仕事を中断されるとどうなる?仕事は速くてもストレスが増す実験結果

仕事を中断して昼寝をする女性
adler-nap

仕事は進んだ。なのに、なぜこんなに疲れている?

『仕事を中断される代償:作業は速くなる。でも、ストレスは増えていく』グロリア・マーク、ダニエラ・グディス、ウルリッヒ・クロッケ(2008)

Mark, G., Gudith, D., & Klocke, U.(2008). The Cost of Interrupted Work: More Speed and Stress. Proceedings of the SIGCHI Conference on Human Factors in Computing Systems(CHI ’08), 107–110. Association for Computing Machinery. DOI:10.1145/1357054.1357072

仕事は進んだ。なのに、なぜこんなに疲れている?

朝、パソコンを開いて、今日こそは仕事を一気に片づけようと思う。

「よし。まずはこの資料を仕上げるぞ」

気合いを入れて、ようやく頭のエンジンが温まってきた。そのときである。

「すみません、今ちょっといいですか?」

来た。

仕事中に現れる、あの「今ちょっといいですか?」である。

もちろん、たいていの場合は悪気などない。本当にちょっとした確認なのだろう。こちらも大人なので、にこやかに答える。

「はい、大丈夫ですよ」

しかし、心の奥にいる小さな自分は、机をバンバン叩いている。

「今、やっと集中し始めたところだったのに!」

質問に答え、元の仕事へ戻る。ところが、さっきまで頭の中にきれいに並んでいた考えが、いつの間にか散歩へ出かけている。

「あれ、どこまでやったっけ?」

資料を読み直し、ようやく続きを思い出したところで、今度は電話が鳴る。

電話が終わると、チャットの通知が光る。チャットに返信すると、別の人から声をかけられる。

仕事をしているというより、あちこちから飛んでくるボールを打ち返す、職場の千本ノックである。

それでも、不思議なことに仕事は進む。

締め切りには間に合った。メールも返した。資料もなんとか完成した。上司から見れば、「今日はずいぶん仕事が速かったね」と言われるかもしれない。

ところが本人は、椅子の上で静かに干からびている。

「仕事は終わった。でも、なんでこんなに疲れているんだろう……」

この疲れを、単なる気のせいや体力不足として片づけてよいのでしょうか。

中断されると、人はのんびりするどころか急ぎ始める

仕事を中断されたら、作業は遅くなりそうに思えます。

集中が切れる。内容を思い出すのに時間がかかる。間違いも増えそうだ。だから、「中断されるほど仕事の効率は落ちる」と考えるのが自然です。

ところが、グロリア・マークたちが行った実験では、少し意外な結果が示されました。

仕事を中断された人たちは、ただ遅くなったわけではありませんでした。むしろ、中断されなかった人よりも、残された時間の中で仕事を速く進めようとしていたのです。

人間の心は、中断されるとこう考えるのかもしれません。

「時間を取られた。急いで取り返さなくては」

そこで、無意識に仕事のアクセルを踏む。

読む速度を上げる。考える時間を縮める。いつもより力を入れて、失った時間を埋め合わせようとする。

外から見れば、仕事は順調に進んでいるように見えます。

けれども、心の中では、ずっと小走りが続いている。

研究では、中断された人ほどストレスや焦りを感じ、より大きな努力をしていると答えました。つまり、仕事が速く進んだからといって、負担が小さかったわけではないのです。

むしろ、速く進んだこと自体が、心が必死に帳尻を合わせた結果だった可能性があります。

これは少し怖い話でもあります。

私たちは、仕事が終わっていると「問題なく働けた」と考えがちです。

資料は完成した。返事も送った。ミスもしていない。

だから、自分が感じている疲れに対して、

「たいした仕事はしていないのに」
「もっと忙しい人もいるのに」
「自分は要領が悪いのかな」

と、さらに自分を責めてしまうことがあります。

しかし、その疲れは怠けた証拠ではありません。

何度も中断されるたびに、頭を切り替え、失った時間を取り戻し、仕事の速度を上げていた。その見えない努力が、あとから請求書のように届いているのかもしれません。

本記事では、マーク、グディス、クロッケが行った「仕事の中断」に関する実験をもとに、仕事中に電話やメッセージ、急な質問が入ると、人の働き方とストレスがどう変わるのかを見ていきます。

「今日は仕事が進んだはずなのに、なぜかぐったりしている」

そんな日は、あなたの集中力が弱かったのではありません。

心が誰にも見えないところで、何度も全力疾走していたのかもしれないのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文をひとことで言うと

仕事を中断されると、人は遅くなるのではなく、無理に速く働いて、そのぶん心が疲れることがある。

これが、この論文をひとことでまとめた答えです。

少し会話にすると、こんな感じでしょうか。

「仕事中に何度も邪魔されたら、作業は遅くなるんですよね?」

「そう思いますよね」

「だって、電話に出たり、メッセージを返したり、急な質問に答えたりするんですよ。どう考えても時間を奪われます」

「ところが、人間は奪われた時間を、ぼんやり眺めているだけではないようです」

「まさか、取り返そうとする?」

「そのまさかです」

仕事を中断された人は、元の作業へ戻ったあと、ペースを上げて働きます。

電話に2分使ったなら、その2分をどこかで取り返そうとする。質問に答えて集中が切れたなら、再び集中したあとにアクセルを踏み込む。

脳内では、こんな緊急会議が開かれているのかもしれません。

「予定より遅れています!」

「残り時間は?」

「減っています!」

「では、速度を上げましょう!」

「心の安全運転は?」

「今回は後回しです!」

こうして、外から見ると仕事はきちんと進みます。

メールは送れている。課題も終わっている。締め切りにも間に合っている。

だから周囲からは、「中断されても、ちゃんと仕事ができているじゃないか」と見えるかもしれません。

本人でさえ、「今日は邪魔が多かったけれど、なんとか終わらせた」と、問題なく働けたように感じることがあります。

しかし、この論文が注目したのは、完成した仕事だけではありません。

その仕事を終えるまでに、本人の心にどれほど負荷がかかったのかも調べました。

すると、中断された人たちは、仕事を速く進める一方で、ストレスや焦り、時間に追われる感覚を強く感じていました。より大きな努力をしたとも答えています。

つまり、結果だけを見れば「できている」。

けれども、その裏側では、心がかなり頑張っている。

「できた」と「楽にできた」は別の話

私たちは、仕事が終わったかどうかで、自分の調子を判断しがちです。

「資料を完成できたから大丈夫」

「メールを全部返せたから問題ない」

「ミスをしなかったから、今日はうまく働けた」

もちろん、仕事が終わることは大切です。

ただし、「仕事を終えられた」という事実と、「無理なく仕事を終えられた」という事実は、同じではありません。

たとえば、駅まで普通に歩いて到着した人と、電車に遅れそうで全力疾走した人は、どちらも同じ時刻に駅へ着くかもしれません。

到着時刻だけを見れば、結果は同じです。

しかし、一人は穏やかに改札を通り、もう一人は息を切らしながら、

「ちょっと待って、肺がまだ駅に着いていない」

という顔をしています。

仕事の中断も、これに近いのかもしれません。

中断された人は、遅れを取り戻すために心の中で走ります。その結果、予定どおりに仕事を終えられることもある。

けれども、ゴールに着いたころには、心が肩で息をしているのです。

速く働けたから、中断は問題ない?

ここで、少し意地悪な疑問が浮かびます。

「でも、仕事が速くなったのなら、中断も悪いことばかりではないのでは?」

たしかに、表面的にはそう見えます。

急かされたほうが仕事が進む人もいますし、締め切りが近づくと集中力が上がることもあります。

しかし、いつも心を急がせればよい、という話ではありません。

この研究が示しているのは、中断が人間の能力を魔法のように高めたということではなく、中断によって失われた時間を補うために、人が努力と速度を上げた可能性です。

車でいえば、性能が急に向上したわけではありません。

到着が遅れそうなので、アクセルを深く踏んだだけです。

たまになら間に合うかもしれません。

けれども、電話、通知、質問、依頼、相談が一日中続き、そのたびにアクセルを踏み直していたら、心のエンジンは静かに熱を持ち始めます。

それでも本人は仕事を終えてしまうので、周囲には負担が見えにくい。

ここに、仕事の中断のやっかいさがあります。

疲れているのは、仕事ができないからではない

この論文から得られる大切な視点は、もう一つあります。

中断の多い日に疲れてしまっても、それは集中力がないからとは限りません。

何度も仕事の流れを止められ、そのたびに頭を切り替え、残された時間で予定に追いつこうとした。その結果として疲れている可能性があります。

つまり、その日の疲れは「仕事ができなかった証拠」ではなく、むしろ「見えないところで仕事を成立させ続けた証拠」かもしれません。

「今日はたいしたことをしていないのに、なぜこんなに疲れたんだろう」

そんな日には、仕事の量だけを数えるのではなく、中断された回数にも目を向けてみる必要があります。

電話に出た。

急な質問に答えた。

メッセージが来るたびに、考えていたことをいったん棚へ戻した。

そして、また元の仕事を探し出し、続きを始めた。

一つひとつは小さな出来事です。

けれども、小さな中断が積み重なると、一日は仕事ではなく「集中の再起動」で埋まっていきます。

この論文をひとことで言えば、こうです。

人は仕事を中断されても、案外きちんと働ける。ただし、その「きちんと」の裏で、心が割増料金を払っていることがある。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文の要点

