子どもは大人の攻撃行動をまねする?実験でわかった観察学習の影響

子どもは大人の攻撃行動をまねする?実験でわかった観察学習の影響
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子どもは、言われたことより「見たこと」を覚えている?

『子どもは攻撃行動を見て学ぶ?大人のマネから広がる攻撃性を調べた研究』アルバート・バンデューラ、ドロシア・ロス、シーラ・A・ロス(1961)

Bandura, A., Ross, D., & Ross, S. A. (1961). Transmission of aggression through imitation of aggressive models. The Journal of Abnormal and Social Psychology, 63(3), 575–582.
DOI:10.1037/h0045925

「人をたたいたらダメだよ」

「乱暴な言葉は使わないの」

「ちゃんとやさしくしようね」

子どもに何かを教えるとき、私たちはたいてい「言葉」を使います。

もちろん、それは大切です。
でも、ここで少し困った問題があります。

子どもというのは、こちらが話している内容だけを聞いているわけではありません。

むしろ、ときどきこちらが教えるつもりなんてまったくなかった部分まで、じつによく見ています。

「人にはやさしくしようね」と言った直後に、大人が誰かに強い口調で怒っていたらどうでしょう。

子どもの心の中で、

「ふむふむ。言葉では“やさしく”、実演では“怒鳴る”……どちらを採用すればよろしいでしょうか」

という、なんとも困った研修会が始まっているかもしれません。

人間は、言われたことだけから学ぶ生き物ではありません。

人が何をしているかを見ながら学ぶ生き物でもある。

この当たり前のようで、考えてみると少し怖い事実を、心理学の実験として有名にした人物がいます。

心理学者のアルバート・バンデューラです。

「見ていただけ」で、行動は変わるのか?

バンデューラたちが1961年に行った研究では、子どもたちにある大人の行動を見せました。

登場するのは、子どもと大人、そして「ボボ人形」と呼ばれる大きな起き上がり人形です。

普通なら、

「はい、今日はみんなで仲良く遊びましょう」

となりそうな場面なのですが、実験では少し事情が違います。

ある子どもたちは、大人がその人形に対して攻撃的に振る舞う姿を見せられました。

たたいたり、蹴ったり、乱暴な言葉を使ったり。

子どもたちはその様子を、ただ見ています。

ここが重要です。

「あなたも同じことをしてください」

と教えられたわけではありません。

「こうすると正解ですよ」

と練習したわけでもありません。

ただ、大人がやっているところを見た。

それだけです。

では、そのあと子どもたちはどうしたのでしょう。

研究者たちが見たかったのは、まさにそこでした。

子どもは大人の行動を、

「ふーん、大人ってそんなことするんだ」

で終わらせるのか。

それとも、

「なるほど、その技いただきました」

と、自分の行動に取り込んでしまうのか。

結果は、心理学の歴史に残るものになりました。

攻撃的な大人を見た子どもたちは、その後、その大人に似た攻撃行動をより多く示したのです。

人間の学習というものは、学校の机の上だけで起きているわけではない。

誰かを眺めている時間にも、静かに進んでいる。

そんなことが、この研究から見えてきました。

子どもだけの話ではないのかもしれない

ここで、

「なるほど。子育てをしている人向けの話ですね」

と思った方もいるかもしれません。

でも、この研究が面白いのは、もう少し広いところまで想像を連れていってくれることです。

私たち大人だって、人を見て学んでいます。

職場に入ったばかりの頃、

「電話の取り方って、こうするのか」

「上司への報告はこのくらい簡潔でいいんだな」

「会議で分からないことがあっても、みんな黙っているんだな……じゃあ私も黙っておこう」

そんなふうに、説明書に書かれていないルールを、周囲の人の行動から覚えていきます。

良い行動だけではありません。

誰かがいつも他人の悪口を言っている職場では、それがだんだん「普通」に見えてくることもあります。

誰かが失敗した人を笑う集団では、

「ここでは失敗を見せないほうがいいらしい」

という学習が起こるかもしれません。

反対に、誰かが困った人を自然に助けている場所では、

「助けるって、特別なことじゃないんだ」

と学ぶこともあります。

つまり、私たちは毎日、言葉になっていない小さな授業を受けながら暮らしているのかもしれません。

先生は、家族だったり、同僚だったり、友人だったり、ときにはたまたま近くにいる誰かだったりします。

しかも本人は、自分が先生になっていることに気づいていません。

なかなか壮大な無断開講です。

この論文では、そんな「人は人を見て学ぶ」という心のしくみを、子どもの攻撃行動を通して確かめていきます。

子どもはなぜ大人の行動をまねするのか。

ただ見ているだけでも、本当に行動は変わるのか。

そして、この研究は私たちの日常に何を教えてくれるのか。

1961年に行われた有名な実験を、難しい専門用語はいったん横に置いて、ゆっくりのぞいていきましょう。

もしかすると読み終わるころには、

「人に何を言うか」だけではなく、

「人の前で、自分が何をしているか」

についても、少しだけ考えたくなるかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文をひとことで言うと

この論文をひとことで言うなら、

「子どもは、“やれと言われたこと”だけでなく、“誰かがやっていること”からも行動を学ぶ」

という研究です。

もう少しくだけて言うなら、

「大人がやってるの、ちゃんと見てますよ」

という話です。

しかも、ただ見ているだけで終わりません。

今回の研究でバンデューラたちは、子どもたちに、大人がボボ人形へ攻撃的に振る舞う様子を見せました。

すると、そのあと子どもたちは、大人が見せたものと似た攻撃行動を、より多く示しました。

ここが、この論文のいちばん大事なポイントです。

子どもに、

「この人形をこうやって叩いてください」

と練習させたわけではありません。

「これを覚えたら100点です」

とテストをしたわけでもありません。

ただ見ていた。

それなのに、行動として出てきた。

つまり、人間の学習は「教えてもらう」だけではないんですね。

誰かの行動を観察して、

「こういうときは、こうするものなのか」

と覚えていく。

心理学では、こうした学び方を観察学習モデリングと呼びます。

「言ったこと」より「やったこと」が教材になることもある

この研究を日常に持ってくると、少しドキッとします。

たとえば大人が子どもに、

「人の悪口を言ってはいけません」

と言いながら、家では毎晩、

「いやあ、あの人ほんと困るよね」

と絶好調で悪口大会を開催していたらどうでしょう。

子どもからすると、

「なるほど。“悪口はいけない”と言いながら、悪口はかなり日常的に使うものなんですね」

という、やや複雑な学習が起きるかもしれません。

もちろん、現実の人間の行動はそんなに単純ではありません。

一度何かを見ただけで、その人の性格が決まるわけでもありません。

家庭環境、性格、周囲との関係、経験の積み重ねなど、行動にはいろいろな要因が関わります。

それでも、この研究は大きなことを教えてくれました。

「人は、他人の行動そのものを情報として使っている」

ということです。

私たちは、知らないうちに誰かの「お手本」になっている

そして、これは子どもだけの話でもありません。

新人社員が先輩の働き方を見て、

「この会社では、困っている人を助けるのが普通なんだ」

と覚えることもあります。

反対に、

「ミスした人は陰で笑われるんだ」

と覚えてしまうこともあります。

誰もマニュアルに書いていない。

誰も研修で教えていない。

でも、人はちゃんと見ています。

そして、少しずつ学んでいます。

そう考えると、職場も家庭も人間関係も、いたるところに小さな「授業」が転がっていることになります。

授業をしている本人は、

「え、私、先生だったんですか」

という顔をしているかもしれません。

でも、行動は意外と雄弁です。

言葉が「こうしたほうがいいよ」と話している横で、行動が「実際はこうしてます」と実況中継している。

人は、その両方を見ています。

だからこの論文は、単に「子どもは攻撃行動をまねしました」という研究ではありません。

その奥には、

人間は、他人を見ながら生き方の一部を覚えていく

という、とても大きなテーマがあります。

ひとことでまとめるなら、

「人は、教えられなくても、見て学ぶ。」

このシンプルな一文が、バンデューラたちの研究の核心です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文の要点

