「いい子だね」と褒めるとどうなる?5〜6歳児の研究でわかった失敗後の反応
- 「いい子だね」は、ほんとうに“いい褒め方”なのでしょうか?
- この論文をひとことで言うと
- この論文の要点
- 研究の背景:なぜ「いい子だね」を研究した?子どもの褒め方と自己評価の意外な関係
- 研究方法:5〜6歳の子どもに何をした?「人・結果・過程」の褒め方を比べた実験
- この研究でわかったこと:「いい子だね」と褒めると失敗に弱くなる?子どもの反応に見えた違い
- ここが面白い:褒め言葉の差が見えるのは、成功したときではなく“失敗したとき”だった
- 私たちの生活にどう活かせる?:「いい子だね」の代わりに何と言う?失敗に強い心を育てる褒め方のヒント
- 少し注意したい点:「いい子だね」は本当に逆効果?子どもの褒め方を研究から考えるときの注意点
- まとめ:「いい子だね」と褒める前に知っておきたい、子どもの心に残る言葉の違い
- あとがき
- 制作ノート
「いい子だね」は、ほんとうに“いい褒め方”なのでしょうか?
『「あなたはいい子」と「よく工夫したね」は何が違う? 人そのものを褒める・叱ることと、取り組み方を褒める・叱ることが自己価値と立ち直る力に与える影響』メリッサ・L・カミンズ、キャロル・S・ドゥエック(1999)
Kamins, M. L., & Dweck, C. S. (1999). Person versus process praise and criticism: Implications for contingent self-worth and coping. Developmental Psychology, 35(3), 835–847.
DOI:10.1037/0012-1649.35.3.835
「いい子だね」
子どもに向ける言葉として、これほど感じのいい言葉もなかなかありません。
何かを手伝ってくれたとき。
ちゃんと片づけができたとき。
おとなしく待てたとき。
つい、言いたくなります。
「えらいね」
「いい子だね」
「ほんとにいい子だねえ」
言われた子どももうれしそう。言った大人もなんだか満足そう。めでたし、めでたし。
……と、ここで心理学者が静かに手を挙げます。
「ちょっと、その“いい子だね”について調べてもいいですか?」
えっ、そこ調べるんですか。
もっとこう、人間の深層心理とか、夢の意味とか、壮大なところに行かなくていいんですか。
でも心理学という学問、意外とこういうところを見ています。
私たちが毎日のように使っている、あまりにも普通すぎて疑ったことさえない言葉。
そして、その普通のひと言が、失敗したときの心にどんな影響を残すのか。
1999年、心理学者のメリッサ・L・カミンズとキャロル・S・ドゥエックは、そんな問題を研究しました。
テーマは、大ざっぱに言えば、
「子どもを褒めるとき、“その子自身”を褒めるのと、“やったこと”を褒めるのでは何か違うの?」
というものです。
これが、思った以上に奥深い。
「いい子」と言われると、何が褒められているのか
たとえば、子どもが上手に絵を描いたとします。
そこで、
「いい子だね」
と言う場合と、
「よく工夫して描いたね」
と言う場合。
どちらも褒めています。
だから一見すると、
「まあ、どっちでもいいじゃないですか。褒めてるんだから」
となりそうです。
ところが、よく見ると宛先が違います。
「いい子だね」は、その子自身に向いています。
一方、
「よく工夫したね」
は、その子がしたこと、取り組み方、行動に向いています。
この違い、成功しているときにはそれほど大きく見えないかもしれません。
問題は、うまくいかなかったときです。
もし普段から、
「できたあなたはいい子」
という形で褒められていたら、失敗した瞬間に心の中で、
「じゃあ、できなかった私は……?」
という話になってしまう可能性があります。
ここで、褒め言葉が少し不思議な変身をします。
もともとは、
「あなたを励ましたい」
という善意の言葉だったのに、
失敗した瞬間、
「自分そのものが評価されている」
という重たい荷物になることがある。
もちろん、「いい子だね」と一度言っただけで何か重大なことが起こる、という話ではありません。
心理学はそこまで乱暴ではありません。
この研究が見ようとしたのはもっと細かなところです。
褒め方の“向き”が違うと、失敗した後の自己評価や感情、もう一度やってみようとする姿勢に違いが出るのだろうか。
そこを実験で確かめようとしたのです。
褒めることより、「何を褒めるか」
私たちは「子どもは褒めて育てましょう」と聞くことがあります。
これはとても分かりやすい言葉です。
ただ、そのまま受け取ると、
「よし、とにかく褒めればいいんですね。褒め言葉、増量キャンペーン開始!」
となりかねません。
朝起きた。
「いい子!」
靴を履いた。
「天才!」
歯を磨いた。
「人類史に残る!」
いや、最後はさすがに盛りすぎです。
大切なのは、褒める量だけではなく、どこに注目して褒めるかなのかもしれません。
その人そのものを評価するのか。
結果を評価するのか。
それとも、工夫したこと、挑戦したこと、取り組み方を見て言葉をかけるのか。
カミンズとドゥエックの研究がおもしろいのは、
「褒めるのは良いことですか、悪いことですか?」
という単純な○×問題にしていないところです。
むしろ、
「同じ“褒める”でも、中身によって子どもが受け取るメッセージは違うのでは?」
と問いかけています。
失敗したときに、褒め言葉の本当の顔が見える
成功しているとき、人はたいてい機嫌よく褒め言葉を受け取れます。
難しいのは、その次です。
できなかった。
間違えた。
思ったようにいかなかった。
そんなとき、
「今回はうまくいかなかったな」
と思えるのか。
それとも、
「私はダメなんだ」
まで話が広がってしまうのか。
この違いは小さく見えて、実はかなり大きい。
行動の失敗なら、次に変えられます。
でも、自分そのものが失敗だと思ってしまうと、立て直すのはずっと難しくなります。
だからこそ、この論文は「褒め方」という一見ほのぼのしたテーマを扱いながら、かなり深いところまで入っていきます。
人は、失敗したときに何を「自分の問題」だと感じるのか。
その境界線に、普段かけられている言葉が少し関係しているかもしれないのです。
「いい子だね」
たった五文字ほどの、やさしい言葉。
けれど、その言葉が指しているのは、
「あなたの行動」でしょうか。
それとも、
「あなたという人間そのもの」でしょうか。
今回紹介するKamins & Dweck(1999)の研究は、その違いを5〜6歳の子どもたちへの実験から調べています。
褒めることをやめよう、という話ではありません。
むしろ逆です。
どうせ大切な人に言葉を届けるなら、どんな言葉なら失敗したあとにも支えとして残るのだろう。
そんな問いを持ちながら、この研究をのぞいてみたいと思います。
さて。
「いい子だね」は、本当にいつでも“いい褒め方”なのでしょうか。
ここから、褒め言葉の小さな解剖を始めてみましょう。

この論文をひとことで言うと
この論文を、ものすごく簡単に言うなら、
「子どもを褒めるなら、“あなたはいい子”と人そのものを評価するより、“よく考えたね”“よく頑張ったね”と取り組み方に目を向けたほうが、失敗したときに心が折れにくいかもしれない」
という研究です。
たとえば、子どもが何かを上手にできたとします。
そこで大人が、
「ほんとにいい子だね!」
