効果的な勉強法はどれ?10種類を心理学研究から比べてみた
- 「その勉強法、本当に『覚えること』につながっていますか?」
- この論文をひとことで言うと
- この論文の要点
- 研究の背景:なぜ「効果的な勉強法」を調べる必要があったのか?研究が始まった背景
- 研究方法:効果的な勉強法はどう選ばれた?10種類を評価した研究方法
- この研究でわかったこと:効果的な勉強法はどれ?10種類を比べてわかった研究結果
- ここが面白い:「勉強した気になる方法」と「覚えやすい方法」は違う?研究が示した意外な差
- 私たちの生活にどう活かせる?:効率よく覚えるには?「思い出す」と「間隔を空ける」を勉強に取り入れる方法
- 少し注意したい点:「効果的な勉強法」なら誰にでも効く?研究結果を読むときの注意点
- まとめ:効果的な勉強法とは?研究から見えた「思い出す・間隔を空ける」の大切さ
- あとがき
- 制作ノート
「その勉強法、本当に『覚えること』につながっていますか?」
『本当に効果のある勉強法とは?――認知心理学と教育心理学が明かす、学習効果を高める10の学習テクニック』ジョン・ダンロスキー、キャサリン・A・ローソン、エリザベス・J・マーシュ、ミッチェル・J・ネイサン、ダニエル・T・ウィリンガム(2013)
Dunlosky, J., Rawson, K. A., Marsh, E. J., Nathan, M. J., & Willingham, D. T.(2013). Improving Students’ Learning With Effective Learning Techniques: Promising Directions From Cognitive and Educational Psychology. Psychological Science in the Public Interest, 14(1), 4–58. DOI:10.1177/1529100612453266
勉強するとき、あなたは何をしますか?
「まず教科書を読みます」
はい。
「大事なところに蛍光ペンを引きます」
なるほど。
「さらに大事そうなところには、別の色も使います」
おお、二色体制。
「そして、きれいにノートにまとめます」
完璧です。机の上だけを見ると、もう東大に受かりそうです。
ところが翌日。
「昨日勉強したところ、覚えてますか?」
「……蛍光ペンを引いたことは覚えています」
内容は。
「黄色でした」
そこじゃない。
勉強というのは、なかなか不思議なものです。
一生懸命やったからといって、そのまま一生懸命ぶんだけ記憶に残ってくれるとは限りません。
何度も読む。
線を引く。
ノートにまとめる。
頭の中で説明する。
問題を解く。
日にちを空けて復習する。
どれも立派に「勉強している姿」に見えます。
けれど、ここで少し意地悪な質問をしてみましょう。
その勉強法、本当に覚えることにつながっているのでしょうか?
人間はどうも、「たくさん時間を使った方法」を「効果のある方法」だと思いやすいところがあります。
二時間かけてノートをきれいにまとめれば、
「今日は勉強したなあ」
という満足感があります。
蛍光ペンで教科書が黄色く染まれば、
「重要ポイントを完全に包囲した」
という頼もしさも出てきます。
ところが、記憶という住人は少々わがままです。
こちらがどれだけ美しいノートを差し出しても、
「それで、私に何をさせたいんです?」
という顔をすることがあります。
「勉強した感じ」と「覚えた」は同じではない
ここが今回のお話の面白いところです。
心理学者のジョン・ダンロスキー(John Dunlosky)らは2013年、世の中で使われているさまざまな学習方法について、それまで積み重ねられてきた研究を大きく整理しました。
扱われたのは、全部で10種類の学習テクニック。
たとえば、
「もう一回読んでおこう」
という再読。
「ここ大事!」
と線を引くハイライト。
内容を自分なりに整理する要約。
自分で自分に説明してみる方法。
問題を使って思い出してみる方法。
そして、一度に全部覚えようとせず、時間を空けながら勉強する方法。
つまりこの研究は、勉強法たちを体育館に集合させて、
「はい、一列に並んでください。あなたたち、本当のところどれくらい役に立つんですか?」
と健康診断を始めたようなものです。
すると、なかなか興味深い結果になりました。
私たちが昔からよく使っている方法が、必ずしも高く評価されたわけではありません。
反対に、
「そんなに派手ではないけれど、ちゃんと働きますよ」
という方法もありました。
勉強法の世界、見た目だけではわかりません。
会社でいえば、会議中ずっとしゃべっている人より、隅っこで黙々と仕事を片づけている人のほうが、実はものすごく仕事をしていた。
そんなことが記憶の世界でも起きていたのです。
「もっと頑張る」より「どう頑張るか」
もちろん、この論文が、
「この方法を使えば誰でも必ず成績が上がります」
と言っているわけではありません。
学ぶ内容も違えば、人も違います。年齢も違いますし、試験まで一週間しかない人と、半年かけて資格試験に挑む人では事情も変わります。
だから、万能の勉強法を一本だけ選んで、
「これ一本でございます」
と通販番組のように売ることはできません。
ただ、それでも研究をたくさん集めて眺めてみると、
比較的いろいろな場面で役立ちやすい方法と、思ったほど効果が安定していない方法には違いがある。
そんなことが見えてきます。
これは学生だけの話でもありません。
資格試験の勉強をしている社会人。
新しい仕事を覚えている人。
本を読んでも内容がすぐ抜けてしまう人。
研修資料を読んだ翌日に、
「昨日たしかに読んだんだけどな……」
と遠い目をしている人。
私たちは大人になっても、けっこう勉強しています。
ただ学校を卒業すると、「勉強の仕方」を教えてくれる人はいなくなります。
そこでつい、
昔からやってきた方法を、そのまま使い続ける。
何度も読む。
線を引く。
ノートに書き写す。
そして覚えられないと、
「自分は頭が悪いのかな」
と思ってしまう。
でも、ちょっと待ってください。
もしかすると問題は、あなたの頭ではなく、使っている方法との相性にあるのかもしれません。
努力不足を疑う前に、努力の置き場所を確認してみる。
それだけでも、勉強は少し違って見えてきます。
今回取り上げるダンロスキーらの研究は、そのためのなかなか頼もしい地図です。
では、10種類の勉強法をテーブルの上に並べてみましょう。
蛍光ペンにも、再読にも、問題演習にも、とりあえず公平に椅子を用意します。
さて。
研究者たちが「これはかなり使えそうだ」と評価した勉強法は、いったいどれだったのでしょうか。

この論文をひとことで言うと
「勉強は、“どれだけやったか”だけでなく、“どうやったか”で、覚えやすさがかなり変わる。」
そんなことを、10種類の勉強法を比べながら整理した論文です。
「えっ、でも勉強って、結局は本人の努力じゃないんですか?」
もちろん、努力は大切です。
三日間まったく勉強していないのに、
「なぜ私は覚えられないのでしょう」
と記憶に問い合わせても、
「まず教材を開いていただけますでしょうか」
と返されるでしょう。
ただし、この論文が面白いのは、その次です。
同じように時間を使って勉強していても、方法によって学習への役立ち方は同じではない。
ここを、かなり丁寧に整理しています。
勉強法にも「向き不向き」がある
ダンロスキーたちは、
「効果的な勉強法を一個だけ発見しました!」
という研究をしたわけではありません。
それまでに積み重ねられてきた多くの研究を集めて、
「この勉強法はいろいろな場面で使えるのか」
「長く覚えておくことにつながりやすいのか」
「いろいろな年齢や教材でも役立ちそうなのか」
といった視点から、10種類の学習テクニックを評価しました。
そこには、
何度も読み返す。
大切なところに線を引く。
要約する。
自分の言葉で説明してみる。
問題を解いて思い出す。
時間を空けて何度か勉強する。
といった、私たちにも馴染みのある方法が並びます。
言ってみれば、
「全国勉強法オーディション」
みたいなものです。
再読さんが入ってきます。
「昔からやっております」
ハイライトさんも胸を張ります。
「学生時代から人気者です。蛍光色も豊富です」
練習テストさんが地味な顔で座っています。
「ええ、まあ、問題を解くだけです」
分散学習さんもやってきます。
「一気にやらず、また後日来ます」
そして研究結果を整理してみると、
見た目の人気と、研究上の評価が必ずしも同じではありませんでした。
これがこの論文の一番面白いところです。
「勉強した感」が強い方法が、必ずしも上位ではない
たとえば、何度も文章を読む。
これは、とても勉強らしい行動です。
一回読む。
もう一回読む。
三回目になると文章にも顔なじみ感が出てきます。
