心理的安全性が高い職場では何が変わる?チームの学びとの関係
- 「こんなこと聞いたら怒られるかな」が、チームの学びを止めている?
- この論文をひとことで言うと
- この論文の要点
- 研究の背景:心理的安全性はなぜ必要?「質問できない職場」に研究者が注目した理由
- 研究方法:心理的安全性はどう測る?実際の職場チームを調べた研究方法
- この研究でわかったこと:心理的安全性が高い職場では何が起きる?チームの学びとの関係
- ここが面白い:心理的安全性が高い職場は「失敗が少ない」のではなく「失敗を話せる」
- 私たちの生活にどう活かせる?:心理的安全性を高めるには?「質問してくれて助かった」から始める職場づくり
- 少し注意したい点:心理的安全性が高ければ何でもうまくいく?研究を読むときの注意点
- まとめ:心理的安全性が高い職場とは?「わかりません」が学びに変わる場所
- あとがき
- 制作ノート
「こんなこと聞いたら怒られるかな」が、チームの学びを止めている?
『職場チームにおける心理的安全性と学習行動』エイミー・C・エドモンドソン(1999)
Edmondson, A.(1999). Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams. Administrative Science Quarterly, 44(2), 350–383.
DOI:10.2307/2666999
会議中、ちょっとわからないことがある。
「すみません、これってどういう意味ですか?」
そう聞けば、おそらく30秒で解決する。
ところが頭の中では、なぜか緊急会議が始まります。
「いや、待てよ。こんなことも知らないのかって思われない?」
「さっき説明してたって言われたらどうしよう」
「質問した瞬間、部屋の全員が『え、それ今さら?』という顔をしたら耐えられない」
そして脳内会議の結果、
「……まあ、あとで調べよう」
となる。
ちなみに、その「あとで」は、なかなか来ません。
こんな経験はないでしょうか。
仕事というものは不思議です。
本来なら、わからないことがあれば聞いたほうがいい。失敗したら早めに報告したほうがいい。困ったら助けを求めたほうがいい。
理屈だけなら、とても簡単です。
ところが実際の職場では、
「こんな質問をしたら能力がないと思われるかもしれない」
「ミスを報告したら怒られるかもしれない」
「反対意見を言ったら面倒な人だと思われるかもしれない」
という、目には見えない小さな恐怖があります。
この恐怖、仕事のマニュアルには載っていません。
でも、会議室の椅子の下あたりに、だいたい潜んでいます。
そして、この「言ったらどう思われるだろう」という不安に注目した研究者がいました。
ハーバード・ビジネス・スクールの研究者、**エイミー・C・エドモンドソン(Amy C. Edmondson)**です。
エドモンドソンは1999年に発表した論文『Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams』で、職場のチームにおける心理的安全性と、そこで働く人たちの学習行動との関係を調べました。
ここでいう心理的安全性とは、ものすごく簡単に言えば、
「このチームなら、ちょっと格好悪いことを言っても大丈夫そうだ」
と思える感覚です。
「わかりません」
「間違えました」
「助けてください」
「私はちょっと違うと思います」
こうした言葉を口にしたからといって、笑われたり、責められたり、仲間外れにされたりする心配が少ない。
そんなチームの空気を指します。
「仲良しの職場」という話ではない
ここで少し注意したいことがあります。
「心理的安全性が高い職場」と聞くと、
「なるほど。みんな優しくて、ニコニコしていて、お菓子を配り合っている職場ですね」
と思いたくなるのですが、そう単純な話ではありません。
心理的安全性は、単なる「居心地のよさ」ではありません。
むしろ重要なのは、仕事のために必要な、ちょっと言いにくいことまで言えるかどうかです。
たとえば、
「この方法、うまくいっていない気がします」
「昨日の作業、私が間違えました」
「すみません。ここが理解できていません」
「その計画には少し問題があると思います」
こういう言葉は、どれも仕事をよくするためには大切です。
ところが、口に出す側には少し勇気が必要です。
人間というのは、なかなかかわいいところがありまして、
「知らないと思われたくない」
「無能だと思われたくない」
「邪魔な人だと思われたくない」
という気持ちを抱えながら働いています。
だから私たちは、ときどき奇妙な行動をします。
わからないのに、わかった顔をする。
困っているのに、「大丈夫です」と言う。
ミスに気づいたのに、「まあ、たぶん問題ないだろう」と祈る。
そして問題が大きくなってから、
「もっと早く言ってくれればよかったのに」
と言われる。
いや、それが言える空気だったら、たぶん言っていたんです。
ここに、エドモンドソンの研究のおもしろさがあります。
チームが学ぶには、「知らない」と言える必要がある
仕事で成長するためには、新しいことを学ぶ必要があります。
でも「学ぶ」という行為をよく考えてみると、少し不格好です。
質問するということは、
「私はこれを知りません」
と認めることです。
助けを求めるということは、
「私ひとりでは難しいです」
と認めることです。
失敗について話すということは、
「私は間違えました」
と認めることです。
つまり、学ぶためには一度、自分の「できなさ」を人前に出さなければならないことがあるのです。
これはけっこう怖い。
「成長しましょう!」
と言われると爽やかですが、その舞台裏では、
「すみません、全然わかりません」
という一言が必要だったりします。
学習とは、案外きれいなものばかりではありません。
間違える。
聞く。
試す。
失敗する。
また聞く。
そうやって少しずつ前へ進みます。
だとすれば、チームがよく学ぶために必要なのは、能力の高い人を集めることだけではないのかもしれません。
わからないときに「わからない」と言える空気そのものが、チームの学びと関係しているのではないか。
エドモンドソンは、まさにそこに目を向けました。
この論文が問いかけているのは、
「優秀なチームとは、失敗しないチームなのか?」
ということではありません。
むしろ、
「失敗や疑問が生まれたとき、それをちゃんとテーブルの上に出せるチームなのか?」
という問いです。
職場で黙ってしまった経験がある人。
質問する前に、「こんなこと聞いて大丈夫かな」と考えてしまう人。
失敗を報告するとき、胃のあたりがきゅっとなる人。
そして、部下や後輩からなかなか質問が出てこなくて、
「もっと気軽に聞いてくれればいいのに」
と思っている人。
今回の研究は、そんな私たちにとってかなり身近な話です。
では、心理的安全性が高いチームでは、本当に学ぶための行動が増えるのでしょうか。
そして、「何でも好き勝手に言える職場」と「心理的に安全な職場」は、いったい何が違うのでしょうか。
1999年のエドモンドソンの研究をたどりながら、職場で「わかりません」と言えることの意味を、一緒に見ていきましょう。

この論文をひとことで言うと
この論文をひとことで言うなら、
「人は、安心して『わかりません』『助けてください』『間違えました』と言えるチームほど、仕事から学びやすいのではないか?」
ということを調べた研究です。
もう少しくだけて言えば、
「優秀な人を集めれば、勝手に優秀なチームになるんじゃないの?」
という考えに対して、
「いやいや、その前に“質問しても大丈夫な空気”がありますか?」
と、エイミー・C・エドモンドソン(Amy C. Edmondson)が静かに椅子を引いてきたような論文です。
仕事では、とにかく「学べ」と言われます。
「失敗から学びましょう」
「わからなければ質問しましょう」
「情報共有を大切にしましょう」
「困ったときは早めに相談してください」
どれも正しい。
正しすぎて、壁に貼ってありそうです。
ところが問題があります。
それを本当にやったら、どう思われるのか。
ここです。
「わかりません」
と言えば、
「そんなことも知らないの?」
と思われるかもしれない。
「助けてください」
と言えば、
「自分でできないの?」
と思われるかもしれない。
「失敗しました」
と言えば、
「なんでそんなミスをしたの?」
と責められるかもしれない。
だから人は、ときどき黙ります。
仕事をよくするためには言ったほうがいい。
でも、自分を守るためには黙っていたほうが安全そう。
この小さな綱引きが、職場では毎日のように起きています。
学ぶには、ちょっと格好悪くなる必要がある
考えてみれば、「学ぶ」という行動には少し不思議なところがあります。
何かを学ぶためには、
「自分はまだ知らない」
という状態を認めなければなりません。
質問する人は、一瞬だけ「知らない自分」を見せます。
助けを求める人は、一瞬だけ「ひとりではできない自分」を見せます。
失敗について話す人は、一瞬だけ「間違えた自分」を見せます。
つまり、学ぶ人というのは、ときどき格好悪くならなければならないのです。
これはなかなか大変です。
職場ではみんな、大人の顔をして座っています。
名札もついています。
役職もあります。
パソコンも開いています。
いかにも「私はだいたいわかっています」という雰囲気をまとっています。
そんな中で、
「すみません。実はここ、全然わかってません」
と言う。
これは小さいようで、意外と勇気のいる行動です。
エドモンドソンが注目したのは、まさにこの部分でした。
チームの中で対人関係上のリスクを取っても大丈夫だと思えること。
つまり、
「質問しても馬鹿にされない」
「失敗を話しても人間性まで否定されない」
「違う意見を出しても邪魔者扱いされない」
そう思える感覚があると、人は仕事について質問したり、情報を共有したり、助けを求めたり、失敗について話したりしやすくなるのではないか。
この感覚が、のちに広く知られることになる心理的安全性です。
「ミスしないチーム」より「ミスを話せるチーム」
ここで、この論文の面白い視点が見えてきます。
普通、良いチームと聞くと、
「ミスが少ない」
「みんな能力が高い」
「仕事が速い」
といった姿を想像するでしょう。
もちろん、それらも大切です。
でもエドモンドソンの研究から見えてくるのは、もう少し地味で、もう少し人間くさい部分です。
それは、
問題が起きたときに、その問題をちゃんと話題にできるか。