この論文の全体像を、まず3つにぎゅっと絞るとこうなります。

1. 子どもは、大人の行動を「見ているだけ」でも学ぶ

「ちゃんと教えていないから、まだ覚えていないだろう」

と思いたくなるところですが、人間の学習はそれほど行儀よく授業開始のベルを待ってくれません。

バンデューラたちの実験では、大人がボボ人形に攻撃的な行動をする様子を見た子どもたちは、その後、その大人と似た攻撃行動をより多く示しました。

つまり、

「やってみて」と言われなくても、人の行動を観察すること自体が学習になる

ということです。

子どもの頭の中には、どうやら「見るだけ研修」が標準装備されているらしい。

しかも研修申込書はいりません。

周りの人が何をしているか、それ自体が教材になるのです。

2. 攻撃行動は「その子の性格」だけでは説明できない

乱暴な行動をする子を見ると、

「もともと気が強い子なのかな」

「性格の問題なのかな」

と考えたくなることがあります。

もちろん、性格や個人差も無関係ではありません。

ただ、この研究が見せてくれたのは、目の前にいる人がどんな行動をしているかによって、その後の子どもの行動が変わりうるということでした。

つまり、

「この子はこういう性格だから」

だけで話を終わらせると、大事なものをひとつ見落としてしまいます。

人間は、自分の内側だけで行動をつくっているわけではありません。

周囲の人の振る舞いもまた、

「こういう場面では、こう振る舞うことができるんだ」

という選択肢を、そっと心の棚に置いていきます。

性格だけを見るのではなく、その人が何を見ながら過ごしてきたのかを見る。

この視点は、この研究を理解するうえでとても大切です。

3. 私たちの行動は、言葉にしなくても誰かへのメッセージになる

この研究を日常生活に持ち帰ると、少しだけ背筋が伸びます。

たとえば、

「失敗しても大丈夫だよ」

と言いながら、大人が自分の失敗には猛烈に腹を立てていたら。

「人には親切にしよう」

と言いながら、店員さんには横柄に接していたら。

言葉ではAを教えていても、行動ではBを実演していることになります。

そして人は、意外とその「実演」のほうもよく見ています。

もちろん、この1961年の研究だけから、

「一度悪い行動を見たら、その子は必ずまねする」

とは言えません。

そんな単純な話ではありません。

それでも、この研究から持ち帰れる大切な視点があります。

私たちは、誰かに何かを教えているときだけ、お手本になっているわけではない。

普通に仕事をしているとき。

家族と話しているとき。

誰かが失敗したときの反応。

困っている人に出会ったときの態度。

そんな何気ない場面にも、周囲の人は「この人はこう振る舞うんだな」という情報を受け取っています。

だからこの論文の3つの要点を、さらに短くすると、

人は、見て学ぶ。
行動は、環境からも影響を受ける。
そして私たちは、知らないうちに誰かのお手本になっている。

ということになります。

「何を言うか」だけでなく、「普段どう振る舞っているか」。

バンデューラたちの研究は、その静かな影響力にスポットライトを当てた論文なのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究の背景:子どもの攻撃行動はどこから生まれる?「大人の真似」に注目した研究の背景

子どもが乱暴な行動をしたとき、私たちはつい、

「この子はもともと気が強いのかな」

「性格の問題なのかな」

と考えてしまいます。

でも、バンデューラたちが気になったのは、そこだけではありませんでした。

子どもの行動は、その子の中だけから生まれるのではなく、周りにいる人を見ながら作られているのではないか。

そんな疑問です。

今でこそ、

「子どもは大人を見て学ぶ」

という話を聞いても、それほど驚かないかもしれません。

「まあ、そりゃそうでしょう。子どもって何でもまねするし」

となります。

ところが、心理学として大事なのは、

「なんとなくそう思う」

で終わらせず、

本当に、人の行動を見ただけで自分の行動まで変わるのか?

を確かめることです。

ここに、この研究の出発点があります。

「ごほうびがあるから学ぶ」だけで説明できる?

当時の学習研究では、

「ある行動をして、ごほうびがもらえた」

「ある行動をしたら、嫌なことが起きた」

といった経験によって行動が変わる、という考え方がとても重要でした。

たとえば、

「宿題をしたら褒められた。じゃあ、またやろう」

「熱い鍋を触ったら痛かった。もう触らないでおこう」

という感じです。

わかりやすいですよね。

自分で行動する。
結果が返ってくる。
そこから学ぶ。

学習の王道コースです。

でも、ここでバンデューラたちは別の疑問を持ちます。

自分が直接ほめられたり叱られたりしなくても、他人を見ているだけで学ぶことはないのか?

たとえば、ある子どもが大人の乱暴な行動を見たとします。

その子自身は何もしていません。

褒められてもいない。

叱られてもいない。

ただ見ていただけ。

それでも、その行動を覚えてしまうのでしょうか。

もし答えが「はい」なら、人間の学習はかなり話が変わってきます。

学ぶために、自分で全部経験する必要はないことになるからです。

誰かがやっているのを見て、

「こういうやり方があるのか」

と覚えることができる。

人間、なかなか効率のいい生き物です。

ただし、覚えるのは便利なことだけとは限りません。

親切も見て学ぶ。

仕事のやり方も見て学ぶ。

そして、乱暴な振る舞いも見て学ぶかもしれない。

学習機能には、

「これは良い行動だから保存します」

という親切な自動フィルターが、どうやら最初から付いているわけではありません。

そこで「攻撃的な大人を見せてみよう」となった

そこでバンデューラたちは、かなり大胆な方法を取りました。

子どもに、攻撃的に振る舞う大人を見せる。

そしてそのあと、

子ども自身の行動がどう変わるかを観察する。

これが、1961年の有名なボボ人形実験につながっていきます。

研究者たちが知りたかったのは、

「乱暴な子どもには、どんな性格があるのか」

だけではありません。

むしろ、

周囲の人の行動を見ることが、子どもの攻撃行動に影響するのか

という点でした。

つまりこの研究は、

「攻撃性はその子の内側だけにあるものなのか?」

という問いに、

「いや、周りで何を見ているかも考えたほうがよさそうです」

と別の窓を開いた研究だったわけです。

「教えていないのに学んでいる」という不思議

ここが、この研究の面白いところです。

私たちは普通、

「教える人」と「教わる人」がいて、そこで学習が起こると思いがちです。

でも現実には、

教えていないのに学んでいる。

説明していないのに覚えている。

こちらが何気なくやったことが、誰かの「こうすればいいのか」になっている。

そんな学びもあります。

この研究の背景にあったのは、まさにその疑問でした。

人間は、自分の経験だけで学ぶのではなく、他人の行動を観察することでも学ぶのではないか。

今なら自然に聞こえる考えですが、それをきちんと実験で確かめようとしたところに、バンデューラたちの研究の大きな意味があります。

では実際に、子どもたちはどんな大人を見て、そのあとどんな行動をしたのでしょうか。

ここから、ボボ人形が心理学史でもっとも有名な「殴られ役」のひとつになっていきます。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究方法:ボボ人形実験とは?子どもに大人の攻撃行動を見せて確かめた方法

