やろうと思っても行動できないのはなぜ?行動を左右する3つの判断

やろうと思っても行動できないので昼寝をする女性
adler-nap

意志が弱いから動けない、とは限らない

『人はなぜ「やろう」と思い、実際に動くのか – 意思を行動へ変える「計画的行動理論」』イツェク・アイゼン(1991)

Ajzen, I. (1991). The theory of planned behavior. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 50(2), 179–211.
DOI:10.1016/0749-5978(91)90020-T

「よし、明日から運動しよう」

そう決めた夜の自分は、なかなか頼もしいものです。スポーツウェアを買い、動画を保存し、場合によってはプロテインまで検索しています。心の中では、すでに健康的な未来の自分が、朝日を浴びながら軽やかに走っています。

ところが翌朝になると、布団が急に優秀な交渉人になります。

「今日は少し寒いですよ」
「昨日も働きましたよね」
「運動は、もっと準備が整ってからでもよいのでは?」

気がつけば、未来の自分は朝日の中を走るどころか、布団の中でスマートフォンを見ています。

こんな経験は、運動に限りません。

勉強したい。
転職のために求人を調べたい。
苦手な人に連絡を返したい。
病院を予約したい。
部屋を片づけたい。
早く寝たい。

頭では「やったほうがいい」と分かっているのに、なぜか体が動かない。すると私たちは、すぐに自分へ判決を下してしまいます。

「私は意志が弱い」
「やる気が足りない」
「どうせ自分は続かない」

けれど、本当にそうなのでしょうか。

行動できない理由を、すべて「意志の弱さ」という一つの箱へ詰め込んでしまうのは、少し乱暴かもしれません。動けない心の中では、単純な怠け心だけではなく、いくつもの判断が同時に行われています。

心の中では、小さな会議が開かれている

心理学者のイツェク・アイゼンは、1991年に発表した論文『The Theory of Planned Behavior』で、人が「行動しよう」と思い、実際に動くまでの仕組みを整理しました。

日本語では「計画的行動理論」と呼ばれています。

名前だけ聞くと、手帳の使い方や立派なスケジュール管理の理論に見えますが、内容はもう少し人間くさいものです。

私たちが何かをしようとするとき、心の中では、おおまかに三つの声が会議をしています。

一つ目は、

「それをやることは、自分にとってよいことだろうか」

という声です。

二つ目は、

「周りの人は、それをどう思うだろうか」

という声。

そして三つ目は、

「そもそも、自分にできそうだろうか」

という声です。

たとえば「毎朝、30分歩こう」と考えたとします。

健康に良さそうだと思えば、行動には追い風が吹きます。家族や医師から勧められていれば、「やってみよう」という気持ちは強くなるかもしれません。さらに、自宅の近くに歩きやすい道があり、朝の時間も確保できるなら、「これならできそうだ」と感じられます。

反対に、

「疲れそうだな」
「家族に変に思われるかも」
「朝は忙しいし、続けられる気がしない」

という判断が重なると、「健康のために歩いたほうがいい」と分かっていても、行動へ向かう力は弱くなります。

つまり、私たちは頭の中に正しい答えを持っているだけでは、必ずしも動けないのです。

「できない自分」ではなく「動きにくい条件」を見る

この理論の興味深いところは、行動できない人を、すぐに「意志の弱い人」と決めつけないところにあります。

もしかすると、行動そのものに魅力を感じられていないのかもしれません。

周囲の目や期待が、重たい荷物になっているのかもしれません。

あるいは、時間、お金、体力、経験などの不足から、「自分には難しそうだ」と感じているのかもしれません。

そう考えると、必要なのは自分を叱ることではなく、心の会議に参加している三つの声を、一つずつ聞いてみることです。

「私は、この行動を本当はどう思っているのだろう」

「周囲の期待を、必要以上に背負っていないだろうか」

「できないのではなく、できる条件がまだ整っていないだけではないか」

動けない自分を責めるより、動けなくなっている仕組みを見つける。

そのほうが、行動への扉は少し静かに開きます。心は怒鳴られると縮こまりますが、事情を聞いてもらえると、ようやく椅子から立ち上がることがあるからです。

この記事では、アイゼンの「計画的行動理論」をもとに、私たちの「やろう」がどのように生まれ、なぜ途中でしぼんでしまうのかを、わかりやすく見ていきます。

行動できないのは、本当に意志が弱いからなのか。

その答えを探しながら、心の中で開かれている小さな作戦会議を、そっとのぞいてみましょう。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文をひとことで言うと

人は「やったほうがいい」と思っただけでは動かない。「やりたい」「周りも望んでいる」「自分にもできそう」という三つの判断がそろうほど、行動する意思は強くなる。

この論文を、ものすごく乱暴に、しかしなるべく中身を落とさずに言うなら、こうなります。

人間は、正しさだけでは動きません。

「運動は体にいいですよ」

「貯金はしたほうがいいですよ」

「早めに返信したほうがいいですよ」

「寝る前にスマートフォンを見ないほうがいいですよ」

私たちは、だいたい知っています。

知っているのです。耳にたこができ、そのたこがさらに健康診断を受けられそうなくらい、よく知っています。

それなのに、運動靴は玄関で静かに老後を迎え、貯金はコンビニの新商品に姿を変え、返信していないメッセージは通知欄の奥で小さな化石になります。

なぜでしょうか。

イツェク・アイゼンの「計画的行動理論」は、人が動くかどうかを「本人の根性」だけで説明しません。

心の中では、行動を始める前に、おおまかに三つの審査が行われていると考えます。

一つ目は、その行動を自分がどう評価しているかです。

「やったら気持ちがよさそう」
「役に立ちそう」
「面倒そう」
「失敗したら恥ずかしい」

同じ行動でも、本人がどう受け止めているかによって、行動への気持ちは変わります。

二つ目は、周囲の人がその行動をどう思うと感じているかです。

家族や友人、同僚など、大切な人が応援してくれそうなら、背中には追い風が吹きます。反対に、「笑われるかもしれない」「迷惑に思われるかもしれない」と感じれば、足は重くなります。

三つ目は、自分にも実行できそうだと思えるかです。

時間はあるか。お金は足りるか。必要な知識はあるか。途中で困ったとき、助けてもらえるか。

「頑張ればできそう」と思える行動と、「どう考えても無理そう」と感じる行動では、始める前の心の温度がまるで違います。

たとえば、資格の勉強を始めたい人がいるとします。

資格を取れば仕事の選択肢が広がると思っている。家族も応援してくれている。毎晩30分なら勉強時間を取れそうだ。

この三つがそろえば、「やってみよう」という意思は育ちやすくなります。

ところが、

「勉強はつらそう」
「家族に反対されそう」
「仕事のあとに勉強するなんて、自分には無理だ」

と感じているなら、参考書を買っても、その本は机の上で立派な置物になるかもしれません。

ここで大切なのは、三つの条件がそろえば必ず行動できる、という単純な話ではないことです。

人には、体調、環境、お金、時間、予想外の出来事があります。強く「やろう」と思っていても、現実の事情で実行できないことはあります。

それでもこの理論は、私たちに役立つ見方を与えてくれます。

動けないとき、すぐに、

「自分には根性がない」

と結論を出さなくてもよいのです。

代わりに、こう考えられます。

「私は、その行動にどんな印象を持っているだろう」

「誰かの目を気にして、ブレーキを踏んでいないだろうか」

「できないのではなく、できそうだと思える条件が足りないのではないか」

つまり、この論文が教えてくれるのは、行動は気合いの一本勝負ではなく、心と環境によるチーム戦であるということです。

動けない自分を叱る前に、心の中の三人へ話を聞いてみる。

「それ、本当にやりたい?」

「周りの目が気になっている?」

「どうすれば、できそうになる?」

行動への道は、根性という大砲で壁を吹き飛ばすことではありません。

三つの判断を少しずつ整えながら、「これなら一歩くらい進めそうだ」と思える、小さな入り口を見つけることなのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この論文の要点

1.「やろう」という意思は、気合いだけで生まれるわけではない

人が行動を起こす前には、心の中でいくつかの判断が行われています。

「それをするのは、自分にとってよいことか」

「大切な人たちは、どう思うだろうか」

「そもそも、自分にもできそうか」

計画的行動理論では、こうした判断が重なって、「やってみよう」という意思がつくられると考えます。

つまり、行動できないからといって、すぐに「意志が弱い」と決めつける必要はありません。心の中では、やる気係だけでなく、心配係、世間体係、現実確認係などが集まり、なかなか長い会議をしているのです。

「本人はやると言っています」

「しかし、失敗したら恥ずかしいのでは?」

「時間の確保も難しそうです」

こんな議論が続けば、行動開始の判子がなかなか押されないのも、少し納得できます。

大切なのは、自分を叱ることではなく、どの判断がブレーキになっているのかを見つけることです。

2.行動する意思を左右するのは、「どう思うか」「周りの目」「できそうか」の3つ

この理論の中心には、三つの要素があります。

一つ目は、行動への態度です。

その行動を「役に立ちそう」「楽しそう」と思えば前向きになりやすく、「面倒そう」「失敗しそう」と思えば、気持ちは遠のきます。

二つ目は、主観的規範です。

少し難しい言葉ですが、かみ砕けば「周囲の大切な人たちは、自分がそれをすることをどう思うだろう」という感覚です。

家族が応援してくれそうなのか。友人に笑われそうなのか。職場で歓迎されるのか。人間は一人で行動を決めているようで、心の会議室には、だいたい数人分の視線が勝手に座っています。

