子どもの褒め方でやる気は変わる?「頭がいい」と努力を褒める違い

子どもの褒め方でやる気は変わる?「頭がいい」と努力を褒める違い
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「頭がいいね」は、ほんとうに最高の褒め言葉?

『「頭がいいね」と褒めると、かえってやる気が下がる? 子どもの意欲と成績を揺らす“知能への称賛”』クラウディア・M・ミューラー、キャロル・S・ドゥエック(1998)

Mueller, C. M., & Dweck, C. S. (1998). Praise for intelligence can undermine children’s motivation and performance. Journal of Personality and Social Psychology, 75(1), 33–52. DOI:10.1037/0022-3514.75.1.33

子どもがテストで100点を取ってきた。

「すごい! 頭いいね!」

うん、言いたくなりますよね。むしろ自然です。こちらとしては全力で褒めているわけですし、「その才能、すばらしいぞ」と拍手まで添えたいくらいです。

ところが心理学の世界には、ときどき善意の肩をポンと叩いて、

「ちょっと待って。その褒め方、本当に大丈夫かな?」

と聞いてくる研究があります。

今回紹介する、クラウディア・M・ミューラーとキャロル・S・ドゥエックによる1998年の研究も、まさにそんな一本です。

テーマはとてもシンプル。

子どもを「頭がいいね」と褒める場合と、「よく頑張ったね」と努力を褒める場合では、その後のやる気や成績に違いが生まれるのか?

というものです。

「いやいや、どっちも褒めているんだから、そんなに変わらないでしょう」

そう思いますよね。

ところが、ここが人間の心の面白いところです。褒め言葉は、ただ気分を良くする飴玉ではありません。その言葉の中には、ときどき小さな“人生観”まで混ざっています。

「頭がいいね」と言われれば、

「うまくできたのは、自分が頭のいい人間だからなんだ」

と受け取るかもしれません。

一方で、

「よく頑張ったね」

と言われれば、

「うまくできたのは、自分が努力したからなんだ」

と考えるかもしれない。

成功している間は、どちらでもあまり問題は見えません。

問題は、その次です。

人間の本性は、だいたい失敗したあたりで顔を出す

人生というものは残念ながら、「ずっと正解です、おめでとうございます」という親切設計にはなっていません。

難しい問題に出会う。

思ったよりできない。

失敗する。

「あれ? さっきまでの自分、どこ行った?」

そんな瞬間が必ずやってきます。

そこで、もし自分の成功を「頭の良さ」に結びつけていたらどうなるでしょう。

問題が解けないとき、

「これは難しいな」

ではなく、

「もしかして、自分は頭がよくないのでは?」

という話に変わってしまうかもしれません。

課題の失敗だったはずなのに、いつの間にか自分自身の査定会議が始まっています。

しかも議長も審査員も自分です。

なかなか厳しい会議です。

一方で、「頑張ったからできた」と受け止めていれば、失敗したときにも、

「じゃあ、もう少しやり方を変えてみよう」

という方向へ進みやすいかもしれません。

つまり同じ「褒める」という行為でも、その言葉が子どもに伝えているメッセージは、意外と違うのです。

「褒めるか、褒めないか」の研究ではありません

ここは最初に押さえておきたいところです。

この研究は、

「子どもを褒めるのはよくない」

という話ではありません。

そんな結論だったら、全国のお父さんお母さんが翌朝から無言になります。

100点の答案を見ても、

「……確認しました」

だけになる。

それはそれで怖い。

この研究が問いかけているのは、もっと繊細な話です。

何を褒めるのか。

能力なのか。

努力なのか。

結果なのか。

過程なのか。

同じ「すごいね」でも、その後ろに何を置くかによって、子どもが成功や失敗をどう理解するかが変わる可能性があります。

だからこの研究は、単なる「子育ての褒め方マニュアル」ではありません。

もっと大きく言えば、

人は、自分の能力をどう理解するようになるのか

という研究でもあります。

「自分は頭がいい人間だ」

という自己像を守ろうとするのか。

それとも、

「まだできないけれど、工夫したり努力したりできる」

と考えるのか。

たった一言の褒め言葉の向こう側に、そんな心の分かれ道が潜んでいるかもしれないのです。

大人の世界にも、ちょっと耳の痛い話です

そして、この話は子どもだけのものでもありません。

仕事で、

「さすが、才能あるね」

と言われたあとに失敗すると、妙にへこむ。

一度「仕事ができる人」という看板をもらうと、その看板を落とさないことに必死になる。

知らないことがあっても質問できない。

難しい仕事を避ける。

失敗しそうな挑戦から、こっそり距離を取る。

そんなこと、大人にもありませんか。

「優秀な人」という褒め言葉が、いつの間にか背中に貼られた巨大な名札になって、

“優秀であり続けなければならない”

という宿題に変わってしまうことがあります。

褒め言葉とは、本来なら人を前へ押してくれるものです。

でも、その褒め方によっては、「その評価を失ってはいけない」という新しい不安まで一緒に渡してしまう。

ここが、この研究の少し怖くて、とても興味深いところです。

では実際に、ミューラーとドゥエックはどんな実験を行い、「頭がいい」と褒められた子どもと、「頑張った」と褒められた子どもに、どんな違いを見つけたのでしょうか。

褒め言葉という小さな一言から、人間のやる気の仕組みをのぞいてみましょう。

どうやら「よくできたね」の世界は、思っていたよりずっと奥行きがあるようです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文をひとことで言うと

この論文をものすごく乱暴に、でも芯を外さずにひとことで言うなら、

「『頭がいいね』より『頑張ったね』と褒めたほうが、失敗したあとも挑戦を続けやすいかもしれない」

という研究です。

もちろん、「頭がいいね」と言った瞬間に子どものやる気がシュルシュル抜けていく、という魔法の呪文の話ではありません。

研究が見ているのは、もっと静かな変化です。

子どもが問題を解いて成功したときに、

「頭がいいね」

と能力を褒められる。

あるいは、

「よく頑張ったね」

と努力を褒められる。

その時点では、どちらも気分は悪くありません。

むしろ、

「やった!」

です。

ところが、本当に面白いのはそのあとです。

少し難しい問題に挑戦して、うまくいかなかったとき。

そこで両者の違いが顔を出してきます。

成功したときより、失敗したときに差が出る

「頭がいいね」と褒められた子どもは、その言葉から、

「自分ができたのは、頭がいいからだ」

と考えやすくなります。

これは成功している間は、とても気持ちがいい。

ところが失敗すると話がややこしくなります。

「できなかった」

が、

「頭がよくないのかもしれない」

へ変身してしまうからです。

問題用紙の上で起きていた事件が、急に自分の価値の問題になってしまう。

テストで一問間違えただけなのに、心の中では緊急株主総会です。

「当社の知能評価についてですが……」

いや、そこまで大ごとにしなくていい。

一方、「頑張ったね」と褒められた子どもは、成功を努力と結びつけやすくなります。

すると失敗したときにも、

「じゃあ、もう少し頑張ってみよう」

「別のやり方ならできるかも」

と、行動のほうへ意識を向けやすい。

能力は「自分そのもの」のように感じやすいですが、努力や方法は変えることができます。

ここが大きな違いです。

この研究が教えているのは「努力を褒めろ」だけではない

この論文は、よく

「子どもは頭の良さではなく努力を褒めましょう」

と紹介されます。

もちろん、それも大切なポイントです。

ただ、もう一歩深く読むと、この研究が見せているものは、単なる褒め方のテクニックではありません。

それは、

褒め言葉によって、人は“成功の理由”を学んでいるかもしれない

ということです。

「あなたは頭がいいからできた」

と言われ続ければ、

「成功とは、自分の能力を証明すること」

になっていくかもしれない。

すると、難しい課題はちょっと怖くなります。

失敗すれば、「頭がいい自分」という看板に傷がつくからです。

逆に、

「工夫したね」

「よく粘ったね」

「前よりやり方が良くなったね」

と過程に注目されれば、

「成功とは、試したり学んだりすること」

という見方が育つかもしれません。

そうなると、難しい問題は、

「自分の能力を裁く裁判所」

ではなく、

「まだ知らないことを見つける練習場」

になっていきます。

「褒める」は、評価ではなく方向指示なのかもしれない

褒め言葉というと、私たちはつい、

「相手を喜ばせるもの」

だと思います。

でも、この研究を読むと、もう少し違う顔が見えてきます。

褒め言葉は、

「ここを大事にするといいよ」

と教える、小さな方向指示でもあるのです。

「頭がいいね」と言えば、能力へスポットライトが当たる。

「よく工夫したね」と言えば、過程へスポットライトが当たる。

人は、光を当てられた場所を見ます。

そして何度も同じ場所に光が当たれば、

「ここが大事なんだな」

と学んでいく。

だからこそ、褒めるという行為は、思っているより奥が深いのでしょう。

この論文をひとことで言えば、

「褒め言葉は、成功した瞬間を祝うだけでなく、その人が次の失敗をどう受け止めるかにも関わっている」

という研究です。

褒めるとは、ただ拍手することではない。

もしかすると、

「次に転んだとき、どこを見ればいいか」をそっと教えることなのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文の要点

