アントネット・ラスコフ・ツァイス(Antonette Raskoff Zeiss)の論文一覧:マシュマロを前に始まる、子どもの脳内作戦会議をのぞいた心理学者
アントネット・ラスコフ・ツァイス(Antonette Raskoff Zeiss)のプロフィール
アントネット・ラスコフ・ツァイスは、アメリカの臨床心理学者です。
彼女の名前を心理学の歴史でたどると、最初に出会うのは、子どもの目の前にお菓子を置いた、あの有名な「満足を先延ばしする研究」でしょう。1972年の論文では「アントネット・ラスコフ・ツァイス」と表記されていますが、その後は主に「アントネット・M・ツァイス」または「アントネット・ツァイス」の名前で活動しています。つまり、マシュマロのそばにいた若い研究者と、のちにアメリカの退役軍人医療を支える大きな役職に就いた心理学者は、同じ人物です。
マシュマロの前で、子どもの心は作戦会議を始める
彼女がスタンフォード大学で学んでいた1960年代、心理学の教室にはウォルター・ミシェルやアルバート・バンデューラといった、のちに教科書の常連となる研究者たちがいました。
大学2年生のころ、ツァイスはミシェルの異常心理学の授業を受けます。
「人の心を理解するには、本人の性格だけでなく、その人が置かれた状況や行動も見なければならない」
そんな考え方に触れた彼女は、「これはおもしろい」と研究の世界へ足を踏み入れました。その後、ミシェルの研究班に参加し、大学卒業後もミシェルやバンデューラのもとで研究に携わっています。
そして1968年の春、ツァイスは大学生研究者として、ミシェルとエベ・B・エベセンが進めていた「子どもは、どうすれば誘惑を待てるのか」という研究に加わりました。
ここで大切なのは、この研究が単純な「我慢できる子は偉い選手権」ではなかったことです。
子どもの前には、すぐにもらえる小さなごほうびと、待てばもらえる、より好ましいごほうびが用意されます。ところが幼い子どもにとって、目の前のお菓子を食べずに待つ時間は、時計の針が昼寝を始めたのかと思うほど長く感じられます。
そこで研究者たちは尋ねました。
「根性で耐える以外に、待ちやすくなる方法はないのだろうか?」
実験では、子どもに玩具で遊んでもらったり、楽しいことを考えてもらったり、悲しいことや目の前のごほうびについて考えてもらったりしました。
すると、玩具で遊ぶことや楽しいことを考えることは、待つ助けになりました。一方で、お菓子そのものを意識すると、待つことが難しくなりました。どうやら誘惑と真正面からにらめっこすると、誘惑のほうが「そろそろ食べてもいいんじゃない?」と、やけに話しかけてくるようなのです。
この研究が示したのは、自制心が生まれつきの頑丈な筋肉だけで決まるわけではないということでした。
目の前の誘惑から注意をそらす。楽しいことを思い浮かべる。環境のつくり方を変える。
つまり、「我慢できない自分は意志が弱い」と責める前に、心が戦いやすい舞台を用意することができるのです。ツァイスたちは、お菓子を待つ子どもの小さな工夫から、人間の自制心が状況や考え方によって変化することを見つめました。
お菓子の研究から、人生の後半を支える心理学へ
ここだけを読むと、ツァイスは生涯ずっとマシュマロの周囲を歩き回っていた研究者に見えるかもしれません。
しかし、彼女の研究人生はそこから大きく広がっていきます。
ツァイスは1972年から1976年にかけてオレゴン大学の大学院で学び、行動に注目する心理療法の訓練を受けました。臨床実習を終えた後は、アリゾナ州立大学の心理学部で助教授を務め、1981年から1982年にはスタンフォード大学で客員助教授を務めています。
そして1982年、彼女は退役軍人を支援するパロアルトの医療機関に加わりました。
そこで取り組んだ大きなテーマの一つが、高齢者の心理支援です。
年齢を重ねると、体の病気、身近な人との別れ、役割の変化、介護、孤独など、若いころとは異なる問題が重なります。しかし、心の不調まで「年だから仕方がない」の一言で片づけてよいわけではありません。
「眠れない? 年齢のせいでしょう」
「気分が沈む? 高齢になればそんなものです」
これでは、心の診察室に入る前から扉を閉めているようなものです。
