【論文要約】感情を押し殺す人と切り替えられる人の違いとは? 幸福感と人間関係に表れる意外なしくみ
感情は、消すものではなく「扱い方」を覚えるもの
『感情を「見直す人」と「押し殺す人」は何が違うのか:感情・人間関係・幸福感に及ぼす影響』ジェームズ・J・グロス、オリバー・P・ジョン(2003)
Gross, J. J., & John, O. P. (2003). Individual Differences in Two Emotion Regulation Processes: Implications for Affect, Relationships, and Well-Being. Journal of Personality and Social Psychology, 85(2), 348–362. DOI:10.1037/0022-3514.85.2.348
「今日はなんだかイライラするなあ」と思った瞬間、あなたの心の中では、小さな会議が始まっています。
議題はもちろん、「この感情、どうします?」です。
ある人は、「まあ、こういう日もあるよね」と受け止めて、少し見方を変えようとします。たとえば、上司にきつく言われたときでも、「自分を全否定されたわけではなく、仕事の一部分について注意されたんだ」と考え直す。これは、感情をなかったことにするのではなく、心のメガネを少しかけ替えるような方法です。
一方で、ある人は「何も感じていませんけど?」という顔で、感情をぎゅっと押し込めます。内心では小さな火山がぽこぽこ煮えているのに、表面上は静かな湖。周りから見れば落ち着いているように見えるかもしれませんが、本人の心の中では、感情たちが体育館の倉庫に押し込められて「ちょっと、出してくれません?」と騒いでいるかもしれません。
今回紹介する論文は、ジェームズ・J・グロスとオリバー・P・ジョンによる、感情調整に関する研究です。テーマは、私たちが感情をどう扱うか。その中でも特に、「見方を変えて感情を整える方法」と、「感情を表に出さずに抑える方法」の違いに注目しています。
感情というと、「コントロールできる人がすごい」「怒らない人が大人」と思われがちです。でも、この研究が教えてくれるのは、単純に“感情を出さないこと”が正解ではない、ということです。むしろ、感情を無理やり押し殺すことは、気分や人間関係、幸福感にじわじわ影響してくる可能性があります。まるで、心の押し入れに荷物を詰め込みすぎて、ある日ふすまが「もう無理です」と言い出すようなものです。
では、感情とうまく付き合う人は、いったい何をしているのでしょうか。
怒りや不安をゼロにする魔法を持っているのでしょうか。
それとも、心の中に高性能な空気清浄機でも置いているのでしょうか。
この論文を読んでいくと見えてくるのは、感情は「消すもの」ではなく、「扱い方を覚えるもの」だということです。泣きたい日も、腹が立つ日も、不安で胸がざわざわする日もあります。人間ですから、心が毎日ぴかぴかの快晴というわけにはいきません。
大切なのは、その感情をどう受け止め、どう向き合い、どう日常の中でほどいていくかです。
今回の要約では、感情を「見直す人」と「押し殺す人」にはどんな違いがあるのか、そしてその違いが気分・人間関係・幸福感にどう関わっているのかを、できるだけやさしく見ていきます。感情の扱い方に悩んだことがある人にとって、この論文は心の取扱説明書のような一枚になるかもしれません。

この論文をひとことで言うと
この論文をひとことで言うと、「感情は押し殺すより、見方を変えて整えたほうが、心にも人間関係にもやさしいかもしれない」という研究です。
もう少しかみくだくと、私たちは嫌なことがあったとき、だいたい2つの道を選びがちです。
ひとつは、「これは自分を全否定されたわけではないな」「まあ、別の見方もできるかもしれない」と、出来事の受け止め方を変える道です。心の中で、感情にかけるメガネを少し替えるような感じですね。
もうひとつは、「平気です。ぜんぜん平気です。顔面は無風です」という感じで、感情を表に出さず、ぐっと押し込める道です。表情は静かな水面。でも心の中では、感情たちが小さな鍋でぐつぐつ煮えているかもしれません。
この研究では、前者のように見方を変えて感情を整える人は、よい感情を感じやすく、人間関係や幸福感も比較的よい傾向があることが示されています。一方で、後者のように感情を押し殺す人は、気持ちがしんどくなりやすく、人とのつながりにも影響が出やすい可能性があるとされています。
つまりこの論文は、感情に対して「黙れ、心!」と命令するより、「ちょっと座って話そうか」と向き合うほうが、長い目で見ると私たちを助けてくれるかもしれない、ということを教えてくれる研究です。

この論文の要点
1. 感情調整には、「見方を変える」と「押し殺す」という2つの大きな方法がある
この論文では、感情を整える方法として、主に再評価と抑制に注目しています。
再評価とは、出来事の受け止め方を変えて、感情そのものをやわらげる方法です。たとえば、注意されたときに「私はダメ人間だ……」ではなく、「今回はこの部分を直せばいいんだな」と考え直すような感じです。心の中で、メガネのレンズを交換するイメージですね。
一方、抑制とは、感じている感情を外に出さないようにする方法です。怒っていても笑顔、不安でも平気な顔。外から見ると静かな人ですが、心の中では感情たちが「ただいま満員電車です」と押し合っているかもしれません。
この論文の出発点は、「感情をどう扱うかには、人によってクセがある」というところです。
2. 感情を押し殺す人は、気分や人間関係でしんどくなりやすい
この研究では、感情を抑え込む傾向が強い人は、ポジティブな感情を感じにくく、ネガティブな感情を抱えやすいことが示されています。
さらに、人間関係にも影響が出やすいとされています。なぜなら、感情をずっと隠していると、相手から見ると「何を考えているのかわからない人」になりやすいからです。本人は必死に耐えているだけなのに、周囲には“心のシャッター、半分閉店中”みたいに見えてしまうことがあります。
もちろん、感情を抑えることが必要な場面もあります。職場で怒りをそのまま爆発させたら、それはそれで会議室に小型台風が発生します。ただ、いつもいつも押し殺す方法ばかり使っていると、心にも人間関係にも負担がかかりやすい、ということです。
3. 見方を変えて感情を整える人は、幸福感や人間関係がよい傾向にある
再評価をよく使う人は、つらい出来事があっても、別の角度から見直すことで感情を整えやすい傾向があります。
これは「何でも前向きに考えましょう」という根性論ではありません。むしろ、「この出来事を、少し違う見方で見ることはできないかな」と、心の中にもう一つ窓を作るようなものです。窓がひとつしかない部屋より、ふたつある部屋のほうが風は通ります。
この論文では、そうした再評価のクセがある人ほど、よい感情を感じやすく、人との関係も良好で、幸福感も高い傾向があることが示されています。
つまりこの研究は、感情を消す魔法を教えてくれるものではありません。けれど、「感情をどう扱うかで、心の住み心地は変えられるかもしれない」と教えてくれる論文です。心の部屋に散らかった感情を、無理やり押し入れに詰めるのではなく、少しずつ片づけ方を覚えていく。そんな研究だと言えます。

研究の背景:なぜ「感情の扱い方」は、心の健康や人間関係に影響するのか?
