赤ちゃんの外国語聞き流しは効果がある?対面と録音を比べた研究

赤ちゃんの外国語聞き流しは効果がある?対面と録音を比べた研究
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「外国語、とりあえず流しておけばいい?」赤ちゃんの学び方をのぞいてみる

『赤ちゃんは外国語の音をどう学ぶ?短い外国語体験と人との交流が育てる「聞き分ける力」』パトリシア・K・クール、フェンミン・ツァオフエイメイ・リウ(2003)

Kuhl, P. K., Tsao, F.-M., & Liu, H.-M. (2003). Foreign-language experience in infancy: Effects of short-term exposure and social interaction on phonetic learning. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 100(15), 9096–9101.

赤ちゃんに英語や外国語を覚えてほしい。

そう思ったとき、まず頭に浮かぶ方法のひとつが、

「とりあえず、外国語を流しておけばいいのでは?」

ではないでしょうか。

朝ごはんの横で英語。
おもちゃで遊んでいる横でも英語。
夕方になっても英語。

気づけば赤ちゃんより先に、親のほうが外国語教材のオープニング曲を暗唱できるようになっている。

「グッドモーニング!」

はいはい、今日も元気ですね。

そんな家庭も、きっとあると思います。

でも、ここで素朴な疑問が出てきます。

赤ちゃんは、外国語をただ聞いているだけでも、その音を学んでいくのでしょうか?

それとも、

誰かが目の前で話しかけてくれることに、特別な意味があるのでしょうか?

実は、この疑問をかなり正面から調べた研究があります。

2003年、心理学者のパトリシア・K・クールたちは、外国語に触れたことのない赤ちゃんたちに、中国語を体験してもらう実験を行いました。

ここまでは、

「なるほど。赤ちゃんに外国語を聞かせたのね」

という話なのですが、この研究がおもしろいのはここからです。

研究者たちは、ただ外国語を聞かせただけではありません。

実際の人と外国語でやり取りする場合と、映像や音声を通して外国語に触れる場合を比べたのです。

つまり研究室で、

「目の前に外国語を話す人がいる場合と、画面の中から外国語が聞こえてくる場合、赤ちゃんにとって同じなんだろうか?」

という、現代の家庭にもそのまま持って帰れそうな疑問を調べたわけです。

赤ちゃんにとって「音」は、ただの音ではないのかもしれない

大人からすると、外国語の音声は外国語の音声です。

人が目の前で、

「こんにちは」

と言っても、テレビから、

「こんにちは」

と聞こえてきても、耳に入ってくる言葉そのものは同じです。

だから、

「同じ音を聞くなら、録音でも映像でもいいんじゃない?」

と思いたくなります。

ところが、赤ちゃんの学びは、そんなに単純な「耳へのデータ入力」ではないのかもしれません。

赤ちゃんは、人の顔を見ます。

声のする方向を見ます。

誰かが何かを話せば、その人の表情や口の動きにも注意を向けます。

「この人、なんかこっち見ながらいっぱいしゃべってるな」

もちろん赤ちゃんが本当にそう考えているわけではありませんが、言葉はいつも、人とのやり取りの中にあります。

声だけが空中を単独飛行しているわけではないのです。

考えてみれば、私たち大人だって似ています。

動画を一本見るより、目の前の人から、

「これ、けっこう大事ですよ」

と言われたほうが、なぜか頭に残ることがあります。

情報そのものだけではなく、

「誰かが自分に向かって伝えている」

という状況が、学びのスイッチを押している可能性があるわけです。

「早くから外国語を聞かせればいい」で話は終わらない

乳幼児の外国語教育というと、

「何歳から始めればいい?」

という話になりがちです。

0歳からがいい。

いや、3歳までが大事だ。

いやいや、日本語が先でしょう。

育児情報の世界では、ときどき赤ちゃんの横で大人たちが討論大会を始めています。

赤ちゃん本人はその横で、靴下を食べようとしています。

ただ、この研究が投げかけている問いは、少し違います。

「いつから聞かせるか」だけでなく、「どんな形で外国語に触れるか」も大事なのではないか。

という問いです。

これはなかなか興味深い視点です。

外国語教材を何時間流したか。

動画を何本見せたか。

そうした「量」の話だけではなく、

その言葉が、

誰から届いたのか。

どんなやり取りの中で届いたのか。

そこまで含めて、赤ちゃんは学んでいるのかもしれません。

もちろん、この研究ひとつだけで、

「動画は意味がありません」

とか、

「外国語は必ず対面で教えましょう」

とまで言うことはできません。

研究で調べられたのは、限られた年齢の赤ちゃんが、短期間の外国語体験を通して外国語の音を聞き分ける力をどのように学ぶかという部分です。

外国語を話せるようになるかどうかまで調べた研究ではありません。

でも、それでも十分おもしろい。

なぜならこの研究は、赤ちゃんの学びについて、

「耳に何を入れるか」だけで考えていていいのだろうか?

と静かに問いかけてくるからです。

もしかすると言葉は、音として耳に届く前から、

人と人とのあいだで学ばれ始めているのかもしれません。

では実際に、目の前で外国語を話してもらった赤ちゃんと、映像や音声から外国語を聞いた赤ちゃんでは、どんな違いが見られたのでしょうか。

ここから、赤ちゃんたちの小さな耳と、研究者たちのかなり大きな疑問を追いかけてみましょう。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文をひとことで言うと

この論文を、かなり乱暴にひとことで言うなら、

「赤ちゃんは、外国語の“音”だけを聞いているわけではないらしい」

という研究です。

もう少し正確に言うと、

9か月ごろの赤ちゃんは、外国語を話す人と実際にやり取りしながら触れると、その外国語特有の音を聞き分ける力を学べることがある。一方で、同じような内容を映像や音声だけで聞いた場合には、同じ学習効果は確認されなかった。

そんな結果が示されました。

「え、同じ外国語を聞いているのに?」

そうなんです。

ここが、この論文のいちばん面白いところです。

「耳に入ればOK」ではなかった

私たちはつい、言葉の学習をこんなふうに考えがちです。

外国語をたくさん聞く。

すると脳の中に外国語が少しずつ貯まる。

貯金箱に小銭を入れるように、

チャリン。

チャリン。

チャリン。

はい、外国語能力が貯まりました。

そんな仕組みなら、話はとても簡単です。

外国語の音源を一日中流しておけばいい。

テレビでもいい。

録音でもいい。

赤ちゃんの耳に届きさえすれば、とりあえず学習ポイント1点。

……だったら育児はもう少し簡単だったかもしれません。

ところが、クールたちの研究では、そう単純ではありませんでした。

赤ちゃんの前に実際の中国語話者がいて、話しかけたり、おもちゃを使ったりしながら中国語に触れた場合には、赤ちゃんたちは中国語特有の音の違いを聞き分けるようになりました。

