やる気があるのに行動できないのはなぜ?人を動かす3つの条件

やる気があるのに昼寝をする女性
adler-nap

動けない自分を、意志の弱さで片づけないために

『人を動かすデザインのしくみ:行動を引き出すためのモデル』ブライアン・ジェフリー・フォッグ(2009)

Fogg, B. J.(2009). A behavior model for persuasive design. Proceedings of the 4th International Conference on Persuasive Technology(Persuasive ’09), Article 40, 1–7. ACM.
DOI:10.1145/1541948.1541999

「よし、今日は帰ったら運動しよう」

朝の自分は、たしかにそう言っていました。声にも少し力がありました。なんなら、夕方の自分が軽やかにストレッチをしている場面まで想像していました。

ところが、いざ家に帰るとどうでしょう。

カバンを置く。
上着を脱ぐ。
ソファに座る。
スマートフォンを開く。

そして気づけば、見知らぬ猫が段ボール箱に入る動画を、なぜか八本ほど見ています。

「運動は?」

心のなかの自分が聞きます。

「いま、猫が大事なところだから」

もう一人の自分が答えます。

こうして今日も、運動の予定は静かに閉店します。

運動だけではありません。資格の勉強、部屋の片づけ、仕事の準備、健康診断の予約、誰かへの返信。やったほうがよいことは分かっている。やりたい気持ちも、まったくないわけではない。それなのに、なぜか始められない。

そんなとき、私たちはすぐに自分へ判決を下しがちです。

「自分は意志が弱い」
「本気で変わりたいと思っていない」
「結局、怠け者なんだ」

裁判官も検察官も被告人も、すべて自分です。しかも審理時間はおよそ三秒。かなり乱暴な裁判です。

けれど、本当に問題は「やる気」だけなのでしょうか。

やる気係だけに、残業させていませんか

私たちは、人が動くためには強い気持ちが必要だと考えます。

「もっとやる気を出そう」
「自分を奮い立たせよう」
「目標を紙に書こう」

もちろん、やる気は大切です。やる気がまったくなければ、行動のエンジンはなかなか回りません。

ただし、エンジンだけ元気でも、道が崖のように険しかったり、出発の合図がなかったりすれば、車は走り出せません。

たとえば、「毎日一時間運動する」と決めても、仕事で疲れ切った夜に、着替えて、道具を準備して、遠くのジムまで行かなければならないとしたら、行動のハードルはかなり高くなります。

そこへ家族から、

「そういえば、今日は運動の日じゃなかった?」

と声をかけられたとしても、

「知っています。現在、ソファと一体化しています」

という返事になりかねません。

反対に、「夕食の前に、スクワットを三回だけする」という行動なら、少し事情が変わります。三回なら、やる気が大演説を始める前に終わります。人間の決意は気まぐれですが、三回ならその気まぐれの隙をすり抜けられるかもしれません。

人が行動するには、本人の気持ちだけでなく、その行動がどれくらい簡単か、そして行動を思い出させる合図があるかどうかも関係しているのです。

この考えを分かりやすいモデルとして示したのが、行動科学者のブライアン・ジェフリー・フォッグです。

フォッグは、人がある行動を起こすには、主に三つの条件が同じタイミングでそろう必要があると考えました。

それが、やる気、実行しやすさ、きっかけです。

つまり、動けないときに確認すべきなのは、

「私はどれほど本気なのか」

だけではありません。

「やろうとしていることが、大きすぎないか」
「面倒な手順が多すぎないか」
「始める合図が見えなくなっていないか」

こちらも大切です。

行動できない自分を責める前に、行動が起きる条件を点検してみる。これは、自分に甘くすることではありません。むしろ、精神論だけで突撃せず、地図と靴と信号を確認する、ずいぶん現実的な方法です。

この記事では、フォッグの論文『A Behavior Model for Persuasive Design』をもとに、「やる気はあるのに行動できない」という現象をひも解いていきます。

もしかすると、あなたに足りないのは根性ではありません。

行動が玄関から出られるように、靴をそろえ、ドアを軽くし、出発のベルを鳴らすことなのかもしれません。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文をひとことで言うと

この論文をひとことで言うなら、

人が行動するのは、「やる気」「やりやすさ」「きっかけ」が同じ瞬間にそろったときである。

という話です。

「えっ、行動するには、やる気があれば十分なんじゃないの?」

そう思いますよね。

私たちは子どものころから、だいたい何でも「やる気」で説明されてきました。

宿題をしない。

「やる気を出しなさい」

部屋を片づけない。

「やる気がないからでしょう」

運動が続かない。

「本気で健康になりたいと思っていないんじゃない?」

やる気は、ずいぶん働かされています。会社でいえば、営業も経理も掃除も電話対応も、全部ひとりで任されている状態です。

そろそろ、やる気係にも有給休暇を与えたほうがよいかもしれません。

ブライアン・ジェフリー・フォッグは、人が行動する条件を、もう少し現実的に考えました。

人は、やる気だけで動くわけではない。

その行動が簡単にできること、そして「いま、それをする時間ですよ」と知らせるきっかけも必要なのだ、と考えたのです。

三人そろわなければ、行動の舞台は始まらない

フォッグの考え方では、行動が起きるために、三人の登場人物が必要です。

一人目は、やる気です。

「健康になりたい」
「勉強したい」
「仕事を早めに終わらせたい」

こうした「やろう」と思う気持ちです。

二人目は、やりやすさです。

行動に必要な時間、お金、体力、手間が少なく、「これならできそう」と感じられることです。

三人目は、きっかけです。

通知、場所、時間、誰かの声かけなど、行動を始める合図です。

この三人が、同じ舞台に集まったとき、行動が起きます。

ところが現実では、なかなか全員がそろいません。

やる気は来ている。

「今日は英語を勉強するぞ」

しかし、教材は押し入れの奥です。机の上には書類とお菓子の袋が積まれています。スマートフォンでは動画が次々と待機しています。

やる気係は舞台に立っていますが、やりやすさ係が道に迷っています。

反対に、運動用の服を目の前に置き、動画も準備してある。やろうと思えばすぐ始められる。

しかし本人は、

「今日は布団と将来について語り合いたい」

という気分です。

今度は、やりやすさ係は来ているのに、やる気係が欠席しています。

さらに、やる気もある。運動も簡単にできる。

けれど、夕食を食べ、テレビを見て、そのまま忘れてしまった。

これは、きっかけ係が連絡なしで休んだ状態です。

このように考えると、「なぜ自分はできないのだろう」という問題が、少し違って見えてきます。

人格の問題ではなく、条件の組み合わせの問題かもしれないのです。

行動は、足し算よりも掛け算に近い

このモデルの面白いところは、三つの条件を単純に足せばよいわけではない点です。

やる気がものすごく高ければ、多少難しいことでも行動できます。

たとえば、明日の朝までに提出しなければならない重要な書類なら、眠くても作業するでしょう。

締め切りは、人間を急に働き者へ変える魔法使いです。ただし、魔法が切れたあとの疲労も置いていきます。

一方で、やる気がそれほど高くなくても、行動がとても簡単なら実行できます。

「一時間走る」は難しくても、「靴を履いて玄関の外に出る」ならできるかもしれません。

「本を三十ページ読む」は重くても、「本を開いて一行読む」なら始められるかもしれません。

大きな行動には、大きなやる気が必要です。

けれど、行動を小さくすれば、少ないやる気でも動けます。

つまり、やる気を無理に持ち上げるだけが方法ではありません。

行動のほうを軽くしてあげればよいのです。

冷蔵庫を持ち上げられないからといって、「もっと本気を出せ」と言われても困ります。まずは中身を出す、台車を使う、人を呼ぶ。行動にも、そういう工夫が必要です。

きっかけは、行動の呼び鈴

そして忘れてはいけないのが、きっかけです。

やる気があって、やりやすい状態になっていても、合図がなければ行動は始まりません。

薬を飲むことを忘れないように、食卓の見える場所に置く。

朝の歯みがきのあとに、ストレッチをする。

パソコンを開いたら、最初に今日の予定を書く。

こうした「このときに、これをする」という合図が、行動の呼び鈴になります。

ただし、きっかけが鳴っても、行動が難しすぎれば人は動けません。

スマートフォンに、

「いまから腕立て伏せを百回しましょう」

と通知が届いても、

「ご連絡ありがとうございます。辞退します」

となるでしょう。

きっかけは命令ではありません。

行動の準備が整っているときに、そっと背中を押す役目です。

フォッグのモデルが教えてくれるのは、人を動かしたいなら、「もっと頑張れ」と叫ぶだけでは足りないということです。

自分自身に対しても、誰かを支援するときにも同じです。

行動できない人を見て、

「本人にやる気がない」

と決めつける前に、考えたいことがあります。

その行動は、今のその人にとって簡単でしょうか。

始めるための合図は、分かりやすく用意されているでしょうか。

疲れ、時間、お金、環境など、行動を難しくしているものはないでしょうか。

この論文をひとことで言えば、行動は性格のテストではなく、条件がそろったときに起きる出来事であるという提案です。

動けない日は、自分の心を叱る前に、行動の舞台を見回してみる。

やる気係は来ているか。

やりやすさ係は迷子になっていないか。

きっかけ係は、ちゃんと呼び鈴を押したか。

犯人探しではなく、舞台の準備をする。

それが、この論文から受け取れる、いちばん大切な視点なのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文の要点

1.行動できるかどうかは、やる気だけで決まるわけではない

「行動できないのは、やる気が足りないからだ」

私たちは、ついそう考えてしまいます。

勉強が始められない。
運動が続かない。
連絡しなければと思いながら、返信できない。

すると心のなかから、小さな上司が現れます。

「君、もっと本気を出したまえ」

しかし、フォッグのモデルでは、やる気は行動を生み出す条件の一つにすぎません。

やる気があっても、その行動に時間や体力がかかりすぎれば、人はなかなか動けません。たとえば、疲れて帰宅した夜に「今から一時間走りましょう」と言われても、心は健康を望みながら、体はソファとの長期契約を結ぼうとします。

行動できないときは、「自分は怠けている」と決める前に、その行動が今の自分にとって難しすぎないかを確認する必要があります。

問題は、性格ではなく、行動の重さにあるかもしれないのです。

2.行動は「やる気・やりやすさ・きっかけ」が同時にそろうと起こる

フォッグは、行動が起きるには三つの条件が同じタイミングでそろう必要があると考えました。

それが、やる気、やりやすさ、きっかけです。

「資格の勉強をしたい」という気持ちがある。これが、やる気です。

机の上に教材が開いてあり、五分だけ取り組めばよい。これが、やりやすさです。

夕食後にアラームが鳴る。これが、きっかけです。

三つがそろえば、行動は始まりやすくなります。

ところが、どれか一つが欠けると、行動は玄関でもたつきます。

やる気もあり、教材も準備してあるのに、始める時間を決めていなければ忘れてしまう。通知が鳴っても、一時間の難しい課題が待っていれば、「明日の自分にお願いしよう」となります。

