子どもが我慢できないのはなぜ?マシュマロ実験でわかった注意と自制心のしくみ

子どもが我慢できないのはなぜ?マシュマロ実験でわかった注意と自制心のしくみ
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待てる子と待てない子、その違いは根性だけじゃない

『「子どもは『今すぐ』を我慢できる? ごほうびを待つ力から見える自己コントロールの発達」』ウォルター・ミシェル、正田佑一、モニカ・ラレア・ロドリゲス(1989)

Mischel, W., Shoda, Y., & Rodriguez, M. L. (1989). Delay of gratification in children. Science, 244(4907), 933–938. DOI:10.1126/science.2658056

「ちゃんと我慢しなさい」

子どものころ、一度くらいは言われたことがある人も多いのではないでしょうか。

お菓子はご飯のあと。
ゲームは宿題のあと。
欲しいものがあっても、今すぐ全部は買えない。

世の中というのは、なかなかどうして「ちょっと待ってください」が多い場所です。

そして大人になってからも、それはあまり変わりません。

「今日は疲れたから、運動は明日から」
「貯金したいけど、このセールだけは見逃せない」
「仕事しなきゃ。でも、その前に動画を一本だけ……」

はい、その“一本だけ”が三十分になるやつです。

こうして考えると、我慢する力、自分をコントロールする力というのは、子どもだけの問題ではありません。

私たちは毎日のように、

「今すぐ欲しい」

と、

「少し待ったほうがいい」

のあいだを行ったり来たりしています。

では、ここで素朴な疑問が出てきます。

我慢できる人と、我慢できない人。
いったい何が違うのでしょうか。

「そりゃあ、意志の強さでしょう」

そう思いたくなります。

根性がある人は待てる。
根性がない人は待てない。

なんとなく話としてはきれいです。

でも、人の心というものは、そんなに一本線ではありません。

もし本当に根性だけですべて決まるなら、「我慢しなさい」と言えば問題終了です。

しかし現実には、

「我慢しなさい」

「はい、わかりました」

で人類の誘惑問題が解決した気配は、今のところありません。

マシュマロを前にした子どもたち

この「待つ力」を有名な形で研究したのが、心理学者ウォルター・ミシェルたちです。

研究では、子どもの前に魅力的なお菓子を置き、

「今すぐ食べてもいい。でも、少し待てたら、もっともらえるよ」

という状況をつくりました。

有名な、いわゆる「マシュマロ・テスト」です。

想像してみてください。

目の前にお菓子があります。

しかも、

「食べるな」

ではありません。

「食べてもいいよ。でも待ったら、もっといいことがあるよ」

と言われる。

これはなかなか残酷です。

お菓子側からすると、

「私はここにいますけど?」

という顔でずっと座っています。

子どもはその誘惑と向き合いながら、待つか、食べるかを選ばなければなりません。

ところが、ミシェルたちの研究が面白いのは、単に

「我慢できた子は偉い」

で終わらなかったところです。

研究者たちは、

「待てた子は、いったい何をしていたんだろう?」

と考えました。

ここから話がぐっと面白くなります。

待てる子は、ずっと我慢していたわけではない

実は、上手に待てる子どもたちは、誘惑と正面からにらめっこし続けていたわけではありません。

目をそらしたり。
別のことを考えたり。
歌を歌ったり。
手で目を覆ったり。
お菓子そのものを、少し違った見方で捉えたり。

つまり、

「食べたい。食べたい。でも我慢。我慢。我慢……!」

と歯を食いしばるだけではなく、

そもそも心のスポットライトを、誘惑から少し外していたのです。

これは、大人にとってもかなり示唆的です。

ダイエット中にケーキを目の前へ置いて、

「私は強い。私は強い。私は強い」

と唱え続けるより、

そもそもケーキ売り場から離れたほうがいい。

スマホを我慢したいなら、机の真ん中に置いて通知をピカピカさせながら精神修行をするより、少し離れた場所へ置いたほうがいい。

人間の自制心というのは、どうやら「根性の筋肉」だけでできているわけではなさそうなのです。

「我慢できるか」より、「どう待つか」

1989年にウォルター・ミシェル、正田佑一、モニカ・L・ロドリゲスが発表した『Delay of Gratification in Children』は、こうした子どもの「満足を先延ばしにする力」について、それまでの研究を整理しながら、その仕組みを考えた重要な論文です。

この研究から見えてくるのは、

「我慢できる人と、できない人がいる」

という単純な二分法ではありません。

もっと面白いのは、

人は、注意の向け方や考え方によって、誘惑との距離を変えられることがある

という点です。

つまり、

「自分は意志が弱い」

と決めつける前に、

「いま、自分は誘惑をどう見ているんだろう?」

「ずっと頭の中で、そればかり考えていないだろうか?」

と考えてみる余地があるのです。

これは子育ての話でもありますし、勉強や仕事、貯金、ダイエット、スマホ、習慣づくりにもつながっていく話です。

私たちはつい、我慢できない自分を見つけると、

「もっと強くならなきゃ」

と思います。

でも、もしかすると必要なのは、

心に竹刀を持たせて特訓することではなく、

誘惑との付き合い方を少し変えることなのかもしれません。

この論文を読みながら、

「我慢とは、歯を食いしばることなのか」

それとも、

「上手に心の視線を動かすことなのか」

一緒に考えていきましょう。

マシュマロ一個の向こう側には、意外と奥行きのある人間の心が待っています。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文をひとことで言うと