ところが、その体験を映像で見たり、音声だけで聞いたりした赤ちゃんたちには、同じような変化が見られなかったのです。

つまり、

「どんな音を聞いたか」だけではなく、「どんな状況で聞いたか」も学習に関係している可能性がある。

ということです。

赤ちゃんは「この人、私に話してる?」まで見ているのかもしれない

ここで大切なのが、社会的なやり取りです。

人が目の前にいる。

こちらを見ている。

声を出している。

表情が動く。

おもちゃを見せる。

赤ちゃんが反応すると、相手も反応する。

言葉の学習というと「耳」の仕事に見えますが、実際には目も、注意も、人への関心も総動員されているのかもしれません。

赤ちゃんの脳内会議を勝手に想像すると、

「外国語が聞こえました」

「了解です」

で終わるのではなく、

「なんかこの人、こっち見てます」

「こちらの反応に合わせて動いてます」

「重要情報かもしれません」

「では音声解析班、お願いします」

くらいのことが起きているのかもしれない。

もちろん、これはたとえ話です。

でも、この研究が示したのはまさに、人との関わりが学習の入り口になる可能性でした。

ただし「動画は全部意味がない」という論文ではありません

ここは少し注意が必要です。

この研究を読んで、

「よし、動画教材は全部捨てよう!」

となるのは早すぎます。

この論文で調べたのは、主に乳児が外国語の音の違いを聞き分ける学習についてです。

外国語の単語を覚えられるか。

将来会話が上手になるか。

英語教材全般に効果があるかないか。

そこまで全部を調べた研究ではありません。

また、研究対象となった年齢や外国語体験の方法も限られています。

なので、この論文から言えるのは、

「赤ちゃんの外国語学習では、人との直接的な交流が重要な役割を持つことがある」

くらいまでです。

「対面こそ正義、それ以外は全部ゼロ点」

という話ではありません。

科学は、だいたいそんなに威勢よく断言してくれません。

この論文が教えてくれる、もうひとつのこと

そして、この研究は外国語教育だけの話でもないように思います。

私たちは学習というと、

「何を教えるか」

「どれだけ教えるか」

ばかりを考えがちです。

でも、この論文を読むと、

「誰と、どんな関係の中で学ぶか」

という視点が見えてきます。

赤ちゃんにとって言葉は、空から降ってくる音ではありません。

誰かが笑いながら話す。

こちらを見ながら声を出す。

反応すると、また何か返ってくる。

そんな人と人との往復運動の中に、言葉は置かれています。

だから、この論文を本当にひとことで言うなら、

「赤ちゃんは外国語を、耳だけではなく、人とのやり取りの中で学んでいるのかもしれない」

という研究です。

外国語学習の話をしていたはずなのに、最後には少しだけ、

「学ぶって、そもそも何だろう」

というところまで連れていかれる。

そこが、この論文のなんとも味わい深いところです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文の要点

この論文のポイントを、まず3つにぎゅっと絞ると、こんな感じです。

1. 赤ちゃんは、短い外国語体験でも「音の違い」を学べる

「外国語って、何年も勉強しないと身につかないんじゃないの?」

大人ならそう思いますよね。

ところがこの研究では、9か月ごろの赤ちゃんが、比較的短い期間に中国語へ触れただけでも、中国語特有の音の違いを聞き分ける力を学べる可能性が示されました。

もちろん、

「はい、中国語ペラペラです」

となったわけではありません。

研究で見ているのは、外国語の会話力ではなく、音を聞き分ける力です。

それでも面白いのは、赤ちゃんの耳が思っている以上に柔軟だということ。

大人には「どっちも同じ音では?」と聞こえる違いにも、赤ちゃんの脳はせっせと耳を澄ませているわけです。

小さな体で、なかなか忙しい。


2. 同じ外国語でも、「人から聞く」と「画面や音声で聞く」では結果が違った

この論文のいちばん印象的なポイントがここです。

赤ちゃんたちは、実際の中国語話者と対面し、遊びやコミュニケーションを交えながら中国語を聞いた場合には、外国語の音を聞き分ける学習が見られました。

ところが、映像や音声だけで同じように中国語へ触れた条件では、同じ学習効果は確認されませんでした。

「え、音は同じなのに?」

そう思いますよね。

研究者たちが注目したのが、人との社会的なやり取りです。

目の前に人がいる。

自分に話しかけてくる。

こちらが動けば、相手も反応する。

こうしたやり取りが、

「この音、大事ですよ」

と赤ちゃんの注意を引き寄せる役割を果たしているのではないか、と考えられます。

外国語学習というと「どんな教材を聞かせるか」に目が向きますが、この研究を見ると、

「誰と、どんなふうに聞くか」

も忘れてはいけないようです。


3. 赤ちゃんの学びは、「情報の量」だけでは説明できない

この研究から見えてくるのは、外国語をたくさん聞かせれば、その分だけ機械的に学習が進む、という単純な仕組みではなさそうだということです。

たとえるなら、

「外国語を100時間流しました!」

だけでは、学習の話は終わらない。

100時間という数字の横に、

「そのとき、人とのやり取りはあった?」

という欄も必要なのかもしれません。

赤ちゃんは、耳に入ってきた音だけを録音機のように保存しているわけではありません。

人を見る。

表情を見る。

声に注意を向ける。

相手の反応を感じる。

そんな社会的な世界の中で、言葉を学んでいる可能性があります。

だから、この論文の3つの要点をさらに一文にまとめるなら、

「赤ちゃんには外国語の音を学ぶ力がある。ただし、その力を引き出すうえで、人との直接的なやり取りが大切な役割を果たすかもしれない」

ということになります。

「何を聞かせるか」だけではなく、

「誰と一緒に聞くか」。

外国語の研究なのに、最後にはそんな人間らしい話が残るところが、この論文の面白さです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究の背景:赤ちゃんの外国語学習は「たくさん聞けばOK」?研究者が注目したもうひとつの条件

赤ちゃんは、生まれた瞬間から日本語だけを聞き分ける耳を持っているわけではありません。

むしろ乳児期の早い段階では、かなり幅広い言語の音の違いに反応できると考えられています。

ところが成長するにつれて、毎日のように耳にする母語の音にはどんどん敏感になり、逆に、普段ほとんど聞かない外国語の音の違いには気づきにくくなっていきます。

これは悪いことではありません。

むしろ、

「はい、日本語を使う世界ですね。では日本語担当を強化します」

と、脳が暮らしている環境に合わせて調整しているようなものです。

全部の言語にいつまでも同じ力を配っていたら、それはそれで大忙しです。

だから赤ちゃんの脳は、よく聞く音を優先して学んでいきます。

ここまでは、当時の研究でも少しずつわかってきていました。

では、研究者たちが気になったのは何だったのでしょうか。

外国語の音を聞けば、その力は戻ってくるの?

ここで一つ、大きな疑問が出てきます。

母語に慣れてきた赤ちゃんでも、外国語を聞かせれば、その外国語の音をもう一度学べるのでしょうか。

「だったら、早いうちに外国語をたくさん聞かせればいいのでは?」

そう考えたくなりますよね。

外国語の音を流す。

たくさん流す。

さらに流す。

部屋の空気までバイリンガルになりそうなくらい流す。

すると赤ちゃんの耳も自然に外国語へ慣れていく。

なんとなく、そんなイメージがあります。

でも、ここでまだよくわかっていなかったことがありました。

それは、

外国語の音が耳に入るだけで十分なのか?

ということです。

人間の言葉は、単なる音ではありません。

誰かがこちらを見ながら話します。

赤ちゃんが笑えば、相手も笑います。

おもちゃに手を伸ばせば、

「それ気になるの?」

というように声が返ってきます。

つまり普段の言葉は、たいてい人とのやり取りの中で聞こえてくる音なのです。

だったら、外国語学習でも、

「何を聞いたか」

だけでなく、

「誰から、どんな状況で聞いたか」

が関係するのではないか。

ここが、クールたちの研究につながっていきます。

「外国語の量」ではなく「外国語との出会い方」を調べたかった

たとえば、赤ちゃんに中国語を聞かせるとします。

一つの方法は、中国語を話す人が実際に目の前に来て、話しかけたり、おもちゃで遊んだりすること。

もう一つは、その人の姿をテレビ画面で見ること。

さらに、音声だけを聞く方法もあります。

大人の感覚では、

「まあ、どれも中国語は中国語でしょう」

と思います。

耳に届く言語が同じなら、学習効果も同じように見えます。

ところが、本当にそうなのでしょうか。

研究者たちが知りたかったのは、まさにここでした。

乳児の外国語学習では、外国語に触れることそのものが大切なのか。それとも、人との直接的な交流が特別な役割を持っているのか。

この違いは、当時まだ十分にはわかっていませんでした。

言い換えれば、

「赤ちゃんの脳は外国語の音を録音機のように受け取っているのか?」

それとも、

「これは自分に向けられた大事な声だ、と人との関係の中で判断しながら学んでいるのか?」

という問いです。

なかなか壮大です。

調べている本人はまだ「ママ」「パパ」すら自在に操れない時期なのに、研究者側では言語学習の根っこの部分について大議論が始まっています。

赤ちゃん、知らないところで大役です。

だから、この研究では「対面」と「画面」を比べた

そこでクールたちは、外国語に触れる経験そのものだけを見るのではなく、

その外国語がどんな形で届けられるか

を比べることにしました。

実際の人が目の前にいる場合。

映像を通して見る場合。

音声だけを聞く場合。

もし外国語の音を聞くことだけが重要なら、どの方法でもある程度は学習が起きそうです。

でも、もし人とのやり取りに特別な意味があるなら、結果には違いが出るはずです。

つまり、この研究の背景にあった疑問をいちばんシンプルにまとめるなら、

「赤ちゃんの外国語学習に必要なのは、外国語の“音”なのか。それとも、外国語を話す“人”なのか?」

ということです。

この問いは、20年以上たった今でも妙に古びません。

動画教材もあります。

音声教材もあります。

オンライン学習もあります。

「とにかくたくさん聞かせよう」という考え方もあります。

だからこそ、この2003年の研究は今読んでも面白い。

外国語教育の話をしているようで、その奥ではもっと根本的なことを尋ねています。

人は、情報だけで学ぶのか。
それとも、人との関わりの中でこそ学ぶのか。

クールたちは、その答えの手がかりを、まだ言葉を自在に話せない赤ちゃんたちに尋ねることにしたのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究方法:赤ちゃんに外国語をどう聞かせた?「対面・映像・音声」を比べた実験

