勉強しても覚えられない人へ|「思い出す練習」の効果を実験で解説
勉強は「入れる時間」より「取り出す時間」が大切?
『思い出す練習は、概念マップを使って詳しく学ぶよりも、大きな学習効果を生み出す』ジェフリー・D・カーピック、ジャネル・R・ブラント(2011)
Karpicke, J. D., & Blunt, J. R.(2011). Retrieval Practice Produces More Learning Than Elaborative Studying With Concept Mapping. Science, 331(6018), 772–775.
DOI:10.1126/science.1199327
「昨日あんなに勉強したのに、何も出てこないんですけど」
試験問題を前にして、頭の中の記憶係へ問い合わせてみる。
「すみません、昨日覚えた内容をお願いします」
しかし、返ってくるのは沈黙です。
「ただいま担当者が席を外しております」
いや、昨日はいたでしょう。蛍光ペンも引いたし、大事なところには星印もつけた。ノートだって、我ながら美しくまとめたはずです。それなのに、いざ思い出そうとすると、頭の中には広大な空き地が広がっている。
こんな経験はないでしょうか。
私たちは勉強するとき、知識を頭に「入れること」に多くの時間を使います。本を読む。講義を聞く。大事な部分に線を引く。図にまとめる。ノートをきれいに仕上げる。
もちろん、どれも学習に必要な作業です。
ただし、ここには小さな落とし穴があります。資料を見ながら勉強していると、その内容を自分が本当に覚えているのか、それとも「目の前に答えがあるから分かった気になっているだけ」なのか、区別しにくいのです。
本を開いているときの私たちは、なかなかの秀才です。
「なるほど、なるほど。完全に理解しました」
ところが本を閉じた瞬間、急に話が変わります。
「では、今の内容を説明してください」
「ええと……あれです。すごく大事な……あの感じです」
知識が霧になって逃げていきます。
きれいにまとめる勉強と、何も見ずに思い出す勉強
では、資料を見ながら内容を整理する勉強と、資料を閉じて自分の頭から内容を思い出す勉強では、どちらのほうが記憶に残るのでしょうか。
多くの人は、きれいな図を作ったり、情報同士のつながりを整理したりするほうが、深く理解できそうだと感じるでしょう。見た目にも「ちゃんと勉強している感」があります。机の上には教科書、ノート、カラーペン。知性のフルコースです。
一方、何も見ずに思い出す練習は、少々地味です。
本を閉じて、白紙を置く。
「さて、何が書いてあったかな」
思い出せない。苦しい。自信もなくなる。
そのため、「こんなに出てこないなら、勉強になっていないのでは?」と感じやすいのです。
ところが、学習心理学者のジェフリー・D・カーピックとジャネル・R・ブラントは、この二つの学び方を実験で比べました。
一方は、文章の内容やつながりを概念マップに整理する学習。もう一方は、資料を見ずに、覚えた内容を自分の頭から取り出す「検索練習」です。
すると、学習中には頼りなく感じられた「思い出す練習」が、あとになって意外な強さを見せました。
ここが、この研究のおもしろいところです。
勉強中の「よく分かった気がする」という感覚と、時間がたったあとに「実際に思い出せる」という結果は、必ずしも同じではありません。むしろ、勉強中に少し苦労する方法のほうが、記憶に深い足跡を残すことがあります。
覚えるとは、知識を頭の中へ運び込んで終わる作業ではないのかもしれません。
一度入れた知識を、何度も探しに行くこと。
「どこに置いたっけ」と記憶の棚を歩き回り、自分の力で見つけ出すこと。そのたびに、知識へ続く道が少しずつ太くなっていくのです。
この記事では、カーピックとブラントの研究をもとに、なぜ「思い出す練習」が記憶に残りやすかったのかを、わかりやすく見ていきます。
ノートをきれいに作ることに全力を注ぎ、完成した時点で少し燃え尽きている方も、ご安心ください。
あなたの勉強が足りなかったとは限りません。
もしかすると、これまで「頭に入れる時間」は十分に取っていたけれど、「頭から取り出す時間」が、少しだけ足りなかったのかもしれません。

この論文をひとことで言うと
資料を見ながら上手にまとめるよりも、資料を閉じて何度も思い出すほうが、学んだ内容は記憶に残りやすかった。
この論文をひとことで言えば、こうなります。
「勉強した内容を覚えたいなら、もう一度じっくり眺めるだけではなく、自分の頭から取り出してみよう」という研究です。
たとえば、ある文章を読んだあと、あなたの前に二つの勉強法が用意されたとします。
一つ目は、文章を見ながら、大切な言葉を丸で囲み、線で結び、内容の関係を図にまとめる方法です。これは「概念マップ」と呼ばれます。
見た目はかなり勉強しています。
紙の中央に大きなテーマを書き、そこから枝を伸ばし、関連する言葉をつなげていく。完成した紙を眺めれば、「ほほう、私の頭の中も、ずいぶん整理されたものだ」と少し誇らしい気持ちになります。
もう一つは、文章をいったん閉じてしまう方法です。
「では、今読んだ内容を思い出してください」
「えっ、もう閉じるんですか?」
「はい。どうぞ」
「ちょっと待ってください。まだ心の準備が」
待ってはくれません。目の前には白紙だけです。
そこへ、覚えている内容を書き出します。思い出せなければ、しばらく考える。そして文章をもう一度読み、再び閉じて、また思い出す。
この方法を「検索練習」あるいは「想起練習」といいます。
ここでいう「検索」は、インターネットで調べることではありません。自分の記憶の中を探し、学んだ内容を取り出すことです。頭の中の検索窓に言葉を入れて、「該当する記憶を探しています」と脳内を歩き回るわけです。
勉強中の手応えと、あとで残る記憶は別だった
カーピックとブラントの研究がおもしろいのは、単純に「暗記テストで点数が上がった」というだけではありません。
概念マップは、情報同士のつながりを考えながら整理する学習です。そのため、「ただ覚えるだけではなく、深く理解するにはこちらのほうがよいのでは」と思えます。
実際、勉強している本人も、概念マップを使ったほうがよく学べたように感じやすいでしょう。
資料を見ながら図を作っていると、内容がすらすら理解できる。言葉同士もきれいにつながる。
「これは覚えた」
そんな手応えがあります。
一方、資料を閉じて思い出そうとすると、なかなか出てきません。
「植物の成長には、たしか何かが必要で……光と……あと何でしたっけ?」
思い出せないため、うまく勉強できていないように感じます。脳が空回りしているようで、少し情けなくなることもあります。
しかし、時間を置いたあとのテストでは、この印象がひっくり返りました。
資料を見ずに内容を思い出す練習をした人たちのほうが、概念マップを作った人たちよりも、学んだ内容をよく覚えていたのです。
しかも、文章に書いてあった事実を答えるだけではありません。複数の情報を結びつけて考える問題でも、思い出す練習をした人たちが高い成績を示しました。
つまり、この研究は「検索練習は、丸暗記にしか使えない方法ではない」と示したのです。
覚えた知識を取り出す練習は、ただ言葉を保存するだけでなく、その知識を使って考える力にもつながる可能性がありました。
「まとめるな」という研究ではない
ここで、ノートをまとめるのが好きな方から、静かな抗議が届きそうです。
「では、これまで一生懸命作ってきたノートは、全部むだだったのですか?」
いえ、ノートを焼却処分する必要はありません。
この論文は、「概念マップは役に立たない」「図にまとめる勉強はやめなさい」と言っているわけではありません。
大切なのは、資料を見ながら整理するだけで勉強を終えないことです。
概念マップを作る場合でも、一度資料を閉じて、覚えている内容だけで図を作れば、それは立派な思い出す練習になります。
つまり、問題は「まとめるか、まとめないか」ではありません。
答えを見ながら作業するのか。
それとも、いったん答えを隠し、自分の記憶から取り出してみるのか。
この違いが重要なのです。
料理本を開いたままなら、手順を追うことはできます。しかし、本を閉じて同じ料理を作ろうとしたとき、初めて「本当に覚えていた部分」と「本に頼っていた部分」が見えてきます。
勉強も、それとよく似ています。
教科書を開いているあいだは、知識がいつも隣に座ってくれています。
けれど試験や仕事の場面では、教科書が横から小声で答えを教えてくれるとは限りません。必要なときに、自分の頭から知識を呼び出さなければなりません。
だからこそ、学習の途中にも「呼び出す練習」を入れておく必要があるのです。
記憶は、眺めるものではなく呼び出すもの
この研究が私たちに教えてくれるのは、勉強時間の長さだけではありません。
学んでいる最中に、頭をどのように使っているかが大切だということです。
本を何度も読む。
大切な部分に線を引く。
ノートをきれいにまとめる。
こうした勉強は、知識との「再会」にはなります。しかし、知識を自分から迎えに行く練習にはならないことがあります。
検索練習では、記憶に向かってこう呼びかけます。
「さあ、出てきてください」
最初はなかなか出てきません。呼んでも返事がない。奥の部屋で寝ているのかもしれません。
それでも何度か呼びに行くうちに、知識は少しずつ出てきやすくなります。
昨日は玄関まで十分かかった記憶が、今日は五分で現れる。やがて、名前を呼べばすぐに顔を出すようになる。
勉強とは、知識を一度だけ頭へ押し込むことではなく、必要なときに迎えに行ける道を作ることなのかもしれません。
だから、この論文をさらに短く言い直すなら、こうなります。
覚えたいなら、答えを眺め続けるより、一度隠して思い出してみよう。
勉強中に「すらすら分かる」ことよりも、少し苦労しながら「自分で取り出す」こと。
その地味な作業が、あとになって記憶の足腰を支えてくれる。
これが、カーピックとブラントの研究が届けた、少し意外で実用的なメッセージです。

この論文の要点
1.資料を見ずに思い出す練習は、概念マップを作る学習を上回った
この研究で比べられたのは、文章を見ながら内容のつながりを図にする「概念マップ学習」と、文章を閉じて覚えていることを取り出す「検索練習」です。
見た目だけなら、概念マップのほうがかなり優等生です。
大事な言葉を丸で囲み、関係する情報を線で結び、全体を美しく整理する。完成した紙には、「私は今、深く学んでおります」という立派な顔つきがあります。
一方、検索練習は白紙を前にして、
「さて、何が書いてあったかな」
と頭の中を探すだけです。
しかも、最初はあまり出てきません。記憶係に電話をしても、「その件につきましては、ただいま確認中です」と保留音を流されます。
ところが、1週間後のテストでは、資料を見ずに思い出す練習をした人たちのほうが、よい成績を示しました。
つまり、勉強中に立派に見える方法と、あとで本当に思い出せる方法は、必ずしも同じではなかったのです。
2.思い出す練習は、暗記だけでなく理解を問う問題にも強かった
「思い出す練習って、結局は丸暗記のための方法でしょう?」
そんな疑問も浮かびます。
たしかに、単語や年号を覚えるだけなら効果がありそうです。しかし、科学の文章を理解したり、複数の情報を結びつけて考えたりする場面では、概念マップのほうが強そうに思えます。
ところが、この研究では、文章に直接書かれていた内容を答える問題だけでなく、学んだ情報を組み合わせて考える問題でも、検索練習をした人たちが高い成績を示しました。
さらに、最後に概念マップを作らせる課題でも、最初に思い出す練習をした人たちのほうがよい結果を出しています。
これはなかなかの展開です。