三つ目は、知覚された行動統制です。

これも難しい名前ですが、簡単に言えば「自分にもできそうか」という感覚です。

時間、お金、知識、体力、経験、周囲の助け。こうした条件が整っていると感じるほど、行動への意思は強まりやすくなります。

たとえば転職活動なら、

「転職することには意味がある」

「家族も理解してくれそうだ」

「履歴書を書き、求人を探すことなら始められそうだ」

と思えると、最初の一歩は踏み出しやすくなります。

反対に、「転職は怖い」「家族に反対される」「何から始めればよいか分からない」が三重奏を始めると、求人サイトを開くだけでも、心にはかなりの重量がかかります。

3.行動を変えたいなら、自分を責めるより「動きやすい条件」を整える

計画的行動理論は、日常生活にも応用できます。

運動を続けたい。勉強を始めたい。病院を予約したい。誰かに謝りたい。新しい仕事に挑戦したい。

そんなとき、ただ「もっと頑張ろう」と気合いを足すだけでは、うまくいかないことがあります。

気合いは便利ですが、燃料というより花火に近いところがあります。景気よく打ち上がりますが、翌朝になると空には何も残っていないことがあります。

そこで、三つの視点から条件を見直します。

「この行動に、どんな良さを感じられるだろう」

「応援してくれる人はいるだろうか」

「もっと簡単に始める方法はないだろうか」

たとえば「毎日1時間運動する」が重すぎるなら、「夕食後に5分だけ歩く」に変えてみる。

「資格の勉強を始める」が遠すぎるなら、まずは試験日程を調べる。

「一人で病院へ電話する」のが難しいなら、相談できる人と一緒に予約方法を確認する。

行動を小さくしたり、助けを借りたり、見通しをつくったりすることで、「自分にもできそうだ」という感覚は育ちます。

この論文の要点は、人を無理やり動かす方法ではありません。

人が動きやすくなる条件を、心と環境の両方から考えることです。

動けない自分に「なぜできない」と詰め寄るのではなく、「何があれば、少しできそうになるだろう」と尋ねてみる。

その問いかけは、自分を裁くための取り調べではありません。止まっている心のエンジンを、静かに点検するための時間なのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究の背景:やろうと思っても行動できないのはなぜ?意志と行動のすれ違い

「健康のために、運動を始めよう」

そう思った。予定表にも書いた。新しい靴まで買った。靴は玄関で、いつ呼ばれても出動できる顔をしています。

ところが、一週間後。

靴はまだ玄関にいます。

人間なら、そろそろ「この家に採用された理由を教えてください」と面談を申し込む頃です。

私たちの生活には、こうした「やるつもりだったのに」がたくさんあります。

早く寝ようと思ったのに、深夜まで動画を見てしまった。
貯金しようと思ったのに、気づけば期間限定の商品を買っていた。
病院を予約しようと思ったのに、電話番号を調べたところで力尽きた。
大切な人に謝ろうと思ったのに、「また今度」にしてしまった。

では、人はなぜ「やろう」と思っても、そのまま行動できないのでしょうか。

この疑問が、計画的行動理論の出発点にあります。

「やるつもり」があれば、人は動くのか

計画的行動理論が登場する前から、心理学では、人の行動を予測するうえで「意思」が重要だと考えられていました。

たしかに、何かを始めるには、

「私はこれをやろう」

という気持ちが必要です。

旅行へ行くつもりのない人が、突然空港でスーツケースを転がしていることは、そう多くありません。運動する意思がまったくない人が、ある朝いきなりマラソン大会のスタート地点に立っていたら、本人も運営側も少し戸惑います。

そのため、「行動したいと思っているか」を調べれば、実際に行動するかどうかも予測できるのではないかと考えられました。

ところが、現実の人間は、それほど素直に動いてくれません。

「やろうと思っている」と答えた人が、必ず行動するわけではなかったのです。

意思はある。考え方も前向きである。それなのに、行動へ移らない。

ここに、説明しきれない空白が残っていました。

意思だけでは越えられない壁がある

たとえば、ある人が資格試験を受けたいと思っているとします。

資格を取ることには意味があると思っている。家族も賛成している。本人も「今年こそ受けよう」と決めている。

ここまで聞けば、受験へ向かって一直線に進みそうです。

しかし実際には、仕事が忙しくて勉強時間が取れないかもしれません。受験料が負担になるかもしれません。試験会場まで遠いかもしれません。何から勉強すればよいのか分からず、参考書売り場で静かに迷子になることもあります。

つまり、「やりたい」という意思があっても、本人が自由に行動を選べるとは限らないのです。

それまでの理論では、人がある程度、自分の意思どおりに行動できることが前提になっていました。

けれども現実には、

「やりたいけれど、時間がない」

「行きたいけれど、交通手段がない」

「相談したいけれど、誰に話せばよいか分からない」

「挑戦したいけれど、自分にできる気がしない」

ということが起こります。

人の前には、気持ちだけでは動かせない家具のような現実が置かれているのです。勢いよく歩き出しても、暗闇で小指をぶつければ、そこで一度しゃがみ込みます。

アイゼンが注目したのは、この部分でした。

人の行動を理解するには、「何をしたいと思っているか」だけでなく、本人がその行動をどれくらい実行できると思っているかも考える必要があるのではないか。

これが、まだ十分に整理されていなかった問題です。

「できそう」という感覚を理論に加える

そこでアイゼンは、それまでの「合理的行為理論」と呼ばれる考え方を発展させました。

合理的行為理論では、おもに次の二つから、人の意思が形づくられると考えます。

一つは、その行動を本人がよいと思っているか。

もう一つは、自分にとって大切な人たちが、その行動を望んでいると感じるかです。

たとえば運動なら、

「運動すれば健康になれそうだ」

「家族や医師も運動を勧めている」

という二つの判断が、運動しようという意思につながります。

しかしアイゼンは、ここへもう一つの視点を加えました。

それが、

「自分は、その行動を実際にできそうだろうか」

という感覚です。

心理学では、これを「知覚された行動統制」と呼びます。

名前は少し硬いですが、中身は身近です。

「自分にもできそう」

「必要な時間を確保できそう」

「困ったときには助けを借りられそう」

「多少の障害があっても進めそう」

こうした感覚があるかどうかで、人の意思と行動は変わるのではないか、と考えたのです。

反対に、どれほど大切な行動でも、

「自分には無理そうだ」

と感じていたら、意思は育ちにくくなります。

登りたい山があっても、靴も地図もなく、空には雷雲が出ている。そんなときに「気持ちが足りない」と言われても、心は「いや、まず装備の話をしませんか」と返したくなるでしょう。

人は考えたとおりに動く機械ではない

この研究の背景にあったのは、人間をもっと現実に近い形で理解したい、という問題意識です。

人は、正しい情報を与えれば自動的に動く機械ではありません。

「体に悪い」と知っていても、習慣を変えられないことがあります。

「勉強すれば将来に役立つ」と分かっていても、机に向かえない日があります。

「謝ったほうがいい」と思っていても、関係が壊れるのが怖くて言葉が出ないこともあります。

そこには、本人の考えだけでなく、周囲の人から受ける影響や、行動を実行できるという感覚が関わっています。

そして、本当に時間やお金が足りない場合もあれば、実際にはできる可能性があっても、「自分にはできない」と感じている場合もあります。

アイゼンが整理しようとしたのは、この複雑な交差点でした。

「やりたいと思うこと」と「実際にやること」の間には、どんな道があるのか。

その道では、どの信号が青になり、どの信号が赤になるのか。

そして、意思だけでは説明できない行動を、どうすればより正確に理解できるのか。

計画的行動理論は、こうした問いに答えるためにつくられました。

この理論が目指したのは、行動できない人へ「もっと頑張りなさい」と言うことではありません。

むしろ、

「本人はどう考えているのか」

「周囲の目をどう感じているのか」

「自分にも実行できると思えているのか」

という三つの方向から、人が動くまでの仕組みを丁寧に見ようとしたのです。

「やろう」と「やった」の間にあるものは、空っぽではありません。

そこには、期待、不安、周囲の声、現実の障害、そして「自分にもできそうだ」という感覚が、駅の改札のように並んでいます。

アイゼンの研究は、その見えにくい改札を一つずつ調べ、人の意思がどのように行動へたどり着くのかを描こうとしたものなのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

研究方法:「やるつもり」は行動につながる?研究結果から理論を確かめた方法

この論文の研究方法を説明する前に、一つ大切なことがあります。

この研究では、参加者を研究室へ集めて、

「はい、今日は目の前のお菓子を我慢してください」

「次は、知らない人に話しかけてください」

などと実験したわけではありません。

白衣を着た研究者が、物陰から人間の行動をじっと観察していたわけでもありません。そんな研究だったら、参加者も落ち着いてお菓子を食べられないでしょう。

アイゼンの1991年の論文は、計画的行動理論の仕組みを整理し、それまでに行われた研究結果を使って、理論がどこまで人の意思や行動を説明できるかを検討した論文です。

つまり、新しい一つの実験を報告したというよりも、これまで積み上げられてきた研究を大きな机の上に並べ、

「この結果と、この結果は、どうつながっているのだろう」

「人が動くまでの道筋は、こう考えると説明しやすいのではないか」

と、一枚の地図にまとめた研究なのです。

人が動くまでの道筋を、いくつかの要素に分けた

まずアイゼンは、人が行動するまでの流れを、いくつかの要素に分けて考えました。

中心となったのは、次のような問いです。

「本人は、その行動をよいと思っているか」

「周囲の大切な人たちも、その行動を望んでいると感じているか」

「自分には、その行動を実行できそうだと思っているか」

そして、こうした判断が、

「実際にやってみよう」

という行動意思につながるのかを見ます。

さらに、その行動意思が、最終的に本当の行動へ結びつくのかも考えます。

流れをざっくり表すと、次のようになります。

「やる価値がありそう」
「周りも賛成してくれそう」
「自分にもできそう」
    ↓
「では、やってみよう」
    ↓
実際の行動

とても整った流れに見えます。

しかし、人間は工場のベルトコンベアではありません。「やってみよう」の箱を載せたら、必ず最後に「行動」が完成して出てくるわけではないのです。

途中で体調を崩すこともあります。時間がなくなることもあります。予想外の問題が起きることもあります。

そこでアイゼンは、「やろうとする意思」だけではなく、その行動をどれくらい自分で実行できると感じているかも、意思や実際の行動に関係すると考えました。

過去の研究を使って、理論のつながりを確かめた

次にアイゼンは、それまでに発表されていたさまざまな研究を取り上げました。

それらの研究では、参加者に質問をして、

「この行動をすることを、どのくらいよいと思いますか」

「あなたにとって大切な人は、その行動を望んでいると思いますか」

「その行動を、自分でどのくらい実行できそうですか」

「実際にやるつもりはありますか」

といった内容を測っています。

そして、その後の意思や実際の行動との関係を調べます。

たとえば、ある行動について「とてもよいと思う」と答えた人ほど、本当にそれをしようと考えていたのか。

周囲から期待されていると感じた人ほど、行動意思が強くなったのか。

「自分にもできそうだ」と感じた人ほど、実際の行動へ進みやすかったのか。

こうした関係を、過去の研究結果を通して確認していったのです。

イメージとしては、心理学の探偵が、いくつもの現場から集まった証拠を並べているようなものです。

「態度さんは、意思の近くにいました」

「周囲の期待さんも、どうやら関係しているようです」

「そして“できそう感”さんは、意思だけでなく実際の行動にも関わっている可能性があります」

証拠を一つだけ見て決めつけるのではなく、複数の研究を見渡しながら、人が行動するまでの仕組みを組み立てていきました。

理論がどれくらい行動を予測できるかを見た

この論文で重要なのは、三つの心理的な要素が「なんとなく大切そうだ」と語られただけではないことです。

アイゼンは、過去の研究結果をもとに、それぞれの要素が意思や行動とどの程度結びついているかを検討しました。

具体的には、

  • 行動への態度と行動意思の関係
  • 周囲の期待と行動意思の関係
  • 「自分にもできそう」という感覚と意思の関係
  • 行動意思と実際の行動の関係
  • 「自分にもできそう」という感覚と実際の行動の関係