では研究者たちは、赤ちゃんを相手にどうやって「外国語の学び方」を調べたのでしょうか。

まさか9か月の赤ちゃんに、

「それでは中国語の聞き取りテストを始めます。筆記用具を出してください」

とは言えません。

鉛筆を渡したところで、たぶん最初に味見されます。

そこでクールたちは、英語だけを聞いて育っているアメリカの9か月ごろの赤ちゃんを対象に、中国語に触れる体験を用意しました。研究は大きく2つの実験に分かれています。

まずは、本物の人から中国語を聞いてみる

最初の実験では、赤ちゃんたちに中国語を母語とする話者と実際に会ってもらいました。

中国語の先生が教壇に立って、

「本日の文法はですね」

と授業をしたわけではありません。

もっと自然です。

話しかけたり、絵本を読んだり、おもちゃを使ったりしながら、赤ちゃんに向けて中国語を話してもらいました。

しかも話し手は、赤ちゃんとよく目を合わせ、名前を呼びながら関わっていました。つまり赤ちゃんにとっては、「外国語教材を聞く時間」というより、中国語を話す人と一緒に遊ぶ時間に近かったわけです。

この体験は、1回約25分。

それを約4週間にわたり、全部で12回行いました。合計すると、およそ5時間です。

「5時間で何か変わるの?」

と思いますよね。

大人なら5時間外国語を聞いたところで、

「ニーハオだけは自信があります」

くらいで帰ってきそうです。

でも研究者たちが調べたいのは、赤ちゃんが中国語を話せるようになるかではありません。

中国語に特有の音の違いを聞き分けられるようになるか。

そこを見ていました。

なお、比較のために、同じように人との交流を経験しながら英語を聞く赤ちゃんたちも用意されました。実験1では32人の乳児が2群に分けられ、中国語への対面接触と英語での対面接触が比較されています。

次は「人がいなくても学べる?」を試してみる

ここからが、この研究の面白いところです。

最初の実験で中国語の音を学べたとしても、

「いやいや、それは中国語を聞いたからでしょう」

という可能性が残ります。

だったら、同じ外国語をテレビや音声から聞いても学べるはずです。

そこで次の実験では、別の赤ちゃんたちに中国語を、

映像つきで見る条件

と、

音声だけで聞く条件

で体験してもらいました。

こちらも12回の外国語体験です。しかも、対面での実験と同じ中国語話者による素材が使われました。

これで、かなり面白い比較ができます。

ざっくり言えば、

① 目の前の人から中国語を聞く

② 画面の中の人から中国語を聞く

③ 音声だけで中国語を聞く

という違いを見ることができるわけです。

中国語という「情報」が重要なのであれば、どの方法でもある程度は学習できそうです。

でも、

人との直接的なやり取りそのものに意味があるなら?

結果は変わるかもしれません。

研究者たちは、そこを確かめようとしました。

赤ちゃんが音の違いに気づいたかを調べる

そして外国語体験が終わったあと、赤ちゃんたちが中国語の音の違いを聞き分けられるようになったかを調べました。

ここでも赤ちゃんに、

「いまの音はAだと思いますか、Bだと思いますか?」

とは聞けません。

「ばぶ」

で終了です。

そこで研究では、乳児の音声知覚を調べる行動実験を使い、音が変化したときに赤ちゃんがそれに気づくかどうかを観察しました。つまり、赤ちゃん自身に答えてもらうのではなく、音の変化に対する反応から『聞き分けられているか』を判断したわけです。

この研究方法をものすごく簡単にまとめると、

赤ちゃんに中国語を聞いてもらい、その届け方を「生身の人・映像・音声」で変えてみた。そして最後に、中国語特有の音を聞き分けられるようになったかを確かめた。

という実験です。

やっていること自体は意外とシンプルです。

でも、このシンプルな比較から、

「外国語を聞いた量が大事なのか」

それとも、

「誰かと関わりながら聞くことが大事なのか」

という、とても大きな問いに近づくことができます。

さて。

生身の人。

テレビ。

音声。

中国語そのものは、どの赤ちゃんの耳にも届いています。

では、結果も同じだったのでしょうか。

ここから、この研究のいちばん面白い場面に入っていきます。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この研究でわかったこと:赤ちゃんの外国語学習、聞くだけでは足りない?「人との交流」で生まれた違い

さて、いよいよ結果です。

中国語を、

「目の前の人から聞いた赤ちゃん」

「画面を通して聞いた赤ちゃん」

「音声だけで聞いた赤ちゃん」

では、同じように外国語の音を学んだのでしょうか。

外国語そのものは、どの赤ちゃんにも届いています。

だったら、

「多少の差はあっても、みんなそれなりに学ぶんじゃない?」

と思いますよね。

ところが、結果はきれいに同じ方向へ並びませんでした。

ここが、この研究のいちばん面白いところです。

生身の人と中国語に触れた赤ちゃんには、変化が見られた

まず、中国語を母語とする人と直接会い、遊んだり話しかけてもらったりしながら中国語に触れた赤ちゃんたち。

この赤ちゃんたちは、体験後、中国語に特有の音の違いを聞き分ける成績が高くなりました。

しかも、研究で行われた外国語体験は、何年間も続けた英才教育ではありません。

9か月ごろの乳児が、約1か月のあいだに12回、中国語話者と直接交流するというものでした。後の研究でも、この実験は1回25分、全12回の中国語体験として紹介されています。

つまり、

「毎朝6時から中国語。午後は単語帳。夜は発音練習」

みたいな話ではありません。

赤ちゃんですから。

午後には昼寝があります。

それでも、生身の人と中国語に触れた赤ちゃんには、外国語の音を聞き分ける力に変化が見られたのです。

さらに興味深いことに、この中国語を体験したアメリカの赤ちゃんたちは、研究で使われた中国語の音の聞き分けにおいて、中国語環境で育った台湾の同年代の乳児に近い成績を示しました。