1.仕事を中断されると、人は遅くなるどころか速く働くことがある

「電話やメッセージで邪魔されたら、当然、仕事は遅くなるでしょう」

そう思いますよね。

ところが実験では、中断された参加者は、元の作業へ戻ったあとに仕事の速度を上げていました。

どうやら人間は、中断によって失った時間を見て、

「まずい、遅れたぶんを取り返さなければ」

と、心のアクセルを踏み込むことがあるようです。

ただし、これは中断によって能力が高まったという意味ではありません。急に仕事の達人へ進化したのではなく、時間に追われてペースを上げたと考えるほうが自然です。

駅に向かって普通に歩いていた人が、電車の発車時刻を見て突然走り始めるようなものです。

到着は早くなります。

しかし、本人はだいぶ息を切らしています。

2.仕事が速く進んでも、ストレスや焦りは増えていた

「でも、仕事が早く終わったのなら、むしろよかったのでは?」

ここが、この研究の面白くも切ないところです。

中断された人たちは、仕事を速く進めていましたが、その一方で、ストレス、フラストレーション、時間に追われる感覚、努力の大きさも強く報告していました。

つまり、仕事の結果だけを見ると「できている」。

けれども、その舞台裏では、心がかなり忙しく走り回っていたのです。

脳内では、こんなやり取りがあったのかもしれません。

「作業は予定どおり進んでいます!」

「よし、問題なし!」

「ただし、心が煙を出しています!」

「それは報告書に載りますか?」

「たぶん載りません!」

仕事が終わったことと、無理なく仕事ができたことは別です。

この研究は、その二つを同じ箱に入れてはいけないと教えてくれます。

3.中断の負担は、成果だけを見ていると気づきにくい

中断のやっかいなところは、本人がなんとか仕事を終えてしまう点です。

メールは送れている。資料も完成している。目立ったミスもない。

すると周囲は、

「中断されても普通に働けている」

と判断するかもしれません。

本人も、

「仕事は終わったのに、こんなに疲れるなんて、自分の体力がないのかな」

と、自分を責めてしまうことがあります。

しかし実際には、電話に出るたび、質問に答えるたび、通知を確認するたびに、頭の中では小さな再起動が起きています。

止める。切り替える。答える。元の仕事を思い出す。そして遅れを取り返す。

一回だけなら、小さな負担です。

けれども、一日に何度も繰り返されれば、仕事そのものより「仕事に戻る作業」で疲れてしまいます。

この論文の要点をさらに短くまとめると、次のようになります。

  • 中断された人は、失った時間を補うために仕事を速めることがある
  • 速く働けても、ストレスや焦り、努力は増える
  • 成果だけでは、その人が払った心の代金までは見えない

仕事が終わっているからといって、中断の影響がなかったとは限りません。

机の上の仕事は片づいていても、その陰で心だけが、ひっそり残業していることがあるのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究の背景:なぜ仕事を中断されると疲れるのか?割り込みとストレスの関係

仕事中の中断が、あまり歓迎されないことは昔から知られていました。

せっかく資料を作っていたのに、電話が鳴る。

電話を切って作業に戻ろうとしたら、同僚から声をかけられる。

質問に答えて席へ戻ると、今度はメールの通知が届いている。

「はいはい、順番にお願いします。こちらの脳は一台しかありませんので」

そう言いたくなる日もあります。

中断が多ければ、仕事に時間がかかる。集中も途切れる。元の作業へ戻るには、「さて、私は何をしていたのでしょう」という記憶探しから始めなければならない。

ここまでは、比較的わかりやすい話です。

ところが、研究者たちには、まだ気になることがありました。

それは、中断された人は、そのまま素直に仕事が遅れるだけなのかという疑問です。

人は、奪われた時間をそのままにするのか?

たとえば、30分で終える予定だった仕事の途中に、5分間の電話が入ったとします。

計算上は、仕事の終了が5分遅れそうです。

しかし現実の職場では、本人がこう考えるかもしれません。

「電話で5分使ったから、締め切りを5分延ばしてください」

これがいつでも通れば、世の中はもう少し穏やかでしょう。

残念ながら、締め切りは電話の事情など知らない顔をしています。

「私は予定どおり参ります」

時計も一緒になって、淡々と進んでいきます。

すると人は、失った時間を取り戻そうとするのではないか。

仕事を速める。考える時間を短くする。いつもより強く集中しようとする。

つまり、中断されたからといって、必ずしも終了時刻がそのまま遅れるとは限りません。本人がどこかで帳尻を合わせる可能性があるのです。

この「帳尻合わせ」が、研究の大きなポイントでした。

仕事の中断について考えるとき、私たちはつい、作業に何分かかったかだけを見ます。

しかし、同じ時間で仕事を終えた二人がいたとしても、その働き方は同じとは限りません。

一人は、静かな環境で落ち着いて仕事を進めた。

もう一人は、電話やメッセージに中断されながら、残り時間を気にして速度を上げた。

結果だけを見れば、二人とも時間内に仕事を終えています。

けれども、心の中まで同じでしょうか。

おそらく、そうではありません。

仕事の成果だけでは、心の負担が見えない

当時の中断研究では、作業時間やミスなど、仕事の成果に目が向けられることが多くありました。

もちろん、それらは大切です。

中断されたことで作業が遅れたのか。間違いが増えたのか。仕事の質が下がったのか。

会社にとっては、ぜひ知りたいところです。

しかし、グロリア・マークたちが注目したのは、それだけではありませんでした。

たとえ仕事の速さや質に大きな問題が見えなくても、本人の内側では負担が増えているかもしれない。

中断された人は、遅れを取り戻すために、いつもより焦って働いているのではないか。

時間に追われる感覚や、ストレス、いら立ち、努力の大きさは変わらないのか。

ここが、まだ十分にはわかっていなかった部分です。

職場では、仕事が完成していると、ついこう判断されます。

「ちゃんと終わっているから大丈夫だね」

けれども、仕事が終わったことは、その人に負担がなかった証明にはなりません。

水面を静かに進んでいるアヒルが、水の下では猛烈に足を動かしていることがあります。

人間も似たところがあります。

表情は普通。

返事も丁寧。

仕事も予定どおり完成。

ところが心の水面下では、

「急げ、戻れ、思い出せ、間に合わせろ」

と、足が高速回転しているかもしれません。

それでも成果だけを見ていると、その努力はなかったことになってしまいます。

中断の内容が同じでも違っても、影響は変わるのか?

もう一つ、研究者たちが確かめたかったことがありました。

それは、中断される内容によって影響が変わるのかという点です。

たとえば、会議資料を作っている途中で、

「その会議の出席者について確認したいのですが」

と声をかけられる場合があります。

これは、元の仕事と関係のある中断です。

一方で、

「ところで、来月の健康診断の用紙は出しましたか?」

と声をかけられることもあります。

こちらは、今取り組んでいる仕事とは別の話です。

同じ「中断」でも、話題が元の仕事とつながっている場合と、まったく別の方向へ連れていかれる場合では、戻りやすさが違いそうです。

関連する話なら、頭の机の上に置いた資料を少し動かす程度で済むかもしれません。

関係のない話なら、机の上をいったん片づけ、別の書類を広げ、終わったら再び元の資料を探し出す必要があります。

「会議資料はどこへ行った?」

「さきほど健康診断の話が通過した際、思考の棚から落下しました」

脳内では、そんな捜索活動が起きているかもしれません。

そこで研究者たちは、中断がない場合だけでなく、元の仕事と関係する内容で中断される場合と、関係のない内容で中断される場合も比べました。

単に「中断は悪い」とまとめるのではなく、どのような中断が、仕事の速さや正確さ、心の負担にどう影響するのかを、もう少し細かく見ようとしたのです。

研究者が知りたかった本当のこと

この研究の背景にあった疑問を、簡単にまとめると次のようになります。

仕事を中断された人は、本当に遅くなるだけなのか。

それとも、失った時間を取り返すために、仕事の速度を上げるのか。

速く働けば、仕事の質や正確さに影響は出ないのか。

そして何より、仕事を予定どおり終えられたとしても、その裏でストレスや焦りが増えているのではないか。

研究者たちが見ようとしたのは、完成した仕事だけではありませんでした。

その仕事を成立させるために、人がどれだけ心のアクセルを踏んだのか。

表からは見えにくい、働く人の「内側の代金」を測ろうとしたのです。

仕事中の中断は、単に数分間を奪う出来事ではないのかもしれません。

奪われた時間を取り返そうとする人の心まで、こっそり忙しくしている可能性があります。

では実際に、人は仕事を中断されると、どれくらい速く働くのでしょうか。

そして、その速さと引き換えに、心は何を支払うのでしょうか。

研究者たちは、その見えない請求書を確かめるために、模擬的な職場環境を使った実験を行いました。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究方法:仕事を中断されるとどうなる?電話とメッセージを使った実験