では、バンデューラたちはどうやって、

「子どもは、大人の攻撃行動を見て学ぶのか?」

を確かめたのでしょうか。

ここで登場するのが、心理学史ではすっかり有名になったボボ人形です。

ボボ人形とは、押したり倒したりしても、むくっと起き上がってくる大きな空気入りの人形。

心理学の教科書ではスター級の知名度ですが、この実験ではだいたいずっと殴られています。

華々しいデビューとは言いにくい。

実験に参加したのは、スタンフォード大学の保育園に通っていた72人の子どもたちです。男の子36人、女の子36人で、年齢は37〜69か月、平均すると約4歳4か月でした。

研究者たちは、この子どもたちを大きく、

攻撃的な大人を見るグループ
おとなしく遊ぶ大人を見るグループ
そもそも大人のモデルを見ないグループ

に分けました。

要するに、

「乱暴な大人を見た子」

「穏やかな大人を見た子」

「そのどちらも見ていない子」

を比べたわけです。

大人が突然、ボボ人形を攻撃しはじめる

攻撃的な大人を見るグループでは、子どもが別の遊びをしている近くで、大人がボボ人形に対して攻撃的な行動を見せました。

人形をたたく。

上に乗る。

木づちでたたく。

蹴る。

さらに攻撃的な言葉まで口にする。

なかなか騒がしい大人です。

一方、非攻撃的なグループの大人は、ボボ人形にはほとんど構わず、別のおもちゃで静かに遊びました。

この場面は約10分間。

そして大事なのは、子どもたちに、

「よく見て覚えてください」

とも、

「あとで同じことをしてください」

とも言っていないことです。

研究者が知りたいのは、命令されたからまねするのではなく、ただ人の行動を見ていただけでも、その行動を覚えて再現するのかということだからです。

そのあと、大人がいない場所でどう遊ぶ?

さて、ここからが本番です。

子どもたちは別の部屋へ移動します。

その途中では、魅力的なおもちゃで少し遊ばせたあと、「これはほかの子のためのおもちゃだから」と遊ぶのを止められる場面が設けられました。

これは、子どもたちを少しだけイライラしやすい状態にして、攻撃行動が出る可能性を確かめるための手続きでした。

そして次の部屋には、

ボボ人形や木づちなど、攻撃的な遊びに使えるものもあれば、

クレヨン、お人形、動物のおもちゃ、車など、穏やかに遊べるものも置かれていました。

そこで研究者たちは、子どもたちを約20分間観察します。

さて。

さっき大人がボボ人形をたたくところを見ていた子は、どうするでしょう。

普通に遊ぶのか。

それとも、

「さっきの大人、こうしてたな」

とばかりに、似た行動を始めるのか。

ここを比べたのです。

ポイントは「もともと乱暴な子だったのでは?」をできるだけ避けたこと

もちろん、

「攻撃的な大人を見た子の中に、たまたま乱暴な子が多かっただけでは?」

となったら、実験として困ります。

そこで研究者たちは、実験前から保育園での子どもたちの攻撃性を評価し、各グループの条件がなるべく公平になるように調整していました。

つまり、この研究はざっくり言えば、

大人の攻撃行動を見る

大人はいなくなる

子どもを自由に遊ばせる

さっき見た行動をまねするか観察する

という実験です。

とてもシンプルです。

でも、そのシンプルさが強い。

「この子は乱暴な性格なのかな」と想像するのではなく、何を見せたかを変えて、その後の行動を比べたからです。

さて、結果はどうなったのでしょう。

大人がボボ人形をボコボコにしているところを見た子どもたちは、

「いやいや、あれは大人の事情でしょう」

と華麗にスルーしたのでしょうか。

それとも、人間の「見て学ぶ力」は、研究者たちの予想以上にしっかり働いていたのでしょうか。

次はいよいよ、この実験でもっとも有名になった研究結果を見ていきます。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この研究でわかったこと:子どもは大人の攻撃行動をまねする?ボボ人形実験でわかったこと

さて、いよいよ結果です。

大人がボボ人形をたたいたり、蹴ったり、木づちで攻撃したりするところを見た子どもたちは、そのあとどうしたのでしょうか。

結果をかなりざっくり言えば、

見ていました。覚えていました。そして、まねしました。

攻撃的な大人を見た子どもたちは、穏やかな大人を見た子どもや、大人のモデルを見なかった子どもと比べて、大人が見せたものによく似た身体的・言語的な攻撃行動を多く示したのです。

「子どもは大人をまねするんだから、まあ当然では?」

と思うかもしれません。

でも、この研究には「そこまで覚えているの?」と思わされる、なかなか面白いところがあります。

ただ乱暴になったのではなく、「やり方」まで似ていた

重要なのは、子どもたちが単にイライラしてボボ人形を適当にたたいた、というだけではないことです。

大人は実験の中で、

ボボ人形を横に倒して上に座る。
鼻のあたりを繰り返したたく。
木づちで頭をたたく。
蹴ったり放り上げたりする。

といった、かなり特徴のある行動を見せていました。

すると攻撃的なモデルを見た子どもたちは、その後、こうした特徴的な行動そのものを再現する傾向を示しました。

さらに、大人が使っていた攻撃的な言葉までまねする子どもがいました。

ここが非常に大事です。

単に、

「腹が立ったから攻撃した」

だけなら、子ども自身がもともと持っていた攻撃性が出ただけ、と考える余地があります。

ところが、

さっき見た大人と似た方法で行動している。

となると話が変わります。

「見たものを覚え、それを行動として再現した」と考えやすくなるわけです。

人間の脳内、どうやら無許可で動画保存をしているらしい。

しかも再生ボタンまで付いています。

「ごほうび」をもらっていないのに学んでいた

そして、この研究でもうひとつ重要なのが、

子ども自身は、攻撃行動をしたことで事前に褒められたわけではない

という点です。

大人の行動を観察している段階では、子どもはそれをまねすることもできませんでした。

ただ見ていただけです。

それでも、別の場所へ移動したあとに似た行動が現れました。

これは当時の学習研究を考えるうえで、とても面白い結果でした。

それまで学習というと、

「自分でやる」

「褒められる、あるいは罰を受ける」

「その結果から覚える」

という形が重要視されていました。

もちろん、そのような学習もあります。

でもバンデューラたちの実験は、

「自分が直接経験しなくても、人がやっているところを見ることで行動を学べる」

ことを強く示しました。

ここから、のちにバンデューラの理論で重要になっていく「観察学習」や「モデリング」という考え方が、ぐっと存在感を増していきます。

意外なのは、「攻撃性」だけをコピーしていたわけではないこと

個人的に、この実験でかなり面白いのがここです。

子どもたちは、攻撃的なモデルの「乱暴さ」だけをぼんやり吸収していたわけではありません。

モデルが口にした攻撃とは直接関係のない特徴的なコメントまで繰り返す子どもがいました。

攻撃的なモデルを見た子どものおよそ3分の1がこうした言葉を再現した一方、非攻撃的モデルを見たグループと対照群では、そのような反応は確認されませんでした。

これ、なかなか興味深いですよね。

つまり子どもは、

「暴れている大人を見たので、なんとなく暴れました」

というだけではない。

人の行動を、かなり具体的なパターンとして覚えていた可能性がある。

そこまで見てたんですか。

大人としては少々、襟を正したくなってきます。

男の子と女の子では、少し違いもあった

さらに研究では、子どもの性別やモデルとなった大人の性別による違いも調べられました。

結果として、攻撃的モデルを見た条件では、**男の子のほうが女の子より身体的な攻撃行動を多く模倣しました。**一方で、言葉による攻撃の模倣には同じような男女差は確認されませんでした。