「はいはい、この話ね。知ってる知ってる」
という感覚になります。
ところが、この**「見覚えがある」感覚と、「自分で思い出せる」ことは別物**です。
試験では教科書のページが横に立って、
「ほら、ここですよ」
とは教えてくれません。
記憶の中から、自力で連れてこなければならない。
そこで注目されたのが、自分で答えを思い出してみる練習です。
たとえば文章を読んだあと、本を閉じて、
「さて、何が書いてあった?」
と自分に問いかける。
問題を解く。
単語カードで答える。
つまり、頭の中に入れるだけでなく、頭の中から取り出す練習をするわけです。
もう一つ高く評価されたのが、勉強を一日に詰め込まず、間隔を空けて繰り返す方法でした。
今日少し。
数日後にもう一度。
忘れかけたころに、また会う。
記憶にしてみれば、
「また君か」
「はい、また来ました」
という再会を繰り返すわけです。
一夜漬けのように一晩だけ猛烈に押しかけて、
「今日から親友です!」
と言うより、何度か顔を合わせたほうが関係が残りやすい。
記憶も、少し似たところがあるようです。
この論文は「努力するな」と言っているわけではない
ここは、とても大切です。
この論文を、
「頑張って勉強しても意味がない」
と読むのは違います。
むしろ逆です。
せっかく頑張るなら、その努力が記憶に届きやすい方法を選びませんか。
という話なのです。
一時間しか勉強できない人もいます。
仕事が終わって、夕食を食べて、お風呂に入ったら、もう午後10時。
資格試験の本を開いたところで、まぶたが、
「本日の営業は終了いたしました」
と言い始める。
そんな社会人にとって、
「もっと長時間勉強しましょう」
だけでは、なかなか厳しいものがあります。
だったら、一時間を二時間に増やすことだけを考えるのではなく、
その一時間をどう使うか。
ここにも目を向けていい。
読むだけで終わるのか。
一度本を閉じて思い出してみるのか。
全部を日曜日に詰め込むのか。
少しずつ曜日を分けるのか。
こうした小さな違いが、学習法を考えるうえでは大切になります。
だから、この論文をさらに短く言い換えるなら、
「努力の量を責める前に、努力の方法を見直してみよう。」
という研究なのだと思います。
勉強しても覚えられないと、
「自分には才能がないのかな」
「記憶力が悪いのかな」
と、つい自分自身を採点したくなります。
でも、その赤ペンをいったん机に置いてみる。
もしかすると変える余地があるのは、自分そのものではなく、勉強のやり方かもしれません。
さて、ではダンロスキーたちが集めた10種類の勉強法。
いったい誰が「かなり有望」と評価され、誰が「人気はあるんですけどね……」という席に座ることになったのでしょうか。
ここから、一つずつ見ていきましょう。

この論文の要点
1.勉強法は、どれも同じように役立つわけではない
「ちゃんと勉強しているんだから、方法なんて何でもいいでしょう」
と思いたくなりますが、研究を整理してみると、どうやらそう単純ではありません。
ダンロスキーらは10種類の学習法を比べ、さまざまな場面でどれくらい役立ちやすいかを評価しました。
すると、よく使われている方法だからといって、必ずしも研究上の評価が高いわけではないことが見えてきました。
勉強法の世界にも、
「知名度は抜群なんですけど、成績表を見ると少々コメントが必要ですね」
という選手がいたわけです。
大切なのは、**「勉強した時間」だけでなく、「その時間に何をしたか」**です。
2.「思い出す練習」と「間隔を空ける勉強」は特に高く評価された
10種類の中で、特に高い有用性があると評価されたのが、練習テストと分散学習でした。
練習テストとは、ただ読むだけでなく、
「さて、何を覚えている?」
と自分の記憶から答えを取り出してみる方法です。
分散学習は、一晩ですべてを詰め込むのではなく、時間を空けながら何度か学ぶ方法。
つまり記憶にとっては、
「一度ものすごく長く会う」
よりも、
「何度か会って、そのたびに思い出す」
ほうが有望だったわけです。
記憶との関係も、どうやら一夜限りの熱烈な交際より、定期的な顔合わせのほうが長続きしやすいようです。
3.「何度も読む」「線を引く」は、思ったほど万能ではない
一方で、再読やハイライトなど、私たちにとって馴染み深い方法は低い有用性と評価されました。
ここは、この論文のかなり印象的なところです。
もちろん、
「教科書を二度と読み返してはいけません」
「蛍光ペンを今すぐ捨ててください」
という話ではありません。
これらの方法にも使い道はあります。
ただ、それだけを中心にして学習効果を期待するには、研究上の裏づけがそれほど強くないということです。
だからこの論文から得られる大きなメッセージは、
「もっと頑張れ」ではなく、「頑張り方を選ぼう」
ということ。
勉強しても覚えられないとき、自分の記憶力だけを責める必要はありません。
一度、
「ところで私は、どんな方法で勉強しているんだろう?」
と机の上を見渡してみる。
そこから、学び方の改善は始められます。

研究の背景:なぜ「効果的な勉強法」を調べる必要があったのか?研究が始まった背景
世の中には、勉強法がたくさんあります。
本を何度も読む。
大事なところに線を引く。
ノートにまとめる。
声に出す。
問題を解く。
人に説明する。
一晩で詰め込む。
何日かに分けて復習する。
ここまで並べると、勉強法だけでちょっとした商店街ができそうです。
しかも困ったことに、それぞれのお店が言うことも違います。
「覚えたければ、とにかく書きなさい」
「いや、読む回数を増やしたほうがいい」
「問題を解かないと意味がない」
「私は蛍光ペン三色派です」
最後の人は研究者ではないかもしれませんが、とにかく私たちは昔から、いろいろな方法で勉強してきました。
では、ここで素朴な疑問が生まれます。
結局、どの勉強法が役に立つのでしょうか?
これが、ダンロスキーらが向き合った大きな問題でした。
「研究がある」と「使える勉強法がわかる」は別だった
実は、学習や記憶についての研究そのものがなかったわけではありません。
むしろ、さまざまな勉強法について、多くの研究が行われていました。
ある研究では、
「この方法を使うと覚えやすかった」
という結果が出る。
別の研究では、
「この条件では効果が見られた」
という結果が出る。
また別の研究では、
「長く覚えておく場合には、こちらの方法がよかった」
となる。
研究はたくさんある。
ところが、普通に勉強する人からすると、
「で、私は何をすればいいんです?」
となります。
研究論文が100本あっても、明日の資格試験に向けて机に座っている人が欲しいのは、論文の山ではありません。
欲しいのは、
「この状況なら、この方法が使いやすそうですよ」
という案内図です。
ところが当時は、さまざまな学習方法について研究が積み重なっている一方で、
どの方法が、どのくらい幅広い場面で役立つのか
を同じ視点から整理する必要がありました。
ここがポイントです。
単に、
「効果があった研究が一つあります」
だけでは十分ではありません。
ある大学生には効いた。
ある単語学習では効いた。
ある短いテストでは結果が出た。
それだけでは、
「じゃあ、中学生でも?」
「資格試験でも?」
「文章を覚えるときでも?」
「一か月後にも覚えているの?」
という疑問が残ります。
勉強法を本当に役立つ知識にするには、もう一歩踏み込んで、
いろいろな人、教材、学習条件、時間の長さでも使いやすいのか
を見る必要があったのです。
人気の勉強法が、本当に優秀なのかもわからなかった
さらに面白い問題がありました。
私たちは、研究結果を見てから勉強法を選んでいるとは限りません。
たいていは、
「学校で昔からやっていたから」
「先生に言われたから」
「なんとなく覚えられそうだから」
という理由で方法を選びます。
たとえば、教科書を読み返す。
これはとても自然です。
一回読んでわからなければ、もう一回読む。
「もう一回!」
三回読む。
「念のため、もう一回!」
気づけば文章とはすっかり顔なじみです。
すると、
「かなり覚えた気がする」
という感覚も出てきます。
ハイライトも同じです。
黄色。
ピンク。
水色。
ページがだんだん華やかになってくる。
そこで脳が、
「本日はたいへん勉強いたしました」
と閉店の札を出します。
しかし、ここには少し罠があります。
やりやすいこと、慣れていること、勉強した感じがすることと、長く覚えられることは同じとは限りません。
ここを確かめる必要がありました。
つまり研究者たちが知りたかったのは、
「みんなが使っている勉強法ランキング」
ではありません。
「研究をまとめて見たとき、本当に幅広く役立ちそうなのはどれなのか」
です。
人気投票ではなく、実力を見る。
勉強法たちにとっては、なかなか厳しい面接です。