「仕事の中断が人に与える影響を調べたい」

そう考えた研究者たちは、参加者を椅子に座らせて、ただ延々とボタンを押してもらったわけではありません。

研究室の中に、できるだけ本物に近い模擬オフィスを用意しました。

そこで参加者に与えられた役は、中規模の手芸用品会社で働く人事担当者です。

設定としては、休暇から戻ってきたばかり。

パソコンを開くと、受信箱にはメールがずらり。

「休暇明け早々、これは歓迎されているということでしょうか」

「いいえ。仕事がたまっているだけです」

そんな少し切ない状況から、実験は始まります。

実験に参加したのは48人で、平均年齢は26歳でした。参加者の多くはドイツの大学生で、研究者たちは実際の情報労働に近づけるため、職場でよく使われるメールへの返信を課題として選びました。

受信箱に届いた12通のメールへ返信する

参加者の仕事は、受信箱に入っている12通のメールへ、できるだけ速く、正確に、そして丁寧に返信することでした。

メールには、たとえば、

「御社のインターンシップについて、どこで詳しい情報を得られますか」

といった質問が書かれています。

参加者には、社員の役職や学歴、残業時間などをまとめた資料が渡され、その情報を確認しながら返信してもらいました。

つまり、適当に「詳しくは担当者へお問い合わせください」と煙幕を張ることはできません。

速さだけでなく、内容の正しさと礼儀正しさも求められる、なかなか現実的なメール対応です。各条件で扱うメールの難しさが大きく変わらないよう、事前の調査によって内容も調整されていました。

3つの働き方を比べた

研究者たちは、参加者に次の3つの状況でメールを処理してもらいました。

1つ目は、中断されない状況です。

誰からも電話がかかってこない。メッセージも届かない。

受信箱と自分だけの、静かな時間です。

「なるほど。これが伝説の集中できる職場ですか」

2つ目は、メールの仕事と同じ話題で中断される状況です。

参加者が人事関係のメールに返信している途中で、別室にいる実験者が上司役として連絡してきます。

質問の内容は、

「今日、あなたを含めて部署には何人出勤していますか」

といった、人事の仕事に関係するものです。

3つ目は、メールの仕事とは関係のない話題で中断される状況です。

こちらでは、

「社員240人分のホットドッグは何本必要ですか」

など、会社のパーティーに関する質問が突然飛んできます。

人事のメールを書いていた頭へ、急にホットドッグ240人前が入場してくるわけです。

「いま、その話をする必要がありますか?」

「実験ですので、あります」

このように、研究者たちは「中断がない場合」「仕事と同じ話題による中断」「仕事と違う話題による中断」の3条件を比べました。

電話またはインスタントメッセージで割り込む

中断の連絡には、電話またはインスタントメッセージが使われました。

参加者は電話で中断されるグループと、メッセージで中断されるグループに分けられています。

しかも、連絡が来たら後回しにはできません。

研究者からは、電話が鳴ったらすぐに出る、メッセージが届いたらすぐに対応するよう指示されていました。

「いま集中しているので、あとで返信します」

という、現代人が身につけたい高度な防御技は封印されています。

中断はおよそ2分ごとに入るよう設定されました。ようやくメールの内容が頭に入り、文章の続きを書き始めたころに、また次の連絡が来る。職場の忙しい一日を、小さく濃縮したような環境です。

仕事の速さだけでなく、心の負担も測った

研究者たちが測ったのは、メールをすべて処理するまでにかかった時間だけではありません。

中断に対応していた時間を差し引き、本来のメール作業そのものに何分かかったのかを計算しました。

さらに、

  • メールに誤字や間違いがなかったか
  • あいさつや「お願いします」「ありがとうございます」など、丁寧な表現が使われていたか
  • メールがどれくらいの長さだったか

といった、仕事の質も確認しました。

「速くなったけれど、文章が『了解』の二文字になっていました」

では、仕事がうまくいったとは言いにくいからです。

そして、この研究の重要なところは、仕事の結果だけでなく、参加者が感じたストレス、いら立ち、時間に追われる感覚、努力の大きさ、心身の負担も質問した点です。参加者はそれぞれの条件を終えたあと、自分がどれほど負担を感じたかを20段階の尺度で評価しました。

この実験で確かめたかったこと

研究方法をざっくりまとめると、参加者に人事担当者としてメールを処理してもらい、その途中で電話やメッセージによる割り込みを入れた実験です。

そして、次のような点を比べました。

「中断されると、仕事には余計な時間がかかるのか」

「中断の話題が、元の仕事と同じか違うかで影響は変わるのか」

「電話とメッセージでは、負担に違いがあるのか」

「急いで働くことで、ミスや失礼な返信は増えるのか」

「仕事を終えられても、本人のストレスは増えていないか」

この実験のよいところは、「集中力」という見えないものを、単に本人の感想だけで調べなかった点です。

実際にメールを書いてもらい、かかった時間や間違いを確認し、そのうえで心の負担も尋ねました。

机の上で完成した仕事と、その仕事を完成させるために心が支払った代金。

研究者たちは、その両方を並べて見ようとしたのです。

では、中断された参加者は、やはり仕事が遅くなったのでしょうか。

ところが結果を見ると、研究者たちの前に少し妙な光景が現れました。

何度も中断された人たちは、仕事が遅くなるどころか、むしろ速く終わらせていたのです。

ただし、その速さには、きちんと請求書がついていました。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この研究でわかったこと:仕事を中断されるとどうなる?速さとストレスに表れた意外な変化

さて、実験の結果です。

仕事中に電話やメッセージが入れば、当然、作業は遅くなる。

そう思いますよね。

研究者たちも、少なくとも中断されたあとは、元の仕事を思い出すための時間が必要になると考えていました。

ところが、結果は予想どおりには進みませんでした。

「中断されたみなさん、やはり仕事が遅くなりましたか?」

「いいえ。むしろ速く終わりました」

「……もう一度お願いします」

なんと、中断された参加者たちは、中断されなかったときよりも、メールの仕事そのものを短い時間で終えていたのです。

中断された人のほうが、仕事を速く終えていた

参加者が12通のメールを処理するのにかかった平均時間は、次のようになりました。

  • 中断なし:約22.8分
  • 同じ話題で中断:約20.3分
  • 違う話題で中断:約20.6分

ここでいう作業時間には、電話やメッセージへ対応していた時間は含まれていません。

つまり、割り込みそのものに使った時間を差し引き、メールの仕事にどれくらいの時間を使ったのかを比べた結果です。

中断された参加者は、元の仕事に戻ってから、作業の速度を上げていたと考えられます。

研究者たちは、人が中断によって失う時間を予想し、そのぶんを取り返すように働いたのではないかと解釈しました。

これは、この研究でもっとも意外なところです。

普通に考えれば、中断は仕事のブレーキです。

ところが実際には、ブレーキを踏まれた人が、

「遅れた! 今度はアクセルだ!」

と、元の仕事へ戻ったあとに速度を上げていた可能性があります。

中断によって仕事が楽になったわけではありません。

急に頭の回転がよくなったわけでもありません。

失った時間を埋め合わせるために、働き方を「急ぐモード」へ切り替えたと考えるほうが自然です。

速くなっても、ミスや失礼な返信は増えなかった

では、急いだぶん、メールの内容は雑になったのでしょうか。

「速く終わったと言っても、誤字だらけだったのでは?」

「丁寧なあいさつが消えて、『了解』だけになったのでは?」

研究者たちは、メールに含まれる間違いや、文章の丁寧さも確認しました。

しかし、メールの誤りの数にも、丁寧さにも、中断条件による統計的に明確な違いは見つかりませんでした。

中断された参加者は、少なくともこの短時間の実験では、仕事の正確さや礼儀を大きく崩さずに、作業を速めていたのです。

ここだけを見ると、

「では、中断しても問題ないのでは?」

と思うかもしれません。

仕事は速い。

ミスも増えていない。

礼儀正しさも保たれている。

会社の成績表だけを見れば、なかなか優秀です。

ただし、少し変化したものもありました。

中断されなかったときのメールは、平均するとやや長く書かれていました。中断された人は、正確さや丁寧さを保ちながら、文章を少し短くして時間を節約していた可能性があります。研究者たちも、中断された人が「速く働き、少なく書く」方法で対応したのではないかと考えています。

脳内編集長が、こんな指示を出していたのでしょう。

「時間がありません。内容と礼儀は残してください」

「説明のゆとりは?」

「今回は削ります」

仕事は速くなった。でも、心は楽ではなかった

この研究の本当の見どころは、ここからです。

中断された参加者は仕事を速く終えましたが、その代わりに、心の負担が増えていました。

中断がなかったときと比べて、中断があったときには、

  • ストレス
  • フラストレーション
  • 時間に追われる感覚
  • 仕事に注いだ努力

が高く報告されました。

異なる話題で中断された条件では、全体的な精神的負担も特に高くなっていました。研究者たちは、わずか約20分の中断を含む作業でも、参加者が強い負担を感じた点を重く見ています。

