数学の勉強法|同じ種類の問題を続けるより混ぜて解くほうが身につく?
数学の問題、同じ種類ばかり解いていませんか?
『数学の問題は「シャッフル」して解くと、もっと身につく』ダグ・ローラー、ケリー・M・テイラー(2007)
Rohrer, D., & Taylor, K.(2007). The Shuffling of Mathematics Problems Improves Learning. Instructional Science, 35(6), 481–498.
DOI:10.1007/s11251-007-9015-8
数学の問題集を開くと、たいてい同じ種類の問題が、仲よく一列に並んでいます。
まずは面積を求める問題が10問。その次は体積を求める問題が10問。さらに進むと、方程式の問題がずらり。
問題集の編集者から、
「本日の一行目から十行目までは、こちらの公式をご利用ください」
と、丁寧に案内されているようなものです。
最初の一問では「どうやって解くんだっけ」と悩んでいたのに、三問目あたりから手が動き始めます。そして五問目になるころには、
「なるほど、今日はこの公式を使えばいいのね」
と分かってきます。
十問目を解き終えたころには、なんだか数学が得意になった気さえしてきます。
「先生、もう大丈夫です。わたし、完全に理解しました」
ところが翌週、いろいろな種類の問題が混ざったテストを渡されると、鉛筆が急に無口になります。
「ええと、この問題は……どの公式を使うんでしたっけ?」
昨日まであんなに元気だった公式たちは、頭のなかの押し入れに隠れ、呼んでも返事をしてくれません。
これは、あなたの記憶力が悪いからとは限りません。もしかすると、練習問題の並び方が、こっそり答えのヒントを教えてくれていたのかもしれないのです。
「解けた」と「見分けられた」は、少し違う
同じ種類の問題を続けて解くとき、私たちは「どの解き方を使うか」をあまり考えなくても済みます。
前の問題で使った方法を、そのまま次の問題にも使えばよいからです。いわば、電車のレールがすでに敷かれていて、そこをまっすぐ走っている状態です。
もちろん、この練習にも意味はあります。計算の手順を覚えたり、一つの解き方に慣れたりするには役立つでしょう。
ただし、本番のテストや日常の問題は、親切に種類別で並んではくれません。
「こちらは掛け算の問題です」
「次は割合の公式をお使いください」
などという札は、どこにも立っていないのです。
必要なのは、計算できる力だけではありません。目の前の問題を見て、
「これは、どの方法で解けばいいのだろう」
と判断する力も必要です。
そこで登場するのが、異なる種類の問題を混ぜて解く練習です。
足し算、掛け算、割合、面積といった問題をシャッフルすると、解くたびに「今回は何を使うのか」を考えなければなりません。
頭にとっては少々面倒です。
「さっきと同じ方法でいいじゃないですか」
と、脳から小さな苦情が届くかもしれません。
しかし、その面倒くささこそが、問題を見分ける力を育てている可能性があります。
練習中に苦戦しても、あとで力になる?
ダグ・ローラー(Doug Rohrer)とケリー・テイラー(Kelli Taylor)は、2007年に発表した研究で、数学の問題をどのような順番で練習すると学びやすいのかを調べました。
同じ種類の問題をまとめて解く方法と、異なる種類の問題を混ぜて解く方法を比べたのです。
興味深いのは、問題を混ぜた練習が、必ずしも練習中から楽に感じられるわけではないことです。
むしろ、問題の種類が変わるたびに解き方を選ばなければならないため、少し難しく感じます。
「こっちの勉強法、なんだか成績が悪くなりそうなんですけど」
と思うかもしれません。
ところが研究では、練習中の手応えと、時間がたったあとの学習成果が、同じ方向を向くとは限らないことが示されました。
スラスラ解ける練習は気分がよい。一方で、少し迷う練習のほうが、あとになって力を発揮することがある。
学びの世界では、ときどき「簡単に進めた道」よりも、「少し立ち止まった道」のほうが、記憶に深い足跡を残します。
この記事では、ローラーとテイラーの実験をもとに、なぜ数学の問題を混ぜて解くと学習に役立つ可能性があるのかを、わかりやすく見ていきます。
問題集をきれいに順番どおり進める前に、ほんの少しだけページを行ったり来たりしてみる。
その小さなシャッフルが、眠そうにしていた頭を起こし、
「さて、この問題はどう料理しましょうか」
と、本気で考え始めるきっかけになるかもしれません。

この論文をひとことで言うと
数学の問題は、同じ種類をまとめて解くより、いろいろな種類を混ぜて解いたほうが、あとで見分けて解く力が身につきやすい。
ひとことで言えば、これがローラーとテイラーの研究が伝えていることです。
もう少しくだけて表現するなら、
「数学の問題たちを種類別に整列させすぎず、ときどきシャッフルしたほうが、頭がちゃんと働きますよ」
という話です。
たとえば、同じ公式を使う問題を10問続けて解くとしましょう。
一問目では、
「ええと、どの公式だったかな」
と考えます。
しかし、二問目、三問目と進むうちに、頭のなかではこんな会話が始まります。
「次も同じ公式ですか?」
「はい、同じです」
「その次も?」
「はい。しばらく同じです」
こうなると、問題を見て解き方を選ぶというより、直前に使った方法をそのまま繰り返す練習になりやすいのです。
もちろん、計算手順に慣れるという意味では役立ちます。ただし、少し困ったことがあります。
本番のテストでは、問題が種類別に整列してくれないのです。
「ここから先は三角形の面積です」
「次のページは連立方程式だけです」
などと、親切な看板を持って待っていてはくれません。
問題は突然、知らない顔をして現れます。
「さて、わたしにはどの公式を使うでしょう?」
まるでクイズ番組の司会者です。
そこで必要になるのが、計算する力だけでなく、問題の種類を見分け、適切な解き方を選ぶ力です。
問題を混ぜると、頭に「選ぶ仕事」が生まれる
異なる種類の問題を混ぜて練習すると、一問ごとに立ち止まる必要があります。
「これは前の問題と同じ解き方かな」
「いや、見た目は似ているけれど、別の公式を使うぞ」
「そもそも何を求める問題なんだ?」
こうした判断が毎回必要になります。
練習中の頭は、少し忙しくなります。
同じ種類の問題を続けるときのように、スイスイとは進めないかもしれません。むしろ、
「問題を混ぜたら、さっきより解けなくなったんですけど」
と不安になることもあるでしょう。
しかし、それは必ずしも学習が失敗しているサインではありません。
問題を混ぜることで難しくなったのは、計算そのものだけではなく、どの解法を使うか選ばなければならなくなったからです。
つまり、頭がサボれなくなったのです。
同じ問題が続く練習では、頭は前の答えを見ながら歩けます。一方、問題を混ぜた練習では、一問ごとに地図を広げ、
「次はどちらへ進む?」
と考えなければなりません。
時間はかかります。少し迷います。しかし、その迷いのなかで、問題を見分ける力が鍛えられていきます。
練習中の「できた感」は、少々おしゃべりである
この研究のおもしろいところは、練習中に感じる手応えと、あとで本当に解けるかどうかが一致しない場合を示していることです。
同じ種類の問題を続けていると、練習中はよく解けます。
すると私たちは、
「今日の勉強、かなり身についたな」
と思います。
ところが、その「できた感」には、問題の並び順からもらったヒントが混ざっているかもしれません。
次も同じ解き方だと分かっているから解けたのに、自分では、
「問題を見ただけで解法が分かった」
と思い込んでしまうのです。
頭のなかの小さな広報担当者が、
「本日の学習は大成功でした!」
と発表している横で、記憶の担当者が小声で、
「いや、まだ本番では使えるか分かりませんけどね」
と言っているような状態です。
反対に、問題を混ぜた練習では、間違えたり迷ったりする回数が増えるかもしれません。
そのため、勉強した本人は、
「今日はあまり進まなかった」
と感じやすくなります。
けれども、目の前の問題に合った解法を自分で選ぶ練習をしているため、時間がたったあとのテストでは、その苦労が力になる可能性があります。
この論文が私たちに教えてくれるのは、練習中に気持ちよく解ける方法が、必ずしも長く身につく方法とは限らないということです。
学びは、ときどき少し意地悪です。
「簡単に解けましたね。では本当に分かったか、来週もう一度お会いしましょう」
と、忘れたころに確認しに来ます。
だからこそ、勉強では「何問解けたか」だけでなく、
自分で解き方を選べたか
という視点も大切になります。
問題を混ぜるという小さな工夫は、数学をわざと難しくするためのものではありません。
問題集という整えられた庭から一歩出て、どの道を進むか自分で判断する練習なのです。
この論文をさらに短くまとめるなら、こう言えるでしょう。
スラスラ解く練習だけでなく、少し迷って選ぶ練習が、本番で使える数学の力を育てる。

この論文の要点
1.数学の問題は、同じ種類をまとめるより、混ぜて練習したほうが身につきやすい
同じ公式を使う問題が10問続いていると、二問目からは解き方を予想できます。
「次も、さっきと同じ公式ですね?」
「はい、その予定です」
これでは計算の練習はできても、問題を見て解き方を判断する場面が少なくなります。
ローラーとテイラーの研究では、異なる種類の数学問題を混ぜて練習したグループのほうが、同じ種類をまとめて練習したグループよりも、時間を置いたテストでよい成績を示しました。
問題を混ぜることは、単なる気分転換ではありません。頭に毎回、「さて、今回はどの解き方を使いますか?」と尋ねる練習なのです。
2.問題を混ぜると、「計算する力」だけでなく「解き方を選ぶ力」も鍛えられる
数学では、公式を覚えているだけでは足りません。
目の前の問題を見て、
「これは、どの公式を使う問題なのか」
と見分ける必要があります。
同じ種類の問題が続く練習では、並び順が答えのヒントになります。一方、問題がシャッフルされていると、前の解き方をそのまま使えるとは限りません。
頭は一問ごとに立ち止まり、問題の特徴を見比べます。
「見た目は似ているけれど、さっきとは別の解き方だな」
この小さな判断の積み重ねが、本番で必要になる「解法を選ぶ力」を育てると考えられます。
つまり、問題を混ぜる練習は、数学の計算係だけでなく、頭のなかの作戦会議まで働かせる方法なのです。
3.練習中にスラスラ解けることと、本当に身につくことは同じではない
同じ種類の問題を続けると、練習中は正解しやすくなります。そのため、
「今日は絶好調。数学、完全に分かりました」
と感じるかもしれません。
ところが、そのスラスラ感には、問題の並び順から受け取ったヒントが含まれている可能性があります。
反対に、問題を混ぜると、練習中には迷いや間違いが増えやすくなります。本人としては、
「この勉強法、むしろ下手になっていませんか?」
と心配になるでしょう。
しかし、少し苦戦する練習が、時間がたったあとの成績につながることがあります。
この研究が教えてくれる大切な点は、楽にできる練習が、いつも効果の高い練習とは限らないということです。
勉強中の「できた気分」は、なかなか話のうまい営業担当です。気分だけで契約せず、少し時間を置いて、本当に自力で解けるか確かめることが大切なのです。

研究の背景:数学の勉強法は「同じ問題を繰り返す」だけでいいのか?