ということです。
たとえば二つの職場があったとします。
Aチームでは、失敗すると強く責められます。
すると社員は、
「これは報告しないほうがいいかも」
と考えるようになります。
その結果、表面上は失敗の少ないチームに見えるかもしれません。
一方、Bチームでは、
「まず何が起きたのか確認しよう」
と話せる。
すると、
「実はここで間違えました」
「この方法、うまくいっていません」
という情報が出てきます。
こちらは失敗の話がよく出てくるので、一見すると問題の多いチームに見えるかもしれません。
でも、その情報が表に出てくるからこそ、
「じゃあ次はどう変えよう?」
と学ぶことができます。
失敗が「存在しない」のと、
失敗が「話されていない」のは、
まったく別の話です。
ここを混ぜると、職場を見る目が少し曇ります。
心理的安全性は「ぬるい職場」をつくる話ではない
心理的安全性という言葉だけを聞くと、
「みんな傷つかないように、何をしても注意しない職場?」
と思うかもしれません。
でも、この論文が向いている方向はむしろ逆です。
仕事について真剣に話すためには、ときに、
「そこはおかしいと思います」
「このやり方では難しいです」
「私は失敗しました」
といった、少し uncomfortable……ではなく、少し居心地の悪い話もしなければなりません。
心理的安全性があるから、何も言わなくてよくなるのではありません。
心理的安全性があるからこそ、言いにくいことまで仕事のテーブルに載せやすくなる。
ここが大切です。
だからこの論文を、
「仲良しの職場は最高です」
という研究として読むと、かなり違います。
むしろ、
「チームが本当に学ぶためには、人が自分の弱さや疑問を隠さなくて済む環境が必要なのではないか」
という研究なのです。
そしてエドモンドソンは、この考えを単なる職場論として語ったのではなく、実際の仕事チームを調べながら、心理的安全性と学習行動がどのようにつながっているのかを検討しました。
つまり、この論文の主役は「安心」だけではありません。
安心した先で、人は何をするのか。
質問する。
相談する。
情報を出す。
失敗を話す。
試してみる。
そして、そこから学ぶ。
この一連の流れこそが、この研究の中心にあります。
ものすごく短くまとめてしまえば、
「人は、頭がいいから学べるだけではない。『知らない』と言えるから学べることもある」
そんなことを、職場という場所から考えた論文なのです。

この論文の要点
1. 心理的安全性が高いチームほど、「学ぶための行動」が起こりやすい
この研究の中心にあるのは、心理的安全性とチームの学習行動には関係があるという点です。
ここでいう「学習行動」は、机に向かって参考書を開くことではありません。
仕事の中で、
「ここ、わからないので教えてください」
「このやり方、うまくいっていないかもしれません」
「私、ここで間違えました」
「ちょっと助けてもらえますか?」
といった行動をすることです。
つまり、仕事をしながら問題を見つけ、情報を集め、失敗から学び、やり方を修正していくことですね。
エドモンドソンの研究では、「このチームなら対人関係上のリスクを取っても大丈夫だ」と感じられるチームほど、こうした学習行動が多い傾向が示されました。
考えてみれば当然のようですが、これがなかなか奥深い。
会社で、
「わからないことがあったら何でも聞いてね」
と言われた翌日に、
「え、それ前にも説明したよね?」
と返されたらどうでしょう。
脳内の「何でも聞いてね」という看板は、その日のうちに静かに撤去されます。
人は、制度だけを見て行動しているわけではありません。
「ここで何か言ったら、自分はどう扱われるだろう」
という空気まで読んでいるのです。
2. チームの学びを左右するのは、能力だけではなく「空気」でもある
二つ目のポイントは、チームが学べるかどうかを、メンバー個人の能力だけで説明しないところです。
たとえば、
「この人は積極性がない」
「質問しないのは本人の性格だ」
「もっと主体的に動いてほしい」
と、私たちは人の行動を本人の性格に帰属させがちです。
でもエドモンドソンの研究は、
「ちょっと待って。その人が黙っている理由は、その人だけにあるの?」
と問いかけます。
同じ人でも、
「質問してくれて助かった」
と言われる職場なら話せるかもしれません。
反対に、
「そんなことも知らないの?」
という反応が返ってくる職場なら、だんだん黙るかもしれません。
人間には耳がありますから、職場の空気をちゃんと聞いています。
心理的安全性は、チームのメンバーが共有している「ここでは発言しても大丈夫そうだ」という認識として捉えられています。エドモンドソンは、この心理的安全性が学習行動を説明する重要な要因になることを示しました。
つまり、
「もっと質問しなさい」と本人だけを変えようとする前に、「質問できる場所になっているだろうか」とチーム側を見る必要もある。
ここが、この論文のとても大切な視点です。
3. 良いチームとは、「失敗しないチーム」より「失敗から学べるチーム」なのかもしれない
三つ目は、この研究から見えてくるチーム観です。
普通、良い職場というと、
「ミスが少ない」
「問題が起きない」
「みんなテキパキ働いている」
そんな姿を思い浮かべます。
もちろん、それは悪いことではありません。
ただし、少し怖い落とし穴があります。
問題が報告されていないことと、問題が起きていないことは同じではありません。
たとえば、
「昨日、作業でちょっと気になることがあったんですけど……」
と言った人に、
「余計なこと言わなくていいから」
と返す職場があったとします。
その職場では、しばらくすると「気になること」の報告が減るでしょう。
すると管理する側は、
「最近、問題の報告が減ったな。よしよし」
となるかもしれません。
でも、問題そのものが消えたとは限りません。
報告する人が消えただけかもしれない。
これはかなり大きな違いです。
エドモンドソンの論文では、心理的安全性が、質問や情報共有、助けを求めること、失敗について話すことなどの学習行動と結びついていました。
だから大切なのは、
「失敗ゼロです!」
という完璧な表面をつくることだけではなく、
「失敗が起きたとき、それを材料にして次へ進めるか」
ということなのです。
この研究を3つにぎゅっと縮めるなら、
① 安心して発言できるチームほど、学ぶための行動が起こりやすい。
② 人が黙る理由は、その人の性格だけではなく、チームの空気にもある。
③ 強いチームとは、失敗を隠せるチームではなく、失敗や疑問を学びに変えられるチームなのかもしれない。
ということになります。
心理的安全性とは、みんなをふわふわの毛布で包んで、何をしても「いいよいいよ」と言う話ではありません。
むしろ、
「仕事をよくするためなら、少しくらい格好悪い自分を出しても大丈夫」
と思える場所をつくること。
その安心があって初めて、
「わかりません」
「間違えました」
「手伝ってください」
「私は違うと思います」
という、チームが学ぶための言葉が部屋の中に出てくる。
エドモンドソンの研究は、そんな当たり前のようで見落としやすい職場の仕組みに、きれいに光を当てた研究なのです。

研究の背景:心理的安全性はなぜ必要?「質問できない職場」に研究者が注目した理由
「わからないことがあったら、ちゃんと質問しましょう」
学校でも職場でも、一度は聞いたことがある言葉です。
たしかに、その通りです。
わからなければ聞く。失敗したら報告する。困ったら助けを求める。
仕事を覚えるためにも、チームで問題を解決するためにも、必要なことばかりです。
ところが、ここでひとつ問題があります。
人は、正しいとわかっていても質問できないことがある。
「え、それくらい自分で考えて」
と言われたらどうしよう。
「そんなことも知らないの?」
という顔をされたらどうしよう。
「またこの人か」と思われたらどうしよう。
すると、わからないことそのものより、
「わからないと言った自分がどう見られるか」
のほうが気になってきます。
仕事を覚えるためには質問したほうがいい。
でも、自分の立場を守るなら黙っていたほうがいい気もする。
人間、ここでなかなか器用な板挟みに遭います。
頭の中では、
「聞け」
と、
「いや、やめとけ」
が綱引きをしています。
そして「やめとけ」が勝つと、
「……まあ、なんとなくやってみるか」
という、少々危険な第三勢力が誕生します。
「学びたい気持ち」だけでは説明できない
職場で人が学ぶためには、質問したり、情報を集めたり、助けを求めたり、失敗について話したりする必要があります。
ところが、こうした行動には共通点があります。
どれも少しだけ、自分を無防備にする行動なのです。
「質問します」
というのは、
「私はまだ知りません」
ということでもあります。
「助けてください」
というのは、
「私ひとりでは難しいです」
ということでもあります。
「失敗しました」
というのは、説明するまでもありません。
できれば胸を張って発表したいニュースではありません。
つまり、学ぶための行動には、ときどき人間関係上のリスクがついてきます。
ここが、当時まだ十分に整理されていなかった重要な部分でした。
チームが学習するには、情報交換や試行錯誤が必要だ。
そこまでは比較的わかりやすい。
では、
「そもそも人は、どんなチームならそうした行動を取れるのか?」
という問題です。
「積極的な人なら質問するでしょう」
「仕事熱心なら失敗から学ぶでしょう」
と、個人の性格や意欲だけで片づけてしまうこともできます。
でも、本当にそうでしょうか。
たとえば同じ人でも、
「いい質問ですね」
と言ってもらえる職場と、
「今それ聞く?」
と言われる職場では、行動が変わりそうです。
昨日まで元気に質問していた新人でも、三回ほど冷たい反応を受ければ、
「よし。今日から私は置物になります」
と心の中で静かに決意するかもしれません。
つまり、人が学ぶかどうかを見るなら、その人の能力や性格だけでは足りない。
「このチームでは、発言したときにどう扱われると思っているか」
まで見なければならないのではないか。
エドモンドソンが注目したのは、そこでした。彼女は心理的安全性を、チームのメンバーが「このチームでは対人関係上のリスクを取っても大丈夫だ」と共有している感覚として捉え、学習行動との関係を検討しました。
なぜ「チーム」に注目したのか
もうひとつ重要なのが、この研究では心理的安全性を単なる個人の性格として扱っていないことです。