きっかけは、行動を無理やり引っ張るクレーンではありません。動ける条件が整ったところで、「そろそろ出番ですよ」と知らせる呼び鈴なのです。

3.人を動かしたいなら、気持ちを責めるより行動を簡単にする

このモデルは、ウェブサイトやアプリなど、人の行動を促すデザインを考えるために提案されました。

しかし、その見方は日常生活にも応用できます。

自分が運動を始められないなら、もっと強く決意するだけでなく、運動着を見える場所に置く。三十分ではなく、三分から始める。歯みがきのあとに行うと決める。

誰かに片づけてほしいなら、

「どうして片づけられないの?」

と責めるより、

「この箱に入れるだけで大丈夫」

と手順を簡単にしたほうが、行動につながる可能性があります。

職場でも同じです。

長く複雑な申請書を用意しておいて、「なぜ誰も提出しないんだ」と困るより、入力項目を減らし、締め切り前に分かりやすい案内を出す。人間の意志を鍛える前に、仕組みの床を平らにするのです。

もちろん、この論文は「この方法を使えば誰でも必ず動く」と証明したものではありません。人の行動は、感情、健康状態、周囲の環境、過去の経験など、さまざまなものから影響を受けます。

それでも、行動できない理由をすべて「本人のやる気不足」に押しつけないという視点は、とても重要です。

動けない人に必要なのは、大声の応援ではなく、少し低い階段かもしれません。

フォッグのモデルは、そんな当たり前なのに忘れやすいことを、三つの条件で見えるようにしてくれたのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究の背景:なぜ人は、やる気があっても行動できないのか

「健康のために、運動したほうがいい」

分かっています。

「仕事は締め切りより前に始めたほうが楽だ」

それも分かっています。

「夜中までスマートフォンを見ていたら、明日の朝がつらい」

たいへんよく分かっています。

それなのに、運動は明日へ引っ越し、仕事は締め切り当日に突然こちらをにらみ、スマートフォンは深夜になっても「次の動画も面白いですよ」と親切そうな顔をしています。

人間は、不思議です。

頭では分かっているのに、行動は別の方向へ歩いていきます。知識と行動のあいだには、ときどき広い川が流れているのです。

では、その川に橋をかけるには、何が必要なのでしょうか。

人を動かす仕組みは、まだ整理されていなかった

フォッグがこの論文を発表したころ、インターネットや携帯端末などを使って、人の行動を後押しする技術が広がっていました。

健康管理のサービスなら、運動や食事の改善を促したい。

学習サービスなら、勉強を始めてもらいたい。

通販サイトなら、商品を見てもらい、購入手続きへ進んでもらいたい。

こうした「人の行動に影響を与えるデザイン」は、すでにさまざまな場所で使われていました。

けれど、ここで大きな疑問が残ります。

そもそも、人が行動する瞬間には、何が起きているのか。

画面に大きなボタンを置けば、人は押すのでしょうか。

「今すぐ始めましょう」と通知を出せば、動いてくれるのでしょうか。

魅力的な言葉で励ませば、やる気がぐんぐん上がり、予定どおり行動してくれるのでしょうか。

残念ながら、人間は自動販売機ではありません。

励ましを一枚入れれば、行動が一本出てくるわけではないのです。

当時も、やる気や能力、環境など、行動に影響する要素はそれぞれ研究されていました。しかし、デザインを考える人が実際に使えるような形で、

「どの条件が、どのタイミングでそろえば行動が起きるのか」

をシンプルに整理した枠組みが必要とされていました。

理論がどれほど立派でも、使うたびに分厚い本を三冊開かなければならないのでは、設計の現場では少々困ります。

「行動してもらうには、まずこの六百ページを読んでください」

と言われた設計者のほうが、先に行動できなくなりそうです。

「やる気不足」で説明すると、大事なものを見落とす

人が動かない理由は、長いあいだ「本人の気持ち」に集められがちでした。

運動しないのは、健康への関心が低いから。

勉強しないのは、目標が弱いから。

手続きをしないのは、必要性を理解していないから。

もちろん、本当にやる気が低い場合もあります。

しかし、それだけでは説明できない場面がたくさんあります。

健康になりたいのに、運動は始められない。

仕事を終わらせたいのに、資料を開けない。

薬を飲む必要は理解しているのに、つい忘れてしまう。

気持ちはある。それでも動けない。

ここで「もっと本気になってください」と言われても、本人としては困ります。

「すでに本気なのですが、本気の提出先はどちらでしょうか」

という話です。

もしかすると、行動が難しすぎるのかもしれません。

時間がかかる。手順が多い。疲れている。必要な道具がない。どこから始めればよいか分からない。

あるいは、行動するきっかけがないのかもしれません。

やろうと思っていたのに忘れた。通知が分かりにくかった。合図が鳴ったときには、すでに忙しかった。

つまり、行動できない理由を本人の性格や決意だけに求めると、行動を難しくしている環境や仕組みが見えなくなってしまいます。

必要だったのは、行動の「瞬間」を見る地図

フォッグが注目したのは、人がいつか行動するかどうかではありません。

まさにその瞬間、行動が起きるためには何が必要なのかという点でした。

どれほど健康への意識が高くても、運動があまりに難しければ始められません。

どれほど簡単な行動でも、本人がまったく必要性を感じていなければ動かないでしょう。

やる気があり、行動も簡単なのに、始める合図がなければ忘れてしまいます。

そこでフォッグは、人の行動を理解するために、複雑な要素を三つへ整理しました。

それが、やる気、やりやすさ、きっかけです。

この研究の背景にあったのは、人をもっと上手に操ろうという単純な発想だけではありません。

行動できないときに、

「本人が悪い」

で話を終わらせず、

「何が足りなかったのだろう」

と条件を点検するための地図が必要だったのです。

人の心を無理やり押すのではなく、行動が自然に通れる道を考える。

フォッグのモデルは、そんな問いから生まれました。

やる気を増やすべきなのか。

行動をもっと簡単にすべきなのか。

それとも、適切なきっかけを用意すべきなのか。

動かない人を叱る前に、動ける条件を探してみる。

この視点が、フォッグの研究を支える出発点だったのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究方法:やる気があるのに行動できない理由を、3つの条件でどう整理したのか

「研究方法」と聞くと、白衣を着た研究者が参加者を集め、アンケート用紙を配り、巨大な表計算ソフトと深夜まで格闘する姿を想像するかもしれません。

しかし、この論文で行われたのは、そうした実験や大規模調査ではありません。

ブライアン・ジェフリー・フォッグは、人が行動を起こす場面を観察し、すでに知られていた行動の要素を整理して、人が動く瞬間を説明するモデルを組み立てました。

つまり、この論文は、

「百人に試して、何%の人が行動しました」

という研究ではなく、

「人が行動するときには、どうやらこの三つが同時に働いているようだ」

と、複雑な人間行動に地図を描いた研究です。

人間という森は広いうえに、やる気という動物が急に隠れたり、面倒くささという沼が現れたりします。フォッグは、そこに三本の目印を立てました。

それが、モチベーション、実行能力、きっかけです。

分かりやすく言えば、やる気、やりやすさ、始める合図です。

行動を、三つの部品に分けて考えた

フォッグは、人がある行動を起こすためには、次の三つが必要だと整理しました。

一つ目は、モチベーションです。

本人がその行動を「したい」「しなければ」と思う強さです。

二つ目は、実行能力です。

これは、特別な才能があるかどうかというよりも、その行動を今の状況で簡単に実行できるかどうかを指します。

時間はあるか。
お金はかからないか。
体力を使いすぎないか。
頭を複雑に働かせなくてもできるか。

こうした条件によって、行動の難しさは変わります。

三つ目は、きっかけです。

「いま行動してください」と知らせる合図です。通知、ボタン、声かけ、時間、場所などがこれにあたります。

たとえば、健康のために水を飲む場合を考えてみましょう。

「水を飲もう」と思っている。
机の上に水が置いてある。
昼休みを知らせるチャイムが鳴る。

この三つがそろえば、水を飲む行動は起こりやすくなります。

しかし、水が建物の一階にしかなく、自分は五階にいるとしたらどうでしょう。

「健康になりたい気持ちはあります。ただし階段とは本日、距離を置かせていただきます」

となるかもしれません。

ここでフォッグは、「もっと水を飲みたいと思わせよう」とモチベーションだけを上げるのではなく、行動を簡単にする方法も考える必要があると示したのです。

やる気とやりやすさの関係を、図で表した

フォッグは、やる気と行動のしやすさの関係を、グラフのような図にして説明しました。

やる気が高ければ、多少難しい行動でも実行できる。

反対に、やる気が低くても、非常に簡単な行動なら実行できる可能性がある。

たとえば、

「いまから二時間、難しい本を読みましょう」

と言われると、かなりのやる気が必要です。

ところが、

「本を一ページだけ開きましょう」

なら、それほど気合いを入れなくてもできそうです。

行動のハードルを下げることで、必要なやる気も少なくできるわけです。

この考え方を図にすると、行動が起きやすい範囲と、起きにくい範囲が見えてきます。

フォッグは、その境目を示す線を使って、

「この線より上にある状態なら、適切なきっかけによって行動が起きやすい」

と説明しました。

言い換えるなら、きっかけは万能ではありません。

どれほどスマートフォンが元気よく通知しても、行動が難しすぎたり、本人にやる気がなかったりすれば、人は動きません。

通知だけが空回りして、

「運動の時間です」
「水分補給の時間です」
「勉強の時間です」

と次々に知らせてくると、最後には通知を消すという別の行動が起きます。

デザイン側としては、なかなか切ない結末です。

具体的なサービスを例に、モデルの使い方を説明した

この論文では、モデルを数式だけで終わらせず、ウェブサービスや行動を促す仕組みを考えるための例も示されました。

たとえば、利用者に会員登録をしてもらいたいとします。

登録のメリットがよく分からなければ、やる気が生まれません。

入力項目が三十個もあれば、実行が難しくなります。

登録ボタンが見えなければ、きっかけがありません。

「登録してくれない利用者が悪い」と言う前に、

「登録したいと思える理由はあるか」
「手続きは簡単か」
「次に何を押せばよいか分かるか」

を点検するわけです。

フォッグは、このような具体例を通じて、三つの要素のうち、どこに問題があるのかを分析できると説明しました。

人が動かなかった場合に、

「やる気が低かった」

だけで終わらせず、

「行動が難しすぎたのでは」
「きっかけが間違ったタイミングで出たのでは」

と、別の可能性を検討できるようにしたのです。

実験結果ではなく、行動を考えるための設計図

ここで大切なのは、この論文が大規模な実験によって、三つの要素の効果を細かく比較した研究ではないという点です。

誰かに通知を送り、

「青いボタンと赤いボタンでは、どちらが何%多く押されたか」

を測定したわけではありません。

人の行動についての考えを整理し、デザイナーや研究者が使える形にした概念的なモデルの提案です。

そのため、この論文だけから、

「人間のすべての行動は、この三つだけで完全に説明できる」

と言うことはできません。

人の行動には、感情、習慣、健康状態、周囲の人間関係、文化、過去の経験など、さまざまな事情が関係します。人間は三つの箱に入れて、ふたを閉めれば完成するほど素直ではありません。

それでも、このモデルには大きな利点があります。

複雑な問題に出会ったとき、最初にどこを見ればよいかが分かることです。

やる気が足りないのか。
行動が難しすぎるのか。
適切なきっかけがないのか。

フォッグが行ったのは、人の心を細かく分解することではありません。

行動が起きない場面で、いきなり本人を叱らずに済むよう、確認すべき三つの窓をつくることでした。

この論文の研究方法をざっくり言えば、人が動くさまざまな場面を、やる気・やりやすさ・きっかけという三つの視点で整理し、行動を設計するためのモデルとして示したということです。