数学を身につけるには、たくさん問題を解くことが大切です。
これは、たしかに間違いではありません。
自転車も、料理も、楽器も、一度やっただけで上手になるわけではありません。数学だって同じです。公式を一度見て、
「はい、理解しました。今後は完璧です」
と教科書を閉じても、翌朝には公式のほうが、
「昨日、どこかでお会いしましたっけ?」
という顔をしていることがあります。
だから、繰り返し練習は必要です。
ところが、ここで一つの疑問が生まれます。
何を、どのような順番で繰り返せばよいのでしょうか。
問題集は、きれいに整理されすぎている?
一般的な数学の教科書や問題集では、同じ種類の問題がまとめて並んでいます。
あるページでは、一つの公式を説明する。
次のページでは、その公式を使う問題を何問も解く。
それが終わったら、別の公式へ進む。
非常に整っています。靴下売り場よりもきれいに種類分けされています。
たとえば、ある公式を使う問題が10問並んでいれば、最初の一問では解き方に迷っても、二問目からはだいたい予想できます。
「このページは、ずっと同じ公式を使うところですね」
問題集も黙ってうなずきます。
「ええ、本日は閉店までこちらの公式です」
この方法なら、計算手順を繰り返し練習できます。解くたびに慣れていき、正解も増えやすくなります。
そのため、学習者は手応えを感じます。
「よし、分かってきた」
先生や教材を作る側から見ても、学習が順調に進んでいるように見えます。
しかし、本当に知りたかったのは、練習中に正解できるかどうかだけではありません。
数日後、問題の種類が混ざった状態でも、自分で解き方を選んで解けるのか。
ここが、まだ十分には分かっていなかった大切な点でした。
本番では、問題が名札をつけてくれない
練習中には、
「今日はこの公式を使います」
と分かっていても、本番のテストではそうはいきません。
問題用紙の横に、
「この問題には、昨日習った公式をご利用ください」
という親切な案内係はいません。
目の前の問題を読んで、自分で判断する必要があります。
「これは、どんな種類の問題なのか」
「どの公式や考え方を使えばよいのか」
「見た目は似ているけれど、前の問題とは何が違うのか」
つまり数学では、覚えた手順を実行する力だけでなく、問題を見分けて、適切な方法を選ぶ力も必要なのです。
ところが、同じ種類の問題をまとめて解いていると、この「選ぶ練習」がほとんど起こりません。
次も同じ解き方だと分かっているため、問題の特徴を深く見なくても進めてしまうからです。
料理で言えば、ずっとカレーだけを作りながら、
「今日はどの料理を作るべきか判断する力も鍛えています」
と言っているようなものです。
カレーの腕前は上がります。しかし、突然キッチンに魚と大根を置かれたとき、
「さて、これはカレーに入れてよいのでしょうか」
という会議が始まります。
数学でも同じように、手順に慣れることと、状況に応じて手順を選ぶことは、似ているようで別の力なのです。
「間隔を空ける」と「種類を混ぜる」は同じなのか
学習研究では以前から、同じ内容を一度にまとめて練習するより、時間を空けて練習したほうが、長く覚えやすいことが知られていました。
いわゆる「詰め込み」よりも、何度かに分けて復習したほうがよい、という考えです。
しかし、ローラーとテイラーが気になったのは、単に時間を空けることだけではありませんでした。
異なる種類の問題を混ぜると、学習者は一問ごとに解き方を選ばなければなりません。
すると、混ぜて練習する効果は、
「同じ問題との再会まで時間が空いたから起きるのか」
それとも、
「異なる解き方を見比べ、自分で選ぶ必要があるから起きるのか」
という新しい疑問が生まれます。
時間の間隔が効いているのか。問題の混ぜ方が効いているのか。それとも、その両方なのか。
学習効果の台所には、調味料が二つ入っていました。研究者たちは、
「このおいしさ、どちらの調味料のおかげですか?」
と確かめる必要があったのです。
練習中の成績だけでは、勉強法を判断できない
もう一つの問題は、よい勉強法をどの時点で評価するかでした。
同じ種類の問題を続けて解けば、その場では正解しやすくなります。一方、異なる種類を混ぜれば、解き方を選ぶ必要があるため、練習中は間違いが増えるかもしれません。
もし練習中の点数だけを見れば、
「同じ種類をまとめたほうが効果的です」
という結論になりそうです。
しかし、学習の目的は、練習時間を気持ちよく過ごすことではありません。
時間がたったあとにも、自力で解けるようになることです。
練習中は優秀に見えても、一週間後には忘れているかもしれません。反対に、練習中は苦戦していても、その苦戦があとから力になる可能性もあります。
つまり、当時まだはっきりさせる必要があったのは、次の問いでした。
同じ種類の問題をまとめて解く方法と、異なる種類の問題を混ぜて解く方法では、時間がたったあとにどちらが本当に役立つのか。
そして、問題を混ぜることには、単に復習の間隔を空ける以上の意味があるのか。
この疑問を確かめるために、ローラーとテイラーは、練習中の解きやすさだけでなく、後日のテスト結果まで比べる実験を行いました。
研究の舞台に上がったのは、難解な数学理論ではありません。
「問題をどの順番で並べるか」という、一見すると地味なテーマです。
けれども、その順番は、学ぶ人の頭がただ手順を繰り返すのか、それとも問題を見分けて考えるのかを左右します。
問題集のページに静かに並んでいた問題たちは、実は並び順ひとつで、学び方そのものを変えていたのです。

研究方法:数学の問題を「まとめて解く」と「混ぜて解く」で比べてみた
ローラーとテイラーは、数学の問題をシャッフルする効果を確かめるために、大学生を対象とした二つの実験を行いました。
研究者たちが知りたかったのは、単純に言えば、次の二つです。
「同じ内容を一度にまとめて練習するのと、何回かに分けて練習するのでは、どちらがあとまで身につくのか」
そして、
「同じ種類の問題を続けて解くのと、異なる種類を混ぜて解くのでは、どちらがあとまで解けるのか」
似ているようですが、少し違う問いです。
一つ目は、練習する時間の配り方。
二つ目は、問題を並べる順番。
研究者たちは、この二つをいっぺんに鍋へ放り込まず、実験を分けて調べました。学習効果の料理番組で、
「まずは時間の配り方から味見しましょう」
「続いて、問題の並べ方を見てみましょう」
と、一つずつ確かめたわけです。
実験1では、まとめて練習するか、間を空けるかを比較
最初の実験では、大学生に、同じ種類の数学問題の解き方を学んでもらいました。
使われたのは、同じ文字を含む並び方の数を求める問題です。たとえば、同じ文字が何度か登場する文字列を、何通りに並べ替えられるかを計算します。
聞いただけで、
「本日の数学、なかなか渋い献立ですね」
と言いたくなる問題です。
参加者は解き方の説明を受けたあと、練習の進め方が異なるグループに分かれました。
あるグループは、複数の練習問題を一度にまとめて解きます。
別のグループは、同じ数の練習問題を二回に分け、間に1週間を空けて解きます。
さらに、まとめて解く問題数を少なくしたグループも設けられました。
大切なのは、同じ数の問題を解くグループ同士では、練習内容そのものは同じだったことです。
変えたのは、主に「一気にやるか」「間を空けるか」。
つまり、
「勉強時間を増やせば勝ちです」
という力技の大会ではありません。
同じ練習量でも、どのタイミングで取り組むかによって違いが出るのかを調べたのです。
そして、最後の練習から1週間後にテストを行い、どのくらい解き方が残っているかを比べました。
実験2では、同じ問題を固めるか、シャッフルするかを比較
二つ目の実験では、問題を解く「順番」に注目しました。
大学生は、見慣れない四種類の立体について、体積の求め方を学びました。
学校でおなじみの立方体や円柱ではなく、少し珍しい形です。参加者が以前から公式を知っていて、
「この問題、昔からの顔なじみです」
となりにくいように工夫されていました。
参加者は、二つのグループに分けられました。
一つは、同じ種類の問題をまとめて解くグループです。
たとえば、立体Aを四問、その次に立体Bを四問という具合に、種類別に整列させて練習します。
こちらは問題たちが、
「立体A組の皆さん、前へどうぞ」
「続いて立体B組です」
と、順番に入場する方式です。
もう一つは、四種類の問題を混ぜて解くグループです。
立体Aの次に立体C、その次に立体Bというように、問題がシャッフルされています。
このグループでは、一問ごとに、
「さて、この形にはどの公式を使うのか」
と判断しなければなりません。
両グループが見た説明と、解いた練習問題は同じです。練習回数も同じでした。
違っていたのは、問題が種類別にまとまっているか、混ざっているかです。