たとえば、
「私はもともと人見知りだから質問できない」
「彼は積極的な性格だから何でも言える」
という説明だけではなく、
チームごとに「言いやすさ」が違うのではないか
と考えたわけです。
これは職場を経験したことがある人なら、けっこう納得できるのではないでしょうか。
同じ会社なのに、
A部署では、
「それ、おかしくないですか?」
と言える。
ところがB部署では、
「それ、おかしく……いや、なんでもありません」
となる。
就業規則は同じ。
給与体系も同じ。
社長も同じ。
なのに、会議室の空気だけが違う。
不思議ですが、職場ではよくあります。
この違いを、
「なんとなく雰囲気がいい」
で終わらせず、研究できる形にしようとしたところに、エドモンドソンの仕事の面白さがあります。
まだわかっていなかったのは、「安心」と「学び」のつながり
ですから、この研究が登場した背景をとてもシンプルにまとめると、こうなります。
チームが成長するために学習が大切なのはわかっていた。
でも、
なぜあるチームでは質問や失敗の共有が活発で、別のチームではみんな黙ってしまうのか。
その違いを説明する仕組みは、まだ十分にはわかっていませんでした。
そこでエドモンドソンは、
「人が発言するとき、その人は内容だけでなく、人間関係上の危険も計算しているのでは?」
と考えます。
そして、
「この場所なら、知らないと言っても大丈夫」
「この場所なら、失敗を話しても大丈夫」
という共有された感覚が、チームの学びと関係するのではないかと考えたのです。
ここまで来ると、心理的安全性が単なる「優しい職場づくり」の話ではないことが見えてきます。
むしろ問題は、
必要な情報が、ちゃんと口から出てくる職場なのか。
ということです。
失敗が起きても誰も話さない。
疑問があっても誰も質問しない。
問題に気づいても、
「まあ、私が言うことでもないか」
と飲み込んでしまう。
そんな職場では、表面上は静かでも、学習の材料が地下倉庫にどんどん積まれていきます。
反対に、
「ここ、わかりません」
「これ、失敗しました」
「この方法、変えたほうがよくないですか?」
と声が出てくるチームなら、その情報を使って次の一手を考えられます。
だからエドモンドソンが知りたかったのは、
「人は安心すると気分がよくなるのか」だけではありません。
もっと仕事に直結した問いです。
「安心して発言できることは、チームが学ぶための行動と本当に結びついているのか?」
これを実際の職場チームを使って確かめよう。
そこから、この1999年の研究が始まります。

研究方法:心理的安全性はどう測る?実際の職場チームを調べた研究方法
さて、ここまで読んでくると、ひとつ疑問が浮かびます。
「心理的安全性が大事なのはわかった。でも、“この職場は安心です”なんて、どうやって測るの?」
たしかにそうです。
気温なら温度計があります。
体重なら体重計があります。
でも、
「本日の会議室の心理的安全性は……68です」
と表示してくれる謎の機械はありません。
そこでエドモンドソンは、実際に働いているチームの中に入り、アンケートだけではなく、観察やインタビュー、チーム外の人からの評価も組み合わせて調べるという方法をとりました。
研究の舞台になったのは、論文内で「ODI」という仮名で呼ばれている、約5,000人が働くオフィス家具メーカーです。そこには管理職のチーム、製品開発チーム、自主管理型の生産チーム、プロジェクトチームなど、さまざまな種類のチームがありました。
まずは、実際の職場を見てみる
研究はいきなり、
「アンケート1万枚、配ります!」
から始まったわけではありません。
最初にエドモンドソンは8つのチームを観察し、メンバーなどへのインタビューを行いました。
そこで見ていたのは、
「誰が一番仕事が速いか」
といったことだけではありません。
たとえば、
「わからないときに助けを求めているか」
「失敗を認めているか」
「フィードバックを求めているか」
「チームの外にも情報を取りにいっているか」
といった、仕事から学ぶための行動です。
これは大切な準備でした。
研究者の机の上だけで、
「たぶん職場の人は、こういう行動をするだろう」
と質問項目を作るのではなく、まず現場を見る。
言ってみれば、
「心理的安全性を研究したいので、会議室という生息地まで見に行きます」
というわけです。
そこで得られた観察やインタビューをもとに、心理的安全性や学習行動を調べるための質問が整えられていきました。
そして51チーム、427人にアンケート
次が研究の中心部分です。
最終的には、51の職場チーム、427人のメンバーからアンケートへの回答が集まりました。回答率は86%でした。
アンケートでは、
「このチームでは、対人関係上のリスクを取っても大丈夫だと思えるか」
という心理的安全性にかかわる感覚や、
「チームで問題について話したり、情報を求めたり、改善のために行動したりしているか」
といった学習行動などが調べられました。心理的安全性については複数の質問を組み合わせて測定しています。
ここでポイントなのは、一人の感想だけで「このチームは安全!」と決めていないことです。
たとえば、
田中さん「うちの職場、めちゃくちゃ話しやすいですよ」
佐藤さん「えっ」
鈴木さん「えっ」
部長「えっ」
となったら、さすがに田中さん一人の感想だけでは判断できません。
エドモンドソンが知りたかったのは、個人の「私は安心しています」という気持ちだけではなく、
チームのメンバーに、ある程度共通している空気なのか
ということでした。
実際、分析では同じチームの人たちの回答がどの程度まとまっているのか、そしてチーム同士に違いがあるのかも確認されています。
つまり、
「心理的安全性は、その人の気分だけではなく、チームごとに違う特徴として扱えるだろうか」
というところまで確かめながら研究を進めたわけです。
「自分たちは最高です」だけでは終わらせない
さらに面白いところがあります。
研究では、チームのメンバー自身だけでなく、そのチームの仕事を受け取る立場にいる社内の管理職などにも評価を依頼しました。
こちらは150人に調査を行い、135人から回答が得られています。チームの学習行動や仕事の成果について、外側からも評価してもらったのです。
なぜそんなことをしたのでしょう。
たとえば自分たちだけに、
「あなたのチーム、仕事できますか?」
と聞けば、
「まあ……できます!」
と言いたくなるかもしれません。
人間ですから。
履歴書の自己PR欄に、
「私の弱点は、だいたい全部です」
とはなかなか書きません。
そこで、チームの外側にいる人から見ても成果が出ているのかを調べることで、
本人たちの自己評価だけに頼らないようにしたわけです。
最後に、「よく学ぶチーム」と「そうでもないチーム」をもう一度見る
そして研究は、アンケートを集めてパソコンに数字を入れて、
「はい終了、お疲れさまでした」
では終わりませんでした。
アンケート結果をもとに、学習行動が特に高いチームと低いチームを選び、そのうち調査可能だった7チームを再び観察・インタビューしています。
つまり、
「数字では差が出た。でも実際の職場では何が起きているんだろう?」
と、もう一度現場へ戻ったのです。
これはこの研究の面白いところです。
数字を見る。
人の話を聞く。
実際のチームを見る。
また数字と照らし合わせる。
そんなふうに、量的な調査と、現場を見る質的な調査を組み合わせた研究になっています。論文自身も、この研究を複数の方法を用いたフィールド研究として位置づけています。
ものすごく簡単に言うと
研究方法をぎゅっと縮めると、こうです。
実際に働いているチームを観察する。
↓
メンバーに「このチームでは安心して発言できるか」「学ぶための行動をしているか」などを尋ねる。
↓
51チーム、427人分のデータを比べる。
↓
チームの外にいる人からも成果などを評価してもらう。
↓
さらに特徴的なチームを観察して、数字の裏側で何が起きているのか確かめる。
という研究です。
ですから、この論文は、
「心理的安全性って、なんとなく大事そうですよね」
という雰囲気だけで話を進めたわけではありません。
目に見えない職場の空気を質問によって測り、それを実際のチームの行動や成果と照らし合わせてみた。
そこが、この研究の大きなポイントです。
では、その結果はどうだったのでしょう。
「安心して話せるチームほど、本当に学ぶための行動が多かったのか?」
ここから、いよいよ研究結果を見ていきましょう。

この研究でわかったこと:心理的安全性が高い職場では何が起きる?チームの学びとの関係
さて、いよいよ結果です。
ここまでエドモンドソンは、
「安心して質問したり、失敗について話したりできるチームほど、よく学ぶのではないか?」
と考えてきました。
では、実際の職場を調べてみたらどうだったのでしょう。
結論から言うと、
心理的安全性が高いチームほど、学習行動が活発であるという関係が確認されました。
つまり、
「ここなら質問しても大丈夫そうだ」
「わからないと言っても馬鹿にされなさそうだ」
「問題を指摘しても、面倒な人扱いされなさそうだ」
と感じられるチームほど、仕事について情報を集めたり、問題について話したり、改善のために行動したりする傾向があったのです。
「なるほど。予想どおりですね」
と思うかもしれません。
たしかにそうです。
でも、この研究のおもしろいところは、そこからもう一歩先にあります。
心理的安全性と「学ぶ行動」には、かなりはっきりした関係があった
研究では、心理的安全性と学習行動の間に、はっきりとした正の関係が確認されました。
しかもこれは、
「本人たちが、自分たちはよく学んでいますと言っていました」
だけではありません。
チームメンバー自身による評価でも、外からチームを見た観察者による評価でも、同じ方向の結果が得られています。
つまり、
社員「うち、けっこう学べるチームですよ」
研究者「自分で言ってるだけでは?」
観察者「いや、外から見てもけっこうやってますね」
という状態です。
さらに興味深いのは、リーダーの指導や、情報・資源などの職場環境といった要因も含めて比べたとき、心理的安全性が学習行動との結びつきを強く示していたことです。
ここから見えてくるのは、
「質問する人がたまたま積極的だった」
という個人の性格だけでは説明しきれない可能性です。
チームの中に「ここなら言っても大丈夫」という共通した感覚があること自体が、学ぶための行動と結びついていた。