概念マップ選手が、自分の得意競技である「概念マップ作り」に検索練習選手を招いたところ、検索練習選手がそこでまで健闘したようなものです。
思い出す練習は、知識を一個ずつ倉庫から運び出すだけではありません。知識同士のつながりを作り、必要な場面で使いやすくする働きもあると考えられます。
3.「よく学べた気がする方法」と「実際に残る方法」は違うことがある
この論文でもう一つ重要なのは、学習者の感覚と実際の成績が食い違っていたことです。
資料を見ながら勉強すると、内容が目の前にあるため、すらすら理解できます。
「これは知っている」
「ここも分かる」
「かなり覚えたのでは?」
そんな手応えが生まれます。
けれど、その「分かる」は、自分の頭の中だけで答えられるという意味ではなく、答えを見れば分かるという意味かもしれません。
一方、資料を閉じて思い出すと、うまく答えられない部分が次々と見つかります。
「全然出てこない。今日の勉強、失敗では?」
そう感じるかもしれません。
しかし実際には、その苦労こそが記憶を鍛えている可能性があります。思い出そうと頭を働かせることで、知識へたどり着く道が少しずつ作られていくからです。
勉強中の快適さは、必ずしも学習効果の通知表ではありません。
すらすら進む勉強は気持ちがよい。しかし、少し立ち止まり、「何だったかな」と考える勉強のほうが、あとで使える知識を育てていることがあります。
この論文の要点を、さらに短くまとめるなら次の3つです。
見るだけでなく、思い出す。
暗記だけでなく、理解にもつながる。
できなかった感覚に、すぐ落第印を押さない。
記憶は、きれいに整理されたノートを見て拍手するわけではありません。
必要なときに何度も呼び出された知識を、「どうやらこれは大事らしい」と少しずつ覚えていくのです。

研究の背景:ノートにまとめる勉強は本当に効果的?「思い出す練習」が注目された背景
勉強法の世界には、昔から何人もの人気選手がいます。
教科書を繰り返し読む「再読選手」。
大切なところを黄色く染め上げる「蛍光ペン選手」。
要点をきれいに書き直す「まとめノート選手」。
そして、言葉や考えのつながりを丸と線で整理する「概念マップ選手」です。
なかでも概念マップは、かなり頭のよさそうな姿をしています。
中心となるテーマを紙の真ん中に置き、そこから関連する言葉を枝のように伸ばしていく。情報同士の関係を考えながら整理するので、ただ文章を読むよりも、深く理解できそうです。
「光合成」と書いた丸から、「光」「二酸化炭素」「水」へ線を伸ばす。
さらに、「酸素」や「栄養」といった言葉をつなぐ。
完成した紙を眺めると、知識の町に道路ができたように見えます。
「これはもう、理解したと言ってよいのでは?」
思わず自分へ合格通知を出したくなります。
実際、概念マップのように、情報を整理し、意味を考え、知識同士を結びつける学習は、単なる丸暗記とは違う「深い学び」につながる方法として注目されていました。
そこへ、少し地味な顔をした方法が現れます。
それが、検索練習です。
思い出す練習は、本当に「深い理解」にも役立つのか
検索練習とは、教科書や資料をいったん閉じて、学んだ内容を自分の頭から思い出す方法です。
たとえば、文章を読んだあとで白紙を置き、
「何が書いてあったか、覚えているだけ書いてください」
と言われます。
これは、なかなか気まずい時間です。
文章を読んでいたときには、
「なるほど、よく分かります」
と何度もうなずいていたのに、いざ白紙を渡されると、
「まず最初に……何でしたっけ?」
となります。
知識はたしかに頭へ入ったはずなのに、呼び鈴を押しても出てこない。居留守を使われているような気分です。
しかし、それまでの記憶研究では、こうして学んだ内容を思い出すことが、あとで記憶を取り出しやすくする可能性が示されていました。
テストというと、一般には「どれだけ覚えたかを測るもの」と考えられます。
ところが研究者たちは、テストには測定だけでなく、記憶そのものを強くする働きがあるのではないかと考えるようになったのです。
とはいえ、ここで疑問が残ります。
「思い出す練習が役立つのは、答えをそのまま覚えるような問題だけでは?」
たとえば、英単語、歴史の年号、人名、用語の意味。
そうした知識を覚えるには、何度も思い出す方法が強そうです。
しかし、科学の文章を理解したり、複数の情報を結びつけたり、学んだ内容を別の形で説明したりする場合はどうでしょうか。
ただ思い出すよりも、概念マップを作りながら情報の関係を整理するほうが、深く理解できそうです。
検索練習は「記憶の筋トレ」にはなっても、「理解の建築」まではできないのではないか。
この点は、まだ十分にはっきりしていませんでした。
「覚えること」と「理解すること」は別なのか
勉強について話すとき、私たちはよく「暗記」と「理解」を別のものとして扱います。
「丸暗記ではなく、きちんと理解しなさい」
学校でも職場でも、一度は言われたことがあるでしょう。
暗記は、知識を頭の引き出しへしまう作業。
理解は、知識同士の関係をつかみ、使える形にする作業。
そんなイメージがあります。
この考え方に立てば、検索練習は暗記に向いた方法で、概念マップは理解に向いた方法に見えます。
たとえるなら、検索練習は倉庫から荷物を取り出す訓練です。一方、概念マップは町全体の地図を作る作業です。
「荷物を素早く出せることと、町の仕組みを理解することは別でしょう」
そう考えるのは自然です。
だからこそ、カーピックとブラントが知りたかったのは、単に「どちらがたくさん覚えられるか」だけではありませんでした。
思い出す練習は、知識のつながりを理解する学習にも役立つのか。
文章に直接書かれていないことを考える問題にも効果があるのか。
概念マップという、理解を深める代表的な学習法と比べても強いのか。
ここが、この研究の出発点です。
勉強中の「できた感じ」は信用できるのか
もう一つ、研究者たちが気にしていた問題があります。
それは、学習中の手応えと、実際の学習効果が一致するとは限らないことです。
教科書を読み返すと、文章がだんだん見慣れてきます。
最初は難しかった部分も、二度目には少し読みやすくなり、三度目には、
「はいはい、これは知っています」
という顔で通過できます。
しかし、「見れば分かる」ことと、「見なくても思い出せる」ことは同じではありません。
道案内を見ながら目的地へ行けたからといって、翌日に地図なしで行けるとは限らないのと同じです。
概念マップ作りも、資料を見ながら行えば、必要な情報が目の前にあります。
「この言葉と、この言葉をつなごう」
「ここから、この考えが広がっているな」
と、内容を理解しながら進められます。
そのため、勉強中には強い手応えを感じやすい。
対して、資料を閉じて思い出す練習では、自分が覚えていない部分が容赦なく出てきます。
「ここ、何だったかな」
「さっき読んだのに、もう消えました」
「私の記憶、保存ボタンを押し忘れたのでしょうか」
うまく思い出せないため、学習者は「この方法ではあまり学べていない」と感じるかもしれません。
けれど、筋力トレーニングで負荷がかかるように、思い出そうとして苦労すること自体が、記憶を鍛えている可能性があります。
つまり、楽に進む勉強ほど効果的とは限らず、苦戦する勉強ほど失敗とも限らないのです。
勉強中の気分だけを見れば、概念マップは親切な案内人です。
検索練習は、いきなり地図を取り上げて、
「では、一人で帰ってみましょう」
と言ってくる、少々厳しい案内人です。
しかし、本当に道を覚えられるのは、どちらなのでしょうか。
そこで、二つの勉強法を正面から比べた
こうして研究者たちは、二つの方法を比べることにしました。
一方は、資料を見ながら内容のつながりを整理する概念マップ学習。
もう一方は、資料を閉じて、学んだ内容を自分の頭から取り出す検索練習。
この対決で確かめたかったのは、単なる記憶量だけではありません。
学んだ文章に直接書かれていた内容を、どれだけ覚えているか。
複数の情報を組み合わせて、どれだけ考えられるか。
さらには、あとから自分で概念マップを作れるほど、知識のつながりを理解できているか。
つまり、検索練習が「答えを覚えるための小技」にすぎないのか、それとも、理解を含めた学習全体を支える方法なのかを確かめようとしたのです。
この研究が行われる前にも、思い出すことの効果は知られ始めていました。
ただし、強力な相手と正面から戦ったときにどうなるかは、まだよく分かっていませんでした。
その相手こそ、意味を考えながら情報を整理する概念マップです。
言ってみれば、
「記憶力なら検索練習が強いかもしれない。でも、理解力の試合なら概念マップが勝つのでは?」
という予想があったわけです。
ところが、この研究で待っていたのは、学習者の感覚にも、一般的な勉強のイメージにも、少し揺さぶりをかける結果でした。
勉強とは、きれいな地図を作ることなのか。
それとも、一度地図を閉じ、自分の足で道を歩き直すことなのか。
カーピックとブラントは、その答えを確かめるために実験を行ったのです。

研究方法:思い出す勉強法は本当に効果的?概念マップと比べた実験方法
今回の研究では、大学生に科学分野の文章を読んでもらい、その後の勉強方法を変えて、1週間後にどれくらい覚えているかを比べました。
研究者たちが見たかったのは、単なる「暗記王決定戦」ではありません。
「文章に書いてあったことを覚えているか」だけでなく、
「いくつかの情報を結びつけて考えられるか」
「学んだ内容を自分なりに整理できるか」
という、理解の深さまで確かめようとしたのです。
勉強法の違う選手たちを、同じ競技場に集めた
最初の実験には、大学生80人が参加しました。
参加者たちは科学について書かれた文章を読み、その後、いくつかの異なる方法で勉強しました。
主な方法は、次のようなものでした。
一つは、文章を繰り返し読む方法です。
「もう一度読めば、さらに覚えられるでしょう」
と、文章と何度も顔を合わせます。親しみは増えそうですが、親しみと記憶が同じものかは、まだ分かりません。
もう一つは、文章を見ながら概念マップを作る方法です。
大切な言葉を丸で囲み、線でつなぎ、情報同士の関係を図にします。
紙の上では、知識が見事に整列します。
「こちらが原因で、こちらが結果ですね」
「この概念と、あの概念は親戚ですね」
と、情報の家系図を作るような勉強です。
そして本命となるのが、検索練習でした。
参加者は文章を一度読んだあと、資料を閉じて、覚えている内容をできるだけ書き出しました。その後、もう一度文章を読み、再び資料を閉じて思い出しました。
つまり、
「読む」
「閉じる」
「思い出す」
「もう一度読む」
「また閉じる」
「もう一度思い出す」
という流れです。
脳からすると、
「さっき入ってきた知識を、もう出すんですか?」
と、少々せわしない一日だったことでしょう。
概念マップを作った人たちと検索練習をした人たちは、勉強に使う時間も同じになるよう調整されました。そのため、「検索練習の人だけ長く勉強していたから有利だった」という話にはならないように設計されています。
勉強直後ではなく、1週間待ってからテストした
勉強が終わった直後、参加者たちは、
「1週間後、自分はどれくらい覚えていると思いますか?」
と予想しました。
これは、学習者自身がどの勉強法を効果的だと感じているかを見るためです。
私たちは、勉強中の感覚をかなり信用しています。
「今日はすらすら読めたから、かなり覚えたはず」
「白紙にほとんど書けなかったから、今日の勉強は失敗」
ところが、脳の手応えメーターは、たまに陽気な誤報を流します。
そこで研究者たちは、本人の感想だけで判断せず、1週間後にもう一度参加者を研究室へ呼びました。