まずは、この研究の全体像を3つにぎゅっと絞ってみましょう。

1. 「頭がいい」と褒めるか「頑張った」と褒めるかで、その後の反応は変わる

どちらも褒め言葉です。

「頭がいいね!」

「よく頑張ったね!」

言っている側としては、どちらも花丸を渡しているつもりでしょう。

ところが、この研究では、能力を褒められた子どもと、努力を褒められた子どもでは、その後の難しい課題への向き合い方に違いが見られました。

とくに注目したいのは、成功しているときではありません。

失敗したあとです。

うまくいっているときは、誰だって比較的ご機嫌です。

問題は、

「……あれ、できないぞ」

となった瞬間。

「頭がいい」と褒められていた子どもは、失敗を自分の能力と結びつけやすくなり、やる気や粘り強さが落ちやすい傾向が見られました。

一方、努力を褒められた子どもは、比較的その後も課題に取り組みやすかった。

つまり、

褒め言葉は、その場の気分だけでなく、“失敗したときの心の動き”にも関係していた

ということです。


2. 「頭がいい自分」を守ろうとすると、難しい課題を避けやすくなる

「頭がいいね」と言われる。

もちろん、うれしい。

ただし、その言葉が積み重なって、

「自分の価値=頭がいいこと」

になってしまうと、少し厄介です。

難しい問題に挑戦して失敗すると、

「この問題は難しかった」

ではなく、

「自分は本当は頭がよくないのでは?」

となりやすいからです。

すると、挑戦そのものが危険物になります。

簡単な課題なら「頭がいい自分」を守れる。

難しい課題なら、その看板が剥がれるかもしれない。

だったら簡単なほうへ。

心の中で、そんな小さな避難訓練が始まります。

この研究では、知能を褒められた子どもほど、能力を証明するような目標を選びやすく、失敗したあとには課題への楽しさや粘り強さ、成績などが低下する傾向が示されました。

つまり、

「できる人と思われたい」という気持ちが強くなるほど、「できないかもしれない挑戦」が怖くなることがある。

ここが、この論文のかなり重要なポイントです。


3. 褒めるなら「才能の判定」より「取り組んだ過程」に目を向けるヒントになる

この研究から、

「これから絶対に『頭がいいね』と言ってはいけません!」

という法律が制定されたわけではありません。

褒め言葉取締法はありませんので、ご安心ください。

大切なのは、

褒めるときに、何へ注目しているのか

です。

たとえば、

「頭いいね」

だけではなく、

「難しいところでも考え続けたね」

「前と違う方法を試したんだね」

「間違えてからやり直したのがよかったね」

といった具合に、本人が実際に行った工夫や努力へ目を向けることができます。

これは単なる言い換えではありません。

「あなたには才能があります」

という判定より、

「あなたには試したり、工夫したり、学んだりする力があります」

というメッセージに近くなるからです。

そして、この視点は子育てだけに限りません。

部下への声かけでも、後輩への指導でも、自分自身への評価でも同じです。

「私は優秀だからできた」

だけで終わるより、

「準備したからできた」

「何度も直したからできた」

「前回の失敗を使えた」

と考えられれば、次に失敗したときにも戻ってこられる場所があります。

この論文の3つの要点をさらに短くまとめるなら、

①何を褒めるかで、その後のやる気は変わりうる。
②能力を褒めると、失敗が“自分の能力の判定”になりやすい。
③努力や工夫など、変えられる過程に目を向けることが大切。

ということです。

褒め言葉は、ただの「よくできましたスタンプ」ではありません。

その人が次に失敗したとき、

「もうダメだ」と思うのか、「じゃあ次はどうしよう」と思うのか。

そこへ向かう、小さな矢印にもなりうるのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究の背景:なぜ「頭がいいね」が問題になる?子どもの褒め方を研究した背景

子どもが何かをうまくできたとき、

「すごいね」
「頭いいね」
「才能あるね」

と褒める。

ごく普通のことですよね。

むしろ長いあいだ、「褒めることは子どもの自信を育てる」という考え方は、とても自然に受け入れられてきました。

成功したら褒める。

褒められたら自信がつく。

自信がつけば、もっと挑戦する。

なるほど。話としては、とてもきれいです。

心の中に小さなエンジンがあって、「すごいね!」と声をかけるたびにガソリンが注がれる。

そんなイメージでしょうか。

ところが心理学者たちは、だんだん妙なことに気づき始めます。

「褒めれば褒めるほど、いつでもやる気が上がるわけではないぞ」

どうやら褒め言葉は、ガソリンのように単純なものではなさそうなのです。

問題は「褒めたかどうか」ではなく、「何を褒めたか」

ここで重要になってくるのが、キャロル・ドゥエックたちが研究してきた、

人は自分の能力をどのように考えているのか

というテーマです。

たとえば、同じテストで100点を取った子どもに、

「頭がいいね」

と言う場合と、

「よく頑張ったね」

と言う場合を考えてみましょう。

どちらも褒めています。

表面だけ見れば、ほとんど同じです。

ところが、その言葉が子どもへ伝えているメッセージは少し違います。

「頭がいいね」は、

「成功したのは、あなたに高い能力があるから」

というメッセージになりやすい。

一方、

「頑張ったね」は、

「成功したのは、努力したり工夫したりしたから」

というメッセージになりやすい。

ここで心理学者たちは考えます。

「この違い、成功している間は目立たないけれど、失敗したときに効いてくるんじゃないか?」

なんとも嫌なところに目をつけます。

しかし心理学という学問、こういうところがあります。

みんなが気持ちよく拍手している横で、

「ちなみに、その拍手の副作用を調べてもいいですか?」

と実験ノートを開く。

だから面白いのです。

「頭がいい人」であることが目標になると、失敗が怖くなる?

ドゥエックたちの研究では、それ以前から、人が課題に向き合うときの「目標」に違いがあることが注目されていました。

ひとつは、

「自分の能力が高いことを証明したい」

という方向。

もうひとつは、

「できるようになりたい、学びたい」

という方向です。

この二つは、うまくいっているときにはそれほど大きな違いが見えないことがあります。

ところが失敗すると、差が出てきます。

「自分は頭がいいと証明したい」と思っている人にとって、難しい問題は少々危険です。

できれば、

「ほら、やっぱり頭いいでしょ」

となります。

でも、できなければ、

「……あれ?」

となる。

問題に失敗しただけなのに、

自分の能力そのものが疑われているように感じてしまう。

すると、

難しい課題を避ける。

やる気が下がる。

「自分には無理」と考える。

そんな反応につながる可能性があります。

一方で、「学ぶこと」や「工夫すること」に目が向いていれば、失敗は少し違って見えます。

「この方法じゃダメだった」

なら、

「じゃあ別の方法を試そう」

と言える。

失敗が「自分への判決」ではなく、「次の作戦会議の材料」になるわけです。

でも、褒め言葉だけでそこまで変わるの?

ここで、当時まだはっきりしていなかった重要な疑問が出てきます。

子どもがもともと持っている考え方によって、失敗への反応が違うことは研究されていました。

しかし、

たった一度の褒め方によって、その後の考え方や行動まで変わるのだろうか?