この論文を、ものすごく簡単にひとことで言うなら、

「我慢する力は、根性だけではなく、“何に注意を向けるか”でかなり変わる」

という研究です。

「えっ、我慢って精神力の勝負じゃないの?」

と思いますよね。

たしかに私たちは、我慢できる人を見ると、

「意志が強いなあ」
「自制心があるなあ」
「自分にはあの根性がないんだよなあ」

と考えがちです。

でも、ミシェルたちの研究を見ていくと、話はもう少し人間くさい。

目の前に魅力的なお菓子がある。

食べたい。

でも、待てばもっともらえる。

このとき上手に待てた子どもは、誘惑を真正面から見つめて、

「我慢だ! 我慢だ! 我慢だ!」

と心の中で腕立て伏せをしていたわけではありません。

むしろ、

目をそらす。
別のことを考える。
歌う。
遊びをつくる。
お菓子を「おいしそうな食べ物」としてではなく、少し違った見方で捉える。

そんなふうに、誘惑から心の注意を少し遠ざける工夫をしていました。

ここが、この論文のおもしろいところです。

自制心とは「耐える力」だけではない

自制心という言葉を聞くと、私たちはつい「じっと耐える力」を想像します。

でもこの研究から見えてくるのは、

自制心には「誘惑をどう扱うか」という工夫も含まれている

ということです。

たとえば、机の上にスマホを置いて、

「絶対に触らないぞ」

と決意する。

でも通知が光る。

また光る。

画面の端に新着メッセージが見える。

この状態で一時間集中できたら、かなりの精神修行です。

一方で、スマホを別の部屋に置いてしまえば、同じ一時間でも難易度はぐっと下がります。

つまり、

「私は意志が弱い」

だけで片づけなくてもいい。

もしかすると問題は、

誘惑が強すぎる場所で、ずっと誘惑を見つめながら戦っていること

かもしれないのです。

これは、かなり救いのある見方だと思います。

「待てる人」と「待てない人」を分けるだけの研究ではない

マシュマロ・テストは有名なので、

「我慢できる子は将来成功する」

という話だけが一人歩きすることがあります。

でも、この論文のおもしろさは、そんな単純な勝ち組・負け組の仕分けではありません。

むしろ重要なのは、

「どうすれば、人は目の前の誘惑とうまく距離をとれるのか?」

という問いです。

そして、その答えのひとつとして、

注意の向け方や、頭の中での考え方を変えること

が見えてきた。

ここに、この研究の価値があります。

「意志が弱いなら鍛えろ」

ではなく、

「そもそも、その誘惑の置き方や見方を変えられない?」

と考える。

これはずいぶんやさしくて、現実的な発想です。

マシュマロの話なのに、大人にも刺さる

もちろん研究対象は子どもです。

でも読んでいると、どうしても大人の生活が頭に浮かびます。

仕事中のスマホ。
夜中のお菓子。
衝動買い。
先延ばし。
つい開いてしまう動画。
「今日だけ」という便利すぎる言葉。

私たちの周りには、小さなマシュマロが大量に置かれています。

しかも現代社会のマシュマロは、通知まで送ってきます。

なかなか手ごわい。

だからこそ、この論文から持ち帰りたいのは、

「もっと強い人間になろう」ではなく、「誘惑と戦わなくて済む工夫をつくろう」

という視点です。

我慢とは、ただ歯を食いしばることではない。

ときには、

見ない。
離れる。
別のことを考える。
考え方を変える。

そんな小さな工夫の積み重ねでもある。

マシュマロを前にした子どもたちは、私たちに意外なことを教えてくれます。

自制心とは、心の強さだけではなく、心の置き場所を選ぶ力でもある。

この一言が、この論文のいちばん大事なところだと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文の要点

1. 「我慢できる・できない」は、根性だけで決まるわけではない

子どもが目の前のごほうびを待てるかどうかには、たしかに個人差があります。

でも、

「待てる子=意志が強い」
「待てない子=意志が弱い」

と、それだけで片づけるのは少し早い。

ミシェルたちの研究が面白いのは、子どもがその場でどんな心の使い方をしているかにも注目したところです。

つまり、自制心は「生まれつき持っている根性メーター」だけの話ではありません。

同じ子どもでも、置かれた状況や考え方によって、待ちやすくなったり、待ちにくくなったりする。

マシュマロの前で腕組みして、

「精神力、最大出力!」

だけが正解ではなかったわけです。


2. 誘惑から注意をそらすと、「待つ」は少しやりやすくなる

この研究群で、とても大切なのが注意の向け方です。

目の前のお菓子をじっと見て、

「おいしそうだな」
「食べたいな」
「まだかな」
「いや、もう食べようかな」

と考え続ければ、誘惑はどんどん心の中で巨大化します。

一方で、目をそらしたり、別のことを考えたり、歌ったりするなど、注意を誘惑から離す工夫をすると、待ちやすくなることが示されました。

つまり、

「我慢する」より、「誘惑を心の中心に置き続けない」ことが役立つ場合がある

ということです。

これはなかなか賢い作戦です。

マシュマロと真正面から十五ラウンド戦うのではなく、

「では私は別件がありますので」

と、心だけ席を外す。

自制心には、そんな逃げ道の上手さも関係しているのです。


3. 幼いころの「待つ力」は、その後の成長とも関連していた

研究では、4歳ごろに特定の実験状況で長く待てた子どもほど、その後、青年期になったときに、学業面や社会面でより高く評価され、欲求不満やストレスへの対処もうまい傾向が報告されました。

ただし、ここは慎重に受け取りたいところです。

「マシュマロを我慢できれば将来成功する」

という魔法の予言ではありません。

この研究が示したのは、あくまで特定の条件で測られた満足を先延ばしにする力と、その後のいくつかの能力との関連です。

大事なのは、

「待てた子が勝ち組だった」

という話ではなく、

幼いころから見られる自己コントロールのあり方には、その後の成長ともつながる部分があるらしい

ということ。

そしてさらに面白いのは、その力が単なる根性ではなく、注意の向け方や考え方とも関係していたことです。

この論文は、子どもを「我慢できる子」「できない子」に仕分けるための研究というより、

人はどうすれば、目の前の誘惑とうまく距離を取れるのか

を考えるための研究なのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究の背景:なぜ子どもは待てたり、待てなかったりする?マシュマロ実験が生まれた理由

「今すぐ一個もらうか、少し待って二個もらうか」

言葉にすると、ずいぶん簡単な話です。

大人なら、

「いやいや、二個でしょう」

と言いたくなります。

ところが実際に、目の前へ自分の大好きなお菓子を置かれて、

「食べてもいいですよ。ただし、待てたらもっともらえます」

と言われたら、話は少し変わってきます。

頭では「待ったほうがお得」とわかっている。

でも、お菓子はそこにいる。

しかも黙っているくせに、ものすごい存在感でこちらを見てくる。

人間には昔から、こんな不思議があります。

未来のほうが得だとわかっていても、目の前の魅力に引っぱられてしまう。

心理学者たちが気になったのも、まさにそこでした。

「待てる子」と「待てない子」は、何が違うのか

当時から、子どもによって「待つ力」に違いがあること自体は、それほど不思議ではありませんでした。

ある子は比較的長く待てる。

ある子はすぐ食べる。

問題は、

「では、その違いはなぜ生まれるのか?」

ということです。

性格の違いなのか。

生まれつきの意志の強さなのか。

頭のよさなのか。

家庭環境なのか。

それとも、その場で使っている何かの工夫なのか。

ここがまだ、十分にはわかっていませんでした。

もし単純に「意志が強い子は待てる」という話なら、それで研究終了です。

「以上、根性でした」

で論文を閉じればいい。

でも、人間はそんなに単純ではありません。

同じ子どもでも、ある状況では待てるのに、別の状況では待てないことがあります。

つまり、

自制心は、その人の中に固定された一枚の能力カードだけでは説明できないのではないか。

そんな疑問が出てきたわけです。

本当に知りたかったのは「何分待てたか」だけではない

マシュマロ実験というと、

「何分我慢できたか」

ばかりが注目されがちです。

たしかに数字としてはわかりやすい。

5分より15分。

15分より20分。

なんだか自制心のタイムトライアル大会みたいです。

でも、ミシェルたちが本当に知りたかったのは、

「子どもは、どうやって待っていたのか」

という部分でした。

ずっとお菓子を見つめていたのか。

目をそらしたのか。

別のことを考えたのか。

頭の中で、お菓子をどんなものとして捉えていたのか。

つまり、

「待てた・待てなかった」

という結果だけでなく、

その途中で心が何をしていたのか

を知ろうとしたのです。

ここが、この研究を面白くしているところです。

誘惑は「見るだけ」で強くなるのか

もうひとつ、大きな疑問がありました。

それは、

目の前の誘惑をどう見ているかによって、我慢の難しさは変わるのではないか

ということです。

たとえば、お菓子をずっと見ながら、

「甘そう」
「おいしそう」
「食べたい」
「まだかな」

と考えていたら、当然ながら頭の中はお菓子だらけになります。

心の会議室を、マシュマロが完全占拠です。

でも、お菓子から目をそらしたり、別の遊びをしたり、違うことを考えたりすればどうなるのか。

同じ子どもでも、待ちやすさは変わるのか。

もし変わるのであれば、

「我慢できる人は意志が強い」

という説明だけでは足りなくなります。

注意の向け方や考え方そのものが、自制心を助けている可能性がある。

研究者たちは、そこを確かめたかったのです。

そしてもうひとつ、「この違いはその後にも続くのか?」

さらにミシェルたちは、もう少し長い時間の目でも子どもたちを見ました。

幼いころに「待つ」という場面で見られた違いは、その場だけのものなのか。

それとも、成長したあとにも何らかの形で関連しているのか。

勉強。
人間関係。
ストレスへの対応。
目標へ向かって行動する力。

こうしたものと、幼いころの満足を先延ばしにする力には関係があるのか。

これもまた、大きな問いでした。

ただし重要なのは、

「マシュマロを我慢した子は将来必ず成功する」

という占いを作ることではありません。

そうではなく、

幼いころの自己コントロールのあり方は、その後の成長とどのようにつながっているのか

を知ろうとしたのです。

この違いは小さいようで、かなり大切です。

研究の出発点は、意外と素朴だった

結局のところ、この研究の背景にあったのは、ものすごく人間らしい疑問でした。

「わかっているのに、どうして待てないんだろう?」

「待てる人は、心の中で何をしているんだろう?」

「自制心って、生まれつきの強さだけなのかな?」

これは子どものお菓子だけの話ではありません。

勉強を始めたいのにスマホを見る。

貯金したいのに買ってしまう。

早く寝たいのに動画をもう一本見る。

明日の自分のために何かしたいのに、今日の誘惑が勝つ。

大人になっても、私たちは形を変えたマシュマロに囲まれて暮らしています。

だからこそ、この研究は今読んでも面白い。

ミシェルたちが探ろうとしたのは、

「強い人間になる方法」ではなく、「人はどうすれば、目の前の誘惑とうまく付き合えるのか」

という問いだったからです。

その答えを探して、研究者たちは子どもたちの前にお菓子を置きました。

そしてそこから、意外なほど奥深い「心の使い方」が見えてくることになります。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究方法:マシュマロ実験はどう行われた?子どもの「待つ力」を調べた方法