「では、先週読んだ文章について答えてください」
いよいよ、記憶の棚卸しです。
最終テストには、文章に直接書かれていた内容を答える問題と、複数の情報を結びつけて考える問題が含まれていました。
たとえば、単に「何が書かれていましたか」と尋ねるだけでなく、
「この説明と、こちらの説明を合わせると、何が考えられますか」
という理解や推論も試したのです。
二つ目の実験では、さらに条件を厳しくした
研究者たちは、一度の実験だけで満足しませんでした。
「検索練習が強かったのは、たまたまでは?」
「最後のテストが文章で答える形式だったから、文章を書き出す検索練習に有利だったのでは?」
そんな疑問にも答えるため、二つ目の実験を行いました。
こちらには大学生120人が参加しました。
今度は、一人の参加者が二つの科学文章を学びます。一つは概念マップを作って学び、もう一つは資料を見ずに思い出す練習をしました。
同じ人の中で二つの勉強法を比べるため、
「検索練習のグループには、もともと記憶力のよい人が集まっていただけでは?」
という疑いも減らせます。
教材には、筋肉組織の性質のように項目が並んだ文章と、消化の流れのように出来事が順番に進む文章が使われました。文章の形が変わっても、同じ効果が見られるかを調べたわけです。
さらに、1週間後のテストも二つに分けました。
半分の参加者は、前と同じような記述式のテストを受けます。
もう半分の参加者は、資料を見ずに概念マップを作りました。
これは、かなり公平な勝負です。
概念マップを使って勉強した人にとっては、最後の試験も概念マップ作りです。
サッカー選手をサッカー場へ戻すようなものです。
もし「最初と最後の形式が似ていること」が重要なら、概念マップで学んだ人が有利になるはずです。
それでも検索練習の効果が見られるのか。
研究者たちは、そこまで確かめようとしました。
この研究方法をざっくりまとめると
研究の流れは、とてもシンプルです。
まず、大学生に科学文章を読んでもらう。
次に、資料を見ながら概念マップを作る方法と、資料を閉じて思い出す方法などに分ける。
そして1週間後、記憶と理解をテストする。
ただし、そのシンプルな実験の中には、いくつもの工夫が入っています。
勉強時間をそろえる。
文章の種類を変える。
同じ人に二つの学習法を経験してもらう。
記述式だけでなく、概念マップを作るテストも行う。
つまり研究者たちは、検索練習に有利な舞台だけを用意したのではありません。
概念マップ選手にもホームゲームを用意し、それでも結果がどうなるかを確かめたのです。
さて、資料を見ながら知識を華麗に整理した概念マップ選手と、白紙の前で「何だったかな」と頭を抱えながら戦った検索練習選手。
1週間後、より多くの知識を連れて帰ってきたのは、どちらだったのでしょうか。

この研究でわかったこと:思い出す勉強法は効果がある?概念マップを上回った実験結果
さて、概念マップ選手と検索練習選手の勝負は、どうなったのでしょうか。
先に結果をお伝えすると、1週間後のテストでより多くの内容を覚えていたのは、資料を閉じて思い出す練習をした人たちでした。
しかも、検索練習が強かったのは、文章に書かれていた言葉をそのまま答える問題だけではありません。
いくつかの情報を結びつけて考える問題でも、概念マップを作って勉強した人たちを上回りました。
「待ってください。概念マップは、知識のつながりを理解するための勉強法では?」
そう思いますよね。
研究者たちも、まさにそこを確かめたかったのです。
検索練習は、英単語や年号を覚えるための「暗記の小道具」なのか。それとも、複雑な文章を理解し、知識同士を結びつける学びにも役立つのか。
結果は、後者を支持するものでした。
白紙を前にして、
「ええと、何が書いてあったかな」
と頭を抱えていた人たちが、1週間後には知識を連れて戻ってきたのです。
思い出す練習は、直接書かれた内容でも強かった
まず、文章に直接書かれていた内容を答える問題です。
たとえば、科学文章の中で説明されていた特徴や仕組みを思い出し、文章で答えるような問題です。
このような問題では、検索練習をした人たちの成績が高くなりました。
これは、ある程度予想できる結果かもしれません。
なぜなら、検索練習では、勉強中から何度も自分の頭の中にある内容を取り出していたからです。
本番のテストでも、することはよく似ています。
「覚えている内容を、自分の頭から出してください」
検索練習をした人たちからすれば、
「はい、その作業でしたら練習してきました」
という状態です。
一方、資料を見ながら概念マップを作った人たちは、情報の関係を考えてはいましたが、答えが目の前にある状態で学習していました。
教科書を見れば分かる。
図を見れば思い出せる。
しかし、本番では資料がありません。
いつも隣で助けてくれていた教科書が、急に有給休暇を取ったようなものです。
そこで必要になるのが、資料なしで知識を呼び出す力でした。
意外だったのは、理解を問う問題でも検索練習が強かったこと
本当におもしろいのは、ここからです。
最終テストには、文章にそのまま答えが書かれていない問題も含まれていました。
学んだ複数の情報を結びつけ、
「このことから、どのような結論が考えられるか」
と推論する問題です。
こうした問題では、概念マップが有利に見えます。
概念マップは、言葉と情報を線で結びます。まさに、知識同士の関係を見つけるための方法です。
概念マップ選手は、ここで胸を張ったことでしょう。
「暗記問題では譲りました。しかし、理解問題は私の担当です」
ところが、推論を必要とする問題でも、検索練習をした人たちの成績が高くなりました。
ここが、この研究の意外なところです。
思い出す練習は、単に知識を一個ずつ保存し、同じ形で取り出すだけの方法ではありませんでした。
学んだ内容を自分の力で再び組み立てることで、情報同士の関係も強くなった可能性があります。
文章を見ずに内容を思い出すには、
「何が中心の話だったか」
「どの出来事が、どの結果につながったか」
「この特徴と、あの特徴にはどんな関係があったか」
と、頭の中で文章全体を作り直さなければなりません。
これは、ただ一つの言葉を思い出す作業ではありません。
ばらばらになった知識の部品を拾い集め、もう一度、意味のある形へ組み直す作業です。
思い出すたびに、頭の中で小さな再建工事が行われていたわけです。
概念マップを作るテストでも、検索練習が勝った
研究者たちは、さらに厳しいテストを用意しました。
「記述式のテストは、文章を書き出す検索練習に有利だったのでは?」
そんな疑いをなくすため、二つ目の実験では、1週間後に参加者自身へ概念マップを作らせました。
これは、概念マップで勉強した人にとって、かなり有利に見える条件です。
練習でも概念マップ。
本番でも概念マップ。
野球選手が野球場で試合をするくらい、自然な組み合わせです。
一方、検索練習をした人たちは、勉強中に概念マップを作っていません。
普通に考えれば、本番の形式に慣れている概念マップ学習の人たちが強そうです。
ところが、この概念マップ作成テストでも、検索練習をした人たちのほうが、より多くの正しい情報を盛り込めました。
これは、かなり印象的な結果です。
検索練習が強かった理由を、
「練習とテストの形式が似ていただけでしょう」
とは説明しにくくなったからです。
資料を閉じて内容を思い出した人たちは、あとから文章で答える場合だけでなく、知識を図に整理する場合にも、その学びを使うことができました。
つまり、検索練習によって鍛えられたのは、特定の回答形式だけではなく、学んだ内容そのものを取り出し、再構成する力だったと考えられます。
本人の予想と、実際の結果が逆方向だった
さらに興味深いのは、参加者自身の予想です。
勉強が終わったあと、参加者たちは、
「1週間後、自分はどれくらい覚えていると思いますか?」
と尋ねられました。
ここで多くの参加者は、検索練習の効果をそれほど高く見積もっていませんでした。
資料を閉じて思い出すと、自分が覚えていないことが次々と分かります。
「さっき読んだのに出てこない」
「文章の前半は覚えているけれど、後半が行方不明です」
「私の脳内図書館、閉館が早すぎませんか」
こんな状態では、「よく学べた」とは感じにくいでしょう。
反対に、文章を繰り返し読んだり、資料を見ながら概念マップを作ったりすると、内容が目の前にあります。
見れば分かる。
読み返せば理解できる。
図もきれいに完成する。
そのため、学習は順調に進んでいるように感じます。
しかし、1週間後の結果では、学習中に苦労した検索練習のほうが強かったのです。
ここには、勉強の少し困った性質があります。
効果の弱い勉強ほど、順調に進んでいるように感じることがある。
効果の高い勉強ほど、うまくできていないように感じることがある。
脳の学習メーターは、いつも正確ではありません。
すらすら読めると、「覚えた」と表示する。
思い出せずに苦労すると、「失敗」と表示する。
けれど実際には、すらすら進むのは答えが目の前にあるからかもしれません。そして「何だったかな」と考える時間こそ、記憶を鍛える本番なのかもしれないのです。
検索練習は、概念マップを否定したわけではない
この結果を見て、
「では、概念マップはもう使わなくてよいのですね」
と、カラーペンを引き出しへ戻すのは少し早いでしょう。
この研究が示したのは、概念マップという方法そのものが無意味だということではありません。
実験で参加者が行ったのは、資料を見ながら概念マップを作る学習でした。
もし資料を閉じ、覚えている内容だけを使って概念マップを作れば、それは検索練習の要素を含みます。
たとえば、教科書を読み終えたあとに白紙を出し、
「この章の中心テーマは何だったか」
「どの言葉と、どの言葉がつながっていたか」
と考えながら図を作る。
これは、概念マップと検索練習のよいところを組み合わせた方法です。
したがって、この研究から受け取るべきメッセージは、
「まとめる勉強はやめよう」
ではありません。
答えを見ながらまとめるだけで、勉強を終えないようにしよう。
こちらのほうが正確です。
ノートを作る。
図に整理する。
線を引く。
そのあとに、いったん資料を閉じる。
そして、
「さて、自分は何を覚えているだろう」
と確かめる。
この一手間が、きれいなノートを「眺める作品」から「使える記憶」へ変えてくれる可能性があります。
この研究の結果が教えてくれたこと
この研究で分かったことをまとめると、資料を見ずに思い出す練習は、概念マップを使った学習よりも、1週間後の記憶を高めました。
その効果は、文章に直接書かれていた内容だけでなく、知識を結びつけて考える問題にも表れました。
さらに、最後に概念マップを作る課題でも、検索練習をした人たちが高い成績を示しました。
そして学習者自身は、その効果を正しく予想できていませんでした。
つまり、この研究の意外さは、
「思い出す練習が暗記に役立った」
というだけではありません。
理解を深めるための代表選手に見えた概念マップを、思い出す練習が理解を問う問題でも上回ったこと。
しかも、本人たちはその強さに気づきにくかったこと。
ここにあります。
勉強中に苦戦すると、私たちはすぐに「自分は覚えるのが苦手だ」と考えてしまいます。
けれど、思い出せずに立ち止まっている時間は、学習が止まっている時間とは限りません。
むしろ、その沈黙の中で、記憶は知識への道を探しています。
答えが出てこない。
少し考える。
それでも出てこない。
資料を確認する。
そして、もう一度思い出す。
その繰り返しは、見た目には華やかではありません。
ノートもあまり美しくなりませんし、勉強が順調に進んでいる感じもしないでしょう。