つまり、参加者たちは中断に負けて仕事を止めたのではありません。

むしろ、中断に負けないように頑張った。

その結果、仕事は予定より速く進んだ。

けれども、心にはストレス、焦り、努力という形で請求が届いていたのです。

「仕事は終わりました!」

「お疲れさまでした。では、お会計です」

「何のお会計ですか?」

「中断された時間を取り戻すために使った、心の燃料代です」

この研究は、仕事の成果だけを見ていると、人が支払った負担を見落とすことがあると示しています。

机の上では、メールがきれいに片づいている。

しかし、机の下では、心がこっそり息を切らしている。

そんな状態が起こりうるのです。

中断の話題が同じでも違っても、速さはほぼ変わらなかった

研究者たちは、中断の内容にも注目していました。

人事のメールを書いている途中で、人事に関する質問をされる場合と、会社のパーティーなど、別の話題を持ち込まれる場合です。

「同じ話題なら、元の仕事に戻りやすいのでは?」

「違う話題なら、頭の切り替えが大変なのでは?」

そう予想したくなります。

ところが、同じ話題による中断と、違う話題による中断では、メールの作業時間に明確な差はありませんでした。

この実験では、中断の内容が元の仕事と似ているかどうかよりも、作業の流れをいったん止められること自体が、働き方を変えていた可能性があります。

「人事の話だから、これは中断ではなく仕事の続きです」

と脳に説明しても、

「いえ、さっき書いていたメールは止まりましたよね」

と返されるわけです。

ただし、この結果から「中断の内容はいつでも関係ない」とまでは言えません。

この実験で比べたのは、同じ人事という話題か、別の会社関連の話題かという違いです。まったく異なる種類の作業や、もっと複雑な仕事では、結果が変わる可能性があります。

電話でもメッセージでも、大きな違いは見つからなかった

中断の方法についても、電話とインスタントメッセージが比べられました。

電話は相手とすぐに話さなければならない。

メッセージなら、まだ少し自分のペースで読めそう。

そのため、電話のほうが大きな負担になりそうにも思えます。

しかし、この実験では、電話かメッセージかによって、作業時間や測定された負担が大きく変わるという明確な結果は見つかりませんでした。

大切だったのは、音が鳴ったか文字が光ったかよりも、目の前の仕事を止めて、別の要求へ注意を向けなければならなかったことなのかもしれません。

電話が言います。

「こちらを向いてください」

メッセージも言います。

「私も見てください」

仕事が言います。

「さっきの続き、覚えていますか?」

一つの脳に、三方向から声がかかっています。

そりゃあ、にぎやかです。

この研究の結果をまとめると

この研究でわかったことを、あらためて整理すると次のようになります。

中断された人は、元の仕事を速く進めて、失った時間を補うことがある。

短時間の実験では、ミスや丁寧さに明確な悪化は見られなかった。

その一方で、ストレス、いら立ち、時間に追われる感覚、努力は増えていた。

つまり、中断の影響は、単純に「仕事が遅くなる」という形では現れませんでした。

人は中断されても、かなり器用に仕事を成立させます。

速く働く。文章を短くする。限られた時間の中で、正確さと礼儀を守ろうとする。

人間、なかなか健気です。

けれども、その適応力が高いからこそ、中断の負担は見えにくくなります。

仕事が終わっている。

ミスもない。

だから、誰も問題に気づかない。

本人でさえ、

「ちゃんとできたのだから、疲れたなんて言ってはいけない」

と思ってしまうことがあります。

しかし、この研究が示したのは、むしろ逆です。

ちゃんとできたからといって、負担がなかったとは限らない。

仕事の中断によって失われた時間は、消えてなくなったのではありません。

人が速度を上げ、努力を増やし、心を急がせることで、どこかに押し込められていたのです。

この研究のいちばん意外な結論は、中断された人が仕事をできなくなったことではありません。

中断された人が、仕事をできるまま、より疲れていたことなのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ここが面白い:なぜ仕事は速くなったのに疲れたのか?中断研究の面白いところ

この研究の面白さは、「仕事を中断されると効率が落ちる」という、わかりやすい話で終わらなかったところにあります。

もし結果が、

「中断された人は、作業が遅くなりました」
「間違いも増えました」
「やっぱり集中は大切ですね」

というものだったら、私たちは静かにうなずいていたでしょう。

「でしょうね」

以上、解散です。

ところが、この研究では、中断された人たちのほうが、元の仕事を速く進めていました。

仕事の正確さや丁寧さにも、はっきりした悪化は見られませんでした。

「では、中断しても平気なのでは?」

話はそこで終わりません。

参加者のストレス、焦り、いら立ち、努力は増えていました。

つまり、人間は仕事を中断されると、簡単に壊れてしまうわけではありません。

むしろ、かなり上手に立て直します。

ただし、無料ではありません。

人間は「遅れました」と言う前に、走り始める

仕事の途中で電話が入ったとします。

本来なら、電話に使った時間だけ、仕事の終了も遅くなるはずです。

ところが、私たちは締め切りに向かって、こう交渉することができません。

「すみません。先ほど電話がありましたので、今日を25時間に変更してください」

締め切りは冷静です。

「時間の増量サービスは行っておりません」

そこで人は、時計を変えるのではなく、自分の速度を変えます。

読むのを速くする。

文章を少し短くする。

迷っている時間を減らす。

いつもなら一度お茶を飲んで考えるところを、

「もう、これでいきましょう」

と決断する。

中断によって失った時間を、自分の努力で埋めようとするのです。

これは、人間のすばらしい適応力とも言えます。

邪魔が入っても、投げ出さない。

仕事を忘れて帰宅しない。

「中断されたので、本日の私の業務は終了しました」

とはならず、きちんと元の仕事へ戻ってくる。

人間、なかなか責任感があります。

しかし、その責任感が強いからこそ、本人の負担が見えなくなることがあります。

「仕事ができている人」ほど、疲れが見えないことがある

この研究を職場の日常へ置き換えると、少し複雑な景色が見えてきます。

電話が多い人。

相談を受けることが多い人。

周囲から何度も質問される人。

チャットの返信を求められる人。

そうした人が、毎日の仕事をきちんと終わらせているとします。

周囲から見れば、問題はありません。

「いつも対応が速いですね」

「急な依頼にも強いですね」

「忙しくても、きちんと終わらせてすごいですね」

どれも褒め言葉です。

しかし、その人の中では、仕事のたびに小さな全力疾走が起きているかもしれません。

電話を切ったら走る。

質問に答えたら走る。

チャットを返したら、また走る。

そして定時までに仕事を終える。

外から見ると、落ち着いてゴールしたように見えます。

けれども、本人の心はゴールテープの向こうで、膝に手をついています。

「間に合いました」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫です。ただし、心臓がまだ三つ前の仕事にいます」

仕事ができる人ほど、中断の影響が小さいとは限りません。

中断の影響を、自分の努力で見えなくしている可能性もあるのです。

生産性の数字には、心の燃料代が入っていない

職場では、生産性を数字で考えることがあります。

何件対応したか。

何通返信したか。

何時までに終えたか。

どれくらいミスが少なかったか。

もちろん、これらは大切です。

しかし、数字だけではわからないことがあります。

同じ10件の仕事を終えたとしても、静かな環境で順番に進めた10件と、20回中断されながら完成させた10件では、心の消耗が違うかもしれません。

結果の欄には、どちらも「10件」と書かれます。

その横に、

「なお、途中で7回話しかけられ、電話が4本入り、チャットが9件届き、本人の心は午後3時ごろから薄い煙を出していました」

とは書かれません。

生産性の数字は、完成した仕事を数えるのは得意です。

けれども、その仕事を完成させるために使った心の燃料までは、なかなか数えてくれません。

この論文は、その見えない燃料代に目を向けました。

「終わったかどうか」だけでなく、

「どんな状態で終わらせたのか」

も大切なのではないか、と問いかけているのです。

中断は、時間を奪うだけではない

仕事の中断というと、私たちは「何分取られたか」を考えます。

電話で5分。

質問への対応で3分。

急な相談で10分。

しかし、中断が奪うものは、時計の時間だけではありません。

元の仕事へ戻ったあとに、

「遅れを取り返さなければ」

という焦りを残すことがあります。

中断そのものは終わっているのに、心の中では中断後の追い上げが続いている。

電話はもう切れている。

メッセージへの返信も終わっている。

それでも本人は、アクセルを踏んだままです。

この意味で、中断は一瞬の出来事ではありません。

中断のあとに続く「急ぐ時間」まで含めて、私たちに影響しているのかもしれません。

この研究は、人間の弱さより健気さを映している

この論文を読んで、

「人間は中断に弱い」

とまとめることもできます。

けれども、もう少し人間味のある読み方もできます。

人間は、中断されても仕事を投げ出さない。

失った時間を取り返そうとする。

正確さや礼儀を守りながら、なんとか仕事を完成させる。

かなり健気です。

ただ、その健気さに甘えてはいけません。

「中断されてもできるのだから、どんどん声をかけても大丈夫」

という結論にすると、研究の景色がひっくり返ってしまいます。

できることと、負担がないことは違います。

耐えられることと、望ましいことも違います。

雨の中を走れば、駅には着けます。

だからといって、

「走れば着けるので、傘は不要ですね」

とはなりません。

この研究の面白さは、人が中断によって仕事をできなくなったことではなく、仕事をできる状態を守るために、速度と努力を上げていたことにあります。

机の上では、仕事が予定どおり進んでいる。

その下では、心が落とした書類を拾い、散らばった集中を集め、時計に追いつこうと走っている。

だから、仕事が終わった日の疲れを、仕事量だけで判断しなくてもよいのです。

「今日は、それほど多くの仕事をしていないのに疲れた」

そんなときは、自分へこう尋ねてみてもよいでしょう。

「今日は何をしたか」だけではなく、

「今日は何度、やっていたことを止めて、別のことへ向かっただろう」

一日の疲れは、仕事の数ではなく、何度も踏み直した心のアクセルから来ているのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