両グループとも1週間の間隔を空けて二回練習し、そのさらに1週間後に、新しい問題を使ったテストを受けました。
問題数ではなく、並べ方だけを変えた
この研究方法のおもしろい点は、特別な教材や長時間の追加授業を用意したわけではないことです。
「シャッフル組には、こっそり高級な参考書を渡しました」
ということでもありません。
参加者が学んだ内容や、取り組んだ問題は基本的に同じです。
研究者たちは、主に二つだけを動かしました。
一つは、練習を一度にまとめるか、時間を空けるか。
もう一つは、同じ種類の問題を固めるか、異なる種類を混ぜるか。
そして、練習中に何問解けたかだけでなく、1週間後にも解けるかを確かめました。
ここが重要です。
練習直後にテストをすれば、さっき使った公式が頭に残っています。
脳も、
「その件でしたら、つい先ほど担当しました」
と元気に答えられます。
しかし、時間がたってからのテストでは、直前の記憶や問題の並び順に頼れません。
本当に解き方が身についているか、自分で適切な公式を選べるかが試されます。
つまりこの研究は、勉強している最中の「よく解けました」ではなく、少し時間がたったあとにも、その知識を自力で使えるかを調べた実験だったのです。

この研究でわかったこと:数学の問題は混ぜて解くほうが身につく?1週間後のテストで見えた差
研究の結果を先にひとことで言うと、こうなります。
数学の問題は、一度にまとめて練習するより間隔を空け、同じ種類を固めるより異なる種類を混ぜたほうが、時間がたったあとのテストでよい成績につながりました。
「なるほど。やっぱり問題を混ぜればいいんですね」
と、すぐ問題集をトランプのように切り始めたくなるところですが、少しお待ちください。
この研究のおもしろさは、単に「混ぜたグループが勝ちました」という結論だけではありません。
本当に注目したいのは、練習中には効果が低そうに見えた方法が、1週間後には力を発揮したことです。
つまり、学習効果はその場の手応えだけでは判断できなかったのです。
実験1では、間隔を空けた練習が1週間後に強かった
最初の実験では、同じ種類の数学問題を一度にまとめて練習する方法と、二回に分けて間隔を空ける方法が比べられました。
結果は、練習を二回に分けたグループのほうが、最後の練習から1週間後のテストでよい成績を示しました。
ここで大切なのは、ただ問題をたくさん解けばよかったわけではないことです。
同じ数の問題を解く場合でも、一度に全部終わらせるより、間を空けてもう一度取り組んだほうが、解き方が残りやすかったのです。
一気に勉強する方法は、気分としては非常に立派です。
机に向かい、問題を次々と解き、
「本日の勉強、八問まとめて完了しました」
とノートを閉じる。その瞬間には、かなり働いた感じがあります。
一方、間隔を空ける方法では、数日後にもう一度、忘れかけた解き方を呼び戻さなければなりません。
脳にとっては、
「この案件、先週終わったと思っていたのですが」
という再出勤です。
しかし、この再出勤が重要でした。
一度覚えたことを、少し忘れかけたころにもう一度使うことで、知識を引っぱり出す練習が起こります。
学んだ直後には元気だった解き方が、一週間後にもちゃんと出勤できるようになったのです。
実験2では、練習中は「まとめて解く」ほうが好調だった
続く実験では、同じ種類の問題をまとめて解く方法と、複数の種類を混ぜて解く方法が比較されました。
ここで、意外な展開が起こります。
練習中だけを見ると、同じ種類の問題をまとめて解いたグループのほうが、よく解けていたのです。
これだけを見れば、
「ほら、やっぱり同じ種類を続けたほうが分かりやすいじゃないですか」
という話になりそうです。
同じ種類の問題が続けば、使う公式も予想できます。
最初の問題で解き方が分かれば、次の問題にも同じ方法を使えます。
参加者の頭のなかでは、
「次はどの公式でしょう?」
「さっきと同じです」
「では、そのまま行きます」
という、非常に平和なやり取りが続きます。
反対に、問題を混ぜたグループは、一問ごとに形を見て、使う公式を選ばなければなりません。
さっき使った公式を、そのまま持ってくると間違えることもあります。
「前の問題と同じ方法で参ります」
「残念ながら、今回は別の立体です」
そんな小さな衝突が、練習のたびに起こります。
そのため、混ぜて練習した人たちは、練習中には苦戦しました。
勉強している本人からすれば、
「まとめて解いたほうが正解できるし、そちらのほうがよい勉強法では?」
と思うのが自然です。
ところが、研究はそこで終わりませんでした。
1週間後、成績の並び順がひっくり返った
参加者たちは、練習を終えたあと、時間を空けてテストを受けました。
テストでは、練習したものと同じ種類ではあるものの、新しい問題が出されました。しかも、さまざまな種類が混ざっています。
すると、練習中には苦戦していた「問題を混ぜたグループ」のほうが、1週間後のテストでよい成績を示したのです。
練習中には、まとめて解くグループが前を走っていた。
ところが本番になると、混ぜて解くグループが追い抜いた。
勉強法の順位表が、時間を置いたら入れ替わったわけです。
「練習中は、こちらのグループが勝っていましたよね?」
「はい」
「では、なぜ本番では負けたのですか?」
「問題の種類を自分で見分ける練習が足りなかった可能性があります」
そんな取材会見を開きたくなる結果です。
ここが、この研究で最も意外なところです。
普通は、練習中に正解が多ければ、
「よく学べている」
と考えます。
ところが今回の実験では、練習中の正解の多さが、後日の成績をそのまま予告してくれませんでした。
むしろ、練習中には難しく感じられた方法のほうが、あとになって役立ったのです。
問題を混ぜると、公式だけでなく「選び方」を練習できる
では、なぜ問題を混ぜたグループが、あとから強くなったのでしょうか。
考えられる理由の一つは、問題を混ぜることで、どの解き方を使うかを選ぶ練習が増えたことです。
同じ種類の問題がまとまっていると、学習者は公式の使い方を繰り返せます。
ただし、
「なぜ今回は、この公式を使うのか」
を毎回考える必要はありません。
ページ全体が、すでに答えをほのめかしているからです。
一方、異なる問題が混ざっていると、公式を覚えているだけでは足りません。
問題の形や条件を見比べて、
「これは、どの種類だろう」
「前の問題とは何が違うのだろう」
「どの公式が合っているだろう」
と判断する必要があります。
このとき、数学の知識は、棚に置かれているだけでは済みません。
必要な道具を自分で選び、棚から取り出して使わなければならないのです。
同じ種類をまとめた練習が、一つの道具を何度も使う訓練だとすれば、混ぜた練習は、道具箱を開けて、
「今回必要なのは、どれですか?」
と選ぶ訓練です。
実際のテストで求められるのは、こちらの力です。
テスト用紙は、問題の横に使う公式を書いてくれません。
公式を覚えているかだけでなく、適切な公式を選べるかが試されます。
問題を混ぜる練習は、本番に近い判断を、練習の段階から行わせていたと考えられます。
「簡単に解けた」は、学習効果の証明書ではない
この結果は、私たちが勉強法を選ぶときの感覚に、少し注意を促しています。
人は、スラスラ解ける方法を、
「自分に合っている」
と感じやすいものです。
反対に、間違いや迷いが増える方法は、
「効率が悪い」
「自分には向いていない」
と感じやすくなります。
もちろん、難しければ難しいほどよい、という話ではありません。
説明をまったく理解できないまま問題を混ぜても、頭のなかで公式たちが集団迷子になるだけです。
まずは一つひとつの解き方を理解する必要があります。
ただし、基本を理解したあとまで、ずっと同じ種類だけをまとめて解いていると、練習中の正解率は高くても、本番に必要な「見分ける力」が十分に育たない可能性があります。
つまり、
練習中に楽であることと、あとで使えることは、同じではない。
これが、この研究から読み取れる大切なメッセージです。
勉強している最中の気分は、
「今日はよくできました」
と大きな声で報告してきます。
しかし、本当に知識が身についたかどうかを決めるのは、その場の拍手ではありません。
少し時間がたったあと、ヒントのない問題を前にしても、自分で解き方を選べるかどうかです。
この研究は、数学の問題をただ増やすのではなく、問題の間隔と並べ方を工夫するだけでも、学び方は変わることを示しました。
問題集の中身を新しくしなくても、順番を少し崩すだけで、頭の働き方が変わる。
整列していた問題たちを少しシャッフルすると、脳はようやく腕をまくり、
「今回は、自分で考えないといけませんね」
と、本当の仕事を始めるのです。

ここが面白い:「できた気がする勉強法」ほど、あとで忘れやすい?