これは別の問題です。

「頭がいいね」と言われる。

ただ、それだけ。

その短い一言によって、

子どもがどんな目標を持つのか。

難しい課題を選ぶのか。

失敗をどう説明するのか。

課題を楽しめるのか。

そして、その後の成績まで変わるのか。

ここが、まだ十分に確かめられていませんでした。

だからミューラーとドゥエックは、

能力を褒める場合と、努力を褒める場合を実際に比べてみよう

と考えたのです。

「褒めれば自信がつく」で終わらせない

この研究の背景でいちばん大切なのは、

「褒めるのは良いか、悪いか」

という二択ではありません。

研究者たちが知りたかったのは、

褒め言葉の“中身”によって、子どもが成功や失敗をどう理解するようになるのか

ということでした。

これはなかなか大きな問いです。

私たちは日常の中で、たくさんの評価を受け取っています。

「才能あるね」

「仕事できるね」

「センスあるね」

「頭いいね」

どれもうれしい言葉です。

でも、その言葉によって、

「その評価を失いたくない」

という気持ちまで育つことがあります。

だったら、褒めるとは何なのか。

人を元気にするだけの言葉なのか。

それとも、

「あなたは何を大切にして成功すればいいのか」を伝える言葉でもあるのか。

ミューラーとドゥエックの研究は、そんなところから始まりました。

「褒めるのは良いこと」

そこで話を終わらせず、

「では、何を褒めると、その子は次に失敗したときどうなるの?」

と、もう一歩先まで見にいったのです。

褒め言葉という、ほんの数秒の会話。

その小さな言葉の中に、やる気や挑戦、失敗との付き合い方まで潜んでいるかもしれない。

そんな疑問が、この研究の出発点でした。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究方法:「頭がいいね」と「頑張ったね」を比べたら?子どもの褒め方を確かめた実験

では、ミューラーとドゥエックはどうやって、

「褒め方によって子どものやる気は変わるのか」

を調べたのでしょうか。

研究方法の骨組みは、意外なくらいシンプルです。

ざっくり言うと、

子どもに問題を解いてもらう
→ 成功したと伝える
→ 褒め方だけを変える
→ 難しい問題で失敗を経験してもらう
→ その後どうなるかを見る

という実験です。

なるほど。

心理学者、わざわざ一度いい気分にしてから難問を出しています。

なかなか手厳しい。

ただし、この「成功したあとに失敗する」という流れこそが、この研究では重要でした。

研究全体では6つの実験が行われ、参加したのは合計412人の小学5年生でした。中心となる実験では、10歳から12歳ほどの子どもたちが、図形の規則性を見つける「レーヴン標準プログレッシブ・マトリックス」という問題に取り組みました。

名前はたいへん立派ですが、イメージとしては、

「この図形の並び方なら、空欄にはどれが入りそう?」

と考えるパズルのような課題です。

いきなり大学入試の数学を解かされたわけではありません。

最初は、みんな「よくできました」

代表的な第1実験では、128人の小学5年生が参加しました。

まず子どもたちは、ほどほどの難しさの問題10問に挑戦します。

そして終わると、実験者から、

「よくできました。とても高い得点ですよ」

という趣旨の肯定的な評価を受けました。

ここまでは全員ほぼ同じです。

違いが出てくるのは、このあと。

子どもたちは大きく3つのグループに分けられました。

ひとつは、知能を褒められるグループ

「この問題が得意なんだね。頭がいいんだね」

という趣旨の言葉をかけられます。

もうひとつは、努力を褒められるグループ

こちらは、

「一生懸命取り組んだんだね」

という趣旨の言葉をかけられます。

そしてもうひとつは、成績が良かったことだけを伝え、知能や努力について追加で褒めない比較用のグループです。

つまり研究者たちは、

「褒める・褒めない」

だけを比較したわけではありません。

「何について褒めるのか」

を変えたのです。

ここが、この実験のミソです。

次に聞かれたのは「どんな問題をやりたい?」

褒めてもらったあと、子どもたちは次に取り組みたい問題について尋ねられました。

たとえば、

「間違いが少なくて、自分がよくできることを示せそうな問題」

を選ぶのか。

それとも、

「うまくできないかもしれないけれど、たくさん学べそうな問題」

を選ぶのか。

研究者が見たかったのは、

「自分が頭のいい人間だと証明したい」のか、
「新しいことを学びたい」のか

という違いです。

これはなかなか面白い質問です。

大人版にすると、

「絶対うまくできて評価される仕事と、失敗するかもしれないけれど成長できる仕事、どちらを選びます?」

みたいな話でしょうか。

急にこちらも姿勢を正したくなります。

そして、研究者は難問を出す

さて。

ここから研究者が静かに難易度のつまみを回します。

次に子どもたちへ出されたのは、最初よりかなり難しい問題でした。

そして終了後には、

「今回はあまりうまくできなかった」

という趣旨の評価が伝えられます。

つまり、子どもたちは一度、

「よくできた!」

という成功を経験して、

その直後に、

「今度はできなかった……」

という失敗を経験するわけです。第1実験では、この難しい課題のあと、さらに最初と同程度の難しさの問題にも取り組ませ、失敗後の成績がどうなるかまで調べています。

さあ、ここからが本番です。

研究者たちは子どもたちに、

「もっとこの問題をやってみたい?」

「この問題は楽しかった?」

「なぜ今回はうまくいかなかったと思う?」

といったことを尋ねました。

そして、

粘り強さ、課題を楽しむ気持ち、失敗の受け止め方、その後の成績

などを比べていったのです。

6つの実験で、同じ問題をいろいろな角度から確認した

この論文は、一回実験して、

「はい、『頭がいいね』はよくありません。閉廷!」

と終わった研究ではありません。

全部で6つの実験を行っています。

実験ごとに少し条件を変えながら、

「失敗する前から違いはあるのか」

「子どもは自分の点数と、問題の解き方のどちらに関心を向けるのか」

「他人からどう評価されると思ったせいではないのか」

「知能そのものを、“変わらないもの”と考えるようになるのか」

など、別の説明ができないかも確かめていきました。

つまり、

「たまたま一回そうなりました」

ではなく、

「では、この可能性は?」

「じゃあ、こっちは?」

と研究者自身が結果にツッコミを入れながら確かめていったわけです。

心理学研究としては、ここがかなり大切なところです。

この実験の面白さは「失敗したあと」を見たこと

この研究方法で覚えておきたいのは、細かな人数や問題数よりも、ひとつです。

研究者たちは、褒められた直後の笑顔だけを見なかった。

そこから先を見たのです。

成功した。

褒められた。

そして失敗した。

そのとき、

もう一度やってみようと思うのか。

難しい課題を避けたくなるのか。

「努力が足りなかった」と考えるのか。

「自分には能力がない」と考えるのか。

研究者たちは、そこまで追いかけました。

だからこの研究は、「子どもは褒められるとうれしいです」という話では終わりません。

むしろ知りたかったのは、

その褒め言葉を持ったまま、子どもが壁にぶつかったとき何が起こるのか。

ということでした。

褒め言葉の本当の働きは、拍手されている瞬間ではなく、拍手が止んだあとに見えてくるのかもしれません。

では実際、「頭がいいね」と褒められた子どもと、「頑張ったね」と褒められた子どもには、どんな違いが現れたのでしょうか。

ここから、いよいよ研究結果を見ていきましょう。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この研究でわかったこと:「頭がいいね」と褒めるとどうなる?子どものやる気に表れた違い

さて、いよいよ結果です。

「頭がいいね」と褒められた子どもと、「よく頑張ったね」と褒められた子ども。

たったそれだけの違いで、本当に何か変わったのでしょうか。

結論から言うと、変わりました。

しかも興味深いのは、褒められた直後に突然大きな差が出たわけではないことです。

違いがはっきり見えてきたのは、

そのあとに失敗したとき。

ここが、この研究でもっとも面白いところです。

成功しているときには見えなかった褒め言葉の影響が、壁にぶつかったところで姿を現したのです。研究全体では、知能を褒められた子どもは努力を褒められた子どもに比べ、学ぶことよりも「自分の能力をよく見せること」を重視しやすく、失敗後には粘り強さ、楽しさ、成績などで不利な反応を示しました。