「再読さん、長年のご経験は立派ですね。ところで研究結果のほうはいかがでしょう」
「ハイライトさん、知名度は申し分ありません。実績について少々確認させてください」
そんな空気になってきます。
「最強の勉強法」を決めることが目的ではない
ただし、ここで注意しておきたいことがあります。
ダンロスキーらは、
世界一の勉強法を決めようとしたわけではありません。
勉強には、いろいろな条件があります。
何を学ぶのか。
誰が学ぶのか。
どれくらい時間があるのか。
何日後まで覚えていたいのか。
どんな試験を受けるのか。
条件が変われば、役立ち方も変わる可能性があります。
だから、
「優勝はこの勉強法です。今後、人類は全員これだけやってください」
とはなりません。
そうではなく、
「これまでの研究全体を見ると、どの方法には比較的強い根拠があり、どの方法にはまだ弱い部分があるのか」
を整理しようとしたのです。
ここが、この論文の価値です。
世の中には「おすすめ勉強法」がたくさんある。
研究もたくさんある。
でも、その情報を目の前に全部積み上げられても、普通の人には選べない。
そこでダンロスキーたちは、いったん交通整理をしました。
「こちらは研究上かなり有望です」
「こちらは条件によって期待できます」
「こちらはよく使われていますが、現時点では評価を高くしにくいです」
と、勉強法ごとに標識を立てていったわけです。
これは、学生だけにありがたい話ではありません。
社会人になって資格を取る人も、新しい仕事を覚える人も、外国語を勉強する人も、
使える時間は無限ではありません。
だからこそ、
「もっと勉強するにはどうすればいいか」だけでなく、「限られた時間をどう使えばいいか」
という問いが大切になります。
努力する人ほど、方法選びは大事です。
せっかく一時間歩くなら、目的地と反対方向へ全力疾走するより、地図を一度見たほうがいい。
ダンロスキーらの研究は、その「学習の地図」を作ろうとした試みだったと考えると、ぐっとわかりやすくなります。
では実際に、研究者たちは10種類の勉強法をどんな基準で比べたのでしょうか。
次は、研究の方法を見ていきましょう。

研究方法:効果的な勉強法はどう選ばれた?10種類を評価した研究方法
この研究について、最初にひとつ大事なことがあります。
ダンロスキーたちは、学生を大きな体育館に集めて、
「はい、あなたは蛍光ペン班」
「あなたは再読班」
「そちらは問題演習班です」
と10チームに分けて、一斉に試験をしたわけではありません。
今回の論文は、それまでに行われてきた多くの研究を集めて整理したレビュー論文です。
つまり研究者たちがやったのは、新しく一つの実験をすることではなく、
「これまで、勉強法についてどんなことがわかっているんだろう?」
と、過去の研究を大きな机の上に並べ直すことでした。
いわば、学習研究の大掃除です。
「再読についての研究はこちら」
「ハイライトはこちら」
「練習テストは……ずいぶん資料がありますね」
「分散学習もこっちにお願いします」
そんなふうに研究を整理しながら、10種類の学習方法について検討していきました。
比べたのは、身近な10種類の勉強法
対象になったのは、かなり馴染みのある方法です。
たとえば、
文章を何度も読み返す再読。
大切な部分に線を引くハイライトや下線。
内容を短くまとめる要約。
「なぜそうなるの?」と理由を考える方法。
自分の言葉で説明する方法。
言葉とイメージを結びつけて覚える方法。
文章の内容を頭の中でイメージする方法。
そして、
自分で問題に答えてみる練習テスト。
時間を空けて何度か学ぶ分散学習。
さらに、同じ種類の問題ばかり続けず、違う種類を混ぜながら練習する方法も検討されました。
つまり、
「学校や資格試験の勉強で、一度くらいやったことがありそうな方法」
がかなり幅広く集められています。
勉強法界の主要メンバーが、だいたい会議室にそろった感じです。
「効果があったか」だけでは判断しなかった
そして、この論文の面白いところは、
「効果が出た研究があります。はい、合格!」
という簡単な審査ではなかったことです。
研究者たちは、
その方法がどれくらい幅広い条件で役立ちそうなのか
を見ました。
たとえば、
どんな学習者に使えるのか。
どんな教材でも使いやすいのか。
単語だけなのか、文章や考え方を学ぶときにも使えるのか。
すぐ後のテストだけでなく、時間がたったあとにも役立つのか。
学校の成績だけなのか、それとも別の種類の学習にも応用できそうなのか。
そうした条件を眺めながら、
「この勉強法、なかなか守備範囲が広いですね」
「こちらは一部ではよさそうですが、まだ万能とは言えません」
と評価していったわけです。
だから、この論文でいう「役に立つ」は、
たった一つの実験で成績がよかった
という意味ではありません。
いろいろな研究をまとめて見たときに、
多くの人、多くの教材、多くの学習場面で使いやすいのか
という、かなり実用的な視点が入っています。
最後に「高・中・低」の3段階で整理した
そして10種類の学習法は、最終的に大きく、
高い有用性
中程度の有用性
低い有用性
という3段階で整理されました。
ここで注意したいのは、
「低い=完全に無意味」
ではないことです。
たとえばハイライトが低く評価されたからといって、
「黄色いペンを見つけ次第、研究者が没収します」
という話ではありません。
効果が期待できる場面が限られていたり、研究結果が安定していなかったり、もっと研究が必要だったりするため、幅広くおすすめできるほどの根拠がそろっていないという意味です。
反対に「高い」とされた方法は、
どんな状況でも100点満点という意味ではありません。
それまでの研究を総合すると、比較的さまざまな場面で役立ちやすく、研究上の裏づけも強かったということです。
この違いは大事です。
勉強法を、
「効く!」
「効かない!」
と二つに切ってしまうのではなく、
「どれくらい安心しておすすめできそうですか?」
という目で見た。
これがダンロスキーらの研究方法なのです。
一言でまとめれば、
10種類の勉強法について過去の研究を集め、“どれだけ幅広く役立ちそうか”を比べた。
研究方法として押さえておきたいのは、まずこれだけで十分です。
さて。
審査方法がわかったところで、いよいよ結果発表です。
再読さん。
ハイライトさん。
要約さん。
練習テストさん。
分散学習さん。
全員そろっていますね。
では研究者のみなさん、封筒をお願いします。
10種類の勉強法の中で、評価が高かったのはいったいどの方法だったのでしょうか。

この研究でわかったこと:効果的な勉強法はどれ?10種類を比べてわかった研究結果
さて、いよいよ結果発表です。
10種類の勉強法を研究の積み重ねから評価してみたところ、ダンロスキーらは、それぞれを大きく、
「高い有用性」
「中程度の有用性」
「低い有用性」
の3つに整理しました。
「では、栄えある1位は?」
ちょっと待ってください。
この研究は、オリンピックのように金銀銅を決めたわけではありません。
大事なのは、
「いろいろな学習者、教材、場面で、どのくらい安定して役立ちそうか」
という評価です。
そのうえで見ていくと、かなり興味深い顔ぶれになりました。
高く評価されたのは「思い出す」と「間隔を空ける」
まず、もっとも高い評価を受けたのは2つでした。
練習テストと分散学習です。
練習テストというと、
「またテストですか。勉強してからテストするんじゃないんですか?」
と言いたくなります。
ところが、この「自分で答えを思い出してみること」自体が、学習に役立つと考えられているのです。
たとえば、本を一章読んだあとに閉じて、
「さて、何が書いてあった?」
と自分に問いかける。
単語帳の表を見て、裏面の答えを思い出す。
過去問を解く。
自分で小テストを作って答える。
こうした行為は単なる「実力チェック」ではなく、記憶から情報を取り出す練習にもなります。
読むだけなら、
「見ればわかる」
で終わることがあります。
でも問題を出されると、
「見ないで言えますか?」
と記憶が呼び出されます。
ここが違う。
本棚に本があることを確認するのと、暗い部屋の中から目的の一冊を自力で取り出すのでは、やっていることが違うわけです。
そしてもう一つ、高く評価されたのが分散学習です。
これは簡単に言えば、
一度に全部やらず、時間を空けながら何度か勉強する方法です。
日曜日に5時間まとめて勉強するより、
月曜日に少し。
水曜日にもう一度。
土曜日にまた思い出す。
そんなふうに、学習を時間的に散らしていきます。
記憶に、
「本日5時間お邪魔します!」
と一気に押しかけるのではなく、
「また来ました」
「また来ました」
「忘れかけたころですが、また来ました」
と何度も訪問する。
そのほうが、長く覚える学習では有望だったわけです。
中くらいの評価にも、なかなか頼れる3人がいた
続いて「中程度の有用性」と評価されたのは、