この研究の面白さは、数学の問題を混ぜると成績が上がったことだけではありません。
もっと面白いのは、私たちは自分がどれくらい学べているのかを、意外とうまく判断できないという点です。
同じ種類の問題をまとめて解くと、練習中はスラスラ進みます。
最初の一問では迷っていても、二問目からは、
「はいはい、さっきと同じ公式ですね」
と手が動きます。
三問目、四問目と進むころには、鉛筆もかなりの得意顔です。
「今日は調子がいいな」
「この単元、もう理解したかもしれない」
「わたしの数学人生、ここから始まるのでは?」
そんな気持ちになるかもしれません。
けれども、そのスラスラ感は、本当に自分の力だけで生まれているのでしょうか。
もしかすると、問題の並び順が、後ろからそっと自転車を支えてくれているだけかもしれません。
問題集が、こっそり答えを教えている
同じ種類の問題がまとまっていると、私たちは問題そのものを深く見なくても、使う公式を予想できます。
たとえば、「円柱の体積」の練習ページなら、次の問題も円柱です。
ページの上には大きく「円柱の体積」と書かれています。
例題でも円柱を扱っています。
前の問題でも円柱の公式を使いました。
ここまでヒントがそろうと、問題集はほとんど耳元で、
「次も円柱ですよ」
と教えてくれています。
もちろん、問題文には答えそのものは書かれていません。
けれども、「どの解き方を使うか」という最も大切な判断については、かなり助けてもらっているのです。
それでも正解できると、私たちは、
「自分で問題を見抜いて解いた」
と感じます。
しかし実際には、
「このページでは、この公式を使う」
と分かっていたから解けた可能性があります。
頭のなかで、実力とヒントが共同作業をしているのに、表彰台には実力だけが上がっているわけです。
ヒントさんは舞台袖で、
「わたしも、かなり働いたんですけどね」
と小さく手を振っています。
混ぜると、問題の顔を見なければならなくなる
異なる種類の問題を混ぜると、この親切な案内がなくなります。
円柱の次に円すいが来る。
その次に直方体が来る。
さらに別の形が現れる。
こうなると、前の問題で使った公式をそのまま持ってくるわけにはいきません。
問題をよく見て、
「あなたは、どちらさまでしょうか」
と確認する必要があります。
形はどうなっているのか。
何が分かっているのか。
何を求めるのか。
どの公式が当てはまるのか。
一問ごとに、問題との面談が始まります。
同じ種類をまとめて解く練習では、公式の使い方を覚えられます。
一方、混ぜて解く練習では、公式の使い方に加えて、どの公式を使うべきかを見分ける力も必要になります。
ここが大きな違いです。
本番のテストでは、問題の横に、
「こちらには円すいの公式をご使用ください」
という説明書は置かれていません。
公式を知っているだけではなく、どの公式を呼び出すべきかを、自分で判断しなければならないのです。
問題を混ぜる練習は、その判断を毎回やらせます。
頭にとっては少し面倒です。
「公式を使うだけでも忙しいのに、選ぶところから自分でやるんですか」
と苦情が届きそうです。
しかし、その面倒さが、本番で使える力を育てていた可能性があります。
苦戦しているとき、頭のなかでは何が起きているのか
私たちは、勉強中に間違えると、不安になります。
「理解できていないのでは?」
「この方法は自分に合っていないのでは?」
「もっと簡単なやり方に戻ったほうがいいのでは?」
そう考えるのは自然です。
正解できれば、学べている気がする。
間違えれば、学べていない気がする。
感覚としては、非常に分かりやすい話です。
ところが、この研究では、練習中に苦戦した混合練習のほうが、後日のテストでよい結果を示しました。
つまり、苦戦していた時間は、ただ失敗していた時間ではなかった可能性があります。
その場では答えを間違えていても、頭のなかでは、
「この問題と、さっきの問題は何が違うのか」
「この公式では、なぜ解けないのか」
「次はどこを見れば判断できるのか」
という比較が起きています。
間違いながら、問題の違いを学んでいるのです。
勉強中の正解だけを見れば、混ぜる練習は遠回りに見えます。
しかし、頭のなかでは道の見分け方を覚えている。
目の前の問題を一問解くだけでなく、次に出会う問題のための地図を描いているわけです。
学びとは、ときどき変わった建築工事です。
地上から見ると、何も完成していないように見える。
けれども地下では、あとで建物を支える基礎が、静かにつくられています。
勉強の手応えは、即日発行の通知表である
この研究を読んでいると、「分かった気がする」という感覚は、即日発行の通知表に似ていると思います。
勉強が終わった直後に、
「本日の理解度は90点です」
と、自分の頭が勝手に採点してくれます。
ただし、この通知表には少し問題があります。
採点基準が、
「スラスラ進んだか」
「正解が多かったか」
「気持ちよく終われたか」
に偏っているのです。
本当に知りたいのは、
「1週間後にも覚えているか」
「問題の種類が混ざっていても解けるか」
「ヒントがなくても、自分で方法を選べるか」
ということです。
ところが、それは勉強直後には分かりません。
学習の本当の成績表は、少し遅れて届くのです。
注文した覚えのない請求書はすぐ届くのに、学習効果の通知だけはゆっくり来ます。
なかなか世の中は公平ではありません。
だから、勉強法を評価するときには、その場の気持ちよさだけで決めないほうがよいのでしょう。
「今日よく解けた」だけではなく、
「数日後に、何も見ずに解けるか」
を確かめる必要があります。
「難しい勉強が正義」という話ではない
ここで注意したいのは、この研究が、
「勉強は難しければ難しいほどよい」
と言っているわけではないことです。
まだ公式の意味も分からない段階で、いきなり何種類もの問題を混ぜたら、学習者は混乱します。
頭のなかで公式たちが、
「わたしは、いつ呼ばれるのでしょうか」
「そもそも、まだ自己紹介も済んでいません」
と右往左往することになります。
最初は、一つの解き方を理解する時間が必要です。
例題を見て、公式の意味を知り、基本的な使い方に慣れる。
そのうえで、少しずつ別の種類の問題と混ぜていく。
料理を覚えるときも、包丁を持った初日に、和食、フランス料理、中華料理を同時進行させる必要はありません。
まずは一品を覚える。
ただし、その一品だけを永久に作り続けるのではなく、やがて別の料理と行き来して、
「この食材には、どの方法が合うのか」
を考えるようにする。
数学の混合練習も、そんな段階的な使い方が向いています。
学びは「同じことを繰り返す」だけでは完成しない
この論文が教えてくれるのは、学習とは、単に正しい手順を繰り返すことではないということです。
本当に必要なのは、状況を見て、覚えた知識のなかから適切なものを選ぶ力です。
仕事でも同じです。
マニュアルどおりのケースが続けば、手順を覚えることができます。
けれども、現実のお客さんや相談者は、
「本日はマニュアルの3ページに該当する相談です」
と名札をつけて来てくれるわけではありません。
相手の話を聞き、状況を見て、
「今回は、どの知識や方法を使えばよいだろう」
と考える必要があります。
数学の問題を混ぜる練習は、知識を覚えるだけでなく、知識と現実を結びつける練習でもあります。
何を知っているか。
そして、それをいつ使うか。
この二つがそろって、知識はようやく道具になります。
知識をたくさん持っていても、必要な場面で取り出せなければ、頭のなかの倉庫は立派でも、受付係が不在です。
「その公式なら、たしか奥の棚にあります」
「取ってきてもらえますか?」
「担当者が本日お休みです」
これでは本番で困ります。
問題を混ぜることは、この受付係を鍛える練習なのかもしれません。
少し迷うことは、学びが動いている証拠かもしれない
この研究を日常の言葉に翻訳するなら、こうなります。
勉強中に少し迷うことは、必ずしも悪いことではない。
すぐに答えが出ない。
どの方法を使うか考える。
一度間違えて、問題の違いに気づく。
その時間は、見た目には効率が悪く見えます。
けれども、その小さな迷いのなかで、頭は知識の使い分けを学んでいます。
もちろん、迷子になり続ける必要はありません。
困ったら解説を読み、基本に戻ればよいのです。
ただ、学びの道から迷いを全部取り除いてしまうと、頭は道を選ぶ必要がなくなります。
いつも案内係の後ろを歩いている人は、道順を覚えにくい。
少しだけ自分で曲がり角を選んだ人は、次に一人で歩けるようになります。
スラスラ進める勉強は、私たちを安心させてくれます。
少し迷う勉強は、私たちを考えさせます。
そして時間がたったあと、頼りになるのは、安心した記憶よりも、自分で考えて選んだ経験なのかもしれません。
問題がきれいに整列しているとき、頭は手順を覚えます。
問題が少しばらばらになったとき、頭は判断を覚えます。
この研究の面白さは、問題の順番を変えただけで、学習者の頭に与えられる仕事まで変わったことです。
シャッフルされたのは、数学の問題だけではありません。
「できるとはどういうことか」という、私たちの思い込みまで、静かに並べ替えられたのです。

私たちの生活にどう活かせる?:数学の勉強にどう活かす?問題集を混ぜて復習する3つのコツ
この研究を読んで、
「なるほど。では、問題集を全部ばらばらに解けばいいんですね」
と思った方もいるかもしれません。
そして問題集を閉じ、適当なページを開いては一問解き、また別のページへ飛ぶ。
「今日は因数分解、次は図形、その次は確率。さあ来い、数学界」
勇ましい姿勢です。
ただし、最初から何もかも混ぜればよいわけではありません。
まだ解き方を理解していない問題まで大量に混ぜると、頭のなかで公式たちが緊急会議を始めます。
「呼ばれた気がするのですが、どの問題を担当すれば?」
「わたしは昨日習ったばかりです」
「責任者を呼んでください」
これでは、問題を見分ける練習というより、公式の避難訓練になってしまいます。
ローラーとテイラーの研究を生活に活かすときは、一つの解き方をある程度理解してから、別の種類と混ぜるのが基本です。
いきなり荒野へ放り出すのではなく、まず地図の読み方を教え、そのあと自分で道を選んでもらう。
そんな順番がちょうどよいでしょう。
コツ1.新しい単元を学んだら、まずは基本問題で解き方をつかむ
新しい公式や解き方を習った直後は、同じ種類の問題を何問か続けて解いてもかまいません。
たとえば、連立方程式を初めて学んだのなら、まずは連立方程式だけを数問解きます。
ここでは、
「この方法は、どのような手順で使うのか」
を覚えることが目的です。
料理で言えば、最初に一つのレシピを見ながら作ってみる段階です。
しょうゆと砂糖の分量も知らないのに、
「本日は和食とフランス料理を交互に作りましょう」
と言われても、台所が国際会議になります。
だから、最初から問題を混ぜる必要はありません。
例題を読む。
解き方をまねする。
同じ種類の基本問題を数問解く。
間違えたら、解説に戻る。
この段階では、同じ種類をまとめて練習することにも意味があります。
