない」ではなく、「我慢する力だけでは説明できない」
ということです。
ここは、似ているようで大きく違います。
マシュマロ・テストは「人生の合否判定」ではなかった
もしマシュマロ・テストが未来をかなり正確に予測するものだったら、ちょっと怖いですよね。
4歳のときにお菓子を食べてしまった瞬間、
「はい、あなたは将来不利です」
と未来の通知表にハンコを押される。
そんな制度があったら、4歳児には荷が重すぎます。
でも幸い、人間の未来はそこまで単純ではありません。
子どもの成長には、
家庭環境もあります。
学ぶ機会もあります。
もともとの能力もあります。
周囲から受ける支援もあります。
その後の経験もあります。
そして、人は成長の途中で変わります。
だから、
「幼いころに待てなかった」
という一つの行動を、その人の未来そのものと結びつける必要はありません。
マシュマロ・テストは、その瞬間の行動について何かを教えてくれるかもしれません。
でも、人生の最終結果まで印刷してくれるレシートではないのです。
人を見るとき、「性格」だけに話を集めすぎない
この研究を読んでいると、マシュマロの話を超えて、日常生活にも思い当たることが出てきます。
「あの人は意志が弱い」
「私は根性がない」
「続けられないのは性格の問題だ」
私たちは、うまくいかない理由を本人の中へ集めるのが得意です。
たしかに、本人の選択や努力は大切です。
でも、それだけで人間の行動はできていません。
疲れているのかもしれない。
不安が強いのかもしれない。
やり方がわからないのかもしれない。
誘惑が多すぎるのかもしれない。
助けを借りられない環境なのかもしれない。
そう考えると、
「もっと頑張れ」
という一言しかなかったところに、
「どうしたら、もう少しやりやすくなるだろう」
という別の問いが生まれます。
この違いは小さく見えますが、かなり大きいです。
「頑張れ」は本人を変えようとします。
「やりやすくするには?」は、本人と環境の両方を見ます。
人間という生き物には、後者のほうが効く場面もたくさんあります。
「成功する人の秘密」を探すより、条件を見る
世の中には、
「成功する人は○○している」
という話がたくさんあります。
朝5時に起きる。
毎日本を読む。
誘惑を我慢する。
目標を紙に書く。
どれも役に立つことはあるでしょう。
でも、
「成功している人にこの特徴があった」
ことと、
「その特徴さえ身につければ成功できる」
ことは同じではありません。
これはマシュマロ・テストの話にも通じます。
待てた子ほど成績がよかった。
でも、
「だから待つ力を鍛えれば、同じように成績が上がる」
とまでは言えません。
その背景には、別の条件も混ざっているかもしれないからです。
人間の成長を見るときは、
「この人は何を持っているか」
だけではなく、
「この人は、どんな条件の中でそれをできているのか」
を見る。
今回の研究は、そんな視点の大切さも教えてくれます。
科学は「正解をひっくり返す」より、少しずつ輪郭を細かくする
今回の研究を、
「有名なマシュマロ・テストは間違いだった!」
と紹介すると、たしかに刺激的です。
でも、実際はもう少し穏やかな話です。
昔の研究で、
「待てる子ほど、その後の結果がよい傾向がある」
という興味深い発見があった。
そして後の研究で、
「家庭背景などを考えると、その関係は思ったより小さいかもしれない」
とわかった。
さらに今後の研究で、
「では、どの条件がどれくらい関係しているのか」
が細かく調べられていく。
これが科学です。
昨日までの教科書を燃やして、新しい教科書を置く。
というより、
昨日までの地図に、
「ここ、実は山じゃなくて丘でした」
「この道、もう一本ありました」
と書き足していく感じです。
地味ですが、そのほうが世界は正確になります。
未来は、ひとつのマシュマロでは決まらない
この記事の最後に、一番シンプルな言葉へ戻るなら、
子どもの未来は、ひとつのマシュマロで決まりません。
待てたことには意味があるかもしれない。
でも、待てなかったことですべてが決まるわけでもない。
人は家庭の中で育ち、学校で学び、誰かと出会い、失敗し、助けてもらい、ときには環境を変えながら成長していきます。
そして大人になってからだって、変わり続けます。
だから、自分自身についても、
「私は意志が弱いから」
「昔から続かない人だから」
と、早めに判決を出さなくてもいいのだと思います。
性格を責める前に、条件を見てみる。
根性を増やす前に、やりやすい仕組みを考えてみる。
誰かの行動を見たときも、
「この人はこういう人だ」
で閉じる前に、
「この人は、どんな状況の中でこうしているんだろう」
と少しだけ想像してみる。
マシュマロ・テストを再検証したこの研究が最後に残してくれるのは、そんな人間の見方なのかもしれません。
人は、一回の我慢で決まらない。
一回の失敗でも決まらない。