などを見ています。

ここでの目的は、未来を百発百中で当てることではありません。

心理学は占いの館ではないので、

「あなたは来週火曜日の午後3時に運動を始めます」

と断言することはできません。

そうではなく、

「どのような考えや条件がそろっている人ほど、その行動を選びやすいのか」

を、少しでも正確に予測しようとしたのです。

人の行動は複雑です。

同じ人でも、家では片づけられるのに、職場の机は書類の森になっていることがあります。運動は続かなくても、好きなゲームなら毎日ログインできます。

そのため、行動そのものを具体的に決めて測ることが大切になります。

「健康に気をつける」のような広い言葉ではなく、

「今後1か月、週に3回歩く」

「次の選挙で投票する」

「決められた期間内に特定の行動を行う」

というように、対象となる行動や期間をそろえて考えるのです。

「いつか頑張ります」は、心情としては美しいのですが、研究で測ろうとすると霧のようにつかめません。

心の中にある「信念」までさかのぼった

さらにこの論文では、態度や周囲の期待、「できそう」という感覚が、どこから生まれるのかも整理されています。

たとえば、運動に前向きな態度を持つ人は、

「運動すると健康になれる」

「気分がすっきりする」

と考えているかもしれません。

一方で、

「疲れる」

「時間を取られる」

「人に見られるのが恥ずかしい」

と考えていれば、同じ運動でも評価は下がります。

また、家族や友人が運動を勧めていると感じているか、その人たちの意見をどのくらい大切にしているかも関係します。

「自分にもできそう」という感覚には、

「近くに運動できる場所がある」

「時間を確保できる」

「疲れていても少しなら続けられる」

といった見通しが影響します。

つまりアイゼンは、表面に見える「やる・やらない」だけでなく、その下にある考えまで掘り下げました。

行動を一本の木だとすれば、目に見える行動は枝や葉です。

その下には、「よさそう」「周りも望んでいそう」「自分にもできそう」という幹があり、さらに地面の下には、経験や予想、周囲の言葉といった信念の根があります。

葉だけを引っぱっても、木は思いどおりに伸びません。

根の部分まで見なければ、人がなぜその行動を選ぶのかは分からないのです。

この論文は、人間の行動を説明する設計図をつくった

まとめると、この論文で行われたのは、誰か一人の行動を長期間追いかける実験ではありません。

アイゼンは、それまでの理論を発展させながら、過去のさまざまな研究結果を整理し、

  • 何が「やろう」という意思をつくるのか
  • 意思は実際の行動につながるのか
  • 「自分にもできそう」という感覚を加えると、行動をよりよく説明できるのか

を検討しました。

言い換えれば、人の心を分解したのではなく、人が行動へ向かう道の設計図を描いたのです。

もちろん、この設計図があれば、すべての人の行動を完璧に予測できるわけではありません。

人間には、予定外の雨も降ります。道に迷う日もあります。出発直前に「今日はやめておこう」とお茶を入れることもあります。

それでも、なぜ動けないのかを「性格」や「根性」の一言で終わらせず、複数の要素に分けて考えられる。

それが、この研究方法の大きな特徴なのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

この研究でわかったこと:「やりたい」だけでは動けない?行動を後押しする心の3条件

この研究から見えてきたのは、人の行動が「やる気があるか、ないか」という一本の物差しでは説明できない、ということでした。

私たちは誰かが行動しないと、ついこう考えてしまいます。

「本気じゃないんじゃない?」

「意志が弱いんじゃない?」

「必要性を分かっていないんじゃない?」

けれど、アイゼンが整理した研究結果を見ると、話はもう少し複雑です。

人が「やってみよう」と思うまでには、その行動をどう評価しているか、周囲の人がどう思うと感じているか、そして自分にも実行できそうだと思えるかが関わっていました。

さらに、実際に行動する段階では、「やるつもり」という意思だけでなく、行動を自分でどの程度コントロールできそうかという感覚も重要でした。

つまり、人間の行動は、根性一名による個人競技ではありません。

態度、周囲の声、できそう感、そして現実の条件が集まって走る、少し人数の多いリレーなのです。

「それをやるのはよい」と思うほど、行動意思は強くなりやすい

一つ目に確かめられたのは、その行動を本人がどのように評価しているかが、行動意思と関係するということです。

たとえば運動について、

「健康に役立つ」

「気分転換になる」

「終わったあとは気持ちがよい」

と思っている人は、「運動しよう」という意思を持ちやすくなります。

反対に、

「疲れる」

「面倒くさい」

「時間を奪われる」

「運動している姿を人に見られたくない」

と思っていれば、たとえ健康によいと知っていても、行動への気持ちは弱くなります。

ここで大事なのは、一般的に正しいかどうかではありません。

世間が「運動はすばらしい」と拍手していても、本人の心が「でも私はしんどいと思っています」と腕を組んでいれば、簡単には動けません。

人は、教科書に書かれた評価ではなく、自分が感じている損得や心地よさをもとに、行動を考えるからです。

冷蔵庫に野菜を入れただけでは、健康的な食事は始まりません。野菜を食べることを、本人が「おいしそう」「これなら続けられそう」と感じられるかどうかも大切なのです。

周囲の期待も、「やってみよう」に影響する

二つ目は、自分にとって大切な人が、その行動をどう思うと感じているかです。

心理学では「主観的規範」と呼ばれます。

名前は少し大学の講義室の匂いがしますが、内容はとても身近です。

「家族は応援してくれるだろうか」

「友人に変だと思われないだろうか」

「職場の人はどう見るだろう」

「先生や医師は、それを勧めているだろうか」

私たちは一人で考えているようで、心の中には周囲の人の声が何人分も住んでいます。

たとえば、新しい仕事へ応募したいと思っていても、

「家族に反対されそうだ」

「失敗したら周りに笑われそうだ」

と感じていれば、応募する意思は弱くなるかもしれません。

反対に、

「家族が応援してくれている」

「相談できる人がいる」

「挑戦しても大丈夫だと言ってもらえた」

と感じられれば、行動への一歩は軽くなります。

ただし、周囲の期待がいつでも同じ強さで影響するわけではありません。

本人がその人たちの意見をどのくらい大切にしているか、どんな行動を選ぼうとしているかによって、影響の大きさは変わります。

誰に何を言われても気にしない行動もあれば、親しい人の一言で大きく揺れる行動もあります。

昼ごはんに何を食べるかなら、「好きにします」で済むかもしれません。

しかし、転職、結婚、治療、進学など、人生の大きな選択になると、心の会議室には親、友人、同僚、世間の目まで次々と入室してきます。座席が足りません。

「自分にもできそう」が、意思と行動の両方に関わっていた

三つ目は、計画的行動理論の重要な特徴です。

それが、自分にもその行動を実行できそうだという感覚です。

アイゼンはこれを「知覚された行動統制」と呼びました。

たとえば、資格試験を受けることに価値を感じ、家族も応援してくれているとします。

それでも、

「勉強時間を確保できない」

「試験会場まで行けない」

「内容が難しすぎて、自分には無理そうだ」

と感じていれば、「本当に受けよう」という意思は育ちにくくなります。

反対に、

「一日15分なら勉強できそう」

「分からないところを質問できる人がいる」

「まずは入門書から始めればよい」

と思えれば、行動は急に現実味を帯びてきます。

遠くにかすんでいた山へ、登山道の案内板が立つようなものです。

さらに論文では、この「できそう」という感覚が、行動意思を通して間接的に行動へつながるだけでなく、場合によっては実際の行動を直接予測する助けにもなると考えられました。

