練習しても上達しないのはなぜ?努力だけでは説明できない実力差

努力だけでは説明できない昼寝をする女性
adler-nap

上達しない自分を、努力不足だけで裁かないために

『「練習すれば一流になれる」はどこまで本当か? 音楽・ゲーム・スポーツ・教育・専門職における意図的練習と成果のメタ分析』ブルック・N・マクナマラ、デイヴィッド・Z・ハンブリック、フレデリック・L・オズワルド(2014)

Macnamara, B. N., Hambrick, D. Z., & Oswald, F. L.(2014).
Deliberate Practice and Performance in Music, Games, Sports, Education, and Professions: A Meta-Analysis.
Psychological Science, 25(8), 1608–1618.
DOI:10.1177/0956797614535810

上達しない自分を、努力不足だけで裁かないために

「これだけ練習しているのに、どうして上達しないんだろう」

そんなふうに、ため息をついたことはないでしょうか。

楽器を毎日弾いているのに、同じところで指がもつれる。資格試験の勉強を続けているのに、模試の点数がなかなか上がらない。仕事を早く覚えようとメモを取っているのに、隣の人は自分より先にスイスイ進んでいく。

すると、心の中に住んでいる少々せっかちな監督が、腕を組んでこう言い始めます。

「練習が足りないんじゃないか?」

「本気で努力していないからだろう」

「もっと頑張れば、きっと追いつけるはずだ」

たしかに、上達するために練習は欠かせません。ピアノの前に一度も座らず、ある朝突然ショパンが弾けるようになる人は、たぶん現れません。サッカーボールを一度も蹴らずに、目覚めたら代表選手になっていたという話も、今のところニュースにはなっていません。

けれども、ここで少し気になることがあります。

同じくらい練習しているように見えるのに、伸び方にはなぜ差があるのでしょうか。

上達しないのは、本当にすべて「努力不足」で説明できるのでしょうか。

「練習すれば一流になれる」は、どこまで本当なのか

上達について語られるとき、よく登場するのが「意図的練習」という言葉です。

意図的練習とは、ただ何となく同じ作業を繰り返すことではありません。自分の弱点を見つけ、少し難しい課題に取り組み、間違いを確認しながら能力を高めていく練習です。

たとえば、ピアノで最初から最後まで気持ちよく一曲を弾くのではなく、うまく弾けない二小節を取り出して、速度を落とし、何度も修正する。スポーツなら、得意なプレーばかり楽しむのではなく、苦手な動きをコーチに見てもらいながら直していく。

楽しいかと聞かれると、意図的練習は少し目をそらすかもしれません。

「楽しいというより、効くほうを担当しております」

そんな顔をした練習です。

これまで、専門家や一流選手が高い実力を身につけるうえで、こうした練習が重要だと考えられてきました。そこから広まったのが、「十分に練習すれば、誰でも一流になれるのではないか」という希望です。

努力によって未来を変えられるという考えは、私たちを勇気づけてくれます。

一方で、この考え方には少し困った副作用もあります。

結果が出ないときに、

「まだ努力が足りない」

「上達しない自分が悪い」

と、自分を責めやすくなってしまうことです。

練習という薬を飲んでも思うような変化が出ないと、「薬がすべてではないのかもしれない」と考える前に、「自分の飲み方が悪い」と責めてしまうのです。

練習は大切。でも、実力のすべてではない

心理学者のブルック・N・マクナマラ、デイヴィッド・Z・ハンブリック、フレデリック・L・オズワルドは、2014年に、意図的練習と実力の関係を調べた研究をまとめて分析しました。

対象となったのは、音楽だけではありません。ゲーム、スポーツ、教育、そして専門職まで、さまざまな分野の研究が集められました。

研究者たちが確かめようとしたのは、次のような問いです。

「人と人との実力差は、意図的練習によってどのくらい説明できるのか?」

結果から見えてきたのは、白か黒かでは割り切れない答えでした。

意図的練習は、たしかに実力と関係していました。つまり、練習なんて意味がない、という話ではありません。

しかし同時に、練習だけですべての実力差を説明することもできませんでした。さらに、練習との関係の強さは、音楽、スポーツ、教育、専門職など、活動する分野によっても異なっていました。

練習は、上達という料理に欠かせない大切な材料です。

けれども、練習だけを鍋いっぱいに入れれば、必ず同じ料理が完成するわけではありません。始めた年齢、経験、指導方法、環境、体調、向いている学び方など、ほかの材料も静かに味を変えている可能性があります。

この記事では、マクナマラたちの研究をもとに、意図的練習が実力差をどの程度説明していたのか、分野によって結果がどう違ったのかを、わかりやすく見ていきます。

「練習しても伸びない自分は、努力が足りないのだろうか」

そう悩んでいる方にとって、この研究は努力を捨てる理由ではありません。

むしろ、努力だけを裁判官にして、自分へ有罪判決を出さないための資料になるはずです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文をひとことで言うと

「意図的な練習は上達に役立つ。でも、実力差のすべてを説明できるわけではない」という論文です。

もう少しくだけた言い方をするなら、

「練習部長、大事な仕事をしています。でも、あなた一人で会社を回しているわけではありません」

という研究です。

これまで、「一流になるには、とにかく質の高い練習を積み重ねることが重要だ」と広く考えられてきました。もちろん、それ自体は間違いではありません。

ピアノを上達したいのに、ピアノのふたを閉じたまま毎日眺めていても、指はほとんど育ちません。英語を話せるようになりたいのに、単語帳を枕の下に敷いて眠るだけでは、朝になって急に英語で夢の解説ができるようにもならないでしょう。

上達には、やはり練習が必要です。

なかでも「意図的練習」と呼ばれるものは、ただ回数を重ねるだけの練習とは違います。自分の苦手なところを見つけ、少し難しい課題に取り組み、間違いを確かめ、修正を繰り返していく練習です。

つまり、

「できることを気持ちよく百回やりました」

ではなく、

「できないところを見つけたので、そこに小さな作業机を置いて、しばらく向き合いました」

という練習です。

マクナマラたちは、こうした意図的練習が、実際の成績や実力の違いとどのくらい関係しているのかを調べました。

しかも、一つの実験だけを見て「はい、結論です」と判定したわけではありません。音楽、ゲーム、スポーツ、教育、専門職など、さまざまな分野で行われた研究を集め、全体としてどのような傾向があるのかを分析しました。

その結果、意図的練習は、たしかに高い成績や実力と関係していました。

ここは大切です。

この論文は、

「練習なんて意味がありません。ソファで寝ていましょう」

と提案した研究ではありません。

練習は、ちゃんと働いていました。欠勤していたわけではありません。

ただし、実力の違いをどのくらい説明できるかを見ると、意図的練習だけでは説明できない部分がかなり残っていたのです。

しかも、その割合は分野によって違っていました。

ゲームや音楽、スポーツでは、意図的練習と実力の関係が比較的大きく見られました。一方で、教育や専門職では、その関係はずっと小さくなっていました。

つまり、「練習すればするほど、どの分野でも同じように結果へつながる」という単純な話ではなかったのです。

努力か才能か、という二択ではない

ここで、すぐにこんな結論へ走りたくなる人もいるかもしれません。

「なるほど。では、結局は才能で決まるということですね」

しかし、論文はそこまで言っていません。

意図的練習で説明できなかった部分が、すべて生まれつきの才能だと証明されたわけではないからです。

実力には、練習以外にもさまざまな要因が関係すると考えられます。

たとえば、練習を始めた年齢、指導者から受けられる助言、家庭や職場の環境、使える時間、体調、これまでの経験、目標の立て方、課題との相性などです。

同じ「100時間練習した」という人でも、その中身は同じとは限りません。

一人は、専門家から毎回具体的な助言をもらいながら、苦手な部分を集中的に練習しているかもしれません。

もう一人は、一人で同じ間違いを繰り返しながら、

「今日も三時間やった。努力メーター、満タンです」

と満足しているかもしれません。

練習時間は同じでも、そこで起きていることはかなり違います。

また、仕事や教育のような分野では、成果を左右する条件が複雑です。知識や技能だけでなく、人間関係、組織の仕組み、役割、運、評価する人の基準なども入り込んできます。

料理の腕前を比べたいのに、片方には新しい調理器具があり、片方の台所ではなぜか蛇口が外れかけている。そんな状況で「練習時間だけを比べましょう」と言っても、話はそう簡単ではありません。