ましてや、4歳のころにマシュマロを食べたくらいで、未来が閉店することなんてありません。
人生は、もう少し長くて、複雑で、途中から書き換えられる物語です。

あとがき
この論文を読んでいて、私は途中からマシュマロのことをあまり考えなくなりました。
いや、最初はちゃんと考えていたんです。
「なるほど、4歳のころに何分待てたかを調べたのか」
「家庭環境を入れると関連が小さくなるのか」
「へえ、20秒あたりにひとつ境目があったのか」
と、わりと真面目に読んでいました。
ところが、読み進めるうちに頭に浮かんできたのは、
「人って、ずいぶん簡単に人を決めつけるよなあ」
ということでした。
マシュマロをすぐ食べた子を見て、
「我慢ができない子」
と言う。
そこから、
「意志が弱い」
「将来も苦労するかもしれない」
と話を広げていく。
たった数分の行動から、その子の人生全体にまで話が飛んでしまいます。
人間の想像力、こういうところでは妙に働き者です。
「この人はこういう人だ」と言いたくなる私たち
考えてみると、大人の世界でも似たことをよくやっています。
仕事が遅い人を見ると、
「要領が悪い人」
返事が遅い人を見ると、
「だらしない人」
飲み会に来ない人を見ると、
「付き合いの悪い人」
何かを続けられない自分に対しては、
「自分は根性がない」
と決めつける。
人間を理解するとき、私たちはすぐに「性格」という便利な箱へ入れたくなります。
箱に入れると、わかった気になれるからです。
でも、本当はその人が、
昨夜ほとんど眠れていなかったのかもしれない。
家で大きな悩みを抱えているのかもしれない。
その仕事の説明を十分に受けていないのかもしれない。
これまで失敗を責められすぎて、動くことそのものが怖くなっているのかもしれない。
そういう背景は外から見えません。
見えるのは、
「遅い」
「やらない」
「続かない」
という行動だけです。
だから私たちは、見えるものだけでストーリーを作ってしまう。
この論文は、そのストーリーに対して、
「その話、もう少し登場人物がいるかもしれませんよ」
と言ってくれているように感じました。
私は「意志が弱い」という言葉を使いすぎてきた気がする
個人的には、この論文を読んでいて少し反省もしました。
私はたぶん、自分自身に対して、
「意志が弱い」
という言葉をかなり雑に使ってきました。
やろうと思ったことができなかった。
予定どおり進まなかった。
疲れて何もできなかった。
するとすぐに、
「もっとしっかりしないとな」
となる。
でも、
「今日はそもそも余力があったのか」
「目標が大きすぎなかったか」
「やりやすい環境になっていたか」
というところまでは、あまり考えていなかった気がします。
自分に向かって、
「頑張れ」
とは言う。
でも、
「頑張りやすくするにはどうすればいい?」
とは、あまり聞いてこなかった。
これはずいぶん違う問いです。
前者は、自分の中から何かを絞り出そうとします。
後者は、自分の周りまで見渡します。
私はこの論文を読んでから、後者の問いをもう少し大切にしたいと思うようになりました。
マシュマロを食べた4歳児に、少し肩入れしたくなる
それにしても、マシュマロ・テストという名前は強いですね。
映像がすぐ浮かびます。
小さな子どもが椅子に座って、目の前のお菓子をじっと見ている。
触る。
離す。
匂いをかぐ。
また見る。
そして、
食べる。
この瞬間だけ切り取ると、
「ああ、我慢できなかった」
となります。
でも私は今回の論文を読んでから、この「食べちゃった子」に少し肩入れしたくなりました。
いいじゃないか。
4歳だぞ。
マシュマロだぞ。
目の前に置くほうも、なかなかのことをしているぞ。
そんな気持ちになります。
もちろん実験としてはとても意味があります。
でも、その結果を見て、
「この子は自制心が弱い」
「将来が心配」
とまで言ってしまうのは、やっぱり少し違う。
未来というものは、もっと途中でいろいろ起きます。
先生に出会う。
友達に出会う。
失敗する。
何かを好きになる。
環境が変わる。
誰かに助けてもらう。
自分でも知らなかった力が出てくる。
人生は、4歳の一場面だけで完結する短編ではありません。
ものすごく長い連載です。
しかも、ときどき作者本人も展開を知らないまま進みます。
「成功する人の特徴」という話が少し苦手になった
私は以前から、
「成功する人には共通点がある」
という話を読むと、少しだけモヤモヤすることがありました。
もちろん、参考になることはあります。
朝早く起きる。
本を読む。
運動する。
目標を持つ。
我慢する。
どれも役に立つかもしれません。
でも、そういう話を聞いていると、ときどき、
「では、それができない人は?」
と思うんです。
環境が違う人。
体力が違う人。
育った条件が違う人。
使える時間が違う人。
助けてもらえる量が違う人。
そういう違いまで全部まとめて、
「成功する人はこれをやっています」