強く「やろう」と決意しているだけでなく、時間、能力、機会などをどのくらい自分で動かせると感じているか。

そこまで見なければ、実際の行動は十分に説明できないということです。

意外なのは、「やる気」よりも「できる条件」が重要になる場面があること

この研究で特に意外なのは、本人の意思が強ければ、それで十分とは限らないところです。

一般には、「本当にやりたければ、何とかするものだ」と言われることがあります。

しかし、それは少し気持ちに働かせすぎかもしれません。

どれほど本人が望んでいても、行動を自分でコントロールしにくければ、実行できないことがあります。

病院へ行きたくても、予約できる時間に仕事を休めない。

働きたくても、体調が安定しない。

勉強したくても、家では落ち着ける場所がない。

人と交流したくても、近くに参加できる場所がない。

こうした状況で行動できない人に、

「本気ならできる」

と言っても、地図を持たない人に「気合いで目的地へ行ってください」と頼むようなものです。

気合いは方角を教えてくれません。

この理論は、本人の内面だけでなく、行動を実行できる条件へ目を向けました。

そこが、単なる「前向きに考えましょう」という話とは大きく違います。

意思は行動を予測するが、意思と行動は同じではない

研究結果からは、行動意思が実際の行動を予測する重要な要素であることも示されました。

「やるつもりがある人」は、「まったくやるつもりがない人」より、実際にその行動を取る可能性が高い。

これは納得しやすい結果です。

しかし、ここで注意したいのは、意思があれば必ず行動するわけではないという点です。

「明日から早起きします」

「今月こそ片づけます」

「週末には返信します」

私たちは、意思を持つことにはかなり慣れています。

未来の自分への発注書は、毎日のように作っています。

問題は、未来の自分の机に、その発注書が山積みになっていることです。

行動意思は大切ですが、そこから実際の行動へ進む途中には、時間、機会、習慣、能力、突然の出来事などが立っています。

そのため計画的行動理論では、意思に加えて「実行できそうか」という感覚も見る必要があると考えます。

「やろうと思っているか」

だけでなく、

「本当に実行できる条件があるか」

を一緒に考えることで、人の行動をより現実に近い形で説明できるのです。

三つの要素の強さは、行動によって変わる

もう一つ重要なのは、態度、周囲の期待、できそう感の三つが、いつでも同じ割合で働くわけではないことです。

ある行動では、自分がどう思うかが最も大きな影響を持つかもしれません。

別の行動では、周囲の目が強く働くことがあります。

また、本人の好みや周囲の期待よりも、時間やお金などの現実的な条件が決定的になることもあります。

たとえば、昼食のメニューを選ぶなら、自分の好みが強く影響するでしょう。

会社を辞めるかどうかなら、家族や職場からの影響が大きくなるかもしれません。

海外旅行へ行くなら、行きたい気持ちがあっても、お金や休暇、移動手段といった条件が大きく関わります。

人の行動を考えるときに、「この一つが原因です」と言い切れないのは、そのためです。

心は、スイッチ一個で動く家電ではありません。

つまみがいくつもあり、その日の体調や置かれた状況によって、音量が変わる古いラジオのようなところがあります。

行動を変えるには、どこが詰まっているかを見る

この研究結果が教えてくれるのは、行動できないときに確認する場所です。

まず、

「その行動に、本人はどんな意味を感じているか」

を見ます。

次に、

「周囲からの応援や圧力を、どう感じているか」

を考えます。

そして、

「本当に自分にも実行できそうだと思えているか」

を確かめます。

たとえば運動が続かない人に、

「健康にいいから頑張りましょう」

と伝えるだけでは、態度の一部に働きかけるだけです。

その人が人目を気にしているなら、自宅でできる方法が必要かもしれません。

時間がないなら、30分の運動を5分に変える必要があります。

一人では続かないなら、誰かと約束する方法が役立つこともあります。

つまり、行動を変えるには、同じ励ましを全員へ配るのではなく、どの部分で道が詰まっているのかを探すことが大切なのです。

この研究が描いたのは、「人を動かす魔法の言葉」ではありません。

人が行動へ向かうために、心のどの歯車が回り、どの歯車が止まっているのかを見るための仕組みです。

やりたいと思っているのに動けない。

そのとき必要なのは、意思をさらに強く握りしめることだけではないのかもしれません。

行動の価値を見直すこと。

応援してくれる人を見つけること。

そして、「これならできそう」と思えるほど、最初の一歩を小さくすること。

「やりたい」と「やった」の間には、気合いだけでは渡れない橋があります。

計画的行動理論は、その橋を支えている柱が何なのかを、私たちに見せてくれたのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

ここが面白い:行動できないのは意志が弱いから?「できそう」が人を動かす

この研究の面白いところは、「人を動かすものは、強い意志である」という、いかにも正しそうな話に、そっと別の椅子を置いたところです。

その椅子に座っているのが、

「自分にもできそうだ」

という感覚です。

私たちは何かを始められないとき、すぐに意志を疑います。

「もっと本気にならなければ」

「覚悟が足りない」

「自分に甘いから続かない」

心の中に、やたら声の大きな体育教師が現れて、笛を吹き始めます。

「気合いが足りないぞ!」

しかし計画的行動理論は、その笛をいったん机に置いて、こう尋ねます。

「ところで、その人は本当に実行できそうな状態なのでしょうか」

ここが面白いのです。

人が動けない理由を、性格の弱さだけで考えない。

その人の前に、どんな坂道があるのかを見るのです。

意志を強くする前に、道の傾きを見てみる

たとえば、毎朝30分の運動を始めたい人がいるとします。

本人は健康になりたいと思っています。運動の大切さも理解しています。家族も「やってみたら」と応援しています。

ここまでそろえば、いよいよ運動生活の開幕です。

ところが、その人は毎朝6時に起きて家族の弁当を作り、7時には家を出なければならない。帰宅する頃にはへとへとです。近所には歩きやすい道もなく、夜は暗くて危ない。

そんな人に、

「本気で健康になりたいなら、30分くらい歩けるでしょう」

と言うのは、少々むちゃです。

それは意志の問題というより、予定表がすでに満員電車なのです。そこへ運動という大きな荷物を押し込もうとしても、ドアが閉まりません。

計画的行動理論は、「歩こうと思っているか」だけでなく、「実際に歩けそうだと思えているか」を見ます。

もし30分が無理でも、

「昼休みに5分なら歩けそう」

「休日だけならできそう」

「家の中で動画を見ながら体を動かせそう」

となれば、行動は急に現実へ近づきます。

人を動かすのは、必ずしも壮大な決意ではありません。

「これなら、どうにかできるかもしれない」

という、小さな現実味なのです。

「できそう感」は、心と現実のあいだに立っている

「自分にもできそう」という感覚は、ただの楽観ではありません。

「私は何でもできます」と鏡の前で宣言すればよい、という話でもないのです。

時間はあるか。

必要な道具はあるか。

やり方を知っているか。

困ったときに助けを求められるか。

失敗してもやり直せるか。

こうした現実的な条件を見ながら、「この方法ならできそうだ」と感じることが大切です。

たとえば、病院へ相談したい人がいるとします。

本人は「行ったほうがよい」と思っています。家族も受診を勧めています。それでも予約できません。

周囲から見ると、

「電話一本でしょう」

と思うかもしれません。

けれど本人にとっては、電話で何を話せばよいか分からない。症状をうまく説明できる自信がない。冷たく対応されたらどうしようと不安になる。そもそも診療時間と仕事の休憩時間が合わない。

電話一本の中に、心配が団体旅行で詰め込まれているのです。

このとき必要なのは、「勇気を出して電話しなさい」と繰り返すことだけではありません。

話す内容をメモしておく。

予約フォームのある病院を探す。

家族や支援者と一緒に連絡する。

休める時間帯を確認する。

そうやって条件を整えると、電話という高い壁に、小さな階段がつきます。

「できそう感」は、心の中から無理やり絞り出すものではありません。

環境を少し変えることで、育てられるものなのです。

応援は「頑張れ」より「どうすればできそう?」へ

この理論は、自分だけでなく、誰かを応援するときにも面白い視点をくれます。

私たちは、行動できずにいる人を見ると、つい励ましたくなります。

「やればできるよ」

「考えすぎずに一歩踏み出そう」

「失敗を恐れなくても大丈夫」

もちろん、こうした言葉に救われることもあります。

ただ、相手が「できそう」と思えていないとき、励ましはときどき、坂道の上から飛んでくる応援歌になります。

下で重たい荷物を持っている人は、

「歌は聞こえています。できれば荷物を一つ持ってください」

と思っているかもしれません。

そんなときに役立つのが、

「何が難しそう?」

「どこまでならできそう?」

「一緒にできることはある?」

という問いです。

これは相手のやる気を疑う質問ではありません。

相手の前にある障害物を、一緒に探す質問です。

転職活動を始められない人には、「もっと積極的に応募しよう」ではなく、まず求人を見るだけにする。

勉強を続けられない人には、「毎日2時間」ではなく、机に座って問題を一問だけ解く。

人付き合いが怖い人には、「たくさん交流しよう」ではなく、安心できる一人へ短いメッセージを送る。

人を動かすために、心を大きくしなければならないとは限りません。

行動のほうを、小さくして迎えに来てもらえばよいのです。

行動しない人は、何も考えていないわけではない

もう一つ面白いのは、行動していない人の心の中でも、かなり多くのことが起きていると分かる点です。

外から見ると、ただ止まっているように見えます。

求人に応募していない。

病院へ行っていない。

運動していない。

連絡を返していない。

しかし心の中では、

「やったほうがいい」

「でも失敗したら怖い」

「周囲はどう思うだろう」

「自分にできるだろうか」

「今は時間がない」

「もう少し準備してからにしよう」

と、いくつもの声が同時に話しています。

静止画に見えて、内部では長編会議が開かれているのです。

だから、行動していないという事実だけを見て、

「本人にやる気がない」

と決めつけるのは早すぎます。

やりたい気持ちはある。

けれど「できそう」が育っていない。

あるいは、周囲からの反対を強く感じている。

行動する価値より、失敗する痛みのほうを大きく予想している。

そうした可能性があります。

行動しない人を理解するには、「なぜやらないのか」と問い詰めるより、「どの判断が赤信号になっているのか」を見るほうが役立ちます。

心を責めるより、仕組みを直す

計画的行動理論を日常語に翻訳すると、こんな言葉になるのではないでしょうか。

動けないときは、自分の人格を修理する前に、行動の仕組みを点検してみよう。

朝起きられないなら、「だらしない人間だ」と責める前に、睡眠時間や目覚ましの場所を見直す。

片づけられないなら、「私は整理整頓ができない」と嘆く前に、物の置き場所や捨てる基準を簡単にする。

勉強できないなら、「根性がない」と落ち込む前に、教材の難しさや始める時間を変えてみる。

返信できないなら、「人間関係が苦手だ」と決める前に、一文だけ返す方法を考える。

自分を責めるのは、原因を見つけたような気持ちになります。

「全部、私が弱いからです」

そう言えば話は一応まとまります。

けれど、話がまとまることと、問題が解決することは別です。

「自分が悪い」という結論は、便利ですが、次の一歩の設計図をくれません。

一方で、

「何があれば、少しできそうになるだろう」

と考えると、具体的な工夫が見えてきます。

行動する時間を変える。

助けを借りる。

目標を小さくする。

必要な情報を集める。

失敗しても戻れる場所をつくる。

責任をすべて心の内側へ押し込まず、環境との組み合わせを見る。

ここに、この理論のやさしさがあります。

「できそう」は、未来から届く小さな許可証

私たちは、「やるべきこと」を増やすのが得意です。

運動するべき。

学ぶべき。

貯金するべき。

人にやさしくするべき。

すぐ返信するべき。

心の壁には、いつの間にか「べき」の張り紙が何枚も並びます。

けれど、人を本当に動かすのは、「べき」の枚数ではないのかもしれません。

「これならできそう」

「ここからなら始められそう」

「失敗しても、またやれそう」

という感覚です。

「できそう」は、大声で背中を押しません。

未来の自分から届く、小さな許可証のようなものです。

完璧にできなくてもよい。

全部を一度に変えなくてもよい。

まずは、このくらいなら進める。

計画的行動理論が面白いのは、人を動かす力を、燃え上がる情熱だけに求めなかったところです。

人は、必ずしも勇敢になったから動くのではありません。

道が見えたから動くことがあります。

荷物が軽くなったから動けることがあります。

誰かが隣に立ってくれたから、ようやく足を出せることもあります。

行動できない自分を見つけたとき、

「どうして私は弱いのだろう」

と尋ねる代わりに、

「どうすれば、もう少しできそうになるだろう」

と尋ねてみる。

たった一語の違いですが、そこには大きな方向転換があります。

前者は自分を裁く問いです。

後者は、自分と一緒に作戦を考える問いです。

そして人は、裁判官に囲まれているときよりも、味方と地図を広げているときのほうが、少し歩き出しやすいのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