私たちは毎日、いろいろな感情と一緒に暮らしています。
朝、目覚まし時計に起こされて「まだ寝たい……」と思う。
職場で予定外の仕事が増えて「え、今ですか?」と心の中で小さく叫ぶ。
誰かにやさしい言葉をかけられて、胸の奥がぽっと温かくなる。
逆に、ちょっとした一言に傷ついて、心の中の小人が机をばんばん叩き始める。
感情というのは、なかなか忙しい住人です。こちらが頼んでもいないのに、怒り、不安、喜び、悲しみ、照れ、焦りなどが、日替わり弁当のように次々と出てきます。
では、その感情を私たちはどう扱っているのでしょうか。
ここが、この研究の出発点です。
感情については、昔からいろいろ考えられてきました。「怒りを出しすぎるのはよくない」「悲しみをためこむのもしんどい」「でも、何でもかんでも顔に出すのも大人としてどうなのか」など、感情の扱い方については、人生のあちこちに小さな説教札が立っています。
ただ、この論文が注目したのは、もっと具体的なところです。
つまり、感情を整える方法にはいくつか種類があるけれど、それぞれが私たちの気分・人間関係・幸福感にどう関係しているのかは、まだ十分には整理されていなかったのです。
たとえば、嫌なことがあったときに、「まあ、これは学びだったな」と見方を変える人がいます。これは、感情が大きく燃え上がる前に、火加減を少し調整するような方法です。心のコンロのつまみを、そっと弱火にする感じですね。
一方で、「何も感じていません」「怒っていません」「ぜんぜん平気です」と、感情を表に出さずに抑える人もいます。外側は冷静です。とても大人に見えます。でも内側では、感情たちが段ボール箱に詰め込まれて、ふたのすき間から「ここにいますけど!」と手を振っているかもしれません。
どちらも、感情をどうにかしようとする方法です。
でも、この2つは本当に同じように働くのでしょうか。
ここが大事なポイントです。
感情を整えると聞くと、つい「感情を出さない人ほど大人」「落ち着いて見える人ほど心が安定している」と思いがちです。けれど、研究者たちはそこで立ち止まりました。
「いや、待てよ」と。
「感情を外に出していないだけで、本人の心はしんどいかもしれないぞ」と。
「しかも、周りの人との関係にも影響しているかもしれないぞ」と。
ここで、心理学の虫めがねが登場します。肉眼では「冷静な人」に見える。でも、虫めがねで見ると、その人は感情をうまく整えているのか、それとも必死に押し殺しているのか。この違いは、かなり大きいのではないかと考えられたわけです。
この論文では、特に2つの感情調整に注目しています。ひとつは、出来事の見方を変える「再評価」。もうひとつは、感情を表に出さないようにする「抑制」です。
再評価は、心の中で出来事の意味づけを変える方法です。たとえば、失敗したときに「もう終わりだ」と受け止めるのではなく、「次に同じ失敗を防ぐための情報が手に入った」と考える。これは、現実をごまかすというより、現実の見え方を少し広げる作業です。
抑制は、感じている感情を外に出さないようにする方法です。怒り、不安、悲しみがあっても、表情や言葉に出さないようにする。社会生活では必要な場面もあります。会議中に心の感情パレードを全部開催するわけにはいきませんからね。
ただし、問題は「いつもそればかり使っているとどうなるのか」です。
この研究の背景には、そうした素朴だけれど大切な問いがあります。
感情を見直して整える人は、日々の気分がよくなりやすいのか。
感情を押し殺す人は、人との距離ができやすいのか。
そして、その違いは幸福感にも関係しているのか。
つまりこの論文は、「感情を持つことがよいか悪いか」を調べた研究ではありません。感情そのものを悪者にしているわけでもありません。怒りも、不安も、悲しみも、人間にとって必要な信号です。赤信号が嫌だからといって、信号機を布で覆ったら交差点は大混乱です。
大切なのは、その信号をどう読み取り、どう扱うかです。
この研究が明らかにしようとしたのは、まさにそこです。
感情を「なかったこと」にするのではなく、感情との付き合い方の違いが、私たちの毎日の心の軽さや、人とのつながりにどう影響するのか。
言い換えるなら、この論文は、心の中にいる感情たちに向かってこう問いかけている研究です。
「あなたたちを、押し入れに詰め込むべきなのか。それとも、少し話を聞いて、座る場所を整えたほうがいいのか?」
そして、その答えを、データを使ってていねいに見にいったのが、この研究なのです。

研究方法:感情を「見方で整える人」と「押し殺す人」は、どうやって調べたのか?