巨大な実験装置は登場しません。

その代わり、日常の「なぜ動けない?」を点検する、小さくて持ち運びやすい工具箱が差し出されたのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この研究でわかったこと:やる気があるのに行動できないのはなぜ?人が動く3つの条件

この論文で示された中心的な考えは、とてもシンプルです。

人がある行動を起こすには、

やる気
その行動のやりやすさ
行動を始めるきっかけ

この三つが、同じタイミングでそろう必要がある。

フォッグは、この考えを次のような形で表しました。

行動=モチベーション・能力・きっかけが同時にそろったときに起こる

ここでいう「能力」は、運動神経や頭のよさだけを意味するものではありません。

時間があるか。
お金がかからないか。
体力が残っているか。
手順が複雑すぎないか。
いつもの行動に組み込みやすいか。

そうした「今の自分にとって、どれくらい簡単にできるか」を含んでいます。

つまり、人が動けないときは、心のエンジンだけを調べても不十分なのです。

ガソリンは入っているかもしれない。けれど、道が工事中で、信号も消えている。そんな状態で「もっとアクセルを踏んでください」と言われても、車としては困ります。

やる気が高ければ、難しい行動にも手が届く

まず、やる気が高いときは、多少難しい行動でも実行しやすくなります。

たとえば、明日の朝までに必ず提出しなければならない書類があるとします。

眠い。
疲れている。
資料も多い。
できれば布団に逃げ込みたい。

それでも、締め切りが目の前に立ち、

「こんばんは。逃げ道をふさいでおきました」

と告げてくれば、人は動くことがあります。

締め切り、罰金、健康上の危機、大切な人との約束などは、やる気を一時的に強くする要因になります。

高いやる気があれば、時間や労力がかかる行動でも、実行できる可能性が上がるわけです。

ただし、ここには問題があります。

やる気は、毎日同じ量だけ届く宅配便ではありません。

昨日は届いたのに、今日は不在票すら入っていない。そんな日もあります。

強い不安や締め切りで無理にやる気を上げ続ける方法は、短期的には動けても、疲れやストレスを増やすことがあります。

そこで重要になるのが、二つ目の発見です。

行動を簡単にすれば、少ないやる気でも動ける

このモデルの意外なところは、行動するために、いつも高いやる気が必要なわけではないと考える点です。

「運動するぞ」という気持ちが百点満点の日を待たなくても、行動そのものを簡単にすれば始められるかもしれません。

一時間の運動は難しくても、スクワットを三回する。

部屋を完璧に片づけるのは重くても、机の上の紙を一枚捨てる。

資格の本を一章読むのは大変でも、一ページだけ開く。

家計簿を全部整理するのは面倒でも、今日使った金額を一つだけ記録する。

こうして行動を小さくすると、必要な時間や体力、集中力が減ります。

すると、やる気がそれほど高くない日でも、行動できる範囲に入ってくるのです。

ここが、この論文のとくに面白いところです。

私たちは動けないとき、

「もっとやる気を出さなければ」

と考えます。

しかしフォッグのモデルは、

「やる気を持ち上げる前に、行動を軽くしてはどうですか」

と提案します。

冷蔵庫を持ち上げられない人に、筋肉への説教を始めるのではなく、中身を出し、台車を用意する。

行動の設計も、それに近いのです。

きっかけは、行動を起こす最後の合図になる

やる気がある。

行動も簡単にできる。

それでも、行動が始まらないことがあります。

なぜでしょうか。

単純に、忘れていたからです。

朝は「帰ったら薬を飲もう」と思っていた。

薬もテーブルの上にある。

ところが帰宅後、食事をして、テレビを見て、お風呂に入り、布団へ向かう。

薬はテーブルの上から、

「本日の出番は、もう終わりましたでしょうか」

と静かにこちらを見ています。

このとき足りなかったのが、きっかけです。

フォッグのモデルでは、やる気とやりやすさが十分にあっても、その瞬間に行動を促す合図がなければ、行動は起きにくいと考えます。

きっかけには、さまざまなものがあります。

アラームが鳴る。
ボタンが表示される。
誰かに声をかけられる。
玄関に運動靴が置いてある。
歯みがきを終える。
昼休みになる。

「この出来事のあとに、この行動をする」と結びつけることで、きっかけをつくることもできます。

たとえば、

「朝食を食べたら薬を飲む」
「パソコンを開いたら今日の予定を書く」
「歯をみがいたら一回だけストレッチする」

という具合です。

ただし、ここでも注意が必要です。

きっかけさえ増やせば、人がどんどん動くわけではありません。

行動が難しすぎる状態で通知を増やすと、通知は応援団ではなく、せかしてくる訪問販売員になってしまいます。

「運動してください」
「勉強してください」
「水を飲んでください」
「早く寝てください」

スマートフォンに一日中指導されれば、最後に起こる行動は「通知をすべて切る」かもしれません。

きっかけは、行動できる状態が整っているときにこそ役立つのです。

三つのどこが不足しているかで、対策は変わる

フォッグのモデルから見えてくるのは、同じ「行動できない」という状態でも、理由は一つではないということです。

やる気が足りないなら、その行動をする意味や、得られるよい結果を見直す必要があります。

行動が難しすぎるなら、手順を減らす、時間を短くする、道具を準備するなどの工夫が役立ちます。

きっかけが足りないなら、目につく場所に置く、時間を決める、別の習慣と結びつける方法が考えられます。

たとえば、勉強できない人に対して、

「将来のために、もっと危機感を持ちなさい」

と伝えるだけでは、問題が解決しないことがあります。

本人には十分なやる気があり、単に教材が難しすぎるのかもしれません。

何から始めればよいか分からないのかもしれません。

勉強を始める時間や場所が決まっていないのかもしれません。

そこへさらに危機感を追加すると、勉強ではなく不安だけが元気になる可能性があります。

「やる気がない」と見える人が、実際には「やり方が分からない」「行動が大きすぎる」「始める合図がない」状態にいることもあるのです。

意外なのは、強く思うことより簡単にすることが役立つ場合がある点

この論文の考え方で、もっとも意外なのはここでしょう。

私たちは変わりたいとき、決意を強くしようとします。

目標を大きく書く。
理想の未来を想像する。
自分を励ます。
場合によっては、鏡の前で握りこぶしをつくる。

もちろん、それが役立つこともあります。

しかし、やる気は気分や体調、忙しさによって揺れます。いつも高い状態を保つのは難しいものです。

一方で、行動を簡単にする工夫は、やる気が低い日にも残ります。

運動着を前日に出しておく。

申し込みフォームの入力欄を減らす。

仕事の最初の一歩を「ファイルを開く」にする。

薬を食卓の見える場所に置く。

こうした工夫は地味です。決意の炎も、感動的な音楽も鳴りません。

けれど、人間は案外、壮大な覚悟よりも「すぐできる」に助けられます。

人を動かす鍵は、心を燃え上がらせることだけではない。

ドアを軽くし、取っ手を分かりやすい場所につけることも大切なのです。

行動できないことを、人格の欠点にしなくてよい

フォッグのモデルは、人が動かなかった理由を完全に説明する万能の公式ではありません。

この論文は、大規模な実験で三つの条件を最終的に証明したものではなく、行動を理解し、設計するためのモデルを提案した研究です。

それでも、私たちに大切な視点を与えてくれます。

行動できなかったとき、

「私はだめな人間だ」

と人格全体に赤い判子を押さなくてもよい、という視点です。

今日、運動できなかった。

それは、意志が弱いからとは限りません。

疲れていて、行動が大きすぎたのかもしれない。

始める時間を決めていなかったのかもしれない。

運動着が押し入れの奥で冬眠していたのかもしれない。

人が動くかどうかは、本人の性格だけではなく、行動を取り巻く条件にも左右されます。

この論文が示したのは、行動を起こすには、やる気を責任者にして働かせ続けるのではなく、やりやすさときっかけにも席を用意する必要があるということです。

やる気、やりやすさ、きっかけ。

この三つが同じ瞬間に顔をそろえたとき、行動はようやく、

「では、そろそろ始めますか」

と腰を上げるのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ここが面白い:やる気を増やすより、行動を小さくするほうが人は動ける?