この論文が示したのは、「努力か才能か」という対決の勝者ではありません。

むしろ、

「実力は、練習という一本の柱だけで立っている建物ではない」

ということです。

練習は大切な柱です。しかし、環境、経験、指導、個人差など、ほかの柱も建物を支えています。

「もっと頑張れ」だけでは、原因を見失う

この研究が私たちの日常に教えてくれるのは、上達しない人へ、すぐに「努力が足りない」と言わないことの大切さです。

もちろん、本当に練習量が足りない場合もあります。

けれども、練習しているのに成果が出ないときは、量を増やす前に、別のところを見る必要があるかもしれません。

練習方法は今のままでよいのか。

自分の苦手な部分を正しく見つけられているか。

誰かから具体的な助言を受けられているか。

課題の難易度は、自分に合っているか。

疲れ切った状態で、ただ時間だけを積み上げていないか。

「もっと頑張る」は便利な言葉です。

しかし、便利すぎる言葉は、ときどき原因を全部同じ箱へ放り込んでしまいます。

機械が動かないとき、何でも「電池が足りない」と判断して電池を追加し続けるようなものです。実際には、部品がずれているのかもしれませんし、使い方が違うのかもしれません。そもそも、その機械に電池を入れる場所がない可能性すらあります。

上達しないときに必要なのは、必ずしも努力の追加注文ではありません。

練習の中身を見直したり、環境を整えたり、教えてくれる人を探したり、自分に合った方法へ切り替えたりすることかもしれないのです。

この論文をひとことでまとめるなら、

練習は実力を育てる大切な力だけれど、それだけで人の成長のすべてを説明しようとすると、話が少し窮屈になる

ということです。

努力を軽く見る必要はありません。

けれども、結果が出ない人を見て、努力不足と決めつける必要もありません。

練習は、上達へ向かう重要な登場人物です。ただし、物語の主人公が一人しかいないとは限らないのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文の要点

1.意図的練習は上達に役立つが、実力差のすべては説明できない

苦手な部分を見つけ、助言を受けながら修正を重ねる「意図的練習」は、音楽やスポーツなどの実力と関係していました。

つまり、この論文は、

「練習は意味がありません。今日は道具を片づけて、お茶にしましょう」

と言っているわけではありません。

練習は、きちんと上達に関わっています。ただし、研究をまとめて分析すると、意図的練習だけでは説明できない実力差も多く残りました。

練習は重要な登場人物ですが、一人で全編を演じる主演・脚本・照明・受付係ではなかった、ということです。

2.練習の影響は、取り組む分野によって大きく異なる

意図的練習によって説明できた実力差の割合は、ゲームで約26%、音楽で約21%、スポーツで約18%でした。

一方、教育では約4%、専門職では1%未満でした。

同じ「練習」でも、どの分野で行うかによって、成績や成果との関係はかなり違っていたのです。

楽器や競技のように、技能や成果を比較的はっきり測りやすい分野では、練習の影響が表れやすいのかもしれません。反対に、教育や仕事では、知識や技能だけでなく、職場環境、人間関係、役割、評価方法など、多くの条件が入り込みます。

会社員の成果を練習時間だけで説明しようとすると、人間関係や仕事の割り振りが会議室の外から、

「私たちの存在を忘れていませんか」

とノックしてくるわけです。

3.上達しない理由を、すぐに「努力不足」と決めつけない

この研究から学べる大切な点は、結果が出ない人に対して、すぐに「もっと頑張ればいい」と結論づけないことです。

練習しても伸びないときは、単純に時間が足りない場合もあります。しかし、練習方法が合っていない、具体的な助言を受けられない、課題が難しすぎる、疲労がたまっているなど、別の条件が影響している可能性もあります。

そこで必要なのは、努力量だけを追加することではなく、

「どこでつまずいているのか」

「方法や環境を変えられないか」

と考えることです。

料理がうまくできないたびに、火力だけを強くすればよいとは限りません。材料を確認したり、手順を見直したり、鍋の底が焦げていないかを確かめたりする必要があります。

この論文の要点は、練習を軽く見ることではありません。

練習を大切にしながらも、人の実力や成長を、努力だけで乱暴に説明しないこと。

そこに、この研究が差し出した冷静でやさしい視点があります。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究の背景:「1万時間の法則」は本当?練習量だけで実力差を説明できるのか

「一流になりたければ、まずは一万時間練習しなさい」

こんな話を、どこかで聞いたことがあるかもしれません。

一万時間と聞くと、なかなかの長旅です。毎日三時間練習しても、およそ九年。軽い気持ちで出発したら、途中で季節が何度も着替えます。

この考えのもとになったのが、専門家や一流の演奏家が、どのように高い能力を身につけたのかを調べた研究です。

そこで注目されたのが、ただ長く続けるだけではなく、苦手な部分を見つけ、難しい課題に挑み、助言を受けながら修正を重ねる「意図的練習」でした。

たしかに、一流の人ほど多くの時間を練習に使っている。

それなら、

「質の高い練習を十分に積めば、誰でも一流へ近づけるのではないか」

という考えが生まれるのは自然です。

努力によって能力を伸ばせるという話は、希望があります。生まれつきの才能だけで未来が決まるのではなく、これから何をするかにも意味があるからです。

けれども、その希望が元気よく走り出すうちに、少しずつ話が大きくなっていきました。

「練習は上達に重要である」が、いつの間にか、

「十分に練習すれば、ほとんど誰でも一流になれる」

「実力差は、練習量の違いで説明できる」

という意味で受け取られるようになったのです。

研究の慎重な文章が、世間を一周して帰ってきたら、ずいぶん筋肉質な名言になっていました。

練習が大切なことと、練習ですべて決まることは別の話

ここで区別しなければならないことがあります。

練習が実力を伸ばすことと、人と人との実力差が、ほとんど練習だけで決まることは同じではありません。

たとえば、睡眠が仕事の集中力に大切だからといって、仕事の成果がすべて睡眠時間で決まるわけではありません。

よく眠っていても、仕事の説明が曖昧だったり、必要な道具がなかったり、上司の指示が朝と夕方で反対になったりすれば、成果は安定しません。

睡眠は大切です。しかし、職場の混乱まで布団に責任を負わせるのは酷というものです。

練習も同じです。

上達には練習が必要だとしても、実力にはほかの条件も関わる可能性があります。

練習を始めた時期、指導者の質、練習できる環境、体の特徴、記憶や注意の個人差、過去の経験、本人に合った学習方法などです。

さらに、音楽、スポーツ、学校の成績、仕事の成果では、求められる能力も評価方法も違います。

ピアノなら、演奏の正確さや表現をある程度はっきり評価できます。

スポーツなら、タイムや得点など、結果が数字に表れやすいでしょう。

一方、仕事ではどうでしょうか。

知識や技術だけでなく、協力する相手、任される仕事、職場の仕組み、景気、顧客との相性まで入ってきます。練習が成果を説明しようと壇上に立ったところへ、環境や人間関係がぞろぞろ現れて、