この研究では、ざっくり言うと、人によって違う「感情の扱い方のクセ」を調べて、そのクセが気分・人間関係・幸福感とどう関係しているのかを見ています。
「感情の扱い方のクセ」と聞くと、少し難しそうですが、ようするにこういうことです。
嫌なことがあったときに、
「まあ、別の見方もできるかもしれない」と考え直すタイプなのか。
それとも、
「平気です。私は今、心が無です」と顔面をお面のように固定するタイプなのか。
研究者たちは、この違いを見ようとしたわけです。
この論文で特に注目されたのは、再評価と抑制という2つの感情調整です。
再評価とは、出来事の受け止め方を変えて、感情を整える方法です。たとえば、失敗したときに「自分はもうダメだ」と考えるのではなく、「次に気をつけるポイントがわかった」と考え直すようなものです。心の中のニュース番組で、見出しを少し変える感じですね。「大惨事!」ではなく、「改善点を発見!」にする。だいぶ心の温度が変わります。
一方、抑制とは、感じている感情を表に出さないようにする方法です。怒っていても、悲しくても、不安でも、外からはできるだけ見えないようにする。顔は静か、心は祭り。外観は美術館、中身はライブ会場みたいな状態です。
では、研究者たちはどうやってそれを調べたのでしょうか。
この研究では、参加者に質問紙に答えてもらい、普段どれくらい再評価や抑制を使っているのかを測りました。つまり、心の中を直接のぞくことはできないので、「あなたは普段、感情をどう扱うことが多いですか?」と質問を重ねて、感情調整のクセを見ていったのです。
もちろん、「あなた、感情を押し殺しがちですね」と占い師のように決めつけたわけではありません。研究では、複数の質問を使って、できるだけ客観的に傾向を測ろうとしています。心のレントゲンは撮れませんが、質問紙という小さな懐中電灯で、心の部屋を照らしていくようなイメージです。
さらに研究者たちは、その人の感情調整のクセが、日々の気分や人間関係、幸福感とどのように関係しているのかも調べました。
たとえば、再評価をよく使う人は、ポジティブな感情を感じやすいのか。
抑制をよく使う人は、ネガティブな感情を抱えやすいのか。
人とのつながりやすさ、親密な関係、人生への満足感にも違いが出るのか。
こうした点を、いくつかの調査を通して確認していったのです。
ここで大事なのは、この研究が「感情を出す人がよい」「出さない人が悪い」と単純に決めつけているわけではないことです。感情を抑えることが必要な場面もあります。たとえば、会議中に怒りをそのまま噴火させたら、議事録に「本日、感情火山が噴火」と書かれるかもしれません。社会生活では、ある程度の調整は必要です。
ただ、この研究が見たかったのは、いつも感情を押し殺すクセがあると、心や人間関係にどんな影響があるのかという点です。
つまりこの研究方法をひとことで言えば、
「感情を整える方法の違いを質問紙で測り、それが気分・人間関係・幸福感とどうつながるのかを調べた研究」
ということになります。
難しい実験装置がずらりと並ぶ研究というより、私たちの日常にある「感情との付き合い方」を、心理学のものさしで丁寧に測ってみた研究です。
感情という、目に見えないけれど毎日かなり存在感のある相棒。
その相棒とどう付き合っているかを調べるために、この研究では「再評価」と「抑制」という2つの道具を使って、心のクセを見える形にしていったのです。

この研究でわかったこと:感情を押し殺す人ほど、心と人間関係に負担がかかりやすい?
この研究で見えてきた大きなポイントは、感情をどう扱うかによって、気分・人間関係・幸福感にかなり違いが出るということです。
「まあ、そりゃそうでしょう」と思うかもしれません。
でも、この論文のおもしろいところは、ただ単に「感情をコントロールできる人はすごい」と言っているわけではないところです。
むしろ大事なのは、どんな方法で感情を整えているのかです。
この研究では、感情調整の方法として、主に「再評価」と「抑制」が比べられました。再評価とは、出来事の見方を変えて感情を整えることです。たとえば、失敗したときに「もう終わりだ、人生の閉店セールだ」と思うのではなく、「次に気をつける場所がわかった」と考え直すような方法です。
一方、抑制とは、感じている感情を表に出さないようにすることです。怒っていても、悲しくても、不安でも、顔には出さない。外から見ると落ち着いている人。でも心の中では、感情たちが「こちら満席です!」と叫んでいるかもしれません。
この研究でわかったのは、再評価をよく使う人は、よい感情を感じやすく、幸福感や人間関係も比較的よい傾向があるということです。
これは少し意外です。
なぜなら、再評価は「現実を変える方法」ではないからです。仕事のミスが消えるわけでも、苦手な人が突然やさしい妖精になるわけでもありません。変わるのは、出来事の受け止め方です。
でも、その「受け止め方の角度」が変わるだけで、感情の重さは少し変わるのです。
同じ荷物でも、持ち方が悪いと腕がちぎれそうになります。でも、持ち方を変えると少し楽になる。再評価は、心の荷物の持ち替えに近いのかもしれません。
一方で、抑制をよく使う人は、ネガティブな感情を感じやすく、ポジティブな感情を感じにくい傾向があることも示されています。
ここも意外なところです。
「感情を表に出さない人」は、周りから見ると冷静で、大人で、安定しているように見えることがあります。ところが、表情が静かだからといって、心の中まで静かとは限りません。表の看板には「本日平常営業」と書いてあるのに、裏ではスタッフ総出で段ボールを運んでいる、みたいなことがあるわけです。
感情を抑えることは、短い時間なら役に立つこともあります。たとえば、仕事中に怒りをそのままぶつけない、悲しいときでも必要な場面では落ち着いて話す。これは社会生活では大切です。
ただ、いつもいつも「出さない」「見せない」「なかったことにする」を続けていると、感情そのものは消えずに、心の奥にたまっていきます。感情は煙のようなもので、窓を閉めきると部屋の中がもくもくしてくるのです。
さらに、この研究では、抑制は人間関係にもあまりよくない方向で関係していることが示されています。
これも大事です。本人は「相手に迷惑をかけないように」と思って感情を隠している場合があります。ところが、相手から見ると、「本音が見えない」「距離を感じる」「何を考えているかわからない」と受け取られることがあります。
つまり、本人としては気をつかって感情をしまっているのに、その結果、人とのつながりが少し遠くなってしまう可能性があるのです。これはなかなか切ない話です。やさしさのつもりで閉めた心のドアが、相手には「入らないでください」の札に見えてしまうことがあるわけです。