まず最初に、大事なことをひとつ。

この1989年の論文は、

「ある日、研究者が子どもたちの前にマシュマロを置いて実験しました」

という、一回だけの実験を報告した論文ではありません。

ミシェルたちがそれまで長年行ってきた、子どもの「満足を先延ばしにする力」に関する一連の実験や追跡研究をまとめたものです。

ですから研究方法も、

「マシュマロを置く」
「待つ」
「終了」

ではありません。

研究者たちは条件をいろいろ変えながら、

「どんな状況なら子どもは待ちやすくなり、どんな状況なら待ちにくくなるのか」

を調べていきました。

基本ルールは「今少しもらうか、待って多くもらうか」

代表的な実験では、就学前の子どもが一人ずつ部屋に入りました。

そして子どもの前には、その子が欲しいと思うごほうびが用意されます。

有名なのはマシュマロですが、実際の研究ではプレッツェルなど、別のごほうびが使われることもありました。

基本的なルールは、とてもシンプルです。

研究者は子どもに、

「私が戻ってくるまで待てたら、こちらの多いほうをもらえます」

と説明します。

でも、

「もう待てない!」

となった場合には、研究者を呼び戻すこともできます。

その代わり、その場合にもらえるのは少ないほう。

つまり子どもは、

今すぐ小さなごほうびを手に入れるか。
それとも、しばらく待って大きなごほうびを手に入れるか。

という選択をすることになります。

文章で読むと、

「待てばいいじゃん」

と思います。

ところが、考えてみてください。

目の前には、大好きなお菓子。

部屋には自分ひとり。

しかも、

「食べちゃダメ」

ではなく、

「食べてもいいですよ」

という逃げ道まで用意されています。

これは幼い子どもにとって、なかなかの心理戦です。

マシュマロはしゃべりませんが、存在感だけで猛烈な営業活動をしてきます。

研究者が見たかったのは「何分待ったか」だけではない

ここからが、この研究のおもしろいところです。

研究者たちは単に、

「この子は10分」
「この子は3分」

とストップウォッチを握っていただけではありません。

条件を変えて、

子どもの注意や考え方が変わると、待てる時間も変わるのか

を調べました。

たとえば、ごほうびが目の前に見えている場合と、見えないようにした場合。

お菓子のことを考える場合と、楽しい別のことを考える場合。

さらに、お菓子を

「甘くて、おいしそうなもの」

として考える場合と、

「丸い形をした白いもの」

のように、少し冷静で抽象的なものとして考える場合。

こうして、同じ「待つ」という行動でも、頭の中で何をしているかによって難しさが変わるのかを確かめていったのです。

ここが大切です。

もし自制心が完全に「その子が持っている意志力」だけで決まるなら、条件を変えても同じ子はだいたい同じように待てるはずです。

ところが研究者たちは、

「いやいや、どうやら状況を変えると結果も変わるぞ」

というところに注目しました。

つまり、この実験は子どもの根性を採点する試験というより、

自制心が働きやすくなる条件を探す実験

だったわけです。

「お菓子をどう見るか」まで変えてみた

さらに研究では、誘惑そのものを頭の中でどう表現するかにも目を向けました。

たとえばマシュマロを、

「ふわふわして甘くて、おいしいマシュマロ」

として考える。

これはかなり危険です。

頭の中で味まで再生され始めたら、マシュマロ側が一気に優勢になります。

一方で、

「白くて丸い雲みたいな形」

のように考える。

すると、食べ物としての魅力から少し距離を取ることができます。

研究者たちは、このような考え方の違いによって待ちやすさが変わるかも調べました。

つまり研究室では、

「我慢しなさい!」

という精神論ではなく、

「そもそも誘惑をどんなふうに頭の中で扱うと、我慢しやすくなるのだろう?」

と考えていたのです。

なかなか現代的ですよね。

そして子どもたちの「その後」も追いかけた

研究は、実験室の中だけでは終わりませんでした。

ミシェルたちは、幼いころにこうした実験へ参加した子どもたちが成長したあと、

学業面ではどうだったのか。

人との関わりではどうだったのか。

ストレスや欲求不満にどう対応していたのか。

といった点についても追跡しました。

そして、特定の条件で幼いころに長く待てたことと、青年期の認知的・社会的な能力との間に関連があるかを調べました。

ただし、ここでも、

「マシュマロを15分我慢できたから、この子の将来は安泰!」

という研究ではありません。

未来を占うマシュマロ水晶玉ではないのです。

重要なのは、

どんな状況で測った「待つ力」なら、その後の特徴との関連が見られるのか

という点でした。

つまり研究者たちは、

「待てるかどうか」

だけではなく、

「どんな条件なら待てるのか」

「そのとき心では何が起きているのか」

「その違いは成長後の姿とどう関係するのか」

まで見ていったのです。

方法そのものは、お菓子を前にして待つという、とてもシンプルなもの。

でも、その小さな部屋で研究者たちが観察していたのは、単なるお菓子の我慢大会ではありませんでした。

目の前の誘惑と、少し先の未来。そのあいだで人間の心はどう動くのか。

それを確かめるための実験だったのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この研究でわかったこと:マシュマロ実験で何がわかった?「待てる子」が使っていた心の工夫

さて、いよいよ結果です。

子どもの前にお菓子を置いて、

「今食べてもいい。でも待てたら、もっともらえるよ」

と伝えたマシュマロ実験。

ここだけ聞くと、

「さて、意志の強い子は何分耐えられたのでしょうか?」

という根性選手権の結果発表になりそうです。

ところが、ミシェルたちが見つけたものは、もう少し面白いものでした。

研究から見えてきたのは、

「我慢できるかどうか」は、誘惑そのものの強さだけではなく、その誘惑にどう注意を向け、頭の中でどう扱うかによって大きく変わる

ということだったのです。

1.誘惑をずっと見ていると、待つのは難しくなる

まず、かなり人間らしい結果があります。

目の前にごほうびが見えている状態では、子どもにとって待つことが難しくなりました。

まあ、そりゃそうですよね。

マシュマロが目の前にある。

見える。

食べられる。

でも待たなければならない。

これは、

「スマホを触らずに仕事してください。ただしスマホは机の中央に置き、通知はオンにしておきます」

と言われているようなものです。

なかなかの高難度設定です。

実際、長く待とうとしていた子どもたちの中には、ごほうびを見ないように目を覆ったり、顔を伏せたり、独り言を言ったり、歌ったり、手足で遊びを作ったりする子がいました。中には眠ろうとする子までいたそうです。