問題を混ぜるのは、少なくとも、
「この問題なら、この方法で解けばよい」
と、一度は理解したあとです。
目安としては、解説を見ながらではなく、基本問題を何問か自力で解けるようになったころです。
そこで初めて、頭に次の仕事を渡します。
「使い方は分かりましたね。では今度は、どの場面で使うかも選んでください」
頭にとっては昇進です。
本人はあまり喜ばないかもしれません。
コツ2.一つ前の単元を、今日の問題に少し混ぜる
問題を混ぜるといっても、大がかりな教材を用意する必要はありません。
今日勉強した問題に、以前習った問題を二、三問だけ混ぜればよいのです。
たとえば、今日は二次方程式を学んだとします。
最初に二次方程式の基本問題を何問か解く。
そのあとに、一次方程式や因数分解の問題を少し混ぜます。
すると、一問ごとに、
「これは二次方程式か」
「いや、こちらは因数分解だけで終わるぞ」
「この問題は、まず式を整理する必要があるな」
と判断する場面が生まれます。
これが、問題をシャッフルする練習です。
同じ単元だけを解いているときは、問題文をよく読まなくても、使う方法が分かってしまうことがあります。
しかし、別の種類が混ざると、問題の顔を見なければなりません。
人間関係でも、顔を見ずに全員へ同じあいさつをしていると、たまに取引先へ、
「お母さん、おかわり」
と言いかねません。
状況を見分けることが大切です。
数学も同じで、問題に合わせて方法を選ばなければなりません。
実践するときは、次のような組み合わせが考えられます。
- 今日習った問題を5問
- 先週習った問題を2問
- さらに前に習った問題を1問
全部を均等に混ぜなくてもかまいません。
主役は今日の単元で、過去の単元には脇役として少し登場してもらいます。
「本日の出演は二次方程式さん。特別出演として因数分解さんです」
このくらいから始めれば、混乱しすぎず、解き方を選ぶ練習ができます。
ただし、問題集に直接ランダム機能がついているとは限りません。
その場合は、ページを少し戻るだけで十分です。
今日のページを五問解いたあと、三日前のページから一問、一週間前のページから一問選ぶ。
問題集のページを少し行ったり来たりするだけで、きれいに整列していた問題たちが、ほどよく交流を始めます。
コツ3.時間を空けて「何も見ずに」もう一度解く
この研究では、問題を混ぜることだけでなく、練習の間隔を空けることも調べられました。
一度にまとめて終わらせるより、日にちを空けてもう一度取り組むほうが、後日のテストでよい結果につながったのです。
ですから、問題集を一周したときに、
「終わりました。二度とお会いすることはないでしょう」
と別れを告げるのは、少し早いかもしれません。
覚えた知識とは、一度会って名刺を交換しただけの関係です。
一週間後に再会して、
「お名前、覚えていますよ」
と言えるかどうかで、ようやく関係が深まります。
おすすめは、同じ問題や似た問題を、次のような間隔で解き直すことです。
まず、勉強した翌日。
次に、三日後から一週間後。
そのあと、二週間後や一か月後。
毎回たくさん解く必要はありません。
数問だけでも、自分の力で解き方を思い出す時間をつくります。
大切なのは、最初から答えや例題を見ないことです。
教科書を開く前に、
「この問題は、どうやって解くんだったかな」
と考えてみます。
すぐに思い出せなくても、落ち込む必要はありません。
むしろ、その「思い出そうとする時間」が練習です。
頭のなかの倉庫へ行き、
「先週使った公式、どの棚でしたっけ?」
と探すことで、次から取り出しやすくなります。
もちろん、しばらく考えて分からなければ、解説を見てかまいません。
大切なのは、答えを見て安心することではなく、見たあとにもう一度、自分で解き直すことです。
解説を読んで、
「なるほど、分かりました」
だけで終わると、理解は頭の玄関まで来ますが、靴を脱がずに帰ってしまうことがあります。
最後に一問、自力で解いてもらいましょう。
「せっかくですから、上がってお茶でも」
と、知識を頭のなかへ招き入れるのです。
資格試験では、分野別だけでなく総合問題も使う
この論文は数学学習の研究ですが、考え方は資格試験の勉強にも参考になります。
資格試験の問題集も、分野別に整理されていることが多いものです。
法律なら、契約、労働、保険。
福祉なら、制度、相談援助、医学。
パソコンなら、文書作成、表計算、情報管理。
最初は分野別に学ぶほうが理解しやすいでしょう。
しかし、本番では問題が、
「ただいまから労働法の時間です」
とまとまって出るとは限りません。
さまざまな分野の問題が混ざり、そのたびに、
「これはどの知識を使う問題か」
と判断する必要があります。
そこで、基本を一通り学んだあとには、分野別問題だけでなく、複数分野が混ざった過去問や模擬問題にも取り組みます。
たとえば、平日は一つの分野を学び、週末にはその週に学んだ内容を混ぜた小テストを行う方法があります。
月曜日は制度。
火曜日は相談援助。
水曜日は医学。
木曜日は復習。
そして土曜日に、三分野を混ぜた10問を解く。
頭としては、
「曜日ごとに担当部署を分けてくれませんか」
と言いたくなるでしょう。
しかし、本番では部署をまたいで対応する必要があります。
混合問題は、そのための合同訓練です。
仕事の研修では、手順だけでなく「どの手順を使うか」を練習する
仕事にも応用できます。
新人研修では、まず一つの手順を順番に覚えることが多いでしょう。
電話対応なら電話対応。
苦情対応なら苦情対応。
書類作成なら書類作成。
このように分けて練習することは、基本を覚えるうえで必要です。
しかし、実際の仕事では、相手がどの対応を必要としているかを自分で判断しなければなりません。
電話を取ったら、問い合わせかもしれない。
苦情かもしれない。
担当者への取り次ぎかもしれない。
場合によっては、
「それは別の部署ですね」
と案内する必要もあります。
そこで、基本を学んだあとの研修では、複数の事例を混ぜて練習すると役立つ可能性があります。
「次は苦情対応です」と予告せず、さまざまな相談事例をランダムに出す。
そして、
「この場合は、どの対応が必要か」
を考えてもらうのです。
マニュアルを暗記していても、使う場面が分からなければ、実務では困ります。
必要なのは、知識の量だけでなく、知識の呼び出し先を判断する力です。
頭のなかに立派な道具箱があっても、毎回ハンマーしか取り出さなければ、ネジまでたたき始めます。
状況に合った道具を選ぶ。
問題を混ぜる練習は、この選択の力を育てる考え方なのです。
語学では、同じ文法だけでなく複数の表現を混ぜる
語学学習にも、似た考え方を取り入れられます。
たとえば英語の過去形だけを20問解けば、途中から、
「全部、動詞を過去形にすればいいんですね」
と分かります。
しかし、現在形、過去形、未来形が混ざると、文の意味を読まなければ答えられません。
「昨日の話だから過去形」
「毎日の習慣だから現在形」
「来週の予定だから未来の表現」
という判断が必要になります。
単語学習でも、同じカテゴリーだけをまとめるより、ある程度覚えたあとには別のカテゴリーと混ぜる方法が考えられます。
食べ物の単語だけ。
動物の単語だけ。
仕事の単語だけ。
最初は分けて覚え、あとで混ぜて小テストをする。
すると、「このページは動物だから動物の名前だろう」というヒントが消えます。
単語そのものを見て、意味を思い出さなければなりません。
ただし、数学以外への応用については、この一つの論文だけで効果が証明されたわけではありません。
「どんな学習でも、混ぜれば必ず成功する」とまでは言えない点には注意が必要です。
それでも、知識を覚える練習と、使う場面を選ぶ練習は別であるという視点は、さまざまな学習に役立ちます。
「苦戦したから向いていない」と、すぐ決めない
この研究から、もう一つ生活に持ち帰りたいことがあります。
それは、練習中にうまくできなかったからといって、
「自分には才能がない」
「この勉強法は合っていない」
と、すぐに決めないことです。
問題を混ぜると、同じ種類を続ける場合より間違えやすくなることがあります。
それは、覚えていた公式が消えたからではなく、公式を選ぶという新しい作業が加わったからかもしれません。
昨日まで補助輪つきで走っていた自転車から、補助輪を外したようなものです。
急にふらつくと、
「自転車が下手になった」
と感じます。
しかし実際には、自分でバランスを取る練習が始まったのです。
勉強でも、
「前より正解できなくなった」
という瞬間が、必ずしも後退とは限りません。
問題の種類を見分ける。
解き方を比較する。
自分で方法を選ぶ。
より複雑な力を使い始めたため、一時的に難しく感じている可能性があります。
もちろん、何度やっても全く分からない場合は、基本へ戻る必要があります。
大切なのは、苦戦をすべて「才能不足」と解釈しないことです。
苦戦には二種類あります。
一つは、基本が分からず迷子になっている苦戦。
もう一つは、自分で判断する力を使っているために生まれる苦戦です。
前者なら、解説や基本問題へ戻る。
後者なら、少し続けてみる。
自分が今どちらにいるのかを確かめることが大切です。
まずは「三問だけ混ぜる」から始めよう
この研究を生活に活かすために、立派な学習計画を作る必要はありません。
今日からできる最も簡単な方法は、勉強の最後に、以前の範囲から三問だけ混ぜることです。
たとえば、今日の単元を勉強したあとに、
- 昨日学んだ範囲から一問
- 一週間前の範囲から一問
- 自分が以前間違えた問題から一問
この三問を解きます。
たった三問ですが、頭は毎回、
「これは、どの解き方を使う問題だろう」
と考えます。
そして、答え合わせをしたら、正解数だけでなく、
「解き方を自分で選べたか」
も振り返ります。
正解したけれど偶然だった。
公式は覚えていたが、選び方を迷った。
問題の特徴を見て、すぐ方法を選べた。
同じ正解でも、中身は違います。
学習記録に残すなら、点数だけでなく、
「どの問題で解き方を迷ったか」
を書いておくと役立ちます。
その迷った問題こそ、次に混ぜる候補です。
問題集を最初から最後まで、一直線に進むだけが勉強ではありません。
少し戻る。
少し混ぜる。
数日後にもう一度会う。
学んだ内容の間に、小さな橋をかけていく。
その橋が増えるほど、知識は単独の島ではなく、行き来できる大陸になっていきます。
スラスラ解けることは、気持ちのよい体験です。
けれども、ときには問題の順番を少し崩し、頭へ問いかけてみましょう。
「今日は、どの解き方を使いますか?」
頭は少し考え込み、棚を探し、道具を選びます。
その小さな迷いの時間こそが、知識を「覚えたもの」から「使えるもの」へ変えていくのかもしれません。

少し注意したい点:問題は混ぜれば混ぜるほどいい?インターリービング学習の注意点
この研究をここまで読んでくると、数学の勉強法について、ひとつの力強い結論が見えてきます。
「よし、問題は混ぜよう」
さらに勢いがつくと、
「多ければ多いほどいい。数学も英語も法律も歴史も、全部混ぜよう」