短い外国語体験でも、赤ちゃんの音の知覚は動く可能性がある。

まず、これが一つ目の大きな結果です。

ところが、テレビになると同じことが起きなかった

では、

「中国語が重要なら、映像でもいいでしょう」

ということで、今度はテレビ画面を通して中国語を体験した赤ちゃんたちです。

映像には中国語を話す人が映っています。

顔も見えます。

声も聞こえます。

つまり見た目だけなら、

「ほぼ同じ材料、そろってます」

と言いたくなります。

ところが、テレビを通して中国語に触れた赤ちゃんには、対面条件と同じような外国語音声の学習効果は確認されませんでした。

ここでちょっと空気が変わります。

「え、画面に人もいるのに?」

そうなんです。

さらに、音声だけで中国語を聞いた赤ちゃんにも、同じような学習効果は確認されませんでした。

つまり今回の実験では、

中国語を聞けば、それだけで同じように学習する

という結果にはならなかったのです。

いちばん意外なのは、「外国語が届いたか」だけでは説明できなかったこと

ここが、この論文でぜひ立ち止まりたいところです。

もし赤ちゃんの外国語学習が、

耳に入ってきた音をひたすら集計するだけ

なのであれば、テレビや音声からでも学習が起きてもよさそうです。

中国語は聞こえています。

外国語の音そのものが消えているわけではありません。

ところが、この実験では結果が違いました。

生身の人との交流では学習が確認された。

録画された映像や音声だけでは、同じ効果が確認されなかった。

これはなかなか意外です。

赤ちゃんの頭を小さな録音機だと思って、

「外国語を投入します」

「はい、保存しました」

という仕組みを想像していたら、どうも話が合わない。

そこで研究者たちは、社会的な交流が乳児の外国語音声学習を助けている可能性に注目しました。

目の前の人がこちらを見る。

赤ちゃんが動けば反応する。

声の調子が変わる。

おもちゃを見れば、相手もそちらを見る。

笑えば、笑い返してくれる。

こうしたやり取りによって、赤ちゃんの注意が言葉へ向き、

「この音は大事そうだぞ」

と学習しやすくなるのではないか。

そんな可能性が見えてきたのです。

ただ、「テレビは無意味」と結論づけた研究ではない

ここで、この研究を大きくしすぎないことも大切です。

結果だけを見ると、

「なるほど。赤ちゃんに外国語動画を見せても全部無駄なのね」

と言いたくなるかもしれません。

でも、そこまでは言えません。

この研究で調べられたのは、特定の年齢の乳児が、特定の方法で短期間中国語に触れたあと、外国語の音の違いを聞き分けられるかどうかです。

動画を長期間利用したらどうなるか。

親子で動画を見ながら会話したらどうなるか。

もっと年齢が上がった子どもならどうなるか。

単語や文法、会話能力の学習ではどうなるか。

そこまですべてを調べた研究ではありません。

なので、この結果から、

「外国語動画は意味がない」

という巨大な看板を立てるのは早すぎます。

科学者が小さく開けた窓を、こちらで勝手に体育館の入口まで広げてはいけません。

この研究から比較的素直に言えるのは、

少なくとも乳児期の外国語の音声学習では、外国語を聞くことだけではなく、生身の人との社会的な交流が重要な役割を果たす可能性がある

ということです。

「何時間聞いた?」の横に、「誰と聞いた?」を置いてみる

外国語学習というと、私たちはつい「量」を数えます。

一日30分。

週5時間。

年間300時間。

数字にすると、とてもわかりやすい。

でも、この研究はそこへ一つ、別の質問を置きました。

「その外国語は、どんな人との関わりの中で聞いたの?」

です。

同じ中国語でも、

目の前で誰かが自分に話しかけてくれることと、

画面やスピーカーから流れてくることは、

赤ちゃんにとって必ずしも同じ体験ではなかった。

これが、この研究で見つかったとても興味深い違いでした。

そして私は、ここがこの論文のいちばん人間らしいところだと思います。

言葉とは、もともと誰かから誰かへ渡されるものです。

「こんにちは」も、

「こっちだよ」も、

「かわいいね」も、

辞書の中から飛び出してくるわけではありません。

誰かの顔があって、

声があって、

こちらの反応を待ってくれる時間がある。

そんなやり取りの中を、言葉は行ったり来たりしています。

赤ちゃんの外国語学習を調べていたはずなのに、この研究から見えてきたのは、

人間にとって「学ぶこと」と「人と関わること」は、思ったより近い場所にあるのかもしれない

という、とても大きな問いでした。

同じ音は聞こえていた。

でも、同じようには学ばなかった。

その差の向こう側に「人」がいた。

この結果こそが、Kuhl、Tsao、Liuの研究を20年以上たった今でも読みたくなる理由のひとつなのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ここが面白い:同じ外国語を聞いたのに、なぜ?赤ちゃんの学習を変えた「人」の存在

この研究で、私がいちばん「へえ」と思うのは、

赤ちゃんが外国語を学べたことそのものではありません。

もちろん、それも十分すごいんです。

まだ自分で靴下もうまく履けないくらいの時期に、

「この中国語の音と、この中国語の音は違いますね」

という聞き分けを学んでいる。

赤ちゃん、こちらが思っているよりずっと忙しい。

でも、本当に面白いのはその先です。

同じように外国語を聞いていたのに、「目の前に人がいたかどうか」で結果が変わった。

ここなんです。

テレビにも、ちゃんと人は映っていた

ちょっとテレビ条件の赤ちゃんのところへ戻ってみましょう。

テレビには、中国語を話す人が映っています。

顔があります。

口も動きます。

声も聞こえます。

赤ちゃん向けの内容もあります。

つまり、

「生身の人がいないだけで、材料はかなりそろっているじゃないですか」

と言いたくなります。

冷蔵庫でたとえれば、卵も牛乳もバターもある。

あと何が必要なんですか、と。

ところが、対面条件と同じような学習は確認されませんでした。

ここで浮かんでくるのが、

「人が見えていること」と「人と関わっていること」は、もしかすると全然違うのでは?

という問いです。

これ、外国語学習を超えて、なかなか深い話だと思うんです。

「見る」と「見てもらう」は、似ているようで違う

テレビの中の人を見ることはできます。

でも、その人はこちらを見返してはくれません。

赤ちゃんが笑っても、

「笑ったね」

とは返してくれない。

おもちゃに手を伸ばしても、

「あ、それが気になるの?」

と反応してくれない。

途中で赤ちゃんが、

「もうちょっと右のおもちゃを見たいんですけど」

という顔をしても、テレビ番組は台本どおり進みます。

テレビ、

「では次はこちらです」

赤ちゃん、

「いや、まだそこ見てたんですけど」

ということが起きる。

一方、生身の人とのやり取りでは、相手が赤ちゃんに合わせて変化します。

赤ちゃんを見る。

赤ちゃんが反応する。

それを見て、また大人が反応する。

そして赤ちゃんがまた反応する。

人と人とのコミュニケーションには、こうした小さな往復があります。

言ってみれば、

「あなたを見ていますよ」という信号が、何度も行ったり来たりしている。

もしかすると、その往復こそが、赤ちゃんにとって、

「この音、ちょっと注目しておいたほうがよさそうです」

という学習の目印になっているのかもしれません。

赤ちゃんは「外国語」より先に、「これは大事」を学んでいる?

ここから先は、この研究を読んでいて私がとても面白いと思うところです。

赤ちゃんの周りには、とにかく音がたくさんあります。

冷蔵庫。

車。

掃除機。

テレビ。

犬。

大人の会話。

ガサガサする袋。

突然床に落ちるスプーン。

世界は、赤ちゃんにとって巨大な音響フェスです。

その全部を平等に覚えていたら、とてもじゃありませんが脳がもちません。

では、何に注意を向ければいいのでしょう。

そこで役に立つのが、人なのかもしれません。

誰かが自分を見ながら声を出している。

自分の反応に合わせて相手も反応する。

同じものを一緒に見ている。

そうした社会的な手がかりが、

「この音には意味がありそうだ」

という印をつけてくれる。

もしそうだとしたら、赤ちゃんは単に外国語の音を覚えているのではなく、

「何に耳を澄ませればよいのか」まで、人との関係から学んでいる

ことになります。

これ、すごくないでしょうか。

学習というと、

「脳が情報を取り込む」

というイメージがあります。

でも実際にはその前に、

「どの情報を取り込むの?」

という問題があります。

赤ちゃんにとって、人との交流は、その選別を助ける案内板なのかもしれません。

「教材の性能」だけでは、学びを説明できない

ここで話を少し大人の世界まで広げてみると、さらに面白くなります。

私たちは何かを学ぶとき、教材の性能を気にします。

どの動画がいい?

どの本がいい?

どのアプリがいい?

何時間やればいい?