つまり、

「誘惑を見ながら耐える」

のではなく、

「誘惑を心の舞台からいったん降ろす」

ような工夫をしていたのです。

ここがまず意外です。

私たちは自制心というと、

「誘惑を目の前にしても動じない強さ」

を想像しがちです。

でも実際には、上手に待つためには、

「そもそも見ない」
「別のことを考える」
「注意を別の場所へ移す」

という方法が役立っていました。

真正面から戦わない。

これは逃げではありません。

むしろ、かなり賢い戦略です。

2.同じマシュマロでも、「どう考えるか」で待ちやすさが変わった

さらに面白い結果があります。

研究者たちは、

「では、お菓子そのものではなく、頭の中での“見え方”を変えたらどうなる?」

と考えました。

ここから心理学が急に面白くなります。

たとえばマシュマロを、

「ふわふわしている」
「甘くておいしい」
「口に入れたら最高」

というように、食べたくなる特徴へ注意を向ける。

これは、誘惑に自分からマイクを渡して、

「ではマシュマロさん、魅力を存分に語ってください」

と言っているようなものです。

当然、待つのは難しくなります。

一方で、

「白くて丸いもの」
「雲みたいな形」
「食べ物というより、ただの形」

という具合に、ごほうびを少し抽象的で冷静なものとして考えると、待ちやすくなりました。

研究では、実際のごほうびが目の前にあっても、それを「写真のようなもの」と想像すると、平均で約18分待った条件が報告されています。一方、「目の前に本物のおいしいごほうびがある」と感じさせるような考え方では、待つ時間がずっと短くなりました。

つまり重要なのは、

「何が目の前にあるか」だけではなく、「それを頭の中でどう表現しているか」

だったのです。

これ、かなり面白い結果だと思いませんか。

同じマシュマロです。

マシュマロ側は何も変わっていません。

急に糖質が減ったわけでも、石になったわけでもありません。

変わったのは、子どもの心の中でのマシュマロの扱い方です。

それだけで、待つ難しさが変わったのです。

3.「気をそらす」だけでなく、「冷静に見る」ことも役立った

ここでもう一段、面白いところがあります。

研究結果は、

「とにかく別のことを考えればいい」

という単純な話でもありませんでした。

誘惑について考えること自体が、いつでも悪いわけではなかったのです。

ポイントは、

どんなふうに考えるか。

「甘い」「おいしい」「食べたい」という、欲しい気持ちを燃え上がらせる考え方をすると、待つのは難しくなる。

一方、

「白い」「丸い」「雲みたい」というように、少し距離を置いた考え方をすると、同じごほうびに注意を向けていても待ちやすくなる。

ミシェルたちは、こうした違いを、誘惑の「熱い」側面と「冷たい」側面として考えていきました。

簡単に言えば、

「うわあ、おいしそう!」と見るか、
「白くて丸い物体ですね」と見るか。

同じものでも、心への入り方が違うのです。

これは大人にも覚えがあります。

「限定販売!残り1個!」

と見ると急に欲しくなる。

でも、

「これはプラスチックと電子部品を組み合わせた製品である」

くらいまで冷静に考えると、少し財布が平静を取り戻します。

心というのは、言葉ひとつ、見方ひとつで、案外温度が変わるものなのです。

4.幼いころに長く待てたことは、その後の姿とも関連していた

そして、この論文を有名にしたもうひとつの結果があります。

研究チームは、幼いころに実験へ参加した子どもたちを、その後も追跡しました。

すると、4歳ごろの特定の実験条件で長く待てた子どもほど、青年期に認知面や社会面でより高く評価され、学業成績が高く、欲求不満やストレスへの対処もうまい傾向が報告されました。

ここだけ切り取ると、

「ほら! マシュマロを我慢すれば将来成功するんだ!」

と言いたくなります。

しかし、そこまで走るとマシュマロが急に人生の予言者になってしまいます。

この結果で大切なのは、どんな条件で待てたかです。

後の能力との関連が特に見られたのは、報酬が目の前にあり、研究者から待つための作戦を教えられていないような状況でした。

つまり、自分で注意をそらしたり、誘惑との距離を取ったりする必要がある場面です。

研究者たちは、そうした状況での待ち方に、子どもの自己調整の個人差が表れやすいのではないかと考えました。

だから、

「何分待てたか」だけを見るより、「その状況で自分をどう調整したのか」を見ることが大切

なのです。

いちばん意外なのは、「強さ」より「工夫」が見えてきたこと

この研究結果のいちばん面白いところをひとつ選ぶなら、私はここだと思います。

自制心について研究したら、

「意志の強い子が勝ちました」

ではなく、

「注意の向け方を変えると、同じ子どもでも待ちやすさが変わりました」

という結果が出てきたことです。

これは、自制心の見方をかなり変えてくれます。

「誘惑に負けない人」は、誘惑に真正面から勝ち続けている超人なのではない。

場合によっては、

見ない。

考えない。

距離を置く。

別のことをする。

考え方の温度を下げる。

そんな小さな工夫によって、戦う必要そのものを減らしているのです。

自制心というと、私たちはつい、

「心を強くしなければ」

と考えます。

でもミシェルたちの研究が見せてくれるのは、もう少し軽やかな姿です。

心を強くするだけではなく、心の向きを変える。

目の前のマシュマロに勝とうとするのではなく、ときにはマシュマロを舞台の脇役にしてしまう。

そのほうが、人間という生き物には案外うまくいくのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ここが面白い:自制心は「意志の強さ」だけじゃない?マシュマロ実験の本当の面白さ