と言う。
もちろん、悪気なんてありません。むしろ愛情たっぷりです。
ところが、この言葉には少しだけ不思議なところがあります。
褒められているのが、
「今やったこと」
ではなく、
「あなたという人そのもの」
になっているんですね。
成功している間は、これでも問題は見えにくい。
「できた。だから私はいい子」
ここまでは気分よく進みます。
ところが、次に失敗したとき。
心の中でこんな会議が始まるかもしれません。
「さっきは、できたから“いい子”だった」
「今回は、できなかった」
「……ということは?」
そこ、計算しなくていいんです。
でも子どもの心は、ときどき妙に律儀です。
「できなかった私は、悪い子なのかな」
「私ってダメなのかな」
と、失敗した行動の話が、自分自身の価値の話にまで広がってしまうことがあります。
この論文が面白いのは、まさにそこを調べたことです。
「失敗した」から「私はダメだ」へ飛ばないために
私たち大人でも、似たことがあります。
仕事でミスをした。
本来なら、
「今回は確認不足だったな」
で済む話なのに、
「私は仕事ができない人間だ」
まで話を大きくしてしまう。
料理を失敗した。
「火が強すぎたな」で終わればいいのに、
「私は家事もろくにできない」
となる。
一個のお皿を焦がしただけなのに、なぜか人生全体まで黒焦げ判定です。
心というのは、ときどき話を盛ります。
カミンズとドゥエックが注目したのも、この「やったこと」と「自分そのもの」がくっついてしまう現象でした。
そこで研究では、褒め方や批判の仕方を変えてみます。
人そのものに向けて、
「いい子だね」
と評価する。
結果に向けて、
「上手にできたね」
と評価する。
あるいは過程に向けて、
「いいやり方だったね」
と評価する。
そして、そのあとにうまくいかない場面を経験してもらう。
そこで研究者たちが見たかったのは、
「失敗したとき、子どもは自分をどう見るのか」
でした。
ここが大事です。
この研究は、
「褒めた直後にニコニコしました」
だけを見ているわけではありません。
褒め言葉の本当の影響を見るために、あえてその後の失敗場面まで見ています。
成功しているときは、どんな褒め方でもだいたい気分はいい。
でも、
「できなかったときにも、その言葉は味方でいてくれるのか?」
そこまで確認しようとしたわけです。
なかなか心理学、容赦がありません。
人を褒めるより、行動に光を当てる
研究結果を大まかにまとめると、人そのものを評価するような褒め方や批判を受けた子どもは、失敗したあとに自分自身を否定したり、気分を落としたり、粘り強さを失ったりする反応を示しやすかったとされています。
一方で、取り組み方や過程に焦点を当てた場合には、失敗をもっと「やり方の問題」として受け止めやすい傾向がありました。
この違いは、とても重要です。
「あなたはダメ」
と、
「そのやり方ではうまくいかなかった」
は、似ているようで全然違います。
前者は、自分そのものに出口がなくなる。
後者なら、
「じゃあ、やり方を変えてみようか」
という次の一手が残ります。
つまり、過程を褒めることの大きな意味は、
成功したときに気分を良くすることだけではなく、失敗したときにも“修正できる余地”を残しておくこと
なのかもしれません。
この研究が伝えているのは、「褒めるな」ではない
ここでひとつ、誤解してはいけないことがあります。
「なるほど。“いい子だね”は禁止ですね」
と、今日から家庭内褒め言葉取締法を施行する必要はありません。
この研究は、
「人を褒めるな」
という話ではありません。
ましてや、
「子どもを褒めると危険です」
という話でもありません。
大切なのは、
「褒める」という行為にも、いろいろな種類がある
と知ることです。
結果だけを見るのか。
性格や人物そのものを見るのか。
工夫したこと、努力したこと、挑戦したことを見るのか。
その違いによって、子どもが失敗をどう解釈するかが変わる可能性がある。
これが、この論文の大切なポイントです。
だから、この研究をひとことで持って帰るなら、
「褒め言葉は、成功した瞬間だけでなく、失敗したあとに何を残すかまで考えると面白い」
ということになるでしょう。
「いい子だね」
その言葉は、とても温かい。
でも、ときには、
「よく考えたね」
「工夫したね」
「最後までやってみたね」
「今回はここがうまくいかなかったね」
と、その人ではなく、その人がしたことに光を当てる言葉も大切なのかもしれません。
褒め言葉は、ただの拍手ではありません。
失敗したあとに立ち上がるための、小さな手すりにもなる。
この論文は、そんなことを教えてくれる研究です。

この論文の要点
この研究の全体像を、まず3つにぎゅっと絞ると、こんな感じです。
1. 「いい子だね」と人そのものを褒めると、失敗が“自分の価値”の問題になりやすい
褒めること自体が問題なのではありません。ポイントは、何を褒めているのかです。
「いい子だね」と人そのものを評価されると、成功したときにはうれしくても、失敗したときに、
「できなかった」
から、
「私はダメなのかも」
へ話が飛びやすくなる可能性があります。
失敗したのは一回の行動なのに、心の中ではいつの間にか「自分株式会社」の株価まで暴落している。研究は、そんな行動の評価と自己評価がくっついてしまう危うさに注目しました。
2. 過程に目を向けた言葉は、失敗しても「やり方を変えればいい」を残しやすい
一方、「よく考えたね」「いいやり方だったね」と、取り組み方や過程に目を向けると、評価の対象はその子自身ではなく、そのときの行動や方法になります。
すると失敗しても、
「私はダメ」
ではなく、
「このやり方ではうまくいかなかった」
と受け止める余地が残ります。
この差は小さく見えますが、かなり大切です。
「自分を取り替えなきゃ」は難しい。でも「やり方を変えてみよう」なら、次の一手があります。
実験では、人そのものへの評価を受けた子どもほど、失敗後に自己評価や感情、粘り強さの面で無力感的な反応を示しやすいことが報告されました。
3. 大切なのは「どれだけ褒めるか」より、「どこに言葉を届けるか」
この論文から持ち帰りたいのは、
「子どもはたくさん褒めればいい」でも、「褒めてはいけない」でもない
ということです。
同じ褒め言葉でも、
「あなたはすごい」
と人そのものに貼るのか、
「そこを工夫したんだね」
と行動や過程に光を当てるのかで、受け取られる意味が変わる可能性があります。
つまり、褒め言葉にも“宛先”がある。
成功した瞬間に気持ちよくなる言葉だけではなく、失敗したあとにも「じゃあ次はどうしよう」と思える言葉を残せるか。
そこに、この研究のおもしろさがあります。

研究の背景:なぜ「いい子だね」を研究した?子どもの褒め方と自己評価の意外な関係
子どもが何かをうまくできた。
そんなとき、大人はつい褒めたくなります。
「すごいね」
「えらいね」
「いい子だね」
ごく自然なことです。
むしろ、「ちゃんと褒めてあげたほうがいい」と考える人のほうが多いでしょう。
ところが、心理学の世界では少し前から、こんな疑問が浮かんでいました。
「褒めることそのものより、“何を褒めるか”のほうが大事なのでは?」
ここが、この研究の出発点です。
当時すでに、キャロル・ドゥエックたちの研究では、子どもが成功や失敗をどう受け止めるかは、能力や努力についてどんな考え方を持っているかによって変わることが示されていました。
たとえば失敗したとき、
「自分には能力がないんだ」