「もっと学びたい」より「頭がいいと思われたい」

まず違いが現れたのが、次にどんな課題を選びたいかというところでした。

努力を褒められた子どもは、

「難しくても、新しいことを学べそうな問題」

を選びやすい傾向がありました。

一方、知能を褒められた子どもは、

「自分がよくできることを示せそうな問題」

を重視する傾向が強くなりました。

つまり、

「できるようになりたい」

より、

「できる人だと思われたい」

へ、少し重心が動いたわけです。

これはなかなか興味深い結果です。

「頭がいいね」と褒めるのですから、普通に考えれば、

「よし、もっと難しい問題にも挑戦しよう!」

となりそうですよね。

ところが逆に、せっかくもらった「頭がいい人」という金メダルを落としたくなくなる。

難しい問題は、学べるチャンスであると同時に、

「頭がいい自分がバレるかもしれない場所」

にもなってしまうのです。

褒め言葉が勲章になると、その勲章を守る仕事まで増えてしまう。

人間の心、なかなか忙しいものです。

失敗すると「やり方」より「自分の能力」を疑いやすくなった

そして子どもたちが難しい問題で失敗すると、さらに違いが現れました。

知能を褒められていた子どもは、努力を褒められていた子どもより、

「自分には能力が足りなかったからできなかった」

という方向で失敗を説明しやすくなりました。

一方、努力を褒められた子どもは、失敗を努力の不足と結びつける傾向が強く見られました。

この違いは小さく見えて、かなり重要です。

「努力が足りなかった」

なら、

「次はもう少しやってみよう」

という続きがあります。

でも、

「能力がない」

となると、

「じゃあ、どうしよう」

となりやすい。

努力や方法は変えられます。

しかし「自分は頭がよくない」と考えてしまえば、問題を解く前に、自分自身へ不合格通知を出してしまうことがあります。

失敗したのは問題なのに、

いつの間にか、

「私という人間の性能について」

という壮大な会議が始まっている。

この研究は、褒め方によって、そんな失敗の意味づけまで変わりうることを示しました。

やる気だけではなく、その後の成績にも差が出た

さらに興味深いのは、気持ちだけの話ではなかったことです。

失敗を経験したあと、知能を褒められた子どもは、努力を褒められた子どもよりも課題を楽しめなくなり、粘り強さも低くなりました。

そして、再び問題に取り組んだときの成績にも違いが現れました。

代表的な実験では、最初の課題ではグループ間の成績に差がなかったにもかかわらず、失敗後には、知能を褒められた子どもの得点が平均で下がり、努力を褒められた子どもでは平均して上がりました。

ここ、かなり意外です。

だって、

「頭がいいね」と言われて、本当に頭が悪くなったわけではありません。

知識が消えたわけでもありません。

脳みそが褒め言葉を聞いて、

「では、本日の営業を終了します」

とシャッターを下ろしたわけでもない。

それでも、失敗後の成績は変わった。

つまり成績には、単純な能力だけではなく、

「失敗をどう受け止めたか」

「もう一度やってみようと思えたか」

「この課題を楽しめているか」

といった心理的な状態も関わっていることが見えてきます。

さらに驚くのは「点数をよく見せる」行動まで増えたこと

この論文には、もうひとつ面白い実験があります。

子どもたちは、自分の成績を、会ったこともなく今後会う予定もない別の子どもへ伝える場面を用意されました。

すると、知能を褒められたグループでは、38%の子どもが実際より良い点数を報告しました。

努力を褒められたグループでは13%、比較グループでは14%でした。

もちろん、

「頭がいいねと褒めると子どもが嘘つきになる」

などと結論づけるべきではありません。

そこまで話をジャンプさせると、心理学が全力で追いかけてきます。

この結果から考えられるのは、

「頭がいい自分」という評価を守ることが、それだけ重要になっていた可能性がある

ということです。

しかも相手は、今後会うこともない知らない子どもです。

それでも成績を少しよく見せたくなった。

これはなかなか考えさせられます。

人は「良い評価」をもらうと喜びます。

でも同時に、

その評価を失う怖さ

まで受け取ることがあるのかもしれません。

「頭の良さは変わらないもの」と考えやすくなった

さらに研究では、知能そのものをどう考えるかにも違いが見られました。

知能を褒められた子どもは、努力を褒められた子どもより、

「頭の良さは、あまり変わらないものだ」

という考えを持ちやすくなりました。

一方、努力を褒められた子どもでは、知能をより「伸ばせるもの」と見る傾向が示されました。

ここまでくると、この研究が単なる「褒め方マナー講座」ではないことが見えてきます。

褒め言葉は、

「よくできました」

という現在の評価だけではなく、

「あなたの能力って、こういうものなんですよ」

という小さな説明まで渡している可能性があるのです。

「頭がいいからできた」

と言われれば、

「能力が成功を決めるんだ」

と学ぶかもしれない。

「頑張ったからできた」

と言われれば、

「自分の行動によって結果は変えられるんだ」

と考えるかもしれない。

たった一言。

でも、その一言の中に「成功とは何か」「失敗とは何か」という説明書が折り畳まれている。

そんなふうにも読める研究です。

いちばん意外なのは、「褒めること」が問題だったわけではないこと

ここまで読むと、

「じゃあ、子どもを褒めないほうがいいの?」

と思うかもしれません。

でも、この研究が示したのは、そんな単純な話ではありません。

重要だったのは、

褒めるかどうかより、何を成功の理由として伝えるか。

知能を褒められた子どもは、「能力を証明すること」に注意を向けやすくなった。

努力を褒められた子どもは、「学ぶこと」や「取り組むこと」へ注意を向けやすかった。

そして、その違いがもっとも鮮明になったのが、

失敗したあとだった。

ここが、この研究のいちばん意外で、いちばん持ち帰りたいところだと思います。

人を褒めるとき、私たちはつい「今うまくできたこと」を見ています。

でも本当に大切なのは、

その言葉を受け取った人が、次にうまくいかなかったとき、どこへ戻れるか

なのかもしれません。

「頭がいい自分」に戻るしかなければ、失敗は怖い。

けれど、

「工夫できる」
「やり直せる」
「まだ学べる」

という場所へ戻れるなら、失敗はそこで物語の終わりにはなりません。

褒め言葉とは、成功した人へ渡す花束であると同時に、

次に転んだときのために、ポケットへ忍ばせておく小さな地図なのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ここが面白い:なぜ「頭がいいね」で挑戦が怖くなる?褒め方と失敗の意外な関係

この研究の面白いところは、

「褒めたら自信がつく」という、ものすごく自然な常識に、ちょっと待ったをかけたこと

だと思います。

だって普通は、

「頭がいいね」

と言われたら、うれしいですよね。

「なるほど、自分は頭がいいのか」

「では、この調子でいこう」

となりそうです。

ところが人間の心は、そんなに一直線ではありません。

「頭がいい」と褒められると、

“頭がいい自分であり続けたい”

という新しい仕事まで発生することがある。

褒められたはずなのに、なぜか守るものが増えてしまう。

ここが、なんとも人間らしいところです。

褒め言葉は「ごほうび」ではなく「役名」になることがある

たとえば、ある子どもが何度も、

「頭いいね」

「賢いね」

「さすがだね」

と言われたとします。

最初はもちろん、うれしい。

でも、そのうち心の中に、

「自分は頭のいい子である」

という役名ができてくるかもしれません。

すると次からは、問題を解くだけでは済まなくなります。

問題を解きながら、

「頭のいい子であることも証明しなければならない」

という副業まで始まる。

これ、地味に大変です。

簡単な問題なら安心です。

解ける。

褒められる。

役名も守れる。

しかし難しい問題になると話が変わります。

解けなかったら、

「この問題は難しかった」

ではなく、

「頭がいい自分という設定、崩れるのでは?」

となってしまう。

すると挑戦は、

学ぶ機会ではなく、身分証明書の更新試験

みたいになってしまいます。

そう考えると、難しい課題を避けたくなるのも、少しわかる気がします。

本当に怖いのは「失敗」より「正体がばれること」なのかもしれない

この研究を読んでいると、

「人はなぜ失敗を怖がるのか」

について、ちょっと違う見方ができます。

失敗そのものが怖いとは限らないんです。

「失敗した結果、何者だと思われるか」

が怖いこともある。

たとえば、

「優秀な人」

「仕事ができる人」

「センスがある人」

「なんでもできる人」

そんな評価をもらうほど、

「できない姿を見せたら、この評価がなくなるかもしれない」

という不安も生まれます。

すると、

知らないことを質問しない。

難しい仕事を避ける。

初めてのことをやらない。

できることばかり選ぶ。

という、ちょっと不思議な現象が起きます。

能力がないから挑戦しないのではありません。

むしろ、

能力があると思われているから挑戦できない。

これはなかなか皮肉です。

評価が高いほど、自由になるとは限らない。

ときには評価が、きれいな額縁になって、その中から出にくくなることもあります。

「頑張ったね」の面白さは、自分を固定しないこと

一方で、

「よく頑張ったね」

「工夫したね」

「最後まで考えたね」

と過程に目を向けた褒め方では、話が少し変わります。

ここで褒められているのは、

“どんな人間であるか”ではなく、“何をしたか”