この論文の面白さは、私たちが行動できないときに向けがちな懐中電灯を、くるりと別の方向へ向けてくれるところです。

私たちは何かを始められないと、まず「やる気」を疑います。

「運動できない。やる気が足りない」
「勉強が進まない。本気度が低い」
「片づけられない。自分はだらしない」

動かなかった原因を調べる会議が始まると、やる気係が真っ先に会議室へ呼び出されます。

「君、昨日も欠勤したね」

しかし、やる気係としては言いたいことがあります。

「いや、私だけの責任でしょうか。仕事が大きすぎましたし、開始時刻も聞いていません。そもそも必要な道具が押し入れの奥でした」

たしかに、そのとおりです。

フォッグ行動モデルが面白いのは、行動できない理由を「心の弱さ」だけで説明せず、行動の難しさや、始めるきっかけまで含めて考えるところです。

つまり、動けない自分を取り調べるのではなく、行動が起きる現場を調べるのです。

やる気を上げるより、階段を低くする

たとえば、「毎日一時間運動する」と決めたとします。

目標としては立派です。健康雑誌の表紙に載っていても不思議ではありません。

ところが、仕事を終えて帰宅した夜に待っているのは、

着替える。
道具を準備する。
外へ出る。
一時間運動する。
汗を流す。
片づける。

という、なかなかの長編作品です。

疲れた自分がその予定表を見れば、

「本日の上映は中止になりました」

と静かに幕を下ろすでしょう。

ここで私たちは、さらに気合いを足そうとします。

好きな音楽を流す。
理想の体型を思い浮かべる。
健康を失った未来を想像する。
鏡に向かって「私はできる」と唱える。

もちろん、それで動ける日もあります。

しかし、フォッグのモデルは別の道を示します。

「一時間が重いなら、三分にしてはどうでしょう」

もっと言えば、

「運動着に着替えるだけ」
「玄関まで行くだけ」
「スクワットを一回するだけ」

でもよいのです。

「一回で何が変わるんですか」

そう言いたくなりますよね。

一回のスクワットで、筋肉が突然こちらへ敬礼するわけではありません。部屋の紙を一枚捨てても、家全体がモデルルームになるわけでもありません。

けれど、ここで大切なのは、完成ではなく行動が起きることです。

大きな行動は、始める前からこちらを圧倒します。

小さな行動は、

「それくらいなら、まあ」

と、心の警備員をすり抜けます。

人間は大きな決意によってしか変われないと思われがちですが、実際の行動は、ときどき拍子抜けするほど小さな入口から始まります。

壮大な門を建てるより、開けやすい勝手口をつくる。

この発想の転換が、このモデルの魅力です。

「できない人」ではなく「難しい状況」に目を向ける

この考え方は、自分への見方も変えてくれます。

仕事の書類に手をつけられないとき、

「私は先延ばしをする人間だ」

と考えると、問題が人格の奥深くまで入り込んでしまいます。

なんだか、自分という建物全体が欠陥物件になった気分です。

けれど、

「最初に何をすればよいか分からない」
「必要な資料が散らばっている」
「作業時間を長く見積もりすぎている」

と考えれば、話は変わります。

最初の作業を「新しいファイルを作る」にする。

必要な資料を一か所へ集める。

十五分だけ取り組む。

人格を大改修しなくても、行動の入口を直せるかもしれません。

ここが、とても大事です。

「行動できない」という出来事と、「自分はだめな人間だ」という評価は、本来別のものです。

ところが私たちは、この二つを瞬間接着剤でくっつけてしまいます。

運動できなかった。

だから、意志が弱い。

返信できなかった。

だから、人付き合いが苦手だ。

勉強できなかった。

だから、自分には能力がない。

フォッグのモデルは、その接着部分へ細いへらを差し込みます。

「本当に性格の問題ですか」
「行動が難しすぎただけではありませんか」
「始める合図がなかったのではありませんか」

そう問い直せるだけでも、自分への判決はずいぶん穏やかになります。

通知は魔法の杖ではない

もう一つ面白いのは、フォッグが「きっかけ」を重視しながら、きっかけだけでは人を動かせないと考えている点です。

今の生活には、きっかけがあふれています。

「本日の歩数が不足しています」
「学習時間になりました」
「未読のメールがあります」
「カートに商品が残っています」
「連続記録が途切れそうです」

スマートフォンは、こちらの人生にかなり熱心です。

ときには家族より細かく生活を気にかけてくれます。

しかし、通知が鳴ったからといって、人が必ず動くわけではありません。

「運動しましょう」と通知が来ても、本人が疲れ切っていて、運動内容が一時間の筋力トレーニングなら、行動は起きにくいでしょう。

むしろ、

「いま、それを言いますか」

と通知を閉じる可能性があります。

きっかけは、やる気とやりやすさが整っているときに力を発揮します。

料理でいえば、きっかけは火をつけるマッチです。

材料も鍋もなければ、マッチだけ百本渡されても夕食は完成しません。少し煙たくなるだけです。

この視点は、アプリやウェブサイトだけでなく、日常の声かけにも使えます。

子どもや部下、家族に何度も、

「早くやって」
「忘れないで」
「そろそろ始めたら?」

と声をかけても動かないとき、きっかけの回数だけを増やしても効果がないかもしれません。

本人にとって、行動が難しすぎるのかもしれない。

何をすればよいか分からないのかもしれない。

その行動をする意味が見えていないのかもしれない。

呼び鈴を連打する前に、玄関までの道が通れるかを確認する。

そんな見方が必要なのです。

「もっと頑張れ」は、設計を放棄した言葉になることがある

このモデルを読んでいると、「頑張る」という言葉の便利さと危うさが見えてきます。

誰かが行動できないとき、

「もっと頑張ればいい」

と言えば、話はすぐに終わります。

短くて便利です。しかも、言った側には仕事をした感じがあります。

しかし、その人が動けない理由が、複雑な手順や体力不足、時間のなさにあるなら、「頑張れ」は問題を本人へ返送しているだけです。

住所欄には、

「あなたの性格の問題です」

と書かれています。

フォッグのモデルを使うと、別の問いが生まれます。

「もっと簡単にできないだろうか」
「最初の一歩を小さくできないだろうか」
「必要な道具を先に用意できないだろうか」
「行動するタイミングを分かりやすくできないだろうか」

これは、支援や教育、職場づくりにも大切な視点です。

書類を提出しない人へ催促を増やすより、書類を短くする。

会議で発言しない人を責めるより、事前に質問を渡す。

新しい仕事を覚えられない人へ「積極的に聞いて」と言うだけでなく、質問できる時間と相手を決める。

人間を改造する前に、環境を調整するのです。

本人の努力を不要にするという話ではありません。

努力がきちんと行動へ届くよう、途中の道を舗装するという話です。

小さくすることは、自分を甘やかすことではない

「一回だけ」「一分だけ」と聞くと、

「そんなに小さくして意味があるの?」
「自分に甘すぎるのでは?」

と感じる人もいるでしょう。

私たちは、努力にはある程度の苦しさが必要だと思いがちです。

簡単にできると、

「これは努力として正式に認められるのでしょうか」

と心配になります。

しかし、大きな目標を掲げて一度も始めないことと、小さな行動を実際に起こすことでは、後者のほうが少なくとも現実に一歩を残します。

一ページ読めば、本は昨日より一ページ進んでいます。

一つ片づければ、部屋から一つ分の混乱が減っています。

一回外へ出れば、ソファに座ったままより景色が変わっています。

小さな行動は、成果としては小さく見えます。

けれど、「自分は行動できた」という経験をつくります。

この経験は、次の行動へのきっかけになることがあります。

最初の一歩は、目的地までの距離を大きく縮めないかもしれません。

それでも、「出発していない状態」から「出発した状態」へ、人を移動させます。

この差は、地図の上では一センチでも、心のなかでは意外に大きいのです。

人間は、意志よりも設計に助けられている

考えてみれば、私たちの生活はすでに、たくさんの「やりやすさ」に支えられています。

自動ドアが開く。

よく使う連絡先が上に表示される。

駅の床に進む方向が描かれている。

薬が一回分ずつ包装されている。

横断歩道の音が、渡るタイミングを知らせる。

私たちは、それらを使うたびに「強い意志」を発揮しているわけではありません。

道が分かりやすく、行動が簡単で、適切な合図があるから動けています。

人は意志によって生きています。

けれど、意志だけで生きているわけではありません。

見えないところで、環境や道具や合図にずいぶん助けられています。

フォッグ行動モデルは、その当たり前を言葉と図にして見せてくれました。

動けないとき、自分の心を大声で起こすことだけが方法ではない。

行動を小さくする。
道具を近くに置く。
始める時間を決める。
合図を分かりやすくする。

やる気に演説をさせるより、椅子を一脚動かしたほうが、人が動くこともあるのです。

この論文の面白さは、行動の問題を「心の強さ」の物語から、「人と環境の組み合わせ」の物語へ書き換えたところにあります。

「私はなぜ動けないのだろう」

そう思ったときは、自分を責める会議を始める前に、行動へ聞いてみてもよいでしょう。

「あなた、少し大きすぎませんか」
「入口はどこですか」
「始める合図は決まっていますか」

すると行動のほうが、少し気まずそうに答えるかもしれません。

「たしかに私、最初から一時間コースで待っていました」

それなら、まずは一分にしてみる。

人を動かすのは、燃え上がる決意だけではありません。

ときには、拍子抜けするほど低い一段が、止まっていた足をそっと前へ運ぶのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