もちろん、それらは大切です。

でも私たち自身の経験を振り返ると、

「この先生が話してくれたから覚えている」

ということ、ありませんか。

学校で習った内容を全部覚えている人は、ほとんどいないと思います。

でも、

「あの先生が黒板の前で笑いながら話した、あの話だけ妙に覚えている」

という記憶は残っていたりする。

情報だけ取り出せば、教科書にも書いてあったかもしれません。

それでも、人から受け取ったときだけ深く残ることがある。

赤ちゃんと大人をそのまま同じにすることはできません。

でもKuhlたちの研究を眺めていると、

「学習は情報の受け渡しだけではない」

という、人間の学びの根っこのようなものがちらっと見えてきます。

「生身の人が最強」という単純な話でもない

ただし、この研究を、

「だから人間が教えれば全部うまくいく!」

という話にしてしまうのも違います。

生身の人がいるだけで魔法が発動するわけではありません。

研究者たちが注目したのは、単なる物理的な距離ではなく、社会的なやり取りです。

つまり重要なのは、

「人間が半径1メートル以内に存在しています」

ではなく、

その人が赤ちゃんを見たり、

赤ちゃんの注意に合わせたり、

反応を返したりすること。

ただ隣で新聞を読みながら中国語を朗読している人がいれば、それだけで同じ結果になる、という研究ではありません。

人がいる。

でも、それ以上に、

「関係が動いている」。

そこが大切なのだと考えると、この研究の結果がぐっと立体的になります。

学びは「受信」ではなく「キャッチボール」なのかもしれない

外国語学習をラジオにたとえるなら、

普通は、

「たくさん受信すれば学べる」

と考えます。

でも、この研究を見ると、赤ちゃんの学習はラジオというよりキャッチボールに近いのかもしれません。

声が飛んでくる。

赤ちゃんが反応する。

また声が返ってくる。

視線が返ってくる。

表情が返ってくる。

その往復の中で、

「この音はこの世界で使われているんだ」

と学んでいく。

だから同じ音が流れていても、一方通行と往復では意味が違ってくる。

そう考えると、この研究の結果が少し腑に落ちます。

そして、ちょっとだけ日常の景色も変わって見えます。

赤ちゃんに向かって、

「今日は暑いねえ」

と話す。

赤ちゃんは内容なんてわかっていないように見える。

こちらも、

「まあ、返事はないよね」

と思っている。

でも赤ちゃんの中では、声だけでなく、

顔や視線や間合いや、自分への反応まで含めて、

少しずつ「ことばの世界」を組み立てているのかもしれない。

そう考えると、

大人が何気なく話しかけている時間も、ずいぶん違ったものに見えてきます。

この研究が面白いのは、「人間」が実験結果に入り込んできたこと

外国語の音を研究していたはずなのに、

最後に現れた重要な登場人物は、

「人との関係」でした。

音の研究なのに、人が出てくる。

脳の研究なのに、関係が出てくる。

学習の研究なのに、コミュニケーションが出てくる。

私は、ここがこの論文のなんとも好きなところです。

私たちは学ぶことを、

「頭の中に知識を入れる作業」

として考えがちです。

でも人間は、どうもそんなに一人ではできていない。

誰かの声に振り向き、

誰かの表情を読み、

誰かが自分に向けてくれた言葉を受け取る。

そういう小さな関係の積み重ねの上で、脳は世界を学んでいるのかもしれません。

この研究の面白さをひとことでまとめるなら、

「同じ音を聞いても、同じ学びにはならなかった。そして、その違いのそばに“人”がいた」

ということです。

外国語教育の研究を読んでいたはずなのに、

気がつけば、

「人は、誰かとのあいだで学ぶ生き物なのかもしれない」

というところまで連れていかれる。

論文って、ときどきこういうことをします。

赤ちゃんの小さな耳を調べていたら、人間そのものの話が始まってしまう。

そこが、この研究のいちばん面白いところではないでしょうか。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