この研究の何がそんなに面白いのか。

私は、マシュマロを何分我慢できたかよりも、

「我慢できる人は、ずっと我慢していたわけではない」

というところが、いちばん面白いと思います。

なんだか禅問答みたいですが、かなり大事な話です。

私たちは自制心というと、

「欲しいけど耐える」
「食べたいけど耐える」
「スマホを見たいけど耐える」

という姿を想像します。

つまり、誘惑を真正面に置いて、

「私は負けないぞ」

と踏ん張る。

心の中では、ずっと綱引きです。

ところがミシェルたちの研究を眺めていると、

「いや、その綱引き、そもそも参加しなくてもいいんじゃない?」

という別の発想が出てきます。

強い人より、「うまく逃げる人」が待てた

子どもたちの中には、マシュマロから目をそらしたり、顔を伏せたり、歌を歌ったり、別の遊びを始めたりする子がいました。

これは一見すると、

「誘惑から逃げてるじゃないか」

と思うかもしれません。

でも、よく考えると、かなり賢い。

目の前のマシュマロを二十分間見つめ続け、

「食べるな、食べるな、食べるな……」

と唱えるより、

「あ、天井に模様あるな」

くらいのところへ心を移したほうが、ずっと楽です。

つまり、

我慢とは、誘惑に勝つことだけではない。誘惑との距離を調整することでもある。

ここが面白いのです。

世の中では、とかく「強さ」が評価されます。

誘惑に負けない人。
感情に流されない人。
自分を律する人。

でも、この研究を読んでいると、

「強い人」よりも、

「自分が弱くなりやすい場所を知っていて、そこから少し離れられる人」

のほうが、実は上手に自分を扱っているのではないかと思えてきます。

これは、なんだか少し安心する話でもあります。

人間は、誘惑そのものより「頭の中の誘惑」に負けている

もうひとつ面白いのが、

同じマシュマロでも、どう考えるかで誘惑の強さが変わった

というところです。

目の前にあるものは同じです。

白い。
丸い。
甘い。
ふわふわ。

物理的には、何も変わっていません。

でも、

「おいしそう」
「食べたら甘い」
「早く食べたい」

と考えると、欲しい気持ちはどんどん大きくなる。

一方で、

「白い形」
「丸い物体」
「雲みたいなもの」

と少し冷静に見ると、欲しさの温度が下がる。

これはかなり不思議です。

マシュマロが変わったわけではない。

変わったのは、頭の中のマシュマロです。

私たちは現実そのものに反応しているようで、実は、

「その現実を自分がどう意味づけているか」

にもかなり反応している。

たとえば、

「残り1点!」

と書かれた商品を見る。

すると急に欲しくなる。

でも冷静に、

「これは昨日まで普通に売っていた商品です」

と考えると、財布が少し正気に戻ります。

スマホの通知もそうです。

「誰かから連絡が来た!」

と思うと、すぐ開きたくなる。

でも、

「画面に光が一回ついただけ」

と捉えれば、少し距離ができます。

人間の心というのは、現実に直接つかまれているようで、案外、自分の解釈につかまれているのかもしれません。

「意思が弱い」という自己評価を、少し疑ってみる

この研究を読んでいると、

「私は意志が弱い」

という言葉も、少し怪しく見えてきます。

たとえば、

勉強中にスマホを触ってしまう。

すると、

「自分は集中力がない」

と思う。

でも、机の上にスマホがあり、通知が光り、SNSのアイコンが見え、手を伸ばせばすぐ届く。

この状況で毎回勝てと言われるほうが、なかなか厳しい。

それは意志の弱さというより、

誘惑側の舞台装置が強すぎる

のかもしれません。

冷蔵庫を開けたらケーキがある。

机にはお菓子。

スマホは枕元。

動画サービスは自動再生。

現代社会は、誘惑がかなり働き者です。

しかも昔のマシュマロと違って、

「あなたにおすすめです」

と向こうから追いかけてきます。

そう考えると、

「もっと意志を強くしよう」

だけでは、少し分が悪い。

むしろ、

「誘惑を見えにくくする」
「触るまでの手間を増やす」
「別のことに注意を向ける」
「欲しくなる考え方を少し冷やす」

というほうが現実的です。

自制心とは、精神論ではなく、環境設計と心の設計の合作なのかもしれません。

我慢するとは、自分を苦しめることではない

ここで私は、この研究からちょっと大きなことを考えたくなります。

私たちは「我慢」という言葉に、少し苦しい響きを持っています。

歯を食いしばる。
耐える。
欲を抑える。
自分を律する。

どこか、自分の中の欲望を押さえつける感じがあります。

でも、この研究が示している自制心は、もう少しやわらかい。

「欲しがる自分を叱る」のではなく、

「欲しがりすぎない場所へ心を移す」

という感じです。

これはかなり違います。

「食べたいなんて思うな!」

ではなく、

「まあ、ずっと見てたら食べたくなるよね。ちょっと別のことしようか」

という態度です。

なんだか、自分に対する扱いが少しやさしい。

自制心というと自分を厳しく管理する技術に見えますが、

もしかすると本当は、

自分の弱さを理解したうえで、無理の少ない状況を作る技術

でもあるのです。

マシュマロ実験は、人生の勝ち負けを決めるテストではない

マシュマロ実験には、

「我慢できた子は成功する」

という、とても有名な物語があります。

でも、この研究の面白さをそこだけに閉じ込めると、かなりもったいない。

だって、本当に面白いのは、

「どの子が勝ったか」

ではなく、

「人間は、どうすれば自分の衝動とうまく付き合えるのか」

という問いだからです。

待てた子は、特別な超人だったわけではありません。

誘惑を見ない。
考え方を変える。
別のことをする。
自分なりの作戦を使う。

そこには、かなり人間くさい工夫があります。

そしてそれは、大人の私たちにも持ち帰れます。

仕事に集中したいなら、通知を消す。

お金を貯めたいなら、買い物サイトを何となく開かない。

夜更かしを減らしたいなら、布団の中へスマホを連れていかない。

怒りが強いときには、その場から少し離れる。

どれも、

「もっと強い人間になる」

という話ではありません。

「弱くなりやすい自分を前提にして、うまく暮らす」

という話です。

私はそこに、この研究のいちばん人間らしい魅力を感じます。

マシュマロ一個から見えてきたのは、

勝てる人と負ける人の違いではありません。

むしろ、

人間は、真正面から戦わなくても、自分を助ける方法をつくれる。

そんな、少し肩の力が抜ける知恵だったのではないでしょうか。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