精緻的質問、自己説明、交互練習
の3つです。
言葉だけ見ると、急に心理学の会議室へ連れてこられた感じがしますので、簡単に言い換えましょう。
精緻的質問は、
「なぜそうなるの?」
と理由を考える方法。
たとえば、
「植物は光合成をする」
と覚えるだけでなく、
「なぜ植物に光が必要なんだろう?」
と考えていく。
丸暗記だけでなく、知識同士につながりを作ろうとするわけです。
自己説明は、
「これはつまり、こういうことだな」
と自分の言葉で説明する方法です。
教科書を読んで、
「はい、わかりました」
で通り過ぎず、
「いや待て。本当にわかった?説明してみよう」
と自分を捕まえる。
すると、わかったつもりだった場所に、
「すみません、こちら説明不能区域です」
という穴が見つかることがあります。
そして交互練習。
これは、同じタイプの問題だけを延々と解くのではなく、違う種類の問題を混ぜながら練習する方法です。
たとえば数学なら、
同じ公式の問題を20問続けるのではなく、複数の種類を混ぜて、
「さて、これはどの解き方を使えばいい?」
と判断する練習も含めて学ぶイメージです。
これら3つは有望ではあるものの、研究者たちは、練習テストや分散学習ほど広く強く推薦できる段階ではないとして、「中程度」に分類しました。
そして意外だったのが、低く評価された5つ
さて。
ここからが、この論文を読んでいて、
「えっ?」
となりやすいところです。
「低い有用性」に分類されたのは、
要約
ハイライト・下線
キーワード記憶術
文章を頭の中でイメージする方法
再読
の5つでした。
「ちょっと待ってください」
はい。
「再読って、勉強の基本じゃないんですか?」
やりますよね。
私も教科書を読んで、
「よし、わからない。もう一回だ」
となった経験があります。
そしてハイライト。
これも学生生活の古参メンバーです。
黄色い線を引く。
もっと重要なら赤。
さらに重要なら青。
最終的に、
ほぼ全部重要。
教科書が虹色になったところで、
「非常に勉強した」
という気分にはなります。
ところが、ダンロスキーらの評価では、再読やハイライトは「高い有用性」には入りませんでした。
ここが、この研究でもっとも意外な部分の一つでしょう。
よく使われている勉強法と、研究上高く評価される勉強法は、同じではなかった。
人気投票なら上位に来そうな再読さんと蛍光ペンさんが、研究の成績表では後ろの席に座ったのです。
「低評価=やるだけ無駄」ではない
ただし、ここは誤解しないようにしたいところです。
「低い有用性」と書いてあるからといって、
「まったく効果がない」
という意味ではありません。
たとえば要約は、うまく要約できる人なら役立つ可能性がありますし、ハイライトも文章を整理する補助として使うことはできます。
再読だって、一度読んだだけでは理解できなかった文章をもう一度読む必要がある場面は当然あります。
問題は、
「これさえやっていれば、幅広い状況で高い学習効果が期待できる」とまでは言いにくかった
ということです。
だから、
「蛍光ペンは禁止です」
ではありません。
蛍光ペンさんには、まだ職場があります。
ただ、
「あなた一人に記憶部門を全部任せるのは難しそうですね」
という話です。
いちばん意外なのは「楽な方法」が勝たなかったことかもしれない
この結果を眺めていると、もう一つ面白いことが見えてきます。
再読やハイライトは、比較的やりやすい方法です。
文章を読む。
線を引く。
もう一度読む。
もちろん集中力は必要ですが、基本的には目の前に答えがある状態で勉強できます。
一方、練習テストでは、
「ほら、答えを思い出してください」
と言われます。
分散学習なら、
「今日はもう勉強したから終わり」
ではなく、
「数日後に、また会いましょう」
となります。
少し面倒なのです。
思い出せなければ、
「全然覚えてないじゃないか」
とショックを受けることもあります。
でも、そこが興味深い。
勉強しているときに「楽にできる」「わかっている気がする」ことと、あとで思い出せることは同じではありません。
ここには、学習のちょっとした皮肉があります。
勉強中、
「すらすら読めるぞ。これは完璧だ」
と思っていたのに、翌日になると、
「どちら様でしたっけ?」
と記憶に言われる。
逆に問題を解いて、
「全然出てこない。つらい」
と思いながら答えを確認した学習のほうが、記憶を働かせる練習になっている場合がある。
「勉強しやすさ」と「覚えやすさ」は、必ずしも同じ方向を向いていない。
これが、この研究から読み取れる非常に大切なポイントです。
結果をざっくり整理すると
最後に、10種類をもう一度まとめておきましょう。
高い有用性
- 練習テスト
- 分散学習
中程度の有用性
- 精緻的質問
- 自己説明
- 交互練習
低い有用性
- 要約
- ハイライト・下線
- キーワード記憶術
- 文章を頭の中でイメージする方法
- 再読
こうして見ると、この論文が言っているのは、
「勉強には裏技があります」
という派手な話ではありません。
むしろ、
読むだけで終わらず、思い出してみる。
一度に詰め込まず、時間を空けてまた学ぶ。
そんな、少し地味な方法が高く評価されています。
勉強法の世界では、どうやら派手な必殺技より、
「また来ました」
「今日も思い出してみます」
と淡々と現れる人のほうが、研究者からの信頼は厚かったようです。
そして何より大事なのは、
勉強しても覚えられないとき、
すぐに、
「自分は記憶力が悪い」
と結論づけなくてもいいということです。
もしかしたら、努力が足りないのではなく、
努力を記憶へ届けるルートに、少し渋滞が起きているだけかもしれません。
では、この結果の中で特に面白いのはどこなのか。
次は、この研究ならではの「意外なポイント」をもう少し掘り下げてみましょう。

ここが面白い:「勉強した気になる方法」と「覚えやすい方法」は違う?研究が示した意外な差
この研究の面白さは、
「練習テストが高評価でした」
「分散学習も高評価でした」
という順位そのものだけではありません。
もっと面白いのは、その結果をじっと眺めていると、
人間は「勉強できた感じ」と「本当に学べたこと」を、うっかり同じものだと思ってしまうことがある
と見えてくるところです。
これは、ちょっと耳が痛い。
たとえば、教科書を二回、三回と読み返してみましょう。
一回目。
「難しいな」
二回目。
「あ、なんとなくわかる」
三回目。
「はいはい、この話ね」
文章がすらすら読めるようになってきます。
すると脳内から、どこからともなく担当者が現れます。
「理解完了でございます」
いや、ちょっと待ってください。
それ、本当に理解したのでしょうか。
それとも単に、文章を見慣れただけなのでしょうか。
ここが、学習というものの少し怖くて、かなり面白いところです。
教科書を見ながらの「わかる」は、カンニングありの自己採点かもしれない
たとえば、人の顔を見て、
「あ、この人知ってる」
と思うことがあります。
ところが、
「名前は?」
と聞かれると、
「……あれ?」
となる。
顔を見れば知っていると感じる。
でも、何もないところから名前を思い出すことはできない。
勉強でも、似たことが起こります。
教科書を開いていると、
「ああ、これ知ってる」
「ここ読んだ」
「この単語、見たことある」
と思える。
ところが、本を閉じて、
「では説明してください」
と言われた瞬間、
脳内会議が始まります。
「誰か覚えてます?」
「私は見た記憶ならあります」
「内容は?」
「担当外です」
困ったものです。
でも、試験や実際の仕事では、多くの場合こちらが求められます。
答えを見ながら、
「知ってます」
ではなく、
必要なときに、自分の記憶から取り出せること。
だからこそ練習テストのような方法には意味があります。
問題を解くと、
「わからない」
が容赦なく見えます。
これは気持ちのいい体験ではありません。
再読なら三回目にはすらすら読めるのに、問題になると全然答えられない。
本人としては、
「むしろ勉強が下手になった気がする」
と感じるかもしれません。
でも、本当は逆かもしれない。
わからなさが見えたからこそ、初めて本当の勉強が始まった。
そう考えることもできるのです。
蛍光ペンは悪くない。ただ、少し働かせすぎていた
そして、この研究を読むと、蛍光ペンを見る目もちょっと変わります。
大事なところに線を引く。
これは便利です。
後から読み返す場所もわかる。
文章の構造も整理できます。
だから、
「明日から蛍光ペン全面禁止!」
という話ではありません。
蛍光ペンに罪はない。
ただし私たちは、ときどき彼に仕事をさせすぎます。
「重要部分を見つけてください」
くらいなら得意です。
でも、
「私の記憶に定着させてください」
までお願いすると、
蛍光ペンとしても、
「そこまで業務範囲に入ってました?」
となるでしょう。