私たちの生活にどう活かせる?:やる気が出ないときはどうする?行動を始めやすくする3つの工夫

フォッグ行動モデルを、私たちの生活に持ち帰るとき、まず覚えておきたいことがあります。

それは、行動できない自分に向かって、

「もっとやる気を出せ」

と、心の音量を上げることだけが対策ではないということです。

朝は「今日は帰ったら運動しよう」と思っていた。

仕事中も「今夜こそ部屋を片づける」と考えていた。

それなのに帰宅した瞬間、ソファがこちらへ話しかけてきます。

「本日も大変お疲れさまでした。こちらへどうぞ」

そして気づけば、運動着は棚の中、片づけは明日の予定表へ転居し、本人は動画を眺めています。

ここで、

「私はどうして、こんなに意志が弱いんだろう」

と反省会を始めるのが、いつもの流れです。

しかし、フォッグのモデルを使うなら、反省会の議題を変えられます。

やる気は十分だっただろうか。

行動が大きすぎなかっただろうか。

始めるきっかけは用意されていただろうか。

自分を裁くのではなく、行動が起きなかった条件を調べるのです。

それだけで、「できなかった」が「次はどう整えよう」に変わります。

1.やる気を待つより、行動を小さくする

まず試したいのは、やろうとしている行動を小さくすることです。

私たちは目標を立てるとき、なぜか最初から大作を用意します。

運動するなら、一時間。

読書するなら、一章。

部屋を片づけるなら、家中まとめて。

資格の勉強なら、毎日二時間。

目標を発表した瞬間は、とても立派です。未来の自分が拍手しています。

ところが、実際にそれを担当するのは、仕事を終え、疲れて帰ってきた現在の自分です。

現在の自分は予定表を見て、

「企画した人を呼んでください」

と言いたくなります。

そこで、行動をもっと小さくします。

運動するなら、スクワットを一回。

読書するなら、本を開いて一段落。

片づけるなら、机の上の物を一つ戻す。

勉強するなら、問題集を一問だけ見る。

「そんなに小さくて、意味があるのでしょうか」

そう思うかもしれません。

もちろん、一回のスクワットで体が急に引き締まるわけではありません。一問解いただけで、資格試験の合格通知が窓から飛び込んでくることもないでしょう。

けれど、小さな行動には大切な役割があります。

それは、始めるところまで自分を運ぶことです。

一度始めると、そのまま少し続けられる日もあります。

一回だけのつもりが、三回できる。

一段落だけのつもりが、二ページ読める。

一つ片づけたら、もう一つ戻したくなる。

もちろん、一回で終わっても構いません。

「一回しかできなかった」のではなく、「一回は実行した」のです。

毎回、自分を大きな目標の前へ連れていき、

「さあ、人生を変えてください」

と迫るより、小さな入口から中へ入れるようにする。

行動を小さくすることは、自分を甘やかすことではありません。

行動が通れる幅まで、門を広げる工事なのです。

2.意志に頼らず、行動しやすい環境を先につくる

次にできるのは、行動の前にある面倒を減らすことです。

たとえば、朝に運動したいとします。

しかし、運動着は押し入れの奥。

靴は玄関の箱の中。

動画を見ながら運動する予定ですが、動画はまだ探していない。

これでは運動を始める前に、小さな用事が三つも並んでいます。

運動着を探し、靴を出し、動画を選ぶ。

その間にスマートフォンが別の動画をおすすめしてきて、計画は見事に横道へ入ります。

そこで、前日のうちに運動着を見える場所へ置く。

靴を玄関に出しておく。

使う動画を開いておく。

すると朝に必要なのは、「始める」という行動だけになります。

読書なら、読みたい本を棚へ戻さず、いつも座る場所の近くに置く。

薬なら、生活動線のなかの見える場所に置く。

仕事なら、翌朝取りかかるファイルを開いた状態で前日の作業を終える。

片づけなら、物の住所を決め、戻す箱を近くに置く。

貯金なら、毎月自動的に別の口座へ移るように設定する。

こうした工夫は地味です。

「人生を変える七つの決意」と比べると、運動着を椅子に置く話は、たいへん小さく見えます。

けれど、実際の行動は、こうした小さな段差につまずきます。

人は大きな障害だけで止まるのではありません。

ログインのパスワードが分からない。

申込書の入力欄が多い。

必要な物が見つからない。

手順の最初が分からない。

一つひとつは小さくても、積み重なると、行動の前に見えない関所ができます。

その関所を通るたびに、やる気から通行料が取られていくのです。

だから、「もっと頑張って通過しよう」と考える前に、関所そのものを減らします。

人間を強くするだけでなく、環境をやさしくする。

それが、フォッグのモデルを生活に活かす大きなポイントです。

3.「いつやるか」を決め、きっかけを用意する

やる気もある。

行動も小さくした。

道具も近くに置いた。

それでも、忘れることがあります。

人間の一日は、予定外の出来事でにぎやかです。

メールが届く。

家族に呼ばれる。

別の用事を思い出す。

少し休憩するつもりでスマートフォンを見る。

気づけば夜です。

やろうと思っていた行動は、一日の片隅で、

「私、本日の予定に入っていましたよね?」

と立ち尽くしています。

そこで必要なのが、きっかけです。

ただ「毎日やる」と決めるのではなく、

「朝食を食べたら薬を飲む」
「歯をみがいたらストレッチを一回する」
「パソコンを開いたら今日の予定を書く」
「夕食の食器を片づけたら本を一ページ読む」

という形で、すでに毎日している行動のあとへ、新しい行動をつなげます。

既存の習慣を、新しい行動の発車ベルにするのです。

時間をきっかけにしてもよいでしょう。

午後八時になったら、机に座る。

昼休みになったら、五分だけ歩く。

日曜日の夕方になったら、一週間の予定を確認する。

目に入る物を合図にする方法もあります。

玄関に置いた靴を見る。

机の上に置いた本を見る。

冷蔵庫に貼ったメモを見る。

ただし、きっかけを増やしすぎると、今度は合図の大合唱になります。

朝からスマートフォンが、

「水を飲みましょう」
「深呼吸しましょう」
「立ち上がりましょう」
「今日の目標を書きましょう」
「昨日の振り返りをしましょう」

と次々に話しかけてきたら、こちらも静かな生活を守るため、通知をまとめて消したくなるでしょう。

きっかけは多ければよいのではありません。

行動ができる状態になっているときに、分かりやすく一度知らせることが大切です。

運動を続けたいときは、三つを一緒に整える

では、実際の生活場面で考えてみましょう。

たとえば、「運動を続けたい」という目標があるとします。

まず、やる気です。

健康診断の結果を改善したい。

体力をつけたい。

気分転換をしたい。

自分が何のために運動するのかを、無理のない言葉で確認します。

次に、やりやすさです。

一時間の運動ではなく、玄関の外を五分歩く。

運動着を前日に用意する。

雨の日は室内でストレッチをする。

忙しい日は、一回だけでもよいことにする。

最後に、きっかけです。

夕食後に靴を履く。

帰宅して鞄を置いたら、運動着へ着替える。

朝のニュースが終わったら、ストレッチする。

こうして三つを整えます。

ここで大事なのは、「毎日完璧に守ること」ではありません。

疲れてできない日もあります。

予定が崩れる日もあります。

そのたびに「継続記録が途切れた。すべて終了です」と閉店する必要はありません。

できなかった日は、

「今日は、どの条件が足りなかったのだろう」

と確認します。

疲れていたなら、行動をもっと小さくする。

時間がなかったなら、別のきっかけへ移す。

運動の意味が薄れていたなら、目的を見直す。

失敗を判決ではなく、調整のための情報として扱うのです。

勉強や仕事では「最初の一手」だけを決める

勉強や仕事で手が止まるとき、実際の作業よりも「始めるまで」が重いことがあります。

「報告書を完成させる」

この言葉だけで、頭のなかには長い作業工程が現れます。

資料を集める。

内容を整理する。

文章を書く。

数字を確認する。

修正する。

提出する。

まだ何も始めていないのに、心はすでに残業しています。

そこで、最初の行動だけを決めます。

「新しい文書を開く」
「タイトルを書く」
「必要な資料を机に置く」
「最初の一文だけ書く」

これなら、行動の入口が見えます。

仕事をすべて終わらせることをきっかけにしてはいけません。

それはゴールです。

きっかけのあとに置く行動は、できるだけ小さくします。

たとえば、

「午前九時にパソコンを開いたら、報告書のファイルを開く」

ここまで具体的にすると、次に何をするかで迷いにくくなります。

始めたあとの自分が、少し続けてくれることもあります。

続かなければ、その日はファイルを開いたところまででもよいでしょう。

仕事が完成していないことと、何もしていないことは同じではありません。

片づけでは「全部きれいにする」を禁止する

片づけも、行動を大きくしやすい分野です。

散らかった部屋を見た瞬間、

「今日は、この部屋を完璧に片づける」

と決意します。

しかし、物を一つ持ち上げると、別の場所も気になります。

古い書類が出てくる。

捨てるか迷う物が出てくる。

思い出の写真を見つける。

気づけば床に物を広げたまま、十年前の写真を眺めています。

片づけを始めたはずなのに、部屋は開始前より壮大な景色になっています。

そこで、「全部きれいにする」をいったん禁止します。

今日は机の右半分だけ。

郵便物を三枚だけ確認する。

床の物を五つだけ戻す。

ゴミを一袋だけまとめる。

そして、きっかけを決めます。

夕食後に一つ戻す。

お風呂のお湯がたまるまで、机の上を片づける。

ゴミの日の前夜に、不要な紙を確認する。

片づけが続かないのは、性格がだらしないからとは限りません。

作業範囲が広すぎたり、物の戻し場所が決まっていなかったりすることがあります。

箱を置く。

分類を減らす。

よく使う物は近くに置く。

こうした環境の整備は、気合いより静かですが、毎日の行動を助けてくれます。

人間関係では「なぜやらないの?」の前に条件を見る

フォッグのモデルは、自分の習慣だけでなく、人との関わりにも応用できます。

たとえば、家族に家事を頼んだのに、なかなか動いてくれない。

部下に書類の提出をお願いしたのに、期限を過ぎている。

子どもに宿題をするよう伝えたのに、始めない。

このとき、つい言いたくなります。

「やる気がないの?」
「何回言えば分かるの?」
「本当にやるつもりがある?」

けれど、その前に三つを確認します。

本人は、その行動を必要だと感じているか。

何をどこまですればよいか分かっているか。

今の本人にとって、難しすぎる作業ではないか。

始める時間や合図は決まっているか。

「部屋を片づけて」では、どこから手をつけるか分からないかもしれません。

「今夜までに報告して」では、必要な形式が分からないかもしれません。

「勉強しなさい」では、どの教科を何分するのか決まっていないかもしれません。

そこで、

「床にある服を、この箱に入れてもらえる?」
「この三項目を入力して、午後三時までに送ってください」
「夕食後に、数学を一問だけ一緒に見よう」

と、行動を具体的にします。

もちろん、人は機械ではありません。

言い方を変えれば必ず動くわけではありませんし、本人の事情や気持ちを無視してよいわけでもありません。

ただ、「動かないのは本人の態度が悪い」と決める前に、行動の条件を見直せます。

責める言葉を増やすより、迷わない道を一緒につくる。

それだけで、人間関係の摩擦が少し減ることがあります。

できなかった日は、自分ではなく設計を見直す

このモデルを生活に取り入れるうえで、いちばん役立つのは、失敗した日の見方かもしれません。

運動できなかった。

勉強できなかった。

早く寝られなかった。

予定どおり進まなかった。

そんな日に、

「私は続かない人間だ」

と結論を出す必要はありません。

代わりに、三つの質問をしてみます。

やる意味を感じられていたか。

目標が誰かに決められたものになっていたり、自分にとっての意味を見失ったりすると、やる気は弱くなります。

行動は十分に簡単だったか。

疲れている日に大きな課題を設定していなかったか。必要な物が遠くに置かれていなかったか。手順が多すぎなかったか。

適切なきっかけがあったか。

「時間ができたらやる」という、いつ来るか分からない列車を待っていなかったか。具体的な時間や、別の習慣との結びつきがあったか。

どこかに問題が見つかれば、そこを少し変えます。

自分という人間を丸ごと作り直す必要はありません。

行動の大きさを半分にする。

道具を近くへ動かす。

きっかけを別の時間へ移す。

目標の意味を自分の言葉で確認する。

修理するのは人格ではなく、仕組みです。

やる気に任せず、明日の自分を少し助けておく

やる気は大切です。

けれど、やる気は天気に似ています。

晴れる日もあれば、曇る日もあります。こちらが命令しても、毎朝同じ状態では来てくれません。

だから、晴天だけを前提に予定を立てないことです。

やる気が低い日でもできる小さな行動を用意する。

迷わず始められるよう、道具を出しておく。

いつ始めるか、きっかけを決めておく。

これは、明日の自分を信用していないからではありません。

明日の自分が疲れている可能性まで考え、先回りして椅子を用意しておくことです。

「頑張れるでしょう。あとはよろしく」

と仕事を丸投げするのではなく、

「ここまで準備しておいたので、最初の一歩だけお願いします」

と引き継ぎを残す。

すると明日の自分も、

「昨日の私、なかなか話が分かるじゃないですか」

と動きやすくなります。