反対に、再評価をよく使う人は、人間関係でも比較的よい傾向が見られました。これは、感情をそのまま爆発させるのではなく、いったん見方を変えながら受け止めるため、人とのやりとりも落ち着きやすいからかもしれません。
たとえば、友人から返信が遅いときに、「嫌われたのかも」と即座に心の裁判を始めるのではなく、「忙しいのかもしれない」「あとで返そうとしているのかもしれない」と考える。これだけで、不安の暴れ馬に少し手綱がかかります。
もちろん、何でも都合よく考えればいいという話ではありません。つらいことを無理やり美談に変える必要もありません。心が「いや、それはさすがにしんどいです」と言っているときに、「これは成長のチャンス!」と無理やり笑顔を貼りつけると、心の内側から苦情が来ます。
この論文が教えてくれるのは、感情を否定することではありません。
大切なのは、感情を押し込めるだけで終わらせず、出来事の意味を少し広げて見直すことです。
結果として、再評価はポジティブな感情、よい人間関係、幸福感とつながりやすく、抑制はネガティブな感情や人間関係の難しさとつながりやすいことが示されました。
この結果の意外さは、「感情を出さない人ほど安定している」とは限らないという点にあります。
外側の静けさと、内側の穏やかさは、同じではありません。
本当に大切なのは、感情を完璧に隠すことではなく、感情が出てきたときに「さて、この気持ちをどう扱おうか」と向き合えることなのかもしれません。感情を押し入れに詰め込むだけでは、いつかふすまが悲鳴を上げます。けれど、感情に名前をつけ、見方を少し変え、置き場所を整えていけば、心の部屋は少しずつ暮らしやすくなっていくのです。

ここが面白い:「平気なふり」が、実は心と人間関係を疲れさせているかもしれない
この論文の面白いところは、なんといっても、「感情を出さない人=感情をうまく扱えている人」とは限らないと教えてくれるところです。
これ、けっこう大事です。
私たちはつい、落ち着いて見える人を見ると、「あの人は感情的にならなくて大人だなあ」と思います。たしかに、会議中に怒りのドラを鳴らし、悲しみの大太鼓を打ち、不安のシンバルを鳴らしまくるよりは、落ち着いていたほうが場は平和です。職場が毎日、感情フェスティバル会場になったら、さすがにコピー機も疲れます。
でも、この研究がそっと差し出してくる虫めがねで見ると、話はもう少し複雑です。
感情を出さない人の中には、本当に落ち着いている人もいます。けれど一方で、心の中ではしっかり怒っているし、しっかり傷ついているし、しっかり不安なのに、それを表に出さないように必死で押さえている人もいます。
外から見ると、静かな人。
中では、感情たちが「こちら、押し入れ満員です!」と騒いでいる人。
ここが面白いのです。
つまり、外側の静けさと、内側の穏やかさは別物なのです。
たとえば、誰かにきついことを言われたとします。そのときに、「今の言い方はつらかったな。でも、内容としては改善点もあるかもしれない」と見方を変える人がいます。これは、心の中で出来事の置き場所を変えている感じです。怒りや悲しみをなかったことにはしていません。ただ、その出来事を「自分を壊す爆弾」ではなく、「ちょっと扱いにくい荷物」として持ち直しているのです。
一方で、「大丈夫です」「気にしてません」「問題ありません」と言いながら、心の中では小さな自分がちゃぶ台を横に倒している人もいます。表情は仏像、内心は台風。これが抑制です。
そして、この論文によると、どうやらこの「平気なふり」は、本人の気分にも、人間関係にも、じわじわ影響している可能性があります。
ここで意外なのは、本人としては「周りに迷惑をかけないように」「場を乱さないように」と思って感情を隠している場合があることです。つまり、感情を押し殺す人は、必ずしも冷たい人ではありません。むしろ、まじめで、気をつかって、空気を読もうとしている人かもしれません。
ところが、その努力が、相手にはうまく伝わらないことがあります。
本人は「迷惑をかけないために黙っている」のに、相手からは「何を考えているかわからない」「距離を感じる」「本音を話してくれない」と見えてしまう。ここに、人間関係のすれ違いがあります。心のドアをそっと閉めただけのつもりが、相手には「本日休業」の札に見えてしまうわけです。
これは、なかなか切ない発見です。
私たちは、感情を出すと人間関係が悪くなると思いがちです。もちろん、怒りをそのままぶつけたり、不満を爆弾のように投げたりすれば、それは関係にヒビが入ります。そこはもう、心の危険物取扱注意です。
でも、だからといって、感情を完全に隠せば人間関係がよくなるわけでもない。ここがこの論文の味わい深いところです。感情を出しすぎても難しい。隠しすぎても難しい。人間関係とは、なんとも繊細な炊き込みご飯です。水加減を間違えると、べちゃっとしたり、芯が残ったりします。
では、どうすればよいのか。
この論文がヒントとして示しているのが、再評価です。つまり、感情が出てきたときに、ただ押し込めるのではなく、「この出来事は、別の見方ができるだろうか」と少し考え直してみることです。
たとえば、返信が遅い友人に対して、「嫌われた」と即決するのではなく、「忙しいのかもしれない」「あとで返そうと思っているのかもしれない」と見方を広げてみる。注意されたときに、「私は全部ダメだ」と受け取るのではなく、「今回はこの部分を直せばいい」と考えてみる。
もちろん、これは何でもかんでもポジティブに変換するということではありません。心が傷ついているのに、「これはありがたい成長イベントです!」と無理やり笑う必要はありません。そんなことをしたら、心の奥から「いや、こちら現場は泣いております」と報告が上がってきます。
再評価は、現実をごまかすことではありません。
現実を見る角度を、ひとつ増やすことです。
この「角度を増やす」というところが、とても大切です。嫌な出来事が起きたとき、私たちの心はすぐにひとつの物語を作ります。「私は嫌われた」「私は失敗した」「もうダメだ」「全部終わった」。心の中の脚本家が、なぜか悲劇部門でやる気を出しすぎるのです。
でも、そこで一度立ち止まって、「本当にその物語だけかな?」と問いかける。
すると、別の脚本が見えてくることがあります。
「相手は疲れていただけかもしれない」
「この失敗は、次の準備に使えるかもしれない」
「今はしんどいけれど、全部が終わったわけではない」
こうして見方が少し変わると、感情も少し変わります。出来事そのものは変わっていなくても、心の中での重さが変わるのです。