です。

これはかなり大きな違いです。

「頭がいい人」

という評価は、本人そのものに貼りつきやすい。

でも、

「工夫した」

「粘った」

「試した」

なら、次も変えられます。

失敗したときにも、

「自分はダメだった」

ではなく、

「このやり方ではうまくいかなかった」

と考えやすくなる。

主語が、

「私」から「方法」へ移る。

ここが面白い。

人間は「私はダメだ」となると非常に動きにくくなります。

でも、

「この方法はダメだった」

なら、まだ会議ができます。

「じゃあ別案でいきましょう」

と次へ進める。

失敗が人格査定ではなく、作戦変更の材料になるわけです。

褒め言葉は、未来の失敗に意味を与えている

この研究で個人的にいちばん面白いと思うのは、

褒め言葉の効果が、褒められた瞬間だけでは終わっていないこと

です。

私たちは褒めるとき、

「今、喜んでくれたかな」

を見ます。

でも、この研究はその先を見ています。

次に難しいことが起きたとき。

失敗したとき。

思うような結果が出なかったとき。

そのときに、

「もうやめよう」

になるのか、

「では、もう一回」

になるのか。

褒め言葉は、未来のその瞬間にまで残っている可能性がある。

なんだか手紙みたいですよね。

成功した日に渡した一言が、

数日後、失敗した日に開封される。

そこに、

「あなたは頭のいい人です」

と書いてあるのか、

「あなたは工夫したり、やり直したりできる人です」

と書いてあるのか。

失敗したときに読む文章として考えると、二つの違いが急に大きく見えてきます。

これは子どもの話だけではない

研究対象は子どもですが、ここから見えてくる問いは、大人にもかなり身近です。

職場で、

「あなたって仕事できるよね」

と言われる。

うれしい。

でも次の瞬間、

「次も失敗できないな」

が始まる。

SNSで、

「いつも素敵な文章ですね」

と言われる。

うれしい。

でも、

「次も素敵じゃないといけない」

になる。

料理でも、仕事でも、勉強でも、人間関係でも同じです。

褒め言葉が、

喜びからノルマへ変わる瞬間

があります。

もちろん、だから能力を褒めるな、という単純な話ではありません。

問題は、評価がその人の全部になってしまうことです。

「仕事ができる」

ではなく、

「仕事ができなければ、自分には価値がない」

になった瞬間、評価は急に重くなります。

褒め言葉は軽い。

でも、受け取った人がそれを「自分の存在証明」にすると、とたんに鉛のようになる。

この研究は、そんな心の変化まで考えさせてくれます。

「できる人」より、「学べる人」でいられるか

結局、この研究が私たちに投げかけている問いは、

「できる人であること」と「学べる人であること」、どちらを大切にしたいですか?

なのかもしれません。

できる人は、できない瞬間が怖い。

でも、学べる人なら、できない瞬間は入口になります。

「まだ知らない」

「まだできない」

「今回は失敗した」

そこに「まだ」が残っている。

この違いは大きいです。

人間は完成品ではありません。

本当はずっと、試作品です。

昨日より少し変わって、また失敗して、修正している途中の存在です。

だから、

「あなたは頭がいい」

と完成品のラベルを貼るより、

「そこまで考えたね」

「やり方を変えたね」

「失敗しても戻ってきたね」

と、動いている部分を見る。

そのほうが、その人を自由にしてくれる場面もあるのだと思います。

この研究の面白さは、

褒め方によって能力が変わる、という単純な話ではありません。

褒め方によって、

「失敗した自分を、どう解釈するか」が変わるかもしれない。

そこです。

「頭がいい人」でいることより、

「わからないところから学べる人」でいること。

もしかすると人を長く支えてくれるのは、立派な肩書きよりも、

失敗しても戻ってこられる自分の居場所

なのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

私たちの生活にどう活かせる?:「頭がいいね」の代わりに何と言う?やる気を支える褒め方のヒント

ここまで読むと、たぶん一度はこう思います。

「じゃあ、“頭がいいね”って言っちゃダメなの?」

安心してください。

明日から家庭や職場で、

「能力に触れてはいけない……能力に触れてはいけない……」

と忍者のように言葉を選ぶ必要はありません。

この研究から生活に活かしたいのは、禁止ワードを増やすことではなく、褒めるときに“その人が変えられる部分”にも目を向けることです。

つまり、

「あなたはすごい人です」

という人物評価だけで終わらず、

「何をしたから、うまくいったんだろう?」

まで見てあげる。

ここから始めると、ぐっと実践しやすくなります。

「頭がいいね」を「何がよかった?」に変えてみる

たとえば、子どもが難しい問題を解いたとします。

つい、

「頭いいね!」

と言いたくなります。

もちろん、その一言を言ったから即座に問題が起きるわけではありません。

ただ、そこでもう一歩足すことができます。

「途中でやり方を変えたのがよかったね」

「わからなくても、すぐ諦めなかったね」

「前に間違えたところを覚えていたね」

「自分で確かめ直したんだね」

こうすると、褒め言葉の焦点が、

“あなたはどんな人か”から、“あなたは何をしたか”へ移ります。

これが大事です。

「頭がいい」は、その人自身に貼るラベルです。

でも、

「考え直した」

「練習した」

「工夫した」

「質問した」

は行動です。

行動なら、次もできます。

そして失敗したときにも、

「自分はダメだった」

ではなく、

「次は何を変えようか」

という話に戻りやすくなります。

褒めるというより、成功の中身を一緒に観察する感じですね。

ただ「努力したね」と言えばいいわけでもない

ここには、ひとつ注意があります。

この研究を知ると、

「なるほど! では何でも“頑張ったね”と言っておけばいいんですね!」

となりがちです。

心理学を便利な合言葉にすると、ときどきこういう事故が起こります。

でも、本当に大切なのは「努力」という単語を使うことではありません。

本人がほとんど頑張っていないのに、

「いやあ、すごく頑張ったね!」

と言われても、

本人の心の中では、

「いや、そこまででも……」

となるでしょう。

うまくいかなかったのに、努力だけを機械的に褒め続ければ、

「結果は出なかったけど、とりあえず褒められている」

という妙な空気になることもあります。

だから見るべきなのは、本当に起きていた過程です。

「昨日より10分長く取り組めたね」

「今回は人に聞けたね」

「一回失敗したあと、方法を変えたね」

「最後までやったね」

「途中で休んで、また戻れたね」

こういう具体的な言葉のほうが、ずっと伝わります。

褒めるというより、

「ちゃんと見ていたよ」

というメッセージになるからです。

これは、なかなか強い。

人は「すごい」と言われることもうれしいですが、

自分の小さな工夫を誰かに見つけてもらえることも、かなりうれしいものです。

失敗したときこそ「才能の査定会」を開かない

この研究を生活に活かすなら、成功したとき以上に大事なのが、

失敗したときの声かけ

です。

たとえば子どもがテストで思ったような点を取れなかった。

そこで、

「今回は頭が回らなかったね」

「向いてないんじゃない?」

となると、失敗が能力の判定になってしまいます。

そうではなく、

「どこでつまずいた?」

「勉強したところと問題は合っていた?」

「次に一つ変えるなら何にする?」

と聞く。

すると、

失敗が、

“自分という人間についての判決”から、“次の作戦会議”へ変わります。

ここは大人にもそのまま使えます。

仕事で失敗したとき、

「やっぱり自分は仕事ができない」

とまとめたくなることがあります。

でも、あまりにまとめ方が壮大です。

メール一通を間違えただけなのに、

「私は社会人として終わっている」

まで飛ぶ。

話のスケールが急に大河ドラマです。

そんなときは、

「確認する順番が悪かった」

「時間に余裕がなかった」

「わからない部分を質問しなかった」

と、行動のレベルまで降ろしてみる。

そうすると、

「では、次はここを変えよう」

と手をつけられる場所が見えてきます。

人間そのものは修理しにくいですが、手順なら直せます。

部下や後輩を褒めるときにも使える

この研究は子どもを対象にしていますが、職場での声かけを考えるヒントにもなります。

たとえば部下が良い資料を作った。

そこで、

「やっぱりセンスあるね」

だけで終えることもできます。

もちろん、悪い言葉ではありません。

ただ、

「情報を3つに絞ったから読みやすかったね」

「相手が知りたい順番に並べ替えたのがよかった」

「前回の指摘をちゃんと反映したね」

と伝えれば、

本人は、

“次も使える成功の理由”