フォッグ行動モデルを生活に活かすとは、自分を自由に操る魔法を手に入れることではありません。

行動できないたびに自分を責めるのをやめ、条件を少しずつ整えることです。

大きな決意を燃やし続けなくてもよい。

行動を小さくする。

環境を整える。

きっかけを決める。

この三つを使って、行動が通れる細い橋をかけていきます。

橋は最初から立派でなくても構いません。

一分だけ。

一回だけ。

一つだけ。

その小さな橋を渡った先に、昨日は始められなかった行動が待っています。

そして行動は、こちらを急かすことなく、こう言うのかもしれません。

「全部やらなくて大丈夫です。まずは、ここまで来てくれれば」

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

少し注意したい点:フォッグ行動モデルは万能ではない?使う前に知りたい3つの注意点

フォッグ行動モデルは、とても使いやすい考え方です。

行動できなかったときに、

「やる気が足りなかったのか」
「行動が難しすぎたのか」
「始めるきっかけがなかったのか」

と三つに分けて考えられます。

複雑な人間行動に、確認用の窓を三つつけてくれるわけです。

しかし、便利な道具ほど、つい何にでも使いたくなります。

新しいドライバーを買った日に、家中のねじを締めたくなるようなものです。けれど、世の中の問題がすべてねじの緩みで起きているわけではありません。

フォッグ行動モデルも同じです。

行動を理解するための便利な地図ではありますが、人間という土地を一枚ですべて描ききった世界地図ではありません。

ここでは、このモデルを生活や支援、サービス設計に活かす前に、少し立ち止まって考えておきたい点を見ていきます。

1.これは大規模な実験で「証明された法則」ではない

まず大切なのは、この論文が、何百人もの参加者を集めて三つの条件を比較した実験研究ではないことです。

たとえば、

「やる気を高めたグループ」
「行動を簡単にしたグループ」
「通知を増やしたグループ」

を用意し、どのグループが最も行動したかを統計的に調べたわけではありません。

フォッグが行ったのは、人が行動する場面を理解し、説得的なサービスを設計するために、行動の条件を三つに整理することでした。

つまり、この論文で提案されたのは、人の行動を考えるための概念モデルです。

ここは、読み方を間違えないようにしたいところです。

「フォッグが三つに分けた」

ということと、

「人間のすべての行動は、この三つだけで科学的に完全証明された」

ということは、同じではありません。

ところが理論が分かりやすいと、私たちはつい言い切りたくなります。

「人が動かない原因は、この三つのどれかです」

言葉としてはすっきりしています。すっきりしすぎて、机の上から人間の複雑さまで片づけてしまいそうです。

より正確には、

「行動が起きない理由を考えるとき、まずこの三つを確認すると整理しやすい」

くらいに受け取るのがよいでしょう。

このモデルは、判決を下す裁判官ではありません。

「こちらも確認してみてください」と懐中電灯を渡してくれる案内人です。

2.人の行動は、三つの条件だけでは説明しきれない

人間の行動には、やる気、やりやすさ、きっかけ以外にも、さまざまな事情が関わっています。

体調が悪い。

強い不安がある。

気持ちが落ち込んでいる。

過去に失敗して、同じことへ取り組むのが怖い。

家族との関係が不安定で、集中できない。

お金や時間に余裕がない。

周囲から期待されすぎて、かえって身動きが取れない。

こうした事情を、すべて「やる気」「やりやすさ」「きっかけ」の三箱へきれいに収納できるとは限りません。

人間は、衣替えの服ほど素直に分類されないのです。

たとえば、外出できない人がいるとします。

フォッグ行動モデルを使えば、

「外出へのやる気はあるか」
「準備が難しすぎないか」
「出かけるきっかけはあるか」

と考えられます。

これは役立つ視点です。

しかし、その人が強い不安や体調不良を抱えている場合、玄関に靴を置き、アラームを鳴らすだけでは解決しません。

むしろ、

「条件を整えたのに、どうしてできないの?」

と、別の責め方が始まってしまう危険があります。

モデルを使う目的は、人を新しい箱へ押し込むことではありません。

「怠けている」と決めつける代わりに、何が起きているかを丁寧に考えることです。

そのため、三つの条件を確認しても動けない場合は、

「ほかに苦しさや事情があるのではないか」

と視野を広げる必要があります。

ときには、小さな工夫より、十分な休養や周囲の助け、専門家への相談が必要なこともあります。

階段を低くすれば登れる人もいます。

けれど、足を痛めている人に必要なのは、階段の工夫だけではないかもしれません。

モデルを使うときほど、モデルの外側にいる人を忘れないことが大切です。

3.「行動を促すこと」が、いつも本人のためとは限らない

もう一つ注意したいのが、行動を促すデザインの倫理です。

フォッグ行動モデルは、人が動く条件を考えるために提案されました。

この知識は、健康、学習、防災、服薬、生活習慣など、本人にとって役立つ行動を後押しするために使えます。

しかし、同じ仕組みは、商品を買わせる、登録を続けさせる、画面を長時間見せるといった目的にも使えます。

たとえば、通販サイトで、

「残り一個です」
「ほかの人も見ています」
「あと五分で割引終了です」

と表示されたら、急いで購入したくなることがあります。

購入は簡単です。

ボタンは大きい。

支払い情報もすでに登録されています。

そこへ強いきっかけが届けば、行動は起こりやすくなるでしょう。

けれど、少し待ってください。

その行動は、本当に本人が望んでいたものでしょうか。

それとも、考える時間を狭くされ、反射的に動かされたのでしょうか。

行動を起こしやすくすることと、相手の自由な判断を奪うことは、隣り合っています。

便利なデザインは、

「あなたがしたい行動を、やりやすくしておきました」

と言います。

操作的なデザインは、

「こちらがしてほしい行動へ、迷わず進むようにしておきました」

と言います。

見た目は似ていますが、主語が違います。

前者の中心にいるのは利用者です。

後者の中心にいるのは、行動させたい側です。

そのため、このモデルを誰かに使うときは、

「誰の利益のために、この行動を促しているのか」

を確認する必要があります。

本人の目標を助けているのか。

断る選択肢は残されているか。

必要な情報が隠されていないか。

不安や焦りを過度に利用していないか。

行動を起こさせる技術が上手になるほど、「動かせたか」だけでなく「どう動かしたか」を考えなければなりません。

小さな行動が、いつも正しい行動とは限らない

フォッグ行動モデルを生活へ取り入れると、「行動を小さくしよう」という発想が生まれます。

これは、多くの場面で役立ちます。

けれど、小さくすれば何でもよいわけではありません。

たとえば、疲れ切っている人に、

「一分だけでも仕事をしましょう」

と勧め続けたらどうでしょう。

本人には、仕事を小さくすることよりも、休む許可が必要かもしれません。

家族から無理な要求を受けている人に、

「まず一つだけ応えてみましょう」

と伝えれば、苦しい関係を維持させてしまう可能性もあります。

行動を小さくすることは、「何でも実行させる技術」ではありません。

そもそも、その行動をする必要があるのか。

今は行動する時期なのか。

本人が本当に望んでいるのか。

そこから考える必要があります。

目の前にある坂道を登りやすくする前に、そもそもその坂を登りたいのかを確認する。

目的地が違っているなら、階段を低くする工事を続けても、本人は望まない場所へ少しずつ近づいてしまいます。

きっかけを増やしすぎると、かえって無視される

行動を促すには、適切なきっかけが必要です。

だからといって、通知や声かけを増やせば増やすほどよいわけではありません。

「水を飲みましょう」
「立ち上がりましょう」
「学習しましょう」
「今日の記録をつけましょう」
「まだ目標を達成していません」

一日中これが続けば、こちらの心にも受付時間がありますので、

「本日のご案内は終了しました」

となります。

合図が多すぎると、人は慣れて反応しなくなったり、面倒に感じて通知そのものを消したりします。

家族や職場での声かけも同じです。

相手が動かないたびに、

「まだ?」
「いつやるの?」
「忘れていない?」

と繰り返すと、声かけは行動の合図ではなく、関係をぎくしゃくさせる音になってしまうことがあります。

きっかけが効かないときは、回数を増やす前に、

行動が難しすぎないか。

本人にとって意味があるか。

合図が届くタイミングは適切か。

を確認したほうがよいでしょう。

呼び鈴を連打しても、家の中に誰もいなければ出てきません。

まして玄関までの廊下が水浸しなら、まず必要なのは呼び鈴ではなく雑巾です。

「能力が低い」と本人を評価するモデルではない

フォッグ行動モデルの「能力」という言葉にも、少し注意が必要です。

能力と聞くと、

「できる人と、できない人」
「優秀な人と、能力が足りない人」

という評価を思い浮かべやすいからです。

しかし、このモデルで重要なのは、本人の価値を測ることではありません。

その行動が、その瞬間の本人にとって実行しやすいかどうかです。

同じ人でも、状況によって行動のしやすさは変わります。

元気な休日なら、三十分歩ける。

仕事で疲れた夜なら、玄関まで行くのも重い。

慣れた手続きなら、すぐできる。

初めての手続きで説明が難しければ、途中で止まる。

つまり、

「この人は能力がない」

ではなく、

「この状況では、この行動の負担が大きい」

と見るほうが、このモデルの考え方に近いのです。

本人を採点するためではなく、行動の段差を測るために使う。

ここを間違えると、せっかく「本人を責めずに条件を見る」モデルが、新しい評価表へ変わってしまいます。

「あなたはやる気が低いですね」
「能力も不足していますね」
「きっかけには反応してください」

こんな面談が始まったら、モデルの使い方がだいぶ険しい方向へ進んでいます。

行動が起きても、その後に続くとは限らない

このモデルは、ある瞬間に行動が起きる条件を考えるのに便利です。

しかし、一度行動したからといって、その行動が長く続くとは限りません。

通知を見て一度だけ運動した。

分かりやすいボタンから一度だけ登録した。

声をかけられて一度だけ片づけた。

これは、行動が起きたことを意味します。

けれど、習慣になったことや、本人が満足していることまで意味するわけではありません。

行動を継続するには、

その経験がどのように感じられたか。

負担が大きすぎなかったか。

本人にとって意味があったか。

繰り返せる環境があるか。

といった別の点も考える必要があります。

最初の一歩を踏み出す設計と、長い道を歩き続ける設計は、同じではありません。

玄関から出ることに成功しても、目的地までの道に街灯も休憩所もなければ、途中で引き返すことがあります。

「行動が一度起きた」という数字だけを見て成功と判断せず、その後に何が起きたのかまで見る必要があるのです。

モデルは、人を決めつける答えではなく、対話を始める質問

フォッグ行動モデルを使うとき、もっとも安全で役立つ形は、答えとしてではなく質問として使うことです。

「あなたはやる気がない」

と決めるのではなく、

「この行動をする意味は、今どう感じていますか」

と聞く。

「能力が足りない」

と判断するのではなく、

「どの部分がいちばん大変ですか」

と確かめる。

「きっかけに反応しない」

と責めるのではなく、

「どのタイミングなら始めやすそうですか」

と一緒に考える。

三つの条件は、人を分析して分類するための箱ではありません。

対話の入口です。

モデルを本人の外側から当てはめるだけでは、本人にしか分からない事情を見落とします。

「こちらで原因を三つに整理しておきました」

ではなく、

「この三つのなかで、当てはまりそうなものはありますか」

と尋ねる。

その少しの違いが、支援と操作の境目になることがあります。

地図は便利。でも、地図に載っていない道もある

フォッグ行動モデルは、人が行動できないときの見方を大きく広げてくれます。

何でもやる気不足で片づけるのではなく、

行動が難しすぎないか。

適切なきっかけがあるか。

と考えられるからです。

これは、自分を責めすぎないためにも、誰かを支援するためにも役立ちます。

ただし、このモデルは人間のすべてを説明する完成品ではありません。

理論として提案されたものであり、感情、体調、習慣、経済状況、人間関係など、三つの条件だけでは捉えきれない事情があります。

また、人を動かす技術は、本人を助けるためにも、本人の判断を誘導するためにも使えます。

だからこそ、

「行動が起きたか」

だけではなく、

「誰が望んだ行動なのか」
「本人にとってよい結果につながるのか」
「断ったり立ち止まったりできる設計なのか」

まで考えたいところです。

地図を持つことは大切です。

けれど、地図を持った途端に、

「この道しかありません」

と言い始めないことも大切です。

フォッグ行動モデルは、人生の取扱説明書ではありません。

動けない場面に出会ったとき、

「意志の弱さ以外にも、何か理由があるかもしれませんよ」

と、隣でそっと地図を広げてくれる存在です。

その地図を頼りにしながらも、目の前の人の表情や、今日の体調や、地図には載っていない細い道を見る。

モデルを信じすぎず、捨てもしない。

便利な道具として、静かに手元へ置いておく。

そのくらいの距離感が、この論文と上手につき合う方法なのだと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