ここが、この研究の大きな発見でした。
意外なのは、「安心=成果」ではなかったこと
そして、ここがぜひ押さえておきたいところです。
心理的安全性についての記事では、
「心理的安全性を高めれば、チームの成果が上がる!」
と一直線に説明されることがあります。
しかし、エドモンドソンの1999年研究は、もう少し繊細な結果を示しています。
研究で重要だった流れは、
心理的安全性
↓
学習行動
↓
チームの成果
というものでした。
実際、チームの学習行動は、外部から評価されたチーム成果と正の関係を示しました。
そして、心理的安全性と成果の間に学習行動を入れて分析すると、心理的安全性から成果への直接的な関係は有意ではなくなり、学習行動のほうは有意なままでした。
難しそうに聞こえますが、ものすごく簡単に言えば、
「安心しているだけでは仕事は進まない。安心した結果として、質問したり、振り返ったり、改善したりすることが大切だった」
ということです。
ここ、けっこう意外ではないでしょうか。
たとえば、
「うちのチーム、心理的安全性は最高ですよ!」
「それで、問題があったときは話し合っていますか?」
「いいえ」
「改善案は?」
「特にありません」
「失敗から学んでいますか?」
「失敗の話は空気が悪くなるのでしません」
となると、
それは単なる居心地のよい休憩室になってしまいます。
心理的安全性は、ソファではありません。
そこで安心して座ることが目的ではなく、安心があるから立ち上がって、学ぶための行動を取れる。
研究結果を見ると、そんな構図が浮かび上がってきます。
「自信満々のチーム」なら学べる、とは限らなかった
もうひとつ興味深い結果があります。
研究では、心理的安全性だけでなく、チーム効力感というものも調べられました。
これは簡単に言えば、
「自分たちなら、この仕事をうまくやれる」
というチームの自信です。
一見すると、
「自信があるチームほど積極的に学びそうだな」
と思いますよね。
実際、チーム効力感そのものは学習行動と正の関係を示す場面がありました。
しかし、心理的安全性と一緒に分析すると、その結果は一貫したものではありませんでした。
一方、心理的安全性は複数の分析で学習行動との関係を示しました。
ここもおもしろいところです。
「私たちはできる!」という自信と、「わからないと言っても大丈夫」という安心は、似ているようで別物なのです。
たとえば、
「俺たちは最強チームだ!」
という空気が強すぎると、
新人が、
「あの……基本的なことなんですけど」
と言いにくくなる可能性だってあります。
自信があることは悪くありません。
でも、学ぶためには、
「できる自分たち」
だけでなく、
「できないところも見せられる自分たち」
である必要があるのかもしれません。
リーダーが優しいだけでも足りない
さらに研究では、リーダーのコーチングや、仕事に必要な情報・資源などが整っていることも調べられています。
これらは心理的安全性と無関係ではありませんでした。
特に、仕事を支える環境やリーダーの関わりが心理的安全性に結びつき、そこから学習行動につながっていくという結果が示されています。
つまり、
「よし、今日から心理的安全性を上げよう!」
と朝礼で宣言すれば完成するものではありません。
リーダーがどんな反応をするのか。
必要な情報にアクセスできるのか。
困ったときに支援を受けられるのか。
そうした職場の日常が積み重なって、
「ここなら大丈夫そうだ」
という感覚が作られていく。
そして、その感覚が、
「じゃあ、ちょっと聞いてみよう」
「この問題について話してみよう」
という行動につながっていくわけです。
心理的安全性は、壁に貼る標語というより、日々の反応から少しずつ貯まっていく職場の信用残高に近いのかもしれません。
いちばん大事なのは、「安心したあとに何をするか」
この研究結果をまとめると、
心理的安全性が高いチームほど学習行動が活発だった。
そして、
学習行動が活発なチームほど、成果も高く評価される傾向があった。
さらに分析すると、
心理的安全性が成果につながる過程では、「学習行動」が重要な橋渡し役になっていることが示されました。
つまり、
「安心できる職場をつくりましょう」
で話は終わりません。
その次があります。
安心できるから、
質問する。
助けを求める。
問題を話す。
振り返る。
よりよいやり方を探す。
そして、仕事のやり方が少しずつ変わっていく。
安心はゴールではなく、学ぶためのスタート地点だった。
この研究の結果で、私がいちばん面白いと思うのはそこです。
心理的安全性という言葉だけ聞くと、なんだか、
「みんなが傷つかない、ふんわり優しい職場」
を想像してしまうかもしれません。
でもエドモンドソンが描いたのは、もっと動きのあるチームでした。
「それ、わかりません」
「この方法はうまくいっていないと思います」
「失敗しました」
「別のやり方を試しませんか?」
そんな少し言いにくい言葉が、ちゃんと仕事のテーブルに置かれる。
そして、その言葉を材料にチームが学んでいく。
だから、この研究から見えてくるのは、
「いい職場とは、誰も失敗しない場所ではなく、失敗や疑問が次の学びに変わる場所なのかもしれない」
ということです。
静かな職場が、必ずしも問題のない職場とは限りません。
ときには、
「ちょっといいですか?」
という声が飛び交っている職場のほうが、ちゃんと前へ進んでいる。
この1999年の研究は、そんな職場の「音」に意味があることを教えてくれるのです。

ここが面白い:心理的安全性が高い職場は「失敗が少ない」のではなく「失敗を話せる」
この論文を読んでいて、いちばん「へえ」と思うところ。
それは、
良いチームとは、問題が見えないチームではない
ということです。
たとえば、ある会社でこんな報告があったとします。
「今月のミス報告、ゼロ件でした!」
パチパチパチ。
素晴らしい。
……と言いたいところなのですが、エドモンドソンの研究を読んだあとだと、私は少しだけ拍手を止めたくなります。
そして、こんなことを聞きたくなります。
「それ、本当にミスがなかったんですか?」
「それとも、ミスを言う人がいなかったんですか?」
似ています。
でも、この二つはぜんぜん違います。
冷蔵庫を開けてプリンがないのと、プリンを奥に隠しているのくらい違います。
見えていないからといって、存在していないとは限りません。
職場の問題も同じです。
「静かな職場」は、本当にうまくいっているのか
職場では、ときどき「静か」が高く評価されます。
会議で反対意見が出ない。
クレームも上がってこない。
ミスの報告も少ない。
部下から困りごとの相談もない。
上司からすると、
「最近みんな順調そうだな」
と感じるかもしれません。
ところが、その静けさには二種類あります。
ひとつは、
本当に問題が少ないから静か。
もうひとつは、
問題はあるけれど、誰も口にしないから静か。
外から見ると、どちらも同じ「シーン」です。
でも中身はまるで違います。
後者の場合、職場の床下では問題が元気に育っているかもしれません。
「これ、ちょっと危ないと思うんですけど」
と思った人がいる。
でも、
「言ったら面倒なやつと思われそうだな」
と黙る。
別の人も、
「このやり方、もう限界じゃない?」
と思っている。
でも、
「ずっとこの方法でやってるし、私が言うことでもないか」
と黙る。
さらに別の人がミスに気づく。
「報告したほうがいいかな」
と思う。
しかし頭の中に、以前怒られた先輩の姿がよみがえる。
「……もうちょっと様子を見るか」
となる。
そして会議では、
「特に問題ありません」
が完成します。
見事なまでの無風です。
でも、無風だから船が順調に進んでいるとは限りません。
帆がたたまれているだけかもしれない。
この論文が面白いのは、そんな職場の「見えなさ」に目を向けているところです。
失敗を話す人は、チームにとって困った人なのか
私たちは普通、失敗を「減らすべきもの」と考えます。
もちろん、それは間違っていません。
医療でも、製造でも、接客でも、事務でも、失敗は少ないほうがいい。
でも、
「失敗を減らすこと」と「失敗の報告を減らすこと」は別物です。
ここを間違えると、とても危ない。
たとえば部下が、
「すみません。昨日の作業で間違いがありました」
と報告したとします。
そこで、
「何やってるんだ!」
と強く責めれば、その場では上司の威厳が保たれるかもしれません。
しかし部下の頭には別の学習が起きます。
「なるほど。失敗すると怒られる」
そして次回から、
失敗しない方法ではなく、失敗を見つからなくする方法
を学び始める可能性があります。
これは組織にとって、かなり悲しい学習です。
会社側は、
「失敗から学ぼう!」
と言っている。
社員側は、
「はい。失敗したら黙ることを学びました」
となっている。
完全にすれ違っています。
心理的安全性が重要なのは、失敗を許し放題にするためではありません。
むしろ、
失敗が起きたとき、それをチームの学習材料として回収するため
なのです。
「ここで間違えました」
という言葉が出てきたら、
「じゃあ、どうして起きたんだろう」
「次はどう防ごうか」
「仕組みに問題はなかったかな」
と考えられる。
失敗が地下に埋まらず、テーブルの上に出てくる。
そこではじめて、チームは失敗から学べます。
「わかりません」は、能力不足ではなく情報かもしれない
同じことは、質問にも言えます。
職場で、
「わかりません」
と言う人を見ると、
「勉強不足なのでは?」
と思うことがあります。
もちろん、本当に勉強不足の場合もあります。
でも、別の見方もできます。
その人の「わかりません」は、
「この説明では伝わらない人がいる」
という情報でもあります。
新人が、
「このマニュアル、ここの意味がわかりません」
と言った。
そこで、
「普通わかるでしょ」
と返せば、一件落着です。
質問した人も、たぶん二度と聞きません。
しかし、
「どこで引っかかった?」
と聞けば、
「あれ、このマニュアル、初めて読む人にはわかりにくいのか」
と気づけるかもしれません。
そう考えると、
「わかりません」
という言葉は、単なる弱さではありません。
チームの仕組みを改善するために届いた、小さなセンサーの反応でもあるのです。
人間版・警告ランプです。
なのに、
「そのランプ、目障りだから消しといて」
とやってしまえば、機械は静かになります。
故障は直っていません。
心理的安全性は「何でも許してもらえること」ではない
ここで、心理的安全性についてよくある誤解も整理しておきたいと思います。