私たちの生活にどう活かせる?:行動に移せないときはどうする?「できそう」を増やす3つの工夫

「やったほうがいいのは、分かっているんです」

運動を始めたい人も、資格の勉強をしたい人も、早めに病院へ行きたい人も、だいたい同じところから話を始めます。

分かっている。

必要性も理解している。

予定表にも書いた。

それなのに、体が動かない。

そして最後に、

「やっぱり私は、意志が弱いんでしょうか」

と、自分への判決まで出してしまいます。

しかし、計画的行動理論を生活に活かすなら、ここで閉廷してはいけません。

裁判官の木づちを置いて、作戦会議のホワイトボードを出します。

この理論が教えてくれるのは、動けない自分を責める方法ではありません。

行動しやすくするために、どこを整えればよいかを探す方法です。

確認したいのは、次の三つです。

「その行動を、自分は本当によいものだと感じているか」

「周囲の人から、どんな影響を受けているか」

「自分にも実行できそうだと思えているか」

この三つを一つずつ見ていくと、「やる気がない」という大きな黒い箱が開き、中から具体的な問題が出てきます。

問題が具体的になれば、工夫も具体的になります。

1.「やるべき」ではなく、「やると何がよいか」を自分の言葉にする

最初に見直したいのは、その行動に対する自分の評価です。

私たちは、よく「やるべきこと」を目標にします。

運動するべき。

勉強するべき。

片づけるべき。

早く寝るべき。

健康診断へ行くべき。

ところが、「べき」は立派ですが、少々働き方が堅い言葉です。スーツ姿で玄関までは迎えに来てくれますが、一緒に走ってはくれません。

行動につなげるには、

「それをすると、自分にとって何がよいのか」

を、自分の生活に近い言葉で考える必要があります。

たとえば、運動なら、

「健康のため」

だけでは少し遠いかもしれません。

「階段を上っても息切れしにくくなりたい」

「休日に妻と出かけても疲れにくくなりたい」

「運動した夜は眠りやすい」

というように、自分が実感できる利益へ翻訳します。

資格の勉強なら、

「将来のために必要だから」

だけでなく、

「応募できる求人を増やしたい」

「今の仕事で、もう少し自信を持って説明できるようになりたい」

「半年後の自分に、選べる道を一つ渡したい」

と考えてみます。

行動の意味が、自分の暮らしとつながるほど、「やってみよう」という気持ちは育ちやすくなります。

反対に、その行動の悪い面ばかりが浮かんでいるなら、そこも無視しないことです。

「運動は疲れる」

「勉強は自由時間が減る」

「病院へ行くのは怖い」

こうした気持ちへ、「そんなことを考えてはいけない」とふたをしても、ふたの下で元気に育ちます。

むしろ、

「疲れすぎない運動にするには?」

「自由時間を全部失わない勉強法は?」

「受診への怖さを少し減らすには?」

と考えます。

行動の欠点を消すのではなく、負担を小さくする方法を探すのです。

たとえば、運動が苦痛なら、ランニングにこだわらず、散歩やストレッチに変える。

勉強が退屈なら、興味のある動画や入門書から始める。

片づけが重いなら、部屋全体ではなく、机の右半分だけにする。

正しい方法より、自分が続けてもよいと思える方法を選びます。

行動は、立派さを競う発表会ではありません。

自分の生活に入ってきてもらう、同居人の面接です。相性が悪そうなら、条件を交渉してよいのです。

2.「周りの目」を、ブレーキではなく追い風に変える

二つ目は、周囲から受ける影響です。

私たちは、自分のことを自分だけで決めているつもりでも、かなり周りを見ています。

「家族に反対されそう」

「こんなことを始めたら、笑われるかもしれない」

「途中でやめたら、格好悪い」

「今さら挑戦するなんて、どう思われるだろう」

こうした心配は、行動のブレーキになります。

たとえば、転職したいと思っていても、家族が不安そうな顔をすれば、決意は揺れます。

新しい趣味を始めたくても、友人に「似合わない」と言われれば、申し込み画面をそっと閉じるかもしれません。

ここで大切なのは、「人の目なんて気にしない」と無理に強くなることではありません。

誰の意見を大切にするのかを、選び直すことです。

世間全体の拍手を待っていたら、新しいことはなかなか始められません。世間は人数が多いわりに、こちらの事情をほとんど知りません。

そこで、応援してくれる人を一人見つけます。

「運動を始めようと思っているんだ」

「今度、この求人に応募してみようと思う」

「病院へ相談したいけれど、少し不安なんだ」

と伝えてみます。

誰かに話すことで、自分の意思がはっきりすることがあります。

「一緒に調べようか」

「終わったら連絡して」

「最初だけ付き添おうか」

と言ってもらえれば、「できそう」という感覚も育ちます。

ただし、周囲の力は応援だけではありません。

「やらなければならない」という圧力が強すぎると、行動が苦しくなることもあります。

家族から毎日、

「勉強したの?」

「応募したの?」

「まだ電話していないの?」

と確認されると、応援がいつの間にか抜き打ち検査になります。

相手を支えたいときは、結果を問い詰めるより、

「どこが難しかった?」

「今週は、どこまでならできそう?」

「手伝えるところはある?」

と尋ねるほうが役立ちます。

本人のハンドルを奪わず、助手席から地図を持つ。

それくらいの距離が、ちょうどよいことがあります。

3.目標を小さくし、「できそう」を先に育てる

三つ目は、「自分にも実行できそうか」を整えることです。

ここが、日常生活で最も使いやすい部分です。

行動できないとき、私たちは目標を立派にしすぎていることがあります。

「毎日1時間勉強する」

「週に5回運動する」

「部屋を完璧に片づける」

「今月中に転職先を決める」

目標としては勇ましいのですが、心がその大きさを見て、

「こちらは少人数で運営しております」

と閉店の札を出すことがあります。

そんなときは、目標を小さくします。

勉強なら、参考書を開くだけ。

運動なら、靴を履いて家の前まで出るだけ。

片づけなら、不要な物を一つ捨てるだけ。

就職活動なら、求人を一件保存するだけ。

病院への相談なら、電話番号をメモするだけ。

「それでは小さすぎて意味がない」と思うかもしれません。

けれど、最初の行動の役割は、大きな成果を出すことではありません。

次もできそうだと思える証拠を、自分に渡すことです。

一問解けた。

5分歩けた。

問い合わせ先を調べられた。

一文だけ返信できた。

こうした小さな実績が、「自分にはできない」という予想を書き換えていきます。

大きな目標は、遠くから見ると立派です。

しかし、実際に人を動かすのは、今日の足元に置かれた低い段差です。

階段は、一段目が高すぎると、建築物ではなく壁になります。

「いつ、どこで、何をするか」まで決める

「できそう」を増やすには、行動を具体的にすることも大切です。

「時間があるときに勉強する」

「そのうち運動する」

「落ち着いたら連絡する」

これらは予定というより、未来への丁寧な丸投げです。

未来の自分は、現在の自分が思うほど暇ではありません。

そこで、

「夕食後、食器を片づけたら、机で問題を一問解く」

「月曜日と木曜日の昼休みに、職場の周りを5分歩く」

「明日の午前10時に、病院の予約ページを開く」

というように、いつ、どこで、何をするかまで決めます。

行動が具体的になると、心が毎回ゼロから相談しなくて済みます。

「今日は、やるべきでしょうか」

「気分は整っていますか」

「もう少し良い日を待ちますか」

という会議を省略できます。

決めた時間になったら、小さく始める。

気分の出席を待たず、予定だけ先に着席させるのです。

できない原因を「能力」だけにしない

何かができないとき、私たちはすぐに能力の問題だと考えます。

「自分は勉強が苦手だ」

「コミュニケーション能力がない」

「片づけの才能がない」

「仕事が続かない性格だ」

しかし、計画的行動理論の視点では、本人の能力以外にも確認する場所があります。

時間は足りているか。

必要な情報はあるか。

道具は使いやすいか。

手順が分かっているか。

相談相手はいるか。

体調に合った計画か。

たとえば、朝の勉強が続かない人がいたとします。

「自分は怠け者だ」と結論を出す前に、夜更かししていないか、教材が難しすぎないか、朝は家事で忙しくないかを見ます。

夜のほうが集中できるなら、朝型人間に転職する必要はありません。

自分に合わない方法を続けられないことと、能力がないことは別です。

魚が木登りできないからといって、努力不足の報告書を書かせる必要はありません。泳げる場所を探すほうが建設的です。

失敗したときは「私はだめ」ではなく、計画を修正する

行動を始めても、うまくいかない日はあります。

一週間続けた運動を休んでしまった。

勉強するつもりだったのに、動画を見て終わった。

勇気を出して連絡しようとしたけれど、送信できなかった。

こうしたとき、すぐに、

「やはり自分には無理だった」

と考えがちです。

けれど、一度の失敗は、人格診断ではありません。

計画についての情報です。

時間帯が悪かった。

目標が大きすぎた。

疲れている日への予備案がなかった。

一人で抱えるには不安が大きすぎた。

そう考えれば、次の工夫ができます。

30分できない日は5分にする。

平日が難しいなら休日に変える。

電話できないなら、メールや予約フォームを探す。

一人で不安なら、誰かと一緒に取り組む。

失敗を「自分の弱さの証拠」ではなく、「方法を調整するためのデータ」として扱います。

研究者が一回の結果で理論を捨てないように、私たちも一回のつまずきで自分を廃案にしなくてよいのです。

人間関係では、相手の「できそう」を奪わない

この理論は、人間関係にも活かせます。

家族や同僚が動いてくれないとき、

「どうしてやらないの?」

「前にも言ったよね」

「普通はできるでしょう」

と言いたくなることがあります。

しかし、相手は必要性を理解していても、実行できそうだと思えていないのかもしれません。

たとえば、部下が報告をしてこない場合、単に責任感がないとは限りません。

どの段階で報告すればよいか分からない。

失敗を伝えると怒られそう。

報告の書き方に自信がない。

上司が忙しそうで声をかけにくい。

そんな理由が隠れていることがあります。

そこで、

「なぜ報告しないんだ」

ではなく、

「どのタイミングなら報告しやすい?」

「簡単な様式を一緒につくろうか」

「途中でも相談して大丈夫だよ」

と伝えます。

相手を動かすには、正論の音量を上げるより、行動の入口を見つけやすくするほうが効果的な場合があります。

家庭でも同じです。

「片づけなさい」と繰り返すより、物の置き場所を決める。

「もっと話して」と迫るより、安心して話せる時間をつくる。

「病院へ行って」と言うだけでなく、予約方法を一緒に調べる。

人を支えるとは、相手の代わりにすべて行うことではありません。

相手が「自分にもできそう」と思える足場を、一緒につくることです。

今日から使える、三つの問い

何かを始めたいのに動けないときは、次の三つを自分に尋ねてみてください。

一つ目。私は、この行動のどこをよいと思っているだろう。

世間の正解ではなく、自分にとっての意味を探します。

二つ目。誰の声が、私の背中を押したり止めたりしているだろう。

応援してくれる人、気にしすぎている視線、必要以上の圧力を整理します。

三つ目。どうすれば、今より少しだけできそうになるだろう。

行動を小さくする。時間を変える。情報を集める。助けを借りる。道具を準備する。

ここで大切なのは、「必ずできる方法」を一度で見つけることではありません。

昨日より少しだけ、実行の可能性を上げることです。

0か100かではなく、20を30にする。

そのくらいの調整でも、行動への距離は変わります。

計画的行動理論を生活に活かすとは、心を自由自在に操ることではありません。

動けないときに、

「もっと頑張れ」

という一種類の薬だけを出さないことです。

その行動に意味を感じられているか。

周囲との関係はどうなっているか。

実行できる条件はそろっているか。

三つの方向から眺めることで、自分に合った処方箋が見つかります。

「やろうと思っているのに、できない」

それは、意志が壊れているという知らせではないかもしれません。

目標が大きすぎる。

道が見えていない。

助けを借りる場所がない。

ただ、それだけかもしれません。

自分を責める前に、行動の入口を少し広げる。

最初の一歩を、今の自分の足に合う高さまで下げる。

そうして「できる人」になってから動くのではなく、できそうな形をつくりながら、少しずつ動いていく

それが、この研究を私たちの毎日に持ち帰る、いちばん実用的な方法なのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