と受け取るのか、
「やり方を変えればいい」
と受け取るのか。
同じ失敗でも、心の中で作られる物語はかなり違います。
テストで60点を取っただけなのに、
「今回は勉強方法が合わなかったな」
で終わる人もいれば、
「私は頭が悪い。人生終了。閉店ガラガラ」
まで行ってしまう人もいる。
点数は同じなのに、心の実況中継がまるで違うわけです。
では、褒め言葉はその実況中継に関係するのか
ここでカミンズとドゥエックは、もう一歩踏み込みます。
子どもが失敗したときに、
「私はダメなんだ」
と思いやすくなるかどうか。
その背景には、普段どんなふうに評価されているかも関係しているのではないか。
つまり、
「できたこと」を評価されているのか。
それとも、
「あなたという人そのもの」を評価されているのか。
この違いです。
たとえば、
「上手にできたね」
なら、褒められているのは結果です。
「いいやり方だったね」
なら、褒められているのは取り組み方です。
でも、
「いい子だね」
となると、評価の矢印がその子自身に向きます。
ここで研究者たちは考えました。
成功したときに、
「できたあなたは、いい子」
というメッセージを受け取った子どもは、失敗したときにその式を逆算してしまわないだろうか。
「できた=いい子」
なら、
「できない=……?」
心という名の電卓が、余計な計算を始めそうです。
まだよく分かっていなかったのは「失敗した後」のこと
この研究で特に重要だったのは、褒められた直後ではなく、その後に失敗したとき何が起こるかでした。
褒めた直後なら、多くの子どもはうれしいでしょう。
「いい子だね」
と言われて、
「なんという心理的圧力……」
と腕を組んで分析する5歳児は、そう多くありません。
問題は、そのあとです。
うまくできなかったとき。
失敗したとき。
思いどおりにいかなかったとき。
そのとき、
「今回は失敗した」
で済むのか。
それとも、
「失敗した私は、よくない子なんだ」
まで広がってしまうのか。
当時、まさにこの部分はまだ十分には分かっていませんでした。
人そのものを評価する褒め方と、行動や過程を評価する褒め方では、失敗後の自己評価や感情、粘り強さに違いが出るのか。
これを実験で確かめようとしたのが、Kamins & Dweck(1999)の研究です。
「褒めるか、褒めないか」ではなく、「どこを褒めるか」
ここが、この論文を読むうえで大事なところです。
研究者たちは、
「褒めるのは良いことか、悪いことか」
という単純な話をしたかったわけではありません。
そうではなく、
褒め言葉が、子どもにどんな意味として届いているのか
を見ようとしました。
大人としては、
「あなたを大切に思っているよ」
という気持ちで「いい子だね」と言っているかもしれません。
でも、子ども側では、
「自分という人間が評価されている」
と受け取る可能性もある。
そして、その評価が成功と結びつけば、失敗したときに自分自身まで揺れるかもしれない。
この部分が、まだはっきりしていなかったのです。
だからこの研究は、いわば褒め言葉の「中身」を調べた研究です。
包装紙にはどちらも「褒めています」と書いてある。
でも開けてみると、
「あなたはいい人」
と書いてある箱もあれば、
「そのやり方、よかったね」
と書いてある箱もある。
そして研究者たちは、
「この二つ、失敗したときまで同じ働きをするの?」
と疑ったわけです。
この疑問から、次の実験が始まります。
子どもたちに異なる種類の褒め方や批判を経験してもらい、そのあと失敗したときに、自己評価や感情、粘り強さがどう変わるのかを見る。
いよいよ心理学の虫眼鏡が、「いい子だね」の中身をのぞき始めます。

研究方法:5〜6歳の子どもに何をした?「人・結果・過程」の褒め方を比べた実験
では、この研究では実際に何をしたのでしょうか。
「子どもの褒め方を研究しました」
と言われても、それだけでは、
「研究者が幼稚園の隅っこに隠れて、“いい子だね”の回数を数えたんですか?」
となってしまいます。
もちろん、そうではありません。
カミンズとドゥエックは、5〜6歳の子どもたちに場面を演じてもらう実験を行いました。
研究は大きく2つに分かれています。
1つ目では失敗したときに、どんな批判を受けるかを比較し、67人の子どもが参加しました。
2つ目では成功したときに、どんな褒め方をされるかを比較し、64人の子どもが参加しました。
今回の記事で特に注目したいのは、この2つ目の「褒め方」の実験です。
褒め方を3種類に分けてみた
研究者たちは、褒め言葉を大きく3種類に分けました。
ざっくり日本語にすると、
① 人そのものを褒める
「あなたはいい子だね」というタイプ。
② 結果を褒める
「上手にできたね」というタイプ。
③ 過程を褒める
「いいやり方だったね」というタイプ。
です。
全部、褒めています。
怒っている人は一人もいません。
表面だけ見ると、
「全部プラスの言葉なんだから、そんなに違わないでしょう」
と思いたくなります。
ところが研究者たちは、その**褒め言葉の“宛先”**を変えました。
人に届けるのか。
結果に届けるのか。
取り組み方に届けるのか。
たったそれだけの違いを作ったわけです。
心理学の実験というのは、ときどき料理によく似ています。
材料はほぼ同じなのに、塩をひとつまみ変えたら味がどう変わるかを見る。
この研究の場合、その「ひとつまみ」が、
褒め言葉をどこに向けるか
だったのです。
そして、わざと「うまくいかない場面」を用意した
ここからが、この研究の面白いところです。
子どもたちは、褒められて終わりではありません。
そのあとに、うまくいかない場面、つまり失敗を経験する課題が用意されました。
研究者たちが本当に見たかったのは、
「褒められた瞬間に喜んだか」
ではなかったからです。
知りたかったのは、
「そのあと失敗したとき、子どもの心はどう動くのか?」
です。
ここ、大事です。
成功しているときなら、
「いい子だね」
と言われても、
「よくできたね」
と言われても、
「いいやり方だったね」
と言われても、たいてい悪い気はしません。
でも人生、残念ながら成功だけを配ってくれる親切設計にはなっていません。
うまくいかない日もあります。
そこで、
「今回はできなかったな」
と考えるのか。
それとも、
「私はダメな子なのかな」
と自分そのものまで否定してしまうのか。
研究者たちは、この違いを確かめようとしました。
見たのは「自分をどう評価するか」「どんな気持ちになるか」「続けるか」
失敗したあと、研究者たちは主に、
自分自身をどう評価するか
どんな気持ちになるか
それでも続けようとするか
を調べました。
つまり、
「できなかった。もう自分はダメ」
となるのか。
それとも、
「できなかった。でも、もう少しやってみよう」
となるのか。
その違いを見るわけです。
これなら研究の狙いがかなり見えてきます。
単なる、
「どの褒め方が一番うれしいでしょう選手権」
ではありません。
むしろ、
「どんな褒め方なら、その後に失敗しても自分自身まで否定せずにいられるのか」
を調べた研究なのです。
そしてもう一方の実験では、同じ発想を「褒める」ではなく「批判する」場面でも確かめています。
人そのものを批判するのか。
結果を批判するのか。
やり方や過程について伝えるのか。
つまり研究全体としては、
成功したときの褒め方と、失敗したときの批判の仕方、その“言葉の向け先”によって、その後の子どもの立ち直り方は変わるのか?