しかし、1週間後まで知識を残したのは、そうした不器用で地味な時間でした。
記憶は、勉強中の達成感ではなく、何度も迎えに来てくれた人の足音を覚えているのかもしれません。

ここが面白い:思い出す勉強法はなぜ効果的?「思い出せない」が学習になる不思議
この研究の面白さは、単に「検索練習という勉強法が強かった」という結果だけではありません。
もっと面白いのは、本人がうまく勉強できていないと感じている時間が、実は学習を進めていたかもしれないというところです。
私たちは、勉強中の感覚をかなり信用しています。
教科書を読んでいて、内容がすらすら頭に入ってくる。
「分かる、分かる」
ノートに大切な言葉を書き、矢印でつなぐ。
「この話と、この話は関係しているのですね」
ページも進む。ノートも埋まる。蛍光ペンも働いている。
机の上では、勉強が順調そのものです。
ところが、資料を閉じてこう尋ねられます。
「では、今読んだ内容を説明してください」
すると、頭の中から小さな声が聞こえてきます。
「説明ですか。聞く側だと思っていました」
さっきまであれほど分かった気がしていたのに、言葉が出てこない。登場人物の顔は覚えているのに、名前だけ出てこない親戚の集まりのような状態です。
多くの人は、ここで不安になります。
「自分は記憶力が悪いのではないか」
「ちゃんと集中できていなかったのではないか」
「もう一度、最初から読まなければ」
しかし、この研究を通して見ると、その判断は少し早いかもしれません。
思い出せずに困っているその時間こそ、記憶が仕事を始めた瞬間だからです。
「出てこない」は、脳が止まっている合図ではない
何かを思い出そうとするとき、私たちは頭の中を探します。
「最初に何が書いてあった?」
「次にどんな説明が続いた?」
「この言葉は、何と関係していた?」
すぐに答えが出てこなくても、脳は何もしていないわけではありません。
記憶の棚を開け、別の棚を確認し、「ここではないな」と戻り、関連しそうな手がかりを探しています。
家の鍵が見つからない朝を思い浮かべてください。
机の上を見る。
かばんの中を見る。
昨日着ていた上着のポケットを見る。
なかなか見つからないため、本人としては「何も進んでいない」と感じます。
しかし、その途中で、
「昨日、帰宅してから荷物を台所に置いた」
という記憶がつながり、鍵へ近づくことがあります。
思い出す練習も、それに似ています。
答えがすぐ出ないからといって、探索が無意味なのではありません。どの情報とどの情報がつながっているのかを探すことで、知識へ続く道が作り直されている可能性があります。
検索練習という言葉は、少し機械的に聞こえます。
しかし、実際に行っているのは、忘れかけた知識の家を訪ね歩くことです。
「こちらに、昨日読んだ植物の話は住んでいませんか」
「ああ、その話なら光合成さんの隣ですよ」
そんなふうに、頭の中の住所を何度も確かめる。
一度訪ねた道は、次には少し見つけやすくなります。
つまり、「思い出せない」という経験は、単なる失敗ではありません。
記憶へ続く道を探し、道しるべを立てている途中なのです。
勉強中に気持ちよい方法が、最強とは限らない
この研究は、勉強における「気持ちよさ」についても、少し考えさせてくれます。
資料を見ながら勉強すると、答えはすぐ近くにあります。
文章を読み返せば、内容を確認できる。
概念マップを作るときも、資料から必要な言葉を探せる。
作業が進むため、手応えがあります。
「今日は三ページもまとめた」
「重要語句を二十個整理した」
「この章は、だいたい理解できた」
目に見える成果があるので、心も安心します。
一方、検索練習では、白紙へ向かいます。
書けない。
思い出せない。
さっき読んだ部分が、もうぼんやりしている。
勉強しているのに、できなさばかりが目に入ります。
これは、あまり気分のよい方法ではありません。
脳内の自己評価委員会も、すぐ会議を始めます。
「本日の学習についてですが、成果が見えません」
「本人の記憶力に問題がある可能性があります」
「もう一度読む案を提出します」
しかし、1週間後の結果を見ると、勉強中の安心感は、必ずしも学習効果を正確に教えてくれていませんでした。
すらすら進んだから、長く覚えているとは限らない。
苦戦したから、何も身についていないとも限らない。
ここには、少し皮肉な構造があります。
答えが見えている勉強は、できている気分を与えてくれる。
答えを隠す勉強は、できていない現実を見せてくれる。
私たちは前者を好みます。
当然です。わざわざ自分のできなさを見たい人は、あまりいません。
けれど、できていない場所が見えるからこそ、そこを練習できます。
検索練習は、学習者を気分よく送り出す接客業ではありません。
「こちらは覚えていますが、こちらはまだ出てきません」
と、少々ぶっきらぼうに現状を教える点検係です。
言い方は厳しい。
しかし、仕事は正確です。
記憶は、完成品ではなく再建されるもの
私たちは、記憶を「頭の中へ保存されたファイル」のように考えがちです。
一度きちんと保存すれば、必要なときにクリックして開ける。
保存できていなければ、消えている。
けれど、実際の記憶は、もう少し生き物に近いものです。
思い出すたびに、ただ同じファイルを取り出しているのではありません。
「この話は、何についての説明だったか」
「どんな順番だったか」
「この知識と、別の知識はどうつながるか」
と、内容をもう一度組み立てています。
記憶は、倉庫から箱を運び出すだけではなく、舞台をもう一度設営する作業なのかもしれません。
登場人物を呼び戻し、背景を置き、話の流れを整える。
一部が出てこなければ、残っている部分から推測する。
その再建を何度も行うことで、次には少ない手がかりでも全体を作りやすくなります。
ここで、検索練習が推論問題にも強かった理由が見えてきます。
もし検索練習が、単語を一個ずつ取り出すだけの作業なら、文章に書かれていないことを考える問題では、それほど役立たなかったかもしれません。
しかし、学習者は文章全体を思い出そうとします。
何が原因で、何が結果だったか。
どの特徴と、どの仕組みが関係していたか。
話の骨組みを自分で再現しようとする。
このとき、知識はただの点ではなく、線を伴って取り出されます。
つまり、思い出すとは、記憶の引き出しから単品を出すことではありません。
頭の中で散らばった材料を集め、料理をもう一度作ることです。
最初は、塩を入れ忘れるかもしれません。
二回目には、火加減を間違えるかもしれません。
それでも繰り返すうちに、レシピを見なくても全体の流れが分かるようになります。
検索練習は、知識の再調理なのです。
概念マップの得意科目でも勝った、という面白さ
この研究で私が特に面白いと思うのは、検索練習をした人たちが、最後に概念マップを作る課題でもよい成績を示したことです。
これは、かなり大胆な勝ち方です。
たとえば、二人の料理人がいたとします。
一人は、完成したレシピを見ながら料理の工程を図にまとめました。
もう一人は、レシピを閉じて、料理の手順を何度も思い出しました。
1週間後、二人にこう言います。
「では、料理の工程を図にしてください」
これは、最初に図を作っていた人の得意科目に見えます。
「待っていました。その形式なら練習済みです」
ところが、レシピを閉じて思い出していた人のほうが、より多くの正しい内容を図に入れられた。
ここが重要です。
検索練習の効果は、「本番と同じ書き方を練習したから」というだけでは説明できません。
何度も内容を取り出したことで、知識そのものが使いやすくなっていたと考えられます。
文章で説明しろと言われれば文章にする。
図にしろと言われれば図にする。
必要な形へ組み替えられる。
これは、ただ覚えたというより、知識が自分の道具になり始めた状態です。
知識には、二つの持ち方があります。
一つは、「見れば分かる知識」。
もう一つは、「自分で取り出して使える知識」です。
前者は、本や資料の中に半分預けたままの知識です。
後者は、自分の手元へ戻ってきた知識です。
この研究で検索練習が示した強さは、知識を後者へ近づけたことにあるのかもしれません。
ノートは悪者ではない。開いたまま終わるのが惜しい
ここまで読むと、長年ノートをまとめてきた人は、少し落ち着かないかもしれません。
「これまで使ったカラーペン代は、どうなるのでしょう」
「見出しを青、重要語句を赤、補足を緑にした私の努力は」
どうか、文房具店へ返金交渉に行かないでください。
この研究は、ノートや概念マップを悪者にしたわけではありません。
むしろ、概念マップは知識のつながりを整理し、全体像を見るための便利な道具です。
問題は、資料を見ながら作った図を眺め、
「きれいに完成したので、記憶も完成しました」
と判断してしまうことです。
ノートが完成したことと、頭から取り出せることは別です。
そこで、概念マップと検索練習を組み合わせればよいのです。
まず資料を読んで、内容を理解する。
次に資料を閉じる。
そして白紙に、覚えている言葉や関係を書いてみる。
「中心のテーマは何だったか」
「どの言葉と、どの言葉がつながっていたか」
「何が原因で、何が起きたか」
分からなければ、資料を開いて確認する。
その後、もう一度閉じて作り直す。
この方法なら、図にまとめる力と、思い出す力の両方を使えます。
概念マップ選手と検索練習選手を戦わせ続ける必要はありません。
試合後に握手をさせ、ダブルスを組ませればよいのです。
「できない自分」を責める前に、学習中だと思ってみる
この研究には、勉強法を超えた、少しやさしいメッセージも含まれているように思います。
私たちは、できない瞬間に弱いものです。
答えが出ない。
言葉にできない。
昨日覚えたことを忘れている。
そんなとき、すぐに自分へ判決を下します。
「頭が悪い」
「記憶力がない」
「努力しても無駄だ」
けれど、検索練習の考え方に立てば、答えが出ない瞬間は、能力の判定ではありません。
ただ、今はその知識へ続く道が細いというだけです。
道が細いなら、何度か歩けばよい。
一度目は迷う。
二度目は曲がり角を覚える。
三度目には、少し早く着く。
忘れていることは、自分の価値を示す通知書ではありません。
次に練習する場所を教える、小さな案内板です。
「ここは、もう一度通るとよいですよ」
そう言っているだけかもしれません。
もちろん、何時間も苦しみ続ければよいという話ではありません。
まったく手がかりが出ないときは、資料を確認して構いません。
大切なのは、答えを見て安心して終わるのではなく、確認したあとにもう一度閉じて、自分の力で取り出してみることです。
見る。
閉じる。
思い出す。
確認する。
もう一度、思い出す。
記憶は、この小さな往復運動の中で育っていきます。
すらすら進まない勉強にも、意味がある
「アドラーの昼寝」としてこの論文を眺めると、私は、勉強とはもう少し不器用でよいのだと思います。
すらすら読めなくてもよい。
一度で覚えられなくてもよい。
白紙を前にして、「何だったかな」と黙り込んでもよい。
その沈黙は、空白ではありません。
頭の中では、知識がどこにいるのかを探し、細い糸をたぐり寄せています。
検索練習は、学ぶ人に気持ちのよい成功体験ばかりを与えてくれる方法ではありません。
むしろ、自分の忘れっぷりを、なかなか率直に見せてきます。
「ここは覚えていません」
「こちらも少し怪しいです」
「このあたりは完全に霧です」
しかし、それは意地悪ではありません。
忘れている場所が分かれば、そこへ戻れます。
分からない部分が見えれば、学び直せます。
完璧に覚えたふりをして先へ進むより、よほど親切です。
この研究の面白さを一言で表すなら、こうなるでしょう。
勉強がうまくいっているように感じることと、本当に学べていることは、別の話だった。