この論文の面白さは、感情調整を「我慢大会」として見ていないところにあります。感情をうまく扱うとは、無表情で耐えることではありません。心の中に湧いてきた感情に、「はいはい、君が来たのね」と気づき、そのうえで「どこに座ってもらおうか」と考えることなのです。
怒りも、不安も、悲しみも、いきなり追い出そうとすると暴れます。
でも、椅子を用意して話を聞くと、少しおとなしくなることがあります。
この研究は、そんな心の接客術を教えてくれているように思います。
「感情を消す」のではなく、
「感情の意味を見直す」。
「平気なふり」をするのではなく、
「自分の中で受け止め方を整える」。
ここに、この論文の面白さがあります。
私たちは毎日、感情と一緒に暮らしています。感情は、たまに面倒です。急に来るし、声が大きいし、空気を読まない日もあります。でも、それを押し入れに閉じ込めるだけでは、心の部屋は暮らしにくくなります。
だからこそ、この論文はこう教えてくれているようです。
「感情は敵ではない。ただし、放し飼いにしても、閉じ込めても大変。大切なのは、付き合い方を覚えること」
そう考えると、感情調整という少しかたい言葉も、急に身近になります。
これは、心をロボットにする研究ではありません。
むしろ、感情豊かな人間が、どうすれば少し楽に、少しやさしく、人とつながって生きられるのかを探った研究なのです。

私たちの生活にどう活かせる?:感情を押し殺さずに、心をラクにするための「見方の変え方」
この論文を生活に活かすなら、まず大切なのは、「感情をなくそう」としないことです。
これ、地味ですがかなり大事です。
私たちはつい、イライラしたときに「こんなことで怒ってはいけない」、不安になったときに「気にしすぎだ」、悲しくなったときに「早く元気にならなきゃ」と、自分の感情に向かって小さな生活指導を始めがちです。
心の中に先生が現れて、「はい、感情さん、廊下に立ってなさい」と言うわけです。
でも、感情は廊下に立たされても、だいたい反省しません。むしろ、壁を蹴ったり、窓から顔を出したりして、「まだここにいますけど!」と存在感を出してきます。
だからまずは、感情を消そうとするより、**「今、自分はこう感じているんだな」**と気づくことが第一歩です。
たとえば、職場で誰かにきつい言い方をされたとします。そのとき、心の中ではすぐに「腹が立つ」「悲しい」「自分が悪いのかな」「嫌われたのかな」と、感情の商店街が一斉にシャッターを開けます。
ここでいきなり「平気なふり」をすると、表面上は落ち着いて見えるかもしれません。でも、心の中では怒りや不安がぎゅうぎゅう詰めになります。まるで、押し入れに布団、スーツケース、季節外れの扇風機、謎の紙袋を全部詰め込むようなものです。見た目は片づいたように見えても、ふすまの向こうでは大混雑です。
そこで使いたいのが、この論文でいう再評価です。
難しく聞こえますが、要するに、出来事の見方を少し変えてみることです。
「きつく言われた。つまり、自分はダメなんだ」と決めつける前に、少しだけ別の見方を探してみます。
「相手は忙しくて余裕がなかったのかもしれない」
「言い方はきつかったけれど、内容としては改善点があるかもしれない」
「これは人格否定ではなく、仕事の一部分についての指摘かもしれない」
「今すぐ答えを出さなくても、少し落ち着いてから考えてもいいかもしれない」
こうして見方を増やすと、感情の温度が少し下がることがあります。
怒りがゼロになるわけではありません。不安が一瞬で消えるわけでもありません。けれど、心の中で「もう終わりだ!」と叫んでいた感情が、「まあ、少し座って話してもいいです」と声量を下げてくれることがあります。
ここで大事なのは、無理にポジティブにしないことです。
つらいことがあったのに、「これは全部、成長のチャンスです!」と強引に変換しすぎると、心が白目をむきます。感情はそこまで単純な生き物ではありません。落ち込んでいる日に、心の中で応援団が突然「フレーフレー自分!」と太鼓を叩き始めても、こちらとしては「今はちょっと静かにしてもらえますか」となります。
再評価は、無理やり明るく考えることではありません。
現実を少し広い角度から見直すことです。
たとえば、人間関係でも使えます。
友人や同僚から返信がなかなか来ないとき、「嫌われたのかも」と思うことがあります。心の中の裁判所がすぐ開廷して、「被告、返信が遅い罪。判決、私は嫌われています」と早すぎる判決を出すことがあります。
でも、そこで一度立ち止まってみます。
「忙しいのかもしれない」
「返信する余裕がないだけかもしれない」
「そもそも返信の早さと好意は、必ずしも同じではないかもしれない」
こう考えるだけで、不安の暴れ馬に少し手綱がかかります。もちろん、本当に相手との関係を見直したほうがよい場合もあります。でも、毎回すぐに最悪の物語へ直行しなくてもいいのです。心のナビが「目的地:絶望です」と案内してきたら、「別ルートありますか?」と聞いてみる感じです。
職場でも同じです。
ミスをしたとき、「自分は向いていない」と考えると、心の床が抜けたように感じます。でも、「今回のミスは、確認の手順を見直すサインかもしれない」と考えると、少しだけ次の行動が見えてきます。
ここで変えているのは、過去ではありません。
過去に起きたミスは消えません。
でも、そのミスを「自分を責める材料」にするのか、「次の工夫の材料」にするのかは、少しだけ選べる場合があります。
この“少しだけ選べる”というところが、生活にとって大きいのです。
感情調整というと、ものすごく立派な心の技術に聞こえますが、日常でできることは案外小さいです。
イライラしたら、まず「私は今、怒っている」と気づく。
不安になったら、「不安が来ている」と名前をつける。
そのうえで、「別の見方はあるかな」と一つだけ探してみる。
これだけでも、感情との距離が少し変わります。感情に頭から飲み込まれるのではなく、感情を一歩外から見る感じです。台風の中で飛ばされるのではなく、天気図を見て「今、ここに低気圧がいますね」と確認するようなものです。
また、この論文は、人間関係にも大事なヒントをくれます。
感情をすべてぶつける必要はありません。
でも、すべて隠す必要もありません。
「ちょっと今の言い方はきつく感じました」
「少し不安になったので、確認してもいいですか」
「今すぐうまく言えないので、少し考えてから話したいです」
このように、感情を爆発させるのではなく、言葉にして小さく置いてみる。これは、抑え込みすぎないための大事な工夫です。感情を相手に投げつけるのではなく、テーブルの上にそっと置く。すると、相手も受け取りやすくなります。