を調べたわけです。
方法そのものは、意外なほどシンプルです。
でも、そのシンプルさがいい。
「いい子だね」
「よくできたね」
「いいやり方だったね」
ほんの少し言葉の向きを変える。
そして、そのあと失敗したときの心を見る。
さて、この小さな違いから、本当に子どもたちの反応に差は出たのでしょうか。
次はいよいよ、研究結果を見ていきましょう。

この研究でわかったこと:「いい子だね」と褒めると失敗に弱くなる?子どもの反応に見えた違い
さて、いよいよ結果です。
「人を褒める」「結果を褒める」「過程を褒める」。
どれも一応、子どもに向けた前向きな言葉です。
では、そんなに大きな違いがあったのでしょうか。
研究結果から見えてきたのは、なかなか考えさせられるものでした。
特に重要だったのが、
人そのものを評価する言葉を受けた子どもは、その後に失敗すると、過程について評価された子どもよりも“無力感的な反応”を示しやすかった
という点です。これは褒められた場合だけでなく、批判された場合にも見られました。
「無力感的な反応」と言われると、ちょっと専門用語っぽいですね。
ものすごく簡単に言えば、
「うまくいかなかった。じゃあ次どうしよう?」よりも、「うまくいかなかった。私ってダメなのかな……」へ傾きやすくなった
ということです。
ここからが、この研究のちょっと意外なところです。
意外だったのは、「批判」だけではなく「褒める」場合にも差が出たこと
「あなたはダメな子ね」
と言われたら、傷つきそうなのはなんとなく想像できます。
そりゃそうです。
失敗した行動ではなく、自分という人間そのものに赤ペンで大きな×を書かれたようなものです。
ところがこの研究のおもしろいところは、
人そのものを“褒めた場合”にも、似た弱さが現れた
ところでした。
ここで、
「えっ、褒めたのに?」
となります。
まさにそこです。
「いい子だね」
「あなたってすごいね」
こうした言葉は、成功しているときにはとても気持ちがいい。
でも、「あなた自身」が評価の対象になるということは、成功したときだけでなく、失敗したときにも「自分自身」が採点台に乗りやすくなる可能性があります。
成功した。
「私はいい子なんだ」
失敗した。
「……じゃあ今の私は?」
なんとも嫌な逆算です。
研究者たちは、人そのものに向けられた評価が、「自分の価値は、うまくできたかどうかによって決まる」という条件つきの自己価値感につながる可能性を指摘しています。
差が出たのは、自分の見方だけではなかった
研究では、失敗したあとの反応をひとつだけ見たわけではありません。
子どもが、
自分をどう評価したか
どんな気持ちになったか
それでも続けようとしたか
といった複数の面を調べています。
その結果、人そのものを評価された条件では、過程を評価された条件よりも、これらの指標で無力感的な反応が多く見られました。自己非難もそのひとつです。
ここはかなり重要です。
単に、
「ちょっと悲しくなりました」
だけではない。
失敗したときの自分の見方、感情、粘り強さという、立ち直るためのいくつもの部分に違いが見られたのです。
逆に、過程に向けた言葉なら、評価されているのは「自分そのもの」ではありません。
「そのやり方はよかった」
という話なら、失敗したときにも、
「じゃあ別のやり方を試してみよう」
という逃げ道があります。
逃げ道というより、正確には次の一手ですね。
人間そのものを修理するのは大仕事ですが、やり方なら明日の朝から変えられます。
「失敗した」と「私は失敗作だ」の間には、大きな川がある
この研究から見えてくる大切な違いは、
「失敗したこと」と「自分自身の価値」を分けられるかどうか
なのかもしれません。
たとえば仕事で資料を間違えたとします。
「確認方法を変えよう」
なら、次につながります。
ところが、
「私は仕事のできない人間だ」
になると、突然話が巨大化します。
Excelのセルをひとつ間違えただけなのに、なぜか人格審査委員会まで開かれてしまう。
人間の心は、ときどき大げさです。
5〜6歳の子どもを対象にしたこの実験でも、研究者たちはその小さな入口を見ようとしていました。
評価が、
「あなたがしたこと」
に向いているのか。
それとも、
「あなたという人」
に向いているのか。
そこが、失敗したあとの受け止め方と関係していたのです。
だからといって、「いい子だね」を禁止する研究ではない
ここはかなり大事なので、もう一度確認しておきましょう。
この研究結果から、
「今日から“いい子だね”は禁止!」
とは言えません。
家庭の冷蔵庫に、
禁止用語:いい子
と貼り紙をする必要もありません。
この研究は5〜6歳の子どもを対象に、特定の実験状況で褒め方や批判の仕方を操作した研究です。
ですから、
「一度でも人を褒めたら、子どもが失敗に弱くなる」
という話ではありません。
さらに、後年の研究では、人への褒め方と過程への褒め方の影響は、子どもの特徴や状況によって変わる可能性も研究されています。たとえば2024年の別の実験では、人への褒め方と過程への褒め方の間で、失敗後の粘り強さや自己評価に明確な差が確認されなかった指標もあり、褒め言葉の効果は文脈に左右される可能性が指摘されています。
だからこそ、この1999年の研究を、
「正しい褒め方が判明しました!」
と読むより、
「褒め言葉の向け先によって、子どもが失敗をどう意味づけるかが変わる可能性がある」
と読むほうが正確です。
そして、この研究でもっとも面白いところは、やはりここでしょう。
優しい言葉だからといって、必ずしも同じ働きをするわけではない。
褒める。
それ自体は同じです。
でも、
「あなたはすごい」
と人に向けるのか、
「そこを工夫したね」
と行動に向けるのか。
成功している瞬間には、ほんの小さな違いに見えるかもしれません。
けれど失敗したとき、その小さな違いが、
「私はダメ」
と自分を裁く方向へ行くのか、
「じゃあ次はどうしよう」
と前を向く方向へ行くのか、その分かれ道になる可能性がある。
褒め言葉の本当の力は、褒められた瞬間の笑顔だけではなく、うまくいかなかった日に、心の中に何が残っているかで見えてくるのかもしれません。

ここが面白い:褒め言葉の差が見えるのは、成功したときではなく“失敗したとき”だった
この研究のいちばん面白いところは、たぶんここです。
褒め言葉の違いは、褒められた瞬間にはそれほど大きく見えない。
でも、失敗したときに、その違いが顔を出す。
これ、よく考えるとかなり人間くさい話なんです。
「いい子だね」
「上手にできたね」
「いいやり方だったね」
成功しているときは、どれも気分がいい。
褒められた側からすれば、
「ありがとうございます。どれでもいただきます」
という感じです。
ところが、人生には残念ながら「次も成功します保証」がありません。
その次に失敗する。
そこで初めて、さっきの言葉が心の中でどう保存されていたのかが見えてくる。
私は、この部分がこの研究のいちばん味わい深いところだと思います。
褒め言葉には、“成功した日の意味”と“失敗した日の意味”がある
たとえば、
「あなたは本当にいい子ね」
と言われたとします。
その瞬間は、当然うれしい。
でも、その言葉を心の中で少し乱暴に数式にすると、
成功した私 = いい子
となる可能性があります。
ここまではいいんです。
問題は、その次。
失敗した。
すると心が勝手に式を変形し始めます。
成功した私 = いい子
なら、
失敗した私 = いい子ではない?