少し注意したい点:「やるつもり」だけでは行動を予測できない?計画的行動理論の限界

計画的行動理論を知ると、人が動く仕組みがずいぶん見通しやすくなります。

「その行動をよいと思っているか」

「周囲の人はどう思うと感じているか」

「自分にも実行できそうか」

この三つを確認すれば、「なぜ動けないのか」を性格や根性だけで片づけずに考えられます。

とても便利です。

便利すぎて、心の引き出しに一本入れておきたくなります。

ところが、便利な理論に出会ったときほど、少し注意が必要です。

人間という生き物は、理論の枠へきれいに収まるために暮らしているわけではありません。三つの質問に答えれば、明日の行動が完全に予言できるという話でもないのです。

この理論は、人間の行動を見るための優れた地図です。

ただし、地図は風の強さや、その日の腹痛までは教えてくれません。

「やるつもり」と「実際にやる」は別の出来事

まず注意したいのは、強い行動意思があっても、必ず行動できるわけではないことです。

私たちは毎日のように、未来の自分へ立派な計画を送っています。

「明日は早く起きます」

「週末に片づけます」

「今月中に応募します」

「帰ったら返信します」

未来の自分の受信箱は、かなり混雑しています。

計画的行動理論では、行動意思は実際の行動を予測する重要な要素です。しかし、意思と行動は同じものではありません。

「やろう」と決めたあとにも、さまざまなことが起こります。

急な仕事が入る。

体調を崩す。

必要なお金が足りない。

予定していた場所が使えない。

疲れて、判断する力が残っていない。

最初は簡単そうに見えた作業が、思った以上に複雑だった。

つまり、意思は行動への切符ではありますが、目的地まで自動で運んでくれる乗り物ではありません。

切符を持っていても、電車が止まることはあります。駅までたどり着けない日もあります。

そのため、

「本当にやる気があるなら、もう行動しているはずだ」

とは言い切れません。

行動できなかったという事実だけから、本人の意思の弱さを判断するのは早すぎるのです。

「できそう」という感覚と、実際にできる条件は一致しないことがある

次に注意したいのが、「自分にもできそう」という感覚です。

計画的行動理論では、この感覚を「知覚された行動統制」と呼びます。

本人が行動をどれくらい自分でコントロールできると思っているか、ということです。

これは行動を考えるうえで重要ですが、あくまで本人がそう感じていることです。

実際の条件と、いつでも完全に一致するわけではありません。

たとえば、

「試験まで一週間あれば余裕です」

と思っていたら、参考書が電話帳ほど厚かった。

「初対面の人とも問題なく話せます」

と思っていたら、当日になって緊張で言葉が出なかった。

「今月は節約できます」

と思っていたら、家電が相談もなく故障した。

人間の見積もりには、ときどき希望が多めに含まれます。

反対に、本当は実行できる条件がそろっていても、

「自分には無理だ」

と思い込んでいる場合もあります。

必要な能力はある。

助けてくれる人もいる。

小さく始めれば進められる。

それでも、過去の失敗や不安から「できそう」と感じられないことがあります。

つまり、「できそう感」は大切ですが、それだけを現実そのものとして扱わないことです。

本人の感覚を尊重しながら、

「実際に必要な時間はどのくらいか」

「どんな障害がありそうか」

「助けや道具は使えるか」

と、現実の条件も一緒に確認する必要があります。

自信だけで橋を渡るのではなく、橋の強度も見ておく。

慎重すぎて一歩も渡れないなら、欄干を握って一歩だけ進んでみる。

心と現実の両方を見ることが大切です。

三つの要素だけで、すべての行動は説明できない

計画的行動理論は、行動への態度、周囲からの期待、自分にも実行できそうだという感覚に注目します。

しかし、人間の行動に関わるものは、この三つだけではありません。

習慣。

感情。

衝動。

過去の経験。

疲労。

経済状況。

健康状態。

文化や社会制度。

その場の雰囲気。

目の前に置かれたお菓子。

人間は、実にさまざまなものから影響を受けています。

たとえば、夜更かしをやめたい人がいるとします。

本人は早く寝ることをよいと思っている。家族も勧めている。寝る準備もできる。

それでも、長年の習慣で布団の中から動画を見てしまうことがあります。

これは、考え方や意思だけでなく、習慣化した行動や、すぐ得られる楽しさも関係しています。

また、怒りや不安が強いとき、人は普段の計画とは違う行動を取ることがあります。

「落ち着いて話そう」と決めていたのに、相手の一言で感情が噴火する。

その瞬間、心の会議室は閉鎖され、火山対策本部になります。

計画的行動理論は、人がある程度考えたうえで選ぶ行動を理解するのに役立ちます。

一方で、反射的な行動、強い感情に動かされる行動、すでに自動化した習慣などは、この理論だけでは十分に説明できない場合があります。

何でも三つの箱へ入れようとしないことが大切です。

収納術としては美しいのですが、人間の心は、ときどき箱の横から靴下が飛び出します。

「周囲の期待」は、単純に測りにくい

主観的規範についても、少し慎重に見る必要があります。

主観的規範とは、

「自分にとって大切な人たちは、その行動を望んでいると思うか」

という感覚です。

しかし、周囲から受ける影響は、実際にはもっと複雑です。

家族は賛成しているが、友人には反対されている。

上司は勧めているが、同僚の目が気になる。

口では応援されているが、態度からは歓迎されていない気がする。

「みんなやっている」という空気に流されることもあれば、「あなたもやりなさい」と言われた途端に反発したくなることもあります。

同じ言葉でも、誰が言ったかによって重さは変わります。

知らない人から「頑張って」と言われるのと、大切な人から言われるのでは、心への届き方が違います。

そのため、「周りが賛成しているか」という一つの質問だけで、人間関係から受ける影響をすべて測れるわけではありません。

周囲の声を考えるときは、

「誰の意見なのか」

「本人はその人をどのくらい大切にしているか」

「応援として受け取っているか、圧力として感じているか」

まで見る必要があります。

追い風も強すぎれば、歩きにくくなります。

行動を具体的に決めなければ、予測もぼんやりする

この理論を使うときは、「どの行動を予測するのか」を具体的にそろえることも重要です。

たとえば、

「健康に気をつけたいですか」

と聞くのと、

「今後1か月、週に3回、夕食後に20分歩くつもりですか」

と聞くのでは、話の細かさが違います。

「健康に気をつける」には、運動、食事、睡眠、通院など、さまざまな行動が含まれます。

そのため、広い気持ちを尋ねておきながら、特定の行動を正確に予測しようとしても難しくなります。

「旅行へ行きたい」と言った人に、

「では、来週火曜日に京都へ行くはずですね」

と決めつけるようなものです。

方向は近くても、日時も場所も話し合っていません。

態度や意思を測る内容と、実際に確認する行動の内容がそろっているほど、理論による予測は考えやすくなります。

逆に言えば、研究結果を見るときには、

「何について質問したのか」

「いつの行動を調べたのか」

「どのくらい具体的に測ったのか」

を確認する必要があります。

「人間の行動全般が分かった」という大きな話ではなく、特定の条件で、特定の行動との関係が示されたと読むほうが正確です。

関係があることと、原因であることは同じではない

この論文では、過去のさまざまな研究結果が整理されています。

その中では、態度や主観的規範、知覚された行動統制と、行動意思や実際の行動との関係が検討されました。

ただし、二つのものに関係が見られたからといって、すぐに、

「こちらが、あちらを直接引き起こした」

と断定できるとは限りません。

たとえば、「自分にも運動できそうだ」と感じる人ほど、よく運動していたとします。

できそうだと思ったから運動した可能性があります。

一方で、以前から運動してきた経験があるから、「自分にもできる」と感じている可能性もあります。

両方が互いに影響し合っていることもあるでしょう。

ニワトリが先か、卵が先か。

心理学の研究室にも、ときどきこの鳥小屋が現れます。

したがって、理論が示す道筋は有力な説明ですが、すべての関係が一方向の原因と結果として完全に証明された、と受け取るのは慎重でありたいところです。

この論文は「一つの大実験」の結果ではない

もう一つ確認しておきたいのは、1991年のこの論文が、一つの大規模な実験だけを報告した研究ではないことです。

計画的行動理論の考え方を整理し、それまでに行われた複数の研究を示しながら、理論の有効性を検討した論文です。

そのため、

「この実験で、人間の行動は三つの要素で決まることが証明された」

という言い方は正確ではありません。

より丁寧に言えば、

さまざまな行動を扱った研究を通して、この理論の要素が意思や行動を説明するうえで役立つことが示された

ということです。

しかも、扱う行動や参加者、測定方法が変われば、三つの要素が持つ影響の大きさも変わります。

ある行動では態度が強く関係し、別の行動では「できそう感」が重要になる。

周囲の期待が大きく働く場面もあれば、あまり強くない場面もある。

理論は、いつでも同じ分量で焼けば完成するホットケーキの粉ではありません。