線を引くことと、覚えること。
読み返すことと、思い出せること。
きれいにまとめることと、理解すること。
これらは重なる部分もありますが、同じではありません。
私たちはつい、目に見える努力を高く評価します。
ノートが三ページ埋まった。
教科書を二十ページ読んだ。
蛍光ペンをいっぱい引いた。
「今日の勉強量、すごい」
と思える。
ところが、
「何を覚えた?」
という質問になると、急に成果が目に見えにくくなります。
だからこそ、人間は「やったことの量」に安心しやすいのかもしれません。
覚えるためには、少し「困る」ことも必要らしい
さらに興味深いのが、評価の高かった方法には、どこか面倒くささがあることです。
練習テストでは、思い出さなければいけない。
「わからない」
という瞬間が起きます。
分散学習では、一度勉強して終わりではありません。
数日後に、また教材を開かなければいけない。
「もうやったじゃないですか」
と言いたくなります。
つまり、高く評価された方法は必ずしも、
勉強している最中に気分がいい方法ではありません。
むしろ、
「忘れてる」
「思い出せない」
「また復習か」
という、小さな不便がついてくる。
でも、この不便には意味があります。
たとえば問題を見て、
「なんだったっけ……」
と頭の中を探す。
昨日覚えたことを数日後に、
「まだ残ってる?」
と呼び出してみる。
こうして記憶に少し仕事をしてもらう。
学習というのは、知識を頭の中へ運び込むだけではなく、必要なときに取り出せる道を作っていく作業なのかもしれません。
倉庫に商品を大量に入れても、
「どこの棚に置いたかわかりません」
では困ります。
練習テストは、倉庫から実際に商品を取りに行く練習。
分散学習は、時間がたってからもその道をもう一度歩いてみる練習。
そんなふうに考えると、二つが高く評価された理由も少し腑に落ちます。
「うまくできない」は、勉強が失敗している証拠とは限らない
私は、この研究のいちばん優しいところは、ここだと思います。
勉強していて問題が解けないと、
「自分は頭が悪い」
と思いやすい。
単語を思い出せないと、
「記憶力がない」
と思う。
一週間前に勉強したことを忘れていると、
「自分には向いていない」
とまで考えてしまう。
でも、練習テストや分散学習という考え方から見ると、
思い出せないことそのものが、次に何を学べばいいかを教えてくれる情報になります。
問題を解いて間違える。
「あ、ここ覚えてなかった」
と気づく。
そこで確認する。
数日後、また答えてみる。
また忘れている。
「君、またいなくなったね」
と迎えに行く。
学習とは案外、この繰り返しなのかもしれません。
最初から全部覚えられる人になる必要はない。
忘れない人になる必要もない。
忘れたときに、もう一度そこへ戻れる仕組みを作っておく。
このほうが、ずっと現実的です。
勉強法の話なのに、なんだか人生の話にも見えてくる
そして少し話を広げると、この研究には妙に人間くさいところがあります。
私たちは勉強以外でも、
「うまくいっている感じ」
を欲しがります。
仕事でも、すらすらできることは気持ちがいい。
会話でも、自分の得意な話なら気分よく話せる。
スポーツでも、成功する練習ばかりしたほうが自信は保ちやすい。
でも、本当に力が伸びる場所には、ときどき、
「できない」
「わからない」
「忘れた」
があります。
もちろん、苦しければ苦しいほど偉いという話ではありません。
わざと難しくすればいいわけでもありません。
ただ、
「うまくできなかった=無駄だった」ではない。
ここは覚えておいてもいい気がします。
問題を解いて間違えた。
昨日のことを忘れていた。
説明しようとして言葉に詰まった。
その瞬間は、
「だめじゃん」
と思う。
でも、そこにこそ、
「次はここを覚えればいいですよ」
という小さな矢印が立っている。
失敗ではなく、現在地です。
そう考えると、勉強は少しだけ息苦しくなくなります。
ダンロスキーらの論文は、10種類の勉強法を評価した研究です。
でも、その奥から聞こえてくるのは、
「勉強しているときの気分だけで、学習の良し悪しを決めなくてもいいですよ」
というメッセージのようにも思えます。
すらすら読めなくてもいい。
すぐ答えられなくてもいい。
忘れていても、そこからもう一度思い出せばいい。
蛍光ペンで黄色く染まったページを眺めて安心する日があってもいい。
ただ、ときどき本を閉じて、
「ところで、自分は何を覚えているんだろう?」
と聞いてみる。
記憶はそこで、
「では、本日の本当の勉強を始めましょうか」
と、ようやく椅子から立ち上がるのかもしれません。

私たちの生活にどう活かせる?:効率よく覚えるには?「思い出す」と「間隔を空ける」を勉強に取り入れる方法
ここまで読んで、
「なるほど。練習テストと分散学習がいいんですね」
と思った方もいるでしょう。
そして、その次に出てくる疑問があります。
「で、具体的にどうすればいいんです?」
ここ、大事です。
心理学の研究というのは、ときどき研究室の中では立派なのに、玄関から外へ出た瞬間、
「さて、日常生活ではどう使うんでしたっけ」
と迷子になることがあります。
せっかくなので、ダンロスキーらの研究を研究室から連れ出して、私たちの机まで運んでみましょう。
結論から言えば、大改革はいりません。
今までの勉強に、
「本を閉じて、思い出してみる」
そして、
「一日で終わらせず、別の日にもう一度会う」
この二つを少し足すところから始められます。
読み終わったら、すぐ次のページへ行かない
たとえば資格試験のテキストを読んでいるとします。
10ページ読みました。
「よし、次の10ページだ」
となりがちですが、そこで30秒だけ止まってみる。
本を閉じます。
そして自分に聞きます。
「今の10ページ、何が書いてあった?」
最初は、
「ええと……」
となるかもしれません。
大丈夫です。
むしろ、その「ええと」が仕事をしています。
三つくらい思い出してみるだけでもいい。
「重要だったのは何?」
「人に説明するとしたら、どう言う?」
「試験に出るとしたら、どんな問題になりそう?」
こんなふうに、読んだ内容を自分の頭から取り出してみます。
これなら特別な道具はいりません。
高級なノートもいらない。
学習アプリを17個入れる必要もありません。
本を一冊。
そして、ときどき閉じる。
「読む時間」を少しだけ「思い出す時間」に変える。
それだけです。
「問題を解く」は、最後の確認ではなく勉強そのものにする
資格試験の勉強をしていると、
「まず全部覚えてから過去問をやろう」
と思うことがあります。
気持ちはよくわかります。
問題を解いて間違えるのは、あまり気分がよくありません。
テキストなら優しい。
全部書いてあります。
過去問は厳しい。
「では答えてください」
と、いきなりこちらに話を振ってきます。
こちらとしては、
「まだ説明を聞いている途中なんですが」
と言いたくなります。
でも、練習テストの考え方を生活に活かすなら、問題は最後に実力を測るためだけのものではありません。
問題を解くこと自体を、学習の中に入れてしまう。
一章読んだら、練習問題を少し解く。
全部勉強し終わる前から過去問を見てみる。
自分で簡単な質問を作る。
そして間違えたら、
「失敗した」
ではなく、
「ここがまだ取り出せない場所なんだな」
と考える。
試験問題が敵ではなく、記憶の健康診断になります。
「こちらの知識、少々弱っていますね」
「では復習しておきます」
そのくらいの距離感でいいのです。
日曜日の3時間を、平日に少し分けてみる
次は「間隔を空ける」です。
社会人になると、まとまった勉強時間を取るのはなかなか大変です。
平日は仕事。
帰宅。
夕食。
お風呂。
家のこと。
スマートフォンをちょっとだけ見る。
気づけば、
「もう寝る時間ですよ」
と時計が冷静に告げてきます。
だから、
「日曜日にまとめて3時間やろう」
となりやすい。
もちろん、まとまった勉強時間が悪いわけではありません。
ただ、分散学習の考え方を使うなら、
同じ内容に別の日にも触れる
という仕組みを入れてみます。
たとえば日曜日に勉強した内容を、
月曜日に10分。
水曜日に10分。
土曜日にもう一度。
こうして再会させます。
ここで大事なのは、毎回最初から全部読み直す必要はないということです。
月曜日には、
「昨日のポイントを3つ思い出せるかな」
水曜日には、
「練習問題を5問だけ」
土曜日には、
「何も見ずに説明してみよう」
これでも立派な再会です。
記憶に毎回フルコースを出す必要はありません。
ときどきお茶を飲みに行くくらいでもいいのです。
読書にも使える。「読み終えた本を覚えていない問題」
この方法は、試験勉強だけではありません。
本を読むときにも使えます。
本を一冊読み終えて、
「面白かった」
となる。
一週間後。
「どんな本だった?」
「……とても面白い本でした」
内容は?