私たちの生活にどう活かせる?:自制心を高めるには?「我慢する」より先にできる3つの工夫

ここまで読んで、

「なるほど。子どもはマシュマロから目をそらすと待ちやすくなるのか」

と思った方もいるでしょう。

でも、ここで終わるともったいない。

なぜなら私たち大人も、毎日かなりの数の「現代版マシュマロ」に囲まれているからです。

スマホ。
動画。
お菓子。
ネット通販。
ゲーム。
SNS。
夜更かし。
先延ばし。

しかも現代版マシュマロは、昔より営業が上手です。

通知を送ってくる。
おすすめを表示してくる。
「残りわずか」と急かしてくる。
次の動画まで自動で再生してくる。

こちらが誘惑に近づかなくても、誘惑のほうが玄関まで営業に来ます。

だから、

「もっと意志を強くしよう」

だけで乗り切ろうとすると、なかなか大変です。

ミシェルたちの研究から生活に持ち帰れそうなのは、むしろ逆の発想です。

意志力を使う前に、誘惑との距離を少し変えてみる。

その具体的な方法を、3つに絞って考えてみましょう。

1.誘惑を「見える場所」から少し遠ざける

まず最も単純なのが、

見えなくすること。

研究でも、誘惑が目の前にある状態では、待つのが難しくなりました。

これを日常生活に置き換えると、とてもわかりやすいです。

たとえば仕事中。

スマホを机の上に置いて、

「絶対に触らない」

と決意する。

通知が光る。

でも触らない。

また光る。

まだ触らない。

これはもう、仕事というよりスマホ耐久選手権です。

それなら、

スマホを鞄に入れる。
引き出しにしまう。
別の部屋に置く。
通知を切る。

このほうがずっと楽です。

食べすぎを減らしたいなら、お菓子をテーブルの上に置きっぱなしにしない。

衝動買いを減らしたいなら、通販サイトを暇つぶしで開かない。

夜更かしを減らしたいなら、布団へスマホを持ち込まない。

ここで大切なのは、

誘惑から逃げることを「負け」と考えないことです。

目の前にケーキを置いて二時間耐える人より、そもそも冷蔵庫の奥へしまった人のほうが、目的を達成できるならそれでいい。

自制心とは、毎回誘惑に勝つ力ではありません。

誘惑と戦う回数を減らす力でもある。

そう考えると、ぐっと実践しやすくなります。

2.「我慢しよう」ではなく、注意の行き先を決めておく

次に使えそうなのが、

注意を別の場所へ移すこと。

マシュマロ実験の子どもたちは、歌ったり、遊んだり、別のことを考えたりしていました。

つまり、

「マシュマロのことを考えないようにしよう」

ではなく、

「マシュマロ以外の何かを考える」

という作戦です。

この違い、地味ですが大きいです。

たとえば、

「スマホを見ない」

だけを目標にすると、頭の中は逆にスマホでいっぱいになります。

「見ないぞ」
「見ないぞ」
「絶対見ないぞ」

と言いながら、心の中心にはスマホが鎮座しています。

そこで、

「30分だけ資料を読む」
「この曲が終わるまで片づける」
「コーヒーを入れてから10分だけ作業する」

など、注意の行き先を具体的に決めておく

すると、ただ我慢するより楽になります。

これは先延ばしにも使えます。

「動画を見ない」

ではなく、

「まず文章を3行書く」。

「お菓子を食べない」

ではなく、

「温かいお茶を一杯飲む」。

人間の注意は、空っぽの状態を保つのが苦手です。

「考えるな」と言われると、余計に考えます。

だから、

禁止するより、別の行き先を用意しておく。

心に「立入禁止」の看板だけを立てるのではなく、ちゃんと迂回路をつくっておくわけです。

3.誘惑を「熱い言葉」で見ない

そして3つ目。

これが個人的には、かなり面白い方法です。

誘惑について考えるとき、その考え方の温度を少し下げる。

たとえば通販サイトで、欲しいものを見つけたとします。

「うわ、これ最高」
「めちゃくちゃ欲しい」
「今買わなかったら後悔する」

こう考えていると、欲しい気持ちはどんどん膨らみます。

そこで少し言い換えてみる。

「これは3万円の商品」
「家に似たものが一つある」
「来週でも買える」
「今日買わなくても生活は続く」

急に夢がなくなります。

でも財布は落ち着きます。

研究で子どもたちがお菓子を「おいしそうなもの」として見るか、「白くて丸いもの」として見るかで待ちやすさが変わったのと同じように、

私たちも、

誘惑をどんな言葉で頭の中に置くか

によって、その勢いを少し下げられるかもしれません。

怒りにも応用できます。

「なんであんな言い方をするんだ!」

と考えると、感情はどんどん熱くなります。

でも、

「今、自分はかなり腹が立っている」
「相手の一言に強く反応している」

と、一歩引いて言葉にすると、少しだけ距離ができます。

大事なのは、

「感情を消す」

ことではありません。

感情の中に飛び込まず、横から眺める場所をつくる。

これも、自制心のひとつの形です。

「私は意志が弱い」を、環境の問題に置き換えてみる

ここまでの話をまとめると、生活に活かすときにいちばん大切なのは、

「自分の性格を責めすぎない」

ことかもしれません。

たとえば、

仕事に集中できない。

「自分は集中力がない」

と考える前に、

スマホが目の前にないか。

通知が多すぎないか。

仕事が大きすぎて、どこから手をつけるかわからなくなっていないか。

考えてみる。

貯金できないなら、

「自分は浪費家だ」

だけで終わらず、

買い物アプリを毎日開いていないか。

カード情報がワンタップで使える状態になっていないか。

セール通知を受け取り続けていないか。

見直してみる。

夜更かししてしまうなら、

「自分はだらしない」

だけではなく、

布団の中にスマホがあるかもしれない。

次々おすすめ動画が流れてくる環境かもしれない。

つまり、

「私が弱い」という説明から、「この状況だと誰でも弱くなりやすいのでは?」という説明へ移してみる。

これだけでも、解決策がかなり変わってきます。

性格を直すのは大仕事です。

でもスマホを引き出しに入れるなら、10秒でできます。

自制心は「未来の自分を助ける仕組み」

この研究を生活へ持ち帰るなら、自制心をこう考えてみるといいかもしれません。

自制心とは、未来の自分が困らないように、今の自分が小さな仕組みを置いておくこと。

明日の朝早く起きたいなら、夜のうちにスマホを遠くへ置く。

仕事へ集中したいなら、通知を切っておく。

買いすぎを防ぎたいなら、欲しいものはいったん一晩寝かせる。

怒っているなら、返事をすぐ送らない。

勉強したいなら、教材を先に机へ出しておく。

どれも派手ではありません。

映画だったら、おそらく予告編には使われません。

でも生活を変えるのは、こういう地味な工夫だったりします。

「私は誘惑に勝てる人間になる!」

より、

「誘惑と鉢合わせしないように家具を少し動かしておきます」

くらいのほうが、案外うまくいく。

我慢とは、自分との戦争ではない

私たちは「我慢」というと、

自分の欲望と戦うことだと思いがちです。

でもミシェルたちの研究から見えてくるのは、もう少し穏やかな方法です。

見えないようにする。

注意を別へ向ける。

考え方の温度を下げる。

これは、自分を押さえつける方法ではありません。

むしろ、

自分が誘惑に弱いことを知ったうえで、自分を助ける方法

です。

たぶん人間は、いつでも強くはいられません。

疲れている日もある。

腹が立っている日もある。

今日はもう何も考えたくない、という夜もあります。

だからこそ、

「強い自分」にすべてを任せるより、

弱い自分でもそこそこうまくやれる環境を作っておく。

そのほうが、ずっと現実的です。

マシュマロ実験が教えてくれるのは、

「我慢できる立派な人になりましょう」

という話ではないのかもしれません。

むしろ、

「人間は誘惑に弱い。だから、賢く距離を取りましょう」

という、少し笑えて、かなり実用的な知恵です。

人生にはマシュマロが多すぎます。

全部と戦う必要はありません。

ときには、見ない。

ときには、離れる。

ときには、別のことをする。

それもちゃんと、自分をコントロールする力のひとつなのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

少し注意したい点:「待てる子は将来成功する」とは限らない?マシュマロ実験の注意点

ここまで読んでくると、

「なるほど。じゃあ子どものころから我慢できるように鍛えておけば、将来もうまくいくんだな」

と思いたくなるかもしれません。

でも、ここでマシュマロにはいったん席に戻ってもらいましょう。

この研究から、

「幼いころに我慢できる子は、将来必ず成功する」

とまでは言えません。

心理学の研究では、とても面白い結果が出たときほど、

「これは、どこまで言える話なんだろう?」

と考えることが大切です。

研究結果というのは、遠くまで照らしてくれる懐中電灯ではあります。

でも、未来全部を照らすサーチライトではありません。

「関連があった」と「原因だった」は違う

1989年の論文では、4歳ごろに特定の実験条件で長く待てた子どもほど、青年期になってから認知面や社会面で高く評価され、学業面でも良い成績を示し、ストレスや欲求不満への対処もうまい傾向が報告されています。