を持ち帰ることができます。

これはかなり実用的です。

「センスがあります」と言われても、そのセンスを次の火曜日14時にどう再現すればいいのかは、よくわかりません。

でも、

「情報を絞った」

「確認した」

「相談した」

なら再現できます。

つまり良いフィードバックとは、

単に気分を上げるだけではなく、

成功を再現するための取扱説明書を渡すこと

でもあるのです。

自分自身を褒めるときにも同じ

そして忘れたくないのが、

自分への声かけです。

私たちは他人に言われなくても、自分で自分にラベルを貼ります。

「自分は文章が得意だ」

「自分は数字が苦手だ」

「自分は人付き合いが下手だ」

「自分は仕事ができない」

こういう言葉は便利です。

一言で説明できますから。

でも便利すぎる言葉は、ときどき人生を雑にします。

たとえば、

「今日は集中できなかった」

なら一日の話です。

でも、

「私は集中力がない人間だ」

になると、一生の話みたいになってしまう。

そんなときは、

「今日は途中でスマホを見すぎたな」

「午前中のほうが集中できていたな」

「30分区切りなら進んだな」

と、行動へ戻してみる。

これは自分を甘やかすことではありません。

むしろ、改善できる場所を正確に見つけるための考え方です。

「自分はダメ」

では修正箇所が広すぎます。

「この方法が合わなかった」

なら、次の一手があります。

褒める目的を「気分よくさせる」だけにしない

もちろん、誰かを褒めるとき、

喜んでもらいたい。

それでいいと思います。

人間関係に温かい言葉は必要です。

なんでも分析して、

「その発言は成長志向を促進するでしょうか」

などと考え始めると、食卓が研究室になります。

そこまでしなくていい。

ただ、ときどき思い出したいのです。

褒めるとは、

「あなたはすばらしい」

と判定することだけではなく、

「あなたのここが、次にも使えそうだね」

と伝えることでもある、と。

この違いは小さいようで、かなり大きい。

前者は評価を渡します。

後者は、次に進むための手がかりを渡します。

今日から使うなら、この3つだけ覚えておく

この研究を日常生活へ持って帰るなら、難しい理論を全部覚える必要はありません。

まず、

「何を工夫した?」を見る。

次に、

「失敗したとき、人格ではなく方法について話す。」

そして、

「結果だけでなく、次にも使える行動を言葉にする。」

この3つくらいで十分です。

たとえば、

「天才だね!」

で終わらず、

「ずっと考えてたね」

を足す。

「ダメだったね」

で終わらず、

「次はどこを変えようか」

を足す。

それだけでも、会話の向きは少し変わります。

褒め言葉は、相手の胸にメダルをかけることだけが仕事ではありません。

むしろ、

次に転んだとき、立ち上がるための手すりを残しておくこと。

そんな役割もあるのだと思います。

「あなたは頭がいいから大丈夫」

ではなく、

「あなたは考え直せるから大丈夫」

「工夫できるから大丈夫」

「失敗しても、もう一度やれるから大丈夫」

そういう言葉のほうが、長い人生では頼りになる場面がある。

人は、いつまでも成功し続けることはできません。

でも、

失敗したあとに、もう一度始める方法なら育てていける。

この研究を生活に活かすなら、私はそこをいちばん大切にしたいと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

少し注意したい点:「頭がいいね」は言ってはいけない?子どもの褒め方で誤解したくないこと

ここまで読むと、ひとつの結論に飛びつきたくなるかもしれません。

「よし。今日から“頭がいいね”は禁止!」

ちょっと待ってください。

冷蔵庫に、

「本日より能力称賛禁止」

と貼り紙をする必要はありません。

Mueller & Dweck(1998)の研究はとても面白い結果を示していますが、心理学の研究を生活に持ち帰るときには、

「この実験でわかったこと」と「そこから私たちが想像できること」を分ける

のが大切です。

この研究で直接確かめられたのは、特定の条件下で小学5年生に課題を行ってもらい、「頭がいい」と知能を褒めた場合と、「頑張った」と努力を褒めた場合などを比較したとき、その後の目標、失敗への反応、粘り強さ、楽しさ、成績などに違いが見られた、ということです。

そこから先は、少し丁寧に歩いていきましょう。

「頭がいいね」を一度言ったらアウト、ではない

まず大事なのは、

この研究は「“頭がいいね”という言葉を一度でも使うと、子どものやる気が壊れる」と証明した研究ではない

ということです。

実験では、研究者が条件をそろえて褒め方を操作しています。

これは因果関係を調べるには大きな強みです。

一方、現実の家庭は実験室ではありません。

お父さんが昨日、

「頭いいね」

と言ったかと思えば、今日は、

「よく粘ったね」

と言う。

お母さんからは、

「楽しそうにやってたね」

と言われる。

先生からは、

「途中の考え方がよかったよ」

と言われる。

そして夕方には兄弟から、

「そこ間違ってるで」

と容赦なく刺される。

現実の人間関係では、いろいろな言葉が何年にもわたって混ざっています。

実際、家庭で自然に使われる褒め言葉を追った後の研究でも、幼いころに過程を褒められることと、その後の「能力は伸ばせる」という考え方との関連が報告されています。一方で、家庭内での能力への称賛が、そのまま後の固定的な能力観と結びついたわけではありませんでした。

つまり現実は、

「この一言を言ったら○点、この一言なら100点」

という採点表ほど単純ではないのです。

研究対象は「小学5年生」だった

もうひとつ、大切な点があります。

この論文で扱われたのは、主に小学5年生の子どもたちです。

そのため、

「これは3歳児にも完全に同じです」

「高校生でも同じです」

「42歳の課長にも同じです」

と、そのまま広げることはできません。

もちろん、

「能力を証明しようとすると失敗が怖くなる」

という考え方は、大人の仕事や人間関係を考えるうえでも興味深いヒントになります。

でも、それは応用して考えているのであって、この1998年の研究が大人まで直接調べたわけではありません。

ここを混ぜないことが大事です。

研究というのは懐中電灯に近いものです。

照らした場所についてはよく見える。

でも、

「ここが明るかったから、山全体も同じでしょう」

とまでは言えません。

実験室での短期的な変化と、10年後の人生は別の話

この研究では、褒め方を変えたあとに課題を行い、その比較的短い時間の中で子どもの反応を測っています。

だから、

「知能を褒められて育った子どもは、将来必ず挑戦できない大人になる」

といった結論は出せません。

ましてや、

「子どもの人生は親の褒め方で決まる」

なんていう話でもありません。

人生には、先生、友人、部活動、成功、失敗、家庭環境、本人の性格、その後に出会った人など、無数の要素があります。

一度の褒め言葉だけで人生の脚本が印刷されるほど、人間は単純ではありません。

この研究から言えるのは、

「少なくとも、このような実験条件では、能力を褒めることと努力を褒めることによって、その後の反応に違いが生まれた」

というところです。

ここを守ると、研究が急に地味になるように感じるかもしれません。

でも実は逆です。

範囲を正確にすると、

「それでも、たった短い褒め言葉でここまで違いが出たのか」

という、この研究本来の面白さが残ります。

「努力を褒めれば全部解決」でもない

そしてもうひとつ。

この研究を紹介すると、

能力を褒める=悪
努力を褒める=善

という図式になりがちです。

しかし、ここも少し慎重に見たいところです。

たとえば、ほとんど勉強していない子に、

「努力したね!」

と言っても、本人からすれば、

「いや、してませんけど」

です。

あるいは、本人が一生懸命努力しているのに方法がうまくいっていない場合、

「もっと頑張ろう!」

だけを繰り返したらどうでしょう。

努力、努力、さらに努力。

心の筋トレ合宿みたいになってしまいます。

本当に必要なのは、

「どんな工夫をした?」

「どこまでうまくいった?」

「別の方法はあるかな?」

「誰かに聞いてみる?」

という、努力だけでなく方法や学び方まで見ることでしょう。

この論文が直接比較したのは「知能への称賛」と「努力への称賛」ですが、そこから日常生活へ持ち帰るなら、

“努力”という単語を褒めるのではなく、本人が実際に変えられる過程を見る

くらいに考えたほうが使いやすいと思います。

「成長マインドセットなら成績が上がる」まで飛ばない

この論文は、その後広く知られるようになった「能力は伸ばせると考えること」の研究ともつながっています。

ただし、ここでも話を大きくしすぎないほうがよいでしょう。

近年のメタ分析では、いわゆる成長マインドセットを促す介入が学業成績そのものをどれほど改善するのかについては、平均的な効果がかなり小さい、あるいは研究の質を厳しく見ると明確ではないという議論もあります。