となるかもしれません。
朝の勉強は因数分解、次に英単語、そこへ簿記をひとつまみ。仕上げに世界史を振りかける。
学習の海鮮丼です。
けれども、ローラーとテイラーの研究から言えるのは、そこまで大きな話ではありません。
この論文が示したのは、特定の大学生が、特定の数学問題を練習したとき、まとめて解くよりも間隔を空けたり、種類を混ぜたりしたほうが、1週間後のテストでよい結果を示したということです。
面白い結果であることは間違いありません。
ただし、一つの研究結果を大切に扱うためには、
「これは、どこまで言える話なのだろう」
と、少し静かに立ち止まる必要があります。
研究結果は、魔法のじゅうたんではありません。
どこへでも飛んでいけそうに見えても、まずは取扱説明書を読んでおきましょう。
対象になったのは、大学生と限られた数学問題だった
この研究に参加したのは大学生です。
つまり、小学生、中学生、高校生、社会人、高齢者まで、幅広い年代で同じ実験を行ったわけではありません。
また、使われた問題も、数学のあらゆる分野を代表するものではありませんでした。
実験1では、文字の並べ方に関する問題。
実験2では、見慣れない立体の体積を求める問題が使われています。
数学とひとことで言っても、その中身は広大です。
計算問題もあれば、図形、証明、文章題、関数、確率もあります。
同じ「数学」という町に住んでいても、住所はかなり離れています。
そのため、この研究だけを根拠に、
「どんな数学問題でも、必ず混ぜたほうがよい」
とは言えません。
問題の種類によっては、同じ手順を繰り返して自動的にできるようにする練習が、より重要な場合もあります。
たとえば、九九や基本的な計算を覚え始めた人に、
「今日は掛け算、割り算、分数、方程式を完全ランダムで出します」
と言っても、頭の中でまだ名札をつけていない知識たちが、一斉に走り出すだけかもしれません。
研究結果は、すべての数学学習に押せる巨大なスタンプではなく、
「このような条件では、混ぜる練習が役立ちました」
という、丁寧な報告なのです。
初心者に、いきなり全部を混ぜる研究ではない
この研究で参加者は、何も教えられないまま、突然いろいろな問題を渡されたわけではありません。
まず解き方の説明を受け、例題を見ています。
そのうえで、練習問題をまとめるか、混ぜるかが比較されました。
ここは、とても大切な点です。
インターリービング学習とは、
「説明はしません。とりあえず混ぜました。あとは気合いでどうぞ」
という教育方法ではありません。
基本的な解き方を知らない段階では、問題を混ぜても、何と何を見分ければよいのか分かりません。
たとえば、まだフォークとスプーンの使い方を習っていない人に、食器を20種類並べて、
「料理に合うものを選んでください」
と言っても、選ぶ以前に困ってしまいます。
まずは、一つひとつの道具を知る。
何に使うのかを理解する。
そのあとで、料理に合わせて道具を選ぶ練習をする。
数学でも同じです。
最初は、一つの公式や解き方を、同じ種類の問題で確認する。
ある程度使えるようになったら、別の種類と混ぜて見分ける。
「まとめるか、混ぜるか」の二者択一ではなく、学習段階によって使い分けることが大切なのです。
まとめて練習する方法は、悪役ではありません。
物語の前半では、かなり頼りになる登場人物です。
ただし、最後まで一人に任せきりにすると、本番で必要な「選ぶ力」が育ちにくいかもしれない。
そんな位置づけで考えるのが、ちょうどよいでしょう。
練習中の苦戦は、どんな苦戦でもよいわけではない
この研究では、問題を混ぜたグループは、練習中には苦戦しました。
そして、1週間後のテストでは、まとめて練習したグループよりよい成績を示しました。
ここだけを切り取ると、
「苦しければ苦しいほど、学習効果が高い」
と思ってしまうかもしれません。
しかし、そんな根性選手権を始める必要はありません。
学習に役立つ苦戦と、ただ混乱しているだけの苦戦は違います。
基本的な解き方を知っていて、
「今回はどの方法を使うのだろう」
と迷うのは、見分ける力を使っている苦戦です。
一方で、問題文の意味も公式の意味も分からず、
「何から始めればいいのか、まったく分かりません」
となっているなら、まず説明や基本問題へ戻る必要があります。
前者は、地図を持ちながら分かれ道で考えている状態。
後者は、地図も方角もないまま森の中へ置かれた状態です。
どちらも「迷っている」ように見えますが、頭の中で起きていることは違います。
問題を混ぜたときに間違いが増えても、すぐ失敗と判断する必要はありません。
ただし、何度やっても手がかりがつかめないなら、
「これはよい苦戦です。続けましょう」
と無理に耐えるのではなく、解説を読み直したり、同じ種類の基本問題へ戻ったりしたほうがよいでしょう。
学びに必要なのは、痛みに耐えることではありません。
少し考えれば、知っていることへ手が届く程度の難しさです。
頭に汗をかいてもらうのはよいのですが、遭難届を出すところまで追い込む必要はありません。
1週間後の結果であり、何か月も続く効果までは分からない
この研究では、練習から時間を空けたテストが行われました。
練習直後ではなく、1週間後にも解けるかを調べた点は、大きな長所です。
しかし、確認されたのは主に1週間後の結果です。
1か月後、半年後、1年後にも同じ差が残るのか。
学校の定期試験や入学試験でも同じように役立つのか。
実際の成績全体を押し上げるのか。
そこまでは、この研究だけでは分かりません。
学習の世界では、1週間は長いようで短く、短いようで長い期間です。
昨日覚えた公式が来週も残っていれば、たしかに立派です。
しかし、半年後の試験まで住み続けてくれるかは、別の話です。
知識にも、短期滞在の人と長期契約を結ぶ人がいます。
この研究は、
「少なくとも1週間後には、違いが見られました」
と教えてくれています。
それを、
「一度混ぜて練習すれば、一生忘れません」
へ拡大してはいけません。
長く身につけるには、その後も復習したり、別の場面で使ったりする必要があるでしょう。
問題を混ぜることは、記憶を永久保存する冷凍庫ではありません。
学びを少し丈夫にする、一つの工夫として受け取るのが自然です。
効果の理由を一つに決めつけることはできない
問題を混ぜた練習が役立った理由としては、いくつかの可能性が考えられます。
一つは、問題を見比べて、違いを見分ける練習が増えたこと。
もう一つは、同じ種類の問題が再び登場するまで時間が空き、思い出す練習が起きたことです。
つまり、
「問題を混ぜたから効果が出た」
とひとことで言っても、その中には複数の働きが含まれている可能性があります。
料理を食べて、
「このおいしさは塩のおかげです」
と言ったところ、実はだしも火加減も働いていた。
そんな状態です。
この研究では、練習の間隔を空ける効果と、問題を混ぜる効果を二つの実験で検討しています。
それでも、人間の学習は一つの仕組みだけで動く機械ではありません。
問題同士を比較したこと。
解き方を選んだこと。
少し忘れたあとに思い出したこと。
練習が本番に近い形になったこと。
複数の要因が一緒に働いた可能性があります。
したがって、
「混ぜると脳のこの部分が鍛えられるから、すべて説明できます」
と、単純に決めることはできません。
研究は、答えを一つ出すと同時に、新しい疑問も連れてきます。
よい研究ほど、玄関先に次の問いを置いて帰るのです。
数学以外にも応用できそうだが、この論文で直接調べたわけではない
前の章では、資格試験、語学、仕事の研修などへの応用を考えました。
異なる事例を混ぜ、自分で方法を選ぶ練習は、さまざまな場面で役立ちそうです。
ただし、ここでも線を一本引いておく必要があります。
この論文で直接調べられたのは、数学問題です。
英単語、接客、面接、楽器、スポーツ、人間関係まで実験したわけではありません。
そのため、
「数学で効果があった。だから恋愛でも問題をシャッフルしましょう」
という展開は、少々遠くへ来すぎています。
資格勉強や仕事へ応用する場合は、この研究の考え方を参考にしながら、自分の学習で確かめてみる姿勢が大切です。
たとえば、分野別の練習だけをする週と、総合問題を混ぜる週をつくる。
数日後に、どちらがよく思い出せたか記録する。
自分が間違えた理由を確認する。
このように、小さく試して調整するとよいでしょう。
研究結果を生活に活かすとは、論文の方法をそのままコピーすることではありません。
研究から一つの考え方を借りて、自分の生活に合う形へ縫い直すことです。
既製品の服を、そのまま着るのではなく、袖を少し直す。
そんな作業に近いのかもしれません。
「混ぜる」と「でたらめにする」は違う
最後に、問題を混ぜることは、学習計画を無秩序にすることではありません。
インターリービングは、ただの行き当たりばったりではないのです。
関連する複数の問題を選び、違いを見分ける必要がある形で配置する。
そこには、学ばせたい内容に沿った設計があります。
たとえば、体積の公式を見分けてほしいなら、異なる立体の問題を混ぜる。
時制を選べるようになってほしいなら、現在、過去、未来の文を混ぜる。
相談対応を学ぶなら、対応方法の異なる事例を混ぜる。
何でも無関係に混ぜればよいわけではありません。
二次方程式の途中に突然、冷蔵庫の掃除方法が出てきても、
「これが最先端のインターリービングです」
とは言えません。
それは単に、教材の担当者が疲れている可能性があります。
混ぜる目的は、学習者を驚かせることではありません。
似ているものの違いを見分け、覚えた方法の中から適切なものを選べるようにすることです。
何を混ぜるのか。
どのくらい混ぜるのか。
いつから混ぜるのか。
この三つを考える必要があります。
研究結果は「命令」ではなく、学び方を見直す材料
ローラーとテイラーの研究は、問題の順番という地味な部分に光を当てました。
同じ内容、同じ問題数でも、並べ方や間隔が変わると、あとで使える力に違いが生まれるかもしれない。
これは、とても魅力的な発見です。
けれども、この結果を受けて、
「今までの問題集は全部間違っていた」
「種類別の練習は今日から禁止」
と考える必要はありません。
種類別の練習には、基本を理解し、手順に慣れる役割があります。
混合練習には、問題を見分け、方法を選ぶ役割があります。
どちらか一方が正義で、もう一方が悪なのではありません。
初心者のころは、まず道具の使い方を覚える。
慣れてきたら、状況に合った道具を選ぶ。
時間がたったら、もう一度使ってみる。
学習には、いくつかの段階があるのです。
論文は、私たちに命令する校長先生ではありません。
「こういう結果が出ました。あなたの学び方を考える材料にしてください」
と、データを机の上へ置いてくれる存在です。
面白い結果には、素直に驚いてよい。
ただし、驚いた勢いで、世界中の問題集をミキサーに入れてはいけない。
基本を学び、少し混ぜ、時間を空け、自分の力で確かめる。
このくらいの慎重さが、研究を生活へ持ち帰るときの、ちょうどよい紙袋なのだと思います。