私たちの生活にどう活かせる?:仕事の中断を減らすには?集中と心を守る3つの工夫

この研究を読んで、最初に浮かぶ対策は、おそらくこれでしょう。

「よし。明日から誰にも話しかけられないようにしよう」

気持ちはわかります。

パソコンの横に、

「集中中です。緊急でなければ、午後3時以降の私にお願いします」

と立て札を置きたくなる日もあります。

しかし、現実の仕事では、電話も質問も相談も完全にはなくせません。

同僚が困っていることもあります。急いで確認しなければならない案件もあります。人と関わる仕事なら、「誰にも中断されない職場」は、静かというより無人です。

大切なのは、中断をゼロにすることではありません。

中断の回数を少し減らし、中断されたあとに必要以上に自分を急かさないことです。

なお、この研究は、これから紹介する方法の効果を直接確かめたものではありません。ここでは、仕事を中断された人ほどストレスや焦り、努力が増えたという結果から、日常で試せる工夫を考えていきます。

1.集中する時間を、周囲から見えるようにする

まずできるのは、「今は集中したい時間です」と周囲にわかる形をつくることです。

とはいえ、突然、額に「話しかけないでください」と書く必要はありません。

たとえば、

  • カレンダーに集中作業の時間を入れる
  • イヤホンや卓上札を合図として使う
  • チーム内で質問をまとめる時間を決める
  • 「急ぎでなければ、○時にまとめて確認します」と伝える