そしてもう一つ。
「思い出せない」と困っているその瞬間にも、学習は続いている。
白紙の前で言葉が出てこないとき、どうかすぐに自分を見限らないでください。
記憶は消えたのではなく、少し遠くにいるだけかもしれません。
名前を呼び、道を探し、何度か迎えに行く。
そうして知識は、借り物の情報から、自分で使える言葉へ変わっていくのです。

私たちの生活にどう活かせる?:記憶に残る勉強法とは?今日からできる「思い出す練習」のやり方
この研究を読んで、
「思い出す練習が大切なのは分かりました。でも、具体的に何をすればよいのでしょうか」
と思った方もいるでしょう。
ご安心ください。特別な教材や高価な機械は必要ありません。
必要なのは、いったん資料を閉じる勇気です。
私たちは勉強するとき、つい「もっと入れなければ」と考えます。
もう一度読む。
大切な部分に線を引く。
ノートへ書き写す。
解説動画をもう一本見る。
知識を頭へ運び込む作業は、たしかに必要です。しかし、荷物を家へ運び込んだだけでは、どの部屋に置いたか分からなくなることがあります。
「あの知識、たしか昨日ここへ運んだのですが」
「保管場所は?」
「それが、ちょっと……」
この状態を防ぐには、知識を入れたあとに、自分の力で取り出す時間を作ることが大切です。
まずは「本を閉じて3つ思い出す」から始める
最も簡単な方法は、本や資料を少し読んだあと、いったん閉じることです。
そして、次のように自分へ尋ねます。
「今読んだ内容で、大事なことは何だった?」
ここで、完璧な答えを出す必要はありません。
まずは、三つ思い出してみましょう。
たとえば心理学の本を読んだなら、
「この章の中心となる考えは何か」
「どんな実験が紹介されていたか」
「日常では、どんな場面に当てはまりそうか」
を、自分の言葉で説明してみます。
声に出してもよいですし、白紙やスマートフォンのメモへ書いても構いません。
「一つ目は……ええと」
となっても、それで大丈夫です。
そこで資料を開き直し、
「そうだった。ここが抜けていたのか」
と確認します。
ただし、確認して安心したら、もう一度閉じてください。
ここが大切です。
答えを見て、
「はい、分かりました」
で終えると、また資料に助けてもらっただけになるかもしれません。
確認したあとに、もう一度、自分の頭から説明する。
読む、閉じる、思い出す、確認する、もう一度思い出す。
この小さな往復が、検索練習の基本です。
「自分に授業をする」と、理解の穴が見えてくる
覚えた内容を声に出して説明する方法も使えます。
目の前に、何も知らない人がいるつもりで話してみましょう。
「今日は、検索練習について説明します」
聞き手は、ぬいぐるみでも、観葉植物でも、壁でも構いません。
壁は質問してきませんし、途中でスマートフォンを見ることもありません。かなり優秀な受講者です。
ところが、自分で説明してみると、理解できていない部分が驚くほどよく見えます。
「検索練習とは、思い出す練習です」
ここまでは言える。
「では、なぜ記憶に残りやすいのでしょうか」
「それは……脳が……がんばるからです」
急に説明がふわふわしてきます。
ここが学び直す場所です。
分からなかった部分を資料で確認し、もう一度説明します。
大切なのは、専門家のように立派に話すことではありません。自分の言葉へ変換することです。
文章を見ながら読めば、流暢に説明できます。しかし、資料を閉じると、どこまで自分の知識になっているかが見えてきます。
仕事の研修でも同じです。
研修資料を読んだあとに、
「この制度を新人へ説明するとしたら、どう話すか」
「トラブルが起きたとき、最初に何を確認するか」
と考えてみる。
ただ資料を読み返すよりも、実際に使う場面を想定して思い出すことで、知識を仕事の言葉へ変えやすくなります。
問題集がなくても、自分で問題を作れる
検索練習というと、テスト問題が必要だと思うかもしれません。
けれど、自分で問題を作れば十分です。
文章を読む前や読んだあとに、見出しを疑問文へ変えてみます。
たとえば、
「検索練習とは何か」
「概念マップと何が違うのか」
「この研究で意外だった結果は何か」
「日常生活では、どのように使えるか」
といった具合です。
そして、答えを隠して説明します。
単語カードを使う方法もあります。
表に質問、裏に答えを書く。
ただし、裏面を見て、
「はいはい、知っていました」
と通過しないようにしましょう。
答えを見る前に、一度、自分の言葉で答えてみることが大切です。
知っている知識はすぐ答えられます。
あやしい知識は、言葉が途中でしぼみます。
覚えていない知識は、そもそも玄関から出てきません。
この違いが見えるだけでも、勉強の効率は上がります。
すでに覚えているところを何度も読み直すより、出てこなかったところへ時間を使えるからです。
ノートは「見ながら作る」だけでなく「閉じて再現する」
ノートをまとめる勉強を、やめる必要はありません。
むしろ、検索練習と組み合わせることで、ノートはさらに働き者になります。
まず、資料を読みながら内容を理解します。
必要なら、要点をノートに整理してもよいでしょう。
そのあと、資料とノートを閉じます。
そして白紙に、
「中心となるテーマは何だったか」
「重要な言葉は何か」
「どの情報と、どの情報がつながっていたか」
を書き出してみます。
概念マップを使いたい場合も、最初から完成した資料を見ながら作るだけでなく、覚えている内容で一度作ってみるのがおすすめです。
丸を描く。
言葉を書く。
線でつなぐ。
途中で手が止まる。
「この二つは、どういう関係だったかな」
そこで初めて資料を確認します。
確認した部分は、色を変えて書き足してもよいでしょう。
すると、その色は「自分がまだ思い出せなかった場所」を教えてくれます。
ノートが、ただ美しくまとめられた作品ではなく、次に学ぶ場所を示す地図になります。
検索練習と概念マップは、敵同士である必要はありません。
資料を閉じて概念マップを作れば、二人はなかなか息の合ったコンビになります。
資格勉強では「読んだ時間」より「答えた回数」を増やす
資格試験の勉強では、テキストを何周したかが気になりがちです。
「この本は三周しました」
それは立派です。
ただし、三周したことと、三周分を思い出せることは別です。
そこで、勉強時間の一部を「答える時間」へ変えてみましょう。
たとえば30分勉強するなら、
最初の15分で読む。
次の5分で資料を閉じて、要点を書き出す。
分からなかった部分を5分で確認する。
最後の5分で、もう一度何も見ずに説明する。
このように、読む時間をすべて削るのではなく、読む時間の中へ「取り出す時間」を差し込みます。
勉強時間が長く取れない社会人にも使いやすい方法です。
通勤中に本を読んだなら、駅から職場まで歩きながら、
「さっき読んだ章の要点は何だったか」
と考える。
昼休みに研修資料を読んだなら、午後の仕事へ戻る前に、
「大切なことを二つだけ言うなら何か」
と思い出す。
帰宅後に動画講座を見たなら、動画を閉じて、
「今日の内容を妻や友人へ説明するなら、どう言うか」
と考える。
わざわざ机へ戻らなくても、検索練習はできます。
記憶のトレーニングジムは、かなり出張に前向きです。
読書でも「感想」だけでなく「内容」を思い出してみる
実用書や心理学書を読んだあと、
「面白かった」
「なるほどと思った」
という感想だけが残り、肝心の内容が消えてしまうことがあります。
本を閉じた翌日には、
「何についての本でしたか?」
「とても大切なことが書いてありました」
「具体的には?」
「そこが現在、捜索中です」
となることも珍しくありません。
読書にも、思い出す練習を取り入れられます。
一章を読み終えたら、本を閉じて次の三つを考えます。
「著者が一番言いたかったことは何か」
「自分にとって意外だったことは何か」
「明日から試せそうなことは何か」
これだけでも、読書が「文章を通過した時間」から、「自分の中へ残す時間」に変わります。
ブログを書く人なら、読んだ直後に資料を見ながらまとめる前に、いったん何も見ずに下書きを作ってみるのもよいでしょう。
その後、原典を確認して正確さを整える。
最初から資料の言葉を追いかけるよりも、自分が何を理解したのか、どこが曖昧なのかが見えやすくなります。
もちろん、論文や専門書を紹介するときは、最後に原文や出典を必ず確認する必要があります。
思い出す練習は、事実確認を省く免許証ではありません。
仕事では「見ればできる」を「見なくても動ける」へ変える
仕事でも、資料を見れば分かるけれど、急に尋ねられると答えられないことがあります。
新しい手続き。
電話対応の流れ。
面談で確認する項目。
機械の操作手順。
会議で決まったこと。
説明を受けた直後には理解できています。
ところが翌週、実際の場面がやってきます。
「この場合、最初に何をすればよいですか?」
「少々お待ちください。記憶へ確認いたします」
毎回資料を確認できる仕事なら、それでも問題ありません。
むしろ、正確さのために資料を見るべき場面もあります。
しかし、必要な知識の全体像が頭に入っていると、どこを確認すればよいかも分かりやすくなります。
研修を受けたあとに、資料を閉じて次のように振り返ってみましょう。
「今日の研修で重要だったことは三つ何か」
「実際の仕事では、どの場面で使うか」
「自分が間違えそうなところはどこか」
「新人へ説明するとしたら、どう伝えるか」
この問いに答えるだけでも、受け身で聞いた内容を、自分が使える形へ変えられます。
会議のあとなら、議事録を見る前に、
「何が決まり、誰が何をして、期限はいつだったか」
を思い出す。
そのあとで記録を確認する。
ただし、期限や金額など、間違えると困る情報は、記憶だけに頼らず必ず記録で確かめましょう。
検索練習は、確認を不要にする方法ではありません。
確認する前に自分の理解を点検し、確認したあとに覚え直すための方法です。
思い出せないときは、長時間ねばらなくてよい
ここで、一つ大切なことがあります。
思い出す練習は、答えが出るまで何十分も苦しみ続ける修行ではありません。
手がかりがまったく出ないときは、資料を見て構いません。
むしろ、間違った答えを長く考え続けるより、正しい内容を確認したほうがよい場合があります。
大切なのは、資料を見たあとです。
「なるほど、そうだったのか」
で終わらず、もう一度閉じる。
そして、正しい内容を自分で言い直す。
たとえば、
「検索練習のポイントは何だった?」
「答えを見ずに思い出し、確認後にもう一度取り出すこと」
と答える。
この最後の一回が、確認した知識を自分の側へ引き寄せます。
思い出せなかったことを、自分の能力不足として責める必要もありません。
出てこなかった場所は、「次はここを練習しましょう」と教えてくれた場所です。
テストは、自分を裁く裁判官ではなく、学び直す場所を照らす懐中電灯として使えます。
生活に取り入れるなら、小さく始める
検索練習を知ると、何でもテストにしたくなるかもしれません。
本を閉じる。
問題を作る。
声に出す。
白紙へ書く。
概念マップを再現する。
しかし、最初から全部行うと、勉強より準備のほうが大仕事になります。
そこで、まずは一つだけ決めてみてください。
本を10分読んだら、閉じて要点を三つ思い出す。
研修が終わったら、学んだことを30秒で説明する。
会議のあと、決まったことを見ずに一度書き出す。
資格勉強では、テキストを開く前に前回の内容を思い出す。
これくらいで十分です。
検索練習は、立派な儀式にする必要はありません。
日々の勉強へ小さな「さて、何だったかな」を差し込むだけです。
その問いにすぐ答えられなくても、落ち込まなくてよい。
むしろ、そこから練習が始まります。