心理的安全性が高い職場というと、
「怒られない」
「注意されない」
「何を言っても許される」
そんな職場を想像する人もいるかもしれません。
でも、それでは少し違います。
たとえば、
「仕事、間に合いませんでした」
「大丈夫、大丈夫」
「また間に合いませんでした」
「気にしない、気にしない」
「今月一回も間に合いませんでした」
「あなたらしくて素敵!」
となったら、
心理的安全性というより、仕事が別の次元へ旅立っています。
心理的安全性とは、責任をなくすことではありません。
問題について話せることです。
だから、
「間に合いませんでした」
に対して、
「そうか。では何が起きたのか一緒に確認しよう」
と言える。
必要なら、
「ここは改善してほしい」
とも伝える。
でも、
「こんな失敗をする人間はダメだ」
と、人そのものを攻撃しない。
仕事の問題と、その人の価値を分ける。
これが大切なのだと思います。
心理的安全性のある職場では、厳しい話をしなくなるのではありません。
むしろ、
厳しい話を、人間関係を壊さずにできる可能性が高くなる。
ここが面白いところです。
良いチームは、「完璧なチーム」ではなく「修正できるチーム」
この研究から見えてくるチームの姿を、私はこう捉えたくなります。
良いチームとは、
最初から全部うまくできるチームではなく、うまくいっていないことに気づいたときに修正できるチーム。
人間が集まって働く以上、間違いは起きます。
予想外も起きます。
「聞いてないよ」という出来事も、だいたい聞いていないタイミングで来ます。
どれだけ優秀な人を集めても、未来を完全に予測することはできません。
だから必要なのは、
「問題をゼロにする魔法」
ではなく、
問題が起きたときに早く見つけ、話し合い、修正する力
なのかもしれません。
そのためには、
誰かが最初に言わなければなりません。
「これ、ちょっと変じゃないですか?」
「実は困っています」
「私、間違えました」
「ここがわかりません」
どれも華やかな言葉ではありません。
会社案内の表紙には、たぶん載りません。
でも、チームが学ぶ瞬間は、案外そんな言葉から始まります。
本当に怖いのは、失敗ではなく「失敗が見えなくなること」
この論文を読んでいると、職場を見る目が少し変わります。
以前なら、
「このチーム、ミスの報告が多いな」
と思っていたところで、
「もしかして、ちゃんと報告できているチームなのかな」
と考えられるようになる。
逆に、
「この部署、誰からも問題が上がってこない。素晴らしい」
という場面でも、
「……本当に?」
と、一度だけ立ち止まれる。
もちろん、報告が多ければ必ず良い職場というわけではありません。
本当にミスが多い場合だってあります。
この研究も、単純に「失敗報告が多いほど優秀」と言っているわけではありません。
大切なのは、
起きたことを話せる状態になっているかどうか。
そこなのだと思います。
組織にとって怖いのは、
誰かが失敗することだけではありません。
失敗しているのに、それを誰も言わなくなること。
疑問があるのに、誰も聞かなくなること。
問題に気づいているのに、
「言っても仕方ない」
と全員が思い始めること。
その瞬間、職場は静かになります。
でも、その静けさは安心の静けさとは限りません。
声を失った静けさかもしれない。
だから、心理的安全性の高い職場というのは、
いつも平和で、誰も困っていない職場ではなく、
困ったときに「困った」と言える職場
なのだと思います。
「わかりません」
「助けてください」
「間違えました」
「私は違うと思います」
そういう、ちょっと勇気のいる言葉が消えない場所。
エドモンドソンの研究が照らしたのは、そんな職場の姿でした。
そして私は、この論文のいちばん面白いところは、
良いチームの証拠は「問題が見えないこと」ではなく、「問題を見つけた人の声が消えないこと」なのかもしれない
と教えてくれるところだと思うのです。

私たちの生活にどう活かせる?:心理的安全性を高めるには?「質問してくれて助かった」から始める職場づくり
心理的安全性を高めましょう。
そう言われると、なんだか大仕事に聞こえます。
「まず組織文化を改革しまして……」
「管理職研修を実施しまして……」
「新しい制度を導入しまして……」
気づけば企画書が47ページになりそうです。
もちろん、組織全体で取り組むことも大切でしょう。
でもエドモンドソンの研究を私たちの日常へ持ってくるなら、もっと小さなところから考えることもできます。
それは、
誰かが勇気を出して口を開いた、その直後にどう反応するか。
ここです。
「ちょっと聞いてもいいですか?」
「実はミスをしてしまって……」
「私は少し違うと思います」
そんな言葉が出た直後の数秒間。
心理的安全性は、案外こういう小さな場面で育ったり、しぼんだりするのかもしれません。
まず変えたいのは「質問された瞬間」のひとこと
たとえば後輩から、
「すみません、ここがよくわからないんですけど」
と聞かれたとします。
このとき、
「え、それ昨日説明したよね?」
と返す。
たしかに説明したのかもしれません。
こちらとしては、
「一度説明したことを伝えただけです」
という感覚です。
でも相手の頭では、別の文章に翻訳される可能性があります。
「質問すると嫌な顔をされる」
です。
すると次から、
「わからないけど、聞くのはやめておこう」
となる。
質問がひとつ消えます。
さらにもう一度似た経験をすると、またひとつ消える。
やがて上司は言います。
「最近の若い人は、わからなくても質問してこないんだよね」
質問「呼ばれました?」
原因は意外と、質問されたときのこちらの反応にあるかもしれません。
そこで、たとえば最初の一言を、
「聞いてくれて助かった」
に変えてみる。
それだけで、その後の会話の入口がかなり変わります。
「聞いてくれて助かった。どこがわかりにくかった?」
こう返されれば、
「あ、聞いてよかったんだ」
という経験が残ります。
心理的安全性という大きな言葉を使わなくても、こうした小さな経験が、
「ここでは質問していいらしい」
という感覚を少しずつ作っていくのでしょう。
「失敗しました」に最初から裁判を始めない
もうひとつ重要なのが、失敗を報告されたときです。
部下が神妙な顔でやってきます。
「すみません。ちょっとミスをしてしまいました」
この瞬間、こちらの頭にもいろいろ浮かびます。
「何をやった?」
「どれくらいの損害?」
「なぜ確認しなかった?」
わかります。
場合によっては、本当に重大な問題かもしれません。
責任を確認する必要もあります。
でも、最初の一言から、
「なんでそんなことしたの!」
と始めると、相手は問題について考えるより先に、
「自分を守らなければ」
というモードに入りやすくなります。
すると、
「いや、それは○○さんから聞いて……」
「でも、マニュアルには……」
「自分だけの責任ではなくて……」
と、防御戦が始まります。
会議室が突然、法廷です。
もちろん責任を曖昧にする必要はありません。
ただ、最初に、
「わかった。まず何が起きたのか確認しよう」
と事実を見る。
これは、
「ミスしても何でも許します」
という意味ではありません。
失敗した人を裁くことと、失敗から情報を取り出すことを、いったん分ける
ということです。
何が起きたのか。
どこで止められたのか。
本人の確認不足だったのか。
仕組みそのものに無理があったのか。
同じことを防ぐにはどうすればいいのか。
失敗を「犯人探し」で終わらせず、「次の改善」に変えていく。
これこそ、研究で扱われた学習行動を日常へ持ってくるときの大切な視点でしょう。
上司のほうから「わからない」を言ってみる
心理的安全性を育てる方法として、もうひとつ私たちができそうなのは、
立場が上の人から、完璧ではない自分を少し見せること
です。
たとえば上司が、
「これについては私も詳しくないんだ。わかる人いる?」
と言う。
あるいは、
「さっきの判断、ちょっと違ったかもしれない」
と認める。
すると部下にとって、
「ここでは知らないことを認めてもいいんだ」
という大きな情報になります。
逆に上司が、
「私は全部知っています」
という顔を24時間続けていると、周囲も似た顔を始めます。
会議室に、わかった顔をした人が10人。
しかし実は7人くらいわかっていない。
誰も聞かない。
会議終了。
その後、チャットで、
「さっきの話、結局どういう意味でした?」
が始まる。
なんとも人間らしい光景です。
もし上司自身が、
「そこ、私もちょっと確認したい」
と言えれば、
「あ、確認していいんだ」
という空気を作りやすくなります。
心理的安全性を、
「部下を安心させる技術」
だけだと思わないほうがいいのでしょう。
リーダー自身が、質問や訂正を普通の行動として見せること。
それも大切なメッセージになります。
「何か意見ある?」だけでは、なかなか出てこない
会議の終盤によくあるのが、
「何か意見ある人?」
です。
シーン。
「ない?」
シーン。
「じゃあ決定ということで」
ありますね。
でも、心理的安全性という視点から見ると、
「意見ある?」
だけで発言を引き出すのは、けっこう難しい注文です。
なぜなら意見を言う側は、
「この場で違うことを言って、本当に大丈夫?」
を考えているからです。
特に、上司がすでに、
「私はA案がいいと思うんだよね」
と30分熱弁したあとで、
「みんなはどう?」
と言われても、
部下の頭では、
「正解はAですね」
となっています。
そこで少し聞き方を変える。
「この案で困りそうなところ、ひとつ挙げるとしたら?」
「私が見落としているところはない?」
「新人の立場なら、どこがわかりにくそう?」
こうすると、
「上司に反対する」
のではなく、
仕事をよくするための情報を出す
という形に変わります。
意見を求めるときには、
「言ってもいいですよ」
だけではなく、
「違う意見が必要なんです」
と伝える。
これも、実生活に持ち帰りやすい工夫です。
家庭や人間関係にも、少し似たことがある
この研究は職場チームを対象にしています。
ですから、
「夫婦でも完全に同じ結果になります」
「友人関係にもそのまま当てはまります」
と研究結果を広げすぎることはできません。
ただ、心理的安全性という考え方から日常の人間関係を眺めてみると、考えさせられることがあります。
たとえば家族が、
「ちょっと言いにくいんだけど……」
と話し始めたとき。
その瞬間に、
「またその話?」
と返すのか、
「うん、聞くよ」