行動ごとに材料の配合が違うのです。

理論を、人を責める道具にしない

実生活で最も注意したいのは、計画的行動理論を、他人の心を採点する道具にしないことです。

「あなたが行動できないのは、態度が悪いからです」

「周囲の期待を理解していないからです」

「できると思う力が足りません」

こう言い始めたら、せっかくの理論が新しい説教台になってしまいます。

この理論は、人を三項目で評価するための通知表ではありません。

「どこに難しさがあるのだろう」

と、一緒に考えるための見取り図です。

本人が行動しないことには、本人なりの理由があります。

まだ言葉にできていない不安があるかもしれません。

今は休む必要があるのかもしれません。

周囲が望んでいる行動と、本人が大切にしたいことが違う場合もあります。

そもそも、その行動を選ばないことが、本人にとって妥当な判断である可能性もあります。

「行動を起こすこと」が、いつでも正解とは限りません。

転職しない。

今は挑戦しない。

誘いを断る。

休む。

距離を置く。

これらも、人が考えて選ぶ立派な行動です。

計画的行動理論を使う目的は、誰かをこちらの望む方向へ動かすことではありません。

本人が何を大切にし、どこで困り、何を選ぼうとしているのかを理解することです。

理論は答えではなく、問いを増やす道具

計画的行動理論には、確かに限界があります。

意思があっても行動できないことがある。

「できそう」という感覚が、現実とずれることがある。

習慣や感情など、三つの要素だけでは捉えきれないものがある。

研究で見つかった関係を、すべて単純な原因と結果とは言い切れない。

けれど、限界があるから役に立たない、ということではありません。

雨の日に傘で足元まで完全に守れないからといって、傘を捨てる必要はないのです。多少は靴がぬれますが、頭からずぶぬれになるよりずっと助かります。

この理論の価値は、人の行動を完璧に予言することではありません。

動けない人を前にしたとき、

「意志が弱い」

という一つの答えで終わらず、

「その行動をどう感じているのだろう」

「周囲から何を受け取っているのだろう」

「実行できる条件はあるのだろうか」

と、問いを増やしてくれることです。

論文を読むときに大切なのは、「正しいか、間違っているか」の二択だけではありません。

「どんな場面では役立つのか」

「どこから先は別の視点も必要なのか」

と考えることです。

計画的行動理論は、人間の心をすべて照らす太陽ではありません。

けれど、「やろう」と「やった」の間にある道を照らす、かなり頼れる街灯です。

街灯の光が届かない場所には、別の明かりが必要です。

それでも、暗闇の中で最初の数歩を確かめるには、この理論は十分に心強い光を持っているのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

まとめ:やろうと思っても行動できないときは、意志より「条件」を見直そう

「やろうと思っているのに、なぜか動けない」

この悩みは、ずいぶん不思議です。

やりたくないなら、まだ話は分かります。

ところが、本人はやりたいと思っている。必要性も理解している。予定表にも書いた。場合によっては、新しいノートまで買っています。

それでも動けない。

こうなると、私たちは最後に、自分の性格を容疑者として連れてきます。

「意志が弱いからでは?」

「怠けているだけでは?」

「本気ではないのでは?」

しかし、イツェク・アイゼンの計画的行動理論は、そこで取り調べをいったん止めます。

そして、人が行動へ向かうまでには、少なくとも三つの判断が関わっていると考えました。

「その行動を、自分はよいものだと思っているか」

「自分にとって大切な人たちは、その行動を望んでいると感じるか」

「自分にも、その行動を実行できそうだと思えるか」

人は、「正しいと知っている」だけでは動きません。

自分にとって意味があり、周囲との関係の中でも受け入れられ、現実にできそうだと思えたとき、「やってみよう」という意思が育ちやすくなるのです。

心の中では、三人の担当者が会議をしている

計画的行動理論を日常語にすると、心の中で三人の担当者が話し合っている、と考えると分かりやすいかもしれません。

一人目は、行動評価担当です。

「それをやると、何がよいのですか?」

「面倒くささより、得られるもののほうが大きいですか?」

と聞いてきます。

二人目は、周囲確認担当です。

「家族はどう思うでしょう?」

「友人や職場の人に反対されませんか?」

「応援してくれる人はいますか?」

と、少し周りを見回します。

三人目は、実行可能性担当です。

「時間はありますか?」

「やり方は分かっていますか?」

「本当に今の自分でできますか?」

と、現実的な顔をして予定表を開きます。

この三人が、

「価値があります」

「周囲との関係も大丈夫そうです」

「この方法なら実行できます」

と合意すれば、行動への意思は強くなります。

ところが、一人でも腕を組んでいると、会議は長引きます。

本人が動かないように見えるとき、心の中ではまだ稟議書が回っているのかもしれません。

特に大切なのは、「できそう」という感覚

この理論の面白いところは、「やりたいかどうか」だけでなく、自分にもできそうかを行動の仕組みに入れた点です。

どれほど運動したくても、時間がなければ難しい。

どれほど働きたくても、体調が安定しなければ一歩を出しにくい。

どれほど病院へ相談したくても、電話が苦手で、予約方法も分からなければ動けない。

こうしたときに、

「本気ならできるはず」

と言っても、問題は解決しません。

本人の気持ちをさらに熱くするより、行動の温度を下げる必要があります。

30分の運動を5分にする。

一人で電話せず、話す内容を誰かと一緒に考える。

転職先を決めるのではなく、まず求人を一件見る。

部屋全体を片づけるのではなく、机の上の紙を一枚捨てる。

行動を小さくすると、「これならできるかもしれない」という感覚が生まれます。

壮大な決意より、小さな現実味のほうが、人を前へ進めることがあります。

行動できない日は、失敗ではなく点検日

もちろん、態度、周囲の期待、できそう感が整えば、必ず行動できるわけではありません。

人間の生活には、理論の予定表に載っていない出来事が次々と入ってきます。

疲労、習慣、感情、体調、経済状況、突然の用事。

「今日はやるぞ」と思った日に限って、別の問題が玄関から入ってくることもあります。

そのため、行動できなかったからといって、

「私はやっぱりだめだ」

と結論を出す必要はありません。

その日は、計画のどこかを点検する日です。

行動の意味が弱かったのか。

周囲の目が気になっていたのか。

目標が大きすぎたのか。

時間帯が合っていなかったのか。

助けを借りる必要があったのか。

失敗を人格の証拠ではなく、方法を直すための情報として見る。

これは、自分への言い訳ではありません。

むしろ、次の行動を現実的にするための、かなり真面目な作業です。

「頑張れ」だけでは届かない場所がある

計画的行動理論は、誰かを支えるときにも役立ちます。

動けずにいる人へ、

「もっと頑張ろう」

「考えすぎずにやってみよう」

と声をかけることがあります。

その励ましが力になる日もあります。

しかし、相手の前に大きな障害があるとき、「頑張れ」は少し遠い場所から聞こえる声になります。

そんなときは、

「何がいちばん難しそう?」

「どこまでならできそう?」

「一緒にできることはある?」

と尋ねてみる。

すると、本人の中にあるブレーキが見えてくるかもしれません。

応援とは、背中を強く押すことだけではありません。

足元にある石を一つどけることも、立派な応援です。

自分を変えるより、道を変えてみる

私たちは、行動できないとき、自分そのものを変えようとしがちです。

もっと強い人になろう。

もっと前向きになろう。

もっと自信を持とう。

もちろん、心が変わることで動きやすくなることはあります。

けれど、自分を大改造しなくても、行動への道を少し変えるだけで進める場合があります。

時間を変える。

場所を変える。

目標を小さくする。

やり方を簡単にする。

応援してくれる人に話す。

一人で抱えず、道具や制度を使う。

人間は、意志だけで空中を進む生き物ではありません。

足場があれば歩きやすくなり、手すりがあれば階段を上りやすくなります。

「できる人」になってから行動するのではなく、行動できそうな環境をつくりながら、少しずつ進めばよいのです。

計画的行動理論が教えてくれるのは、人生を自由自在に操る方法ではありません。

「なぜ私は動けないのだろう」という大きな問いを、

「この行動を、私はどう感じているのだろう」

「誰の声が影響しているのだろう」

「どうすれば、少しできそうになるだろう」

という、小さく具体的な問いへ分ける方法です。

自分を責める問いは、心をその場に座らせます。

方法を探す問いは、心の隣に地図を広げます。

やろうと思っても動けない日には、意志をさらに強く握りしめる前に、道のほうを見直してみてください。

一歩が重いのなら、足が弱いとは限りません。

道が急すぎるだけかもしれません。

その坂を少しゆるくすることも、私たちが持っている大切な行動の力なのです。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