まとめ:数学の問題は混ぜて復習する|あとで使える力を育てる勉強法
ローラーとテイラーの研究が教えてくれたのは、数学の勉強では「何問解くか」だけでなく、いつ、どのような順番で解くかも大切だということでした。
同じ種類の問題を続けて解くと、練習中はスラスラ進みやすくなります。
一問目で使った公式を、二問目でも使う。
二問目で使った公式を、三問目でも使う。
問題を見た瞬間、頭のなかの担当者が、
「はい、本日も昨日と同じ案件ですね」
と、慣れた様子で処理してくれます。
正解も増えますし、勉強が進んでいる感じもします。
ところが、1週間後のテストになると、異なる種類の問題を混ぜて練習した人たちのほうが、よい成績を示しました。
練習中には苦戦していたのに、時間がたつと強くなった。
ここが、この研究のいちばん印象的なところです。
スラスラ解けることと、身につくことは同じではない
私たちは、勉強中に正解が続くと、
「よく理解できている」
と思いやすいものです。
反対に、何度も迷ったり間違えたりすると、
「自分には向いていないのでは?」
と不安になります。
しかし、この研究を見ると、練習中のスラスラ感だけでは、本当に身についたかどうかを判断できないことが分かります。
同じ種類の問題が続くと、「どの解き方を使うか」は、すでに問題集の並び順が教えてくれています。
そのページが連立方程式の練習なら、次も連立方程式。
円柱の体積を学ぶページなら、次も円柱。
問題集が小声で、
「次も同じ方法で大丈夫ですよ」
と案内してくれている状態です。
もちろん、公式を使って計算する練習にはなっています。
ただし、本番で必要なのは、公式を使う力だけではありません。
目の前の問題を見て、
「これは、どの種類の問題なのか」
「どの知識を呼び出せばよいのか」
と判断する力も必要です。
問題を混ぜると、この判断を一問ごとに行うことになります。
練習中は少し面倒です。
けれども、その面倒さが、時間がたったあとにも使える力を育てていた可能性があります。
最初はまとめて、慣れたら混ぜる
ただし、この研究を読んで、
「同じ種類の問題を続ける勉強は、全部やめましょう」
と考える必要はありません。
新しい公式や解き方を学んだばかりの段階では、同じ種類の基本問題を何問か続けて解くことにも意味があります。
まずは、道具の使い方を覚える。
そのあとで、どの道具を使うかを選ぶ。
この順番です。
大工道具を初めて見た人に、いきなり道具箱を渡して、
「さあ、状況に合ったものを選んで家を建ててください」
と言っても、少々早すぎます。
まずは、金づちは何に使うのか。
ドライバーはどう使うのか。
のこぎりは、どちら側を持つと安全なのか。
一つずつ覚える必要があります。
数学も同じです。
最初は、例題を見ながら一つの解き方を理解する。
同じ種類の基本問題を解いて、手順に慣れる。
そして、ある程度できるようになったら、別の種類の問題を混ぜる。
すると学習は、「公式を使う練習」から、「公式を選んで使う練習」へ進みます。
まとめて練習する方法と、混ぜて練習する方法は、敵同士ではありません。
学びの前半と後半を担当する、同じチームの選手なのです。
前半は、まとめて練習する方法が基礎をつくる。
後半は、混ぜて練習する方法が判断力を鍛える。
どちらか一人に全試合を任せるのではなく、役割に合わせて交代してもらうのがよいのでしょう。
覚えたら、少し時間を空けて再会する
この研究では、練習の間隔を空けることも、後日の成績につながりました。
一度にまとめて終わらせるより、少し時間を空けて再び解いたほうが、知識が残りやすかったのです。
覚えた直後は、公式も解き方も頭の近くにあります。
「先ほどまで使っていましたので、すぐ出せます」
という状態です。
しかし、数日たつと、知識は少し奥へ移動します。
そのとき、何も見ずにもう一度思い出そうとすると、
「たしか、このあたりの棚に置いたはずですが」
と、頭は探し始めます。
この探す作業が、学びを丈夫にします。
ですから、問題集を一度解いたら、それで永遠のお別れにしないほうがよいでしょう。
翌日、数日後、1週間後。
少しずつ間隔を空けながら、以前の問題へ戻ります。
久しぶりに会った問題から、
「わたしの解き方、覚えていますか?」
と聞かれるわけです。
すぐに答えられなくても大丈夫です。
思い出そうとして、間違えて、解説を確認し、もう一度解く。
その一連の動きが復習になります。
勉強の最後に、過去の問題を三問だけ混ぜる
この研究を毎日の勉強へ取り入れるなら、大きな学習改革を始める必要はありません。
まずは、勉強の最後に以前の範囲から三問だけ混ぜてみる。
それくらいで十分です。
たとえば、
昨日学んだ範囲から一問。
1週間前に学んだ範囲から一問。
以前間違えた問題から一問。
今日の勉強の最後に、この三問を解きます。
すると頭は、
「今日は新しい単元だけを担当する予定だったのですが」
と言いながら、過去の知識も探し始めます。
このとき大切なのは、正解数だけを見ることではありません。
どの解き方を使うか、自分で判断できたか。
問題のどこを見て、種類を見分けたか。
迷ったとき、何と何を取り違えたか。
こうした点も振り返ると、学習はより深くなります。
間違えた問題は、単なる失点ではありません。
「この二つの違いが、まだ見分けにくいですよ」
と教えてくれる案内板です。
その問題を数日後にもう一度混ぜれば、弱かった判断を練習できます。
苦戦は、いつも後退とは限らない
問題を混ぜると、これまでより正解率が下がることがあります。
昨日まで解けていたはずなのに、今日は迷ってしまう。
そんなとき、
「前よりできなくなった」
と感じるかもしれません。
けれども、実際には、取り組んでいる課題が難しくなっただけかもしれません。
同じ問題を続けるときは、「計算する力」が主に試されます。
問題を混ぜたときは、それに加えて「見分ける力」と「選ぶ力」も試されます。
仕事が二つ増えたのですから、最初に成績が下がるのは不思議ではありません。
補助輪を外した直後の自転車が、少しふらつくのと似ています。
ふらついたからといって、昨日より自転車が下手になったわけではありません。
自分でバランスを取る練習が始まったのです。
ただし、何をすればよいかまったく分からないほど混乱しているなら、基本へ戻りましょう。
よい苦戦とは、少し考えたり、ヒントを確認したりすれば、知っていることへ手が届く苦戦です。
頭に少し汗をかいてもらうのはよい。
けれども、頭が非常口を探し始めたら、問題を混ぜすぎています。
本当に目指したいのは、知識を使えること
数学の勉強では、公式を覚えることも、計算を正確に行うことも大切です。
しかし、それだけでは十分ではありません。
本番の問題は、
「本日は、この公式をお使いください」
と説明してくれません。
問題を読み、条件を見て、必要な知識を選ぶ必要があります。
つまり、本当に目指したいのは、知識をたくさん持つことだけではなく、必要なときに適切な知識を取り出せることです。
頭のなかに公式が百個あっても、どれを使うか分からなければ、立派な倉庫の前で鍵を探し続けることになります。
逆に、問題を見分け、必要な公式を選べれば、知識は初めて道具として働きます。
ローラーとテイラーの研究は、問題の順番を少し変えるだけで、学習者が練習する力も変わることを示しました。
同じ種類を続けて解けば、手順を繰り返す練習になる。
異なる種類を混ぜれば、違いを見分けて方法を選ぶ練習になる。
どちらも必要ですが、育てている力が少し違うのです。
学びを、一本道から小さな道路網へ
問題集は、普通、最初のページから最後のページまで、きれいに並んでいます。
この順番は、初めて学ぶときには親切です。
しかし、学んだ知識をあとから使えるようにするには、ときどき前のページへ戻る必要があります。
今日の内容と、先週の内容をつなぐ。
新しい問題と、以前間違えた問題を並べる。
数日空けて、もう一度解く。
こうして知識と知識の間に、小さな道をつくっていきます。
一直線に進んだだけの知識は、前のページへ戻る道を忘れやすい。
けれども、何度も行き来した知識には、いくつもの道ができます。
一つの道を忘れても、別の道からたどり着けるようになります。
学習とは、頭のなかへ情報を積み上げることだけではなく、必要な情報まで通じる道を増やすことなのかもしれません。
少し混ぜ、少し忘れ、もう一度思い出す
この研究から持ち帰りたいことを、最後にまとめてみましょう。
新しい内容は、まず同じ種類の基本問題で理解する。
少し慣れたら、以前の単元や似た問題を混ぜる。
一度解いたら、時間を空けてもう一度挑戦する。
そして、正解できたかだけでなく、自分で解き方を選べたかを確かめる。
この流れが、知識を「その場で解けたもの」から、「あとでも使えるもの」へ変えていきます。
勉強中にスラスラ解けると、気分はよいものです。
自信も出ますし、ノートも順調に埋まります。
その感覚を否定する必要はありません。
ただ、ときどき問題の順番を崩し、頭へ少しだけ問いかけてみるのです。
「前に覚えた方法を、今も選べますか?」
頭は一瞬黙り込み、記憶の棚を探します。
その沈黙は、勉強が止まった時間ではありません。
覚えた知識を、本当に自分の力で使おうとしている時間です。
まとめて覚える。
混ぜて選ぶ。
時間を空けて、もう一度思い出す。
数学の問題が少しばらばらになると、頭のなかの知識は、むしろ少しずつつながっていく。
問題集をシャッフルすることは、学びを散らかすことではありません。
知識を、必要な場所へ届けられるように並べ直すことなのです。

あとがき
この論文を読み終えて、私の頭に最初に浮かんだのは、
「人間は、勉強がうまくいっているかどうかを、その場の気分で決めすぎているのかもしれないな」
ということでした。
問題がスラスラ解ける。
答え合わせをすると、丸がたくさん並んでいる。
ノートもきれいに進んでいる。
すると私たちは、かなり満足します。
「本日の勉強、大成功です」
頭のなかでは、早くも祝賀会が始まります。
鉛筆が司会を務め、消しゴムが来賓席に座り、ノートの余白では紙吹雪が舞っています。
反対に、問題を混ぜた途端に間違いが増えると、
「やっぱり自分は数学が苦手なんだ」
「さっきまで解けていたのに、急に分からなくなった」
「この勉強法は自分に向いていないのでは?」
と不安になります。
でも、ローラーとテイラーの研究では、その場でスラスラ解けた人より、練習中に少し苦戦した人のほうが、1週間後のテストではよい成績を示しました。
この結果は、私たちの勉強を見る目を、少しだけひっくり返してくれます。
できなかった時間は、本当に無駄だったのか。
迷った時間は、本当に後退だったのか。
すぐに答えが出なかったのは、頭が止まっていたからなのか。
もしかすると、そのとき頭は、いつもより真剣に働いていたのかもしれません。
「できる」とは、答えを知っていることではなかった
私はこれまで、「問題が解ける」という言葉を、少し簡単に考えていたように思います。
公式を覚えている。
計算ができる。
答えが合っている。
それなら、もう理解できたと言ってよいだろう。
そんなふうに思っていました。