もちろん、相手や場面によっては、すぐに言えないこともあります。職場では立場やタイミングもありますし、何でも正直に言えばよいわけではありません。そこは大人の現実、なかなか味の濃い煮物です。
だからこそ、まずは自分の中でこう考えてみるだけでも十分です。
「私は今、何を感じているのか」
「その感情は、どんな見方から生まれているのか」
「他の見方はあるのか」
「相手に伝えるなら、どう言えば角が立ちにくいのか」
こうやって、感情を“処分するもの”ではなく、“扱うもの”として見ることができると、心の負担は少し軽くなります。
この論文を日常に活かすポイントは、感情を完璧にコントロールすることではありません。そんなことができたら、人間というより最新型の感情管理ロボットです。私たちは人間なので、怒ります。不安になります。落ち込みます。うれしすぎて変なテンションになる日もあります。
大切なのは、感情が出てきたときに、すぐ押し入れへ突っ込まないことです。
「出てきたな」
「何を伝えようとしているのかな」
「別の見方はできるかな」
「必要なら、少し言葉にして伝えられるかな」
そんなふうに、感情に対して少しだけ丁寧になる。
それだけで、心の部屋は少し暮らしやすくなります。
感情は、敵ではありません。
でも、放っておくと部屋中を走り回ることがあります。
だから、追い出すのでも、閉じ込めるのでもなく、座る場所を用意してあげる。
この研究は、そんな日常の小さな心がけを教えてくれる論文です。
感情を押し殺して「平気です」と言い続けるより、感情の声を少し聞き、見方を少し変え、自分にも相手にも伝わりやすい形に整えていく。
それが、心にも、人間関係にも、じんわり効いてくるのかもしれません。

少し注意したい点:「見方を変えればすべて解決する」と考えすぎないために
この論文は、とてもおもしろい研究です。
「感情を押し殺すより、出来事の見方を変えるほうが、心や人間関係にとってよさそうだ」という結果は、日常生活にもかなり使いやすいヒントをくれます。
ただし、ここで注意したいのは、「じゃあ、何でも見方を変えれば解決ですね!」と早合点しすぎないことです。
これをやってしまうと、心理学が急に“心の根性論”に変身してしまいます。
せっかくの研究が、「つらいのは、あなたの考え方が悪いからです」という冷たい説教マシーンになってしまう。これは、心理学の使い方として少しもったいないです。
たとえば、職場で理不尽なことを言われたとします。
そのときに、「これは成長のチャンスだ!」と考え直すことが、助けになる場合もあります。けれど、明らかにひどい扱いを受けているのに、「自分の受け止め方を変えればいいんだ」とだけ考えてしまうと、本来変えるべき環境や関係性まで、そのままにしてしまうことがあります。
心のメガネをかけ替えることは大切です。
でも、部屋が煙だらけなのに「煙もまた人生の香りですね」と言って座り続ける必要はありません。窓を開ける、外に出る、誰かに相談する。そういう現実的な対応が必要な場面もあります。
つまり、再評価は便利な道具ですが、万能の魔法の杖ではありません。
もうひとつ大切なのは、感情を抑えることが、いつも悪いわけではないということです。
この論文では、感情を表に出さない「抑制」は、ネガティブな感情や人間関係の難しさと関係しやすいことが示されています。だからといって、「よし、これからは思ったことを全部出そう!」となると、それはそれで別の火山活動が始まります。
会議中に腹が立ったからといって、その場で怒りを全部ぶちまける。
友人に少し不満があるからといって、寝起きのテンションで長文メッセージを送る。
家族にイライラしたからといって、感情の鍋をふたなしで沸騰させる。
これは、感情を大切にしているというより、感情にハンドルを渡してしまっている状態です。助手席に座ってもらうならよいのですが、運転席まで譲ると、心の車がなかなかスリリングな道へ向かいます。
感情を少し抑えることが必要な場面は、たしかにあります。
大事なのは、「一時的に落ち着くために抑える」のか、「ずっと自分の気持ちをなかったことにする」のかの違いです。
前者は、心の安全運転です。
後者は、心の倉庫に荷物を積み上げ続けるようなものです。
「今は言わない。でも、あとで落ち着いて考える」
「この場では抑える。でも、自分の気持ちはちゃんと確認する」
「すぐ反応しない。でも、必要なら後で伝える」
こういう抑え方なら、感情を無視しているわけではありません。感情に少し待合室で座ってもらっている感じです。ちゃんと順番が来たら話を聞く。これなら、感情も完全にすねずにすみます。
また、この研究は、感情調整の方法と幸福感・人間関係との関係を示したものですが、そこからすぐに「再評価をすれば必ず幸せになる」「抑制をすると必ず人間関係が悪くなる」とまでは言い切れません。
人間の心は、そこまで単純な自動販売機ではありません。
「再評価ボタンを押したら幸福感が出てきます」
「抑制ボタンを押したら人間関係が詰まります」
というほど、話はきれいに1本線ではつながりません。
もともと幸福感が高い人が、再評価を使いやすいのかもしれません。
人間関係に不安がある人ほど、感情を隠しやすくなるのかもしれません。
文化や職場環境、家庭環境によっても、感情の出し方には違いがあります。
たとえば、日本では「感情を出しすぎないこと」が礼儀や配慮として働く場面もあります。逆に、感情をまったく出さないことで、相手に距離を感じさせる場面もあります。つまり、感情表現のよし悪しは、場面や関係性によってかなり変わるのです。
ここを忘れると、論文の結果を日常に持ち帰るときに、少し乱暴になってしまいます。
この論文から学べるのは、
**「感情を押し殺すのは全部ダメ」**でも、
**「見方を変えれば全部うまくいく」**でもありません。
むしろ、もう少しやわらかく言えば、こうです。
感情をなかったことにし続けると、心や人間関係に負担がかかるかもしれない。
でも、感情をそのまま爆発させるのも、いつもよいわけではない。
だから、まず自分の感情に気づき、必要に応じて見方を変えたり、伝え方を工夫したりすることが大切かもしれない。
このくらいの温度で読むのが、ちょうどよいと思います。
心理学の論文は、人生の答えを一発で出す魔法の巻物ではありません。
でも、心の地図に小さな道を一本描き足してくれることがあります。
今回の論文も、「こうすれば絶対に幸せになれる」と言っているわけではありません。
ただ、「感情をどう扱うかは、思っている以上に大事かもしれませんよ」と教えてくれているのです。
その知見を、日常に持ち帰るなら、完璧に実践しようとしなくて大丈夫です。
イライラしたときに、すぐ押し殺す前に一度だけ気づいてみる。
不安になったときに、「別の見方はあるかな」と少し考えてみる。