私たちの生活にどう活かせる?:赤ちゃんに外国語を聞かせるなら?「聞き流す」から「一緒に楽しむ」へ

では、この研究を読んだ私たちは、明日から外国語の動画を全部停止して、

「先生、至急うちに来てください。赤ちゃんがお待ちです」

と外国語講師を呼ばなければならないのでしょうか。

もちろん、そんな話ではありません。

Kuhlたちの研究が教えてくれるのは、もっと小さくて、でも大事なヒントです。

それは、

赤ちゃんに何を聞かせるかだけでなく、その時間に誰かとどう関わっているかも大切かもしれない

ということです。

「外国語教育を始めなければ」と考えると、つい教材探しから始めたくなります。

どの動画がいい。

どの音源がいい。

何分聞かせればいい。

何歳から始めればいい。

気づけば、赤ちゃんより親のほうが外国語教材に詳しくなっています。

でも、この研究を生活に持ち帰るなら、教材をもう一本買う前に、

「今あるものを、一緒に楽しめないかな?」

と考えてみる。

そのくらいが、ちょうどいいのだと思います。

外国語の歌を流すなら、一緒に反応してみる

たとえば、赤ちゃん向けの外国語の歌を流しているとします。

もちろん、ただ聞かせること自体が悪いわけではありません。

でも、そこで大人も少し参加してみる。

歌に合わせて手を動かす。

赤ちゃんの顔を見る。

音に合わせて笑う。

同じところを指さす。

知っている単語が出てきたら、

「アップルだって。りんごだね」

と声をかけてみる。

完璧な発音じゃなくても構いません。

親御さんが突然、国際会議レベルの英語力を身につける必要はありません。

大切なのは、

外国語の時間を「再生ボタンを押して終了」にしないこと。

その音をきっかけに、人と人とのやり取りが少し生まれる。

そこに、この研究から持ち帰れるヒントがあります。

絵本なら、「読む」より「一緒に見る」

外国語の絵本も同じです。

最初から、

「正しい発音で全部読まなくちゃ」

と思うと、親の顔がだんだん試験会場になります。

赤ちゃんはたぶん、

「今日はずいぶん眉間に力が入っていますね」

と思っています。

それより、

絵を指さしてみる。

動物が出てきたら鳴き声をまねしてみる。

赤ちゃんが見たものに合わせてページを止める。

同じ言葉を何度か繰り返してみる。

つまり、絵本を「教材」として使うというより、

一緒に何かを見るための場所として使う。

外国語はその間を行ったり来たりする。

そんな形のほうが、この研究が示した「社会的なやり取り」という考え方には近いでしょう。

動画を見るなら、「見せる」から「一緒に見る」へ

では、動画はどうでしょう。

ここは誤解しやすいところです。

今回の研究だけをもとに、

「赤ちゃんに動画を見せても意味がない」

と結論づけることはできません。

研究で調べられたのは、特定の条件で外国語の音を聞き分ける学習についてです。

ただし、一つのヒントとして、

動画そのものに全部を任せなくてもいい

とは考えられます。

たとえば、親子で一緒に見る。

画面に犬が出てきたら、

「ワンワンいたね」

と声をかける。

歌が始まったら一緒に体を揺らす。

赤ちゃんが画面を見て笑ったら、

「おもしろいね」

と返す。

すると、動画は一方的に流れてくる情報ではなく、

親子のやり取りを始めるきっかけ

になります。

言ってみれば、

「動画に育児を丸投げする」

ではなく、

「動画を会話に招待する」

感じです。

これなら、少し景色が変わります。

「何時間やった?」より「どんな時間だった?」

外国語教育では、時間を気にしがちです。

一日30分。

毎日1時間。

週に何回。

もちろん、ある程度の経験量は学習を考えるうえで大切でしょう。

でも、この研究を読んだあとなら、

「今日は30分聞かせた」

だけではなく、

「その30分、どんな時間だった?」

という問いも置いてみたいところです。

赤ちゃんと笑った。

同じものを見た。

何度も同じ音を一緒に聞いた。

赤ちゃんが飽きたので途中でやめた。

それも立派な情報です。

学習というと数字にしやすいものばかり数えたくなりますが、

人との関わりには、数字にしにくい部分がたくさんあります。

それでも、その数えにくいものが大事なことはあります。

外国語だけでなく、「教えること」全般にも使える視点

この研究から持ち帰れるヒントは、実は外国語教育だけではありません。

子どもに何かを教えるとき、

つい、

「ちゃんと説明しなくちゃ」

と思います。

でも、人は説明だけで学んでいるわけではありません。

一緒にやってみる。

相手の反応を見る。

わからなそうなら言い方を変える。

できたら笑う。

失敗したらもう一度やる。

そうした細かな往復の中で、学習は進んでいきます。

これは、大人同士でも似ています。

仕事を教えるときも、

マニュアルだけ渡して、

「読んでおいてください」

より、

「ここ、一緒にやってみましょうか」

のほうが理解しやすい場面があります。

人間はどうやら、情報だけを渡されるより、

誰かとやり取りしながら情報を受け取るほうが学びやすいことがある。

赤ちゃんの外国語研究から、職場の新人教育まで話が飛びました。

赤ちゃん、守備範囲が広いです。

「教育しなきゃ」より、「一緒に遊ぼう」くらいでいい

そして、育児の話としてこの研究を読むなら、もう一つ大切にしたいことがあります。

この結果を知って、

「もっと赤ちゃんに話しかけなきゃ」

「毎日外国語で交流しなきゃ」

「ちゃんと学習させなきゃ」

と、新しい宿題を背負う必要はありません。

育児は、ただでさえ宿題が多い。

睡眠。

食事。

お風呂。

着替え。

片づけ。

そして謎の深夜覚醒。

これ以上、採点表を増やさなくて大丈夫です。

この研究から受け取るなら、

「人と関わることそのものが、学びの土台になることがあるんだな」

くらいでいいと思います。

外国語の歌を一緒に聞いた。

絵本を見て笑った。

意味はわからなくても、同じ音をまねしてみた。

今日は赤ちゃんが乗り気じゃなかったので3分で終了した。

それでもいい。

学習はいつも、机の前で背筋を伸ばして起きるわけではありません。

遊びの途中や、

笑った瞬間や、

「もう一回やる?」

という何気ないやり取りの中にもあります。

教材に、ほんの少し「人」を足してみる

この研究を生活に活かす方法を、ものすごくシンプルにまとめるなら、

教材を減らすことではなく、教材に「人とのやり取り」を少し足してみること。

なのだと思います。

外国語の音源があるなら、一緒に聞く。

動画があるなら、ときどき声をかける。

絵本があるなら、正しく読むことより一緒に眺める。

そして赤ちゃんが何かに反応したら、その反応にこちらも返してみる。

たったそれだけです。

もちろん、それで将来外国語がペラペラになると約束できる研究ではありません。

でも、

「学習とは、情報を与えることだけではなく、人と人とのあいだで起こることでもある」

という見方は、毎日の関わり方を少しやさしくしてくれます。

外国語を学ばせようと力を入れすぎるより、

「この歌、一緒に聞いてみようか」

くらいから始める。

そのほうが、赤ちゃんにとっても、大人にとっても、長く続く時間になるかもしれません。

「聞かせなきゃ」から、

「一緒に楽しもう」へ。

この小さな方向転換こそ、Kuhlたちの研究から私たちが持ち帰れる、いちばん実用的なヒントの一つではないでしょうか。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