と返すのか。
友人が、
「実は最近、ちょっとしんどくて」
と言ったとき、
「そんなこと気にしすぎだよ」
とすぐ片づけるのか、
「どんなところがしんどい?」
と聞くのか。
人は会話のたびに、
「この人には、どこまで本当のことを言って大丈夫だろう」
を少しずつ学んでいるのかもしれません。
そして、
「ここまでなら言える」
「これは言わないほうがいい」
という地図を、心の中に作っていく。
そう考えると、心理的安全性は職場だけの難しい専門用語ではなく、
人間関係の中で、相手の言葉が消えないようにすること
としても考えられます。
「話してくれない人」を責める前に考えたいこと
これは、とても大切な視点だと思います。
私たちは、
「もっと相談してほしい」
「困っているなら言ってくれればいいのに」
「なんで早く話してくれなかったの?」
と言うことがあります。
もちろん、本当に早く言ってほしかったのでしょう。
でもエドモンドソンの研究から考えるなら、その前にひとつだけ自分へ質問できます。
「この人が以前何かを話してくれたとき、私はどう反応していただろう?」
です。
相談されたときにスマホを見ながら、
「ふーん」
と言っていなかったか。
失敗を告白されたとき、
「だから言ったじゃん」
から始めていなかったか。
違う意見を出されたとき、
露骨に不機嫌になっていなかったか。
質問されたとき、
ため息をついていなかったか。
人間ですから、全部完璧にはできません。
余裕のない日もあります。
でも、
「相談していいよ」
という言葉より、
相談されたときの表情のほうが、強いメッセージになることがある。
これは覚えておきたいところです。
心理的安全性は、一回の名言より「小さな反応」の積み重ね
心理的安全性を高めるというと、
「何か素晴らしい言葉を言わなければ」
と思う必要はありません。
たぶん必要なのは、もっと地味なことです。
「聞いてくれてありがとう」
「言いにくかったよね」
「まず状況を確認しよう」
「そこは私もわからない」
「違う意見があれば聞きたい」
「それに気づいてくれて助かった」
そんな一言を積み重ねること。
心理的安全性は、巨大な看板を一枚掲げて完成するものではなく、
毎日の小さなやり取りで貯まっていく信用
として考えたほうがわかりやすいのかもしれません。
逆に信用は、
「そんなこともわからないの?」
「余計なこと言わなくていい」
「それはあなたの責任でしょ」
という一言で、かなり豪快に引き出されることもあります。
心の銀行、ATMの反応が速い。
だからこそ、完璧な職場を作ろうとしなくてもいいのでしょう。
まずは、
誰かが勇気を出して何かを言ったとき、その勇気を次回も残せる反応をする。
そこから始めればいい。
エドモンドソンの研究が教えてくれるのは、
「もっと話しなさい」
と人を変える前に、
「話したくなる場所になっているだろうか」
と環境を見る視点です。
質問しない人を責める前に、
質問されたときの自分を見る。
相談しない人を責める前に、
相談されたときの自分を見る。
失敗を隠す人を責める前に、
失敗が出てきたときの職場を見る。
これは少し耳の痛い話でもあります。
でも、だからこそ役に立ちます。
明日、誰かがあなたに、
「ちょっと聞いていいですか?」
と言ったら。
ほんの一瞬だけ、この研究を思い出してみてください。
そして最初の一言を、
「もちろん。聞いてくれて助かった」
にしてみる。
心理的安全性という大きな言葉は、案外そんな小さな返事から始まるのかもしれません。

少し注意したい点:心理的安全性が高ければ何でもうまくいく?研究を読むときの注意点
ここまで読んでくると、心理的安全性がかなり魅力的に見えてきます。
安心して質問できる。
失敗を話せる。
学びにつながる。
チームの成果とも関係する。
となると、
「よし、心理的安全性を高めれば全部解決ですね!」
と言いたくなります。
人間は、便利な答えを見つけるとすぐ万能薬にしたくなる生き物です。
睡眠にはこれ。
ダイエットにはこれ。
人間関係にはこれ。
そして職場には心理的安全性。
一本あればご家庭のあらゆる汚れに、くらいの勢いで使いたくなります。
でも、ここで少しだけブレーキを踏んでおきましょう。
エドモンドソンの1999年の研究は、とても重要な研究です。
ただし、
「心理的安全性さえ高めれば、どんな職場でも必ず成果が上がる」
と証明した研究ではありません。
ここを丁寧に読むことが、この論文を大切に扱うことでもあります。
まず、この研究は「一つの企業」で行われている
最初に覚えておきたいのは、研究対象です。
この研究では、あるオフィス家具メーカーに所属する51のチーム、427人からデータが集められました。
51チーム。
決して小さすぎる研究ではありません。
しかも、管理職チーム、製品開発チーム、生産チームなど、異なる種類のチームが含まれていました。
それでも、
ひとつの企業の中で行われた研究
であることには変わりありません。
つまり、
「この結果は、日本のすべての会社にも完全に当てはまります」
「学校でも家庭でも病院でも、まったく同じです」
とまでは言えません。
会社によって文化は違います。
国によっても違います。
仕事内容によっても違います。
三人の小さなチームと、百人規模の部署でも違うでしょう。
朝から大型機械を扱う製造現場と、オンラインで企画会議をするチームを、
「どちらも職場だから同じですよね」
とひとまとめにするには、さすがに少し乱暴です。
心理学研究の結果には、たいてい住所があります。
この研究にも、
「ある企業の、実際の職場チームを調べた研究」
という住所がある。
まずはそこを忘れないことが大切です。
「関係があった」と「原因だった」は少し違う
次に重要なのが、因果関係です。
この研究では、
心理的安全性が高いチームほど、学習行動が活発である
という関係が示されました。
さらに学習行動とチーム成果との関係も検討され、
心理的安全性から学習行動、そして成果へ、というモデルが支持されました。
これは非常に興味深い結果です。
ただし、
「心理的安全性を10上げたら、学習行動が10上がります」
という実験をしたわけではありません。
たとえば研究者が会社に乗り込んで、
「こちらの25チームだけ心理的安全性を高めます」
「残り26チームはそのままでお願いします」
と操作して、その後の変化を比較した研究ではないのです。
そのため、
心理的安全性が高いことが、学習行動を一方的に引き起こした
とまで単純に断定するのは慎重であるべきです。
もしかすると、よく学ぶチームだからこそ、少しずつ心理的安全性が育っていく部分もあるかもしれません。
さらに別の要因が、両方に影響している可能性もあります。
たとえば、
良いリーダーがいる。
仕事の進め方が整っている。
情報が共有されている。
人間関係が安定している。
そうした条件が、
「安心して話せること」と「学びやすいこと」の両方を支えている可能性も考えられます。
研究ではこうした要因についても検討されていますが、人間の職場は水槽の中の実験ほど単純には切り分けられません。
だから言い方としては、
「心理的安全性と学習行動の重要な関係が示された」
くらいがちょうどよい。
「心理的安全性がすべての原因です!」
まで行くと、論文本人が後ろから、
「そこまでは言ってません」
と袖を引っ張ってきます。
心理的安全性は「何でも許すこと」ではない
もうひとつ、とても大切な注意点があります。
心理的安全性という言葉は、広く知られるようになったぶん、少し誤解されやすくなりました。
たとえば、
「心理的安全性が大事なんだから、注意しちゃいけない」
「厳しいことを言ったら心理的安全性が下がる」
「本人が嫌な気持ちになることは言わないほうがいい」
という理解です。
でも、それでは仕事上の問題について誰も話せなくなります。
たとえば、
「この報告書、期限を三日過ぎています」
と伝えることは、相手にとって気持ちのよい話ではないでしょう。
でも、
「心理的安全性が大事だから黙っておこう」
となったら、
今度は上司のほうが発言できません。
それでは本末転倒です。
心理的安全性とは、
不快な話を一切しないことではなく、必要な話をしても人間関係そのものが壊されないと感じられること
に近い考え方です。
だから、
「あなたはダメな人だ」
ではなく、
「この仕事には改善が必要だ」
と言える。
「反対意見は禁止」
でもなければ、
「何を言っても自由だから相手を傷つけてもOK」
でもありません。
むしろ、
意見の違いを仕事の材料として扱えること
が大切なのです。
心理的安全性は、職場をふわふわのクッションで包む話ではありません。
転んでも再び立って話し合える床をつくる話、と考えたほうが近いでしょう。
「心理的安全性が高い=成果が高い」と一直線に考えない
この論文を紹介するときに、もうひとつ気をつけたいのが成果との関係です。
研究結果をものすごく短くすると、
「心理的安全性が高いチームは成果も高かった」
と書きたくなります。
でも、本論文のおもしろさは、そんな一直線の話ではありません。
重要だったのは、
心理的安全性
→ 学習行動
→ チーム成果
という流れです。
つまり、
「安心できました。以上!」
ではない。
安心できる。
だから質問する。
失敗を話す。
情報を集める。
振り返る。
試してみる。
やり方を変える。
そうした学習行動が間に入っていることが重要だったのです。
これを忘れると、
「とにかく雰囲気をよくしよう」
という話になってしまいます。
そして、
「最近どう?」
「いい感じです」
「困ってない?」
「大丈夫です」
「じゃあ心理的安全性、完璧!」
となる。
いや、まだ仕事の話を一文字もしていません。
心理的安全性は、成果を自動販売機のように出してくれるものではありません。
ボタンを押して、
ガコン。
「成果が出ました」
とはならない。
安心を、学習する行動に使ってこそ意味がある。
この点は、研究結果を日常へ応用するときにも、とても大事だと思います。
51チームの平均は、あなたの職場そのものではない
研究では、たくさんの人のデータをまとめて傾向を調べます。
でも私たちが実際に生きているのは、「平均値の世界」ではありません。
たとえば研究全体では、
「心理的安全性が高いチームほど学習行動が多い」
という傾向があっても、
すべてのチームがその通りに並んでいるわけではありません。
心理的安全性は高いけれど、あまり学習行動が起きていないチームもあるかもしれない。