また、モデルが男性か女性かによっても行動に違いが見られました。

ただし、ここは少し慎重に読む必要があります。

当時は「身体的な攻撃は男性的な行動」という社会的な見方が現在以上に強く、研究者たち自身も、子どもがそうした性別役割をすでに学習していた可能性について論じています。

そのため、

「男の子は生まれつき攻撃的」

などと単純に読む研究ではありません。

むしろ、

誰をお手本として見るか、そして社会の中でどんな行動が“その人らしい行動”として扱われているかも、模倣に関係するかもしれない

という、もう一段深いテーマにつながっています。

ただし「攻撃的なものを見れば、何でも攻撃的になる」ではない

ここも大切です。

攻撃的なモデルを見た子どもが、測定されたあらゆる種類の攻撃行動で高い数字を示したわけではありません。

たとえば、一部の攻撃行動では条件による明確な差が確認されませんでした。

ですから、この研究を、

「暴力を一度見せれば、子どもは全面的に暴力的になる」

と読むのは大げさです。

この実験が特に鮮明に示したのは、

大人が実際に見せた特徴的な行動を、子どもがその後まねした

という点です。

ここを外さないことが大切です。

いちばん意外だったのは、「教えていないのに覚えていた」こと

この実験の結果を一番シンプルな形に戻すと、私はここがいちばん面白いと思います。

子どもは、

「覚えなさい」

と言われていません。

「あとでテストします」

とも言われていません。

もちろん、

「ボボ人形の正しいたたき方講座」

を受講したわけでもありません。

ただ、近くにいた大人の行動を見ていただけです。

それなのに、あとになってその行動が現れた。

つまり、

人間にとって「見る」ということは、ときに「学ぶ」ということでもある。

バンデューラたちの研究が心理学史に残った理由は、ボボ人形が派手に殴られたからではありません。

その向こう側に、

人は他人の行動を観察し、それを自分の行動の選択肢として取り込むことがある

という、人間の学習についての大きな発見があったからです。

そう考えると、この実験から60年以上たった現在でも、問いは古びていません。

家庭で。

学校で。

職場で。

そして日々たくさんの人の行動を目にする場所で。

私たちは「何を教えられているか」だけでなく、

「誰が、どんなふうに生きているところを見ているか」

からも、少しずつ学び続けているのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ここが面白い:「教えていないのに学んでいる」観察学習の面白さはここにある