少し注意したい点:赤ちゃんの外国語聞き流しは意味がない?この研究だけでは言えないこと

ここまで読むと、かなり言いたくなってきます。

「つまり、赤ちゃんに外国語を聞き流しても意味がないってこと?」

気持ちはわかります。

対面では学習が見られた。

映像や音声だけでは、同じような学習が確認されなかった。

ここだけ切り取れば、

対面=○、聞き流し=×

と黒板に書いて、はい授業終了、としたくなります。

でも、ちょっと待ってください。

科学の結果というのは、ときどき小さな箱に入っています。

箱の中には、とても面白いものが入っている。

でも、その箱を開けた勢いで、

「これは世界全部に当てはまります!」

と部屋いっぱいに広げてしまうと、少し話が変わってきます。

この研究も同じです。

とても興味深い結果ではありますが、言える範囲にはきちんと境界線があります。

調べたのは「外国語が話せるようになるか」ではない

まず、ここはとても大切です。

この研究で調べたのは、

赤ちゃんが外国語を話せるようになるか

ではありません。

英単語を何個覚えたかでもありません。

文法を理解したかでもありません。

将来バイリンガルになったかでもありません。

研究者たちが見ていたのは、もっと土台の部分です。

外国語にある音の違いを聞き分けられるようになったか。

ここです。

つまり、

「生身の人と中国語を体験した赤ちゃんは、中国語をペラペラ話せるようになりました」

なんて研究ではありません。

そんな9か月児がいたら、研究より先にテレビ局が来ます。

今回わかったのは、外国語学習のかなり初期にある音声の聞き分けについてです。

だから、

「この方法なら外国語が話せるようになる」

というところまで話を広げることはできません。

「動画や音声は全部意味がない」とも言えない

次に注意したいのがここです。

この研究では、録画映像や音声のみの条件では、対面条件と同じような音声学習は確認されませんでした。

これは確かに重要な結果です。

でも、

「赤ちゃん向けの外国語動画は全部無意味」

という結論にはなりません。

なぜなら、この研究で使われた映像や音声には、決められた条件があります。

どんな年齢の子どもでも同じなのか。

何か月、何年と長期間続けたらどうなるのか。

親子で動画を見ながら会話した場合はどうなのか。

生放送のように相手が反応してくれる映像ならどうなのか。

単語を覚える学習ではどうなのか。

こうしたことを全部まとめて検証した研究ではありません。

科学では、

「この条件ではこうだった」

と、

「どんな条件でもこうなる」

の間に、かなり大きな川があります。

気合いで飛び越えないほうが安全です。

「対面なら何でも学べる」わけでもない

逆方向にも注意が必要です。

研究結果を知ると、

「じゃあ外国語は、人に直接話してもらえばいいんですね!」

と思いたくなります。

でも、こちらも少し早い。

この研究で注目されたのは、単純に生身の人間が近くにいることではありません。

赤ちゃんと話し手のあいだには、

視線がある。

反応がある。

遊びがある。

赤ちゃんの様子に合わせたやり取りがある。

そうした社会的な交流が含まれていました。

なので、

「外国語を話せる人を赤ちゃんの横に置いておけばOK」

という話ではありません。

極端な話、その人がずっとスマートフォンを見ながら外国語を独り言のようにしゃべっていたら、この研究と同じ状況とは言えません。

大切なのは、

人がいることそのものより、人と人とのやり取りが起きていたこと。

ここは区別して読んでおきたいところです。

研究対象は、世界中のすべての赤ちゃんではない

今回の研究には、対象となった赤ちゃんの年齢や言語環境にも条件があります。

主に9か月ごろの、英語環境で育っているアメリカの乳児が対象でした。

そして体験した外国語は中国語です。

ここから、

「日本で育つ6か月児でも同じです」

「2歳児でも同じです」

「英語でもフランス語でも全部同じです」

と、そのまま広げることはできません。

もちろん、この研究は乳児の言語学習を考えるうえで非常に重要な手がかりを与えてくれます。

ただ、

研究対象が限られている以上、結果を全人類の赤ちゃんへ一気に配布するのは慎重に。

ということです。

赤ちゃんにも、それぞれ暮らしている言語の世界があります。

「約5時間で学べた!」という数字にも注意

今回の研究では、比較的短期間の外国語経験でも変化が確認されました。

これはとても面白い。

ですが、

「では外国語は5時間やれば十分なんですね」

となると、また別の話になります。

研究で確認されたのは、特定の音声の聞き分けです。

外国語全体を習得したわけではありません。

会話力も、語彙力も、読み書きも、5時間で身についたわけではありません。

たとえるなら、

「5時間ピアノを触ったら、鍵盤の音の違いが前よりわかるようになりました」

という結果を見て、

「5時間でピアニストになれます」

とは言わないですよね。

それと同じです。

数字はわかりやすいぶん、ときどき話を大きく見せます。

研究を読むときは、

「何が変化した数字なのか」

まで見ることが大切です。

親御さんの新しい宿題にしないことも大切

そして、この研究を育児に持ち帰るとき、個人的にいちばん注意したいのがここです。

「人との交流が大事らしい」

と聞くと、

「もっと話しかけなければ」

「外国語で遊ばなければ」

「動画に頼ってはいけない」

と、親御さんが新しいプレッシャーを背負ってしまうことがあります。

でも、この研究は、

良い親になるための採点表

ではありません。

疲れている日は、動画に助けてもらうこともあるでしょう。

料理中に音楽を流しておく日もある。

毎回一緒に歌えない日もあります。

それで親子関係が失格になるわけではありません。

論文は、

「こうしなさい」

という命令書ではなく、

「人間の学びには、こんな仕組みがあるかもしれませんよ」

と世界を少し照らしてくれる懐中電灯のようなものです。

その光を使って暮らしやすくなるならいい。

逆に、その光で自分を取り調べ始めたら、ちょっと使い方が違います。

面白い結果ほど、「どこまで?」と聞いてみる

この研究は、かなり魅力的です。

同じ外国語を聞いたのに、

人との直接的な交流があった赤ちゃんでは学習が見られ、

映像や音声のみでは同じ結果にならなかった。

きれいで、覚えやすくて、人に話したくなる結果です。

だからこそ、

「でも、この結果はどこまで言えるんだろう?」

と一度立ち止まることが大切です。

今回の研究から比較的しっかり言えるのは、

乳児期の外国語の音声学習において、社会的な交流が重要な役割を持つ可能性が示された

というところまで。

一方で、

「聞き流しは全部無意味」

「動画は効果ゼロ」

「対面なら必ず外国語が身につく」

「赤ちゃんのうちに外国語を始めなければ手遅れ」

といったところまでは言えません。

この線引きは、少し地味です。

でも、論文を紹介するうえではとても大事です。

面白い結果を面白いまま紹介しながら、

大きく言いすぎない。

研究の魅力を削らず、研究が言っていないことまで足さない。

料理で言えば、砂糖はちゃんと入れるけれど、砂糖だけを食べてもらわない。

小麦もちゃんと残しておく。

そのくらいの読み方が、この論文とはちょうどいいのだと思います。

「人との交流って、やっぱり大切なんだな」

と楽しみながら受け取りつつ、

同時に、

「この実験で確認されたのは、ここまで」

と小さく線を引いておく。

その線があるからこそ、研究の面白さは安心して味わえるのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

まとめ:赤ちゃんの外国語聞き流しはどう考える?研究から見えた「人と学ぶ」大切さ

さて、ここまでKuhl、Tsao、Liuの研究を追いかけてきました。

最初の疑問は、とてもシンプルでした。

「赤ちゃんに外国語、とりあえず流しておけばいい?」

たぶん、この問いだけを聞けば、多くの人がこう考えると思います。

「外国語はたくさん聞いたほうがいいんじゃない?」

たしかに、それは自然な発想です。

言葉なのだから、まず耳に入らなければ始まりません。

外国語をまったく聞かずに外国語の音を学ぶというのは、さすがに赤ちゃんでも難しい。

ところが今回の研究は、その先にもう一つの問いを置きました。

「でも、その外国語は、どんな形で赤ちゃんに届いているの?」

ここから話がぐっと面白くなりました。

同じ中国語でも、結果は同じではなかった

研究では、英語環境で育つ9か月ごろの赤ちゃんたちが、中国語に触れました。

その方法は、大きく分けて、

生身の人と直接関わりながら中国語を聞く場合と、

映像や音声を通して中国語を聞く場合。

中国語そのものは届いています。

だから単純に考えれば、

「どちらも中国語なんだから、似たような学習が起こるのでは?」

と思います。

ところが、そうではありませんでした。

実際の中国語話者と交流した赤ちゃんでは、中国語特有の音を聞き分ける学習が確認されました。

一方、映像や音声だけで中国語に触れた条件では、同じような学習は確認されませんでした。

ここでこの論文は、外国語学習の話から、少し大きなテーマへ踏み込みます。

学ぶために必要なのは、「情報」だけなのだろうか?

という問いです。

赤ちゃんは、小さな録音機ではない

私たちはつい、赤ちゃんの頭の中を、

「聞いたものが少しずつ保存されていく場所」

のように想像します。

中国語を10分聞かせる。

はい、10分ぶん保存。

明日も20分。

はい、合計30分。

ポイントカードなら、

「あと470分で外国語音声マスターです」

とスタンプを押してくれそうです。

でも、この研究を見ると、そんな単純な仕組みではなさそうです。

赤ちゃんは音だけでなく、

人の顔を見て、

視線を追って、

声に反応して、

相手から反応を返してもらっています。

つまり言葉は、ただ耳から入ってくるデータではなく、

人と人とのやり取りの中に置かれている情報

でもあるわけです。

「この人が自分に何か伝えている」

その状況そのものが、赤ちゃんの注意を言葉へ向けている可能性があります。

だからといって「聞き流しは無意味」ではない

ただし、ここで大きな赤い文字で、

「聞き流し、意味なし!」

と書くのは、この論文の読み方としては少し乱暴です。

今回調べられたのは、乳児が外国語の音の違いを聞き分ける学習です。

外国語を話せるようになるか。

単語を覚えるか。

長期間動画を見たらどうなるか。

親子で動画を見ながら話したらどうなるか。

そうしたことまで全部を調べたわけではありません。

研究結果というのは、

「ここではこうなりました」

という、小さくても確かな灯りです。

そこから先まで照らそうとして、懐中電灯を無理やり太陽にしないことも大切です。

今回の研究から受け取るなら、

「少なくとも乳児期の外国語の音声学習では、人との直接的な交流が重要な役割を果たす可能性がある」

くらいが、ちょうどよいでしょう。

家庭で持ち帰るなら、「聞かせる」より少しだけ「一緒に」

では、この研究を日常生活に持ち帰るなら、どうすればいいのでしょう。

外国語教材を全部処分する必要はありません。

高価な教材を買い直す必要もありません。

突然、家族全員が外国語教師になる必要もありません。

もっと小さなことでいいと思います。

歌を流したら、一緒に体を揺らしてみる。

動画を見たら、

「犬が出てきたね」

と声をかけてみる。

絵本なら、全部正しく読めなくても、

「これ、何だろうね」

と一緒に眺めてみる。

つまり、

教材だけに学習を任せず、その間に少しだけ人を入れてみる。

そんな使い方です。

外国語教育という言葉を使うと急に立派なことをしなければならない気がしますが、

「一緒に遊ぶ」

くらいに翻訳すると、少し肩の力が抜けます。

この論文が残してくれるのは、「人は人から学ぶ」という景色

私は、この研究の面白さは最終的にここへ戻ってくると思います。

研究対象は赤ちゃんです。

テーマは外国語です。

調べているのは音の聞き分けです。

でも、最後に見えてくるのは、

人間の学びは、人との関係から切り離して考えにくいのかもしれない

という、とても大きな景色です。

誰かが話す。

こちらが聞く。

こちらが反応する。

向こうからまた何か返ってくる。

そんな小さな往復の中で、人間は少しずつ世界の意味を覚えていく。

考えてみれば、これは赤ちゃんだけの話ではありません。

「あの先生に教わったことはなぜか覚えている」

「あの先輩が隣でやってくれたから仕事を覚えられた」

「本を読んでもわからなかったけれど、誰かと話したら腑に落ちた」

大人になっても、私たちの学びには人が入り込んできます。

情報は同じなのに、

誰から受け取ったかで、残り方が違う。

そんなことがあります。

赤ちゃんの研究を読んでいたはずなのに、気づけば自分の学び方まで振り返ってしまう。

そこが、この論文の不思議なところです。

最初の問いに、もう一度戻る

では最後に、最初の問いへ戻りましょう。

「赤ちゃんに外国語、とりあえず流しておけばいい?」

この研究を読んだあとなら、答えは少し変わります。

「流すことだけで全部決まるわけではなさそうです」

でしょう。

そして、そのあとにもう一言つけるなら、

「せっかくなら、ときどき一緒に楽しんでみませんか」

くらいでいい。

何時間聞かせたか。

何歳から始めたか。

どの教材を使ったか。

そうしたことも気になります。

でも、その横に、

「誰と笑ったか」
「誰と同じものを見たか」
「誰が返事をしてくれたか」

という欄も置いてみる。

そこにも、学びはあるのかもしれません。

Kuhlたちの研究が見せてくれたのは、外国語の音を聞き分ける赤ちゃんの力だけではありませんでした。

ことばは耳から入る。けれど、学びは人とのあいだで育つことがある。

そんな、少しやさしい人間観まで見せてくれる研究だったのではないでしょうか。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