いやいやいや。
誰もそこまで言っていません。
大人としては、
「そんな意味じゃないよ!」
です。
でも人間の心というのは、ときどき頼んでもいないのに続きを書きます。
そしてその続きを、自分で読んで傷つく。
なかなか面倒な編集者です。
この研究では、人そのものに向けた評価を受けた子どもほど、失敗したあとに自分自身を否定するような反応を示しやすくなりました。
つまり、問題は褒め言葉そのものというより、
その評価が“何と結びついているように感じられるか”
なのかもしれません。
「あなたはすごい」は、実はかなり大きな言葉
私たちは褒めるとき、つい話を大きくします。
何か一つできたら、
「すごい!」
さらに勢いがつくと、
「あなたは本当にすごい人だ!」
となる。
気持ちはよく分かります。
でも、よく考えると、
「この一回うまくできた」
と、
「あなたという人間はすごい」
の間には、かなり大きな橋があります。
しかもその橋、帰り道があります。
成功したときに、
「あなたはすごい」
と人全体を評価するなら、
失敗したときにも、
「あなたは……?」
という問いが発生しやすくなる。
ここが、この研究の少し怖くて、でも面白いところです。
私たちは褒めるとき、
「自己肯定感を上げてあげよう」
と思うことがあります。
でも、人そのものに大きな丸をつけ続けることが、必ずしも安定した自己評価につながるとは限らない。
むしろ、
「成功している間は○」
という条件がこっそりついてしまえば、その○印は案外ぐらぐらします。
心理学では、こうした考え方を「条件つきの自己価値」という方向から捉えることがあります。
つまり、
「私は私だから大丈夫」ではなく、「うまくできている私なら大丈夫」
になってしまう。
一文字違うだけなのに、人生の乗り心地はだいぶ違います。
過程を褒めると、“次に動かせる場所”が残る
一方で、
「よく考えたね」
「そのやり方、よかったね」
といった過程への言葉は、評価の範囲が比較的小さい。
これは一見すると、
「人そのものを褒めるより、ちょっと地味じゃない?」
とも思えます。
確かに、
「あなたは最高の人間です!」
に比べれば、
「その工夫よかったね」
は地味です。
花火と懐中電灯くらい違う。
でも、失敗したときには、この地味さが強みになります。
なぜなら、
「そのやり方がうまくいかなかった」
なら、
「じゃあ別のやり方にしよう」
と言えるからです。
動かせる場所が残っています。
反対に、
「自分自身がダメ」
となると、
「では次は、自分そのものを交換しましょう」
とはいきません。
人間は家電ではないので、本体交換ボタンがありません。
だからこそ、
評価する対象を“その人”ではなく“その人がしたこと”に置く
というのは、失敗したあとに立て直す余白を残すことでもあるのでしょう。
この研究、大人にも刺さる
もちろん、この研究の対象は5〜6歳の子どもです。
ですから、そのまま大人に当てはめて、
「大人にも完全に同じことが起きます」
とは言えません。
ただ、考え方として読むと、かなり胸に刺さります。
私たち大人も、
「仕事ができる自分」
「役に立つ自分」
「人から好かれる自分」
「失敗しない自分」
を、自分の価値とくっつけてしまうことがあります。
うまくいっている間は問題ありません。
でも、失敗した瞬間。
評価されなかった瞬間。
誰かに断られた瞬間。
「今回うまくいかなかった」
ではなく、
「自分には価値がない」
まで転げ落ちてしまう。
坂道が急すぎます。
でも考えてみれば、子どものころから私たちは、
「できたときの自分」
を褒められ、
「できなかったときの自分」
にがっかりされる経験をたくさんしています。
その中で知らないうちに、
「何かができること」と「自分に価値があること」を結びつけていく。
この論文は、そんな心の配線が作られる小さな瞬間を、虫眼鏡で見せてくれているようにも感じます。
本当に優しい言葉は、失敗した日にも使える
そして私は、この研究を読んでいると、
「優しい言葉って何だろう」
と考えさせられます。
その場で気分を良くする言葉が、必ずしも一番優しいとは限らない。
「あなたはすごい」
と言うことより、
「そこを工夫したんだね」
と、その人が実際にやったことを見てあげる。
成功したときには、
「よく考えたね」
と言える。
失敗したときにも、
「今回はうまくいかなかったね。じゃあ何を変えてみようか」
と言える。
このほうが、評価される側にとっては、
成功していても失敗していても、自分そのものまで裁かれない
という安心につながるのかもしれません。
褒め言葉には、派手な言葉と、長く残る言葉があります。
その瞬間に気分を上げるだけの言葉もあれば、失敗した日に心の中で手すりになる言葉もある。
Kamins & Dweck(1999)の研究が面白いのは、まさにそこです。
褒め言葉の本当の価値は、褒められた瞬間ではなく、うまくいかなかった日にわかることがある。
そう考えると、
「いい子だね」
という何気ないひと言も、急に奥行きを持って見えてきます。
言葉は消えても、その言葉で作られた「自分の見方」は残る。
だからこそ、褒めるときには、
「あなたは何者か」
を決めてあげるより、
「あなたが今、何をしたのか」
を丁寧に見つけてあげる。
そのほうが、失敗した日のその人にも、ちゃんと届く言葉になるのかもしれません。

私たちの生活にどう活かせる?:「いい子だね」の代わりに何と言う?失敗に強い心を育てる褒め方のヒント
ここまで読んで、
「なるほど、人そのものを褒めるより、過程や行動を見るほうがよさそうなのね」
と思った人もいるでしょう。
そして、その次に出てくるのがこの疑問です。
「じゃあ、実際には何て言えばいいの?」
ここですよね。
研究というのは、読んで「へえ」で終わると、少しもったいない。
せっかくなら、今日の会話にひとつ持ち帰りたい。
もちろん、この研究は5〜6歳の子どもを対象にした実験です。ですから、家庭でも職場でも全部この通りになる、とまでは言えません。
それでも、
人そのものを採点するより、行動や工夫に目を向ける
という考え方は、日常の言葉を見直すヒントにはなります。
「すごい人だね」より、「ここを工夫したんだね」
たとえば、子どもが絵を描いたとします。
つい、
「すごい!天才!」
と言いたくなる。
気持ちは分かります。
でも、そこで少しだけ視点を変えてみます。
「この色を自分で選んだんだね」
「細かいところまで描いたね」
「途中でやめずに最後まで描いたんだね」
すると、褒め言葉の焦点が、
“あなたはすごい人”
から、
“あなたが実際にしたこと”
へ移ります。
これだけで、言葉の意味がずいぶん変わります。
「あなたはすごい」と言われると、その“すごい自分”を維持したくなるかもしれない。
でも、
「そこを工夫したね」
なら、次にうまくいかなかったときも、
「別の工夫をしてみよう」
と考えやすい。
評価の対象が動かせる場所にあるからです。
「結果」だけではなく、そこまでの道のりを見る
テストで90点を取った子に、
「90点!すごい!」
と言う。
もちろん、それも自然な反応です。
でも、もう一歩だけ踏み込んで、
「前に間違えたところをやり直してたもんね」
「今回は毎日少しずつ勉強してたね」
「苦手な問題も飛ばさずに考えてたね」
と言ってみる。
すると、子どもは、
「90点だったから価値がある」
だけではなく、
「自分が何をしたから、ここまで来られたのか」
を見つけやすくなります。
これは、次に80点だったときにも役立ちます。
「80点だからダメ」
ではなく、
「今回はどこが違ったんだろう」
と考えられる余地が残るからです。
結果だけを見ていると、成功と失敗が白黒になりやすい。
でも過程を見ると、その間にたくさんの色が出てきます。
工夫した。
途中まで頑張った。
前より少しできた。
やり方が合わなかった。
次は変えられる。
人間の成長というのは、本当はこういう細かな色でできています。
失敗したときこそ、「人格」に話を広げない
この研究を生活に活かすうえで、私はここが特に大事だと思います。
うまくできなかったときに、
「どうしてそんな子なの」
「ほんとにだらしないね」
「あなたはいつもそう」
と、人そのものへ話を広げないことです。
たとえば宿題を忘れたなら、
「宿題を忘れた」
という出来事があります。
それだけです。
そこから、