反対に、かなり緊張感のある職場なのに、何らかの理由で活発に情報交換しているチームもあるかもしれない。
研究が教えてくれるのは、
「人間は必ずこうなる」という運命ではなく、「全体としてこういう傾向が見えた」という地図
です。
地図は便利です。
でも、
「地図に池がないから、ここに水たまりは存在しない!」
とは言えません。
私たち自身の職場を見るときには、
研究結果をものさしとして使いつつ、
「では、うちでは実際にどうだろう?」
と観察する必要があります。
質問は出ているか。
問題は早めに報告されているか。
反対意見を言った人は、そのあと不利益を受けていないか。
新人だけが黙っていないか。
「何でも言ってね」と言っている人自身が、言われた瞬間に怖い顔をしていないか。
論文を読むことは、答えをコピーして職場に貼ることではありません。
自分たちを見るための新しい窓を一枚増やすこと
なのだと思います。
1999年の研究から、その後も研究は続いている
もうひとつ忘れたくないのは、この論文が1999年に発表された研究だということです。
この研究は、心理的安全性という考え方をチーム研究の中で大きく前進させた重要な論文です。
ただし科学は、
「1999年に名論文が出ました。以上、閉店です」
とはなりません。
その後も心理的安全性について多くの研究が積み重ねられ、さまざまな職場、業種、文化、リーダーシップ、チーム成果などとの関係が検討されてきました。
ですから、この一本を、
「心理的安全性について科学が最終回答を出した論文」
として読むのではなく、
「このテーマを考えるうえで非常に重要な出発点のひとつ」
として読むのがよいでしょう。
科学というのは、完成した石碑というより、みんなで少しずつ書き足している巨大なノートに近いのかもしれません。
エドモンドソンが1999年に、とても重要なページを書いた。
そのあとも研究者たちが、
「別の業界ではどうだろう」
「リーダーには何ができるだろう」
「文化が違えばどうなる?」
とページを足している。
そんなイメージです。
それでも、この研究が大切なのはなぜか
ここまで注意点を書いてくると、
「じゃあ結局、この研究はあまり信用できないの?」
と思うかもしれません。
いえ、そういう話ではありません。
むしろ逆です。
限界があることと、価値がないことはまったく別です。
一つの企業を対象とした研究だからこそ、実際の職場という複雑な場所でチームを調べられた。
完全な因果関係を証明したわけではないからこそ、その後さらに研究するべき問いが生まれた。
そして何より、
「質問しないのは、その人が消極的だから」
「失敗を隠すのは、その人の責任感が足りないから」
という個人だけを見る視点に対して、
「その人がいる“場所”にも目を向けてみませんか」
という、新しい見方を与えてくれました。
これは今でも非常に大きな意味を持っています。
誰かが黙っている。
そのとき私たちは、
「もっと積極的になればいいのに」
と言うこともできます。
でも、エドモンドソンの研究を知ったあとなら、もうひとつ質問できます。
「この場所は、話しても大丈夫な場所になっているだろうか?」
この問いを持てるようになっただけでも、職場を見る景色は少し変わります。
ですから、この論文は万能薬ではありません。
でも、とても性能のいい眼鏡です。
かけたからといって、職場の問題が全部消えるわけではない。
ただ、
今まで「本人の性格」にしか見えていなかったものの向こう側に、
チームの空気、周囲の反応、言葉を出すときの小さな恐怖
が見えるようになる。
研究とは、そういう使い方をすると一番おもしろいのかもしれません。
「心理的安全性があれば全部うまくいく」
ではなく、
「人が学ぶためには、能力だけでなく、安心して声を出せる環境も関係しているらしい」
まずは、そのくらいの大きさで受け取っておく。
甘すぎず、苦すぎず。
この論文のおいしいところをちゃんと味わうには、そのくらいがちょうどいいと思います。

まとめ:心理的安全性が高い職場とは?「わかりません」が学びに変わる場所
ここまで、エイミー・C・エドモンドソン(Amy C. Edmondson)の1999年の研究を見てきました。
ずいぶん長い旅をしてきたようですが、この論文が私たちに投げかけている問いは、意外なくらいシンプルです。
「あなたのいる場所では、“わかりません”と言えますか?」
たぶん、これに尽きるのだと思います。
仕事をしていれば、わからないことはあります。
間違えることもあります。
助けが必要になる日もあります。
「このやり方、本当に大丈夫かな」と疑問を持つこともあります。
人間が集まって仕事をしているのですから、全部わかっている人だけで構成されたチームなど、まずありません。
もし会議室に10人いて、10人全員が何でも理解していて、一度も間違えず、助けも必要なく、常に最適解を出せるのなら、その会社はもう心理学研究より先に未来へ到達しています。
たいていの職場は、そうではありません。
みんな何かを知っていて、何かを知らない。
できることもあれば、できないこともある。
そして、その穴をお互いに埋めながら働いています。
だからこそ大切なのは、
「知らないことがあるかどうか」ではなく、「知らないと言えるかどうか」
なのかもしれません。
「わかりません」は、仕事を止める言葉ではない
私たちは、ときどき「わかりません」を悪い言葉のように扱います。
「こんなことも知らないの?」
「ちゃんと勉強して」
「前にも説明したよね」
もちろん、仕事ですから覚える努力は必要です。
同じことを何十回も説明していて、
「私は一切覚える予定がありません」
となれば、それは別の話です。
でも、「わかりません」という言葉そのものは、本来そこまで悪者ではありません。
むしろ、
「ここに理解できていない部分があります」
という情報です。
その情報が出れば、
「じゃあ説明しよう」
「マニュアルを直そう」
「やり方を変えよう」
「ほかにもわからない人がいるかもしれない」
と動けます。
ところが、
「わかりません」が言えなければ、その穴は見えません。
見えない穴というのは厄介です。
道に穴が開いているなら避けられます。
でも、穴の上にきれいなカーペットが敷いてあったら、
「床ですね」
と思って踏みます。
そして落ちます。
職場でも同じようなことが起こるのでしょう。
知らないことより、
知らないことが隠れてしまうこと
のほうが、チームにとって問題になる場合があります。
心理的安全性は「優しい空気」だけではない
今回の研究を通して、心理的安全性についてもうひとつ見えてきたことがあります。
それは、
心理的安全性は、ただ居心地のよい職場をつくる話ではない
ということです。
みんな仲良し。
誰も怒らない。
会議では笑顔。
休憩室にはお菓子。
もちろん、それも悪くありません。
お菓子には罪がありません。
でも、本当に大切なのは、
「その計画、問題があると思います」
「私は違う意見です」
「ここでミスをしました」
「実は困っています」
という、少し空気が揺れる言葉まで出せることです。
心理的安全性とは、波風をゼロにすることではありません。
波が立っても、船を壊さずに話し合えること。
そんなふうに考えると、かなりわかりやすくなります。
何も言わないから平和なのではない。
言うべきことを言っても、一緒に仕事を続けられる。
そこに、本当の意味での安心があるのでしょう。
「失敗ゼロ」より、「失敗を学びにできる」
この研究を読んでいると、「良いチーム」の見え方も少し変わります。
良いチームとは、
絶対に間違えないチーム
ではないのかもしれません。
人間である以上、間違いは起きます。
計画通りにいかないこともあります。
予想していなかった問題も出てきます。
だから大切なのは、
「失敗しました」
という情報が出てきたときに、
「誰だ、犯人は」
で終わるのではなく、
「何が起きたんだろう」
「次に防ぐにはどうしよう」
と、学びへ変えられることです。
エドモンドソンの研究では、心理的安全性が高いチームほど、こうした学習行動が活発であるという関係が示されました。
そして、その学習行動はチームの成果とも関係していました。
つまり大切なのは、
安心そのものではなく、安心を何に使うか
です。
安心できる。
だから質問できる。
相談できる。
間違いを話せる。
別の案を出せる。
そこからチームが学ぶ。
心理的安全性はゴールというより、学習が走り出すための地面なのだと思います。
「もっと話して」と言う前に
そして、この論文を私たちの生活へ持ち帰るなら、私はここがいちばん大切だと思います。
誰かに、
「もっと相談してよ」
「わからないなら聞いてよ」
「問題があったら早く言ってよ」
と言いたくなったとき。
その前に一度だけ、
「この人が前に話してくれたとき、私はどう返していただろう?」
と考えてみる。
「そんなこともわからないの?」
と言っていなかったか。
「だから言ったでしょ」
から始めていなかったか。
違う意見を言われた瞬間、顔に「不採用」と表示されていなかったか。
私たちは口では、
「何でも言ってね」
と言えます。
でも人は、言葉だけを聞いているわけではありません。
表情を見ています。
声の調子を聞いています。
ため息を覚えています。
そして、
「この人にはここまで言っていい」
「ここから先は黙っておこう」
という小さな地図を作っています。
だから心理的安全性を考えるとき、
壮大な職場改革より先にできることがあります。
誰かが、
「ちょっと聞いてもいいですか?」
と言ったとき。
まず、
「もちろん」
と返す。
誰かが、
「間違えてしまいました」
と言ったとき。
まず、
「わかった。何があったか確認しよう」
と返す。
誰かが、
「私は少し違うと思います」
と言ったとき。
まず、
「どういうところ?」
と聞いてみる。
その一回で職場が劇的に変わるわけではありません。
翌朝、会社の玄関に、
「心理的安全性100%達成!」
という横断幕も出ません。
でも、人間関係というものは、たぶんそういうものなのでしょう。
大きな空気も、小さな反応からできています。
「わかりません」が残っている場所
この論文を読んだあと、職場で少し耳を澄ませてみてください。
「すみません、ちょっといいですか?」
という声が聞こえるか。
「ここ、わからないんですけど」
と言える人がいるか。
「実は失敗してしまいました」
という報告が消えていないか。
「私は違うと思います」
という言葉のあと、その人がちゃんと次の日も普通に座っているか。