といった方法があります。

仕事中に質問する側は、相手がどれほど集中しているかを知りません。

こちらは文章の構成を頭の中で組み立て、

「この説明の次に、あの資料の数字を入れて……」

と、思考の積み木を積んでいる最中かもしれません。

しかし、外から見えるのは、パソコンの前で静かに座っている姿だけです。

そこへ同僚がやってきます。

「ちょっといいですか?」

その一言で、頭の中の積み木は、音もなく床へ散らばります。

質問した側には悪気がありません。

積み木が見えていないのです。

だからこそ、「集中しています」という状態を、周囲がわかるようにする必要があります。

「午前10時から11時までは資料作成に集中します。急ぎでなければ、そのあとに確認します」

このように伝えておくだけでも、相手は声をかけるタイミングを選びやすくなります。

もちろん、すべての職場で自由に時間を区切れるわけではありません。

接客、電話対応、医療、福祉、教育など、人への即時対応が仕事の中心になる職種もあります。

その場合も、「一日中ずっと中断を防ぐ」必要はありません。

15分でも30分でも、重要な仕事をまとめて進められる時間があるだけで違います。

心に必要なのは、広大な無人島ではなく、ほんの小さな避難所なのかもしれません。

2.通知は「来るたびに見る」から「まとめて見る」へ

次に見直したいのが、メールやチャットの通知です。

通知は、仕事を忘れないための便利な仕組みです。

しかし、とても働き者です。

一度設定すると、こちらの都合など気にせず、

「メールが来ました」

「チャットが来ました」

「予定の15分前です」

「誰かがあなたの投稿に反応しました」

と、次々に報告してきます。

「ありがとうございます。ただ、いま私は別の仕事をしています」

そう説明しても、通知は反省しません。

研究では、電話でもインスタントメッセージでも、中断による負担が見られました。

つまり、電話のように大きな音で割り込まれなくても、画面の隅に小さく現れるメッセージが、注意を別の方向へ向けることがあります。

そこで、すぐに対応する必要のない連絡は、まとめて確認する方法が考えられます。

たとえば、

「メールは30分ごとに確認する」

「午前中の集中時間はチャット通知を切る」

「本当に急ぐ用件だけ、電話や特定の連絡方法を使ってもらう」

といったルールです。

ここで大事なのは、すべての通知を切り、山へこもることではありません。

緊急の連絡と、すぐでなくてもよい連絡を分けることです。

何でも「至急」にすると、結局、本当に急ぐものがわからなくなります。

脳内の受付係も困ります。

「至急の案件です!」

「こちらも至急です!」

「こちらは“お時間のあるときに”と書いてありますが、通知音だけは至急でした!」

連絡の受け方に少し整理を入れると、仕事を止める回数を減らせます。

大きな仕事を一気に片づけるというより、集中という水に、通知が何度も小石を投げ込むのを防ぐイメージです。

3.中断されたあと、すぐに全力で取り返そうとしない

この研究から、もっとも大切にしたいのがこの視点です。

仕事を中断された人は、失った時間を取り戻すように、作業の速度を上げていました。

その結果、仕事は速く進みました。

しかし、ストレスや焦り、努力も増えていました。

つまり、中断そのものだけでなく、中断後の追い上げが、心を疲れさせている可能性があります。

電話を切った直後、私たちは時計を見ます。

「5分も使ってしまった」

すると、心の監督が笛を吹きます。

「さあ、遅れを取り戻してください!」

「少し元の仕事を思い出す時間をください」

「時間がありません。走ってください!」

こうして、仕事へ戻った瞬間から全力疾走が始まります。

しかし、中断された直後は、元の仕事の内容がまだ頭に戻っていないことがあります。

その状態で急ぐと、何度も資料を読み直したり、さっき考えていたことを探したりして、かえって心が混乱します。

そこで、中断後には短い「戻る時間」を意識的につくります。

たとえば、

「いま何をしていたか」

「次に何をする予定だったか」

「どこまで終わっているか」

を30秒ほど確認します。

たった30秒です。

けれども、この30秒は、仕事をさぼる時間ではありません。

思考の地図を広げ直す時間です。

中断される前に、簡単なメモを残しておく方法もあります。

「次は3ページ目の数字を確認」

「この段落の結論を書く」

「田中さんへの返信は資料を添付して送る」

こうした短いメモがあれば、戻ったときに、

「私は何者で、ここはどこで、この資料はなぜ開かれているのでしょう」

という壮大な記憶喪失を防げます。

中断後に急いで取り返すより、まず自分を元の仕事へ静かに戻す。

心のアクセルを踏む前に、ハンドルがどちらを向いているか確認するのです。

疲れた日は、仕事量だけでなく「中断の回数」も数える

この研究は、私たちの疲れの見方も少し変えてくれます。

仕事がそれほど多くなかったのに、妙に疲れる日があります。

そんな日は、

「今日は何もしていないのに」

「自分は体力がない」

「もっと効率よく働かなければ」

と考えてしまいがちです。

しかし、仕事の量が少なくても、何度も中断されていたら、頭はそのたびに仕事を切り替えています。

メールを書いていた。

電話に出た。

メールに戻った。

質問に答えた。

もう一度メールに戻った。

別の資料を探した。

チャットに返信した。

また資料へ戻った。

仕事の一覧には「メール作成」と一行しか書かれていなくても、心の中では何度も引っ越しが起きています。

一日に十回、別の部屋へ机と椅子を運んでいたら、そりゃあ疲れます。

そのため、疲れた日は「何件の仕事をしたか」だけでなく、

「何度、作業を止めて別のことへ向かったか」

も振り返ってみてください。

中断が多かったと気づくだけでも、自分への見方が変わります。

「私はたいした仕事もしていないのに疲れた」

ではなく、

「今日は何度も頭を切り替えながら、仕事を成立させていた」

と捉え直せます。

この違いは、小さいようで大きいものです。

前者は自分を責める言葉ですが、後者は自分の見えない努力を認める言葉だからです。

人に話しかけるときも「今、大丈夫?」の次を考える

この研究は、話しかけられる側だけでなく、話しかける側にも活かせます。

私たちは質問したいことが浮かぶと、忘れないうちに相手へ伝えたくなります。

「今ちょっといいですか?」

この言葉は丁寧です。

ただし、相手が断りにくい関係では、「今は難しいです」と言えないこともあります。

そこで、

「急ぎではないので、手が空いたときで大丈夫です」

「今日中でよいので、都合のいい時間を教えてください」

「質問をまとめて送っておきます」

と、一言添えることができます。

相手に選択肢を渡すのです。

本当にすぐ確認する必要があるのか。

10分後でもよいのか。

午後でもよいのか。

チャットに残しておけばよいのか。

この区別があるだけで、相手は自分の仕事を区切りのよいところまで進めやすくなります。

中断を減らすというと、冷たい職場を想像するかもしれません。

「話しかけるな」

「メールを送るな」

「すべて予約制です」

そんな空気では、相談したい人が困ります。

目指したいのは、人とのつながりを減らすことではありません。

相手の集中も、一つの大切な予定として扱うことです。

相談しやすさと集中しやすさは、敵同士ではありません。

互いに少しタイミングを選ぶことで、同じ職場に住めます。

「速くできた自分」を、さらに急かさない

最後に、この研究から持ち帰りたいのは、自分への見方です。

中断が多い日にも仕事を終えられたら、それはあなたが影響を受けなかったからとは限りません。

影響を受けながら、速度を上げ、努力を増やし、なんとか完成させたのかもしれません。

だから、帰宅後にぐったりしていても、

「ちゃんと仕事を終えたのに、どうして疲れているんだ」

と責めなくてもよいのです。

むしろ、

「中断されるたびに戻ってきたんだな」

と考えてみてください。

電話のあとに戻った。

質問のあとにも戻った。

通知に注意を持っていかれたあとも、また戻った。

一日の仕事とは、前へ進むことだけではありません。

何度も道を外れながら、それでも元の道を探して戻ることでもあります。

仕事の中断を完全になくすことは難しいでしょう。

けれども、集中する時間を周囲に伝えることはできます。

通知を少しまとめることもできます。

中断後に、いきなり全力で走らず、自分を仕事へ戻す時間をつくることもできます。

そして何より、

「仕事はできていたのだから、疲れるはずがない」

という考えを手放すことができます。

仕事は終わった。

でも、心は疲れた。

その二つは矛盾しません。

中断の多い一日を走り切った心には、反省会より先に、少し静かな休憩が必要なのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