ツァイスは、高齢者のうつ、心理療法、性の問題、家族介護、専門職同士の協力などを研究し、高齢者にも、その人の状況に合った心理支援が必要であることを広く伝えてきました。アメリカ心理学会も、特に高齢者のうつや性に関する研究を含め、彼女が高齢者心理学の発展に大きく貢献したと評価しています。
ここには、若いころの研究と通じる視点があります。
子どもがお菓子を待てないとき、それを「この子は我慢が足りない」で終わらせない。
高齢者がうつ状態にあるとき、それを「年齢のせい」で終わらせない。
本人の性格だけに原因を押しつけず、その人を取り巻く環境、考え方、人間関係、支援の仕組みまで見る。ツァイスの研究には、人生の年齢が変わっても、人を一枚の性格診断書に閉じ込めない姿勢が流れています。
研究者から、心の医療を動かす責任者へ
ツァイスは、研究論文を書く人としてだけでなく、心理支援を社会の仕組みに届ける指導者としても歩みました。
退役軍人医療の現場では、高齢者心理学の研究職から、多職種による医療チームの研修責任者、心理職の臨床・研修部門の責任者へと役割を広げていきます。
心理学者だけで心の問題を抱え込むのではなく、医師、看護師、福祉職などが連携し、「患者さんを真ん中に置いて、みんなで考えましょう」という仕組みづくりに取り組んだのです。専門家がそれぞれ立派な地図を持っていても、別々の方向へ歩けば患者さんは置いていかれます。ツァイスは、その地図を一枚の机に広げる役割を担いました。
やがて彼女は、アメリカ退役軍人省の精神保健部門を率いる最高位の役職に就きます。これは同省において、心理学者として初めて、女性として初めて、さらに医師以外の専門職として初めての就任でした。
大学時代に子どもの注意の向け方を観察していた研究者が、のちには国全体の心の医療がどこへ注意を向けるべきかを考える立場になったのです。マシュマロ一個から始まった道は、かなり遠くまで伸びました。
まっすぐでないから、たどり着ける場所がある
ツァイス自身は、若い研究者に向けて、職業人生は一直線ではないと語っています。
人生には、予定外の曲がり角があります。研究の仕事から教育へ、教育から臨床へ、臨床から組織づくりへ進むこともあります。「最初に決めた道を外れたから失敗」なのではありません。
彼女の歩みも、子どもの自制心の研究から始まり、うつの治療、高齢者支援、専門職の教育、そして国の精神保健を動かす仕事へと広がっていきました。
一見すると、話題が次々に変わったようにも見えます。
けれど、その中心にあった問いは変わっていません。
「人は、どのような状況なら、自分の力をよりよく発揮できるのだろう」
子どもがお菓子を待つときも、高齢者が心の不調から立ち直ろうとするときも、退役軍人が支援を求めるときも、人は根性だけで生きているわけではありません。支えてくれる環境があり、役立つ方法を知り、誰かと協力できれば、心はもう少し動きやすくなります。
アントネット・ラスコフ・ツァイスは、人間にただ「頑張りなさい」と言うのではなく、「頑張りやすくするには、何を変えればよいのだろう」と考え続けた心理学者です。
目の前の誘惑から少し視線を外すこと。
年齢だけで人の可能性を決めつけないこと。
そして、一人の専門家にすべてを背負わせず、支援の輪をつくること。
彼女の研究人生をたどると、心の強さとは、歯を食いしばる力だけではないとわかります。ときには視線を変え、場所を変え、助けてくれる人を増やすことも、立派な強さなのです。
参考文献・確認先:アメリカ心理学会:アントネット・M・ツァイス人物紹介 / アメリカ心理学会:退役軍人省の精神保健部門責任者就任記事 / Google Scholar:アントネット・ラスコフ・ツァイス 論文・引用情報 / PubMed:アントネット・M・ツァイス 関連論文

アントネット・ラスコフ・ツァイス(Antonette Raskoff Zeiss)の研究から学べること
アントネット・ラスコフ・ツァイスの研究から学べることは、ひと言でまとめるなら、こうなります。
「人間を変えたいなら、根性を増やす前に、状況を変えてみよう」
私たちは何かに失敗すると、すぐに自分の性格を裁判にかけます。