「面白かったという印象が強く残っています」
読書あるあるです。
これも、本を読み終えることだけを目標にすると起きやすいことです。
だから、章を一つ読み終えたら、
「この章で一番面白かったことは何?」
と自分に聞いてみる。
ノートに一行だけ書いてもいいでしょう。
さらに翌日、
「昨日の本、何の話だった?」
と思い出してみる。
完璧な要約はいりません。
むしろ一つでも、
「そういえば、あの話が面白かったな」
と取り出せればいい。
読書が「ページを通過する作業」から、「頭の中へ残す作業」に少し変わります。
仕事を覚えるときにも「思い出す」を使える
新しい仕事を教えてもらったときにも応用できます。
たとえば先輩から、
「まずこの画面を開いて、ここを押して、この数字を入れて、それからこのファイルを保存してください」
と説明されたとします。
説明中は、
「はい」
「はい」
「なるほど」
と順調です。
ところが先輩が去った瞬間。
パソコンの画面と二人きりになります。
「……最初、どこ押すんだっけ」
説明を聞いているときの「わかる」と、自分だけで再現できることは別です。
だから教えてもらったあと、
一度メモを閉じて、
「最初から自分でやるなら、どうする?」
と頭の中で再現してみる。
あるいは、
「手順を自分の言葉で説明してみてもいいですか?」
と確認する。
これも立派な「思い出す練習」です。
さらに翌日、自分でもう一度やる。
数日後にまたやる。
そうすると、
「教えてもらった瞬間だけわかった」
から、
「必要なときに自分でできる」
へ移りやすくなります。
研修資料は「読みました」で終わらせない
会社の研修にも使えます。
研修資料を30ページ読む。
読み終わりました。
確認欄にチェック。
「受講済み」。
制度上はこれで完了です。
しかし記憶係からすると、
「こちらにはまだ納品されていないようですが」
ということがあります。
そこで、資料を読み終えたら、
「重要なことを3つ挙げるなら?」
「明日の仕事で使うとしたら?」
「人に説明するなら?」
と自分に問いかけてみる。
翌朝、もう一度思い出す。
これだけでも、ただ読み終えるのとは学習の形が変わります。
特に仕事では、知識は、
「知っている」だけではなく、「必要な場面で出てくる」
ことが大切です。
そのためには、必要な場面で取り出す練習をしておく。
考えてみれば、なかなか理にかなっています。
勉強時間を増やせないなら、「最後の5分」を変えてみる
そして社会人にとって、私はここが一番現実的だと思います。
「効果的な勉強法はわかりました」
「では毎日2時間勉強してください」
と言われても、
「その2時間、どこで販売していますか?」
となります。
時間はなかなか増えません。
だったら、今ある30分や1時間の中身を少し変える。
たとえば30分勉強するなら、
25分読む。
最後の5分、本を閉じる。
今日覚えたいことを3つ思い出す。
次に勉強する日を決める。
これだけでも、
読むだけの30分から、「思い出す」と「また会う」が入った30分
になります。
勉強時間を倍にしなくても、勉強の設計は変えられます。
これは、忙しい人にはかなり大事な視点です。
「忘れない計画」ではなく「忘れても戻れる計画」を作る
もう一つ、生活に取り入れたい考え方があります。
私たちはよく、
「絶対に忘れないように覚えよう」
と思います。
でも、人間は忘れます。
昨日食べた昼食すら、ときどき怪しい。
そんな脳に、
「この参考書250ページを一度で永久保存してください」
と言うのは、少々荷が重い。
だったら最初から、
忘れることを予定に入れておく
のです。
今日勉強する。
忘れる。
数日後、戻る。
また少し忘れる。
また戻る。
「忘れた。自分はダメだ」
ではなく、
「はい、予定どおり忘れました。ではもう一回」
くらいでいい。
これは気持ちの面でも、ずいぶん楽です。
忘れるたびに自分を責めていたら、勉強は知識を増やす作業なのか、自己嫌悪を増やす作業なのかわからなくなります。
忘却は不良品ではありません。
人間の標準装備です。
だから必要なのは、
忘れない自分を作ることより、忘れたあとに戻ってこられる仕組みを作ること。
分散学習は、その仕組みを勉強の予定表に入れる方法とも言えます。
ただし「研究で高評価=何にでも使える魔法」ではない
ここは最後に、少しブレーキも踏んでおきましょう。
練習テストと分散学習が高く評価されたからといって、
「今後すべての学習はこの二つだけでよい」
というわけではありません。
新しい内容を最初に理解するときには、読むことも必要でしょう。
重要な箇所を整理するために線を引くこともあるでしょう。
複雑な内容なら、図を書いたり、人から説明を受けたりしたほうがよいこともあります。
学習は料理に似ています。
塩が大事だからといって、
「今日から夕食は塩だけです」
とはなりません。
練習テストや分散学習は、学習全体を支える有力な方法として取り入れるくらいに考えるのがちょうどいいでしょう。
読む。
理解する。
整理する。
そして、
閉じて思い出す。
別の日に、また思い出す。
この流れを作ってみる。
それだけでも、勉強の景色は少し変わります。
私たちは覚えられないと、すぐ自分に原因を探しがちです。
「頭が悪いのかな」
「年齢かな」
「集中力がないのかな」
もちろん個人差はあります。
でも、その前に一度だけ、
「私は今、どうやって覚えようとしているんだろう?」
と方法のほうを見てみてもいい。
自分を改造するのは大変です。
でも、今日の30分の使い方なら、少し変えられる。
本を閉じてみる。
三つ思い出してみる。
そしてカレンダーに、
「また会う日」
を一つ入れておく。
勉強法の改善というと大げさですが、最初の一歩はそれくらい小さくても十分です。
記憶はたぶん、派手な決意表明より、
「また来ました」
と何度も顔を出す人のことを、少しずつ覚えていくのでしょう。

少し注意したい点:「効果的な勉強法」なら誰にでも効く?研究結果を読むときの注意点
ここまで読んで、
「よし、わかった。今後は練習テストと分散学習だけやります」
と決意した方。
少々お待ちください。
研究者たちが後ろから、
「そこまで言ってません」
と追いかけてきます。
この論文では、10種類の学習法のうち、練習テストと分散学習が高く評価されました。
これはかなり重要な結果です。
ただし、
「この二つを使えば、誰でも、どんな勉強でも、必ずうまくいく」
という意味ではありません。
心理学の研究結果には、いつも「どこまで言えるのか」という境界線があります。
ここでは、その線を少し見ておきましょう。
「高い有用性」は「万能」の意味ではない
まず押さえておきたいのが、これです。
練習テストと分散学習は高く評価されました。
でも、
「練習テストさえすれば、教科書を読まなくていい」
とはなりません。
たとえば、まったく知らない内容を初めて学ぶ場面を考えてみましょう。
先生が言います。
「では、江戸幕府が成立した背景を説明してください」
「まだ一文字も勉強していません」
「練習テストが効果的です」
「材料をください」
当然です。
記憶から取り出すには、まず何かを理解したり覚えたりする段階が必要です。
説明を読む。
授業を聞く。
図を見る。
わからない言葉を調べる。
こうした学習もなくなりません。
練習テストは、それらを全部追い出して王様になる方法ではなく、学んだ内容を思い出す機会を作る有力な方法と考えたほうがよいでしょう。
分散学習も同じです。
間隔を空ければ何でも覚えられるわけではありません。
そもそも最初の理解が間違っていたら、
間違った内容と月曜日に会い、
水曜日にも会い、
土曜日にも再会することになります。
間違いとの友情が深まってしまいます。
ですから、
「何を学ぶか」と「どう復習するか」は両方大切
なのです。
「低い有用性」は「意味がない」ではない
逆方向の誤解にも注意が必要です。
この論文で再読やハイライトなどが「低い有用性」と評価されたと聞くと、
「じゃあ、蛍光ペンは全部捨てます」
となりそうです。
待ってください。
蛍光ペンさん、まだ退職届を書かなくて大丈夫です。
ここでいう「低い有用性」は、
どんな場面でもまったく役に立たない
という意味ではありません。
たとえばハイライト。
文章の重要な部分を見つけたり、あとから読み返す場所をわかりやすくしたりするためには便利です。
再読も、
一度読んで理解できなかった難しい文章を、もう一度丁寧に読む。
これは普通に必要なことがあります。
要約だって、
内容を整理したり、自分の理解を確認したりするときには使えるでしょう。
では、なぜ低い評価なのか。
それは、
「さまざまな人、教材、状況において、幅広く高い学習効果を期待できる方法として推薦するには、根拠が十分ではない」
と評価されたからです。
つまり、
「使ってはいけません」
ではなく、
「これだけに記憶を全部任せるのは慎重になりましょう」
という話です。
ハイライトは案内係としては働ける。
でも、
「記憶定着部門の責任者も兼任してください」
と言われると、
「その役職は聞いていません」
となるわけです。
10種類を単純なランキングにしないほうがいい
この論文は、ついランキングとして紹介したくなります。
第1位、練習テスト!
第2位、分散学習!
再読、残念!