「私たちも関係者です」

と名刺を置いていくわけです。

研究ごとに答えが違っていた

当時、意図的練習と実力の関係を調べた研究は、すでに数多く発表されていました。

しかし、それぞれの研究が扱う分野や参加者、練習の測り方、実力の評価方法は同じではありませんでした。

ある研究では音楽家を調べ、別の研究ではスポーツ選手を調べる。

本人に過去の練習時間を思い出してもらう研究もあれば、記録をもとに確認する研究もある。

実力についても、試験の点数を使う場合もあれば、競技成績や専門家の評価を使う場合もあります。

これでは、一つの研究だけを取り出して、

「練習が実力差をほとんど説明します」

あるいは、

「練習の影響は小さいです」

と結論づけるのは難しくなります。

研究ごとに答えが少しずつ違い、会議室では全員が別々の資料を持っている状態でした。

そこで必要になったのが、これまでの研究を集めて、全体としてどのような傾向があるのかを確かめることです。

マクナマラたちは、音楽、ゲーム、スポーツ、教育、専門職という複数の分野を対象にした研究をまとめて分析しました。

知りたかったのは、単純です。

意図的練習は、実力の違いを実際にどのくらい説明できるのか。

そして、

その大きさは、どの分野でも同じなのか。

ということでした。

この研究が始まる前から、練習が大切であることは、多くの人が認めていました。

まだよくわかっていなかったのは、練習が必要かどうかではありません。

練習という一つの要因に、実力の物語をどこまで任せてよいのか。

そこが、この論文が改めて確かめようとした問題だったのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究方法:意図的練習の効果をどう調べた?5分野の研究をまとめたメタ分析

今回の研究で、マクナマラたちは新しく参加者を集めて、

「それでは皆さん、今日から一万時間練習してください。九年後にまた会いましょう」

という実験をしたわけではありません。

九年後となると、研究者も参加者も予定表を確認するだけで少し遠い目になります。

研究者たちが行ったのは、これまでに世界各地で発表されてきた研究を集め、その結果をまとめて調べるメタ分析です。

メタ分析とは、簡単に言えば、同じような疑問を調べた複数の研究を一つの大きなテーブルに並べ、全体としてどのような傾向があるのかを見る方法です。

一つの研究だけを見ると、参加者の特徴や調べ方によって、結果がたまたま大きくなったり、小さくなったりすることがあります。

そこで、

「こちらの研究では、練習と実力の関係が強いそうです」

「いえ、こちらではそれほど強くありません」

と別々に話している研究を集めて、

「では、全員の資料を並べて、全体として確かめてみましょう」

と研究会議を開いたわけです。

9,331件の候補から、条件に合う88研究を選んだ

研究者たちは、論文データベースやGoogle Scholarなどを使い、意図的練習と実力の関係を扱った研究を広く探しました。

その結果、最初に集まった候補は9,331件です。

数字だけを見ると、研究資料というより、引っ越し前の本棚です。全部を机に積んだら、研究者の姿が見えなくなりそうです。

もちろん、見つかった研究を何でも分析へ入れたわけではありません。

対象となる研究には、主に次のような条件が必要でした。

意図的練習にあたる活動を、どのくらい積み重ねてきたかが測られていること。

音楽、競技成績、試験の点数、仕事上の技能など、実力を示す指標が測られていること。

そして、練習量と実力の関係を計算できるだけの情報が報告されていることです。

こうした条件で絞り込んだ結果、最終的に88の研究が分析対象となりました。その中には111の独立した参加者集団が含まれ、参加者の合計は11,135人でした。

音楽だけでなく、スポーツや仕事まで調べた

集められた研究は、一つの分野だけを扱ったものではありません。

研究者たちは、意図的練習が調べられてきた分野を、主に次の五つに分けました。

音楽、ゲーム、スポーツ、教育、専門職です。

音楽には楽器演奏などが含まれ、ゲームにはチェスなどの技能が含まれます。スポーツでは競技成績、教育では学校の成績や学習成果、専門職では仕事上の技能や成果が扱われました。

このように分野を分けたのは、「練習の効果は、何に取り組む場合でも同じなのか」を確認するためです。

たとえば、チェスのようにルールや勝敗がはっきりしている活動と、職場での成果のように人間関係や環境まで入り込む活動では、練習の働き方が違うかもしれません。

ピアノの鍵盤は、昨日と今日で気分を変えて配置を入れ替えたりしません。

しかし、仕事では昨日までの担当者が異動したり、方針が変わったり、お客様から突然「最初の案に戻してください」と言われたりします。

同じ「実力」という名前でも、競技場と職場では、舞台装置がかなり違うのです。

練習した人ほど、実力も高いのかを比べた

研究者たちが中心に調べたのは、積み重ねてきた意図的練習の量と、実力の高さがどの程度結びついているかでした。

簡単に言えば、

「たくさん練習してきた人ほど、実際に高い成績を残しているのか」

という関係を確かめたのです。

そして、その関係の強さを研究ごとに取り出し、まとめて分析しました。

さらに、音楽、ゲーム、スポーツ、教育、専門職という分野によって結果が変わるか、練習時間や実力をどのような方法で測ったかによって結果が変わるかも調べました。論文では、意図的練習の累積量と実力との相関を、分析の中心となる指標として用いています。

ここで大切なのは、この研究が「練習をさせたら実力が上がったか」を直接試す実験ではないことです。

過去の研究で報告された練習量と実力の関係をまとめた研究なので、結果からわかるのは、主に練習量と実力がどの程度関連していたかです。

したがって、

「この練習をすれば、必ずこのくらい上達する」

と未来を予言する研究ではありません。

また、練習と実力に関係が見つかっても、その関係がすべて練習の効果だけで生まれたとは限りません。

実力が高くなったからこそ練習を続けやすかった人もいるでしょう。よい指導者や環境に恵まれたことで、練習量と実力の両方が伸びた人もいるかもしれません。

今回の研究は、練習を魔法の粉として振りかけた実験ではなく、これまでに積み上げられた研究を大きな地図に並べ、

「意図的練習と実力は、実際にはどのくらい結びついているのか」

を見渡した研究です。

一枚の写真では見えにくかった景色を、88の研究から少し高い場所へ登って眺めた。

それが、この論文の研究方法だったのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この研究でわかったこと:意図的練習は実力差をどこまで説明できた?5分野で見えた効果の違い