今回の研究は大学生が科学文章を学んだ実験なので、あらゆる年齢、教材、仕事で必ず同じ効果が出るとまでは言えません。
それでも、この研究が私たちへ渡してくれる実用的な考え方は、とてもシンプルです。
学んだ内容を残したいなら、見る時間だけでなく、見ないで思い出す時間を作る。
知識は、頭へ入れた回数だけでなく、必要なときに迎えに行った回数によっても、少しずつ身近なものになっていきます。
本を閉じたあと、頭の中が真っ白になっても大丈夫です。
その白紙は、学びが消えた証拠ではありません。
これから自分の言葉で、知識を描き直すための余白なのです。

少し注意したい点:思い出す勉強法にも弱点はある?検索練習を使うときの注意点
ここまで読んでくると、検索練習はかなり頼もしい勉強法に見えます。
資料を見ながら概念マップを作るよりも、資料を閉じて思い出したほうが、1週間後のテストでよい結果が出た。
しかも、単純な暗記問題だけでなく、情報を組み合わせて考える問題でも強かった。
さらに、最後に概念マップを作る課題でも、検索練習をした人たちのほうが高い成績を示した。
ここまでそろうと、検索練習選手の肩に優勝旗をかけて、
「今後、すべての勉強は君に任せた」
と言いたくなります。
しかし、少し待ってください。
心理学の研究結果は、万能な魔法の杖ではありません。研究で実際に確かめられた範囲と、私たちが日常生活で応用するときの範囲には、少し距離があります。
この距離を無視すると、
「ノートは全部むだだった」
「本は一度読んだら閉じればよい」
「思い出せないほど苦しんだほうが効果的だ」
と、研究が言っていないことまで話を広げてしまいます。
論文を読むときに大切なのは、面白い結果へ拍手を送りながら、舞台の広さも確認することです。
「すごい結果ですね」
「ところで、この結果はどこまで届くのでしょうか」
この二つを同時に考える。それが、研究と上手に付き合う姿勢です。
参加者は大学生で、教材は科学分野の文章だった
まず押さえておきたいのは、誰を対象に、何を学んでもらった研究なのかです。
この研究の参加者は大学生でした。
そして教材として使われたのは、科学分野について説明した文章です。
つまり、この研究から直接言えるのは、大学生が比較的短い科学文章を学ぶ場面では、今回の方法による検索練習が、概念マップ学習などより高い効果を示した、ということです。
ここから、
「小学生でも、高齢者でも、どんな人にも同じ効果が出る」
「英会話、ピアノ、料理、接客、運転、スポーツでも、必ず検索練習が最強である」
とまでは言えません。
もちろん、思い出すことの効果は、ほかの多くの学習研究でも調べられてきました。そのため、今回の結果がまったく特殊なものだというわけではありません。
ただし、学ぶ内容によって、必要な練習は変わります。
法律の用語を覚えるなら、質問に答える練習が役立つでしょう。
仕事の手順を覚えるなら、何も見ずに順番を説明する方法が使えます。
しかし、自転車の乗り方を覚えるために、部屋でずっと、
「右足で踏み、左足で踏み、バランスを取り……」
と思い出しているだけでは、たぶん自転車には乗れません。
体を使う技能には、実際に体を動かす練習が必要です。
会話にも、実際に話す練習が必要です。
道具を扱う仕事なら、道具を使う練習が欠かせません。
検索練習は強力な道具ですが、学習界の全職種を一人で兼任できるわけではないのです。
確かめられたのは、主に1週間後の学習効果
この研究では、学習してから1週間後にテストが行われました。
1週間後まで覚えていたというのは、十分に意味のある結果です。
勉強した翌日には覚えていても、翌週には知識が旅に出ていることはよくあります。
「先週、たしかに覚えたはずなのですが」
「現在、所在が確認できません」
そんな記憶の失踪を防ぐうえで、1週間後の成績は重要です。
ただし、この研究だけから、
「検索練習をすれば、半年後も一年後も覚えている」
とまでは言えません。
資格試験が3か月後にある場合や、仕事の知識を何年も使う場合には、一度思い出すだけでなく、間隔をあけながら何度も復習する必要があります。
記憶は、一度呼び出しただけで永住してくれるとは限りません。
一回来てもらった知識へ、
「今後はこちらにお住まいください」
と住民票を渡しても、しばらくすると再び引っ越してしまうことがあります。
そこで役立つのが、時間をあけて繰り返し思い出すことです。
今日学ぶ。
明日、何も見ずに思い出す。
数日後、もう一度答える。
1週間後、また確認する。
今回の論文は検索練習の効果を示した重要な研究ですが、長期的に知識を残すためには、思い出す練習をどの間隔で、何回行うかも大切になります。
「概念マップより強かった」は、すべてのノート術への敗北宣言ではない
研究のタイトルを見ると、検索練習が概念マップを上回ったことが強調されています。
そのため、
「概念マップは効果がない」
「ノートにまとめる勉強はむだ」
と受け取りたくなるかもしれません。
しかし、それは少し乱暴な結論です。
この研究で比較されたのは、特定の条件で行われた概念マップ学習と、特定の条件で行われた検索練習です。
概念マップを作った参加者は、文章を見ながら情報を整理しました。
一方、検索練習をした参加者は、文章を見ずに覚えていることを取り出しました。
つまり、違いは単純に、
「図を作ったか、作らなかったか」
だけではありません。
資料を見ながら学んだか、資料を閉じて記憶を取り出したか
という違いも含まれています。
もし、資料を閉じて覚えている内容だけで概念マップを作れば、その作業には検索練習の要素が入ります。
「中心となる言葉は何だったか」
「この考えと、あの考えはどうつながっていたか」
と、自分の記憶から知識を取り出すからです。
したがって、概念マップと検索練習は、必ずしも敵ではありません。
資料を見ながら最初の概念マップを作り、内容を理解する。
そのあと資料を閉じて、白紙からもう一度作ってみる。
できなかった部分を確認し、再び閉じて作り直す。
このように組み合わせれば、概念マップの「情報を整理する力」と、検索練習の「知識を取り出す力」を一緒に使えます。
研究結果を受けてノートを捨てる必要はありません。
ノートにはまだ仕事があります。
ただし、完成したノートを眺めながら、
「美しい。したがって私は覚えている」
と判決を出すのは、少し早いということです。
そもそも理解していなければ、取り出す材料がない
検索練習は、頭に入っている知識を取り出す方法です。
当然ながら、まだ何も学んでいない段階では、取り出すものがありません。
初めて触れる難しい内容を前にして、いきなり本を閉じ、
「さあ、説明してください」
と言われても困ります。
「まだ説明を受けていません」
「そこを何とか」
「何ともなりません」
となります。
検索練習を行う前には、まず教材を読んだり、説明を聞いたり、具体例を見たりして、基本的な理解を作る必要があります。
特に、前提知識が少ない分野では、この準備が重要です。
専門用語ばかりの文章を一度読んで、ほとんど意味が分からなかった場合、何も見ずに思い出そうとしても、ぼんやりした単語しか出てこないでしょう。
そのようなときは、
用語の意味を調べる。
説明をゆっくり読み直す。
具体例と結びつける。
図や動画で全体像を見る。
分からない部分を人に尋ねる。
こうした「理解を作る学習」が先に必要です。
検索練習は、理解の代わりになるものではありません。
理解した内容を、あとから使えるように育てる方法です。
畑に何も植えていないのに、
「収穫しましょう」
と言われても、土を見つめる会が始まるだけです。
まず種を植える。
そのうえで、必要なときに収穫できるよう手入れする。
読むことと理解することが種まきなら、思い出すことは収穫の練習です。
どちらか一方だけで畑は完成しません。
思い出せないまま、いつまでも苦しむ必要はない
検索練習では、すぐに答えが出てこないことがあります。
むしろ、簡単に出てこないからこそ、学習の穴が見つかります。
ただし、
「苦労するほど記憶に残るなら、答えを見るのは敗北だ」
と考える必要はありません。
まったく思い出せないまま、長時間うなり続けても、必ずしも学習効果が高まるとは限りません。
「何だったかな」
「まだ出ない」
「あと30分ねばろう」
と続けているうちに、勉強より精神修行の割合が大きくなってしまいます。
手がかりが出てこないときや、誤った内容しか浮かばないときは、資料を確認して構いません。
大切なのは、確認後の行動です。
正しい答えを見て、
「なるほど」
で終わらず、もう一度資料を閉じる。
そして、正しい内容を自分の言葉で言い直す。
たとえば、
「検索練習の注意点は?」
と自分へ問いかけ、
「何も理解していない状態で行うのではなく、思い出せなければ確認し、そのあと再び取り出す」
と答える。
この一往復が重要です。
資料を見ることは反則ではありません。
答えを確認したあと、再び自分で取り出すところまで行えば、確認も学習の一部になります。
間違ったことを覚え続けないために、答え合わせも必要
何も見ずに答えると、自分では正しいと思っていても、内容を間違えている場合があります。
「完璧に思い出しました」
「確認しましょう」
「ほぼ別の話でした」
ということもあります。
検索練習は、記憶から内容を取り出す方法です。しかし、取り出した内容が正しいかどうかを、自動で保証してくれるわけではありません。
特に、法律、医療、安全管理、会計、仕事の手順など、正確さが重要な分野では、必ず信頼できる資料で答え合わせをする必要があります。
記憶だけで仕事を進め、
「たしか、こうだったと思います」
で重要な手続きを済ませるのは危険です。
検索練習は、資料を見なくてよくなる魔法ではありません。
自分が何を覚えていて、何を覚えていないかを確かめる方法です。
まず、自分で思い出す。
次に、正しい情報と照らし合わせる。
間違っていたら修正する。
そして、修正した内容をもう一度思い出す。
この流れが安全です。
テストは、自分を裁くためだけのものではありません。
記憶の誤字脱字を見つける校正作業でもあります。
学習者の負担や気持ちも無視できない
検索練習は、資料を読み返すよりも難しく感じやすい方法です。
答えが出てこない。
間違いが見つかる。
自分の理解不足が目に見える。
このため、人によっては強い不安や落ち込みにつながることがあります。
特に、テストに苦手意識がある人は、「検索練習」という言葉を聞くだけで、赤いペンと点数表が頭に浮かぶかもしれません。
しかし、日常で行う検索練習は、合否を決める本番ではありません。
できなかった場所を見つけるための練習です。
答えられなかったからといって、能力が低いわけではありません。
その知識が、まだ取り出しやすい状態になっていないだけです。
そのため、実践するときは、最初から難しい問題を大量に出す必要はありません。
一章読んだら、要点を一つ言ってみる。
昨日学んだことを、30秒だけ説明する。
見出しを見て、その中身を思い出す。
このくらいから始めて構いません。
全部思い出せなくても、
「一つ出てきた」
「昨日より少し説明できた」
という変化を見ていくほうが、続けやすくなります。
検索練習を、自分の記憶力を責める道具にしないこと。
これは、研究の数字には表れにくいものの、生活へ取り入れるうえで大切な注意点です。
「検索練習さえすればよい」という単独政権にしない
学習には、いくつもの作業があります。
初めて知る。
意味を理解する。
具体例と結びつける。
自分の言葉で説明する。
問題に答える。
実際の場面で使う。
間違いを修正する。
時間をあけて復習する。
検索練習は、この中の「思い出す」「使う」「理解を点検する」部分で強い働きをします。