少し注意したい点:仕事の中断は必ず悪い?研究結果を読むときの注意点

この研究からは、なかなか印象的なことがわかりました。

仕事を中断された人は、元の作業を速く進めていました。

けれども、その一方で、ストレスや焦り、いら立ち、努力も増えていました。

これだけ聞くと、すぐに結論を出したくなります。

「やはり中断は悪だ」

「職場から電話とチャットを追放しよう」

「話しかけてきた同僚には、この論文を印刷して静かに手渡そう」

少々お待ちください。

研究結果は、便利なハンマーではありますが、世の中のすべてを釘として扱ってよいわけではありません。

この論文が示したのは、ある条件のもとで行われた実験の結果です。

面白い発見として受け取りながらも、

「これは、どんな人にも、どんな仕事にも、いつでも同じように当てはまるのだろうか」

と、一歩引いて考える必要があります。

参加者は48人で、実際の職場そのものではない

この研究に参加したのは48人で、平均年齢は26歳でした。参加者の多くはドイツの大学生です。

実験では、参加者が架空の会社の人事担当者になり、メールへ返信しました。

電話やインスタントメッセージによる中断も入り、かなり職場らしい状況がつくられています。

とはいえ、そこはやはり実験です。

参加者は本当にその会社へ勤めているわけではありません。

返信を間違えたからといって、取引先から苦情が来るわけでもない。

上司との人間関係が悪化するわけでもない。

「このメールを失敗したら、来月の評価に響くかもしれない」

という現実の重さまでは、完全には再現できません。

反対に、実際の職場には、実験には入りきらない要素がたくさんあります。

長年の経験。

仕事への慣れ。

上司との関係。

締め切りの厳しさ。

体調や睡眠不足。

中断してきた相手への感情。

「この人の質問なら喜んで答えたい」という場合もあれば、

「またこの話ですか。昨日も説明しましたよね」

という場合もあります。

同じ一回の中断でも、心への響き方は同じではありません。

したがって、この研究結果を、

「働く人は全員、中断されると必ず速くなり、必ずストレスを感じる」

と広げることはできません。

この実験では、そのような傾向が見られた。

まずは、その範囲で受け取るのが誠実です。

調べられたのは、比較的短い時間の変化

実験で参加者がメール課題へ取り組んだ時間は、各条件で20分前後でした。

約20分でも、中断された参加者のストレスや時間的な圧迫感は高くなりました。

これは十分に興味深い結果です。

しかし、この研究だけでは、

「中断の多い職場で半年働くとどうなるか」

「毎日中断され続けると、燃え尽きや体調不良につながるのか」

「休日まで疲れが残るのか」

といった、長期的な影響まではわかりません。

短い実験でストレスが増えたことと、長期的な心身の不調が起こることは、同じ話ではないからです。

ここを飛び越えて、

「通知が多いと病気になる」

「話しかけられる職場は危険だ」

と結論づけるのは、研究が渡してくれた切符で、勝手に終点の先まで乗ってしまうようなものです。

論文は、そこまでの運賃を払っていません。

この研究から言えるのは、少なくとも短時間の模擬的な仕事では、中断がストレスや焦り、努力の増加につながったということです。

長期間ではどうなるのかについては、別の研究も合わせて考える必要があります。

「速くなった」は「能力が上がった」ではない

この研究では、中断された参加者のほうが、メール作業そのものを短い時間で終えていました。

ここは、とても誤解されやすいところです。

「では、部下の仕事を速くするために、ときどき話しかければいいのですね」

違います。

その結論は、研究結果を少々元気よく飛び越えています。

中断によって、人間の能力が高まったと確認されたわけではありません。

参加者は、失った時間を取り戻そうとして、いつもより仕事の速度を上げた可能性があります。

これは、車の性能が上がったというより、運転手がアクセルを深く踏んだ状態です。

「いつもより速く走れました」

「すばらしい。では毎日その速度でお願いします」

「エンジンの話も聞いてください」

研究でストレスや努力が増えていたことを考えると、「中断は仕事を速くする便利な方法」とは言えません。

短期的に速度が上がったとしても、それを繰り返したときに同じ働き方を続けられるかは、この研究では確かめられていないからです。

速さだけを取り出し、心の負担を置いて帰ってはいけません。

この論文の結果は、二つで一組です。

仕事は速くなった。けれども、負担も増えた。

片方だけ持ち帰ると、研究の形が崩れてしまいます。

仕事の質がまったく変わらなかった、とも言い切れない

実験では、中断の有無によって、メールの誤りや丁寧さに統計的に明確な差は見つかりませんでした。

では、

「中断されても仕事の質には何の影響もない」

と言えるのでしょうか。

そこまで強くは言えません。

「明確な差が見つからなかった」という結果は、「完全に同じだと証明された」という意味ではないからです。

参加者の人数がもっと多ければ、小さな違いが見つかる可能性もあります。

また、今回の課題は、資料を確認しながら12通のメールへ返信する仕事でした。

短いメールへの返信と、複雑な企画書をつくる仕事では、求められる思考が違います。

文章の構成を長く保つ必要がある仕事。

慎重な判断が必要な仕事。

一つのミスが大きな事故につながる仕事。

新しい発想を生み出す仕事。

こうした課題でも、中断されながら速さと正確さを保てるかは、この研究だけではわかりません。

人事メールでは大きなミスが増えなかったとしても、外科手術や機械の点検、複雑な契約書の確認でも同じとは限りません。

メールが言います。

「私の結果を、すべての職業へ連れていかないでください」

そのとおりです。

研究結果には、それぞれ得意な範囲があります。

中断には、必要で役に立つものもある

この論文を読むと、電話や質問、メッセージをすべて敵にしたくなるかもしれません。

しかし、現実の職場では、中断が必要な場面もあります。

重大なミスに気づき、すぐに知らせる。

困っている同僚へ声をかける。

安全上の問題を伝える。

新しい情報を共有し、間違った方向へ進むのを防ぐ。

「その資料、古い数字を使っていますよ」

この一言で、数時間分のやり直しを防げることもあります。

「集中を守るため、完成するまで誰も話しかけないでください」

と言って、間違った資料を三日間かけて完成させたら、集中は守れても仕事は迷子です。

また、人との短い会話が気分転換になったり、孤独感をやわらげたりすることもあります。

すべての中断が、同じように不快で有害なわけではありません。

急ぎかどうか。

自分で対応するタイミングを選べるか。

相手との関係はどうか。

役に立つ情報か。

中断がどれほど頻繁に続くか。

こうした条件によって、受ける影響は変わるでしょう。

問題は「中断が存在すること」だけではなく、自分の意思とは関係なく、頻繁に注意を奪われ続けることなのかもしれません。

電話とメッセージは、いつでも同じとは限らない

この実験では、電話による中断とインスタントメッセージによる中断の間に、はっきりした違いは見つかりませんでした。

だからといって、

「電話もチャットも負担はまったく同じ」

と決めることはできません。

実験では、電話にもメッセージにもすぐ対応するよう指示されていました。

しかし、実際の生活では、連絡手段によって自由度が違います。

電話は鳴った瞬間に出ることを求められやすい。

メッセージなら、区切りのよいところまで待てる場合がある。

メールなら、急ぎでなければまとめて確認できる。

一方で、未読の数字が気になり、メッセージのほうが長く注意を引く人もいます。

連絡手段そのものだけでなく、

「いつまでに返す必要があると思っているか」

「返信を待たせることに、どれほど不安を感じるか」

も関係しそうです。

今回、電話とメッセージに違いが見つからなかったことは重要です。

ただし、それは「両者があらゆる場面で同じ」と証明した判決文ではありません。

この実験の条件では、明確な違いを確認できなかった。

それ以上でも、それ以下でもないのです。

自分の疲れを、すべて中断のせいにしない

この研究を知ると、

「今日疲れたのは、全部あの電話のせいだ」

「集中できなかったのは、同僚に話しかけられたからだ」

と考えたくなることもあります。

中断が負担の一部である可能性はあります。

しかし、疲れには多くの要因が関わります。

睡眠不足。

仕事量。

難しい人間関係。

体調。

締め切りへの不安。

空腹。

暑さや寒さ。

朝から靴下が片方ずつ微妙に違うという、説明しづらい落ち着かなさ。

人間の疲れは、単独犯とは限りません。

この論文は、中断という容疑者をかなり詳しく調べました。

けれども、すべての疲労事件を一人で起こしたと自白させたわけではありません。

「中断も影響しているかもしれない」と気づくことは、自分を理解する助けになります。

ただし、眠れないほどの疲れや強いストレスが長く続く場合には、中断対策だけで解決しようとせず、仕事量や環境、体調なども含めて考える必要があります。

この研究は「中断禁止令」ではなく、見えない負担への注意書き

この論文から受け取りたいのは、

「電話をなくせ」

「誰にも話しかけるな」

「一日中、通知を切って働け」

という極端な命令ではありません。

もっと静かなメッセージです。

人は中断されても、仕事を完成させることがある。だからこそ、その負担は見落とされやすい。

仕事が終わっていることと、本人が平気であることは同じではありません。

中断されても対応できることと、何度でも中断してよいことも同じではありません。

研究を読むときには、結果を小さくしすぎても、広げすぎてもいけません。

「たった48人の実験だから、何の意味もない」

と片づける必要はありません。

反対に、

「この研究で、中断はすべて有害だと証明された」

と大きな旗を立てる必要もありません。

この実験は、私たちが普段見落としやすいものへ、小さな照明を当てました。

予定どおり完成した仕事の陰で、人は速度を上げ、焦り、努力を増やしていることがある。

その光景を知ったうえで、自分や周囲の働き方を少し見直す。

それくらいの距離感が、論文とのよい付き合い方です。

研究結果は、人生へそのまま貼りつける説明書ではありません。

世界を見る角度を、一度だけ変えてくれる小さな窓です。

この窓から見えるのは、仕事の中断が必ず悪いという景色ではありません。

仕事ができている人の中にも、外からは見えない疲れがあるかもしれない。

まずは、その可能性を忘れないこと。

この論文から受け取れる、いちばん誠実で、いちばん人にやさしい注意点は、そこにあります。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

まとめ:仕事の中断で疲れるのはなぜ?速さの裏に隠れた心の負担

仕事中に電話が鳴る。

チャットの通知が届く。

同僚から、

「今ちょっといいですか?」

と声をかけられる。

一つひとつは、数分ほどの小さな出来事です。

だから私たちは、あまり大きな問題だとは考えません。

「電話に一本出ただけ」

「質問に少し答えただけ」

「メッセージを一件返しただけ」

そうやって、中断を「数分間の出来事」として数えます。

しかし、この研究が見せてくれたのは、その数分が終わったあとの景色でした。

中断された人は、元の仕事へ戻ります。

そして、失った時間を取り返すように、仕事の速度を上げます。

「遅れたぶん、急がなければ」

心の中で誰かが笛を吹き、本人は気づかないうちに走り始めます。

その結果、仕事はむしろ速く終わることがありました。

メールの誤りや丁寧さにも、明確な悪化は見られませんでした。

ここだけを見れば、なかなか見事です。

「中断されても、ちゃんとできていますね」

「ありがとうございます。人間、意外と丈夫です」

しかし、話はそこで終わりません。

仕事を速く終えた人たちの心では、ストレスや焦り、いら立ち、努力が増えていました。

つまり、仕事が進んだからといって、中断の影響がなかったわけではありません。

中断の影響を、自分の速度と努力で見えなくしていた可能性があるのです。

「仕事ができた」と「平気だった」は同じではない

この論文から持ち帰りたい大切なことは、仕事の成果と心の負担を分けて考える視点です。

資料を完成できた。

メールを返せた。

締め切りに間に合った。

大きなミスもしなかった。

それは確かに、「仕事ができた」ということです。

けれども、

「だから負担はなかった」

とは限りません。

雨の中を走って、予定どおり駅に着いた人がいたとします。

電車に間に合ったので、結果としては成功です。

しかし、到着した本人は、髪も服もぬれ、改札前で息を切らしています。

そこで、

「時間どおりに着いたのだから、疲れていないはずです」

とは言えません。

仕事も同じです。

予定どおりに終えたことと、穏やかに終えたことは別の話です。

中断の多い日にぐったりしていても、それはあなたの集中力が弱いからではないかもしれません。

何度も仕事を止められ、そのたびに頭を切り替え、元の場所を探し、遅れを取り戻していた。

見えないところで、何度も仕事を立て直していたのです。

疲れた日は「何をしたか」だけでなく「何度戻ったか」を見る

一日の終わりに、自分へこう尋ねることがあります。

「今日は、何をしただろう」

この問いに答えると、意外と仕事が少なく見える日があります。

メールを作った。

資料を一つまとめた。

相談に対応した。

それくらいしか思い出せない。

すると、

「たいしたことをしていないのに、どうしてこんなに疲れているんだろう」

と、自分を責めたくなります。

そんなときは、もう一つの質問を加えてみてください。

「今日は何度、やっていたことを止めて、また戻っただろう」

電話のあとに戻った。

質問のあとに戻った。

通知を確認したあとに戻った。

急な依頼へ対応したあとに戻った。

一度始めた仕事へ、何度も帰ってきた。

仕事の一覧には一行しか残らなくても、その一行へたどり着くまでに、心は何度も遠回りしていることがあります。

一日の疲れは、仕事の量だけでは測れません。

集中の再起動回数も、静かに体力を使っています。

パソコンでも、何度も再起動すれば時間がかかります。

人間だけが、

「再起動しましたが、待ち時間も消耗もゼロです」

という高性能な機械であるはずがありません。

中断をなくすより、心が走り続けない工夫をする

現実には、仕事の中断を完全になくすことはできません。

誰かが困っていれば、相談に乗る必要があります。

急ぎの連絡には、すぐ対応しなければならないこともあります。

人と働く以上、中断は職場に住んでいます。たぶん、かなり長期契約です。

だから目指したいのは、「誰にも話しかけられない職場」ではありません。

必要のない中断を少し減らし、必要な中断のあとに、心が全力疾走しなくて済む働き方です。

集中する時間を周囲に伝える。

通知をまとめて確認する。

急ぎの連絡と、あとでよい連絡を分ける。

中断される前に、次にすることを短くメモしておく。

元の仕事へ戻ったら、すぐに急ぐのではなく、まず現在地を確認する。

どれも、派手な方法ではありません。

人生が一夜で変わる仕事術でもありません。

しかし、心はたいてい、革命よりも小さな配慮に助けられます。

「次に何をするか、一行だけ残しておこう」

「この通知は、30分後にまとめて見よう」

「電話のあとだから、まず作業内容を思い出そう」

その小さな工夫が、心のアクセルを少しだけゆるめてくれます。

仕事を終えた自分に、見えない努力の分まで声をかける

この研究では、中断された人たちは仕事を投げ出しませんでした。

失った時間を取り返そうとし、速く働き、正確さや丁寧さも守ろうとしました。

とても人間らしく、そして少し切ない結果です。

私たちは、困った状況でも案外うまく働けます。

しかし、「うまくできた」ことを理由に、自分の疲れを無視してしまうこともあります。

「ちゃんと終わったのだから大丈夫」

「ミスをしていないのだから疲れるほどではない」

「ほかの人も同じように働いている」

そう言って、自分の心が支払った代金を、領収書ごと捨ててしまいます。

けれども、仕事が終わったあとに疲れているなら、その疲れには理由があるのかもしれません。

何度も中断されながら戻ってきた。

失った時間を埋め合わせた。

周囲には見えないところで、仕事を成立させ続けた。

だから、一日の終わりには、

「今日はもっと効率よくできたはずだ」

と反省する前に、こう言ってもよいのです。

「今日は何度も止まりながら、それでも戻ってきたな」

仕事を終えたことだけでなく、戻り続けたことも、立派な仕事の一部です。

この論文が教えてくれたのは、仕事の中断が必ず悪いという単純な話ではありません。

もっと静かで、人間味のある事実です。

人は中断されても仕事をやり遂げることがある。けれども、その頑張りが見えるとは限らない。

机の上の仕事が片づいていても、心はまだ息を整えているかもしれません。

そんな日は、次の仕事を急いで差し出す前に、少しだけ休ませてあげてください。

仕事はもう終わっています。

あとは、何度もそこへ戻ってきた心が、ゆっくり追いつくのを待つ時間です。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