この研究の面白さは、子どもがボボ人形をたたいたことそのものではありません。

そこだけを見ると、

「子どもって、やっぱり大人のまねをするんですね」

で終わってしまいます。

でも、もう一歩だけ踏み込むと、急に景色が変わります。

この実験で子どもたちは、

「この行動を覚えてください」

と言われていません。

「あとで同じことをしてください」

とも言われていません。

テストもありません。

宿題もありません。

赤ペン先生も来ません。

それでも子どもたちは、大人の行動を見て、覚えて、あとから再現しました。

つまり人間には、

「いま学習中です」という看板が出ていない時間にも、学習が起きている

ということです。

これ、考えてみるとなかなかすごい話です。

人間には「勝手に始まる授業」がある

学校の授業なら、

「はい、今日は分数について勉強します」

と始まります。

でも、観察学習には始業ベルがありません。

家で親が誰かに接しているところ。

職場で先輩が電話対応をしているところ。

友人が失敗した人にどんな言葉をかけるか。

誰かが店員さんにどう接するか。

そういう何気ない場面でも、

「なるほど、この場面ではこう振る舞うのか」

と、私たちは周囲から情報を受け取っています。

本人としては、ただ生活しているだけ。

見ている側も、勉強しているつもりなんてない。

ところが心のどこかでは、

「こういうやり方もある」

と静かに保存されていく。

人生、授業時間が長すぎます。

しかも休み時間まで教材です。

「何を教えたか」より「何を見せたか」

この研究を知ると、教育についての見方もちょっと変わります。

たとえば、

「失敗しても大丈夫だよ」

と子どもに伝えている大人がいたとします。

とてもいい言葉です。

でも、その大人自身が小さな失敗をするたびに、

「最悪だ、なんでこんなこともできないんだ」

と自分を責めていたらどうでしょう。

子どもが受け取る教材は、ひとつではありません。

言葉では、

「失敗しても大丈夫」

と教わる。

一方、行動では、

「失敗したら自分を猛烈に責める」

という実演を見る。

さて、どちらが心に残るでしょう。

もちろん、人間はコピー機ではありません。

一度見た行動を必ずそのまま再現するわけではありません。

でも、この研究が教えてくれるのは、

人に何を言ったかだけでなく、目の前でどう振る舞ったかも学習材料になる

ということです。

大人としては少し耳が痛い。

でも、同時に希望もあります。

なぜなら、見て学ぶのが攻撃行動だけなら困りますが、観察によって学ばれる可能性があるのは、もっと広い行動だからです。

誰かが謝る姿。

困った人を助ける姿。

失敗しても落ち着いて立て直す姿。

意見が違う相手にも丁寧に話す姿。

そういう行動だって、「こういう生き方がある」と誰かに伝わる可能性があります。

言葉ではなく、背中から配信される教育番組です。

「人間は環境に流される」という話でもない

ここで、少し注意したいことがあります。

この研究を読んで、

「じゃあ人間なんて全部、周りの人のコピーじゃないか」

と考えるのも少し違います。

私たちは見たものを何でもそのまま再現するわけではありません。

誰をお手本にするのか。

その行動をどう受け取るのか。

過去にどんな経験をしてきたのか。

周囲がその行動をどう評価するのか。

そうしたさまざまな要素が関わります。

だから、

「見たら必ずまねする」ではなく、「見ることも学習の重要な入り口になる」

くらいに捉えるのがちょうどいいでしょう。

この違いはけっこう大切です。

人間をロボットにしてはいけません。

でも、人間を完全に孤立した存在として考えるのも違う。

私たちは、自分の意思を持ちながらも、周囲の人の言葉や行動から少しずつ材料を受け取って生きています。

職場にも、目に見えない「研修」がある

この研究を大人の世界に持ってくると、職場の見え方も変わります。

新人が入ってきたとき、

「分からないことは何でも聞いてくださいね」

と言う。

ここまでは完璧です。

でも、その直後に誰かが質問したら、

「それくらい自分で考えてよ」

という空気が流れる。

新人からすれば、

「なるほど。“質問していい”とは言うけれど、実際には質問しないほうが安全、と」

と学ぶかもしれません。

逆に、先輩が、

「分からないからちょっと確認してきます」

と普通に言える職場なら、

「分からないことを認めても大丈夫なんだ」

と学びやすいでしょう。

職場の文化というと、理念やルールブックを思い浮かべます。

でも実際の文化は、

人が毎日どう振る舞っているか

から作られている部分も大きいのかもしれません。

誰かが失敗したときに笑うのか。

助けるのか。

責めるのか。

一緒に考えるのか。

その一つひとつが、誰かにとっての「ここではこうするんだ」という教材になります。

私たちは、知らないうちに誰かの「モデル」になる

そして、この研究を読んでいると少し不思議な気持ちになります。

自分もこれまで、いろいろな人を見てできてきたんだろうな、と。

親。

先生。

友人。

上司。

先輩。

好きだった人。

苦手だった人。

「この人みたいになりたい」と思った人もいれば、

「この人みたいにはなりたくない」と思った人もいるでしょう。

どちらも、ある意味ではモデルです。

人間は、誰かを見ながら、

「これは取り入れたい」

「これはやめておこう」

と、自分の生き方を少しずつ編集していくのかもしれません。

そして今度は、自分が誰かに見られる側になります。

本人としては、

「いや、私なんて別に誰のお手本でもありませんよ」

と思うかもしれません。

でも、お手本になるのに任命式はありません。

誰かが見ていたら、その瞬間だけは、もうモデル候補です。

そう考えると少し緊張します。

ただ、完璧でいる必要はないと思うのです。

むしろ、

失敗したときに謝る。

分からないときに「分からない」と言う。

疲れたときにちゃんと休む。

人に助けてもらったら「ありがとう」と言う。

そんな姿もまた、誰かが見て学べるものなのかもしれません。

この研究の面白さは、

「悪い行動を見せると危険ですよ」

という警告だけではありません。

もっと大きく言えば、

人は、人を見ながら生き方を覚えていく。

ということです。

私たちは毎日、誰かから少しずつ影響を受けています。

そして同時に、知らないうちに誰かへ少しずつ影響を渡しています。

人間関係とは、会話だけではなく、

お互いの生き方を、ほんの少しずつ見せ合っている場所

なのかもしれません。

ボボ人形をたたく大人を眺めていた子どもたちから始まったこの研究は、最後にはそんな大きな問いまで連れてきてくれます。

「あなたは何を教えていますか?」

ではなく、

「あなたは、どんな姿を見せていますか?」

と。

こちらのほうが、少しだけ答えるのが難しい質問です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

私たちの生活にどう活かせる?:子どもは大人を見て学ぶ。日常で活かしたい「観察学習」の考え方

ボボ人形実験を読むと、ちょっと気になることが出てきます。