これは、とても興味深い結果です。

ただし、

「マシュマロを我慢したから、その子の将来が良くなった」

という意味ではありません。

ここは、かなり重要です。

たとえば、

「傘を持っている人が多い日は、道路が濡れている」

という関係が見つかったとしても、

「傘が道路を濡らした!」

とは考えませんよね。

その背後には「雨」という別の要因があります。

同じように、子どもが待てることと、その後の学業や社会的な適応の両方に影響する別の要因がある可能性があります。

家庭環境。
親から受ける支援。
幼いころの認知能力。
生活の安定性。

人間の成長は、マシュマロ一個では到底背負いきれないくらい、多くのものが絡み合っています。

後年の研究では、関係はもっと小さくなった

そして、この点について非常に重要な研究が2018年に発表されました。

タイラー・ワッツたちは、より大きく多様なデータを使って、幼児期の満足を先延ばしにする力と、15歳ごろの学業成績や行動との関係を改めて調べました。

すると、最初は、

「長く待てた子ほど、その後の学業成績がよい」

という関連が見られました。

ところが、

家庭背景、幼いころの認知能力、家庭環境などを統計的に考慮すると、その関連は大きく小さくなりました。

また、15歳時点の行動面との関連はさらに小さく、多くは統計的に明確ではありませんでした。

これは、

「マシュマロテストは完全に間違っていた!」

という話ではありません。

そうではなく、

「待てる力だけを取り出して、その子の未来を説明するのは難しい」

ということです。

人生は、そんなに一変数では動いてくれません。

エクセルの一列だけでは、人間は収まりません。

「自制心」だけを測っているとも限らない

さらに面白い問題があります。

子どもが待てるかどうかを見たとき、

本当に測っているのは「純粋な自制心」だけなのでしょうか。

たとえば、子どもがこれまで、

「大人は約束を守ってくれる」

という経験をたくさんしてきたなら、

「待てば本当にもう一個もらえる」

と信じやすいでしょう。

反対に、

「約束されても、あとでもらえるとは限らない」

という経験が多ければ、

「あるうちに食べておこう」

と考えることにも、それなりの合理性があります。

そうなると、

すぐ食べた子を見て、

「この子は自制心がない」

と簡単には言えません。

その行動には、

これまでの経験や生活環境、その場をどれくらい信頼しているかなどが関係している可能性があります。

後年の研究でも、マシュマロテストが将来を予測するように見える背景には、子どもの初期環境や社会的支援などが関係している可能性が議論されています。

ここまで来ると、マシュマロテストは、

「自制心測定器」

というより、

その子が持っている自己調整の力や認知能力、環境との関係などが混ざって現れる小さな窓

と考えたほうがよさそうです。

だから「待てない子」を評価する道具にしてはいけない

これは、子育てや教育で特に大切だと思います。

もし子どもがマシュマロをすぐ食べたとしても、

「この子は我慢できない」
「将来が心配だ」
「自制心のない子だ」

と決めつける材料にはできません。

そもそも研究自体が、そんな使い方を目的としているわけではありません。

しかも、この論文で面白かったのは、

条件を変えると、同じ子どもでも待ちやすさが変化した

ことでした。

誘惑を見えにくくする。

注意を別の場所へ向ける。

お菓子の考え方を変える。

そうすると、待つことが楽になる。

これは逆に言えば、

「待てる・待てない」を、その子の固定された性格として考えすぎないほうがいい

ということでもあります。

「あなたは我慢のできない子ですね」

と判定するより、

「どういう状況なら、この子は待ちやすいんだろう?」

と考える。

私は、そのほうがこの研究の精神に近いように思います。

それでも、この研究の価値は小さくならない

ここまで注意点を書くと、

「じゃあ、マシュマロ実験って意味なかったの?」

と思うかもしれません。

そんなことはありません。

むしろ私は、後年の研究まで含めて読むほうが、この研究は面白くなると思っています。

昔は、

「待てる子には、何か重要な特徴があるらしい」

とわかった。

そこから、

「では、なぜ待てるのか?」

「注意の使い方は?」

「環境の影響は?」

「家庭背景を考慮したら?」

と、研究が次々と枝分かれしていった。

科学というのは、

最初の論文が「最終回答」を出して終了するものではありません。

ひとつの研究が、

「ここ、面白いぞ」

と地面に小さな旗を立てる。

すると別の研究者がやってきて、

「もう少し掘ってみましょう」

と言う。

また別の人が、

「こっちにも何かありますよ」

と言う。

そうやって、少しずつ地図が細かくなっていきます。

1989年のミシェルたちの論文は、その意味で非常に重要な一枚です。

ただし、そこに描かれた地図だけを持って、

「人間の未来、全部わかりました」

とは言わない。

それが、研究を大切に読むということなのでしょう。

マシュマロは未来を占わない。でも、大事な問いを残してくれた

結局、マシュマロテストから持ち帰るなら、

「待てる子は成功する」

という一行より、

「人は、どういう条件なら自分の衝動とうまく付き合えるのだろう?」

という問いのほうが、ずっと価値があるように思います。

子どもの未来は、待った分数だけでは決まりません。

家庭もある。

学校もある。

周囲の人もいる。

本人の能力もある。

偶然もある。

人生には、マシュマロでは測れないものが山ほどあります。

だから、この研究は子どもの未来を判定するテストとしてではなく、

人間の自制心は、性格だけでなく、注意や考え方、置かれた状況とも関係している

と教えてくれる研究として読む。

そのくらいの距離感が、ちょうどいいのだと思います。

マシュマロは未来を予言してくれません。

でも、

「人間って、どうすれば少し上手に自分を扱えるんだろう?」

という、とてもいい問いを残してくれました。

科学にとっては、未来を言い当てることより、こちらのほうがずっと大切なのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