こうするとわかりやすい。
でも、少し正確さが失われます。
実際には、10種類を1位から10位まで順番に並べたわけではありません。
研究者たちは、それぞれについて、
どのくらい研究があるのか。
どんな条件で効果が確認されているのか。
どれくらい幅広い学習者に使えそうなのか。
どんな種類の教材に応用できるのか。
時間がたっても役立つのか。
そういったことをまとめながら、高・中・低という大きな区分で有用性を評価しました。
ですから、
「練習テストが分散学習より絶対に上」
とか、
「中評価の自己説明より低評価の要約は、必ず劣っている」
とまで細かく順位をつけるのは、この論文の読み方としては少し乱暴です。
これは競馬新聞ではありません。
研究者たちは、
「今のところ、どの選手をどの程度安心して推薦できそうか」
を整理したのです。
勉強する内容によっても事情は変わる
もう一つ大切なのは、勉強には種類があることです。
英単語を覚える。
数学の問題を解く。
歴史の流れを理解する。
文章を書く。
楽器を演奏する。
仕事の接客手順を身につける。
全部「学習」と呼べますが、必要な力は同じではありません。
たとえば、
英単語の意味を覚えることと、
数学の証明を理解することでは、
頭の使い方が違います。
仕事でも、
マニュアルを覚えることと、
お客さんの状況を見ながら臨機応変に対応することは違います。
そのため、
「研究で高評価だった方法だから、あらゆる学びに同じ形で使える」
とは考えないほうがいいでしょう。
大切なのは、
方法の名前をそのままコピーするのではなく、学ぶ内容に合わせて使い方を考えること。
たとえば「思い出す練習」でも、
英単語なら単語カード。
資格試験なら過去問。
読書なら本を閉じて内容を説明する。
仕事なら手順を見ずに再現する。
形はいろいろあります。
考え方は同じでも、使い方まで同じではないのです。
この論文は2013年時点までの研究を整理したもの
そして、時間の話もあります。
この論文が発表されたのは2013年です。
つまり、そこで整理されているのは、基本的にそれまでに蓄積されていた研究です。
心理学の研究は、その後も止まっていません。
練習テストについても、分散学習についても、交互練習についても、その後さらに多くの研究が行われています。
ですから、この論文を、
「人類の勉強法について最終結論が出ました」
と読むのは適切ではありません。
むしろ、
2013年時点で、学習研究を大きく見渡し、実用的に整理した重要な地図
として読むのがよいでしょう。
地図はとても役立ちます。
でも、地図が作られたあとにも、新しい道路はできます。
研究も同じです。
研究の平均と「あなた」は同じではない
さらに、これは心理学全般に言えることですが、
研究は多くの場合、たくさんの人を調べて全体としてどんな傾向があるかを見ます。
その結果、
「この方法は比較的有用です」
という答えが出ます。
でも、目の前のあなたが必ず平均どおりになるとは限りません。
朝に勉強しやすい人もいれば、夜のほうが集中できる人もいる。
文字だけで理解しやすい人もいれば、図があったほうがわかりやすい内容もある。
試験まで三か月ある人と、明日試験の人では使える方法も違うでしょう。
だから研究結果は、
あなた個人への命令書ではありません。
どちらかというと、
「多くの研究を見ると、この方向はかなり有望ですよ」
という道路標識です。
標識が、
「東京はこちら」
と教えてくれる。
でも現在地によって、実際に通る道は少し違う。
そんな距離感で使うとちょうどいいと思います。
「自分に合う勉強法」という言葉にも少し注意
ここまで言うと、
「では、自分に合った勉強法なら何でもいいんですね」
となりそうですが、これも少し違います。
私たちは「自分に合う」を、
「やっていて楽な方法」
という意味で使ってしまうことがあります。
でも前の章で見たように、
楽にできる方法と、よく覚えられる方法は必ずしも同じではありません。
再読なら、
「私は読むのが好きだから、この方法が自分に合っています」
と思うことがあります。
もちろん読書が好きなのは素晴らしいことです。
でも、
「好きだから効果的」
とは限らない。
逆に練習問題を解いて、
「全然答えられない。自分にはこの方法が向いてない」
と思うかもしれません。
でも、その「答えられない場所が見えること」自体が学習に役立っている可能性があります。
ですから、
「自分に合うか」は、気分のよさだけで決めない。
実際に後から思い出せるか。
理解が深まっているか。
問題が解けるようになっているか。
そうした結果も見ながら、自分なりに調整していくことが大切です。
研究は「答え」より「よりよい選択肢」をくれる
ここまで注意点を並べると、
「なんだ、結局何も言えないじゃないですか」
と思うかもしれません。
でも、そうではありません。
研究というのは、
「これをやれば100%成功します」
という保証書をくれるものではありません。
むしろ、
たくさんある選択肢の中で、どちらを先に試す価値がありそうか
を教えてくれるものです。
勉強法が10種類ある。
使える時間は限られている。
そのとき、
「研究全体を見ると、練習テストと分散学習はかなり有望ですよ」
とわかる。
これは十分に価値があります。
人生では、完全な答えが出るまで待っていたら、だいたい日が暮れます。
だから、
「絶対ではない。でも、こちらの道にはかなり根拠がある」
という情報を使って、一歩進む。
それが研究とのよい付き合い方なのでしょう。
ダンロスキーらの論文も、
「これが唯一正しい勉強法です」
という教科書ではありません。
むしろ、
「勉強法を感覚だけで選ばず、研究の積み重ねも一度見てみませんか」
という招待状に近い。
蛍光ペンを捨てなくていい。
再読も禁止しなくていい。
ただ、そこに、
「思い出す」
「間隔を空けて、また学ぶ」
という選択肢を加えてみる。
そして自分の学習で確かめてみる。
研究結果を信仰するのでもなく、無視するのでもなく、
少し借りて、自分の生活で試してみる。
そのくらいの距離に置いたとき、心理学の論文は案外いちばん役に立つのかもしれません。

まとめ:効果的な勉強法とは?研究から見えた「思い出す・間隔を空ける」の大切さ
ここまで、ダンロスキーらが2013年にまとめた、10種類の学習法について見てきました。
最初は、
「結局、どの勉強法が一番いいんですか?」
という素朴な疑問から始まりました。
そして研究をたどっていくと、答えは意外と地味でした。
何か特別な機械を使うわけでもない。
記憶力が三倍になる秘密のノートがあるわけでもない。
朝4時に起きて滝に打たれる必要もない。
高く評価されたのは、
自分で答えを思い出してみること。
そして、
一度で終わらせず、時間を空けて何度か学ぶこと。
でした。
つまり、
「思い出す」と「また会う」。
この二つが、学習を考えるうえでかなり大切だったわけです。
「たくさん読む」より、「一度閉じてみる」
私たちは勉強というと、どうしても「入れること」を考えます。
本を読む。
授業を聞く。
動画を見る。
ノートを書く。
知識を頭へ入れていく。
もちろん、それらは必要です。
でも、ダンロスキーらの研究を眺めていると、
入れるだけではなく、取り出すことも勉強なんだ
ということに気づかされます。
本を読んだら、閉じてみる。
「何が書いてあった?」
と自分に聞いてみる。
そこで、
「ええと……」
となる。
その瞬間、
「全然覚えてないじゃん」
と落ち込む必要はありません。
むしろ、そこからが記憶の出勤時間です。
教科書を開いている間は、
「知ってます知ってます」
と言っていた記憶係が、
本を閉じた途端、
「え、資料なしですか?」
となる。
そこで初めて、
自力で情報を取り出す練習
が始まります。
だから、勉強したあとに少し苦労して思い出す時間は、決して無駄ではありません。
むしろ、
「思い出せなかった場所」
そのものが、次に勉強すべき場所を教えてくれます。
「忘れない人」より、「忘れても戻る人」
もう一つ、この論文から持って帰りたいのが分散学習の考え方です。
私たちは、
「一度覚えたら、もう忘れたくない」
と思います。
でも、人間は忘れます。
今日読んだ本。
昨日聞いた話。
三日前に検索したこと。
「あれ、なんだったっけ」
と消えていく。
記憶というのは、なかなか自由です。
こちらが、
「重要なので永久保存してください」
と赤い札を貼ったところで、
数日後には、
「保存期間が終了しました」
みたいな顔をしていることがあります。
でも、だからといって失敗ではありません。
分散学習の考え方では、
忘れることを前提にして、もう一度会いに行く。
今日覚える。
数日後に思い出す。
また少し忘れる。
さらに後でもう一度。
勉強とは、知識を一回で頭に固定する作業ではなく、
忘れかけた知識と何度も顔を合わせる作業
とも言えます。
これは、なかなか優しい考え方です。
忘れた自分を責めなくていい。
「はいはい、またいなくなりましたね」
と迎えに行けばいい。
その繰り返しで、少しずつ道ができていきます。
蛍光ペンも再読も、悪者ではない
そして、この研究を読んだからといって、
再読やハイライトを全部やめる必要もありません。
ここは何度でも確認しておきたいところです。
蛍光ペンに罪はありません。
再読も、まだ現役です。
要約にも仕事はあります。
ただし、
「これをやったから覚えたはず」
と安心しすぎない。
そこが大切なのでしょう。
線を引いたら、そのあと本を閉じてみる。
二回読んだら、その内容を説明してみる。
きれいにノートをまとめたら、ノートを伏せて問題を解いてみる。
つまり、
今までの勉強法を全部捨てるのではなく、「思い出す工程」を足す。
これくらいの使い方が、現実にはちょうどよさそうです。
努力不足を疑う前に、努力の届け方を見てみる
この記事を通して、私が一番残したいのはここです。
勉強しても覚えられないとき、
私たちはすぐ、
「自分は頭が悪い」
と思います。
資格試験の問題が解けない。
「向いてないのかな」
本を読んでも内容を忘れる。
「年齢かな」
仕事を教えてもらっても、すぐ手順が出てこない。
「覚えが悪いんだ」
もちろん、人によって得意不得意はあります。
でも、そこでいきなり自分自身に赤点をつける前に、
一つだけ確認してみてもいい。
「私は、どんな方法で覚えようとしているんだろう?」
何度も読むだけになっていないか。
わかった気分で終わっていないか。
一度勉強したら、そのまま二度と会っていない知識はないか。
問題を解くのを、
「全部覚えてから」
と最後まで取っておいていないか。
もし思い当たるなら、
能力そのものではなく、学び方にまだ調整できる余地があるかもしれません。
これは結構、大きな違いです。
「自分を変えなければ」
と思うと大変です。
でも、
「今日の30分の使い方を少し変えてみよう」
なら、できるかもしれない。