と言われると、ちょっと待ってくれ、となる。
今回の研究は、その違和感にかなり近いものを数字で見せてくれました。
「待てる子はその後の成績が高かった」
それだけなら、きれいな話です。
でも、
「家庭背景などを入れると関連はかなり小さくなりました」
と続く。
私はこの二行目が好きです。
科学って、たまにこういうことをしてくれます。
きれいすぎる話に、
「ちなみにですね」
と注釈を入れてくれる。
この「ちなみに」が、とても大事なんだと思います。
人間は、できれば単純であってほしくない
人間が複雑だということは、面倒です。
「これをすれば必ずこうなる」
と言えない。
「このタイプの人はこうだ」
とも言い切れない。
検索するときは、もっと簡単な答えがほしくなります。
私もそうです。
「どうすれば幸せになれる?」
「どうすれば続けられる?」
「どうすれば不安が減る?」
できれば3行くらいで答えがほしい。
しかも今日から効いてほしい。
でも人間について調べれば調べるほど、
「場合によります」
が増えていきます。
これは、検索者泣かせです。
でも私は最近、
この「場合によります」が、少し好きになってきました。
それは、
人間にはまだ余白がある
ということでもあるからです。
もし、
「4歳の自制心で将来の大部分が決まります」
と言われたら、人生はずいぶん閉じています。
でも、
「家庭環境もあります」
「能力もあります」
「経験もあります」
「その後も変わります」
と言われると、
まだページが残っている感じがする。
私はそちらのほうが好きです。
「アドラーの昼寝」で論文を読む理由
このサイトで心理学の論文を紹介していると、ときどき、
「こんな難しい研究を、一般の人が読む意味って何だろう」
と思うことがあります。
別に統計手法を覚える必要はありません。
論文タイトルを暗記する必要もありません。
研究者の名前を覚えなくても、明日の生活にはたぶん困りません。
それでも論文を読む意味があるとしたら、
自分が当たり前だと思っている見方を、少しだけ揺らしてくれること
なのだと思います。
「我慢できる人は意志が強い」
そう思っていた。
でも、
「環境も関係しているかもしれない」
という研究を読む。
すると次に誰かが失敗したとき、
「この人はダメだ」
と言う前に、
「何かやりにくい条件があるのかな」
と考えられるかもしれない。
自分が何かを続けられなかったときも、
「また私はダメだった」
ではなく、
「仕組みを変えたほうがいいかな」
と思えるかもしれない。
この数秒の違いのために、論文を読む意味があるのではないでしょうか。
世界そのものは変わらなくても、
世界を見る角度が2度くらい変わる。
2度なんて小さく見えます。
でも遠くまで歩けば、着く場所はかなり変わります。
最後に、マシュマロを食べてしまったすべての人へ
今回の論文を読み終えて、最後に残ったのは、
「一回の行動で、人の未来を決めないでおこう」
という気持ちでした。
子どもにも。
他人にも。
そして自分にも。
我慢できなかった日があった。
続けられなかった。
逃げた。
怠けた。
誘惑に負けた。
そんな日だけを取り出して、
「これが私です」
と名札をつけなくてもいい。
人には、その前があります。
その後もあります。
環境もあります。
成長もあります。
助けてもらうこともあります。
やり直すこともあります。
だから、もし4歳のあなたがマシュマロを食べてしまっていたとしても、
大丈夫です、と簡単には言いません。
人生にはいろいろありますから。
ただ、少なくともひとつだけ言えるのは、
その一個で、あなたの物語は決まっていません。
マシュマロは食べたらなくなります。
でも人生の続きは、まだ残っています。
それくらいの余白を、自分にも他人にも残しておきたい。
今回の論文を読みながら、私はそんなことを考えました。

制作ノート
出典論文:Watts, T. W., Duncan, G. J., & Quan, H. (2018). Revisiting the Marshmallow Test: A Conceptual Replication Investigating Links Between Early Delay of Gratification and Later Outcomes. Psychological Science, 29(7), 1159–1177. SAGE Publications. DOI:10.1177/0956797618761661
掲載・確認先:PubMed / PubMed Central(PMC) / SAGE Journals / Google Scholar
記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。
制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。