「またお菓子を食べてしまった。私は意志が弱い」
「今日も勉強できなかった。私は怠け者だ」
「ついスマートフォンを見てしまった。集中力がない」
心の中に小さな裁判官が現れて、木づちを鳴らします。
「被告人、あなたは自制心不足の罪で有罪です」
ちょっと待ってください。その裁判、証拠がずいぶん雑ではないでしょうか。
ツァイスたちの研究が教えてくれるのは、人の行動は性格だけで決まるわけではないということです。目の前に何があるか、どこへ注意を向けているか、どんなことを考えているか。それだけでも、行動はかなり変わります。
つまり、人間の心は鉄の金庫ではありません。
周囲の景色に反応しながら、開いたり閉じたりする自動ドアに近いのです。
我慢とは、誘惑を見つめ続けることではない
満足を先延ばしする研究では、子どもたちの前に魅力的なごほうびが置かれました。
すぐにもらえる少ないごほうびを選ぶか、少し待って、より多くのごほうびを受け取るか。幼い子どもにとっては、なかなか厳しい勝負です。
大人はつい、こう言いたくなります。
「しっかり我慢しなさい」
しかし、目の前のお菓子をじっと見ながら我慢するのは、かなり難しいことです。
お菓子は黙っているように見えて、実際には心の中でずっと話しかけてきます。
「私、ここにいますよ」
「いい香りでしょう」
「一口ぐらい、研究結果には影響しないかもしれませんよ」
誘惑は、なかなかの営業上手です。
ツァイスたちの研究では、楽しいことを考えたり、別の遊びに注意を向けたりした子どもは、比較的長く待つことができました。一方で、ごほうびそのものについて考えるように促された子どもは、待つことが難しくなりました。
ここから学べるのは、我慢とは誘惑と正面衝突することではない、ということです。
自制心のある人は、誘惑に勝てる特別な精神力を持っているように見えます。しかし実際には、誘惑と戦わなくて済むように、注意の向きを変えていることがあります。
冷蔵庫の中にケーキがあるのに、扉を開けて眺めながら、
「食べないぞ。私は食べないぞ」
と唱え続けるのは、かなり不利な試合です。
それよりも、ケーキを見えない場所へ移す、別の部屋へ行く、温かいお茶を飲む、歯を磨く。こうした小さな工夫のほうが、意外に強いのです。
意志力にすべてを任せるのではなく、意志力が居眠りしても困らない環境をつくる。
これが、研究から学べる大切な知恵です。
自分を責めるより、仕組みを疑ってみる
何かが続かないとき、私たちは「自分が悪い」と考えがちです。
しかし、ツァイスたちの研究の視点を借りるなら、別の問い方ができます。
「この環境は、本当に続けやすくなっているだろうか?」
たとえば、勉強に集中したいのに、机の上にスマートフォンが置いてあるとします。
画面は暗く、通知も来ていません。
それでもスマートフォンは、そこにあるだけで小さな存在感を放ちます。
「別に見なくてもいいけど、見てもいいんですよ」
「新しい連絡が来ている可能性は、ゼロではありませんよ」
「三分だけ動画を見ませんか。三分で終わる保証はありませんが」
この状態で集中できないからといって、すべてを本人の意志の弱さにするのは酷です。
机の上からスマートフォンをなくす。通知を切る。別の部屋へ置く。勉強する時間だけ、必要な資料以外を片づける。
こうした環境の工夫は、逃げでも甘えでもありません。
心理学を生活に使っているのです。
仕事でも同じです。
大きな課題を前にすると手が止まるなら、「やる気を出せ」と自分を叱る前に、課題を小さく分けてみる。
「企画書を完成させる」では重すぎるなら、「題名を決める」「最初の三行を書く」「必要な数字を一つ調べる」に分ける。
すると、山だった仕事が階段になります。
人は山を見ると立ち尽くしますが、階段なら一段目に足を置けます。
私たちに必要なのは、もっと強い自分になることだけではありません。
今の自分でも動きやすい仕組みをつくることです。
心の強さは、注意を動かす力でもある
ツァイスたちの研究からは、注意の向け方の大切さも学べます。
心というものは、舞台を照らす照明に似ています。
照明が当たったものは大きく見え、暗がりに入ったものは意識から遠ざかります。
目の前の誘惑に照明を当て続ければ、誘惑は舞台の主役になります。