あとがき

この論文を読み終えて、最初に残ったのは「赤ちゃんって、すごいな」でした。

いや、もちろん研究としてはもっと立派なことを言うべきなんでしょうけど、まずそこなんです。

まだ自分でごはんも作れない。予定表も持っていない。外国語学習の目標設定なんて、当然していない。

それなのに、目の前の人とのやり取りの中から、

「この音、なんか大事そうだぞ」

と拾っていく。

赤ちゃん、こちらが思っているよりずっと世界を見ています。

そしてたぶん、聞いています。

言葉は、音ではなく「誰か」から届くのかもしれない

今回の研究を読んでいて、私は何度も、

「言葉って、そもそも人から人へ渡るものだったな」

と思いました。

当たり前なんですけど、意外と忘れます。

私たちは学習というと、つい効率を考えます。

何分やればいい。

何回聞けばいい。

どの教材がいい。

倍速で見てもいい。

できれば短時間で。

可能なら寝ている間にも。

もう最後のほうは、学習というより知識の宅配便です。

「脳まで最短でお願いします」

みたいになってくる。

でも、人間の学びって、本当にそれだけなのかなと思うんです。

同じ説明でも、ある人から聞いた言葉だけ妙に残っていることがあります。

先生が授業の途中でぽろっと言った一言。

先輩が帰り道に教えてくれたこと。

友人が何気なく口にした言葉。

内容だけ抜き出せば、どこかの本にも書いてあったかもしれない。

でも、なぜかその人から聞いたから覚えている。

知識には、ときどき人の顔がついているんですよね。

今回の研究を読んで、それを思い出しました。

「正しい教材」を探しすぎる私たちへ

世の中には教材がたくさんあります。

英語教材。

知育教材。

動画。

アプリ。

絵本。

通信教育。

どれも工夫されていて、便利なものもたくさんあります。

だから親になれば、

「いったい何を選べばいいんだ」

となるのも当然だと思います。

検索すれば検索するほど候補が増える。

昨日まで平和だったリビングに、突然「幼児教育比較表」が現れる。

そして最終的に、

「もう全部やったほうがいいのでは?」

という、いちばん財布に厳しい結論にたどり着く。

でも、この論文は少し違う方向から声をかけてくる気がします。

「教材を選ぶ前に、その時間を誰と過ごすかも見てみませんか」

と。

これは、なんだかほっとする話でもあります。

高価なものを買わなくてもいい。

特別な才能がなくてもいい。

完璧な外国語を話せなくてもいい。

目の前にいる人と、一緒に見たり、一緒に笑ったり、反応を返したりする。

そういう普通の時間にも、ちゃんと意味があるかもしれない。

子育ての話って、ときどき「もっとやらなきゃ」を増やしがちですが、この研究はむしろ、

「もう起きていることの価値を見直してみよう」

と言っているようにも感じました。

人は、ひとりで学んでいるようで、ひとりではない

この論文は赤ちゃんの外国語学習を扱っています。

でも、私は読んでいるうちに、だんだん自分のことを考えていました。

自分がこれまで覚えてきたこと。

身についたこと。

考え方が変わった瞬間。

そこには結構な確率で、誰かがいるんです。

本を読んで考えたことにも、その本を書いた誰かがいる。

仕事を覚えた背景には、教えてくれた誰かがいる。

落ち込んでいるときに考え方が少し変わったのも、誰かの言葉がきっかけだったりする。

もちろん、人は一人でも学べます。

一人で考える時間も大切です。

でも、完全に孤立したまま学んでいるわけではない。

知識の向こうには誰かがいて、私たちはその痕跡を受け取っている。

そう考えると、学ぶことって少し温かいものに見えてきます。

赤ちゃんは「世界は人を通して届く」と知っているのかもしれない

赤ちゃんにとって、世界は最初から説明書つきではありません。

「これは犬です」

「これは危険です」

「これは楽しいです」

そんな字幕は空中に出ません。

だから、人を見る。

人の顔を見る。

声を聞く。

反応を見る。

誰かが何に注目しているかを見る。

そうやって、

「世界って、どういうところなんだろう」

を少しずつ覚えていく。

もしかすると赤ちゃんは、私たち大人が忘れてしまった学び方を、まだ自然にやっているのかもしれません。

世界は、情報だけでできているわけじゃない。
人を通して届くものもある。

そんなことを知っている。

もしそうなら、ちょっと格好いいですね。

赤ちゃん、まだ歩けないのに哲学が深い。

「アドラーの昼寝」でこの論文を取り上げたかった理由

「アドラーの昼寝」では、心理学の論文をできるだけ日常の言葉にして紹介しています。

難しい用語を覚えることより、

「これ、自分の生活にもあるな」

と思ってもらえる記事にしたい。

今回の論文は、その意味でとても好きな研究です。

表面だけ見れば、

乳児の外国語音声学習の研究

です。

かなり専門的です。

ところが少し奥へ入ると、

人はどうやって学ぶのか。
人との関わりは、学びに何をしているのか。

という、誰にでもつながる問いが出てきます。

こういう論文に出会うと、心理学って面白いなと思います。

専門家だけの世界に置いておくには、ちょっともったいない。

赤ちゃんの耳を調べていたら、人間関係の話まで見えてくる。

研究というものは、ときどき遠回りをしながら、私たちのすぐ近くまで帰ってきます。

最後に残ったのは、「ちゃんと返事をする」ということ

今回の論文を読んで、私が個人的に持ち帰りたいのは、意外と小さなことです。

誰かが何かを伝えてきたら、ちゃんと返事をする。

赤ちゃんが笑ったら、笑い返す。

誰かが話したら、少し顔を上げる。

相手が何かを見ていたら、一緒に見てみる。

それだけです。

人は、誰かから反応が返ってくると、

「あ、自分はここにいるんだ」

と感じられることがあります。

今回の研究は、そんな人と人との往復が、学習にも関係している可能性を見せてくれました。

なら、学ぶことだけでなく、生きることにも似たところがあるのかもしれません。

こちらから何かを投げる。

誰かが受け取る。

そしてまた返ってくる。

人生のかなりの部分は、案外そんなキャッチボールでできています。

この論文を読み終えて、私は少しだけ、

人が人に反応することを、雑に扱わないでおきたいな

と思いました。

外国語の研究からそんなところへ着地するとは、最初は思っていませんでした。

でも、論文を読む楽しさって、たぶんこういうところにあります。

知りたかったこととは別の何かまで、ポケットに入って帰ってくる。

今回持ち帰ったのは、

「学びは、誰かとのあいだで育つことがある」

という、小さくて温かい石ころでした。

しばらく机の上に置いておこうと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

制作ノート

出典論文:Kuhl, P. K., Tsao, F.-M., & Liu, H.-M. (2003). Foreign-language experience in infancy: Effects of short-term exposure and social interaction on phonetic learning. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 100(15), 9096–9101.
DOI:10.1073/pnas.1532872100

掲載・確認先PubMed / Google Scholar / PNAS(米国科学アカデミー紀要)

記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。

制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。

阿部牧歌(管理人)
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はじめまして。心理学の論文要約サイト「アドラーの昼寝」を運営している阿部牧歌です。 これまで、障がい者福祉事業所の施設長などを経て、現在は某就労支援機関にてキャリアコンサルタントとして働いています。 日々、さまざまな悩みや不安、迷いにふれる中で感じるのは、人の心はとても複雑なのに、ひとつの言葉や考え方で少し楽になることがある、ということです。心理学の論文には、そんな「心を理解するためのヒント」がたくさん詰まっています。けれど、そのまま読むには少しかたくて、専門用語も多く、気軽には近づきにくいものでもあります。 「アドラーの昼寝」では、そんな心理学の論文を、なるべくわかりやすく、やわらかく、そして少し面白く読める形にしてお届けしたいと思っています。読書が好きで、本の中を歩くように言葉を読む時間が昔から好きでした。論文もまた、少し入り口を整えるだけで、ぐっと親しみやすいものになります。 このサイトが、忙しい日々のなかでほんの少し立ち止まり、自分や誰かの心をやさしく見つめるきっかけになれば嬉しいです。
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