もしかすると、チームの健康状態というのは、売上やミス件数だけでは測れないのかもしれません。
どんな言葉が、まだ部屋の中に残っているか。
そこにも何かが表れます。
「わかりません」
「助けてください」
「間違えました」
「ちょっと違うと思います」
どれも、一見すると弱そうな言葉です。
でも、その弱そうな言葉が消えた職場は、必ずしも強い職場ではありません。
むしろ、
そういう言葉を出せるチームだからこそ、問題を見つけ、修正し、次へ進める。
エドモンドソンの1999年の研究は、そんな可能性を私たちに見せてくれました。
だから、心理的安全性について最後にひとつだけ覚えて帰るなら、
「みんなが安心して働ける職場をつくろう」
でもいいのですが、私はもう少し小さな言葉にして持ち帰りたいと思います。
「わかりません」を、そこで終わる言葉にしない。
「わかりません」
「じゃあ、一緒に見てみよう」
その二つの言葉の間に、
チームが学び始める小さな扉がある。
心理的安全性が高い職場とは、もしかすると、
「知らない自分」を隠さなくても、次へ進める場所
なのかもしれません。

あとがき
エドモンドソンのこの論文を読みながら、私は何度も、
「人って、思っている以上に“相手の反応”を見ながら生きているんだな」
と思いました。
考えてみれば、私たちは何かを話す前に、ものすごい速さで未来予測をしています。
「これを言ったら怒られるかな」
「面倒な人だと思われないかな」
「そんなことも知らないの、と笑われないかな」
「空気を悪くしないかな」
ほんの数秒です。
でも、その数秒の中で、言葉が生まれたり、消えたりします。
「あの……」
まで出た言葉が、
「いや、なんでもないです」
になって帰っていく。
あれは、なんだか不思議です。
言葉というのは口から出るものだと思っていましたが、実際には、かなりの数の言葉が口の手前で引き返しているのでしょう。
そしてエドモンドソンの研究を読んでいると、
その「引き返した言葉」の中に、チームにとって大事な情報が混ざっているかもしれない
と思えてきます。
「ここ、わかりません」
「このやり方、ちょっと危ない気がします」
「私、昨日ミスしました」
「困っているので助けてください」
「みんな賛成していますけど、私は少し違うと思います」
もし、こういう言葉が全部引き返してしまったら。
その職場は、とても静かになるでしょう。
でも私は、この論文を読んでから、静かな職場を以前ほど無条件には信用できなくなりました。
「問題ありません」は、本当に問題がないのだろうか
会議で、
「何か問題ありますか?」
と聞く。
全員、
「ありません」
と答える。
昔の私なら、
「順調なんだな」
と思っていたかもしれません。
でも今は、心の中に小さなエドモンドソンが現れます。
「それ、本当に問題がないんですか?」
と。
いや、毎回そんな疑い深い顔をしていたら、それはそれで心理的安全性が下がりそうなので表には出しませんが。
でも、少し考えるようになりました。
問題がないことと、
問題を言えること。
この二つは、まったく別なんですよね。
職場だけではありません。
家庭でも、友人関係でも、
「何か不満ある?」
「別にないよ」
という会話があります。
そして「別にないよ」の中には、
本当に何もない日もあれば、
「言っても仕方ないから、ないことにしました」
という日もある。
この違いは大きいです。
表面に出ている言葉だけを数えていると、人間関係はときどき読み間違えます。
エドモンドソンの論文は、私に、
「話されたことだけでなく、話せなかったことにも目を向けてみよう」
と思わせてくれました。
「もっと相談して」は、案外むずかしい言葉だった
私はこれまで、
「困ったら相談すればいい」
という言葉を、かなり簡単なものだと思っていました。
でも考えてみれば、
相談する側にはリスクがあります。
「そんなことで悩んでいるの?」
と言われるかもしれない。
「自分で考えて」
と言われるかもしれない。
せっかく話したのに、正論を30分いただいて帰ることになるかもしれない。
相談というのは、
相手に自分の弱いところを一時的に預ける行為
でもあるんですよね。
そう考えると、
「なんで相談してくれなかったの?」
という言葉も、少し違って見えてきます。
相談しなかった本人だけを見るのではなく、
「相談されたとき、自分はどんな人だっただろう」
と考える余地があります。
これは、ちょっと耳が痛い。
でも私は、耳が痛い心理学はけっこう好きです。
「あなたは悪くありません。全部環境のせいです」
と頭をなでて終わるより、
「さて、自分にも変えられる部分が一センチくらいありませんか?」
と机の下から差し出してくる研究のほうが、生活には役立つ気がします。
人は「言っていいよ」より「言ったあとの反応」を覚えている
この論文について考えていて、私の中に最後まで残ったのは、この感覚でした。
人は、
「何でも言っていいよ」という宣言より、実際に何か言ったときの反応を覚えている。
職場に、
「風通しのよい職場を目指しています」
というポスターを貼ることはできます。
でも、そのポスターの真横で部下が、
「これ、ちょっとおかしいと思うんですけど」
と言った瞬間、
上司が、
「今までこれでやってきたんだから」
と返したら。
たぶん、その一言のほうが強い。
ポスター、敗北です。
人間はポスターではなく、人間を見ています。
質問したときの顔。
失敗を話したときの声。
反対意見を言ったあとの空気。
そういうものを少しずつ集めながら、
「ここでは、どこまで自分を出していいのか」
を学んでいるのでしょう。
だから心理的安全性というのは、会社がある日突然、
「本日より導入します」
と始められる制度ではないのかもしれません。
毎日の、
「それ、もう一回聞いていいですか?」
「もちろん」
とか、
「実はミスしました」
「わかった。まず状況を見よう」
とか、
そういう地味なやりとりの積み重ねなのだと思います。
派手さはありません。
でも人間関係を支えているものは、案外そういう小さなものです。
「わかりません」は、本当は前向きな言葉なのかもしれない
そして私は今回、この論文を読みながら、
「わかりません」
という言葉が少し好きになりました。
以前なら、
「わかりません」は、そこで思考が止まる言葉のように感じていました。
でも、そうではないのかもしれません。
本当の「わかりません」は、
「ここから学べます」
という印でもある。
わかっていないことに気づいている。
そして、それを誰かに伝えられる。
そこから説明が始まり、質問が生まれ、修正が入り、少しずつ理解が進む。
そう考えると、
「わかりません」
は行き止まりではありません。
むしろ標識です。
「ここから先、まだ道を作れます」
と書いてある。
問題なのは、「わかりません」が存在することではなく、
それを言えないこと
なのかもしれません。
職場に限らず、人間はずっと未完成です。
わからない。
間違える。
助けてもらう。
誰かに教える。
また間違える。
たぶん、それを死ぬまで繰り返します。
それなら、「完璧な人間になってから社会へ参加してください」という設計では、誰も入場できません。
だから必要なのは、
未完成のままでも、
「ここがわからない」
と言いながら参加できる場所なのだと思います。
アドラーの昼寝として、この論文から持ち帰りたいもの
「アドラーの昼寝」では、心理学の論文を紹介しています。
でも私は、論文の数字や専門用語を覚えて帰ってもらうことだけが目的ではありません。
一つの研究を読んだあと、
昨日までとほんの少し違う角度から、自分や誰かを見られるようになる。
それで十分だと思っています。
今回なら、
質問しない後輩を見たときに、
「積極性がないな」
だけで終わらず、
「質問しやすい反応を、こちらは返していただろうか」
と考えてみる。
失敗を報告してきた人を見たとき、
「またミスか」
の前に、
「この人は、言いにくいことをちゃんと持ってきてくれたんだな」
と思ってみる。
自分自身が、
「こんなこと聞いたら恥ずかしいかな」
と思ったとき、
「質問することは、学ぶための行動でもある」
と思い出してみる。
そんな小さな変化があれば、この論文を読んだ時間には十分意味があると思うのです。
心理的安全性という言葉は、少し大きい。
なんだか会議資料に太字で出てきそうです。
でも、その中身は意外と小さい。
「聞いていい?」
「いいよ」
「失敗した」
「じゃあ確認しよう」
「私は違うと思う」
「聞かせて」
そんな短い会話の中にあります。
人間関係というのは、おそらく巨大な制度だけで壊れるのではありません。
小さな反応でも壊れます。
そして、たぶん逆もあります。
小さな反応から、少しずつ直していける。
私はそこに、この論文のやさしさを感じました。
「もっと勇気を出して発言しなさい」
と、黙っている人だけを叱るのではない。
「その勇気を出しても大丈夫な場所になっていますか?」
と、周りにも問いかける。
人を変えようとする前に、場所を見る。
この視点は、仕事だけではなく、人と人が一緒に生きていくうえで、かなり大事なものだと思います。
もし明日、誰かがあなたのところへ来て、
「ちょっといいですか?」
と言ったなら。
その人はもしかすると、心の中で何度か、
「言おうかな」
「やめようかな」
を繰り返してから、そこに立っているのかもしれません。
そう思うだけで、
「どうした?」
という一言の温度が、ほんの少し変わる気がします。
論文一本で世界は変わりません。
でも、
誰かの言葉を受け取る最初の一秒くらいなら、変えられるかもしれない。
私は今回の論文から、そんなことを持ち帰りました。
アドラーの昼寝、管理人でした。

制作ノート
出典論文:Edmondson, A. C.(1999). Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams. Administrative Science Quarterly, 44(2), 350–383. Cornell University. DOI:10.2307/2666999
掲載・確認先:SAGE Journals / Google Scholar / Harvard DASH / CiNii Research
記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。
制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。