「食べたい」
「欲しい」
「今すぐ楽になりたい」
その気持ちは、照明を浴びるほど存在感を増していきます。
一方で、別のことに注意を向ければ、誘惑は舞台の端へ下がります。消えてはいませんが、主役ではなくなります。
これは、お菓子や勉強だけの話ではありません。
不安についても同じことが言えます。
「失敗したらどうしよう」
「嫌われたかもしれない」
「悪いことが起こるかもしれない」
そうした考えを消そうとして、ずっと監視していると、不安はかえって大きくなることがあります。
「不安を考えないようにしよう」と思うほど、不安が心の中央に座ってしまうのです。
そんなときは、不安と腕相撲をするよりも、注意を別の場所へ少し移してみます。
目の前の作業を一つ終える。
散歩をしながら周囲の音を聞く。
誰かと話す。
手を動かして料理をする。
今日できたことを一つ書く。
不安を完全に追い出さなくても構いません。
心の舞台で、主役の座から少し降りてもらえばよいのです。
人を「性格の一言」で片づけない
ツァイスの研究人生に流れているもう一つの大切な視点は、人の行動を性格だけで説明しないことです。
待てなかった子どもを見て、
「この子は我慢のできない子だ」
と決めつけるのは簡単です。
けれど、状況を変えれば、その子は待てるかもしれません。
目の前のごほうびを隠す。
楽しい想像をする。
別のものに注意を向ける。
それだけで行動が変わるなら、「我慢できない子」という決めつけは、ずいぶん乱暴だったことになります。
これは大人同士の関係にも当てはまります。
職場で仕事が遅い人を見て、
「要領が悪い人だ」
と決める。
人前で話せない人を見て、
「消極的な人だ」
と決める。
何度も失敗する人を見て、
「やる気がない人だ」
と決める。
しかし、その人は仕事の手順を十分に教わっていないのかもしれません。失敗を強く責められる環境で、頭が真っ白になっているのかもしれません。体調や家庭の事情を抱えながら、ぎりぎりのところで立っているのかもしれません。
性格という言葉は便利です。
便利すぎて、ときどき思考を止めてしまいます。
「あの人はそういう人だから」
この一言で、状況を見る必要がなくなってしまうからです。
ツァイスの研究から学べるのは、人を見るときには、その人の中だけでなく、その人の周りも見ようということです。
何が行動を難しくしているのか。
どんな支えがあれば力を発揮できるのか。
どのような環境なら、少し安心して動けるのか。
この視点を持つと、人へのまなざしは少しやわらかくなります。
年齢を理由に、心の苦しみを放置しない
ツァイスはその後、高齢者のうつや心理支援についても研究を重ねました。
ここから学べるのは、年齢を理由に心の苦しみを当然のものにしない、ということです。
高齢になると、身近な人との別れ、体力の低下、仕事からの引退、生活の変化など、さまざまな出来事が起こります。
だからといって、気分の落ち込みや強い不安を、
「年を取れば、そんなものです」
で終わらせてよいわけではありません。
それは雨漏りしている家に向かって、
「古い家ですから、床がぬれるのは普通です」
と言っているようなものです。
普通かどうかではなく、困っているなら修理が必要なのです。
高齢者であっても、心理的な支援や適切な治療によって、気持ちや生活が改善する可能性があります。
年齢を重ねた人にも、悲しむ理由があり、立ち直る力があり、自分らしく生きたいという願いがあります。
「もう年だから」と可能性の扉を閉めるのではなく、「今のこの人に合う支援は何だろう」と考える。
これは高齢者支援だけでなく、私たちが人に接するときの基本姿勢でもあります。
一人で頑張るより、支援の輪をつくる
ツァイスは、心理学者として個人を支援するだけでなく、医師、看護師、福祉職などが協力する仕組みづくりにも力を注ぎました。
ここから学べるのは、複雑な問題を一人で解決しようとしないことです。
心の問題には、生活、仕事、家族、身体の状態、お金、人間関係など、さまざまな要素が絡みます。
それなのに、一人の専門家がすべてを解決しようとすると、支援する側もされる側も疲れてしまいます。
たとえば、眠れない人がいるとします。