「質の高い練習を積めば、実力はどこまで伸びるのか」

マクナマラたちが複数の研究をまとめて分析したところ、意図的練習は、たしかに高い実力と関係していました。

ですから、最初に大切なことを確認しておきましょう。

この研究は、

「練習しても意味はありません。道具をしまって昼寝をしましょう」

という結論ではありません。

練習は、ちゃんと仕事をしていました。

ただし、実力差のすべてを一人で引き受けるほど、万能ではなかったのです。

練習で説明できた実力差は、分野によって違った

意図的練習によって説明できた実力差の割合は、次のようになりました。

ゲームでは約26%、音楽では約21%、スポーツでは約18%、教育では約4%、専門職では1%未満です。

ここでいう「26%」とは、ゲームの実力が26%だけ伸びた、という意味ではありません。

人によって実力に差があるとき、その違いのうち、意図的練習の量との関係で説明できた部分がおよそ26%だった、という意味です。

たとえば、同じゲームに取り組んでいる人たちの実力差を100個の小箱に分けたとします。

そのうち約26箱については、意図的練習との関係が見つかった。しかし、残りの箱には、練習以外の要因が入っている可能性がある、というイメージです。

音楽なら約21箱、スポーツなら約18箱です。

教育では約4箱、専門職では1箱に届きませんでした。

数字を並べると少し冷たく見えますが、研究が言っていることはかなり人間的です。

同じ「練習」でも、どの世界で行うかによって、成果との結びつき方は違う。

これが、この研究でわかった大きなポイントです。

意外だったのは、仕事や教育で関係が小さかったこと

この結果でもっとも意外なのは、専門職や教育では、意図的練習によって説明できる実力差がかなり小さかったことです。

「練習すればうまくなる」という話を聞くと、私たちは、どの分野でも同じように当てはまる気がします。

ピアノで効果があるなら、勉強でも仕事でも、同じように練習量が成果を決めるのではないか。

そんなふうに考えたくなります。

ところが、研究結果は、

「少々お待ちください。分野ごとに事情が違います」

と手を挙げました。

ゲームやスポーツでは、勝敗、得点、タイム、順位など、成果を比較的はっきり測れます。

ルールも定められており、何を練習すればよいかも見つけやすいでしょう。

苦手な動きを繰り返し、結果を確認し、修正する。このような意図的練習の仕組みが、実力へ反映されやすい分野だと考えられます。

一方、仕事の成果はどうでしょうか。

営業成績一つを見ても、本人の技能だけでなく、担当する地域、商品の人気、景気、顧客との相性、職場の支援などが関わります。

どれほど練習を積んでも、会社の方針が月曜日と金曜日で別人になっていれば、成果は安定しません。

教育も同じです。

成績には、勉強方法だけでなく、授業内容、家庭環境、睡眠、試験への慣れ、基礎知識など、多くの条件が関わります。

そのため、仕事や教育では、意図的練習が重要であっても、それだけを取り出して成果を説明するのが難しいのでしょう。

「残りは全部、才能」という意味ではない

ここで、数字を見た人の頭に、ある人物が勢いよく入室してくるかもしれません。

「では、練習で説明できない残りは、全部才能ですね?」

少しお待ちください。

この人物には、いったん廊下で待ってもらいましょう。

この研究は、意図的練習で説明できなかった部分が、すべて生まれつきの才能であると証明したわけではありません。

練習以外にも、実力と関係する可能性のあるものはたくさんあります。

指導者から受けられる助言、練習を始めた年齢、家庭や職場の環境、本人に合った学び方、健康状態、過去の経験、やる気を保てる条件などです。

たとえば、同じ百時間を練習した二人でも、一人は専門家から具体的な助言を受け、もう一人は間違った方法を一人で繰り返していたかもしれません。

練習時間の数字は同じでも、中身まで同じとは限りません。

また、もともと得意だったからこそ楽しく続けられ、結果として練習時間が増えた可能性もあります。

つまり、

「練習したから実力が高くなった」

という流れだけでなく、

「実力が伸びたから練習を続けやすくなった」

という流れも考えられるのです。

練習と実力は、どちらか一方だけが相手を引っ張る一方通行ではなく、互いに背中を押し合っている可能性があります。

練習の効果は、測り方によっても変わった

この研究では、練習時間や実力をどのように測ったかによっても、結果の大きさが変わることが示されました。

たとえば、過去にどれくらい練習したかを本人の記憶だけで答えてもらう方法では、正確な時間を思い出すのが難しい場合があります。

「中学生のころは、毎日かなり練習していました」

と言われても、その「かなり」が一時間なのか、三時間なのかは、人によって違います。

人間の記憶は、図書館の司書というより、ときどき話を盛る昔話の語り手です。

また、実力についても、本人や指導者の評価を使うのか、試験の点数や競技記録などの客観的な指標を使うのかで、結果が変わる可能性があります。

つまり、「練習はどのくらい実力に関係するのか」という問いには、何を練習と呼び、実力をどう測ったかも影響するのです。

この点も、結果を単純に受け取れない理由の一つです。

練習は大切だが、万能の説明ではなかった

この研究からわかったのは、意図的練習には意味があるということです。

ゲーム、音楽、スポーツを中心に、意図的練習を多く積んだ人ほど、高い実力を示す傾向がありました。

しかし、その関係は分野によって大きく異なり、実力差の多くは練習だけでは説明できませんでした。

ここが、この結果のおもしろいところです。

「練習は重要か、重要ではないか」という二択ではありません。

正しくは、

練習は重要である。ただし、重要であることと、すべてを決めることは別である

という答えでした。

練習は、上達という舞台の中心近くに立っています。

けれども、舞台の上には、環境、指導、経験、個人差、体調など、ほかの出演者もいます。

練習だけにスポットライトを当て続けると、舞台の隅で重要な役を演じているものを見落としてしまいます。

だからこそ、努力しても思うように伸びないときには、

「自分はまだ頑張っていない」

と決めつける前に、

「練習方法や環境など、ほかに見直せる条件はないだろうか」

と考えてよいのです。

この研究結果は、努力を小さくするものではありません。

努力にすべての責任を背負わせず、もう少し広い目で人の成長を見るための結果なのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ここが面白い:上達しないのは努力不足?分野によって変わった練習の効果

この研究の面白いところは、意図的練習が「役に立つか、立たないか」を決めたことではありません。

もっと面白いのは、練習の働き方が、取り組む分野によってずいぶん違っていたことです。

ゲームでは、意図的練習によって実力差の約26%が説明されました。音楽では約21%、スポーツでは約18%です。

ところが、教育では約4%。専門職になると、1%未満でした。

同じ「練習」という名前をつけていても、ゲームの世界では比較的よく働き、仕事の世界では急に口数が少なくなったのです。

「先ほどまで元気に説明していましたよね?」

と尋ねたくなりますが、練習にも働きやすい職場と、そうでない職場があるのでしょう。

ピアノは鍵盤が動かない。でも、仕事は舞台ごと動く

なぜ、分野によってこれほど違いが出たのでしょうか。

この研究だけで、その理由がすべて明らかになったわけではありません。ただ、分野ごとの特徴を考えると、いくつかのことが見えてきます。

たとえば、ピアノの鍵盤は、基本的に昨日と同じ場所にあります。

今日は上司の都合で「ド」の位置が右端へ異動しました、ということはありません。

スポーツにも決められたルールがあります。陸上競技で百メートルを走る途中、主催者が突然、

「本日からゴールを斜め後ろへ変更します」

と言い出すことも、通常はないでしょう。

こうした分野では、何を練習すればよいかが比較的わかりやすく、成果もタイム、得点、勝敗、演奏の正確さなどで確認できます。

苦手な動きを見つける。練習する。結果を確かめる。修正する。

この循環が回りやすいのです。

ところが、仕事はもう少し騒がしい世界です。

本人がどれほど練習しても、担当する仕事、職場の人間関係、上司の指示、景気、顧客との相性、評価制度などによって、結果が変わります。

昨日まで「自分で考えて動いてください」と言われていたのに、今日は「勝手に判断しないでください」と注意されることもあります。

練習した本人は同じでも、舞台装置のほうが勝手に回転しているのです。

教育も同様です。

勉強時間や学習方法だけでなく、もともとの基礎知識、睡眠、家庭環境、授業との相性、試験の形式など、多くの要因が成績に関わります。

つまり、分野が複雑になるほど、「本人がどれほど練習したか」だけでは結果を説明しにくくなる可能性があります。

努力は万能ではない。でも、無意味でもない

この研究結果を見ると、つい両極端な結論へ走りたくなります。

一つは、

「やはり努力こそすべてだ」

という結論です。

もう一つは、

「練習で説明できる割合がこの程度なら、努力なんて意味がない」

という結論です。

しかし、この論文は、そのどちらにも「少し落ち着いてください」とお茶を出しています。

意図的練習は、実力と関係していました。

とくにゲーム、音楽、スポーツでは、無視できない関係が見られています。だから、練習は決して飾りではありません。

一方で、説明できた割合が最も大きかったゲームでも約26%です。

残りの実力差については、意図的練習だけでは説明できませんでした。

ここが、実に味わい深いところです。

練習は大切です。

けれども、大切であることと、すべてを決めることは同じではありません。

水は植物を育てます。しかし、水だけを大量に注げば、必ず立派に育つわけではありません。土、日光、気温、根の状態も必要です。水やり担当だけに植物の人生を背負わせるのは、少々荷が重いでしょう。