「忘れ物をする人」
「だらしない子」
「信用できない人」
まで一気に話を進めると、事件が巨大化します。
宿題一冊の話だったのに、いつの間にか人格裁判が始まっている。
それより、
「今日は宿題を忘れたね。どうしたら明日は忘れにくくなるかな」
と、行動に戻してみる。
すると、
「玄関に置く」
「前の日にカバンへ入れる」
「メモを貼る」
と、次の方法を考えられます。
人を直そうとすると重たい。行動を変えようとすると具体的になる。
この違いは、かなり大きいです。
「褒める」より、「見つける」と考える
褒めようとすると、どうしても、
「すごい!」
「えらい!」
「立派!」
のような採点言葉が出てきます。
そこで、少し発想を変えて、
「褒める」より「見つける」
と考えてみるのもおすすめです。
何を頑張ったのか。
どこを工夫したのか。
前と何が違ったのか。
本人が自分で決めたのはどこか。
そこを見つけて、言葉にする。
「自分から始めたんだね」
「途中で困ってたけど、やり方を変えたんだね」
「前より早く準備できたね」
これは、単なるヨイショではありません。
むしろ、
「あなたのこと、ちゃんと見ていましたよ」
というメッセージになります。
人は、評価されることより、理解されることに救われる場合があります。
「100点だからすごい」より、
「昨日、眠そうなのに10分だけ机に向かってたね」
のほうが、本人には深く届くことだってあります。
大人同士でも、「人」ではなく「行動」に目を向ける
ここからは研究結果そのものではなく、考え方を日常へ広げた話です。
この研究の対象は子どもなので、大人にも同じ効果があると断定はできません。
ただ、人間関係の言葉選びとしては参考になります。
たとえば職場で、
「○○さんは仕事ができる人ですね」
と言われる。
うれしい。
でも同時に、
「仕事ができる人でい続けなければ」
というプレッシャーが生まれることもあります。
そこで、
「今回の資料、要点が整理されていて分かりやすかったです」
「トラブルのとき、すぐ確認してくれたのが助かりました」
と、具体的な行動に言葉を向ける。
すると、褒められた側も、
「次もその行動を続けよう」
と考えやすくなります。
これはパートナー同士でも同じです。
「優しい人だね」
も素敵ですが、
「疲れてるのに話を聞いてくれてうれしかった」
と言えば、何がうれしかったのかまで伝わります。
愛情まで業績評価シートにする必要はありませんが、具体的に伝えると、言葉には輪郭ができます。
自分自身にも同じことをしてみる
そして、この考え方は自分への声かけにも使えます。
私たちは自分に対しても、すぐ人格評価をします。
仕事で失敗した。
「自分は無能だ」
予定どおりできなかった。
「私は意志が弱い」
人とうまく話せなかった。
「コミュニケーション能力がない」
いや、判決が早い。
裁判開始から3秒で終身刑です。
そんなとき、
「今日は確認を一つ飛ばした」
「予定を詰め込みすぎた」
「緊張して言葉が出にくかった」
と、起きたことを行動レベルに戻してみる。
すると、
「次はチェックリストを使おう」
「予定を減らそう」
「最初の一言だけ準備しておこう」
と、改善できる場所が見えてきます。
「私はダメ」には対策がありません。
「ここがうまくいかなかった」には対策があります。
これは、かなり大きな違いです。
褒め言葉を減らすのではなく、解像度を上げる
この研究を読んで、
「じゃあ、褒めないほうがいいのかな」
と思う必要はありません。
むしろ、褒め言葉を減らすというより、
言葉の解像度を上げる
と考えるとちょうどいいでしょう。
「いい子だね」
だけで終わらず、
「困っている子に声をかけたんだね」
「自分から片づけ始めたんだね」
と、何がよかったのかまで言葉にする。
「すごいね」
だけで終わらず、
「難しかったのに途中でやめなかったね」
と、過程を見る。
こうすると、相手は、
「自分には価値があるから褒められた」
だけではなく、
「自分のこの行動がよかったんだ」
と理解できます。
そして行動なら、また選べます。
明日もできる。
別の方法も試せる。
失敗しても修正できる。
そこに、少し自由があります。
「いい子だね」は、決して悪い言葉ではありません。
ただ、その言葉だけですべてを包むより、
「何を見て、そう思ったのか」まで渡してあげる。
それだけで、褒め言葉は採点から対話へ少し近づきます。
人そのものに大きな丸や×をつけるのではなく、その人が今日やった小さな工夫を見つける。
もしかすると、私たちが誰かに届けられるいちばん優しい言葉は、
「あなたはこういう人だ」
と決める言葉ではなく、
「あなたが今やったこと、ちゃんと見えていたよ」
という言葉なのかもしれません。

少し注意したい点:「いい子だね」は本当に逆効果?子どもの褒め方を研究から考えるときの注意点
ここまで読むと、ちょっと心配になった人もいるかもしれません。
「えっ……“いい子だね”って、もう言わないほうがいいの?」
安心してください。
この論文は、家庭内から「いい子だね」を追放するための研究ではありません。
玄関に、
本日より「いい子」使用禁止
と張り紙をする必要もありません。
Kamins & Dweck(1999)の研究はとても興味深いのですが、論文を読むときには、
「何がわかったか」と同じくらい、「どこまで言えるのか」
を見ることが大切です。
研究結果は懐中電灯のようなものです。
ある場所をかなり明るく照らしてくれます。
でも、その一本で世界中すべてを照らしたことにはなりません。
まず、この研究は5〜6歳の子どもを対象にしている
最初に押さえておきたいのは、研究対象です。
この実験に参加したのは、主に5〜6歳の子どもたちでした。
つまり、
「5〜6歳児では、人そのものへの評価を受けたあと、失敗場面で無力感的な反応が出やすかった」
という結果から、
「小学生も中学生も大学生も会社員も、全員まったく同じです」
とは言えません。
42歳の会社員が上司から、
「君はいい子だね」
と言われた場合については、そもそも別の問題が発生しそうです。
年齢によって、自分についての考え方も、言葉の受け取り方も変わります。
同じ「すごいね」でも、幼児が聞くのと大人が聞くのでは意味が違う。
ですから、この研究を大人の職場や夫婦関係に応用するときは、
「同じ結果になる」と考えるのではなく、「人そのものを評価する言葉と、行動を評価する言葉は意味が違うかもしれない」という考え方を参考にする
くらいがちょうどいいでしょう。
実験の中の「褒め方」は、現実の子育てそのものではない
もうひとつ大切なのが、これは実験研究だということです。
研究では条件を比べるために、
「人への評価」
「結果への評価」
「過程への評価」
という違いが分かるように場面が設定されています。
これは科学として非常に大切です。
でも現実の家庭は、そんなに整理されていません。
昨日は、
「いい子だね」
と言い、
今日は、
「そこ工夫したんだね」
と言い、
明日は忙しすぎて、
「はいはい、早く靴履いて!」
となる。
これが日常です。
親子関係には、声の調子、表情、普段の信頼関係、その日の出来事、子どもの性格など、山ほど要素があります。
同じ「いい子だね」という言葉でも、
温かく抱きしめながら伝える場合と、
「言うことを聞くあなたなら好きですよ」という雰囲気で使われる場合では、受け取り方が違うでしょう。
つまり、
単語だけを切り取って善悪判定することはできません。
研究が示しているのは、「言葉の向け先が子どもの受け止め方に影響する可能性」です。
「いい子」という五文字そのものに、悪い成分が配合されているわけではありません。
一回言っただけで、子どもの自己肯定感が壊れるわけではない
ここも強調しておきたいところです。
この論文を読んで、
「昨日、“いい子だね”って言っちゃった……どうしよう」
と反省会を始める必要はありません。
研究は、
一度でも人物を褒めたら、その子の自己評価がずっと不安定になる
と示したものではありません。
心理的な傾向は、普通、一言だけで完成するものではありません。
人間の心は、インスタントラーメンではないので、熱湯3分で人格が仕上がるわけではありません。
家族との関係。
学校での経験。
友人関係。
成功や失敗。
何度も繰り返される言葉。
そうしたものが積み重なりながら、「自分はどんな人間なのか」という感覚が作られていきます。