しかし、すべてを一人で担当するわけではありません。
初めて学ぶときには、分かりやすい説明が必要です。
複雑な内容を整理するときには、図や概念マップが役立ちます。
技能を身につけるには、実際の練習が必要です。
長期間覚えるには、間隔をあけた復習が重要です。
誤りを直すには、正しいフィードバックが欠かせません。
つまり、検索練習は学習チームの有力選手ですが、チーム全員を解雇して一人で試合へ出せばよい、という話ではありません。
読む選手。
理解する選手。
整理する選手。
思い出す選手。
実践する選手。
答え合わせをする選手。
それぞれに仕事があります。
検索練習の研究から学びたいのは、
「ほかの勉強法はすべて不要だ」
ということではなく、
これまでの勉強には、知識を取り出す時間が足りなかったかもしれない
ということです。
この研究から言えること、まだ言えないこと
最後に、この論文から受け取れることを整理してみましょう。
この研究では、大学生が科学文章を学ぶ場面で、資料を閉じて思い出す検索練習が、資料を見ながら概念マップを作る学習などよりも、1週間後の成績を高めました。
その効果は、文章に直接書かれていた内容だけでなく、情報を組み合わせて考える問題や、概念マップを作る課題にも見られました。
ここまでは、この研究が示した重要な結果です。
一方で、この研究だけからは、
「あらゆる人、教材、年齢、技能で同じ結果になる」
「概念マップやノート作りには意味がない」
「一度検索練習をすれば長期間忘れない」
「思い出せないほど苦しんだほうがよい」
「検索練習だけで、理解も実践もすべて身につく」
とまでは言えません。
研究結果は、広い海を照らす灯台ではありますが、海のすべてを昼間に変える太陽ではありません。
照らされた範囲を見て、
「ここでは、こういうことが分かった」
と受け取る。
まだ暗い部分については、
「ここは、これから確かめる必要がある」
と残しておく。
その慎重さが、研究を弱くするのではありません。
むしろ、分かったことの価値を守ってくれます。
検索練習は、記憶に残る学び方を考えるうえで、とても魅力的な方法です。
ただし、万能薬として飲み込むのではなく、よく働く道具として使う。
まず理解する。
いったん閉じて思い出す。
出てこなければ確認する。
間違っていれば直す。
そして、もう一度取り出す。
この順番を大切にすれば、検索練習は私たちを責めるテストではなく、学びを支える頼もしい相棒になります。
面白い研究結果には、つい砂糖をたっぷりかけたくなります。
けれど、研究の対象や期間、条件という小麦の味も一緒に確かめる。
そうすることで、論文は一時的に甘い話ではなく、日々の学びをしっかり支えるパンになるのだと思います。

まとめ:記憶に残る勉強法の答え|見るだけでなく、思い出す時間をつくろう
勉強というと、私たちはつい「どれだけ頭へ入れたか」を気にします。
何ページ読んだか。
何時間机に向かったか。
ノートを何枚まとめたか。
動画講座を何本見たか。
本棚から知識を運び出し、脳内倉庫へせっせと搬入する。勉強とは、長いあいだそんな「知識の引っ越し作業」だと思われてきました。
ところが、ジェフリー・D・カーピック(Jeffrey D. Karpicke)とジャネル・R・ブラント(Janell R. Blunt)の研究は、そこへ一つの問いを投げかけました。
「その荷物、必要なときに取り出せますか?」
読んだ。
分かった。
きれいに整理した。
しかし、翌週になって、
「では説明してください」
と言われた瞬間、脳内倉庫の照明が消える。
「あの知識は、たしか右奥の箱に……」
「箱の名前は?」
「そこまでは確認しておりません」
そんなことが、私たちの勉強ではよく起こります。
この研究で効果を示したのは、資料を何度も眺めることだけではなく、資料を閉じて、覚えている内容を自分の力で思い出すことでした。
きれいにまとめるより、思い出そうとした人が強かった
研究では、大学生たちが科学分野の文章を学びました。
ある人たちは文章を繰り返し読み、ある人たちは資料を見ながら概念マップを作り、別の人たちは資料を閉じて内容を思い出しました。
概念マップは、重要な言葉を丸で囲み、関係する情報を線でつなぐ方法です。
見た目にも分かりやすく、
「知識を深く整理しています」
という雰囲気があります。
一方、検索練習はかなり地味です。
資料を閉じる。
白紙を見る。
思い出そうとする。
「あれ、何だったかな」
と困る。
勉強が順調に進んでいるようには、あまり見えません。
しかし、1週間後のテストでより多くの内容を覚えていたのは、思い出す練習をした人たちでした。
しかも、文章に直接書かれていたことを答える問題だけではありません。
複数の情報を結びつけて考える問題でも、検索練習をした人たちは高い成績を示しました。
さらに、最後に概念マップを作る課題でも、検索練習をした人たちが強かったのです。
概念マップを練習していた選手のホームグラウンドへ、白紙と記憶だけで練習していた選手が乗り込み、そこでまで活躍した。
この結果は、思い出す練習が単なる丸暗記の技術ではなく、学んだ内容を組み立て直し、別の形で使う力にも関係していることを示しています。
「分かった気がする」と「使える」は同じではない
この研究が教えてくれる大切なことの一つは、勉強中の手応えを信じすぎないことです。
教科書を読み返すと、文章がなめらかに読めます。
「はいはい、この話ですね」
と内容にも親しみが出てきます。
資料を見ながらノートを作れば、必要な言葉をすぐ確認できます。ページも埋まり、勉強した証拠が机の上に積み上がります。
そこで私たちは、
「かなり覚えた」
と感じます。
けれど、その「分かる」は、答えが目の前にあるから感じられているのかもしれません。
知っている人の顔を見て、
「この人、知っています」
と言うことと、何も手がかりがない状態で名前を言えることは違います。
本を見れば分かる。
ノートを見れば説明できる。
選択肢を見れば思い出せる。
これは立派な理解の途中ですが、まだ知識の一部を資料へ預けている状態でもあります。
知識を自分で使えるようにするには、一度、支えを外してみる必要があります。
本を閉じる。
答えを隠す。
自分の言葉で説明する。
すると、「分かったつもり」という薄い膜が破れます。
少し痛い。
しかし、その破れ目から、本当に分かっていることと、まだ曖昧なことが見えてきます。
検索練習は、私たちを気持ちよく褒め続ける勉強法ではありません。
「ここは覚えています」
「ここはまだ怪しいです」
と、記憶の現在地を率直に伝えてくれる点検係です。
思い出せない時間も、勉強の一部
私たちは、答えが出てこないと、すぐに失敗だと思います。
「昨日覚えたのに、もう忘れた」
「自分は記憶力がない」
「やはり勉強には向いていない」
しかし、この研究から見えてくるのは、少し違う風景です。
思い出せないからこそ、脳は記憶を探します。
どんな話だったか。
何が中心だったか。
どの情報と、どの情報がつながっていたか。
頭の中に残っている手がかりを集め、内容をもう一度組み立てようとします。
すぐに答えが出れば、探索はほとんど必要ありません。
出てこないときには、記憶への道を探さなければなりません。
その探索自体が、次に思い出すための練習になる可能性があります。
もちろん、何十分も苦しみ続ける必要はありません。
出てこなければ、資料を確認してよいのです。
ただし、確認したところで終わらない。
もう一度閉じて、自分で答える。
「そうだった」と眺めるだけでなく、「こうだった」と言い直す。
この小さな違いが、知識を本の側から自分の側へ引き寄せます。
思い出せなかったことは、能力の判定ではありません。
次に練習する場所を示した案内板です。
「ここは、もう一度通ってください」
記憶がそう教えてくれているだけかもしれません。
読むことも、ノートも、捨てなくてよい
ここで誤解してはいけないのは、読むことやノート作りが無意味だという話ではないことです。
初めて学ぶ内容は、まず読まなければ分かりません。
難しい内容なら、図や具体例を使って整理する必要があります。
概念マップも、情報の全体像やつながりを見るために役立つ方法です。
問題は、それらを使ったところで学習を終えてしまうことです。
本を読んだ。
ノートを作った。
図も完成した。
「以上で知識の定着工事は終了です」
とヘルメットを脱ぐ前に、一度だけ点検してみる。
資料を閉じて、何を覚えているかを確かめる。
何も見ずに概念マップを作ってみる。
学んだ内容を誰かへ説明してみる。
自分で問題を作り、答えてみる。
こうすれば、読むこと、整理すること、思い出すことを組み合わせられます。
勉強法は、どれか一つだけを王様にする必要はありません。
読む。
理解する。
整理する。
思い出す。
答え合わせをする。
時間をあけて、また思い出す。
それぞれの方法が、それぞれの仕事をすればよいのです。
今回の研究が強く教えてくれたのは、これまでの勉強チームには、思い出す担当者が不足していたかもしれないということです。
明日から変えるなら、たった一つでいい
この論文を生活へ持ち帰るために、特別な計画を作る必要はありません。
まずは、いつもの勉強へ一つだけ問いを足してみてください。
「今、何を覚えているだろう?」
本を10分読んだら、閉じて要点を三つ言う。
動画を見たら、画面を閉じて内容を30秒で説明する。
研修が終わったら、重要な点を何も見ずに書き出す。
資格勉強を始める前に、前回の内容を一つ思い出す。
会議のあとに、何が決まったかを記録を見る前に考える。
そのあとで、正しい内容を確認します。
全部できなくても構いません。
三つのうち一つしか出てこなかった。
説明の途中で言葉に詰まった。
思い出した内容が少し間違っていた。
それでも、練習としては始まっています。
出てこなかった場所が分かり、次に確認すべきことが見えたからです。
検索練習は、完璧に答えられる人だけが行うものではありません。
答えられないところを見つけるために行うものです。
覚えるとは、何度も迎えに行くこと
この研究を一言でまとめるなら、こう言えるでしょう。
覚えたいなら、知識を何度も見るだけでなく、何度も迎えに行こう。
本や資料を開いているとき、知識はいつでもそこにいます。
こちらが忘れていても、ページの上で静かに待ってくれています。
けれど、現実の生活では、いつも教科書を開いたままにはできません。
試験会場で。
会議の途中で。
誰かへ説明するときに。
仕事で判断を求められたときに。
必要になるのは、知識が目の前にある状態ではなく、自分で呼び出せる状態です。
そのためには、知識のいる場所へ何度か足を運ばなければなりません。
最初は道に迷う。
二度目は曲がり角を思い出す。
三度目には、少し早く着く。
そうして知識は、「読んだことがある情報」から、「自分で使える言葉」へ変わっていきます。
勉強しても覚えられないと感じたとき、すぐに自分の記憶力を責めなくてよいのです。
もしかすると、勉強時間が足りなかったのではありません。
知識を入れる時間は十分にあったけれど、取り出しに行く時間が少なかっただけかもしれません。
次に本を読み終えたら、すぐに閉じてみましょう。
そして、自分へ小さく尋ねてみてください。
「さて、何が書いてあった?」
その問いに答えようとする時間から、記憶に残る勉強が始まります。

あとがき
この論文を読んで、私はまず、これまで作ってきたノートたちの顔が浮かびました。
色分けされた見出し。
丁寧に引かれた線。
重要な言葉を囲む、少し得意げな四角形。
余白には、自分なりの補足説明まで書いてある。
なかなか立派です。
ノートだけを見れば、
「この人、かなり勉強していますね」