練習も、それと似ています。

「残り74%は才能です」という話ではない

ゲームで練習が実力差の約26%を説明したと聞くと、

「では、残りの74%が才能なのですね」

と計算したくなるかもしれません。

しかし、その計算はできません。

練習で説明できなかった部分には、生まれつきの個人差だけでなく、指導者、環境、健康状態、過去の経験、始めた年齢、練習方法の質など、さまざまなものが含まれる可能性があります。

そもそも、意図的練習の量を正確に測ること自体が簡単ではありません。

「十年前、毎週どのくらい集中して練習しましたか?」

と聞かれても、人間の記憶はきっちりした勤怠管理表を提出してくれません。

「たしか、かなり頑張っていました」

と、少し霧のかかった回答を差し出してきます。

そのため、この研究から言えるのは、

「練習で説明できない部分は、すべて才能である」

ということではありません。

正しくは、

「意図的練習以外にも、実力差に関わるものがありそうだ」

ということです。

研究は、才能に王冠をかぶせたのではありません。

練習一人に着せていた王様の衣装を脱がせて、ほかの関係者にも席を用意したのです。

努力を称える言葉が、人を責める言葉に変わるとき

「努力すれば成長できる」という言葉は、本来、人を励ますためのものです。

過去や生まれつきの条件だけで未来が決まるのではない。これからの行動にも意味がある。

それは、とても希望のある考え方です。

しかし、その言葉が強くなりすぎると、結果が出ない人を責める道具にもなります。

「成功した人は努力した」

という話が、いつの間にか、

「成功していない人は努力しなかった」

へ変わってしまうのです。

けれども、この二つは同じではありません。

傘を持っていた人が雨にぬれにくかったからといって、ぬれた人全員が傘を持つ努力を怠ったとは限りません。

強い風で壊れたのかもしれません。傘を買える店が近くになかったのかもしれません。誰かに貸していたのかもしれません。

結果だけを見て、そこまでの条件を一つに決めることはできないのです。

この研究は、練習の価値を下げるというより、努力という言葉の使い方を少し丁寧にしてくれます。

頑張って成果を出した人には、「よく努力したね」と言える。

同時に、頑張っても成果が出なかった人には、「努力が足りなかったね」と簡単に言わずに済む。

この二つは、ちゃんと両立します。

伸びないときは、自分ではなく仕組みを疑ってみる

練習しても伸びないとき、私たちは自分の性格を疑いがちです。

「根性がない」

「集中力が足りない」

「自分には向いていない」

しかし、この研究を踏まえると、別の問いも持てるようになります。

練習している内容は、本当に今の課題に合っているだろうか。

自分の弱点について、具体的な助言を受けられているだろうか。

結果を確認し、方法を修正できる仕組みがあるだろうか。

疲れすぎて、練習がただの時間消費になっていないだろうか。

そして、そもそも今いる環境は、努力が成果へつながりやすい場所なのだろうか。

植物が育たないとき、毎日植物に向かって、

「君の成長意欲が足りません」

と説教しても、あまり効果はありません。

日当たりや土の状態を確かめるほうが先です。

人間も、案外それに近いのかもしれません。

この研究の面白さは、「努力には限界がある」と冷たく線を引いたことではありません。

努力が報われないとき、努力した人だけを点検するのではなく、その人を囲む方法や環境まで見てよいと教えてくれたこと。

そこに、この論文が数字の奥から差し出してくる、静かで大切な視点があります。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

私たちの生活にどう活かせる?:練習しても上達しないときは?努力を増やす前に見直したい3つのこと

練習しているのに、なかなか上達しない。

そんなとき、私たちは反射的にこう考えがちです。

「まだ練習時間が足りないのかもしれない」

そして、昨日まで一時間だった練習を二時間に増やします。それでも変わらなければ三時間。さらに成果が出なければ、休憩時間まで練習へ差し出そうとします。

気がつけば、努力が自宅のドアを開けて、

「本日から、こちらに住ませていただきます」

と布団を運び込んでいるかもしれません。

もちろん、練習量が足りない場合もあります。何かを身につけるには、ある程度の時間が必要です。

しかし、マクナマラたちの研究が示したのは、意図的練習が実力差のすべてを説明するわけではないということでした。

つまり、伸びないときに点検すべきなのは、努力量だけではありません。

ただし、ここで一つ注意があります。

この研究は、「次の三つを実行すれば必ず上達する」と直接証明したものではありません。ここから紹介するのは、研究結果を日常生活へ橋渡しするときに考えられる、現実的な見直し方です。