だから大切なのは、
「一度でも間違った褒め方をしたらアウト」
ではなく、
普段、どんなメッセージが積み重なっているだろう
と考えることです。
「過程を褒めれば万能」でもない
そして、ここにも落とし穴があります。
この研究を読んで、
「なるほど。では今日から全部“努力を褒めればいい”んですね」
となるのも少し早い。
過程を褒めることにも、中身があります。
たとえば、本人がほとんど努力していないのに、
「頑張ったね!」
と機械的に言い続けたらどうでしょう。
たぶん本人も途中で気づきます。
「いや、今日の私、そんな頑張ってないけど」
褒め言葉が自動音声みたいになってしまえば、信頼感は薄くなります。
また、努力したのにうまくいかなかった人へ、
「でも頑張ったんだからいいじゃん!」
だけで済ませると、
「いや、こっちは結果も欲しかったんですけど」
となることもあります。
努力や過程を見ることは大切。
でも、それは結果を無視することではありません。
「今回はうまくいかなかったね」
と結果を認めつつ、
「どこまではできた?」
「何を変えられそう?」
と次につなげる。
このくらいの柔らかさが、現実では必要でしょう。
「人そのものを褒めること=悪」でもない
もうひとつ、白黒にしないでおきたいことがあります。
人そのものを肯定する言葉には、人間関係の中で大切な役割もあります。
「あなたがいてくれてうれしい」
「あなたのことが好きだよ」
「失敗しても大切な存在だよ」
こうした言葉まで、
「人物への評価だからダメです」
とするのは、この研究の読み方としてかなり乱暴です。
むしろこの研究から考えたいのは、
成果や成功を、その人の価値そのものと強く結びつけすぎないこと
でしょう。
「成功したから、あなたは価値がある」
ではなく、
「成功してもうれしいし、失敗してもあなたの価値までなくなるわけではない」
という土台がある。
その上で、
「今回はここを工夫したね」
と具体的な行動を見る。
この二つは対立しません。
人そのものは無条件に大切にする。
行動については具体的に話す。
むしろ、この組み合わせのほうが自然です。
この研究が教えてくれるのは「正解のセリフ」ではなく、見る場所
結局、この論文から、
子どもを褒めるときの完璧なセリフ集
が完成したわけではありません。
「この文章を言えば正解!」
という魔法の呪文は、残念ながら載っていません。
でも、この研究はひとつ、とても便利な問いを残してくれます。
誰かを褒めたり注意したりするとき、
「今、自分は“その人”を評価しているのか、それとも“その人がしたこと”について話しているのか?」
と考えてみる。
これはかなり使える視点です。
「あなたはダメ」
ではなく、
「今回はここがうまくいかなかった」
「あなたは天才」
ではなく、
「この工夫がうまくいったね」
そんなふうに、人格と行動を少し分けてみる。
そして同時に、
「失敗しても、あなた自身の価値まで減るわけではない」
という土台を残しておく。
研究を日常に持ち帰るなら、このくらいがちょうどいいでしょう。
Kamins & Dweck(1999)は、
「いい子だねは禁止です」
という赤信号を立てた研究ではありません。
むしろ、
「褒め言葉の中には、相手が自分を見るための小さな鏡が入っているかもしれませんよ」
と教えてくれた研究なのだと思います。
だから、その鏡が、
「成功できる私は価値がある」
だけを映すものではなく、
「失敗しても、やり方は変えられるし、自分そのものまで否定しなくていい」
と映してくれるものになっているか。
そこを、ときどき確かめてみる。
この論文との付き合い方としては、そのくらい静かな受け取り方がいちばん似合っています。

まとめ:「いい子だね」と褒める前に知っておきたい、子どもの心に残る言葉の違い
ここまで見てきたKamins & Dweck(1999)の研究を、最後にもう一度まとめてみましょう。
この論文が教えてくれるのは、単純な、
「褒めれば伸びる」
でも、
「褒めるのは危険」
でもありません。
もっと細かくて、もっと人間らしい話です。
大切なのは、褒めるかどうかだけではなく、その言葉が“どこに向いているか”なのかもしれない。
これが、この研究から持ち帰りたい大きなポイントです。
子どもが何かをうまくできたとき、
「いい子だね」
と言う。
とても自然な言葉です。
でも、この言葉はその子の行動ではなく、その子自身に評価を向けています。
一方で、
「最後までやってみたね」
「そこを工夫したんだね」
「前よりここができるようになったね」
という言葉なら、評価されているのは行動や取り組み方です。
成功しているときには、この違いは小さく見えるかもしれません。
けれど、この研究では、その後に失敗したときに違いが見えてきました。
大切なのは、失敗をどこまで広げるか
何かに失敗する。
これは誰にでもあります。
問題は、その失敗をどこまで大きくするかです。
「今回はうまくいかなかった」
なら、まだ次があります。
でも、
「私はダメなんだ」
になると、急に話が重くなります。
一回の失敗だったはずなのに、人格全体にまで赤いハンコが押される。
心、ときどき判定範囲が広すぎます。
Kamins & Dweckの研究では、人そのものに向けた評価を受けた子どもほど、失敗したあとに自己評価や感情、粘り強さの面で無力感的な反応を示しやすいことが報告されました。
つまり、
「できなかったこと」と「自分の価値」がくっつきやすくなる可能性がある
ということです。
ここが、この論文の重要なところでしょう。
「人を褒めない」ではなく、「行動もちゃんと見る」
だからといって、
「今日から“いい子だね”は禁止!」
とする必要はありません。
この研究は、言葉を禁止するための取扱説明書ではありません。
むしろ、
その子自身を大切にしながら、評価するときには具体的な行動や工夫にも目を向けてみよう
というヒントとして読むほうが自然です。
「あなたは大切だよ」
という存在への肯定と、
「ここを工夫したね」
という行動への評価。
この二つは、ケンカする必要がありません。
人そのものの価値は、成功や失敗で上下させない。
でも、行動については具体的に一緒に考える。
「今日はうまくいかなかったね」
「じゃあ、次はどうしてみようか」
そんな言葉なら、失敗したあとにも道が残ります。
褒め言葉は、採点ではなく観察に近づけられる
今回の記事で何度か出てきた考え方ですが、褒めることを、
「高い点数をつけること」
ではなく、
「相手の行動を丁寧に見つけること」
と考えると、かなり分かりやすくなります。
「えらいね」
だけではなく、
「自分から始めたんだね」
「難しいところでやり方を変えたんだね」
「昨日より少し早くできたね」
と伝える。
すると、相手は単に、
「私は褒められる人間なんだ」
ではなく、
「自分のどんな行動がよかったのか」
を知ることができます。
そして、行動ならもう一度選べます。
変えられる。
試せる。
失敗してもやり直せる。
ここに、過程を見る言葉の強さがあります。
本当に残したいのは、「次がある」という感覚
この研究を読んでいると、褒め言葉とは何のためにあるのだろう、と少し考えたくなります。
その瞬間、気分を良くするためでしょうか。
もちろん、それも大切です。
でも、もうひとつあるとすれば、
「失敗しても、まだ次がある」
という感覚を残すことなのかもしれません。
「あなたは天才」
と言われれば、天才でい続けなければならない気がする。
でも、
「今日はこの工夫がうまくいったね」
なら、明日うまくいかなかったとしても、
「じゃあ、別の工夫を試そう」
と言える。
成功を自分の価値の証明にしなくてもいい。
失敗を自分への判決にしなくてもいい。
そう考えると、褒め言葉の役割は、相手を高いところへ持ち上げることではなく、転んだときに戻ってこられる地面を残しておくことなのかもしれません。
この論文から持ち帰りたいこと
Kamins & Dweck(1999)の研究を読んで、今日からすべての言葉を慎重に選び抜く必要はありません。
会話は研究室ではありません。
忙しい朝には、
「もう、早くして!」
と言う日もあるでしょう。
思わず、
「すごい!」
と大げさに褒める日もある。
それでいいと思います。
ただ、ときどき思い出してみる。
今の言葉は、
その人そのものを採点しているのか。