これは、

「ドゥエックの研究は全部間違いだった」

という意味ではありません。

問いが違うのです。

「褒め方によって、その直後の考え方や失敗への反応が変わるか」

と、

「学校でマインドセット教育をしたら、長期的に成績が大きく上がるか」

は、同じように見えて別の問いです。

心理学では、この「似ているけれど同じではない」を区別することがとても大切です。

この研究は「正しい褒め言葉リスト」ではない

だから私は、この論文を、

「今日から使える魔法の褒め方!」

として読むよりも、

「私たちの言葉は、相手の注意をどこへ向けているだろう?」

と考える研究として読むほうが面白いと思います。

「頭がいいね」と言えば、能力へ目が向くかもしれない。

「よく考えたね」と言えば、考え方へ目が向くかもしれない。

「失敗したけど、方法を変えたね」と言えば、やり直す力へ目が向くかもしれない。

大切なのは、

禁止ワードを増やすことではなく、見る場所を増やすこと。

能力も見る。

努力も見る。

工夫も見る。

楽しんでいたことも見る。

助けを求められたことも見る。

失敗して戻ってきたことも見る。

人間は、「頭がいい」「努力家」という二つの箱だけでは収まりません。

そんな小さな箱に押し込んだら、だいたいどこかから手足が出ます。

この研究は、その複雑な人間をたった一つの評価で決めつけないための、ひとつのヒントとして読むのがちょうどいいのでしょう。

「頭がいいね」を言ってはいけない。

そこまで単純にしてしまうと、この研究から学べるものはむしろ小さくなります。

それよりも、

「この言葉を受け取った人は、次に失敗したとき、自分をどう見るだろう?」

と、ときどき考えてみる。

そのくらいの余白を残しておく。

心理学の研究は、人生の取扱説明書ではありません。

でも、いつもの言葉を少し違う角度から眺めるための、小さな虫眼鏡にはなってくれます。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