努力の追加注文をする前に、まずは次の三か所をのぞいてみましょう。

1.練習時間ではなく、「何につまずいているか」を見る

一つ目は、練習の量よりも、練習している内容を確認することです。

たとえば、英語を話せるようになりたい人が、知っている単語ばかり何度も書いていたとします。

ノートは美しく埋まります。努力した満足感もあります。ペンも「本日はよく働きました」と静かに横たわっています。

けれども、本人が困っているのが「会話になると緊張して言葉が出ないこと」なら、単語を書き続けるだけでは、中心の課題に届いていないかもしれません。

楽器でも同じです。

最初から最後まで一曲を何度も弾くのは、達成感があります。しかし、毎回同じ二小節でつまずくなら、その二小節を小さく切り出して練習したほうがよいでしょう。

仕事なら、「もっと速く作業しよう」と全体の速度を上げる前に、どの工程で時間がかかっているのかを確認します。

資料を探す時間が長いのか。

手順を覚えきれていないのか。

完成後の確認で何度もやり直しているのか。

つまずいている場所が違えば、必要な練習も変わります。

上達しないときには、

「何時間やったか」

だけではなく、

「その時間で、どの課題を改善しようとしたか」

を見てみましょう。

努力は、向かう方向がわからないまま走らせると、とても働き者の迷子になります。

2.一人で頑張り続けず、具体的なフィードバックをもらう

二つ目は、自分では見えにくい間違いを、ほかの人に確認してもらうことです。

人は、自分のやり方を自分だけで点検するのが、あまり得意ではありません。

間違ったフォームを正しいと思って練習すれば、間違ったフォームだけが立派に育ちます。

本人は毎日熱心に水をやっているのですが、育てているのが雑草だった、ということも起こります。

そこで役立つのが、具体的なフィードバックです。

ただし、

「もっと頑張って」

「もう少し丁寧に」

だけでは、具体的とは言えません。

言われた側の頭には、

「どこを、どのように?」

という小さな会議が始まります。

役立ちやすいのは、

「説明の最初に結論を伝えると、相手が理解しやすくなる」

「右足を出すタイミングが少し早い」

「この計算方法では、二段目で符号を間違えやすい」

というように、直す場所と方法がわかる助言です。

仕事であれば、上司や先輩に、

「もっとよくするには、どこを一つ直すとよいですか」

と聞く方法があります。

勉強なら、間違えた問題の答えだけを見るのではなく、どの考え方で道を外れたのかを先生や詳しい人に確認します。

趣味であっても、教室へ通う、経験者に見てもらう、自分の演奏や動作を録画するなど、外から見る方法があります。

もちろん、他人の助言がいつでも正しいとは限りません。

それでも、自分一人の目だけで確認するより、別の角度から光を当てることができます。

一人で長く頑張ることより、短くても修正しながら取り組むことのほうが、前へ進みやすい場合があるのです。

3.本人の根性ではなく、努力が育つ環境を整える

三つ目は、本人の性格だけでなく、練習を取り巻く環境を見ることです。

上達しないとき、私たちはすぐに「自分は意志が弱い」と考えます。

しかし、眠る時間が足りない、練習場所が落ち着かない、必要な道具がない、質問できる人がいないという状況では、どれほど真面目な人でも力を出しにくくなります。

毎日残業で疲れ切った人に、

「帰宅後に三時間、集中して勉強しましょう」

と言っても、脳は机へ向かう前に閉店準備を始めています。

子どもが宿題に集中できないときも、本人のやる気だけが原因とは限りません。

問題が難しすぎるのかもしれません。周囲が騒がしいのかもしれません。何から始めればよいかわからず、入口で立ち止まっているのかもしれません。

職場で部下が仕事を覚えられない場合も、

「本人の努力が足りない」

と決める前に、教え方や業務の仕組みを確認できます。

指示が人によって違っていないか。

一度に多くのことを任せすぎていないか。

質問すると嫌な顔をされる空気になっていないか。

失敗したときに、改善方法ではなく人格を注意していないか。

植物が育たないとき、葉っぱに向かって精神論を語る園芸家はあまりいません。

日当たり、水、土、鉢の大きさを確認します。

人の成長にも、それと似たところがあります。

努力する本人だけを点検するのではなく、努力が成果につながりやすい環境になっているかを見直すことが大切です。

頑張りを増やす前に、努力の使い道を変えてみる

この研究から日常生活へ持ち帰りたいのは、「練習には意味がない」という考えではありません。

むしろ、せっかくの努力を、ただ時間として積み上げるだけで終わらせないことです。

上達しないときには、次のように問い直せます。

自分が本当に改善したい部分はどこだろう。

今の練習方法で、その部分に触れられているだろうか。

具体的な助言を受けられる相手はいるだろうか。

休息や道具、時間、周囲の協力は足りているだろうか。

こうして見直してみると、必要なのは「さらに百回繰り返すこと」ではなく、課題を小さくしたり、誰かに教えてもらったり、休む時間を確保したりすることかもしれません。

ときには、練習を続けることより、いったん立ち止まって地図を見るほうが、目的地へ早く近づけます。

努力は、量を増やせば必ず強くなる筋肉ではありません。

向ける場所、支えてくれる人、育つ環境によって、働き方が変わります。

だから、頑張っても成果が出ないときに、

「自分は駄目だ」

と結論を急がなくてよいのです。

自分を責める代わりに、方法を変える。

孤独に続ける代わりに、助言を求める。

根性を足す代わりに、環境を整える。

それは努力から逃げることではありません。

努力がきちんと目的地へ届くように、宛先を書き直すことなのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