今日からやるなら、このくらいでいい
この記事を読んで、
「では、完璧な学習計画を作ろう」
と張り切る必要もありません。
最初は小さくて大丈夫です。
本を10ページ読んだら閉じて、
「覚えていることを3つ言う」
資格試験なら、
「今日勉強した範囲の問題を数問だけ解く」
そして予定表に、
「数日後にもう一度見る」
と書いておく。
これくらいです。
勉強法を変えるというより、
今までの勉強の中に、小さな習慣を二つ置く。
思い出す。
また会う。
ダンロスキーらの大きなレビュー論文を、普通の生活までぎゅっと縮めるなら、この二つになるでしょう。
もちろん、この方法が誰にでも、どんな学習でも万能というわけではありません。
それでも、たくさんある勉強法の中で、
「まず何を試してみよう?」
と迷ったときの、有力な出発点にはなります。
勉強というと、
「もっとやらなきゃ」
という言葉ばかり聞こえてきます。
もっと読む。
もっと書く。
もっと長く机に向かう。
でも、ときにはその前に、
「どうやる?」
と聞いてみてもいい。
量を増やす前に、方法を少し変える。
自分を責める前に、仕組みを少し変える。
そして忘れたら、
「また忘れた」
ではなく、
「では、また会いましょう」
と戻ってくる。
覚えるというのは、もしかすると、一度でしっかり捕まえることではないのかもしれません。
忘れるたびに、何度か会いに行くこと。
その再会を重ねた先に、
「ああ、これはもう知っている」
という記憶が、静かに住みついていくのだと思います。

あとがき
この論文を読み終えて、私がいちばん考えたのは、
「人間って、努力が足りないことにされすぎじゃないか」
ということでした。
勉強しても覚えられない。
資格試験に受からない。
本を読んでも内容が残らない。
仕事を教えてもらったのに、翌日には手順が怪しい。
そんなとき、私たちはすぐに自分の内側へ捜査の手を伸ばします。
「集中力がない」
「頭が悪い」
「根性がない」
「年齢のせいかな」
脳内警察の取り調べが始まります。
「昨夜、何時までスマホを見ていましたか?」
「23時くらいです」
「本当に?」
「……23時47分です」
そこまで反省しなくてもいい。
もちろん努力は大切です。
勉強しなければ、さすがに覚えません。
参考書を枕元に置いて、
「寝ている間に内容が頭へ染み込みますように」
とお願いしても、朝には参考書の角で頬に跡がついているだけでしょう。
でも、Dunloskyらの論文を読んでいると、
努力の量だけを見るのではなく、努力の届け方も見てみませんか
と言われているような気がするのです。
私たちは「頑張った証拠」が好きなのかもしれない
私は昔から、ノートをきれいにまとめると妙な達成感がありました。
文字を書く。
線を引く。
囲む。
重要なところには星印をつける。
さらに重要そうなら星を二つ。
そのうち星だらけになります。
「全部重要じゃないか」
という状態です。
でも、完成したノートを見ると気持ちいいんですよね。
今日の努力が目に見えるからです。
教科書を30ページ読んだ。
ノートを5ページ書いた。
蛍光ペンをこれだけ引いた。
そういうものには「やった感」があります。
一方、
本を閉じて5分間、
「何が書いてあったっけ」
と考える。
これは、見た目には何も生産していません。
机の上に成果物がない。
しかも、
「思い出せない」
という結果になることもあります。
達成感としては最悪です。
ノートを5ページ書いた自分なら、
「今日も頑張った」
と帰れます。
思い出そうとして何も出てこなかった自分は、
「今日、大丈夫だった?」
となる。
でも研究を眺めてみると、どうも後者のほうにも大切な仕事がある。
ここが私は面白かった。
人間が「勉強できた」と感じる瞬間と、記憶が実際に働いている瞬間は、必ずしも同じではない。
なんとも人間らしい話です。
「できなかった」が、少し違って見えてくる
この論文を読んでから、私は「思い出せない」という出来事の見え方が少し変わりました。
普通なら、
「覚えていなかった」
は失敗です。
問題を間違えた。
失敗。
説明できなかった。
失敗。
一週間前に覚えた単語を忘れた。
また失敗。
でも、練習テストという考え方から眺めると、
思い出せなかった瞬間は、
「ここ、まだ弱いですよ」
と記憶が教えてくれた瞬間でもあります。
これは結構大きいと思うんです。
テストというと、私たちは「評価されるもの」と考えがちです。
○か×か。
何点だったか。
合格か不合格か。
だから間違えるのが怖い。
でも、練習中のテストなら話は違います。
間違えたら、
「あ、ここか」
とわかる。
つまり、間違いが案内板になる。
「目的地はこちらです」
ならぬ、
「復習はこちらです」
です。
そう考えると、間違いは少しだけ親切です。
態度はぶっきらぼうですが、仕事はしている。
忘れることにも、もう少し寛大でいい
そして私は、分散学習の考え方も好きです。
なぜならこれは、
「人は忘れる」
というところから始まっているように見えるからです。
私たちは「忘れないこと」を目標にしすぎるところがあります。
一回教えてもらったら覚える。
一回読んだら覚える。
昨日勉強したなら今日も覚えている。
できれば来月も覚えている。
脳に対する要求がなかなか厳しい。
でも現実の脳は、
昨日冷蔵庫を開けて、
「何を取りに来たんだっけ」
となる生き物です。
そんな彼に、
「民法の条文は一度読んだら半年保存してください」
と要求する。
脳からしたら、
「急に業務水準が高くないですか」
と言いたいでしょう。
だから、
今日覚える。
忘れる。
また見る。
もう一度思い出す。
また少し忘れる。
また会う。
という発想は、すごく人間に合っている気がします。
忘れないことを前提にしない。
ここに私は、どこか救いを感じます。
忘れるたびに、
「またダメだった」
ではなく、
「じゃあ、また会おう」
と言えるからです。
勉強法の論文なのに、自己評価の話に見えてしまった
もちろん、この論文は自己肯定感について書かれた研究ではありません。
勉強法を評価した論文です。
そこは混ぜないほうがいい。
でも、人間として読んでいると、どうしても私はこんなことを考えてしまいます。
私たちは何かがうまくいかないと、
方法の問題を、自分の価値の問題に変換してしまうことがある。
仕事がうまくできない。
「自分は仕事ができない人間だ」
勉強しても覚えられない。
「自分は頭が悪い」
人とうまく話せなかった。
「自分はコミュニケーション能力がない」
出来事から自己評価まで、一気に飛ぶ。
心の階段を三段飛ばしで降りてしまいます。
でも、
「やり方を変えればどうだろう」
という問いが一つ挟まるだけで、その階段は少しゆるやかになります。
覚えられない。
だったら、
「自分はダメだ」
の前に、
「そういえば、読むだけになってなかったかな」
と考えてみる。
これは小さな違いですが、私はかなり大切だと思います。
自分そのものを工事するのは大変です。
でも、方法なら改装できます。
「人格全面改修工事」
ではなく、
「復習方法、一部変更」。
こちらのほうがずっと現実的です。
「もっと頑張れ」の前に置いておきたい論文
世の中には「努力」をすすめる言葉がたくさんあります。
もう少し頑張ろう。
諦めるな。
時間を増やそう。
継続しよう。
どれも間違いではありません。
でも、疲れている人に、
「もっと走れ」
だけを言い続けるのも違うと思うのです。
靴のサイズが合っていないかもしれない。
道を間違えているかもしれない。
荷物を持ちすぎているかもしれない。
走る量を増やす前に確認できることがあります。
勉強も同じです。
「もっと勉強しなきゃ」
と思ったとき、
その前に、
「今の勉強は、ちゃんと記憶が働く形になっているだろうか」
と聞いてみる。
読むだけになっていないか。
思い出す時間はあるか。
一度学んで終わりになっていないか。
数日後に再会する予定はあるか。
その問いを一つ持っているだけでも、努力との付き合い方が少し変わります。
私なら、最後に本を閉じる
もしこの論文を読んで、今日から一つだけ何かをするとしたら。
私は、
勉強の最後に本を閉じる
ことを選びます。
10分でも30分でも、本を読んだあと。
ぱたん、と閉じる。
そして、
「今日、何を覚えた?」
と自分に聞く。
三つ出てきたら上出来。
一つでもいい。
何も出てこなかったら、
「何も出てこないな」
と確認する。
それも立派な情報です。
そして、また本を開けばいい。
人生には、一回で覚えなければいけないことなんて、案外そんなに多くありません。
忘れたら戻る。
わからなければ調べる。
思い出せなければ、もう一度会う。
その繰り返しでいいのだと思います。
Dunloskyらの論文は、勉強法についての大きなレビューです。
でも私の中に最後まで残ったのは、
「練習テストが高評価」
というランキングだけではありませんでした。
人間は、何度も忘れながら学んでいい。
そして、
うまく覚えられないとき、自分を責める以外にも打てる手がある。
そんなことでした。
心理学の論文というものは、ときどき不思議です。
研究者は「学習技法の有用性」を調べている。
でも読み手の私は、その横で勝手に、
「人間はもう少し、自分の失敗に寛大でもいいんじゃないか」
などと考えている。
論文からすれば、
「そこまでは書いてません」
と言われそうです。
はい、承知しております。
これは研究結果ではなく、管理人の読後感です。
それでも、いい論文というのは、答えを一つ増やすだけではなく、自分を見る角度を一つ増やしてくれるものなのだと思います。
さて。
ここまで読んだ内容を、どれくらい覚えているでしょうか。
……と聞くと急に試験みたいですね。
大丈夫です。
忘れていても。
また会いに来ればいいのです。

制作ノート
出典論文:Dunlosky, J., Rawson, K. A., Marsh, E. J., Nathan, M. J., & Willingham, D. T.(2013). Improving Students’ Learning With Effective Learning Techniques: Promising Directions From Cognitive and Educational Psychology. Psychological Science in the Public Interest, 14(1), 4–58. DOI:10.1177/1529100612453266
掲載・確認先:PubMed / Google Scholar / SAGE Journals
記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。
制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。