まとめ:やる気だけでは人は動かない。行動を生む3つの条件

「やろうと思っているのに、なぜか始められない」

この悩みは、なかなか厄介です。

頭では必要だと分かっている。

やったほうがよい理由も知っている。

場合によっては、朝から何度も「今日はやる」と決意している。

それなのに夜になると、予定していた行動だけが、手つかずのまま残っています。

運動靴は玄関で待機。

本は机の上で待機。

提出書類はパソコンの中で待機。

待機している者たちから、

「本日の出番は、まだでしょうか」

という視線を感じながら、私たちは自分へ言います。

「またできなかった。やっぱり私は意志が弱い」

しかし、フォッグ行動モデルは、その結論を出す前に少し待ってくださいと言います。

行動が起きなかった理由は、やる気だけではないかもしれない。

行動が難しすぎたのかもしれない。

始めるきっかけがなかったのかもしれない。

つまり、問題は「あなたがだめだから」ではなく、行動が起きる条件が、同じ瞬間にそろっていなかったからかもしれないのです。

人が動くには、三人の担当者が必要だった

フォッグが示したモデルでは、人が行動を起こすために、三つの要素が必要だと考えます。

一つ目は、モチベーション

その行動をしたい、する必要があると感じる気持ちです。

二つ目は、実行のしやすさ

その行動が、今の自分にとって簡単にできるかどうかです。

三つ目は、きっかけ

「いま始める時間ですよ」と知らせる合図です。

この三人が同じ時間に集合すると、行動が起こりやすくなります。

ところが現実では、三人の予定がなかなか合いません。

やる気係は朝に来た。

きっかけ係は昼に通知を出した。

やりやすさ係は、夜になっても準備が終わっていない。

これでは行動の会議は開けません。

「健康のために運動したい」というやる気があっても、一時間の運動しか認めていなければ、疲れた夜には難しいでしょう。

スクワット一回まで小さくしても、いつ始めるか決まっていなければ忘れるかもしれません。

アラームを鳴らしても、本人がその行動を望んでいなければ、通知を消して終了です。

大切なのは、どれか一つを大量に用意することではありません。

三つが、必要なタイミングでかみ合うことなのです。

やる気は大切。でも、単独主演ではない

これまで私たちは、行動の物語で「やる気」を主演俳優にしすぎていたのかもしれません。

行動できたら、

「やる気があったから」

行動できなかったら、

「やる気がなかったから」

だいたいの出来事を、やる気一人の演技力で説明してしまいます。

けれど、やる気には波があります。

元気な朝と、疲れた夜では違います。

締め切りの前日と、三か月前では違います。

心配事のない日と、不安で頭がいっぱいの日でも違います。

毎日、高いやる気を保つことを前提にすると、私たちの計画は天候に弱い野外公演になります。

快晴の日には大成功。

雨が降ったら中止。

そこでフォッグのモデルが教えてくれるのが、行動を簡単にするという考え方です。

一時間の運動が難しいなら、三分にする。

一章の読書が重いなら、一ページにする。

部屋全体の片づけが大きすぎるなら、物を一つ戻す。

報告書の完成が遠すぎるなら、ファイルを開いて題名だけ書く。

行動を小さくすれば、必要なやる気も小さくできます。

ここが、このモデルのもっとも実用的で、少し意外なところです。

自分の気持ちを大きく変えなくても、行動の大きさを変えればよいことがある。

心のエンジンを改造する前に、荷物を少し降ろしてみる。

それだけで動き出せる場合があるのです。

「いつかやる」では、きっかけが迷子になる

行動を小さくしても、いつ始めるかが決まっていなければ、予定は静かに一日の外へ流れていきます。

「時間があったら勉強する」

「気が向いたら歩く」

「落ち着いたら返信する」

これらは予定というより、未来への伝言です。

しかも受取人である未来の自分は、かなり忙しい。

そこで、行動を具体的なきっかけと結びつけます。

朝食を食べたら、薬を飲む。

歯をみがいたら、ストレッチを一回する。

仕事用のパソコンを開いたら、今日の予定を三つ書く。

夕食の食器を片づけたら、本を一ページ読む。

こうすると、すでに行っている習慣が、新しい行動を呼び出す係になります。

ただし、きっかけは万能ではありません。

難しすぎる行動に通知だけを足しても、人は動きにくいものです。

「二時間勉強してください」

という通知が毎晩届いても、疲れ切っている人には、通知を消す練習だけが上達するかもしれません。

きっかけが役立つのは、その行動を実行できる条件が整っているときです。

呼び鈴を鳴らす前に、玄関までの通路を空けておく必要があります。

できなかった日は、失敗ではなく点検の日にする

このモデルを生活に取り入れると、行動できなかった日の見方が変わります。

これまでは、

「また続かなかった」
「自分には根性がない」
「三日坊主だから仕方がない」

と、自分の人格に原因を置いていたかもしれません。

しかし、フォッグ行動モデルを使えば、次のように点検できます。

その行動をする意味を感じられていただろうか。

今の自分には、行動が大きすぎなかっただろうか。

始める時間や合図は決まっていただろうか。

たとえば、読書できなかったとします。

本に興味を失っているなら、やる気の問題かもしれません。

一日五十ページという目標なら、行動が大きすぎるのかもしれません。

本が棚の奥に入り、読む時間も決めていなければ、きっかけがなかったのかもしれません。

こうして原因を分ければ、対策も変わります。

読む本を変える。

一ページに減らす。

枕元に置き、寝る前に開く。

必要なのは、「読書を続けられる立派な人間」への生まれ変わりではありません。

明日の行動が少し起こりやすくなるよう、条件を調整することです。

できなかった日は、人生の成績表が返された日ではありません。

仕組みのどこを直せばよいか、情報をもらった日なのです。

自分だけでなく、誰かを支えるときにも使える

このモデルは、自分の習慣づくりだけでなく、誰かを支えるときにも役立ちます。

部下が仕事に取りかからない。

子どもが宿題を始めない。

家族が頼んだことをしてくれない。

そんなとき、私たちは相手の態度や性格を疑いやすくなります。

「やる気がない」
「責任感がない」
「何度言っても動かない」

しかし、その行動は具体的でしょうか。

何から始めればよいか分かるでしょうか。

本人にとって難しすぎないでしょうか。

いつ始めるか、合図は決まっているでしょうか。

「部屋を片づけて」より、

「床にある服を、この箱へ入れてください」

のほうが行動は明確です。

「報告書を早く出して」より、

「この三項目を入力し、午後三時までに送ってください」

のほうが入口が見えます。

誰かを動かしたいとき、言葉を強くする前に、行動を分かりやすくする。

催促を増やす前に、難しい部分を一緒に探す。

それだけで、相手を責める場面が少し減るかもしれません。

ただし、このモデルを「人を思いどおりに動かす技術」として使わない注意も必要です。

本人が望んでいない行動を、簡単な仕組みや強い通知で誘導することは、支援とは限りません。

大切なのは、

「こちらがしてほしい行動」

ではなく、

「本人が望む行動を、本人が選んで実行しやすくすること」

です。

主役は、仕組みをつくる側ではなく、行動する本人です。

三つの条件は、便利な地図であって人間のすべてではない

フォッグ行動モデルは分かりやすく、日常でも使いやすいモデルです。

だからこそ、使いすぎには注意が必要です。

人が行動できない理由には、体調、気分、不安、過去の経験、経済状況、人間関係など、さまざまな事情があります。

三つの条件を整えても動けないとき、

「モデルどおりにしたのに、なぜできないの?」

と本人を責めてしまっては、本末転倒です。

また、この論文は大規模な実験によって、人間のすべての行動を三要素で証明したものではありません。

行動を考えるための、概念的なモデルを提案した研究です。

そのため、

「人間の行動は必ずこの三つだけで決まる」

と断言するより、

「行動できない理由を考えるとき、まずこの三つから確認してみよう」

と使うのがよいでしょう。

地図には大きな道が描かれています。

けれど、目の前には地図にない坂道や、水たまりや、今日は歩けない事情もあります。

モデルを見ることと、目の前の人を見ること。

その両方が必要です。

動けないとき、責める代わりに三つを尋ねる

この記事の結論は、難しいものではありません。

行動できないときは、自分へ向かって、

「なぜ私は、こんなにだめなのだろう」

と尋ねる代わりに、次の三つを尋ねてみる。

やる意味を感じているだろうか。

今の自分にもできる大きさだろうか。

いつ始めるか決まっているだろうか。

やる気が足りないなら、目的を見直す。

難しすぎるなら、小さくする。

きっかけがないなら、時間や場所、いつもの習慣と結びつける。

それでも動けないなら、三つの外側にある疲れや不安、環境の問題にも目を向ける。

行動できないことは、あなたという人間全体の不合格通知ではありません。

今日の条件では、その行動が起こりにくかった。

まずは、そのくらいに考えてもよいのです。

やる気にすべてを任せると、やる気係は過労で休職してしまいます。

やりやすさ係に、行動を小さくしてもらう。

きっかけ係に、始める合図を出してもらう。

三人で仕事を分ければ、行動は少し腰を上げやすくなります。

人生を変えるために、毎朝大きな決意を用意する必要はありません。

本を一ページ開く。

靴を履く。

ファイルを一つ開く。

机の上の物を一つ戻す。

その小さな一歩が起こるよう、道を短くし、入口を分かりやすくし、静かなベルを置いておく。

人が動くのは、心が突然、強くなったときだけではありません。

自分にとって動きやすい条件が、そっとそろったときでもあるのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