それとも、
その人がしたことを見ているのか。
その違いに気づくだけでも、言葉の届け方は少し変わります。
「いい子だね」
という言葉が悪いのではありません。
その言葉の奥に、
「うまくできるあなたなら好き」
という条件が隠れていないか。
そして失敗したときにも、
「できなくても、あなた自身の価値までなくならない」
というメッセージが残っているか。
そこを考えてみることが大切なのでしょう。
褒め言葉は、相手の頭の上に金メダルをぶら下げるためだけのものではありません。
ときには、
「あなたがやったこと、ちゃんと見ていたよ」
と伝えるための言葉でもあります。
そして、その言葉が失敗した日に、
「私はダメ」
ではなく、
「じゃあ次はどうしよう」
へ向かう小さな手すりになる。
Kamins & Dweck(1999)の研究は、そんな褒め言葉のもう一つの役割を見せてくれたのだと思います。
「いい子だね」と言う前に、ほんの一秒だけ、
「私は、この子の何を見ているんだろう」
と考えてみる。
その一秒が、言葉を採点から対話へ変えてくれるのかもしれません。

あとがき
今回のKamins & Dweck(1999)の論文を読んで、いちばん心に残ったのは、
「人は、褒められたいんじゃなくて、ちゃんと見てほしいのかもしれない」
ということでした。
もちろん、これは論文にそのまま書いてある言葉ではありません。
「アドラーの昼寝」の管理人として、この研究を読みながら私が勝手に持ち帰った感想です。
でも、なんだかずっと引っかかるんですよね。
「いい子だね」
「すごいね」
「立派だね」
どれも優しい言葉です。
ただ、そういう大きな言葉をもらったとき、私たちはうれしい反面、少しだけ緊張することもある。
「次も、いい子でいなきゃ」
「次も、すごくいなきゃ」
「次も、期待に応えなきゃ」
褒められているのに、なぜか背筋が伸びる。
ご褒美のはずなのに、いつの間にか次回予告が始まっている。
人間の心、なかなか素直に景品だけ持って帰ってくれません。
「すごい人」でい続けるのは、けっこう疲れる
私はこの論文を読みながら、大人の世界のこともかなり考えました。
仕事ができる人。
優しい人。
真面目な人。
頼れる人。
明るい人。
私たちは、いろいろな「○○な人」という札を首から下げて生きています。
そして、褒められた札ほど外しにくい。
「あなたは真面目だから」
と言われ続けた人は、ちょっと休むだけで罪悪感を持つかもしれない。
「あなたは頼れるから」
と言われ続けた人は、困ったときに助けを求めにくくなるかもしれない。
「いつも明るいね」
と言われている人は、落ち込んだ日に、
「今日は暗くてごめんなさい」
みたいな気分になることもあるでしょう。
いや、謝らなくていいんです。
人間なんだから曇りの日もあります。
でも、人は褒められた役を意外と律儀に演じ続けます。
褒め言葉というのは、ときに表彰状であると同時に、配役表にもなるのかもしれません。
「できた自分」だけを愛するのは、忙しい
今回の研究で特に考えさせられたのは、成功と自己価値がくっついてしまうという話です。
うまくできた。
だから、自分には価値がある。
認められた。
だから、自分は大丈夫。
役に立てた。
だから、自分はここにいていい。
この生き方、ものすごく忙しいんですよね。
だって、自分の価値を毎日更新し続けなければいけません。
昨日できても、今日は失敗するかもしれない。
昨日褒められても、今日は誰にも気づかれないかもしれない。
評価を燃料にして走る人生は、アクセルはよく効くけれど、ガソリンスタンドが他人のところにあります。
これはちょっと心細い。
だから私は、この研究を読みながら、
「できたこと」と「存在していいこと」は、別会計にしておいたほうがいいな
と思いました。
仕事がうまくできた。
それは素晴らしい。
でも、仕事がうまくできなかった日にも、人間としての価値まで返品処理されるわけではない。
テストで100点だった。
それはうれしい。
でも、40点だった日に存在価値まで60%引きになるわけではない。
当たり前と言えば当たり前なのですが、人の心はここを簡単に混ぜます。
だから、子どもへの褒め方を考えるこの論文は、私には大人への話にも聞こえました。
「あなたはすごい」より、「そこ、見てたよ」
私は最近、褒めるという行為を少し違うふうに考えるようになりました。
以前は、
「相手を持ち上げること」
だと思っていたんです。
でも今は、
「相手の行動を見つけて、言葉にして返すこと」
に近いのかもしれないと思っています。
「すごいね」
より、
「そこ、昨日より丁寧にやってたね」
「えらいね」
より、
「嫌だったのに、それでも来たんだね」
「優しい人だね」
より、
「さっき、困ってる人に声かけてたね」
そういう言葉のほうが、相手を勝手に決めつけない。
そして何より、
「ちゃんと見ていたよ」
が伝わります。
人は、自分を高く評価してくれる人より、自分をちゃんと見てくれる人のほうに安心することがあります。
たぶん、評価は上下を作るけれど、観察は隣に立てるからです。
ここ、私はすごく好きです。
失敗した日のために、言葉を残しておく
この論文を読み終えて、私は褒め言葉というものを少しだけ「未来の備蓄」のように感じました。
成功した日にかけた言葉が、失敗した日に思い出される。
「私はすごい人だ」
という言葉は、失敗した日に少し苦しくなることがある。
でも、
「工夫できた」
「やり直せた」
「途中でやめなかった」
という記憶なら、次の挑戦で使える。
だから、いい褒め言葉というのは、成功した日に花火を上げるだけではなく、
失敗した夜に、まだ小さく灯っている明かり
なのかもしれません。
華やかではない。
でも、帰り道が見える。
私は心理学の論文を読んでいると、ときどきこういう瞬間があります。
「なるほど、これは子育ての研究なのか」
と思って読み始めたのに、
最後には、
「いや、これ自分の話じゃないか」
となる。
今回も、完全にそれでした。
「アドラーの昼寝」で残したいのは、正解より余白
「アドラーの昼寝」では、心理学の論文を紹介しながら、
「だから正しい答えはこれです」
と判子を押したいわけではありません。
むしろ、
「こういう研究があるなら、自分はどうだろう」
と考える余白を残したいと思っています。
今回の論文も、
「“いい子だね”は禁止」
という結論ではありません。
そうではなく、
「その言葉は、相手のどこに向いているんだろう」
と少し考えてみる。
それだけでも、会話は変わるかもしれません。
自分自身への言葉も同じです。
「私はダメ」
ではなく、
「今日はここがうまくいかなかった」
「私はすごい」
ではなく、
「今日はここを頑張れた」
そうやって、自分という人間全体を毎回採点しない。
人生は、毎日通知表を持って歩かなくてもいい。
私はこの研究から、そんなことまで考えました。
「いい子だね」
という言葉を捨てる必要はありません。
ただ、その言葉の隣に、
「ここを工夫したね」
「ちゃんと見てたよ」
「失敗しても大丈夫」
という言葉も置いておく。
そのほうが、相手にとっても、自分にとっても、少し呼吸しやすいのかもしれません。
褒めるというのは、相手を高いところに持ち上げることではなく、
失敗しても降りてこられる場所を残しておくこと。
今回の論文を読み終えて、私はそんなふうに思いました。
アドラーの昼寝 管理人

制作ノート
出典論文:Kamins, M. L., & Dweck, C. S. (1999).
Person versus process praise and criticism: Implications for contingent self-worth and coping.
Developmental Psychology, 35(3), 835–847.
American Psychological Association.
DOI:10.1037/0012-1649.35.3.835
掲載・確認先:PubMed / Google Scholar / CiNii Research
記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。
制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。