つらいときに、「これは自分の考え方だけの問題ではないかも」と環境にも目を向けてみる。
言える相手には、感情を爆発させずに、小さく言葉にしてみる。
それくらいで十分です。
論文は、読者にムチを持たせるためのものではありません。
むしろ、心の荷物を少し持ち替えるための取っ手をくれるものです。
この研究も、感情を完璧に管理しなさいと言っているのではなく、感情との付き合い方にはいくつか方法があり、その選び方によって心の暮らしやすさが変わるかもしれない、と教えてくれています。
だから、読み方としてはこうです。
「なるほど、感情を押し殺しすぎるのは負担になるんだな」
「見方を変える工夫は、たしかに役立つことがありそうだな」
「でも、つらい状況まで自分の考え方だけで片づけないようにしよう」
この三つを持って帰れたら、かなりよい読み方です。
甘いだけの心理学ではなく、少し苦みもある。
でもその苦みがあるからこそ、日常で使える知恵になります。
感情は、消すものでも、暴れさせるものでもなく、少しずつ付き合い方を覚えていくもの。
この論文は、その入口に立つための、やさしいけれどなかなか骨太な一枚だと思います。

まとめ:感情を押し殺すより、見方を変えることが心を助ける
この論文をまとめると、私たちの感情は、ただ「出すか」「出さないか」だけで決まるものではありません。大切なのは、その感情をどう扱うかです。
嫌なことがあったとき、私たちはつい2つの道に分かれます。
ひとつは、「これはどういう意味だろう」「別の見方はできるかな」と、出来事の受け止め方を少し変えてみる道です。これが、この論文でいう再評価です。心の中のメガネを少しかけ替えて、出来事を別の角度から見てみる方法ですね。
もうひとつは、「平気です」「気にしてません」「ぜんぜん大丈夫です」と言いながら、感情をぐっと押し込める道です。これが抑制です。表情は静かな湖、でも心の中ではアヒルボートが大渋滞しているかもしれません。
この研究で示されたのは、再評価をよく使う人ほど、よい感情を感じやすく、人間関係や幸福感も比較的よい傾向があるということです。一方で、抑制をよく使う人は、ネガティブな感情を抱えやすく、人とのつながりにも難しさが出やすい可能性がありました。
ここで大事なのは、「感情を出さない人が悪い」という話ではないことです。
私たちの生活には、感情をすぐに出さないほうがよい場面もあります。会議中に怒りの太鼓を鳴らしたり、LINEの返信が遅いだけで心の裁判所を開廷したりすると、日常がなかなか騒がしくなります。感情を少し抑えることは、社会生活の中では必要な技術でもあります。
ただし、いつもいつも感情を押し殺していると、心の中に荷物がたまっていきます。押し入れに布団も扇風機も段ボールも全部詰め込んで、「はい、部屋は片づきました」と言っているようなものです。見た目は整っていても、ふすまの向こうでは感情たちが「もう入りません」と叫んでいるかもしれません。
だからこそ、この論文が教えてくれるのは、感情を消すことではなく、感情との付き合い方を変えることです。
たとえば、失敗したときに「自分はダメだ」と決めつける前に、「次に気をつける場所がわかった」と見直してみる。誰かの言葉に傷ついたときに、「自分が全否定された」と受け取る前に、「言い方はきつかったけれど、内容の一部は参考になるかもしれない」と考えてみる。返信が遅いときに、「嫌われた」と即決する前に、「相手にも事情があるのかもしれない」と一度置いてみる。
もちろん、これは何でも前向きに変換しましょう、という話ではありません。つらいものはつらいですし、理不尽なものは理不尽です。心が泣いているのに、「これは全部チャンスです!」と旗を振り回す必要はありません。そんなことをすると、心の奥から「現場を見てください」と苦情が来ます。
再評価とは、無理やり明るくすることではなく、見方の選択肢を増やすことです。
ひとつの見方に閉じ込められると、感情は大きくふくらみます。「もう終わりだ」「全部自分のせいだ」「きっと嫌われた」。こうした物語だけが心の中で上映され続けると、気持ちはどんどん苦しくなります。
でも、そこにもう一本、別の物語を足してみる。
「まだ終わったわけではないかもしれない」
「全部が自分のせいとは限らない」
「相手にも余裕がなかったのかもしれない」
そうすると、感情が少しだけ座り直してくれることがあります。暴れていた感情が、ちゃぶ台の前でお茶を飲み始めるような感じです。
この論文の魅力は、感情調整を「我慢大会」として見ていないところです。感情をうまく扱うとは、無表情で耐えることではありません。怒りや不安や悲しみが出てきたときに、「来たな」と気づき、「さて、どう受け止めようか」と考えることです。
感情は、敵ではありません。
でも、感情に運転席を渡してしまうと、心の車は急カーブを曲がりすぎることがあります。反対に、感情をトランクに押し込め続けても、どこかでガタガタ音がします。
大切なのは、感情を助手席に座らせることです。
「あなたがいるのはわかった。でも、ハンドルは一緒に考えながら握ろう」と言えるようになることです。
この研究は、私たちにそんな心の使い方を教えてくれます。
感情を押し殺すより、少し見方を変えてみる。
感情をなかったことにするより、まず気づいてみる。
人にぶつける前に、言葉にして整えてみる。
どうしてもつらいときは、自分の考え方だけの問題にせず、環境や相手との関係にも目を向けてみる。
そうやって、感情を「処理するもの」ではなく、「付き合っていくもの」として見ることができると、心の部屋は少し暮らしやすくなります。
この論文は、人生を一瞬で楽にしてくれる魔法のレシピではありません。けれど、感情に振り回されすぎたり、逆に感情を押し殺しすぎたりして疲れている人にとっては、かなり役立つ地図になります。
感情は、消さなくていい。
でも、丸ごと飲み込まれなくてもいい。
少し見方を変えながら、自分の心に合う置き場所を探していけばいい。
そんなふうに考えると、感情調整という少しかたい言葉も、ぐっと身近になります。
それは、心をロボットにする技術ではなく、人間らしいまま、少し楽に生きるための工夫なのだと思います。

あとがき
今回の論文を読んでいて、私はずっと「感情って、なかなか律儀な訪問者だな」と思っていました。
怒りも、不安も、悲しみも、こちらが招待状を出した覚えはないのに、ちゃんと玄関まで来ます。しかも、わりと遠慮なくチャイムを鳴らします。「ピンポーン、不安です」「ピンポーン、怒りです」「ピンポーン、昨日のあの一言、まだ気にしています」。いや、そんなに律儀に来なくていいんですけど、と言いたくなる日もあります。