あとがき

この論文を読みながら、私は何度も、過去の自分へ謝りたくなりました。

「ずいぶん長いあいだ、やる気ばかり取り調べてしまって、すみませんでした」

運動が続かなかった日。

記事を書こうと思いながら、なかなか画面を開けなかった日。

片づける予定だったのに、散らかった机の横で別のことを始めてしまった日。

そんなとき私は、だいたい同じ結論へ向かっていました。

「本気じゃないからだ」
「意志が弱いからだ」
「もっとしっかりしなければ」

そして心の中で、自分を立たせて反省文を書かせるわけです。

ところが反省文を書かされた自分は、翌日になると急に行動力が上がるのでしょうか。

上がりません。

むしろ疲れています。

昨日は行動できず、今日はそのことで自分を責めている。

仕事は一つも進んでいないのに、心の部署だけが残業しています。

フォッグの論文を読んで、私がいちばん救われたのは、「やる気は大事ではない」という話ではありません。

やる気だけに、すべての責任を負わせなくてよいという話でした。

やる気係を、そろそろ定時で帰らせたい

私たちは何かを始めるとき、やる気に働かせすぎます。

運動を始める。

勉強を続ける。

早く寝る。

仕事を片づける。

人間関係を改善する。

こうした大仕事を、全部やる気係へ渡しています。

「これ、今日中にお願いします」

やる気係も最初は頑張ります。

新しい手帳を買った日。

目標を立てた夜。

好きな動画を見て刺激を受けた直後。

このあたりは元気です。

「お任せください。明日から人生を立て直します」

ところが数日後、やる気係の机には、未処理の案件が山積みです。

睡眠不足。

仕事の疲れ。

急な予定。

気分の落ち込み。

面倒な手順。

見つからない道具。

いつ始めるか分からない目標。

そこへ私たちは、さらに書類を置きます。

「継続できない件について、反省もお願いします」

これはもう、労働環境としてだいぶ心配です。

フォッグ行動モデルは、そんなやる気係の隣に、二人の担当者を配置してくれます。

やりやすさ係と、きっかけ係です。

やりやすさ係は、行動を小さくします。

「一時間は重いので、一分にしておきました」
「本を読むではなく、本を開くに変更しました」
「部屋全部ではなく、机の右端だけにしました」

きっかけ係は、始める時間を知らせます。

「夕食のあとに始めましょう」
「歯みがきが終わったら一回だけやりましょう」
「パソコンを開いたら、まずファイルを表示します」

こうして三人で仕事を分けると、行動はようやく現実的になります。

私はこの分担表を見ながら、

「これまで、やる気係に申し訳ないことをしたな」

と思いました。

私たちは、自分にだけ厳しい設計者になる

ウェブサイトやアプリを作る人は、利用者が迷わないように工夫します。

ボタンを見やすくする。

入力項目を減らす。

次に何をすればよいか示す。

手続きの途中で保存できるようにする。

それなのに、自分の生活を設計するときは、急に不親切になります。

目標は大きい。

手順は不明。

道具は遠い。

開始時刻も決まっていない。

それで動けなければ、

「利用者である私の意識が低い」

と苦情を入れます。

設計者も自分。

利用者も自分。

苦情の受付担当も自分です。

社内がたいへん混乱しています。

たとえば、「毎日ブログを書く」という目標を立てたとします。

言葉としては短いですが、実際にはいくつもの行動が入っています。

題材を決める。

資料を読む。

構成を考える。

文章を書く。

見直す。

画像を用意する。

投稿画面へ入れる。

公開する。

これを一つの「ブログを書く」という箱へ詰め込み、疲れた夜の自分へ渡したら、そりゃ重い。

夜の自分も箱を持ち上げようとして、

「中に何が入っているんですか、これ」

となります。

そこで、「今日は題材だけ決める」「導入文だけ書く」「管理画面だけ開く」と小さくしてよい。

そんな当然のことを、私は自分に対してはなかなか許せませんでした。

小さくすると、負けた感じがする。

一分だけでは、努力として足りない感じがする。

予定どおり全部できないなら、やらないほうが潔い気さえする。

けれど、よく考えると、何も始めずに立派な計画を守っている状態は、少し奇妙です。

計画だけが新品のまま、行動は箱から出ていません。

一分でも始めたほうが、現実は一分ぶん動いています。

「一つだけ」は、敗北ではなく入口だった

私は以前、小さな目標を少し軽く見ていたところがあります。

「一ページだけ読む」

「一回だけ運動する」

「物を一つだけ片づける」

それで本当に意味があるのだろうか、と。

もっとまとまった量をこなさなければ、人生は変わらないのではないか。

しかし、この論文を読んでいるうちに、見方が変わりました。

小さな行動の価値は、その一回だけで大きな成果を出すことではありません。

行動が起きない世界から、行動が起きた世界へ移ることにあります。

本を一ページ読んでも、知識人として町内で表彰されることはありません。

スクワットを一回しても、鏡の中から別人が現れることはありません。

机の紙を一枚捨てても、部屋はまだ散らかっています。

それでも、ゼロではありません。

行動は、ちゃんとこちら側へ来ています。

これは意外と大きなことです。

私たちは成果ばかりを見て、入口を軽く扱います。

しかし、どんな大きな行動にも、最初の一回があります。

本を百ページ読む人も、最初は一ページ目です。

毎日歩く人も、最初は靴を履くところから始まります。

記事を完成させる人も、最初は何も書かれていない画面へ、一文字置きます。

一つだけは、小さすぎる行動ではありません。

これから続くかもしれない道へ置かれた、最初の板なのです。

「できなかった」を、人格の紹介文にしない

この論文を読んでいて、私が何より大切だと思ったのは、行動できなかったことと、自分の価値を切り離せる点です。

私たちは一度の失敗を、その日の出来事として終わらせるのが苦手です。

運動できなかった。

そこから、

「自分は意志が弱い」

へ進みます。

返信できなかった。

そこから、

「自分は人付き合いができない」

へ進みます。

仕事が進まなかった。

そこから、

「自分は社会人としてだめだ」

へ進みます。

一件の出来事から、ずいぶん大きな人物紹介を書いてしまうのです。

しかも悪いところだけを集めた、たいへん厳しいプロフィールです。

けれど、その日に動けなかったのは、単に行動が大きすぎたのかもしれません。

疲れていたのかもしれません。

いつ始めるか決めていなかったのかもしれません。

必要な資料が足りなかったのかもしれません。

もちろん、何でも環境のせいにすればよいとは思いません。

自分で引き受けるべきこともあります。

それでも、行動できなかった瞬間に、自分という人間全体へ不合格の判子を押す必要はないでしょう。

「今日は条件がそろわなかった」

まずは、それくらいで止めておく。

そのあとで、

「どこを変えれば、次は少し動きやすくなるだろう」

と考える。

私は、この順番が好きです。

最初に裁判を開くのではなく、先に現場を調べる。

机は使える状態だったか。

時間は現実的だったか。

行動は大きすぎなかったか。

始める合図はあったか。

人格を取り調べるより、環境を点検するほうが、次の一歩につながります。

支援する側にも、耳の痛いやさしさがある

このモデルは、自分の生活だけでなく、誰かを支援するときにも胸へ刺さります。

人が動かないとき、支援する側は焦ります。

「本人のためになるのに」
「このままでは困るのに」
「何度も説明したのに」

すると、声が少しずつ強くなります。

励ます。

説得する。

危機感を伝える。

期限を決める。

もう一度励ます。

それでも動かないと、

「本人にやる気がないのでは」

という考えが顔を出します。

けれど、もしかすると本人は、すでに十分困っているのかもしれません。

十分焦っているのかもしれません。

「やらなければ」と何度も思いながら、行動の入口が見つからないだけかもしれません。

そこへさらに危機感を追加すると、行動ではなく不安だけが増えることがあります。

このモデルは、支援する側へも問いかけます。

「もっと動機づける前に、行動を分かりやすくしましたか」

これは、なかなか耳の痛い質問です。

「就職活動をしましょう」

では大きすぎるかもしれない。

求人を探す。

条件を整理する。

履歴書を書く。

写真を撮る。

応募先へ連絡する。

面接の準備をする。

一つの言葉の中に、いくつもの坂道があります。

ならば、

「今日は求人サイトを一緒に開く」
「気になる仕事を一件だけ保存する」
「履歴書の名前だけ書く」

そこまで小さくしてもよい。

相手を子ども扱いするのではありません。

最初の一歩がどこにあるか、一緒に見えるようにするのです。

私は、この論文のやさしさは、単に「人を責めない」ことではないと思っています。

責めないだけで終わらず、では何を整えれば動きやすくなるのかを考えるやさしさです。

毛布をかけるだけではなく、歩く人の前から小石を一つどける。

そんな実務的なやさしさです。

ただし、人を動かすことが正義とは限らない

この論文には、少し怖さもあります。

人が動く条件が分かれば、その知識は、人を助けるためにも、動かしたい側の都合のためにも使えます。

ボタンを大きくする。

手続きを簡単にする。

焦りを感じる通知を出す。

断りにくいタイミングで声をかける。

こうした工夫で人が行動したとしても、それが本人にとってよいこととは限りません。

「行動が起きた」という数字だけを見れば成功です。

けれど、その人が後悔していたらどうでしょう。

断りたかったのに断れなかったとしたら。

考える時間を奪われていたとしたら。

人を動かす技術には、いつも「誰のために」という問いがついて回ります。

私は、フォッグ行動モデルを自分や誰かへ使うなら、まず主語を確認したいと思います。

これは本人が望んでいる行動なのか。

それとも、周囲がしてほしい行動なのか。

本人は途中でやめられるのか。

「今日はしない」と選べるのか。

人を動かすことより、人が自分で選んで動けること。

そこを見失わないようにしたいです。

明日の自分へ、少し親切な引き継ぎをする

この論文を読んだあと、私は「明日の自分」という存在への接し方を考えました。

私たちは明日の自分を、かなり能力の高い人物として扱います。

明日は早起きする。

明日は集中できる。

明日は疲れていない。

明日は運動も勉強も片づけもできる。

今日の自分ができなかった仕事を、明日の自分へ次々に送ります。

明日の自分の机には、朝から書類が山積みです。

しかも、引き継ぎ書はありません。

「詳細は雰囲気で理解してください」

という状態です。

これは少しかわいそうです。

ならば、今日の自分が少し準備しておく。

本を開いて置く。

使う資料を一か所へ集める。

運動着を出しておく。

明日の最初の作業を、一行だけ書いておく。

「全部やってください」ではなく、

「ここから始めれば大丈夫です」

と渡しておく。

これは未来の自分を甘やかすことではありません。

同じチームの人へ、丁寧に引き継ぎをすることです。

やる気があるかどうか分からない明日の自分へ、やりやすさときっかけを残す。

フォッグ行動モデルは、そんな静かな親切にも使えると思います。

大きな変化より、小さな通り道を

心理学の論文を読んでいると、ときどき人生を大きく変えたくなります。

新しい理論を知った。

ならば、明日から完璧に実践しよう。

ここでも、私たちはすぐ大作を始めます。

けれど、この論文を読んだ直後に大きな改革を始めたら、少し話がずれています。

まずは一つでよいのでしょう。

机の上へ本を置く。

アラームの名前を具体的な行動へ変える。

明日の仕事の最初の一手を書いて帰る。

目標を一段だけ低くする。

できなかったとき、「意志が弱い」と言う前に、一度だけ条件を確認する。

それくらいでよい。

人生は、壮大な決意だけで変わるわけではありません。

小さな通り道ができたことで、昨日まで止まっていたものが動き始めることもあります。

この論文を読み終えて、私の中に残ったのは、力強い応援の言葉ではありませんでした。

もっと静かな言葉です。

「そんなに大きく始めなくていい」
「自分を責める前に、少し簡単にしてみよう」
「やる気が来ない日にも通れる道をつくろう」

『アドラーの昼寝』は、頑張る人をさらに走らせる場所というより、疲れた人が少し座りながら、自分の歩き方を考えられる場所でありたいと思っています。

だから私は、この論文が好きです。

人を立ち上がらせる前に、椅子の横へ靴を置いてくれるからです。

そして、

「さあ、立ちなさい」

ではなく、

「立てそうなときに、まず片方だけ履いてみますか」

と尋ねてくれるからです。

今日できなかったことがある人も、明日いきなり強い人になる必要はありません。

行動を少し小さくする。

始めやすい場所へ動かす。

分かりやすい合図を一つ置く。

その準備をしただけでも、昨日とは少し違います。

やる気は、あとからゆっくり来てもよい。

まずは行動が通れる、小さな道を一本。

その道の先で、未来の自分が、

「ここまで用意してくれたなら、少しだけ進んでみます」

と言ってくれたら、それで十分なのだと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

制作ノート

出典論文:Fogg, B. J.(2009). A behavior model for persuasive design. Proceedings of the 4th International Conference on Persuasive Technology(Persuasive ’09), Article 40, 1–7. Association for Computing Machinery(ACM). DOI:10.1145/1541948.1541999

掲載・確認先ACM Digital Library / Google Scholar / CiNii Research / DBLP

記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。

制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
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はじめまして。心理学の論文要約サイト「アドラーの昼寝」を運営している阿部牧歌です。 これまで、障がい者福祉事業所の施設長などを経て、現在は某就労支援機関にてキャリアコンサルタントとして働いています。 日々、さまざまな悩みや不安、迷いにふれる中で感じるのは、人の心はとても複雑なのに、ひとつの言葉や考え方で少し楽になることがある、ということです。心理学の論文には、そんな「心を理解するためのヒント」がたくさん詰まっています。けれど、そのまま読むには少しかたくて、専門用語も多く、気軽には近づきにくいものでもあります。 「アドラーの昼寝」では、そんな心理学の論文を、なるべくわかりやすく、やわらかく、そして少し面白く読める形にしてお届けしたいと思っています。読書が好きで、本の中を歩くように言葉を読む時間が昔から好きでした。論文もまた、少し入り口を整えるだけで、ぐっと親しみやすいものになります。 このサイトが、忙しい日々のなかでほんの少し立ち止まり、自分や誰かの心をやさしく見つめるきっかけになれば嬉しいです。
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