まとめ:自制心は「我慢する力」だけじゃない|マシュマロ実験から学べること

ここまで見てきたことを、最後にひとつの言葉へまとめるなら、

自制心とは、ただ強く耐える力ではなく、自分が耐えやすいように心と環境を整える力でもある

ということになると思います。

マシュマロ実験というと、

「我慢できた子はえらい」
「待てない子は意志が弱い」
「将来成功するかどうかがわかる」

そんな少し乱暴なイメージで語られることがあります。

でも、実際の研究を丁寧に見ていくと、話はもっと面白く、もっと人間らしいものでした。

子どもたちは、ただ歯を食いしばって待っていたわけではありません。

目をそらす。
別のことを考える。
歌う。
遊ぶ。
お菓子を「おいしそうなもの」ではなく、少し冷静なものとして見る。

つまり、

誘惑の強さを、自分の心の中で少し小さくする

という工夫をしていたのです。

「強い人」にならなくてもいい

私たちは何かを我慢できなかったとき、

「自分は意志が弱い」

と、すぐ性格の話にしてしまいます。

勉強しようと思ったのにスマホを見た。

「集中力がない」

貯金しようと思ったのに買い物をした。

「自制心がない」

早く寝ようと思ったのに動画を見続けた。

「自分はだらしない」

こうして何でも自分の人格へ持ち帰っていると、心はなかなか忙しいです。

でも、この研究を知ると、もうひとつの考え方ができます。

「自分が弱いのではなく、誘惑が強くなる配置だったのでは?」

という見方です。

スマホが目の前にある。

通知が鳴る。

お菓子がテーブルに置いてある。

買い物サイトが毎日セールを知らせてくる。

それなら、心が揺れるのも当然です。

人間の心は鉄筋コンクリートではありません。

わりと普通に揺れます。

だから、

「揺れない人間になろう」

ではなく、

「揺れにくい環境をつくろう」

と考える。

この発想は、かなり実用的です。

自制心は「戦闘力」ではなく「設計力」かもしれない

ここまでの記事を読んでいると、自制心の見え方が少し変わってきます。

最初は、

「誘惑と戦う力」

に見えていたものが、

最後には、

「誘惑とどう距離を取るかを考える力」

に見えてきます。

これは大きな違いです。

たとえばスマホを見ないために、

机の上へスマホを置いたまま、

「絶対に見ない!」

と耐える。

これは戦闘型の自制心です。

一方で、

通知を切る。
鞄に入れる。
別の部屋へ置く。

これは設計型の自制心です。

どちらが立派か、という話ではありません。

でも、毎日の生活で使いやすいのは、たぶん後者です。

人生は毎日続きます。

毎回フルパワーで誘惑と戦っていたら、こちらの燃料が先になくなります。

だったら、

「今日は戦わなくて済むようにしておこう」

という日があっていい。

むしろ、そのほうが長く続きます。

「待てる子」と「待てない子」に分けるための研究ではない

そしてもうひとつ、大切なことがあります。

この研究を、

「我慢できる子は優秀」
「待てない子はダメ」

という分類に使わないことです。

後年の研究では、幼いころの待つ力とその後の成績などの関係には、家庭環境や認知能力など、さまざまな要因が関わっていることもわかってきました。

つまり、

マシュマロを何分待ったかだけで、その子の未来が決まるわけではありません。

人生はそんなに単純な入試ではありません。

4歳のときにマシュマロを食べたくらいで、

「はい、あなたの未来はこちらです」

と判定されたら、さすがにマシュマロの権限が強すぎます。

むしろ、この研究から学びたいのは、

「その子はどんな状況なら待ちやすいのだろう?」

「どんな工夫があれば、自分をコントロールしやすくなるのだろう?」

という問いです。

人を評価するためではなく、

人を理解するために使う。

そのほうが、この研究はずっと豊かになります。

人生には、マシュマロが何度も出てくる

もちろん、大人になると目の前にマシュマロを置かれることは、そう多くありません。

でも、姿を変えたマシュマロなら、毎日のように現れます。

スマホ。

ネット通販。

甘いもの。

ゲーム。

SNS。

「今日だけ休もう」

「あと5分だけ」

「これを買ったら頑張れる気がする」

未来の自分より、今の自分を優先したくなる瞬間。

それが、大人版のマシュマロです。

そして、そんなときに、

「また我慢できなかった」

と自分を責めるだけではなく、

「次はどうすれば、少し待ちやすくできるだろう?」

と考えてみる。

見ないようにするのか。

距離を取るのか。

別のことを始めるのか。

考え方を少し冷やすのか。

それだけで、自制心は「性格の問題」から「工夫できる問題」へ変わります。

これは、小さいようで大きな変化です。

最後に残るのは、「自分を扱う知恵」

ミシェルたちの研究は、子どもの前にお菓子を置くという、驚くほど単純な場面から始まりました。

でも、その小さな場面から見えてきたのは、

人は未来のためにどう待つのか。

誘惑とはどう付き合えばいいのか。

注意をどこへ向ければいいのか。

自分の気持ちをどう扱えばいいのか。

という、とても大きなテーマでした。

自制心は、

「弱い自分を押さえつける力」

ではないのかもしれません。

むしろ、

弱くなる自分を知って、その自分が困らないように少し先回りする知恵

なのかもしれません。

いつでも強くなくていい。

誘惑に毎回勝たなくてもいい。

ときには見ない。
ときには離れる。
ときには別の方向を向く。

それでもちゃんと、未来の自分へ近づいていけます。

マシュマロ実験が教えてくれるのは、

「もっと我慢強い人になりなさい」

という話ではなく、

「人間はそんなに強くない。だからこそ、上手に自分を助ける方法を持とう」

ということなのだと思います。

目の前のマシュマロより、その先にあるものを選びたい日。

そんな日に必要なのは、根性よりも、ほんの少しの工夫なのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

あとがき

この論文を読んでいて、私はなんだか少し安心しました。

というのも、自制心の研究と聞くと、最初はもっと厳しい話を想像していたからです。

「我慢できる人が偉い」
「誘惑に負ける人は意志が弱い」
「成功したければ、自分を律しなさい」

そんな感じの、心にハチマキを巻かせる話が始まるのかなと思っていました。

ところが実際に読んでみると、出てきたのはもっと人間くさい話でした。

マシュマロをずっと見て耐えるのではなく、目をそらす。

別のことを考える。

歌う。

遊ぶ。

「おいしそう」と考えず、少し冷静な見方をする。

なんというか、

人間の弱さを克服する研究というより、人間の弱さを前提にして、どう扱えばいいかを考える研究

に見えたのです。

私はそこが、とても好きでした。

「強くなれ」より、「やりやすくしよう」

私たちは何かができないと、すぐ自分の中に原因を探します。

続かない。

集中できない。

我慢できない。

先延ばしする。

すると、

「もっと頑張らないと」
「自分は意志が弱いな」
「ちゃんとしないとな」

という言葉が出てきます。

この「ちゃんとしないと」という言葉、なかなか便利です。

だいたい何にでも使えます。

でも便利すぎて、ときどき問題の正体まで隠してしまいます。

たとえば仕事に集中できないとき。

「集中力がない」

で終わらせてしまえば、自分の性格の問題です。

でも、

机の上にスマホがある。
通知が鳴る。
メールが来る。
別の仕事が割り込む。

という状況なら、

「いや、これ集中できないように部屋が設計されてません?」

という話にもなります。

私はこの論文を読みながら、そういう視点って大事だなと思いました。

人を変える前に、環境を少し変える。

心を鍛える前に、心が疲れにくい配置を考える。

「もっと強くなれ」

ではなく、

「もう少しやりやすくできないかな」

と考える。

この発想は、ずいぶん呼吸がしやすいです。

「逃げる」は、ときどき立派な作戦になる

特に印象に残ったのは、子どもたちが誘惑から目をそらしていたことです。

普通、私たちは、

「逃げるな」
「正面から向き合え」

という言葉を、ちょっと立派なものとして扱います。

たしかに、向き合わなければならないこともあります。

でも、マシュマロに関しては違いました。

ずっと見ているより、見ないほうが待ちやすかった。

これ、人生でも案外そうなのかもしれません。

すべての誘惑と正面対決する必要はない。

全部の不安を真正面から凝視する必要もない。

腹が立っているときに、その場で完璧な返事をしなくてもいい。

疲れているときに、精神論で自分を引っぱり続けなくてもいい。

ちょっと離れる。

少し時間を置く。

別のことをする。

それは敗北ではなく、

自分を守るための作戦

になることがあります。

私は昔から、「逃げる」という言葉は少し損をしている気がします。

逃げることと、投げ出すことは同じではありません。

一度距離を取って、自分がちゃんと考えられる場所へ戻る。

それだって立派な選択です。

マシュマロから目をそらした子どもたちは、そのことをずいぶん昔から知っていたのかもしれません。

自制心って、自分への思いやりなのかもしれない

ここまで考えていくと、自制心という言葉の印象も変わってきます。

最初は、

「自分を厳しく管理する力」

のように見えていました。

でも最後には、

「未来の自分が困らないように、今の自分を少し助けておく力」

に見えてきました。

夜更かししないために、スマホを遠くへ置く。

衝動買いしないために、一晩考える。

怒っているときに、返信を少し待つ。

集中したいときに、通知を消す。

これって、自分を縛るというより、

未来の自分への小さな親切ですよね。

「明日のあなた、たぶんここで困ると思うので、先に片づけておきました」

という感じです。

未来の自分に、こっそり置き手紙を残しているようなものです。

そう考えると、自制心はずいぶんやさしい言葉になります。

マシュマロを我慢できなかった日にも

そして、この記事で一番残しておきたいのは、

「待てなかったらダメ」

という話ではない、ということです。

人間ですから、食べる日もあります。

スマホを見る日もある。

買う日もある。

動画をもう一本見てしまう夜もあります。

それで人生終了ではありません。

大事なのは、

「またダメだった」

で終わるのではなく、

「次はどうすれば、少しやりやすくなるかな」

と考えられることなのだと思います。

失敗を人格診断に使わない。

失敗を、次の工夫の材料にする。

この違いは大きいです。

「私は意志が弱い」

と決めてしまえば、そこで話は終わります。

でも、

「この状況だと、自分は弱くなりやすいらしい」

と考えれば、次があります。

じゃあ、見えないところに置こう。

じゃあ、少し距離を取ろう。

じゃあ、別のことをしてみよう。

失敗が、設計図になります。

私は、この考え方がけっこう好きです。

「アドラーの昼寝」として、この論文から持ち帰りたいこと

「アドラーの昼寝」では、心理学の論文を読んで、

「へえ、そうなんだ」

で終わらせたくないと思っています。

できれば、

「今日の自分を少し扱いやすくする言葉」

まで持って帰りたい。

この論文から私が持ち帰りたいのは、

「強くなれない日には、戦わなくていい工夫をつくればいい」

ということです。

人間は、いつでも立派ではありません。

疲れたら弱くなる。

お腹が空いたら判断も揺れる。

不安な日は、目の前のことばかり考える。

それでいいと思うのです。

完璧に強い人間を目指すより、

弱くなる自分を知っている人のほうが、案外遠くまで歩けるのかもしれません。

マシュマロを前にして、目をそらした子ども。

歌を歌った子ども。

手で顔を隠した子ども。

私はなんとなく、その姿が好きです。

「誘惑に負けないぞ」と胸を張るのではなく、

「これはちょっと見ないほうがいいな」

と、自分なりに工夫している。

なんだか、とても人間らしい。

人生には、これからもいろんなマシュマロが置かれるのでしょう。

全部に勝たなくてもいい。

全部を我慢できなくてもいい。

でも、

自分が少し生きやすくなる方法を、一つずつ覚えていく。

それなら、できる気がします。

今日もまた何かに負けそうになったら、

「もっと強くならなきゃ」

ではなく、

「さて、このマシュマロ、どこに置こうか」

くらいから考えてみてもいいのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
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制作ノート

出典論文:Mischel, W., Shoda, Y., & Rodriguez, M. L. (1989). Delay of Gratification in Children. Science, 244(4907), 933–938. American Association for the Advancement of Science (AAAS). DOI:10.1126/science.2658056

掲載・確認先PubMed / Google Scholar / Science / JSTOR

記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。

制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。

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はじめまして。心理学の論文要約サイト「アドラーの昼寝」を運営している阿部牧歌です。 これまで、障がい者福祉事業所の施設長などを経て、現在は某就労支援機関にてキャリアコンサルタントとして働いています。 日々、さまざまな悩みや不安、迷いにふれる中で感じるのは、人の心はとても複雑なのに、ひとつの言葉や考え方で少し楽になることがある、ということです。心理学の論文には、そんな「心を理解するためのヒント」がたくさん詰まっています。けれど、そのまま読むには少しかたくて、専門用語も多く、気軽には近づきにくいものでもあります。 「アドラーの昼寝」では、そんな心理学の論文を、なるべくわかりやすく、やわらかく、そして少し面白く読める形にしてお届けしたいと思っています。読書が好きで、本の中を歩くように言葉を読む時間が昔から好きでした。論文もまた、少し入り口を整えるだけで、ぐっと親しみやすいものになります。 このサイトが、忙しい日々のなかでほんの少し立ち止まり、自分や誰かの心をやさしく見つめるきっかけになれば嬉しいです。
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