まとめ:「頭がいいね」より大切なこと|失敗しても挑戦できる褒め方とは

ここまで見てきたMueller & Dweck(1998)の研究は、ずいぶん身近なところに心理学の入口をつくってくれる研究でした。

テーマは、たったひとつ。

「子どもをどう褒めるか」

です。

ずいぶん小さな話に見えます。

でも、その一言が、

「自分は何を大切にすればいいのか」

「失敗したとき、どう考えればいいのか」

「次も挑戦していいのか」

というところまでつながっていました。

「頭がいいね」

これ自体が悪い言葉なのではありません。

むしろ言われたらうれしい。

大人だって、

「才能ありますね」

「仕事できますね」

なんて言われたら、帰り道の歩幅が2センチくらい大きくなります。

ただ、この研究が面白かったのは、

褒められた瞬間の気分だけではなく、そのあと失敗したときまで見たこと

でした。

成功しているときには、違いは見えにくい

「頭がいいね」と褒められても、

「よく頑張ったね」と褒められても、

成功した直後なら、どちらもうれしい。

だから、その瞬間だけを見れば、

「どっちでもいいじゃない」

となります。

ところが、人生には例のあいつがやってきます。

失敗です。

難しい問題。

思ったより悪い点数。

昨日までできていたのに、今日はできない。

ここで違いが見えました。

能力を褒められた子どもは、

「できなかったのは、自分に能力がないからかもしれない」

と考えやすくなり、やる気や課題への楽しさ、その後の成績にも不利な反応が見られました。

一方で努力を褒められた子どもは、

「もう少しやってみよう」

と、比較的その後も課題へ向き合いやすかった。

つまり、この研究が教えてくれたのは、

褒め言葉には、“成功の理由”を伝える働きもある

ということなのでしょう。

「あなたはすごい」から、「あなたは何をした?」へ

では私たちは、どう褒めればいいのでしょうか。

難しく考えすぎなくて大丈夫です。

ひとつ覚えておくなら、

人そのものを判定するより、実際に起きていた行動を見る。

これで十分だと思います。

「頭いいね」

だけで終わらず、

「途中でやり方を変えたね」

「わからないところを聞けたね」

「一回間違えても、もう一度考えたね」

「前より丁寧に確認していたね」

と、その人が実際にやったことへ目を向ける。

こうすると、本人も、

「次に何をすればいいか」

がわかります。

「才能があります」

と言われても、才能の出し方マニュアルはありません。

でも、

「確認した」

「練習した」

「相談した」

「試し直した」

なら、次もできます。

褒め言葉が、単なる拍手から再現可能なヒントへ変わるわけです。

そして、失敗したときには人格を裁かない

もうひとつ、とても大切なのがこれです。

失敗したとき、

「向いてないね」

「才能ないのかな」

「自分ってダメだな」

と、人間そのものの話にしない。

できるだけ、

「何がうまくいかなかった?」

まで話を小さくする。

「勉強時間が足りなかった」

「方法が合わなかった」

「確認を飛ばした」

「難しすぎる課題だった」

ここまで小さくできると、次の手が見えます。

「自分はダメ」

では、修理担当者も困ります。

修理箇所が「全部」だからです。

でも、

「確認の手順を一つ増やそう」

なら直せます。

人生では、問題を必要以上に壮大にしないことも、なかなか大切な技術なのかもしれません。

ただし「努力を褒めれば万能」でもない

そして、この記事で何度でも確認しておきたいのは、

努力を褒めればすべて解決するわけではない

ということです。

努力していないのに、

「頑張ったね!」

では、言葉が空中浮遊します。

努力しているのに成果につながっていないなら、

「もっと頑張ろう!」

だけではなく、

「方法を変えてみる?」

「助けを借りる?」

「休んでみる?」

という視点も必要です。

大切なのは、

「努力」という単語を褒めることではなく、学びや成長につながる過程を見ること。

努力も見る。

工夫も見る。

質問したことも見る。

諦めずに戻ってきたことも見る。

そして、ときには、

「今回は無理だったね」

と一緒に認めることもある。

人間を育てる言葉は、決まり文句ではありません。

ちゃんと相手を見るところから始まるのでしょう。

「できる人」であり続けなくていい

この研究を大人の自分に引き寄せて考えると、私はここがかなり大切だと思います。

私たちはいつの間にか、

「仕事ができる人」

「頭がいい人」

「頼れる人」

「失敗しない人」

でいようとします。

周囲からそう評価されればされるほど、その看板を落とすのが怖くなることもあります。

でも、人間はずっと「できる人」でいる必要はありません。

知らない日もある。

失敗する日もある。

判断を間違える日もある。

頑張ったのに結果が出ない日だってあります。

そのたびに、

「自分の価値が下がった」

と考えていたら、人生はなかなか息苦しい。

それより、

「今日はうまくいかなかった」

「じゃあ何を変えよう」

と戻ってこられるほうが、長い目ではずっと強いのかもしれません。

褒め言葉は、未来の失敗への贈り物でもある

Mueller & Dweck(1998)の研究から持ち帰りたいものを、最後にひとつだけ挙げるなら、

私はこれです。

良い褒め言葉とは、成功した今日を祝うだけでなく、失敗した明日の自分も助けてくれる言葉なのかもしれない。

「あなたは頭がいい」

も、もちろんうれしい。

でも、

「考え続けたね」

「工夫できたね」

「失敗しても戻ってきたね」

という言葉には、

次に転んだときの足場があります。

人生は、ずっと成功するゲームではありません。

むしろ、

成功して、

失敗して、

迷って、

やり直して、

「あ、こっちか」

と少しずつ進んでいくものです。

だから褒めるときも、

完成した人物へ金メダルを渡すというより、

まだ途中にいる人へ、次に進むための目印を渡す。

そのくらいが、ちょうどいいのではないでしょうか。

「頭がいいね」よりも、

「そこまで考えたんだね」。

「才能あるね」だけではなく、

「前より工夫したね」。

そして失敗した日には、

「じゃあ、次はどうしようか」。

褒め言葉の本当の価値は、人を高い場所へ持ち上げることではなく、

転んでも、また地面から始められるようにすること

なのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

あとがき

今回の論文を読みながら、私は何度も、

「褒めるって、思っていたよりずっと難しいな」

と思いました。

褒めるというのは、もっと単純なものだと思っていたんです。

できたら褒める。

頑張ったら褒める。

相手が喜んだら、こちらもうれしい。

それで十分だろう、と。

ところがMueller & Dweck(1998)の研究を読むと、褒め言葉というものが、急に立体的に見えてきます。

「頭がいいね」

その一言は、単に今日の成功を祝っているだけではないかもしれない。

もしかすると、

「あなたが評価される理由は、頭がいいことですよ」

というメッセージまで、そっと渡しているのかもしれない。

そう考えると、言葉というものはなかなか怖い。

でも同時に、とても面白いものだとも思います。

人は、褒められた場所を守ろうとする

私はこの論文を読んでいて、

「人は、褒められた場所に家を建ててしまうことがあるのかもしれない」

と思いました。

「頭がいいね」

と言われたら、頭の良さの上に家を建てる。

「仕事ができるね」

と言われたら、仕事ができる自分の上に家を建てる。

「優しい人ですね」

と言われれば、優しい自分の上に家を建てる。

最初はとても心地いいんです。

立派な家です。

窓も大きい。

日当たりもいい。

でも、その家の土台がたった一つしかないと、ちょっと怖い。

頭がいい自分でいられなかった日。

仕事で失敗した日。

人に優しくできなかった日。

その瞬間、

「家ごと崩れるのでは?」

という不安が出てくる。

だから人は、ときどき失敗そのものより、

「自分について信じていた物語が壊れること」

を怖がるのかもしれません。

これは子どもだけの話ではないと思うんです。

大人だって「できる人」の看板は重い

社会人になると、いろいろな看板を背負います。

「頼れる人」

「仕事のできる人」

「詳しい人」

「真面目な人」

「いつも明るい人」

どれも悪い評価ではありません。

むしろありがたい。

でも、ありがたい看板ほど、外しにくい。

いつも頼られている人ほど、

「今日は無理です」

が言いにくい。

仕事ができると思われている人ほど、

「わかりません」

と言いにくい。

詳しい人ほど、

初歩的な質問ができない。

なんだか不思議ですよね。

評価が高くなるほど自由になるはずなのに、

評価を守るために不自由になることがある。

今回の論文には、その小さな芽がすでに子どもの実験の中に見えているような気がしました。

「頭がいい」と褒められた子どもが、能力を証明することへ意識を向けやすくなった。

これは、かなり人間らしい反応だと思います。

褒めてもらった。

うれしかった。

だから、その自分を失いたくない。

ただそれだけなんですよね。

誰だってそうです。

だから私は「評価しない」のではなく「評価だけにしない」が好きです

この研究を読んだからといって、

「もう人を褒めるのはやめよう」

とは思いません。

そんな世界、少し寂しすぎます。

良い仕事をした人には、

「すごいね」

と言いたい。

子どもが満点を取ったら、

「やったね!」

と一緒に喜びたい。

誰かが難しいことを成し遂げたら、

拍手したい。

それでいいと思います。

ただ、そのあとにもう一言、

「何がうまくいったんだろうね」

と添えられたらいい。

私はこのくらいの距離感が好きです。

「すごいね」

で喜びを共有する。

そして、

「ずっと続けてたもんね」

「途中で方法を変えてたね」

「前の失敗を使えたね」

と、その人が歩いてきた道も見る。

つまり、

人を評価しないのではなく、評価だけで終わらせない。

このほうが、ずっと人間的な気がします。

「結果」ではなく「途中」を見てもらえた記憶

振り返ってみると、人から言われて長く残っている言葉って、

必ずしも、

「すごいね」

ではない気がします。

むしろ、

「ちゃんと続けてたの知ってるよ」

とか、

「前よりずいぶん変わったね」

とか、

「大変だったのに、よく戻ってきたね」

みたいな言葉だったりする。

なぜ残るのでしょう。

たぶんそれは、

結果だけではなく、自分がそこへ来るまでの時間を見てもらえたから

だと思うんです。

結果は一瞬です。

合格。

不合格。

成功。

失敗。

100点。

50点。

数字にすると一秒で出ます。

でも、その裏側には時間があります。

迷った日。

サボった日。

やり直した日。

うまくできずに机から離れた日。

それでも翌日にもう一度やった日。

そういう途中は、点数には出ません。

でも人間の人生って、たぶん結果より途中のほうが長い。

だったら、そこを見てもらえる言葉のほうが、長く効くのかもしれません。

「頭がいい人」になれなくても、「考え続ける人」にはなれる

この研究を読んで、私が個人的にいちばん救われる感じがしたのは、

能力そのものより、行動へ目を向ければいい

というところでした。

「頭がいい人」

でい続けるのは大変です。

どこへ行っても賢くなければいけません。

難しい質問にも答えないといけない。

知らないことがあってはいけない。

なかなか過酷な契約です。

でも、

「考え続ける人」

なら、知らなくてもいい。

「わからないな」

から始められる。

「工夫する人」

なら、一発で成功しなくてもいい。

「この方法、ダメでした」

から次へ行ける。

「やり直せる人」

なら、失敗そのものを禁止しなくていい。

この違いは大きいです。

人生で本当に必要なのは、

一度も間違えないことではなく、

間違えたあとに戻ってこられること

なのかもしれません。

心理学は「正解の言葉」を教えてくれるわけではない

「アドラーの昼寝」で心理学論文を紹介していて、私はよく思います。

心理学って、

「こうすれば人生は正解です」

と教えてくれる学問ではないんですよね。

むしろ、

「あなたが当たり前だと思っているそれ、本当にそうでしょうか」

と、机の上に小さな疑問符を置いて帰っていく学問です。

今回なら、

「褒めるのは良いことでしょう?」

という当たり前に、

「そうですね。でも、何を褒めるかによって違うかもしれませんよ」

と疑問符を置いていく。

そして私たちは、その疑問符をポケットに入れて日常へ戻ります。

子どもを褒めるとき。

部下に声をかけるとき。

友人の成功を祝うとき。

そして、

自分自身に言葉をかけるとき。

ほんの少しだけ、

「私は今、この人の何を見ているんだろう」

と考える。

心理学の研究は、その一瞬を作ってくれるだけでも十分価値があると私は思います。

今日、誰かを褒めるなら

この記事を読み終えたあと、もし今日誰かを褒める場面があったら、

いつもの、

「すごいね」

に、ほんの一言だけ足してみてもいいかもしれません。

「すごいね。ずっと続けてたもんね」

「できたね。途中でやり方変えてたね」

「よかったね。前に失敗したことがちゃんと生きたね」

もちろん、自分にも。

「今日の自分、天才!」

でもいい。

そのあとに、

「ちゃんと手をつけたからな」

くらいを足す。

天才の肩書きは明日なくなるかもしれません。

でも、

「手をつけた」

「工夫した」

「戻ってきた」

という事実は、自分の中に残ります。

Mueller & Dweck(1998)の研究を読み終えて、私はそんなふうに思いました。

人を支える言葉とは、

その人を高い台の上へ持ち上げる言葉ではなく、

台から落ちても、また歩き出せる場所を残してくれる言葉

なのかもしれません。

褒め言葉は、王冠でなくてもいい。

むしろ、

転んだ日にポケットから出せる、小さな鍵くらいがちょうどいい。

「まだやれる」

「やり方は変えられる」

「今日できなくても、ここで終わりではない」

そんな扉を開けられる言葉を、これからも自分にも誰かにも渡していけたらいいなと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

制作ノート

出典論文:Mueller, C. M., & Dweck, C. S. (1998).
Praise for intelligence can undermine children’s motivation and performance.
Journal of Personality and Social Psychology, 75(1), 33–52.
American Psychological Association.
DOI:10.1037/0022-3514.75.1.33

掲載・確認先PubMed / Google Scholar / CiNii Research / APA・DOI公式ページ

記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。

制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。

阿部牧歌(管理人)
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はじめまして。心理学の論文要約サイト「アドラーの昼寝」を運営している阿部牧歌です。 これまで、障がい者福祉事業所の施設長などを経て、現在は某就労支援機関にてキャリアコンサルタントとして働いています。 日々、さまざまな悩みや不安、迷いにふれる中で感じるのは、人の心はとても複雑なのに、ひとつの言葉や考え方で少し楽になることがある、ということです。心理学の論文には、そんな「心を理解するためのヒント」がたくさん詰まっています。けれど、そのまま読むには少しかたくて、専門用語も多く、気軽には近づきにくいものでもあります。 「アドラーの昼寝」では、そんな心理学の論文を、なるべくわかりやすく、やわらかく、そして少し面白く読める形にしてお届けしたいと思っています。読書が好きで、本の中を歩くように言葉を読む時間が昔から好きでした。論文もまた、少し入り口を整えるだけで、ぐっと親しみやすいものになります。 このサイトが、忙しい日々のなかでほんの少し立ち止まり、自分や誰かの心をやさしく見つめるきっかけになれば嬉しいです。
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