「ということは、大人はいつも立派に振る舞わないといけないの?」

いや、それはかなりしんどいです。

朝から晩まで品行方正、怒らず、迷わず、失敗せず、いつでも穏やか。

そんな人がいたら、たぶん人間というより高性能な教育用ロボットです。

この研究から日常生活に持ち帰りたいのは、

「完璧なお手本になりましょう」

という話ではありません。

もっと現実的です。

自分の普段の行動も、周りの人に何かを伝えているかもしれない。

まずはそこに気づくだけでも、かなり違います。

「こうしなさい」より「こうしています」が伝わることもある

たとえば、子どもに、

「人にはやさしくしようね」

と言う。

もちろん大切です。

でも、そのあとコンビニで店員さんに横柄な態度を取っていたらどうでしょう。

言葉では、

「人にはやさしく」

行動では、

「相手によっては雑でもよい」

という、二種類の教材が同時配布されます。

子どもからすると、

「先生、資料Aと資料Bで内容が違うんですが」

という状態です。

これは職場でも同じです。

上司が、

「失敗を恐れず挑戦してください」

と言いながら、誰かが失敗すると猛烈に責める。

すると部下が学ぶのは、

「挑戦していい」

ではなく、

「挑戦すると危ない」

かもしれません。

人は言葉だけでなく、その場で実際に何が起きているかも見ています。

だから観察学習の視点を生活に活かす第一歩は、

「私は何と言っているか」だけでなく、「実際にはどう振る舞っているか」を見ること

です。

少々耳が痛い。

でも、だからこそ使える視点でもあります。

良い行動も「見える形」にしてみる

そして、ここが大事です。

観察学習を、

「悪い姿を見せないようにしなきゃ」

だけに使うと、人生が監視カメラ映像みたいになってしまいます。

もっと前向きにも使えます。

たとえば、誰かに助けてもらったとき、

「ありがとう、助かったよ」

とちゃんと言う。

分からないことがあったとき、

「ちょっと分からないので教えてください」

と言う。

失敗したとき、

「私のミスです。ごめんなさい。ここから直します」

と立て直す。

誰かの意見が自分と違ったとき、

「そういう考え方もあるんですね」

と一度受け止める。

こうした姿も、周囲の人にとっては立派な学習材料になります。

つまり、

良い行動を心の中だけに置かず、ちゃんと行動として見せる。

これが、観察学習を日常に活かす一つの方法です。

親切というものも、頭の中で思っているだけでは他人から観察できません。

親切、残念ながら透明です。

行動にすると、初めて見えるようになります。

子育てでは「失敗しない親」より「立て直せる親」を見せる

この研究を子育てに活かそうとすると、

「子どもの前では絶対に怒っちゃいけない」

「夫婦げんかも全部隠したほうがいい」

と極端に考えてしまうかもしれません。

でも、人間なので怒ります。

失敗もします。

イライラもします。

大事なのは、そういう姿を一切消すことではなく、そのあとどうするかではないでしょうか。

たとえば、感情的に強く言ってしまったあと、

「さっきは言い方がきつかったね。ごめん」

と謝る。

それは、

「怒らない人間のお手本」

ではありません。

でも、

「失敗したときには、謝って関係を直すことができる」

というお手本にはなります。

むしろ、こちらのほうが現実の人生では役に立つかもしれません。

人生で必要なのは、転ばない技術だけではありません。

転んだあと、どう起きるかも必要です。

そして、その起き方も人は誰かを見ながら覚えていきます。

職場では「文化」を言葉ではなく行動でつくる

観察学習の考え方は、職場にもかなり使えます。

新人教育というと、

マニュアル。

研修。

説明。

面談。

こうしたものを想像します。

もちろん全部大事です。

でも、新人さんが本当によく見ているのは、たぶんそれだけではありません。

忙しいとき、先輩はどうするのか。

失敗した人に上司はどう接するのか。

分からないことを質問した人が、どんな扱いを受けるのか。

休憩を取る人が白い目で見られないか。

「困ったら相談してください」という言葉が、本当に使える空気なのか。

そういうものを見ています。

職場には、公式マニュアルとは別に、

「人の行動でできた裏マニュアル」

があります。

そして、たいていこちらのほうがよく読まれます。

だから、

「相談しやすい職場にしたい」

と思うなら、相談を歓迎する言葉だけでなく、実際に相談されたときの反応を整える。

「失敗から学べる職場にしたい」

と思うなら、誰かがミスしたときに責任追及だけで終わらせず、一緒に立て直す姿を見せる。

理念を壁に貼るだけではなく、理念を人間の行動に変換する。

観察学習の考え方は、そんなところで力を発揮します。

「誰と過ごすか」も、自分への環境づくりになる

もう一つ、観察学習を自分自身に使う方法があります。

それは、

「どんな人をよく見ているか」を少し意識すること

です。

人は周囲の行動から影響を受けます。

だから、いつも誰かを責めている人ばかり見ていれば、それが普通に見えてくるかもしれません。

反対に、

丁寧に仕事をする人。

失敗しても落ち着いて修正する人。

人の話を最後まで聞く人。

きちんと休む人。

そういう人を見ていると、

「こういうやり方もあるんだ」

という選択肢が増えます。

これは、

「良い人とだけ付き合いましょう」

という単純な話ではありません。

生活には、選べない人間関係もあります。

でも、

本を読む。

動画を見る。

尊敬できる人の発信を追う。

良い先輩の仕事ぶりを意識して見る。

そうやって、自分が日常的に目にする“お手本”を少し選ぶことはできます。

人間は食べたもので体ができる、とよく言います。

心については、

「よく見ているもので、行動の選択肢が増えていく」

と考えてみてもいいかもしれません。

「まねされる自分」より、「見せたい自分」を少しだけ意識する

観察学習という言葉を知ると、

「誰かに見られている」

という感覚が強くなって、ちょっと窮屈になることもあります。

でも、監視されていると思う必要はありません。

もっと小さく、

「これだけは見せたいな」

という行動を一つ決めるくらいで十分です。

困っている人がいたら声をかける。

間違えたら謝る。

分からなければ聞く。

疲れたら休む。

人の成功を素直に祝う。

そういう一つの行動を、自分の暮らしに置いてみる。

それを誰かが見ているかどうかは、分かりません。

でも、ボボ人形実験が教えてくれたのは、

人は、思っている以上に人を見ながら学んでいる

ということでした。

だからこそ、日常への活かし方は案外シンプルです。

「何を教えよう?」

と考える前に、

「自分は何を見せたいだろう?」

と一度考えてみる。

それだけでも、家庭や職場、人間関係の空気は少し変わるかもしれません。

人は言葉でつながっています。

でも、その横ではいつも、行動も静かに話しています。

観察学習を暮らしに活かすとは、その声にも少し耳を澄ませてみることなのだと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