少し注意したい点:意図的練習は無意味だった?研究結果を読む前に避けたい3つの誤解

この研究では、意図的練習によって説明できる実力差が、分野によって大きく異なることが示されました。

ゲームでは約26%、音楽では約21%、スポーツでは約18%。一方、教育では約4%、専門職では1%未満でした。

こうした数字を見ると、頭の中に結論係が勢いよく入ってきて、こう宣言したくなるかもしれません。

「はい、わかりました。練習は思ったほど役に立たないのですね」

しかし、研究結果は、そこまで単純ではありません。

論文の数字は、よく切れる包丁に似ています。正しく使えば物事を見やすくしてくれますが、勢いよく振り回すと、研究が言っていないところまで切ってしまいます。

ここでは、この論文を読むときに気をつけたい三つの誤解を見ていきましょう。

誤解1.「練習には意味がない」と結論づけてはいけない

一つ目の誤解は、

「意図的練習で説明できる割合が思ったより小さいなら、練習には意味がない」

と考えることです。

この研究でも、意図的練習と実力の間には関係が見つかっています。

特にゲーム、音楽、スポーツでは、練習と実力差の間に無視できない関係がありました。

ですから、この論文は、

「練習は閉店しました。今後は才能だけで営業します」

と看板を掛け替えたわけではありません。

練習は、今までどおり大切です。

ただし、練習が大切であることと、練習だけですべてが決まることは別です。

たとえば、睡眠は健康に重要です。しかし、よく眠れば、食事も運動も人間関係もすべて不要になるわけではありません。

睡眠は大切な一員ですが、健康対策本部の全役職を一人で兼任しているわけではないのです。

意図的練習も同じです。

上達を支える重要な要因ではあるものの、人と人との実力差を一つですべて説明できるものではなかった。これが、この研究から言える範囲です。

誤解2.「説明できなかった部分は、すべて才能」とも言えない

二つ目の誤解は、練習で説明できなかった残りを、すべて生まれつきの才能だと考えることです。

たとえば、ゲームで意図的練習が実力差の約26%を説明したなら、

「残りの74%は才能です」

と計算したくなるかもしれません。

数字の引き算としては、きれいです。

しかし、研究の読み方としては、その式に才能を勝手に代入することはできません。

練習以外に実力へ関わるものは、才能だけではないからです。

練習を始めた年齢、受けられた指導、家庭や職場の環境、過去の経験、健康状態、使える時間、本人に合った学び方など、候補はたくさんあります。

さらに、実力が高いからこそ練習が楽しくなり、長く続けられた可能性もあります。

つまり、

「たくさん練習したから、実力が高くなった」

だけではなく、

「実力が伸びたから、さらに練習するようになった」

という流れも考えられます。

練習と実力は、片方だけが相手を引っ張る綱引きではなく、互いに背中を押している場合があるのです。

この研究でわかったのは、練習以外の要因も重要そうだということです。

その正体がすべて才能だと判明したわけではありません。

研究が空けた席へ、才能だけが勝手に座り、

「残りは全部、私の担当です」

と名札を置くことはできないのです。

誤解3.この数字が、すべての人にそのまま当てはまるわけではない

三つ目の注意点は、この研究で示された割合を、目の前の一人へそのまま当てはめないことです。

たとえば、音楽では意図的練習が実力差の約21%を説明しました。

しかし、これは、

「あなたの演奏力の21%は練習でできています」

という個人用の成分表示ではありません。

多くの研究に参加した人々をまとめて見たとき、実力の個人差と意図的練習との間に、全体としてどの程度の関係があったかを示す数字です。

ある人には練習の影響が大きいかもしれません。

別の人は、練習方法を少し変えただけで急に伸びるかもしれません。

また別の人は、体調や環境が整うまで、本来の力を出しにくいかもしれません。

平均は、集団の景色を見るには便利です。

けれども、平均値だけでは、一人ひとりがどの道を歩いてきたのかまではわかりません。

町の平均気温が20度だからといって、町中の全員が同じ服を着ているわけではないのと同じです。

「意図的練習」の測り方にも難しさがある

もう一つ、研究方法そのものにも注意が必要です。

意図的練習をどれくらい積み重ねたかは、過去の練習時間を本人に思い出してもらって調べる場合があります。

しかし、人間の記憶は、過去の予定を一分単位で保存している高性能な記録装置ではありません。

「学生時代は、毎日かなり練習しました」

と言われても、その「かなり」が一時間なのか三時間なのか、休日も含むのかは曖昧です。

昔の努力を少し多めに覚えている人もいれば、反対に、頑張った時間を忘れている人もいるでしょう。

また、何を「意図的練習」と呼ぶかも簡単ではありません。

能力を伸ばす目的で、弱点に取り組み、フィードバックを受けながら行う活動が、本来の意図的練習です。

しかし、研究によっては、個人練習や仕事上の経験など、少し広い活動まで含まれている場合があります。

料理で言えば、「小麦粉」という名前の袋に、研究ごとに少しずつ違う粉が入っているようなものです。

同じ名前でも中身が違えば、焼き上がる結果にも違いが出ます。

そのため、この論文の数字は非常に参考になりますが、意図的練習の働きを最後まで完全に測り切った数字とは限りません。

メタ分析は強力だが、材料となる研究の影響も受ける

今回使われたメタ分析は、複数の研究をまとめ、全体の傾向を確かめられる強力な方法です。

一つの研究だけを見て結論を出すよりも、広い景色を見渡せます。

ただし、メタ分析は、材料となる研究の質や測り方の影響を受けます。

研究をたくさん集めれば、どんな問題も自動的に消えるわけではありません。

少しぼやけた写真を百枚集めれば、全体の傾向は見やすくなるかもしれません。しかし、写真に写っていないものまで急に現れるわけではないのです。

また、今回の分析は、主に練習量と実力の関連をまとめたものです。

そのため、

「意図的練習を増やせば、必ずその割合だけ実力が上がる」

と直接証明した実験ではありません。

関連があることと、片方がもう片方の原因であることは、似ていますが同じではないのです。

この研究は、練習を否定したのではなく、話を丁寧にした

こうした注意点を並べると、

「では、この研究はあまり信用できないのでしょうか」

と思うかもしれません。

そうではありません。

注意点があることは、研究が無意味だということではありません。

むしろ、何がわかり、何がまだわからないかを区別することで、研究結果はより正確に使えるようになります。

この論文が示したのは、

「練習すれば誰でも同じように一流になれる」

という単純な物語には、少し補足が必要だということです。

同時に、

「結局はすべて才能で決まる」

という反対側の単純な物語も、支持していません。

練習は大切です。

才能や個人差も関係するかもしれません。

さらに、環境、指導、経験、健康、測り方など、さまざまな条件が人の実力を形づくっています。

人の成長は、一本の線ではなく、いくつもの道が合流する川のようなものです。

この論文は、その川から練習だけを追い出したのではありません。

練習という一つの支流だけを見て、川全体を説明したことにしないよう注意を促した。

そのくらいの受け取り方が、研究の甘さも小麦の味も、いちばんよく残る読み方なのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

まとめ:練習しても上達しないのは努力不足?意図的練習研究が示した結論

「練習しているのに、なかなか上達しない」

そんなとき、私たちは自分に向かって、少し厳しすぎる判決を出してしまうことがあります。

「努力が足りない」

「本気で取り組んでいない」

「もっと頑張れるはずだ」

心の中の裁判官は、こちらの事情をあまり聞かず、木づちを振り下ろします。

しかし、マクナマラたちの研究が示したのは、実力差を意図的練習だけですべて説明することはできない、ということでした。

意図的練習は、たしかに実力と関係しています。

苦手な部分を見つけ、少し難しい課題に取り組み、助言を受けながら修正する。こうした練習は、上達を支える大切な働きをしています。

練習は欠席していたわけでも、会議中に居眠りしていたわけでもありません。ちゃんと成果に関わっていました。

ただし、実力という大きな会社を、練習部だけで経営していたわけではなかったのです。

練習の働き方は、分野によって違っていた

この研究では、意図的練習によって説明できた実力差の割合が、分野ごとに異なっていました。

ゲームでは約26%、音楽では約21%、スポーツでは約18%でした。

一方、教育では約4%、専門職では1%未満です。

この結果から見えてくるのは、「練習はどんな分野でも同じように働く」という単純な世界ではありません。

ゲームやスポーツでは、ルールや目標、結果が比較的はっきりしています。何ができなかったのかを見つけ、そこを練習し、結果を確認する流れをつくりやすいでしょう。

ところが、仕事や教育になると、話はもう少しにぎやかになります。

本人の技能だけでなく、人間関係、指導方法、職場や家庭の環境、役割、評価基準、体調など、さまざまな条件が集まってきます。

努力だけで説明しようとすると、ほかの要因が会議室の外から、

「私たちの資料も見てください」

と分厚いファイルを抱えて入ってくるのです。

だから、仕事や勉強で成果が出ないとき、それをすべて本人の練習不足へ返すことはできません。

練習で説明できない部分は、すべて才能ではない

意図的練習で説明できる割合が限られていたと聞くと、

「では、残りは才能で決まるのですね」

と思うかもしれません。

しかし、この論文はそこまで明らかにしていません。

練習で説明できなかった部分には、生まれつきの個人差だけでなく、練習を始めた時期、指導者、学習環境、過去の経験、健康状態、練習方法との相性など、さまざまなものが含まれている可能性があります。

また、実力が伸びたからこそ練習が楽しくなり、さらに長く続けられた人もいるでしょう。

つまり、練習が実力を育てるだけでなく、実力の伸びが練習を続ける力になることも考えられます。

練習と実力は、駅から目的地へ走る一本の直通列車ではありません。途中でいくつもの路線が合流し、ときには乗り換えも必要になる旅なのです。

上達しないときは、努力量以外も点検してよい

この研究を私たちの生活に持ち帰るなら、成果が出ないときに、努力量だけを増やさないことが大切です。

まず、何につまずいているのかを確認する。

自分が直したい課題に、今の練習が本当に触れているかを考える。

具体的なフィードバックを受けられる相手を探す。

休息、時間、道具、周囲の協力など、練習を支える環境も見直す。

こうした点検をした結果、必要なのが練習量の追加なら、そこから増やせばよいのです。

けれども、方法がずれているのに時間だけを増やしても、ずれた方向へ元気よく進んでしまいます。

努力は働き者です。

だからこそ、正しい宛先を書いて渡してあげる必要があります。

努力を大切にしながら、努力だけで人を裁かない

この論文は、努力の価値を小さくした研究ではありません。

「どうせ努力しても意味がない」と、私たちをあきらめさせる研究でもありません。

むしろ、努力という言葉を、少し丁寧に扱うよう促した研究です。

成果を出した人に、

「よく頑張ったね」

と言うことはできます。

同時に、成果が出なかった人へ、

「頑張らなかったからだ」

と簡単に決めつけないこともできます。

この二つは矛盾しません。

努力を称えるために、結果が出ない人を責める必要はないのです。

上達できない時期には、自分の根性だけでなく、方法や環境にも目を向けてよい。

自分より速く伸びる人がいても、同じ時間を過ごせば同じ結果になるとは限らない。

そして、今の成果だけで、自分の価値まで採点する必要はありません。

練習は、上達へ向かう大切な一歩です。

けれども、歩く速さも、履いている靴も、道の傾きも、人によって違います。

だから、思うように進めない日に、

「自分は努力できない人間だ」

と物語を終わらせないでください。

地図を見直す。靴ひもを結び直す。道を知っている人に尋ねる。疲れているなら、いったん腰を下ろす。

それらもすべて、前へ進むための立派な選択です。

この研究が最後に残してくれるのは、次のような結論ではないでしょうか。

練習は、人を育てる大切な力である。
しかし、人の実力も人生も、練習時間だけで測れるほど単純ではない。

努力を軽く見ないこと。

そして、努力だけで自分や誰かを裁かないこと。

その二つを同じ机の上に置けたとき、私たちは「もっと頑張れ」だけではない、もう少しやさしく、もう少し賢い成長の見方を持てるのだと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

あとがき

この論文を読み終えて、最初に浮かんだのは、

「努力さん、ずいぶん長いあいだ、一人で背負わされてきたのですね」

という気持ちでした。

私たちは、努力という言葉が好きです。

努力は、まじめで、前向きで、物語にも使いやすい。主人公が汗を流し、失敗を乗り越え、最後に成功する。そこへ音楽が流れれば、こちらも「よし、明日から頑張ろう」と背筋を伸ばしたくなります。