けれども、この論文を読むと、「できる」という言葉の中には、もう一つ大切な仕事が隠れていることに気づきます。
それは、何を使えばよいのかを自分で選ぶことです。
公式を知っていても、使う場面が分からなければ、本番では役に立ちません。
頭のなかに道具がそろっていても、必要なときに取り出せなければ、倉庫の設備だけが立派な会社です。
「この問題には、どの道具を使いますか?」
「金づちです」
「ネジですよ」
「では、強めにたたきます」
困ります。
知識は、持っているだけでは道具にならない。
場面を見て、選び、使えて初めて、生きた知識になる。
この研究は、数学問題の並べ方という、とても小さな部分を扱っています。
けれども、その小さな部分から、「学ぶとは何か」という、かなり大きな問いが顔を出しているように感じました。
私たちは、親切なヒントに気づかない
同じ種類の問題が並んだページは、学ぶ人にとって親切です。
ページの見出しには単元名が書いてある。
最初には例題がある。
その次にも、同じ方法で解ける問題が並んでいる。
これほど整っていれば、安心して練習できます。
ただ、その親切さが、いつの間にか「自分の力」に見えてしまうことがあります。
問題集が、
「このページでは、この公式を使いますよ」
と教えてくれているのに、正解すると私たちは、
「私は自力で公式を選びました」
という顔をします。
問題集は横で、
「かなり大きな声で見出しを書いておいたのですが」
と困っているかもしれません。
これは数学だけの話ではないと思います。
仕事でも、誰かが手順を示してくれているときには、うまくできます。
相手が何を求めているか分かっている。
使う書類も決まっている。
相談内容も、事前に教えてもらっている。
そのような場面では、自分が十分にできるようになったと感じます。
けれども、現実には、何が起きるか分かりません。
相手は困りごとに名札をつけて来てくれません。
「本日は、傾聴を中心に、最後に情報提供をお願いします」
とは言ってくれないのです。
話を聞きながら、
「今は何が必要なのだろう」
「どの知識を使うべきだろう」
「すぐ助言するより、もう少し話を聞くべきではないか」
と、自分で判断しなければなりません。
学びの本番とは、こういう「分類されていない場面」なのだと思います。
だからこそ、練習でも、ときどき案内表示を外してみる必要がある。
問題を混ぜるという方法は、単に難易度を上げるのではなく、隠れていた案内表示を少し消す作業なのかもしれません。
迷っている自分に、すぐ失格を出さなくていい
この論文を読んで、個人的にいちばん救われる感じがしたのは、
「練習中にうまくできないことは、必ずしも学べていない証拠ではない」
という点でした。
私は何かを学んでいて分からなくなると、つい自分の能力を疑ってしまいます。
「前にも読んだのに思い出せない」
「説明されたときは分かったのに、一人ではできない」
「何度も迷うということは、自分には向いていないのではないか」
そんな考えが、ずいぶん素早くやって来ます。
こちらが呼んでもいないのに、
「才能不足のお知らせです」
と封筒を持って玄関に立っています。
でも本当は、そこで判断するのは早すぎるのかもしれません。
以前と同じ問題なら解ける。
順番どおりなら答えられる。
ヒントがあれば思い出せる。
そこから一歩進んで、問題が混ざった状態でも、自分で知識を選ぼうとしている。
仕事の難易度が上がったのです。
できなくなったのではなく、より複雑なことへ挑戦しているのかもしれない。
そう考えると、間違えたときの景色が少し変わります。
「ああ、またダメだった」
ではなく、
「今は、選ぶ練習をしているところなんだな」
と眺められるようになります。
もちろん、何時間考えても何も分からない状態を、無理に耐える必要はありません。
基本へ戻ったり、解説を読んだり、人に質問したりしてよいのです。
ただ、少し迷っただけで自分に不合格を出さなくてもいい。
迷いは、能力の欠如ではなく、学びが次の段階へ進んだ印かもしれないのです。
整理されすぎた世界から、一歩外へ出る
人は、整理されたものが好きです。
本棚はジャンル別。
書類は項目別。
問題集は単元別。
冷蔵庫の中も、できれば肉、魚、野菜と分けたい。
私の冷蔵庫では、ときどき豆腐がチーズの顔をして座っていますが、それはまた別の話です。
整理されていると、安心できます。
どこに何があるのか分かり、迷わず手を伸ばせます。
学習でも、きれいに整理された教材はとても役立ちます。
ただ、現実の世界は、教材ほどきれいに分類されていません。
仕事の問題も、人間関係の悩みも、生活上の出来事も、
「これは第3章の例題と同じです」
とは教えてくれません。
いくつもの要素が混ざり、過去に覚えた知識を組み合わせながら考える必要があります。
だから学びには、整理する時間と、整理を少し崩す時間の両方が必要なのでしょう。
最初は、分けて学ぶ。
一つずつ名前を知る。
使い方を理解する。
そのあとで混ぜる。
似ているものを比べ、違いを見つけ、自分で選んでみる。
整理された棚から道具を覚えたあと、現場へ出て、
「さて、今日はどれを使おう」
と考える。
この往復によって、知識は少しずつ現実に近づいていくのだと思います。
勉強とは、自信を増やすことだけではない
勉強をするとき、私たちは自信が欲しくなります。
問題が解ければ、安心します。
点数が上がれば、続ける力も出ます。
だから、成功体験は大切です。
けれども、成功体験だけで組み立てた勉強には、少し弱いところもあるのかもしれません。
いつも答えが見つけやすい。
いつも使う方法が分かっている。
いつも正解できる。
そうした練習では、「自分はできる」という感覚は育ちます。
一方で、予想外の問題に出会ったときの対処は、あまり練習できません。
人生は、ときどき問題集の編集方針を無視してきます。
「この範囲は、まだ習っていません」
と伝えても、
「申し訳ありません。本日の出題です」
と置いていきます。
そんなときに必要なのは、何でも知っている自信ではなく、
「分からないけれど、手持ちの知識から考えてみよう」
という自信なのだと思います。
問題を混ぜる練習は、正解し続ける自信よりも、迷いながら選ぶ自信を育てているのかもしれません。
すぐ分からなくても、問題を見比べる。
使えそうな知識を探す。
間違えたら、違いを確かめる。
もう一度やってみる。
その経験が増えるほど、「分からない」に出会っても、すぐには逃げなくなります。
「少々お待ちください。ただいま頭の倉庫を確認しております」
と、落ち着いて対応できるようになる。
私は、こちらの自信のほうが、長く使えるような気がします。
問題をシャッフルすると、自分の思い込みも混ざり直す
この論文の題名は、「数学問題をシャッフルすると学習が改善する」という内容です。
問題の順番を変えただけで、1週間後の成績に違いが生まれた。
教材を新しくしたわけでもありません。
授業時間を何倍にも増やしたわけでもありません。
特別な才能を持つ人だけを集めたわけでもありません。
問題の並べ方を変えた。
練習の間隔を変えた。
それだけです。
私はこういう研究が好きです。
大げさな道具を使わず、普段は見過ごしている小さな部分を動かしてみる。
すると、人間の学び方について、意外なことが見えてくる。
学習を変えるためには、必ずしも新しい教材を買ったり、毎日何時間も勉強したりする必要はない。
今ある問題を、少し違う順番で解いてみる。
以前のページへ戻ってみる。
忘れかけたころに、もう一度会ってみる。
それだけでも、頭に与える仕事は変わります。
同時に、私たちの思い込みも少し並べ替えられます。
正解が多い勉強だけが、よい勉強ではない。
迷わないことだけが、理解ではない。
分からなくなったことは、能力が下がった証拠とは限らない。
苦戦のすべてが価値を持つわけではないけれど、少しの苦戦には、あとから効いてくるものがある。
論文を読み終えたあと、私の中では、こうした考えが新しい順番で並び始めました。
次に迷ったとき、少しだけ待ってみたい
これから勉強していて、すぐに答えが出なかったとき。
以前は解けた問題で迷ったとき。
別の種類が混ざった途端に正解できなくなったとき。
私は、すぐに、
「自分は覚えていなかった」
「自分にはできない」
と結論を出さないようにしたいと思います。
まずは少しだけ待つ。
問題のどこを見ればよいのか考える。
以前覚えた知識を探す。
似ている問題との違いを比べる。
そのうえで分からなければ、基本へ戻る。
迷いを放置するのではなく、迷いにすぐ失格の札を貼らない。
そのくらいの距離で、自分の学びを見守れたらいいなと思います。
学ぶという行為は、いつも気持ちよく進むものではありません。
分かったと思った翌日に、忘れている。
昨日は解けたのに、今日は解けない。
一つずつなら分かるのに、混ざると迷う。
ずいぶん不安定です。
けれども、それは学びが失敗しているからではなく、知識が頭の中で置き場所を探し、別の知識とつながろうとしている途中なのかもしれません。
そう思うと、勉強中の沈黙にも、少し温度が生まれます。
鉛筆が止まっている。
答えが出てこない。
頭のなかが静かになる。
その時間を、何も起きていない空白だと思わなくていい。
頭の奥では、昔覚えた知識たちが、
「今回の担当は誰でしょう」
「この条件なら、あの公式では?」
「いや、前の問題とは形が違います」
と会議をしているのかもしれません。
少し時間がかかっても、その会議を待ってみる。
学ぶというのは、答えを素早く出すことだけではなく、自分の頭の中にあるものを、何度も探し直すことなのでしょう。
問題を混ぜると、練習中の景色は少し散らかります。
けれども、その散らかりの中で、知識同士は名刺を交換し、連絡先を覚え、必要なときに呼び合えるようになる。
この論文を読みながら、私はそんな光景を想像しました。
整然と並んだ問題集のページを、ときどき少し戻る。
昨日と今日を混ぜる。
覚えたことと忘れたことを、もう一度出会わせる。
そうして私たちは、正解を覚えるだけでなく、分からないところから答えまで戻ってくる道を覚えていくのだと思います。
学びとは、迷わない人になることではない。
迷ったときに、もう一度道を探せる人になることなのかもしれません。

制作ノート
出典論文:Rohrer, D., & Taylor, K.(2007). The shuffling of mathematics problems improves learning. Instructional Science, 35(6), 481–498 / Springer Science+Business Media. DOI:10.1007/s11251-007-9015-8
掲載・確認先:SpringerLink / ERIC / Google Scholar
記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。
制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。