あとがき

この論文を読んで、私は最初、少し意外に思いました。

仕事を中断された人が、むしろ速く働いていたからです。

てっきり、

「中断される」

「集中が切れる」

「仕事が遅くなる」

「やっぱり通知は悪者でした」

という、きれいな一本道の話だと思っていました。

ところが、人間はそんなに素直ではありません。

中断されると、ただ遅れるのではなく、

「まずい。取り返さなければ」

と、速度を上げることがある。

しかも、正確さや丁寧さまで、なるべく落とさないように頑張ってしまう。

私はこの結果を見て、

「人間って、ずいぶん健気だな」

と思いました。

邪魔が入っても、仕事を投げ出さない。

集中が切れても、また戻る。

時間を奪われたら、自分の努力で埋め合わせようとする。

その姿は立派です。

でも、立派すぎて、少し心配になります。

頑張れてしまうことが、疲れを隠してしまう

仕事が終わらなければ、周囲も異変に気づきます。

「何か困っているのかな」

「仕事量が多すぎたのでは」

「手伝ったほうがよいかもしれない」

そう考えてもらえることがあります。

ところが、本人が仕事を終えてしまうと、問題は消えたように見えます。

資料は完成している。

メールも送ってある。

締め切りにも間に合っている。

すると、周囲からは、

「大丈夫だったんだな」

と見えます。

本人も、

「終わったのだから、疲れたなんて言ってはいけない」

と思ってしまうかもしれません。

私は、この「できてしまったからこそ、負担が見えない」という部分が、この論文のいちばん切ないところだと感じました。

仕事ができない人だけが苦しいわけではありません。

仕事ができている人も、できる状態を守るために、見えないところで走っていることがあります。

むしろ、責任感が強く、急な依頼にも応え、周囲の質問にも丁寧に対応する人ほど、自分の疲れを努力で隠してしまうのかもしれません。

「まだ働ける」は、「まだ余裕がある」と同じではない。

この二つを、私はつい混同してしまいます。

私たちは、完成品ばかり見ている

仕事では、目に見える成果が評価されます。

何件対応したか。

どれだけ早く終えたか。

ミスがなかったか。

これは当然のことです。

会社が、

「今日は何度、心の中でため息をつきましたか」

を正式な成果として集計し始めたら、それはそれで会議が大変になります。

ただ、完成したものだけを見ていると、そこへ至るまでの道のりが消えてしまいます。

静かな環境で仕上げた資料も、十回中断されながら仕上げた資料も、完成すれば同じ一つの資料です。

けれども、つくった人の中に残る疲れは、同じではないかもしれません。

仕事の数字は、完成品を数えることは得意です。

でも、何度集中を立て直したのか、どれくらい焦って速度を上げたのかまでは、なかなか数えてくれません。

だからこそ、自分くらいは、その見えない部分を見てあげてもよいのではないでしょうか。

「今日は資料を一つしかつくれなかった」

ではなく、

「電話や相談に対応しながら、何度も資料へ戻った」

と捉えてみる。

仕事の数だけでなく、戻ってきた回数も、自分の働きの一部として数えてみる。

それだけで、一日の見え方が少し変わります。

「今ちょっといい?」には、時間以上の重さがある

私自身も、「今ちょっといいですか?」という言葉を使います。

質問する側にいるときは、本当にちょっとのつもりです。

一分で終わる確認。

短い相談。

すぐ答えられそうな質問。

けれども、こちらの一分は、相手にとっての一分とは限りません。

相手は、ようやく考えがつながったところかもしれない。

文章の結論が見えかけたところかもしれない。

難しい数字の関係を、頭の中で組み立てている途中かもしれない。

そこへ私が、

「今ちょっといいですか?」

と入っていく。

質問自体は一分で終わっても、相手が元の場所へ戻るまでには、もう少し時間がかかるかもしれません。

しかも相手は、その遅れをこちらへ請求しません。

「ただいまの質問により、集中の再建費用が発生しました」

という請求書も届きません。

何も言わずに、少し速く働いて取り返す。

この論文を読んでから、「ちょっと」という言葉を、以前より少し重く感じるようになりました。

もちろん、質問をしてはいけないわけではありません。

人と働く以上、相談や確認は必要です。

ただ、

「急ぎではないので、手が空いたときで大丈夫です」

「まとめて聞いたほうがいいですか?」

「今ではなく、区切りのよいときで構いません」

という一言を添えることはできます。

相手の集中を壊さない完璧な方法はなくても、相手がタイミングを選べる余白は渡せます。

その余白は、数分以上の価値を持つことがあると思います。

疲れには、見えない理由がある

私はこの論文を読みながら、「なぜか疲れた日」のことを考えていました。

仕事量だけを見ると、それほど多くない。

大きな失敗もない。

忙しさを説明しようとしても、うまく言葉にならない。

それなのに、帰宅すると何もしたくない。

そんな日は、自分に対して少し厳しくなります。

「今日はそんなに働いていないのに」

「もっと効率よくできたのでは」

「体力が落ちたのかな」

でも、その日の予定表には書かれていない仕事があります。

電話に出る。

話を聞く。

質問に答える。

連絡を確認する。

途中だった仕事を思い出す。

もう一度、頭の中に道をつくる。

そして、遅れた気がして少し急ぐ。

この小さな動きを一日に何度も繰り返していたら、疲れるのは不思議ではありません。

私たちは、仕事そのものだけでなく、仕事へ戻ることにも力を使っています。

だから、「なぜ疲れたのかわからない」という日は、理由がないのではなく、理由が細かすぎて見えなかっただけかもしれません。

疲れは、ときどき大きな岩としてやってくるのではなく、小石を何十個もポケットに入れたような形でやってきます。

一つひとつは軽い。

けれども、一日の終わりには、ずいぶん重くなっている。

アドラーの昼寝として、この論文から持ち帰りたいこと

「アドラーの昼寝」では、心理学の研究を、正しい知識として並べるだけでなく、読んだ人が自分を見る角度を少し変えられる形で届けたいと思っています。

この論文から私が持ち帰りたいのは、効率的な仕事術だけではありません。

もっと手前にある、自分へのまなざしです。

仕事を終えたのに疲れているとき、

「終わったのだから、平気なはず」

と決めつけないこと。

何度も中断されながら仕事を続けた自分に、

「たいしたことはしていない」

と言わないこと。

仕事ができたという結果の裏に、速度を上げ、焦りを飲み込み、何度も集中を立て直した自分がいるかもしれない。

その人を、結果表から消さないことです。

私は心理学の論文を読むたびに、人間を効率よく動かす方法よりも、人間がどれほど無理をして効率を守っているのかを考えさせられます。

人は、かなり頑張れます。

だからこそ、「まだ頑張れる」を基準にしてはいけないのでしょう。

壊れるまで走れるかではなく、走ったあとにどれくらい息を整える必要があるかを見る。

それも、自分を大切に扱う方法の一つだと思います。

今日、仕事中に何度も話しかけられた人。

通知に呼ばれるたび、別の画面を開いた人。

急な依頼を引き受けながら、元の仕事も終えた人。

あなたの一日は、完成した仕事の数だけではできていません。

何度も止まり、何度も道を外れ、それでも戻ってきた時間でできています。

机の上では、もう仕事が終わっているかもしれません。

でも、心は少し遅れて帰ってくることがあります。

そんなときは、急いで次の仕事を渡さず、しばらく座る場所を空けておきたいものです。

サイト名のとおり、心にも少し「昼寝」が必要です。

怠けるためではありません。

何度も中断されながら、それでも今日という仕事へ戻り続けた心を、ようやく自分のもとへ迎えに行くためです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

制作ノート

出典論文:Mark, G., Gudith, D., & Klocke, U.(2008). The Cost of Interrupted Work: More Speed and Stress. Proceedings of the SIGCHI Conference on Human Factors in Computing Systems(CHI ’08), 107–110. Association for Computing Machinery. DOI:10.1145/1357054.1357072

掲載・確認先ACM Digital Library / Google Scholar / 著者公開PDF

記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。

制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。

阿部牧歌(管理人)
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はじめまして。心理学の論文要約サイト「アドラーの昼寝」を運営している阿部牧歌です。 これまで、障がい者福祉事業所の施設長などを経て、現在は某就労支援機関にてキャリアコンサルタントとして働いています。 日々、さまざまな悩みや不安、迷いにふれる中で感じるのは、人の心はとても複雑なのに、ひとつの言葉や考え方で少し楽になることがある、ということです。心理学の論文には、そんな「心を理解するためのヒント」がたくさん詰まっています。けれど、そのまま読むには少しかたくて、専門用語も多く、気軽には近づきにくいものでもあります。 「アドラーの昼寝」では、そんな心理学の論文を、なるべくわかりやすく、やわらかく、そして少し面白く読める形にしてお届けしたいと思っています。読書が好きで、本の中を歩くように言葉を読む時間が昔から好きでした。論文もまた、少し入り口を整えるだけで、ぐっと親しみやすいものになります。 このサイトが、忙しい日々のなかでほんの少し立ち止まり、自分や誰かの心をやさしく見つめるきっかけになれば嬉しいです。
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