努力そのものは、たしかに美しいものです。

何かをできるようになりたくて、同じことを何度も繰り返す。うまくいかなくても、昨日より少しだけ前へ進もうとする。

その姿には、数字では測れない尊さがあります。

けれども、努力が立派な言葉であるからこそ、ときどき働かせすぎてしまうのだと思います。

成功した理由も努力。

失敗した理由も努力不足。

上達したのも努力。

上達しないのも努力不足。

これでは努力さんが、会社の業績からコピー機の紙詰まりまで、すべての責任を取らされているようなものです。

「さすがに、その件は別部署ではないでしょうか」

と、努力さんも小さく手を挙げているかもしれません。

「頑張ればできる」は、希望にも刃物にもなる

「頑張ればできる」という言葉は、希望をくれます。

今の能力だけで未来が決まるのではない。練習や工夫によって、自分は変わっていける。

これは、とても大切な考え方です。

私自身も、努力して何かを身につけた経験があるからこそ、この言葉に救われてきました。

一方で、「頑張ればできる」は、結果が出ない人の胸に置かれると、急に少し重くなります。

できなかった。

では、頑張りが足りなかったのだろう。

周りの人は伸びている。

では、自分は本気ではなかったのだろう。

そんなふうに、励ますための言葉が、いつの間にか自分を責める材料へ変わることがあります。

しかし、この論文は、その考えに小さな余白をつくってくれました。

意図的練習は、実力と関係している。

でも、それだけですべての実力差を説明できるわけではない。

しかも、その関係の強さは、音楽、スポーツ、教育、仕事など、分野によって大きく違う。

この結果を見て、私は少し安心しました。

「努力しても伸びなかった時期」に対して、努力不足以外の言葉を与えてもよいのだと思えたからです。

方法が合っていなかったのかもしれない。

教えてくれる人が必要だったのかもしれない。

疲れ切っていたのかもしれない。

そもそも、努力が成果へつながりにくい環境にいたのかもしれない。

努力不足という一枚の札を貼る前に、もう少し周囲を見渡してよいのです。

努力を否定しないからこそ、努力だけで裁かない

この論文について書くとき、難しいと感じたことがあります。

それは、練習の限界を伝えながら、練習の価値まで小さくしないことです。

「意図的練習だけでは、実力差のすべてを説明できませんでした」

という結果は、受け取り方によっては、

「努力しても無駄なのか」

「結局は才能なのか」

という話になりやすいからです。

でも、私は、この論文をそうは読みませんでした。

むしろ、

「努力は大切です。ただし、努力だけを法廷へ呼び出して、すべての判決を任せないでください」

という研究に感じました。

人が伸びるかどうかは、本人の努力だけでなく、教え方、環境、時間、健康、経験、相性など、いろいろなものが重なって決まります。

同じ種を植えても、土や日当たりが違えば、育ち方は変わります。

だからといって、種に力がないわけではありません。

水やりが無意味なわけでもありません。

ただ、育たない理由を、種の根性不足だけで説明しないということです。

人間に対しても、同じくらい丁寧でありたいと思います。

人の努力は、外から見える量だけではわからない

私たちは、ほかの人の成果を見て、

「あの人は努力したから成功した」

と言います。

それは、おそらく本当でしょう。

しかし、成功した人の努力が見えるからといって、成果が出なかった人が努力していなかったとは限りません。

誰にも見えないところで、何度もやり直した人がいるかもしれません。

体調や不安と戦いながら、机の前に座った人もいるでしょう。

一時間しか取り組めなかったとしても、その一時間を始めるまでに、心の中で何時間も格闘していた人がいるかもしれません。

努力の価値は、成果だけで決まるものではない。

そう言い切るのは、科学というより私の価値観です。

けれども、この論文を読んで、その価値観をもう少し大切にしたくなりました。

成果につながった努力だけが、立派な努力ではありません。

途中で方法を変えたことも、誰かに助けを求めたことも、いったん休んだことも、長い目で見れば成長の一部です。

伸びない日は、地図を広げる日にしてもいい

努力しても上達しないとき、私たちはすぐにアクセルを踏もうとします。

もっと長く。

もっと強く。

もっと真剣に。

けれども、進んでいる方向が違っていたら、アクセルを踏むほど目的地から遠ざかることもあります。

そんなときは、止まってよいのだと思います。

何につまずいているのかを見る。

誰かにやり方を聞く。

環境を変える。

疲れているなら休む。

目標そのものを見直す。

立ち止まることは、努力をやめることではありません。

地図を広げるために、いったん荷物を下ろすことです。

「アドラーの昼寝」という名前で記事を書いていると、ときどき思います。

人は、いつも起きて走っていなくてもよいのではないか。

昼寝をするように、少し力を抜いて考え直す時間があってもよいのではないか。

努力しているのに伸びないときほど、自分を追い立てる声ではなく、

「方法を変えてみようか」

「今日は少し休もうか」

「別の道もありますよ」

という声が必要なのかもしれません。

この論文は、努力を玉座から引きずり下ろしたのではありません。

努力の隣に、環境や指導、個人差、休息のための椅子を並べたのだと思います。

そして私たちにも、こう話しかけているように感じます。

頑張ることは大切です。
でも、頑張っても届かなかった日に、自分の価値まで疑わなくていい。

努力は人生の大切な一部です。

けれども、人生は努力だけでできているわけではありません。

うまく進めない日は、自分を責める代わりに、少し椅子を引いて地図を広げてみる。

その時間もきっと、上達へ向かう静かな一歩なのだと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

制作ノート

出典論文:PubMed / Google Scholar / SAGE Journals(論文公式ページ) / Association for Psychological Science

掲載・確認先:Macnamara, B. N., Hambrick, D. Z., & Oswald, F. L.(2014).
Deliberate Practice and Performance in Music, Games, Sports, Education, and Professions: A Meta-Analysis.
Psychological Science, 25(8), 1608–1618.
DOI:10.1177/0956797614535810

記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。

制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
あわせて読みたい
仕事・勉強のパフォーマンスを高める心理学論文25選|やる気・記憶・集中・上達・職場環境
仕事・勉強のパフォーマンスを高める心理学論文25選|やる気・記憶・集中・上達・職場環境
あわせて読みたい
ブルック・N・マクナマラ(Brooke N. Macnamara)の論文一覧:練習万能説に「努力は大事。でも全部ではありません」と冷静にブレーキをかけた心理学者
ブルック・N・マクナマラ(Brooke N. Macnamara)の論文一覧:練習万能説に「努力は大事。でも全部ではありません」と冷静にブレーキをかけた心理学者
あわせて読みたい
フレデリック・L・オズワルド(Frederick L. Oswald)の論文一覧:努力に「万能カードではありません」と注意書きを添えた心理学者
フレデリック・L・オズワルド(Frederick L. Oswald)の論文一覧:努力に「万能カードではありません」と注意書きを添えた心理学者
あわせて読みたい
デイヴィッド・Z・ハンブリック(David Z. Hambrick)の論文一覧:努力に「大事です。でも才能の席まで全部取らないでください」と座席整理をした心理学者
デイヴィッド・Z・ハンブリック(David Z. Hambrick)の論文一覧:努力に「大事です。でも才能の席まで全部取らないでください」と座席整理をした心理学者
このサイトの管理人について
阿部牧歌
阿部牧歌
心理学論文のうたたね案内人
はじめまして。心理学の論文要約サイト「アドラーの昼寝」を運営している阿部牧歌です。 これまで、障がい者福祉事業所の施設長などを経て、現在は某就労支援機関にてキャリアコンサルタントとして働いています。 日々、さまざまな悩みや不安、迷いにふれる中で感じるのは、人の心はとても複雑なのに、ひとつの言葉や考え方で少し楽になることがある、ということです。心理学の論文には、そんな「心を理解するためのヒント」がたくさん詰まっています。けれど、そのまま読むには少しかたくて、専門用語も多く、気軽には近づきにくいものでもあります。 「アドラーの昼寝」では、そんな心理学の論文を、なるべくわかりやすく、やわらかく、そして少し面白く読める形にしてお届けしたいと思っています。読書が好きで、本の中を歩くように言葉を読む時間が昔から好きでした。論文もまた、少し入り口を整えるだけで、ぐっと親しみやすいものになります。 このサイトが、忙しい日々のなかでほんの少し立ち止まり、自分や誰かの心をやさしく見つめるきっかけになれば嬉しいです。
記事URLをコピーしました