少し注意したい点:ボボ人形実験の問題点は?「見たら必ずまねする」とは言えない理由

ここまで読むと、

「なるほど。子どもに攻撃的な行動を見せると、そのまま覚えてしまうのか」

と思いたくなります。

たしかに、バンデューラたちの実験は、人が他人の行動を観察して学ぶ可能性をかなり鮮やかに見せてくれました。

ただし、ここで研究結果に巨大な拡声器をつけて、

「暴力を見た子どもは、将来かならず暴力的になる!」

まで言ってしまうと、論文が後ろから、

「そこまでは言ってません」

と袖を引っ張ってきます。

心理学研究を読むときに大切なのは、

「何が分かったか」と同じくらい、「何までは分かっていないか」を見ること。

ボボ人形実験にも、いくつか注意しておきたい点があります。

「その場でまねした」と「攻撃的な人になった」は別の話

まず、いちばん重要なのがここです。

この実験で確認されたのは、攻撃的な大人を見た子どもたちが、その後の実験場面で似た攻撃行動を多く示したということです。

これは重要な結果です。

ただし、

「その子が数年後も攻撃的だった」

「大人になって暴力的になった」

ところまで追跡した研究ではありません。

つまり、

短い時間の中で現れた模倣行動と、その人の長期的な性格や人生は分けて考える必要があります。

ここをごちゃ混ぜにしてはいけません。

たとえば、料理番組を見たあとに急にオムライスを作ったからといって、

「この人は生涯、オムライス職人として生きることが決定しました」

とは言えないですよね。

行動を一度まねすることと、それが長期的な性格として定着することは別問題です。

ボボ人形実験も同じです。

「見ることが行動に影響しうる」

とは言えても、

「見たものが、その子の将来を決める」

とまでは言えません。

そもそも、かなり特殊な実験室です

次に考えたいのが、

「これは日常生活そのものなのか?」

という問題です。

子どもたちが置かれたのは、研究者によって用意された実験環境です。

そこには大きなボボ人形があり、木づちがあり、大人がわざわざ人形を攻撃する姿を見せます。

日曜日の昼下がりの一般家庭で、

「ではここで大人が突然、起き上がり人形を木づちでたたき始めます」

という場面は、そう頻繁にはありません。

少なくとも、頻繁だったら別の心配が必要です。

つまり、この実験は現実生活の一部をうまく切り取っていますが、現実そのものではありません。

家庭や学校では、

親子関係。

友達との関係。

教師からの働きかけ。

その行動を周囲が褒めるのか叱るのか。

本人の性格や経験。

さまざまな要素が同時に動いています。

現実の人間関係は、実験室よりずっとごちゃごちゃしています。

だから、

「攻撃的なものを見た」

「その人も攻撃的になる」

という一本線だけで、人の行動を説明することはできません。

ボボ人形だから、たたきやすかった可能性もある

もうひとつ面白い問題があります。

ボボ人形は、倒しても起き上がってくるおもちゃです。

つまり、普通の人形よりも、

「押してみようかな」

「倒してみようかな」

と思わせやすい特徴があります。

しかも実験では、先ほど大人がその人形を攻撃するところを見ています。

子どもからすると、

「なるほど。この部屋では、この人形はそうやって遊ぶものなのかな」

と受け取った可能性も考えられます。

つまり、

本当に“攻撃性そのもの”が高まったのか、それとも“このおもちゃではこう遊ぶものだ”と学んだ部分もあるのか。

ここは慎重に考える必要があります。

この研究の強いところは、モデルと似た行動が増えたことです。

一方で、それをそのまま日常的な暴力や攻撃性全般へ広げるには、一段階慎重さが必要になります。

子どもは「研究者が期待していること」を察したかもしれない

実験研究では、ときどき、

「参加者が実験の意図を読んでしまう」

という問題があります。

大人でもありますよね。

研究室に入って、

「このボタンを押してください」

「次にこの映像を見てください」

「では、こちらの課題をお願いします」

と進んでいくと、

「これ、たぶん何かを比べてるんだろうな」

と勘づきます。

子どもたちも同じように、

「さっき大人があの人形をたたいていた。ここでも同じことをしていいのかな」

と、場面から何かを読み取った可能性は完全には消せません。

もちろん、子どもたちに「まねしてください」と直接指示したわけではありません。

だからこそ研究結果には意味があります。

ただ、

純粋に自然発生した行動だけを見ているわけではない

という点は頭の片隅に置いておきたいところです。

72人の子どもだけで「すべての子ども」を語ることはできない

この研究に参加したのは、スタンフォード大学の保育園に通う72人の子どもたちでした。

心理学史に残る有名な研究ではありますが、

72人の結果から、

「世界中のあらゆる子どもはこうです」

とは言えません。

時代も1961年です。

文化も違います。

子育ての考え方も違います。

テレビやインターネット、スマートフォンのある現在とは、子どもが触れる情報環境もまるで違います。

ですから、この研究は、

「人間には観察から行動を学ぶ仕組みがありそうだ」

という重要な入口ではありますが、

現代のあらゆる家庭や文化に、そのまま同じ数字を貼り付けられる研究ではありません。

有名な研究ほど、つい万能カードのように使いたくなります。

でも、研究にも使用期限ではなく「使用範囲」があります。

「親が悪い」という話にもしてはいけない

そして、生活に活かすときに特に注意したいのがここです。

「子どもは大人を見て学ぶ」

と聞くと、

「じゃあ、子どもに問題行動があるのは親のせいなの?」

という方向へ話が進みやすくなります。

これは、この研究からは言えません。

子どもの行動には、

生まれ持った気質。

家庭。

友人。

学校。

文化。

経験。

そのときの感情。

さまざまな要因が関係します。

人間の行動は、一本の原因から出てくる自動販売機ではありません。

ボタンAを押したら必ず行動Bが出てくる、というものではないのです。

だから観察学習を、

「悪い行動をした子どもには、必ず悪いお手本がいた」

という犯人探しに使ってはいけません。

むしろ、

「性格だけで考えず、その人がどんな環境で何を見ているかも考えてみよう」

という、視野を広げるための考え方として使うほうが健全です。

現在の基準で見ると、倫理面にも気になるところがある

もうひとつ、現代から見ると気になるのが研究倫理です。

この実験では、幼い子どもたちに大人の攻撃的な行動を見せ、その後、わざと少し欲求不満が起こるような場面まで作っています。

1961年当時と現在では、研究倫理の基準や審査体制が大きく異なります。

現在なら、

「子どもにどんな心理的影響が残る可能性があるのか」

「十分にリスクを減らせているのか」

「実験後にどんな説明やケアをするのか」

といった点が、より厳しく検討されるでしょう。

歴史的に重要な研究だからといって、方法まで無条件に「すばらしい」と評価する必要はありません。

結果の価値と、研究方法の倫理性は別々に考えることができます。

ここも、科学を読むうえでは大切な姿勢です。

それでも、この研究が残した問いは大きい

こうして注意点を並べると、

「じゃあ、この研究は信用できないの?」

と思うかもしれません。

そうではありません。

研究の限界を知ることは、研究を否定することではありません。

むしろ逆です。

どこまでなら、この結果を大切に扱えるのかを知ること

なのです。

ボボ人形実験から、

「攻撃的なものを一度見たら、その子の人生が決まる」

とは言えません。

でも、

「人間は、自分が直接経験しなくても、他人の行動を観察することで新しい行動を学ぶことがある」

という重要な知見を示した研究として、その価値は大きいものがあります。

心理学の論文は、ときどき大きな答えをくれるように見えます。

でも実際には、

「ここまでは分かった。でも、この先はまだ分からない」

という形で、次の研究へバトンを渡していきます。

それでいいのだと思います。

科学は、一枚の論文ですべてを決着させるものではありません。

小さな懐中電灯を一本ずつ増やしながら、人間というかなり暗くて広い洞窟を歩いていくような営みです。

バンデューラたちの研究も、その一本でした。

だから私たちも、

「子どもは人を見て学ぶことがある」

という面白さを受け取りながら、

「でも、人間はそれだけで決まるわけではない」

という余白も一緒に持っておく。

そのくらいの距離感で読むのが、この有名な実験といちばん上手につきあう方法だと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