と褒めてもらえそうです。
ところが、そのノートを閉じて、
「では、何が書いてありましたか?」
と尋ねられると、急に空気が変わります。
「はい。とても大切なことが書いてありました」
「どんなことですか?」
「そこについては、現在ノートへ問い合わせています」
私は、こういうことを何度もしてきました。
本を読んだ。
線も引いた。
内容にも感動した。
なのに、数日後には「いい本だった」という感想だけが残り、何がよかったのかは霧の向こうへ帰っている。
読書をしたはずなのに、手元に残ったのは、本のタイトルと「深かった」という二文字だけ。
これでは、知識を得たというより、本と一度すれ違っただけかもしれません。
私は「分かった気持ち」を、ずいぶん信用していた
この研究を読んでいて、少し耳が痛かったのは、学習中の手応えと実際の記憶が一致しないことでした。
文章がすらすら読めると、分かった気になります。
難しい本でも、二度目に読むと見慣れた言葉が増えます。
「ああ、この話ね」
「前にもお会いしましたね」
知識と顔なじみになったような安心感があります。
けれど、顔を知っていることと、名前を呼べることは違います。
文章を見れば分かることと、自分の言葉で説明できることも違います。
私はこれまで、「読んでいて分かる」を「自分は分かっている」と、かなり気軽に変換していたように思います。
脳内の翻訳機が、少しサービス過剰だったのです。
「見覚えがあります」
という情報を、
「完全に理解し、必要なときには自由に使えます」
くらいまで立派に翻訳していた。
いや、そこまでは言っていません、と記憶側から苦情が来そうです。
でも、これは責められるようなことではないとも思います。
答えを見ながら勉強するほうが、心は穏やかです。
読めば分かる。
ノートを見れば説明できる。
図を見れば関係も思い出せる。
自分のできなさを、あまり見なくて済みます。
反対に、本を閉じて思い出そうとすると、覚えていないことが一斉に立ち上がります。
「私は出てきません」
「こちらも曖昧です」
「後半部分は全員欠席です」
ずいぶん正直な点呼です。
だから、思い出す練習は少し怖い。
勉強している自分の、まだできていない部分が見えてしまうからです。
白紙は、自分の頭の悪さを証明する紙ではなかった
私は、白紙を前にして何も書けないと、どこかで落ち込んでいました。
「さっき読んだのに」
「こんなに出てこないものなのか」
「自分には理解力がないのでは」
白紙は、能力を判定する答案用紙のように見えていました。
けれど、この論文を読んでからは、白紙の見え方が少し変わりました。
白紙は、自分の頭の悪さを証明する紙ではありません。
今、自分の中に何があり、何がまだ資料の側に残っているのかを確かめる紙です。
書けなかった部分は、失格の印ではなく、次に戻る場所です。
「ここを、もう一度見てください」
そう教えてくれる案内図です。
これは、私にとってかなり救いのある考え方でした。
私たちは、できなかった瞬間に、自分全体を評価しがちです。
一つ答えられなかっただけなのに、
「自分は記憶力が悪い」
「勉強に向いていない」
「どうせ忘れる」
と、話を大きくしてしまいます。
けれど、本当はもっと小さな話なのかもしれません。
今は、この知識へ続く道がまだ細い。
ただそれだけです。
道が細いなら、もう一度歩けばよい。
迷ったら地図を確認して、また出発すればよい。
一度で着けなかったからといって、旅人としての価値が下がるわけではありません。
思い出すことは、知識との再会なのかもしれない
検索練習という名前は、少し硬く聞こえます。
何となく、白衣を着た脳が端末を操作し、
「該当する記憶を検索中です」
と表示している感じがします。
けれど、私には、思い出すことは知識との再会にも見えます。
本を読んでいるとき、知識は向こうから会いに来てくれます。
文章として整えられ、順番も決まり、丁寧な説明までついている。
こちらは座っていればよい。
「こちらが原因です」
「続いて、こういう結果になります」
と、知識のほうが自己紹介してくれます。
しかし、本を閉じると、今度はこちらから会いに行かなければなりません。
「あの話は、どこにいたかな」
「最初は何について説明していた?」
「この言葉と、あの言葉はどんな関係だった?」
手がかりをたどり、記憶の中を歩きます。
最初はなかなか会えない。
名前も出てこない。
やっと見つけても、話の半分しか覚えていない。
それでも何度か会いに行くうちに、道を覚えます。
顔だけでなく、名前も分かる。
どんな話をしていたかも説明できる。
別の知識との関係まで見えてくる。
知識は、何度も会いに行くことで、ただの知り合いから、いつでも呼び出せる友人へ変わっていくのかもしれません。
「覚えるのが苦手」ではなく、「取り出す練習が少なかった」
この論文を読んで、私が個人的にいちばん持ち帰りたいと思ったのは、勉強しても覚えられないときの解釈です。
これまでは、忘れると自分の能力を疑っていました。
「年齢のせいかな」
「集中力が足りないのかな」
「自分は覚えることが苦手なのだろう」
もちろん、体調や睡眠、興味、前提知識など、記憶に関係するものはたくさんあります。
けれど、それとは別に、
「そもそも取り出す練習をしていなかった」
という可能性もあります。
入れる練習ばかりして、出す練習をしていなかった。
本を読む。
動画を見る。
ノートを作る。
ここまでは熱心にやる。
しかし、資料を閉じて説明する時間はほとんどない。
それなのに、本番で思い出せないと、
「自分の記憶力が悪い」
と判断していた。
これは、泳ぎ方の本をたくさん読んで、いざプールで泳げなかったときに、
「自分には水泳の才能がない」
と言うようなものかもしれません。
水へ入る練習が、まだ少なかっただけかもしれない。
知識も同じで、取り出すには取り出す練習が必要です。
そう考えると、忘れることへの見方が少しやさしくなります。
忘れた自分を責める前に、
「次は一度、本を閉じてみよう」
と方法を変えられるからです。
自分の能力を否定するより、学び方を調整する。
そのほうが、ずっと建設的です。
心の中の会議も、少し穏やかになります。
「本人の記憶力に重大な問題があります」
ではなく、
「取り出し練習の工程が不足していた可能性があります」
くらいの報告で済みます。
それでも私は、きれいなノートが好きです
ここまで検索練習について語っておきながら、私はたぶん、これからもノートをまとめると思います。
色も使うでしょう。
線も引くでしょう。
見出しの位置がそろうと、少しうれしくなるでしょう。
きれいなノートには、きれいなノートの喜びがあります。
情報を整理すると、全体像が見えます。
考え同士のつながりも分かります。
何より、自分が学んできた足跡が紙の上に残ります。
だから、ノート作りをやめるつもりはありません。
ただし、ノートが完成したところで、学習終了の鐘を鳴らさないようにしたいと思います。
「よくできました。では閉じましょう」
ここからが、もう一つの勉強です。
何が書いてあったか。
中心となる考えは何か。
自分の生活では、どう使えそうか。
何も見ずに少し考えてみる。
思い出せなければ、ノートを開く。
確認したら、また閉じる。
ノートと記憶の間を往復する。
完成したノートを作品として眺めるだけでなく、自分の頭へ知識を迎えに行くための駅として使う。
そうすれば、ノートもこれまで以上に働いてくれるでしょう。
「私は飾られるためだけに作られたのではありません」
と、ノート側も少し誇らしそうです。
「アドラーの昼寝」も、思い出す場所でありたい
心理学の論文を紹介するサイトを作っていると、どうしても「分かりやすく伝えること」に意識が向きます。
難しい専門用語をやわらかくする。
複雑な実験を日常の場面へ置き換える。
数字や理論を、できるだけ読みやすい物語へ翻訳する。
それは「アドラーの昼寝」が大切にしたい仕事です。
けれど、この記事を書きながら、分かりやすく読むだけでは、まだ半分なのかもしれないと思いました。
読者が記事を閉じたあと、
「この論文で何が分かったのだろう」
「自分の生活では、何を試せるだろう」
と、一度だけ思い出してみる。
そこまでいって初めて、論文はページの中から日常へ歩き出します。
だから、この記事を読み終えたあと、全部を覚えておく必要はありません。
たった一つで構いません。
「覚えたいなら、見るだけでなく、思い出してみる」
この一文だけでも、どこかに残ってくれたらうれしいです。
そして数日後、本や資料を読み終えたときに、ふと思い出してほしいのです。
「そういえば、閉じてからが大事だったな」
その瞬間、この記事も検索練習によって呼び戻されたことになります。
論文要約サイトとしては、なかなか名誉な再登場です。
忘れることは、学びの終わりではない
私は以前、忘れることを「せっかく勉強したのに失った」と考えていました。
知識を入れた。
しかし、消えた。
だから、努力が無駄になった。
そんな見方です。
でも今は、忘れることは学びの終わりではなく、次の学習の入口でもあると思います。
忘れたから、もう一度思い出そうとする。
出てこないから、確認する。
確認したから、もう一度説明する。
その往復の中で、知識は少しずつ形を持ちます。
一度読んだだけで、永遠に忘れない人になる必要はありません。
そんな人がいたら、ぜひ脳内の設備を見学させていただきたいものです。
私たちは忘れます。
何度も忘れます。
昨日感動した言葉も、先週覚えた理論も、しばらくすると薄くなります。
けれど、忘れたたびに迎えに行けばよい。
毎回、最初からではありません。
前に歩いた道の跡が、どこかに残っています。
一度目より、二度目。
二度目より、三度目。
少しずつ見つけやすくなる。
学ぶことは、知識を一度で捕まえることではなく、何度でも再会できる関係を作ることなのかもしれません。
今回の論文は、勉強法についての研究です。
けれど私には、
「うまくできない時間を、すぐに失敗と決めなくてよい」
という話にも読めました。
思い出せない。
言葉にならない。
頭の中が白くなる。
そんな瞬間にも、私たちは知識へ向かって手を伸ばしています。
手が届かなければ、少し近づく。
場所が分からなければ、地図を見る。
そして、もう一度手を伸ばす。
それでよいのだと思います。
次に何かを学んだとき、私は少しだけ早く本を閉じてみます。
そして白紙を前に、こう尋ねてみるつもりです。
「さて、私は何を覚えているだろう」
きっと最初は、思ったほど出てきません。
脳内の担当者も、
「急なご依頼でしたので」
と言い訳するでしょう。
それでも構いません。
その不格好な一問から、知識は本の中の文章ではなく、自分の中で使える言葉へ変わり始めるのですから。

制作ノート
出典論文:Karpicke, J. D., & Blunt, J. R.(2011). Retrieval Practice Produces More Learning Than Elaborative Studying With Concept Mapping. Science / American Association for the Advancement of Science(AAAS), 331(6018), 772–775. DOI:10.1126/science.1199327
掲載・確認先:PubMed / Google Scholar / Science(AAAS公式ページ)
記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。
制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。