心の不安だけでなく、体の病気が関係しているかもしれません。夜勤の生活が影響しているかもしれません。家族の介護で眠る時間がないのかもしれません。
この問題を「気持ちの持ちようです」と一言で片づければ、大切な原因を見落としてしまいます。
だからこそ、専門の違う人たちが一つの机を囲む必要があります。
「体の状態はどうでしょう」
「生活環境に負担はありませんか」
「本人は何をいちばん困っているのでしょう」
それぞれの視点を持ち寄ることで、人を部分ではなく全体として見ることができます。
私たちの日常でも同じです。
困ったときに、すべてを一人で背負わなくてよいのです。
家族に話す。
友人に相談する。
職場の人に協力を求める。
必要であれば専門家につながる。
助けを求めることは、弱さの証明ではありません。
問題に合った人数を集める、立派な問題解決です。
一人で持てない荷物なら、二人で持てばよい。荷物を持てない自分を責めるより、持ち手を増やしたほうが話は早いのです。
人間は、環境と一緒に変わっていく
ツァイスの研究をたどると、人間の心を固定された性格として見るのではなく、状況との関係の中で見る大切さがわかります。
我慢できないときは、注意を変える。
続かないときは、仕組みを変える。
苦しんでいる人を見たときは、性格を責める前に環境を見る。
一人で解決できない問題には、支援の輪をつくる。
これらはすべて、「人を直接たたいて直そうとしない」という考え方につながっています。
植物が元気に育たないとき、葉っぱに向かって、
「もっとしっかりしなさい」
とは言いません。
日当たりはどうか。
水は足りているか。
土に問題はないか。
鉢が小さすぎないか。
植物の周りを見ます。
人間も、少し似ています。
もちろん、人には自分で選ぶ力があります。努力も必要です。しかし、その努力が実りやすい環境と、空回りしやすい環境があります。
だから、うまくいかない自分に出会ったときは、すぐに人格を責めなくてもよいのです。
「私は駄目だ」ではなく、
「今のやり方では、動きにくいのかもしれない」
そう考えてみる。
すると、心の中に小さな余白が生まれます。
その余白には、新しい工夫を置くことができます。
誘惑を遠ざける。
課題を小さくする。
注意を別の場所へ向ける。
誰かに助けを求める。
必要な支援を受ける。
アントネット・ラスコフ・ツァイスの研究は、人間にもっと強くなれと命令する研究ではありません。
人が力を出しやすくなる条件を、丁寧に探した研究です。
私たちはいつも、自分の心を完全に支配できるわけではありません。
けれど、心が歩く道を少し整えることはできます。
石を一つどける。
明かりを一つ置く。
一緒に歩いてくれる人を呼ぶ。
それだけでも、昨日は進めなかった一歩が、今日は動き出すかもしれません。
心の強さとは、何があっても耐え続けることではありません。
自分が動きやすい方法を見つけ、必要に応じて環境をつくり直す力でもあるのです。

アントネット・ラスコフ・ツァイス(Antonette Raskoff Zeiss)の論文一覧
1.『ごほうびを待てる子は、どこを見ているのか? 満足を先延ばしにする「注意」と「考え方」のメカニズム』ウォルター・ミシェル、エベ・B・エベセン、アントネット・ラスコフ・ツァイス(1972)
Mischel, W., Ebbesen, E. B., & Raskoff Zeiss, A.(1972). Cognitive and attentional mechanisms in delay of gratification. Journal of Personality and Social Psychology, 21(2), 204–218.
「目の前のお菓子、今すぐ食べる? それとも待って、あとでたくさんもらう?」。この論文は、そんな幼い子どもたちの心の中で開かれる、誘惑との作戦会議を観察した研究です。面白いのは、我慢できるかどうかが根性だけで決まらないこと。お菓子をじっと見るより、別の楽しいことを考えたほうが待ちやすかったのです。つまり自制心とは、歯を食いしばる力というより、注意の向きをそっと変える技術。マシュマロ一個から、人間の心の操縦法が見えてくる一篇です。