でも、この論文を読むと、感情が来ること自体が問題なのではないのだな、と感じます。大事なのは、来た感情をどう迎えるかです。
「はいはい、あなたはいません」と居留守を使うのか。
「うるさい、押し入れに入っていてください」と閉じ込めるのか。
それとも、「まあ、とりあえず座って。何があったのか聞きましょうか」と、少し距離をとりながら向き合うのか。
この違いが、心の疲れや人間関係にじわじわ効いてくる。そう考えると、感情調整という言葉が、急に生活感のあるものに見えてきます。研究室の白い壁の中だけにある話ではなく、朝の職場、帰り道の電車、返信が来ないスマホ画面、布団の中でふと思い出す一言。その全部に関係してくる話なのです。
個人的に、この論文でいちばん印象に残ったのは、「感情を出さないこと」と「感情をうまく扱えていること」は違う、という点です。
これは、けっこう胸に刺さります。
私たちは大人になるほど、「平気な顔」を覚えていきます。
仕事中にしんどくても、笑顔。
傷ついても、笑顔。
怒っていても、「大丈夫です」。
心の中では小さな自分が畳の上で転がっているのに、外側ではきちんとした人として立っている。
もちろん、それが必要な場面もあります。社会生活は、感情を全部そのまま出せばよいという単純なものではありません。もし全員がその場の感情をそのまま出していたら、会議室は毎日、心理的な鍋パーティーです。煮える、焦げる、吹きこぼれる。議題どころではありません。
でも、だからといって、感情をずっと押し殺せばいいわけでもない。ここが人間の難しいところであり、おもしろいところでもあります。
感情を隠し続けると、本人は「迷惑をかけないようにしている」つもりでも、相手には「壁がある」と見えてしまうことがあります。自分を守るために閉めたドアが、相手には「入らないでください」の札に見える。これは本当に切ないです。人間関係のすれ違いって、悪意よりも、こういう小さな誤解から育ってしまうことが多いのかもしれません。
一方で、再評価という考え方には、少し救いがあります。
再評価というと、専門用語っぽくて、最初はちょっと学会の玄関マットみたいな顔をしています。でも、要するに「見方を少し変えてみる」ということです。現実をごまかすのではなく、現実の見え方をひとつ増やす。これがいいなと思いました。
「自分はダメだ」だけではなく、「今回はここを直せばいいのかもしれない」。
「嫌われた」だけではなく、「相手にも事情があるのかもしれない」。
「もう終わりだ」だけではなく、「まだ次にできることが一つあるかもしれない」。
この“かもしれない”が、心にとって大事なのだと思います。
人生は、ときどき断定が強すぎます。
心も疲れていると、すぐに黒い太字で結論を書きたがります。
「失敗した」
「嫌われた」
「もう無理」
「自分には向いていない」
でも、そこに小さく「かもしれない」を足すだけで、文章の温度が変わります。
「嫌われた」ではなく、「嫌われたと思っているのかもしれない」。
「もう無理」ではなく、「今はもう無理に感じているのかもしれない」。
たったこれだけで、感情に飲み込まれる感じが少し弱まることがあります。心の中に、逃げ道というより、風の通り道ができる感じです。
もちろん、何でも見方を変えればよいわけではありません。ここは大事です。つらい環境や理不尽な扱いまで、「自分の考え方次第です」と片づけてしまうのは、心理学の顔をした無茶ぶりです。煙だらけの部屋で「この煙も人生の味わいですね」と言って座り続ける必要はありません。窓を開ける。外に出る。誰かに相談する。そういう現実の行動も、ちゃんと大切です。
だから私は、この論文を「前向きになりましょう」という話としては読みたくありません。
むしろ、こう読みたいです。
感情を押し殺しすぎなくていい。
でも、感情のままに全部動かなくてもいい。
自分の中に出てきた気持ちに気づいて、少しだけ見方を増やして、必要なら言葉にして、必要なら距離をとって、必要なら助けを求めていい。
つまり、感情とケンカするのではなく、感情と暮らす練習なのだと思います。
心理学の論文要約サイト「アドラーの昼寝」では、こういう論文を読むたびに、私は少しほっとします。というのも、心理学はときどき、私たちの心に「あなたは壊れていません。ただ、扱い方をまだ探している途中なのかもしれません」と言ってくれるからです。
感情に振り回される日があってもいい。
平気なふりをしてしまう日があってもいい。
見方を変えようとして、うまくいかない日があってもいい。
それでも、「自分は今、何を感じているんだろう」と一度立ち止まれるなら、それはもう立派な一歩です。心の中で暴れていた感情に、ちゃぶ台と座布団を出してあげるようなものです。すぐに仲直りできなくても、「まあ、お茶でも飲みますか」くらいの距離から始めればいいのだと思います。
この論文は、感情を完璧にコントロールする方法を教えてくれるものではありません。けれど、感情を敵にしすぎず、押し殺しすぎず、少しだけ扱いやすくするためのヒントをくれます。
読後に残るのは、「感情って面倒だけど、悪いやつではないんだな」という感覚です。
怒りも、不安も、悲しみも、喜びも、全部まとめて人間の心です。
その心を、無理にピカピカのショールームにしなくてもいい。
少し散らかっていても、座る場所があって、風が通って、自分が安心して戻れる部屋にしていけたらいい。
そんなことを思わせてくれる、じんわり効く論文でした。

制作ノート
出典論文:Gross, J. J., & John, O. P. (2003).
Individual Differences in Two Emotion Regulation Processes: Implications for Affect, Relationships, and Well-Being.
Journal of Personality and Social Psychology, 85(2), 348–362.
DOI:10.1037/0022-3514.85.2.348
掲載・確認先:PubMed / Google Scholar
記事について:本記事は、上記論文の内容をもとに、一般の読者向けに要約・解説したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、読みやすさを重視して再構成しています。
制作体制:本記事は、GPT-5.5 Thinking を用いて下書きを作成したうえで、当サイト管理人・阿部牧歌が内容を確認し、表現や流れを整えながら仕上げています。機械の速さと、人の目と感覚の両方を生かしながら、読みやすく信頼できる記事づくりを目指しています。