まとめ:子どもは大人を見て学ぶ。ボボ人形実験が教えてくれた観察学習の力

ここまで、バンデューラ、ロス、ロスによる1961年の有名なボボ人形実験を見てきました。

最初は、

「子どもって、大人のまねをするよね」

という、かなり素朴な話に見えたかもしれません。

でも、研究をたどっていくと、そこには思った以上に大きなテーマがありました。

それは、

人は、自分で経験したことだけから学ぶわけではない。誰かを見ているだけでも、行動を学ぶことがある。

ということです。

子どもたちは、大人から、

「この人形をたたいてください」

と教えられたわけではありません。

「あとで同じことをすると得点がもらえます」

と言われたわけでもありません。

ただ、大人がどう振る舞っているかを見ていました。

そしてそのあと、大人がいない場面でも、さっき見たものと似た攻撃行動を示しました。

つまり、人間には、

「教えられて学ぶ」だけではなく、「見ながら学ぶ」というルートもある。

バンデューラたちの研究は、そのことを非常に分かりやすい形で見せてくれたのです。

人の行動には、音のない説明書がついている

この研究を日常生活に持って帰ると、

「人は言葉だけを聞いているわけではない」

ということに気づきます。

たとえば、

「困ったときは相談してね」

と言いながら、相談されたら面倒そうな顔をする。

「失敗しても大丈夫」

と言いながら、自分がミスすると猛烈に自分を責める。

「人にはやさしく」

と言いながら、立場の弱い人にはきつく当たる。

そんなとき、周囲の人が見ているのは言葉だけではありません。

実際の行動も見ています。

言葉では、

「こうしましょう」

と伝えていても、

行動では、

「実際のところ、私はこうしています」

と別のメッセージを流していることがあります。

人の振る舞いには、どうやら音のない説明書がついているようです。

しかも、その説明書は本人が配っているつもりがなくても、勝手に読まれることがあります。

なかなか油断できません。

でも、「悪い姿を見せたら終わり」ではない

ここで、この研究を必要以上に怖い話にしないことも大切です。

ボボ人形実験から、

「子どもの前では一度も怒ってはいけない」

とか、

「悪い行動を見せたら、その子の性格が決まってしまう」

とは言えません。

人間の行動はそんなに単純ではありません。

一度見たもの。

何度も経験したこと。

本人の性格。

周囲の関係。

文化。

その行動が褒められるのか、止められるのか。

いろいろなものが重なって、その人の行動は作られていきます。

だから、この研究から持ち帰るべきなのは、

「間違った姿を一切見せないようにしよう」

という緊張ではありません。

むしろ、

「自分がどう振る舞うかも、誰かにとっての学習材料になることがある」

という気づきです。

ここには、少し希望もあります。

なぜなら、見て学ばれる可能性があるのは、攻撃行動だけではないからです。

失敗したら謝る。

分からないときは教えてもらう。

人が困っていたら手を貸す。

自分とは違う意見でも最後まで聞く。

疲れているときは無理をしすぎず休む。

こうした姿もまた、

「そういうやり方があるんだ」

と誰かに伝わるかもしれません。

観察学習は、子どもだけの話ではない

そして、この研究を子育てだけの話に閉じ込めてしまうのも、少しもったいないと思います。

大人になってからも、私たちはかなり人を見ています。

職場に入れば、先輩の働き方を見る。

新しい集団に入れば、その場所でどう振る舞えばいいのか周囲を見る。

人間関係で困れば、

「あの人なら、こういうときどうするだろう」

と考える。

意識していなくても、誰かの言い方や態度が自分の中に少しずつ残っていることがあります。

だから、

「私はもう大人だから、人から影響されません」

とはなかなか言えません。

むしろ大人になると、

「自分で決めています」

という顔をしながら、意外と周囲からいろいろ受け取っています。

人間、思ったより独立独歩ではありません。

少しずつ誰かの影響を借りながら、自分というものを組み立てているのでしょう。

この研究から持ち帰りたいこと

今回の論文を、最後にもう一度3つにまとめると、

1.子どもは、大人の行動を観察するだけでも学ぶことがある。

2.人の行動は、本人の性格だけでなく、周囲で何を見ているかからも影響を受ける。

3.だからこそ、私たち自身の普段の振る舞いも、誰かにとって一つの「お手本」になりうる。

ということになります。

ただし、

「見たものが、そのまま人生を決める」わけではありません。

ここも忘れないでおきたいところです。

人は影響を受けます。

でも、影響だけでできているわけではありません。

見たものを受け取りながら、

選び直したり、

反発したり、

別の人をお手本にしたり、

あとから考え方を変えたりもします。

人間はコピー機ではなく、編集者でもある。

誰かの生き方を少し借りながら、自分なりに編集していく。

そんな存在なのかもしれません。

ボボ人形実験は、子どもが人形をたたくという少し奇妙な光景から始まりました。

でも、その先にあったのは、

「人は、人からどうやって生き方を学んでいくのか」

という、とても大きな問いでした。

私たちは毎日、誰かを見ています。

そしてたぶん、自分も誰かに見られています。

だから、

「立派な人にならなきゃ」

と肩に力を入れなくてもいい。

ただ、

自分が誰かに見せるなら、どんな姿を少し残したいだろう。

そんなことを、ときどき考えてみる。

バンデューラたちの研究は、そのための小さな鏡を、今も私たちの前に置いてくれているように思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

あとがき

この論文を読み終えて、最初に浮かんだのは、

「人って、思っている以上に人を見て生きているんだな」

ということでした。

ボボ人形実験というと、心理学ではあまりにも有名なので、つい「子どもが大人の攻撃行動をまねした実験ですよね」で片づけたくなります。

でも、今回あらためて読んでみると、私にはむしろ、その先のほうが気になりました。

子どもが大人を見ている。

大人もまた、別の大人を見ている。

新人は先輩を見ている。

後輩は上司を見ている。

家族は家族を見ている。

そして、自分もまた、誰かの何気ない行動を見ながら、

「こういうときは、こうするものなのかな」

と少しずつ覚えてきた。

そう考えると、私たちの人生って、かなりの部分が**“誰かの背中を勝手に受講する授業”**でできているのかもしれません。

申し込み不要、受講料無料、しかも退会方法がよく分からない。

なかなか強力な講座です。

「ちゃんと教えなきゃ」より、「普段どうしてる?」のほうが怖い

私はこの研究を読んでいて、少しだけドキッとしました。

人に何かを伝えるときって、どうしても言葉に意識が向きます。

「こうしたほうがいいよ」

「こう考えたら楽だよ」

「困ったら相談してね」

でも、実際にはその横で、自分の行動も同時に放送されています。

「相談してね」と言いながら、忙しそうな顔で話しかける隙をゼロにしていたら。

「失敗しても大丈夫」と言いながら、自分のミスだけは世界の終わりみたいに扱っていたら。

「人にはやさしく」と言いながら、自分にはずっと厳しくしていたら。

言葉と行動が、別々のチャンネルで放送されていることがあります。

そしてたぶん、人はその両方を見ています。

このことに気づくと、ちょっと耳が痛いです。

でも、同時に救いもあると思うんです。

完璧な姿より、「立て直す姿」を見せればいい

もし観察学習があるなら、

「じゃあ、いつも立派でいなきゃいけないのか」

と思ってしまいそうです。

でも、私はそうは思いませんでした。

むしろ、この研究から持ち帰りたいのは、

失敗した姿を隠すことではなく、失敗したあとにどうするかも人は見ている

ということです。

感情的になったあとに謝る。

分からないことを分からないと言う。

困ったら助けを求める。

疲れたら休む。

誰かの意見に腹が立っても、少し時間を置いて話し直す。

そういう姿も全部、

「人はこうやって立て直せるんだ」

というお手本になるかもしれません。

完璧な人間を演じるのは、たぶん長続きしません。

でも、ちゃんと戻ってくる人なら、もう少し現実的です。

私自身、そういう人のほうが信頼できます。

転ばない人より、転んだあとに「いやあ、転びましたね」と言いながら起き上がれる人。

そっちのほうが、人生ではずっと参考になる気がします。

人はコピーされるだけでなく、編集もできる

もうひとつ、この研究を読みながら考えたのは、

「じゃあ、自分がこれまで見てきたものは、全部そのまま自分になっているのか」

ということでした。

たぶん、そうではありません。

子どものころに見たこと。

職場で覚えたこと。

家族から受け取ったこと。

誰かに傷つけられて身についた反応。

それらは確かに自分の中に残っているかもしれません。

でも、人間はコピー機ではありません。

大人になってから、

「これはもういらないな」

と手放すこともできる。

「この人のこういうところは取り入れたい」

と、新しいお手本を選ぶこともできる。

つまり、私たちは影響を受けながらも、あとから編集する力も持っているんですよね。

ここは、個人的にかなり大事だと思っています。

昔見たものが、自分のすべてではない。

昔覚えた反応が、これからも永久に続くわけではない。

人は、見て学ぶ。

でも同時に、見直して学び直すこともできる。

この余白があるから、人間って面白いんだと思います。

「誰の背中を見たいか」を選ぶ

この論文を読み終えたあと、私は少しだけ、

「これから誰をよく見ていたいだろう」

と考えました。

別に、有名人や偉い人でなくてもいいんです。

丁寧に人の話を聞く人。

失敗しても人のせいにしない人。

誰かの成功をちゃんと喜べる人。

仕事が終わったら、ちゃんと帰る人。

自分にも他人にも、必要以上に厳しくしない人。

そういう人を見ていると、

「こういう生き方もありなんだ」

と、心の中に新しい選択肢が増えていく気がします。

人は環境から影響を受ける。

それなら逆に、自分が何を見るかを少し選ぶことも、人生を整える方法のひとつなのかもしれません。

最後に

ボボ人形実験は、見た目だけならかなり派手です。

大人が人形をたたき、子どもがそれをまねする。

映像だけ切り取れば、なかなか忘れにくい実験です。

でも、この論文が今も残っている理由は、たぶんその派手さではありません。

その奥に、

人間は、誰かの行動を見ながら自分の行動をつくっていく

という、静かで大きなテーマがあるからだと思います。

自分は今日、誰を見ていたか。

そして今日、自分は誰に何を見せていたか。

そんなことを考えると、日常の景色が少しだけ変わります。

大げさな教訓はいりません。

ただ、

「人って、こうやって人から人へ、少しずつ何かを渡していくんだな」

と思えたら、それで十分です。

心理学の論文を読んで、世界が全部変わらなくてもいい。

帰り道の景色がほんの少し違って見える。

「アドラーの昼寝」では、そんな一枚を拾うように、これからも論文を読んでいきたいと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

制作ノート

出典論文:Bandura, A., Ross, D., & Ross, S. A. (1961). Transmission of aggression through imitation of aggressive models. The Journal of Abnormal and Social Psychology, 63(3), 575–582.
DOI:10.1037/h0045925

掲載・確認先PubMed / Google Scholar / APA PsycNet / CiNii Research

記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。

制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
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