あとがき

この論文を読みながら、私は何度も、過去の自分に小さく謝りたくなりました。

「意志が弱いと思っていて、すみませんでした」

「根性を追加注文すれば何とかなると思っていて、すみませんでした」

「予定表に書いたのだから、未来の自分は当然やるだろうと思っていて、すみませんでした」

未来の自分にも、都合があります。

疲れている日もあるし、不安な日もある。予定表には空白があっても、心の中は満席という日もあります。

それなのに私は、行動できない自分を見るたびに、

「本気が足りない」

「覚悟が足りない」

「もっと頑張らなければ」

と、同じ薬ばかり処方してきた気がします。

しかも、その薬はなかなか苦い。

効いているかどうか分からないのに、飲むたびに自己嫌悪だけが元気になります。

計画的行動理論は、そんな私の前に座って、静かにこう尋ねてきました。

「本当に、意志だけの問題ですか?」

この問いは、思っていた以上にやさしい問いでした。

「できない」は、人格ではなく状況かもしれない

私たちは、自分の行動について話しているはずなのに、いつの間にか自分の人格を裁き始めることがあります。

部屋を片づけられない。

だから、私はだらしない。

勉強を始められない。

だから、私は努力できない人間だ。

人に連絡できない。

だから、私は社会人としてだめだ。

行動の話をしていたはずなのに、気づけば人生全体に赤ペンが入っています。

ずいぶん採点範囲の広い先生です。

でも、アイゼンの理論を通して考えると、「できない」はもう少し細かく見ることができます。

その行動を、本当に自分にとってよいものだと思えているのか。

周りの人から、どんな期待や圧力を感じているのか。

自分にも実行できそうだと思えているのか。

こうして分けてみると、「私はだめだ」という巨大な結論の中から、具体的な問題が出てきます。

時間が足りなかった。

やり方が分からなかった。

目標が大きすぎた。

失敗したときに責められそうで怖かった。

そもそも、自分が望んだ目標ではなかった。

ここまで分かれば、少なくとも人格を丸ごと修理工場へ運ぶ必要はありません。

直すべきは、自分ではなく計画かもしれない。

変えるべきは、性格ではなく環境かもしれない。

この視点を持てるだけで、心に置かれていた重たい荷物が、一つ床に下りる気がしました。

人は「正しいこと」より、「できそうなこと」へ動く

私はこれまで、「正しいことを知れば、人は行動できる」と、どこかで思っていました。

健康には運動がよい。

早寝早起きが大切。

勉強は将来の役に立つ。

悩んだら誰かに相談したほうがよい。

どれも、おそらく間違ってはいません。

ただ、正しさには少し困ったところがあります。

正しさは、こちらの事情をあまり聞かずにやって来るのです。

「毎日運動しましょう」

「十分な睡眠を取りましょう」

「計画的に行動しましょう」

こちらが、

「仕事と家事で、すでに一日が閉店しているのですが」

と伝えても、正しさは姿勢よく立っています。

正しい。

でも、できない。

この二つが並んだとき、人は正しさに負けたような気持ちになります。

しかし、計画的行動理論は、正しさだけでなく「できそうか」を見ます。

私はそこに、妙な人間味を感じました。

人を動かすのは、立派な目標だけではない。

5分ならできそう。

一人では無理だけれど、誰かと一緒ならできそう。

今日全部は無理でも、最初の一個ならできそう。

こうした、少し頼りなく見える感覚が、行動への入口になることがあります。

人生を動かすのは、いつも勇ましい決意ではありません。

「まあ、このくらいなら」

という、小さな納得だったりするのです。

応援とは、背中を押すことだけではない

この論文を読んでから、誰かを応援するときの言葉についても考えるようになりました。

私たちは、動けない人を見ると、つい背中を押したくなります。

「大丈夫」

「勇気を出して」

「まずは行動しよう」

もちろん、そう言ってもらうことで救われる人もいます。

ただ、背中を押されている人の前に崖があったら大変です。

必要なのは、押す力ではなく、橋かもしれません。

「どこが難しそう?」

「何があれば、少しやりやすくなる?」

「一緒にできるところはある?」

そう尋ねることも、応援です。

むしろ、相手の事情を見ずに「頑張れ」と言うより、ずっと手間がかかります。

相手の話を聞き、障害を探し、行動を小さく分ける。

応援とは、元気な言葉を投げることではなく、相手の足に合う階段を一緒につくる作業なのかもしれません。

少し地味です。

拍手も起こりません。

けれど、人は大きな声に動かされるより、足元が安定したときに動けることがあります。

「やらない」という選択も、忘れたくない

計画的行動理論は、人が行動へ進む仕組みを考える理論です。

ただ、この記事を書きながら、私は「行動させること」ばかりを目的にしたくないとも思いました。

人が動かないとき、その人は必ずしも困った状態にあるとは限りません。

やらないと決めたのかもしれない。

今ではないと判断したのかもしれない。

休む必要があるのかもしれない。

周囲は勧めていても、本人はその道を望んでいないのかもしれません。

社会には、とにかく行動する人を高く評価する空気があります。

挑戦する。

成長する。

前進する。

変化する。

どれも眩しい言葉です。

眩しすぎて、休んでいる人の姿が見えにくくなることがあります。

でも、立ち止まることも、断ることも、引き返すことも、人が選ぶ行動の一つです。

「なぜ動かないのか」を理解しようとすることと、「何としても動かすこと」は同じではありません。

その人が本当に望んでいる方向を、一緒に確かめること。

動くための支援だけでなく、動かない選択も尊重すること。

理論を使う側には、その慎重さが必要だと思います。

自分を責める問いから、相談する問いへ

この論文から私がいちばん持ち帰りたいのは、三つの要素の名前ではありません。

「自分への問い方」を変えることです。

行動できなかったとき、

「なぜ私は、こんなこともできないのだろう」

と尋ねる。

この問いは、一見すると原因を探しているようですが、かなりの確率で答えが、

「自分が弱いから」

になります。

出口が一つしかない迷路です。

そこで問いを変えてみます。

「何があれば、少しできそうになるだろう」

すると、時間、場所、方法、助け、目標の大きさなど、いくつもの答えが出てきます。

朝ではなく夜にする。

30分ではなく5分にする。

一人ではなく誰かに相談する。

完璧に終わらせるのではなく、始めるだけにする。

この問いには、作戦が生まれます。

私は、「自分を責めない」という言葉を、ただ自分に甘くすることだとは思いません。

自分を責めても問題が解決しないとき、もっと役に立つ見方を探すことです。

責めることをやめた空白に、工夫を置く。

そのほうが、ずっと現実的です。

今日できなかった自分にも、椅子を一脚

このサイトを「アドラーの昼寝」と名づけたのは、人生に役立つ知識を、立ったまま急いで受け取る場所にはしたくなかったからです。

学んだあと、少し座れる場所にしたい。

「なるほど」と思うだけでなく、「自分にも事情があったのかもしれない」と息をつける場所にしたい。

今回の計画的行動理論は、まさにそんな論文でした。

行動できなかった自分を、すぐに会議室から追い出さない。

「君は意志が弱いから退場です」と言わず、椅子を一脚用意する。

そして、

「本当は、どう思っていたの?」

「周りのことが気になっていた?」

「どこが難しそうだった?」

と話を聞いてみる。

すると、怠けているように見えた自分が、実はかなり悩み、かなり考え、少し怖がっていたことに気づくかもしれません。

行動できなかった日は、空白の日ではありません。

うまく進めなかった理由が、まだ言葉になっていない日です。

その理由を見つけ、道を少し整えれば、また動ける日が来るかもしれない。

来なかったとしても、少なくとも自分を敵にしなくて済みます。

「やろう」と思ったのに、今日もできなかった。

そんな夜は、意志を鍛える反省会を始める前に、お茶でも一杯入れてみてください。

そして、自分の隣に座って聞いてみるのです。

「どうしたら、明日はもう少しできそう?」

その問いにすぐ答えが出なくても構いません。

心は、命令されるより、相談されたほうが話しやすいものです。

私たちは、強い人になった日から歩き始めるのではありません。

今の自分でも歩ける道を見つけたとき、ようやく足を前へ出せるのだと思います。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)

制作ノート

出典論文:Ajzen, I.(1991). The theory of planned behavior.
Organizational Behavior and Human Decision Processes,
50(2), 179–211 / Elsevier.
DOI:10.1016/0749-5978(91)90020-T

掲載・確認先ScienceDirect / Google Scholar

記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。

制作体制:本記事は、GPT-5.6 Thinking (Sol)を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。

阿部牧歌(管理人)
阿部牧歌(管理人)
あわせて読みたい
やる気は根性じゃない。習慣と行動の心理学25選
やる気は根性じゃない。習慣と行動の心理学25選
あわせて読みたい
イツェク・アイゼン(Icek Ajzen)の論文一覧:決意が玄関で靴を履くまでを観察した心理学者
イツェク・アイゼン(Icek Ajzen)の論文一覧:決意が玄関で靴を履くまでを観察した心理学者

このサイトの管理人について
阿部牧歌
阿部牧歌
心理学論文のうたたね案内人
はじめまして。心理学の論文要約サイト「アドラーの昼寝」を運営している阿部牧歌です。 これまで、障がい者福祉事業所の施設長などを経て、現在は某就労支援機関にてキャリアコンサルタントとして働いています。 日々、さまざまな悩みや不安、迷いにふれる中で感じるのは、人の心はとても複雑なのに、ひとつの言葉や考え方で少し楽になることがある、ということです。心理学の論文には、そんな「心を理解するためのヒント」がたくさん詰まっています。けれど、そのまま読むには少しかたくて、専門用語も多く、気軽には近づきにくいものでもあります。 「アドラーの昼寝」では、そんな心理学の論文を、なるべくわかりやすく、やわらかく、そして少し面白く読める形にしてお届けしたいと思っています。読書が好きで、本の中を歩くように言葉を読む時間が昔から好きでした。論文もまた、少し入り口を整えるだけで、ぐっと親しみやすいものになります。 このサイトが、忙しい日々のなかでほんの少し立ち止まり、自分や誰かの心をやさしく見つめるきっかけになれば嬉しいです。
記事URLをコピーしました